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2014年06月30日

メモ (自然数の定義を思い出す)

寝た切りですが、勉強したいと思い、この二日間ほど寝ながら数学・コンピューターのことを考えていました。

考える、というか、以前勉強したことを思い出すというか、そんな感じです。

ちょっと自分の頭の整理のために書きくだしてみます。記憶だけに頼って書いているのでもしかしたら間違っているかもしれません。すみません。

大学の数学の授業で、自然数 0、1、2、・・・ を構築するという手順を学んだことがあり、それを思い出していました。
一日かかりましたが・・・

まず、空集合を 0 と定義します。
注: 空集合は要素を持たない集合で、数学では記号 'φ' で表わします。ですからここでは 0 = φ と定義しています。

次に 0、つまり空集合 φ を要素とする集合 {0} = {φ} を 1 と定義します。
1 = {0} = {φ} です。

さらにこの 0 と 1 を要素に持つ集合 {0、1} を 2 と定義します。

大雑把ですが、このようにして自然数

0、1、2、3、4・・・



0 = φ、つまり空集合、
1 = {0} = {φ}、
2 = {0、1} = {0、{0}} = {φ、{φ}}、
3 = {0、1、2} = {0、1、{0、1}} = {φ、{φ}、{φ、{φ}}}
・・・・

と順番に作っていきます。

その後さらに、負の整数 (-1、-2、-3・・・) や有理数 (いわゆる分数 1/2、1/3、2/3・・・です) を定義し、実数を定義し、複素数を定義し、と進めていくのですが、私はこの論理の展開が好きで、よくできてるなあ、と感心しました。

特に有理数から実数を定義する手順の発見は 19 世紀の数学でとても重要な進歩の一つだったことを後で知りました。

そのこともあってか、コンピューターの勉強を始めて出会ったλ計算という分野で、上とは別のやり方で自然数を定義していく方法を知り、非常に面白いと思いました。
私がプログラミングを好きになったきっかけの一つだったと思います。

でも現在の私の場合、上のような論理展開を思い出すだけでも頭の中が混乱してしまいます。
論理の展開を追いかけるのがとても難しく、苦しいです。
すぐに疲れてしまいます。
時間もかかります。

頭の中に常に灰色の靄 (もや) がかかっているような感覚があり、考えていることがすぐにこの靄の中に消えていってしまうような気がします。

この靄をはらしたいのです。とても苦しいからです。
悪夢を見ます。恐怖で飛び起きたことがあります。

話が逸れました。
明日も寝た切りかもしれませんが、また別のことを勉強します。英語の勉強とか、試しにやってみたいです。
できるかどうか、まだわかりませんが・・・



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タグ: 数学
posted by 底彦 at 00:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 勉強

私はまだ病気です

昨日の土曜日は朝から晩まで寝た切りでした。

今日は午後から用事があり、これは時間ぎりぎりに気合いで何とか布団から起き上がって出かけました。

自分に気合いを入れてようやく起き上がれるという状態です。30 分くらいかかりました。

金曜日の午後から、薬を飲む時とトイレに行く時以外はずっと寝た切りというのは・・・

以前、自分が鬱から少し快復していると感じる、と書きましたが、一週間以上ほぼ寝た切りの状態から脱することができないのはおかしいです。

急に怖くなりました。
クリニックのスタッフからも、最近顔色が良くなって笑顔が出るようになりましたね、とか言ってもらえて嬉しかったのですが、まだまだ体も心も駄目なのではないか?
このまま、動けなくなって入院とかになったら、一生寝た切りの廃人状態から抜け出せなくなってしまうのではないか?

現実の社会の時間の流れもあります。
借金返済、未払いの公共料金やローンの督促の電話が 4 件ほどありました。
今のところは、かろうじて近所のコンビニに行ってお金をおろして払い込めば大丈夫になります。
でも、起き上がってコンビニに行くだけのパワーがありません。
どうしても起き上がれません。

この無気力感は何でしょうか。
それと自暴自棄というか、もう何もかもどうでもいいや、という感情。
時折、もうすべてを諦めてしまおうよ、と思います。そうすれば楽になる、と思います。

ちょっと変です。これは病気だと思います。
快復してきたと思ったのに、まだまだのようです。
この状態はおかしいです。





posted by 底彦 at 00:21 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2014年06月27日

何をすればいいのだろう

以前、これからどんな仕事をして生きていけるかを考える素材として、現在の私が持っている技術を列挙して考えたことがありました。

その時に考えた結果はあまり自分にとって良いものではありませんでしたが、あれからまた少し考えました。

考えました、と言っても、ずっと寝た切りですので布団の中で考えたわけです。

・プログラミングはできる? → 難しい。論理的に考えることにすごく時間がかかる。それ以前にプログラムすべきことを自分の頭で理解するのにすごく時間がかかる。それだけで疲れちゃう。

・勉強したいことはある? → ある。数学とかプログラミングの新しい技術とか。あと、英語とかも・・・

・プログラムとか、やりたい事のアイディアはある? → ある。これは学生の頃からひきずってるかも。数学と CG と言語に関わること。けど、数式を操作したり、CG の計算をしたり、言語を理解したりといったことがとても難しいのでどうにもならない。でもこのテーマでゲーム作りたい。

・仕事はしたい? → したい。仕事はとてもしたい。楽しいから。

・お金は欲しい? → 欲しい。まとまったお金があれば、とりあえず生活できるから。

・体力ある? → 無い、と思う。寝ていることだけが安らぎを感じる時間。動けない。

・上で言ったこと、本当にやりたいの? → やりたいよ。寝た切りだけどさ。

2、3 日寝ながら考えてどうにかまとまった私の現状認識です。

これを自分として納得するのは辛かったです。何にもできないじゃないですか。

仕事の意欲はあっても、布団から起き上がることすら難しいんでしょ。体力も無いんでしょ。

じゃあ、仕事、無理じゃん。仕事が楽しいというのは、毎日、一所懸命働いてる人が言えることだよ。

当然、お金なんて入ってこないよね。

アイディアがちょっとあるみたいなこと言ってるけど、行動しなければ何でもないし、何にもならないし。

勉強したって、お金は儲からないでしょ。50 歳まで何してたの。50 歳にもなって何言ってんの。今さら多分、時間の無駄。

こういった考えが頭の中を巡っているのですが、正直こたえます。苦しいです。ここまで自己否定されるのはどうしてなんだろう?

半分くじけましたが、日々のプログラミングだけは始めてみることにしました。
コンピューターに向かわなくても (実はこれが怖くて一苦労なのです)、プログラムはノートにも書けますよね。
アイディアなんかもノートに書くのはできますよね。
ペンと手帳さえあれば。
寝た切りでも。

後、以前自分に課した、朝の 3 つの習慣。早くも滅亡しちゃったけど、絵を描くことだけは再開したいです。

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posted by 底彦 at 03:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事

寝た切り生活から抜け出ることができない

苦しい日が続いています。
一週間ほど前に、寝た切りの状態から抜け出ることができそうになったのですが、駄目でした。
ずっと寝た切りです。
ついこのあいだが月曜日だと思ったらもう金曜日です。

目が覚めるのは朝の 4 時半から 5 時にかけてです。

思い起こしてみれば、元々私は朝型でしたし、学生の時も会社で働いていた頃も、朝が一番頭が働く時間でしたので、ずっと早起きをしていました。
その習慣が体にまだ、かろうじて残っているのだと思います。

けれども、目が覚めても起きることができません。
不安と恐怖と疲労感が激しいです。

まず、人々が活動をしている社会と時間を合わせる恐怖があります。
時間を合わせれば、当然人とのコミュニケーションが発生します (これは少し極端な思考ですがそう思ってしまいます)。
それが恐ろしい。そんなことできない。人に迷惑を掛けてしまう。
それで、布団に潜り込んでしまいます。

それから将来に対する不安があります。
貯金が底をついたら、どうやってお金を稼いでいけばいいのか?
この慢性的な無気力感が無くなるのっていつだろう?
考えることに疲れて、寝てしまいます。

布団に潜り込んでからは延々と頭の中で無意味な思考を繰り広げています。

自分は何をすべきなのか?
自分が生きている意味は何か?
自分は何がしたいのか?
自分は生きていてもいいのか?

全部、自分、自分、自分、で疲れます。

昼近くになって起きられるかな、と思うのですが、家から外に出ることを想像すると怖くて駄目です。
夕方まで寝た切りです。

外に出ることの何が怖いと言うのでしょう?
人が怖いと言っても、せいぜい近所の方々と道ですれ違うくらいなのに・・・
ちょっと挨拶をして、「こんにちは」を言うことすら難しいなら、会釈をするだけでもいいのに。

この辺りは私自身に過度な妄想があると思います。
誰も私のことなど大して気にしていないだろうと思うのですが、おかしなことを考えてしまいます。

あの人は病気だ。
下手したら何をするかわからない。
キレそうで、危ない人間だ。
変質者ではないだろうか?
何をして食べている人かわからない。
地域の和を乱す。
子供が襲われるかも。

少なくとも、私自身は実際にはそんな風に思われていることは無いと思うのですが、でも自信はありません。

人と話すと、明らかに会話がおかしくなってしまう・・・というようなことは確かにあります。
そういったことを通じて、「あの人は病気だ」くらいは思われているかもしれません。

そういう妄想が布団の中でどんどん膨らんでいって、不安と恐怖で縮こまってしまうのです。
動けなくなってしまうのです。

この文章も、独り善がりではないですか?
もしそうだったら、本当にごめんなさい。



posted by 底彦 at 02:55 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2014年06月19日

不安と恐怖

日曜日から水曜日の夕方まで、ずいぶんきつかったです。

意味のあることかどうかわからないのですが、自身の記録として時系列に大まかなところをまとめておこうと思い、この文章を書いています。

全体としては、寝ていた時間が大半で、ほぼ寝た切りだったと思います。
寝ている最中もラジオ (radiko です) と Podcast は iPad で付けっ放しでした。
時間や天気がわかるし、ニュースもあります。重宝しました。
今回の場合、この文章を書くことができるまでに至った要因は、枕元に置いてラジオ、Podcast を付けっ放しにしておいた iPad です。

途中、自宅から徒歩 3 分のスーパーに行ってウィンナーソーセージと刻みキャベツを買ったのがまともな外出と言えば言えるでしょうか。

これまであった、鬱がひどくて起きることができない寝た切りではなくて、不安と恐怖がひどくて起きることができない寝た切りでした。
不安と恐怖で起きられない・・・こういうのは初めてかも。

日曜日は、明日が一週間の始まり、人々が活動を始める月曜日、私にそれができるかどうか、怖くて夜眠れず。眠剤を飲んだら明け方 4 時頃に眠れましたが、目が覚めたのは翌朝の午後 1 時、しかもなぜか体がフラフラで起きるパワーが無く、布団から起きたのは夜になってから。
フラフラだったのは、今から思えば眠剤が効き過ぎていたのではないかと思います。
この次、診察を受ける時に担当医師に相談してみます。

そういった流れで月曜日が完全に潰れてしまいました。すでに夜ですから。
私だけがのうのうと寝ていた時間に人々が働き、いろいろなことをしている、私が社会から除け者 (のけもの) になった気がして、申し訳なさと将来に対する不安とで動けなくなりました。
せっかく起きたのですが、そんなことを考えると辛くて、焼酎を煽って布団に潜り込んでしまいました。
これは、私の場合の典型的な逃避パターンです。何か辛いことがあったら寝込むのです。
穴熊みたいだと思いました・・・ もっとも穴熊がそんなことするのかどうか知らないのですが。

しかしいろいろと考えてしまい寝付けません。
考える、と言っても、どうやって生きていけばいいのかとか、どうして自分はこんなに弱いのかとか、答えの出ないことばかりです。
加えて、過去に様々な人から浴びせられた罵倒や嫌味、皮肉の言葉などが思い出されて恐怖でブルブル震えていました。
頓服を飲んで明け方に寝付きました。

火曜日は目が覚めたのが午前 6 時頃で、しかし人が怖い、人にまた迷惑を掛けてしまうのではないか、不愉快な思いをさせてしまうのではないか、人からまた何か非難の言葉を掛けられるのではないか、不安感と恐怖感が強く、毛布の中で縮こまっていました。
火曜日の夜、少し気持ちが落ち着いたのですが、友人からメールが届いたのがきっかけで恐怖感が再燃してしまいました。
友人からのメールは、今度会わないかといった程度の内容のものです。
こういったメールが怖いというのはどういうことなのでしょう。

自分の都合を友人に伝えなければならない。
会う日取りを決めなければならない。
その日までに体調を快復させておかなければならない。
難し過ぎる。とてもできない。
でも断れば友人が気分を害する。せっかく声を掛けてくれた友人に対してあまりにも失礼で到底断ることなどできない。
どうすればいいかわからない。誰か助けて。

どう思い返してみても、50 歳の大人が考えることではないですね。
この単調な思い込み。何でしょう、これは?

火曜日の夜も眠れず、午前 5 時過ぎから数時間まどろみました。

まどろみから目覚めた水曜日の午前中は、自分が月曜日から何もしていないこと、友人からのメールに返信していないことから始まって、これからどうやって生きていけばいいのかなど、またしてもどうどう巡りの考えが頭の中をグルグルしてしまい、不安と恐怖で怯え切っていました。
この時間が一番苦しかったです。
頭の中に包丁とかカッターナイフの具体的なイメージが浮かび出したので。

昼過ぎにラジオでのニュース・天気予報を聴いていたら、何となく起き上がれそうな気分が湧いてきました。
それで起きました。
ラジオは付けっ放しのまま、シャワーを浴びて、布団を畳んで、服を着るところまでできたので外に出ました。
小雨混じりの午後でしたが、歩いているうちにちょっとだけ元気になりました。

帰宅して、メールを一通り読んで、火曜日に誘ってくれた友人には悪いけれど断りの返事を出しました。

お腹が空いていたので、ウィンナーを蛸の形に切って炒めて、刻みキャベツを添えて食べました。

ここまでが、この文章を書くまでのことです。
私自身は、鬱が快方に向かっていると感じていたのですが、今回のことでやはりまだ症状にかなり問題があることがわかりました。
単に覚えていることを時系列に書き並べただけですが。

ラジオのニュースと天気予報がどうして私に元気をくれたのかはよくわかりません。
アナウンサーの声の調子とか、ラジオを通じてちょっと世界と触れ合えたこととか、そういうことでしょうか。
わかりません。

生活のこと、仕事のこと、お金のこと、考えないといけないことがたくさんあり過ぎますが、それらを考えるのはまだ無理っぽいです。
お金は手遅れになりそうな気もしてきているので、ちょっとどうにかしないといけないのですが。
と言うかどうにかしないと、本当に死んでしまいます。
その危機感の無さや、強い無気力感がどうにもならないのは、現在取り組んでいる認知療法で快復していくんだろうか?

いろいろ難しいです。
明日の木曜日、いろいろしたいけど、とりあえずは、朝、普通に起きられればそれでいいです。





posted by 底彦 at 02:38 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2014年06月14日

勉強したい

1 年ほど前からちょっとずつ、鬱の症状が軽くなってきています。

朝目覚めた時に頭の中に灰色の靄 (もや) が立ち込めているようなことは最近は滅多に無いし、突然鬱で苦しくなっても、それがきっかけで一週間寝た切りになるようなことも無くなりました。

快復してきていると思います。それは嬉しいです。
人が怖いのはどうにもなっていませんが。

今年に入って、2 月か 3 月くらいかな・・・本が読めるようになってきました。
それまでマンガもエッセイも小説、専門書、何にも読めなかったのに。
マンガとか小説はストーリーが追えるようになってきたし、エッセイは何が書いてあるのか、それとなくわかるようになってきたし。
ネットカフェで「SLAM DUNK」、「北斗の拳」、「あしたのジョー」、「ガラスの仮面」なんかを一気読みして恍惚とした気分になりました!

嬉しかったのは、数学の教科書が読めるようになったことです。単調な文章や記号の並びとしか感じられなかったものが意味のあるものに見えてきたというか。

哲学書やコンピューターの本はまだ読むのが難しいです。

哲学書は、多分私の頭が悪いせいで読むのが難しいのだと思います。でも、私の今の頭のポンコツさがわかるという意味で、ちょっとずつでも読んでいきたいです。

コンピューターの本は読むのがまだ大変です。それは、数学とはまた違った厳密さ・・・何と言うか、言語の厳密さのようなものが背景にあるからだと思うのです。人によって感じ方は違うと思うのですが。

コンピューターの理論の背景には論理学があります。論理を厳密に実践すること、論理を厳密に言語として表現すること、その難しさがあると思うのです。
論理とか、そういうことを踏まえないでもプログラミングはできてしまいますが、それはそれで面白いことかもしれません。個人のセンスとか感覚とかが非常に直接的に現れてくるのだと思います。

ちょっと疲れたので、続きはまた書きます。

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posted by 底彦 at 01:59 | Comment(0) | TrackBack(0) |

ダメ人間ぶりを発揮 ── 鬱と甘え

一昨日、昨日と寝た切りでした。

廃人状態ですね。

抑鬱感もあったのですが、それ以上に無気力感と倦怠感がひどくて布団から起き上がることができなかったのです。

倦怠感は眠剤のせいかもしれません。
眠剤を服用し始めてから、起きた時のだるさがあるので。

しかし、抑鬱感と無気力感はどうにかならないものでしょうか。

会社に就職したばかりの時、新人研修をしてくれた方に「人との付き合いで飲むこともある。二日酔いにもなるよ。でも、その翌朝、二日酔いだったとしても這ってでも会社に来るんだ。その日の仕事があるからだよ。」と言われたことを思い出しました。
ちょっと前まで学生だった自分に仕事というものの大事さを教えてくれた言葉の一つです。

だけど今の私はそれができない。なんで?

たとえば、昨日は寝た切りでしたが、仮に火事とか、大地震が起こって、生きるためには家から外に出なければならないとしたら、多分、と言うか絶対私は布団から飛び起きて外に出たでしょう。

命が掛かっていますから。

でも、そうでなければできない。なんで?

会社に勤めていた頃にも、朝起きて無気力感が激しい時はありました。でも仕事に出かけた。起きて、スーツを来て、会社に向かうことはできました。
それが今できないのはなぜなんでしょう?

動けないのです。どうしても動くことができないのです。
なんでなのかわかりませんが、寝返りをうつことも苦しいし、四六時中頭の中をおかしな考えがグルグルしている。
どうしてなんだろう?
睡眠は取り過ぎかもしれない。18 時間ほど寝てましたから。そのだるさはあるかも。
でもどうして起き上がることがこんなに難しいのでしょう?

と言っても、喉が乾いたら水を飲むために起きるし、トイレに行きたくなったら起きるし。
そういうことをする時にはちゃんと布団から起きて水を飲むなり、トイレに行くなりするのです。
どうしてそれ以外、仕事をするとか、人に連絡するとか、そういうことでは起きることができないの?
わかりません。

さらに駄目なところ。
昨日の深夜、酒が飲みたくなりました。
冷蔵庫には酒は入っていません。全部飲んでしまいました。
酒の肴になるようなものもありません。
で、どうしたか。

誰か大切な友人が来て語り合う時、あるいは人生でいいことがあった時に飲もうと思ってしまっておいた取って置きのウィスキーを開けて飲みました。
酒を飲むためだったら、だるくても起き上がって、大切に閉まっておいたウィスキーを取り出して飲むのです。

これってダメ人間ってことじゃない?
自分は馬鹿だ。
人生でいいことがあった時とかいうのはどこに行った!

今日の夕方、何とか起きることができて、外を歩いて、それまで雨が降っていたんだけど晴れていて。
ちょっと散歩しました。上に書いたのはその時思ったことです。

鬱という病気に甘えているとか、これまで私は何度も言われました。これからも言われると思います。
その理由の一つは、私のそういった行動にあると思います。

いざとなれば、命が掛かるようなことになったら、ちゃんと動けるじゃないか。
最低限、生きていくために必要な行動 (水を飲む、トイレに行く) はできてるじゃないか。
飲みたくなったら、酒も飲むじゃないか。
で、人との大事な約束とか、仕事はできないってことだよね。

これは、周囲の人から見れば、私は、嫌なことはやらない、それ以外だったら好きなこととか、気が向いたこととかだったらやるような人間なんだな、とか思われると思います。
私もその通りだと思うんです。

とりあえず、この辺りが出発点でしょうか。
鬱と甘えについて私が思うことはこれからも書いていきます。

決して、鬱の方皆さんに当て嵌まるものではないので・・・あくまでも私の経験、私の考えです。





posted by 底彦 at 01:26 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2014年06月11日

ちょっと追い込まれている

体がだるいです。かなり。

このだるさの感じは、薬、(多分眠剤?) から来るもののような気がします。

前回診察を受けた時に、夜眠れないことを伝えて眠剤を処方してもらいました。
おかげで夜は普通に寝入ることができるようになりました。

けれど、昨日、今日と目覚めた後のだるさがひどく、フラフラします。
来週、また診察に行くので相談してみます。

日々の生活のことでは、ネットの料金を滞納しているせいで、今週中に支払わないと止められてしまいます。携帯もです。
また、消費者金融の支払いも今週の金曜日です。
電気料金はもうすぐ期限。
カードローンの支払いももうすぐ。
年金は今月下旬。

精一杯働いてお金を稼ぐしかないです。

でもだるい。とにかくだるい。
とりあえずコーヒーを淹れました。これで目が覚めるといいんですが。






posted by 底彦 at 13:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活

2014年06月10日

甘えてる?

先日、知人から言われた言葉を思い出してしまいました。

彼は私の病気のことも知っていて何かと気にかけてくれます。

私は彼を年上の友人として、また社会人として尊敬しています。

その日、始めは彼は私を元気付ける助言をしてくれていたのですが、次第に口調が強くなり、途中から厳しい口調に変わりました。

底彦には人を思いやる気持ちがない、自分のことしか考えていない、自分が楽をすることばかり考えている、日常のことや仕事のことをきちんとやらない、すべていい加減、だから病気になるんだ、それを病気だからできないんですと言い訳しているんだ、甘えているとしか思えない。

私にとっては非常に辛い言葉でしたが、彼がこういう口調になってしまったのも少しわかる気がするのです。

私の話し方があまりにとろいこと。会話が下手なこと。自分の意見も言わないし、反論もしないこと。
そんな私の態度が腹に据えかねるところもあったのでしょう。
実際にその日、私が彼の話を聞いていた時の態度はそのようなものでした。

話し方とか会話下手、自分の意見を言わない、反論もしない。
強いて理由を挙げれば私にとっては人が怖い、人と接するのが怖い、人の話を理解するのに時間がかかる、自分の意見や反論を言うだけの心のパワーが無い、ということになります。
それすらも言い訳とか甘えとかになってしまうのかもしれませんが。

鬱病になって以来、病気を言い訳にしているとか、病気に甘えているとかの言葉は幾度となく言われてきました。
この言葉、「言い訳」とか「甘え」とかについて、ずっと以前からどうしてそう言われるんだろう? どうしてそういう風に見えてしまうんだろう? 本当に甘えていないと言えるのか? など折りに触れて考えてきました。

半年ほど前から鬱の状態が少しずつ良くなってきて、多少は頭が働いてくれるようになったのか、何となく自分にとっての答えのようなものが見つかりそうかな、という思いを持っています。

それを文章にまとめておこうと思います。ただ、書こうとすること自体が私にとってかなりの精神的負担なので、最初は気が向いた時に、気楽に、軽い感じの文章を書くことから始めてみます。

でも、できるかなあ。

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posted by 底彦 at 00:25 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2014年06月09日

コンピューターとの付き合い方

今日は 12 時半に起きました。

目が覚めたのは早かったのですが、やや抑鬱感が強かったのと、それ以上に何もしたくないという無気力感が強く、起き上がるまでに随分時間がかかってしまいました。

少しずつでも朝型の生活にしていきたいです。
とりあえずは午前中に起きるところから始めます。

今日は私とコンピューターとの付き合いについて書いてみようと思います。
パソコンだけではなく、スマホやタブレット、携帯なども含めて。




最初に SNS 等について。

今では多くの方が Twitter、または Facebook など各種の SNS を利用されています。

私も Twitter、Facebook その他 10 種類くらいのサービスにアカウントを持っています。

しかし、ほとんど利用はしていません。
1 年ほど前まではのめりこんでいましたが、そういったことはしなくなりました。
理由は、これらのサービスを使っていると気持ちがだんだんと落ち込んでいき、鬱に入ってしまうことが多かったからです。

なぜなのか、理由はよくわかりません。
ですので、クリニックのスタッフと面接をした際にそのことを相談したら、しばらくネットから距離を置いた方がいいと言われました。
その時に私から話した内容の一部は次のようなものです。

・ Twitter では、自分の投稿したツイートがタイムラインに表示される。けれど、それが自分の発言だという実感が無い。自分の言葉がどこだかわからない場所に持っていかれてしまったような気がする。大袈裟に言うと投稿する度に心が削り取られていくようで苦しくなってくる。

・ Facebook などの SNS を使い始めて、ネット上で何人もの仲間ができて嬉しかった。けれども、使っているうちに本当に私は彼らと何か (言葉? 感情?) を交わしているのかわからなくなってきた。私は誰に向かってこの言葉を発しているのか。不安感に襲われるようになった。

これらは、私が常に感じている電話やメールに対する恐怖とは少し違います。似ている部分もありますが。

電話やメールの恐怖というのは、自分の時間が突然奪われる恐怖であり、自分から能動的に他人に対する行動を起こさなければならないという恐怖です。

上で例に挙げた Twitter や Facebook に関係する苦しさや不安感は、自分がいなくなってしまうというか、自分がネットに取り込まれて消えてしまう、という感じのものです。

何だか余計なことをグルグル考えているようで厄介なことだなあ、と思います。

ただ、時々利用する分には楽しい場合もあるので、まったく利用を止めたわけではありません。
ごくたまに使う限りは、それなりの気分転換になることもわかりました。




次にコンピューターの設定やプログラミングについて。

鬱になってから、論理的に物事を考えるのが大変難しくなってしまいました。
A ならば B、B ならば C。だから A ならば C というような基本的な論理の連鎖を頭の中で追いかけることができないのです。

ですから、まだまだこれらを仕事として行うのは無理でしょう。

ただ、リハビリのつもりで、ノートパソコンに OS やアプリケーションをインストールしたり、それらの設定をしたりといったことを最近始めました。時間は非常にかかってしまうのですが、設定通りにうまく動いたときは嬉しいです。

また、今日から プロジェクト・オイラー というサイトにあるプログラミングの課題をやってみることにしました。

プロジェクト・オイラーの最初の問題は

10 未満の自然数のうち、3 の倍数または 5 の倍数であるものをすべて挙げると 3、5、6、9 である。
これらの和は 23 である。
では、1000 未満のすべての 3 の倍数と 5 の倍数の和を求めよ。

というものです。

先ほどこれをやったら 2 時間以上かかってようやくできました。
いきなりコンピューターに向かってコードを書くことができず、ノートにアルゴリズムを書いては直し、書いては直しするのに時間がかかりました。
自分が今、問題のどの部分を考えているのか、わからなくなってしまうので、その度に最初から論理の流れを追い直します。
長い時間かかって、ようやく C 言語で書いたプログラムが動いて、正しい答えが計算できた時はすごく嬉しかったです。

ものすごく疲れましたが。

でもプログラミングの楽しさを久々に (3、4 年振りかも) 実感できただけで良かった。
毎日は無理でも、ゆっくり挑戦していくつもりです。




最後にブログについて

今の私が、コンピューターを使ってかろうじてそれなりにできるのは文章を書くことです。
鬱がひどかった時にはキーボードに触れるのも怖かったので、日記をノートに手書きで付けていたのでした。
現在はキーボードを使って文章を作成するのは、まあまあ大丈夫です。
ブログを書くことが自分の病気や状態を振り返るきっかけになっている気がします。
続けられるものなら、できる限り続けたいです。

話が逸れますが、手書きで文章を書くというのが楽しいというのも、久し振りに思い出した感覚です。

あくまでも私の場合に限った話ですが、鬱がある程度良くなってきた段階で、コンピューターと適度に触れ合ってみるというのは、もしかしたら心と精神にとって、それほど悪いことではないのでは? と思ったりしました。

これから先のことはまだわかりませんが。




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