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未だどこにあるか知らないが、何処かにあるだろう。探さなくてもよい。今はどこにもないのだから・・・。リセットして歩き出そう。どれだけ捨てられるだろうか。自分の吐き出す力が、自分のエネルギーになるだろう。・・・過去と言う亡霊の。めっきり体力が衰えて、老人臭を撒き散らして、肩身の狭い思いをしていますが、・・・やっとこれからです。自分らしくあろうとするのは・・・。迷惑でしょうけど、まだまだお邪魔をしますよ。My goal は、明日来るかも知れないけど、遣りたい事はいくつもありますもの。未だ、ブログを続けますかって、遣りますよ。書きたいことはありますから。どうぞ笑ってください。嘲笑されても構わない。そのうち笑われないものを出しますよ。酔っているでしょうってか。そのとおり。駄目親父ですから・・・。いつも、熱中症です。
2005.07.31
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科学の本質は、自己修正的であることだ。宇宙は、昔も今も将来も「存在するもの」のすべてである。私たちの思考力はきわめて弱いけれども、宇宙のことを考えると、私たちは興奮する。思えば、人間は疑問を持つようにできており、人間にとって、知ることは喜びなのである。知識はまた、生き残るための前提条件でもある。私たちは、孤独のうちに成長する。宇宙のことは、ゆっくりとしかわからないのである。頭がよくて、情熱的で、好奇心の強い人たちの間に私たち生きている。知識を探求することが称賛される時代に私たちは生きている。そういう意味で、私たちは恵まれている。21世紀を生きる者にとっても・・・すべてのひとたちにではないにしても・・・。これから、何かをはじめようとしているひとには、「COSMOS]は、素晴らしいカール・セーガンからの贈物だろう。過去のことは忘れて、これから、何かをしなければならない私にとっても、何より勇気を与えることばがあふれている。
2005.07.31
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雨音で目が醒めるなんてのも中々だ。カーテンを開けて外を観たら、朝顔が雨に濡れて可哀想だ。ぺチュ二アは昨夕雨を避けるためにテラスに入れていたのは正解だったようだ。「雨に注意」と説明書に書いてありそれだけは気にしていたからね。ところで、昨日の講義で「親子のストレス」についての話があり、帰宅時間に帰らなかった子どもに対する親の対応について、「あなたが親ならどんな態度を取るか。」と問われた。一、何も言わないで、無視する。二、ガミガミ叱りつける。三、どうしたのか尋ねる。心配していたことを伝える。この選択肢だけでも、子どもの気持ちは違うだろう。訊かれてドキッとした私は、「タイプ一」、だろう。案外自分のことはわからないものだと思う。世間の所為にするのは簡単だが、過去は戻っては来ない。「自己チュー」にしても自分でそうだと気づかないでいるひともいるだろう。「裸の王様」は童話だけの話ではない。昨日このブログを「面白い」とコメントを呉れたひとがいたけど、「どこが面白いのだろうか。」訊いてみたい気もするが、止めた。ひとそれぞれ、けさ「七月最期の日の雨音」を聞いているだろう。
2005.07.31
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人生を健康で幸せに生きたいなら、自分の主観的で勝手な思い込みを修正しなければならず、幸せに生きるための合理的で論理的な思考を身につけねばならない。論理療法(ABCDE理論)だ。個人の認知過程を問題としている。認知の歪みがストレスを生むのだという。自己チューは、逝くまでに周囲と折り合いをつけなければならない。寧ろ他人の為に尽くす方が安らかに逝けるというデータがあるそうだ。心理学もかなり昔と違うようだ。最近は面白いデータも取っている。例えば結婚20年以上の夫婦では、妻は夫を冷静に観ており違う男と比べもしているらしい。必ずしもいい夫と見ていない。男女の特質の違いは歴然だが、笑えない点もある。テリトリーと戦略の深さの差だろう。環境への配慮に対するキャリアが、男女では差が出るのであろう。軽薄な男が捨てられるのは当り前だろう。心理学そして、データは証明している。
2005.07.30
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テーマ「ストレスと健康」メモ・・・公開講座5回目 Y教授・ストレスは、神経系、内分泌系、免疫系のシステムと病気の発生と進行に関わること。・厚生労働省の16年度基礎調査で「自分の健康・病気・将来・収入・家計・借金」の順でアンケート。・戦後の社会環境の変化に因るストレスが見られること。原因:人間関係の希薄化・家族の崩壊など。・ストレスとは、当初は、物理学で、物体に歪みを生じさせる外からの刺激をストレッサーといい、歪みを生じる状態をストレスと言った。・セリエは、ストレスとは、外界からのあらゆる要求に対する生体の非特異的反応。ストレッサーは、引起す刺激や要因であると言った。・ストレス度について。配偶者の死が最大。・心理的要因・身体的要因に分類される。・日本人の60歳余命平均男22.17歳:女27.74歳。・ストレッサーに対するホメオスタシスの個人的資源により個人差がある。・依存症とは、・物質摂取依存のケース・・・アルコール・ニコチン・薬物・食事など。・プロセス依存のケース・・・ギャンブル・仕事・買物・PCなど。・人間関係依存のケース・・・恋愛・Sex・親子関係など。・ストレスの個人差について・罹りやすい性格とは、Aタイプ(野心家など)・過剰適応・プライドや面子にこだわる人など。・高齢者は、心身の機能衰退によるストレスが発生し易いこと。・夫婦関係のストレス・・・男女差があること。夫が想うほど妻はいい夫とはみていない。意外なアンケート結果など。・ストレスの対処法について、・ストレッサーの軽減・認知的評価の修正・・・心理療法など。・生体反応のコントロール・・・リラクセーション法バイオフィードバックなど。・ソーシャルサポート・システムの確立。対処のポイント・心配や不安の原因の究明・自己能力の限界を正確に見極める。・エンドルフィンの効用。笑うこと。・楽観的思考をもつ。・散歩などの気分転換を図る。など。・心理療法とストレス 論理療法・ABCDE理論・ Activating event・ Belief・ Consequence・ Dispute・ Effect 「非合理的・非論理的な思考(過度の一般化、どうせ思考、べき思考など)に対して、有効な反論をすること。合理的・論理的思考の導入。安らかに死にたければ、自己中心的な思考ではなく、他人の為に尽くすことが有効なのだそうだ。心理学者の弁だ。最近の運動不足を解消すべく、自宅まで歩くことにしたが、真昼で倒れそうでした。次回は10月1日。
2005.07.30
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世の中には「へんなひと」が居ることは知っていたが、想いの外おおいことにショックだ。もうそんな世界になってしまっていると、少々げんなりだ。自分は一番だと勘違いするらしい。大抵多寡がだけど。それも自己顕示欲か?想えば、ブロガーも多少その気配のある先か。とことこ後ろから付いてゆく奴もどうかと想うけど・・・。夫婦だってそんなものかも。面白いのは、アクセスが、どうとか。質より量なのだろうか。ランキング競争?「自由からの逃走」か?煽るひとがいるのだろうね。仕組むのは組織かな?それにしてもアブノーマルな本人たちの嵌りまくりのようだ。だから何なのだろう。向こう受けは媚びることではないの。何かキャピキャピしていて、元気よろしいなあ、とでも言うべきか?迷いますね。違和感あるけども。私も相当へんなやつだと自分で思うけど、何か其れも遠慮するだけ莫迦みたいだ。そういえば今日午前中、週一の講義があるけど、大学もへんなとこですね。つかえないやつの養成所じゃないの。学生はわざわざ、「お前は無能で、使えない。駄目なやつだ。」の烙印を押されに行くようなものだ。それこそ、貴重な時間は、誰もいないところにでも行って「俺は、大物だあ。」とでも思い込む方が大成するのではないかしら。ひとの無駄遣いばかりしていたら、そのうちタイムオーバーで、ヒトもこの地球に棲めなくなる?本当のことを感じなくなると、自虐的になるかもね。私の周囲でもよく見かけるようになった気がする。利益優先が進むと青二才が蔓延り、中年を虐めるだろうね。若い女が上司になり、訳のわからないことを言い出すだろう。決まり文句は、「組織ですから・・・。」何てきいたふうなことをいうだろう。殆ど陳腐だね。そんな連中だから、子育ても「切れる」こどもをつくるだろう。ヒトの歴史は、いつも最適な素材をのこすとは限らないだろう。自然淘汰も明日を知らない。行く先不明の切符しかもたない。誰もみな「目的のない」プロセスを生きているだろう。そうであれば、「個としての私」には、人生の目的など鼻からないのだろうよ。どこがどう変なのか。よくわからないが、人間はそんな世界にいるらしい。そういえば、昨日は変な一日だった。外に出る気持ちがしなかったし、食べるのも億劫だった気がする。こうしてはいられない。新たな一日のスタートだ。
2005.07.30
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無能な経営者ほど、社員に「厳しいノルマ」を課すらしい。報道されているカネボウの経営者の逮捕と粉飾決算はそれを示している。規模こそ小さいが、私のいた会社も同じだ。ノルマに耐えかねた自殺者が相次ぎ、ストレスと過労で心臓麻痺のため倒れる人たちがいても、日常的に理不尽が罷り通っても、ダラ幹たちは誰も保身の為に目を瞑り続けていた。企業とはそんなところなのだと思い知ったが、いつかその報いが来るだろうとも考えていた。それこそ風通しの悪い会社ほど、陰湿で救いようのない空気が漂い、支配するものだ。やっと定年になり、そこから解放されたが、まだ延長線上のこの社会でしばらくは暮らさねばならない。要は、其れをどう受け止めるかだろう。気儘に私はブログをしているが、しながら考えている。どうも空気がおかしいぞとか。スペースの環境がどうとか。触手を伸ばして考えている。ブログ・スペースは、下手な規制をすべきではないだろう。土台、未だ人間には、それこそ何のフェロモンも発見されていないのだ。仮想は仮想に過ぎない。いまも、無能な経営者の下で、元同僚たちは「厳しいノルマ」に苦しんでいるだろう。
2005.07.29
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DMは、何千年前から病気として認識されていたが、原因が解明されず、従って治療もできずにいた。血中にブドウ糖が見出され、やがて膵臓が関与していることが偶然発見された。科学者が魔法の物質を探している間も、悲惨な日々が続いたのだ。患者は、断食するしか有効な治療法はなかったのだから。そして、1921年医学校を出たばかりのFrederick Banting が突破口を開き、助手のベストとともに犬の膵島細胞からの抽出物を用いてDM犬を治療することに成功したのだ。やがて抽出物は純化され、先ず瀕死の14歳の少年トンプソンの生命を救い、その後多くのDM患者に現在もなお光明を齎し続けている。その抽出物は勿論「インスリン」だ。インスリンは、未だ多くの患者のQOLを改善できる余地があるだろう。
2005.07.29
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今朝で、Oahu土産のラストの one cup of KONA coffee を味わっている。昨夜は熱帯夜で、何度も起きてしまったので寝不足気味だ。ハウステンボスに遊びに行って帰宅した娘の顔も昨夜見ていない。ひとり居間に降りて来て窓を開け放して朝の涼しい風を入れている。どうも最近、少し肩苦しい話ばかりしているが、多少時の勢いもある。アルツハイマーが時々、焦るらしい。其れほど深刻に悩んではいないはずだが。真面目な人は、多くは企業戦士のまま倒れている。私などはどちらつかずの半端者だ。そういえば、学生の頃「ノンセクト」ということばがあったなあ。よく言われた。文化は、meme で拡がるとすれば、私たちが遣う言葉も変わらねばならないだろう。「コペルニクス以前」のことばで話しているのだから。もう私たちは、old man でしかない。「ことば」は、新しいコンセプトをもって再構築されるだろう。私たちに役割があるとすれば、彼らを見守ることだろう。心地よい朝の風を感じている。なべて静かな朝である。庭の朝顔が風に戦いでいる。一日がはじまる。
2005.07.29
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DM医療について、どうも失望が先行していて、実態はどうなのだろうか。知りたいが、どこから始めたら良いか。よく判らない。それにどれだけの意味があるかも・・・。それでも気が付いた人が遣るしかない。何れにしても、一番判る人が発言すべきだろう。「薬害」にしても「研究」にしても、医師のモラルは低いのではないか。と言うより幼稚ではないだろうか。どれだけ学識や経験を蓄積していようと、コペルニクス以前の意識では、所詮マイナーでしかない。セクト主義が成果を矮小化するだけだと思う。わたしは、暇人なので考えることが多いのだろうか。どうも、遣るべき仕事がなされないでいるような気がしてならない。今更、アスベストの弊害だろうか。あれだけ騒ぎになっていてもそれが原因で被害に遭うひとがあとをたたない現実がある。医療現場から何もないはずがない。癌死する人たちを見逃しにする医師は恥じねばならないだろう。と思う。
2005.07.28
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20~30世紀前なら、宇宙は私たちのためにつくられたという考えを抱いても恥じる必要はない。当時知っているあらゆるものに合致していただろう。然し私たちはその後、多くのことを発見した。コペルニクス、ダーウィンを知ったのだ。「彼は信じることもできず、不信という状態に満足していることもできなかった。」「彼らは私を説得できなかったが、私を困惑させた。議論は私をぐらつかせたが、私を説得できなかった。・・・人が強く望むものを信じないようにすることは難しい。」(ジャン=ジャック・ルソー)権威が傷つくとき、尊敬も損なわれる。Carl Sagan はいう。「私たちは宇宙における私たちの位置についての共通認識を欠いている。」と。そして、私たちの存在の小ささに喚起される恐怖心を克服できたら、広大で畏怖の念を呼び覚ます宇宙の入り口にいる自分たちに気づくだろう。私たちは、宇宙の百数十億光年のかなたに、ビッグバンの直後の宇宙を見つめ、物質の細かい構造を見抜き、私たちは地球の核や燃える恒星の内部まで見通す。私たちは、地球上のあらゆる生物の多様性を知り、遺伝子に書き込まれた情報を読む。私たちはわたしたち自身の起源に関する隠された部分を明らかにし、私たちの性質や見通しについて、苦悩しながら理解を進めてゆく。私たちは餓死する者がないように農業を改良して食糧を確保し、生命を救うワクチンや薬を開発するのだ。私たちのうぬぼれをへこませる科学の力を借りて進まなければならない。これらは、すべて正当だ。 彼の Carl Sagan の遺言だ。惰眠を貪るなかれ。
2005.07.28
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「何て美しい日没だろう。」は、天動説の思考で、コペルニクス以後は、日没は、「地球が回転して、太陽がその場所の地平線の下に見えなくなる時間だ。」科学的事実を表現するようにもともとできていない。少し考えれば、地上に溢れている言語は、天動説であり、人間中心主義の「ことば」でしかないだろう。また、暗闇の中を歩くことになりそうだ。これまで思い描いて来た世界も、ことばに因ってであり、それは、コペルニクス以前だ。その後の言語で、この社会は形成されてはいない。ひとびとは、どこへ行こうとしているだろうか。ヒトは、太陽系第三惑星でニッチを得たに過ぎないだけなのだろうか。私は、また夢を見ているだろうか。少しでも、利益を得たいとだけ考えている生きているだろうか。見せかけの擬態で、生き延びることだけが人生だろうか。私の脳が、蝉の声のざわめきを聞いている。
2005.07.28
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太陽中心の世界観を正しく伝える洗練された話し方を身につけてはいない。私たちは、「うわべだけ」のコペルニクス主義者だ。と Carl Sagan は言う。21世紀に生きる人間も、地球中心主義から、宗旨替えした訳ではない。科学的事実が、「日常会話」ではないのだ。「なんて、美しい日没だ。」「日が昇る前に起きる。」等。私たちは、あたり前に口にしている。と。この「蒙昧」は、到底、私たちが手に負える問題ではないように思える。既に、私たちの脳の言語中枢は、コペルニクス以前、天動説にセットされたままだからだ。「人間中心主義」にことは、ネットワークされている。ことばは、「人質」にされているだろう。人類は、何時か「宗旨」を換える事ができるだろうか。
2005.07.27
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「未だ一度も行ったことがないよ。」と朝、妻から誘われて真夏の島に行って来ました。曇天。車を姪浜渡船場の駐車場に置いて、午前11時15分発能古島行き「フラワーのこ」に乗りました。乗船時間10分の船旅。平日の所為か数人しか乗っていない。もう夏休みのはずだが・・・。この島は、秋のコスモスで有名だから・・・かも。博多湾が一望できて私はそれだけで満足した。無目的なので、能古港に着いて、「さて、どこに行こうか?」炎天下で、ぶらぶら歩くには暑いので、取り敢えず、バスで「アイランドパーク」へ行って、昼飯でもと言うことになった。ローカルバスは、細い上りの坂をくねくねと走り出し、やっと気分が乗って来て、旅モードに這入ったようだ。酸素が美味しいと思えてきた。狭い島なので目的地はすぐに着いて、さて、もう正午を過ぎたので、時間通り定時にに食事をしなければならない。こういう時の妻は必死になる。如何にもそうしないければ私が倒れるとでも思うらしい。処が、ゲートからレストランが遠いものだから・・・。まあどうにか間に合い「レスト防人」で鯛定食をゲットしてセーフ。食後、園内マップを片手に観覧して廻ったが、どこからも眺望は良かった。志賀島や玄界島、海ノ中道の海岸線が見え、ヤフードームや福岡タワーも目の前だった。直近に、博多湾を行き交う船舶も見えた。此処には、夏休み用のコテージもあるようだ。木陰も多く、炎天下だが意外と風も吹いて、それほど暑くはない。この時期ダリア、海紅豆、向日葵、百日紅、鶏頭等の花が咲いていた。殊に、向日葵畑が気に入り、散策したが、陽の当る場所とそうでない場所の向日葵の成長の違いを頻りと妻が気にしていたのが面白かった。能古島は、まだ未成熟の観光地だが、あまり整備されてもどうだろうか。と思った。神が「のこる島」で、「のこのしま」が語源らしい。能古島に滞在3時間余で、帰途に着いた。今週の金曜日に長女が、そしてそのあと次女もこの島を訪れるらしい。私たちも、コスモスを見に来ようと思っている。
2005.07.27
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朝刊を取りに外に出て、朝顔一輪を見つけた。意外と輪が大きい赤紫だ。曇天で風がない。5鉢のペチュニアの花たちも相変わらず咲き誇っている。「折角だから、生垣の剪定も遣らないと・・・ね。」と妻から厭味を言われそうだ。どうやら気になりだすと庭仕事は際限がない。昨日、退職の日に花を贈ってくれた元同僚に電話をしたら、優しい言葉を掛けてくれた。彼女は短大を出てすぐの新卒で私のところに来たが、世間知らずの娘も、今は1歳の子持ち立派な主婦のようだ。負けず嫌いで「青年の船」とかで海外に行ったりしたが、彼女らしく生きているようだ。今朝の朝顔の一輪のように爽やかな気分にさせてくれた。以前鹿島にいたが、佐賀市の実家の近くに転居していた。近く再会を約した。それにしても、今の自分は悠々自適だろうか。何と言われても良いが、自分では、本当のところどうなのだろうか。「悠々」でも「自適」と言う訳でもない。切り離せば違うし、総括すれば、やはり悠々自適だろうか。わからないなあ・・・と。6時になった。NHKのニュースでも観よう。
2005.07.27
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人類は、宇宙の歴史からみれば、最期に出現したに過ぎず、ヒトは、何も創世を知らず、惑星にも、生命にも、その他の如何なる出来事にも関与してはいない。人類は存在さえしていないのだから。人類は、宇宙の主人公では在り得ない。然も、太陽系第三惑星の数千万種のひとつに過ぎない。人類の、この「偏狭」は、何を齎すだろうか。人間中心主義と言う途方もない宗教と哲学は、この地上を覆いつくして蔓延っている多くの矛盾を造成している。しかも突き進む前途に明日の兆しはない。恐らく、人類は、この地球を「愚者の惑星」として、ニッチのままだろう。「有限の限界」としての宇宙で、人類は「遅れし者」の運命を歩くだろう。人類は、自然法則からの制約を免除されている特別の存在と言う幻想について、アインシュタインの特殊相対性理論でさえ、そのような区別を許してなどいない。生物学の観察では、遅れし者は、「淘汰」されるだけだ。
2005.07.26
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人類を蝕しばむ有害な差別は、私たちが神輿の、他者に対する優位性の観念から生まれてきた。現代人でさえ、この甘言をきっぱり拒絶できないでいる。科学者ですら、この伝統的な世界観に支配されているのだ。それは、自分の利益にならないという利己的な考えに基づくものでしかないが。この地球は、「愚者の惑星」だろうか。20世紀後半になり、やっと地動説が確立したのだ。ボイジャー1号は、太陽系の姿を写真で捉えた。人間中心主義は瓦解したのだ。それでも、人類は、自分の「偏狭」さ、を捨てられないでいる。多寡が、自分の利己主義のゆえに。自分たちの視野が如何に狭いかを顧みないのだ。差別は、「貧困と無知」に起因するだろう。21世紀になり、まだ、混沌とした「原始のスープ」の中で、あらゆる「差別」があるだろう。
2005.07.26
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昨日「名水」として有名な福岡市の東区に在る香椎宮の「不老水」という湧水をペットボトルに入れて持ち帰えり、残り少なくなったハワイ旅行土産のKONA COFFEE で飲んでいる。意外とマイルドだ。以前、現地で、珈琲店のひとがこの「不老水」の水を汲んでいるのを観たことがあり、一度試してみようと思ったことを、ふと思いだし昨日貰ってきたものだ。「不老水」は、水で濡れた小さな天然石で四角に囲われ、手作りの粗末な小屋が建てられているが、常時多くのひとびとが汲みに来ると見えて、柄杓や枡も用意されている。こんこんと湧き出すさまはこころが癒される雰囲気があり名水の名に相応しい豊かさだ。どこの湧水も名残を残すのみで枯れてしまった所が多いというのに、「不老水」は、その名に値する。昨日一度試飲して、その芳醇さに感動した。今朝は、その味を賞味すべくこころをいたして「一杯の珈琲」を味わっている。これも、思うだけで自分で遣らなければ知ることのなかった「珈琲」の味であろう。 KONAと「不老水」とこのハーモニーは素敵だ。どんなに知識を得たとしても、其れを活かさなければ真の価値にはならない。「点」は飽くまでも「点」である。ネットにすることで新たな価値を生むだろう。と思いながら、「不老水」の珈琲を戴いている。
2005.07.26
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猛暑で立ち止まったら、焼きつきそうな炎天下を、妻とドライブして来た。昼過ぎ、自宅を出て、先ず香椎宮でお参りし、宮から徒歩7分の「不老水」の湧水で、珈琲用の水にペットボトル2本分を調達した。それから香椎浜でAEONのスタバ店で Whole bean を買い。時間潰しで、9月開催予定「どんたくはなフェスタ」の人工島を経由して、志賀島へ。この前の「福岡県西方沖地震」で崖崩れのため、一部道路閉鎖がされており、今も島を一周できないままかどうか調べにゆくべかと。それと島の奥にある国民宿舎は閉鎖のままやろかと。行ってみると、前回娘とドライブした時通行止めのところは復旧していたが、国民宿舎は、未だ休業中だった。それでも宿舎前の海水浴場は、海水浴客で溢れていた。どうやら「海の家」も営業しているようだ。いつものように海は穏やかで、光る海が広がっていた。然し、未だ一部の崖崩れが復旧しておらず、島の一周はできなかった。行けなかった地区の方が玄界灘がよく見えて眺望は素晴らしいのだが、諦めて引き返すことにした。昔は、夏、子どもたちを連れてよくこの紺碧の玄海灘を満喫したものだ。いつのまにか、子どもたちも成人してしまった。近くにこんなに良い場所があるのに・・・何故他所にばかり行きたがるのだろう。私も含めて。対岸には、能古島と西方沖地震で被害の大きかった玄界島が見えた。志賀島は、蒙古襲来の地であり、金印が出土した所だ。遣唐使は、この島を観て帰国したことを実感したと言う。由緒正しき観光地なのである。
2005.07.25
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物質的には恵まれているにも拘らず、定住生活にいらだち、心が満たされることがない。ヒトの優れた頭脳でさえ、未来を予知する能力を備えていない。いつの時代でも、どこにいても、そして誰も変わらないさすらい人だ。「私は絶えず、遠なるものに渇望しているのだ。禁断の海原を帆走しり野蛮の岸辺に上陸することを好む。・・・・」(「白鯨」)私たちは、どこかわからないが、いまいるところからはるかに隔たった場所に、ある種の夢を抱いている。「かなたに」恋焦がれるこころは、ひとに備わった、謂わば生存に不可欠の要素かも知れないと、"PALE BLUE DOT "CARL SAGAN は述べている。地球は、宇宙の闇に浮かぶ青白い点でしかない。私たちの、「かなた」への、飽くなき憧憬も、生命の齎す計り知れないエネルギーに由来している。
2005.07.25
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特段の朝でもない。それでも朝は来る。良くも悪くも、するのは自分だ。価値ある一日に、するのも、価値ある歳月とするのも,自分の努力に他ならぬ。闘わざるものは、この世は、「怠惰の海」だろう。心あるものは自らに日々問うのだ。「自分は、何ものか」と。私の目は、真実を見ているか。私の耳は、真実を聞いているか。私の口は、真実を話しているか。と。もう、「虚偽の海」に溺れてはないだろうか。自分の五感は、もう真実を知ろうとはしていない。思考を止めて、仮面の日常を送り、朝を待っているだけだ。そんな想いが胸を打つ。底知れない朝の苦い珈琲を飲んでいる。
2005.07.25
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ブロガーもステータスが違えば本来意識も違うだろう。勿論ひとの環境も流動的だから直ぐにもステータスは変化するだろう。陳腐なのは、そのことの認識がないブログだろう。確かに同時代人として共通体験をしているのだから一定のコンセンサスはあるだろうが、やなり微妙に違うし、突き詰めれば相違が出てくると思う。夫婦でさえ、男と女という違う戦略 と meme がある。わが身を守りながら生きると言うのは、個としての免疫がそうだろう。ひとりひとりの「多細胞としての宇宙船」の運命は他人とは違う。それでも、ひとは世間とバランスを保ちながらよく生きていると不思議に思うことがある。そうなのだ、平和であれば、自分の意識が到らなくても、ことは都合よく調整するらしい。案ずることはないのかも知れない。好きなことをしていれば、そのうち拙ければ破綻が来るだけだ。それに耐えるだけの勇気と忍耐力があるかだろう。其れが厭なら、今の社会の現実と「自分」を知ることだ。日常を重ねて行かなければ、明日は来ないのだから、少し厄介だが世間とお付き合いするしかないのだろう。
2005.07.24
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熊本県の玉名市にいた頃、清張が見に来ると言う話を訊いて、父と見学に行ったことがある。玉名には、古墳が多い。殊に船山古墳が有名だが、そのすぐ近くに、謎の「トンカラ・リン」があると訊いて興味をもったのだ。まだ、未調査の洞窟の中を、懐中電灯をもって観て廻った。水路ではないかと思ったが、どうもそうではないらしい。人工の洞窟であることは間違いないだろうが・・・。歴史に埋もれた世界を想像するのは愉しいものだ。ロマンがある。考えてみれば、もう30数年前の話しだ。当時は、邪馬台国ブームと言われた時期だ。諸説が多くて定説がないらしい。祭典儀礼の跡ではないかとも言われる。禊をした地ではないか。母親の産道に似せて創られたもので、禊をして生まれ変わるのだとも言われる。書棚を整理していたら「トンカラ・リンと狗奴国の謎」と言う本を見つけて懐かしくなった。この夏、大阪の友人が奥さんの実家のある玉名に盆休みで来るらしいので、再会の折にでも出掛けようかと思っている。生まれ変わるには、私には今がよい時期かも知れない・・・だろう。
2005.07.24
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まだ糸が繋がっている感じだ。それほどの解放感もない日常だ。少しの違いで、どうのと言いたがるのは、軽薄の由縁だろう。何か止めどころのない暮らしをしている。ひとのいない時間に散歩をするとか、本人は別にこそこそするつもりはないが、多少遠慮はある。もう田圃の稲が穂を出そうとしている。思えば、この風景も青々として生気に溢れたように、一見観えるけれど、昆虫はいない、農薬散布の影響はどうなのだろうか。ここは住宅地だ。有り触れた風景も実は環境汚染が進んでいるだろう。例えば、牛乳も飲み続ける遺伝子レベルの人体への影響は不明だ。この切れかけた凧のような毎日だが、いつかどこかに落下するだろう。それまでの僅かな時間だ。昆虫にすれば,あの緑の美しい田圃は、「死の海」かもしれないし、あの2m近い美人モデルたちも、シンメトリーな美顔の娘たちも、グロテスクでしかないのかもしれない。切れかけた凧はそんなことを思っている。
2005.07.24
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よく行く図書館の駐車場の近くに、近頃百日紅のピンクの花が咲いている。何とも華やかで優雅だ。惚れ症なのですぐ好きになる。母校の小学校にもこの木があったのを覚えているが、花の咲いていた記憶がないのは何故だろうか。面白い名前と、クラスメートがこの木に登り落ちて怪我をしたことだけが記憶にある。彼は、現在和歌山の白浜にいるはずだが・・・。周囲を見回したら夾竹桃も数本あった。彼らはどういう戦略で花を咲かせているだろうか。オアフ島の花木を見てから、花木が俄然好きになったし、関心を持っている。掘り下げるとひとの感情と言うのも遺伝子に起因しているとすれば、もう私は、忘れているが「百日紅と私」の触れ合いも過去があるかも知れない。或いは、好きな女の子にふられた場所の近くに百日紅があった。とか言う・・・のはあっても良い話と思うがどうだろうか・・・。花も自分の遺伝子プログラムで生きているだろうが、それを観て「美しい」と感動する人間がいるとすれば、私たちの「生き様」さえ、理解するひとがいても可笑しくはないだろう。せめて、それを信じてみたい気がする。「百日紅」と「夾竹桃」は、今が盛りで咲いていますよ。
2005.07.23
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テーマ「健康診断の上手な受け方」公開講座講師は、M教授で臨床医の経歴とのこと。メモ健康診断について・治療ではない。・現在の身体的な健康状態を調べる。「こころ」や「社会的」ではないこ と。・疾病の早期発見・早期治療。・日常生活の見直しに役立つこと。以上が、特徴と目的で実施される。定期健診が多い。・身体測定と検査。中でもBMIがポイント。・良い内科診察とは、身体所見の正しい観察と日常生活のアドバイスだ。・高血圧は、日本では、成人の半数近くいる。反復測定が必要。・その他、血液検査・生理機能検査・画像診断・コレステロールの代謝・動脈硬化の説明あり。・成績の判定・・・基準値・正常値の判定。一概に範囲外が異常ではない。・メタボリック・シンドローム(死の四重奏)について。・異常値に対する対応・・・再検査・精密検査・専門医療機関への紹介。診断の確定と治療のためと二つある。区別は困難。要点は、「きちんとした説明」を受けること。再検査・精密検査の場合は、その理由を確認し、理解すること。これが本日のポイントだろう。短い講義であったが、こんなメモで申し訳ない。今日も炎天下を歩いて来て少し酸欠かも・・・。それこそ、必要な情報をタイミングよく手に入れるか。それができるかどうかで、或る意味でそのひとの運命が変わるかも知れない。
2005.07.23
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これだけ暑いと、外に出ると熱中症になりそうだ。外での仕事は辛いだろう。世間では、人民元の切り下げが話題となっている。中国は愈々巨大市場の開拓を推進するだろう。先進国が経済を独占し、その富を集中しているところに、現在の国際社会の歪みを惹起させている。昔は南北問題と言われた。日本では二重構造と言われた。謂わば貧富の差があらゆる矛盾の根源にあるだろう。それは、誰もが解っている。然し、改まる気配がないのは、Darwin以前の勢力が存在するからだろう。ひとびとは、大きな嘘を見逃し易い。というより利己的なエリート集団が世界を狂わせるらしい。何れ矛盾は露呈するだろう。自然科学はそのことをいくつも証明している。自然淘汰だ。最早科学で証明できないものはない日が訪れるだろう。それは勿論いまではない。エリート教育を受けたひとが、この矛盾を糺すことはないだろう。謂わば、いま塗炭の苦しみを味わい血の涙を流している人たちの中から、明日のリーダーが生まれるだろう。「奢れるものは久しからず・・・」、つねに存在理由を失った権力は腐敗し、新しい時代が来るだろう。この熱波の嵐も過ぎる時が必ず来るだろう。そう思うと朝顔の朝の輝きも憐れにみえる。
2005.07.23
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数年前、横浜市で4年程マンション暮らしをしたが、隣室は中国人だった。かなりの外国人がいたし、街中でも多かったと思う。外国人がどうのというのではない。愛国主義がどうのというのでもない。HIVにせよ、潜在的な感染者がどれだけいるかわからないという報道に、この社会の危うさを感じるからだ。40歳以上の4名にひとりは、DMである。がなされるべき治療がされていないのだ。麻薬や売春にしろ野放しに近い。犯罪にしたところが、益々凶悪化していると聞いている。寧ろ、わが国も安全はカネを出さなければ得られない世界になろうとしているのではないか。忍び寄る危機は、知らない間に周辺に近付いてきているのだろうか。不安を煽るつもりはないが、判らないことがあまりにも多い気がするのは、わたしだけだろうか。
2005.07.22
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三歳までにヒトは神経細胞のネットワークができる。自意識が生まれる。やがて、思春期・青年期となり中年になる頃には自分の「器」ができる。何れ、脳内ホルモンで快感に浸ることはできなくなる。「身体は、もう無理をするな。」と言う。正に「こころと身体」は、化学反応だ。インスリンは、外から注入を始めると、やがて膵臓からインスリンを出さなくなる。もういらないと判断するからだ。ヒトは生殖のために成長する。子孫を残すためにあらゆる努力を惜しまない。そして老人になる。身体は自然に帰るための準備を始めるだろう。誰もがお決まりの終着駅への足音を聞くのだ。ひと夫々のライフサイクルである。少しでも長く生きようとする努力とはなんだろうか。その意味を理解しなければ、ひと時も長くは生きることはできないだろう。長寿は熱望する者だけしか得られない。そのための「知識」と「実践」がなければならない。人間が生きてゆく真の拠り所は、自分の外にあるのではない。常に自分の内に在ってこそだろう。喩え会社が潰れても、リストラされようと自立心と自分の生甲斐さえもっていれば何も懼れることはない。懼れず、また新たな「神経細胞のネットラーク」を創くることだろう。定年後は、誰も皆「ただのひと」になるのだ。本当の自立は、「ただのひと」になってこそ真価が問われるだろう。カネのかからない図書館に涼みに行くのだろうと陰口を叩かれながらめげずに今日も行って来ました。斉藤茂太著「中年から生き直しのできる人、できない人」を読了。 <終> ----- Original Message ----- 送信者 : 宛先 : ??????@msn.com 送信日時 : 2005年7月22日 10:17 件名 : 22日の日記
2005.07.22
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朝3時起床。1時間早かったようだ。流石に昨日の草刈が応えたのかひと眠りした。それから遅れたので娘から駅まで送れとの依頼で走って来た処だ。もうどこも蝉時雨だ。入道雲が見え夏の風景が散らばっている。子どもたちも夏休みに昨日からはいり、めっきり人影も少ない。そういえばお盆ちかくなると周辺の人口が減るようだ。田舎に帰るのだろうか。それだけ他所から入って来た人が多いのであろう。これから、あと10年間を念頭において自分らしく生きようと考えている。そのためにこの休暇があると思っている。教育入院したのもそのためだ。「ヘイリックの限界」は、生きる時間を私に問うている、と思いたい。私は何者でもないが、ヒトとして生命を全うする責務があるだろう。そのために「知る」ということを貪欲に続けたいと思う。21世紀は、自分の生きた時代だから・・・。
2005.07.22
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借りてきたDVDで、「KING ARTHUR」 を何度も観ているが面白い。フレーズの気に入った箇所も多いが、 "Rus! " を「勝利を!」と和訳されているのがよくわからなかったので、辞典や英英・Webster’s Collegeateと調べたが出て来ない。それで、研究社の大辞典を書棚の奥から引き出してきてやっと判った。”Russians.”の略だ。翻訳エンジンでは出てこないが、流石にネットでは、サイトが在りました。”H.P.6”も読み始めた。読了の見込みはいつだろうか?矢鱈時間の早い毎日だ。これでは、残りの人生に「宿題」を増やしてばかりだが、どうせ完結などない人生だ。”Not this! Never this! " Arthur の叫びがひとびとの胸を打つ。
2005.07.21
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この雨で昆虫の楽園になっていた自宅の周辺を草刈した。妻からの厳命だ。実は、今日は妻子と広島に車で行く予定にしていたが、急遽あちらの都合で行かなくて良いことになり中止になった。妻は休みを取っており、突然の草刈をする羽目になった次第。昨晩はエアコンも修理させられたし、どうやら居候の身の上のようだ。妻子は働いており、私は浪人である。妻子にすれば、これまでいつも「いないはずのオヤジ」が家にいるので戸惑いがあるのだろう。普段口も利かない次女が、「どこどこ・・・」に行ったらと頻りと勧めるようになった。「何もしないと呆けるんだってよ。」などと厭味をのたまう。それでも、聞かない親だとは心得ているらしい。どうも体力がない所為か途中で切り上げて、後は妻に片付けてさせている。それでも、どうにか昆虫の棲み家を奪取したようだ。この炎天下、蒸し暑さの中で働く人に感謝したい。
2005.07.21
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かって老人の智慧は、民族の宝だった。その智慧なくしては生き残る術をしらなかっただろう。そして、閉経した祖母は、幼い孫たちを生き延びらせ、自分の糧以上の食糧を供給した。老人たちは長老として尊敬される存在であった。もう「老人の智慧」は、本当に価値を失くしたのだろうか。ひとは、前を向いて歩くだけで素晴らしい未来が来るのであろうか。生物学者は、否、Scientist は、誰もその約束ができないだろう。何故、ヒトは、生殖年齢後もかくもながく生き延びるのだろうか。まだ誰も知らない。然し、老人たちが存在することは紛れもない現実だ。要らないものを捨てながら、細胞は、生き残り進化して来ただろう。このヒトという利己的な多細胞が意味のないことをするだろうか。若者は、目先の利益ばかりを追求していたら輝く「未来」を失うに違いない。その不屈の勇気と、愛のある奉仕と、その狡猾な経験である「老人の智慧」を学ばなければならない。老人たちをドブに捨てる世界は、いつか瓦解する運命だ。ひとは、老人たちのパワーで種を守ってきた。そのことを忘れてはならないと思う。祖母の愛は、まだ孫たちの生命を支えていないだろうか。
2005.07.21
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AEON FUKUOKA 香椎浜店で、定番のトールラテしている。先程アマゾンで注文できず、諦めて書店で HARRY POTTER and the Half-Blood Prince.を購入してきたばかりだ。何でか知らないが、先日注文していた 7andy が突然本の仕入れができなかったとメールしてきたのだ。どうも不可解ですが。まあ兎に角、一安心して暫く、本でも読んでユックリすることにした。それというのもこの猛暑の最中、古いエアコンがパンクしたらしい。多分塵がたまり、水がポトポト部屋に落ちてきたらしい。それで、次女から、デパートにでも避暑に行ったらとのアドバイスに急遽乗ることにした次第だ。最近思うことは、ひとは、自分が一番気にしていることを避けたがるのではないか。それは、意識的にか、無意識的にかは別として。まるで、逃げるように・・・だ。それは、謙虚さからだろうか。単に臆病だからだろうか。それが、何にかでその人の運命が決まる。このブログも、何時までも、仮面を被る訳には行かないだろう、「仮面をつけた話」は、相手が飽きる前に、それを一番知っている自分が自滅する運命だ。
2005.07.20
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思ったよりも元気よく咲き誇っている。土の入れ替えをしたり、栄養ドリンクを飲ませた所為だろうか。初めての花つくりとしては申し分ない。オアフのカラカウア通りに咲いていたペチュニアたちも街路灯から観光客たちを愉しませていることだろう。何時まで咲いて呉れるだろうか。そろそろ朝顔も蔓を伸ばしてきた。どんな色の花弁か愉しみだ。土いじりなど莫迦にしていたが、意外と心を和ませるらしい。訳の解からないことで悩むよりも花でも育ててみてはどうだろうか。自分への投資はそこそこ遣ればよい。どうせ「ヘイフリック限界」だもの。よく観察すると見えてくるものがある。それが大切なのではないか。ひとより先んじることだけを考えていても、答えはないかも知れない。引き返す勇気がなくて、前進などできるはずがないと思うこの頃です。
2005.07.20
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心とからだは健康でありたい。然し、幸福とはいったい何なのだろうか。他人が下すものだろうか。それは医師だろうか。確かに、健康診断や社会的ステータスでその人が判断されるだろう。資産や学歴やキャリヤもある。イデオロギーや家庭とか。彼を取り囲む環境が問われるだろう。そして、健康だろう。健康でなければ、環境を維持することは叶わない。それでも、彼が妻子に恵まれていれば彼は自分を幸福だと思うかも知れない。おそらくこの社会でレベルに達していれば間違いなく尊敬はされなくとも少なくとも軽蔑はされないだろう。それらの集約だろうか。しかし彼は、実は満足していない。「自分は幸福だ。」と少しも思っていないのだ。何かが違うと感じている。自分の意思ではない出来事が多過ぎる。それは、自分の考えと違う権力が働いており、自分の行きたい方向ではない。「割れたら末に逢わんとぞ思う。」はないだろうと感じている。枝分かれした二者選択は一生元には戻らない。誰も、一度のカードしかない。人生とは、非常事態だと感じている。否応なくストレスを背負うのだ。出口のないトンネルに入り込んだ人生ではないか。といつも彼は悩むだろう。だから彼にとって、「心もからだも健康である。」ことは至難なのだ。21世紀と言う巨大システムのなかで、自分探しをしなければならない。一度自分を見失えば、もう二度と「自分」に出会うこと困難だ。それでも一途の望みを抱いて旅立たなければ、自分探しの旅は終わらない。
2005.07.20
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・・・コツの本が沢山あるがオーダーメイドはない。確かに多少のノウハウがあるだろうが、恐らく成功している人の話のことだ。・自然と親しみ、自分を客観的にみよ。・散歩の習慣でもして、日常のリズムをつくること。運動をしなさいか。・趣味でも仕事でも熱中できるものをつくる。・自分なりの、人生の意味を見出せ。・どうような状況であろうと、今を大切にすること。 これで、幸せになるという。ある著名な精神科医の本だ。老人になり、他人からのアドバイスで自分の人生を見直すひとが本当にいるのであろうか。どうも「方向が違う」本が多いようだ。余計本を読む人が利口なのではない。ながいキャリアに価値があるとは限らない。未熟な学生が、未来がよく見えるかも知れないと思う。然し彼はその価値を表現できないだけだ。優れた先見性も太陽の輝きのように直ぐ暗闇に消えるだろう。誰もみな自分の輝きは見えないものだ。ソーシャル ステータスで、意識は変わるだろうが、その先が問題だ。何ができるかだし、持ち時間は一瞬でしかないだろう。どうも悠々快適に過ごせそうにもない。何かと世事があるだろう。それでも惰眠を貪る、唾棄すべき輩にはなりたくはないだけだ。殆どわたしたちが気付かない世界をホーキングは、「未来を語る」で述べているが、易々と理解して先に進む子孫がいることを想う。今を悲観している訳ではない。ただもどかしい時があるだけだ。ふと、代々木公園の「夜桜」で、混雑して流れる人ごみの中に身をおきながら夜空と桜が散る様を見上げた時に、ひとはこんな風に人生を生きているのではないかと愕然としたことを想いだした。
2005.07.19
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DVDの「キング・アーサー」を観賞した。ストーリーは、英雄伝だが安心して見れるというか、ほっとする。まあ良い映画だと思う。余りにも嘘の多い話は「一時の笑い」でしかない。この映画もそこそこだろうが。ところで、午前中、雇用保険の手続きをして来た。愈々だが、自分がこの社会でどうなのかをまたもや、体験することになるだろう。それでもよい。「腐っても鯛」と言うではないか。それどころでは無いと言われそうだが、勝手に言いたい奴には言わせていれば良い。ゴーイング マイ ウェイだ。猛暑の中を歩きながら、「未だ、オレも莫迦ができるだけの元気が残っているかも知れない。」と愉快になった。空元気かも知れないが。現実を離れては、空虚になるだろう。衒いの多い話では何時までも先に進むことはできない。
2005.07.19
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もう40年近く前、阪大の先端講座で、分子生物学を知った。DNA、 m-RNAと言う言葉を覚えたし、先端科学の壮大な威力も知った。その時既に凡人の十年先を歩いている一流科学者の紛れもなく優れた頭脳の存在があることを知らされた。世の中には畏敬すべき人物がいるものだ、知らないのは自分が「無知」だからに過ぎないと思った。殊に、学生は、学ぶべき環境が如何に大事かを知った。世の中を侮ったら大きな間違いをしてしまうだろう。くだらないのは・・・自分の方だと思うようになった。少し萎縮したかも知れないが、謙虚にならねば真理を見損なうだろう。その後、自分なりに遣って来たが成果を自慢できるものはない。だが「学」に対する畏敬の念は消えてはいない。いつか自分も「学」の一端なりとも触れてみたいと現在も願っている。最近は、従前とかなり違う環境が整いつつあるだろう。時間さえあれば、ヤル気さえあれば、どれだけでも学ぶチャンスはある。偏見はあるが、いつの時代も同じだ。非難を懼れては、前には進めない。昔、末川博の講演にも感動したが、若い頃に知った先端科学は、私にとってはかり知れないよろこびだ。そして、思うことは「知識の共有」だ。人類の「英知の炎」を消してはならないと強く思う。肝に銘じよ。「学なきは去れ。」だ。
2005.07.19
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・誰かの投資がなければ、ひとは生きていけない。・生物は、食物連鎖で生きている。「誰かを餌にし、誰かの餌になる。」・いつも思うことだが、ひとは、狭い行為準拠枠に囚われて、そこから出ることをしなくなっていると。・そのフレームワークを破るのは、ディープ・インパクトしかないのだろうかと。・いつまでも降り積もる「塵」のようでしか私たちの「日常」はないのだろうか。・何が価値があるだろうか。仕事か家族だろうか。今更自分などと言わないで欲しい。・利己主義の時代は過ぎたのだ。・世界がネットで繋がる現在、「あたらしい言語」でフレームワークとボーダーラインを超えるべきだろう。・如何なる犠牲があるとしても、ヒトには、為すべきミッションがあるはずだ。・アマとプロを区別し、マイナーとメジャーと差別するのは、世間を「枠」で縛ろうとするコンセプトでしかない。・誰もが、喩え、弱者だろうが、老人だろうと、明日のない身であろうと、果敢に人生に挑戦すべきだと思う。そういう時代だ。そうしなければならないと私は、思う。
2005.07.18
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「アカハラ」もあるから「ドクハラ」も当然ある。原因は、一言で言えば「医療制度」だろう。患者をモノ扱いしたことばや態度は、誰でも一度くらい経験しているに違いない。自分は違うと思っていてもそのうち何れは、自分にも降りかかるだろう。「レッドカード」でもつくり追放して遣りたい医師は、どこにでも居る。世間知らずの象牙の塔で暮らした医師が診療するのだから、患者とのまともの会話などできる筈もない。やっとできるころには、医師自身が、「ゼ二ゲバ」になっている。医療システムは、政治や経済の影響を受けており、少しも改善されていないのではないか。先ず、意識が低い。医師たちは、知識が先行して患者や社会的制度に対する意識レベルが遅れている。それこそ「白い巨塔」が未だ亡霊のように存在している。どれだけ、科学が進歩しても、そこに棲む科学者が、「古井戸の蛙」が現実ではないか。・・・「ストップ ザ ドクハラ」土屋 繁裕著を読んで・・・
2005.07.18
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「バブル崩壊」が今朝の日経アンケートのトップだ。戦後日本のターニング・ポイントだと認識された。私たちの「土地神話」は、崩壊した。「これから・・・。」・・・そのことをバブル後、私たちは考え続けている。先進国というプライドを捨てなければならないが、まだ虚栄の中で日本経済は、今も危機的状況ではないか。バブルの解決を遅らせた日本的問題の先送りは解消されているだろうか。その場限りの「日和見主義」を克服しただろうか。疑問は払拭されていない。バブル崩壊は、外資によって仕組まれた日本経済の脆弱性を露呈した出来事だ。「失われた10年」は、多くの日本人の人生を狂わせた。そのことから何を学んか。反省は生かされるだろうか。後付の議論だけがされて、またぞろ外資の餌食にされるようでは、不毛の時代がくるだろう。「決断」のできないリーダーでは駄目だ。間違いをすぐ是正できる勇気のあるひとでなければならない。それには、何故、私たちが「失われた10年」の苦渋を舐めねばならなかったかを理解する必要がある。他所から持ってきた理論を利用するだけのプロジェクトが多いが「こと」が進展するはずがないだろう。不毛な議論ばかりがされている。
2005.07.18
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・やっと梅雨明けの報あり。庭の朝顔も一輪咲したようだ。・朝3時起床。どこかのページビュー・テーマは「私たちの祖母」。ひとにとって祖母の存在は、何を齎しているかについて。・5時から、ブログ楽天へ移動。「未央」について。「ミオ」で友人の娘の名 付け親になったことがある。・朝の散歩は、脳の覚醒が遅れて「古いシネマ」のようになり、怪我や事故 を起こし易いと。のこと。昨日の講座であり中止する。・DVD「ミシェル」を鑑賞。「アメリ」のヒロインでも魅了された。・そのあと「Mother Nature」の整理をしながら、ブログを書く。・もうひとつは、「奇特な「ネット言葉」なのか。」について。・昼食は、ザル蕎麦・トコロテン・西瓜を食べる。グルは、食前102。・今日は、起きて直ぐコーヒーブレイク。「コナ」コーヒーを最近は愛飲している。昼までに3杯飲む。・午後3時過ぎ図書館へ。日曜日で満員だ。新たに5冊借りた。ホーキングの本を借りてきた今週読み直したい。・帰途ヤマダ電器で、不足のプリンターインクとセキュりティ・ソフト購入したきた。・帰宅したら娘から、以前出していたクリーニングの量が多いので車で引き取りたいと頼まれ出かけた。ついでに愛犬Mに缶詰と犬用ジャキーを買う。・・・これではイカン。「私は、何を遣っているのであろうか。」と思いつつ・・・じっと手を見る。・「食品交換表」も知らないで、食事療法などできないし、運動の効用を知りつつも、運動しなければ意味がないではないか。無駄な努力をすな。・「決断」をして、「実行」すること。・恐怖は、自分の「怠惰」から生まれるだろう。・こうして、ことしも梅雨が明けて、明日から本格的な蒸し暑い九州の夏が 始まる。
2005.07.17
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ひとは、改めようもない素質がある。夫々特徴があり、ヒトによって違う。それは、勇敢・臆病・自信家・謙虚・従順・頑固・慎重・軽薄・機敏・のろま等などのひとたちだ。とジョン・ロックは言う。子どもたちは、一揃いの遺伝子を受継ぎ、経験から多くの知恵を学ぶだろう。そして、文化を蓄積し、海を渡り世代を超えて情報を伝える能力がある。ネットの広がりは、ひとをフリーハンドにしてはいない。ただ手段としてのネットは新しい言語だろうか。あたらしいものに飛びつくひともいれば顔をしかめるひともいるだろう。ヒトがこの惑星を支配する一方で、ゴリラが絶滅の危機に瀕しているのは、ヒトが5%の特別なDNAを保有しているためではない。奇怪なネット言葉は、何語なのだろうかと不思議に思うことがある。もう判る人にしか話しをしないという人種が生まれようとしているのだろうか。現代は、ネットによって、世界的視野を拡げようとしているだろうか。
2005.07.17
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・「動物を観察」することが、「ヒトを知る」ことに繋がる。・「母性」とは何か。発達のプロセスを知ること。種の多様性とはなにか。・ひとはどこから来たのか。どこへ行くのか。ひとは、そも「何もの」か。・動物に於ける「子殺し」の意味はなにか。・生物の進化は、「偶然の産物」であり、「目的」もないこと。・生物学における「生」と「死」の意味。・「ヘイフリックの限界」の意味とは。・「親の投資」と「メスの選り好み」とはなにか。・「乳汁分泌」の起源。プロラクチンとはなにか。・ぺプチドホルモンの「オキシトシン」の仕事とはなにか。・「スローライフ」の意味とはなにか。・人間の女性の「性的遺産」とはなにか。・「自然淘汰」と閉経後のメスの意味とは何か。・「母代わり」の存在と価値とは。・何故愛らしく子は産まれるのだろうか。・そして、今尚、人間を縛るものがあるだろうか。 「Mother Nature」by S.B.Hrdy 副題・「母親」はいかにヒトを進化させたか・あまりも、私は、非力にして、未央にしかず。
2005.07.17
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このスピードの時代に「ゆっくり」は失敗を意味するだろうし、遊びの時代に「真剣さ」は、ダサいかも知れない。ひとが求めるものは、時流はあったとしても長続きしない。何時かは変化するものだ。そして急ぎ過ぎれば転ぶだろうし、遊びの後には、必ず反動がある。「六本木ヒルズ」族も一時の夢だろう。少なくとも、「成金」の再現でしかない。彼らは、時代変化の予兆を示すかも知れないが「アダ花」でしかないだろう。彼らは、新しい時代の「創造」者ではないからだ。目先の華やかさは人びとを惑わせ期待させるが、必ずそのリアクションが来る。投資目的のギャンブル志向は、「波」が去れば破綻するだろう。「見せかけの支配」は、一時の現象に終わるものだ。「ゆっくり」遣るべきだろう。そして、「真剣さ」とは何だろうか。利己主義による競争原理で殺し合うことでは勿論無い。それは、未来に責任を持つことだ。例えば、この世界を正しく認識することだし、「貧困」や「無知」と闘うことではないか。「課題」に対して正面で向き合うことだ。ひとびとが抱える病気やストレス・禁煙にしても、それと向きあう社会や個々人の「真剣さ」が問われるのではないか。と私は思う。
2005.07.16
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公開講座に出席して来ました。テーマは「心とからだの健康を考える」だ。私大の、健康・スポーツ科学センター教授が講師だ。受講生は高齢者が多いようだ。これから、メタポリック・シンドロームが、注目されるだろうとの話だった。内臓脂肪蓄積とBMIのコントロールのために、適度な運動をしなさいが、ポイントらしい。内容は、参考になる話しもありそこそこ面白かった。次回は臨床医らしい。この大学の公開講座も二度目であり、のんびりしようかと思ったが、それこそメタポリック・シンドロームのために自宅まで歩くことにした。娘たちも通学していたので歩けない距離ではない。ところが、真昼で暑かった。途中でラーメン屋の誘惑と闘いながら、やっと生還したところだ。
2005.07.16
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勤め先がM&Aに遭い。先ずはスタート。どうも思惑は外れかな。遣り出したのでつい続けては・・・いる。アクセスを観ると・・・系らしい。スペースはどこでも良いと基本的には思っているけど、先はわからない。さて、今日は大学の公開講座がある。これまで、阪大・九大・横市大・私大と、もう大学で公開講座が始まった時から折に触れて受講している。40年近くになる。同じ大学でも数回行っている。まあ大学の違いは確かにあるが、きちんとコンセプトを持っている訳ではないようだ。概して、市民を甘く観ている。学に対する理念は大学だけが専有するところではない。産学協同というが質が伴わないものが多いだろう。私は、患者で入院して治療に行くが医師も観察する。大学でも受講するが講師も観ている。それくらいの気概がいると考えるからだ。ひとは観察者であり被観察者なのだから。テーマは、パンフで観ているが愉しみだ。過去のことをいうのは老人の証左だろう。闘う場はどこにでもあるし、たとえ浪人していても活路はあると思っている。戦場を選ぶなかれ。つねに眼前にあり。
2005.07.16
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この興味あるテーマに対して、「マザー・ネイチャー」の著者Hrdyは、科学を手に入れた良識ある女性は、自分のカレンダーから眼を離さないようになるだろう。という。更に、Hrdyは、文末で「私はゆっくり成長する。だから私は考える。私はゆっくり発達する。ゆえにわれ思う。」と。この刺激的な Hrdy の「M.N.」は、私の女性観をどこかへ離陸させたかも知れない。やっと文春8月号を読み出したが、「靖国参拝」大論争には失望した。斯くも噛み合わない論争と言うのか。櫻井よしこや田久保忠衛がどうなのだろうか。論争と言えるのだろうか。疑問だ。それこそ、突然変異の人物が出てこないものだろうか。探すだけではなく、その土壌が先決かも知れない気がするが。ゆっくり考える人物が、早く論客に成長しなければ、まともな議論も期待できない時代だ。
2005.07.15
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広い公園を歩いていると雨が降り出した。どうしようか迷ったが、フリータイムは今日だけしかないので、途中でハラを決めたら元気が出た。ジョギング中の大柄の白人の紳士が、「グッモーニング」と声をかけてきた。何とも言えず嬉しくなった。それから雨脚が強くなったので木陰で暫く足を止めていたら、陽射しが立って公園の中央で木立の中で「虹」が鮮やかに湧き立つのが見えた。何と豊かなひと時だろうか。知らない町で、こうしたなんでもない体験だが、不思議な感動を覚えた。美しい風景がひとのこころを癒すのだろうと思う。自宅の近くにカピオラニ公園のような広い公園があれば、もっと散歩が愉しいことだろう。それは、「夢」でしかないだろうか。できないことを願ってもしかたがないだろうが。それでももう一度あの公園を歩きたいと思う。多分、虹を見る度あの光景を思い出すことであろう。次女から勧められて、メールで申込んでいた大学から受講の連絡が来た。次女が、「親父は、どうせ暇なのだから・・・」と色々、資料を持込んできた。「韓国旅行」とか。「ハウステンポス」とか。どうも自宅にばかりいるのが目障りらしい。尻を叩かれている。
2005.07.15
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