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山口瞳の奥さん、山口治子さんが夫・瞳を語った聞き書き、『瞳さんと』という本を読了しましたので、一言感想を。 うーむ。しかし、何を言えばいいんだろう・・・。 そもそも、私は山口瞳の書いたものを一つも読んだことがないというね。代表作の『江分利満氏の優雅な生活』も読んだことがなければ、『男性自身』も読んだことがない。それでよく、この本を読んだもんだなと。 なんで読んだんだっけ? 確か、ほかの本をアマゾンで探している時に、「この本を読んだ人は、こちらの本も読まれています」的な感じで、この本をアマゾンに勧められたんだよね。で、同時に山口瞳の息子である正介氏の書いた『江分利満家の崩壊』という本も挙がっていて、両方読んだら面白いのかなと、ふと魔が差したんだと思う。 で、とにかく買ったからには読もうと思って『瞳さんと』を読んでみたのだけれど、結果、それほど・・・って感じだったかな。 基本、山口瞳って人は真面目な人なのよ。そんな紆余曲折のある人じゃない。だから、読んでいてそんなに破天荒な話は出てこない。ある時期、バーのホステスみたいなのと仲良くなって治子さんを嫉妬させるという話が出てきますが、それも、疑惑程度の話。火宅の人だった檀一雄みたいなのではまったくない。 だから、スキャンダル的な意味での興味本位で読んだところで、何にも出て来ません。 それに、聞き書きのせいか、あちこちで同じ話が繰り返されていて、「その話、さっき聞いた」みたいになるしね。 ということで、これ読んで、次に山口正介氏の本を読んで、山口瞳がどれほどひどい奴だったかを窺い知ろう、なんてレベルの低い興味はふっとんじゃった。そんなことよりもむしろ、直接『江分利満氏』とか『男性自身』でも読んだ方がよほどためになるんだろうな。 この本を読んでいて、一つだけ面白かったのは、「鎌倉アカデミア」をめぐる記述。山口瞳は若い頃、この学校に入学して学んでいた時期があって、治子さんともそこで出会うのですけど、鎌倉アカデミアってのは学校なんだ、実際、入学できるんだ、ということを今回初めて知りました。私はてっきり、鎌倉に有名な文士たちが住んでいた時期があって、その土地柄を表す言葉として「鎌倉アカデミア」というのが生まれたんだろうと思っていたのよ。「池袋モンパルナス」というのと同じで。でも実際にはそうじゃなくて、ちゃんと学費払って入学する学校だったのね。文科省の認可は取れなかったにせよ。 とまあ、若干期待外れの本だったのですけど、アレだね、やっぱりさ、故人の思い出を書かせたら、奥さんより、あるいは息子より、娘の方がいいと思う。 前にも書いたことがありますが、作家の娘が書いた思い出の記って、傑作が多いわけよ。茉莉と杏奴が書いた森鴎外伝とか。幸田文や幸田玉が書いた露伴伝とか。萩原葉子が書いた朔太郎伝とか。室尾朝子が書いた犀星伝とか。あるいは檀ふみの書いた檀一雄伝とか。 多分、「父と娘」いう距離感が丁度いいんだと思う。奥さんじゃ、近すぎて見えないものがあるんだろうね。寺山修司の奥さんの書いた『ムッシュウ・寺山修司』もイマイチだったし。また、息子が書いた父親伝というのは、同性だけにライバルになってしまって、批判的にならざるを得ないんだよね。多分、山口正介氏の書いた山口瞳伝も、そういう奴なんだと推測されます。 一方、親が書いた息子伝は超怖い。三島由紀夫の父親の書いた『倅・三島由紀夫』とか、寺山修司の母親の書いた『母の蛍』とか。読んでいるこちらの肌が泡立つほど、言いようのない不快感を生じさせるからね・・・。 というわけで、『瞳さんと』という本、私はあまり良い読者にはなれなかったわけですけれども、山口瞳ファンにはひょっとしたらたまらない本なのかも。興味のある方はどうぞ、ということで。【中古】 瞳さんと /山口治子【著】,中島茂信【聞き書き】 【中古】afb
May 31, 2017
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ジグ・ジグラーが書いた『人生をレベルアップする64の鍵』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 ジグ・ジグラーという、チム・チム・ニーみたいな名前の人は、有名な自己啓発の講演家でありまして、1926年生まれ、2012年没という、割と最近までご存命だった人。まあ、それなりに本も出ている人なので、とりあえず1冊、2冊くらいは読んでおこうかなと。 で、この本ですけれども、原題は『Breaking Through to the Next Level』。ちらっとそれらしいことを書いて、その後にその内容を一言でまとめた格言(自作の場合もあり、有名人の言葉の引用もある)を太字でバーンと載せ、そうやって見開き2ページで完結する短い章を並べた、この業界にはよくあるタイプの自己啓発本でございます。 例えば第39章はこんな感じ。 「幸せ」とは何か、その答えを求めてウェブスター辞書を繙くと、そこには「肉体的快楽を満たすことで得られる感覚は、人を一時的には幸せな状態にするが、永遠の真の幸せを得るのは、心の平和と紙の寵愛に喜びを見いだす者のみである」と書いてある。ことほど左様に、人があなたに楽しみを与えることはできるけれども、他人のために何かをするまでは、あなたが幸せになることはない。幸せは、他人のために何かをしたとき訪れる。 とまあ、そんな趣旨のことが述べられた後、「あなたの人生の成功の度合は、あなたが幸せにしてきた人の数で測ることができる(by ロバート・ラムスデン)」という格言がバーーン! これはまあ、「自分が幸せになりたかったら、まず他人を幸せにせよ」という、自己啓発本ではよくある教えの、ジグ・ジグラー版であるわけですな。 ま、本書は全編に亘ってこんな感じ。だから、内容的には至極まともで、「おっしゃる通りです」なんですけど、それを実行に移すのは難しいというね。 例えば第14章は「憎しみを捨てる」というのがテーマなんですが、ジグラー曰く、「多くの人は『腹の立つようなことをするヤツは、許してやるに値しない』ともっともらしく主張するが、これは見当違いである。相手の価値の問題ではない。あなたが、相手を許すに値する人間なのである」と。そしてフランスの哲学者アランの格言「品よく敵を殺す方法を教えよう。それは、敵を殺すことではなく、思いやりをもって、相手を変えてしまうこと。そうすれば、敵は敵であることをやめ、殺されたも同然となるだろう」がバーーン! あるいは第51章はどうよ。テーマは「自由時間を有効に使え」。ジグラー曰く、「わたしたちの普段の会話には、必ずと言っていいほど『忙しくて自由な時間がとれなくて』という話題が出る。不幸なことに、これを真実だと思い込んでいる人がほとんどだ。しかし、ジェフリー・ガドベイによれば、『人びとは常に自分の自由になる時間の量を過少評価し、仕事の時間を過大評価する』」と。そしてウィリアム・フェザーの格言:『自分がほんとうにしたいことをするための時間は、誰でもしっかり確保するものだ』がバーーン! はいはい、そうでしょう、そうでしょうとも。 という感じ。 もちろん、この格言に関して最多出場するのはラルフ・ウォルドー・エマソンよ。「千人の友人を持つ者は、一人の友人もないがしろにしない。一人の敵を持つ者は、いたるところで敵に出会う」(第31章)、「相手を傷つければ、相手以上に自分が傷つく。相手から何かを奪おうとすれば、相手以上に自分が失う」(第58章)、「実行せよ、そうすれば、力が得られる」(第62章)の三か所。エマソンは、こういう風に、自己啓発本の中で永遠に生き続けるわけだ。 というわけで、読んで害はないし、もちろん、言われた通りに実行すれば確実に自己啓発できること請け合いの本ではあります。ただ、類書が山をなす自己啓発本の世界にあるのであれば、もうちょいひねりが欲しいなと。そんな感じの本でございました。ま、これをもってジグラーの何たるかを計るのはちょっとかわいそうなので、その辺はもう二、三、彼の本を読んでから判断しましょうかね。【中古】人生をレベルアップする64の鍵
May 30, 2017
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「モリ」の後は「カケ」って、お前は蕎麦屋か!って感じですけれども、後から後から出てくるねえ、安倍首相のお友達問題。 ま、誰が嘘をついているのか、というのは是非とも明らかにしてもらいたいものですが、それとは別次元でですね、私にとって非常に気になる「加計問題」ってのがありまして。 それは日本語のことなんですけど、加計学園の家計孝太郎氏のことを、「安倍総理の腹心の友」とする報道がやたらに見られるじゃん? テレビでも言うし、新聞にも書いてある。 だけど・・・、 「腹心の友」という日本語はあるのかい? 「腹心」というのはさあ、本来、「家来」のことを言うのじゃないの? 自分の考え、自分の気持ち、自分の策略を的確に汲んで、文字通り手足となって動いてくれる家来のこと。別な言い方で言えば「懐刀」のことでしょ。だから、現代に即して言えば「腹心の部下」というのならわかる。 だもので、「腹心の友」と言われると、すごく違和感があるんだよね! 私がもし私の親友に、「お前は俺の腹心、懐刀だよな」と言ったら、「俺がいつお前の家来になったんだよ!」と言われるに決まっていますよ。 もし親しい友達というのであれば、「親友」でいいし、あるいは「知己」とか、「旧知の」とか、あるいはもし大学などの同窓であれば「朋輩」なんて言葉も使い得るとは思いますが、「腹心」はないと思うんだよね。 なんで、ジャーナリズムは「安倍首相の腹心の友」なんて変な言い方を使って平然としているんだろうか。またなんで識者はそれを指摘して改めさせないんだろうか。 私にはそれが解せないなあ・・・。皆さん、そう思わないの?
May 29, 2017
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先ほど、父の入院している病院に見舞いに行って来たのですが、昨日と比べると今日はよほど元気で、いつも以上におしゃべりをすることができました。 で、その父とのおしゃべりが割と面白くて。 今日は、母は家でお留守番で私だけお見舞いに行ったのですが、父は母が居ないのを見てとって「あれ? お母さんは?」。それで私が「お母さんは疲れちゃったので、今日はお休み」と言うと、父曰く「そうかぁ・・・お母さんも歳をとったな・・・」ですと。自分のことは棚に上げて! で、さらに続けて、「いや、なに、今日は若尊(私の名前)が来ると聞いていたから、お母さんと若尊と三人で鰻屋にでも行こうかと思っていたのだが・・・」ですって。 どうも最近、父は自分が病院に入院しているということを忘れるようで・・・。 で、また別な話で、昨夜の夕食が不味かった、という話になり、「夕食にな、桃のジャムというのが出たぞ」と。 ふーん、桃のジャム・・・。「それで、美味しかったの?」と私が尋ねると、「いや、そうでもなかった」と。 そして、続けて、「考えていたのだが、桃のジャムというのは、要するに梅干しのことだよな?」と。 ん? 言っていることがよくわかりませんが・・・。 ま、よく分からないけれども、父なりに考えて出た答えだと思うので、よしとしましょうか。 というわけで、今日はなかなか面白い会話を、父とすることが出来たのでした。今日も、いい日だ!
May 28, 2017
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今日は府中の方に用事があったので、午前中からそちらに向かい、とりあえずその用向きを終了と。 で、せっかく府中まで来たのだからと、そのまま国道20号を西進し、立川へ足を伸ばしました。というのも、そう、前にイケアの通販で買い損なったオーディオ台を、直で買っちまおうと。 で、立川のイケアに着いてみると、まあでかい、でかい。威容を誇っておりますな。港北のよりでかいんじゃない? ま、それはともかく、品番も分かっていることだし、母もいるので、なるべく時間をかけないよう、いきなりレジのところに行き、さっさと注文してこちらも手続き終了〜。 で、結局、イケアに行ったのに、ショールームは全然見なかったという。 で、イケア内のレストランはどうせ混んでいるだろうし、母が食べたくなるようなものもないだろうと見切りを付け、立川を離れて一路聖蹟桜ヶ丘へ。 で、京王百貨店内にある「銀座フランス屋」へ。ここは三笠会館系のレストランで、昔、たまに食べに来たところなのよ。 久しぶり、それこそ十年ぶりくらいで入りましたけれども、昔、まだ父が元気だった頃、ここがご贔屓で、ここのコーヒーの味が好きだったよな、などと思いながら、これまた昔よく頼んだハンバーグを注文。母はミックスフライ・ランチを頼みましたが、特にエビのフライが美味しかったと、食の細った母にしては完食に近い食べっぷりで、私もほっと一息。 というわけで、今日も今日とて、あちこち奔走。このあと父のお見舞いにちらっと行って、母に夕食を作ってあげて、それを一緒に食べて、それから名古屋に戻るという寸法でございます。 どうせ来週末も来るから、そんなに名残惜しいという感じではないですけど、父もこの先、どうなるか分かりませんし、会える時には会っておかないとね。
May 28, 2017
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父の介護をどうするかっつーんで、実家に戻っております。 父も入院してから2ヶ月。今入院中の病院は、緊急要加療の患者さんを主たるターゲットにした病院なので、病院側としてはそろそろ退院してもらいたいというアピールをしてくるわけ。 だけど、要介護レベル5だからね、父は。とても母一人で自宅療養なんかできっこない。それに貧血がひどく、週に1度か2度の輸血が必要な状況なので、一旦家に帰って在宅介護になってから、輸血の度に病院に行くなんて、とても出来そうもありません。 で、今日は母を連れて病院から紹介された特別養護老人ホーム的なものを見学に行ったのだけど、これがまた、あんまり父を入れたいと思うようなところではなく・・・。 私が思うに、今の父の状態を考えると、今の病院とは別の、長期療養型の病院に転院するのがベストと思うのですが、そういうところに入院するには、父の病状は軽いと。そういうところに入るためには、例えば糖尿病でインシュリン注射が必要だとか、食事がとれないから胃瘻だとか、常に酸素吸入が必要だとか、痰の吸引が一日8回以上だとか、そういう決められた判定基準ってのがあって、それを満たさないとダメだというわけ。 じゃ、どうすればいいんだよと。 ま、ソーシャルワーカーの人とも相談して、なんとか次に移る病院を探してもらっていますが、どうなることやら。一つハッキリしているのは、来週末も私が実家に戻らないとどうにもならないなということ。 この調子だと当分の間、ほとんど毎週のように名古屋と東京を行き来することになりそうです。こういう時、東京と名古屋の距離が悩ましいねえ・・・。
May 27, 2017
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ラッセル・コンウェルという人の書いた『ダイヤモンドを探せ』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 ちなみにこの本、原題は『Acres of Diamonds』と言うのですが、もともとは講演の中で話されたことで、コンウェルは生前、世界中でこの話を6152回話したとのこと。本としては1890年に出版され、ものすごいベストセラーになっております。 さらにちなみにですが、ラッセル・コンウェルは日本にもサテライトがある「テンプル大学」の創立者でありまして、その大学も、この本の売り上げから来る収入だけで作っちまったというのですから、どんだけ売れたんだと。大学一つ作るだけの印税って、想像を超えてくるよね・・・。 で、もともとこの「ダイヤモンドを探せ」というのは、コンウェルがイラクを旅していた時に、ラクダを引くガイドから聞いた話なんですと。 で、そのガイドの話というのはこうです。昔、インダス川のほとりにアリ・ハフェドという裕福な男が居て、広く豊かな畑、美しい妻、大勢の子供たちに囲まれて楽しく暮らしていたと。と、そこへ仏教の僧侶(聖書に出てくる東方の三博士の一人)がやってきて、天地創造の話をしてくれた。その僧侶によると、神様が霧状の世界に指を突っ込んでクルクル掻き回しているうちに塊ができ、それが冷えて地球になったのだけど、その地球の鉱物の中で最後に固まったのがダイヤモンドだと。で、それは非常に貴重なものなので、親指の先ほどのダイヤがあれば、あんたが今持っている財産の数倍の価値があるし、一つかみのダイヤがあればあんたの子供を王様にすることすらできる。まあ、そんな感じのことを語ったと。 で、この話を僧侶から聞いたアリ・ハフェドは、今まで幸せだと思っていたものが途端に色褪せて見えてきたと。で、結局財産を売り払い、妻や子は親戚に預けて、ダイヤモンドを探しに旅立ち、そのまま帰ってこなかった。 で、その際、ハフェドから土地を売ってもらった男が居たわけですが、ある時この男が、自分の買った土地を流れる小川の中に、何かキラリと光る物体があるのに気づくわけ。と言えばお分かりの通り、それは巨大なダイヤモンドであった。 アリ・ハフェドは馬鹿だねえ、自分の目と鼻の先にダイヤがあったのに・・・。青い鳥は、自分の家に居たのに。 で、この話のポイントは何かというと、イラクのガイドによる遠まわしの皮肉だったんですな。アメリカの若いボンボンが、イラクなんぞに何しに来たのか。アメリカにそのまま居ればいいものを。そういう皮肉だった。 でも、コンウェルはその皮肉に気づきながらも、この寓話は確かに一理あるなと考えたわけですな。で、それをアメリカに帰って、自己啓発のモットーに変えた。つまり、富の源泉というのは、遠いところにあるのじゃなくて、自分の身の回りにあるんだよと。 で、彼はバプティスト派の牧師であったにも関わらず、以後、富の福音を説く自己啓発家となります。そしてまず、「お金というものは、いいものだ」ということを説く。確かに金の亡者になるのはよろしくない。だけど、お金があるという状況は幸せの基本だと。正直な、まっとうな手段で、適正にお金を稼ぐことに何の障碍があろうかと。 で、ラッセルの自己啓発スピーチの基本は、例示です。実際にあった話、実際にゼロから身を起こした人の話をしながら、「あなたもこれにヒントを得て頑張りなさい」というスタイル。 その際、私の見るところ、ラッセルは割と「商売人」と「発明家」を重視します。で、この両者に共通するのは「人のニーズ」ね。商売人として成功するためには、発明家として成功するためには、いかに人々のニーズを察知するかにかかっていると。 例えば不動産業のアスターはどうやって富を得たか。彼は最初ニューヨーク裏通りで、客に入りが悪いために倒産した小さな帽子屋を、居抜きで、店員ごと買い取るわけ。で、店員に店を任せて自分は通りに腰かけて街を行く人々を観察していた。 そんなアスターの目に留まったのは、小粋な女性です。で、その小粋な女性がかぶっていた洒落た帽子をじーーーっくり観察したんですな。で、女性が行ってしまうと店に戻って、今見たばかりの洒落た帽子と寸分たがわぬものを作るよう命じ、自分はまた通りで観察再開。 すると、これまたステキな帽子をかぶった女性が通りかかったので、その帽子を観察し、店に戻って同じ型のものを作るよう指示。そうやって、今、街で洒落た女性がかぶっている最先端のお洒落な帽子を自前で作り、他の高級店よりも安く販売し始め、これが当たって店は大繁盛。ここから不動産王アスターの基礎が作られたと。 アスターがやったことはただ一つ、女性は今、どんな帽子に憧れを持っているか、それを理解しようと努めたことだけ。つまり、ニーズはどこにあるのかを掴もうとしたわけですよ。 あるいはこんな話もある。ラッセルの自己啓発講演会に出席したある女性が、ラッセルの話に促されて自分も何か身近なニーズを発見しようとしていたわけ。で、講演会から家に戻って服を着替えた時、シャツの一番上の首元のボタンがなかなか外れず、脱ぐのに苦労してしまったと。で、「これだ!」と思った彼女、簡単につけ外しができるボタンに代わるものを発明しようと頭をひねったんですな。で、完成したのがスナップだったと。もちろん、彼女はスナップの発明で大金持ちに。彼女にとって、ダイヤモンドは自分の首元にあったのだと。 そんな感じで、ニーズを見出して金持ちになった人の面白い話を羅列しながら、ラッセルは富の福音を説き、これが人気を博して彼自身も大学を作るくらいの大金持ちになりましたとさ。 で、この本はそれこそ「聖書に次ぐ」ほど売れ、人々に富をもたらしたと言われているのですけど、20世紀の自己啓発本ライターのビッグネームの一人、デール・カーネギーがこの本に影響を受けたというのは、非常に分かるような気がします。というのも、スタイルが同じだからね。カーネギーも、良く知られた成功者の例を引きながら、「こうすればあなたも成功できますよ」と説くわけだから。 ただ、ラッセルが「商売人」と「発明家」を重視するのに対し、カーネギーの場合は、「人間関係の円滑化」を重視する。そこが違うんですな。それは多分、時代の差なんじゃないでしょうかね。昔は単独の「起業家」を想定していたけれど、カーネギーの時代、すなわち20世紀半ばでは、「会社で働くサラリーマン」が主たる想定読者だからね。「起業人」じゃなくて「企業人」が対象なわけよ。企業で出世するにはどうすればいいか、となった場合、カーネギーが説くように、「他人に愛される人格」を形成することが一番ですからね。 というわけで、このアメリカ自己啓発版『青い鳥』であり、またカーネギーの『人を動かす』の先駆として読める『ダイヤモンドを探せ』、私はなかなか興味深く読んだのでした。ちなみに、私が読んだ版は、表紙に(偽物の)ダイヤが埋め込んであるなかなか興味深い装丁だったことも報告しておきましょうかね。【中古】 ダイヤモンドを探せ /ラッセル・コンウェル(著者) 【中古】afb
May 26, 2017
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昨晩、レイトショーで話題の『メッセージ』という映画を観に行っちゃった。以下ネタバレなので、まだ御覧になってない方は要注意。 何が話題って、地球をご訪問下さったエイリアンさんたちの宇宙船が、日本のおせんべい「ばかうけ」にそっくりっていうね。あ、あと、宇宙船の内部のしつらえは「マツコ&有吉 かりそめ天国」のセットにそっくりという。 ま、それはともかく、事前に「すごく感動的!」って聞いていたので、期待して行ったのですけど、結果から言うと、「そうかぁ・・・?」って感じ。最近、そういうのばっかりだけど、どうも私の感性と世間のそれとは大分隔たりがあるのかも。 ちなみに、極私的採点を最初に言っちゃうと「47点」だね、100点満点の。言っちゃ悪いが観る価値なしのカテゴリーだわ。 そもそも設定にリアリティがないもの。「ばかうけスターシップ」が12機も機翼連ねてはるばる地球までやってきた理由ってのが、「3000年後に自分たちが助けてもらうことになっているから」というのですが、はぁ? どういうこと? 仮に今、地球が大核戦争状態で、これだと人類が滅亡しちゃって3000年後に助けてもらえなくなるから、その戦争を防ぎに来た、とかいうのならわかるよ。だけど、今のところ地球はそこそこ平和なんだもん。何しに来たん? でまた、そんな大層な理由があって地球まで来たのなら、もっと要領よく来意を告げなさい。 で、そんな重要な任務があるのに、その達成の可・不可がエイミー・アダムズ頼みって何なんだよ。そんなあやふやな見込みでここまで来たのかよ、烏賊エイリアンは。よく許可が出たな。 ちなみに、こういうリアリティのない設定は、すべてエイミー・アダムズちゃんの「『未来を見通せる自身の能力』への気づき」という、本作の主要テーマを描くための便宜に過ぎないわけですけれども、エイミーちゃんにとって時間は並列的なわけね。だもので、リニアな時間軸では未来のことであっても、エイミーちゃんには今のこととして体験できる。で、その並列的時間世界が、たまたま烏賊エイリアンにとっての時間世界と同じだったと。で、そのことを烏賊エイリアンはエイミーに告げたってことなんでしょうな。それで、それまでエイミーちゃんを苦しめていた「未来のトラウマ」から彼女は救われることになったと。 でもさ・・・。じゃあ、何? エイミーちゃんは未来の宝くじの当たり数字とかわかるんじゃね? それ、めちゃめちゃラッキーじゃん! ・・・っていう、生臭いことを考えるから、この映画に感動できないんだろうね、ワタクシは。 ま、とにかく、大した映画じゃないっすよ。大体、未知の星からやってきたエイリアンが、やっぱり烏賊タイプって・・・想像力の枯渇としか言いようがない。 で、そんなことを家内と話しながら、SF映画で最近、面白いの無いよね、という話題になりまして。 じゃあ、逆に、今まで観たSF映画の中で好きなのは何だったかという話になり、それぞれタイトルを挙げて行ったのですが、例えば『マトリックス』(一番最初の奴)は面白かったよねと。 それから『トータル・リコール』(最初の奴)も面白かった。『ターミネーター』(1と2)も面白かった。 そう考えると、「本当は自分は誰なのか?」っていう主題を扱ったものに傑作が多いと。『ブレードランナー』とか、『スター・ウォーズ』(エピソード4)も、そうだよね。『遊星からの物体X』とかね。 一方、「エイリアンと真正面から戦う」というタイプのSFは、駄作が多いと。『宇宙戦争』とか、『インディペンデンス・デイ』とかね。いや、だけど『エイリアン』(1と2)は傑作だから、そうとも言えないか・・・。 『2001年宇宙の旅』は・・・どうなんだろう? あれは・・・「未知との遭遇系」だけど、ストーリーとして面白いかと言われたら、それほどでもないか。ただ、面白い/面白くないという評価軸を越したところで見る映画のような気がする。 あと、コミカル系SFも、たまにいいのがあるよね。『ギャラクシー・クエスト』とか『メン・イン・ブラック』(最初の奴)とか。 だけど、家内曰く、一番好きなSF映画は『ガタカ』だと。 おお! なるほどね~。あれは確かに面白い。し、切ない。悲しいけど、だけど、最後の最後でちょっと希望もある。確かに、あれは良い映画だったな・・・。あれは、意図的に自分じゃない自分を演じる話ですけどね。 やっぱりさあ、「感動のSF」と言うのであれば、『ガタカ』クラスのものを指して言って欲しいよね。 その意味で、感動的SFと言うには、『メッセージ』はちょいと役不足なんじゃないのかい? ま、ワタクシにはそんな感じがするのでございます。ガタカ [ イーサン・ホーク ]
May 25, 2017
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表題に先立ちまして、ロジャー・ムーアが亡くなりましたね。三代目ジェームズ・ボンド。私の世代からすると、「ジェームズ・ボンドと言えば(ショーン・コネリーではなく)ロジャー・ムーア」という人が多いような気がします。ショーン・コネリーはクセがすごいというか、あまりにもホットでバタ臭い感じがしますが、そこへ行くとロジャー・ムーアの方は若干スッキリしていて、クールなスパイというイメージがありますからね。 『死ぬのは奴らだ』って言いながら、ついにムーア自身が亡くなっちゃいましたけど、ご冥福をお祈りします。 さてさて、昨年『成りあがり』を読んですっかり永ちゃんファンになってしまったワタクシ。先日、某古本屋さんでその『成りあがり』の続編たる『アー・ユー・ハッピー』の美本を300円で見かけたもんで、つい買ってしまったという。で、つい読んじゃったという。 『成りあがり』は、確か永ちゃんが28歳の時までの半生を語ったものですが、『アー・ユー・ハッピー』は、その永ちゃん51歳の時までの記録。だから、いわば功成り名遂げてからほぼ四半世紀が経った時点ですな。その時点から、もう一度自分の人生を振り返ってみたと。 で、それを読みますとね、まあ、芸能界みたいなところで、しかも一匹狼で、功成り名遂げるとどういうことが起こるかがよくわかる。 まず第一にプライバシーが無くなるわけ。ヒット曲を連発していた頃、永ちゃんは山中湖畔に居を移すのですが、地元が観光業のためにはこれ幸いと彼の家の在り処をばらしてしまったため、その家にまで心無いファンたちが押し掛け、彼も彼の家族も好奇の目に晒されることになるんですな。 だけど、まあ、それはまだしもですよ。もっとひどいことが次々に起こりますから。 要するに永ちゃんがドドーンと成功したとなると、彼を騙くらかして一儲けしようという連中がわんさか寄ってくるわけよ。しかもね、外部から近づいてくる奴ならまだしも、内部から、つまり永ちゃんの腹心の部下が、永ちゃんを騙して甘い汁を吸おうとする。それが、永ちゃんにとっては非常に辛いことだったと。 例えば地方でコンサートを開くにしても、部下が話を取りまとめてくる。「一晩50万円のギャラです」みたいな感じで。でも実際には、相手には150万円のギャラを請求するのよ。で、浮いた100万円を自分のポケットに入れてしまうと。そうやって、信頼してくれる永ちゃんのことを騙し続ける。しかも、「150万円はちょっとキツイです」と相手が苦情を言ってくると、「分かります。だけど、金の亡者の永ちゃんを怒らせたら、次はないからね」とか言って、永ちゃんを悪者に仕立てるというのですから質が悪い。 もう、そんな話ばっかり。 最悪だったのは、オーストラリアの不動産の件。永ちゃんはバブル経済華やかりし頃、オーストラリアに音楽活動の拠点を置こうとして現地にビルを買うのですが、そこでバブルがはじけたので、その計画はちょっとお預けにして、部下にその不動産を管理させていたと。で、ちゃんと銀行への支払いも、家賃収入も上がっているような報告を受けていたのですが、実はこれが詐欺で、永ちゃんの手元に届いていた銀行の書類は全部偽造だったと。で、気づいた時には永ちゃんは30億円の負債を抱えていたと。 これは純然たる詐欺で、もちろん、この本が出た当時もまだ係争中だったようですが、そうなると日本のマスコミは被害者たる永ちゃんを悪し様に書きたてるんですな。調子に乗って不動産なんかに手を出して、どんだけバカなんだ、みたいな感じ。でまた永ちゃんが気分を変えたくて、ロスアンゼルスにしばらく滞在すると、「負債を抱えて日本逃亡」みたいな書き方をする。 ほんと、これでもかというほど、永ちゃんは悲しい思いをするわけね。 で、普通なら完全に人間不信になりそうなところですが、ここが永ちゃんのすごいところで、これも試練だ、その試練を乗り越えられないようでどうする、とばかり、自分の身に降りかかる災難を全部まともに受け止め、抱えた借金は全部返す。自分を裏切った者たちに対しても全部落とし前をつける。そしてその上で、じゃあ、次からはどうすればいいかを考え、次々実行に移す。そういうことをやると。 例えば興行で騙されないように、自前のプロデュース会社を興し、全部自分でコントロールして興行するとか。アーチストとしての自分の権利を守るために、悪徳レコード会社との縁を切って、別な会社とまっとうな契約をするとか。つまり、他人任せにしないで、全部、自分でやる。そういうことを少しずつ勉強しながらやるわけ。 で、そうやって自分ですべてコントロールするようにすると、いかに他のアーティストたちが、他人にいいように操られているかというのもしっかり見えてくる。 だから、永ちゃんとしては、ある意味、騙されてよかったと。騙されて、悲しい思いをしたからこそ、今、独り立ちした自分がいるんだと。 この「自立」というのが、結局のところ、この『アー・ユー・ハッピー?』という本のキモでございます。 永ちゃんは、若いころ、めちゃくちゃ売れていた頃ですら、実はあんまり幸せではなかったんですな。で、こんなに売れて、こんなに人から騒がれて、それでどうしてこんなに不幸せなんだろうと、ずっと悩んでいたわけ。永ちゃんが、糟糠の妻だったすみ子さんと離婚し、マリアさんという別な女性と再婚したのも、この不幸な時代の産物だったのかも知れない。 でも、51歳になった今、自分はとにもかくにも「自立」していると感じている今、永ちゃんは「自分はハッピーだ」と言えるようになった。で、その時、永ちゃんは、昔自分を育ててくれた祖母のことに思いを馳せるわけ。ばあちゃんは、死ぬまで一人暮らしをしていて、子供たちから一緒に住むように誘われても断っていた。それで他人の家の草刈りで日銭をもらって、そのお金で好きなお酒を飲んで、いい気分で酔っ払って暮らしていた。 で、そんな祖母の姿を思い出しながら、永ちゃんは思うわけですよ。「ばあちゃんも、ばあちゃんなりに自立していたからハッピーだったんだ」と。だから、いま、自立して幸せを感じている自分は、ばあちゃんの酔っ払った気分が分かると。 うーん、いい話じゃん・・・。 で、その上で永ちゃんは読者たる我々に問いかける。「あんたらはどうなんだ?」と。あんたらは自立しているかい? 幸せかい? と。『アー・ユー・ハッピー?』という本書のタイトルは、要するにそういうことです。 だから、ある意味、これもね、一つの立派な自己啓発本ですよ。こうやってこうやって自分はハッピーになりましたという、その道筋を示しているんだから、永ちゃんは。 ということで、前の『成りあがり』同様、本書も糸井重里氏による聞き書きですが、糸井さんもいい仕事しています。『成りあがり』とどちらが好きかと言われたら、私なら『成りあがり』の方が好き、と答えますが、それでもやっぱりこの本もとてもいいです。まだ読んでいない方には、是非おすすめ! と言っておきましょうかね。【中古】 アー・ユー・ハッピー? /矢沢永吉(著者) 【中古】afb
May 24, 2017
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エルバート・ハバードの『ガルシアへの手紙』という本を読んでしまいましたので、心覚えを付けておきましょう。 っていうか、『ガルシアへの手紙』ってご存知? 世界的なベストセラーで、日本でも評判だったというのですが。 私が何でこの本を読もうと思ったかと言いますと、色々偶然が重なったためでありまして、まず今読んでいるデール・カーネギーの伝記の中に言及があったから。デール・カーネギーって、超有名な自己啓発本『人を動かす』の著者ですが。 で、それによると、『ガルシアへの手紙』の著者、エルバート・ハバードって、カーネギーに強い影響を与えた4人の人物のうちの一人なんですと。ちなみに残りの3人はラッセル・コンウェル、ジェイムズ・アレン(『「原因」と「結果」の法則』の著者)、それにオリソン・マーデンですと。オリソン・マーデンは、日本の中村天風の憧れた人ですから、カーネギーと天風って、ある意味、共通点があるわけね。 で、その『ガルシアへの手紙』というと、これまた最近、私が読んだ本、『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』の中でも触れられていたんですな。この「ビジネスマンの父」ことキングスレイ・ウォードが息子に教え諭す中で、この本にばっちり触れていたんです。「人生で成功したいのなら、ガルシアへの手紙を託せるような人になりなさいよ」と。 で、じゃあ、その『ガルシアへの手紙』、1913年までに4千万部が売れ、その後も世界中で読まれ続けたという『ガルシアへの手紙』ってどんな話かと申しますと、これがもう「話」というほどのこともない。そもそも著者のエルバート・ハバードは、これを1899年2月22日にわずか1時間で書き上げたっていうのですから、殴り書きみたいなもんです。 で、時は19世紀末、マッキンリー大統領時代のアメリカの話。当時米西戦争の真っ最中だったアメリカは、キューバの山奥にいる反スペイン政府軍の将軍ガルシアに、大統領の親書を送る必要に迫られていたと。だけど、何しろガルシアはゲリラ戦をやっているわけだから、どこに潜んでいるのかわかりゃーしない。 そうしたら、「もしガルシアに手紙を渡したいのなら、ローワンという人物に手紙を託すしかない」という進言があり、マッキンリーはこのローワンを呼び出して、「ガルシアにこの手紙を渡してくれ」と頼んでみた。 そしたらそのローワン選手、合点承知と手紙を受け取ると、そのまま彼方に消えたと。そして、マッキンリーの親書は無事、ガルシアの下に届いたと。 重要なのは、その時のローワンの態度ね。彼は大統領に、「で、そのガルシアって人はどこにいるんすか?」「ひょっとして、この仕事、きついんすか? だったら、もうちょい給料上げてくんないと」などという愚問は一言も発しなかった。四の五の言わず、自分に託された仕事を引受け、それをやり遂げた。 で、エルバート・ハバード曰く、世の中は結局、ローワンのような人で動いていると。信頼に応え、不満一つもらさず仕事をやり抜く人物こそ、世の中で求められているのだと。だから、もしあなたがこの世で成功したいのであれば、「自分はガルシアへの手紙を託されるような人物であるかどうか?」と、自分自身に問えと。 ま、そういう話。 要するに「ガルシアへの手紙(を託される人)」というのは、一つの符牒みたいなもので、意味するところは「どんな困難な仕事であれ、不満一つ言わず、期待に応えてやり遂げる人」の意なわけですな。そういう人になれば、必ず成功するよと。もはや「ガルシアは実在する人なのか? ローワンは実在する人なのか? この話は作り話なんじゃないのか?」なんてことはどーでもよくて、とにかく「ガルシアへの手紙」を黙って受け取り、使命を果たせよと。 因みにこのハバードの話はアメリカを訪れていたロシアのプリンス(誰?)によって持ち帰られ、ロシア語に訳されて、日露戦争に従軍したロシア兵はこの小冊子を持たされていたんですと。そしてそのロシア兵を捕虜にした日本軍も、ロシア語から翻訳したこの話を知っていたらしい。(ホントかね?) で、われらがデール・カーネギー大先生も、この話にすっかり魅了されて、強く影響を受けましたとさ。 とまあ、そういう次第なんですけど、どう? この話。そんなに感動的っすか? 私にはさっぱり・・・。っていうか、もし私がマッキンリー大統領からガルシア将軍への手紙を託されたら、ローワンと同じことをやると思うよ。普通でしょ、普通。だから、あまり当然過ぎて、「・・・そりゃ、そうするでしょうよ」という感想しか出てこないっていうね。 あ! じゃあ、私は出世するんだ! 私こそ世の光、地の塩なんだ! やった~! じゃなくて。 この話にピンと来ないから、私にはベストセラーが書けないんだ、っていうことかな・・・。 それはともかく、勉強しているとさ、色々なことが重なり合ってくるってことが面白いよね。『ビジネスマンの父から息子への30通の手紙』を読んだすぐ後で、デール・カーネギーの伝記読んで、それでその双方に言及される『ガルシアへの手紙』に出会うという。そうやって、色々なことが複雑に絡み合い、しかも段々焦点を結んできて、自分の中で一つの明確な像が見えてくるっていう。そのプロセスが私には面白くて仕方がない。 というわけで、話そのものとして面白いかは別として、今自分が遊んでいる面白いパズルの中の一片のピースとして、『ガルシアへの手紙』を面白く読んだワタクシだったのであります。ガルシアへの手紙と人生を豊かにする20の知恵 [オーディオブックCD] (<CD>) [ エルバート・ハバード ]
May 24, 2017
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ホントは先週の土・日、静岡大学で所属学会の全国大会だったのですけど、今回はパスしちゃった。10年務めた学会資料室の仕事を降りたため、「絶対出席しなければならない」という縛りが無くなったことが一つ。それに、父の具合によっては急に実家に戻らなければならなくなることもあり得るという不安定要素が一つ。 だけど、その代りにと言うべきか、この秋、学会の支部大会で研究発表しようと思い立ち、そのためのエントリー・シートを週末に書いておりました。 この支部大会、それこそ二十数年前に一度だけ研究発表をしたことがあって、今回はそれ以来。 前に出た時は、支部の役員推薦かなんかで出たので、事前に何の用意も要らなかったんだけど、今度、久しぶりに発表しようと思ったら、色々手続きがあるので驚いちゃった。今は事前に発表内容の要旨を送って、審査を受け、その審査が通ったら発表して良し、ということになるんですな。 めんどくさ! だけど仕方がない。書類書きましたよ。 審査、受かるといいなあ~。 しかし、一昨年位だったか、実際に参加した人から聞いた話なんだけど、この学会、かなり聴衆が少ないらしいです。 その人が聞きに行った会場では、発表者と、次の発表者、それに司会の先生を合わせた数(つまり3人)より、聴衆の数が少なかったと。 ええ゛ーーー! じゃあ、聴衆はたった2人だったの?! お笑いコンビのジョイマンが町田でサイン会やったら、サインをもらいに来た人が0人だった、という話が今月の『新潮45』に書いてあったけど、それに近いな。 私の発表も、2人くらいしか聞きに来る人が居なかったりして。 上等だぜ! というわけで、この秋は、聴衆の2人と、司会の先生と、私の次の発表者と、4人のためにいい発表をしようと考えているワタクシなのであります。
May 22, 2017
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例のタカタのエアバッグ問題、我が家のセカンド・カー、マツダ・デミオもひっかかっておりまして、半年点検の時期も迫っていたこともあり、この二つを一遍に片付けてしまうべく、今日はディーラーに行って参りました。 で、合計1時間ほどで整備とエアバッグのリコールは終わったのですけれども、馴染みの担当者Mさんに「ついでに新型アテンザに試乗してみませんか」と声を掛けられ、ついお誘いに乗ってしまった次第。 で、そのアテンザですけど、さすがマツダのフラッグシップだけあってかーなーりーデカい! 全長4.8メートルを越えるからね。 だけど、やっぱりデザインはいいねえ。今、デザイン面から言ったら、日本のメーカーの中でマツダは群を抜いていますな。 で、秀逸な外装を愛でてから中に乗り込み、座席の調整等をしたのですが、うーん、この時点でちょっと難点が。 なんかね、椅子が低いのよ。で、丁度いい位置まで座面を高く上げると、今度はヘッド・クリアランスが無くなってしまう。イマイチ、最適な運転姿勢が取れないような。 それから、ハンドルの握りが細い。しかも、ツルツル過ぎ。もっと太く、手に吸い付くようじゃなきゃ。 で、まあ、なんかしっくりこないなと思いつつ、クルマを発進させたと思いなせえ。 で、まず最初の10メートルを走った感じから言いますと・・・重い! 車体がやけに重く感じられるんですわ。 試乗したクルマは2.2リッターのディーゼルですから、ガソリン・エンジンで言えば4リッター級のトルクがあるはずなんですけれども、その大トルクを以てしても重いなあって感じ。ぐわっと加速しないのよ。 で、走り味も、全体として滑らかではあるのだけど、硬い。滑らかな道路ではいいけど、荒れた道路ではドタバタする感じ。もうちょい、しなやかな高級感があってもいいのではないかと。 というわけで、全体の印象として、図体がでかいものをよっこらしょと動かしている感じがして、結局最後まであまり楽しめなかったというね。 ちなみに、私が大きなクルマを扱いかねているだけじゃないのかと思うかも知れませんが、私は以前、2.5リッターのホンダ・ビガーを愛車にしてましたからね。全長4・8メートルのクルマに慣れてないわけじゃないのよ。だけどビガーはね、エンジンはパワフルかつシュンシュン回るし、乗り心地も柔らかくしなやかで、それはそれは高級で快適だったんですよね。あれと比べたら、今回乗ったアテンザの乗り味は、私の好みではまったくなかった。 自動車雑誌なんか読むと、最近のマツダ車を絶賛する記事が多いのですけど、やっぱり自分で乗ってみないと判らないもんですな。 ということで、ディーラーのMさんには申し訳ないのですが、試乗した結果、「これを買うことはないな」と確信してしまった次第。最初に言ったように、デザインはものすごく好きなんですけどね。 ちなみに、今のワタクシの愛車、ルノー・キャプチャーを買う時、マツダのCX-3が有力な対抗馬だったのですけど、その時もCX-3に試乗して、なんか重たい、かったるいクルマだなと思ったのよ。それで最終的にキャプチャーにしたわけで。 だから、結局、私はマツダのデザインは好きだけれども、乗り味が嫌いなんでしょうな。ま、今乗っている旧モデルのデミオの乗り味は、結構好きなんですけど。 でも、結果はともかく、クルマ好きにとって試乗ってのは楽しくて仕方がない。今日は新型アテンザに試乗できて、面白い体験となったのでした。今日も、いい日だ!
May 21, 2017
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マーティン・セリグマンの書いた『オプティミストはなぜ成功するか』という本を読了しましたので、心覚えを付けておきましょう。 セリグマンというのは、アメリカ心理学会の会長さんを務めたほどの人で、いわゆる「ポジティヴ心理学」の提唱者の一人。「ポジティヴ心理学」という言葉自体はアブラハム・マズローという心理学者が1950年代半ばには使い出していますし、ミハイ・チクセントミハイが1990年頃から「フロー」という概念(=人が何かに夢中になっている時の幸福感)を打ち出しているので、別に新しい考え方と言うわけではないのですけれども、1998年にセリグマンが心理学会の新会長となった際、今後の心理学の重要な方向性として「ポジティヴ心理学」ということを打ち出したのを機に、現代アメリカ心理学の一つの主流になったと、まあ、そんな感じみたいです。 で、それ以前、認知心理学のセリグマンを一躍有名にしたのは「無力感」の研究でありまして、彼は動物実験の中で、「犬は無力感を学習する」という研究結果を打ち出したんですな。つまり、犬に不快な電気ショックを与える実験で、どういう行動をとってもそのショックが避けられないということを知ると、犬は無気力になってまったく動かなくなってしまうことを発見したわけ。これ、1970年代のことなんですけど。 だけど、「犬が無力感を学習し、絶望する」というのは、当時としては異端の説と考えられたわけ。動物にそんな精神生活があるとは信じられていなかったので。それでセリグマンの説は当時主流だった行動心理学とかの人たちから散々バカにされたんですけど、別な実験によってそれが確認され、従来の行動主義心理学の理論(行動は褒賞によってのみ強化される、という説)を木端微塵にしてしまったと。 で、セリグマンの次の研究テーマとして、犬が無力感を学習できるのなら、一旦学習した無力感を、更なる学習によって乗り越えることは出来るのか? ということが浮上してくるのは当然のことでありまして。 で、そんな疑問を解くべく、無力感を覚えてしまった犬に再教育を施したら、犬はまた元気になりました。 じゃあ、ひょっとしてこの理論は、人間にも通用するんじゃね? 人間は環境の中でネガティヴな思考に囚われ、その結果鬱にもなるけれども、学習によってその鬱を脱し、ポジティヴに、幸福に、生きられるようになるんじゃね? これが、セリグマンがポジティヴ心理学を打ち出す契機となるわけですな。心理学の研究が、不幸の研究(フロイトの研究がまさにそれ)から、幸福の研究に転じたわけですよ。 でまた、時代もそういうものを欲していたんですな。 というのも1960年代あたりからアメリカ社会では教会とか、アメリカ政府とか、そういう共同体への関わりとか、共同体への信頼とかが稀薄になり、個人主義が蔓延し始めていたわけですよ。その代りに、「自分の生き方は自分で選べる」という自由が個人に与えられるようになってきたと。 ところがそれと同時に、鬱の時代がやってきた。共同体のバックアップがない時代、個人としての人間は、人生における各種挫折をぜーんぶ自分一人の責任で引き受けなければならなくなってきた。その結果「自分なんか何をやってもダメだ。自分なんか生きる価値はない」という悲観的な思いに囚われるようになってしまい、それが行きつくところまで行くと鬱になってしまう。だから、アメリカでは1960年代辺りから鬱に悩む人が急増しちゃったわけ。 実際、セリグマンのお父さんもこの時代の被害者だったのだそうで、個人的野心に囚われた彼は、安定した公務員の生活を辞め、とある公職選挙に打って出たんですけど、それを契機として精神のバランスを崩してしまい、結果、鬱になってしまった。自分自身の親が、自由な職業選択の中で崩壊していくのを子供時代に目の当りにしたセリグマンが、アメリカが置かれたこの新しい状況への処方箋を探し出したのも無理のない話だったのかも知れません。 で、長じたセリグマンが色々研究してみたら、鬱になる人の傾向がハッキリわかった。つまり、悲観主義者が鬱になるのだと。 で、じゃあ、悲観主義者に共通する傾向ってのは何なのか調べてみたところ、「悲観的な説明のスタイル」というものがあることが分ってきた。 人生色々ですから、楽観主義者にも悲観主義者にも、等しく試練は訪れるわけですよ。しかし、楽観主義者はこの試練を、自分で責任を取らない方向で「説明」する。 たとえばプロ野球のピッチャーが散々打たれたとする。その時、楽観的なピッチャーは、「いやあ、今日の相手チームの選手の出来はすごかった。これじゃ、誰が投げたって打たれるよ」と自己説明する。つまり、自分が悪かったのではなく、相手がすごかったのだと。 この説明スタイルを身に付けていると、何でも他人事であり、一時的です。「たまたま今回は相手の調子が良かったんだ」「前の試合では俺はこのチーム相手に完封し、自分の才能を完璧に証明したんだから、俺には本質的に何も問題はない」「負けたのは今回だけで、次は自分が勝つさ」と言った調子。 一方、悲観主義者は同じ状況でまったく別な説明をします。曰く「俺が下手だから打たれたんだ」「俺は投手としての才能がないんだ」「次の試合でも、きっと自分のせいでチームはボロ負けするぞ」「俺はこの先もずっと負け犬なんだ」と。 もちろんこういう説明スタイルは、その人が小さい時から(多分に母親の影響を受けながら)培ったものなんですけど、これを続けて行くと、いずれ鬱になる。犬だって無力感を学習できるのですから、ましてや人間だったら、毎日毎日こんな風に自分の行動を悲観的に反芻していたら、鬱になりますわ。 でも、こうした説明スタイルは、もちろん後天的に学習したものですから、変えようと思えば変えられる。悲観主義は克服できるんですな。本書の原題が『Learned Optimism』すなわち『学習された楽観主義』となっているのは、その意味です。つまり、楽観主義は学習によって後天的に身に付けられると。 で、実際、鬱の人に悲観主義的な説明スタイルを止めさせ、楽観主義的な説明スタイルに変えさせると、明らかに鬱は治る。それは実際に治るらしいです。だったらもう、悲観主義なんかさっさと投げ捨てて、楽観主義に切り替えればいいんじゃないの? ただ、お気づきの通り、悲観主義はあらゆる悪の根源か、というと、もちろんそんなことはない。悲観主義が必要なシーンというのはある。 例えば、飛行機を操縦するパイロットが楽観主義だったら? 「大丈夫、大丈夫。俺はいつもこの飛行機を上手に飛ばしているんだから、今日一回くらい点検をさぼったって大丈夫だよ」なんて人が操縦する飛行機に乗りたいと思う? だから、セリグマンもそこは慎重に、悲観主義が必要な場合もあると指摘しています。 ただ、楽観主義で事を行なった結果、引き起こされる事態がさほど深刻なものでない限り、楽観主義でやった方が良いということは確実に言えると。 たとえばアメリカの大統領選挙戦を見ると、確実にポジティヴな候補者が勝っている。だから、選挙戦中、候補者のスピーチを分析するだけで、どちらが勝つか、ほとんど間違うことなく予測ができるそうです。 スポーツ選手もそう。個人もそうだし、チームもそう。ポジティヴな選手、ポジティヴなチームがいい成績を挙げている。 さらに病人もそうで、ポジティヴな患者は、キラー細胞の活性が高く、病気に打ち克つことが多いと。ま、キラー細胞にまで踏み込まなくても、悲観主義者というのは、何に関しても「自分が悪い、自分のせいだ、自分には生きる価値がない、いつも自分は不幸に襲われるので、その運命は変えられないんだ」と思い込みがちなので、病気になっても病院に行きたがらないし、治りたいという強い意志を持たない。それが、病気に勝てるか負けるかの差になってくるわけですな。 またそういう特殊なケースでなくとも、一般人の生涯で考えても、ポジティヴな人の方がよい生涯を送り、長生きしていることが統計的に確かめられている。 とにかく、共同体の崩壊と個人主義の台頭、このアメリカ現代社会の状況からして、鬱になる原因は山積しているのだから、それに対処するには個人主義的に、すなわち「自分で選んで楽観主義になる」ということを心掛けるしかないんでないの? とまあ、それがセリグマンがこの本を通じて言いたかったことでございます。 ま、私としては納得、ですね。また納得するからこそ、セリグマンが提唱する「ポジティヴ心理学」は、要するに自己啓発だ、ということにもなるわけでありまして。自己啓発本の系譜の中に、すなわち、アブラハム・マズローからミハイ・チクセントミハイを通って流れる「心理学系自己啓発思想」の中に、セリグマンを位置付けられたかなと。その意味で、この本読んで個人的には大成功。 ところで、この本には心理テストが随所にあって、それをやることで自分の楽観主義度/悲観主義度が測れるようになっているのよ。 で、当然、私も自分でそれをやってみた。無論、私としては、自分が「針が振り切れるほどの楽観主義者」と認定されるものだとばかり思いつつ。 ところが、そうじゃなかったんだなあ・・・。私の楽観主義度なんて「普通」か、「普通よりちょっとだけ楽観主義的」くらいなものだったの。中の中か、中の上くらい。上の下ですらないレベル。 ええ゛っーーーー! って感じでしょ。自分でも驚いたわ。じゃあ、この世には私より楽観主義的な奴がゴマンと居るってことなの? ウソでしょ。 先日、大学の研究室棟の廊下で、今鬱を患っている同僚とすれ違ったのですけど、その時、その同僚は私を見かけた途端、廊下にへなへなと座りこんじゃいましてね。どうもね、その同僚から見ると、私があまりにも楽観主義者なもので、後光が差していて目がくらむほど眩しいらしいんですわ。 鬱の人を瞬時にへたらせるほど、光に包まれた楽観主義者のワタクシでさえ「普通」って・・・。 じゃあ、「本物の楽観主義者」って、一体全体、どれほど眩しいんだよ! オプティミストはなぜ成功するか新装版 [ マーティン・E.P.セリグマン ]
May 20, 2017
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最近、某北欧系の家具屋さんのインターネット上のショップで家具を買いまして。で、クレジット・カードで支払いを済ませ、ある特定の日に、某店舗での受け取りをする手筈を整えたわけ。 ところが、その日にどうしても受け取れない事情が生じたため、受け取り日時を1週間ずらしてもらおうと、今日、カスタマーセンターに問い合わせたんです。 そうしたら、どうなったと思います? 受け取り日時はずらせないと。しかも「店舗受け取り」を今から「配送希望」に変えることもできない。だから必然的にキャンセルしてもらうしかないと。そう言われちゃいました。ちなみに、キャンセルの手続きは、店側でやるとのこと。 で、私としては仕方がないので、キャンセルということにしてもらったわけですけれども・・・。 さて、ここで一つ疑問がありまーす。 キャンセルする手続きは店側で出来るのに、どうして受け取り日時の変更は出来ないのか? 素人考えですと、前者の方がよほど簡単なように思えるのですが・・・。 うーむ、不可解だ・・・。 普通に考えてみて、日時の変更するだけなら、店側に損はないわけですよ。私は確かに買うと言っているのだし、そのための手続きも既に済ませているのだから。しかし、キャンセルするとなると、私がもう一度その商品を買い直す保障などどこにもないわけで、店はせっかくの利益を失うかもしれない。否、そればかりでなく、せっかく掴んだ一人の顧客を逃すことになるかも知れない。だって、この一連のやりとりで、私がこの家具店に対して好ましくない印象を抱く危険性は相当あるのですから。 なのに何故? なぜこの店は日時の変更ではなく、購入手続き自体を変更(=キャンセル)する方を選ぶのか? いや、別にキレてないっすよ。キレてはない。だけど、老婆心ながら言うのだけれど、この北欧系家具屋さんのシステムには、何か欠陥があるような気がする・・・。 ・・・のは、私だけ?<続報> 注文をキャンセルしたところ、キャンセル料金は取られてしまった! もう!
May 19, 2017
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今日はまた面白い体験をしましたよ。 今日は近場の出張がありまして、北名古屋市のとある高校に行っていたのですが、その帰り道のこと。 302号線を順調に自宅に向って走っていて、家まであと30分くらいかなと思った頃、外国人の若い女性ヒッチハイカーを見かけまして。 で、面白いから止まってみた。 「どこまで行くの?」と聞くと、今日中に牧之原まで行きたいと。 牧之原? 静岡県の? いや~、それだったら、302号線沿いでヒッチハイクしたって無理でしょ。夜になっちゃうよ。 というわけで仕方ない、乗りかかった船・・・否、乗せかかった自動車だ。東名高速道路上のSA、差し当たり上郷まで連れて行ってやるか。 とまあ、そんな感じでそのお嬢さんを乗っけ、走り出した次第。 で、道々話を聞いてみると、彼女はセルビア人であると。 セルビア人?! ひゃー、マイ・ファースト・セルビア人だよ! しかも、東欧系のすごい美人さん。 聞けばロシアの大学で教育学の修士課程を終えた後、非常勤で教職に就いているとのこと。で、できれば外国で教職のチャンスはないかと、そんな下心もあって、今、世界を旅していると。と言っても、教科の先生ではなく、教育コーディネーター的な職らしいのですが。 でもそんなうら若い女性でヒッチハイクなんかして怖くないの? と尋ねると、「ぜーんぜん。日本人はみんな親切だし、怖いと思ったことなんかないわ。昨日、京都から名古屋まで来たのも全部ヒッチハイク。昨日は京都大学の地震予知学の教授のクルマに乗せてもらっちゃった。電車に乗ることも出来るけど、ヒッチハイクの方が絶対面白いし」とのこと。うーん、逞しいね! 「それに私、カラテのブラウン・ベルトなの。幸い、その実力に訴えなければならない羽目になった経験はないけど」 だって! 「日本が大好きで、日本の食べ物も大好き。昨日はグルグル回るお寿司を食べたのよ、すごく面白かった!」 なるほど。 ちなみに彼女の名前はマーヤ。マーヤにはお姉さんが居て、ウィーンの大学でエンジニアの資格を取り、一緒に日本に行くことを約束していたのだけれど、そのチャンスが来る前に結婚してしまい、さらに妊娠までしてしまったので、今回は一人で来たとのこと。 で、この先、アメリカ人の友人と合流して、富士山近くを3、4日ほど一緒に歩く予定なんだとか。 でも本当は、4月の、桜の綺麗な時期に来たかったんですと。セルビアでも日本の桜の美しさは有名なんですって。ふーん、そうなんだ。 で、そんな話をしているうちに上郷SAに到着。そこでマーヤを下ろして、私はお役御免となったのですが、さてさて、元気いっぱい上郷SAで次のヒッチハイクを始めた彼女、果たして今日中に牧之原まで着いたかな・・・。
May 18, 2017
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今日は家内が浮世の義理で外出してしまったので、一人で夕食を食べることに。 さあて、何を食べようかなあ! こういう時こそ揚げ物全集? だけど、なんとなくそういう感じではなかったので、思い悩んだ末、マックを買って帰っちゃった。 裏マック? いえいえ、それもちょっと興味があったのだけど、「グランクラブハウス」って奴。 だけど、それだけだと夕食には物足りないかなと、自分でちゃちゃっとプレーン・オムレツ作って、そのクラブハウスに挟み込んで食べちゃった。おいちかった。 だからちょい加工しちゃったのだけど、グランクラブハウス自体も、まあそこそこ美味しかったかな。絶品! というほどではなかったにせよ。 一時、落ち込んでいたマクドナルドですけど、最近は割と好調なんでしょ。 だけど、うーん、どうなのかな。今一つ、工夫が足りなくない? だって、最近の傾向だと、ベーコン挟めば何とかなる、みたいに考えていそうな感じがしちゃうもんね。 そこがね。なんかもう一工夫あるような気がするわけよ。なんというか、もうちょいパーソナル感が強いといいんだけどね。やっぱ、工業製品、みたいな感じがしちゃって。既製品というか。 各店舗で一種類は、独自のハンバーガーを作っていい、みたいな風にすればいいのにね。「ブルーチーズ・バーガー」とか「ケバブバーガー」とか、「フライドサーモンバーガー」とか作っちゃうの。適当に。「厚焼き玉子バーガー」とか。「オイルサーディーンバーガー」とか。「チリコンカーン・バーガー」とか。 なんか、夜中なのにお腹空いてきた・・・。
May 18, 2017
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もうさあ、大学なんてところも、日に日につまらないところになりつつありまして、その証拠に、と言うべきか、同僚が次々とウツになっていくという そんなこともあって、最近、うちの科に一つの合言葉が生まれまして。 それはね、「RTR」というの。何の略かと言うと「Ready to Retire」、すなわち「いつでも辞めてやるわ」ということなんですけど。 で、最初は「RTR」だけだったんですけど、大学の状況が悪化するにつれて、ちょっとずつこの合言葉も変ってきたという。 まず「RTRN」になったの。これは「Ready to Retire Now」、つまり「今、辞めてやる」ね。 それがいつしか「RTRI」になった。「Ready to Retire Immediately」、つまり「速やかに辞めてやる」。 それがさらに「RTRAO」に変化。「Ready to Retire At Once」、つまり「今すぐ辞めてやる」。 それがまたまた「RTRTM」に変化。「Ready to Retire This Moment」、つまり「たった今、辞めてやる」。 で、誰もが予想するように、これが「RTRTS」に変化。つまり「Ready to Retire This Second」、「今、この瞬間に辞めてやる」ね。 そして「RTRTNS」に変化。「Ready to Retire This Nano Second」、つまり「今、まさにこの一瞬のうちに辞めてやる」ね。 で、ここまで来たらもうこれ以上、ないと思うじゃん? ところが違うんだなあ。 次、どうなると思います? 「RTRY」よ。「Ready to Retire Yesterday」になったの。つまり、「もう、昨日辞めてやる」に変化したと。今を通り越して、過去に遡っちゃったよ! それで、「RTRTDBY」が現在の合言葉になっております。「Ready to Retire the Day Before Yesterday」、つまり「もう、一昨日辞めてやる」というね。 一体どこまで遡るのやら・・・。
May 16, 2017
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千葉雅也氏の『勉強の哲学』って本が売れているらしいじゃん? アマゾンのレビューを見ると、賛否両論、否、どちらかというと否定的なコメントの方が多いようだけれども。 しかし、売れたモン勝ちというところはあるからね。 哲学って、時々こういうベストセラーが出るよね。ちょっと前だと『ソフィーの世界』とかね。最近では飲茶さんの『史上最強の哲学入門』とか。 対して、文学本でこういうベストセラーって無くない? 「ちょっと考えると、『そーかなー?』と思うけど、よーく考えると『そうなのかも!』と思うこと」として、人間ってのは、基本的に生きる指針としての「哲学」なるものに興味があるのではないかと。 私の同僚で、いつもコーヒーを飲みながら話をするIさんという若い哲学の先生が居るのですけど、最近、よく私は彼に向ってけしかけるんですわ。私の周辺でベストセラーを書ける可能性があるのは、お前さんだけなんだよ、と。人々は心の底では「哲学」を求めているんだぞ、と。 で、そんな話をしているうちに、じゃあ、一緒に書こう、ということになりまして。 『嫌われる勇気』みたいな感じで、私がアホな男になりすまし、「幸福って、何ですか?」みたいなベーシックな問いを発して、それに対してIさんが哲学者の立場から「それはだな・・・」みたいに解説する。そんなの、どう? 哲学って、ソクラテスの時代から対話が基本じゃん? あるいは、哲学対自己啓発の専門家対決にするか・・・。 ま、実現するかどうかはアレですけど、そんなことを考えている時って、楽しいのよね!
May 15, 2017
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養老孟司さんが書かれた2003年のベストセラー、『バカの壁』を、14年後の今になって読んでみました。ベストセラーはとりあえず読まないという主義のワタクシなのですが、14年も経てば許してやってもいいかなと、先日、ブックオフで108円で買っちゃったのよ。それに、ひょっとしてこれも自己啓発本なのかなと思ったものだから。 で、読んだ感想ですけど、うーん、これは自己啓発本・・・というわけでもないかな。むしろ、現代批判の本ですよね。 つまり、(イスラム教国、ユダヤ教国、キリスト教国など)世界の三分の二は一元論の国だし、日本もいつのまにやら一元論に陥りかけている。それはいかんのではないか。もっと多元的なものの見方、それは他者に寛容なものの見方でもあるわけだけど、そういう多元的なものの見方を意識的に取り戻さなくてはいかんのではないか・・・ま、そういう趣旨の本ですな。 で、人と人が共存しながら、しかも一元論に陥らずにあるためには、「人間ってのは、こういうもんだよね」という普遍的な常識(=コモンセンス)、ここに根を下ろさないといかんのではないか・・・。私の見たところ、養老さんの言わんとしていることは、コレです。 この立場に立つと、現代日本の諸現象は、たいてい批判の対象になります。 例えば「個性重視の傾向」とかね。 学校教育でも、最近はやたらに「個性を伸ばせ」という。だけど、養老さんに言わせれば、何を馬鹿なことを言っているんだということになる。 例えば、葬式で大笑いしてしまう人とか。とても「個性的」ですね。だけど、「親しい人が亡くなった時、人は普通、どういう感情を持つか」という常識があれば、葬式で大笑いするなんてことは出来ないはず。そんなことは当たり前なので、「人間ってのは、どういう状況下でどういう風になるか」という常識を教えることが重要なのに、そういうことを無視して「個性的であることがいいんだ」という風潮になっている。 で、どうして(日本は)こんな風になっちゃったのか、ということに関して、養老さんは「都市化」とか「脳化」という概念を持出してくる。自然や身体といったものを疎かにして、頭でっかちになってしまった、というのですな。で、頭の中で作り出したものに立脚するクセが付いてしまったがために、リアルな現実を把握するのが下手になってしまったと。 それはいわば、頭の中で壁を作ってしまって、その壁の内側だけで生きるという楽な道を選んでしまったということ。で、その壁の外側の現実を直視しないものだから、しばしば現実に適応できなくなると。例えばマニュアル通りの対応、なんてのも、その一つの事例ですな。現実の客を見て、それに対応するのではなく、最初から決められた方法を誰に対しても適用してしまう、みたいな。 そういう風なのを、養老さんは「バカ」と呼ぶわけね。 ま、それはその通りだと、ワタクシも思います。基本的に養老さんの言っていることは正しい。 だけど、うーん・・・。そういうことをポーンと断言しながら世相を切っているこの本、そんなに面白いか? だって、こういう論はさ、もうかなり言い古されていることなんじゃないの? ちょっと脳科学的なことも出てくるので、つい誤魔化されちゃうけれども。そんなに新しいこと言ってないよ? それにその言い方がさ、ちょっと下品というか。独りよがりというか。『バカの壁』という兆発的なタイトルは、もちろん意図的なものだろうけれども、やっぱりそこに養老さんのバカを見下す態度というのは表れていますよ。実際、確信犯的に見下しているのだろうし。 だけど、下品というのはね、やっぱりワタクシとしてはいただけないかな。 この本、2003年の4月に出て、その年の12月には40刷。2017年現在では一体何刷になっているのか見当もつきませんけれども、この本がどうしてまたそんな大ベストセラーになったのか、ちょっと理解できないところはありましたね。教授のおすすめは、なーしーよ。 ところで、それはそれとして、本書の中にV・E・フランクルの話が出てくるところがある。ヒトラーのユダヤ人虐殺を生き延びた心理学者で、『夜と霧』という名著を書いた人。 で、そのフランクルによれば、「人生の意味」というのは、外部にあると。 つまり、人間というのは、他の人間がいるから、人生に意味が生じるのであり、幸福というのも、他の人間が存在しないところには発生しないと。 例えば、癌にかかって余命いくばくもないという状態になったとする。では、もうその人にとって人生とは意味がないのか? というとそんなことはない。 余命いくばくもない、という状態になってから、どういう態度で残りの人生を生きたか。もし、毅然として最期を迎えるまで充実した生を生きたとすれば、そのことが残された親族・友人に感銘を与えることができるのだから、その人の人生にはやはり意味があるのだと。 無論、フランクルは、こういう考えかたをアウシュヴィッツの中で友人が次々と殺されていくのを目の当たりにしながら、しかも明日は自分がガス室に送られるかも知れないという苛酷な状況の中で掴み取ったのでしょうから、それを思うと、彼の発言は重いですよね・・・。 養老さんとしては、人間の生きる意味とか、幸福というのは、かくのごとく他の人間に依存するのだから、そういう人間同志のリアルな感情のやりとりこそ、倫理の根本に置くべきだ、という論旨の中でフランクルのことを持出すのですけど、確かにこのフランクルの言わんとしていることは面白いと思います。 というのは、今、私が研究している自己啓発思想っていうのはさ、つまるところ、幸福論になるわけよ。幸福になるには、どうしたらいいか、というのが自己啓発の基本だから。幸せになることを目指さない自己啓発なんてものはないわけで。 で、そう考えると、フランクルのような「自分の人生に意味を持たすためには(=幸福になるためには)、他人が必要だ」という考え方に対して、私はとても興味がある。 例えば、P・F・ドラッカーなんて経済学者がいるでしょ。ドラッカーも、おそらく、フランクル的な考え方をする人なのよ。 ドラッカーのマネジメント哲学というのは、「個人が自分の強みによって組織に貢献する時、個人も組織もハッピーだ」というものなわけ。これはつまり、個人の幸せは、組織との共存以外あり得ない、ということでしょ。 この状況というのは、ある意味、音楽におけるジャズと同じね。ソロ・パートと合奏パート、個と集団が力を尽くし、貢献し合うことでハッピーな音楽になるという。 こういう幸福論というのが、自己啓発思想史の中でいつ頃から登場したかということ、考えてみたら面白いかもね。私が思うに、1970年代後半あたりからじゃないかな、という気はするけれども。 いずれにせよ、養老孟司氏の本はともかく、フランクルの本は、もう一度、熟読すべきかな、という気がしてきました。そういう気にさせてくれたという意味では、私も『バカの壁』を読んだ甲斐はあったというものですが。夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録 [ ヴィクトル・エミール・フランクル ]
May 14, 2017
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自己啓発本に関する記事を書いていた時に、アメリカ人の編集者の方から、「近藤麻理恵についての言及がないけど、一言触れておいた方がいいんじゃないの?」とアドバイスされまして。 で、私としては「はあ? 誰それ?」みたいな感じだったのですが、早速調べてみると、この人、片付けのプロなんですってね。断捨離的な。代表作は『人生がときめく片付けの魔法』という本らしいのですが、これがアメリカでは『The Life Changing Magic of Tidying Up』として販売され、超売れていると。 しかも、2015年にはですよ、近藤さんは『Time』誌が選出する「世界で最も影響力のある100人」の中に、選ばれていると。 で、2015年にその名誉ある地位に選ばれた日本人は、近藤さんの他には、村上春樹さんだけだったと。 ひゃーーー。寡聞にして知らなかったわ~。普通は知っているものなの? てなわけで、慌ててこの人のことについて調べ、記事に書き加えた次第。 それにしても、盲点でしたね。やっぱり、「家の中の片付け」を自己啓発として考えるという発想が、男のワタクシにはなかったという・・・。勉強不足か・・・。 でも、それを言ったら、アレじゃないかなあ、「180度開脚本」も、ある意味、自己啓発かも知れないじゃん? ま、さすがに「2016年以降の日本では、誰もが180度開脚を目指し始めている」とは、書けないよね~・・・。人生がときめく片づけの魔法 [ 近藤麻理恵 ]
May 13, 2017
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今日は研究日でお休みだったのですが、このところ実家との往復が多くて忙しかったので、ちょっとゆったりしようと、久しぶりにお昼を外食してしまいました。 向かったのは日進市にある「タンドリー・キッチン」というインド・カレーのお店。カレーを作っているのはインド人シェフ(実はネパール人だったりして)と謳っていますから、本格派なのでございましょう。 で、注文したのはランチのカレーセットで、カレー(私はマトン、家内は野菜)、ナン、サラダ、ローストチキン、ライス(白いライスとサフランライスが選べる)、それに飲みものがついて1000円。それに、このお店の売りであるタンドリー・チキンを一人前追加。 で、食べてみた結果、おいしかったです。飛び上がるほどではないけれど、普通に。特に、タンドリー・チキンは量も想像していたのの倍くらいのボリュームがあり、しっとりとして美味。ナンも美味しかったけれど、とても一人一枚は食べきれず、残った分は包んでもらいました。 ちなみに、サーブしてくれたのは日本人の青年でしたけど、絵に描いたように「いかにもカレー屋さんでバイトしてます青年」で、多分、ここに辿り着くまでにインドを始めバックパックで世界中を旅してきたであろう雰囲気を漂わせていました。ニコニコとして、優しそうで、よく気の付く、感じのいい若者でしたが、多分、生き馬の目を抜くサラリーマンの世界には行かないんだろうなと。 というわけで、忙中閑有りの気の抜けた昼下がりを過すには、ピッタリだったかな。もっとも、ちょっと食べ過ぎてお腹が苦しいけれど・・・。 さて、少しのんびりしたところで、この後は気合を入れて、仕事でもしますかね。
May 12, 2017
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ロバート・シュラーの『いかにして自分の夢を実現するか』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 ちなみにこの本のオリジナル・タイトルは『Success is Never Ending Failure is Never Final』というもので、監訳は稲盛和夫さん。京セラの名誉会長ですな。稲盛さん自身、谷口雅春や中村天風の影響を受けたニューソート系の人で、本書の訳者解説の中でも、天風のことを「昭和ではナンバーワンの哲学者」と褒めている。だからこういう本を訳してしまうのでしょうな(もっとも、実際に訳しているのは別の人でしょうけれども)。 で、ロバート・シュラーですが、この人は牧師さんで、カリフォルニアにある有名な「クリスタル・カテドラル」をぶっ建てた人。「Hour of Power」というテレビ説教で名高いテレヴァンジェリストと言っていいでしょう。ガラスでできた巨大な温室みたいな聖堂でテレビ説教するわけだから、相当、色物っぽいよね・・・。 で、この人は牧師であっても、もう神様のこととか、あんまりお話しされません。神様の話をし始めると、「人間ってのはいかに罪深いか」っていう話になってしまうでしょ。もちろん、そういう反省も大事ではあるのだけれど、そういう反省をしすぎて「自分はダメな人間なんだ・・・」って落ち込むことの方がよっぽど害が大きい。そう考えたシュラー師は、とにかく「積極思考で行こう!」というわけで、積極思考の伝道師となったわけ。その意味で、1950年代の有名な積極思考の伝道師、ノーマン・ヴィンセント・ピール師直系の後継者と位置付けられます。 もっとも、そういう風にまとめられちゃうのを嫌ったのか、ノーマン・ピール師が「Positive Thinking」という言葉を使うのに対し、シュラー師は敢えて「Possibility Thinking」という言葉を合言葉にしてきたというね。「積極思考」と訳せば同じことになってしまうのだけど、自分はピールの二番煎じじゃないぞ、と言いたかったのでございましょう。 で、本書の中でシュラー師は、「積極思考」がいかに大事かを繰り返し主張されるのですけれど、その一例として自分自身も積極思考で成功した、と。 シュラー師は、自分の教会を大きくしたい、大きくしたいと思っていたのだけど、最初は貧しくて、なかなか思うように行かなかった。だけど、ある日ふと、「ドライブスルーの銀行や、ドライブイン・シアターがあるのだから、ドライブイン教会ってのがあってもいいじゃないか」と思いついた。それでそういうのを作ったら大ウケで、そのあたりから夢の実現が動き出したんですな。だから、積極思考があれば、夢は実現するんだよと。 ドライブイン教会ねえ・・・。信仰というのは、ドライブイン方式で・・・、まあいいか。 ま、そんな自分自身の例も含め、本書は様々なエピソードを引用しながら、積極思考の大切さを説いていくスタイルで、ずっと書かれていきます。 例えばパナマ運河。フランスが着手したのだけど、難工事で断念。あとをアメリカが引き継ぐことになった。で、当初、「不可能なのでは」と思われたのだけど、水位を上下させる仕組みを導入することで、アメリカはこの難工事をやり遂げる。つまり、「不可能」と思ったらおしまい。だけど、「いや、不可能を可能にする方法があるはずだ」と思えば、そこから突破口が開ける。だから、自分で「不可能」なんて消極的なことを決めつけちゃダメ、と。大きな問題も、小分けにすれば必ず解決できると。 あるいはこんな例も。ある少年が「僕は世界一の野球選手だ!」とつぶやきながら、自分でボールを投げ上げてそれを打つバッティングの練習をしていたのだけど、どうにも下手で空振りばかり。だけど、三回やって三回とも空振りした後、「三振! 僕ってなんてすごいピッチャーなんだ!」とつぶやいたと。で、シュラー師曰く、この幼い少年の積極思考に学ぶところがあるではないか、と。 とまあ、こんな感じで、興味深い、あるいは微笑ましいエピソードを適宜繰り出しながら、前向きに生きろ!と繰り返し繰り返し読者を励ます。それがシュラー師の伝道というものなんですな。 頑張れ、頑張れ、プラス思考で頑張れ、と獅子吼するだけの本だから、面白いかと言われると、どうなんだ?というところはありますが、きっとカリフォルニアの晴れた日曜日の朝とかに、キラッキラなクリスタル・カテドラルで、200万ドルのパイプオルガンの荘厳な音楽を聴きながらだと、もうちょい、いい感じになってくるのかもね。 でも、シュラー師の死後、師の教会は跡目争いで醜聞が続き、ご自慢のクリスタル・カテドラルも借金抱えて身売りしたそうで、そういうのを聞いちゃうと、積極思考の夢の跡って感じもしてきますなあ・・・。【中古】 いかにして自分の夢を実現するか あなたは「自分のこの不思議な力」をまだ使っていない /ロバートシュラー(著者),稲盛和夫(訳者) 【中古】afb
May 11, 2017
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先日ブックオフでキングスレイ・ウォード著『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』を200円でゲットしたんですけど、ちょろっと読んじゃった。 ちなみに本書の訳者は城山三郎さん。城山さんって、かつて私の勤務先大学に勤めていたことがあって、その意味で職場の先輩に当たるんですよね。ま、それはともかく、この本は、カナダのとある会社の創業社長が、二代目社長になるはずの息子に宛てて、社長帝王学を伝授すべく書いた30通の手紙をそのまま本にしたもの(という触れ込み)。だから、経済小説を数多くものした城山三郎氏としては、興味があったんでしょうな。 で、本文読む前にまえがきと巻末の訳者解説を読んだのですが、父親が情愛たっぷりに綴ったこの手紙を読むと思わずほろりとさせられるとか、友人の誰それは本書を読んで落涙を禁じえなかったとか書いてあるので、ほう、そんなに感動的な話なのか、と、楽しみに読み始めたのですけど・・・ そんなでもないね。(ガーン!) っていうか、むしろうざい。(ガガーーン!) ま、結局さ、創業者社長の父親から見ると、色々な意味で息子はふがいないわけ。ふがいないし、頼りないし、危なっかしい。で、普通の親子関係だったら、親父が息子にガミガミどやしつけて、しばらく口もきかない仲になり、でももしその息子が多少なりともまともな奴だったら、次第に大人になって、いつしか一端の二代目になる、的なことで収まるわけでしょ。だけど本書の父親、つまり著者のウォード氏は、そんな普通の親父よりはもう少し冷静かつ粘液質の男だったので、息子に向って言いたいことをうだうだ文章に綴って手紙として息子に渡していたと(それも、自分の手元に記録を残して、ってことでしょうけど)。 だから、手紙の内容はねちねちと息子の欠点をあげつらい、こういう風にしろと命令する、父親のそれですよ。無論、オブラートに包んであるので、それを人によっては「ユーモアたっぷりに」と受け取るかもしれないけれど、そういうことならむしろズバッと直截的に言ってもらいたいと思う私のようなタイプの人間からすれば、「うざい」って感じになると。 例えば、同年代の友人たちが結婚し出したので、若干焦りだし、そろそろ自分もと嫁探しを始めた息子のうわさを聞き付けた父親が、「息子よ、焦って結婚したりすると後が怖いぞ。結局、離婚なんてことになったらえらい損失だ。結婚と言うのは、自分を投資するビジネスなんだからな。嫁にするなら性格が温かくて礼儀正しく、清潔好きな女にしろよ、それからその後一生添い遂げることを考えれば美人を選べよ。だけど、あらゆる側面でパーフェクトなんて女はいないから、ある程度のところで妥協しろよ。口説き落とす女が決まったら、用意周到で行け」とか、そんな盛り沢山なアドバイスをした挙句、最後の署名は「愛の天使より」と来たもんだ。 あるいは、親父の会社に勤めながら、友人たちに誘われ、新しいベンチャー企業を興そうと息子がたくらんでいると知った時は、「お前なあ、絶対だまされとるぞ。お前を起業に誘った友達ってのは、要するにお前を金づるにしようっていう魂胆なのに、お前にはそんなこともわからんのか。それでもどうしてもやるというのなら、騙される前に周到な手を打って、金を出す以上、俺がすべて監督するからなって言ってやれ。用心しろよ」ってなことをくだくだ言った後、最後の署名は「共同経営者より」。 それから多角経営をしている自分の会社を批判し、事業を整理して資金を一極集中させた方がいいんじゃないかと息子が言ってきた時には、「お前、ふざけんなよ。俺がどれだけ苦労して、この会社を経営してきたか、分かってねえだろ。一極集中して失敗したらどうすんだよ。多角経営して、1つが経営不振になっても他の分野でカバーするってのが、うちのやり方だ。アンドリュー・カーネギーだって言っているだろ、『初代と三代目は作業着を着る』って。初代が苦労して一から作り上げたものを二代目がつぶし、三代目はまた一から出直す羽目になるって意味だよ! 俺の目の黒いうちは経営方針についてお前にとやかく言われる筋合いはないんじゃボケ! 会社の進路を決めるのは俺だ。お前はただ俺の命令に従ってりゃいいんだよ」と言って、最後の署名は「ウォード船長より」。 こんなの延々30通読んで、ほろりと来る? 私は来ないよ。目頭なんか熱くならないし。 というわけで、どうしてこの本が父性愛の見本だ、みたいなことを言われるのか、私にはさっぱり。 でも、この本、1987年の1月に初版が出て、その年の11月までに31刷だからね。10カ月のうちに30回増刷って、どういうこと? わかんないわ~。それとも、この本にほろりと来ないワタクシがどうかしているのか? 私が唯一、面白いと思ったのは、父親が息子に向って「必読書10傑」を紹介している19通目の書簡ね。ウォードが息子に示した10冊は、以下の通り:1 バートレットの常用引用句集(ジョン・バートレット)2 広告業に生きる(クロード・ホプキンズ)3 家族経営会社の性格(レオン・ダンコ)4 医師と心(ヴィクター・E・フランクル)5 東洋の遺産(ウィル・デュラント)6 巨富を築く13の条件(ナポレオン・ヒル)7 ライジング・サン(ジョン・トランド)8 ブリタニカ百科事典一巻(どれでもいい)9 ローマ帝国衰亡史(エドワード・ギボン)10ラルフ・ウォルド・エマーソン(フレデリック・I・カーペンター) もちろん、私の目を惹くのは、ナポレオン・ヒルの『巨富を築く13の条件』が挙げられていること。これね、ヒルの『思考は現実化する』という本のダイジェスト版です。なんでウォードは『思考は現実化する』の方を推薦しなかったのか若干の疑問は残りますが、とにかく、起業家必読の本としてナポレオン・ヒルを挙げているのは興味深いですなあ。 あと、もちろん、エマソンを挙げているのも実に面白い。ちなみに本書では本文中でも一か所、第27通の最後に「健康と自由な一日を与えられれば、帝王の栄華も馬鹿らしく思われるほど幸福になれる(Give me health and a day, and I will make the pomp of emperors ridiculous.)←Nature からの引用」というエマソンの箴言の引用があります。「エマソンの引用のない自己啓発本はない」という私の見立ては、この本にも当てはまるわけよ。 私にとって面白かったのは、ここだけ。 あと、前にも書きましたが、この本の類書・・・というかご先祖に、フィリップ・チェスターフィールド卿の『わが息子よ、君はどう生きるか』という本があるので、その本と絡めることで、本書ももう少し面白く読めるかなと。それは今後に期待しましょう。 ということで、私にはちっとも響かなかった本ですけど、世間的には素晴らしい父性愛の本ということになっているらしいので、そういうのに興味がある方はどうぞ、って感じです。【中古】 ビジネスマンの父より息子への30通の手紙 新潮文庫/G.キングスレイ・ウォード(著者),城山三郎(訳者) 【中古】afb
May 10, 2017
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最近、名古屋に出来た「レゴランド」、どうなんすかね。客、入っているの? 河村市長が進めている名古屋城天守閣木造化計画もそうだけど、なんか、名古屋って、集客のセンスないよね・・・。名古屋城を木造化したからって、どうなのよ。魅力ある? そんな話を同僚と雑談していて、既存のレゴランドを招くより、例えば京都の「国際マンガミュージアム」とか、三鷹の「ジブリの森」みたいなものを作った方がよほど「日本の文化を世界に発信!」的な意義があるんじゃないかと。 で、それだったらマンガ/アニメ関連のミュージアムを名古屋に作るとして、誰を(何を)メインに据えればいいか、という話になりまして。 そしてそこにいた全員が同時に思いついた。 名古屋には、鳥山明先生がいるじゃないか! ドラゴンボール・ランド! 絶対、集客力あるでしょ。少なくとも、レゴランドより。ドラゴンボール・ランドだったら、コスプレ系の催しとかも出来そうだし。アトラクションも作ろう。「ドラゴンボール・ザ・ライド」とか。 で、定期的に他の大物漫画家さんの展示とかもしちゃうとか。 とまあ、そんな話で盛り上がった、今日のコーヒー・ブレイクだったのであります。
May 9, 2017
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いやあ、父の具合が悪くて、これから介護をどういう風にやっていけばいいんだろうと思い、何か参考になることはないかしらと、関連本を読んでみようと思い立ちまして。 で、いつものようにアマゾンのサイトで、「老人介護」というキーワードを打ち込んでみたと。 すると・・・ ん? 「18才未満のお客様のアクセスは固くお断りします」・・・? どういうこと? まあ、18才未満だと、確かに親の年齢だってせいぜい40代、まだまだ「老人介護」の域じゃないよね・・・。 で、はい、私は18才以上ですよ、と。ポチ。 きゃあーーーーーーーーーー!!!! そこには、もう、目も当てられない世界が現出したのでございます。 そうなんだ・・・。アマゾンで「老人介護」本を探そうとすると、「老人介護」というタイトルを含むいけないDVDがズラッとヒットするんだ・・・。 これ、どういう人が買うの? 老人が買うの? それとも、よく分からないけど、そういうのを見たい若い人がそんなに沢山いるの? でもさ、結局、何ページにも亘ってその種のDVDしか出てこないんですけど、「老人介護」をテーマとしたノウハウ本とか、そういうのはアマゾンでどうやって買えばいいのでしょう? 誰か、アマゾンで老人介護のちゃんとした本を買う方法、教えて~!
May 8, 2017
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先日、小学校時代の友人達とバーベキュー・パーティーを楽しんだ際、参加した女性陣から、今、どういう男性に惹かれるか、という発言が飛び出しまして。 それによると、もうこの歳になると、性的な魅力というのはどうでもいいと。 むしろ静かに一緒に飲んで、面白い話を聞かせてもらって、いい気分にさせてもらって、格好よくエスコートしてくれるような人がいい、というのですな。年齢的には大分上でも良くて。 で、具体的なイメージとしてはどんな感じかと言えば、ずばり「おひょいさん」だと。つまり、先頃亡くなられた藤村俊二さんのこと。 で、おひょいさんの何が良いかというと、まず細身でお洒落(ここは結構重要らしい)。そして、そこそこリッチ。かつ、自分から前へ出よう、目立とうという気はさらさらないけれども、一方で自分の美学というものをしっかり持っている。そしてその美学を貫く形でバーを経営し、好きな人を集め、好きなように飲んでいる。もう、これに勝るダンディーはない! というのが、ワタクシ世代の女子の言い分でございます。 で、4分の3くらいはお世辞なんですけど、彼女ら曰く、「釈迦楽君は、その路線、狙えるんじゃないの? 全然お腹出てないし、自分の美学を持っているし、お金もありそうだし(それはない)。それに、なんだか最近、髪の毛も白髪が多くなって来て、おひょいさんみたいになってきたじゃない」。 ひゃー、マジ? そんなこと言われちゃったら、本気で目指しちゃうよ、おひょいさん。 ま、もともと自分でも「おひょいさんって、クールだよな」と思っていたところなので、ここは渡りに船だ、ワタクシ、おひょいさん的後半生に懸けてみようかな。とりあえず、口ひげ? ということで、このGWは、新たな人生目標が明確に定まってくる契機ともなったのでした。 さてさて、今日はこれから父のお見舞いに行って、夜、名古屋に戻ります。まあ、父の容態への不安はありますが、私にも仕事がありますからね。月曜日は授業しなくちゃいかんし。 しかし、今後は二週間おきくらいに実家に戻らないといかんかな・・・。
May 7, 2017
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Matt Novak という人の書いた「All American Huckster」なる長文記事を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 これ、『思考は現実化する』の著者として名高いナポレオン・ヒルの実像に迫る暴露記事なんですけど、これを読むと、まあ、ヒルという人が正真正銘の詐欺師だったということがよくわかります。 といっても、それは彼がどうしようもないワルだった、という意味ではないのね。ヒルはヒルなりに理想があり、やりたいことがある。本も書きたいし、自己啓発的な学校も作りたい。囚人の矯正施設も作りたい。だけど、もちろん自分にはお金がないから、人から借りるなりしなくちゃならない。で、お金持ちの女性と結婚したりして、その実家からお金を借り、事業を展開するのだけど、もちろん失敗して夜逃げするはめになると。 彼の伝記を読んでいると、旅から旅への股旅人生なんですけど、それは要するに騙して金をせびった相手や、借金取りから逃げ回るためだったんですな。むしろ、よく警察に捕まらなかったなと、そのことに感心するほど。 でも、講演者としての才能はあったようで、人をその気にさせるのは巧かったらしい。だから、詐欺師なんですけど。 で、そういう旅回りの講演者だったからこそ、平気で嘘をつく。自分はウッドロー・ウィルソン大統領やフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の補佐官だったとか、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーに頼まれて成功哲学を研究したとか。カーネギーの紹介で自動車王のフォードに会ったけど、案外、ぱっとしない奴だったとか。そういうことを口から出任せに言っちゃうわけよ。で、何度も何度もそういうはったりをかましているうちに、自分でもそれを信じ始めたんじゃないですかね。 ヒルが「実際に会った」と吹聴している有名人の中で、唯一、本当に会ったことがあるのは発明王エジソンなんですけど(これは二人並んだ写真が残っている)、それもエジソン主催のコンヴェンションに潜り込み、どうにか写真を撮ってもらったらしいんですな。それで後から、エジソンの業績を顕彰するメダルかなにかを自作して彼に送ったところ、無言で突き返されたらしい。 あと、ヒルはガンジーと親しかったということになっていて、ガンジーがヒルの著作の大ファンで、その人物を確かめるために探偵を雇った、とか吹聴しているのだけれど、これも実際には大嘘みたい。 ただ、『思考は現実化する』だけは、唯一、スマッシュ・ヒットであったと。 だけど、これも実は、この当時、ヒルの奥さんだった(自伝によるとヒルは3回結婚していることになっているけれども、マット・ノヴァクの知る限り5回結婚していたらしい)ローザ・リーによる編集が良かったらしいんですな。 で、とにかくこの本は売れに売れた。1937年というと、まだ不況を脱しきっていなかった時期ではありますが、当時のアメリカ人としては、景気のいい話が読みたかったと。だから、「こうすれば金持ちになれる」というのは、福音として響いたわけですな。 それから、これはヒルの自己啓発本の大きな特徴の一つなんですけど、彼によると、巨富を築くための原動力は「信念」と「愛」と「性衝動」だということになっていて、敢えて[性衝動」を積極的に肯定しているわけ。そこが、一般には受けた(=読みたいと思わせた)のだろうと。 しかし、ここにまた落とし穴がありまして。 というのも、ヒルは、この本がめちゃくちゃに売れたもので、莫大な印税を手にしたのですが、その印税を、前の奥さんであるフローレンスに取られたくなかったものだから、印税が自分ではなくローザ・リーの方に行くことにしておいたんですな。そしたら、それをいいことに、ローザ・リーにみんな持ってかれちゃったと。 でまたこのローザ・リーというのがヒル以上の性悪で、自ら、金目当てにヒルと結婚したことを公言し、金持ちの男と結婚する方法『How to Attract Men and Money』という本まで出版する始末(この本にはまだリーと離婚する前のヒルも寄稿していて、現代女性が金のために結婚することはぜーんぜん悪いことじゃない、それは一つのビジネスだ、みたいなことを書いているらしい)。 というわけで、ヒルは生涯で唯一まともに稼いだものと言える『思考は現実化する』の印税の恩恵をほとんど受けていないという。 で、結局、生涯、ろくなことをしていないヒルが、それでも晩年を平穏に(実際には平穏でもないのだけど)過ごせたのは、W・クレメント・ストーンという、保険会社のオーナーで大金持ちの人がヒルのファンだったから。『思考は現実化する』に触発されて成功したストーンは、一時、ヒルを神と崇めていて、落ちぶれかけていたヒルを救い上げたわけね。 もっとも、ストーンはストーンで、ヒルと共著という形で自己啓発本を書いたりして、自分の名前をあげるのにヒルを利用した側面もないわけじゃないのだけど、とにかく、ストーンのような大金持ちがサポートしたからこそ、晩年のヒルがあったと。 だけど、そうなるとまたヒルの詐欺師魂が頭をもたげて来て、またぞろ色々な事業を興そうとするものだから、ストーンも音を上げてヒルから離れてしまうのですけれども。 でも、まあ、1963年に「ナポレオン・ヒル財団」を立ち上げたのが功を奏し、ここがヒルの著作物を、手を換え品を換えながら、やたらに再刊するもので、なんとかヒルの自己啓発ライターとしての名声は保たれているんですな。『悪魔を出し抜け』なんて本は、この財団が昔のヒルの著作をテキトーに編集して作ったみたいだし。(この本もそうらしいですが、ヒルの昔の本の中には、かなりスピリチュアルなものもあるらしい。まあ、詐欺師ですからね。) とまあ、そんなヒルのインチキ臭い人生が、この長文記事の中で手際よく再現されております。もちろん、この記事自体の信憑性はどうなんだ、と言われると、研究書と違っていちいち注がついているわけでもなく、確認が出来ないのでなんとも言えませんが、多分、そんなに間違ってはいないのではないかと。少なくとも、ヒルの公式な伝記よりは、信用できそうな感じ。勘だけど。 というわけで、ヒルの公式じゃない伝記が存在しない以上、このネット上の長文記事は、ヒルの実像に迫るためには、必読の文献と言えるのではないでしょうか。これこれ! ↓ナポレオン・ヒルの実像
May 6, 2017
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入院中の父ですが、実際に会ってみると、それなりにしっかりした応答は出来るものの、医学的に見るとあまりいい状態ではないようで、先行き不安なことばかり・・・ なのですが、そんな状況が影響したのか、今日はついに母が熱を出しまして。父の入院以来、毎日のように見舞いに行って世話を焼いていたその疲れもあったのでしょうし、精神的な気落ちもあったのでしょう。 まあ、幸い、私も姉もそろっているので、母の看病は大丈夫ですが、これからは母の方のサポートも必要になりそうな勢い・・・。 なんか、不安なことばかりですなあ・・・。
May 5, 2017
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今回の実家滞在の中心的課題は、入院している父のお見舞いなんですけれども、そういうものがあるために、逆にどこかへ遊びに行くようなこともないので、それ以外の時間はそれなりに本が読めます。 で、今はナポレオン・ヒルの伝記を読んでいるのですけれども、これがまたそれなりに面白いわけ。 面白いというのは、嘘のような本当の話なのか、本当のような嘘の話か、よくわからないことがやたらと沢山書いてあるから。 例えば、ヒルがウッドロー・ウィルソン大統領の参謀だったという話とか。大統領に直接頼まれてその職についていたのだそうですが、第1次世界大戦末期にドイツが敗色濃厚になった際、アメリカに停戦を求めて来たのだけれど、ドイツからその電報が入った時、ヒルはホワイトハウスの執務室にウィルソンと二人きりで居て、ウィルソンから戦後処理のやり方についての相談を持ちかけられたというのですな。それに対してヒルがアドバイスした。で、そのアドバイス通りにやったおかげで万事うまく行ったというのですが・・・ 本当かよ〜!! で、そういう本当かよ〜、な話満載なんだけど、そういうことが本当にあったという各種証拠(ウィルソンからの書簡など)を、火事で焼いちゃった、ということになっているのがまた怪しい。 そればかりか、ヒルはフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の補佐官を三年も勤めたということになっていて、大統領の有名な「炉辺談話」も大半はヒルが書いていたと。で、ルーズベルトの有名な言葉、「我々が恐るべきは、恐れそのものである(The only thing we have to fear is fear itself.)」も、実はルーズベルトではなくヒルの考案によるものだってんですから。 本当かよ〜!!!!!!! ちなみに、ウィルソン大統領の時も、ルーズベルト大統領の時も、ヒルは自ら「アメリカのために尽くせるなら、給料なんて要りません!」という心意気で参謀になったと。つまり、合衆国政府から給料をもらっていないので、公式にヒルの勤務記録は残っていない、というわけね。 本当かよ〜!!!!!!!!!! というわけで、伝記とは言ってもめちゃくちゃ眉唾なんだけど、それでもやっぱりナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』という自己啓発本がベストセラーだというのは事実だし、彼の影響がその後の自己啓発思想に与えた影響も決して小さくはない。だから、ひょっとしたら希代の詐欺師かも知れない男が、世の中を変えた可能性もあるわけよ。 そう考えると、やっぱり面白いよね! というわけで、眉にたっぷり唾つけながら、この本を堪能しているワタクシなのでありました。「成功哲学」を体系化した男ナポレオン・ヒル [ マイケル・J.リット ]
May 4, 2017
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今日は朝も早よから「モナの丘」というところに行って、小学校時代からの友人7人でバーベキュー・パーティーをして参りました。 集まったメンバーの現在は様々で、もう子供たちが巣だって夫婦二人の生活に戻った者あり、まだ子供が5歳という者あり、それどころか結婚してない奴あり、といった具合。だけど、人生のステージで言えば、子供が巣立って夫婦二人に戻るパターンが、いわば最先端を行っているわけで、そういう連中の話がリアルで面白かったかな。 で、そんな先端組の一人であるKさん(女性)の場合、子供が巣立って夫婦二人に戻ったことを夫がすごく喜んでいて、「これからは二人で一緒にゴルフに行けるね!」と、Kさんの分のゴルフセットまで買ってきちゃって、それで週末毎にゴルフに行くようになったと。それで、夫的には、「僕たち、夫婦仲良し〜」と悦に入っているらしい。 ところが、実のところKさん自身は、ゴルフなんか好きじゃないと(ガーン!) だけど、そのことを夫には言えないと。一緒にゴルフ行くのが本当に楽しそうで、その楽しそうな顔を見ていると、とても申し訳ないので(ガーン!) で、よく考えてみたら、夫との共通の趣味とかもないし、テレビ番組などの嗜好も全然違う。だけど夫の方では、そういうことに気づいてすらいなくて、すっかり満足しているようだし、この先、定年を迎えた夫と24時間・365日、一緒にいることになると、大分キビシいのではないか・・・。 そうなんだ・・・。 で、そんなKさんの熟年夫婦にまつわる愚痴を聞いていた我々男連中はみんな震え上がりまして。 自分のところは夫婦円満だと思っていても、実際には違うのかも知れない・・・。妻は夫が思っているほど、夫と一緒に居て幸せではないのかも知れない・・・。 こわっ! 女性って怖いな・・・。頼むから、言行一致して。フリはしないで・・・。 で、そのことと重なるのかどうか、このKさん、最近、偶然に高校時代の恋人に会うことがあったと。で、その時、その元彼に言われた一言に、胸キュンしてしまったというのですな。 じゃあ、その元彼は、Kさんに何と言ったのか。 「君は、いい歳の取り方をしているね」 と言ったんですって! (それも、頭ポンポンしながら!) 解説しよう。Kさん曰く、これがもし「君は相変わらずきれいだね」とか、「君は全然変わらないね」と言われたのだとしたら、全然、キュンとはしなかっただろうと。だけど「君は、いい歳の取り方をしているね」というのは、つまりこの三十数年の間にKさんが経験してきたことすべてを肯定し、その上で、現在のKさんを素敵だ、と表現したことになる。だから、ズキュンと来たというわけ。 なるほどね〜! 元カノに告げる必殺の台詞は、「君はいい歳の取り方をしているね」だったのか! というわけで、今日のバーベキューは、色々と勉強させられることの多いものとなったのでした。
May 4, 2017
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ひゃー、連休の谷間、授業2つしっかり終えてから実家に戻ってきました〜。上りだから全然渋滞とかなかったけどね。下りはひどかったよ。10時過ぎだってのに、秦野中井の方までびっしり。 ま、毎年GWには帰省して、友人達とBBQパーティーと決まっていて、実際そうなんだけど、今年はね、そうお気楽なばかりじゃないの。なんせ親父が入院していますからね。 お見舞いもそうだけど、今後のことをあれこれ決めなくちゃいけない。介護認定はどうするのか、老人ホームに入れるのか、ケアマネージャーはどうするのか、とかね。 だけど、今回、実地で体験してみて思うのだけど、老人介護問題ってほんとに複雑で全然分からないわ。 区役所に行って話を聞くのと、病院のソーシャルワーカーに話を聞くのと、地域のなんとかセンターで話を聞くのでは全く違う答えが返ってくるからね。 大体、ソーシャルワーカーって何だよ? ケアマネージャーとどう違うんだ? 区役所に聞くと、入所する先は自分で決めるんだと言うし、ソーシャルワーカーに聞くと、いえ、もう選択肢は2つですからと言うし、なんとかセンターに聞くと、まずはケアマネージャーを決めるんだと言うし。 それに要介護2のままとどめておくのが得だという人もいれば、要介護3にアップするのが当然得だという人もいる。 もう何がなんだかさっぱり分からないよ! とりあえず今回の滞在期間中にその辺のことをはっきりさせたる! というわけで、例年とは異なって、なかなかに渋いGWになりそうな予感。ま、誰しもが通る道なのかも知れないけどね・・・。
May 3, 2017
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K・ブランチャード、S・ジョンソン共著になる『1分間マネジャー』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 ちなみに、S・ジョンソンってのは、スペンサー・ジョンソンのことで、あの『チーズはどこへ消えた』を書いた人。『1分間マネジャー』もベストセラーですけど、いいね、ベストセラーがいっぱいあって。 で、『チーズ』と同様、『1分間マネジャー』も、まあ、ドラマ仕立てというか、寓話ね、寓話。ある若者が、優れたマネジャーの在り方を求めて、「1分間マネジャー」と自ら名乗るある男のもとを訪ねる的な。で、そのマネジャーがこの若者にマネージメントの極意を伝授し、その結果、この若者が次の「1分間マネジャー」になると。 こういう、対話形式で上から知恵を授ける的な本って、自己啓発本では人気があるんだなあ。オグ・マンディーノの『この世で一番の奇跡』とか、マーク・フィッシャーの『成功の掟』とか。あるいは日本で言えば『嫌われる勇気』とか『夢をかなえるゾウ』とか。やっぱり、「秘術」みたいなものは、仙人みたいな謎の人から与えられるのがいいんだろうね。で、その秘術は案外、当たり前のことでした、みたいな。 ちなみに、この本の原書が出たのは1981年なんですけど、そのこと自体にも一つの意味がありまして。というのは、それに先立つ1970年代後半というのは、アメリカの製造業が不振に陥っていた時期に当り、その一方、日本の製造業、特にクルマ産業は絶好調、アメリカの対日本貿易の赤字が顕著になっていた頃なんですな。トヨタの「カンバン方式」に代表される日本式経営術に注目が当るようになり、エズラ・ヴォ―ゲルの『ジャパン・アズ・ナンバー1』(1979年)なんて本が日米双方でベストセラーになったのもこの頃の話。日本製造業、得意の絶頂の時代でございます。 だけど、そうやたらに日本がもてはやされるとなると、その反動で「いやいやちょっと待てよ」と。何も日本の真似をしなくたって、アメリカは独自で合理的な経営方法を案出すりゃーいいじゃないか、ってなことを言い出す奴も出てくるわけでありまして、そうなるとプラグマティックなこととなると自信満々なアメリカの行動科学者とか心理学者とかが張り切り出す。で、そういう連中が「科学的な裏付けのある」マネージメントの方法論をあれこれ考え出した結果の一つが、まあ、本書であったという次第。 さてさて、それでこの『1分間マネジャー』が教えるのは何かと申しますと、一言で言って、「良い上司の在り方」ですな。 で、本書に登場する経営のグルである「1分間マネジャー」さんによると、良い上司というのは3つのことを行う。その3つとは「1分間で目標設定する」「1分間褒める」「1分間叱る」ということ。 まず「1分間で目標設定する」ですけど、会社業務がうまく機能しないのは、上司の思惑と部下の思惑にズレがあるからだと。つまり上司は適切な説明もせず、部下が自分の思い通りに動くだろうと期待してしまいがちだが、部下の方は自分が何をすればよいか明確に把握できず、結局、自分の判断でことを行い、それが上司の思っていたことと違う場合、その時点で叱られて意欲を失う。そういうケースが実に多いと。 だから、良き上司たるもの、非常に明確な、1分間で読み上げられる程度に短く、かつ明確な指示を紙に書き出し、それを自分と部下の両方で持つことで、部下に何をすればいいかを双方了解の下、確実に示すことが必要であると。 ふむふむ。なるほど。 で、そのような指示を出した後、良いマネージャーは、部下の働きぶりをよく見る。そして、大体、いい感じで仕事が進んでいるなと思ったら、すぐに1分間だけ褒める。これが第二の「1分間褒める」という奴。これによって部下は、上司が自分の働きぶりに注視し、評価してくれていることを自覚。同時に、自分が今やっていることは間違いがないのだと確認できるので、ますます意欲が涌くと。 で、この時の褒め方ですが、肩を叩くなどの身体接触も有効であると(これについては後述)。 一方、もし部下が間違った方向に進もうとしたり、仕事をしくじった場合は、後回しにするのではなく、間違いが判明した直後に「1分間叱る」べきであると。ただ、叱るのは部下の行動を叱るのであって、部下の人間性を叱るのではないのだから、1分間叱った後、必ずフォローして、「君の人間性についてはまったくOKである」ということをちゃんと伝える。これが叱り方の重要なところ。 こういう風にしていけば、部下としては、自分の人間性を上司が信頼してくれた上で、明確な仕事の目標を相互同意の上で設定してくれ、しかも仕事がしくじった時にもうまく行った時にもすぐに認めてくれるほど自分のことを見ていてくれるんだ、という思いがあるので、自信をもってどんどん働く。そうした部下たちの自主的なやる気こそが、会社にとっての財産なのだ。 とまあ、「1分間マネジャー」が、迷える若者に伝えるのはそういうことでございます。 ま、非常にシンプルだけど、確かに「上司と部下」という人間関係を深く見抜いた、なかなか卓越した人間学になっているような気がします。それに、この本が言っていることは、何も会社における上司・部下関係に限らず、他の人間関係、特に上下関係を含む人間関係にも当てはまるんじゃないかと思わせてくれるところがまたいい。 例えば、この「1分間マネジャー」の教えを、学校における「先生と生徒」の関係に当てはめても、結構うまく行くんじゃありませんかね? まず担任は、自分の理想とするクラスの在り方を明確に、かつ簡潔に生徒に示し、相互同意の上でこの目標に向かって努力することを誓うと。 で、この目標に向かって生徒たちが努力すれば、その兆しを目ざとく見つけてまず褒める。 逆に、この目標がおろそかにされているような具体的な行動があった場合は、それを見つけた時点ですぐに叱る。ただ、行動のみを叱るのであって、生徒の人格は絶対に否定せず、一人の人間としての生徒への信頼をはっきりと示すと。 ま、そんな感じでやって行ったら、結構、上手なクラス運営ができるのではないですかね。 ちなみに、「1分間マネジャー」は、部下を褒める時にしばしば肩を叩いたりするなど、身体的接触をすることがあるのは前にも述べましたけど、同時に「1分間マネジャー」は、この身体的接触については、一つ重要な注意点があると指摘しています。 それによると、この種の身体的接触というのは、言葉以上に深い意味を持ち得るというのですな。例えば母親が自分の幼い子供の身体を抱きしめながら励ますと、その抱きしめるという行為が、励ましの言葉以上に効果があるというわけ。子供のことを思い、子供の健やかたることを一心に願う母親の心が、身体的接触を通して子供に伝わるから。 だから、その母子関係に匹敵するような信頼関係が上司・部下の間にあれば、肩を叩いて「よくやった!」と褒めるのは効果があるわけですな。ところが、そういう信頼関係がまだはっきり確立していない時点でそれをやると、部下は逆に戸惑ってしまう。 つまり、身体的接触は両刃の刃だから十分に神経を使え、というのが「1分間マネジャー」の教えなわけ。 で、そのことを、先ほどのクラス運営に応用すると、先生たるもの、あんまり気軽に生徒の身体に触れない方がいい、ということにもなりますね。特に年頃の女子中学生とかが相手の場合、気安く肩なんか叩かない方が無難でしょう。 とまあ、色々なレベルで、合理的なアドバイスになっているわけですよ。だから、この本がベストセラーになったのも頷けるし、この本が好評のうちに受け容れられたことによって、『1分間なんちゃら』というタイトルの本が次々と出版され、柳の下のドジョウの群になったのも、まあ、頷けるかなと。 というわけで、会社で部下を持つ立場の人だけでなく、学校の先生とか、上下関係を含む人間関係の中でお仕事をされている人には、一読して損はない本ではないかと思います。教授のおすすめ!と言っておきましょうかね。【中古】 1分間マネジャー 何を示し、どう褒め、どう叱るか! /K・ブランチャード(著者),S・ジョンソン(著者),小林薫(訳者) 【中古】afb
May 1, 2017
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