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2019年04月05日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花

授かる

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ある夜梨花からメールが来た。普段は深夜に電話がかかることが多いのに、そのメールは夜の8時半ごろだった。

「多分、母性本能が刺激されたからだと思う。授かったから生みます。とりあえず、父親に最速で連絡しました。以上」

授かった?何を?父親?なんだこの業務連絡みたいなメールは? 2,3分なぞなぞを考えていた。そして、息が止まった。

震える手で梨花に電話を掛けた。「ホントか?」「ホントよ。今、お医者さんに診てもらったところ。」「そうか。」僕はポカンとなった。

しばらく、だまっていたら梨花が「今からママに話す。」といった。
「待て!待て待て! 僕から話す。僕から話す。僕から話す。明日行く。明日行く。明日行く。」

「来れる?仕事大事でしょ?穴開けられへんでしょ。」

「大丈夫、大丈夫、大丈夫だよ。とにかく行くから。行くから。行くから。」

「わかった。待ってる。迎えに行かへんよ。」

「わかってる。わかってるんだ。とにかく大事に。大事にするんだ。」

「わかった。ありがとう。生むなって言われると思ってた。この間の人のこともあるし。」といわれた。当然だが気にしていたのだ。

「もう別れたよ。梨花とこうなってからすぐだ。」

「ありがとう。それと、真ちゃん、一回言うたらわかるから。」梨花は涙声になっていた。

今まで何をぼんやりしてたんだ。梨花はそういう性格じゃないか。何を悩んでいた?
出生?出目?そんなものを気にしているのは僕だった。梨花はそんなものを気にするような女じゃないことははっきりわかっていたはずだ。今となっては、出目や出生はどうでもよかった。

そういうことではなく純粋に金のことを考えた。あの家の娘を嫁にもらうには、この部屋は貧弱過ぎる。もう少し、立派な部屋に引っ越さなければならない。いや、それよりも何よりも結婚式はどうするんだ?相当な金が要るぞ。それをどうする?

意味もないことを悩んでいた。自分の身の振り方を考えていた。心の奥底で迷っていた。計算していた。そのくせ、梨花の情熱を確かめては悦に入っていた。

大学に入ったころから僕は要領のいい男になっていた。困った時もなんとなく要領よく逃げ切っていたのだった。

しかし、今度ばかりは要領の良さで乗り切るのは難しそうだった。父が、母が、僕に「しっかりしろ!ひるむな!ちゃんとやれ!」と励ましていた。

それにしても、授かったってなんていい言葉だ。僕の人生の中で最も華があって賑やかで、神々しい言葉だった。

母の墓参りに行こう。苗字は違うけれども母は母だ。梨花のお腹の中には、母の命もつながれている。ここで、ちゃんとしなければ、その子が僕と同じような思いをするかもしれない。僕はぶるっと震えた。


続く





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2019年04月03日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花

試す
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梨花と関係ができてから僕はボーっとする時間が長くなった。ぼんやり梨花の喉元の動きやその時の声を思い出している自分を恥じた。最近は、ぎりぎりまでボーっとして、締め切り間近になってバタバタとやっつけることが増えていた。

あの女はいけない。別れたほうがいい。こんな調子じゃ、いつか仕事をしくじる、そんな気がした。

泣かせてしまった日から二週間、梨花に会うと最初はバカ話に花が咲いてとても楽しかった。梨花は、ときどき「おもろいおばちゃん」になって僕を笑わせてくれた。たぶん僕の口数が少ないので気を使ってくれているのだと思った。大阪の親戚はみんな面白かった。僕はこの雰囲気になじんで家族の一員のような気分を味わっていた。

ただ、梨花と関係を続けるのは苦しくなっていた。この家の娘と結婚するには僕はあまりにも貧しかった。怖気づいていた。

そのくせ梨花が部屋へ来てくれる時間を、今か今かと待っていた。いずれ別れなければいけないことは分かっていた。その覚悟をつけかねた。梨花はきれいだった。性格も好きだった。それに、なんといっても性的に魅力を感じていた。普段はさっぱりした感じなのに、その時には愛情豊かで濃やかだった。それに僕の動作によく反応した。

田原の家に泊まった日は、夜、梨花が僕の部屋に忍んできた。そして翌日は外で待ち合わせることが多かった。

その日も外で待ち合わせた。そして、外で会うと梨花は開放的になって意識がはっきりしないほど夢中になった。が、その日は、早々にシャワーを浴びた。クールダウンしているように見えた。

この前の僕の言葉に傷ついているのがわかった。少し寂しそうにシャワールームから出てくる梨花を見ると自分が情けなくなった。僕は梨花に十分に悦びを堪能する時間も与えてやれない男だった。バスタオル一枚の梨花に「別れようか。」と切り出した。

梨花は一瞬呆気に取られて棒立ちになった。そして、つかつかと窓に向かって歩いた。戸を開けようとして取っ手をガタガタ言わせた。タオルが落ちても気が付かないようだった。「何をやってるんだ!外から見られるぞ。」というと、「そんなこと考えてたのに、昨夜も今日も抱いたの?人のこと馬鹿にせんといて!もう生きてるのが嫌なんよ!あほらしい!私のこと馬鹿にしてる男の人に抱かれていい気分になって、ホントに自分のアホさ加減にうんざりなんよ!」と喚き散らした。

「落ち着け!こんなところで飛び降りたらその格好をやじ馬に見られるぞ。救急隊や警察にも見られるぞ!」というと初めて自分の姿に気が付いたらしかった。「それは、あかん。」と言って慌ててバスタオルのあるところまで戻ろうとした。

そのとき、大きく滑って見事なしりもちをついた。それは、絶対に人には見せられない姿だった。僕は大笑いするしかなかった。

梨花は涙でぐずぐずになりながら「お尻に青あざ出来てるかもしれん。」と泣き喚いた。僕は最初は笑っていたがだんだん心配になった。梨花が立ち上がらなかったからだ。

「大丈夫か?」と言いながら梨花の両脇から手を入れて立たせた。梨花をベッドに寝かせてからもう一度「大丈夫か?」と聞いた。梨花はまた幼児のように「大丈夫なわけないやないの」と泣いた。もう、化粧どころではなかった。動くたびにイタタタと声を出した。

結局、「バッグ取って。ハンカチ洗ってきて。ちょっと肩貸して。」といわれながら梨花が服を着るのを手伝った。その上、「床にお尻の跡が付いてる」といって譲らないのでご丁寧に床拭きまでした。上半身裸のまま床にはいつくばっているうちに、僕は一体なにをやってるんだと笑えてきた。

不思議な温かさをを感じた。梨花は腰を曲げたまま老人のような歩き方をしてホテルを出た。

僕はバカな真似をして男を振り回す女が嫌いだった。だが、この時はバカなことを言ったのは僕だった。関係したあと、まだ服を着てもいない女に別れ話を切り出すのは暴力に近い行為だ。梨花がバカな真似をするのは当たり前だった。

梨花は「真ちゃん、今度あんなこと言うたら私死ぬからね。ちゃんと服着て遺書持って。遺書に島本真一に弄ばれましたって書くからね。」といった。「サイテーだ。」というと、梨花が「私サイテーの女よ。でも、真ちゃん何度も私に愛してるっていったやない。」と答えた。

「僕愛してるって言った?」

「そうよ、真ちゃん何度も何度も愛してる、大好きだっていうよ。」

「僕言ってる?」

「凄く何度も言うよ。だからホントに信じてうれしいから夢見てるみたいになるんやない!」といわれて顔
が火照った。

自分が、その最中にドラマのセリフみたいな言葉を何度も言っていることを初めて知った。僕は自分が何を言っているのかわからなくなるほど、梨花との行為に夢中になっていたのだ。無意識に梨花の気を引くような言葉を連発していたのだ。僕は本気で梨花を愛しているのかもしれないと感じていた。

僕はいいオッサンなのにゴネて女の気持ちを試していた。梨花は恥もプライドも忘れて死ぬだ遺書だと脅迫しながら僕を捕まえようとしていた。梨花は真摯でまっすぐだった。僕は卑怯でサイテーだった。

その日、生まれて初めて自分以外の人を大切に感じた。一緒に人生を歩きたいと思い始めていた。結婚できるように頑張ってみようかと心が動いていた。いままでの、会いたい抱きたいとは違う気持ちが湧いていた。

梨花は僕が「東京へ来てほしい」と言ったらすぐにでも来てくれるだろう。それを確信しなければ思いを決めることができない、煮え切らない自分を少しかわいそうに思った。自信がないから、本気で愛された経験も、本気で愛した経験もないから、試さなければ心が決められなかった。


続く




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家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花

こじれる気分

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「君はいつもこんな感じなのか?」

「こんな感じって?」

「その、すごく感じやすい、なかなか帰ってこない感じ。」

「帰ってこないって、どこから?」

「その、意識が飛んでから、なかなか帰ってこないよね。なんか、ぼんやりして。今も、まだなんとなくはっきりしないよね。いつもそんな感じか?」

「こんな感じ?どんな感じ?」

「ほら、そんな感じだろ?そういう調子じゃ危なくてしょうがないじゃないか。運転しても危ないし、電車に乗っても危ないじゃないか!ちょっと、しっかりしろ!」僕は思わず、きつい調子で責めてしまった。

僕は驚いていた。梨花はポンポンとはっきりものをいう。そういう性格だと思っていた。それが、今日は僕の下で一瞬、意識が飛んでから、いつまでも、とろんとしてなかなか覚醒しなかった。まるで何か薬を飲んだような感じでいつまでもあられもない姿でボーっとしていた。服を着てからもぼんやりして目が潤んでいて、誰が見ても、その後だとわかってしまう気がした。

梨花は言われている意味がわかったらしく、急に真っ赤になってうつむいてしまった。少し涙ぐんでいるのが分かった。自分でも、なぜ責めてしまったのかわからなかった。

「いつもってどういうこと?誰と比べてそんな言い方してるの?好きな人に抱かれてボーっとなったらおかしい?夢の中みたいになったらおかしい?」梨花はうつむいたまま僕に抗議した。

「いや、おかしくない。ごめん。責めてるわけじゃないんだけど、そんな調子じゃ一人にできないと思って。よその男に、そんな顔見られたら付け入られるよ。危ないんだよ。」

「そんなこと言われても、今思い出しても、なんかポワンとなって立ってるのが嫌になるのよ。きっと私、真ちゃんのために生まれてきたんやと思うのよ」

「だから、しっかりしろ!そんなこと言われたら帰れないだろう!とにかく今日は送っていく。」

「なんで?大丈夫よ。私が送っていくし。そんな荷物持って一人で帰るの大変やないの。」

「とにかく、家の近くまで送る。運転は僕がするから。」

「私、そんなに頼りない?」

「ああ頼りない。」と言い返すと梨花はまた涙ぐんだ。

僕はなぜこんなに気分がこじれているのか不思議だった。なぜ、こんなにイライラするのだろう。

僕は運転しながらも「絶対他の男に、そんな弱みを見せちゃいけない。だまされるよ。」ときつい口調が止まらなかった。

「なんで他の人に見せるのよ。なんで騙されるのよ?真ちゃん、ちょっとおかしい。私のこと、セックス好きのいい加減な女やと思ってるんでしょ。あの時私から仕掛けたから。私が誰にでもあんな風にすると思ってるんでしょ。あの時真ちゃんが一番気にしてること、あんな言い方して嫌われるのん怖かったし焦って、それに、この人なんでこんなに泣くんやろって思ったら自然に抱きしめたくなったんよ。女がそういう気持ちになったらおかしい?」と今度は本当に泣き出してしまった。

あの時梨花は焦ったのか?と思うと心臓がドキンと鼓動した。梨花はいつまでも、めそめそした。僕はこういう時の対処法が分からなかった。というか、なぜ泣くまで言いつのってしまったのか自分でもわからなかった。

そのまま家の近くまで送って行った。街灯のない場所で車を止めて今度は僕がぐずぐず弁解をしなければならなかった。「

「あの時は本気でうれしかったし、いい加減な女だとは思ってないんだよ。要するに、ほかの男の前でああいう顔をされるのは嫌なんだよ。あの声を他の男に聞かれるのは絶対嫌なんだよ。ああいう格好は僕の前だけにしてほしいんだよ。」

「私、そんなにみっともない?」

「みっともなくないんだ。その、男ならだれでも手を出したくなるんだよ。要するに、その僕は嫉妬心が強いんだよ。もう絶対僕以外の男と関係しないでほしいんだ。これは僕のお願いなんだよ。」上から、言い含めようとしていたのにいつの間にか懇願していた。

梨花は「真ちゃん、要するに私が誰かにとられへんか心配なん?要するにいない人にやきもち焼いてるのん?」と顔を覗き込んでくる。「真ちゃん可愛い」と急に首に両腕を巻き付けてくる。

「だっから〜、そういうことを簡単にしちゃいけないんだよ。僕はこれから4時間もかけて家に帰らなくちゃならないんだよ。いつもでも、君とこんなことしてちゃ帰れないだろう。」といっても梨花は離れない。

僕は、時々女のぐずぐずに手を焼く時があった。そんな時は簡単だった。さっさと抱きしめて行動に移してしまえばそれで治まった。

自分が女にぐずぐず絡んで泣かせて結局黙らされてしまうのは初めてだった。梨花は勝手が違っていた。自分でも、いい年をして何を馬鹿なことをやっているんだと思った。

そのそばから、もっと身体がギシギシいうほど激しくしたら梨花は気絶してしまうのだろうかという野卑な好奇心が沸き起こった。しっかりしなければいけないのは僕だった。


続く



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2019年04月02日

THE FIRST STORY 真一と梨花

嫉妬の再生
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ここ半年は、大阪へ行って田原の家に泊まって、夜中に梨花が部屋に来るというパターンが続いている。といっても実際に会えたのは5、6回だろう。いくら邸宅でも実家でそんなに羽目も外せない。それでも幸福だった。まるで学生時代のような付き合いだった。

外で会った時には僕は羽目を外した。家で声を潜め合っている分外では梨花も大胆になった。僕は、時々、梨花の過去の男に嫉妬した。自分の前に梨花と濃密な時間を過ごした奴がいると思うと歯がみをしたい気持ちになった。

梨花は、その男にも一緒に死んでやるといったのだろうか?その男の背を撫でて守ってあげるといったのだろうか?その男の前でもあんなにやるせない顔をしたのだろうか?その男にもあんなに柔らかだったのだろうか?そういう、嫌らしい嫉妬心を抑え込まなければならなかった。

僕は、祖父母がなくなった頃には嫉妬心というものをほとんど持たなくなっていた。それは僕の生まれつきの性格ではなかった。

僕は小学校の入学式に、父親が来ている友人がうらやましくて仕方がなかった。中学校の入学式には母が駆けつけてくれたが僕は素直に喜べなかった。ふてくされて入学式に出た。そのあとも学校行事のたびに友人をうらやみ嫉んだ。いつもふてくされていた。

可愛げのない子供だったので、あまり人にかまわれることがなかった。ただ、祖父母だけが僕の気持ちを汲み取って愛してくれた。僕が、非行化せずに大人になれたのは祖父母の愛情のおかげだった。祖父母がなくなってからは自分の生活に必死だった。嫉み疲れて、そんな人間らしい気持ちがなくなってしまった。

生活のために気持ちのいい男を演じるのに必死だった。おかげで多少稼ぎも増えて恋人も人並みにできていた。ただ、その恋人が他の男とどうかなったとしても、それはその時に終わらせるだけの恋だった。人に対する執着心というものが希薄だった。

聡と会って大阪の親戚と交流ができ、今、梨花との関係ができ、人間らしい気持ちを取り戻していた。僕は自分の嫉妬心の強さに戸惑っていた。

以前付き合っていた男はどんな奴だったのだろう。なぜ別れたのだろうか?その男は梨花に執着しなかったんだろうか?


続く

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2019年04月01日

THE FIRST STORY 真一と梨花

嘘の恋の終わり

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僕の日々は、いつもと同じように地味な仕事をこなしながら続いていた。何のために文章を書いているのだろうと考えていた。生活費を稼ぐために毎日粛々と与えられた仕事こなしていた。それは工場の生産ラインにたって作業をこなしているのに似ていた。

不幸感はなかった。これが生活というものだと、わかりかけてきた。生活費を稼げるだけの仕事があることは幸福なことだとわかってきた。僕は、やっと大人になってきたのだ。

真知子は、時々僕を急襲した。僕は女を怒れない性格だった。仕事を盾にとって泊まるのを断るのが精いっぱいだった。梨花への執着心は、そのまま真知子への衝動となっていく。なのに、その時間が過ぎれば、何か足りない空虚な時間に思えた。真知子にあまりにも酷な自分を軽蔑した。

僕は父の不始末の子供だった。父は母への執着心を募らせて断ち切ることができなかったのかもしれない。執着心を愛というのなら、僕は父と母の愛の結晶なのかもしれないと思った。

今、僕は女への執着心を愚かなものだと思うことはできなかった。僕は、いい大人になって初めて本当の恋を知ったのかもしれなかった。

梨花は真知子のことには一切触れなかった。お互いに、触れてはいけないという不文律ができていた。梨花とは結婚できないだろう。多分、相応の縁談がまとまれば、別れなくてはならないだろう。その事を受け入れる自信がなかった。

身分違いなどという言葉は今の日本では死語だと思っていた。ところが、その言葉が今、自分に降りかかってきていた。梨花とはあまりにも持っている条件が違い過ぎた。

あまりにも暮らしぶりが違い過ぎて、梨花が僕の暮らしに適応できるような気がしなかった。それでも、どうしても、たとえつかの間でも梨花との関係を続けたかった。

真知子も考えてみれば身分違いだ。れっきとした医者の娘だった。それでも、こんなに怖気づかなかった。結局は、いずれ別れる女だと割りきっていたということだ。自分は根が冷たいのだ。梨花との関係ができてしまった以上、真知子と続けるわけにはいかなかった。

真知子とホテルのロビーで待ち合わせた、人目がある場所の方が修羅場にならないだろうと見込んでいた。他に好きな女ができたと正直に打ち明けた。これほど決定的な別れ方はないのだ。

真知子は、人目があっても泣き出してしまった。僕は、こんな場面に弱い。僕の部屋に居れば泣き止ませるために、また抱いてベッドに連れて行ってしまっただろう。女を喜ばせたいときも黙らせたいときも、いつも、僕は一つの方法しか思い浮かばない。何も解決せず、その場をごまかすのにその方法は抜群に効果があった。しかし、今日は完全な結論が必要だった。

人目のある場所で、泣かれるのはみっともないし、また、誰かに見られはしないかと恐ろしかったがギリギリのところで踏ん張った。

翌日真知子の父親から電話があって慰謝料の話にしたいといわれた。世間に知られれば今度こそ仕事を無くすだろう。それもしょうがないと覚悟を決めていた。

ただ、それが原因で大阪の親戚に嫌われるのが怖かった。梨花との関係が切れるのが怖かった。が結局は、それ以来真知子からも真知子の父親からも連絡が途絶えた。

続く





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2019年03月31日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花

恋の焔
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その翌日は僕が梨花を呼び出した。喫茶店で会った後はホテルに入った。いわゆるラブホテルだ。僕は何度か使った経験があったが梨花は初めてのようだった。

「真ちゃん慣れた感じやね。ちょっと腹立つ。」とむくれていたが僕は無視した。それよりも何よりも昨日の続きの方が僕には大切だった。僕が抱き締めると梨花もすぐに応じてくれた。僕たちは、一晩のうちに恋仲になった。

梨花は僕の母のことを聞きたがった。「ねえ、お母さん、いくつのときに結婚しはったん?」

「僕が11歳だから32だな。それがどうかした?」

「亡くなったんいくつ?」と聞かれて僕はイライラしてきた。

「それから2年後。不愉快な話は打ち切りにしたい。」と僕が怒っても梨花は話し続けた。

「お母さん、34歳や。私、今34歳よ。」

「嫌なこと言うなよ。もうやめにしてほしい。」

「真ちゃん、もし、今、真ちゃんに一緒に死んでくれって言われたら、私、一緒に死ぬよ。」白い胸はほのかに赤みがさしていた。僕の時間はとまってしまった。

「お母さん、お父さんに死なれてから真ちゃん一筋やったと思うのよ。せやけど、今、私、わかるけど、火が付いたら止められへんのよ。・・・・・死ななあかんほど借金抱えてたのに真ちゃんの養育費守りはったんでしょ?・・・・・お母さん、真ちゃん捨ててへんのよ。ただ、ただ、恋の焔に巻き込まれてしもただけなんよ。」

コイノホノオ?そんな古臭いメロドラマのようなセリフを聞くとは夢にも思わなかった。僕は梨花をしげしげと見つめた。今僕の腕の中に居るのは良家の娘でもオヤジ姉ちゃんでもなかった。恋の焔の中に呑まれてしまった一人の女だった。

その日の帰りの新幹線はすいていた。ずっと目をつぶっていたのだが、僕は、きっと卑猥な顔をしていたに違いない。梨花の規則的な息づかいや声を思い出すと頭の芯が快感でしびれた。梨花の白い胸が頭の中で何度も何度もよみがえった。

僕は女性体験は多い方ではなかった。ただ、真由美のようなプロの女性との経験も持っていた。それでも、そんな女性たちのとの関係におぼれるという感覚はなかった。真由美と突然別れた後も、そんなにわびしい気持ちにはならなかった。すぐに、次に付き合う女を物色したのかもしれない。今はもう何も覚えていない。

梨花との時間は今まで経験したことがないような、脳の芯がしびれるような時間だった。僕は大麻やマリファナというものを使った経験はない。でもこんな感じかもしれないと思った。僕の頭の中に駆け巡っているものはドーパミンというものだろうと思った。

しっかりしろよと自分を叱咤したが、すぐに梨花への執着心がむくむくと湧き上がっていた。

僕は家へ帰ってから、書棚の上に追いやった父の仏像を、またベッドサイドに戻した。父は僕を救い出した。母を呪うという泥沼から引き上げてくれたのだ。もちろん、母に感謝とまでは気持ちを持っていくことはできない。

ただ、母が一人の女として恋を全うしたのだということは、それとなく感じることができた。26,7で子供の父を亡くし、水商売で稼ぐ中で30過ぎで男に出会って恋の火が付いた。僕は今、それを責めるのは酷だとわかる年になっていた。

そして、ひょっとしたら、自分も恋を全うしてくれる女に出会えたのかもしれない、という思いもあった。

梨花は、僕と一緒になら死んでやろうといった。実際に誘ったわけではないから本当かどうかわからない。でも、こんなにも情熱的な告白を受けたのは初めてだった。ああいうとき、気が利いた男なら、もっと情熱的に愛の言葉を言うのだろう。

ただ、ただ、熱に突き動かされて愛の言葉を一言もいえなかった自分はなんと子供っぽいのか?また、後悔した。ひょっとしたら恋の焔に巻き込まれたのは自分かもしれないと思った。

続く





2019年03月30日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花

ママの愚痴


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田原の家に着いたときには、夕方になっていた。聡と目が合ったが反らしてしまった。目が腫れているのを見られたくなかったからだ。

聡は「兄ちゃん、ごめん。怒らす気はなかってんけど、どうしても兄ちゃんの意見が聞きたかってん。」と謝った。僕は、それでも目を合わせることができなかった。聡は梨花に「兄ちゃん、どうかしたん?」と聞いた。

梨花は「生意気やから泣かしたってん。」といって二階へ行ってしまった。聡は真剣な顔で「ええーっ兄ちゃん、大丈夫か?なんかされたんか?」と聞いた。

僕は、おかしな身振り手振りになって「いや、何にもされてない。」といった。聡は不思議そうな顔をして「えっ、何でそんな顔してんの?」と聞き返してきたので黙ってうなづいて洗面所へいった。男はこんな時思いっきり不器用だ。女はまるで女優のように鮮やかに切り替えるのだ。

その日は食事中ずっとママにぐじぐじと怒られた。ママは、さんざんぐじぐじ言った後「今度から困ったことが有ったら、何はともあれ、こっちに相談すること!わかった!」と念をおした。僕がシュンとすると気が済んだらしく、そのあとは聡の話になった。

ママは「真ちゃんのおかげで決心付いたらしい。ホントに結婚する気やったら先方の事情調べて、きちんとせないかん。それに、真ちゃんが言うように子供が小さい方がスムーズにいくと思うんよ。」と言った

僕が「ママ、反対しないんだ。」というと、「反対して止まるぐらいやったら、東京まで相談にいきますかいな。下手に反対して家出る言われたら、ほんまに困るからねえ。それに女の人自体は私も知ってるのよ。ちゃんとした人や。子供のしつけもちゃんとしてる。子供も頭よさそうなきれいな子供や。梨花も折り紙つけてるし。まあ、運命の出会いっていうのんやろねえ。」と答えた。

「相手の人は、そんなに積極的やないんよ。そこかて、なんとなく好感持てるし。真ちゃんにも近いうちに紹介せなあかんねえ。しばらく大阪通い続きますんやろ。ええ時にご飯たべましょか?」と続けた。聡の結婚話が前に進みだすのが分かった。

なんとなくママの人生相談を聞いているような雰囲気になっていた。ママも愚痴をこぼす相手がいないのかもしれない。

「あとは梨花やねん。あの子があんなにややこしい子や思わなんだ。せっかくのお付き合い、別れてしもたらしいのよ。飽きたっていうねんよ。子供欲しいって言うてたのに。てっきり結婚すると思ってた。なんか聞いてない?」とママに聞かれて、僕はしどろもどろになりながらシラを切った。


続く


2019年03月29日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花

母性本能

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スキャンダルはやがて忘れ去られ大阪の女子大の講師の口がまたつながった。僕は、田原の家には特に挨拶をせずビジネスホテルに泊まった。例の聡の相談のあと、なんとなく自己嫌悪や僻みっぽい気分が抜けなかった。勝手に幸せになれ!と思っていた。それに、梨花にどんな顔をすればいいのかわからなかった。

大阪のビジネスホテルの部屋に入ったところで梨花から電話がかかってきた。怒っていた。「何嫌味なことしてるのん?こっちに泊まったらいいやん。そんなに高給取り違うでしょ。めんどくさい人やなあ。迎えに行くから待っといて。ご飯の支度してるからキャンセルでけへんよ!」例のごとくオヤジ節がさく裂して、有無をも言わせなかった。

部屋に現れた梨花は僕とは目を合わせずに「荷物どこ?」と聞いた。イライラしていた。梨花のスーツ姿を初めて見た。品のいい薄化粧。端正な顔立ち、きびきびした物腰。こんなにきれいだったのだと驚いた。

「こないだの人キレイやね。真ちゃんにも彼女がいて当たり前よね。」と、やはり目を合わさずに言った。いかにも気にしてないと言いたげだったが、こだわっているのがよく分かった。ぎこちない硬い雰囲気になった。

「聡が、失礼な相談したらしいね。ごめんね。無神経で。」と謝られたが、「な〜に、こっちは、私生児歴36年のベテランだ。気にしないよ。」と虚勢を張った。自分の出生がコンプレックスで気分が落ち込んでいるとは言えなかった。

「何で、そんなひねくれたものの言い方するのん!もっと素直に嫌やったって言ったらええやんか。悲しいとか辛いとか言ったらええやんか。そしたら、慰めようもあるやんか。もっと母性本能刺激せな、モテへんよ!」と強い調子で突っかかってくる。びっくりした拍子に、だらしなく涙が出てきた。

梨花は僕の涙をみると一瞬黙った。そして、ゆっくり近づいてきて、母親がするように僕を抱いて背中を撫でた。「ごめん。なんかイライラして。八つ当たりしてしもて、ごめんね。私彼女じゃないのに、やきもち焼いてむしゃくしゃして。」といった。

「母性本能刺激されたか?」鼻をすすりながらいうと「黙って、おとなしくして。」背中を撫でる手に、だんだん力が入ってきて強く僕を抱きしめていた。

梨花の胸が僕の顔の前にあった。梨花の喉は真っ白でほのかな光を放っていた。梨花のおなかは僕に密着していた。僕も自然に力が入って梨花を強く抱きしめた。「真ちゃん、無理せんでもいいんよ。あかんたれで泣き虫の真ちゃんが大好きよ。」梨花の声が耳元で聞こえた。温かい吐息が耳にかかった。

「母は僕を捨てたんだ。僕を置いて結婚した。結婚先で亭主と心中してしまったんだ。」誰にも言えない、僕が最も恥だと思っていることを子供のように訴えた。僕が一番恥ずかしいと思っていること、それは自分が母に捨てられた子供だということだった。一番愛してくれるはずの人に愛してもらえなかった子供だと言うことだった。

梨花は、それを聞いて一緒に泣いてくれた。「大丈夫、大丈夫やから。大丈夫。」なぜか、しきりに大丈夫といって僕をなだめた。10分位だらしなく泣いていたかもしれない。梨花にされるがままになっていた。慰めるという言葉の本当の意味を、この日、知った。

僕は、母が亡くなった時涙を流さなかった。涙なんか出なかった。悲しいよりもっと感覚が痺れた様な感じがしていた。母の葬儀の時テレビドラマを見ているような錯覚をしていた。ただ、祭壇の前に座って葬儀という大人の行事をやり過ごしていた。

時々現実に引き戻された時には何度も吐き気がした。母は僕の知らないどこかで生きている。内心は僕のことを気にかけながら、事情があって我慢しているのだと思った。

誰かが母が亡くなったという現実を突き付けてきたときにはいつも吐き気がした。葬儀の後、四、五日寝込んだらしい。そのあたりの記憶がモヤモヤして何も覚えていない。それ以降、僕は泣くということができなくなっていた。

何年かぶりで年甲斐もなく大泣きしてしまった。恥ずかしいことに僕は目を泣きはらしていた。梨花は大きな目鏡をかけて目を隠して外へ出た。

続く


2019年03月27日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花

ニアミス

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今までになく自分の生い立ちが嫌になっていた。もっともらしい顔をして何かを語ったとしても、それは自分が誰かのために何かできるという話にはならなかった。いつも自分のためだけにしか動かなかった。

聡のように気持ちを固めたら、あとは恋人のために借金や前夫の後始末をしてやるほどの気概はなかった。人のために何か無理をしてあげる余裕も心がけもない生い立ちだった。生い立ちが取り返しのつかないコンプレックスになっていた。

そんな夜、梨花から電話がかかってきた。「明日、そっちへ行く用事あるんやけど、お昼ご飯一緒に食べれる?」と聞かれたので、「いいよ。ごちそうする。どこかで待ち合わせよう。」と提案した。「ううん、私、真ちゃんの部屋がいい。ごはん持っていくからまってて。」と意外な答えが返ってきた。

僕は困った。梨花が今度この部屋に来たら、何事もなく帰す自信がなかった。本来は、断って外で会うべきだった。でも、僕は梨花の提案を断ることができなかった。この部屋に来て欲しかった。

あわよくば、何かあってほしかった。梨花が来たいというのだから来てもらえばいいと都合よく考えた。昼食をして早めに帰せばいいと甘い判断をした。

当日、梨花は11時ごろに来た。昨夜は叔父さんの家に泊めてもらったといった。ちょっと豪華なサンドイッチとワインやローストビーフなどを持ってきた。ついでに、チーズやヨーグルト、ピザ、冷凍食品、少しだけ手作りのお惣菜も持ってきてくれた。

冷蔵庫に何やかやと詰めて楽しそうだった。僕は後ろから抱きしめそうになるのを我慢していた。

ランチにワインを飲んだ僕は上機嫌だった。嬉しかった。梨花は話の合間に、突然真顔になった。「真ちゃん、このごろ全然大阪に来ないね。みんなに会えなくて寂しくないの?」と聞かれて、「寂しいけど、でも、大阪の大学切られちゃったから、ホントに、そっちに行く機会がなくなっちゃったよ。」と言い訳をした。「旅費だって馬鹿にならないし。」と心の中でつぶやいた。

「真ちゃん遊びに来て。京都や奈良へ案内してあげるから。遊びに来て」と子供が言うように何度も言われた。きっとママに言われているのだろう。

「ねえ真ちゃん、私に会わなくても寂しくないのん?」梨花はうつむいて、そう聞いてきた。「叔父さんの家に用事あったって嘘なんよ。寂しかったから会いに来たの。あかんかった?」と聞かれて、しばらく何も答えられなかった。

眉を八の字にして幼児のように見つめられて、何も言えなくなってしまった。「そんなことない。来てくれてうれしい。」そう、答えたと同時にチャイムが鳴った。

インターフォンを除くと真知子が来ていた。真知子は慣れた調子で「今晩、お肉焼こうと思って。ちょっとごちそうよ。」と言った。僕は大慌てで「今来客中なんだ。」といった。真知子は声を潜めて「ごめんさない。いつものカフェにいるから終わったら教えて。」と言った。

梨花は立ち上がっていた。真知子の慣れた調子を見れば、誰だって深い付き合いだとわかる。梨花は少し震えているような声で「お邪魔しました。」と言って玄関へ向かった。

途中、廊下に置いていた靴箱につまづいて大きな音をたてた。僕は慌てて梨花をとめようとしたが止まらなかった。エントランスまで一緒に出たところで真知子が立っているのが見えた。真知子が引きつった表情でこちらを見ていた。梨花は逃げるようにエントランスを出て行った。

真知子が「あの人誰?」と聞いてきたので「出版社の人」とだけ答えた。その日は仕事が立て込んでいることにして部屋に入れなかった。梨花に何度か電話を入れたがつながらない。事故を起こさないか心配で居てもたってもいられなかった。その夜は不安と焦燥感で眠れなかった。


続く





2019年03月26日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花

嫌な記憶

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聡の結婚相手の話を聞いているうちに僕は昔の母の恋愛に向き合わなくてはならなかった。母が、結婚したいと男を連れてきたとき僕は小学4年生だった。そのころ、祖父母と母の愛情を一身に受けて僕はその暮らしに満足していた。僕にあいさつした男は、その暮らしを壊すために現れた闖入者だった。

ろくに口も利かずに風呂に入ったっきり、その男が帰るまで出なかった。その男は、2度と家に来なかった。母と付き合いが続いているのは分かっていた。僕が、小学校を卒業した、その年の秋に母は結婚した。僕は、祖父母の家に残された。いつか、母が迎えに来てくれることを信じていた。僕は祖父母が好きだったが母は僕にとっては唯一無二の存在だった。その人が自分を置いてけぼりにしたなどと思いたくなかった。

「聡、本気だったら急げ!その子が物心つくまでに、その子と仲良くなってやれ。責任をもって、何があろうと、その子を幸福にしようという覚悟があるんなら急いだ方がいい。」僕は自分の犯した幼い過ちをその子供に経験させたくなかった。

「兄ちゃん、軽率な性格なん?あんまり、豹変されると怖いんやけど。」聡は嬉しそうに上気していた。

「とにかく、本人に事情をしっかり確認して、やっていけるかどうか自分の根性を確かめて、根性が決まったら話は早い方がいい。男の子が反抗期に入る前に話を進めたほうがいい。」そういって聡を急かした。

「おう、気持ち決まったわ。明日にでも事情をちゃんと聴いて話進めるわ。」聡の顔に光が差したような気がした。

「ママは、そういう縁談を嫌わないのか?良家の奥さまとしては問題ないのか?」と僕が確かめると、「ないよ。ママが嫌うのんは借金や暴力や。それは僕も一緒や。それに関しては、徹底的に調べて解決したらなあかんと思ってる。出目については、あんまりうるさない。」と答えた。

「借金や暴力の解決をしてやるつもりなのか?・・・・偉いなお前」僕の声は小さくなっていた。

「それぐらいの力、あるよ、僕」と聡が答えた。僕は羨ましかった。昔、いつも人をねたんでいた気分が嫌でもよみがえった。

考えてみれば、サラリーマンといえど金の世界で生きている人間なのだ。ひょっとしたら、そこそこ裏の世界も知っているのかもしれない。僕よりも大人だった。翌日、聡は意気揚々と帰っていった。

僕の母は、どうして聡のような男と出会わなかったのだろう。僕は、どうしてそういう女の息子だったのだろう。恨みがましい気持ちになっていた。自分の子供っぽさはそのまま育ちの悪さから来ているように感じて嫌になった。

もし、僕がもっと素直な子供で母が連れてきた男にすぐに懐いていたら、母も僕ももっと違った人生になったのだろうか?いや、違う。あの男は母が働いていたキャバレーに通い詰めていたが、その時もう大きな借金をかかえていた。僕は自分が、いつ、温かい幸福感というものを取り逃がしたのか考えていた。

聡が恋人やその子供の幸福のために悩んでいるというのに、僕は、自分の仕事のことや母親への恨みがましい気持ちにもやもやしているばかりだった。梨花への気持ちが、そのもやもやに拍車をかけていた。


続く




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