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「神のご計画の全体5 2017年3月27日 生命の設計図であるDNA」インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2013年5月28日放映「父と子の交わり」 説教要約 947 化石と地層の形成について 説教要約 948 欠けた連鎖に見る進化論の誤り「神のご計画の全体5 生命の設計図であるDNA」 甲斐慎一郎 創世記1章 聖書は、人間は神によって創造されたと教えています。これに対して多くの人々は、人間は猿から進化したものであると考えています。前者が「創造論」であり、後者が「進化論」です。どちらが正しいのか、信仰と科学の両面から考察してみましょう。 一、創造論と進化論の前提について 多くの人々は、人間がどのように生まれたのかということについて、「創造論」は、信仰的または宗教的なとらえ方であり、「進化論」は、科学的なとらえ方であると思っています。しかし事実は、どちらも信仰的なとらえ方なのです。それは、なぜでしょうか。 二、科学には二種類あることについて 1.観察科学・実験科学(Observational/ Operational Science) 繰り返し実験することによって検証が可能です。 2.歴史科学・起源科学(Historical / Origins Science) 過去の出来事に関する仮説を立てる科学で、実験して検証することはできません。 研究の対象と方法が異なる二つの「科学」があるにもかかわらず、多くの人々は「進化論は、観察科学であり、科学的事実である」と考えています。実際には「進化論」も「創造論」も、歴史科学の範疇にあって、観察科学のように検証し、証明することはできません。「観察できるものの仕組みを調べ、その仕組みを用いて技術を発展させよう」とする営みは、観察科学の分野ですが、「観察できるものがどうして存在するようになったか」という起源を知ろうとする営みは、歴史科学の分野であることを知る必要があります。 ところが「歴史科学・起源科学」の範疇にあるもの――人類の始祖は、だれなのかということは、過去の出来事に関することですから、繰り返し実験することによって検証することはできません――が「観察科学・実験科学」によって証明されたのです。それは「ヒトゲノム計画」です。 三、生命の設計図であるDNA(遺伝情報) 「ゲノム」とは、ひとつの生物が持つ「遺伝情報全体」のことで、ヒトならヒトゲノム、イヌならイヌゲノム、大腸菌なら大腸菌ゲノムがあります。 1989年に1億ドルの予算でアメリカの国立保健研究所を中心とした「ヒトゲノム計画」をスタートさせました。さらに一年間の準備期間を経て、1990年に本格的に国際的なプロジェクトとしての活動が始まりました。プロジェクトの中心となっているのはアメリカ、日本、フランス、イギリス、ドイツといった国々です。これらの国をはじめ世界各国が協力し、膨大な情報量を持つヒトゲノムの解析に励み、2003年に完了しました。 全世界の人々のDNAを調べ、遺伝子の地図(ヒトゲノムマップ)を作りました。ベンター博士(セレラ・ジェノミクス社の社長)と国立保健研究所の科学者たちは、ヒトゲノムのすべての配列を完成させたと発表しました。彼らは、満場一致で、「人種は、ただ一つしかない」と宣言したのです。 四、ヒトゲノムマップの公開について 2006年(平成18年)4月14日に文部科学省が平成18年度(第47回)科学技術週間にあたり、一家に一枚ヒトゲノムマップ「ここまでわかった!! ヒトゲノム」を作製し、インターネットで公開しています。「一家に一枚ヒトゲノムマップ(A3判対応版)(PDF 4.0MB)」をクリックすると、見ることができます。 一家に1枚ヒトゲノムマップ(A3判対応版)(PDF 4.0MB) 五、ヒトゲノム計画によって証明された人類の始祖について ベンター博士(セレラ・ジェノミクス社の社長)と国立保健研究所の科学者たちが満場一致で宣言した「人種は、ただ一つしかない」というのは、言い換えれば、「すべての民族は、一組の夫婦(アダムとエバ)から生まれた」ということであり、人類の始祖は、一組の夫婦であることが、21世紀の「観察科学・実験科学」によって証明されたのです。 甲斐慎一郎の著書→説教集
2017.03.25
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「神のご計画の全体4 2017年3月20日 初めに光があった」インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2013年5月22日放映「真の生きがい」 説教要約 931 信仰による歩み 説教要約 1003 神への信仰と感情2「神のご計画の全体4 初めに光があった」 甲斐慎一郎 創世記1章1~6節 「初めにことばがあった」とは、「初めに情報があった」ということで、情報がなければ何も生まれません。しかし情報は、情報を伝達する「媒介」が必要です。情報を媒介するものは、「光」すなわち「電磁波」です。 一、宇宙には電磁波が不可欠である 聖書は、創造の第一日に「『光があれ』。すると光があった」と記しています(2節)。 私たちは「光」と言うと、「可視光線」のことだけ考えますが、モーセが創世記を書いた頃は、「電磁波」などという言葉はなく、そのようなものは、全く知りませんでした。しかし現代は、音波、電波、光波(赤外線、可視光線、紫外線)x線、γ線、宇宙線などの総称を「電磁波」と言います。 神が第一日に造られたのは、「電磁波」です。まず電磁波を造らなければ、第二日の大空と水、第三日の地と植物、第四日の太陽と月と星、第五日の魚と鳥、そして第六日の陸の動物と人間を創造することはできません。 地球の周囲は磁力線が取り囲み、太陽風など生物を滅ぼすものから守っています。 二、生物には電磁波が不可欠である 人間は、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)では、人も物事も正確に知る(とらえる)ことはできないので、五感で得た感覚を神経インパルス(電気現象)に変換し、信号化して脳に送り、知覚そして知識に変換していますが、この神経インパルスが電磁波です。 生物は、内臓や四肢が複雑な動きをしています。その生物の内臓や四肢が動くためには、電化製品のように、電線とその中を流れる電気や電磁波が必要です。電線にあたるものが神経であり、神経の中を電気や電磁波が流れ、内臓や四肢を動かしているのです。 人間の内臓は、意志の力の及ばない「自律神経系(交感神経と副交感神経)」によって自動的に働いています。もしすべての内臓を意志の力によってからだを動かす「知覚と運動の神経系」によって働かすとしたら、仕事や勉強をするどころか睡眠をとることも休むこともできず、死んでしまうでしょう。いのちに関わる大切な内臓の働きは、脳の命令による「自律神経系(交感神経と副交感神経)」によって動いているのです。 三、宇宙の設計図である「神の数式」 2013年9月22日にNHKのテレビで「神の数式」という番組が放映されました。それは「宇宙はなぜ生まれたのか」(最後の難問に挑む天才たち)という内容です。世界各国の天才物理学者たちがミクロの素粒子を完璧に表した「素粒子の数式」と広大な宇宙を支配する「重力の数式」(すなわち一般相対性理論)の二つを一つに束ねる「神の数式」を書き表すもので、まだ完全に計算することはできていませんが、この「神の数式」こそ「宇宙の設計図」または「神の設計図」であるというものです。「数式」という言葉を用いるのは、宇宙のすべては、数や量を表す数字で書き表せるからで、宇宙のすべては、一秒の狂いもなく、正確に動いているからです。これは、全知全能の神のみがなせるわざです。 四、人間には神の情報の伝達が不可欠である 私たちの人生には神の計画があります。聖書は、「神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされ」(エペソ1章4節)、そのためにキリストは、十字架の贖いによる救いを成し遂げられました。 この「神のことば(神の情報)」や「福音」を伝達するためには、肉声や音声(音波)、また映像すなわちテレビやパソコンやスマホ(電波、光波)が不可欠です。音波や電波や光波は、電磁波です。「神のことば」や「福音」は、電磁波を通して伝達されるのです。 神の計画を知らされた私たちは、マリヤのように、心から神を信じて、神に従い、「あなたのおことばどおりこの身になりますように」(ルカ1章38節)と祈るなら、私たちのために備えられた神の計画にあずかることができますが、それを拒むなら、神の計画は、むなしくなり、成就しないのです。 甲斐慎一郎の著書→説教集
2017.03.18
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「神のご計画の全体3 2017年3月13日 初めにことばがあった」 インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2013年3月25日放映「キリストの汗と涙と血」 説教要約 954 天地創造は6日か幾億年か(1) 説教要約 955 天地創造は6日か幾億年か(2) 説教要約 956 天地創造は6日か幾億年か(3) 「神のご計画の全体3 初めにことばがあった」 甲斐慎一郎 ヨハネ1章1~3節 一、初めに情報があった ヨハネは、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた」と記しています(1~3節)。「ことば」は心の表現、言い換えれば、人格を持つ者の表現です(マタイ12章34節)。 情報学者のヴェルナー・ギット博士は、この「初めにことばありき」というヨハネのことばを用いて「初めに情報ありき」という本を出版しています。すなわち「ことば」は、情報にほかなりません。 聖書は、「家はそれぞれだれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です」と記しています(ヘブル三章4節)。 ケン・ハム氏は、「背後に知性の存在を指し示すものの例として、建物、ラシュモア山の彫刻、車を挙げ、これらは決して自然にはできません。知性のある誰かが計画して作ったから存在するのです」と述べています。 二、情報が物質を造る 先日、テレビの番組において、人を写真で撮り、それをパソコンに入力し、3Dプリンターに接続して、その人とそっくりの立体形の人形ができたのを見せて、「情報が物質を造った」と説明していました。まさにそのとおりです。聖書は、「主(神)が仰せられると、そのようになり、主(神)が命じられると、それは堅く立つ」(詩篇33篇9節)と記し、神のことばという「情報」が「物質」を造ったと初めから教えています。 三、生物には遺伝情報が不可欠である 現代は、洪水のように情報が溢れている時代です。テレビ、パソコン、スマホ、家庭電化製品など、情報がなければ、何も動きません。昔は、テレビもパソコンもスマホもありませんでした。なぜなら、それらを製造する設計図、すなわち情報がなかったからです。ましてテレビやスマホよりも何千倍、何万倍も複雑な動植物は、設計図すなわち遺伝情報(DNA)がなければ、何万年、何億年も時間が経過しても生まれることはありません。 ダーウィンの友人で、無神論者のアルフレッド・ウォレスは次のように述べています。 「我々が自然の他の構成員とともに永遠の盲目的な力の所産にすぎないとしたら、殉教者の苦悩も,犠牲者のうめき声も、悪も不幸も、自由への闘争も,正義への努力も、人間としての徳と幸せを求める情熱も、そういったものすべてが望むべくもなく、根拠もなく、役に立たないことになる。真実を愛し、美に感動し、正義を熱望し、勇気と犠牲的精神をもって行動し、歓喜に身を震わせる人間の精神の起源は、自然淘汰説には見出しえない」。 ウォレスは、猿のからだ(物質)は、人間の精神(情報)を造ることはできないことを150年も前から見抜いていたのです。 「ヒトの遺伝情報を読んでいで、不思議な気侍ちにさせられることが少なくありません。これだけ精巧な生命の設計図を一体だれがどのようにして書いたのか。もし何の目的もなく自然にできあがったのだとしたら、これだけ意味のある情報にはなりえない。まさに奇跡というしかなく、人間業をはるかに超えている。そうなると、どうしても人間を超えた存在を想定しないわけにはいかない。そういう存在を私は『偉大なる何者か』という意味で十年くらい前からサムシング・グレートと呼んできました」(村上和雄『生命の暗号』198頁、サンマーク出版、1997年)。 四、人間には神の情報が不可欠である 聖書は「主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ」(詩篇33篇9節)と、神のことばという「情報」が「万物」を創造すると教えています。 聖書は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう」(創世記1章26節、第二版)と記し、「わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した」(イザヤ43章7節)、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」と教えています(第二コリント5章17節)。 私たちは、神のことばを聞いた時、マリヤのように、心から神を信じて神に従い、「あなたのおことばどおりこの身になりますように」(ルカ1章38節)と祈る時、神のことばのとおりの人に変えられるのです。 甲斐慎一郎の著書→説教集
2017.03.11
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「神のご計画の全体2 2017年3月6日 人間観と神観と国家観」インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2013年3月11日放映「神の愛の広さ、長さ、高さ、深さ」 説教要約 940 聖書の中の科学(1) 説教要約 941 聖書の中の科学(2) 説教要約 942 聖書の中の科学(3) 「神のご計画の全体2 人間観と神観と国家観」 甲斐慎一郎 創世記2章7節 人間の本質は何かということについては、およそ次のような三つの考え方があります。▽人の究極の実在は物質である(唯物論)▽人の究極の実在は動物である(進化論)▽人は、神の像に似せて造られた不滅の霊を 持つ者である(聖書、キリスト教) 一、人の究極の実在は物質である(唯物論) 唯物論は、究極の実在は物質であるというもので、史的唯物論は、マルクスによって提唱されたもので、マルクス主義とも呼ばれ、共産主義国家の哲学的教条となっています。 二、人の究極の実在は動物である(進化論) 進化論は、無から有を生じる自然発生という偶然から始まり、無生物から生物へ、そして猿から人間へ進化したというものですが、唯物論者は、進化論を受け入れています。 「社会主義・共産主義・無政府主義、その他多くの『左翼』運動の科学的で理論的な根拠として進化論が使われてきました。その一方で『右翼』の哲学者は、『闘争』と『適者生存』というダーウィン進化論の概念を用いて、ナチズム・人種差別・帝国主義・自由放任的資本主義などの多くの有害な体系を正当化しようとしてきました。前者に属するマルクス、レーニン、スターリンは熱烈な進化論者でしたが、後者に属するヘッケル、ニーチェ、ヒトラーもやはり熱烈な進化論者でした。 世俗ヒューマニズムの教義として有名なヒューマニスト・マニフェストが1933年に宣言されましたが、その第1条と第2条では、宇宙と人類が進化したことを事実としています。どんな形であれ、無神論・汎神論・神秘主義は必然的に進化論に基づいています。 決定論・実存主義・行動主義・フロイト主義、その他同様の非道徳的心理学体系も進化論に基礎をおいています。……実質、進化論は、無神論やヒューマニズムだけでなく、汎神論(あらゆるものを神として崇拝)・神秘主義(霊との接触やそれへの帰一融合)・アニミズム(あらゆる事物に霊魂や精霊を認めてそれらを崇拝)などさまざまな宗教の根幹をなす前提です。 広く信じられている民族宗教(道教・仏教・儒教・ヒンズー教・他同様の信仰)はすべて、本質的にある形式の進化論に基づいています。……進化論の哲学は、ほとんどの反キリスト教的な社会哲学・経済哲学・宗教哲学の基礎であるだけではありません。今日世界を荒廃させている多くの反社会的で不道徳な行為(妊娠中絶、麻薬、同性愛、動物的不道徳など)に対して、進化論という疑似科学が理論的根拠を提供しているのです」(ヘンリー・M・モリス『科学は聖書を否定するか』68~70頁、CRJ出版、2006年)。 三、人は神の像に似せて造られた不滅の霊を持つ者である(聖書、キリスト教) 人は、いのちの息(霊)を吹き込まれたことによって「生きもの」となりましたが(7節)、人の霊は、神の霊がともにおられることによってのみ生き続けることができます(創世記6章3節)。ところが人間は、罪を犯し、堕落してしまいました(同3章6~19節)。 人が堕落したということは、人の霊から神の霊が離れて、その人の霊が死んだことを教えています(同2章17節、エペソ2章1節)。そこで神は、人に聖霊(神の霊)を与えて、人の霊を再び生き返らせるように計画し、そのことを実行されました。これがイエスの十字架による罪の贖いとその結果である聖霊の降臨です(使徒2章33節)。 「人の究極の実在は物質である」という「唯物論」も、「人の究極の実在は動物である」という「進化論」も、「政教一致」で「信教の自由」のない国粋主義(右翼)の国家や共産主義(左翼)の国家を建設するのです。 これに対して「人は神の像に似せて造られた不滅の霊を持つ者である」と教えるキリスト教(聖書)は、人間の生命・平等・自由を重んじる基本的人権を保障します。創造論を教えるキリスト教は、基本的人権を保障し、「政教分離」で「信教の自由」がある民主主義の国家を建設することができるのです。 甲斐慎一郎の著書→説教集
2017.03.05
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