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政権、政治家は、司法、マスコミ、教育界に できるだけ介入せず、大幅の自治を 尊重するのが、上品さで、露骨に介入を考えるのが、下品な政治家ですね。日本の政治家は、下品で 美しい日本を貶めている、情けない。それは残念、視野が狭いのでは。原発だけが問題ではなく、大きな政治の流れ、実現性、総合的な見方が大事では。宇都宮氏では、おかしな日本の世相を変えられないのでは? 大きく、団結したい。太平洋戦争とは 日本にとって何か http://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/diary/201312080007/?scid=we_blg_tw01 #r_blog大谷杉郎先生の存念 ー 目覚めてみれば、 自爆テロの一種? 終戦の戦略が 見えない。今朝閃いた。燕から、学ぶ。生まれて、大きくなって恋をして、子供に一生懸命に 虫のえさを与えて、やがて老いては、逆に食べられたり、微生物のエサになってしまう 哀しい連鎖。それが、生物というものか。敗戦まじか、 抵抗力の無いもの、 非戦闘員の大量殺傷を意図したということで、史上最高の 卑劣な行為 と 評価されるでしょう ーー 韓国は 巨悪に 気づかせるために 慰安婦の像を 本場に立てたがっている?小泉元首相が会見「原発、即ゼロに」 安倍首相に求める ー なるほど、実力者の立派な見識ですね。 じっくり考える必要が。 慣性の法則、世界の状況も 加味して?? 即時は適当か?
2014.01.31
2014年1月30日 22:49 コトバは 何らかの実質的なものか? もしくは実質のあるものを指し示す場合には 虚構ではないか? つまり《意味内容》と コトバ(音声・文字)とは 一対一に対応しているのだろうか? コトバは シルシであるのではないか? 方便であり 補助線であり 虚構として用いるものではないか? 虚構が――小説作品と同じように―― 一編の真実を表わすことは もちろんある。つまり 補助線であるのではないか。言葉は、そう単純ではなく、深いですね。 微妙で 心の表現、生命の表現ですね。 発音や 話し方 雰囲気、語感など、
2014.01.31
2014年1月30日 22:51 お金のない社会は実現しますか?共産主義もお金は使いました 電子マネーも無くなるわけではありませんしかし漠然とですが 理想的な世界が実現するなら お金もなくなりはしないかと思いますしかしすぐには無理でしょうけど無くすとしたら何時頃 どのようにして無くなるでしょうか出来れば分かりやすく簡潔に意見を聞かせて頂ければ嬉しいです。どうかよろしくお願いします。 価値の交換は 社会生活で基本的ですから、 当分お金は 無くならないのでは? 原理は 次を参照して下さい:再生核研究所声明 125 (2013.8.24): お金の問題 ― 貨幣について ― 本質論再生核研究所声明 126 (2013.8.25): お金の問題 ― 貨幣について ― 如何に使うか、支出について再生核研究所声明 127 (2013.8.26): お金の問題 ― 貨幣について ― 収入ついてhttp://oshiete.goo.ne.jp/qa/8452938.html
2014.01.31
2014年1月30日 22:52 金持ちから盗んで何が悪い?このQ&Aは役に立った 0 件質問者:siyuusukexxx 投稿日時:2014/01/26 18:12 暇なときに回答をくださいしょせん金持ちも貧乏人から搾取して不当な利益を得ているから金持ちになっているわけで、その金持ちから盗んで何が悪いのか?法律論でいえば、金持ちだろうが貧乏人だろうが、人から盗めば当然窃盗犯になるであろうが、法律というのは、いつの世も権力者すなわち金持ちによって都合よくつくられているのは、言うまでもない。ちなみに、戦後GHQの指揮によっておこなわれた農地改革。実はこれは戦前から、案がでていた。地主は農地を手放し、小作人に分け与えてはどうかと。しかし、これが日本人の手によって実現することはなかった。それは、政治家の支援者に地主が多いからだ。金持ちは法を利用したり、貧乏人から搾取できる環境をつくってい る。しかし、貧乏人が金持ちから奪おうと思えば、盗人するくらいしかない。手段は違うが、これが悪いことだと断言できるだろうか?みなさん どー思います??世の在り様で、場合、場合いで 変わりますね。 そこで、次のように考えれば良いのでは?再生核研究所声明 129 (2013.8.28): 美しい社会はどうしたら出来るか ― 世の中なぜ上手く行かないか(2013.8.22零時頃 新しい声明案が湧き、大いに気に成る。良い社会を築く問題点である。) 再生核研究所は 今の世の中 おかしいのではないか として、美しい社会を築くにはどうしたら良いかと考察し、始めに再生核研究所声明1で 次のように述べている:(最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。3) それはみんなに受け入れられるか。 4) それは安定的に実現可能か。これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。) そこで、上記 閃きにしたがって逆の立場から、考察、補充して置きたい。まず、大きな権力と影響を与える政治家の立場から、考察しよう。政治家は地位を得るのに汲々として、公正な行為がとれない本質的な問題を抱えているのが、民主主義の制度ではないだろうか。絶えず、地位が侵される立場であるから、まずは、自己の立場、権力の維持、したがって自分と仲間の視点を重視せざるを得ないのは、深刻な 当然の、本質的な問題である。古くは論功賞、ご恩と奉公はそれらの基礎である。民主主義には選挙過程と政治家の地位保存で膨大な労力を費やし、公正の原則や在るべき政策以前で終わってしまうような状況が有るのではないだろうか。安定した王政や貴族政、世襲制の方が良いという面が多いのではないだろうか。将来の大きな問題として提起しておきたい。次も参照: 再生核研究所声明 33:民主主義と衆愚政治 権力者が、在るべき社会の在りようを無視して、狭い意味での自己の利益を優先させる事である。明治初期には 国家の指導者たちが、相当に公や国家を論じて、義を重んじ 常に公を心にした高い志が 日本国の輝かしい時代を築いた原動力ではなかったかと評価、追想される。それは政治家ばかりではなく、大学や学会などその他至る所でも 公の地位を利用して、自己の都合の良いように行うのは 世界的に見られる恥ずべき現象である。公の立場と個人的な利益の混同は 常に批判して、何時も人格の高潔さに思いを致すべきである。政治的な面は、お金と権力に結び付き易いから、政治性に興味を抱く者、政治家などでは、始めから いわゆる野心家がいて、自己の利益追求を考えている者が多い現実に注目して 新しい制度の在りようの検討とともに大いに警戒すべきである(再生核研究所声明 52: 政治家や組織の代表者の選出における留意事項)参照。公正と正義となれば、それらを守らせるのが、裁判官、検事などの役割で 国家の基本であるから、それらに圧力を掛けたり、また圧力に屈していると見られるようでは 共に卑劣、言語同断 それこそ、昔の武士道では切腹者である。公正な真実の報道を魂とし、社会正義を志すマスコミ関係者も同じように聖職者であり、同じような厳しさが求められるのは 当然である。日本では、大事な、政治家、司法関係者、マスコミ関係者、多くの権力者たちが上記、公の立場をないがしろにして、自己の利益を図ったり、あるいは圧力に屈しているように見えるのが、当初に述べているおかしな社会にならしめている 元凶ではないだろうか。そこで、再び公正の原則を確認して、公の立場に従って行動できるように、行動させるようにお互いに自戒して行くように心掛けたい。それが帰するところ、美しい社会の実現の第1歩、基礎であると考える。そこで、モラルの面で、いわゆる社会の上層部、指導者たちが高い学歴を有しているのは 普通であるが、いわゆる中国の科挙制度が おかしな、厳しい試験制度を永く続けたため、その制度の弊害で良き人材が現れず、中国が衰退の道を歩んだとの説もあるが、日本でも知識偏重で 人物たる教育の面が疎かになっているようなことはないか と大いに気に成る。それは 頭ばかりが大きくて 心が貧しいと表現されるだろう。 以 上 追記: 稲村和夫氏 などを 全国紙の論説主幹などに登用できる文化力が日本に有れば、日本は どんなに素晴らしい国になるだろう。人材の登用がおかしいのでは? 2013.8.24.10:45 2013.8.22.14:50 半分くらい書く、当たり前、うまくできるだろうか。2013.8.22.15:45 一応の文章になる、そのうち形が整い、実が入るのでは?2013.8.22.17:35 少し、形になる。2013.8.22.18.10 結構良い。2013.8.23.09:05 良い。2013.8.23.12:45 結構良い。2013.8.23.17:15 最後の文が独りでに加えられる。2013.8.24.09:25 立場による利害について、気になる。2013.8.24.10:45 美しいアヴェイロの入り江を眺めて、追記、挿入の考えが湧く。2013.8.24.15:00 さらに、追記、修正。2013.8.24。18:20 良い。公表 日付けを入れる。2013.8.25.08:45 良いのでは。2013.8.25.13:252013.8.25.17:30 少し、追記、考えが湧くもの。2013.8.25.17:502013.8.26.08:10 良い。2013.8.26.11:002013.8.26.17:40 良い、完成できる。2013.8.27.08:40 良い、言い回しに修正あり。2013.8.27.09:20 完成、公表。
2014.01.31
2014年1月30日 22:53 宗教は人を救うものであり、人が宗教を救うのではないそのとうりですが、 そのような両面が 実際には 起こりがちですね。布教、宗教活動にも 生活がかかる面が出て来ますので、 ちょっと間違えば 逆の立場に陥る危険性が。 これは、なんでもそうですね。このQ&Aは役に立った 0 件質問者:hitonomichi31 投稿日時:2014/01/22 20:56 暇なときに回答をください 洋の東西を問わず、なぜ宗教は斯くの如く腐敗し堕落したのか。キリスト教は奇跡を説くカルトであり、世の仏教と坊主たちは戒名料をせしめることだけに奔走し、イスラムはジハードを掲げては自爆テロに明け暮れ、ヒンズーはカーストを掲げてはインド中でレイプ事件ばかりを起こしているではないか。いったい人の道は何処へ行ったのか。本来の宗教は人を救うためにあるはずであるが、これらの腐敗し堕落した既製宗教は人によって救われたいと願っているのではないのか。如何に腐敗し堕落しても信仰の自由さえ説いていれば人が救ってくれると考えているのではないのか。何か本末が転倒したように感じるのは果たしてこの私だけであろーか。http://oshiete.goo.ne.jp/qa /8441993.html
2014.01.31
2014年1月30日 22:54悪魔との対話このQ&Aは役に立った 0 件質問者:about72 投稿日時:2014/01/19 16:09 ★悪魔 と ☆天使 と #やじ馬★ 生きることは苦である生きつづけることは、苦しみ続けることであるこの苦しみから逃れるためには、肉体を捨てることである死をもって、苦しみから解放されるべきであるさあ、はやく、死を選ぶがいいはやく楽になるがいい☆ 悪魔よ 愚かなささやきを止めよ愛されることを知らぬ、愚かさを勧めてはならぬ神の御愛によって生かされていることを忘れてはならぬ人の愛によって支えられていることを忘れてはならぬ自らを捨てることは、それらの愛を捨てることに他ならない愛を捨てたところに、何も救いは無い★ 愛がどうしたというのだ今ある苦しみに、たとえ打ち勝ったとしても、次々に苦しみは襲 ってくる愛はすべての苦しみを無くすことはできない死を選ぶよりほかに、苦しみを無くす方法はない☆ 何という愚かさだろう一つの苦しみも、二つの苦しみも別ではない限りなく続く苦しみも、神の御愛に包まれている死という救いの幻を見てはならぬ愛の中に生きてこそ救いはある★ では、その愛を見せてみよ愛のちからを見せてみよ☆ 神はそなたの後ろに立っている胸に手を当ててみよさあ・・・この対話を聞いていた、やじ馬は何と言ったか?#・・お願いします。そのような面は否定できず、 そのような精神も受け入れる心を持っているのが 良いのでは。 光と闇、 何れも大事かと?
2014.01.31
2014年1月30日 22:5選挙というのは勝ち負けがあるからお祭り気分がより激しくなるのでしょうか?勝ち負けということが人間社会における活性化にはとても大事なことなのでしょうか?生命における、 競争、戦いの面は 相当に深刻で、否定できないのでは?良いものに変換させたいですね。昇華とも表現されますが。
2014.01.31
2014年1月30日 22:56 性善説と性悪説って、どっちが強いのですか!所詮、善に憧れることしか出来ないひ弱な悪より悪にも変われる性善説の方が強くないのですか? どのように 世界、人間が 作られたか、 性善説が 適当では?そうでなければ、世界、人生が 否定されかねないですね。
2014.01.31
2014年1月30日 22:56 『正論』に関する言葉として『正論をふりかざす』と言う言葉がありますが、『正論』についてみなさんはどんな考えを持っていますか? どう位置付けていますか?あるべき姿を鮮明にすること、それが正論で、振りかざすは それを掲げて 行動を呼びかける精神ですね。 立場、利害で色々考えられ、さまざまに有ると考えるべきですね。
2014.01.31
2014年1月30日 22:58 世間では細胞発見に躍起になっていますが、結局は医学的進歩という名の金儲けですよね?※そもそも生物倫理学に逆行する行為と感じます。(→o←)ゞブス補足ありがとうございます。本来人は年相応に老けて朽ちてゆくのが自然の摂理だと思いました。確かに、生命とは衰え、死すべきもの をしっかり受け止め、その対応が大事では?長生きばかりを志向するのは 根本的な間違いがあるのでは?ただ、医学の進歩は 長生きを目指しているは 間違いですね。
2014.01.31
2014年1月30日 22:59 上下関係を保持することは、それ自体が目的ではなく、ある目的を達成するための手段?ただ、上下関係の保持が利益配分に直結するため、そこにのみ血道を上げる人間もいます。あまりそこばかりに力を注ぎすぎて、組織全体での利益獲得という本来の目的が疎かになると、組織そのものが消滅してしまいます。第一の目的が、組織全体で一致団結して利益を獲得すること。第二の目的が、組織内での利益配分闘争に勝利して自分が利益を獲得すること、でしょうか。明日潰れる会社で派閥争いする人もいないでしょう。利益配分も権力関係も 余りに 差を付けるのは、 共生、共存、共感、 基本的な人権の有り様からもおかしいのでは。 アメリカなど行き過ぎでは?世には秩序は 必要ですが。
2014.01.31
2014年1月30日 7:24 教育行政の最終的な意思決定を自治体の長に与える、メリットとデメリットを教えてください。教育界は 政治社会から 独立したような在りようが 良いのでは? マスコミなども そうですね。 権力や、在りようは、多様な在りようが良いのでは?教育は 長期的な展望、行政の長は 変わり易く、 利害、権力がもろに影響して 良くないですね。デメリットが 大部分では?
2014.01.30
2014年1月30日 8:10 米国が日本の核武装を認めない3つの理由―中国メディア幾ら何でも 日本は核兵器を持つようには、 愚かにはなれないし、世界も それを許さないだろう。あり得ない話では? Record China 1月30日(木)6時30分配信米国が日本の核武装を認めない3つの理由―中国メディア29日、中華網は、「日本が核兵器を持てない3つの理由」と題する記事を掲載した。資料写真。2014年1月29日、中華網は、「日本が核兵器を持てない3つの理由」と題する記事を掲載した。【その他の写真】先日、米国が日本政府に対し、冷戦時代に米国などが研究用として日本に提供した核物質プルトニウムの返還を求めていると報じられた。兵器への転用も可能で、核兵器にすると40~50発が生産できる計算だという。これに関して、記事では「日本が将来的に核兵器を持つことは非常に難しいだろう」と予測。「日本の核武装に最も反対するのは中朝韓ではなく米国だ」とした上で、3つの理由を挙げた。以下はその概要。1.米国は核兵器を持った日本をコントロールできない。米国は、日本の武器製造に厳しい制限を設けており、現在に至っても攻撃性の高い兵器の生産を認めていない。日本に生産させるF-15、F-16は、常に米軍の現役の同種の戦闘機と比べて若干劣る ように配慮されている。米国は技術の優位性を通じて、日本に絶えずその先進武器を購入するように強制することができる。これにより、日本が軍事技術の上で米国を超え、制御できない状態になることを予防している。通常兵器でもこのような状態なのだから、核兵器は言わずもがなである。2.日本が核兵器を開発すれば、その脅威にさらされるのは米国である。毎年8月6日と8月9日、日本は必ず広島と長崎で“平和を祈る”大規模な式典を行う。この式典で、日本は意識しているのかいないのか、被害者の役を演じている。これは日本社会がある種の方法を通じて世界、特に米国に悲しみと恨みを見せつける行為にほかならない。日本人が決して恨みを抱くことはないとは誰も断定できない。太平洋戦争 の時、米国は日本を徹底的に打ちのめし、核爆弾を投下した。核兵器を所持すれば、日本は必ず米国の鎖を引きちぎるだろう。3.日本が核兵器を持つことは、東アジアの情勢をさらに激化させる。日本が核兵器を持てば、韓国も核兵器を求めるだろう。北朝鮮は輪をかけて核兵器の実用化を進め、ロシアも軍備を強化する。中国の反応は言うまでもないだろう。米国のアジア・リバランス政策の本来の目的は、東アジアの同盟国、ASEAN諸国、豪州、インドを取り込み、中国を抑え込むことだ。東アジア情勢がさらに緊張することは、決して米国の利益にならない。
2014.01.30
2014年1月29日 8:16 人類の中で自分だけが死ぬのであれば、それは確かに恐怖だし、孤独だと思うのですが、人類が始まって以来、一人残らず死んで来た、自分の先祖たちも代々死んで来た、自分の身内も死んだ、友人の幾人かも死んだ。もし自分だけが死なないとすれば、それもまた薄気味悪い話で、本当は嫌なのじゃないですか?これだけ思っても、死ぬって怖いことなんですか?それは死を受け入れる良い心構えでは。 日々、修行したい。再生核研究所声明でも 大事ですから、いろいろ取り上げています。
2014.01.29
2014年1月29日 8:18 哲学といえば、何の役にも立たないのに、なぜそれを教える職業があるんですか?哲学とは 真智 への愛で、それは美しいものを求めると同じように 人間の本能ですから、基本的な文化を伝える職業が有るのは当然では?数学者や 法学者が 必要であるようにですね。
2014.01.29
2014年1月29日 8:20 愛が正義でないならば、一体愛は何のためにあるの?あなたにとっての愛について教えて欲しい。愛は 次のように定義されますが、すると立場で、矛盾が生じますので、 正義には 結びつかないですね。 正義は、別の概念ですね。再生核研究所声明146(2013.12.17) 愛の本質、愛の原理 (On this morning (2013.12.12, at4:20), I waked up with the mathematical idea:Reproducingkernels are positive definite Hermitian matrices when the dimensions are of finitecases. So, for the Berezin transform, we can apply the idea, then we will beable to obtain definite results, I think.Pleaselook our recent new paper for matrices and reproducing kernels.Meanwhile,at 6:20, I got a new idea on the Principle of Love; I will be able to write anew Announcement on human beings.)上記のように突然、考えが湧いたので、 その考えを 成文化したい。まず、愛とは何か、の定義を与えたい。 - 愛とは、共生感に基づく、喜びの感情である としたい。本質を捉えるのには、愛が現れている典型的なところから、捉えれば良い。 すなわち、命を交換する, 再生の原理、親子の愛と男女の愛から、愛の本質、原理を捉えよう。共に自らの命を存続させるべき、大いなる命への帰依への原理 が働いていることを知るであろう。これは 命を共有することを述べていて、愛の定義の妥当性を述べていると考えられる。当然 大いなる命の存続性から、喜びが湧かなければ、生命の基本定理が成り立たず、生物が存続できないことになってしまうだろう。述べたい、愛の原理を導くには、他から見れば、変な親子、恋人、夫婦でも 愛は存在して、多くは永く、愛の感情が続いていくという,事実である。これは何を意味するであろうか。共生感が共に生きている、精神的な世界全体の共感を伴う、共通世界の共有感が、存在している事実を表わしている。初期はいずれも生物の命の共有感、再生の原理が強く働くが、それが長く続くのは、親子も、夫婦も共に生きてきた共通の世界を共有していて、その間には 運命共同体の様な連帯の絆で結ばれていることを意味する。こうなると、親子や、男女の間に関わらず、民族や国家も同じ精神、文化を共有しているとして、共生感、連帯感に根差す、愛、愛国心がおのずから湧くのは当然である。 級友や同窓会、同郷の間で、共有する想い出に根差した愛が感じられるのは、当然である。志を共にした間、さまざまな仲間の間に愛を感じるのも 当然である。同じ、想い出、文化それらは、精神的な命そのものであり、それらを共有し、大いなる命に帰依したいと本能的に求めるからである。― しかしながら、ここで生きることとは、個として生きることに非ず、大きな生命、元祖生命体 (再生核研究所声明36) としての 大きな命の存続 を志向している のも明らかである。それ故に、人は、共感、共鳴、交流を求めている。それは、精神を引き継いで行きたいという この大きな命に帰依したいという、本能に基づいているからである。(再生核研究所声明145)軍隊における部隊が、寝食を共にして生活していれば、一体の生命観を共有して、自己の命も部隊の命も同じような感情を有して、一糸乱れない行動をとるようになるだろう。現に 世における戦場では 部隊が同じ運命を共にしているのは明らかである。なぜならば、部隊を離れた、自己の存在は 意味がないように感じられるからである。人は、国の為に命が掛けられるか と問う。 祖国亡くして生きる意味があるのかと問えば、是非に及ばず、国と運命を共にせざるを得ないだろう。それは、愛の本質からの、自然な帰結となるだろう。親子や夫婦に愛が有るのは、共有する大きな命、経験、想い出を共有しているからである。 逆に見れば、何でも質が大事であるが、深い付き合いが 愛を深める事になるだろう。これが 愛の本質であると考える。 以 上参考資料 愛 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B より):概説[編集]「愛」の意味は、時代とともに多様化してきている。最初に辞書における語義の説明に軽く触れ、次に、伝統的な用法、各宗教における説明で人々の間に定着している意味を解説し、その後、現代の多様な用法まで、歴史に沿って解説する。辞典等の主要語義の解説[編集]広辞苑では、次のような語義をあげている。親兄弟のいつくしみあう心。ひろく、人間や生物への思いやり[1]。男女間の愛情。恋愛[1]。大切にすること。かわいがること。めでること[1]。〔キリスト教〕 神が、全ての人間をあまねく限りなく いつくしんでいること。アガペー[1]。〔仏教〕 渇愛、愛着(あいじゃく)、愛欲。「十二因縁」の説明では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的に見られる[1]。日本語の「愛」の意味の変遷[編集]日本の古語においては、「かなし」という音に「愛」の文字を当て、「愛(かな)し」とも書き、相手をいとおしい、かわいい[2]、と思う気持ち、守りたい思いを抱くさま[2]、を意味した[3]。近代に入り、西洋での語義、すなわち英語の「Love」やフランス語の「amour」などの語義が導入された。その際に、「1. キリスト教の愛の概念、2.ギリシア的な愛の概念、3. ロマン主義小説の恋愛至上主義での愛の概念」などの異なる概念が同時に流れ込み、現在の多用な用法が作られてきた。伝統的な説明、宗教的な説明[編集]古代ギリシア・キリスト教での愛[編集]キリスト教において最大のテーマとなっている愛と言えば、まずなによりもアガペーである。 そのアガペーとはいかなるものなのか、その特質を説明するにあたって、キリスト教関連の書物や西欧文化圏の書物では、あえて4種類の感情(すでに古代ギリシア時代から考えられていた4種類の"愛"、いずれもギリシア語表現。)について説明している[4]ことが多い。それらは以下のとおり。「ストルゲー(英語版)」 στοργ? storg?キリスト教では家族愛。古代ギリシアでは風、火、水、土を結合させる愛。「エロス」 ?ρω? ?r?sキリスト教では性愛。古代ギリシアでは自己を充実させる愛。「フィーリア」 φιλ?α phil?aキリスト教では隣人愛。古代ギリシアでは友人の友人に対する愛。「アガペー」 αγ?πη ag?p?キリスト教では真の愛。古代ギリシアではあるものを他よりも優遇する愛。新約聖書においては「神は愛です」(ヨハネの手紙一 4:8, 16)に代表されるように、神の本質が愛であり、特にイエス・キリストを通して愛が示されている。「アガペー」及び「フィーリア」は聖書に用いられているが、「エロス」は用いられていない[5]。イエスは言った「されど我ら汝らに告ぐ、汝らの敵を愛し、汝らを迫害する人のために祈れ」(マタイ 5:44)と。ここに自分を中傷し敵対する相手であれ、神の子供として、また、罪を贖われた者として、隣人とみなして赦し合うべきであるという、人類愛の宣言がある。パウロは対神徳として信仰、希望、愛を掲げたが、「そのうち最も大いなるは愛なり」(1コリント 13:13)と言い、「山を移すほどの大いなる信仰ありとも、愛なくば数うるに足らず」(同13:2)、「愛を追い求めよ」(同14:1)としるし、すべての徳とキリスト教における愛の優位性を確立した。また彼は、神の永続的な無償の愛を恩寵charis(ロマ 1:5、ほか)と呼び、これはのちにgratiaとラテン語訳されて、キリスト教神学の原理的概念として重んぜられたのである。西欧の伝統、キリスト教の信仰においては、愛は非常に大きなテーマである。キリスト教においては、「神は愛である」としばしば表現される。また、「無条件の愛」もたびたび言及されている。「知」への愛哲学を意味する古代ギリシア語の「φιλοσοφ?α(フィロソフィア)」は上記「フィーリア」に対応する動詞「φιλειν(フィレイン)」(愛する)と「知」を意味する「σοφ?α(ソフィア)」とが合わさった語であり、直訳すると、知を愛する、「愛知」、となる。ユダヤ教「ヘブライ語聖書」における愛[編集]ヘブライ語聖書においては愛に相当する語として、ヘブライ語の「אהב」(エハヴ)(エハヴァ)(エハヴァー)が使われているが、日常でも用いられる。なお、ヘブライ語をカタカナで表すのは難しく、「א(声門破裂音アレフ)・ה(無
2014.01.29
2014年1月29日 8:21 血統は重要ですか?赤ちゃんの取り違えとかやれDNA鑑定だとか、この種の話題が世の中を最近やたら騒がせているみたいなんですが、血のつながりがそれほど大事なことなんですか?皇紀2674年を誇る天皇家の皇統にしたって怪しいようですし。わたしは血統というより霊統(魂のつながりとでも言いましょうか)の方が大事な気がします。手塩にかけて育ててきた歳月は、赤の他人だと知った途端、何処かへ露と消えてしまうとでも言うのでしょうか?難しい問題ですね。これは両方で、1方的では ないですね。 人間は環境で育つ面も多いが、生物体にも よりますね。
2014.01.29
2014-01-29 人を騙して利益を得るのは悪?人間関係の基本は 次で判断できるのでは? 再生核研究所声明 129 (2013.8.28): 美しい社会はどうしたら出来るか ― 世の中なぜ上手く行かないか(2013.8.22零時頃 新しい声明案が湧き、大いに気に成る。良い社会を築く問題点である。) 再生核研究所は 今の世の中 おかしいのではないか として、美しい社会を築くにはどうしたら良いかと考察し、始めに再生核研究所声明1で 次のように述べている:(最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。3) それはみんなに受け入れられるか。 4) それは安定的に実現可能か。これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。) そこで、上記 閃きにしたがって逆の立場から、考察、補充して置きたい。まず、大きな権力と影響を与える政治家の立場から、考察しよう。政治家は地位を得るのに汲々として、公正な行為がとれない本質的な問題を抱えているのが、民主主義の制度ではないだろうか。絶えず、地位が侵される立場であるから、まずは、自己の立場、権力の維持、したがって自分と仲間の視点を重視せざるを得ないのは、深刻な 当然の、本質的な問題である。古くは論功賞、ご恩と奉公はそれらの基礎である。民主主義には選挙過程と政治家の地位保存で膨大な労力を費やし、公正の原則や在るべき政策以前で終わってしまうような状況が有るのではないだろうか。安定した王政や貴族政、世襲制の方が良いという面が多いのではないだろうか。将来の大きな問題として提起しておきたい。次も参照: 再生核研究所声明 33:民主主義と衆愚政治 権力者が、在るべき社会の在りようを無視して、狭い意味での自己の利益を優先させる事である。明治初期には 国家の指導者たちが、相当に公や国家を論じて、義を重んじ 常に公を心にした高い志が 日本国の輝かしい時代を築いた原動力ではなかったかと評価、追想される。それは政治家ばかりではなく、大学や学会などその他至る所でも 公の地位を利用して、自己の都合の良いように行うのは 世界的に見られる恥ずべき現象である。公の立場と個人的な利益の混同は 常に批判して、何時も人格の高潔さに思いを致すべきである。政治的な面は、お金と権力に結び付き易いから、政治性に興味を抱く者、政治家などでは、始めから いわゆる野心家がいて、自己の利益追求を考えている者が多い現実に注目して 新しい制度の在りようの検討とともに大いに警戒すべきである(再生核研究所声明 52: 政治家や組織の代表者の選出における留意事項)参照。公正と正義となれば、それらを守らせるのが、裁判官、検事などの役割で 国家の基本であるから、それらに圧力を掛けたり、また圧力に屈していると見られるようでは 共に卑劣、言語同断 それこそ、昔の武士道では切腹者である。公正な真実の報道を魂とし、社会正義を志すマスコミ関係者も同じように聖職者であり、同じような厳しさが求められるのは 当然である。日本では、大事な、政治家、司法関係者、マスコミ関係者、多くの権力者たちが上記、公の立場をないがしろにして、自己の利益を図ったり、あるいは圧力に屈しているように見えるのが、当初に述べているおかしな社会にならしめている 元凶ではないだろうか。そこで、再び公正の原則を確認して、公の立場に従って行動できるように、行動させるようにお互いに自戒して行くように心掛けたい。それが帰するところ、美しい社会の実現の第1歩、基礎であると考える。そこで、モラルの面で、いわゆる社会の上層部、指導者たちが高い学歴を有しているのは 普通であるが、いわゆる中国の科挙制度が おかしな、厳しい試験制度を永く続けたため、その制度の弊害で良き人材が現れず、中国が衰退の道を歩んだとの説もあるが、日本でも知識偏重で 人物たる教育の面が疎かになっているようなことはないか と大いに気に成る。それは 頭ばかりが大きくて 心が貧しいと表現されるだろう。 以 上 追記: 稲村和夫氏 などを 全国紙の論説主幹などに登用できる文化力が日本に有れば、日本は どんなに素晴らしい国になるだろう。人材の登用がおかしいのでは? 2013.8.24.10:45 2013.8.22.14:50 半分くらい書く、当たり前、うまくできるだろうか。2013.8.22.15:45 一応の文章になる、そのうち形が整い、実が入るのでは?2013.8.22.17:35 少し、形になる。2013.8.22.18.10 結構良い。2013.8.23.09:05 良い。2013.8.23.12:45 結構良い。2013.8.23.17:15 最後の文が独りでに加えられる。2013.8.24.09:25 立場による利害について、気になる。2013.8.24.10:45 美しいアヴェイロの入り江を眺めて、追記、挿入の考えが湧く。2013.8.24.15:00 さらに、追記、修正。2013.8.24。18:20 良い。公表 日付けを入れる。2013.8.25.08:45 良いのでは。2013.8.25.13:252013.8.25.17:30 少し、追記、考えが湧くもの。2013.8.25.17:502013.8.26.08:10 良い。2013.8.26.11:002013.8.26.17:40 良い、完成できる。2013.8.27.08:40 良い、言い回しに修正あり。2013.8.27.09:20 完成、公表。
2014.01.29
2014年1月29日 8:26 どうして社会を形成する段階において、どの文化を持つ国にも独裁者というのが現れるのでしょうか?独裁者が現れなかった文明はこれまであったのでしょうか?現代のような状況は極めて稀なのですよね?これは、 権力が集中しやすいという原理に 基づきますね。そこで、民主主義は 抑制効果が有るは 大事な点ですが、マスコミなどは、 耐えず、 権力に対して、批判する姿勢が大事では?
2014.01.29
2014年1月29日 8:27世界の真理は、人の幸福に貢献するものと定義するべきでしょうか?真理というものがあったとして、それは人の幸福とは別個に存在すると考えるものなのか?それとも、人の幸せに貢献する考え方という前提を設けて問うべきものなのか? それは 根本的に間違っていますね。 真理は事実の追究で、 人間にも、幸福、には関係ないですね。 修行する人、真理追及する人は、多くは苦しみながら、追究していますね。
2014.01.29
2014年1月29日 8:29 裁判員制度での裁判判決は、求刑よりも低い判決になるのではなかったのですか?求刑超える判決、裁判員裁判で急増…評議検証へ読売新聞 1月29日(水)7時34分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140129-00000043-yom-soci↓との報道。**裁判員制度が始まる前、調布市で行なわれた東京地裁八王子支部(現在の立川支部)裁判所主催の模擬裁判を体験したことがあります。↓そこで教えてくれたのは、過去に同じような裁判判決を参考にし『判決は検察の求刑またはそれ以下の判決にする。』裁判員一人一人、検察が求めた求刑以下で「自分は***と思う」と順に述べていき、一番多かった刑の意見を採用するが、それでも「2-2-1-1」のようになった場合は、本当の裁判官が最後に「2-2」の中から一つ選びそれが刑となる。と教わりました。***質問 1実際の裁判では、なぜ求刑よりも判決が重くなるのはなぜですか?質問 2最初の基本が、守られていないのはなぜですか?質問 3最初の基本が守れない欠陥制度は必要ですか?それとも、不要ですか?素人が判断するのは問題では。 アメリカの輸入と思いますが、 誤解して 悪くして 導入していますね。 アメリカでは、詳しい判断を求めず、 是・非だけの判断を求めていますね。 それならわかりますが、 日本の制度は おかしいですね。
2014.01.29
2014年1月29日 8:31現代における個人レベルの「優性思想」は「障害者は不要」ということなのですか?出生前診断のことなどでこの考え方が問題となっているとよく聞くのですが、何がまずいのかよくわかりません。まずいとしたら、何か解決策はあるのでしょうか?人生は大変ですね。 生まれて来る子の 心情も考えるのは 当然では? ただ産めば、良いとはならないと思います。しかし、生命を 露骨に選択するも 基本的な問題が。バランス、調整が大事では?
2014.01.29
2014年1月29日 8:33クジラ、イルカ猟に反対している人の理由がよくわかりません。この質問はよくありますが、その賛成や反対の意見には日本人が考えたものが多いような気がします。そもそもこの問題は海外からのものです。それなのに日本の中だけでいくら日本人が主張しても意味がないように思えます。それを解決したいのなら海外の人の意見を聞いて反論しないといけません。ニュースで海外の人の意見も聞くのですがその内容は大雑把に言って「イルカはとても頭がいい、しかもかわいい、だからかわいそうだ」です。この少ない情報ではよくわからないし、余計な御世話だと感情的になってしまいます。そこで質問なのですが、海外の人はこの問題をどのように論理的にやめさせようとしているのか。実際に聞いたこと、知ったことを教えてください,個人的な意見はもとめていません。また日本と海外のこの温度差の正体はなんだと思いますか?補足感情論なのはわかりますが、反対や説得をするときには論理がいると思います遠くから 第3者的にみると、遠くから来て、 私たちが愛情をもつ 動物を虐待している、やり方が、 残虐に見えるでは、相手の心情にも気を遣う必要が。
2014.01.29
2014年1月29日 13:39 欲しいのは超高校生級?…東大、推薦入試の概要人間の能力はそう簡単ではないですから、いろいろな余裕を含めた考えが 大事では。手間も考えて、分かり易い、簡明さも大事では?推薦なども結構ですが、 変にならないように、面接も 形式的で、難しい点も多い。読売新聞 1月29日(水)11時45分配信 東京大学は29日、2015年秋から実施する推薦入試の概要を発表した。 ペーパーテスト中心の入試からの脱却を掲げ、面接を行うほか、高校時代の活動実績を書類選考で評価する。大学入試センター試験で一定の成績を挙げることも求める。学部によっては、国際数学オリンピックなどの受賞歴や、高い語学力のある受験生を対象にするなど、東大が求める“超・高校生級”の学生像を鮮明に示した。 東大の募集人員は約3100人。16年度入学者向けの2次試験から後期日程を廃止し、その分の定員100人を推薦入試に振り分ける。学部別では、工学部が30人程度。法、経済、文、理、農の各学部が各10人程度。教育、教養、薬、医の各学部が各5人程度。 推薦要件は 、「成績が学校の上位5%以内」(法学部)、「探究学習の卓越した実績・能力」(教育学部)、「商品レベルのソフトウエア開発経験など、自然科学で卓越した能力」(理学部)などとし、特定の分野で突出した受験生などを求める。 教育学部をのぞく9学部は、英語や中国語などの外部テストの成績証明書を評価の対象として明記した。医学部医学科は、国際科学オリンピックなど学術コンテスト受賞などの実績か、海外の有力大学院入学に求められるレベルの「TOEFL◎(120点満点)で100点以上」のいずれかを求めている。国際科学オリンピックには数学、化学、地学など7科目があり、毎年各科目4~6人が国際大会に出場し、ほぼ全員がメダルを獲得している。 法、教養両学部 は、国際的な大学入学資格「国際バカロレア」や、米国の大学進学適性試験「SAT◎」の成績も評価の対象とする。文学部は、高校在学中の論文や発表資料のほか、「総合的な学習の時間の成果」も評価対象に挙げ、高校生の学術活動を広く評価する。 出願受け付けは15年11月からで、各高校の推薦枠は男女各1人。提出書類で1次選考した上で、12月に面接などを行って2次選考とする。翌年1月のセンター試験で900点満点中約8割以上の得点があれば合格となる。医学部医学科は780点程度以上と得点を明記した。 推薦入試の合格者は、文科1~3類、理科1~3類の六つの科類に分かれ、教養学部に所属後、各学部に進む。 東大の佐藤慎一副学長は「推薦入試は高校と大 学の連携強化の手段だ。推薦入試を媒介に、正解が決まった問題を解く力に優れた受験秀才ではなく、自分の課題を明確に持ち、探求していける人材を高校に育ててほしい。そうした人材を受け入れて、東大も変わっていきたい」と話した。 東大と同様、学力試験のみによる選抜を続けてきた京都大も16年度入試から、意欲や能力を総合的に評価するAO(アドミッション・オフィス)型入試を導入することを発表している。
2014.01.29
2014年1月28日 10:05 スピルバーグ監督、国連で演説「虐殺忘れるな」それはそうですが、 敗戦まじか、非戦闘員の大量虐殺を行った、原爆投下も 忘れるなも 加えて欲しい。
2014.01.29
2014年1月27日 22:53 何が原因でしょう?冷凍食品に農薬を混入した従業員は 真面目だったと会社は説明しましたが、彼の給料は減額していたそうです真面目な者の給料を下げるのは どのような考えなのでしょう?会社がこの事件で倒産しそうもないのに 不思議でなりません会社に不満が出れば、誰でも反抗したい気持ちは 湧くのでは。 人類絶滅の原因に そのような要素が有るのでは? いわば テロの1種、 弱いもの、虐げられた者の犯行ですね。 再生核研究所声明 144 (2013.12.12) 人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である(2013.12.6.3時45分 夢の中で新しい原理を 情景を交えながら発見し、目を覚ましました。グローバリゼーションの危険性と、人類滅亡の原理です。 声明の案にできそうです。適切か検討します。 ― その夢は 農村地帯で、1軒の農家の畑だけが緑の野菜で覆われ、 広い農地は 灰色になって広がり、異様であったが、一人の青年が、グローバリゼーションの影響で他の農家がやって行けず、 農家では お金が入らないと言っていました。人類滅亡の概念は哲学的、根本的な大事な原理を述べているが、それは その後 夢、うつつ に考察したものである。 成文化を試みたい。) 上記の中で、閃めいた 原理は 端的に述べれば、 いわゆる進歩は 末期への進歩であって 原理的に終末に近づいている ということである。 そして 進歩には 必然的な、エントロピー増大の法則のように 必然性が有るのではないだろうか。 良く生きるということは 必然的に 終末を上手く受け入れるように 精神構造が 本能的に作られているのではないだろうか。さらに、 人は 人間存在の原理で、いろいろ知りたい、 いろいろ原因を知りたいと 真理を追究するが、その先には、生命の空しさと 自分の無智を知らされ、結局 生命と人生の否定に繋がり、 安らかな悟りに至るという、人間観、人生観である。人は 先に、先に進もうとしているが、それは、自滅への道であり、 夢中で生きているのが 生命の実相ではないだろうか。 ちょうど子供たちが、夢中で はしゃいでいるように。知ることも、真理を追究するのも 危険である。 しかしながら、エントロピー増大の原理のように 追及しないではいられないのが人間で、 それは 人間の 定めであると考えられる。そこで、 ここでの教訓は、目標や先は、そんなに良くはないのだから、何事無理をするな、自分のペースで、急がず、あわてず、 自分の心の状態を尊重する ということである。 人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなもの である、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。 これらは、誠 至言である。しかしながら、結局、人生では 始めも、終わりも分からず、夢中で、踊っているようなものであるとすれば、 やはり空しく、 寂しいものだ と考えるだろう。この空虚を満たすには、健全な精神の 健全な進化による、悟りと神への帰依が望まれる(再生核研究所声明 132: 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。以 上 追記 参考資料(ウィキペディア):定義[編集]進化とは、生物個体群の性質が、世代を経るにつれて変化する現象である[2][1]。また、その背景にある遺伝的変化を重視し、個体群内の遺伝子頻度の変化として定義されることもある[3][4]。この定義により、成長や変態のような個体の発生上の変化は進化に含まれない[1][2]。また狭義に、種以上のレベルでの変化のみを進化とみなすこともあるが、一般的ではない[3]。逆に、文化的伝達による累積的変化や生物群集の変化をも広く進化と呼ぶこともある[3]。日常表現としては単なる「変化」の同義語として使われることも多く、恒星や政治体制が「進化」するということもあるが、これは生物学でいう進化とは異なる[4]。進化過程である器官が単純化したり、縮小したりすることを退化というが[3]、これもあくまで進化の一つである。退化は進化の対義語ではない。 2013.12.6.18:50 143に続いて、一気に成文化する。2013.12.6.19:00 相当格調高い。神よ 我れ、果てしない空虚を 確かに観た。 その先には 何が有るのかと、我れ ひざまづいて、問う(2013.12.6.17:20)。2013.12.7.8:50 何と修正がない。 どうだろうか?2013.12.7.10:15 相当に良い。 日差しが優しく感じられる、研究室で一人の土曜日2013.12.7.16:10 ほぼ完成? 思えば、面白い、論文を完成させて、投稿した夜の 夢の中に湧いた考えが、声明143,144の素である。2013.12.8.9:40 素晴らしい。完成できる。2013.12.8.12:35 完成日付を入れる。完成できる。2013.12.8.17:35 良い、完成できる。2013.12.9.11:20 良い。2013.12.9.15:25 良い。 日差しが優しい、しかし、寒い感じはしない。 論文審査と勉強論文の通読。2013.12.10.10:10 良い、完成できる。70才紀念国際会議が、5月24日と報じられる。2013.12.10.13:35 良い.2013.12.10.18:20 良い、申請書 大方完成させる。2013.12.11.08:33 良い、完成できる。2013.12.11.09:10 完成、公表。
2014.01.28
2014年1月27日 22:54 全ての感情や倫理観は主観である。この考え方は変ですか正確に表現するとそのような面は有りますが、また、人間が共通にできている面があって、 同じような要素は多い面も。 ですから、共感、共鳴、理解し合える。意志が、気持ちが通じるとも言える。
2014.01.28
2014年1月27日 22:57 世界に数多とある学問のすべてを一人の人間が修めるなんてことができないのは自明なことで、我々はいわば、人がした学問の成果をただで戴いているようなもので、それによって教養も身に付け、文化・文明なども享受しているわけです。細分化された学問というと、その一つ一つが、悪い言い方をすれば、重箱の隅を突くような感じでも行われているわけですが、それもまたそこを誰かが突いて正確な情報を伝えてくれないと、いろんな困る事態が出てくるということで、それもまた有難い話だと思うのです。でも中には私みたいに何の学問を積むこともせず、すべての知識を人にあやかろうとしている人間もいるのです。でもそういう人間でも、まったく取り柄がないのかと言えば、営業の腕があったり、いろいろ社会に役立つこともしているわけです。そもそもが何の学問的知識も持たず、また当然に専門分野もないわけではあるのだけれど、こうやって教養豊かな皆さま方から色々教わりながら、断片的ではあっても一つ一つの知識を身に付けているわけなのです。それにしても世の中というのは、どうしてこうもうまく出来ているものなのでしょうか?一人一人が自由に色々やって、それがまた何某かの社会の役に立っているという、本当に面白いものですね。これも神の見えざる手というやつですか?皆さんはどのように思いますか?そのとうりですね。 単細胞、大きな命など、再生核研究所声明で 取り上げています。 次がまず: 再生核研究所声明 36 (2010/05/14): 恋の原理と心得 元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと ― 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える: 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. 殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。 恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。 少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。元祖生命体の高度な謙虚な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。以 上
2014.01.28
2014年1月27日 22:58 哲学的、倫理学的、心理学的、社会学的、人生哲学的・・・どのような視点からでもよいので、以下のような非常事態について考えられてください。<巨大隕石激突>荒唐無稽な想像と思われず、真剣に考えられ、どうかあなたの想像力の限りを尽くされて、ご回答を戴きたく思います。 もし、天文学者らの一致した意見で、今から30日後、地球に直径数キロ大の隕石が激突し、地球上のほとんどすべての生命体が死滅するということが発表されたとして、その時に人類社会、いや、もっと狭く区切って、この日本社会、あなたのご近所などの社会は、どのような感じになるでしょうか?いずれそのような事態は 起きると思いますが、人間 そうは 賢くないので、パニック状態に陥るのでは。 そこで、情報の管理が大事になるのでは。 知らしめない対応ですね。それは 難しい問題があるので、 情報の在り様について 研究を進めるべきでは?
2014.01.28
2014年1月27日 23:00いじめという言葉について。いじめとは何か?それは精神的、肉体的苦痛を持続的に与える行為と定義できますが、個人によってその範囲は違うため、客観的にはいじめであるのか判断が難しいというのが僕の意見です。いじめという言葉は最初に主観により成り立つのだと思います。つまり被害者がいじめだと少しでも感じたらいじめなのです。それが継続的に続けば精神的に耐えれなくなり、何らかの行動にでます。それが現在よく耳にする「自殺といじめの因果関係」です。僕はそんな常套句でまとめるのは被害者に失礼だと思います。いじめとは抽象的な言葉だと思います。いじめという言葉を使うのは被害者にとって不都合だと思います。被害者はもっと奥の深い、具体的な感情を抱いているからです。いじめは単なる逃げの言葉。そもそも他人がいじめと判断するのが妥当だと思いません。いじめは被害者が第一に感じるものであり、他人には分からない境地でもあります。いじめの判断のた めの調査をしているなどと言ったニュースをよく聞きますが違和感だらけ。誰かがいじめ、いじめじゃないと決めつけることに違和感がある。いっそいじめに何段階かに分けて、ある新しい言葉を付与するなどして定義してもらわないとこの違和感は残ると思います。あといじめと自殺、退学の因果関係の常套句にも違和感を覚えます。以上からみなさんが感じることなどお聞かせください。苛めは、意地悪、嫌味をひとに押し付ける、人に当たる、嫌らしいことでは、本質的に卑劣な行為では無いでしょうか。 苛められる人は 苦しい立場で弱い立場ですから、逃げたくない、自殺等の原因になり得るのでは。誰でも嫌では?苛める人も苛められている、嫌な思いが有るのでは。上手く行っていて苛める人は、からかう等の心境では? ちょっと違うのでは?
2014.01.28
2014年1月27日 23:01 キャリア教育の長所と短所はなんだと思いますか?端的に言えば、 型にはまるか、自由かですね。集中的か 幅広く、後者もいろいろ個人の考え方で変わりますね。勿論、前者も 考え方で変わり得ますね。
2014.01.28
2014年1月27日 23:03 ホーキング博士「ブラックホールは存在しない」その辺は 難しい分野、 決めつけないで、 柔軟に考えるのが良いのでは?どんどん変わると考えたい。 2014.1.27 16:00 (1/2ページ スティーヴン・ホーキング博士は、『arXiv』に公開した短い論文で、「光が無限に抜け出せない領域という意味でのブラックホールは存在しない」と主張している。
2014.01.28
2014年1月27日 7:50 地球人類全員が、他人の心を見通せるようになったら、こいつは建前では親しくしていたのに私の事を利用する事しか考えていなかったのか、などなどで、社会が成り立たなくなりますよね。優良惑星人なら、裏表がない清い心の持ち主ばかりなので、何の問題も起こりませんが、刑務所レベルと思えるような不良惑星の地球では、人類が他人の心を見通せる能力も持たせないようにしていると思いますがね。他人の心が見通せるあなたなら、私の主張が理解出来るでしょうか?地球には、善人面した悪人か悪人面した悪人かの利己主義者がほとんどだと確信していますからね。結局、単細胞からなっているという、事実ですね。 再生核研究所声明 69(2011/09/27) 単細胞人間 ― 単細胞的思考 (背景: 2011/09/22 宿舎で朝食をとっている最中に 突然閃いた考えです。 単細胞人間という言葉を聴いたのは 恩師がゼミの学生に言われた言葉として、伺って来ました。類語辞典には 近視眼的な ・ 目先の利益だけ考えた~ ・ せっかちな(結論) ・ (単なる)向こうみず ・ 単線思考の ・ 単細胞(人間) とある。 また、 ツイッターで、 恩師が、単細胞人間 と言った ということを 思い出させます。 小さな真実を見て、 全体が見えないのですね。 愚かさの表れ ではないでしょうか。 脱原発デモ なども そうではないでしょうか と呟いた後です。) 単細胞的思考とは小さな事実を それに関係する全体の中での 位置づけができず、その局所的な、断片的な事実をもって全体に普遍させてしまう愚かさであると表現したい。 まず、現実的な問題で考察し、しかる後に一般論を展開したい。脱原発デモ、脱原発運動、これはどれほどの意味があるでしょうか。そのまま主張を全て受け入れたら、どのようになるでしょうか。長年かけて膨大な資金を注ぎ、人と設備を整えたものを活用できないとなれば、電力会社は 膨大な損失である、相当に電気料を課しても経営が成り立たないのは 素人の目にも明らかではないだろうか。電力会社は どの程度の損失に当たるかを明らかにして 国民に理解を求めるべきである。天災の事故で、恐ろしいは 分かるが、何十年も続けてきたことをいきなり、中止せよ反対、このような要求は 子供の要求と同じで、単細胞的思考の典型的な例と考えられる。まともな考えとは、くれぐれも慎重に運営して欲しい。場合によっては、在り様は 分かれるが、段階的に縮小して欲しいという意見ではないだろうか。これについては、再生核研究所声明 67: 脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論 を参照。 相当の人が、国防の在り様について、敵地攻撃能力の整備を と主張している。自分は強く、相手を罰せられるので安全になると考えているのであろうか。 しかし、逆に考えてみれば、当然、公正の原則で 相手も敵地攻撃能力を高めて、直ちに軍拡競争に入ってしまう。場合によっては、逆襲され、先に攻撃して、壊滅させてしまえ となりかねない。 経済的にも大変で、危険性を増大させる、それこそ、単細胞的思考ではないだろうか。空母が欲しい、軍事的には、南シナ海、東シナ海を「日本海」にすることだ、そのためには原子力潜水艦を持つことに尽きる 等も同じような考えではないだろうか。 次を参考: 再生核研究所声明 49: アジアの愚か者、アジアの野蛮性。 次に、有名な蓮舫氏の発言について「研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問」とは おかしいと考える。 そのような質問をせずに、切りなくお金を注げば、第一 他の いろいろ大事な研究費を圧迫してしまう現実。 研究費は 無限ではないので、 どのように配分するかは、 国家の大事な問題。 戦艦大和のように 時代遅れの兵器を、研究でも、お金を掛ければ、大きければ、世界第1位でなければ、の発想は おかしい。 蓮舫氏は、 決めつけているのではなく、 なぜかと問うているのだから、 きちんと答えるのは、 研究者の 国民に対する義務であり、また、他の多くの研究者や、若い研究者も、どうしてそちらばかりお金をかけるか、知りたい 自然な 質問ではないだろうか。 蓮舫氏の質問は,政治家として、当然の立派な質問だと評価したい。専門家は日本国が破産を迎えても、自分のところの研究費だけはと 要求するだろう。 これは専門家の独善と大局に想いを致せない単細胞的思考の現れと言え、 専門化、局所化した現代社会の本質的な問題と考える。高度に専門化して、自分たち仲間でしか議論も話しも通じず、他の価値さえ理解できず、本当に生体の中の ほんの一部の細胞の役割しか 果たせなくなっている。 人事の進め方、評価なども 結局 仲間同志の中でしか、考えられない 現実である。 検察や弁護士も法律の条文にばかりに囚われていて、法の精神や生きた社会や世界的な視野に欠けて、おかしな判断をすることが多い(再生核研究所声明 31:法の精神と-罪と罰)。 上記 事例で分かることは 愚かさの故の行為と 背後に利害が絡んでいて 理に反しても強弁している場合とがあるということである。 何れも人間の本質的な弱点であると自戒したい。 そこで、 単細胞的な思考 に陥らない心得を 次のように纏めて置きたい。 1)絶えず、逆の立場、反対を考えて、みる。2)その意見を 徹底的に進めたら どうなるかを考えてみる。3)みんなが、それに賛成、実現したら、どうなるかを考えてみる。4)特に関係の無い第3者や 素人の意見も参考にする。5)世の問題は、真か偽か、正しいか正しくないか、赤か白かのように きちんと分けられるものでは ないものであり、微妙に入り混じっている複雑な在り様であり、在り様の在り様を 多様に考える 幅の広さに心がける。6)一度決めるとそれに拘り、その意見に固執しがちであるから、絶えず高い立場の見解、良い意見に止揚していく心構えを柔軟に持つ。7)くれぐれも派閥、仲間、専門家あるいは、地域、職業、宗教などの集団の枠、組織に囚われない。 また、考えを固定化したり、人を分け隔てたような考え方をとらない。8)ある程度時間をかけて、大事な問題ほど、影響が大きい問題ほど じっくり考える。 全体の状況が 見えるまでは 謙虚な態度で臨む。 これらを 単細胞的思考から抜け出す心得としたい。しかしながら、人間は 本質的に愚かであり、予断と偏見に満ちた存在であること を肝に銘じて置きたい。 なお、個人と社会の在り様については 次を参考にして頂きたい: 再生核研究所声明 35: 社会と個人の在りよう ー 細胞の役割(この声明の趣旨は 人体と細胞のように国家と個人は、社会と個人は有機体の存在として、 調和ある存在 になろう ということにある。 実際、一個の人間の存在は 細胞が生体の中で有機的な存在であるように、本来社会の中で有機的な存在ではないだろうか。 生体が病んでしまったら、個々の細胞の存在はどのようになるかに 想いを致したい。 実際、人類の生存は、如何なるものをも超えた存在である(最も大事なこと:声明13)。 以 上
2014.01.27
2014年1月27日 7:54 共生すること 種の多様性を保つこと は,どうして大切なのでしょうか?共生すること,また,種の多様性を保つことは大切なことだと耳にします。私もぼんやりと,そーだねーとか思っていましたが,いざ説明しようとするとわからなくなてきました。共生というのは、捕食-被食関係、競争関係、共生関係、寄生関係の全てを含むものだとすると,食べる分を確保すること=共生しているということになり,別に例えばホッキョクグマがいなくても,共生できていることになりませんか?でもやっぱ,そういうことじゃないんだと漠然と感じます。けれど,全ての動物と共生関係になければ,共生してることにならないのだとすれば,自然に絶滅することはダメってことになりませんか?そうなると共生は自然の選択に反し,大切とは思えなくなってきてしまいます。直感的に共生は大切と感じたのは,ホッキョクグマが人為的な理由で絶滅の危機にあり,自然の選択に反しているわけではないのに,絶滅に追いやられていると,人と自然を切り離して考えてしまったからでしょうか?「私達人間のせいでホッキョクグマが~」という感じのフレーズは,よく目にする気がします。しかし,よくよく考えると,人だって自然の一部であるはずです。牛とは共生もしてますし。ここでも,人と自然は別なら,人のする共生も自然とは別で,共生が自然でないというのなら,やはり共生は大切ではないように感じてしまいます。もはや「自然に反するが,大切だ」とでもいうのでしょうか?人為的も自然なのか……?言葉の意味すら分からなくなってくる。人為的にでも,ホッキョクグマが絶滅してしまったら,それはホッキョクグマが適応できなかった結果なのでしょうか?で,そこで種の多様性です。多様性を保つことが大切だと言えれば,もろもろの疑問を一掃できると思いました。……が,なぜ大切なのか分からず,疑問が置き換わっただけで,まるでホムンクルスです。種の多様性を保つことが大切だと言えれば,一部では共生することが大切で,共生関係にない動物も大切だと言えると思うんです……多分。すぐに論点がずれていってしまいそうな話で,もうお手上げです。どなたかなにかご意見下さい。その辺は簡単では。下記を参照して下さい。 再生核研究所声明 36 (2010/05/14): 恋の原理と心得 元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと ― 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える: 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. 殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。 恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。 少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。元祖生命体の高度な謙虚な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。以 上
2014.01.27
2014年1月27日 7:54 共生すること 種の多様性を保つことは,どうして大切なのでしょうか?共生すること,また,種の多様性を保つことは大切なことだと耳にします。私もぼんやりと,そーだねーとか思っていましたが,いざ説明しようとするとわからなくなてきました。共生というのは、捕食-被食関係、競争関係、共生関係、寄生関係の全てを含むものだとすると,食べる分を確保すること=共生しているということになり,別に例えばホッキョクグマがいなくても,共生できていることになりませんか?でもやっぱ,そういうことじゃないんだと漠然と感じます。けれど,全ての動物と共生関係になければ,共生してることにならないのだとすれば,自然に絶滅することはダメってことになりませんか?そうなると共生は自然の選択に反し,大切とは思えなくなってきてしまいます。直感的に共生は大切と感じたのは,ホッキョクグマが人為的な理由で絶滅の危機にあり,自然の選択に反しているわけではないのに,絶滅に追いやられていると,人と自然を切り離して考えてしまったからでしょうか?「私達人間のせいでホッキョクグマが~」という感じのフレーズは,よく目にする気がします。しかし,よくよく考えると,人だって自然の一部であるはずです。牛とは共生もしてますし。ここでも,人と自然は別なら,人のする共生も自然とは別で,共生が自然でないというのなら,やはり共生は大切ではないように感じてしまいます。もはや「自然に反するが,大切だ」とでもいうのでしょうか?人為的も自然なのか……?言葉の意味すら分からなくなってくる。人為的にでも,ホッキョクグマが絶滅してしまったら,それはホッキョクグマが適応できなかった結果なのでしょうか?で,そこで種の多様性です。多様性を保つことが大切だと言えれば,もろもろの疑問を一掃できると思いました。……が,なぜ大切なのか分からず,疑問が置き換わっただけで,まるでホムンクルスです。種の多様性を保つことが大切だと言えれば,一部では共生することが大切で,共生関係にない動物も大切だと言えると思うんです……多分。すぐに論点がずれていってしまいそうな話で,もうお手上げです。どなたかなにかご意見下さい。その辺は簡単では。下記を参照して下さい。 再生核研究所声明 36 (2010/05/14): 恋の原理と心得 元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと ― 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える: 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. 殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。 恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。 少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。元祖生命体の高度な謙虚な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。以 上
2014.01.27
2014年1月27日 7:53 色の見え方はみんな同じということは証明されているのでしょうか。うまく文で説明できないのですが、私に見えている赤は本当に「赤」なのか疑問です。他の人には青と呼ばれているものが自分には赤に見えているということはないのでしょうか。そもそも色の名前を覚えるときに、リンゴの色みたいなのが赤色で、空の色みたいなのが青色なんだよと教えられてきたはずで、その色自体を(物に例えることなく直接的に)説明することは困難な気がします。他の人にとって「赤」と呼ばれているもの(リンゴのようなもの)が自分には「青」に見えていたとしても、この色が赤だと生まれた時から信じ切っていたとしたらマクドナルドの看板が「青」に見えていたとしても「赤」と答えるわけですし、他の人が同じ色を「赤」と定義しているのかはいささか疑問です。2人の人がいたとして、この2人は同じ色を赤と認識しているというのを確かめる方法っていうのはあるものなのでしょうか。昨日からもやもやして頭の中でこればかり考えています。よろしくお願いします。これは 認識の問題で、捉え方は、相当に違うと 考えるべきでは?
2014.01.27
2014年1月27日 7:56 なぜ 100÷0は100ではないのか?なぜ 100÷1は100なのか…0とは何か 0とは何かの勘違いか何かか補足無い とは何か無い とは100に関われないのでしょうか?これは簡単ですね。 あいまいさは無い ですね。 ヒントは 割り算の定義、約束を 考えると すっかり分かりますね。
2014.01.27
2014年1月27日 7:57 最近の子供は幼稚な傾向がないですか?小学生の2年生くらいかな?って思った子が4年生でした。4年生かな? って子が6年生でした。身長もそうですが、男女とも幼稚なんです。先述の4年生などは、まだ電車にバイバイしてそうです。そんな傾向感じませんか?私もそのように思います。型にはまった、勉強づけで その他が発達しない状況ではないかと 勘ぐっています。
2014.01.27
2014年1月27日 7:5学校問題についてです。都立の中高一貫校に在学中です。私たちの学校は中学と高校で校舎が別れています。私たちが高校の校舎に移った時から中学校舎があり得ない風に変わってしまいました。今まで中学校舎はちょっぴりのほほ~んとした普通の学校でした。しかし私たちが移ると机にちょっと寄りかかるだけで怒鳴られ、名前や組などを聞かれます。宿題を提出出来なかったら勿論残されます。私たちがいた頃は職員室前の廊下に机と椅子が並べられ、そこに座って勉強をやり、先生が明日までと言ったら次の日までにやってきて提出していました。しかし、今は「宿題をやってこない奴に机を使う権利などない!」と教師が主張し、椅子を机がわりに床に座ってやらされています。期限までに提出しなかった人を職員室前に掲示していて、まるで監獄のようです。ある演劇部の子がいました。その子は提出をしなかったために廊下で宿題をやらされていました。しかし、一週間後には公演がありました。なのにも関わらず部活に出させてもらえず、練習やリハーサルも満足いくものができず、その子は出演することが出来ませんでした。満足に出来なかったので他の部員に迷惑がかかっていました。一年前まではこんなことありませんでした。皆さんどう思いますか?これが教師ですか?長文になってしまいすみませんm(__)mどうかご意見よろしくお願いいたします。変な学校ですね。気の毒ですね。教育って何でしょうか。楽しい学校にしたい。
2014.01.27
2014年1月27日 8:00 この国では、塾がエリートを育てている。今、この国で、多くの人が教育に関心をもっていることは間違いない。そして教育に関しては誰もが一家言をもっている。そのうえそれを発言しやすい。発言が正しかったかどうかが判明するころには、発言者はたいがいもうこの世にいないからだ。教育の成否は次世代の社会によってしか証明できないからだ。言ったもの勝ちである。政治家から、役人、居酒屋の酔っ払いまで、言いたい放題のテーマなのである。言いたい放題のことをすべてまともにやっていたら、教育現場は崩壊する。玉石混淆の議論の中から何を取り入れ、何を捨てるのかを、政治家、財界人、専門家たちで議論を尽くせば最適解にたどり着けるのか。必ずしもそうではないだろう。人間は理路整然と間違える生き物だ。「船頭多くして船山に上る」ということもある。場合によっては、「詰めこみ教育」「ゆとり教育」「学校群制度」のように、再び日本の教育を大きく迷走させる迷案が実行に移されてしまうかもしれない。しかしあまり神経質になる必要もないだろう。仮に教育行政が舵取りを誤り、公教育システムに欠損が生じても、この国にはそれをバックアップするシステムがある。全国に約5万ある塾をはじめとする、民間教育システムだ。国は、広くあまねく国民に、一様の教育を与えようとするが、国民は塾という存在を通して、自分たちが教育に求める多様性を具現化してきた。公教育が「与えられた教育」であるとするならば、民間教育は「自ら求める教育」といえる。その2つがあることで、日本の教育は常にバランスを保ち、かつ、柔軟に進化し続けることができた。仮に国が、国民の意に反した教育を国民に押し付けたとしても、私たちには、塾で学ぶという選択肢が残されている。これは、世界でもまれに見るハイブリッドな教育システムである。この国最大の資産であるとすら思う。学校システムにさまざまな問題が指摘されている今、全国に約5万ある、塾という教育資産を活用しない手はない。しかしそれは、単に塾を学校教育に組みこむとか、塾を文部科学省の管轄下に置くとかいう話ではない。むしろ学校システムや教育行政を監視し、補完する役割として、また子どもやその親たちのニーズを映し出す鏡として、塾のもつ機能に期待するのである。これまでもそうであったようにこれからも、公教育システムに欠損が生じれば、民間教育システムが、素早くそれを補完し、システム正常化へ導く力を発揮してくれるだろう。まるでDNAの二重らせんの一方に欠損が生じても、一方がそれを補い復元する作用をするように。教育の安定は社会の安定。民間教育システムの存在は、この国最大のセーフティネットであると私は思う。しかし、日本の塾がいくら優れた教育を提供していようとも、塾に通うにはお金が必要だ。ゆえに「経済格差が教育格差」を生むのであり、塾や私学が格差を助長する装置になっているという批判も多い。それに対して、オックスフォード大学教授の苅谷剛彦氏は、著書『大衆教育社会のゆくえ』の中で、数々のデータを示しながら「東大入学に有利な階層の子どもたちは、有名進学塾に行くための教育費や、私立の中高一貫校の授業料を負担できる『財力』のみによって、有利な立場にあるのではない」ことを指摘している。東大だけでなく、それより範囲を広げた「有力大学」に関しても同様。子どもの学歴に影響するのは、「親の財力」よりも、「学歴に対する親の意識」であるということだ。仮にそれはおいておいたとしても、「不平等をなくすために塾や私学をなくすべき」という理屈は成り立たない。出た杭を打つようなもの。社会全体としてはマイナスである。それこそまさに「日比谷潰し」を目的に実行され、都立高校を凋落させた「学校群制度」と同じ発想だ。では、塾に通える者と通えない者の境遇の差をどう埋めればいいのか。残念ながら、公的な助成金を受給する以外の答えは私の中にはない。きっと即効性の高い策は存在しないだろう。それが惜しい。しかし思い出してほしい。かつて日本が貧しかったころ、村に「できのいい子ども」がいれば、村中でお金を出し合って都会の学校へ送り出すという文化があったことを。なぜみなで優秀な子どもを支援したのか。その子が村に帰ってきて、人一倍の活躍をしてくれて、結果的に村民みんなの生活が潤うことを予見していたからだろう。優秀な子が、村中の支援を得て、もっと優秀になったとしても、それをひがむ者はいなかった。より高度な教育を受けた子には、村中の人々の期待とそれに応える責任ものしかかることをみんなが知っていたからだ。それがノブリス・オブリージュ(高貴なる義務)。教育とは本来、勝ち組になり、社会的に優位な地位を手に入れるために受けるものではなく、社会のために、個々の才能を最大限に引き出す営みであるはずだ。私が中学受験を志す親子に対して講演を行うときに、決まって次のような話をする。中学受験ができる人というのは限られている。ごく一部の恵まれた人たちだ。そのため、経済格差が教育格差につながるという批判もある。でも私は思う。教育の受益者は、教育を受けた本人ではなく、その人を含む社会である。塾で勉強している子どもたちは、目の前のテストでライバルに勝つことに夢中になっているかもしれないが、究極的には勝ち組になるために勉強しているわけではない。本人たちは無自覚かもしれないが、最終的に世の中の役に立つ人間になるために勉強しているのだ。ほとんどの塾の講師たちもそれを願っている。だから、恵まれた人が、与えられた環境を最大限に活用して、それを世の中に還元するならば、格差云々よりも、世の中全体がよくなるというメリットのほうが大きい。恵まれた環境を活かして、塾や私学に通うということに、何の遠慮もいらないと私は思う。むしろ、恵まれた環境を最大限に活かして、将来世の中の役に立つことは、恵まれた人の使命である。それが真のエリートのあるべき姿だと私は思う。私はここに、教育という「きわめて私的に見えて実はこのうえなく公的な営み」の真髄があると考えている。日本人がもつ「身銭を切ってでも子どもによりよい教育を受けさせたい」という心意気は、単に親が子を思う気持ちではなく、社会が次世代を思う気持ちでもある。塾という存在はそういう気持ちの総和の具現である。その気持ちがあるうちは、この国もまだまだ捨てたもんじゃない。「塾という文化」があるうちは、日本もまだまだ大丈夫。塾を必要悪だとか社会悪だとか非難するばかりの思い込み的な議論からそろそろ卒業してもいいのではないか。そうすることではじめて、この国の教育の全体像が正しく俯瞰できるのではないだろうか。そのような現実が有りますね。 入試、大学の流れで、 そのような必然性が有りますね。弊害も出ていると考える。変な教育の行き過ぎですね。
2014.01.27
2014年1月27日 8:29 戦争を始めるのは簡単、独自で情報を取材出来ない愚民を戦争に駆り立てる事は簡単な事ですね、⑴ 隣国が攻めて来るぞ ⑵ ミサイルが飛んで来る、⑶ 戦わない奴は愛国心が無い、⑷ 戦わ無い奴は国賊だ、以上で煽 れば臆病者と小心者がパニックに成って愚民同士が監視し合って簡単ですね。ネトウヨの回答が楽しみだね。本当ですね。日本を出れば、日本の世相、おかしいと気付きますね。 NHKが 主犯で、宣伝していますね。 NHKが 侵されてる居ることが、NHK会長の発言で 露呈していますね。隠れて こそこそ映像を流している、衆愚に導いている。多くの人は 気づいていますね。
2014.01.27
合戦においては 信じられる 人、旗に従う他ない。 小沢氏は信じられる、日本の政治家。細川氏は、美しい日本人の感性、世界観に もっとも 合っている候補者であると 言い切れる。美しい東京、日本の顔にふさわしい。久しく下品な政治家を のさばらせておいた。舛添氏は 良い政治を行うだろう。 大阪地区の 変な政治状況を 正して欲しい。
2014.01.27
2014年1月25日 22:55 感動する対象ですが、万国の民族が共通して感動する対象とその民族だけが感動する対象というものがあるのではないですか?(感動というものを広く捉えて考えた場合です)美意識には先天的なものと後天的に形成されたものがあるという風に考えてよいのでしょうか?どうもこういう風な言い方(みなし方)で結論付けてしまうのは安易すぎるような気もするし。どう考えますか?全くそうですね。文化や育ち、教育などで全然感動のし方は違いますね。生物的な本能の部分は相当に 共通ですが。宗教の影響も大きいですね。多くの歌は、国際的とはならないですね。 歌詞が 分からない面が 大きな影響を与えていますね。
2014.01.26
2014年1月25日 22:57 悪人に同情するのは悪でしょうか?ふと、「たとえ極悪人や犯罪者でも、通常ではない悲惨な死に方をするとなれば、その時はきっと、彼らも恐怖や悲嘆のさなかで、家族や愛する人の姿を思いながら死んでいくんだろうな。その心情を想像すると、同じ人間としては同情を禁じ得ない」と思ったのですが、これは私の心が軟弱だからそう感じるのでしょうか?よろしくお願いいたします。補足やっぱり、悪に対して赦しの気持ちを持つことは軟弱者の証ですよね?善人、悪人などいませんから、 共感、共鳴、 同情も当然湧きますね。悪いことをしたは、いろいろ事情があって追い込まれたと言え、 反って同情したいですね。 社会が育てた面が多いですね。 悪人こそ 救われるは 実際、真実では?
2014.01.26
2014年1月25日 22:58 人間が心に考え抱く思想というものは、肉体的なものにどの程度影響を受けているものなのだろうか。たとえば、セロトニンのトランスポーターSSというものに関しては、それが悲観遺伝子とも呼ばれているようですが、それに関して日本人は世界のどの民族よりも多く持っているそうです。当然そういったものは、日本人が考え抱く思想に大きく影響しているのには間違いないにしても、そういった肉体的条件による影響といったものは、思想に関わる全影響力の中でどの程度を占めているものなのだろうかということに興味があり、問うてみたいのです。ただ、私がずっと思い抱いている考え方としては、もし思想というものが、このような肉体的条件に大きく依存というか、影響を受けているのだとしたら、人間の尊厳とは果たして何だろうかという問題意識もあるのです。精神は肉体、健康状態で大きな影響を受けますね。 精神と肉体は切り離せず、 食の影響も大きいですね。 コーヒー、茶などの影響で、 夢や希望、 大きな影響をうける。さらに、内部の生命活動は 環境の影響を受けて、 肉体や環境に精神が浮いていて、さらに精神は生命活動として 内からも湧いていますね。環境が大事ですね。
2014.01.26
2014年1月25日 22:58 純粋な持続は可能なのでしょうか?可否の理由もお願い致します。生物には、飽きるという大事な本能が有って、それが多様な世界を開く原理になっていますね。従って、持続は程良くで 長くは続かないと考えるべきでは? 幸せも、不幸も長くは続かないですね。
2014.01.26
2014年1月25日 23:02 人間の脳の力現代人はその10%しか活かしていない。それが3%や5%とかいう意見もありますが、それを自覚している人はいるのでしょうか?また、活かしていない部分を活かしたいと思うのか、あるいは今のままでいいと思っているのか、教えてもらえますか?さらに、活かしたいと思うのはなぜか、今のままでいいと思うのはなぜか、それも出来たらでいいので教えてください。私は自由な研究生活を送っているので、十分に 殆ど能力を生かしている思いますが、 原現役時代は 義務的な仕事に振り回されて、 十分に能力を活かせなかったと 実感します。 日本の教育では、 大事な能力が生かせず、 つまらないところで 能力を使い、 いろいろな能力を生かせていないのでは と危惧されます。生きることの意味を考えたら、 持っている能力を生かしたいは、 当然では?
2014.01.26
2014年1月25日 23:06 マリフアナ解禁の莫大な経済効果Why the IRS Loves Legal Pot時代遅れになったビール、タバコに続く新産業として期待され、全米解禁も時間の問題人間は自由を求めるのですから、良いのでは? 多様性の原理からも前向きで良いのでは。 きちんと効用、悪い面など公表すれば タバコなどと 同じでは?
2014.01.26
2014年1月25日 23:11 道を歩いていました。真正面から人が歩いていました。このままだとぶつかります。相手がよけるまで真っ直ぐ進みますか?こちらからよけますか?これは良く経験しています。自分から譲り、 自分から避けます。 良い気分になりますが、 さらに新しい経験ができて良いのでは? さらに、階段、エスカレータの場合は 階段を利用して、 運動、鍛えられたと 考えています。 エレベーターは 利用しています。 運動不足解消に、また時間の節約にもなりますね。
2014.01.26
おかしいですね。 任命する政府も 相当おかしい。 公共放送は 中立、政府から、超然と独立してこそ あるべき立場。政治介入は 禁手の のはず。裁判所もそうですね。変な政治家が 介入を考えるのでは? まともとは 言えない。恥ずかしい日本。
2014.01.25
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