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ブルボン小林さんの『ぐっとくる題名』という本を読了しましたので、心覚えを。 ブルボン小林さんって、要するに長嶋有さんのことですな。芥川賞作家の。 で、この本は、まさに小説やら映画やら音楽の題名の中で秀逸なもの、ぐっとくるものについて、それのどこが秀逸なのかを考察した本。題名というのは、小説や映画や音楽の中身を一言で体現しなければならないので、誰しもつける時には悩むものですが、どういう条件が揃うと印象的なものになるか、それを長嶋さんが分析しているわけ。 まず、その狙い目がいいよね! 例えば題名の中の「助詞」の扱いは結構重要で、つげ義春の『無能の人』も、「の」という助詞が効いているので、これが『無能な人』だったら全然ダメ、とか。 あと『天才えりちゃん金魚を食べた』とか、『部屋とYシャツと私』みたいな、二つ(とか三つ)のモノの組合せの妙とか。 『D坂の殺人事件』におけるアルファベットの重要性とかね。これがもし『団子坂の殺人事件』だったら、平凡過ぎてどうしようもないだろうと。 『ツァラトストラかく語りき』みたいな古語の使い方も効果的で、これが『ツァラトストラはこう言った』では、感じが出ない。 あと「いいかけて、やめる」ことで効果をあげるタイトルもある。『光ってみえるもの、あれは』とか、『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』とかね。後者は、女性作家なのに、「あってだな」という男言葉を使っているところもポイント。長嶋有さんご自身の『猛スピードで母は』なんかもこの手法ですな。 あと、萩尾望都の『11人いる!』は、11人の関係性が分らないので、ミステリアスでいいと。まあ、「11人いる!」って言っているんだから、ほんとは10人でいいのに、一人余計だ! ってことなんだろうけど、これが『侵入者は誰だ?』というタイトルだったら、全然面白くない。やっぱり『11人いる!』という驚きの発言そのものをタイトルにしてこそ、というところがあるわけですな。 とまあ、全編なかなか説得力があります。なるほどなあって感じ。 しかも、この文庫は増補版とある通り、ブルボンさんご自身が題名をつける作業に携わった時の経験談が付け加えられていて、その部分も面白いです。 私自身も本を出しますから、自分の本にどういうタイトルを付けるかで悩むことはあります。そして、失敗談もある。タイトルに2つの候補があって、悩んだ末に一方に決めたのだけど、ひょっとしてもう一方の方にした方が良かったのかなあ、と思うこともある。 それだけに、今度、自分の本の題名をつける時に、この本で学んだことを応用しようかなと。 そうした実際的な意味でも、この本、結構参考になりました。教授のおすすめ、です。ぐっとくる題名増補版 [ ブルボン小林 ]価格:648円(税込、送料無料) (2017/2/28時点)
February 28, 2017
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アカデミー賞の授賞式の模様を見ていたのですけど、最後の最後、作品賞の授賞の手違い、アレは酷かったですなあ・・・。『ラ・ラ・ランド』のスタッフは、気の毒でした。天国から地獄に突き落とされるような感じだもんね。『ムーンライト』のスタッフだって、あれじゃ素直に喜べないよね・・・。 ま、一説によると、あの結末はどんでん返し映画専門のM・ナイト・シャマラン監督が司会のジミー・キンメルと一緒に仕組んだ演出らしいけどね。 さてさて、今日のワタクシですが、私が編集を担当している紀要の編集をずーーーーっとやっていて、夜までかかってようやく終わりました~。明日は出版社の方と打ち合わせをしつつ、入稿となります。入稿しちまえば、まあ、こちらの手を離れるわけで、これで一件落着と。 人の論文の編集をしながら、自分の論文もでっち上げていたのですけど、それも漸く脱稿しましたので、ほっと一息というところ。 まだまだ抱えている仕事が二つあるのですけど、あんまり根を詰めてもアレですから、明日辺りは、惜しくも作品賞を逃した『ラ・ラ・ランド』でも見に行こうかな!
February 27, 2017
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私、小説を読むにしても、映画を観るにしても、結構「リアリティ」というものを重視するんです。リアリティがない小説とか映画って、私にはまったく興味が持てないんですな。これはもう、子どもの時からそう。 ただ、私が言う「リアリティ」のあるなしを人に説明すると、かなりの頻度で受け入れられないことが多い。つまり、私と他の人の「リアリティ」についての感覚が、どうもズレているらしいんです。 それがね、ワタクシ的にはどうも納得できない。どうして人は、ワタクシのリアリティ感覚を共有できないのかと。 例えば先日このブログでも紹介しましたが、昨年の話題作『ルーム』は、私にはまったくリアリティがない。あんなゆるゆるな監禁のされ方をして、7年も閉じ込められていたなんて「あーるわーけなーい!」と思っちゃうので、映画自体、まったく評価できない。 だけど、『ホームアローン』で、家族旅行をする時に、一番下の坊やを家に忘れてきてしまう一家の話は、私にはすごくリアリティがあるので、まったく気にならないわけ。ありますよ、大事な人のことを、うっかりスッコーーーンと失念してしまうことは。例えば、Aさんのためにサプライズを仕掛けようとして、友人たちとさんざん打ち合わせしておきながら、肝心のAさんに連絡するのを忘れて、当日、Aさんが来なかったとか。そういうことってあり得ると思うんです。 だから、ここに私にとっての、リアリティの明確な線引きがあるわけですな。 だけど、いつもいつも明確にリアリティのあるなしが分れるわけではない。グレーゾーンもある。 例えば、『超人ハルク』はどう? あれ、通常の状態とハルク状態では、図体の規格がまるで変ってしまうでしょ? その場合、リアルに考えれば、ハルクは下半身も剥き出しになるのではないかと。だから、ハルクがハルクに変身した後もズボンだけは履いていることは、リアリティがないのではないのか? それは私もそう思います。だけど、まさかすっぽんぽんのハルクをスクリーンに出すわけにはいかないでしょ。その辺の大人の事情は私にも理解できるので、「この映画、リアリティないな=つまらないな」とまでは思わない。許せる範囲、っていう感じ。 じゃあ、アレはどう? 『ちびクロサンボ』。 あの小説で、何匹かのトラがグルグル回っているうちにバターになるでしょ? トラバター。で、サンボはそのバターでホットケーキを169枚くらい食べる。 さて、この小説、ワタクシにとってリアリティはあるでしょうか、ないでしょうか? あります。めちゃくちゃ、ある。そりゃ、トラがあんなスピードでグルグル回れば、バターになっちまうでしょうよ。それもすごく美味しいバターに。だから、小さな少年が自分の身長の何倍もの高さに積み上げられたホットケーキを平らげたことも、すごくリアリティがある。 だから、リアルかリアルじゃないか、というのは、物理的な理屈じゃないわけよね。少なくとも、ワタクシにとっては。 この感覚、分かるでしょ? 分らないのかなあ? だから、あり得る話であろうと、あり得ない話であろうと、リアリティというのは作れるということですな。 だからこそ、リアリティを作れない作品っていうものを、私は評価しないわけ。リアリティは、作品の基本よ。 ま、どうでもいいことですけれども、あまりにも私の「リアリティ基準」が人に受け容れられないもので、一応、自分として、明確にしておきたかったということなんですけどね。
February 26, 2017
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今日は国立大の前期二次試験。ということで、私も試験監督と採点に駆り出されておりました。 ところで、学期中は同僚の先生方もそれぞれ忙しいので、一緒に外にランチを食べに行く、なんてことはあまりないのですが、入試のような特殊な業務中ですと、割とそういう機会があるものでして。 で、こういうチャンスに、我々は、美味しいレストランを開拓するわけですよ! 例えば、最近開拓したレストランとしては、先日このブログでも紹介した「にほんのうみ」という海鮮料理のお店。これはね、1000円札一枚で新鮮な魚介類が楽しめるという意味で、なかなかの掘り出し物でございました。 で、今日も同僚が3人揃ったので、「じゃあ、新しいレストランにトライしてみるか」ってな話になり、最近出来たハンバーグとオムライスの店に出張った次第。 だ・け・ど・・・。 うーん、これはイマイチだったかな・・・。オムライス単品で税別920円。これにサラダやスープやコーヒーをつけてセットにすると1380円。さらにオムライスの脇にハンバーグをつけるとか、ステーキを付けるなどちょっと贅沢な仕様にすると、たちまち1800円近くになってしまうという。 ランチに1800円、かけないでしょう・・・。いや、かけたっていいけど、少なくともこのお店ではかけたくないな。それほどの味じゃないもん。 ということで、このお店は一回キリ、リピートなしよ。 新しいレストランの開拓は、それほど、難しい事業なのでございます。 さてと、明日も入試業務だけど、明日はまた新しいレストランを試してみますかな・・・。
February 25, 2017
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今朝、目が覚めて、でもまだベッドの中でぐずぐずしていた時に、突然、学会発表の腹案ができちゃった! もう内容も構成も全部一挙に完成しちゃった。 で、発表のタイトルも思いついたのだけど、これが秀逸でさあ。っていうか、この発表タイトルが思いついた時点で、すべて完成したようなもので。 どういうタイトルか、教えて欲しい? 教えてあげなーい。企業秘密だから。 でもね、ラルフ・ウォルドー・エマソンについての発表であることは確実。エマソンなんて、全然専門じゃないのに、でも学会で発表しちゃうっていうね。 だけどエマソンのことを考えながらスタートすると、やっぱり、引き寄せるんだねえ。今日はエマソンを引寄せましたよ。 どういうことかと言いますと、今日、ちょいと用事があって外出した帰り、東山公園というところにある「カフェ・ミエル」というこじゃれたカフェでお茶したんですわ。 でそういうカフェですから、こじゃれた雑誌が色々置いてある。そうしたら、その中に『エマーソン』という雑誌があるじゃないの。 『エマーソン』? 何ソレ? まさか、あのエマソンからのネーミングじゃないよね・・・。 と思ったら、まさにその通りでした。カフェに置いてあったのは2014年4月に出た創刊号だったんですけど、その創刊の辞を読んだら、あのラルフ・ウォルドー・エマソンの哲学に従って生きよう、ということを謳った雑誌だったのよ。 ね。エマソンを引き寄せるって、すごくない? 普通、引き寄せられないでしょ、エマソンなんて。 で、すぐにその場でググったところ、この雑誌、ギャンビットという会社が出していた雑誌で、メイン・キャラクターは木梨則武さん。毎号、木梨さんが表紙を飾るというね。 ただし、3号で終ったみたいだけどね(爆!) でも、とにかく2014年の時点で、エマソンにならう、という趣旨の雑誌が日本で創刊されたということは事実だから。 こういうことが、実は重要なのよ。つまり、自己啓発本についての本を書く時、エマソンのことを書くくだりで、「2014年に『エマーソン』なる雑誌が創刊され・・・」という1行が書けるでしょ。この1行が書けるか書けないかで、面白さが随分変わってくる。結局、本を書くってのは、こういう1行の積み重ねだから。 だから、当然、家に帰ってから『エマーソン』の創刊号、買いましたよ。1円だったけどね。1円の投資で、創刊号の書影も載せられる。 というわけで、今日は一日、エマソンを巡って面白いアイディアが脳裏を駆け巡った一日となったのでした、とさ。Emerson 快適ライフが大人の基本 Vol.2[本/雑誌] / ギャンビット価格:756円(税込、送料別) (2017/2/24時点)
February 24, 2017
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同僚の先生がドバイ旅行をされ、その土産話を聞いたのですけど、ドバイって国は聞きしに勝るところらしいですなあ。 大体、ドバイの人々の平均月収ってどのくらいかご存じ? なんと200万円なんですって! 年収じゃないよ、月収だよ! それも働いて稼ぐお金じゃなくて、不労所得ね。ドバイの人は、基本、働かなくてもそのくらいの収入があるんですと。 で、教育費も医療費もみんなタダ。結婚すれば政府から祝い金が出るし、子供が成人しても、政府から祝い金が出る。 だから、現地の人は働く必要がないので、朝から町をぶらぶらしているだけなんですって。 産油国っていうのは、そういう世界なんですな。 でも、そういうのって、どうなんだろうね。生きるモチベーションとか、全然無くなっちゃうんじゃないかなあ。 一生懸命勉強して、いい大学出て、いい就職して、お金稼いで、いい人生を送ろう、と思うのが日本人でしょうけど、別に勉強しようがしまいが、就職しようがしまいが、月200万円もらえて不自由なく暮らせるなら、別に「人より頑張る」意味がなくなっちゃうよね・・・。 いい身分だな、とは思うけれども、どうなんだろう、そこまで行くと、逆に空しくならないかな。 「頑張って、その頑張った分だけ、いい思いをする」って言う方が、充実した人生になるような気がする。日本人的な貧乏性かも知れないけれども。 まあ、でも、もし今、愛知県で石油が出て、愛知県人には毎月200万円あげる、っていうことになったら・・・ とりあえず、断らないけどね!
February 23, 2017
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今年、うちの大学では8人の先生が定年で退職され、7人の先生が別な理由で退職されるらしいのですが、1年間で15人の方が居なくなるって、結構、大きいですよね・・・。 で、合わせて15人の先生方のための送別会を大学が企画したのですが・・・ なんと! 15人の先生方の中で、この送別会に出席するとお答えになったのはたったの3人! あとの12人の先生方はご欠席と。 ううむ・・・。ある意味すごいな、この状況。っていうか、この送別会、成立してる? してないんじゃない? つまり、長年お勤めになったこの大学を去るに当たって「送別会とか企画されたって、別に、そんなもん出たくもないわ」って思っている先生方が大半だってことでしょ。 実はこの件だけじゃないんですよね。つまり、個々の先生方の大学に対する愛着とか、帰属意識とか、そういうものが無くなっちまったってことですよ。後ろ髪引かれることなど一切なく、さいなら~、後は知らないよ~って感じなんでしょう。 昔はそんなじゃなかったけどなあ・・・。国立大学が法人化してから、もう、殺伐としちゃって、大学らしい自由な雰囲気とか、楽しい雰囲気とか、まったく無くなっちゃった。ほんとに、大学法人化ってのは、罪なことをやったもんですよ。 で、そういうアホなことをやった連中が、ノウノウと天下りやっているんだからなあ。 もう、誰に頼めばいいのかわからないけど、文科省の天下りども、搾り上げてやってください!
February 22, 2017
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名古屋地方にも春一番が吹いたそうで。 春一番って、なんか言葉としていいよね。このどことなく勢いのある言葉を聞くと、ようやく春が来るのが実感できるというか。 さてさて、それはともかく、重本恵津子さんが書かれた『夏の最後の薔薇 詩人尾崎喜八の妻 實子の生涯』という本を読み始めたのですけど、なかなか面白いです。と言っても、まだ読み始めたばかりなので、全貌は分りませんけれども。 この實子(みつこ)さんという方、明治大正時代に人気のあった小説家・水野葉舟の娘さんなんですけど、葉舟というのは、実業家のお金持ちの家の出。だけど、トルストイアンだったので、郊外の不便なところに引っ越して、野菜やなんかを自分で育てつつ小説を書く、という生活を目指すんですな。ところが、志は高くとも、自分では何もやらない人なので、結局、實子さんはじめ、子供や周囲の人が実際には苦労することになる。でまた不幸なことに母親が早くに亡くなったこともあって、實子さんは小学校3年で学業を終え、後は家庭学習をしながら、実際には年端も行かない年齢の時から家の守りを任されるということになってしまう。同年代の友人と言えば、葉舟と同様トルストイアンの江渡狄嶺(てきれい)の娘・不二子くらいなもの。 ところで、葉舟には同じくトルストイアンの親友として高村光太郎がいるんですが、この「高村の小父様」の紹介で、水野家に詩人の尾崎喜八が出入りするようになる。 で、その少し前に悲恋を体験していた尾崎なんですが、水野家に出入りするようになる内、自分より十三歳ほど年少の少女實子が、水野家の家事全般を任されていることを知り、また彼女のことを深く知るにつれ、段々恋愛感情が芽生えていって、彼女が十八になった時にいきなりプロポーズ。かくして二人は結婚することになりましたと。 ま、今の所、その辺までしか読んでないので、この先のことは分りませんが、なんか昔の日本って色んなところがのんびりしてたなあと。 まず社会格差がすごいよね。お金持ちの家とそうでない家の格差がすごい。だから、お金持ちの家は子供にもちゃんとした高度な教育をするし、仮に親と喧嘩して家から放り出されたとしても、元お金持ちの矜持と、受けた教育で何とかやっていける。つまり、家にあるお金の量と、その家全体の知性が比例しているところがあった。 義務教育についてもあまりうるさくなかったらしく、義務教育拒否の手続きをすればそれで済んでしまったというのだからなあ。 つまり、穏やかな貴族社会みたいなものがあったんですな。今の日本みたいに、何でも平等、何でも公平という社会ではなくて。 でまた、そういう格差があるからこそ、お金持ちで知性のある人たちの中で、「いや、こういうのは良くない。もっと貧しい民衆と共にあらねば」的なことを考える若き理想主義者ってのが沢山いて、そいつらがほぼ全員、トルストイに魅了されてしまうというね。 私はねえ、前から不思議に思っていたのよ。何で大正・昭和初期の日本にやたらに「トルストイアン」がいるのかと。原因は、それだね。 だってさ、今みたいに何でも平等の日本に、トルストイアンって、いる? 私は見たことないよ。 っていうか、今、外国の作家に入れあげて、人生変えられちゃう奴って、そもそもいる?? 文学研究者として飯を食っている私がこういうのもなんですが、そんな奴、見たことない。好きで好きで仕方がない、というのはあるだろうけれども、そのために「家を出て、畑を耕そう」とか言う奴は見たことがない。 トルストイについての研究はあるだろうけど、「トルストイアン」についての研究って、あるのかしら。私はむしろそれが知りたいけどね。 ま、まだこの本、途中までしか読んでないんですけど、とにかく、日本のトルストイアンたちの物語に括目していこうと思うのであります。 あと、一つ言い忘れましたけど、この本読んでいると、高村光太郎っていう人のことが確実に好きになります。この人は、いい人みたいね。
February 21, 2017
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二日連続でつまらない映画観ちゃった。 最初に見たのは『デーモン』。日本未公開だそうで、名優アンソニー・ホプキンスが出るっていうので観たのだけど、これがつまらない映画でね。(ネタバレ注意) アメリカの田舎町にブラックウェイというすんごい悪い奴がいて、警察も保安官もお手上げ。で、こいつがある若い娘に嫌がらせを始め、その娘が保安官に相談したら、その保安官からある製材所を紹介される。そこの連中なら、助けてくれるかもしれないと。 実際にはその製材所は、年寄りばっかりで、あまり役に立ちそうにない。だけど、一人だけ、アンソニー・ホプキンス演じるレスターだけは、娘の味方になってくれて、彼と、彼のところに居候みたいになっているちょっと頭のとろい(でも気のいい)若者の二人で、ブラックウェイをやっつける、という話。 事前に、年寄りが悪漢をやっつける話だと聞いていたので、私はてっきりホプキンス率いる製材所のじいちゃんたちが、それぞれの知恵と経験を出し合ってまんまとブラックウェイをはめてしまう、爆笑痛快コメディだと――いわば、おじいちゃん版『ホームアローン』みたいな話なんだろうと――思っていたら、全然違う話でした。 それにしても、いくら田舎町だからといって警察も手出しができないチンピラがいる、なんてリアリティがないし、いくら悪漢だからといって、ホプキンスがあっさりこいつを銃殺してしまって、「死体を山に放っておけば、コヨーテが喰っちゃうから、バレる心配はない」とか言って、一切、おとがめなしっていうのもリアリティがないねえ・・・。普通に考えたら、チンピラも悪いけれども、ホプキンスは殺人者だからね。 で、昨夜観たのが『ルーム』ね。昨年、アカデミー主演女優賞をとった映画。だから、面白いんだろうなと思ったのよ。 ところがさにあらず。(以下、ネタバレ注意) 町の悪い奴が高校生の娘を誘拐し、自宅離れの納屋に7年間閉じ込めて、子どもまで産ませちゃったという設定。で、子供も5歳になってある程度分別がつくようになってきたので、この坊やを使って脱出を図ってみたら、なんと、簡単に脱出できましたと。 だけど、脱出したら脱出したで、マスコミの餌食になるし、留守にしていた7年の間に両親は離婚していたりするし、状況に順応するのが大変で。・・・っていう話。 いやー。私はね、『ルーム』っていうタイトルなんだから、このルーム(=納屋)からいかに脱出するかが焦点の映画なんだろうと思っていたんですわ。母と5歳の息子が知恵を絞って誘拐者を出し抜いて、って言う――いわば、母と息子版『ホームアローン』みたいな映画なんだろうと。最後の最後に脱出して「ワーーイ!」っていう。ところが全然違う話でした。 大体、最初から最後まで暗い、暗い。脱出した後まで暗いんだからどうしようもない。 しかもさ、最初私は、大きなお屋敷の地下室みたいなところに監禁されているのかと思っていたのよ。そしたら、住宅地の真ん中の納屋じゃない。そんなもん、いくらでも脱出できるでしょうよ。悲鳴を上げるなりさあ。よくまあ、7年も閉じ込められていたもんだ。パイプ椅子もあるんだし、天窓のガラスでも破ればいいでしょうに。毎夜、夜中に壁をガンガンやって、近所の住民からのクレームを引き出すとかさあ。 要するに、リアリティがないっ! それに、この映画からあんまり学ぶものがないんだよなあ。大抵の人は、7年間も近所の変態に監禁されたりしないからね。あまりにも特殊な状況下の人間の心理からは、学ぶものがないよ。しかも、リアリティがないから、主人公に共感できない。これでよく、アカデミー賞とったな。 ということで、『デーモン』も『ルーム』も、私の趣味ではとうていなかったのでしたとさ。それにしても、これらに比べると本家『ホームアローン』は面白い映画だったな・・・。家族旅行に行くのに、うっかり下の子を家に置いて行っちゃうっていうのは、これはよくある話、「あるある」だからね!
February 20, 2017
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先日、紀要論文を書き上げちまった、と宣言しましたが、アレは「一応」という前置き付きの話でありまして、あれから毎日、推敲を進めております。 まあね、いつも言うことですけれども、推敲というのは不思議な作業でね。 例えば、書き上げた原稿を推敲するでしょ。そうすると、50か所くらい、直したいところが出てくる。で、その50か所を直してもう一度、プリントアウトする。 で、そのプリントアウトしたものを再度読み直すと、また50か所くらい直したいところが出てくる。 何で? って思うじゃん? だったら、どうして最初に読んだ時に100か所直したいと思わなかったのかって。 まあいいや。とにかくそこでまた50か所直して、もう一度プリントアウトし直すと。で、それをまた読む。 するってーと、また50か所、直したい箇所が見つかるんだなあ! 全然、減らないの。直したい箇所が。この繰り返しだよ。 だけど・・・。 この作業は嫌いじゃない。だって、直す度に、前のよりは良くなることがハッキリしているから。5回書き直せば5回分、10回書き直せば10回分、前のよりは良くなる。そういう性質の作業だから、全然苦にならない。前進が目に見えているからね。目に見える前進なんて、世の中でそうあることじゃないよ。 一方、実は今、別な原稿も書いているのよ。これは、今日、書き始めたばかりだから、苦しい、苦しい。 書き始めで、まだどうなるか分からない文章をひねり出している最中は、苦しいわ。これが一旦、終りまで書いて、そこから削るとか、推敲する、という作業の段階になれば、さっき言ったみたいに楽になるんだけどね。 というわけで、楽しく直したり、苦しみながら書いたりしているわけですけど、苦しい方をしている時は、ついつい気晴らしを求めてしまうのは致し方ないところ。 で、原稿に行き詰る度に本を読むのですけど、今読んでいるのはドナルド・トランプ著『トランプ思考』という本。 これ、なかなか面白いよ。 冒頭、自己啓発本の常に倣って、ラルフ・ウォルドー・エマソンの引用から始まる。ま、それはいいとして、そこからどこに話が進むかというと、スティーヴン・キングなんだよね。スティーヴン・キングのエッセイが見事だ、という話になって、彼の言っていることは、そのままビジネスにも応用できるよ、というオチになっていく。実に説得力があります。 ほれ、アメリカ文学畑のみなさん、読んでおいた方がいいんじゃないの、これ。 その他、どの頁をめくっても、様々な本からの引用や、それについての考察があり、この人が相当の読書家であることは分かる。無論、本当に全部読んだのか、それとも人からのまた聞きなのかはわからないけれども、その本のエッセンスを正しく掴んで、しかもそれを自分のために役立てているのだから大したもの。少なくとも、日々、日本のテレビでトランプはおかしいとか、トランプは狂っているとか、あれこれ批判しているコメンテイターだかタレントだかわからない人たちと比べ、よほど知的で、よほど実人生の経験があり、よほどよく分かっているんじゃないかと思えてきますけど。バカじゃないよ、この人。 というわけで、騙されたと思って読んでご覧なさいな。損することはないよ、多分。トランプ思考 [ ドナルド・J.トランプ ]価格:1404円(税込、送料無料) (2017/2/19時点)
February 19, 2017
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佐藤さとるさんとディック・ブルーナの訃報が相次いで入ってきました。二人とも年齢に不足はないとはいえ、やっぱりちょっと寂しいですね。 まず佐藤さとるさんについてですが、佐藤さとると言えば、『だれも知らない小さな国』。コロボックル物語の著者ですな。 忘れもしない、小学校5年生の時ですよ。その頃、文庫本を読むのが趣味となった私は、自分にも読めそうな文庫本を片端から読破していたのですけど、その時に読んだのが佐藤さとるさんのこの本。確か、講談社文庫だったんじゃないかな。主人公の少年が、妖精のような小さなコロボックル一族と知り合い、彼らと協力しながら彼らの住む山を通る予定の高速道路か何かの工事を妨害し、何とか迂回させるのに成功する、といったような話ではなかったかと。 当時は、ほら、東京オリンピックなんかがあって、その次には日本列島改造論なんかもあって、日本がどんどん現代化していった時代。現代化の旗印の下、森や山がどんどん潰されていった時代。だからこそ、山や森の妖精たちが困っているという設定のファンタジーも、リアリティがあったわけですよ。 それに、大体、アレじゃん。いつの時代だって子供に受ける物語というのは、「他の人には(or 大人には)見えない別世界が、実はある」という設定でしょ。『不思議の国のアリス』しかり、『ナルニア国物語』しかり、『ハリー・ポッター』しかり、『トイ・ストーリー』しかり。自分だけに見える小人がいる、っていう『だれも知らない小さな国』の設定も、だから、めちゃくちゃ子供心に刺さってきたわけですよ。 でまた、そのコロボックルたちを描いた村上勉のイラストがまた素晴らしかったんだ。 さすがに長じてから読み直す本ではなかったですけれども、子供時代に親しんだあの物語の作者が亡くなったと聞いて、ノスタルジックな感じを抱いている私なのであります。だれも知らない小さな国 [ 佐藤暁 ]価格:669円(税込、送料無料) (2017/2/18時点) それからディック・ブルーナ。彼はもちろん、一般的にはミッフィーの作者として知られているんでしょう。昔風に言えば『ちいさなうさこちゃん』ね。 だーけーどー、私は違うのよ。ディック・ブルーナと言えば、メグレ警視ね。 そう、もともとディック・ブルーナは、絵本作家と言うよりも、本の表紙絵を描くイタストレーターだったんですわ。で、特に『メグレ警視』もので名高いジョルジュ・シムノンの本の表紙絵担当者として知られていて、ブルーナの描いたその表紙は素晴らしいんだ。シンプルで、独自のスタイルがあってね。 そして、ブルーナ社という出版社(もちろん、ディックの親父さんの会社ですが)の専属になってから、ブルーナ社のトレードマークとして有名な「ブラック・ベア」というキャラクターを考案する。このブラック・ベアがまた可愛いんだ! 本の表紙絵の研究者たる私にとってディック・ブルーナは、絵本作家というよりは、超優秀なグラフィック・デザイナー、とりわけ本の表紙デザイナーなのよね~。(これ、ブルーナのグラフィック・デザイナーとしての腕を知る上で必読の文献です。) ↓ディック・ブルーナ展(中古)価格:4530円(税込、送料別) (2017/2/18時点) ワタクシ、ブルーナの表紙絵、めちゃくちゃ好きなんだよね。特にブルーナの色の感覚、具体的には「赤・青・黄の原色を巧みに配するセンス」は、ちょっとオランダが生んだ天才建築家、トーマス・ヘリット・リートフェルトを思わせるようなところがあって、素晴らしい。ブルーナとリートフェルトに共通する「シンプル・直線・赤青黄」の3つの要素って、あれはオランダの血なんですかねえ。 そんな大好きなデザイナーであるブルーナが亡くなったことについては、だから、私にはすごくインパクトがあるわけ。ああ、ついに、というね。 ということで、今日は自分に強い印象を与えた二人の人の訃報に接し、いささかおセンチになっているワタクシなのであります。
February 18, 2017
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ちょっと前に岡崎武志さんがブログで褒めていた佐賀純一さんの『浅草博徒一代』という本を読了しましたので、心覚えを。 著者の佐賀さんというのはお医者さんなんですが、その佐賀さんがある時、背中に彫り物のある老人を診察することになるんですな。で、その彫り物もそうですけれども、面構えとか風格とか、これは一筋縄ではいかない人だと目をつけて聞いてみると、かつて浅草で賭場(どば)を開いていた博徒の親分であるという。 で、それが縁で佐賀さんは、この伊地知英治親分のところに往診がてら通い詰め、彼の話す昔話に耳を傾けたんですな、テープを取りながら。そして親分の死後、それをまとめて、いい時代のその筋の人たちの生きざまを、文章で蘇らせたと。 ちなみに、この本は英訳されてアメリカでも評判になり、かのノーベル賞受賞者ボブ・ディラン大先生もすっかりこの本の虜となって、思わずこの本の一節を、無許可で自分の新曲に使っちゃったんですな。それでアメリカでは「盗作じゃないのか」「なぜミスター・サガはディランを訴えないのか」と大騒ぎになったという。 それはまあ、どうでもいいことですが、とにかく、ディラン大先生をも唸らせる内容だった、っつーことですな。 そもそも医者と博徒の親分じゃ、人生の歩みがまるで違う。だけど、まるで違うからこそ、佐賀先生は伊地知親分の人生の中に、自分が生きられなかったもう一つの人生みたいなものを感じたらしいんですわ(そのことはあとがきに書いてある)。だから、親分の話を聞きながら、それを文章に起しながら、まるで自分の過去を振り返っているような錯覚に陥るわけ。そこがね、この聞き書きの迫力のあるところで。 それにしても、やっぱり本物の博徒の話ってのは、面白いのよ。義理と人情の話だからね。それは、今日の暴力団的なアレとはまったく異なる、失われた世界なんだろうけれども、そういう世界で生きている人の話にはね、すごく勉強になるところがあります。 だって、人間的な魅力が無ければ、親分にはなれないんだもの。この親分のためなら命を棄てても惜しくはないと思わせるものが無ければならないわけだし、昔の博徒の親分にはそれがあった。そういうことがこの本を読むと良く分かる。 特に伊地知英治親分の親分、浅草を縄張りにした「出羽屋」の山本修三という人は、ひとかどの人物だったようですなあ。それこそ、会ってみたいような人。だけど、伊地知さんがその山本親分の子分だった時代、ある意味、夢のような時代の描写というのは、痛快な青春映画みたいなのだけれども、そこから段々時代が下って行って、日本も太平洋戦争に突入して、戦後、色々なモラルがひっくり返った時代になると、その筋の世界でも、段々古き良き時代のしきたりなんかが崩れていく。伊地知さんは自分の代で、そういう状況になっていくのを見ていなければならなくなかったわけですから、苦労したんだろうなと。 そういう意味で、この本は日本版『ゴッド・ファーザー2』みたいな感じなんですよ。ヴィトー・コルレオーネの時代と、マイケル・コルレオーネの時代の対比、みたいなね。 ま、こういう渡世の話が嫌いな人というのはいると思いますが、義理・人情の話として見れば、すごく面白い話だと思います。この本、教授のおすすめ! ということで。浅草博徒一代 [ 佐賀純一 ]価格:723円(税込、送料無料) (2017/2/17時点)
February 17, 2017
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今日、帰ろうと思って研究室を出たら、ちょうどお隣さんのイギリス人の同僚R先生とタイミングが同じになりまして。 R先生はバス通勤、私は自家用車なんですけど、そしたらR先生が私に「シャカラクの新車をちょっと見せてくれ」とのたまうので、「あいよ」ってな感じで見せてあげて、ついでにキャンパスのバス停まで乗せていってあげたら大喜びで。 私が愛車をルノー・キャプチャーに変えてから早くも1ヵ月。考えてみればこの間、私のクルマに興味を示したのって、外国人の同僚ばっかりよ。 まず一番最初に反応したのはオーストラリア人のT先生。「大学の駐車場でキャプチャー見たけど、あれはシャカラクのか? スゲー、超カッコいいじゃん!」と。 それからフランス人のF先生も、「シャクさんはフランス車がお好きですなあ! トレビアーン!」と。 ドイツ人のM先生も、「シャカラクはいつもカッコいいクルマに乗るねえ。前にはアルファロメオに乗ってたし」と。 まあ、そう言ってもらえると、悪い気はしないよね! 一方、日本人の同僚には、ほとんど興味を示されないという。若手のF先生なんか、「今度乗せてやるよ」と誘ってやってんのに、「あー、大丈夫です」的な反応しか返ってこないし。 新車買っても、外国人にしか興味を持ってもらえないって、どういうこと? そういう詩が昔、あったよね。「一番寂しい人は、新車を買っても外国人にしか興味を持ってもらえない人です」みたいな。なんだっけ。マリー・ローランサンの「鎮静剤」か。 ま、とにかく、クルマに対する彼我の違いは決して小さくないなと。 ひょっとして、私は実は外人なのかな。違うか。
February 16, 2017
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懸案だった紀要論文、結局、書き上げちゃった。締切を2週間もオーバーしちゃったけど。だけど、私自身が編集長だから、締切超過なんて全然許しちゃう。 っていうか、編集長は何やっても許されるの。何でも。そういうエライ人。 というわけで、一つ懸案の仕事が片付いてスッキリした私、つい、気が大きくなって、ランチに「ローストビーフ丼」食べに行っちゃった。 向かったのは愛知学院大の近くにある「Three Little Pigs」というお店。ここ、多分基本はラーメン屋さんなんだろうけれど、なぜかローストビーフ丼も出すというね。ランチなんか、ラーメン食うか、ローストビーフ丼食うかの二択だから。 ちなみに、実は私、ローストビーフ丼なるものを食べるのは初めてなのよ。だから、多大なる期待を胸に食べ始めたんですけど・・・・・・旨い! 期待にたがわず旨い!! っていうか、期待以上に旨い!!! いやあ、旨いもんだね、ローストビーフ丼。ローストビーフ丼っちゅーもんが基本的に旨いものなのか、それともこの店のローストビーフ丼が特別に旨いのか、その辺は分りませんけど(何せ初めて食べるもので)、とにかく旨い。3匹の子豚ちゃん、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓スリー・リトル・ピッグス というわけで、いい感じでお腹いっぱいなんだけど、さて、紀要関係は大体済んだとして、まだまだ仕事はあるんだよなあ。大きな仕事だけで二つある。両方とも頼まれ仕事なんだけどね。この二つで春休みは終りだな。 なかなか、自分のやりたい仕事だけやっていくっていうアレは、出来ないもんだねえ・・・。
February 15, 2017
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今朝、パソコンを開いてみてまずビックリしたのは、画面が真っ黒になり、おどろおどろしい警告画面になっていたこと。「パソコンを再起動しないでください!」「あなたのパソコンはウィルスに感染しています」「すぐにこの電話番号に電話をしてください」などと、不安をあおり立てるような文言が躍っている。 実は私、昨夜、あるソフトをインストールしたのですが、ひょっとしてあれがトロイの木馬だったか!! 泡を食った私、つい、その電話番号に電話をかけてしまい、変な外人みたいな人に誘導されて、自分のパソコンを外部操作できるようにしちゃったよ! で、結局、高額なアンチ・ウイル・ソフトの売付だということが判明して、すぐ電話を切ったのですが、もう後の祭り。あーあ!! やっちまった!! あーーーーーーー! 私としたことがーーーーーーー! 何であんなインチキ臭いものに騙されるんだーーーーーー!! これをお読みの皆様、今、この手口が流行しているようですから、私の愚行を馬鹿な例として、決してネット詐欺に引っかからないように!! 03-4590-0503 という電話番号はウィンドウズとは関係のない、詐欺師の番号だよーーーー! 警察に通報しよう!!
February 14, 2017
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今日は、昼休みにちょっと大学を抜け、今は老人ホームに入居されている知人を見舞ってきました。 前にお会いしたのは、それこそ半年ほど前のことになってしまいますが、この間、さほど変わられることなく、割とお元気で、私が持参したイチゴ大福と桜餅をおいしそうに召し上がっておられました。 だけど、やっぱりアレですな。老人ホームというところは、いかに設備的に整っていても、何となく侘しいものですな。 こういうのを見ちゃうと、色々考えるわけですよ。例えば私の両親もいい加減いい歳だし、いずれ老々介護が行き詰ったら、父や母をこういうところに入れなければならないのかな、とか。否、親のことばかりではなく、いずれ私自身だって、歳を取ったらこういうところに入ることになるのかな、とか。 思うに、何が侘しいって、人生の最後に、まったく見ず知らずの赤の他人と一緒に過ごさなくてはならないというところですな。これは辛い。 もし出来ることならば、子どもの頃からの親しい友人たち数人、いや、数人が無理なら十数人でもいいけど、そういう友人同士でマンション一棟買っちまって、そこで皆で暮すってのがいいな。たとえそこで死ぬことになったとしたって、何十年もの付き合いの友人たちに見守られてなら、まあ、我慢できるじゃない? 閑話休題。 老人ホームから大学に戻る途中、私が立ち寄ったのは「あじさい堂」という古本屋さん。ここ、そんなに大きなアレじゃないけど、どうしてどうして、なかなかの名店なのよ。 で、今日、そこで私がゲットした古本は4冊。○ヘンリー・ミラー『わが青春のともだち』(徳間書店)1500円○永田東一郎『回想の折口信夫』(アディン書房)1000円○尾崎一枝『父 尾崎士郎』(毎日新聞社)100円○室生朝子『晩年の父 犀星』(講談社)100円 まあ、後の2冊は100円だからゲットしただけですけど、前半の2冊、とりわけヘンリー・ミラーの『わが青春のともだち』は、かなりの掘り出し物ではないかと。翻訳だって、田村隆一と北村太郎だよ。このブログで何度も書いておりますが、ヘンリー・ミラーのエッセイは、私が完全コレクションを目指しているものの一つで、それでいてこの本の存在を知らなかったんですからね。いやあ、これは嬉しい。 やっぱり、あじさい堂って、大した古書店だよね。 ということで、今日は久し振りに知人を見舞えたことと、古本散策の楽しみを味わえたので、なかなかいい日になったのでした。わあ! ヘンリー・ミラーの『わが青春のともだち』、ネットでは7500円だよ! それを1500円でゲットしたんだから、やっぱり掘り出し物だったなあ! ↓【中古】わが青春のともだち (1976年)価格:7538円(税込、送料別) (2017/2/13時点)
February 13, 2017
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パトリシア・キャリントン(他)著、『悩んだら、タッピング』なる本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本は・・・もちろん自己啓発本ではあるのですが、ジャンル的には・・・精神療法系? だけど、キモはタッピングだから、物理療法系? いや、信じる者は救われる、だから、ニューエイジ系? ま、要するに、それらのクロスオーバーって感じかな。 でもね、ちょっと興味はあったんですわ。人体にある「経絡」をトントンと叩くと、人生の悩みの大半は消滅っていうコンセプトにはね。 というのも、ワタクシ、八光流柔術をやっているでしょ。八光流もね、その技の大半は「経絡」がらみだから。相手の経絡を制することで敵を制する。その威力を、実際に体験して知っていますからね。 とはいえ、そもそも「経絡」って分らないか。 「ツボ」っていうのは分かるよね。あれは「ここを押すとどうにかなる」という人体の箇所を点で把握していますよね? 一方、それを点ではなく、線で把握するのが「経絡」って感じかな。 もちろん、血管とか神経とかと違って、ほら、これが経絡だよ、って、指し示すことはできません。だけど、そういう線が様々に交錯しながら人体の中に張り巡らされていると仮定すると、理解できる現象はある。その意味ではツボと同じですな。東洋医学の真髄というか。 で、今日、一部で流行しつつある「タッピング」というのは、この経絡をトントンと軽く叩くことで、様々な人間のトラブルを解消しましょうというものなわけ。 で、『悩んだら、タッピング』の説明によると、人間の万病の元たるストレス、あれは、サラサラと流れている小川の中に突如どーんと崖から巨石が落ちてきたようなものであると。で、流れの中にそんな巨石がどでーんと出現してしまったものだから、川の流れが乱され、迂回したりせざるを得なくなる。この流れの乱れが、結局、身体的/精神的なトラブルとなって、人間を悩ませている。 で、タッピングってのは、この巨石を取り除く作業なんだよ、と。元の小川のせせらぎを復活させる営みなんだよ、と。 じゃ、具体的にはどうやるのかというと、これがまた超カンタン。まず空手チョップ(手刀)がモノに当る部分、すなわち小指の付け根から手首までの側面をトントン。次に眉の上あたりをトントン。目尻をトントン。目の下をトントン。鼻の下をトントン。口の下をトントン。鎖骨の辺りをトントン。脇の下10センチほどのところをトントン。最後に頭頂部をトントン。 タッピング終了~! そんなもんよ。ものの1分で終るじゃん。(本書68-72頁を参照) はい、これであなたの悩みは解消! ・・・ってホントかよ・・・。 実は、これだけじゃあないんだな。タッピング療法では、物理的にトントンすることに加え、アファメーション(宣言)も必要なのね。 お、アファメーション。やっぱり、自己啓発本だねえ。 具体的にどうやるかと申しますと、まずね、悩んでいることの内容を、「~ですが、」という語尾をつけて宣言するの。例えば、「私はアガリ症に悩まされてきましたが、」とかね。「私は、腰痛に悩まされてきましたが、」とか。 で、これに続いて「そのような自分を愛し、受け容れます」とか、「急速に症状が軽くなる状況を選択します」とか、そんな感じで言い切る。それを、経絡トントンをしながらやるの。これで万事OK。 ホントかよ~!! ちなみに、ストレスとか病気だけじゃなくて、何でも効くそうで、経絡トントンでお金持ちにもなれるよ。トントン。私はこれまで金欠病に悩んでいましたが。トントン。100億円の預金を持っている自分を受け入れます。トントントン。これでOK! (あとでこっそりやってみよう・・・。) ちなみに、なぜ経絡トントンとアファメーションで万事うまく行くかっていう説明になると、例によって「宇宙はエネルギーで出来ているから」っていうことを言い出します。量子物理学によると、人間だろうがモノだろうが、万物はエネルギーの流れだと。だから、その流れをサラサラにすれば、すべて上手くいくんだと。 この辺になってくると、いよいよ引き寄せ系自己啓発本と隔てが無くなってくるわけですけれども。 それでも、ここが面白いところなんだけれども、こんな眉唾っぽいことも、実際に人によっては効果が出てしまうところがね、この種の言説が廃れない一番大きな理由でありまして。 例えば人間にとってどうしても我慢できない歯痛の痛み。ああいうのもね、タッピングで解消するらしいよ。 親不知の痛みでどうしようもない人がいる。この時の痛みを10段階で評価して、10だとしましょう。 ところがさっきの経絡トントンを一周して、さあ、痛みのレベルはどうなりました? って聞くと、「3になりました」とかいうことが起こるっていうんだよね。で、じゃあ、もう一周、トントンしてみましょう、とか言って、何回かトントンやると、あーら不思議、痛みが完全に消えて、レベル0になっちゃった、とか。 ホントかよ~!! だけど、まあね、信じる者は救われるからね。やってみて、損はないんじゃないかと。 大体さ、タッピングのいいところは、時間もお金もかからないというところだよね。ツボ(=経絡)をアレするのは同じでも、10万円の壺を買え、とか、そういうのじゃないから。試しにやってみることに、なんの障害もない。 というわけで、経絡トントン、やってみようじゃないの。億万長者の私を、私は受け入れるよ~!悩んだら、タッピング [ パトリシア・キャリントン ]価格:1944円(税込、送料無料) (2017/2/12時点)興味があればこちらも是非! ↓1分間ですべての悩みを解放する! [ ゲアリー・クレイグ ]価格:1944円(税込、送料無料) (2017/2/12時点)
February 12, 2017
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大川慎太郎氏の話題作『不屈の棋士』を読了しましたので、ちょいと心覚えを。 昨年五月、一流棋士がコンピュータ・ソフト「ポナンザ」に二連敗を喫するという前代未聞の出来事は、「もはや人間の棋士はコンピュータ・ソフトに勝てないのではないか」との憶測を生んだわけですが、この将棋界をゆるがした事件をめぐって、当代の棋士たちが何をどう考えているのか。本書はこの件をめぐってのインタビュー集でございます。 ま、私は特に将棋に詳しいというわけでもないのですが、「人間対機械」という、現代人が直面せざるを得ない事態に、トップ棋士たちがどう対処しているのか、ということについては非常に興味があって、読んでしまった次第。 で、実際に読んでみると、まあ、コンピュータ・ソフトの急速な発展にそれぞれの棋士が困惑していること、そして、そうした事態に対し、賛否両論、様々な意見と態度があるんだ、ということが分かります。 ただ、賛成・反対の比率からいうと、賛成というのは、ごく一部のようですな。大半は、反対派、あるいは、反対だけれども時代の流れだから仕方がない、という消極的賛成派。 反対派の主張というのはほぼ一貫しております。一つは、ソフトを活用し、ソフトを使って練習をすると、自分の頭で考えなくなり、結果、棋力が衰える、というもの。 例えば、ある局面で、どういう手を打てばいいか悩む時、ソフトを使えば「こうしたらいいんじゃないの」という手が1秒で提案される。で、確かにそれは妙手だったりするので、棋士側も「なるほど」とか言って採用するわけですけれども、こういう練習をやっていると、自分の頭で考えてないので、ちっとも実力が上らないというのですな。 あと、もう一つの反対意見としては、「自分たちは機械と対戦するために将棋をやっているんじゃない」ということ。例えば、クルマやバイクを使えば、人間は100メートルを5秒ぐらいで走ることができる。だけど、やっぱり人間は自分の足で走って10秒切ることを目指すわけでしょ? バイクを使って、「わーい、ボルトに勝った!」っていう人はいない。だから、これからも将棋差しは、コンピュータ・ソフトがいかに人間の棋士を陵駕しようとも、人間のゲームとして将棋を続けるんだ、というわけ。 なるほど。 一方、少数の賛成派の意見としては、単純に、ソフトが強いなら、その強い奴と闘いたい、というもの。 で、彼らに言わせると、人間の頭というのは習慣に慣れるので、一度定石を学ぶと、それ以外の手を生理的に受け付けなくなる。だからすごく狭い可能性の中で戦ってきた、というわけ。だけど、コンピュータ・ソフトにはそういう慣れがないので、これまで人間が採用しようと考えもしなかったような奇手を使って、それで勝利を納めたりしている。つまり、将棋の可能性というのは、これまで人間が考えていたものよりはるかに大きいのだ、ということをコンピュータが教えてくれたのだと。彼ら賛成派に言わせれば、コンピュータ・ソフトの発達に否定的なベテラン棋士たちは、単に勉強不足なんだろうというわけ。 なるほど。 読んでいくと、賛成派・反対派・中間派、それぞれの言い分に理があるわけですよ。 ただ、困ったことに、この状況が、棋士の間にある種の不信感を生み出しているということがある。 例えばコンピュータ・ソフトを使って勉強をしている棋士は、定石外れの手をバンバン、自信を持って打ってくる。それは、いかにも「ソフトの裏打ちがあるもんね」という感じらしいんですな。それに対して、定石通りに将棋を打てば、まんまと相手の術中にはまってしまうかもしれない。だから、「相手は、ソフトを使って練習しているんだろうか」という疑念が出てきて、反対派の王道の棋風まで崩れてしまうらしいんですな。 あと、一世一代の妙手を打ったとしても、「あれはソフトの示唆だろう」と思われてしまい、人間の手柄にならない、ということもある。そして、その妙手も、たちどころにソフトで解析され、対抗手が編み出されるので、一つの定石がすぐに過去のものとなってしまうらしい。 だから、反対派がどうあがこうとも、既に将棋の世界はソフトに汚染され、以前のような人間の智力を尽くした戦いではなくなってしまった、というところがある。 しかし、機械の出現によって、ある人間の美しい習慣なり仕事なりが、失われていくというのは、歴史の必然であるわけで、たまたま将棋の世界にもついにそれが押し寄せたのだと考えれば、やはりこれも一つの「時代の流れ」として諦めざるを得ない。 今、将棋の世界は、そういう「美しいものが、粉々に失われてつつある」という状況にあって、今を生きる棋士たちは、そういう状況の目撃者にならなければならないという、重い使命を担っているわけなんですな。 うーむ、すごいね。 誰が悪いというわけじゃないんだけれども、そういう巡りあわせになっている今の棋士たちって、ある意味、すごく不幸なんでしょうな。いや、もちろん、僥倖と考えている棋士だって中にはいるわけですが。 ま、とにかく、現代の将棋界の苦悩が、非常によく分かる一冊であることは確か。 ただ一つの救いは、多くの棋士たちが、「それでもまだコンピュータ・ソフトは、羽生さんには勝てないだろう」と思っていること。それほど、羽生さんの将棋というのは、モンスター的なところがあるらしいのですな。 だけど、どうなんでしょうか。コンピュータ・ソフトの進化はあまりにも急速なので、羽生さんなら・・・という希望も、果たしていつまで持つのか。 羽生さんがコンピュータ・ソフトに太刀打ちできなくなった時、将棋界はどうなるのか。ちょっと怖い感じがしますなあ・・・。不屈の棋士 (講談社現代新書)[本/雑誌] / 大川慎太郎/著価格:907円(税込、送料別) (2017/2/11時点)
February 11, 2017
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今日はうちの大学の修士論文の提出締切だったのですが、私が副査として指導してきた院生君、提出が間に合わなかったらしいんですわ。それを今日、メールで本人から知らされてちょっとビックリ。 主査の先生には二日前に「間に合いそうもない」ってことを連絡してたらしいんですけど、何でその時点で私に相談してくれなかったのかなあ。私だったら、絶対に何とかしたのに。 勿論、本当はいけないんですよ。いけないんだけれども、やろうと思えばいくらでもやり方はある。 いざという時、人生が掛かっているような場面であれば、あらゆる手段を使って不可能を可能にする術を案出することも重要な勉強だよ。タフに生きるってことでしょ。本当に息の根を止められるまで、足掻けるだけ足掻くことだって、大切な人生勉強じゃないの。なんでそんなに簡単にあきらめるの。簡単にあきらめてたら、生命力が付かないじゃないの。 わからないなあ、主査の先生の対応が。院生君も、相談する相手を間違えたな。これで就職先もパーだしなあ。 他人事ながら、ちょっと残念なことでございました。
February 10, 2017
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今日も寒かったねえ。今週末は更なる大寒波が襲来するということで、寒いの苦手な私としては辛いところ。 さて、今日の私ですが、研究室にこもって紀要の編集作業に没頭しておりました。今号は第50号の記念号となるので、いつも以上に気合が入っております。それに今号は記念号だけあって投稿も多く、全部で8編かな。だから編集作業もなかなか大変。 だけど、根っからの編集大好き人間のワタクシなので、全然苦にならないという。むしろ楽しくて仕方がないというね。今日も、割と仕事が捗って、一挙に5編くらいの論文の編集作業を終わらせちゃった。 しかし、問題も一つありまして。それは何かと言いますと・・・ 自分自身の原稿が完成していないんでーす!(爆!) でも、まあ、そこが編集長の役得というか、他の先生方には投稿締切を厳しく設定している割に、自分には甘々で済ませちゃうの。で、他の先生方の論文を編集する作業の片手間に、自分の原稿を仕上げる予定。 というわけで、今週末は、自宅にこもって自分の論文仕上げようっと。
February 9, 2017
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今日はうちの科の卒論口頭試験の日。ひと月ほど前に提出された卒論に主査・副査を付け、卒論を書いた学生と面談しながら質疑応答するという奴。 で、私が副査としてついた学生の一人の卒論テーマが「リーダーシップ論」だったんですけど、まあ、面白い卒論ではあったものの、理論的なことに終始し、応用というか、自分なりの考察が少し足りない感じでしたかね。 で、それを副査として読みながら、自分だったらここからもっと面白い方向に発展させるだろうにと。 例えば、「ジャニーズのリーダー論」とかね。 ジャニーズのグループを考えると、「2人組」というのは割と長続きするのよ。キンキ・キッズとかね。タッキー&翼とか。 だけど「3人組」となると、これが超難しくて、3人がそれぞれ全然別な方向に行ってしまうケースが多い。たのきんトリオとか、シブがき隊とか、少年隊とか。V6も、トニセン、カミセン、それぞれ3人組と考えると、個々のメンバーが己の行くべき道を行っちゃっている。 「4人組」は、これは割と上手く行く。フォー・リーヴスとか。 「5人組」は、上手く行く場合と行かない場合に分かれる。うまく行っているのはTOKIOと嵐、逆にうまく行かなくなくなっちゃったのはスマップか。 で、上記3組の「5人組」を比べると、うまく行くのは、リーダー(城島さん・大野さん)が比較的に地味な場合、失敗するのはリーダーが派手、もしくは両雄並び立ってしまう場合(中居さん・木村さん)。これは、ジャニーズ以外でも、例えばドリフターズにも当てはまるので、二枚看板で目立つ加藤さん・志村さんではなく、一歩下がったところにいるいかりやさんがリーダーを務めているから長続きしたのかも。 こう考えて行くと、日本では偶数グループは上手く行く。3人グループはやばい。5人グループは、自分から前に出ない人をリーダーに据えると上手く行く。そんな図式が浮かび上がってくるのではないかと。 ひょっとして、スマップのリーダーが稲垣吾郎だったら・・・。 ま、私だったら、そんな風に面白おかしくリーダーシップ論を進めるけどね。 ってなコメントをしたら、当該の学生さんは結構納得しておりましたっけ。 でも、口から出まかせで上のようなことを言いましたけど、これ、もっと洗練させたら、マジで面白いリーダーシップ論、否、ジャニーズ論になったりして。 私がやっちゃおうかな・・・。
February 8, 2017
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さてさて、今日はこれから名古屋に戻らなくちゃ。 それほど頻繁に実家に帰れるわけでもないので、帰っているうちはできるだけ役に立とうと心掛けているのですけれども、今日は父の飲む薬について、多少なりとも尽力しましたよ。 まあ、後期高齢者なんてのは誰でもそうなのでしょうが、うちの父も嫌というほど薬をもらっております。だけど、朝昼晩と飲む薬もあれば、朝だけとか夜だけのもあり、なかなか面倒くさい。それで父も毎食後、ごそごそと薬を飲みだすのですけれども、時々、「え! それさっきも飲んでたよ!」とか「2錠飲んでいるけど、これって1錠ずつ飲むやつじゃないの?」的なシチュエーションがやたらにある。 というわけで、こういう状況を何とか改善できないかと、ワタクシ、立ち上がりました。 まず100円ショップに行ってですね、色の異なる3つのボックスと、小分けするチャックつきビニール袋をたーくさん買ってきまして。 それで、朝飲む薬ワンセット、昼飲む薬ワンセット、夜飲む薬ワンセットを、それぞれビニール袋に詰め、それをそれぞれボックスに入れたわけ。だから朝は、朝ボックスから朝飲む薬ワンセットが詰まったビニール袋を取り出して、その中に入っている薬を全部飲めばいい、というようにしたわけ。 それを1か月分、朝昼晩用に作ったら、日が暮れました。 だけど、まあ、これで、とりあえずは迷うことなく、服薬できるのではないかと。 しかし、歳をとるということは、これほどまでに薬を飲むことなんだなあと、思いましたねえ・・・。俺もやがて、そうなるのかね? ま、その時はその時だけど、歳はとりたくないもんでございます。
February 7, 2017
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母の誕生日が近いということで、そのお祝いを兼ね、多摩センターにある某ホテルの中国料理店「南園」にて、両親にランチをごちそうしてきました。足がだいぶ弱くなってきた父には、ホテルの駐車場からエレベータを上がればすぐそこにあるという立地が好都合だったもので。 ところで、今日はいい知らせが二つ入りまして、一つは俳句をやっている母の句が、『俳壇』という雑誌の年鑑に掲載されたということ。 もう一つは、河野通和さんという方が最近出版された『言葉はこうして生き残った』という本の最終章で、私の著書を取り上げて紹介してくださっているらしいということ。 ということで、ホテルの帰りに大きな書店に立ち寄り、『俳壇年鑑』と『言葉はこうして生き残った』の二書を購入。無論、母も私もハッピーでございます。二人同時に、他の人から選ばれるなんて、そうそうないことですからね。 ま、とにかく、いい孝行になりました。言葉はこうして生き残った [ 河野通和 ]
February 6, 2017
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今日は2月の第1日曜日。ということで、小学校時代の恩師、山本茂久先生のお墓参りでございます。今年は4人が先生の墓前に集まることができました それにしても、山本先生が亡くなったのは53歳の時で、当時私は18歳でしたけど、あれから35年が経って、とうとう先生が亡くなった時の年齢に追い付いてしまいました。先生は、今の自分の歳の時に亡くなったのか・・・と思うと、一層の感慨がありますな。今の私には、とても死ぬ準備などできていませんが、当時の先生にだって、さすがになかっただろうなと。だとしたら、無念だったでしょうね。今は死ねないって、先生だって思っただろうな・・・。 で、その後、最近近くにできた「ラシェット」という創作洋食のお店に移動し、そこで遅めの昼食をとりながら小学校の同窓4人で小規模な同窓会を開催。といっても、ほぼ毎年、顔を合わせているので、別に旧交を温めるというほどのこともないのですが。 それでも、さすがに寄る年波には抗えず、出て来る話題が「定年」だとか、「年金」だとか、そんな話になってくるというところがちょっと渋い。 あと、この3月に結構大規模な同窓会が計画されているので、その話題も出ましたけど、たまたま今日集まった4人のうちの一人が、この同窓会の実務担当で、同窓生のリストなんかも持っていたりして、それを眺めながら、懐かしい昔の友達や先生方の噂などが飛び交いまして。 でもね、小学校を卒業して40年以上も経つと、いろいろあるようで。 例えば、ある先生はどういう理由だか離婚され、お子さん方は母親の方についたので天涯孤独となり、病気にもなって、今や当時の同僚の先生に後見人になってもらって残り少ない余生を持て余しているのだとか。 あるいは、ある同窓生は気の強い奥さんをもらって尻に敷かれてきたのに飽き飽きしたのか、最近、不倫に走り、それを同窓生に自慢げに話してはドン引きされているのだとか。 あるいはまた、ほんとに出来の悪い子供だったある同窓生が、父親としては妙にいい父親となり、二人の子供を立派に、また素直に育て上げ、子供たちからも大いに信頼されているのだとか。 まあ、そんな感じの噂話を聞いていると、人生っていろいろなんだなと、つくづく思います。ま、私の人生なんざ平凡なもんですけど、まずまず幸せでいいなと。 というわけで、短い時間でしたけれども、山本先生のお墓参りにかこつけて、昔の友達と会うことができて、楽しい時間を過ごすことができたのでした。今日も、いい日だ!
February 5, 2017
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今日は定年を迎えた先輩同僚の最終講義があったので、それを聞きに行ってきました。 この先輩同僚のN先生のご専門はアメリカ文学。つまり、私と同じでありまして、そういう意味でも大先輩。私より3年半ほど前にこの大学に赴任された先生とは、25年のお付き合いということになるのかな? とにかくアカデミックな意味でも人格的な意味でも、尊敬できる先輩でございます。 で、今日の最終講義では、最初にちらっと思い出話をされたのですけども、赴任してからの最初の15年ほど、すなわち大学が国立大学であった時代は素晴らしかったと。研究面でも教育面でも個々の教官に完全に任されていて、自由に好きなことができた。しかし、それが法人化されてからは、あらゆる面で締め付けが厳しくなり、文字通り、地獄の日々であった。まあ、N先生はそうおっしゃっておられましたが、100%同感ですな。 私もこの大学に赴任した時、N先生ではない別な先輩の先生から、「ここでは、ちゃんと研究さえしていれば、自分の好きなように、何をやってもいいんだよ。」と言われ、ああ、大学って素晴らしいところだな、と思ったものですし、実際素晴らしかった。それがね、法人化してからは、もう、本当に・・・ まあ、これ以上言うと愚痴になりますからやめましょう。 とにかく、そんな話から始まったN先生の最終講義は、やがて今先生がなさっている研究のことに話が進んでいきまして。それによると、先生が院生時代からずっと研究対象にされてきたナサニエル・ホーソーンを捨て、キャサリン・マリア・セジウィックという、ホーソーンとほぼ同時代の女性作家の研究に変えるとのこと。セジウィックのことを知れば知るほど、ホーソーンのピューリタニズム的な考え方が狭苦しく感じられるようになり、むしろセジウィックの方に関心が向いてきたというのですな。 そして、それは自分の年齢とも関係があるのだろう、とN先生はおっしゃっておられました。 つまりね、ホーソーンは「人間は罪深い」という考え方ですが、セジウィックはそうじゃなくて、むしろ人間に対して肯定的なところがある。で、N先生も段々歳をとってきて、残りの人生が少なくなってくるに連れ、人生を肯定的に捉えたい、という気になってきたとおっしゃるわけ。 なるほどね・・・。それは、そうかもね。 だから、人生もだいぶ進んでくると、作家に対する好みが変わることもあるってことですな。私が今日、N先生の最終講義を聞いていて、ははーーんと思ったのはここね。ということは、私だっていずれそういう時期を迎えるかも知れないっていうことですからね。 ちょっと勉強になりましたわ。 それにしても、そういうご自身の心境の変化に伴って、また新たな研究対象を発見されたN先生は、ある意味、羨ましいな。 N先生、これからもどうぞお体を大切に、この新たな研究対象を深く深く追求して、また我々後輩に、新たな知見をもたらしてください。楽しみにしていますよ!
February 4, 2017
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今日は節分ですな。ということは、あと2週間くらいすると、春の予感がしてくる頃。毎日寒い日ばかりなので、今年は春の到来が一層待遠しい! で、最近の流行に従いまして、我が家でも今日は「恵方巻き」を食べちゃった。今年は北北西の方角が恵方だそうで、そちらの方を向きながら太巻きをモグモグと。最近の恵方巻きは豪華版なので、結構、美味しいよね。 閑話休題。 研究者ってのは、自分の論文を大学の「リポジトリ」というところに登録して、ネット上で公開しているものなんですが、毎月一度、その論文に対するアクセス記録の報告がありまして。 ま、それを見ると、自分の書いた論文がどのくらい世間の人に検索され、読まれているかが分かるので、一応、励みになったりするわけね。 またアクセス数がきっちり出るので、自分の書いた論文のどれが今、一番人気かってことも分かってしまう。 で、私の場合、ここ1年くらいの間にようやくボチボチと「自己啓発本」についての論考を発表し始めたのですが、最近、これに対するアクセス数がすごいのよ。下手すると、他の論文全部合わせたのと同じくらいのアクセス数が、自己啓発本関係の論文1本に集中している。 は、はーん、ってなもんだ。なるほどね。この路線、結構注目されているじゃないの。 実は今も自己啓発本関連の論文を執筆中なんですけど、これ発表したら、またアクセス数、稼げたりするかも。 いやあ。励みになるねえ! なんか、3週間前のセンター入試の疲れがまだ取れなくて、今一つ体調が悪いのですけれども、ここは一つ気合を入れて、あともう一息、頑張って書き上げちゃおうかな。
February 3, 2017
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ベン・アフレックの映画『ザ・コンサルタント』を観て来ました。以下ネタバレ注意ということでひとつ。 ちなみに、この映画の中でベン・アフレックはクリスチャン・ウルフという会計士を演じるのですけれども、会計士だったら「コンサルタント」じゃなくて「アカウンタント」だよね、と思ったら、原題は「ジ・アカウンタント」でした。邦題もそれで行けばいいのにね。 まあ、それはともかく、ウルフ会計士は、サヴァン症候群的な自閉症なんですな。だから、数学的な才能は飛びぬけているけれども、人付き合いはダメだし、物事を途中で終わらせることが出来ないなど、社会生活を営む上でいくつかの障害がある。だけど、薬の力と自分で編み出した生活ルールによってかろうじて生計を立てている。 で、その生計の立て方ですけれども、表向きは敏腕会計士。しかし裏ではマフィア的な組織のマネーロンダリングなどにも手を貸していて、莫大な収入がある。で、その収入は、かつて自分が少年時代に世話になった自閉症専門の個人病院に寄付して、自分と同じ悩みを抱えた人々の支援をしているわけ。 それに何より、軍人だった父親から自活するためにものすごいスパルタ教育を受けていて、下手なマフィアの殺し屋なんか目じゃないほどの殺戮マシンにもなれるというね。 で、ある時、肉体的欠陥を持った人たちを支援するロボットなどを作る会社に会計士として雇われるのだけれども、どうもその会社では組織的な不正が行われているようで、そのことをウルフは見つけてしまうんですな。しかし、その不正をしたと思しき会社の重役は自殺し、ウルフは解任されてしまう。会社としては、それで一件落着というわけ。 だけど、一度物事を始めたら最後までやらないと気がすまないウルフは、裏に何かあると察知し、その解明を試みるものの、ウルフや彼のアシスタント的な役割をしていた若い女性・デイナは何者かに殺されそうになってしまう。 かくして、ウルフは、デイナを救出しつつ、大企業の不正の大本をさぐり始めのですが、そこで会社に雇われていた暗殺者軍団のトップが、意外な人物であることが判明する・・・。 ・・・的なお話。 で、私のこの映画に対する評価はといいますと・・・ 「77点」でーす。合格。 まあね、この手の話はよくあるわけですよ。例えば近いところで言えばデンゼル・ワシントンが出た『イコライザー』とか。あれは、昼間はホームセンターで働く優秀なサラリーマン、しかし本当のところは世の不正を個人的に糺す必殺仕置き人、という設定。しかも、普段は時計仕掛けのように決まりきった生活をしている、というところもよく似ている。 要するに、よくある「ハリウッド版必殺仕置き人」の一つなわけですな。 結局、人はそういうのにあこがれるんでしょうな。自分もそうだったらかっこいいだろうなと。普段はしがない凡人だけど、本当は悪を一人でやっつけるスーパーマンなんだよ、っていう設定にね。 で、その設定に私もやられて、この始末だよ。77点とか、そこそこの高得点つけちゃったっていう。 でも、アクション映画としてそこそこ爽快だし、JKシモンズみたいにインパクトのある俳優が脇を固めていたり、隣のお姉さん的なアナ・ケンドリックが可愛かったりするので、いいことにしちゃいましょう。払ったお金の分くらいは十分に楽しめる映画ってことで、一応、教授のおすすめ、ということで。
February 2, 2017
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江原啓之さんの書かれた『幸運を引きよせるスピリチュアル・ブック』なる本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 テレビでよく見かける江原さんですが、その著書は今まで読んだことがなかったので、どんな感じなのか、お手並み拝見~、みたいな感じで読み始めたのですけれども、まあね、まともよ、まとも。ごく真っ当なことが書いてあります。江原さん本人は、例えば人のオーラが見えるとか、その種の特殊能力をお持ちのようですが、だからと言ってこの本がそっちの方向にぶっ飛んでいるわけではなく、至極まともなことを仰っております。 で、この本で江原さんが言っている一番肝心なことは何かと言えば、「この世には偶然ってものは一つもない」っていうことですな。すべては必然であると。 だから、自分の人生にいい事があったとしても、逆に悪いことがあったとしても、それらにはすべて、明確な理由がある。 何はともあれ、江原さんの主張の中では、ここが重要よ。理由があるってことは、それに対して反応のしようがあるってことだからね。 まあ、いい事があるっていうのは、誰だって嬉しいし、何も問題がないわけだけど、問題があるとしたら、自分の身に何か悪いことが起こった時ですよね。そうなった時に、さて、どう考えるかと。 江原さん曰く、悪いことが起こったとしたら、それは理由がある。つまり、それを乗り越えることこそが、あなたがこの世に生まれてきた意味であり、使命なのだと。 江原さんの宇宙観からすると、グレートスピリットっていう完璧なスピリットがあって、これはもう「アガリ」なわけなんだけど、まだグレートになりきってないスピリットは、修業しないといけないんですな。だから、この世に生れてきて、その修業をする。 だから、何か嫌なことがあったら、「あ、これが私の修業の機会だったんだ!」って思えばいいわけよ。で、それをいい方向にクリアすれば、それは良い「カルマ」を積んだことになり、一歩、グレートスピリットに近づけたことになると。 しかも非常に頼もしいことに、この世に生れている「私」は、一人じゃないんですと。自分と同じ船に乗って修業をしている「グループ・ソウル」ってのがあってですね、その連中が自分のガイド・スピリットすなわち守護神軍団として、守ってくれているので、このガイド・スピリットの助けを借りたり、励ましてもらったりしながら、人生の宿題を一つずつこなしていけばいい。 だから、困ったことが起きたり、辛いことに対処しなくてはならない時には、心に念じて、自分を守ってくれているガイド・スピリットに御加護を願って祈るわけですよ。すると、ガイド・スピリットの方で、何かヒントをくれる。それは、直観だったり、何か別な形に変ってのメッセージだったりするわけですけど、とにかくそういうメッセージに気付きながら、ことに対処する。そうすると、悪いことにはならないよと。 こういう話、バカバカしいと思う? 私は思わないんだなあ。 もちろん、私とて自分の回りに相棒のガイド・スピリットが本当にいるかどうか、そういうことに確信を抱いているわけじゃないんだけど、そうだったら面白いな、という程度には思うわけ。 で、その上でね、すべてのことには理由があるんだ、だから今直面している問題は、自分に与えられた人生の宿題であって、それをするために生きているんだ、という風に考えたら、それはすごく生き易くなる方法だと思う。 例えば、これは本書に挙がっている例なんだけど、ある人が自分の悪口を言っているということを耳にしたとする。 普通なら、嫌な気持になるだろうし、自分に対して悪口を言っている人のことを憎むでしょう。だけど、江原さんに言わせれば、これは全然ダメな対処法なわけね。 悪口を言われるということは、言われるだけの要素が自分の中にあるからだからね。その要素を取り除くよう努力することが、自分の人生の宿題であって、自分の悪口を言ってくれた人は、「他人の悪口を言う」というカルマを背負ってまで(だって、悪口を言えば、それが自分に返ってきて、自分も悪口を言われてしまうわけだから)、そういう危険を背負ってまで、私の人生の宿題に気付かせてくれたわけでしょう? だったら、その悪口を言った人にむしろ感謝しようという気にもなる(もちろん、難しいだろうけれども)。 すべて物事には理由がある、と考えることによって、同じ悪口に対する対処でも、これだけ代わってくるわけよ。だったら、そう考えるだけの価値はあると思わない? 私はあると思うわけ。だから、江原さんが「スピリチュアル」という概念を通じて言っていることは、基本的に素晴らしいことであろうと思うのよ。 あとね、これもちょっと感心したんだけど、江原さんは「宿命」と「運命」は全く違う、と言っているんです。これもちょっと面白い考え方でね。 例えば、容姿端麗・スタイル抜群に生まれる人もいれば、不細工に生れついちゃう人もいる。これは、それぞれ宿命ですな。だから、自分の努力では変えられない。だけど、その生まれ持っての宿命の中で努力をし、いい方に変えられるものがある。これが「運命」だと。 で、江原さんは学校の比喩を出してくるのだけど、ある学校に入学してそこの生徒になるのを宿命だとすると、同じ制服を着て、同じカリキュラムで教育を受けることになりますよね。それはみんな同じ。 だけど、その学校生活を120%利用して、自分を高めたり、楽しく過ごすのに使うこともできれば、ふてくされて、退屈したまま過ごすことも出来る。それは、一人一人の生徒の心がけ次第なわけで、それが「運命」だと。だから運命は自分の心がけと努力でいくらでも変えられるわけ。 そう考えたら、どうせ自分なんてダメだ、生まれつき才能もないし、不細工だし・・・なんて「ネガティヴな不満」って抱くだけ損だよね。ポジティヴに、限られた宿命の中で最善の人生を歩もうって思った方がよっぽど得だ。 その他、この本に書いてあることの多くは、他の自己啓発に書いてあることと通底することも多いです。 例えば、人間は肉体と幽体(アストラル体)が一つにくっついているものなのだそうで、それが丹田の辺りで接続しているんだけど、この両者がずれると体調が悪くなる。逆に、両者の関係を整えるためには呼吸が重要で、ゆっくり息を吸い、その空気が全身に行き渡るようにイメージして、つぎにゆーーーっくりと吐き出す時には、全身の悪いものが息と一緒に外に出るようなイメージをする。そういう呼吸をすると、健康にもいいよ、って江原さんは仰るわけですが、こういう呼吸のノウハウって、それこそ今流行のマインドフルネスとか禅に共通するわけで。 あと、「笑う門には福来たる」っていうのは本当である、として、「微笑」の重要性を説く点なども、先日読んだティク・ナット・ハンの本と共通します。 あと、10年後の自分のありようを強くイメージすると、その通りになるよ、などと言うところ、あるいは、自分が出す波長によって、同じ波長のものを引きよせるよ、というところは、「引き寄せ系」自己啓発本と一緒。 結局、自己啓発本のいいとこどりみたいな本ですな、この本は。 ということで、この本読んで、悪いことなんかひとつもないです。良いことは沢山ある。そういう意味で、やはり江原さんがスピリチュアリストとして世間に知られる存在になったということも、決して偶然ではないですな。いいこと書いてありますよ。 ってなわけで、この本読んで学んだことは、自分の生活にも取り入れて、私もせいぜい良いカルマを積む修業に励みましょうかね。幸運を引きよせるスピリチュアル・ブック [ 江原啓之 ]価格:534円(税込、送料無料) (2017/2/1時点)
February 1, 2017
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