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前出裕亮君の 素数感覚 について (2013.02.01): まず、数学とは何か ― 数学と人間について 国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 に公刊された( No.81, May 2012(pdf 432kb) ) の 最期の節を引用しよう:10.奇妙な発想上記少年 前出裕亮君については、次のようなことがあり、ブログ記事に書きました:(前出君の整数に関する予想:2011.2.6.12:00今 前出裕亮君とスカイプをしました。 前出君は、次のような予想をしていますが、如何でしょうか?:pを 7以上の素数とする。1を p-1 個並べて 得られる、整数は pで 割り切れる。pが、 29まで、筆算で実験して、確認していると言うのです。 これは正しそうですが、証明は簡単でしょうか。)――これは 正しいことを、澤野嘉宏氏とL. P. カストロ教授によって独立に証明されました。 普通は7まで成り立つので、一般にも成り立つと予想すると思いますが、これは逆で、7以上では成り立ち、 それまでは成り立たないというのですから、発想が天才的としか言いようがない。2013.1.11 午後、 前出君ご家族と、澤野嘉宏先生と一緒に 群馬大学工学研究科数学教室ゼミ室で、最後に、上記の予想を得た背景と理由について、裕亮君に説明を求めました。予想もしなかった新しい数学の現象に基づいており、感覚的に進んでいることが分ります。― 既に述べてきましたが、素数が好きだは 本当ですね。上記予想は 実験的に発見された と述べられましたので、素数をいろいろいじって、親しんでいたことが良く分ります。さて、説明の原理、上記の先生方は、フェルマーの定理という、大定理に基づいていますが、裕亮君の発想は 誰にも分かるような、感覚に基づいていることを知って、驚かされました。- すなわち、素数pの逆数は 7より大なら、p-1個の数の循環小数になる(修正して)ので、その循環部分をp倍すると 9ばかりが並ぶ数になる。それは、9掛ける 1が p-1個並んだ数だから、pで割れると説明されました。 - p-1個並んだ循環小数になる説明もされましたが、この件は 道脇裕、五十嵐善英,大沢健夫氏たちが 例外も含めて解析してくれました。私が驚嘆しているのは、論理ではなくて、そのような数覚を有していたという感覚です。いずれにせよ、上記説明で、裕亮君の予想は 誰にでも感覚的に分かるようになった事の意義は 大事ではないでしょうか。 素早く、解析し、意見を寄せられた上記3者には、感銘を以て感謝したい。 (2013.1.26:17:00)(2013.1.28:08:30).2013.1.29.08:102013.1.30.08:15 美しい大きな月が 入り江 にかかっていた。2013.1.31.08:452013.1.31.15:15 完成 春のよう。関係者:アヴェイロに戻って ちょうど1週間になります。 いろいろあったので まだ 1週間かと 感じています。 日本は、美しい自然、 沢山 おいしいものがあり 理想的な世界ですね。 桐生では 山や温泉なども近くにあり、 大いに楽しめます。帰国も 悪くはないぞ と 感じています。さて、前出君 ご家族とも 新鮮な会話を持てて大いに 元気が出ました。 纏めておくと 何かと 良いので、 添付のように 素案を 作ってみました。直接関係された方には 感謝すると共に 修正意見など 頂きたいと思います。宜しく御願いします。敬具齋藤三郎
2013.01.31
2013年1月30日 23:28 他人を「許す」こと現在において強い影響をおよぼしている過去のわだかまりなどの原因を「許す」ことは、なかなか出来ることではないのですか。また私は被虐者ですが彼らを許すのに時間が非常にかかりました。被虐時間と許すまでの癒やし時間がほぼ同じなのも興味深かったです。もっと早く出来てたらと思いもしますが、そういう風に時間が非常にかかるのは仕方がないものなのですか。過去は 取り返しがつかないので 拘るのは良くないのでは。 どんどん未来志向で 成長して、過去のことなど 拘らず、 自然に克服、 超越出来るようになると 良いですね。
2013.01.31
2013年1月30日 23:30 文明発展と都市化・・・これは 人間は 生物と同じで、 群がる本能原理がある ということですね。
2013.01.31
2013年1月30日 23:31 人間は思おうと思って(意志して)思っていますか、ほとんど思わされているというのが実態ではないですか?人間は生きようと思って生きていますか、ほとんど生かされているというのが実態ではないですか?人間の思考や行為の多くは、その意志によらず、そのように仕向けられていると言えるようなことが多いのではないですか?それは、本当ですね。 実は、人間は生かされているのですね: 再生核研究所声明 72(2011/12/06) 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則まず、 ルネ・デカルト - Wikipedia から慣性の法則を抜粋しよう:(デカルトは、物体の基本的な運動は、直線運動であること、動いている物体は、抵抗がない限り動き続けること(慣性の法則)、一定の運動量が宇宙全体で保存されること(運動量保存則)など、(神によって保持される)法則によって粒子の運動が確定されるとした。この考えは、精神に物体的な風や光を、宇宙に生命を見たルネサンス期の哲学者の感覚的・物活論的世界観とは全く違っており、力学的な法則の支配する客観的世界観を見出した点で重要である。)いわゆる 慣性の法則 は、 ニュートンの運動法則 の第1法則(慣性の法則)で、外力が加わらなければ、質点はその運動(静止)状態を維持する。(力を加えられない質点は等速度運動(等速直線運動)を行う)。 要するに 動いているものは そのまま動き、止まっているものは そのまま止まっているという法則である。 この法則は、 物理法則としてばかりではなく、 人生、社会の人世、精神、生命などの在りように普遍的に存在する いわば、連続性を表す 世の法則 ではないだろうか。 この観点からいくつかの考察を行い、世と上手く付き合っていく心得、人間の在り様としての心得について触れておきたい。人は 人生とは何か、生命とは何か、生きる意味を 繰り返し問う。 この難しい問題を足もとから、現、在から考えてみよう。 今日あれば、 昼には昼食をとり、夕べには 夕食をとるは 相当に大事な 今日の要素である。 ― 実際、 夕食がとれないような状況が有れば、それは人生の意味などを超えて 全ての人間にとって重大であろう。 ― 仕事や予定が有れば、 何時ものようにやり、 少し上手く行けば、 それだけ充実感がするだろう。 在り様は もちろん、 個人にとって、人生そのものである。 人生とは それ以上のものではない。 今日の在り様は 多くは昨日から、 決まっていて大きな変化が有っても 既に準備されているものである。 今日あるから、 明日も 今日のように生活することになる。 このように 人生とは繰り返えされてきたものである。 子供のころの生活も同じように 少しずつ繰り返しながら、 変化してきて、 現在に至ったのである。 それは個人の人生ばかりではなく、 動物としても、生物としても 少しずつ慣性の法則に支配されているように 展開して来ているのである。 それらの背後には 大きな生命の営みが感じられるが その本質は 定かには分からない。 我々の自由意志は 本能原理の上に わずかに存在するが、大きな生命の営み、日常の連続性によって働いており、その大いなる流れの上にあることに想いを致せば、 大きな迷いや不安から、解放されるだろう。 その流れを観、感じ、捉えることが肝要である。 多くの人は両親や近い人の終末から、自分の終末を予感し、覚悟し、 子供たちの終末を予感するだろう。 永い間、代代繰り返えされてきたのだから、 私もそうなるだろうと悟るだろう。 およそ人生とは そのようなものである。 然り 大河の中の一滴のように である。 世の、始めも、終わりも、人生の始めも、終わりも、定かには分からない。 ただ大きな流れの上に生きているということである。 大きな変革も、ちょうど地震のように エネルギーが次第に高まり、 その流れの中で起きたものである。日本社会をみても、大震災による原発事故、増大する膨大な債務、政権交代も同じように考えられる。40年以上も稼働して来たものが、稀有な天災で甚大な被害を受けた、しかしながら、今まで築いてきた膨大な設備を、それでは直ぐに廃止とは行かないのは 当然である(再生核研究所声明 67: 脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論)。どうしようもない膨大な債務と財政難も同様である。大きな船の舵のように、急には財政改善とは行かない、改善は総合的な難問ではないだろうか。政権交代も、自民党の長期政権が疲弊、衰退し瓦解により、政権交代はしたものの、外交、軍事、財政、経済、何れも急には変えられないのは 道理であり、現実の日本の上に 政治を進めるためには、そんなに変えようがないという苦しみを 現政権にみることができる。それは大きな政治社会、大きな国の機構、現実を見れば 当然であり、菅氏が人間性の観点から批判されたのは 当然としても(再生核研究所声明 71:菅 暗黒政権 を総括する)、鳩山氏の過ちは小さく(再生核研究所声明 59: 鳩山政権の総括と反省)、野田首相はしっかり バランス良く賢明に政治を進めていると 高く評価されるべきである。 要するに、現実の日本が有る限り、 そう簡単には 変えられないというのは、 慣性の法則の重要な視点である。永い歴史が有って現在がある、 歴史の流れの上に、 明日からの未来を少しずつみつめて 着実に歩みたい。 歩んで来た過去をしっかりみれば、 明日の在るべきことは 相当に決まっているものである。 それを歴史的必然とも表現できよう。 現在、未来は 過去の歴史から、慣性の法則で、押し出されていくものであり、 自由を行使する判断でさえ、過去の積み重ねられた知識、体験の学習の結果であり、 多くは慣性の法則で 動いていると言える。 我々が創造と呼んでいるものもそうである。 積み重ねられたものから、生命作用として、噴き出ているのである。 それゆえに、歴史を真面目に捉え、飛躍が無いような、総合的な、大きな視点を持つように心がけたい。もちろん、震災、財政危機、政権交代などの社会現象は 世界史で 繰り返し 繰り返し展開されてきたことである。少子高齢化、教育の問題、産業構造と失業問題、環境問題など、何れも局所的対応、単細胞的思考では対応できず、各々の専門性を超えた 総合的、全体的な視点が大事である。 そのような視点を国民が全体的に持ち、 対応する力が無ければ 混乱と破局を早晩迎え、それも1時代の現象と評価されることになるだろう。 実際、我々は沢山の 世紀末的現象を 世界史の中に 見出すことができる。 世界は 大きな流れの中で、成るように成るものであると 半ば悟った様な心持ちは 視野を大きくさせ、賢明な有り様を選択させるだろう。以 上
2013.01.31
2013年1月30日 23:35 なぜ、科学は、生まれたのですか?また、勉強は、存在するのですか?そして、人間とは、なんですか?それは簡単ですね。人間存在の原理を参照してください。 再生核研究所声明で いろいろ取り上げています。 生きる意味ですね。生きて存在しなければ 始まらない。 生きている事は、知り、求めることですね。ですから、求めているのですね。デモ、次が良いのでは: 1.12 再生核研究所声明 12 (2007/9/17): 人生、世界の存在していることの意味について 天才教育や世界の在りようについて考えていましたら、結局は人生とは何か、存在している意味、目的が大事であると考えました。なぜならば この世の全ての問題は 結局はひとりひとりの心の問題に帰するからです。そこで、次の文章を思い出したので引用して、全ての基礎にしたいと考えます:人生における基本定理・・・ 1995年1月13日朝、目覚めの後、ひとりでに数学のアイディアがうかんだときのように、「人生の意義は、 ・・・・・・ にある」という言葉がわいてきた。私はもの心ついてから: 自分が生きていること、そして死ななければならないことを知って以来、人生そのものの意味について、最も中心的な問題として考えてきた。その核心は、人間は生まれ、生き、死んでいくものであるが、それらがどのような意味があるのか、そして、そのような人生においてどれ程の価値があるのか、という半ば悲観的な見方:実際、人生は何の意味もないのに、人は死にたくないから、そして人並みにあるいは人並み以上になりたいから、或いは人に尊敬されたいから等の漠然とした気持ちで生きているのではないか、と。また、そのような人生、人間の目標はどのようなものか、という基本的な問題への疑問であった。「人間としての存在の究極の意味、価値は」「人類の目指すべき基本的な方向とは」これらの基本的な問いについて、私が、全体的に、直観として得た解は、「人生の意義は、感動すること にある」というものである。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というような、人生における真剣な問いについて、これは十分な解答になっていると思われる。 人類の価値: 真、善、美、聖などの基礎を、我々の素朴な「感動させるもの」におき、また同時に生と死を、感動することと感動の止むことに置き換えれば、我々は死を安らかに受容できると思われる。 人類の永遠の課題 神、自由、不死の解決のための確かな道筋を与えるばかりではなく、人間存在における三位一体の理 存在、知、愛を 渾然一体のもの「感動」として捉らえたことになろう。また、藤村 操は、「・・・ 人生は不可解である、 ・・・ 」という遺言を残して自殺したが、彼を何かに真に感動させ、「人生の意義は、感動することにある」として、彼を救うことができたかもしれない。何が「人間を感動させるのか」を問うて行けば、「人生如何に行くべきか」の基本的な方向を捉えることができるし、それは多くの人間が素朴に、或いはぼんやりと抱いていたものと大きな相異はなく、この「人生における基本定理」は 多くの人間によって受け入れられるばかりではなく、新鮮な感動をもって人生の基本的な指針を与えてくれると思われる。謝辞 群馬大学名誉教授の松井弘次先生の本「色にまみれて」を読み、先生の「愛と熱情」に「感動した」と同僚達に述べているうちに、基本定理は自然に思い浮かんだものであり、「魂の解放」に導いて下さった先生には深い感謝の気持ちを表したい。追記 基本定理を自覚した後の心情は、人生はそれ以上のものではないという寂しさ、さまざまな人生の肯定、何か絶対的で永遠的なものを失ったような寂しさ、感動できる人生を送ることは容易ではなく、逆に人生は苦悩に満ちている、人生のことは、考えれば考えるほど、わけが分からなくなる、等、であるが、それにも関わらず、人生の方向と限界を知り、夢中で人生を送っているよりは はるかに賢明になったように感じている。(群馬大学工業会報より抜粋)以 上(参考)藤村が遺書として残した「巌頭之感」の本文:悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て比大をはからむとす、ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。
2013.01.31
013年1月30日 23:40世の中の事象も作用・反作用か?そのように考えると理解が 深まって良いのでは。逆を考える、反対を考えるは、 幅を広げ、理解を 深めますね。
2013.01.31
2013年1月30日 23:50 日本、53位に急落=マリ後退、ミャンマー上昇-報道自由度ランク朝日新聞は 立派な新聞と思いますが、NHK も含めて、日本のマスコミは 進化が 必要では。 基本精神が ぐらついていないでしょうか。 衆愚に導いている。 自ら定めている、 新聞倫理綱領を参照して頂ければ分かりますね。 日本は、真理や真実の追求や 正義感が足りないですね。
2013.01.31
2013年1月30日 23:55 アメリカの歴史の特徴とはなんだと思いますか?また特徴をふまえて、アメリカの歴史全体についてどのように思いますか?(ここをふまえて全体的に良い歴史だと思う。とかダメな歴史だと思うなど。)一言では 開拓精神では。 新世界を求めて 移住したのですね。 背景には、 自由とアメリカンドリームが有りますね。 広大な大地の前で、新世界をどのように見たかを想うと、 奮い立ちますね。 その後、独立して、世界の覇者に成ってからは、かなり違う面が出て来ましたが、 素晴らしい背景が有りますね。
2013.01.31
2013年1月29日 23:26 生れて数か月の赤ん坊が或る人に対して泣いたりするのは、本当に人見知りなのですか?自我が芽生えないうちから人見知りってするものなのですか?それは、大事な本能では。 自分に近い人に 守ってもらう 本能ですね。 当然備わっていなければ、自分を守れないですね。
2013.01.30
2013年1月29日 23:2差別は防げるものなのか。差別、ランク付け、蔑視・・・違いと差別を混同していないでしょうか。 社会には いろいろな人が必要で、それらが 補完し合いながら成り立つことを しっかり捉えれば、 良いのでは? 共生、共鳴、共感が 生物界の 大事な原則ですね。 多様性、重視は大原則ですね。 差別問題は、克服できますね。優秀な人たちで、 美しい人たちで、 社会は できませんね。 いろいろいて、社会は成り立つ。
2013.01.30
2013年1月29日 23:40 平等、公平、公正に関する質問・・・平等と公平は同意味でしょうか? ちょっと違うのでは? 公平は 平等を目指した 在りようでは? 公正に近いですね。 しかし、公正は 社会の規範、原則に近い、格式の高い、 発想では? 次chちょの公正の原則は、良い社会をつくる基本にはならないでしょうか。再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたら、できるか、 美しい社会とは:最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか. 平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました. 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか. 2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか. 3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる. 現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか. また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います. 特に少年期の教育にあっては哲学(ものごとの本質と人生,世界を考えること),道徳,芸術,体育などを中心とする人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか.国や隣人を愛せるようになる教育,多様性を重視し,個性や隠れた才能を伸ばし,友情を育み,人々が助け合うようになるような教育が望まれます. http://blogs.yahoo.co.jp/kbdmm360 ; http://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/ 良い社会のために―よっちゃんの想い― から
2013.01.30
2013年1月29日 23:41 体罰と暴力の違いなどについて、考えてみて下さい。お互い感情j的に成ることがあると思いますが、 結局後で どのような印象を持つかでは?しかし、基本的に 体に 触れるは 良くないのでは?言葉でも、相手を侮辱するような 発言は 良くないですね。
2013.01.30
2013年1月29日 23:43古文、漢文といった無意味な義務教育、高校教育について古文、漢文という無意味な義務教育と高校教育について古文、漢文といったまったくもって不必要なものは何のために勉強するのでしょうか? 何でも ほどほどが 良いのでは? 好きならば、やり、 嫌いなことを無理にやるのは 良くないのでは。 修業も適当に必要ですね。 古文、漢文でも 適当に やっても良いのでは? 文化の基礎の部分に成っているのでは?
2013.01.30
2013年1月29日 23:44 あなたには差別心が皆無でしょうか?・・・ほとんどの人は差別感情を持っていると言えないでしょうか?人種差別、民族差別、職業差別、能力差別、所有物の多寡に関しての差別、顔やスタイルの美醜に関する差別・・・等々、これらが自分の中に皆無であるとする人はいますか?差別という 表現は よくありませんが、いろいろな人、 グループ、 階層、 種類が有るのは 事実ですね。 それを差別と表現するのは 良くないのでは。 共存、共鳴、 共生で、 社会には いろいろな人が いないと成り立たないと 明るく考えるべきでは?
2013.01.30
2013年1月30日 0:02 頭の悪い屈折した人が頭の良い心の綺麗な人に素直に憧れたり尊敬する世の中なら良いのだが、頭の悪い屈折した人は屈折してるのでそうならない。逆に憎みさえする。微妙で難しい 面を触れていますね。 多くの人種が 一緒に暮らしていると、 如何して このように いろいろな人が いるのかと考えて しまいますね。有能な方も 美しい人も、 そうでない人も いるようですが、 生まれながらに 上手く行かない様にも 生まれて来るのが生物界の原理ですね。神も 仏も無く、 でたらめに発生させて、自然淘汰で 生物界を 維持させようとしているようですね。 それを 無常と表現されたのでしょうか?如何に 調整してうまく 社会を築いて行くか、 原理は? まずは次のように考えたい:次の公正の原則は、良い社会をつくる基本にはならないでしょうか。再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたら、できるか、 美しい社会とは:最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか. 平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました. 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか. 2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか. 3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる. 現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか. また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います. 特に少年期の教育にあっては哲学(ものごとの本質と人生,世界を考えること),道徳,芸術,体育などを中心とする人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか.国や隣人を愛せるようになる教育,多様性を重視し,個性や隠れた才能を伸ばし,友情を育み,人々が助け合うようになるような教育が望まれます. http://blogs.yahoo.co.jp/kbdmm360 ; http://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/ 良い社会のために―よっちゃんの想い― から
2013.01.30
2013/1/30 移民政策で成功した国はありますか?生物の本能として、 移民を進め、 世界を広げた民族は 栄えるのでは?イギリス、イスラエル、中国など みんなそうでは。 日本人もそうですね。 世界に 発展した方が 良いのでは?
2013.01.30
習政権が真摯(しんし)な対話と首脳会談を望んでいるなら、尖閣を海と空から威嚇する恫喝(どうかつ)をただちにやめるべきだろう。― 産経新聞って新聞と言えるのだろうか。新聞倫理綱領はどうしました。日本が勝手にちょっかいを出して挑発して、この言い分では?呆れてしまう。日本が 危機を作り出し、 緊張を生みだしていますね。 NHKは 積極的に 加担していますね。 憲法の精神など とっくに無視ですね。 今回帰国して、確信しました。 朝日新聞は 素晴らしい、見識ある新聞ですね。欧米から見ても、日本がアジアの緊張を自ら作り出し、軍拡競争、緊張を煽っている アジアの変な国に 見られていますね。民主党政権交代初期の状況と 一変していますね。河野談話、村山談話の見直しなど わざわざ、問題をぶり返す愚かさ。面白い朝日新聞、社説と社説、余滴:17日の朝日新聞で、社説とは見解が違うと断って、社説、余滴に反対意見を述べているのは、大変良い精神では。いろいろな意見や見方を紹介するは、基本的に大事な精神では。言論界の大事な根本精神ですね。朝日を注意して見ていますが、立派で評価出来る。昨年は がっかりして 変と思ったが。 事もあろうに NHK の政治面の報道は 相当に悪質ですね。 尖閣諸島問題の本質など、 触れず、 日・中を緊張させる、 扇動を積極的に行い、 憲法など とっくに無視。2日連続で中国の海洋監視船 尖閣接続水域 ー 両国が領有権を主張しているので、 当たり前。 話し合いで解決が、憲法の精神。挑発した、石原氏、野田氏の断罪が 良い。 どんどん軍拡して、兵器を購入したい? アジアを衰退させたり、 戦場にしたい?NHK もおかしいことが、分かりました。批判精神は大事、選択も大事ですね。― 日本の過ちは、自らの価値を捨て欧米に迎合したことだ」マハティール元首相、― 15日の朝日に載った、オピニオンの 素晴らしい記事ですね。 それが国際常識では?如何して 島問題が起きたかを 考えるべき。中国外務省声明が、明確に述べている ― 両国の諒解事項を中国の意思を無視して、1方的に破った 日本に非が有るのは歴然。真相を無視して、NHKさえ、中国の脅威を喧伝している。卑劣な罠に嵌っている日本、マスコミが衆愚に導いている。罠とは、チョッカイを出して 緊張感を演出させ、国民を脅かしたものである。インターネットの世界では気付いたが、庶民は騙された。― NHK も 加担していたのでは?国際社会は、日本のマスコミの 有り様を批判すべきである。NHKが 事の本質、原因を明らかにしないで、尖閣諸島の軍事緊張を 1方的に連日報道しているのは、日・中の軍事的緊張を煽るようにと の 指示で 報道しているように見える。憲法の精神など とっくに無視している。帰国して、NHK報道を見ていますが、尖閣諸島問題 の扱い、おかしいですね。 中国の存念など無視、安倍氏の平和憲法の精神に反する方向での キャンペーンすらしている。 圧力が利いているのですね。15日夜7時ニュースでも続いている、おかしな、悪質なNHKの尖閣諸島の報道; 日本の巡視艦が経費を掛けて、緊張の中、警戒されていますが、如何してそのようなことをしなくては成らなくなったのか。島問題で 緊張させたのは、石原氏のちょっかいと1方的な国有化宣言では。日本の挑発は 歴然では?私から見ると、 衆愚に導いている、新聞が 多いですね。 朝日新聞は 立派だと言える。 悪質なのは、廃刊した方が。 自ら定めている新聞倫理綱領で 評価すれば。自社の評価、アンケートなど、他者に依頼してすると良いのでは。安倍氏の対応を進めれば、軍拡競争で、平和憲法の精神に反して、アジアの愚か者、野蛮人の(再生核研究所声明 49: アジアの愚か者、アジアの野蛮性)、そして、軍事強化の方向に向かうと考えるが、それで良いでしょうか。安倍首相や桜井よしこ さんが、何故欧米で歓迎されないのかと質問されました。― 欧米の進んだ世界観からすると、偏狭愛国者は野蛮な嫌な人たちと見えて、幾ら近づきたいと思っても、嫌らしい感じを持つのでは。石原氏などもそうですね。EUは ヨーロッパを 一つの国にしようという方向で、既に お金が同じ、往来自由、大統領さえいる。アメリカは国際社会そのもの、偏狭的な愛国者は、野蛮人に見えるのでは。民族や国も考えが古いと感じるのでは。どこかに、愚かな地域はないか。危機を煽って、兵器を売りたい、軍事費を増やしたい。島問題で、騒いでいるような地域は 都合が良い。できれば、マスコミに圧力を掛けて、煽りたい。如何して 島問題が起きたかを 考えるべきですね。 中国外務省声明が、明確に述べていますね ― 両国の諒解事項を中国の意思を無視して、1方的に破った 日本に非が有る のは歴然ですね。
2013.01.29
2013年1月28日 23:23 欧米文化について日本にはない欧米文化の魅力とはなんだと思いますか? 自由、平等、博愛の精神と表現されるでしょうか? そのような 観点では、 日本は弱いですね。細やかさ、 感性、 高質な文化、 日本の文化は 西欧をしのいでいるのでは?
2013.01.29
2013年1月28日 23:23 美しくないと感じるのは差別なのか?ご意見お待ちしてます。感じるは、 自然な気持ちの表現で、差別でも何でもないですね。しかし、感じるのは自由ですが、それを相手に 言うといろいろ問題ですね。 感じると表現は 別ですね。 何でも自分の感情を表現して 良いとは成らないですね。 相手の、社会の受け止め方、 影響を考えるのは 基本ですね: 次の公正の原則は、良い社会をつくる基本にはならないでしょうか。再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたら、できるか、 美しい社会とは:最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか. 平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました. 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか. 2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか. 3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる. 現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか. また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います. 特に少年期の教育にあっては哲学(ものごとの本質と人生,世界を考えること),道徳,芸術,体育などを中心とする人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか.国や隣人を愛せるようになる教育,多様性を重視し,個性や隠れた才能を伸ばし,友情を育み,人々が助け合うようになるような教育が望まれます. http://blogs.yahoo.co.jp/kbdmm360 ; http://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/ 良い社会のために―よっちゃんの想い― から5分
2013.01.29
2013年1月28日 23:24 なぜ「なぜ人を殺してはいけないのか」を考えてはいけないんでしょうか? 「なぜ?」と考える事は必要じゃないでしょうかやっぱり不道徳なのでしょうか?それを考えることは、大事ですね。 積極的に考えて 欲しい。 そうすると 道徳や法の精神など よく理解できるように成るのでは。
2013.01.29
2013年1月28日 23:27 認識においては深度と的確性というものがあると思いますか?あるとして、それは才能により違うのですか、努力により違うのですか?それ以外にも何かありますか? その通りですが、 要素は そう単純では ないですね。 生命はそう単純でなく、 複雑ですね。偶然、出会い、つまずき 、勿論、努力、才能、環境の影響も大きいですが。
2013.01.29
2013年1月28日 23:28 ≪人間は大ざっぱに言えば肉体と精神と霊とで構成されているが、成長するにつれて意識の中枢が肉体から精神へ、そして霊へと移っていく。理屈ばかりこねている人間は精神的段階に留まっている証拠であり、まだ真の自我には目覚めていない。その段階を抜け出ると直観(“直感”ではない)で理解するようになる。理屈や証拠を超えて真相を洞察してしまう――“わかる”のである。≫芸術家や 研究者でもそのような 面があり、同感、共鳴、賛成出来ますね。 素晴らしい。
2013.01.29
2013年1月28日 23:29 全ての経験は、その人間を創る重要なパーツとなる。何をする上でも過去の経験は必ず活きてくる。だから、色んなことをして、自分らしい価値観や世界観を創るべきである。僕はこう思うのですが、皆さまはどう思われますか?いろいろな意見が聞きたいです。 基本的に適切では。 特に若い人は 志を立てる前、いろいろな世界に触れるは、大事ですね。そして、その中なら、 自分の歩む道を 決めて行くのですね。
2013.01.29
2013年1月28日 23:32 人に裁かれるより、機械に裁かれたほうが良いのでは裁判官も検事も人である。逆では、 杓子定規で 対応できないのが 社会であり、人間では。そこで、 人間が判断するは 大事な要素では。ですから、裁判官や検察官はそれだけ、高潔な 正義感をもつ、 人物であることが 期待されていますね。
2013.01.29
2013年1月28日 23:35 理解と暗記の違いってなんでしょうか?勉強しているときによく暗記じゃなくて理解しなさいというようなことをいいますよね。その通りですね。 単なる事実のこと、暗記では、 背後にある原理、理由を考えなければ、 対応できませんね。 事実だけでは、 変化に 対応できませんね。
2013.01.29
2013年1月28日 23:36「女子のみ必須」だった家庭科は女性差別だったのですか?それは差別というほどのものではなく、役割分担の 発想だったと思います。 役割分担の考えが変われば、 変わるは当然で、 社会の在り様によって、対応すれば 良いですね。
2013.01.29
2013年1月28日 23:41 100年後の世界情勢ってどうなってると思いますか?世界史を見れば、 大きな変遷があり、 日本などは 衰退の危険性が 高いのでは。中国も危険性が 高いのでは。 EUや アメリカは安定し、 南米などは発展するのでは。インドは人口問題が問題では。 中東は政治的に 安定するか否かが 問題ですね。
2013.01.29
2013年1月28日 23:43 世の中「お金じゃない理由」を述べてみてください。証明してみて下さい。 僕は「お金より愛」とかそんなのきれいごとにしか聞こえません。大半は世の中お金で解決されているとおもいます。お金は、 社会の価値を 有る程度普遍的にしたものですから、 お金は 大いに価値が有りますね。 地獄の沙汰も金次第と表現されていますね。 しかし、それは いわば手段で 幾ら手段があっても、 活かせなければ、何にも成りませんね。 実際、 お金持ちになって 不幸に成ったは 世に多いですね。 目的と手段の問題では。幾ら知識があっても 賢くなれない、活かせないないのと 同じですね。
2013.01.29
計算機で、関数の滑らかさを判定できるか?今朝の考え、2013.1.28:08:30 次のような構想を抱いて、研究室に入った: 藤原先生ならできる。 ― 次の世代を待つまでもない。 次の世代には、関数の解析性すら、計算機は捉えることが出来るようになるだろう。澤野先生、山田先生に 1月10日 タオ氏の研究に関して、再生核に属する判定条件を、行列の正定値性で判定したいと述べました。 他方、藤原先生によると、実対称なら、正定値性は 数万サイズまで、可能ということです。 しかし、そのような方向では 判定不可能であることが分りました。 しかし、具体的な場合に、判定できると考えられる方法が有ることが 分りました。 関数の持っている情報を上手く整理する必要が有ります。 藤原先生なら、 実際に実験で、計算機で判定できると考えます。- もちろん、近似的にです。 原理的には不可能であるが、具体的な場合に、判定できるという意味合いです。 表現は、微妙です。 素案を纏めたら、お送りします。敬具齋藤三郎2013.1.28:11:45
2013.01.28
2013年1月27日 23:23 今私たちが生きているこの「世界」そのものが無かった場合、一体そこには何があるのでしょうか?何も無いのでしょうか?このことを考えているといつも頭がおかしくなってきて、生きていること自体が不思議でたまらなくなりまくす。答えの無いような疑問ですが皆さんの意見を聞かせて下さい。余り考えすぎない様に まずは 今日、明日 楽しくなるように 考えたいと思います。 余裕が出来たら、 段々難しいことも考えたい: 再生核研究所声明 72(2011/12/06) 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則まず、 ルネ・デカルト - Wikipedia から慣性の法則を抜粋しよう:(デカルトは、物体の基本的な運動は、直線運動であること、動いている物体は、抵抗がない限り動き続けること(慣性の法則)、一定の運動量が宇宙全体で保存されること(運動量保存則)など、(神によって保持される)法則によって粒子の運動が確定されるとした。この考えは、精神に物体的な風や光を、宇宙に生命を見たルネサンス期の哲学者の感覚的・物活論的世界観とは全く違っており、力学的な法則の支配する客観的世界観を見出した点で重要である。)いわゆる 慣性の法則 は、 ニュートンの運動法則 の第1法則(慣性の法則)で、外力が加わらなければ、質点はその運動(静止)状態を維持する。(力を加えられない質点は等速度運動(等速直線運動)を行う)。 要するに 動いているものは そのまま動き、止まっているものは そのまま止まっているという法則である。 この法則は、 物理法則としてばかりではなく、 人生、社会の人世、精神、生命などの在りように普遍的に存在する いわば、連続性を表す 世の法則 ではないだろうか。 この観点からいくつかの考察を行い、世と上手く付き合っていく心得、人間の在り様としての心得について触れておきたい。人は 人生とは何か、生命とは何か、生きる意味を 繰り返し問う。 この難しい問題を足もとから、現、在から考えてみよう。 今日あれば、 昼には昼食をとり、夕べには 夕食をとるは 相当に大事な 今日の要素である。 ― 実際、 夕食がとれないような状況が有れば、それは人生の意味などを超えて 全ての人間にとって重大であろう。 ― 仕事や予定が有れば、 何時ものようにやり、 少し上手く行けば、 それだけ充実感がするだろう。 在り様は もちろん、 個人にとって、人生そのものである。 人生とは それ以上のものではない。 今日の在り様は 多くは昨日から、 決まっていて大きな変化が有っても 既に準備されているものである。 今日あるから、 明日も 今日のように生活することになる。 このように 人生とは繰り返えされてきたものである。 子供のころの生活も同じように 少しずつ繰り返しながら、 変化してきて、 現在に至ったのである。 それは個人の人生ばかりではなく、 動物としても、生物としても 少しずつ慣性の法則に支配されているように 展開して来ているのである。 それらの背後には 大きな生命の営みが感じられるが その本質は 定かには分からない。 我々の自由意志は 本能原理の上に わずかに存在するが、大きな生命の営み、日常の連続性によって働いており、その大いなる流れの上にあることに想いを致せば、 大きな迷いや不安から、解放されるだろう。 その流れを観、感じ、捉えることが肝要である。 多くの人は両親や近い人の終末から、自分の終末を予感し、覚悟し、 子供たちの終末を予感するだろう。 永い間、代代繰り返えされてきたのだから、 私もそうなるだろうと悟るだろう。 およそ人生とは そのようなものである。 然り 大河の中の一滴のように である。 世の、始めも、終わりも、人生の始めも、終わりも、定かには分からない。 ただ大きな流れの上に生きているということである。 大きな変革も、ちょうど地震のように エネルギーが次第に高まり、 その流れの中で起きたものである。日本社会をみても、大震災による原発事故、増大する膨大な債務、政権交代も同じように考えられる。40年以上も稼働して来たものが、稀有な天災で甚大な被害を受けた、しかしながら、今まで築いてきた膨大な設備を、それでは直ぐに廃止とは行かないのは 当然である(再生核研究所声明 67: 脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論)。どうしようもない膨大な債務と財政難も同様である。大きな船の舵のように、急には財政改善とは行かない、改善は総合的な難問ではないだろうか。政権交代も、自民党の長期政権が疲弊、衰退し瓦解により、政権交代はしたものの、外交、軍事、財政、経済、何れも急には変えられないのは 道理であり、現実の日本の上に 政治を進めるためには、そんなに変えようがないという苦しみを 現政権にみることができる。それは大きな政治社会、大きな国の機構、現実を見れば 当然であり、菅氏が人間性の観点から批判されたのは 当然としても(再生核研究所声明 71:菅 暗黒政権 を総括する)、鳩山氏の過ちは小さく(再生核研究所声明 59: 鳩山政権の総括と反省)、野田首相はしっかり バランス良く賢明に政治を進めていると 高く評価されるべきである。 要するに、現実の日本が有る限り、 そう簡単には 変えられないというのは、 慣性の法則の重要な視点である。永い歴史が有って現在がある、 歴史の流れの上に、 明日からの未来を少しずつみつめて 着実に歩みたい。 歩んで来た過去をしっかりみれば、 明日の在るべきことは 相当に決まっているものである。 それを歴史的必然とも表現できよう。 現在、未来は 過去の歴史から、慣性の法則で、押し出されていくものであり、 自由を行使する判断でさえ、過去の積み重ねられた知識、体験の学習の結果であり、 多くは慣性の法則で 動いていると言える。 我々が創造と呼んでいるものもそうである。 積み重ねられたものから、生命作用として、噴き出ているのである。 それゆえに、歴史を真面目に捉え、飛躍が無いような、総合的な、大きな視点を持つように心がけたい。もちろん、震災、財政危機、政権交代などの社会現象は 世界史で 繰り返し 繰り返し展開されてきたことである。少子高齢化、教育の問題、産業構造と失業問題、環境問題など、何れも局所的対応、単細胞的思考では対応できず、各々の専門性を超えた 総合的、全体的な視点が大事である。 そのような視点を国民が全体的に持ち、 対応する力が無ければ 混乱と破局を早晩迎え、それも1時代の現象と評価されることになるだろう。 実際、我々は沢山の 世紀末的現象を 世界史の中に 見出すことができる。 世界は 大きな流れの中で、成るように成るものであると 半ば悟った様な心持ちは 視野を大きくさせ、賢明な有り様を選択させるだろう。以 上
2013.01.28
人が生きることは隣人と競争する事を意味します。2013年1月27日 23:24 みなさんはどう思いますか?人が生きることは隣人と競争する事を意味します。しかしその隣人は同時に友人でもあり、味方でもあります。人は隣人と争いをやめ、平和的に生存していくことができるのでしょうか?人間も、生物も、基本は 共生、共鳴ですね。 大きな命を 発展させていくために 大きな争いがあるので有って、競争の為に有るのでは ないですね。 本末転倒に成っていますね: 再生核研究所声明 36 (2010/05/14): 恋の原理と心得 元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと ― 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える: 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. 殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。 恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。 少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。元祖生命体の高度な謙虚な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。以 上
2013.01.28
2013年1月27日 23:25 他人と違った表現をすることを目的とした作家活動や作家のキャラや特異な発言や言動が真っ先に目につく人やオリジナリティを前面にアピールすることが第一義になっている作家さんを見るとなんともいえない「違和感」を感じます。自分の生命の表現としての 表現とともに、 それを訴えたい、 広めたい、 理解されたい、 共感、共鳴を得たいも 有りますので、 一概に批判的には 捉えられないですね。 大事な 2面性ですね。 論文でも芸術でも、 どのように表現すれば 理解され易いかを 何時も考えますね。
2013.01.28
2013年1月27日 23:25 人間は「過去」と「未来」という空想の中で生きていることがほとんどだと思うのですが、どうでしょうか?「今」という刹那の瞬間に広がっている世界を見ていることは少ない気がします。それは 難しいですね。 現在は一瞬で 過去と未来しか 捉えられませんね。しかし、未来も過去も、 現在が瞬間で捉え、行動して、 出来るのですから、 複雑、難しいですね。
2013.01.28
2013年1月27日 23:26 人に罪悪感を抱かせる方法を教えて下さい逆の立場を 考えさせれば、 気づくのでは? 次の公正の原則は、良い社会をつくる基本にはならないでしょうか。再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたら、できるか、 美しい社会とは:最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか. 平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました. 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか. 2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか. 3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる. 現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか. また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います. 特に少年期の教育にあっては哲学(ものごとの本質と人生,世界を考えること),道徳,芸術,体育などを中心とする人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか.国や隣人を愛せるようになる教育,多様性を重視し,個性や隠れた才能を伸ばし,友情を育み,人々が助け合うようになるような教育が望まれます. http://blogs.yahoo.co.jp/kbdmm360 ; http://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/ 良い社会のために―よっちゃんの想い― から
2013.01.28
2013年1月27日 23:29 善と悪について善と悪の捉え方について見たとき、人間には3種類いるようである。1つは善と悪は絶対的なものであり、人の立場や社会情勢に関わらず常に明確に区別できると考える人。2つは善と悪は相対的なものであり、その時々の人の立場や社会情勢により善が悪にもなり悪が善にもなると考える人。3つはもともとこの世に善も悪も存在しないと考える人。果たしてどちらがより真っ当であると言えようか、どちらがより真理に近いと言えようか。これ2では? 次を参考にすれば 大丈夫ですね: 次の公正の原則は、良い社会をつくる基本にはならないでしょうか。再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたら、できるか、 美しい社会とは:最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか. 平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました. 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか. 2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか. 3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる. 現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか. また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います. 特に少年期の教育にあっては哲学(ものごとの本質と人生,世界を考えること),道徳,芸術,体育などを中心とする人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか.国や隣人を愛せるようになる教育,多様性を重視し,個性や隠れた才能を伸ばし,友情を育み,人々が助け合うようになるような教育が望まれます. http://blogs.yahoo.co.jp/kbdmm360 ; http://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/ 良い社会のために―よっちゃんの想い― から
2013.01.28
2013年1月27日 23:30 人の心は進化致しますか。人は色々なものを作りまして来まして進化致しまして来ましたですけれども一番進化致しましておりませんのは「人の心」とか・・・。どう思われますか進化するのでは? 素数が好きだなどと 進化するのでは? 関係者各位: 数学とは何か ― 数学と人間については 下記、国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 に公刊されました。 この寄稿は 高橋 渉 東京工業大学名誉教授によって、 勧められ、編集委員長、副委員長の 藤井淳一、 藤井正俊 両大阪教育大学教授を経て、協会会長の 長尾寿夫 大阪府立大名誉教授によって、修正なしに 出版されたものです。 関係者には 心から感謝致します。 ところで 数学とは何だろうかと 一層深い想いをしています。 敬具アヴェイロ大学齋藤三郎2012.5.17:15:55 No.81, May 2012(pdf 432kb) No.81, May 2012(pdf 432kb)
2013.01.28
2013年1月27日 23:33 なぜ命は大切なのですか?と聞かれて、あなたはどう答えますか?それは簡単です。 生きて存在しなければ、 何も始まらないからです。生命の基本定理 です。最も大事なことを参照して下さい: 再生核研究所声明 13 (2008/05/17): 第1原理 ― 最も大事なこと世界の如何なるものも 環境内の存在であり、孤立した存在は在り得ない。世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある。よって環境や戦争については 多くの人間の関与すべき重要な問題と考えなければならない。21世紀は、近代科学の進歩によって 地球の有限性が顕わになり、人類絶滅の可能性を感じせしめるようになってきた時代とも言える。国が栄えなければ、地方の栄えは考えられず、県などが栄えなければ 市町村などの発展は望めない。市町村などが健全でなければ 地域は栄えず、住民や家庭の健全な生活は不可能である。しかしながら、現実的な対応としては、逆方向の発展を考えざるを得ない。すなわち私たち個人、および個人の近くから、より良い社会、環境になるように努力していくことである。孤高の存在は所詮空しく、儚いものである。それゆえに われわれは各級のレベルにおける環境と社会に思いを致すことに努力して行こうではありませんか。特に、われなき世界は 存在すれども、何事をも認識できず、知ることもなく感じる事もできない。よって、われ存在して始めて、世界を知ることになるから、健全なる個人の存在は、個人にとっては最も大事な第1原理に考えざるを得ない。これは言い古されてきた、 まず健康ということ、 に他ならない。われなき世界とは 自分が影響を与えない世界のことである。この個人と社会の関わりは、 愛とよばれている、 愛の本質である。それは男女の愛と親子の愛が基本になっている。それはまた じんかん と よばれる人間存在の本質でもある。この声明は 地球環境を限りなく大事にし、世界の平和を確立し、社会を大事に思い、世界の拡大と深化を、 個人を尊重しながら、 積極的に進めることを、各級のレベルで努力することを要請しているものである。その原理は、 人間存在の本質である、 人間存在における三位一体の理存在、知、愛の、存在して、始めて知り、求める事ができる という原理を、いわば当たり前のことを、確認しているに他ならない。(しかしながら、実際にはこの自明な、重要な原理は、解析接続のように必然的に 新しい価値観と考え方を限りなく発展させ、雄大な世界を拓くのであるが、私個人はこの古い世界で生涯を閉じようとしていて、その世界には立ち入らない事にしたいと思う。不思議にも 少年時代に宇宙論と共にその世界を覗いたのですが、怖くなって覗かないようにしました。それはガウスが非ユークリッド幾何学を発見したが、世の反響の大きさを恐れて発表を控えたのと同じ心境です。) 以上。
2013.01.28
2013年1月27日 23:34 倫理学的に見て、積極的安楽死は許容されるのでしょうか?みなさんはどのようにお考えですか?人間には 死の 自由を与えた方が 良いですね。 いろいろ再生核研究所声明で 触れています。 しかし、 生命の基本定理、 人生の基本定理を、最も大事なことを まず、 注意して下さい。
2013.01.28
2013年1月27日 23:35 宇宙の周期この世界は途方もなく長い時間をかけて繰り返されているのではないだろうか。そのように感じますね。 直感ですね。
2013.01.28
2013年1月26日 23:21 性格と人格形成には、育ってきた環境が大きく関わっているのでしょうか?遺伝や元々からそう育つ種というか素質というかをもっていたというのもあるのでしょうか? それらは 深い影響を与えますが、 論理や 理論的な思考が それらを 超越させる面があり、人間解放の視点からも 大事では?
2013.01.27
2013年1月26日 23:22 死ぬのは怖いですか?永遠が欲しいですか?私はどちらも怖いのですが、これでは矛盾ですね。。。死が怖くないと、 みんな自殺して、生物は 存在しなくなってしまうので、 人間を考えたものは 矛矛盾、 困るのですね。 それは 食欲の様なものですね。 生命は 何を目指しているのでしょうかか。 自分の心にも 問うて行きたい。再生核研究所声明 36 (2010/05/14): 恋の原理と心得 元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと ― 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える: 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. 殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。 恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。 少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。元祖生命体の高度な謙虚な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。以 上
2013.01.27
2013年1月26日 23:24 世界の存在理由世界はなぜ存在するのでしょうか。なんらかの目的があってのことなのでしょうか。それとも無目的、無意味なのでしょうか。それは 人間には分からない問いの様ですね: 再生核研究所声明 36 (2010/05/14): 恋の原理と心得 元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと ― 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える: 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. 殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。 恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。 少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。元祖生命体の高度な謙虚な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。以 上
2013.01.27
2013年1月26日 23:24 宗教について。宗教の良い面・悪い面って何だと思いますか?両側面を説明したうえで、自分の意見をお聞かせください。 良し悪しは 別として、また 既成の宗教は 別として、全てを深めて行けば、 神に、宗教に 到達するのでは?
2013.01.27
2013年1月26日 23:25 生まれてくること自体が不幸なんじゃないのですか?本当ですね。ですから、 運命共同体として、 助け合って生きたいですね。 ところが、 わざわざ 争ったりしている。 まだ、夜明け前、 野蛮性が残る時代ですね。
2013.01.27
2013/1/26 論理って人間が作ったんですか?これは 私の悩みです。 人間でしょうか、 人間から離れて存在しているのでしょうか: 関係者各位: 数学とは何か ― 数学と人間については 下記、国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 に公刊されました。 この寄稿は 高橋 渉 東京工業大学名誉教授によって、 勧められ、編集委員長、副委員長の 藤井淳一、 藤井正俊 両大阪教育大学教授を経て、協会会長の 長尾寿夫 大阪府立大名誉教授によって、修正なしに 出版されたものです。 関係者には 心から感謝致します。 ところで 数学とは何だろうかと 一層深い想いをしています。 敬具アヴェイロ大学齋藤三郎2012.5.17:15:55 No.81, May 2012(pdf 432kb) No.81, May 2012(pdf 432kb)
2013.01.27
2013年1月26日 23:31 この言葉をどう思いますか?素晴らしいですね。良い考えですね。再生核研究所声明そのようなことを取り上げています。人間存在の意義、 生きる意味などですね。
2013.01.27
2013年1月26日 23:31 何で神様は人間を平等に作らなかったのですか?それは、面白くなく 小さな世界に 成ってしまうからですね。 そのような世界は小さく、それでは、人類は生存していけないですね。多様性は 基本的な在りようですね。
2013.01.27
2013年1月25日 23:38 この世の人々は皆神に生かされ、恒星や惑星や衛星に生かされ、自然に生かされ、動植物に生かされ、人々に生かされている存在で、自分の意思のみで生きている人は一人も存在しませんか。実は、それ正しいですね。 人間は、何者かによって 作られ、 活かされているのですね。再生核研究所声明 慣性の法則 を参照してください: 再生核研究所声明 72(2011/12/06) 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則まず、 ルネ・デカルト - Wikipedia から慣性の法則を抜粋しよう:(デカルトは、物体の基本的な運動は、直線運動であること、動いている物体は、抵抗がない限り動き続けること(慣性の法則)、一定の運動量が宇宙全体で保存されること(運動量保存則)など、(神によって保持される)法則によって粒子の運動が確定されるとした。この考えは、精神に物体的な風や光を、宇宙に生命を見たルネサンス期の哲学者の感覚的・物活論的世界観とは全く違っており、力学的な法則の支配する客観的世界観を見出した点で重要である。)いわゆる 慣性の法則 は、 ニュートンの運動法則 の第1法則(慣性の法則)で、外力が加わらなければ、質点はその運動(静止)状態を維持する。(力を加えられない質点は等速度運動(等速直線運動)を行う)。 要するに 動いているものは そのまま動き、止まっているものは そのまま止まっているという法則である。 この法則は、 物理法則としてばかりではなく、 人生、社会の人世、精神、生命などの在りように普遍的に存在する いわば、連続性を表す 世の法則 ではないだろうか。 この観点からいくつかの考察を行い、世と上手く付き合っていく心得、人間の在り様としての心得について触れておきたい。人は 人生とは何か、生命とは何か、生きる意味を 繰り返し問う。 この難しい問題を足もとから、現、在から考えてみよう。 今日あれば、 昼には昼食をとり、夕べには 夕食をとるは 相当に大事な 今日の要素である。 ― 実際、 夕食がとれないような状況が有れば、それは人生の意味などを超えて 全ての人間にとって重大であろう。 ― 仕事や予定が有れば、 何時ものようにやり、 少し上手く行けば、 それだけ充実感がするだろう。 在り様は もちろん、 個人にとって、人生そのものである。 人生とは それ以上のものではない。 今日の在り様は 多くは昨日から、 決まっていて大きな変化が有っても 既に準備されているものである。 今日あるから、 明日も 今日のように生活することになる。 このように 人生とは繰り返えされてきたものである。 子供のころの生活も同じように 少しずつ繰り返しながら、 変化してきて、 現在に至ったのである。 それは個人の人生ばかりではなく、 動物としても、生物としても 少しずつ慣性の法則に支配されているように 展開して来ているのである。 それらの背後には 大きな生命の営みが感じられるが その本質は 定かには分からない。 我々の自由意志は 本能原理の上に わずかに存在するが、大きな生命の営み、日常の連続性によって働いており、その大いなる流れの上にあることに想いを致せば、 大きな迷いや不安から、解放されるだろう。 その流れを観、感じ、捉えることが肝要である。 多くの人は両親や近い人の終末から、自分の終末を予感し、覚悟し、 子供たちの終末を予感するだろう。 永い間、代代繰り返えされてきたのだから、 私もそうなるだろうと悟るだろう。 およそ人生とは そのようなものである。 然り 大河の中の一滴のように である。 世の、始めも、終わりも、人生の始めも、終わりも、定かには分からない。 ただ大きな流れの上に生きているということである。 大きな変革も、ちょうど地震のように エネルギーが次第に高まり、 その流れの中で起きたものである。日本社会をみても、大震災による原発事故、増大する膨大な債務、政権交代も同じように考えられる。40年以上も稼働して来たものが、稀有な天災で甚大な被害を受けた、しかしながら、今まで築いてきた膨大な設備を、それでは直ぐに廃止とは行かないのは 当然である(再生核研究所声明 67: 脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論)。どうしようもない膨大な債務と財政難も同様である。大きな船の舵のように、急には財政改善とは行かない、改善は総合的な難問ではないだろうか。政権交代も、自民党の長期政権が疲弊、衰退し瓦解により、政権交代はしたものの、外交、軍事、財政、経済、何れも急には変えられないのは 道理であり、現実の日本の上に 政治を進めるためには、そんなに変えようがないという苦しみを 現政権にみることができる。それは大きな政治社会、大きな国の機構、現実を見れば 当然であり、菅氏が人間性の観点から批判されたのは 当然としても(再生核研究所声明 71:菅 暗黒政権 を総括する)、鳩山氏の過ちは小さく(再生核研究所声明 59: 鳩山政権の総括と反省)、野田首相はしっかり バランス良く賢明に政治を進めていると 高く評価されるべきである。 要するに、現実の日本が有る限り、 そう簡単には 変えられないというのは、 慣性の法則の重要な視点である。永い歴史が有って現在がある、 歴史の流れの上に、 明日からの未来を少しずつみつめて 着実に歩みたい。 歩んで来た過去をしっかりみれば、 明日の在るべきことは 相当に決まっているものである。 それを歴史的必然とも表現できよう。 現在、未来は 過去の歴史から、慣性の法則で、押し出されていくものであり、 自由を行使する判断でさえ、過去の積み重ねられた知識、体験の学習の結果であり、 多くは慣性の法則で 動いていると言える。 我々が創造と呼んでいるものもそうである。 積み重ねられたものから、生命作用として、噴き出ているのである。 それゆえに、歴史を真面目に捉え、飛躍が無いような、総合的な、大きな視点を持つように心がけたい。もちろん、震災、財政危機、政権交代などの社会現象は 世界史で 繰り返し 繰り返し展開されてきたことである。少子高齢化、教育の問題、産業構造と失業問題、環境問題など、何れも局所的対応、単細胞的思考では対応できず、各々の専門性を超えた 総合的、全体的な視点が大事である。 そのような視点を国民が全体的に持ち、 対応する力が無ければ 混乱と破局を早晩迎え、それも1時代の現象と評価されることになるだろう。 実際、我々は沢山の 世紀末的現象を 世界史の中に 見出すことができる。 世界は 大きな流れの中で、成るように成るものであると 半ば悟った様な心持ちは 視野を大きくさせ、賢明な有り様を選択させるだろう。以 上
2013.01.26
2013年1月25日 23:39勇気なんてみんなない、無い勇気を振り絞って頑張ってるんだ、って思いますか? 強い、良心の高まりで、 立ち上がることも。 義の精神で、 命さえ掛けることも?
2013.01.26
2013年1月25日 23:40 「どんな理由があっても人殺しなんてするな!」という詭弁。そうですね。 状況、場合、場合によりますね。
2013.01.26
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