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あるところにヤマアラシが2匹いました。その日はとても寒かったので二匹は温まろうと思い、体を寄せ合いました。ところがヤマアラシの身体の表面はするどい針で覆われています。抱き合うとお互いを傷つけてしまい痛くて仕方がありません。二匹は思わず離れました。しかし離れるとどうにも寒いのです。日常生活でも一方が立てば、片方が立たずどうしてよいか分からないことはよくあります。こんな時はどう対処したらよいのでしょうか。こんな時は、森田の精神拮抗作用を応用すると解決します。神経質な人はどちらか一方に考えが偏りがちです。寒いときは痛いのを我慢して、体を寄せ合い暖をとらなければならない。または、お互いを傷つけてはいけないので、寒さは我慢しなければいけない。どちらも○○してはいけないがついています。森田では時と場合に応じて状況はは刻々と変化するという立場をとります。もし痛みよりも寒さが気になれば二匹のヤマアラシは抱き合っていると思います。寒さよりも痛みが気になれば二匹は離れると思います。これは逸話ですが、森田では欲望と不安という単元を学習する時は、精神の拮抗作用、調和、不即不離の学習は重要だと思います。
2013.02.28
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ワンクリック詐欺が社会問題となっています。パソコンや携帯電話、スマートフォンなどでインターネットに接続し、サイトを閲覧していたら、突然、「あなたのご登録が完了しました」「あなたの個体識別番号は×××××です。手続きを完了しました」などと表示されて、料金請求画面がでてきます。そしてその金額を指定日までに支払われないと法的手段に訴えるというものです。巧妙に作られており、実際に自らサイトにアクセスしたことにより料金請求番号がでてきますので、動揺してしまう方が多いようです。また自分の情報が相手に分かっているのではないかとおびえている方もいるようです。実際には何も分かってはいないのです。対処法としては一番いいのは、不安、恐怖でパニックになると思いますが、何もしないでじっとしていることです。ところが、不安や恐怖を取り除こうとして発信元にメールを送って、「私は会員になるつもりはありません」とか、「お金は支払いますから今後連絡はしないでください。」という対応は最悪です。メールをすることにより自分のメールアドレスを相手に知らせてしまうことになります。それこそが相手の思うつぼなのです。その後はどんどんメールなどが送られてきて、地獄をみます。もしそうされた場合は、最寄りの消費生活センター、警察署への届け出ということになると思います。特に神経質な人は不安、恐怖があるとすぐに取り払って、安心したい。安全を確信したいという気持ちになります。これはちょうどケガをしてかさぶたができた時、そのままにしておけばいつの間にか治ってきます。それを治ったかどうか心配で、かさぶたを剥いで傷口を見るようなものです。また、野菜などの苗を植えた時、はたして根付いたかどうか気になって、苗を引き抜いてみるようなものです。不安はとれないばかりか、不安を刺激するのでどんどんそれにとらわれて、身動きができなくなります。不安を抱えながらも、なすべきことをなしていくことは一つの能力だと思います。もしそうゆう能力がないのでしたら、森田理論を学習してその能力を身につけようではありませんか。これは一人では困難だと思いますし、時間がかかります。集談会で先輩の力を借りることでその思いは達成されると思います。ワンクリックサギの例でも自分ひとりで解決しようとすると、間違った対応で問題をこじらせてしまいます。友達に相談してみる、関係機関に相談してみればすぐに適切な助言を得ることができます。自分にできないことは人の力を借りることが大切です。
2013.02.27
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これから勉強しようと思っている矢先に、親から早く勉強しないといわれると、反発して意欲がなくなってしまうことがあります。自分の意志でなく命令や指示、脅しなどによって行動することは苦痛が伴い、拒絶反応があるのではないでしょうか。また親が先回りして子供のやるべきことをやってしまうのは、子供にとっては自立するチャンスを奪われることです。反対にマラソンを完走したり、エベレストの登山に挑戦することはすごく困難が伴いますが、自らすすんで立ち向かっている人からみるととてもやりがいがあるようです。自分で見つけた目的や目標はどんなに困難な状況が待ち構えていても、乗り越えていけるだけのエネルギーが湧いてきます。セブンイレブンでは商品の発注は、オーナーだけではなく高校生にも分担させるそうです。自分なりに売れるという仮説をたてて発注するというのは決して容易なことではありません。それでも発注を任せるというのは次のような理由によります。「人間は責任ある仕事を任せられると、自主的に仕事に取り組むようになります。大切なのは、命令、強制、脅しではなく新しいことに挑戦し、自分は生きていると実感できる場が与えられているということです。」我々神経質者にとってこれから学ぶことは、自分が過去の成功体験に基づいて、「かくあるべし」を子供や他人に強制しても、決して自分の考えているようにはならないということです。「生の欲望」の発揮は自分で目的や目標を見つけ出すということが大切です。我々はそのお手伝いをするだけなのです。途中で意欲が減退し横道にそれた時、元へと戻してあげるような刺激を与えることだけなのです。
2013.02.27
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どこの会社にも「お客様相談室」を設けてフリーダイヤルでクレームを受け付けている。お客様のクレームに対しては、森田理論の感情の法則を知っておくと役に立つ。どんなに大きな怒りの感情でも、ひと山越えておさまってくるという感情の法則1である。「バカ野郎」「どうしてくれるんだ」「責任をとれ」「すぐに謝りに来い」「弁償しろ」「上のものを出せ」そんな時は、「たいへんご不便をかけて申し訳ありません」「大変ご迷惑をおかけしております」とひたすら謝る。「謝ってすむことか」と言われれば、「本当に申し訳ございません。」と謝る。そんなふうに対応して20分ぐらいたつと、相手の怒りは感情の法則1に従って次第にさめてくる。怒りはいつまでも続かないのである。そのうち、「おたくに言ったってしょうがないんだけど」とか、「あんたもクレームばかりで大変だろう」とかいって次第に勢いが鈍ってくる。相手が冷静になったあとに、必要があればお客様との交渉を始めるのがセオリーとなっている。そうしたマニュアルがあるのである。ところがマニュアルを無視しては大変な事故を引き起こす。相手が怒り心頭のとき「そうはおっしゃいますけど、当社の商品はいまだかって・・・」などと反論しようものなら、「なんだお前の態度は。自分の会社の不手際をお客のせいにするのか・・・」などと切り返され、火に油を注ぐ結果となる。この対応は感情の法則4である。注意をこれに集中する時ますます強くなるのである。この感情の法則は自分の不安、恐怖、不快感の対処としてよく理解して、実際に確かめてみることをお勧めします。そして法則ごとに自分の体験を蓄積して自分のものにしてほしいものです。
2013.02.26
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伝説のプロ野球コーチ高畠導宏の観察について2割5分しか打てない選手が普通の練習をしていては、それ以上に伸びることはないといいます。でもきちんとコーチをし、その人に合ったバッティングを身につけ、さらに相手ピッチャーの観察をして癖を見抜き、配球を研究してゆけば3割を打てる可能性がでてくるという。たとえば、他チームのピッチャーの過去3試合に、自分のチームの1番から9番まで、一球目はどういう入り方をして、二球目はこう来て、3球目はどう来る。というデーターを集めて細かく分析する。また1塁にランナーがいるときは、その打者にはこう入ってきて、2球目以降はこう投げてくる。ということも観察して分析している。またピッチャーの癖をよく観察していた。ピッチャーにはどんなに隠してもその人の癖が現れる。癖を隠そうとしていないピッチャーの投球を見れば次に投げる球種がたちどころに分かったという。相手チームに、今後脅威になりそうな選手がでてくると、何週間も敵のチームにくっついて移動し、観客席からそのピッチャーを徹底的に観察する。癖や配球、得意玉、性格、ピンチに強いか否か、あらゆることを観察する。そしてそのピッチャーを丸裸にしてしまう。投手の投げる球が分かっていれば、仮に150キロのストレートでも打ち返すことができるそうです。おそるべき観察です。我々も事実をこのように観察する態度を見習いたいものです。
2013.02.25
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「一流選手必ずしも一流監督ならず」とよくいわれます。一流選手は選手時代の成功体験を持っています。自分のやってきたことをそのまま真似をすれば、誰でも一流選手になれると思っています。でも人間一人ひとり違います。能力も筋力も柔軟性も癖も、考え方も性格も違います。その選手の特徴をよく見極めて、適性に合わせた指導をおこなうことが大切です。「俺がこうして成功したんだから、お前たちもこうすべきだ」というのは「かくあるべし」のおしつけになります。また監督の中には、「あいつはどんなに叱っても、私のいうことはすべて受け入れてくれる」と自慢する人がいます。それは考え違いです。どんな選手でもいつも叱られていれば、憂鬱になります。自分を否定されているばかりだからです。こうした「かくあるべし」の指導は最悪です。その選手の自主性の目を摘んでしまうからです。試合には何が何でも勝たないといけないと必要以上にはっぱをかける監督がいます。ある程度の緊張感や戦闘意欲は必要だと思いますが、度を過ぎると、選手が必要以上に緊張したり、固くなってしまい実力の半分も出せないという結果になってしまいます。勝利至上主義という「かくあるべし」は選手たちにとって大変なプレッシャーとなります。本番の試合において、そのプレッシャーのため練習の6割ぐらいしか力を発揮できないとしたら、とても残念なことです。
2013.02.25
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あるマンションでエレベーターの事故がありました。雨の日に突然エレベーターが動かなくなくなったのです。原因はエレベーター機械室の水漏れで、制御盤がダメになったということです。その兆候はすでに半年ぐらい前にあったそうです。機械室の内部に白いカビのようなものがあったということです。また1カ月前の点検時には機械室内部に水がたまっていたことを把握していました。保守会社はそれを受けてせめて制御盤に雨水がかからないように対策を打つべきでしたが放置しました。そしてある雨の日に事件は起きたのです。大きなマンションであったため、防水のシートを天井に取り付けたうえ、制御盤の全面取り換えで5時間後には復旧させました。問題が残りました。100万円を超える高額な取り換え費用です。普通に考えると本来不作為の行為をした保守会社が持つべきものです。しかし保守会社の担当者は、これをマンションの管理組合、つまり居住者に負担させようとしました。隠ぺいを画策したのです。管理組合理事会には、雨漏りのことは伏せて、制御盤の不具合による事故と簡単に報告して費用の捻出の了承を取り付けようとしたのです。ところがある理事さんより、制御盤の耐用年数と前回の取り換え時期の質問がでました。するとあわてたのは保守会社です。つい2、3年前に取り換えていたのです。それからは他の理事さんからも異議で出て理事会は紛糾したということです。ついに保守会社は経過を正直に告白せざるを得なくなりました。結果的には、保守会社の100パーセント過失ということになりました。しかしそれだけではすみませんでした。保守会社は隠ぺいを図ろうとした。信頼できない会社であると結論づけられたのです。こうして信頼は完全に地に落ちたということです。最初から事実をありのままに認めていたらどうでしょう。損害金は当然保守会社が持たなければなりません。それは覚悟しなければなりません。でも事実を認め、素早い謝罪があったとすれば、信頼に足る素晴らしい保守会社として、その後も継続取引は可能ではなかったのではないでしょうか。事実を捻じ曲げることの恐ろしさを感じます。私たちもどんなに嫌な事実であっても、まずは事実を認めるという態度を養いたいものです。
2013.02.25
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日本には「くれない族」が多いという。友達、配偶者、親、子供、役所や国に対して、「○○してくれない」といつも子供のように駄々をこねている人のことをいう。やさしくしてくれない、いったことをしてくれない、親切にしてくれない、こずかいをくれない、生活の面倒をみてくれない、ほしいものを買ってくれない、ほめてくれない、自由にさせてくれないなどである。「くれない族」は自分から積極的にほしいものを手に入れようとすることはしない。いつも人の援助を期待している。自分が困っている時は、周りの人が助けてくれるのが当たり前だと思っている。物質的な豊かさであれ、安全であれ、周りの人が与えてくれて、守ってくれるのが当然だと思っている。そういう生活に慣れてくると、自分の考えているように相手が動いてくれないと、ちょっとしたことでも大きな不満に発展する。そして不平や不満を声高に訴えるようになる。いつも森田でいう「かくあるべし」で相手の「してくれない」という事実を批判的に見ているために不平や不満が絶えないのである。こうゆう考えの人はかわいそうだと思う。こんな人は人間の基本的な食べること、掃除すること、洗濯することなども自分で動こうとせずに他人に依存的になる。そのうえでやりたいことばかり追い求めてゆく生活はどんなにか楽しいだろうと思いますが、他方でどうしようもないむなしさも感じるようになります。その原因ははっきりしています。本来の人間の生き方から外れているからです。人間は日常茶飯事に自ら真剣に取り組むことによって、困難に立ち向かい、いろいろ工夫したりする中で自立して生きていく力を獲得してゆくのです。その努力の過程が森田でいう努力即幸福という状態ではあるまいか。自ら努力を放棄し、他人に依存する生き方に明るい未来はやってこないと思います。
2013.02.24
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事例をあげて説明します。友達が「今度の日曜日,遊びに行ってもいい?」と言ってきた。その時は特に予定はなかったので,「うん。いいよ。」と,よろこんで返事をした。日曜日になった。天気がよかったので,家族は「デパートに買い物に行こう。ほしいものを買ってあげるよ。」と言ったが,私は友達との約束があるので,行きたいけれども行かなかった。家族は,私をおいて,妹や弟をつれて買い物に行ってしまった。友達はなかなかやって来ない。電話をしても通じない。約束の時間から2時間が過ぎた。私はイライラしてきた。やがて家族は大きな買い物袋をさげて楽しそうに帰ってきた。その時,やっと友達が来た。思わず「おそいよ!」と言ってしまった。友達は,「ごめん、ごめん。宿題をしていたら時間がかかってしまって。」と言った。私はこれを聞いてますます腹が立った。たしかに明日(月曜日)出さなければならない宿題はある。でも,私は,それは友達といっしょにするか,夜やろうと思っていた。何よ,自分だけ宿題をして…,電話の一本くらい…,こっちは買い物にも行けずに…,こっちの身にもなってよ…。いろいろな言葉がうかんできた。これをあなたメッセージで対応すると、「約束をやぶるんじゃないよ。勉強をしていただって?自分勝手だよ。そのせいで,こっちは何もできずにいたんだから。」次は私メッセージでの対応例です。「2時間もおくれて来て,私はとてもイライラしていた。だってその間,何もできずにいたんだから。ずっと待っていたんだよ。」「あなたメッセージ」では、自分の考え(かくあるべし)を相手に押しつけています。非難、説教、命令、指示、禁止、叱責、怒りの言葉がでてきます。主語は「あなた」です。ちなみに母親がよく使う「あなたメッセージ」は、「ダメ」「がんばれ」「早くしなさい」だそうです。「私メッセージ」は、私が最初に感じた感情をそのまま相手に伝えます。私はこう感じました。私にはこう見えました。私はこうしてくれたら大変うれしいです。主語は「わたし」です。森田でいう「純な心」です。最初に感じた感情は、恐怖、不安、心配、腹が立つ、悲しさ、うれしさ、嫉妬した、はっとした、びっくりした、イライラした、心細くなったなどです。私の発言によって、相手がどう感じ、どう行動するかは相手に任せることです。私メッセージをご自分の生活の中に取り入れてみてください。他人に対して、○○してはいけない、○○しなさい、○○しなければならないなどの発言が少なくなってきます。集談会で自分の体験を発表し、他人の体験を聞く。その積み重ねが大切です。
2013.02.23
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伝説のプロ野球コーチ高畠導宏コーチは言います。「高めのボールには手を出すなと、監督やコーチがいいますよね。でもこれは最もいってはいけない言葉なんだと分かってきました。なぜならこうゆういい方をすると、意識が逆にその高めにいってしまうからです、○○してはいけない、といわれれば、どうしても意識がそこにいき、そして結果的にいわれたとおりの失敗をしてしまう。」「またピッチャーにここは長打を打たれたらダメだ、気をつけろという言葉も、よく監督やコーチがマウンドに行って口にします。でも、そういわれると、よけいに意識がそこにいって逆に球が死んでしまいます。」「ピッチャーが四球を連発している時でも同じです。真ん中に投げろと、監督やコーチはよくいいますが、実はこれが一番つらいんですね。だって、コントロールが乱れてフォアボールを連発しているのに、真ん中に投げろといわれたって、困るだけです。」「そういう時は、ピッチャーの意識をストライクを投げることから外してあげることが必要なのです。たとえば腕を思い切って振っていこう、そうゆう言い方が大切なのです。」これから学べることは、第一に「かくあらざるべし」を前面に出した指示は、かえってそのことに神経を集中させて間違いを犯してしまうということ。第二に他のことに注意を向けていくことが、とらわれから抜け出すのに有効であるということです。これは神経症の蟻地獄から抜け出すのに、森田理論学習でいわれている事と同じことです。
2013.02.23
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2013年2月の集談会で健康についての面白い話を聞いた。一般に「飲み会のあとのラーメンは太る」といわれるがこれが実験で確かめられたという。学生を2つのグループに分けて同じ食事を食べてもらった。一つは朝食2割、昼食3割、夕食5の割合、もう一つのグループは、朝食5割、昼食3割、夕食2割である。実験の結果夕食が多いグループだけが体重と体脂肪が増えたというのです。これはネズミでも実験されていて、夕食にご馳走を食べさせたネズミは、朝食にだけご馳走を食べさせたネズミに比べて太るという結果がでたそうです。真偽はとにかくこうゆう健康情報が集談会に参加することによってもたらされるということ魅力です。我々神経質者は好奇心旺盛で、こうした情報から生活の中に取入れたり、生活を見直すきっかけとなることがあります。仲間がある趣味を持っていると触発されて自分もそれを試しにやってみることはよくあります。集談会は森田理論学習ばかりではなく、生活情報の交換は自分の生活を変化させて活性化させると思います。
2013.02.23
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シドニーオリンピック女子マラソン優勝の高橋尚子を育てた小出義雄さんは、高橋さんがなぜ強くなったかということについて、長年の監督としての経験から一つ言えることがあるといわれる。「こうすれば強くなれる。今日はこの練習やって、明日はこれをやる。明日の朝はきついけどこれをやるよ。」と指導すると、時にはきついなあと思ったこともあるだろうけれども、自分なりに納得して素直に従ってきた。自分の気持ちは持ちながらも、監督のいうとおりに従ってきたのである。ところが、強くならない子というのは、素晴らしい素質を持っていても、「いや、監督、こんなにやったら疲れちゃいます。」「今日はジョクだけにします。」「私はこうやりたいんです」などといって、練習方法を自分で勝手にきめてしまう。中には私の指導方法についていけないといって辞めてしまう人もいる。実にもったいないことだ。これと同じことを森田先生もおっしゃっていました。納得ができないと思いながらも、森田先生のいうことであるから、しぶしぶでも手をつけてみる。これを柔順という。不従順な人は、「わからない」と断言して、少しも実行してみようとしません。実にもったいないことです。
2013.02.22
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時間を最大限に工夫して活かすことについて考えてみたいと思います。一番気をつけているのはテレビをだらだら見ないということです。私はよい番組は朝新聞でチェックしてハードディスクに録画しています。あとで再生して見るようにしています。するとコマーシャルは飛ばして必要なところだけ見ることができます。ゆったりした時間帯に見ることができるのでよいです。また特にこれはと思うものはDVDに移して保存しています。定番の番組は、題名のない音楽会、情熱大陸、人生の楽園、なんでも鑑定団、ためしてがってんなどです。その他NHKスペシャル、クラッシック番組、報道ステーションなどです。以前は人に歴史あり、プロジェクトXはよく見ていました。反対にほとんど見ないのはクイズ番組、グルメ番組、バラエティ番組です。集談会でお勧めのテレビ番組というのをやりましたが、人それぞれいろんな好みがあるものだなと思いました。
2013.02.22
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森田療法では、神経症とは自分の一番気になることに注意を集中して、精神交互作用によって症状化したものである。一つのことに過度に注意を集中しているのであるから、治療としては一点に集中している注意を、多方面に分散させて、注意の固着が起こらないようにして、自然の流れの中で「無意識化」していく。このようにして、とらわれを「無意識化」してゆくのが森田療法なのです。これに対してフロイトの精神分析学はまるで反対の立場をとる。人間の心の中には本人も気づいていない「無意識の領域」が存在する。これが神経症の発症の原因であるという。「無意識」は、神経症患者の過去の心の心的外傷体験が、これを意識したくない不快な感情であるがゆえに「無意識の領域」に押しやられて抑圧されたものであると考える。人間生活上の欲望、その中でもとりわけ性の欲望を意識すまいと抑圧する気持ちとの葛藤が神経症を生みだしているという。治療として、治療者は神経症者と対話して、抑圧され、無意識化された領域にたどりつき、治療者は神経症患者の抑圧が成立した原因を解明し説明する。このようにして無意識とされた抑圧の意識化を目指すことによって苦悩を消滅させるという。そのようなことがはたして可能なのであろうか。浅学の私にはまったく理解ができない。反対に森田療法の考え方はよく理解できるのである。
2013.02.22
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会社や学校へ行くのが嫌でどうしようもない方もおられると思います。そういう時は、まず目の前の一歩を目標にして手足を動かしてみましょう。イヤイヤでもいいのです。しぶしぶでもいいのです。気分はどんなにすぐれなくても、機械的に体を動かしてみましょう。まず目覚ましがなったら起きてみる。カーテンを開けてみる。今日の天気はどうですか。布団を畳んでみる。押し入れに入れてみる。洗面所に行ってみる。顔を洗ってみる。歯を磨いてみる。ひげを剃ってみる。トイレを済ましてみる。新聞を取りに行ってみる。新聞を読んでみる。服を着替えてみる。ネクタイを選んでみる。朝食の準備をしてみる。朝食をとってみる。持っていくものを確かめてみる。電気やガスの元栓を確かめてみる。玄関にいって靴を履いてみる。玄関を開けてみる。戸締りをしてみる。駅やバス停までいってみる。電車やバスに乗ってみる。所定の駅やバス停で降りてみる。会社まで歩いてみる。タイムカードを押してみる。仕事を始める前までに、小さな、なすべきことがいっぱいありました。症状で苦しいときは、気分本位になってこんな小さな事も出来なくなります。ここまでできたら満点をあげてもいいでしょう。何しろ生活費を稼ぐための入口まではたどりついたのですから。そしてイヤイヤでも仕事に手をつけてみましょう。そのうちいやおうなしにいつの間にか仕事に没頭している自分を発見するかもしれません。
2013.02.22
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広島、阪神で大活躍して2012年に引退した金本知憲さんの本に「覚悟のすすめ」というのがある。これは森田でいう、「自覚」、「事実を認める」ということと同じ意味である。金本さんは広島のドラフト4位で入団。広島で強化選手に指名された事は一度もなかった。2年目は1軍の試合に出られる「40人枠」からも外されていた。こんなエピソードがあった。巨人の桑田真澄投手と対戦したときのこと。ストレートはうなりを上げて伸びてきた。カープはそれこそ頭の上から落ちてくる感じだった。まさしく手も足も出ない。結果は三振。二軍に落とされた。桑田選手とは同年の生まれらしい。にもかかわらず実力は天と地ほどの差があった。そんな時普通は「悔しい」と感じるだろう。「何とか打てるようになってやる」プロの打者ならそう思うはずだ。けれども私にはそんな感情は湧いてこなかった。「プロでやるのは無理だ」素直にそう思った。しかし同時に二年から三年後に地道に力をつけていって注目される選手になろう。今できることを着実にやっていこう。私はこのように「覚悟」を決めた。これが私の原点です。今できることは何か。シーズンオフにも練習しよう。みんなが休んでいるオフに懸命に練習してみんなに追いついてやろうと考えたのである。その当時私に欠けていたのはパワーだった。もっと強い打球を打つためにオフも徹底的にバットを振った。体を大きくするため筋力トレーニングのジムにも毎日通った。食事も改善して、体重も少しずつ増やし、かつ体脂肪を最小限に抑えることで、パワーをアップさせるとともにスピードを失わない身体に変わってきた。こうして3年目は90試合に出場し一軍に定着できるようになったという。こんな場合神経症の人はどう考えるだろう。自分はなんとダメな人間なんだろう。能力がない人間は生きていくことはできない。これは親が悪いのだ。等々。劣等感で注意がどんどん内向的になり、自己否定、自己嫌悪で苦しむようになる。こうなってしまうのは、自分の現状を認めて、受け入れることができないからであると思う。現状、事実を素直に認めてしまうのか、反発してしまうのかはその後の展開がまるっきり反対になってしまうのである。
2013.02.22
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元西武の森監督は、プロ野球の監督は、冷蔵庫にあるものをうまく利用して、組み合わせておいしい料理を作るようなものだといっておられました。こうゆう考え方を基盤にしてチーム作りをしている球団は少ないと思います。強いチーム、常勝軍団を作るためにはとにかく他チームよりも素質があり力のある選手をお金を使って集めることが優先されています。自分のチームが今持っている戦力よりも、もっとよいものが他にあればすぐにそれと取り換えるという考えです。使い捨ての考え方です。大リーグなどはまさにこの考え方です。でもチームのオーナーや監督が、いつもそういう考え方をしていると選手は大変です。いつも戦々恐々としてびくびくしています。いつ自分が首を切られるのかという不安が付きまとうからです。そこには選手を育てる、成長させるということはありません。今現在実力があるかないかだけを求められるのです。こういう考えを推し進めていって、果たしてみる人がプロ野球に愛着を持てるでしょうか。金に物を言わしていると反発する人がでてくるのではないでしょうか。球団は金がかかる。選手は選手寿命が短くなる。プロ野球ファンは釈然としない。一つもよいことがありません。森田理論ではこういう考え方はしません。基本的には現在あるものを徹底的に活かすということです。欠点はそのままにして、長所を活かしていくということです。森監督と一緒です。選手の特徴、その中でも人にはないなにかキラリと光るものを見つけて、それを鍛えてできるだけ伸ばしていこうとするのです。自分の持っているものはほとんど見向きもしないで、人が持っているよさそうなものにばかり目を向ける生き方は今の「自分を否定」して生きていくことにつながります。また他人をもそのように見るということであり、同時に今現在の「他人を否定」して生きることになります。否定するというのは、森田でいう「物の性を尽くす」ということからみると正反対のことです。将来につながるものは見えてきません。
2013.02.21
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増野肇先生は教育というのは、本人が乗り越えられる程度の問題や課題を作って、本人が解決したり、乗り越えたりして自信をつけて人間として成長していくことだといわれています。自発性、自主性、生きる力を身につけていくことが教育の大きな役割となります。そういう意味では、課題や問題点、不安やストレスがあることは結構なことです。ところがそれが過大なものになると心の危機を招いてしまいます。神経症で苦しんでいる状態は、危機の状態です。つまり自分一人では解決できない状態、大変なストレスを抱え、それを解消する手がかりもつかめない状態です。こうしたときは専門家や治癒した経験を持っている人の力を借りることが大変有効です。生活の発見会には森田理論をより深く理解している人がおられます。それらの人の生活ぶりや考え方から学んだり、アドバイスしてもらうことです。いろんな療法がありますが、神経症は森田理論学習が王道だと思います。森田理論は1919年に完成されたといわれています。もう少しで1世紀になります。私の実感では森田の教えは重要な考えが多岐にわたっており、今まで断片的にはみんな学習していましたが、スッキリと理論的に整備してなかったと思います。私も全体像がおぼろげながらわかってきたのが15年から20年たっていました。今学習する人はそのきちんと整理された森田理論学習をすれば2年から3年で自分のものにできると思います。私が苦労してものにしたものを短時間で身につけられるのですから、少し羨ましい気がします。
2013.02.20
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平成7年2月号の発見誌の記事を紹介します。三重野悌次郎さんの書かれたものです。三重野さんは、物事を事実に即して観察し具体的に話すことが大切であるといわれている。我々は自分の見聞きしたことを、あるがままに見て、あるがままに話していると信じている。だが事実は決してそうではない。たとえば、私はいつも失敗するという人に、では最近の失敗がいつ、どのようなことであったか」と聞くとたいていすぐに思いだせない。事実は、何日か何か月か前に一度仕事上の失敗があった。その前にもいつか失敗をしている。ということであって、その後は仕事の失敗も家庭での失敗もない。でも本人は「私はいつも失敗する」と信じているのである。これは一例であるがこのようなことはよくある。一般に「いつも」とか「みんな」とか、「絶対に」とかいうときは、ちょっと立ち止まって「果たしてそうか」と自問する必要がある。ある人は「みんな」の名人であった。「みんなそう言っている」というのが口癖だった。そこで誰が言ったのかと聞くと、親戚の女の人が一人言っただけで、それに自分も賛成だと、みんながいっていることになるのである。このような具体的でない話は、本人の気持ちが入っているということだと思う。つまり「かくあるべし」が含まれているのである。抽象的な話は森田理論で学習する事実本位の生活からどんどん離れていく。具体的に話したからといって、事実のすべてを網羅することはできません。でもそうした心掛けで少しは事実に近づくことができます。
2013.02.20
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会社でイヤな上司、無理難題を押し付けてくる上司はどこにでもいます。部下たちは連れだって居酒屋などで上司の悪口を散々言い合ってストレスを発散させます。また仲の悪い夫婦は相手の欠点や行動の問題点をあげて、お互いにやりあいます。喧嘩をしていいたいことをいうと、その場は少し気分がよくなるような気がするのですが、その後はなんとも気まずい雰囲気が何日も続くことがあります。これを森田理論学習ではどのように考えたらよいのでしようか。私は一つのヒントとして次のように提案いたします。悪口をいう、相手を批判する、バカにする、相手を否定するなどはいうまでもなく、自分の「かくあるべし」を押し付けていることになります。よくないのはみんなよく知っているのです。とはいっても話の流れで、ついついそうした言動はでてくるものです。100歩譲ってそれは仕方ないとしても、ちょっと考えてみたいのです。そのやり方はバランスがとれていますかということです。相手もそういった一面を持っているからこそ、自分がそうした態度をとるのですが、せっかく森田理論の学習をしているのですから、バランスを意識してみましょう。森田では10の欠点や問題点があると、10の長所や賞賛するところがあるといいます。欠点や問題点はすぐに出てきました。長所ははたしてあるのだろうかと思うのが普通でしよう。そこを最初は無理やりにでも結構ですから考えてみましょう。無理にでもバランスをとるようにしてみましょう。悪口や欠点、行動の問題点は次から次へと連鎖してどんどん膨らんでゆきます。それを断ち切って反対のことを考えるのです。1つではなく2つをめどに考えてみてください。2対1ぐらいで何とか調和がとれるぐらいになります。頭にはバランスを整えるということを念頭に置いてください。今までと違う世界が広がってくると思います。
2013.02.19
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倉田百三はいろんな強迫神経症で悩んでいたが、一番は観照の障害だった。これは珍しい症状だ。これは松尾芭蕉を例にとるとよく分かる。「静かさや岩にしみいる蝉の声」という句がある。なんと静かに思えることよ。鳴き声しか聞こえず、かえって静けさがつのるように感じられる蝉の声は、まるで岩々にしみこんでいるかのようだ。芭蕉は自然の中に溶け込み、自然と一体になって心穏やかに、心身が安心しきった幸福の境地を詠んでいる。倉田百三も自然と一体になって、そこに湧きでる感じを作品に投影していくことが作家としての自分の仕事だと考えていた。ところがある日神奈川県藤沢でいつものように夕日を眺めていた時のこと。実に不思議な体験をした。いつも湧きあがってくる夕日と自分との間になんともいえない通じ合う陶酔の気分がまるで湧いてこないのである。夕日の美しさが心に湧きあがってこない。あらゆる手段を用いて、やりくりしてもどうにもならない。反対に、そうしようとすればするほど、夕日の美しさが自分から遠ざかっていくのである。戯曲作家としての自分の将来にかかわる大変な事件だったのである。森田先生は、百三の苦悩のもとは、観照に一番の価値をおいた理想主義にあると見抜いていた。事実に服従しないで、自分に都合のよいように事実をやりくりしようとするその態度に問題がある。しかし森田先生は、思想の矛盾を百三に説明することはしていない。そのかわり、その苦悩を背負って小説を書けとすすめた。百三は、「先生のおっしゃることは分からないではないのですが、感興が自発的に起こりもしないのに文章を書くのは私の良心が許しません。」と訴えた。森田先生は、「書けても書けなくてもいい。ともかくペンを執って原稿用紙に向かいなさい。そうこうしているうちに感興はいくらでもわいてくるものです。」百三は森田先生の命令にしたがい、ほんとうにつらくてきつい思いを持ちながらも原稿用紙の前に座った。こうしてできた小説が「冬鶯」であるが、これが多くの作品の中でも優秀な作品であった。
2013.02.19
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形外会は特高警察の監視を受けていた。ショックな出来事があった。森田先生が逮捕されそうになったのである。ある時森田先生は、「人はすべからく生の欲望に従って生きていかねばならない、人は誰でも死ぬのは恐ろしい。死にたくないのが人間の心である。」「弁士注意」と特高が叫んだ。森田先生は止めない。「この中で一人でも恐ろしくない、と思う人がいますか。いたら手を上げてください。」「弁士警告」特高は顔を真っ赤にして叫んだという。「誰も手を上げないところを見ると、やはり死ぬのは恐ろしい、生きたいからです。」「弁士中止、解散」特高は森田先生を逮捕しようと駆け寄った。幸いなことに形外会の出席者に黒川邦輔大尉、警視庁技師の金子医師、警視日高元次らがいた。なんとか逮捕されずにすんだ。ちなみに井上常七氏が身代わりで出頭している。森田先生は昭和13年4月に亡くなったが、もし太平洋戦争開戦の昭和17年以降生存されていたとすると、ほぼ特高警察によって逮捕監禁されていたであろう。そして山田洋次監督作品「かあべえ」に登場する「とうべい」と同じ運命をたどっていたと思われる。「とうべい」は大学の先生だったが、反戦を唱え獄中死したのである。
2013.02.18
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「ほこ×たて」という番組がある。この番組はどちらも力が拮抗していて、どちらが勝つかわからないという面白味がある。対戦前の話を聞いてみると大変面白い。だいたい自分が負けるとは思っていない人が多い。私はこの番組を見るとき、どちらが「かくあるべし」がより強いだろうという視点で見ている。「絶対に落ちない塗料」と「どんな塗料も落とす」という対戦があった。絶対に落ちない塗料を持ってきた人は、70歳ぐらいの人で自信満々であった。ナノレベルの塗料で小さい隙間に入り込むので絶対に塗料を取り去ることはできないといっていた。目つきはかなり挑戦的で殺気立っていた。どんな塗料もはがすといっていた人も自信ありげだったが、先ほどの人からみるとそれほど殺気立った様子は見えなかった。どちらかといえば挑戦して負けたら潔く負けを認めようとしているように見えた。私は勘で後者にかけた。勝負の結果は、どんな塗料も落とすという方が勝ちました。今回はなんとか当たりました。こういう視点でこの番組を見ると面白い。もしかすると間違っているかもしれないが、「かくあるべし」の強い人は、是が非でも勝ちたいという気持ちが強く、それが反対に作用することもあるのではないのだろうかと感じた次第です。つい思想の矛盾とダブらせてしまいます。
2013.02.17
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ある時クラッシックのコンサートに行った時のことである。特にみんな打ち合わせをしていたわけではないのですが、集談会であう人たちが何人もそのコンサートに来ていたのである。これにはびっくりしました。でも考えてみると我々神経質者は感受性が強く、クラッシック音楽などを聞いて感動できる強い感受性を持っているのではなかろうか。音楽鑑賞だけではなく、絵画鑑賞、俳句や川柳をたしなんでいる人も多い。また社交ダンスや楽器演奏を楽しんだり、盆栽や花作りを楽しんでいる人もいる。神経質者は好奇心旺盛なのに加えて、神経が繊細でこまかいことで心豊かに楽しむことができる素質を持っているように思う。これが神経質者の特徴である。私はさらに、この感受性が豊かであるという特性を、もっともっと鋭く磨いて活かしてゆきたいと思ってきた。その方法があったのである。○○がほしいという欲望を求める気持ちは誰にもあると思うが、それをできるだけ抑えて生活する方法である。欲望をできるだけ我慢したり、押さえる生き方は、感受性が鋭くなるのである。良寛、老子などはそうした生き方である。たとえば、はじめておいしいものを食べれば、こんなおいしいものがあるのかと感動する。しかしたびたび食べていると当たり前になり、感動は少なくなる。そして次にもっとめずらしく、今までと違うおいしいものを求めるようになる。欲望を求めすぎると果てしがなくなる。反対に普段粗食を心がけていると、たまにおいしいものを食べるとすごくおいしいという感じを味わうことができるのである。こうゆう態度で生活していると、感受性はもっともっと鋭くなるだろうと思います。感性が磨かれると我々の特徴はさらに輝きを増してきます。
2013.02.17
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太平洋戦争の撤退の歴史を見ると、国が事実を隠してごまかすことの悲惨さを痛感します。1941(昭和16年)12月日本海軍真珠湾攻撃、太平洋戦争勃発。1942(昭和17年)6月ミッドウェイ海戦で日本海軍惨敗。1943(昭和18年)2月日本軍ガダルカナル島撤退、5月アッツ島日本軍全滅。1944(昭和19年)7月サイパン島日本軍全滅。1945(昭和20年)3月東京大空襲で8万人以上死亡、6月沖縄日本軍全滅、8月広島・長崎に原子爆弾投下される、日本が連合国に無条件降伏する。日本の敗戦のきっかけは「ミッドウェイ作戦」の失敗・敗退から始まります。それからずるずると坂道を転がるように撤退を続けています。軍部はとにかく国民の大戦への意識高揚を高める為に「虚偽の大本営発表」を繰り返しました。つまり負け続けているのに、勝ち続けているかのような発表をおこなっていたのです。事実を認めるのではなく、事実を捻じ曲げて国民をだましていたのです。これ以上の悲劇があるでしょうか。その結果国民は、東京大空襲、沖縄地上戦、広島・長崎への原爆投下という大犠牲を受けたのです。悔やんでも悔やみきれない、取り返しのつかないことをしたのです。その結果、日本人約310万人の人が亡くなりました。普段の生活ではこんなおおきな悲惨な出来事はありません。しかし事実を認めないでやりくりしていると、我々も神経症という苦悩のどん底に陥ることを認識しておきたいものです。
2013.02.16
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本多信一さんが2011年9月号の生活の発見誌に書かれた記事を紹介します。本多さんが小学生のころ、担任のY先生が「実はおれね、学校をやめることになった」といわれたそうです。その先生は、私に輪をかけた超内向型で、生徒の前で話していると、すぐに顔が赤くなってくるんです。赤面恐怖です。それに生徒にじっと見つめられるとうつむいてしまう視線恐怖症も持っていた。父兄会から「Y先生は、赤面恐怖でもあり、子供の視線に耐えられないのだったら、学校をやめてもらいたい。」という要望が出されたというんです。本多さんはその先生に言ったそうです。「先生は内気です。私と同じです。クラスにも何人かそういう子はいますか。」というと「5人はいる」と、その子たちの名前を上げて、君もそうだと思う。本多さんはその先生に言ったそうです。「私のような内気な子は内気な先生を頼りに生きています。もし先生が辞めたら、私たち内気な子は、結局生きていけないと悟ってしまいます。先生を辞めないで、内気な子、神経質な子、緊張型の子供の先生として生きたらいいじゃないですか。」そうしたら先生の顔にぱあっと赤みがさして「そうだ、そうゆう考え方もある」といわれたそうです。神経症を抱えながらも仕事を続けることは苦しいと思います。でもその姿に励まされ、生きる力を得る人もいるのです。
2013.02.15
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他人に対する「かくあるべし」の押し付けは、人間関係の軋轢を生む。子供や親、仕事の仲間、友人などに対して命令、指示、禁止、脅し、説教、非難などで対応することは「かくあるべし」の押しつけであり、決して自分の考えているように相手を動かすことはできない。親業では、親の子供への対応で「かくあるべし」を少なくする方法を3つ提案している。これは森田理論学習で、他人に対して「かくあるべし」を小さくして、良好な人間関係を築いていくために、大変参考になりますのでご紹介します。1、相手が話したことに対して、相手にこうしなさい、ああしなさいという前に、相手の気持ちを私はこう理解しましたと相手に話してみる。相手は間違ってなければ「そうだ」間違っていれば「それは違う」とさらに話を続けてくれるでしょう。2、相手の行動に対して、私がどう感じたかを相手に話す。私メッセージのことです。相手を自分の思い通りにしようとするのではなく、自分の感じたことのみを話して、その後の行動は相手に任せるということです。3、相手の要望や欲望に対して、自分の要望や言い分との調整を図る。相手の要望や欲望を全部飲むわけではない。自分の要求をすべて押し付けるわけでもない。相手と自分の要望の折衷点を探すということです。森田のいう調和をとるということにつながります。分かりにくいので簡単な具体例をあげてみましょう。1の具体例です。学校の先生が子供にたくさん宿題を出した。子供は「できないよ、こんなにたくさん」ブツブツ言って手をつけない。これに対してよくみられるお母さんの対応。「みんなもやっているんだからあなたもやりなさい」「やらなかったら成績下がるわよ」「大した量でもないのに、そんなこと言わないの。怠けることしか考えてないんだから」等等でしょう。これに対して子供は、「うるさいな、分かっているよ。そんなこと。」反発してきます。これでは子供のやる気を起こさせることはできません。親業を勉強したお母さんはたとえば、「先生がたくさん宿題だしてイヤになったんだね。」「あんまり宿題があると、イライラしちって手につかないわよね。」など。こんなふうに子供の気持ちを理解していることを示して、あとは子供に任せました。2の例です。夜勤明けの夫に、実父から至急実家に来てほしいと電話が入った。妻が、急ぐ用事でなかったら少し休んでいった方がいいんじゃない。(あなたメッセージ)夫は、うるさいな。俺が行くんだからほっといてくれ。妻は、そうね。でも一晩中寝てないで車を運転するのは危険だと思うの。事故でも起きたら私や子供たち、とても困るの。(私メッセージ)夫 そうだな。2時間休むからあとで起こしてくれ。3の例です。子供をスーパーに連れていくと、いつも何か買ってくれとせがむ。買ってあげることが多い。でも習慣になるのがこわい。親業で勉強して、子供に次のように提案した。1、 今日だけ買う。あとはお誕生日にも七五三にも買わない。2、 買う日を週一回土曜日とする。3、 買い物についてこない。4、 百円前後のものにする。あとはお祝いのときにする。提案後、子供にどれがよいか決めさせた。2と4を選んだ。子供は自分で土曜日と決めたことに喜び満足していた。私も「今日はどうしようかな」とまよわなくなりスッキリした。
2013.02.14
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伝説のプロ野球コーチの高畠導宏さんは、プロ野球で、さらに人生そのもので伸びる人の共通点を7つあげておられます。1、素直であること2、好奇心旺盛であること3、忍耐力がありあきらめないこと4、準備を怠らないこと5、几帳面であること6、気配りができること7、夢を持ち、目標を高く設定することができるこのうち神経質者は2番、3番はもともと素質として備わっていると思う。1番については、神経質者は人から何かするようにいわれると、いろんな障害を上げてそうはいってもできないと決めつけると全く手をださないことがある。自分はたとえそう思っていても、親や先生に言われた事は仮に試しに手を出してみる素直さが大切である。次に神経質者は神経が細やかで、普通の人が見逃すようなことでもよく気がつく。その気づきを大切にして、事前の準備を完璧にして、また人への気配り、根回しを心がければ4番、5番、6番も達成可能である。そして症状を克服すれば、どこまでも生の欲望を発揮するようになる。自然に7番目を心がけるようになると思う。すると神経質性格を持っている人は高畠コーチのいうような人生そのもので伸びる素質をもっている人であると思う。反対に神経質の素質を活かす方向に向かわないで、一生神経症と格闘する人もいる。毎日が地獄であると思う。脱出できるのは森田理論学習の体得が一番である。
2013.02.13
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高畠導宏さんという伝説のプロ野球コーチがいました。NHKで「フルスイング」というドラマのモデルになった人です。7つの球団で独特の打撃理論と卓越した洞察力を駆使してのべ30人以上のタイトルホルダーを育て上げました。田口壮、藤原満、水上善雄、落合博満、イチロー、袴田英利、西村徳文、高沢秀昭、飯田哲也、小久保裕紀、ジョージ・アリアス、福浦和也、サブロー等も高畠コーチの教え子です。高畠コーチは言います。「コーチの仕事は選手をほめることなんです。ほめてほめてほめまくる。たとえたくさんの欠点が目についても、その選手のよさを探し出してほめまくるのだ。短所を直すより先に長所を伸ばして、そして気がついたらいつの間にか短所が克服されている」「たとえば技術的なことで、その選手のバッティングに、ある欠陥があったとします。しかしピッチャーがボールをリリースするところから、バッターのミートポイントまで距離はわずか約15メートルほどです。その短い距離をボールは0.4秒でやってきます。しかも、プロの威力あるボールが、その間に沈んだり、食い込んできたり、逃げて行ったりするんです。プロ野球とはそうゆう世界です。その中で身体が覚えてしまっている欠点を直そうとしたって、直るものではありません。欠点を直そうとすることは無駄な努力なのです。だから長所を伸ばすんです。欠点を直すのではなく、その選手が他の選手よりすぐれているところを伸ばすことが重要なのです。」私たちは、細かいことによく気がつく、粘り強い、真面目である。完全欲が強い。強い生の欲望を持っています。それらを長所としてとらえなおし活かしてゆきたいものです。
2013.02.12
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無所住心が身についたら、次の段階として変化に対応するということを身につけたいものです。小泉元首相は平成13年の所信表明演説の中で次のように述べています。私は変化を受け入れ、新しい時代に挑戦する勇気こそ、日本の発展の原動力であると確信しています。進化論を唱えたダーウィンは、「この世に生き残るものは、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは変化に対応できる生き物だ」という考えを示したといわれています。森田先生は、「わしは、電車の中で立っているときには、体操のときの休めの姿勢をとっている。つまり両足を開き、片足に全身の重みをかけ、他の方の足は浮かして、その足先で軽く床に触れるようにしている。これは不安定の姿勢であるが、この姿勢でいるときは、浮かした方の足先で鋭敏に体の動揺を感ずることができ、周囲の変化にたいして最も迅速に、しかも適切に反応することができる。それは不安定の姿勢の上に立って、しかも自然の心にしたがい、どこにも固着することがないからだ。」
2013.02.11
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会社に出入りしている職人さんで魚つりの名人がいました。仮にAさんとしておこう。Aさんは、磯釣り中心で、主としてクロダイをよく釣り上げる。クロダイは魚釣りの中でも難しい魚とされている。それは、クロダイそのものが頭がよく、一旦食べたエサをすぐ吐き出して安全を確かめてから、改めて食べるほど用心深いところからきているという。 Aさんに誘われて魚釣りに行った。その時は、釣果が悪かったが、それでも8枚のクロダイを釣り上げた。両隣の人は1枚ずつだった。近くで同じように釣りをしながらどうしてこんなにこんなに差がつくのだろう。そういえば以前、Aさんの作ってくれた仕掛けで、タナゴを10枚ほど釣り上げたことがある。近く釣っていた人は、1枚も釣れなかった。Aさん曰く「仕掛けが大きすぎる。いくらねばっても多分釣れないだろう。」その通りになった。隣の人は、私が銀色に輝くタナゴを釣り上げるたびにうらやましそうに見ていたのである。話を聞けば聞くほど、また釣りの様子を見れば見るほどその奥の深さに感銘をうけるのである。まずAさんは、釣れるポイントを重要視している。誰よりも早く出かけてそのポイントを確保しなければならない。他のつり名人といわれる人とポイントの奪いあいに負けては戦う前に勝負がついたも同然であるという。その日は5時すぎにポイントを確保した。Aさんは釣れる時間帯に休んだり、パンなどを食ったりしているとすごく怒るのである。「釣れる時間はほんの少しだ。その時は寝食を忘れて釣りに集中せよ。それを逃すと次に釣れる保障はないのだから。」また仕草や動作にも手厳しい。素人くさい竿さばきやコマセで竿を汚すのはもってのほかだ。釣れるときにもたもたしてエサをつけているのを見るとイライラするようである。大潮、小潮を見極めて出動するのは釣り人の常識である。Aさんは1年のうちでもいつどこでどんな魚が釣れるか、よく知っているし、他の釣り仲間と絶えず情報交換をしているのである。またここの海底の地形がどうなっているのか、どこで根がかりしやすいか、水深はどれくらいか、クロダイの性質、習性とか、動き回っている範囲など研究に研究を重ねているのである。見たところ学問には縁のなさそうな人であるが、こと魚釣りの本はたくさん持っているそうである。私の道具選びに付き合ってくれた。安くて使いやすい竿を根気よく探してくれた。Aさんは、団子を遠くへ投げるヒシャクは自分に使いやすいように手作りである。仕掛けは狙う魚に応じて、海の状況に応じて常に変えていく。使うハリや、ウキや重りにいたるまで芸が細かいのである。クロダイは特に動くエサがよいという。魚を呼び寄せるコマセは独自に配合して、風味の良いものを作っている。Aさんは投げ釣りは性に合わないという。自分が工夫して作った仕掛けと魚との知恵比べの格闘がないから面白味がないのである。Aさんは、自分の気に入った道具で、最高の仕掛けを作り、クロダイの状況を詳しく知り、そしてなによりも燃えるような情熱をもっていたのである。はた目にはよく分からないが、釣れるには釣れるだけの理由があったのである。そうした姿勢は周りの人に計り知れない好影響を与えている。
2013.02.09
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私は明日生活の発見会の集談会に参加します。待ちに待った1か月に一回の集談会です。私はこれに向けて今日はできるだけ準備をしておきます。集談会に参加して今日もよい学習会だったと思えるかどうかは、家をでる段階で既に決着はついていると思うのです。これは27年間集談会に参加し続けてはっきり言えることです。準備しておけば、2名だけの参加者でも充実感のある勉強会になります。たまには今日はすごい講師が来ると思って期待していっても、その時々ではたしかによい話は聞けます。でも長いスパンで見て、自分の血となり肉になっているかと言えば、大いに疑問があります。それもいいのですが、一番は自分が森田理論学習するという熱意が大事だと思うのです。明日は「自分の健康法」について2分から3分以内でみんなが話すことになっています。まずはこれの準備。それから自己紹介で話す最近の生活ぶりの紹介や感じたことを日記を見て整理しておきます。ここで日記を書いておくと役立ちます。また1カ月に一回の反省になります。はじめてきた人が一人でもおられるときは、症状に陥った過程を具体的に話すようにしていますが、その原稿は何種類もすでに作ってあります。次に、体験交流で話す内容を1つだけ決めます。今月の生活の発見誌や単行本、このプログに書いたものの中から内容を決めてみんなに分かりやすいようにまとめておきます。それから私は集談会運営の世話活動もしているので、それも考えておきます。あと気をつけることは、初回者がいたら、その人には知ったかぶりをして森田の込み入った話は絶対にしないこと。聴くこと、受け入れてあげることを肝に銘じて家を出るようにしています。
2013.02.09
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今日NHKである番組です。お勧めします。3回に分けて放送されましたが、今日2回目の再放送と3回目が放送されます。これはかって一世を風靡した日本の大手家電メーカーが、中国などに押されて倒産してゆく過程を描いたフィクションの物語です。しかしソニーやパナソニックなどの現実を知っているものからすると決してフィクションではなく、ドキュメント物語のように思います。森田との関連では、世界経済が変化流動しているときに、自ら変化対応しないで、旧態依然として過去の栄光にしがみついていることは、破滅を意味するということです。一つのことにとらわれると、身の回りに起きる変化にはとても対応できません。それがいかに神経症という悲劇を生みだしているのかを考えてみてください。話は変わりますが、ノキアという携帯端末の会社があります。今の業績は知りませんが、この会社はもとは木材業の会社だったということです。変化に応じて業態転換したのです。そして一国の経済を左右するほどの会社になったということです。
2013.02.09
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土曜日や日曜日は休日という方も多いと思いますが、注意が必要です。会社や学校に行っている時は症状に振り回され、苦しい気分を休日に一気に解消しようとするのです。パジャマのまま過ごしたり、昼近くまで寝ていたり、外出もしないでテレビを見続けたり、音楽を聴きながらスナック菓子を食べる。規則正しい生活が土曜、日曜で簡単に崩れてしまうのです。森田では「外装整えば、内相自ずから熟す」といいます。気分はどんなにつらくても、形から入るということです。集談会で「くつがそろえば心がそろう」ということを聞きました。形を整えることに力を入れれば、心は変化して流れてゆきます。定時には起床する。歯磨きをする。洗面を済ませる。着替えをする。朝食をとる。新聞をよむ。等いつも毎朝やっていることは、いつもどおりすませる。それはウォーミングアップのようなものです。ウォーミングアップが済めばいよいよ活動開始という態勢になります。もっといいのは普段から土曜、日曜日になすべきことのストックをたくさん作っておくことです。やりやすいところから手をつけてゆくと弾みがついてきます。そのために気のついたことは常にメモする習慣をつけておきたいものです。
2013.02.09
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柔順と盲従は大違いです。20歳の水谷先生が入院中の時、森田先生が、「今ここで三べん回って、わしにおじぎをして見給え」といわれた。女中さんなどみんなが見ている前で、犬のような真似をするのは、いくらなんでも恥ずかしい。しばらくためらったが、私は思い切って、不格好にもぐるぐると三べん回って、先生の前に頭を下げた。森田先生は苦笑いしていわれた。「それは柔順ではなくて、盲従というものだ。君は、わしが言ったことを取り違えている。柔順な人は、自分の心に対しても柔順なものだ。君はいま、こんなことをするのは恥ずかしい、という気持ちが起こっただろう。それが君の正直な気持ちだ。そして、その正直な気持ちを押しつぶすようにして、ええい、やっつけろ、という気でぐるぐるまわりをしただろう。」まったく図星で、返す言葉もない。「こんな場合、ほんとうに柔順な人であったら、困ってもじもじするか、あるいはそいつはどうもとかいって、頭をかくだろう。いくら柔順に実行するといっても、ばかげきったことで、先生の言葉に従う必要はない。」森田先生は意に沿わないながらも、運命に従って力を尽くすことを境遇に柔順といっておられます。盲従というのは意に沿わないのを押し殺してしまうことです。押し殺す必要はないのです。むしろ反発して心の中は煮えかえるような気持を持ったまま、運命に従う。これが大事なのです。これは精神拮抗作用のことを説明しておられます。精神拮抗作用は真ん中ということではありません。どちらか一方に偏ってしまうことがまずいいのです。状況に応じて右へ行ったり左へ行ったりすることがよいのです。
2013.02.09
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ある浄土真宗の住職さんの話。日常生活をほったらかしにして、毎日ゴロゴロして生活している人を畜生(ちくしょう)と言います。ですから野良イヌや野良猫は畜生ではありません。毎日必死に生き抜いております。朝から晩まで食べ物を求め、子育てに走り回っております。盲導犬ともなりますと菩薩の状態にあります。菩薩様とは他の人のために全生涯を捧げ、見返りを一切求めないのです。まさに盲導犬は24時間主人のために動き、給料やボーナスといった報酬を一切求めません。私はこの話を聞いて、三重野悌次郎氏がよく言われていた言葉を思い出しました。人生は雑事の連続である。雑事をおろそかにして人生はない。雑事を丁寧に物そのものになりきる生活の中にこそ人生の生きる意味がある。それが自分の利益だけを考えるのではなく、人の役に立つことを第一に目指す生き方に向かって努力するのが尊いことだと思いました。ちなみにその住職さんがいわれるには、飽きることのない物欲を満たそうとする態度のことを餓鬼(がき)というそうです。また自分ひとりだけがよくなればよいという態度を地獄というそうです。
2013.02.08
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大原健士郎先生はうつと神経症の見分けるポイントは、一つは睡眠だという。うつ病は90パーセント以上が不眠症になります。神経症は必ずしも不眠にはならないんだが、寝つきは悪い。しかし睡眠はたっぷりとっている。ところが、うつ病の人は、寝つきはまあまあだけど、朝早く目覚める人が多い。少し寝たらあとは眠れない。本当の意味の不眠症なんだね。だから、うつ病の人は睡眠薬が必要で、神経症の人は、薬はあまり飲まない方がいいんだね。睡眠薬依存症になるからね。もう一つ、うつ病の人には気分の変調というものがあります。神経症の人は年中グチを言っている。ところが、うつ病の人は気分がガラガラ変わるんだ。気分の日内変動というんだけどね。神経症の人は自殺のことは考えるけれども、自殺はあんまりしない。うつ病の人は、自分は生きていても仕方がないと思うと、すっと自殺に傾斜してゆく。性格も神経症とうつ病では違います。神経症は自己本位で、うつ病の人は他人本位だ。心理テストでもうつ病では憂鬱の度合いが非常に強い。神経症は本当の意味での憂鬱感というものはないんだね。そういった、いろんなことを考えて診断しているんだ。
2013.02.07
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森田先生は、病気を治すのは、その人の人生を全うするためであり、生活ということを離れて病気は何の意味もないといっています。ただ神経症を治すのは意味がないといっているのです。人間というものを考えなくてはいけない。生活というものを考えなくてはいけない。また精神的な症状を理解するには、人間の心理と精神病理との知識というものが基礎にならなければいけない。森田先生の研究態度はそういうところから出発しています。森田先生の森田療法というのは、確かに病気を治すだけのものではありません。人間を治すためです。人間の再教育、認識の誤りの打破、神経質者の人生観の確立という神経症の治癒を乗り越えて大きな視点から考えられていることなのです。他の療法は不安をとりさる、症状をとりさるということだけを目標としています。困難な状況に直面した場合また容易に再発します。森田で治った人は容易に再発しません。その後の人生が変わります。故長谷川洋三氏が亡くなられた時「味わい深い人生」という記事がありました。まさにそうした人生を送ることができるようになります。森田先生が森田療法を完成されたのが1919年といわれています。その理論がもうすぐ1世紀を迎えようとしています。私たちはその学習の恩恵にあずかったことに対して感謝するとともに、何らかの形で次世代に引き継ぎたいと思うのであります。
2013.02.06
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外国人は人と同じだということに悩む。人と違うことを喜ぶという。それに対して日本人は、人と違うことを恐れる。人と同じか、人より少し上ということで安心する。この違いはどう理解したらよいのだろう。外国人は、人と違うのは個性と捉える。長所を持っているととらえている。そして自分にあって他の人にはないものを活かして勝負してゆく。長所をアピールして生きていく。それこそが競争社会で生き延びる道であるという気持ちがある。日本人は、人と比べて劣るところがあると、人からダメ人間扱いされ、社会から見捨てられてしまう。社会から落ちこぼれてしまうと、孤立してしまう。孤立してしまうと人間は生き抜いてゆくことはできない。だから社会から受け入れられることが、人生では一番大事だと思っている。だから人と比べて劣っている、欠点がある、ミスをするなどということは決してあってはならないのである。だからミスは隠す。失敗をするとごまかす。欠点は取り繕うのだが、そういうことをすればするほど、他人に胡散臭がられ、敬遠されるのだが、本人は全く気がついていない。この悪循環を断ち切る道が森田理論の中にあります。そもそも我々は人と比較する時、他人の長所と自分の短所を比べています。これは森田でいう調和、バランスをとるということから考えると片手落ちです。人と比べるのは人間としての宿命のようなものだから、これはどうしようもない。しかし他人の長所と自分の短所を比較するのだったら、反対の面である自分の長所と他人の短所も比較検討すべきだと思います。思考のバランスをとるということです。自分には長所はないと思っておられるかもしれません。森田では10の短所がある人は、必ず10の長所があるといいます。世の中の出来事はすべてバランスがとれているというのです。自分のすぐれた特徴や他人にはなくて自分にはあるものをはっきりとみつけることが大切です。それがはっきりすれば、次には欠点やミスや失敗は大変気になるでしょうが、それにはできるだけ手をつけないで、自分の持っているものや長所をいかに活かしていくかということに全精力を傾けていくこと。一つには神経質の性格特徴で学習しますが、一見ダメなようにみえるこの性格は実は宝の山を持っているようなものです。この性格特徴を活かしていくことです。こうゆう態度を森田理論学習で学んでいってほしいものです。
2013.02.05
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人との交流に強い不安や恐怖心を抱く「社交不安障害」と呼ばれる病気について、治療の課題などを議論する学会が開かれ、「働き盛りの患者が目立ち、仕事への影響が大きい」など、患者の厳しい状況が報告されました。これは札幌市で開かれた「日本不安障害学会」で報告されました。社交不安障害は、「人前で話せない」「会合に参加するのが苦手」など、人との交流に強い不安や恐怖心を抱き、生活に支障が出る病気で、患者数は国内に300万人以上と言われています。学会の中で千葉大学大学院の研究者は「患者を調べたところ、症状が現れる平均年齢は18歳ぐらいだったが、実際に治療を受ける平均年齢は30歳を超えている」と指摘し、「病気ではなく性格の問題、と誤解されて治療が遅れるケースが出てきていることを報告しました。参加した研究者によりますと、患者は働き盛りの人が多く、4割以上が仕事をやめたり休んだりしているということです。このほか学会では、薬による治療だけでなく、カウンセリングを通して考え方や行動を変える治療も効果を挙げていることが報告されました。座長を務めた千葉大学大学院の清水栄司教授は「今、患者に合わせたさまざまな治療法が出てきている。人との交流がうまくできず、おかしいと感じたら早めに相談してほしい」と話しています。 主婦の小林和子さん(31歳・仮名)は子供の頃から内気な性格。優しい夫と出会い子育ても順調にこなしていたが、今年、子供の小学校入学をきっかけにつらい体験をした。くじ引きでPTAの役員が決まったが、最初の集まりで恥ずかしさのあまり顔が紅潮、汗が噴き出て何も話せなかったのだ。小林さんは、それを機にふさぎこみ、やがて近所の人に会うのも不安で外出できなくなった……。杏林大学保健学部の田島治教授は「人から注目を集める場合に強い不安を感じることは誰にでもあり、それを『あがり症』などと呼ぶ。しかし、この主婦の例のように恥ずかしい気持ちが極端に強く、それを避けようとするあまり日常生活にも影響が出る場合を社交不安障害と呼ぶ」と話す。最近の臨床研究でSSRI(選択的セロトニン再取りこみ阻害薬)といううつ病などに使われる薬が有効であることが明らかになったことで注目されるようになった。ここで注目したいのは社会不安障害の患者が日本に300万人いるということである。対人恐怖症の潜在人口を私は10万人とみていたが、はるか多くの人がいるようだ。また、薬物療法、カウンセリングの話は出ているが森田療法の話がまったく出ていないことである。神経質性格の持ち主が、社会不安障害になったとすれば森田療法が一番だと思うのだが、社会の認知度がないというのが残念でならない。
2013.02.04
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森田先生は常に変化に素早く対応する態度を勧めておられる。私が自動車で大学の講義に行くときは、着いたらパッとけって飛び降りるというような気合でいれば、決して自動車酔いはおこらない。僕が自動車に乗るときは、決して両足をそろえてゆったりと乗っているようなことはない。一方の足を前に伸ばし、一方の足を曲げて爪先を立てている。この姿勢は常に不安定の姿勢で、衝突の時なども最も迅速に身構えができ、機敏に変化のできる状態である。これは同時に常にハラハラとして心持になっているものである。神経質者は一般的に変化への対応力がない。変化に対応するよりも、自分の考えに固執して、臨機応変な対応ができないのである。しかし、自分の「かくあるべし」を捨てて、臨機応変な対応は森田理論学習で是非とも身につけてゆきたい。企業にとっては変化に対応できないことは、死活問題となる。1952年(昭和32年)設立されたダイエーは、「よい品をより安く」のモットーのもと、一時は売上高で「三越」を抜いた。ところが2004年(平成16年)産業再生機構に再建をゆだね事実上倒産した。1980年代、イトーヨーカ堂、セブンイレブンジャパンの鈴木敏文社長は消費者の変化を読んでいたという。つまり、それまでの物がない、食べるものがないという時代は、とにかく大量生産で安い商品を十分に供給する。空腹をいやすために安い食品を大量に安く提供するのが小売りの使命であった。ところが80年代は、消費者の求めるものが変化してきた。たとえば空腹を満たすため、冷めたコロッケが大量に並んでいる売り場は敬遠するようになったのである。毎日日替わりで温かく、おいしそうなものが並んでいるようなお店を選ぶようになったのである。そうゆう面でダイエーは変化への対応力が、イトーヨーカ堂などに比べて遅れていたのである。セブンイレブンでは1日3回弁当の中身が変わる。冷夏の夏はおでんが並ぶ。温めた飲物が用意される。肉まんが提供できる。お客様のわがままとも思えるような変化に、自分の事は横に置いて、お客の変化に対応してゆこうという姿勢が貫かれている。変化に対して、自分を対応させようとして常に自己変革している企業と、旧態依然として自己改革に手をつけない企業とでは差が広がるばかりであったのである。私たちはこれに学び変化に素早く対応する力をつけたいと思う。
2013.02.04
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マジックでお絵かきをしていた4歳の娘の話である。しまおうとしたところふたが見つからないのである。いくら探しても見つからない。家族に泣きついた時の家族の対応。まずおばあちゃんの対応。椅子に座って「ないない」と騒いでいる娘を横目に、テーブルの下にもぐって探し始めたのである。いくら探してもない。そして「しようがない。また買ってあげよう。」母親の対応。「探し方が悪いのよ。自分の部屋にあるはずだから、もう一度よく探してみなさい。」しばらくして娘は「探したけどなかった」といって戻ってきた。これはすでに娘なりに散々探してないという結論を出している。その娘が積極的に再び探し出すということはなかったのである。父親の対応。「どこを探したらでてくるかな」探し方自体を娘に考えさせようとした。すると娘はすぐに椅子を下りて探しに行った。5分たち、10分経っても娘は戻ってこない。おもちゃ箱はひっくり返り、部屋中散らかしながら探しまわっていた。娘は自分の部屋からテーブルの間を探せばきっとあるはずだと気がついたのである。でもなかなか見つからない。しかしないはずはないと思っていたであろう娘は探索をやめようとしない。そしてしばらくたってやっと見つけ出した。娘の部屋と食堂の間にあるおばあちゃんの部屋の座卓の下からでてきたのである。発見直後の娘の興奮はしばらく続いた。ついに発見したこと、おばあちゃんの部屋から出てきたことの不思議さを訴えるのである。この話から分かること。本人のやるべきことを取り上げてはいけない。それは本人の見つける楽しみを奪っているからである。またこうしなさい、ああしなさいという指示や叱咤激励はほとんど相手を動かすことにはならない。動いたとしても義務感のようなものである。ところが自分で気づき、発見し、動き出すとそれは大きな力となって自分自身が前進できる。森田理論学習もすぐに投げ出さすに、生涯学習として学習し続けるように、刺激を与える続けることが我々にできる限界であると思う。
2013.02.03
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吉田茂元首相は、政治家になる前は外交官だった。はじめて外国に赴任し、最初の仕事は、電信室で電信を受け取り、それを大使に届ける。ただそれだけの仕事。吉田さんは、「こんなバカげた仕事はもうやめたい」という手紙を、義父の牧野伸顕さんに書いたという。すると牧野さんは、その返信で厳しく吉田さんを叱責した。「何をくだらないことをいっているのだ。お前のやっている仕事は、大使よりも先に電信を見られるではないか。日本から来るもの、世界各国から来るもの、さまざまな内容の電信を見ることができる。一国の行方を左右するものがあるかもしれない。それを見たときに「もし自分が大使だったらどう判断するだろう」と考えることができる。また大使がどう動いたかを見れば、実践的な勉強になるではないか。」これと同じようなことを森田先生も言っています。「形外先生言行録」より、林要一郎氏の話。ある日庭で働いている私を、二階の居間におられた先生が「林君、林君」と呼ばれた。早速二階に上がって、居間に伺うと、先生は床の間にかけられた掛け軸を指さして、これを巻いてしまいなさいとのことである。お指図のままにその幅を巻いて箱に収めた。「それでよろしい」といわれるかと思うとそうではない。「君はあれは誰の筆かみたか」とのお尋ねに私はハッと詰まって黙ってしまった。「だから君は駄目だ、掛け軸を巻けといえば、いわれるままに機械的に巻くだけだ。なぜ巻きながら筆者を見たり絵を見たりしないのか」という先生の言葉がつづいた。ここで森田先生や牧野さんの言いたいことは、物事に取り組む時いわれた事をそのままやるのではなく、もう一歩踏み込んでみなさい。ということである。お使い根性ではだめだといわれているのである。ちょっとしたことだがその後の経過は雲泥の差となってくる。そういう態度になれば、一つのことにこだわっておられなくなり、頭に浮かぶことも、手を出すことも次から次へと芋づる式に流れてゆくのである。その有様は鴨長明の、「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどに浮かぶうたかたはかつ消えかつむすびて久しくとどまることなし」となるのである。自然の流れに沿った生き方は誠に自由でおおらかである。それは自然の流れに同調しているからである。
2013.02.03
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森田は基本的なことを学習することは大切です。その際自己内省しながら学習しないと、身につきません。この部分は自分にとってどうなのかというように、考えながら学習すると森田が早く自分のものになります。もし自分を振り返ってまとめてみたいと思われたら、下記のことを参考にしてまとめてみてください。集談会などでミニ体験発表をして、他の人の感想を聞くとさらによいでしょう。1、あなたはどんなことに「とらわれ」ましたか。 その「とらわれ」が、精神交互作用によって、症状として固着してきた経過を振り返ってみましょう。 そして、精神交互作用を断ち切るために、どんなことをしたらよいかと思いますか。2、あなたの本来の「生の欲望」はどんなものですか。 「生の欲望」を達成するために、あなたはどんな努力をすればよかったかと思われますか。3、あなたの「かくあるべし」(○○しなければいけない。○○してはいけない)は、どんなものがありましたか。4、「かくあるべし」で対応しても、「現実、現状、事実」は必ずしも理想通りにはなりません。(思想の矛盾) 「現実、現状、事実」を軽視すると、神経症の苦しみや苦悩が生まれます。 あなたはどんな苦悩と格闘してきましたか。5、「思想の矛盾」を解消するために、どうすればよいと思われますか。
2013.02.02
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神経質同士は、お互いその心持が分かり、心の底まで見通しているから、お互いその欠点を挙げあって、相手にばかりそれを改良させようとする。グジグジといつまでも、しつこく言い争いをする。神経質の人は気の軽い大まかな人と結婚するのがよい。すると気の軽い人は、あの人はどうせ気難しがり屋だからといって大目に許し、また神経質の方では、どうせあれには、難しいことを言っても分からないといって、あまりやかましくいわなくなる。お互いに許しあうから円満になる。私の知り合いに浪費癖のある人がいた。ほしいものがあれば後先考えずすぐにローンをくむ。妻はそんなことばかり繰り返す夫に対して、反対して止めに入るといいのだが、そこの奥さんはすぐに夫に同調して「買おう買おう」というのである。これでは家計が破たんするのは目に見えている。にらみをきかす妻と結婚しておくべきだった。終にこの夫婦は家も手放し自己破産した。森田先生は「結婚についても、最も大切なことは調和ということである。」といっている。調和というのはバランス、精神拮抗作用のことだが、森田先生は宇宙から説き起こして調和ということを大切にしていた。私も調和というのは森田理論学習中の大事なポイントであると思う。不安と欲望の単元は調和がメインテーマである。森田では生の欲望が強ければ不安が大きいという。神経症で苦しむ人は不安の虜となって苦しむ。生の欲望はほったらかしになる。反対に生の欲望が突っ走るとこれはこれで始末に負えない。人間にはもともと欲望がでてくれば、不安がでてきて、欲望がかってに暴走しないように制御機能としてうまい具合に働くようにできているのである。そういう仕組みが森田理論学習によって分かれば、不安に振り回されることはなくなると思う。ただしこれはかくあるべしに振り回されないときのことであって、強力なかくあるべしに振り回されている時は、そんな悠長なことは言っておれないのである。この関係もおいおい学習して理解してゆきましょう。
2013.02.02
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良寛さんの晩年、三条地方を襲った大地震があった。死者1600人、倒壊家屋1万3000軒、焼失家屋1200軒という記録が残っている。この時良寛さんが山田さんという友人にあてた手紙が残っている。「地震は誠に大変に候。野僧草庵は何事もなく、親類中死者もなく、めでたく存じ候。しかし、災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ」と書いてあったという。この手紙に「逢う」という言葉を使っているが、これは人に逢う、懐かしい人に逢うという場合に使う言葉である。普通自然災害などは損害を被るという意味の「遭う」という言葉を使うはずである。この言葉を普通にとると東日本大震災などで家族をなくし、家を流された人にとってはなにを不謹慎なことをいうのかと思われるでしょう。しかし、良寛さんにとっては自然災害などの事実には、恨んだり泣き言を言わないで素直に受け入れますよという意思表明なのです。これは森田のどんなに理不尽な出来事であっても、事実は事実、受け入れるしかありませんという事と一致します。良寛さんにはいろんなエピソードが残されていますが、今現在の事実に素直に服従するというものばかりなのです。森田理論学習をする者にとってはとても参考になります。
2013.02.02
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生きがい療法でおなじみのすばるクリニック、伊丹先生の主催で心の健康セミナーが開催されます。講師は三聖病院院長、宇佐晋一先生とすばるクリニック院長、伊丹仁朗医師です。聴講ご希望の方は日時 3月20日(祝日 水曜日)13時30分から16時まで会場 岡山国際交流センター2階の国際会議場 岡山駅より西口徒歩3分参加費 無料 定員120名 定員になり次第締め切り申し込み方法 往復はがきににて申し込む1、第5回心の健康セミナー申し込み2、氏名3、住所4、電話、FAX問合せ先 〒710-0253 倉敷市新倉敷駅前2-29 すばるクリニック電話、FAX 086-525-8677
2013.02.01
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機関紙「生活の発見」は、会員になれば毎月月末に送られてきます。現在キャンペーン中です。3月31日までです。入会金4000円が無料になります。会費は1万円です。申し込みは全国に130ほどある集談会の維持会員の署名があればOKです。もし分からないときは、ホームページ「生活の発見会」でご確認ください。
2013.02.01
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学生時代の水谷先生が森田先生に次のような質問をした。森田先生はいつも私に「ともかくも手を出せ」といわれるので、苦しい苦しいと思いながらも、形外会でやる余興の劇の稽古をしました。やってみると案外よくできました。これは「ともかく手を出した」ことになるでしょうか。それに対して森田先生は、ずばり、それは手を出したことにならないといっています。「もし、君が学校の本を読めば、これが手を出すことに相当する。君が本を読まないのは、苦しくて興が乗らないからである。その苦しい中から読むことを「ともかく」というのである。君は実際において、「「ともかく手を出す」べきことには、少しも手を出していないから、稽古も苦しいので、歩いていて苦しくなる原因はここにある。もし、これを逆に、ともかく、読書のほうに出しておれば、おのずから、心が快活になって、勉強もできるし、その余暇に、劇でも、トランプでも、みんな面白くできるようになる」といわれています。これと関連して今月号の「生活の発見」誌の61ページに次のように書いてある。森田療法は作業療法と思われているが全く違う。入院森田療法で行うことは、日常生活で行うことは当たり前のこと、これらの「当たり前のこと」ということに気づき、日常生活に細心を払って工夫し心を向ける。いやいやながらでも、日常茶飯事を丁寧に、ものそのものになって取り組むのがともかくも手を出すということである。自分の好きなことを好きなだけやるというのは、森田ではない。ちょうどネズミが踏み車を回しているようなものである。心しておきたい。
2013.02.01
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森田先生は多くの色紙を残されています。その中に「日々是好日」というのがあります。これは「ひびこれこうじつ」ではなく、「にちにちこれこうじつ」と読みます。中国の雲門禅師の言葉です。これは毎日毎日、悩みがなく、楽しいことばかりでいいことだらけという状態を思い浮かべるかもしれませんが、全く違います。そもそも人間生きている間苦労はつきものです。朝起きて、ルンルン気分で鼻歌を疑いながら、歯を磨き、身支度をし、食事をして悦んで会社に出かけるなんて躁病の人以外は考えられません。普通の人は、仕事は一杯溜っているし、上司は気難しい人だし会社に行きたくないと思いながら起き出す。寒くてイヤだなあと思いながら会社に出かける。つらいけれども仕事をしないと家族を養っていけない。と思いながら生活しているのである。神経症の人はいつも気分よく生活していたい。朝起きた時も、仕事に出かける時もどうも気分が悪い。気分の悪さを取り除いて、気分よく行動したい。その気分に引っ張られて、会社や学校を休んだりしています。そんな状態の中で「日々是好日」とは、今日一日イヤイヤながらでもなすべきことに手をだしてゆく。森田では「努力即幸福」という言葉があります。手をだしたからといっても必ずしも目的や目標が達成できるとは限りません。でも人間が生きていることは、なすべきことに手をだしたかどうかということです。努力したその過程が「好日」となるのです。手をだしてみると難しいと思っていたことがわりとすんなりできたり、反対にあまくみていたことが難しかったりすることが分かります。また失敗することによって、分かってくることもあります。創意工夫が生まれてくることもあります。森田先生がよく例に出される正岡子規は、痛みに常に襲われながらも創作活動は続けていった。これが「日々是好日」ではなかろうか。
2013.02.01
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