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茄子、アスパラ、トマト、インゲン……野菜が美味しい季節ですね。 どうしたら、それぞれの野菜の持ち味を最大限に生かせるかと考えたときに思いついたのが、「お刺身風サラダ」。それぞれ下ごしらえした夏野菜を皿に美しく並べ、数種類のドレッシングをお好みで組み合わせていただきます。 オクラは、塩もみしてヘタを切り落としてから、さっと湯がいて冷水に放ち、ザルにあげる。 アスパラは、下のほうのスジと皮、ハカマをピーラーで取り去ってから、ほどよくゆでて冷水に放ち、ザルにあげる。 インゲンもスジを取ってから同様に。 トウモロコシは、ゆでてから熱いうちに塩を振り、食べやすい大きさに切る。 茄子は焼き茄子にして、縦に4等分する。熱いうちにオリーヴオイルとバルサミコを振りかけておく。色みが寂しいので、盛り付けるときは万能ネギのみじん切りなどを上に散らして。 カラーピーマンは生のままでもいいけど、焼いて皮を剥き、オレガノなどのドライハーブを加えたオリーヴオイルに浸しておく。 ミニトマトは、湯剥きし、ハチミツで甘くしたペパーミントティー(さましておく)に漬け、冷蔵庫で冷やす。 キュウリは皮をシマシマに剥き、10cmぐらいに切って4等分。 エシャレット(ラッキョウと同じ)はヒゲ根を取って綺麗に洗い、食べやすい大きさに整える。 以上をガラスの皿などに綺麗に並べる。 ドレッシングは、生クリーム+にんにく味のブルサン(クリームチーズ)、生クリーム+ブルーチーズ、オーロラソース(ケチャップ、おろしにんにく、マヨネーズ、マスタード)など数種類を用意しておく。キュウリは油味噌で食べるとおいしい。 野菜は、他にもお好みで色々どうぞ。 白身魚、白っぽいソーセージ、エビ、イカなどをゆでて添えるとゴージャスになりますね。 アスパラや焼き茄子は、生ハムにくるんで並べてもいいでしょう。 お試しください。
2006年06月23日
目標を立て、その達成のために前向きに進む――そんな生き方が素晴らしいなあと思わせられる今日このごろ。昨日もステキな女性に出会いました。「自分は毎日5時で帰るフツーのサラリー・ウーマンで終わるつもりだったんですが」と言いつつ、いまや部門を束ねる管理職であり、スペシャリストとしても組織の中で出色の存在感を放ち、業務改善やシステム化に積極的に取り組んで業績を上げ、高く評価されています。 その背景には、「このままではいけない」という問題意識と着実な行動力があるようにお見受けしました。「常に何かの目標を立て、自分を追い込んでいかないとダメなんですよね」と彼女は言います。 日々、生きていくだけで精一杯という人もいれば、マイペースでぼちぼちやれればいいさという人もいるかもしれない。でも、他人任せ、運任せの生き方では夢を実現させることは難しく、結局、死ぬ時に「いい人生だった」と言えないのではないでしょうか。 夢の実現のためには、意味のある人生を送るためには、日々、目標を掲げてそれに向かって前向きに進んでいくことが大切だなあと思います。 私も小さなことから始めてみようと思いました。 目標達成のための日記というか、自己実現のためのセルフチェック・ノートを日々、つけることにしました。 まずは毎日必ず行って習慣化したい項目を5つ掲げました。1.朝は6時までに起きる2.起きたらすぐに朝刊を読む3.毎朝、体重を測る4.掃除をする5.金銭出納帳をつける 恥ずかしいけど、毎日じゃなくてたまにしかやっていないことが多くて(^^;) おっと、もう1つ、「楽天ブログに毎日書く」という項目を増やすことにしましょう。 チェックするまでもなく習慣として根付いてきたら、別の項目と入れ替えます。慣れてきたら10項目まで増やしてもいいかな。 次に、中長期的目標も掲げます。 いまは思いついたものを順に挙げ、後から優先順位を決めて絞り込んでいこうと考えている段階ですが、「9月の誕生日までに○○kgまで減量する」「年内に自著に着手する」「来年は海外旅行へ」「億万長者になる!」 最後の項目はもちろん、ジョークですが、夢は大きくね。 そして、日々に行わねばならない仕事を朝のうちに書き出し、翌日の朝にその達成度と質を自己評価して書き込みます。 がんばるぞ。
2006年06月22日
「一寸先は光」とは、近ごろ話題の「カリスマ体育教師」原田隆史さんの名言です。本日も昼のワイドショー「ザ・ワイド」に出演されるとか。 先々を憂えて生きるよりも、希望を胸に抱いて、目標に向かって前向きに突き進んでいくような生き方のほうが、やっぱりいいでしょう?というメッセージがこめられています。納得できますよね。 昨日、仕事でお会いして、最後には握手までしてもらいました。感激。手のひらのなかでオーラがぱちぱち弾けるようでした(大げさ)。私も教育の仕事に携わる一員として、大いにインスパイアされたひとときでした。収穫が多過ぎて1日分の日記には書ききれないので、おいおい綴っていきます。 とりあえず本日は「希望」のお話し。 再就職セミナーに集まる主婦の皆さんの中には、「結婚前のようなハードな働き方はできない」「残業はできない」と、企業のハードな仕事についていけないという不安を持っている方が多いようです。 まあ、心配しなくても、ブランクの長かった人に対して、会社は最初からそんなにハードな仕事は与えませんって(^^;)だって、与えてもできっこないもん。案ずるより産むがやすしですよと言いたいのですが、それはさておき、もう少し大局的な見地からお話ししましょう。 私が大学を卒業して就職したのは、1982年。均等法施行前です。すでに四半世紀近くも働き続けているわけね。ひー。 私の場合、結婚も出産も、大学院進学も、そして幸いに大怪我も大病もしなかったので、仕事を辞める理由が何ひとつなくて、それでまあ、続けているわけですが、もちろん、同期や先輩の女性の中には結婚・出産といった大きな環境の変化にも順応して仕事を続ける人たちが少数派とはいえ、存在しました。 さまざまな障害を乗り越えて仕事を続けようとする女性たちは、大きく分けると次の2つの「信念」を持ち、それに支えられていたように思います。 その1。女は、男の2倍以上働いて初めて一人前と認められる。よおし、やってやろうじゃないの!男の2倍以上働いて、私の能力を会社(役所その他の組織)に認めさせ、後に続く女性のために道を切り開いていやる。 その2。女が男社会の中で働き続けることによって、男社会は確実に変わっていくはずだ。家庭を犠牲にしてモーレツに働かなくても、家庭も自分も大切にしながら働いていくスタイルを女性が身をもって実践することにより、世の中に新しい風を吹き込めるだろう。 私自身は、理想としては「その2」だけれども、世の中、そんなに甘くないだろうから、とにかく「その1」でがんばろうぜぃ!という感じでガムシャラに生きてきた感じかな。 二十数年後のいま、この2つの信念が世の中に少なからぬ影響を与えたことは、皆さん、ご存知のとおりです。とくに最近では、後者の「信念」の実践が、世界的に大きな風を巻き起こしているように思います。二十年来、いえ、それ以前からずっと働く女性たちが胸に抱き続けた希望の光がいま、世界中で大きな輝きを放つ時期を迎えたのですね。 ワーク・ライフ・バランスという言葉をご存知でしょうか。 仕事一辺倒で、家庭を犠牲にするような働き方では、もはや企業人としても大きな成果を上げることができず、幸福にもなれないということが盛んに唱えられ、女性の育児支援のためだけでなく、男性社員も含めた全ての社員にとって「働きやすい会社」こそが「高収益を上げられるよい会社だ」という考え方が広がってきているのです。 なぜなら、いまの仕事の多くは「知的生産性」を求められる仕事になってきているから。個人的な悩みを抱えていたり、家事・育児・介護といった個人的事情に忙殺されていると仕事に集中できず、大きな成果を上げられません。 1人ひとりの知的生産性を最大限に高めることを阻んでいる悪条件を組織が取り除こうとするのは当然のことでしょう。 男女差別に限らず、障害の有無や国籍、人種による差別もその悪条件のひとつであり、差別を解消して多様性(ダイバーシティー)を組織の中に取り込むことにより、組織を変革し、活性化させ、1人ひとりの知的生産性とモチベーションを高められる――先進的な経営者の多くが共有している「理念」です。 日本IBM最高顧問・椎名武雄氏は日本経済新聞「私の履歴書」に次のような一文を寄せています。「私は以前から“若者、女性、地方、外国人”に期待すると言ってきた。戦後の日本を作り上げてきたのが“中高年、男性、中央、日本人”だとすれば、今必要とされているのは、そうしたいわゆるエスタブリッシュメントとは異なる発想だと思うからだ。成功体験に縛られたエスタブリッシュメントは自己否定できない。かく言う私だって似たようなものだ。 たとえ今は少数派でもいい。日本を光輝く国にしようという志を持った人たちが新しい国をつくっていってほしい。日本を変える意思を持った人だけが日本を変えられるのだから」 最近のテレビって、人の批判や断罪ばかりしていると思いません? あるいは「どうしようもない現実」に対するぼやきや不平不満、未来に対する暗い予感ばかり。 もっと希望について、夢をあきらめないことについて、心を向けていきたいと思います。
2006年06月21日
会社勤めのサラリーマンや子供のいない女性は、恐らく目にすることのない光景。そういうものがあるらしい。「今日、子どもたちが修学旅行から帰ってくるので、学校へ見学に来てごらん」と、ある中学校の校長から呼び出された女性から聞いた話。 なぜ?と訝しがりながらその中学校へ行くと、校庭で子どもたちの母親らしき女性が大勢待ち構えていたそうだ。わが子が着くのを。 やがてバスが到着し、校長が「無事に家に帰るように」と訓示を垂れて、一同解散。すると母親たちががわが子のところへ駆け寄り、重い荷物を奪うようにする。子供は黙ってされるがまま。手ぶらで母親の前をふらふら歩いて帰るのだそうだ。 その子供というのが、大半が男の子!「女親が男の子をダメにするんだよね」と、その校長が言ったそうだ。「やめてくれと注意しても、変わらないんだ」 もちろん、すべての母親がそうしているわけではなくて、一部の人だとは思うが、彼女たちは自分のしていることの是非や意味を認識しているのだろうか。 もうひとつ、これはベテランのキャリアウーマンから聞いた話。 部下や後輩の女性たちからの相談事でとくに多かったのが、女性に対する差別や偏見をもつ男性管理職の言動に対する苦情だそうで、まあ、ありがちな話。というか、かつては日常茶飯事だった。 そんな部下や後輩たちを慰め、励ますために、彼女は何と言ったか。「たぶん、その差別的な男性の身のまわりには、あなたのような優秀な女性がいないのよ。だから“女はダメだ”と考えているわけ。奥さんとかお嬢さん、あるいは自分の母親を見て、“女はこの程度だ”という偏見を持っているんじゃない? そう考えれば、怒りの気持ちが鎮まって、むしろ気の毒だと思わない?」 大人だなあ。 いまや自分の能力を生かして社会で活躍している女性は珍しくない時代。こんな時代になっても未だに「だから女はダメだ」という男性は、おそらく心理的、人格的に問題があるのでしょうね。ひどいコンプレックスを抱えているとか、生育歴に問題があって女性に対する認知のあり方が極度に歪んでいるとか。 そのような病んだ心、歪んだ心をもつに至った背景、原因には…… やはり母親の責任が大きいかもしれませんね。
2006年06月15日
朝ご飯を食べない子供が増えて問題になっている。 食べないのか、食べさせないのか、それとも、食べたくても食べられないのか? こんな話を聞いた。「お母さんの作った味噌汁は、まずくて食べられない」と小学生の息子から言われたそうで、「どうしたらいいでしょう?」と、ある女性が相談に来た。 その相談員は、質問してみたそうだ。「あなたはどうやって味噌汁を作っているの?」と。 答えは、「鍋に水を入れ、出汁の素を入れ、刻んだ豆腐とワカメを入れ、味噌を入れて煮ます」! まずいわけだよね。 料理が苦手だという主婦や、冷凍食品やレトルトのたぐいばかり使っている主婦が多いようだ。それで通用してしまうところが恐ろしい。 ひと昔前の舅、姑と同居する大家族だったら、そんなことは許されないだろう。「嫁」は「わが家の味」を覚えるまで厳しく訓練される。嫌でも上手になり、手抜きは許されない。 そんな干渉や制約、古い習慣を嫌い、ひたすら自由で気ままな生活を求めた結果が、現状である。 主婦は家の中の家事や家庭教育を秘密にできる。だれからも批判されず、評価もされない。 これは恐ろしいことだ。 すべて自己流でオッケー。 そして子供が被害者になる。家の外の他人が被害者になる場合もある。 秋田の事件も、しかり。日本のあちこちの家庭で、生活破綻が秘密裏に静かに着々と進行している。 以前のような大家族に戻るのは不可能だが、せめて、家庭を地域に対して開いていかないと、家庭はますます密室化し、暗室化し、反社会の種の温床となってしまう。 まずは「お客様」を招かない家が危ないのではないだろうか。 いまどき、客間のある家なんて珍しいかもしれないが、ダイニングルームだっていいじゃないの。「お友だちの家に遊びに行ったことがない」という子供が増えているらしい。母親たちが、家を見せたがらないのだろう。 お客を呼んで、ホームパーティをして手料理をふるまったり、その「お返し」にお呼ばれすることを繰り返せば、そこ比較、批判、評価が生まれるだろう。口に出して言うと色々問題はあるが、暗黙裡に何かを感じ取るだけでもいい。 批判と評価のないところに成長はなく、現状維持どころか、ひたすら退行するのみではないだろうか。 主婦の皆さん、家庭の外へ出ましょう。同時に、家庭の中へ外の人を招き入れましょう。家と自分自身の「風通し」をよくしましょう。子どもたちの将来のために、日本の未来のために、家庭を暗室化しないでね。
2006年06月14日
今日も都内某所で女性のための再就職セミナーの講師役を務めてきました。 再就職するには、面接試験という関門を突破しなければなりませんね。 実は面接までこぎ着ければ上等で、履歴書や職務経歴書による書類選考で不採用になるケースのほうが圧倒的に多いのですが。倍率が10倍……つまり100人中90人が書類選考で落とされるということも少なくありません。よほどヒマな会社でない限り、数十人に及ぶ応募者全員に会ってくれませんから。 書類選考を突破するためのヒケツについてはまた別の機会に書きますね。今回はとりあえず面接の話。 志望動機、入社後の抱負、そして「あなたの長所は何ですか」といった自己PRに関する質問の3つが「必ず出る質問」なので、あらかじめ答えを用意しておく必要があります。 ただし、完ぺきな準備というものはありえません。なぜならば、 面接というのは、質問と答えが1回ずつで終わるわけではなく、あなたが答えたことに対して、さらに面接官が突っ込んで来るからです。 たとえば、志望動機のところで「資格を生かしたい」とアピールしたときに、「資格だけあっても、実務経験がなければ通用しませんよ」と厳しく突っ込まれることもしばしば。「じゃあ、資格を取っても実務経験がなければ、採用してもらえないの?」「だったら、資格を取っても意味ないじゃん!」 と、考えてしまったら大間違いです! 確かに、「資格を取っても実務経験がなければ通用しない」と言われたときに、黙り込んでしまったら、不採用になる可能性が大ですが、何か言い返せば、そしてその反論の中身に説得力があれば、チャンスはあります。 言われっ放しはダメよ。 もうひとつの例。「お子さんはまだ小さいようですが、あなたが働きに出ても大丈夫なんですか。かわいそうじゃないですか」などと批難がましく言われることもあります。 このときも反論できなければ不採用。反論できればチャンスはあります。 反論は、ケンカではありません。交渉、つまりネゴシエーション(ネゴ)です。 女性はネゴが不得意であるとよく言われます。確かにそうかもしれません。でも、働くうえでネゴは非常に重要な要素です。ネゴができるかできないかで、あなたの評価が変わり、報酬が変わり、昇進が変わり、キャリアが変わり、運命が変わるのです。 資格があっても実務経験がないので即戦力として通用しない(会社が求めるレベルの仕事ができない)というリスクがあるとか、小さな子供がいるので突然、熱を出した時などに母である自分が仕事を休まねばならなくなり、仕事に穴をあけてしまうリスクがある人は、会社にとって好ましからざる人物であり、そういったリスクのある人よりもリスクのない人を選ぼうとするのは当然でしょう。 リスクがあるのは事実ですが、「私なら、そのリスクを最小限に抑えられます」ということを証明すればチャンスはあります。証明すれば、ネゴシエーションして相手を納得させればいいのです。 実務経験がない不利さを、どうやってカバーするか。 子供が熱を出したときなどアクシデントに対してどうやって対処し、仕事に穴をあけないようにするか。 そのことをきちんと説明できればいいのです。 そして、最後に次のひとことを加えましょう。「どうか私にチャンスをください」 いまの企業社会でいちばんの悪人は、「チャンスを与えない人」です。倫理とマナーと雇用機会均等法に反する極悪人です。自ら望んでそういった極悪人になろうとする人は少ないはずですから、このひとことには誰だって「ドキン!」とするはずです。 上手に使ってね。
2006年06月07日
だからダイエットは大変。日ごろのコントロールが必要ですね。 そんなことより大切なのは、「キャリアは1日にしてならず」ということです。キャリアは一生かけてコツコツ積み上げていくもの。よい会社に入社したからその日からよいキャリアが始まるということではありません。 入社した会社が期待ハズレで、そのギャップで苦しんだ経験も、 リストラされた経験も、 上司とソリが合わずに日々胃の縮む思いがした経験も、 皆、キャリア形成の一要素であり、ワンステップです。 よいキャリアも悪いキャリアもなく、職業とそれ以外の人生まとめて全部キャリアであり、全消去はできません。全部つながっています。 自分では消してしまいたい過去があるかもしれない。1本の草も生えない荒地のように見える荒涼とした過去の風景の中にも、地面の下には未来に繋がる根が生きていて、種が眠っているかもしれません。 いちばんよくないのは、何の展望もなく、日々、流されるように生きていくこと。それで生きていられればまあ、よいけれども、流されることと適応していくことは異なります。流されて流れ流れてたどり着く場所は、光り輝くパラダイスではなく、非常にみじめな場所であることだけは確かでしょう。 人生はマラソンのようなものですから、たまにはペースダウンも必要です。上り坂を全力疾走すれば、疲れ果てて落伍してしまうでしょう。とくに女性は、家庭と仕事の優先順位が長い人生の中で変わって行くのも止むを得ないことです。 ただ、立ち止まるよりも、流されるよりも、どんなにペースが遅くてもいいから、走り続けたほうがいい。急に走ろうと思ってもカラダがついてこないでしょう。 働くべきか、働かざるべきかと悩んだら、まずは悩み続けて答えを見い出す努力を放棄しないこと。 不安な状態も、その程度が軽ければ――あるいは不安の「病識」というか自分の置かれている現状把握力が弱ければ、いつかは不安に馴れてしまいます。恐ろしい。 不安というのは、「このままではいけない」というあなたの内なる声ですから、その声を封じ込めてしまってはいけない。 現状を変えるために、何かを始めればいいのです。 考えているだけでは、何も始まらない。 体験が、さまざまな人や出会いとのぶつかり合いと、そこであなたが考えたこと、感じたこと、相手からもらう何物かがあなたを変えるのです。 自分には無理かもしれないと思えるような高いハードルに挑戦したほうがいい。一度には無理でも、徐々に高くしていったほうがいい。ハードルが高ければ高いほど、達成感が高いはずです。その繰り返しで、あなたの人生はどんどん豊かになる。 ここで簡単なグラフを思い描いてみてください。 X軸は現時点での能力、Y軸は挑戦の度合いとします。±ゼロは、平均的な能力と挑戦の度合いです。 XがマイナスでYがプラスのとき、人々は不安になります。現時点での能力が低いのに対し、ハードルが高いから。しかし、その不安を乗り越えるべく研鑽を重ねていけば、 やがてXもYもプラスの状態になります。このとき人は心身ともに最良の状態であり、非常に高いレベルの達成感、至福感を味わうことができます。心理学者のチクセントミハイはこの状態を「フロー」と名づけました。 能力が高いレベルに達したとき、「これでもういい」と思ってしまって挑戦を止めてしまうと、すなわちXがプラスでYがマイナスになると、時間が止まったように感じられ、日常に退屈するようになってくるでしょう。非常に怠惰な状態です。ポジティブに見れば、次の挑戦に備えての休息の時期と捉えることもできます。 いちばんよくないのは、XもYもマイナスの状態です。能力が低く、挑戦の度合いも低い。この状態を「アノミー」といい、無気力、無関心な状態です。非常に非人間的な状態であり、「植物人間のような状態」と言えば植物に対しても失礼なぐらいでしょう。 さて、このグラフの中で、自分はどこに位置していたのか、いままでをふりかえってみて、あの時期はこの位置というように点を打ってみるとします。 そうすると、濃淡の違いのある点描画のようになるはずです。「不安」と「フロー」のところが色濃くなり、他の部分が淡くなったとすると、あなたの人生はとても前向きであり、多くの成果を得て、非常に高い達成感を手にしていることでしょう。「退屈」や「無関心」の部分が色濃くなって、「不安」や「フロー」が薄い状態の人は、非常に受動的で依存的な人生を送ってきたと言えるでしょう。とはいえ、長い人生です。まだまだこれから「不安」と「フロー」の部分を色濃くすることができるはずです。 挑戦をやめなければ、それも無謀な挑戦ではなく、展望のある挑戦である限り、必ず未来が開けてくるはずです。http://www.eonet.ne.jp/~shuhei/Libraly/text/Flow01.htm
2006年06月02日
このところサボリがちですみません。6月から心機一転、なるべく更新していきます。 まずは書きやすいお料理のお話から。 いよいよ夏が始まった感じで、室内にいても汗ばむ季節になりましたね。拙宅では今日からクーラーを使い始めました。食事も軽くてさっぱりして冷たいものが欲しくなります。 最近のお昼ご飯に重宝しているのが「ぶっかけ素麺」。素麺を茹でて、上に何種類か好みの具や薬味をトッピングし、汁をかけてよく混ぜて食べるだけ。いわば「夏の丼物」ですね。作るのも簡単だし、トッピングの内容で目先を変えられるし、洗い物もラクでいい。 ネットを使いこなしている皆さんなら、料理にも大いに活用されていることでしょう。 試しに「ぶっかけそうめん」で検索してみてください。色々レシピが出てきますよ。 いいな!と思ったページのURLをWordのファイルか何かに貼り付けておくなーんてことは、既になさっているでしょう。 私もやってみました。色々出てきた中で、ます最初に惹かれたのが「焼き茄子」のトッピング。焼き茄子の、あのスモーキーな香りは、とっても魅力的です。さっそく今日のランチにも作ってみました。 実は昨夜、右手の指をケガしてしまって少々不自由なのですが、それでも何とか作れました。焼き網に茄子をのっけて、皮全体がこんがり焼けるように箸でときどき位置を変えるだけ。火がよく回るように、鍋蓋をのせてみたりもしました。焼きイモのように皮がポコンと膨らんで押すと凹むぐらいで仕上がりです。箸で押してみて茄子が芯まで柔らかくなっていればトロトロの食べごろ。 皮を剥くには、すぐに冷水に浸して引き上げて……という方法もあるようですが、なるべくスモーキーな香りを残したい私は、ぬれ布巾でくるんで冷ます程度にし、ヘタを包丁で落としてここをとっかかりにし、反対側を布巾でおさえ、皮の端をつまんでツーっと剥いていきます。よく焼けていれば面白いほど簡単に剥がれますし、失敗したらなぁに、包丁でこそげ落とせばいいだけの話よ。 冷やし素麺の上にのせるので、焼きたてのアツアツは具合が悪い。そこで、冷蔵庫で冷やした素麺つゆに氷を少々加えた中にひと口大に切った焼き茄子を入れ、よく混ぜて冷やしつつ、下味をつけます。冷たくなったら汁気をよく切り、胡麻油をひと垂らしすると風味が増します。 焼き茄子のほかに、針のように細く切った生姜、小口切りにした万能ネギも素麺の上に散らしました。辛いのが好きなので、柚子胡椒も。そして麺つゆを回しかけ、最後に刻海苔を散らして出来上がり。 旬の桜海老があれば、もっとゴージャスでしたね。 さて、明日は何をトッピングしようかな。冷蔵庫の中には茄子のほかに、これも茨城の親類が送ってきてくれた胡瓜があるので、薄く切って塩もみし、冷やしておき…… ちょっと贅沢ですが鰻のパックを買ってきて刻み、 塩蔵わかめも少々、戻して刻み、三杯酢少々で下味をつけ、「うざくぶっかけ素麺」にしちゃいましょうかね。玄関先の鉢から山椒の新芽を摘んで、少々散らしましょう。 このほかに、カニカマと金糸卵と椎茸の醤油煮、 焼き茄子と温泉卵、 生ハム(ドイツ風の白いやつ)の千切りと大根おろし、貝割れ大根 油揚げをカリカリに焼いて細い短冊に刻み、青葱とほぐしたカニカマをのっけてキツネ風、 なーんていうトッピングも美味しそうです。 ナムルをのっけてビビンバ素麺もいいかも。野菜室にまだほうれん草が残っていたな。ほうれん草のナムルと金糸卵だけでも美味しそう。金糸卵は、油を少々塗った皿に溶き卵を広げてレンジでチンして剥がし、包丁切ればOKですよ。 ナムルは、野菜の食べ方として秀逸ですね。美味しい作り方を勉強したいと思います。 まあ、こんなふうに、料理というのは一定の型というかスタイルをおさえておき、そこから自由自在に展開するところが楽しいですね。スタイルにはもちろん、伝統によって磨かれた機能性というか身体に対する納得性のようなものがあるわけで、それに遊び心、残り物利用、旬の味覚の取り入れ、その日の体調と気分に応じたアレンジを加えればいい。 おお、こう考えてくると、料理というのはなんと独創的であり、個性尊重的であり、ヒューマニズムに溢れたものなんでしょう! 楽しいね♪
2006年06月01日
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