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森田では規則正しい生活をすることを勧めています。このことですぐ思い浮かぶのは就寝の時間である。国民の半数以上は11時以降に就寝しているそうです。私は毎日11時から風呂に入って、12時ちょうどに就寝する。朝は6時過ぎに起きるので睡眠時間は6時間半ぐらいです。理想の就寝時間は11時ぐらいだと思っています。集談会で聞きましたら、10時には必ず休むという人がいました。その代わり4時ごろに起きて活動を始めるということでした。いくら見たい番組があってもビデオに撮るなどして就寝を優先するのだそうです。素晴らしい実践だと思います。そして起きた後も体操したり、盆栽の手入れなど毎日の仕事をリズム感よく、楽しみながら、物そのものになりきって生活されているのである。今は眠くないという時でも、時間になれば就寝することが大切です。今現役で働いている人は、残業があり、接待や飲み会があったりして、早く就寝することは難しいかもしれません。でも遅くまで起きていることはよくないことだという自覚だけは持っておいてほしいものです。星野仁彦氏によると、「近年の睡眠医学の研究では、ノンレム睡眠期(深睡眠期)に成長、発達に欠かせないセロトニン、メラトニン、成長ホルモン、コルチゾールなどが大量に分泌されることが分かっています。睡眠が不十分であれば、これらの分泌に悪影響がでて、成長、発達が阻害される恐れがあります。」これらの大切な神経伝達物質は、睡眠中の夜に多く作られていたのである。親が遅くまで起きていると、子供も遅くまで起きているという生活のリズムになってしまいます。すると情緒不安定な子どもが増えてきます。セロトニンという神経伝達物質の減少はうつ病などの精神疾患の原因となるということは今や常識となっています。子供が遅くまでテレビを見たり、ゲームを2時、3時までするなどという生活は身体の不健康のみならず、心の健康を損なうということはよく自覚しておく必要があります。でも森田理論がよく分かってくると、自然に夜更かしは自制するように変化してくると思います。毎日同じ時間帯に同じ日常生活を淡々と、しかもものそのものになりきってこなしている。そんな生活を心がけたいと思います。
2013.05.31
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どうも私たちは「かくあるべし」を前面に出して相手に対応してしまう。子供を産んだ母親は、母性本能というもので子供に接する。ところが物心ついてからは、徐々に一人の人間として接し方を変えていかなくてはならない。それをいつまでも自分の分身のように考えて、自分の思うように取り扱っていると大きな問題が次から次へと噴出してくる。いじめ、家庭内暴力、引きこもりなどは親の接し方が一番の原因であるという。そして最後は親も子供も対応不能になってしまう。そうなってしまう原因は、森田でいう「かくあるべし」の押しつけである。「もう、あんたなんか産まなければよかった。」「ほんとはあんたは拾ってきたのよ」「出ていきなさい。あんたなんか大嫌い」「勝手にしなさい。あんたなんかもう知らないから」「どうしてさっさと早くできないの。あんたはいつも愚図なんだから」「そんなことをしてはいけません。何度同じことをいわせるのよ」「ダメ、ダメ、ゲームなんかしては絶対許しませんよ」「もっとしっかり勉強しなさい。何この点数は。テレビなんかばかりしているからよ」お母さんのきつい言葉で、おろおろする子供たちが目に浮かぶようです。子供ができたら、お父さん、おかあさんは親になります。親になったらまずやることは、子供の育て方を学習していくことです。ガミガミ叱ったり、放任主義ではまともに育つことは少ないと思います。以前山崎房一さんがやっておられた母親心理学訓練講座がありました。山崎さんが亡くなられた後も続けられているそうです。子供の脳の発達と親の影響、子供の心から不安を取り除き心を躍動させる方法。受け持ちの先生との接し方などのテーマが12設けられており、週一回5時間、4回で終了となっています。素晴らしい親になるためには大切なことです。私たちは、これを見習い「かくあるべし」を小さくしていくために森田理論を学習して、事実本位の生活態度を養ってゆきましょう。
2013.05.31
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発達障害という言葉が注目され出したのはごく最近のことです。2005年に「発達障害支援法」が施行されました。これによると、「自閉症、アスペルガー症候群(社会適応やコミュニケーションがうまくとれない)、その他広汎生発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害、その他これに類する脳機能の障害であり、通常低年齢で発症するもの」といわれている。しかし大人の発達障害もあります。ちゃんとした治療をおこなえば治る病気です。症状としては神経症とダブっているところがあります。要注意です。特徴は、物事の優先順位がつけられない。やるべきことを先延ばしにする。仕事のミスが多い。時間に遅れる。人の話を聞かない。人づきあいがうまくいかない。落ち着きがなくキレやすい、整理整頓ができない。時間の管理ができない。などといったものです。発生原因は脳内の前頭葉のドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリンの代謝がうまく機能していないことによるとされています。もしくはアンバランスに発達している。つまり神経症と違い器質的な病気です。表面的には神経症の症状があっても、根本のところに発達障害が隠れていれば、先に発達障害の治療をする必要があります。発達障害研究の第一人者の星野仁彦氏によると、「まず本人が、発達障害に気付いて、それを受け入れること。そして周囲も適切な支援やサポートをおこなうことが大切である。大人の発達障害には、薬物療法が極めて有効である」といわれています。そして我々は、発達障害の簡単な知識は持っていたほうがよいと思う。詳しく知りたい方は、星野仁彦著 「発達障害に気付かない大人たち」を参照してください。生活の発見会では、発達障害の軽い方で森田適応の方は受け入れています。気になる人は、まずは医師の診断を受けてみてください。
2013.05.30
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人間の心は通常はいつも風船玉のようにいつもフワフワただよっていると思う。空中をただよっているほうが風船玉にとっては安定である。風がふいても風のふくままに流されているから、なかなか破れない。これに反して一定のところに固定してしまうと少し強い風にあえばたちまち破れてしまうことがある。これは森田先生のところに入院していた人が日記に書いていたものである。素晴らしいたとえである。森田先生はこれと似たようなことで、イソギンチャクとクラゲの話をしておられます。イソギンチャクは岩にしがみついて餌がやってくるのを待っている。クラゲは波のおもむくまま自由自在にいつも動き回っている。クラゲはふわふわ漂っている風船玉と同じだ。その生き方が最も安楽な生き方なのだと教えてくれています。森田理論では、人間の感情も風船玉やクラゲと同じように考えています。不安、恐怖、違和感、不快感にとらわれて、気になる一つのことに注意を集中してしまうと、神経症を引き起こすトラブルの元となる。自然現象が常に流動変化しているように、感情もアルプスの谷合を勢いよく流れる小川のようにいつも早く流すようになればよい。実にシンプルな考え方なのである。
2013.05.30
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2013年6月号の「生活の発見」誌に面白い記事があった。「お使い根性ではいけない」という記事である。森田先生曰く。「お使い根性の人は、誰さんを呼んでくれたまえ、というと、かならず、どこにいますか、という。素直な人は、はい、といって自分で探して呼んでくる。」お使い根性は、人から用件を頼まれると、御用聞きのように機転がきかない。頼まれた用件しか頭にない。もともと人からの依頼で行動を起こすことは気が進まないものであるが、それでも「一歩踏み込んだ行動」がその後の展開を大きく変えるということは頭に入れておきたい。たとえば、森田先生から掛け軸をまいてくれといわれた場合。ただ言われた事をするのではなく、巻きながらその掛け軸の絵を見たり、書を見たりしてみる。そうすれば面白い絵だとか、こんなのがよい書なのだろうかと感じが湧いてくる。それが一歩踏み込んだ行動である。お使い根性と一歩踏み込んだ行動はどう違うのか。お使い根性でする行動は、頼まれた用件に意識は向いていない。頼んだ人の反応に意識が向いているのである。よい評価をしてくれるのか、やってくれて当たり前という評価を受けるのが気になるのである。用件に意識が向いていないので、頼まれた事をさらに創意工夫してよりよいものにしていこうという気持ちが湧いてくることはない。神経症を直すためには、行動をすればよいと聞いてやみくもに行動する人がいる。そういう人は絶対に神経症は克服できない。行動すればするほど神経症は悪化する。なぜかと言えば行動は必要なことをしているのではなく、ネズミが糸車を回しているようなものだからだ。その行為は、さらに症状に注意を向けていくために、ますます悪化するのである。今一歩踏み込んだ行動をする人はどうか。行動が一心不乱になるのである。症状で苦しいときでも、目の前のことについ夢中になって、後で振り返ってみるとその時は症状のことはすっかり忘れていたという経験は誰でもあると思う。森田理論ではこういう行動を目指しているのである。最初からは難しいかもしれない。最初はイヤイヤ、仕方なしの行動でもよい。行動すればそのチャンスはやってくる。その時に、「今一歩踏み込んだ行動」をキーワードとして思い出していただきたい。その経験を数多く体験することが大事です。
2013.05.29
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親鸞聖人の歎異抄に、「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」という有名な言葉があります。普通に考えるとこれは反対ではないのかと思います。これを私なりに森田理論で考えてみました。ここでいう悪人とは殺人犯人のような人のことではありません。浄土真宗でいう悪人とは、自分の力で仏になるべき能力や資質が備わっていない人のことを指しています。つまり浄土真宗はどんな教えかよく分からない人、あるいは理解できるような能力がないような人のことを言っています。これを森田の言葉で翻訳してみると、強力な「かくあるべし」を身につけて、なかなか事実を受け入れて、事実に服従することができない人のことではないでしょうか。そうゆう葛藤を抱え、現実の生活の中で苦しみ、のたうちまわっている人の方が救いようがあると言っているのです。言われてみればそうです。そういう自分を自覚することができれば一番に救われるといっているのです。自分や人に「かくあるべし」を押し付けて、感情を自分の思うままにコントロールすることに対して少しも心が痛まない人は、救う事はできません。救いようがありません。そうした自覚がないからです。森田の学習をしていない神経質者は、いつまでもこの自覚が育ちません。つまり救いようがないということです。森田理論を学習すると、自分は強力な「かくあるべし」を身にまとっている。それが我々の動きをがんじがらめにして、自由な動きをとめている。その自覚が芽生えてきます。もしはっきりとした自覚がないようでしたら、自覚を持てるように森田理論学習を深めてゆきましょう。必ず生きづらさの裏には強力な「かくあるべし」を持っていることに気づくと思います。「かくあるべし」はどのようなことをいうのか。「かくあるべし」はどのようにして発生してきたのか。「かくあるべし」にとりつかれた人間の特徴。「かくあるべし」と苦悩の始まりなどです。事実を受け入れる生き方などです。自覚したからといって、すぐに「自然に服従する」という態度が身につくわけではありません。しかしその自覚をはっきりと認識できるかどうかが、神経症から解放されて、事実本位の生活態度を身につけるための出発点となります。
2013.05.29
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私は保育所から大学を卒業し、その後趣味や資格試験までいろんな先生について学んできた。一番印象に残っているのは「社会保険労務士受験」のためお世話になった先生である。当時先生は73歳であった。今考えると「生の欲望」を発揮せずにはおれないような圧倒的な迫力があったのである。おかげでその一年はとても充実していた。その先生はガイダンスのとき、教科書をバラバラ分解して、パンチで穴をあけて二穴のファイルに綴じて来いと言いました。そしてバラバラにした教科書の間に白紙のノートをはさんで来いと言いました。そこに学習したことを書いたり、間違った問題を貼りつけたりするのです。そして最初の授業で指示したことをやっていない人の教科書を破りすてました。その人はとても腹を立てていました。その他にも私語をしている人にチョークは投げるし、指名されてモタモタしていると叱り飛ばされました。普通はそんな先生だと教育委員会に訴えてやると腹を立てると思うのですが、私は全然そんな気は起りませんでした。それは先生の我々を思う熱意が強く伝わってきたからです。他の人もそうだったようです。また、録音機を買って講義を録音して、通勤途中で聴くように指示されました。またFAXを持っていない人は設置するように命じました。するとFAXに試験問題をひっきりなしに送ってきて、すぐに送り返すように指示されました。生活指導も徹底していました。この一年間アルコールは口にするな。夫婦生活は控えろ。テレビは見るな。早朝の時間の使い方。昼休みの時間の使い方、夕方から夜の勉強の仕方。授業では必ずテストをして順位を公表されました。それが励みになりました。そのうえ名物講師だけに指導内容は素晴らしいものでした。終わってみれば、30名近くを合格させていました。合格者を集めて先生の自腹で「かに道楽」で祝ってくれたのが懐かしい思い出です。つい安楽な方に流されがちな我々を、常に目標からそれないように、ほめたり、なだめたり、叱咤激励したりそれはいままで経験した事のないような指導でした。一つの教育指導の在り方として、深く心に残っています。今の教育は体罰はいけない、勝利至上主義はいけないなどと枝葉末節な議論ばかりのような気がします。子供が育ち、自立してゆくために教育者はどんなお手伝いができるのだろうというような議論はできないのでしょうか。
2013.05.28
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山崎房一氏によると、子供を「甘やかす」という事を次のように説明しておられます。1、子供がやることを親が先回りしてやってしまう。「この子はなにもできない」となじる。子供のやったことをそのまま認めないでケチをつける。2、子供がやるべきことを子供自身がやるまで待つことができない。3、子供が泣いたり、反抗して手をやくと、機嫌をとるために、すぐに金銭や菓子を与え、嫌みたっぷりに妥協する。その結果、子供は泣けばわがままが通るという悪いクセを小さいころからつけてしまう。これらの行為は、子供を一人の人間としてみていない。子供を自分の家来のように扱っている。子供はいつまでも親に依存して、自立できない。これが親が子供を甘やかせていることである。森田理論でいうと、親の「かくあるべし」を子供に押し付けているのである。子供を自由自在に操ろうとしているのである。小さいうちは親に従っているが、大きくなると、子供は親の魂胆を見抜いてしまう。親に反抗するか、親を無視して勝手気ままに生活するようになる。ある有名な女優さんが、仕事が忙しくて子供と接する機会が少ない。そこで使いきれないほどの金銭を与えて自由にさせていた。すると大きくなった子供はまともには育たなかった。薬物使用などに走ったのである。これは親が子育てを放棄して甘やかせていたせいである。子供を無条件に受け入れることは、甘やかすこととは違う。何か問題があったら、親が全責任をとるから、子供には自由にいろんなことに挑戦させることである。少々危なっかしいことやきわどい行動をとっても口出しをしないことである。子供をじっと見てやることだけでいい。子供は親の大きな後ろ盾を持っていると、安心して目や足を外に向けて飛び出していくことができる。そしていろんな体験を積んでしだいに自立していくのである。
2013.05.28
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ブログ投稿が300に到達しました。今年正月3日から始めました。予定よりかなり速いペースです。当初は1年ぐらいで300ぐらいと思っていました。本来はゆっくりとしたペースで、とにかく長く続けられるものにしたいと思います。そして新たに1000投稿。10万アクセスを目指してゆきたいと思っています。ブログをはじめてよかったのは、投稿するためにきっかけとなるテーマを求めて学習するという習慣がつき、幅が広がってきたことです。そして今までの森田理論学習がいかに薄っぺらいものであったのか、改めて感じました。現在平均70名から80名ぐらいの人が毎日閲覧していただいているような状況です。その読者のおかげで、勉強したり、投稿する気力が湧いてきます。みなさま、閲覧していただいてありがとうございます。感謝いたします。それから一つ明確な目標ができました。これらをまとめて、集談会の理論学習テーマ集として8月、9月の2カ月である程度まとめて欲しい人に配布することを目標としています。生活の発見会本部ではほとんど評価してもらうことはないのですが、地道に自分のできることで、お役に立ってゆきたいと思っております。それが森田で助けていただいた恩返しだと考えています。今後ともよろしくお願いいたします。
2013.05.27
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世界選手権の男子400m障害で2度、銅メタルを獲得。シドニー、アテネ、北京五輪に出場し、2012年に引退した為末大さんの話です。スポーツ界には努力をすれば、必ず成果となってあらわれる。でも選手個人では努力し続けることは難しい。だから監督やコーチが選手を怠けないように管理することが大切だという考えがある。その考えのもとで指導者は、選手を管理していく。つまり指示、命令、叱責で追いこんでゆくのである。これは森田理論でいう「かくあるべし」の押しつけであると思う。為末さんの経験では、自発的に自分が苦しい練習に耐えた場合には成長があります。しかし、他人に押し付けられて耐えることは、「忍耐の習慣化」となり、成長にはつながらない。我慢してイヤイヤながらやった練習は、成果が上がりにくい。また、そうした選手は、他人がさぼったりして楽をしていると許すことができなくなる。自分がこんなに苦しんでいるのに、その人は苦しんでいないから腹が立つのである。為末さんは体罰禁止の流れが加速する中で、気になることがあるという。中央で決めた一方的な体罰抑止の方針がすごいスピードで現場に下りてくる。こういうふうに決めたからこれに沿って指導者は指導を改善し徹底するようにというやり方である。そうゆう上位下達の手法が体罰的ではないのか。つまり指導者、監督、コーチだけではなく、スポーツ界全体が「かくあるべし」の押しつけ指導の温床となっている。我々でいえばこれで神経症にならない方が不思議である。もっといえば家庭での子供の教育にしても、会社での上司の部下に対する対応にしても対して差はないのではないかと思うのである。
2013.05.27
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山崎房一さん(故人)は、母親講座を開かれていました。受講生に杉山文子さんという方がおられたそうです。姑は彼女の手料理や掃除、洗濯のこと、娘の教育までこと細かくいちいち口出しをする。そのいやな姑のことを夫に話しても取り合ってくれない。姑と別居したい。それがだめなら離婚してもいい。と考えておられたそうです。山崎さんは即座に杉山さんに言ったそうです。「杉山さん、おばあちゃんを殺したいくらい憎んでもいい。自分の気がすむまで思う存分憎みなさい。いくら憎んでも、憎しみが心の中にある間は罪にはなりません。しかし、黙っておばあちゃんに少しでも具体的な意地悪をすれば罪になるから、どんなに悔しくてもそればかりは絶対やってはいけません。」そして、「帰りに、おばあちゃんが一番好きなお菓子を買ってください。そしてこういっておばあちゃんに渡してみてください。おばあちゃん、お留守番してくれてありがとう。いつまでも長生きしてくださいね。やさしく笑顔でいいながら、そのお菓子を差し上げてください。心とは裏腹なことをしてもいいのです。」これがまさしく森田的な対応です。まず、憎しみはそのままにしておいてつつきまわさないことです。また、取り除こうとしたり、やりくりしてはいけません。殺したいと思ってもいいけれども、持ちこたえることが大切です。そして行動は感情がいかに苦しかろうと、その時の状況に応じて淡々とこなすことが大切です。役者は家庭でどんなにいやな悲しいことがあろうと、仕事になると悲しい表情を押し殺して、愉快なシーンではいかにも楽しそうに演技をします。我々もこれにならって感情と行動は分けるのです。そうした心掛けが大事だと思います。森田理論では感情と行動は、はっきりと分ける。これをまず一番に体得することが大切です。
2013.05.26
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先日テレビで子役の子どもがバラエティ番組に出ていた。司会者が悲しくて泣く演技ができるかどうかやってみてくれないかという。するとその子役は一分ぐらいすると本当に涙を流し始めたのである。その演技にあたっては過去の悲しい思い出を思い出したというのである。このように役者は自分のその時のいかなる気分とは無関係に演技を求められる。子供が生まれた。彼女との楽しいデートが待っている。という時でも、涙の出る悲しい演技を求められる。怒り狂った殺人者の演技を求められる。失望感に打ちひしがれた演技を求められる。また検事総長の役割を演じたかと思うと、ライ病に罹った浮浪者の演技を求められたりする。それができなければ役者としては失格となる。職業としては成り立たない。つまり役者を続けている人は、自由自在にその時の「自分の感情」と「なすべき行動」を分けて考えることができ、さらに実践できる能力のある人である。我々も人生という舞台に立つ役者と考えてはどうだろうか。苦しいこともあるだろう。悲しいこともあるだろう。嫉妬することもあるだろう。愛欲に溺れてしまいそうになることもあるだろう。人生思いどおりにならなくて投げやりになることもあるだろう。そんな気持ちを否定もせず、逃げたりもしない。ただその流れに身を任せ、何事もないように、その時に求められる最高の演技をしてみる。そしてその演技の出来栄えを後で少しだけ振り返ってみる。それが自由自在に演じられるようになれば、名俳優と決して見劣りのしない「人生劇場の大役者」となれる。私は森田理論の「症状はあるがままに受け入れて、なすべきをなす」というのをこういうふうに考えています。
2013.05.25
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本来人間の行動は、そのきっかけとなる外部の出来事があり、それに対して感情が湧いてきて、積極的な行動へとつながります。たとえば、「火事になった」「身の危険を感じた」「急いで逃げる」という流れになります。また、「腹が減った」という出来ごとに対して、「ご飯をたべたい」という欲求が湧いてきます。それから「食事を作るか食べに行く」という行動がでてきます。つまり「食べる」という行動には「腹が減った」という動機が関わっています。でも動機が直接的に行動へと結びついているわけではありません。あくまでも「ご飯を食べたい」という「感情や意志の力」が介在しているのです。だから、人間が生きていく上において、「動機の発生」と「感情の高まり」はとても大切なのです。ところが「かくあるべし」でこうしなさい、ああしなさいと他人からの指示を受けて行動するということは、「動機」もない、「感情や意志の力もない状態」でいきなり「行動を要請される」ということになります。本来は感情を介在させることで自主性や積極性が生みだされるのです。それが抜け落ちてしまうのです。最近の子どもたちは指示待ち人間が多いといわれます。それは親の「かくあるべし」教育が影響しています。「勉強しなさい」「早く風呂へ入りなさい」「部屋をかたづけなさい」などと親や先生が指示を出してそれに従がわせる教育がおこなわれています。一見素直でよい子が育つように思いますが、とんでもない間違いです。とても危険な兆候です。感情を介在させないために自主性や積極性が育ってこないのです。指示に慣れた子供は、指示がなくなった途端に何をしていいのか分からなくなってしまいます。これは人間の見世物として動物に曲芸を教えるようなものです。そうして子供を育てていると、子供自身自分の中の欲求や感情、判断力に信頼がおけなくなってくるのです。人の指示、命令に頼りおどおどした無気力、無関心、無感動な人間になってしまいます。指示、命令、批判で人を動かすことは、神経症の子どもを作り出すようなものだと思います。森田理論では「かくあるべし」の発生と苦悩の始まり、事実本位、物事本位の学習でそのことを深めて学習してゆきます。
2013.05.25
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対人恐怖で悩んでいる人は職業を選ぶときはよく考えた方がよいと思う。自分に向いていない職業は安易に選ばない方がよいと思う。たとえば協調性が求められる仕事。一つのプロジェクトに対して、トラブル発生時自分の受け持ちでなくても、すぐに助けに入ることが求められるような仕事。サッカーを思い出してほしい。みんなが協力して心を一つにして闘わないと勝つことができない。対人タイプの人は、陸上、マラソン、相撲、ボクシング、バトミントン等のように一人でやるスポーツが向いている。次に対人折衝力が求められる仕事。典型的な仕事は営業やセールスである。必ずしも必要だと思っていないお客に対して自社の商品を売り込むような仕事である。またホテルなどの接客業も対人接客が求められる。また緊急事態が発生したとき冷静さが求められる仕事。航空管制官やパイロットなど自分のミスが重大事故を招くような仕事。お客様相談室の職員など常にクレーム処理を扱う仕事も敬遠した方がよさそうだ。そして管理職やリーダ―などマネージメントを要求される仕事。昇進しても上から叱られ、下から突きあげられて苦労するような仕事。神経をすり減らして、体調を壊しかねない。最後に変化に応じてすぐに臨機応変な対応が求められるような仕事。旅行会社の添乗員など。証券マンなど、変化に対して素早く手を打つことが求められる仕事。それではどんな仕事が向いているのでしょうか。まずは人から喜ばれるような仕事は対人緊張の強い人にはよいと思う。お医者さん、看護師、介護士、塾などの講師などの対人援助職などはよいと思う。人から感謝されると、自己を肯定的に考えられるようになる。自尊感情が満たされるのである。また単独で力を発揮できるような仕事もよいと思う。研究者、学者、芸術家、作家、農業、職人、自動車整備業、シェフ、カメラマン、建築士、新聞や雑誌の記者、司法書士や税理士などの士業、動物の訓練士、図書館の司書、グラフィックデザイナーなど。ちなみに私は大学卒業後出版社に入り、記者を希望したがかなわず訪問営業で挫折した経験があります。次に経理や事務職に就いたが、社内の人間関係と管理職になってからは能力不足のために苦しかった。いずれも自分に向いていなのに、使命感で飛び込んで失敗したのである。
2013.05.24
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幼児はありあまる行動力があります。いつも動き回っています。また旺盛な好奇心もあります。いろんなことに興味を示します。これがそのままに成長して、次第に理性の制御が働いてくるとバランスのとれた大人になってくると思います。ところが多くの子どもは小学生に入ったころから徐々に無気力、無感動、無関心な子どもに変わってゆきます。特にお母さんが、ダメです、いけません、早くしなさいと指示ばかりして、叱ってばかりいると、やる気をなくし、いつもお母さんの顔色をうかがい、不安になりおびえおののく子供が出来上がってきます。お母さんが「かくあるべし」を前面に押し出した対応をしていると、自己否定感が強くなり、自信がなく、人が恐ろしく、顔色が悪くなり、どこかさびしそうな雰囲気があります。いろんな人と交流していると、妙に距離を置きながらカードをはって、近づきがたい雰囲気の人がおられます。それは小さいときの育て方によるものが大きいと思う。反対にどんなにテストの点が悪くても、叱ったりせずに、できたところを褒めるようにしていると、お母さんは僕が大好きで、いつも僕の味方であると思ってくる。するとテストの点を人と比較したりしないで、マイペースで勉強するようになる。自分は今のままで100点満点だと思っているから、自信たっぷりに生きている。自分が自分の中で主人公になっているので、他人の言動に支配されることはない。二本の足で大地にしっかりと立っている。こうして大人になった人は、これを一から修正することはもはや難しいと思う。森田理論で修正はできない。また私の体験では、自己改造を試みては失敗する。葛藤と苦悩が深まるばかりであった。しかし、そうした人が自分を正しく自覚することはできる。この道が正当なまちがいない道である。自覚の上に立ち、同じ仲間と助け合うことができれば、新たに生きようとする力が湧いてくる。かえって味わい深い人生となる。
2013.05.24
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石原加受子さんは「もっと自分中心でうまくいく」という本の中で興味深いことを述べられています。「感情を抑えたり、感情にフタをしたり無視したりすれば、確かに心の痛みから目をそらすことができるかもしれない。けれども、マイナスの感情をもたないですむ代わりに、プラスの感情にも鈍感になってしまう。どんなに論理的頭脳に優れていても、どんなに芸術的な感性にあふれていても、それを追及しているとき、楽しい、嬉しい、おもしろい、ワクワクするといった感情を味わうことができなければ、それを継続する意味を見失うだろう。喜びの感情があるからこそ、創造的な活動に没頭できるのである。」これは不快感、不安、恐怖、違和感などをやりくりしたりそれから逃げたりしていると、快の感情はしだいに鈍感になってしまう。そういうプラスの感情は我々の活動の源泉となっているのだから、活動自体が縮小してジリ貧に陥ってしまうと言っているのです。これは森田理論の学習をする人は心しておきたい言葉です。そのうえでプラスの小さな感情が自分を磨くという。「ちょっと苦しい。ちょっと苛立っている。今ちょっと傷ついた。ちょっと哀しい。ちょっと焦っている。今不安を感じた」などの小さな感情に気付くことが大切だ。しかしそれ以上に「ちょっと嬉しい、ちょっとほのぼのとした。温かい気持ちになった。楽しい。心が弾んだ。助かった。感動した。感激した。愛を感じた」といった「プラスの小さな感情」に気づいてほしい。考えてみれば、我々の日常は刻々と変化する小さな感情の連続である。その時々の感情を大切にして素直に味わう。すると不快な感情をやりくりしたり、逃げるといういつもの悪循環から抜け出して、感情を引きづらないことに喜びを感じるように変化してくるのではなかろうか。
2013.05.23
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外国から要人がきた時は迎賓館で、天皇陛下をはじめとした皇室、総理大臣等が列席して最大限の歓迎セレモニーが開かれます。つまり外国の要人を大切に扱かっているのである。これを見ていて思うのですが、私たち神経質者は「自分自身」をこのように特別待遇で接待しているでしょうか。外国の要人の接待のように、自分が総力をあげて自分自身を大切に扱っているでしょうか。これは当たり前のようですが、なかなかできていません。難しいことです。むしろ「他人」を特別待遇で優遇して、「自分自身」は冷遇していることはないでしょうか。他人の思惑を気にして、他人の機嫌を取ることばかりに終始しているとしたら、これは自分自身を冷遇していることです。自分を偽って生きていることです。これは悲しいことです。たとえば、会社で嫌いな上司がいたとします。同僚にもそういう人がいるかもしれません。その嫌いという気持ちをごまかして、無理してふるまうことはないでしょうか。無理にその嫌いな相手にこびていることはないでしょうか。そういうやり方は苦しいと思います。森田では、嫌いという感情はどうすることもできない。コントロールできないのだから、嫌いは嫌いでいるしかないといいます。挨拶はきちんとするとしても、嫌いな相手にそれ以上合わせることはないと思うのです。この感情をやりくりすることは、自分を欺いていることです。もしそうだとしたら、自分の気持ちをまずもって優先してゆきませんか。大事するように変えてゆきませんか。人は誰でも自分自身が一番かわいいはずです。でも言葉とは裏腹に現実は自分で自分をいじめているのです。こんな不幸なことはありません。どんなに手に負えない醜い面を持っていても、自分自身を裁くようなことをしない。価値判断したり、是非善悪の判定をしない。どんなに容姿が悪くても、性格が悪くても、のろまでやることなすことすべてに問題があっても、自分はどんなことがあっても自分の味方、どこまでも自分をかばっていくという生き方を目指しましょう。自分が自分の味方になれば葛藤や苦悩は少なくなると思います。楽な生き方に変わってくると思います。こんなことをやってみたいという自分の気持ちを大切にする。不快感、不安、恐怖、嫉妬、悲しみ、怒りなどの感情を持つ自分を否定しない。むしろその感情を十分に味わってみる。観念に走ることなく、見る、聞く、味わう、触れる、臭うなどの五感を信頼してみる。自分の持っているもの、自分から発生したものはどんなものでも大切に、丁寧に扱ってあげる。自分は自分の一番の理解者になってあげる。自分の中には現実で苦しんでいる自分と、それを批判している自分が同居しています。自分の中にいる二人の自分が和解して、手を携えて生きていく。そんな自分を目指したいと思います。
2013.05.23
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車の運転は森田理論の「無所住心」を学習する時に参考になります。誰でも最初自動車教習所に通い始めて、初めてハンドルを握った時はとても緊張したと思います。その緊張するのがイヤだからといって、決して車の免許をとらないという人もいないわけではありません。これは気分本位だと思います。またこわいという気持ちを無くしてから教習所に通う人は理知本位です。でも多くの人は車の免許をとりたいという強い欲望のおかげで、自動車学校に通ったのです。初心者のうちはウインカーやバックミラー、シフトレバー、ブレーキ、アクセルなどが気になり、あちこちに注意が向きます。車を操作するということが精一杯で、安全に車を動かすための注意の気配りはできていません。パックをしていてぶっかったりして、不安定な走行になります。これは森田でいうと注意が自分の心や体に向いている状態です。森田でいう自己中心的になっているのです。注意の大半が内向している時は決して良い結果は出ません。でもその段階を乗り越えると、自分の不安や動作にばかり向いていた注意は外向きに変わってきます。ウインカーやバックミラー、シフトレバー、ブレーキ、アクセルに気をとられることはなくなってきます。それらは有意識の状態から、無意識の状態になり自然に適切な動きが出来るようになります。注意は常に外向きになり、他の車の動き、歩行者の動き、道路の状態、天気、交通検問、スピードの監視などに向くようになります。また目の動きも適切になり、危険を回避しながらスムーズに車線変更も出来るようになります。いくら不安な問題を抱えていても、注意の大半は安全走行のために外向きになっているのです。緊張感がなく弛緩状態で車を運転していると危ないことこの上もありません。「無所住心」という森田の考え方は、症状のみに注意を向けるのではなく、このように注意の外向化が起こり、あらゆるところに注意が向いてくるような生活のことをいいます。森田先生はすべてのものは常に変化し流動している。我々の感情もこの自然の事実から逃れることはできない。変化に身を任せて、心を悩み一点に集中させない生き方を教えてくれています。
2013.05.22
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デパートの女性店員さんからこんな話を聞いた。対人緊張の激しい人である。でも比較的お客さんとの対応は緊張しないそうである。むしろ初めてあった人と話す方がスムーズであるという。ところが、同僚と世間話ができないという。何を話していいのか分からない。普通は初対面で予備知識のないお客さんを接客するのに緊張して、同僚とはバカなことを気兼ねなく話せるので気が楽という人が多いと思う。これは神経質の人に共通している。仕事では異性と堂々とやりあえるのだが、プライベートな付き合いとなると急に借りてきた猫みたいになる。談笑したり、冗談を言い合ったりできない。そもそも気になる異性がいても自分から進んで話すことはしない。話すこと自体が苦痛になるのである。かくいう私もそうである。いつまでたっても異性と話すのは苦手である。人の思惑が気になるのは、他人はいつも自分のことを非難して、責めてくるという防御姿勢が根強くあるからだと思う。そういう人は自分嫌いである。自分に対する不信感がある。何をやっても自分は失敗する。自分は容姿、性格、環境、運命も全部だめだと思っている。自分には価値がない。愛されないようなオーラを醸し出している。ありのままの自分を愛せない人は当然心底他人を愛することはできない。緊密な親しい人間関係を作ろうとすればするほど窮屈になるのです。私はそんな人に対して、「その自分を変えないで生きていきましょうよ」と言いたい。人の思惑が気にならない人になろうなんてことは、はなから考えないようにしましようよ。それはたとえて言えば、プロ野球で年間にホームラン0のバッターに、ホームランを打ってチームに貢献しろというようなものだ。そんな無理なことを自分に課すのは勘弁してあげようよ。すると孤立してしまうかもしれません。孤独になるでしょう。人から仲間と溶け込もうとしない傲慢な奴だとレッテルを貼られるかもしれません。その確率は高いでしょう。人の思惑を気にする自分のままで生きていくと決めたら、そこは受け入れましょうよ。でも受け入れたら自分はますますダメになってしまう、という声が聞こえてきそうです。決してダメにはなりません。私が体験していますので大丈夫です。反対にそうゆう覚悟を決めれば苦悩と葛藤が少なくなります。そして覚悟を決めた自分を土台にして、しっかりと地面に足のついた生き方が、そこから始まるのです。「今のままの自分でいい」と自己評価ができる唯一の道が、目の前に開けてくるのです。
2013.05.21
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イチローは「苦しいときこそ逃げない。苦しいときは力が半分しか出せない。でも50%の力を100%出そうとする自分がいれば、立ち直りは早いと思う」という。普通の人は100%できる力を持っていても、50パーセントのことしか取り組んでいないことが多いようです。実にもったいない生き方です。これは前提として今の自分の悪い状態を素直に認めないとできることではありません。今の自分は万全ではない。いいときの半分ぐらいの状態だ。半分だからダメなのではない。半分だから完全にはできない。だからやる気にならないのではない。その最悪の状態を認めて、できることを精一杯にやってみる。神経質な人は、自分は人並みに仕事ができない、勉強ができないときその事実を認めることができない。すぐに自己否定する。そして劣等感で苦しむ。ひどい場合、自分はなにをやってもダメだと投げやりになる。意識を内向化させて、逃げてばかり。なすべき事に全く手をつけなくなる。イチローのように、まずいまの自分の苦しい状況では一人前に仕事はできないという事実を認めようではありませんか。ありのままの事実をそのままに認めるのです。ただそれだけです。そんな自分を価値判断するのではありません。是非善悪の価値観で判定してはいけません。その前提をはっきりと認識して、いまの最悪の心身の状態で、今できることだけを見つめるのです。あれもこれもと欲を出さないことです。今できることは一つしかありません。今できることに精一杯取り組むことです。森田では「ものそのものになる」といいます。そうすればイチローの言うように、50%の力を100%に発揮できると思います。そのように苦しみを抱えたままなすべきをなすと、感情は流れていくし、どん底からしだいに回復してくるのです。
2013.05.21
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森田先生は朝の洗面では、洗面器一杯だけの水で済ませるように言っておられます。これに取り組んでみました。でもうまくゆきません。まず歯磨きをします。水道から水を少しだけ出して歯ブラシを湿らせます。森田先生の指導では歯磨きはなにもつけなくてもよいといわれています。これはまずできません。歯磨き粉は必ずつけます。よく泡立ちます。歯磨きが終わるとコップに一杯水をとります。口を丁寧にゆすぎます。口の周りには歯磨きの跡がついています。次に洗面器に一杯だけ水を入れます。まず口の周りについて歯磨きの跡をきれいに流し落とします。それから顔を丁寧に洗います。森田を学習する前は水道の水を出しっぱなしにして顔を洗っていました。これが当たり前と思っていました。この点少し変わりました。今時期はよいのですが、冬は水が冷たいので大変です。我慢するしかありません。毎日のことなので365日続けるとちりと積もれば山となるかもしれません。森田ではこうしたちょっとしたことを実践することによって、自分を活かし、人を活かし、物を活かし、時間を活かし、お金を活かすことを身につけて、森田的生き方を体得していくのだと思います。一杯の水を大切にできない人が、自分を大切にして再評価すること、最大限に持てる能力を伸ばすことは難しいと思います。森田先生の目の付けどころに拍手です。
2013.05.20
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弘前のリンゴ農家の木村秋則さんは、リンゴを実らせるのはリンゴの木、米を実らせるのはイネである。人間はリンゴの木やイネをよく観察して、育ちやすい環境を整えてあげるお手伝いをしているだけだといいます。今のリンゴ栽培は腐らん病や虫の害などが次から次へと襲ってきます。それらに対して対症療法として農薬を使います。日本は世界一農薬を使う国になっています。またリンゴをたくさんとるために肥料もふんだんに使います。木村さんは無農薬、無肥料です。その木村さんがいいます。夏は雑草をぼうぼうに生やします。県はきれいに刈り取るように指導しています。私がぼうぼうに生やしているのは、リンゴの根元の温度を下げるためです。刈り取ると根元の温度は30度を越します。リンゴは逃げることができません。暑くて体力を消耗します。だから雑草を刈り取らないのです。私の畑のリンゴは24度ぐらいです。斑点落葉病という病気があります。これは高温多湿で発生します。みんな農薬を散布します。私のところは地表面の温度が低いのでその必要はありません。近所の農家は、夏はリンゴの木が熱いので水を散布しています。私のところはそんな心配はいりません。でも9月に入ると草を刈ります。それはリンゴの木に秋が来たことを教えるためです。そうしないとリンゴはいつまでも色がつきません。これは実験によって分かったことです。木村さんはリンゴを観察して、リンゴの生育のお手伝いをしているうちに、今の農業のやり方と全く反対のやり方になっていることに気がつきました。今の農業はリンゴに鞭打って、人間の都合でやっているので病気や害虫が多くなります。たくさんとるために肥料もたくさん使います。ますますリンゴが病気になります。対症療法でどんどん農薬を使います。病気を作り出してそれを抑える農業は、人間が病気になる過程と一緒です。木村さんはNHKのプロフエッショナルに出られました。You-tubeで映像を見ることができます。
2013.05.20
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赤塚不二夫の天才バカボンの口癖は「これでいいのだ」です。私たちも「かくあるべし」で現実、現状を否定したくなった時、「これでいいのだ」と口ずさんでみることです。この言葉を口ずさむと、現実を認めて受け入れることになります。そして次に「これでいい」という理由を考えるようになります。これと同じような言葉で「これは自分にとってちょうどいいや」という言葉もあります。具体例をあげてみます。たとえば、さあこれから食事という時、妻が炊飯器のスイッチを入れ忘れていたとします。妻に向かって「もう、いつもお前はヘマばかりするんだから」という代わりに、「これでいいのだ」と言ってみるのです。口に出すのが恥ずかしかったら、心の中で呟いてみるのです。すると険悪の雰囲気が一転和やかな雰囲気に変わります。そして次に、ご飯が炊けるまで何をしようかと考えはじめます。メールを打っておこうか、掃除をしておこうか、好きな音楽やビデオでも見ておこうか。つまり空いた時間の有効活用を考えるようになります。これは「かくあるべし」で不快な感情を目の敵にして、不快感を取り去ろうとして妻を叱責することからみると大きな違いです。森田理論でいう不快な感情を認めて、受け入れるという体験ができるのです。価値判断しないで受け入れてしまうと、初めて次の建設的な行動に移ることが可能となるのです。自分に対しても他人に対しても不平不満は山ほどあると思いますが、「これでいいのだ」は不平不満の対応について真実をついていると思うのです。みなさんもこの言葉をキーワードとして生活の中にとり入れてみませんか。
2013.05.19
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被害妄想という言葉があります。被害を受けていないのに実際に被害を受けているように感じることである。加藤諦三氏はこれにヒントを受けて被責妄想という造語を作られた。これは実際に人から責められていないにもかかわらず、人から自分の存在あるいは自分の行為を責められているように誤解している人のことをいう。また被蔑妄想という造語のことも書いておられる。人が自分のことを実際には蔑視していないのに蔑視しているかのように思ってしまう人のことをいう。そうゆう人は常に人の言動に振り回されるようになり、自分の人生ではなく、あたかも他人の人生を生きていくようになる。苦しいばかりで、楽しいことやほっとすることはなく、生きることは地獄以外の何物でもない。対人恐怖で苦しんできた私の人生はまさにこの通りであった。ただ妄想が原因で、精神病院に入院するまでには至っていなかった。しかし息苦しいことはこの上もなく、つらい生活が続いたのである。原因ははっきりしている。子供の時からいつも親から怒られて成長すると、大人になると人の言動がとても気になり、自分のことを責めているように感じるようになる。でも今親を恨んだところでどうにもなるものでもない。今から子育てをする人は反面教師として子供の育て方に十分に活かしてほしいと思う。では今現在苦しんでいる人はどうしたらよいのか。これについて加藤諦三氏は明確な指針は打ち出しておられないと思う。私はこの苦しみに対して森田理論の中にその答えがあると思っている。森田理論では被責妄想、被蔑妄想を持っている自分を見つめてみましょうといいます。それをいいとか悪いとか価値判断はしません。是非善悪の判定はしないのです。その特徴を自分なりによく観察します。生活する上でどんなふうに問題が生じているのか。それは生きていく上に決定的な障害なのか、あるいは学校に行ったり会社に行ったりする上で、苦しいけれども最低限のことがなんとかできるレベルなのかどうか。あまり自分で手に負えない場合は、医師やカウンセラーに相談しないといけないかもしれません。私のようになんとか社会生活を続けていける状態でしたら、そういう自分を正しく認識することがまずもってとても重要だと思います。割り切るといってもいいでしょう。あきらめるといってもいいでしょう。適当な言葉は見つかりませんが、要するにそういう事です。裏を返せば被責妄想、被蔑妄想の自分を変えようとしないことです。それと共存して、そういう自分をいたわり励まし続けていくという覚悟を固めることです。その覚悟を決めたら葛藤がなくなります。苦悩することがなくなります。なぜならそういう自分をいじめる自分がいなくなったからです。覚悟を決めた人は、被責妄想、被蔑妄想を持っている自分ができることしかしません。その自分を起点にして足を踏み出すことができるようになります。自己否定する自分は駆逐したのですから、こんなに安楽な生き方はありません。森田理論学習はそういう考え方を身につけていくことなのです。
2013.05.18
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すぐに価値判断しないで事実関係をよく確認するという事でうまくいった例を紹介します。小学生のK君がうなだれて家に帰ってきました。お母さんが訳を聞いてみると、さっき先生に叱られたというのです。訳を聞いてみると友達が掃除当番を代わってくれというので代わってあげたというのです。すると先生がきて、「なんで代わったの。本人にやらせなさい。」と言っていきなり怒鳴りつけたというのです。それを聞いてお母さんは、評判のよい先生だったので、我が子に問題があったのではないかと思いました。いつもは、「あんたが悪いんじゃないの。余計なおせっかいをして。」と先生同様に非難していました。その時は、「どうして変わってあげたの」と聞いてみました。すると「友達のお母さんが、急に具合が悪くなって寝ているというんだ。早く帰って看てあげたいというんだ。」「それで掃除を代わってあげたんだ」「それはよい事をしたね。友達もきっと感謝していると思うよ」「その気持ちが先生に分かってもらえなくて悲しかったんだ。」「うん」というとK君は大粒の涙を流して泣いたそうです。とてもいい話だと思います。森田理論を学習している我々の参考になります。私たちは事実をよく確かめもしないで、過去の経験から価値判断をしてしまいがちです。そして是非善悪の判定をしてしまいます。事実に基づかない決めつけは大きな間違いが起きやすいのです。このようにお母さんが、自分の話をよく聞いてくれると、K君のお母さんへの信頼は強くなります。お母さんという味方を得た子供は、情緒が安定します。そして思う存分自由に行動できるようになります。
2013.05.18
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純な心を生活の中で体験するとこうなります。その方は彼女とデートの約束をして、待ち合わせ場所で待っていました。ところが約束の時間になっても彼女はやってきません。30分経つごろからいらいらし始めました。「なにかあったんだろうか。約束を破るような人ではないのに。途中事故にあったのだろうか。」携帯で連絡をとろうとしました。でもつながりません。待つしかないと思って待ちました。1時間が経ちました。そのうち腹が立ってきました。「もう頭にきた。帰ろうか」「もし彼女が来たら怒鳴り散らしてやろう」なとどと考えました。でも帰ることなくそのまま待ちました。そのうち彼女がやってきました。彼の言った言葉はこうでした。「今日はもう会えないと思っていた。連絡もつかないし、すごく動揺していたんだ。でも無事に会えてよかった。来てくれてうれしい。」待っている間、森田理論で学習した最初に感じた感情を思い出していたのです。普段は短気だという彼は、普通でしたら憤懣やるかたない不快感を前面に出して、彼女の行為を叱責していたかもしれません。でもそうはしないで、「純な心」で対応したのです。この言葉を聞いて彼女は感激していたというのです。最悪暴言を吐かれて、もう私たちの付き合いはこれで終わるかもしれないと、びくびくしていたのにこの言葉で救われたのです。みなさんはこのエピソードに学んでほしい。それは瞬間的に起きた感情はすくに消えて、「かくあるべし」に支配された感情に変わってしまう。このことを森田理論の学習でよく理解してほしい。そして何か事件があった時は、「かくあるべし」に支配された感情はそのままにして、瞬間的に起きた感情を無理にでも探し出してほしい。その感情を見つけ出したら、それをもとにして行動したり、発言することです。まちがいがなくなります。これを一回でも体験できると、森田理論の体得への第一歩は確実に始まることでしょう。
2013.05.17
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青森県弘前市で自然栽培のリンゴを作っておられる木村秋則さんという方がおられます。自然栽培に取り組んで1つもリンゴのならない時期が8年続いたそうです。その間無農薬、無肥料のため近所からの迫害もいろいろと経験されました。また、無収入のためキャバレーのボーイや出稼ぎなどで糊口をしのいでこられました。そんなに苦労してまで、自然栽培の情熱が衰えなかったのはとても不思議です。私は木村さんの生い立ちを見ていて気付いたことがあります。子供のころからとても好奇心が旺盛であったということです。中学の頃は化学反応が好きで、電気に興味を持つ少年でした。ラジオがなぜなるのか興味が尽きませんでした。無線機やとてつもないアンプを作って体育館のアンプを壊したことがありました。高校時代は中古のバイクをいじり、エンジンを改良するのが面白くて夢中になりました。そのバイクでモトクロスのレースに出場したこともあります。高校卒業後は車のエンジンの改造に夢中になりました。120馬力のスカイラインを300馬力のエンジンに改造し、会社でモトクロス部を作って楽しんでいました。その後家業の関係で家に連れ戻され、農業の道に入りました。疑問があればなぜなんだろうと、その原因を確かめずにはいられない好奇心はリンゴや稲作にいかんなく発揮されました。無農薬栽培は奥さんが農薬散布の後体の不調に悩まされることがきっかけであったそうです。神経質な人も好奇心旺盛な人が多いと思います。集談会などでもいろんな趣味の話がでてきます。読書、音楽鑑賞、スポーツなどびっくりするような分野に手を広げられています。私もその一人です。外出すればいろんなことに興味がわいてくるのです。すぐに自分でもやってみたくなるのです。これは我々の持って生まれたすぐれた特徴であると思います。この好奇心を生活の中で活かさない手はありません。経済的に、時間的に許される範囲で、少しでも興味があることに対して手を出してみましょう。きっと生活の幅が広がり、楽しみが広がってくると思います。
2013.05.17
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森田先生の造語である「純な心」は一見すると難しい言葉にみえます。中身を見てみるとそんなに難しくはありません。私は便宜上次のように理解しています。人間には一つの出来事に対して2つの感情が湧いてくる。瞬間的にすぐに湧いてくる感情とそのあとからでてくる感情です。瞬間的な感情はすぐに消えてしまいます。そんな感情が湧いてきたことすら覚えていないような感情です、あとからでてくる感情はずっと残ります。普通はこれに対して対応しようとしています。森田理論ではこの瞬間的に湧いてきた感情を大事にして見つめてゆきましょうと言っているのです。難しいことではありません。できていないだけです。たとえば中学生ぐらいの女の子が夜の10時ごろに帰宅したとします。親として瞬間的に湧いてくる感情は、「大丈夫だろうか、なにかあったのだろうか」と心配になります。居ても立っても居られないことでしょうところが娘が帰ってきて出る言葉は、「今何時だと思っているんだ、遅くなるときは家に連絡しろ。家族に心配かけるのもいい加減にしろ。」などです。理由も聞かず親の不快感を一挙に娘にぶっつけてしまいます。この対応で娘はふてくされます。親から遠ざかるようになります。こんな場合瞬間的な感情を思い出して対応することが大切です。これは「私メッセージ」の対応です。自分の最初に湧いてきた瞬間的な感情を伝えると、娘は遅くなった訳を話すでしょう。そして今後は携帯やメールで家に連絡してくるようになるかもしれません。あとからでてきた感情は「かくあるべし」ですから無視することです。これを前面に出して叱責、強制、指示、命令することは将来大きな禍根を残すことになります。これが純な心です。最初に湧いてくる瞬間的な感情は見落としがちです。あとからでてくる感情で支配されるようになりますから、時々瞬間的な感情はなんだったっけと振り返ってみることが大事です。
2013.05.16
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自ら胃腸神経症で苦しまれた岡本常男氏が、私財約40億円を投じて神経症に苦しんでおられる方たちのために1988年(昭和63年)に設立されました。国内では神経症の研究を促進するため、優れた研究を行っている研究者、団体への助成金の交付。発見会も助成を受けています。一般事業としては、・「心の健康セミナー」(無料)の開催。一般市民を対象にした神経症など心の健康に関するセミナーです。北海道、東京、浜松、大阪、岡山、福岡などで開催されています。・「メンタル図書室」の開設。そこには精神・心理療法関係の図書、ビデオなどが約3300点あります。図書は無料で貸し出しをしています。・「電話・面接相談」で森田療法を中心にした情報の提供を行っています。・インターネット相談室による「心の体験フォーラム(会員制掲示板)」を開設しています。月一回東京慈恵医大の専門医のアドバイスが掲載されます。その他、海外に対して森田療法の普及活動も積極的にされています。中国での森田療法の拡大は、すでに日本を越えています。アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどにも広がり、世界森田療法学会も開かれています。詳細はホームページをご覧ください。メンタルヘルス岡本記念財団のメンタルニュースno.30より森田理論の基本となる考え方の一つが事実を重んじるということです。誰でも面接試験や発表会などで「緊張してあがって困った」という経験をしたことがあると思います。緊張してあがることに悩んでいる人は、あがることのない自分になろうと四苦八苦しいろいろと行動や心のやりくりをします。しかし、あがるまいと注意をそれに向けると、ますます感覚は鋭敏になり、さらに緊張がつのって一層あがってしまうのです。このあがらない自分でありたいというのが「理想」、あがることを自分の努力で治すことができるというのが「観念」、そしてあがるということは自分の意志では変えられない自然現象なのであって、いくら努力してもどうにもならないというのが「事実」です。つまり、あがることを異常と思い、「あがらない自分」でありたいとこだわっている人は、食い違いによって葛藤を起こし、不可能な努力に「はまっている、とらわれている」ということができます。ひどいときには様々な症状を形成してしまうことになるのです。
2013.05.16
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「武士の家計簿」という本がある。映画にもなりました。これには加賀100万石の武士の生活ぶりが紹介されている。ほとんどの武士の家計は借金だらけで、多額の借金を抱えた日本国のような状態であった。それでも体裁を保ち、面子を重んじる生活から脱出することはできなかった。さらに明治6年12月、明治新政府は「家禄奉還」の制度を布告した。これはいままで藩に属していた武士は給料をもらっていたわけであるが、一時金を払って以後従前の給料は支払わないというお達しであった。つまり今でいうリストラである。これにより多くの武士は職を失うことになる。このリストラは日本全国の武士に及び大変な社会問題となった。これによって急速に武士は二極分解していったという。最も多かったのは、かつて家柄を誇った士族の多くは、栄光の過去を懐かしみ、現状に不満をいい、そして将来を不安がった。当然ながら、そうした彼らには明るい未来はやってこなかった。よい仕事はなく、その日の飢えをいやすのが精一杯という生活に甘んじる人が多かったのである。家族を道連れにして、栄光の加賀藩とともに美しく沈んでいったのである。その一方で少数ではあったがその変化を認めて受け入れた人がいた。受け入れがたい現実を発奮材料として、社会に役立つ技術を身につけようと過去の栄光を捨て去ったのである。そういう士族には未来がきた。ごく一部の人たちだが、時代の変化を読んで、今までの生活を捨てて、仕事を転換して変化に対応したものが、明治新政府の仕事にありついたのである。カメレオンのように素早く変化に対応してゆく。状況は変化させることは難しいのだから、自分を状況に合わせて変えていく。変化に対応する生き方を岩田真理さんは、サーフィンにたとえて説明されています。サーフィンでは、サーファーは「波」という、動いているものにのっているのです。常に波の様子を読まなくてはいけません。波はその日の天候によって変化し、動き、下手をするとサーファーを飲み込みます。サーファーにとっては一瞬一瞬が緊張です。波を読み、波の上でバランスをとり、波に乗れれば素晴らしいスピード感が体験できます。自分の力だけではなく、勢いよく打ち寄せる波の力を自分のものにして、岸まで疾走することができるのです。人生の波に乗るとは、一瞬一瞬、緊張感を持ち、周囲をよく観察して、その時その時で適切な判断がとれるように努め、自分の生を前に進めていくことです。人生の波はあがったり下がったりします。無理に反発しないで、動きに合わせて、その波に乗ってゆくことが、自然に服従するということです。その生き方がいちばん安楽な生き方となります。
2013.05.15
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腹の立つこともあるだろう。どんなに腹を立てもいいではないか。できればもっともっと腹立たしさを高めてみよう。腹が立ったらやりくりしないで自然に任せよう。衝動的に鬱憤をはらすことだけはやめとこうよ。心の中がどんなに荒れ狂っても、人前では平静を装おう。あなたがもしも男性なら、腹だたしさを抱えたままで、人生という大舞台で、高倉健のような渋い演技を演じてみよう。きっと観客が拍手喝さいしてくれるだろう。不安で気が動転することもあるだろう。どんなにか不安に押しつぶされそうになることもあるだろう。たまには不安にとことん付き合ってみようよ。不安になったらやりくりしないで自然に任せよう。衝動的に不安をやりくりしたり、逃げたりすることだけはやめようよ。心の中がどんなに荒れ狂っても、人前では平静を装おう。あなたがもし女性なら、不安をかかえたままで、人生という大舞台で、吉永小百合のような素直な演技を演じてみよう。きっと観客が感動して涙を流すだろう。以前見た映画、高倉健の「あなたへ」、吉永小百合の「かあべえ」「おとうと」が印象に残っています。
2013.05.14
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ノミのジャンプ力はものすごく、人間でいうと霞が関ビルを軽く飛び越えてしまうくらいだそうです。その意欲、積極性、力を奪う方法があります。一匹のノミをガラスコップに入れて上にふたをします。ノミは逃げようとジャンプしますが、上のふたに突き当たって落ちてしまいます。ノミは必至で何回もジャンプします。ノミが上のふたにあたって、フラフラになり、小さな心を痛め、まさに落ちようとするときに、「何をやっているんだ」「おまえはなにをやってもだめだ」「これ以上救いようがない」と実にタイミングよく、ノミを批判して、軽蔑してやるのです。疲れたノミにさらに「もっと気力を沸き立たせて、何回もチャレンジしなさい」とけしかけてやるのです。イヤイヤながら飛んで落ちるだびに、さらに情け容赦なく罵声を浴びせかけるのです。それを継続するのです。そのうちノミは「ああ僕はダメだ。」意気消沈して、自己嫌悪で苦しむようになります。劣等感の塊になり、少ししか飛べなくなります。こうして自信を喪失して、不安でおろおろし猜疑心の強い人になってしまうのです。そうしておもむろにふたを取って自由に飛んでもいいよと優しく声をかけてみるのです。もう決して自由自在に飛ぶことはありません。飛ぶ力がほとんど残っていないのです。これはエピソードですが、このような調教を自分の子どもに強制したり、配偶者や親兄弟、他人などにしていることはありませんか。また第三者にその人のダメなところを面白おかしく話すようなことはありませんか。神経症の人は人からもしそのような対応をとられると、ものすごいストレスで生活が停滞してきます。でも人の心の痛みは無視して、平気で非難したり人に暴露したりすることがあります。痛みを感じることができないのです。ここは意識して態度を変えてゆきましょう。人に対して自分の「かくあるべし」は絶対に押し付けないという覚悟を決めて生活することが大切だと思います。今までの投稿で説明してきましたが、「かくあるべし」には4つの視点で見ていくことが必要です。その中でもこの対人的な「かくあるべし」を減らしてゆくのが一番取り組みやすいし、効果がでてくる部分だと思います。これが軌道に乗れば、不快な感情の事実、ふがいない自分自身の事実、理不尽な自然災害、経済変動などの事実によい意味で波及してきます。
2013.05.14
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山崎房一さんという方はもうすでに亡くなられているが、「かくあるべし」を少なくして事実に従うという森田理論を学習する時に大変役に立ちます。山崎さんは親と子供の関係がうまくゆかないのは、森田でいうところの「かくあるべし」の押しつけにあると言っています。そうゆう人は自分に対しても同じことをしています。自ら作り出したもので一人相撲をとって苦しんでいるのです。山崎さんの「無理して自分に100点満点をつけよう」という詩をご紹介しましょう。人間は、だれでも欠点があるその欠点を見て、自分に40点をつけると40点のような気分になって40点の行動をするから40点の人生を送ってしまう自分は40点だ、と思い込んでいるといくら努力しても40点を50点にするのは不可能だ自分に100点満点をつけよう自分は40点だな、と思っていても無理して100点満点をつけていると自然に自分の古い殻が破れて、新しい自分に変わる自分にとって 一番恐ろしいことは 自分が他人の目で 自分の欠点を責め立てて自分の存在を否定すること 自分にとって 一番心強いことは どんなことがあっても自分が自分の味方になって 自分を守ることです自分にとって自分は 自分の安住の地でなくてはなりません。(きっと自分を好きになる 山崎房一 PHP研究所)
2013.05.13
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森田先生は能率をあげて仕事や勉強をすることについても何回も説明されています。能率のことで一番大事なことは、忙しいときほど仕事がよくできるということです。和歌や俳句のようなものでも、暇になったら上等のものをたくさん作ってやろうと考えるのは大きな間違いだ。実際にそうなってみれば、気が抜けて、ちっともいいものができない。あれもあれもと神経が緊張しているときのほうが、ちょっと普通に考えると違うような気がしますが、そのほうがいい仕事ができるのです。これはなぜか。行動したり、いろいろと考えたり、工夫している時は、体も心もすごく活動的になっています。そうした状態のときは、弾みがついてあれもこれも気がつく。普段でてこないようなアイデア、思いつきがさまざまにでてくる。心も体も自由自在に躍動しているのです。一つの躍動は、次の躍動を誘発して好循環のサイクルで回っているのです。これはボーリングで、ストライクやスペアをとればとるほど得点が増して好循環になるようなものです。神経質な人は、観念で勉強は静かで、雑念が全くなく、勉強に集中していないと成果は上がらないと思っています。これは体験の乏しい人の机上論です。森田先生に言わせると、外部の刺激がないと精神も活動を休んでしまい、だらけて、ついには眠くなってかえって勉強に身が入らないと言っているのです。勉強は外部の刺激が適度にあるような環境が、精神を刺激して活性化させて勉強がはかどるようになっていると言っています。避暑地のようなところでは、外部の刺激がなく、それとともに精神が弛緩状態におちいってしまう。そうなると緊張感がなくなり、心身ともに活動が停止してしまうということです。これは「感情の法則」の単元を学習するとよく理解できると思います。ただ「新版 森田理論学習の要点」のみでは理解できないでしよう。補助教材でさらに深耕してゆくこと、集談会などのグループ学習や自分の体験談としてまとめてみることが不可欠です。森田理論学習では、応用編に入る前に基礎的学習を積んでおくことで、本丸の森田理論応用編の理解が格段に向上します。
2013.05.12
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森田先生は風邪をひくという説明を何回もしておられます。風邪をひくというのは、冷水浴をやって、急にコタツに入るとか、寒いときに駆け足をやって、暖かい部屋で休むとかいうときに起こることである。それはなぜか。寒い中で精神が緊張状態にあったものが、急に全くの弛緩状態に変化してしまうからである。特にコタツにもぐりこんでのうたたねのようなことが最も悪い。これは緊張と弛緩のバランスが崩れて、弛緩状態の方向に偏り過ぎになっている事をいっています。つまり森田先生は風邪をひくというたとえ話をしながら、精神の拮抗作用の説明をしているのである。生活する上でいつも緊張と弛緩の調和を維持することを心掛けないといけない。私のところで修養したものは、自然に生活に対する欲望や緊張感が養成されて、弛緩との調和を保つことができるようになって、その結果、風邪をひかなくなるのである。森田先生のところを退院した人は、実によくいろんなことに気付くようになります。家の修理個所、家族や身の回りの人たちへの配慮などどんどん目の中に入り、それにともなって体が自然に動いてゆくようになるのです。今まで注意が自分のこと、症状にばかり向いて内向していたエネルギーの行き場が、外向きに、前向きに、建設的に変化してゆくようになったのです。それは緊張と弛緩のバランスがとれるようになって、正常の状態になっただけのことですが、自分としては体重が増えて体調がよくなり、家族は人が変わったようになったと言ってびっくりしてしまうのです。これは森田の「生の欲望の発揮」とのバランスがとれるようになったことでもあります。森田先生はこの「生の欲望の発揮」を森田理論の中心に据えていますが、これを制御する不安との調和を図るという事も同時に指摘されている事を付け加えておきたいと思います。
2013.05.12
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このプログは読者が多くてそれが励みになって毎日投稿する力になっています。そうでなかったら、当初の予定通り、週1ペースで続いていたかもしれません。投稿原稿は、外付けハードディスクに項目別に保管しています。これを簡潔にまとめて、集談会の森田理論学習テキストとしてまとめるのが夢です。このプログでは生活の発見会の人が多いのではないかと推察しています。というのは、フェイスブックやツィッターと連携して宣伝すれば、一般の人がもっとアクセスしてくれるのは分かっているのですが、不安が大きく、またやり方も分からないところがあるので、しばらくはこのまま続けていこうと思います。そこでベテランといわれる人、中間層といわれる人に一言。さて私の投稿は今のところ全集5巻や森田原著からの引用などはあまりしていません。いずれ積極的にしたいとは思っています。今は森田理論はある程度学習しましたので、いったん森田理論そのものの学習から離れて、生活の中や一般の人の考え方、世の中の出来事、ジャンルの違う人の話や本を読んで森田理論と照らし合わせてみようと思っているのです。すると、その道に秀でた人は森田理論で展開されている考えに近い人が数多くいることに気づきました。また世の中の出来事を森田的視点から意見を述べることができるようになりました。私の考えでは森田、森田でがちがちの学習をしているとマンネリになり、それこそ井の中の蛙となり、自己満足で終わってしまうような気がするのです。いったんそれらから解放され、森田理論を持って自由に外に飛び出して、外部との接触でさらに森田理論を深めていくという道があるのではないかと思っています。それが自然な流れだと思います。森田理論は社会に開かれた考え方です。社会に向かって森田の考えを広く伝えてゆく活動は、さらにみなさんを成長させてくれる起爆剤となります。
2013.05.11
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イチローは試合がある日は、始まるまでの行動を小川の流れのようによどみなくこなしているという。カレーを食べて車で家を出て球場に入る。時間どおりである。専用のトレーニング機器を使ってのストレッチなど。徐々にモチベーションを高めてゆく。ウェイティグサークルからバッターボックスに入るまでの歩数は毎回一定だという。構えに入るまでのしぐさもいつも同じ。イチロー独特のバット高く構えるしぐさも一緒。すべての動作をゆっくりとしたリズムで丁寧にこなしてゆく。このバッティングに入るまでの綿密な儀式は、彼の日常生活にまで及んでいるという。森田先生はダンスのリズムを研究されていました。リズムには強弱があります。森田理論では緊張と弛緩といいます。すべての動作は緊張と弛緩の繰り返しだととらえていたのです。緊張しっぱなし、弛緩しっぱなしで偏ると行動は自由がきかなくなり、いびつになり問題が発生します。緊張状態と弛緩状態をリズム感よく調整して、バランスのとれた行動にしてゆくという事を考えられていました。神経症に陥った人はリズム感がなくなります。躍動感がなくなります。歌を唄ったり、体を自由自在に動かすことがなくなります。それは症状一点に注意を集中して、常時過度の緊張状態にあります。交感神経が過度に刺激されて、緊張状態を持続しています。これは長続きしないだけではなく、ストレスをため込み自分の心身を痛めつけているのです。神経症が回復することは、リズム感を取り戻すことです。生活のメリハリを取り戻すことです。そのためには日常生活を規則正しく回転させていくことです。特に家にばかりいる主婦、定年後の人は意識して取り組まないと、いつも弛緩した状態になりやすいと思います。ここで森田の「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」という言葉を思い出してみてください。ある仕事に飽きた時、疲労がたまった時は弛緩状態にあります。意識してなすべき事を転換していけばまた緊張感を持った状態に転換できます。臨床心理士の岩田真理さんは30分ごとに家事や仕事を変えてみることを提唱されています。なかなかいいアイデアだと思います。緊張と弛緩のバランスを考えた生活態度をぜひ身につけてゆきましょう。
2013.05.11
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宇宙飛行士の野口聡一さんは、宇宙飛行士の搭乗員として選んでくれるのは船長であるという。選考の基準は、人にはできない何か特殊な能力を持っているかどうかである。人と同じことしかできないということは、宇宙飛行士として選抜される可能性がかなり低くなる。野口さんは船外活動でロボットアームが操作できるということで選ばれたそうです。自分の得意分野に磨きをかける。これが大切です。企業再建で活躍されている稲森和夫氏は、「私は化学の専門家です。セラミックスでは誰にも負けないほど研究を重ねてきました。その成果が世界の他の研究者や専門家より秀れていたことがうれしい。柔道でいえば、一本背負いが得意な人は、相手がいくら警戒していてもいつでも技を決めることのできるキレと幅を磨きあげることです。」医者でも幅広く医学の基礎を学んだあとは、内科とか外科などに分かれてその道の専門分野を目指します。ファイナンシャルプランナーという職業があります。金融、不動産。リスクと保険、ライフプラン、所得税、相続、事業承継などの専門家です。この職業も幅広く勉強したのちは専門分野に分かれてさらに研鑽を積みます。一般的な知識ではとてもクライアントの問題解決には役立ちません。自分の専門分野には絶対的な自信を持ちつつ、専門以外の分野では、思い切って他の専門家の力を借りて、助け合ってクライアントの経済的な難問を解決しているのです。そのやり方で仕事として成り立っているのです。すべての面で専門家となることはできません。つまり一つの道を選んだならば、他の道はいくら可能性があっても捨てるという事です。それぐらいの気持ちで、自分の選んだ道で精進していくという事です。困難な問題を克服していくという事です。よく欠点を直すといいますが、よほど社会適応に困難な欠点でしたら、多少修正する必要があるでしょう。それ以外でしたら欠点は放置しておくことです。欠点は他人に依存することです。それよりも取り組まねばならない大切なことがあります。長所を伸ばしてあげることです。長所に磨きをかけて、伸ばすと社会に役立ちます。自分にも自信が湧いてきますし、心ある人は評価してくれます。これが森田理論でいう唯我独尊の道を歩むことにつながります。
2013.05.11
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水谷啓二先生の思い出話より。ある日のこと。先生は庭石に腰掛けて、それを取り巻くように立っている7,8名の若いものを相手に、何か話をしておられました。すると森田先生が、「どうだ水谷君、わしの話が分かるか」と聞かれました。私は心の中で「分からないことは分からないと答えるべきだ」と思い、「わかりません」と答えました。話はさらに続きましたが、しばらくしてまた私に、「どうだ、わかるか」と聞かれました。それに対して私はやはり、「わかりません」と答えました。先生は話をつづけられましたが、さらに三度目に、「少しは分かるか」と聞かれました。それに対して私は、「少しも分かりません」と答えました。すると、森田先生は激しい見幕で、「君一人が分からないと言って頑張るものだから、わしはもう話をする気がなくなった。そのために君は、わしの話を聞きたくて集まっているほかの人たちに、少なからず迷惑をかけたという事実が分からないのか。」といわれたそうです。水谷先生は怒られた事で悲しくて涙がでてきたそうです。それに関連したことで、全集5巻にこんな話があります。お父さんが博打をしていて、それを見つけた子供が博打は悪いことだと思って警察に届けました。それでお父さんは逮捕されました。この新聞記事を見てある人は悪を憎む素晴らしい子だといいました。ある人はお父さんがかわいそうだといいました。森田先生の答えはこうです。父親をかばうという人情から出発しなければならない。この子は低能者か意志薄弱である。この話で森田先生が伝えたいのは、理屈や理性で持って正直に返答や行動をしているつもりだろうけれども、理屈や理性を第一に押し出すのではない。その時に自然に湧いてきた感情をまずもって優先させなければいけない。感じが先で理屈や理性はその次にでてくるのである。感情を理性で抑えつけるからダメなのである。もっと降って湧いてきた感情を無視したりやり込めたりしないで、信頼できないものか。水谷先生の話も、話の内容はよく分からないけれども、先生が一生懸命話してくれているのだから、少々分からなくても先生に気を使って分かりましたというように答えたほうがよいのです。どんな場合も感情を信頼して、感情から出発して、理知で調整していく。この順番でバランスをとっていく。この順番を反対にすると神経症を招くのです。これは森田理論の大事な考え方です。
2013.05.10
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平井信義さんは30年以上も前から、子供を持って親になろうとしている人は国家試験を実施して合格者に親になる資格を与えるようにすべきだといわれています。子供がどうゆうふうに発達してゆくのか、その発達の過程で親はどのように子供に接していくべきなのか。これらの科目を勉強して、理解度をテストで確認するのだそうです。先人たちの経験によって子供の発達過程は、驚くほど解明されています。これを学んで自分の子育てに応用しない手はありません。子育てを学習しないで、子供を作ることは羅針盤なしに太平洋を航行するようなものです。学習すると、たとえば、「1歳から3歳までの子どもの特徴について述べなさい」という問題に対して、「いろいろないたずら(探索行動ともいいます)をしながら、一方でお母さんに甘える時期である。いたずらもしないし、甘えもしないという子は将来問題行動を起こすようになる。」と答えるでしょう。私はこれを聞いて、森田理論学習にも応用できるのではないだろうかと思いました。森田理論の各単元を学習した後は、問題を出してそれぞれが紙に書いて回答するのです。点数はつけないで、その回答をみんなの前で発表するのです。発表に対してコメントをもらうという学習方法です。学習の深まりという面からすると、講義をただ聴くだけからは雲泥の差が生まれるでしょう。たとえば、「欲望と不安」という単元では、「森田理論では生の欲望の発揮が大事だといわれます。あなたにとっての生の欲望の発揮とはどんなものになりますか。」です。講義を受けていれば森田先生のいわれる生の欲望は学習しています。そのうえで自分に照らし合わせてさらに深耕していくのです。これは自分ひとりの学習ではまずしないでしょう。本を読んで納得というのが関の山でしょう。グループで学習すると可能になる学習方法です。生活の発見会ではオンライン学習会というのがあります。これに近い学習方法をとっています。これは掲示板を利用して、レクチャー、理論学習の要点などを学習して与えられた課題に答え、ざらに受講生全員の交流で深めていくというものです。全国の受講生が一度も顔を合わせることなく学習してゆきます。いまのところこの学習は「受容と共感力」の体験の場となっています。多くの人が自己開示を進めて、終了後離れがたいような気持ちになります。それはそれで「かくあるべし」から「事実本位の態度を養う」面で大きな意義があります。そのよさは残したままで、学習内容に少し手を加えれば上記の事が実現できる大きなツールとなるとみています。
2013.05.09
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宇宙飛行士野口聡一さんは当初2003年3月宇宙に飛び立つ予定でした。ところが2003年2月1日7名の搭乗員を乗せたコロンビア号が大気圏再突入する際、テキサス上空で空中分解しました。そのため搭乗は2005年7月まで延期されました。その間のプレッシャ、恐怖、緊張、いらだちは相当なものがあったようです。プレッシャに対する野口さんの意見です。あらゆる問題点を想定して、一つ一つつぶしてゆく。そして100の仕事に対して200の訓練、シュミレーションをおこない余裕を作り出す。それでも本番では予期せぬ事態が必ずやってきます。直前でコロンビア号の事故があったし、ましてや宇宙に行くことは100%安全が約束されていることではない。そこで大事なのは、恐怖なんだかんだというよりも、覚悟を決める。ある種の諦めです。でも消極的な意味ではありません。100%安全でなくても、自分で覚悟を決めて、ある程度のリスクをとる。そう思ったら、危険は承知で冒険をしなくてはならない。それ以外に道はない。神経症の人は、プレッシャや不安に圧倒されて逃げてばかりで手も足も出さなくなります。本来の目的を見失いプレッシャや不安を取り除くことに勢力をつぎ込みます。これは森田でいう気分本位です。我々は野口さんに学び、不安、恐怖はそのまま受け入れて、本来なすべきことに対しては十分な訓練、練習を繰り返して余裕を作り出す。そして不安や緊張感を持ちながら、思い切って勇気を持って飛び出してみる。いったん飛び出してみると無我夢中になっている自分に出会えるでしょう。はたからみていると不安、緊張感を持ちながら思い切って飛び込む勇気に対して共感が持てて、感動を覚えるのである。
2013.05.08
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森田理論学習で一番大事なことは、なんとしても森田理論を自分のものにしようというみなさんの熱意です。森田理論も誕生から100年たち整理されてきました。誕生当時は試行錯誤を繰り返してもなかなか自分のものとして身につけることは困難でした。いまは先輩に指導してもらいながら、順を追って学習すれば比較的短期間で身につけることができます。いったん物にすれば、それは一生の宝物となります。忘れることはありません。そして自分の人生を実り豊かな人生へと変貌させてくれます。私はおおむね3年を一応の目安にしています。これは入院しないで、日常生活をこなしながら理論学習だけで森田理論をものにするための期間です。この期間は真剣に森田と向き合ってください。だいたい森田理論は人から教えてもらって身につけるようなものではありません。自分が努力してつかみ取るものです。努力しないでお客様のようなつもりで森田をやるとかえって観念的になり苦しみが増してきます。反対に3年間寝食を忘れるぐらいに取り組んでゆけば必ずものにできます。3年は長いと思われる方がいるかもしれませんが、あっという間に過ぎてしまいます。今後の人生を考えてみると、森田理論が今後の自分の人生を大きく左右してくるわけですから、ぜひ頑張っていただきたいと思います。もう一度言います。森田は長期間だらだらと学習するよりも、短期で集中して自分から積極的につかみとっていくものです。それが一番大切です。1年目は森田理論の基礎的学習に当てます。特に神経症の成り立ち、神経質の性格特徴、感情の法則、欲望と不安、認識の誤りの単元は自分の体験と照らしあいながら何回も学習しましょう。ちなみに森田先生の人間観などはここでは学習しません。そしてノートにまとめてみるようにしましょう。そのノートを先輩に見てもらってコメントをしてもらいましょう。また生活の発見会の集談会のミニ体験発表、体験交流の場で発表して他の人の意見を聞いてみましょう。これで1年目の目的は達成できます。2年目は森田理論学習の応用編の学習です。ここではまず森田理論学習の全体像について理解してください。これは今まであまり言われていませんでしたが、この理解はその後の森田理論学習を大きく左右します。この理解なくして、森田理論学習は言葉の遊びになってしまう可能性があります。そのうえで各論の学習に移ってください。この応用編では森田理論の大事な考え方がたくさん出てきます。森田先生の考え方、人間観を森田理論全体像を頭に入れたうえで学習してゆくと、比較的簡単に理解してゆくことができます。ここでも先輩会員のご協力を仰いでください。先輩方はきっとみなさんの力になってくれるはずです。もし身近におられなければ視野を広げて生活の発見会の中で探してみてください。私はそういう方を何人も見てきております。必ず見つかると思います。3年目は仕上げです。理論学習で学んだこと、気のついた事、教えてもらった事、あるいは森田理論をものにしている人の生活態度に学び自分の生活にとりいれて実践に移してゆく時期です。試行錯誤が続くと思います。ここを乗り越えれば雲が切れて大きく視界が広がってきます。もう少しの辛抱です。ここでも先輩会員と接触して協力を仰いでください。そして森田理論を身に付けたあとは、これから来るであろう悩み多き後輩たちの相談相手となっていただけたらと思います。その活動がさらに自分の生き方を押し上げてくれるのです。
2013.05.07
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人間には長所もあれば短所もあります。それらが同じ数だけあってバランスがとれていると考えるのが自然ではないでしょうか。生きるという事は、短所があることはイヤだけれども受け入れていく。でも長所はちょっとずうずうしいと思われるぐらいに前面に出して伸ばしていく。この生き方が自信につながり、生きる勇気がわいてくるのです。しかし多くの人は短所のみを気にかけて、短所を修正し、無くすることに勢力を注いでいます。そうすると、長所は見向きもしないようになります。長所を伸ばしてゆくという考えは放置されたままになります。自分の持っているもの、強みが宝の持ち腐れとなります。これは短所を治そうとして、長所をやすりをかけてすり減らしていくということになります。自分の持っているもの、強みを封殺していくという事です。これでは縮小再生産になり本末転倒となります。我々神経質な人はもともと素晴らしい長所を持っています。こまごまとした小さいことによく気がつく。するどい感受性を持っている。粘り強い。責任感がある。分析力がある。などです。これは神経質の性格特徴で学んだことです。神経質者はここに焦点をあてて、いかにすればその長所が活きてくるのかを考えて、実行に移していくことです。そうすれば、自信も出てくるし、人から信頼されるようになってきます。長所を十分に活かすことができるようになれば、欠点は急速に勢いをなくして気にならなくなります。その時点で長所と短所はやっとバランスがとれてきます。自分に備わっているものを見つけ出して、それを大事にして磨きをかけてやることを森田理論では唯我独尊といいます。ポイントの一つです。
2013.05.07
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(続き) 怒りに対して理知の調整という事はどのようなことをいうのでしょうか。「怒り」を上手に消す技術 吉田たかよし著 ソフトバンク文庫から一部ご紹介します。1、作り笑いをする。これは形から入るという事です。森田理論では「外装整えば内装自ずから熟す」といいます。効果があります。実験してみてください。2、苦手な相手、相手がとても感情的になっている時は無理に接触しない。ゴキブリが嫌いな人にゴキブリを好きになりましょうと言っても無理な話です。嫌いは嫌いという気持ちを大事にしましょう。嫌いを無理して好きになろうなどと考えてはいけません。3、ゲームをする。私はネット麻雀を楽しんでいます。怒りのホルモンであるノルアドレナリンがでている時にゲームをすると、ノルアドレナリンはどんどん消費されることが分かっています。野菜のみじん切り等も効果があります。4、その怒りを紙に書く。怒りは自然現象ですからどうしようもありません。それはそのままにしておいて、理性を働かせるようにするのです。なぜ腹が立ったのか、相手の言い分は何か。対応策はないのか。等を整理するのです。文章にすれば、冷静な理性の世界にスイッチすることができます。5、未来に目を向ける。人間の脳の機能としては過去を忘れることはできないように仕組まれています。イヤなことを早く忘れようとすることは却ってさらに記憶を強化して苦しくなります。なすべきことややりたいことに手を出して新しい感情を作り出してやればよいのです。6、感謝する。脳の機能として、感謝することは忘れてしまっても、何かに困るわけではありません。感謝することは忘れるように出来ているのです。反対に覚えておかないと損をする事、相手から怒られるようなことは、自分の生存を危うくすることがあります。だからいつまでも覚えておくようになっているのです。でもこれではバランスがとれません。バランスをとるためには感謝することを無理にでも思いだしてみるのです。この気持ちが怒りを減少させる効果を生み出します。7、相手の怒りは最後まで吐き出させる。そのあとからこちらの言い分を言う。改善策を出す。怒りは3分ぐらいで山を迎えてしだいにおさまるようにできています。だからその間相手に怒りを吐き出させることが大切です。ここのところのタイミングを外しては、火に油を注ぐことになります。注意しましょう。そのあと、おもむろに対策や改善策の案を話すのです。これがポイントです。怒りはしだいに自然に流れて善後策の話で盛り上がります。8、家族のイライラは過剰な依存体質に原因があります。それぞれ別々の時間を持つ。家族といえども、一人一人が別々の心と身体を持った他人であるという気持ちを持つことが大切です。夕食後血糖値が上昇してリラックスしたときなどに普段から思っていることなどを話してみるのはいかがでしょうか。喧嘩しやすい家族は、物理的に接触を減らして、それぞれ自分だけで過ごす時間を持つことが有効です。9、自分自身に対するイライラは、紙に書いて工夫改善で乗り切る。友人との約束を忘れたり、やるべきことがたまってイライラすることがあります。森田先生は整理したりしないで、よく目につくところにほったらかしにしておくと、忘れることがないといいます。朝寝坊で困るという人は、朝寝坊のメリット、デメリットを紙に書いてみるとよいでしょう。すると自分への怒りが収まり、意識が対策に移ってゆくでしょう。
2013.05.06
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怒りの感情が湧いてきた時は、その感情を押さえつけてはいけないと森田理論では学習します。腹が立つという感情をそのままにして、腹をたてておくしか方法はない。それがいちばん安楽な道である。でも腹をたてると、その感情が暴れ馬のように暴走して、暴言を吐いたり、暴力をふるったりすると困るので、怒りの感情が発生するのをイヤがるのである。しかしもともと怒りがでてくるという事は、人間が生き延びていく上に無くてはならなかったものである。太古の昔、自分に危険が及びそうになった時は、ノルアドレナリンという怒りのホルモンを分泌させて血管を収縮させて戦闘態勢に入っていた。闘うか逃げるか瞬時に判断して素早い行動に駆り立てていたのである。もしそうした対応がとれなかったとしたら、人間の生存は極めて危ういものになっていただろう。つまり怒りという感情はときによっては必要なものであって、これを無視したり、ごまかそうとしてはいけない。むしろ上手に活用し、有効に利用する態度が大切だという事です。森田理論では怒りという感情は自然現象であり、やりくりしてはいけないと言っています。この基本を押さえてさらに話を進めてみましょう。人間は進化の過程で、前頭葉皮質を発達させてきた。つまり理性を発達させて、怒りという感情を制御できるようになりました。理性が働かないと大変です。それはわがままし放題の幼児を見ればすぐ分かります。幼児はまだ脳が発達していません。だから葬式の真最中に大暴れすることができるのです。また酔っ払いがやりたい放題の暴言を吐いたりするのは、アルコールによって理性の働きが麻痺しているからです。つまり怒りに対して暴走や暴発が気になるという人は、理性の制御、調整がうまく機能していないということになります。ここでも感情と理性の調和はとても大切になります。ポイントはいつも感情を優先させて、後で理性でもってバランスを整えていくというのが森田理論の考え方です。理性の調整はノウハウがあります。これを次の投稿でご紹介しましょう。(続く)
2013.05.05
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1日より本日まで葬式が立て続けに2件ありました。投稿を楽しみにされていた方にはすみませんでした。亡くなった人は二人とも90代の方でした。二人とも老人ホームや病院に入院されていました。ここ4、5年は寝たきりの植物人間のような状態でした。介護する家族も本人も大変きつかっただろうと思います。平均寿命が伸びたといっても、こんな人が多くてはとても喜ぶことはできません。私はこんな死に方はしたくないと思いました。精神的にも肉体的にも健康で、3日患ってぽっくりと亡くなることを目指そうと思いました。患ったときは、点滴で栄養剤の補給は絶対にやめてもらうように言っておこうと思います。これは患者にとって、苦痛を与えるものです。病院に見舞いに行った時も栄養剤の点滴が行われていました。さて精神的には何と言っても脳の活性化です。森田理論学習を行ったので、いつも好奇心旺盛です。いろいろ手を出してゆけば、自然に脳は活性化するのではないかと思っています。それと日常茶飯事を丁寧にこなしてゆこうと思います。体の健康は、いつか白血球の顆粒球とリンパ球のバランスということで投稿しましたが、免疫学の権威である安保徹先生、それと石原結實先生の考え方を生活の中に取り入れて、病気になりにくい体づくりを実践しようと思っています。対症療法ではなく、予防医学というのは、森田の考え方そのものだと思っています。
2013.05.04
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さて本題に入りましょう。さて本題1は、自分自身で自己肯定、自己評価を高めること。そのためには、1、神経質の性格特徴の学習をして驚きました。私はずっと神経質性格はどうしようもないダメな性格だと思っていました。実際会社で採用担当の仕事をしていた時、性格診断で神経質性格は一番に落とすことといわれていました。でも森田理論の神経質性格の両面性を学習してみると、神経質性格ほどはぐくみあいのある性格はないと思うようになりました。これを理解すると自分もまんざら悪いところばかりではないと認識できるようになります。ぜひ性格特徴を学習して自分を再評価してください。2、趣味、目標、専門分野を持つ。趣味や大きな目標を持って生活すると、苦しいときの自分を救ってくれます。ぜひ、趣味や大きな目標を持ってもらいたいと思います。好奇心にそっていろいろと手を出していると、きっと見つかると思います。私もそうして、試行錯誤をしているうちに生涯にわたる趣味や目標を見つけることができました。これを実践すると、意識が内向した状態から外向的に前向きに変化してくるのです。次に高良先生は、10年一つのことに取り組んでいけば、ある程度その道の専門家になれる。そうなれば人間関係は気にならなくなるといわれています。3、今日一日に全力投球をする。生活の発見会の集談会で出会う人で、毎日同じ時間に同じ家事や仕事をするという人がいます。規則正しい生活をしている人です。その家事や仕事は森田先生の言われている「ものそのものになる」という実践を愚直に実践されています。その人の話や行動を見ているといつも感動を受けます。4、温かい、軽い人間関係を出来るだけたくさん築く。コップ一杯の人間関係よりも、コップに少しだけの人間関係をたくさん作るようにしてください。発見会の仲間、趣味の仲間、同級生、親戚、町内会、スポーツなど少し行動を広げれば多くの人と知り合う事ができます。利害関係の強い仕事などの人間関係ばかりだと、つまずいた時すぐに孤立してしまいます。次に本題2は、他人に対して「受容と共感」の態度を身につける。1、感謝をする。またたとえば内観療法を受けてみる。奥さんの誕生日に100の感謝の言葉を額におさめてプレゼントした人がいました。長年連れ添っているとお互いの悪い面が目についてきます。それを口に出していると、とても居心地が悪くなります。内観療法は「相手にしてもらったこと」「相手にしてあげた事」「相手に迷惑をかけたこと」を集中的に自己内省することです。これらは感謝を通じて「受容と共感」力が高まります。2、人の役に立つことをする。生きがい療法の伊丹先生は、人に温かい言葉をかける。ちょっとしたものをプレゼントする。物を貸してあげる。自分の労力を提供する。自分の持っている知恵、情報を提供してあげる。人の話を聞いてあげる。挨拶をする。等々小さいことをいつも探して実行することが大切だといわれています。森田先生も自分がいくら間抜けだといわれようが、人に役に立つことをする態度が大切だといわれています。3、私メッセージの活用。これについてはいろいろと投稿してきました。参考にしてください。「かくあるべし」人間から「事実本位」の態度を身につけるためには必須です。以上きわめて簡単ですが私が取り組んでいることです。この二つが自分の生活の中で定着してくると、自己否定が少なくなり、他人否定が少なくなります。これは結果として、やむなく足止めしたままの子供の成長の段階を追体験することになり、これらが少しでも身についてくれば、自分の気持ちの変化、生き方の変化が起きてきます。みなさんもぜひ体得してみてください。
2013.05.01
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先に説明した子供の3つの成長段階はもう一度やり直すことはできません。その前提に立ってできることはこれからできることは何か。それは社会適応を拒んでいる問題点を少しだけ減らしてやって、苦しみを軽減して、自立して社会の中で生き抜く力を得ていくことだと思います。全く社会生活から逃避してしまうのではなく、少し適応力をつけていくという事です。完全主義を目指すと、思想の矛盾で苦悩が発生してのたうち回るようになります。少し生き方を緩めてやる、そのスタンスでやっていくと生きていけるという力に変わります。ここで私が大切だと思う事は、次の2点です。まず自分を否定しないで、ありままの自分を認めてゆけるようになること。次に他人に対して、「かくあるべし」を押し付けないで、「受容と共感の態度」で接することができるようになること。なんとか社会から落ちこぼれないで、社会的役割を果たし、自立して生きていくために、森田理論学習から学んだことはこれです。私はこれを生活の中で実践することで、ずいぶん楽になりました。これ以外にもあるかもしれません。それはみなさん自身で整理してみてください。そして私にも教えていただきたいところです。本題に入る前に、私は人の上に立つことは不向きだと思っています。リーダーになったり、会社で部下を持つことは向いてないと思っています。いままでの書いてきたことで分かってもらえると思いますが、その資質がないのです。能力がない事は、努力で補う事はできません。実際管理職になってみて思ったことは、私は注意が自分に向きやすい。人から攻撃された時、いつも弱い相手には攻撃をする。実績の上がらない部下を攻撃していました。恐ろしい上司からはできる限り逃げていました。優れたリーダーを見ていると、その人もしんどいだろうなと思うときに、相手の立場になって考えられる。自分のきついのは横において、親身になって部下を指導したり、励ましたり、とことん付き合う事が出来るのである。どこまでも部下の味方になれるのである。自分を犠牲にするのはあたりまえ、人の喜ぶ姿、成長する姿を見るのが何よりも楽しみだという人が、いい管理職、よきリーダーだと思います。私みたいに自己中心で、自己保身にはならない。私みたいな人がリーダーになったりすると自分もしんどいし、それ以上に相手に迷惑をかけている。これは後から得られる能力ではないと思っている。だからどうにもならないことは手を出さない方がよいと思う。だから、そうゆう立場はなるべく避けている。森田理論学習の先輩にすごい人がいるが、その人ものらりくらりしながら断っているという。同じようなことを考えている人がいるのだなと思った。
2013.05.01
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