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2019年03月15日
家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花
身体検査
聡の家が意外にも、大邸宅だったことで僕は動転していた。食事は和気あいあいとしたものだったけれど、僕は、もう腰が引けていた。帰るタイミングを計っていた。
僕がコーヒーを飲んでいると、ママが「あなた、お家のお墓はどちらにあるの?」ときた。いきなり墓の話で面食らった。「いえ、母方の祖父母の墓しか知りません。僕は婚外子で父の墓には行ったことがありません。」いきなり、ど真ん中へ突っ込んでやった。
良家では息子の友達の身体検査もするのだと思った。ママは驚かなかった。「お母さんは、どうされたの?」どこまでも失礼なおばちゃんだった。「母は、僕を置いて結婚しました。」隠す必要はなかった。聡ともこれまでの関係だった。
「ママ、ちょっと単刀直入すぎるで。島本さん怒ってはるやんか。」聡がとりなすように言ったが、僕は、もうこの家から出たい、帰りたいと思っていた。
「ああ、ごめんごめん、怒らす気はなかったんよ。ちょっと、ちょっと待っててね。」と奥の部屋に入っていった。「今度は何だ?なんでももってこい」と喧嘩腰になっていた。
ママが古いアルバムを抱えて戻ってきた。アルバムとは意外だった。そんな古いもので、家の自慢でもしたいのか?
ママがアルバムを開いて「この人知ってはる?」と一人の男を指さした。突然僕の頭の中がぐるぐる回りだした。自分がどこにいるのかもわからなくなりそうだった。
父が僕を抱いて笑っていた。その写真は、僕の家にあるものと同じだった。なつかしい、やさしいにおいのする唯一の父の写真だった。僕は、絶句したままだった。アルバムの中には父の写真が数枚あった。
ママはしげしげと僕を見て、「やっぱり、この子があなたやってんよね。良かった。やっと見つけた。」といった。ママは僕の手を自分の両てのひらで包んで、「まあ、まあ、苦労せえへんかった? 辛いことなかった?学校誰が出してくれたん?」立て続けに聞かれたが、今もって何が何だかわからなかった。
ママの手は祖母の手のように柔らかくて少し冷たかった。こんな風に、手を包んで何度もなでてくれたのは結婚前の母と祖母だけだった。母には恨みがましい気持ちを持っていたので心の奥底に封印していた。昔、家族から可愛がられた時期の記憶がよみがえって、めまいが起きそうになった。
「あのねえ、この人、あなたのお父さん、私の父の兄なんよ。」「あなたと私は、いとこなんよ。」ママと僕がいとこ? 何を言っているのか理解できないまま黙っていた。まるでテレビドラマの登場人物のような気分だった。
聡は「ママの勘あたったんか?凄いな。世の中にこんなことあんねんな。」とおどろいた様子で興奮していた。嬉しそうだった。この家では僕の存在は喜ばれているような気がした。
続く
聡の家が意外にも、大邸宅だったことで僕は動転していた。食事は和気あいあいとしたものだったけれど、僕は、もう腰が引けていた。帰るタイミングを計っていた。
僕がコーヒーを飲んでいると、ママが「あなた、お家のお墓はどちらにあるの?」ときた。いきなり墓の話で面食らった。「いえ、母方の祖父母の墓しか知りません。僕は婚外子で父の墓には行ったことがありません。」いきなり、ど真ん中へ突っ込んでやった。
良家では息子の友達の身体検査もするのだと思った。ママは驚かなかった。「お母さんは、どうされたの?」どこまでも失礼なおばちゃんだった。「母は、僕を置いて結婚しました。」隠す必要はなかった。聡ともこれまでの関係だった。
「ママ、ちょっと単刀直入すぎるで。島本さん怒ってはるやんか。」聡がとりなすように言ったが、僕は、もうこの家から出たい、帰りたいと思っていた。
「ああ、ごめんごめん、怒らす気はなかったんよ。ちょっと、ちょっと待っててね。」と奥の部屋に入っていった。「今度は何だ?なんでももってこい」と喧嘩腰になっていた。
ママが古いアルバムを抱えて戻ってきた。アルバムとは意外だった。そんな古いもので、家の自慢でもしたいのか?
ママがアルバムを開いて「この人知ってはる?」と一人の男を指さした。突然僕の頭の中がぐるぐる回りだした。自分がどこにいるのかもわからなくなりそうだった。
父が僕を抱いて笑っていた。その写真は、僕の家にあるものと同じだった。なつかしい、やさしいにおいのする唯一の父の写真だった。僕は、絶句したままだった。アルバムの中には父の写真が数枚あった。
ママはしげしげと僕を見て、「やっぱり、この子があなたやってんよね。良かった。やっと見つけた。」といった。ママは僕の手を自分の両てのひらで包んで、「まあ、まあ、苦労せえへんかった? 辛いことなかった?学校誰が出してくれたん?」立て続けに聞かれたが、今もって何が何だかわからなかった。
ママの手は祖母の手のように柔らかくて少し冷たかった。こんな風に、手を包んで何度もなでてくれたのは結婚前の母と祖母だけだった。母には恨みがましい気持ちを持っていたので心の奥底に封印していた。昔、家族から可愛がられた時期の記憶がよみがえって、めまいが起きそうになった。
「あのねえ、この人、あなたのお父さん、私の父の兄なんよ。」「あなたと私は、いとこなんよ。」ママと僕がいとこ? 何を言っているのか理解できないまま黙っていた。まるでテレビドラマの登場人物のような気分だった。
聡は「ママの勘あたったんか?凄いな。世の中にこんなことあんねんな。」とおどろいた様子で興奮していた。嬉しそうだった。この家では僕の存在は喜ばれているような気がした。
続く
2019年03月14日
家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花
聡の家
ある日、聡は「兄ちゃん、今度からこっちへ来るときには僕のうちで泊まれ。おかんも連れて来いって言ってる。」「おかんて聡、それ、人前で言うなよ。みっともない」「大阪では普通や。中学や高校でお父さんとかお母さんいうたら友達でけへん。そんなことはええねん。今度、うちへ来いよ。おかんもお姉も待ってる。ただし、お姉はオヤジみたいやで。」聡が強く勧めてくれるので、夕食をごちそうになることにした。
聡は新大阪駅に車で迎えに来ていた。驚いたことに車はベンツだった。そういえば聡の車を見るのは初めてだった。「いい車に乗ってるじゃないか。」というと「家車(イエシャ)や」と答えて、大阪の中心部から離れて、どんどん南の方へ行った。ぎりぎり大阪市内と思われる住宅街へ入っていった。古くからの住宅街らしく、邸宅がならんでいた。
おかんとオヤジみたいな姉が待っている家だ。食事はちゃぶ台で食べるものと思い込んでいた。しかし、聡の家は予想もしないような古い邸だった。門は昔風の冠木門でガレージは4台分だ。僕は心の中で「しまった!」とうめいた。場違いなところへ来てしまった。
聡は驚くほど良家のおぼっちゃんだったのだ。もう、付き合いは続かないだろう。自分とは違う世界の育ちだった。
聡は僕が思いもよらないような邸宅のお坊ちゃんだった。僕は少し慌てた。虚勢をはって落ち着いたフリをして門をくぐった。
「いらっしゃいませ。よう来てくれはったねえ。」人の好さそうなおばちゃんがカバンを持ってくれた。そして、すぐに落とした。「重い!ごめんね。落としてしもた。割れもん、入ってへんかった?」なんとなく、コメディイムードのおばちゃんだ。
ダイニングに通されると、大きなテーブルに鉄板焼きの用意がしてあった。「若い人は、こんなんの方が好きかなと思って、今日は鉄板焼きにしましたわ。」というと、オヤジ姉ちゃんがいないまま食事がはじまった。
結局のところ聡は家でも外でもあまり変わらず、いい奴だった。聡のおかんはなんとなく面白い人だった。不思議なことに聡は家ではおかんのことをママと呼んでいた。
僕は自分の出生や育ちにコンプレックスがあった。良家や名門というものにはアレルギーがあったのだ。そのせいで、聡ともなんとなく付き合いづらい気持ちが湧いていた。ああ、聡ともこれでおしまいだなあという思いが頭をもたげていた。
食事は和気あいあいとしたものだった。僕は、いつもの仮面をかぶり始めていた。ママは、鉄板焼きを焼きながら、時々面白いことを言って僕を笑わせた。こういう感覚は、僕の祖母と似ていた。東京の下町のおばさんも動作の合間合間に何かと面白い言葉を挟んでくるのだ。
ただ、この家は下町風ではなく、今まで知らなかった上流階級のものだった。僕は警戒心を解くことができなかった。食事が、終わると日本酒が出たが呑まなかった。何度も泊まっていくように説得されたが固辞した。
続く
ある日、聡は「兄ちゃん、今度からこっちへ来るときには僕のうちで泊まれ。おかんも連れて来いって言ってる。」「おかんて聡、それ、人前で言うなよ。みっともない」「大阪では普通や。中学や高校でお父さんとかお母さんいうたら友達でけへん。そんなことはええねん。今度、うちへ来いよ。おかんもお姉も待ってる。ただし、お姉はオヤジみたいやで。」聡が強く勧めてくれるので、夕食をごちそうになることにした。
聡は新大阪駅に車で迎えに来ていた。驚いたことに車はベンツだった。そういえば聡の車を見るのは初めてだった。「いい車に乗ってるじゃないか。」というと「家車(イエシャ)や」と答えて、大阪の中心部から離れて、どんどん南の方へ行った。ぎりぎり大阪市内と思われる住宅街へ入っていった。古くからの住宅街らしく、邸宅がならんでいた。
おかんとオヤジみたいな姉が待っている家だ。食事はちゃぶ台で食べるものと思い込んでいた。しかし、聡の家は予想もしないような古い邸だった。門は昔風の冠木門でガレージは4台分だ。僕は心の中で「しまった!」とうめいた。場違いなところへ来てしまった。
聡は驚くほど良家のおぼっちゃんだったのだ。もう、付き合いは続かないだろう。自分とは違う世界の育ちだった。
聡は僕が思いもよらないような邸宅のお坊ちゃんだった。僕は少し慌てた。虚勢をはって落ち着いたフリをして門をくぐった。
「いらっしゃいませ。よう来てくれはったねえ。」人の好さそうなおばちゃんがカバンを持ってくれた。そして、すぐに落とした。「重い!ごめんね。落としてしもた。割れもん、入ってへんかった?」なんとなく、コメディイムードのおばちゃんだ。
ダイニングに通されると、大きなテーブルに鉄板焼きの用意がしてあった。「若い人は、こんなんの方が好きかなと思って、今日は鉄板焼きにしましたわ。」というと、オヤジ姉ちゃんがいないまま食事がはじまった。
結局のところ聡は家でも外でもあまり変わらず、いい奴だった。聡のおかんはなんとなく面白い人だった。不思議なことに聡は家ではおかんのことをママと呼んでいた。
僕は自分の出生や育ちにコンプレックスがあった。良家や名門というものにはアレルギーがあったのだ。そのせいで、聡ともなんとなく付き合いづらい気持ちが湧いていた。ああ、聡ともこれでおしまいだなあという思いが頭をもたげていた。
食事は和気あいあいとしたものだった。僕は、いつもの仮面をかぶり始めていた。ママは、鉄板焼きを焼きながら、時々面白いことを言って僕を笑わせた。こういう感覚は、僕の祖母と似ていた。東京の下町のおばさんも動作の合間合間に何かと面白い言葉を挟んでくるのだ。
ただ、この家は下町風ではなく、今まで知らなかった上流階級のものだった。僕は警戒心を解くことができなかった。食事が、終わると日本酒が出たが呑まなかった。何度も泊まっていくように説得されたが固辞した。
続く
2019年03月13日
家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花
生い立ち
世間的な僕のイメージは割と正義感があって熱いところのある友人を大事にする男だった。
でも、実際の僕は、いつも心の冷めた利害一色の男だった。僕の人間関係は利害関係で固められていた。
祖父母に育てられた僕は、20代には天涯孤独になっていた。いや、父の家には年の離れた姉がいるはずだったが、僕の存在はその家からはうとまれていた。父の葬儀に出席する事は許されなかった。僕は隠された存在だったのだ。
母は父の愛人だった。僕が生まれたとき、母は21歳だったが父は50歳を過ぎていて、僕が6歳の時に亡くなった。その時、相当の養育費をもらったらしい。祖父母が、その金を大切に使いながら僕を大学に行かせてくれた。
母は、僕が中学生の時に結婚したが、結婚後に亡くなってしまった。自死だった。まだ中学生だった僕を残して借金まみれの男と心中してしまったのだ。祖父母だけが愛情をかけてくれた。祖父母にしか愛情をかけられなかった。
僕は常にひとりだった。小学生のころから本をよく読んだ。本の中では、熱い心を持つヒーローが冒険をしたり、人々を幸福にしたりしていた。熱いフリをすると人が寄ってくる事をおぼえた。軽く熱血漢の雰囲気を演出すると友達も増えた。
若いうちから生活のために働いた。幸い警察官として就職していたので暮らしに困ることはなかったが楽ではなかった。本好きが高じて警察勤務のときから、推理小説を書いていた。その、推理小説が小さな賞を受けて警察では働けなくなった。警察内部のことを書いていたからだ。
今は、なんとか作家として食べている。仕事を取るためには、相変わらず熱い男を演じる必要があった。僕は、そんな自分が嫌いだった。利害のことしか気にならない冷めきった心。うそつきの自分が嫌いだった。
だが、今日、自分にそっくりな男に出会ってわかったのだ。僕は割と素直な奴だ。簡単に人を信用するようなお人よしなんだ。僕はけっこう好い奴じゃないか。
僕は女子大学の講師としても働いていた。ちょっとした話題作りのために雇われていることを自覚していた。その男とは大阪へ行ったときに落ち合った。いつも庶民的な居酒屋で、食事をして酒を飲んでおしゃべりをした。
その男に会う日は、朝からウキウキした。ふっと、僕はゲイだろうかと思ったぐらいだ。残念ながら、二人で酔いつぶれても、お互いに爆睡しただけでそれらしいことは起きなかった。
その男は、知り合って3カ月もすると僕のことを兄ちゃんと呼んだ。僕も、聡(サトル)と呼び捨てにした。
続く
世間的な僕のイメージは割と正義感があって熱いところのある友人を大事にする男だった。
でも、実際の僕は、いつも心の冷めた利害一色の男だった。僕の人間関係は利害関係で固められていた。
祖父母に育てられた僕は、20代には天涯孤独になっていた。いや、父の家には年の離れた姉がいるはずだったが、僕の存在はその家からはうとまれていた。父の葬儀に出席する事は許されなかった。僕は隠された存在だったのだ。
母は父の愛人だった。僕が生まれたとき、母は21歳だったが父は50歳を過ぎていて、僕が6歳の時に亡くなった。その時、相当の養育費をもらったらしい。祖父母が、その金を大切に使いながら僕を大学に行かせてくれた。
母は、僕が中学生の時に結婚したが、結婚後に亡くなってしまった。自死だった。まだ中学生だった僕を残して借金まみれの男と心中してしまったのだ。祖父母だけが愛情をかけてくれた。祖父母にしか愛情をかけられなかった。
僕は常にひとりだった。小学生のころから本をよく読んだ。本の中では、熱い心を持つヒーローが冒険をしたり、人々を幸福にしたりしていた。熱いフリをすると人が寄ってくる事をおぼえた。軽く熱血漢の雰囲気を演出すると友達も増えた。
若いうちから生活のために働いた。幸い警察官として就職していたので暮らしに困ることはなかったが楽ではなかった。本好きが高じて警察勤務のときから、推理小説を書いていた。その、推理小説が小さな賞を受けて警察では働けなくなった。警察内部のことを書いていたからだ。
今は、なんとか作家として食べている。仕事を取るためには、相変わらず熱い男を演じる必要があった。僕は、そんな自分が嫌いだった。利害のことしか気にならない冷めきった心。うそつきの自分が嫌いだった。
だが、今日、自分にそっくりな男に出会ってわかったのだ。僕は割と素直な奴だ。簡単に人を信用するようなお人よしなんだ。僕はけっこう好い奴じゃないか。
僕は女子大学の講師としても働いていた。ちょっとした話題作りのために雇われていることを自覚していた。その男とは大阪へ行ったときに落ち合った。いつも庶民的な居酒屋で、食事をして酒を飲んでおしゃべりをした。
その男に会う日は、朝からウキウキした。ふっと、僕はゲイだろうかと思ったぐらいだ。残念ながら、二人で酔いつぶれても、お互いに爆睡しただけでそれらしいことは起きなかった。
その男は、知り合って3カ月もすると僕のことを兄ちゃんと呼んだ。僕も、聡(サトル)と呼び捨てにした。
続く
2019年03月12日
家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花
家族の木が豊かに茂る時、連綿と繰り返されていくのが夫婦の出来事。誰にも知られずに静かに夫婦は愛の出来事をくりかえしています。あるときは予想もしない出来事が、ある時はまるでデジャブのように何代も何代も繰り返されてきた出会いと別れ。家族の物語は時がたてば忘れられていくもの。あなたの後ろにも、あなたの知らない愛の物語が繰り広げられてきました。
THE FIRST STORY 真一と梨花
ある日出会った自分とそっくりの男。その男の家を訪問した日から真一の運命は大きく動きだす。自分には手に入らないと思っていた愛を手に入れる物語。
その男は、僕の前の座席に座った。別に何も感じない普通の男だった。質のいいスニーカーとジーンズをはいているのが見えた。僕の好みとよく似ていた。ほのかな好感を持った。よくあることだ。
逆の場合もある。趣味に合わない履物やパンツが見えれば、知りもしない人を少し嫌いになる。女ならその傾向が少し強くなる。
その日もいつものように本を読んでうつむいている。目は極力にあわさないようにする。その男は、席について5分もすると、ワッとかオッとかいう声を出した。これも、いつものことだった。
僕は知人といるときには、しゃべり過ぎず黙りすぎず、時々面白いことも言った。知人といっても仕事関係がほとんどで友人は少なかった。恋人もいなくはなかったが熱烈に愛しているというのではなかった。ただ、愛しているふりはうまかったかもしれない。
一人でいる時には人と交わるのがうっとうしかった。本を読み音楽を聴き、うとうとしたりした。そんな時が一番リラックスしていた。
僕は、少しだけ世間に顔を知られていた。最近僕が書いた本がドラマになったからだ。その本の裏表紙に小さな写真が載った。もちろん、芸能人のように大きなマスクをして目鏡をかけるなどというようなことはしない。そこまで有名でもないのだ。
僕の前の座席にすわった男は、失礼なぐらいにこちらをジロジロ見てくる、うつむいているのに視線を感じるのだ。横顔ものぞいてくる。うっとおしいと思った。
知り合いか?そう思って顔を上げた。大きなマスクをした目は、ニコニコ笑っている。が知り合いではない。その男がゆっくりとマスクを外した。
僕は、その時のことを生涯忘れないだろう。ほんの数秒だったのだろうが、5分ぐらいは呆然としていたような気がする。自分自身がマスクを外す様子をスローモーションで見ているような奇妙な錯覚にとらわれていた。その男が完全にマスクを外したときに、僕は、おおっと声が出た。瓜二つとはこのことだった。
その男は相変わらずニコニコしながら、「似てますよね。」といった。「ええ」と答えるのがやっとだった。その男のニコニコ顔がうれしかった。僕と、そっくりな男は、僕と似ていることを喜んでいる。不思議なもので、知らない街で親戚に出会ったような温かい気分になった。
「大きなマスクしてるんだね。」「そら、そうですよ。そっくりやから、道で声かけられますもん。」 その男は関西弁だった。僕は身寄りが少ない。関西には全く知り合いはいなかった。それに関西には、少し苦手意識もあった。
しかし、その男の関西弁を聞いてすぐに好感を持った。自分に似た男を無条件で好きになるのは、僕が自分を大好きだからだろうと感じた。僕が自分自身を大好きなんだと知ったのはこの時だった。
考えてみれば妙な話である。本人は、マスクはおろか目鏡もかけずに歩いているのに、僕に似たこの男は大きなマスクで顔を隠して歩いている。「島本さんは、知らんかったやろけど、僕は自分が島本さんに似てるのん、よくわかってるんですよ。時々新聞なんかで見ますからね。」それは、そうだ。
その男は声のトーンを落として話している。僕の、目立ちたくない気持ちをを考えて静かに話してくれている。気が付くのだ。そこも、その男を好きになった理由だろう。この男の関西弁は、なんとなく知的な感じもした。
「僕、顔はそっくりやのに、島本さんみたいに垢ぬけてないわけですよ。そしたら、女の人、なんとなく僕にがっかりするんですよ。僕、何にも悪いことしてないのに。なんか、理不尽ですよね。」それとなくクレームを受けて僕はその男に、一杯おごりたくなっていた。なんとなく、年下とわかる。
「君いくつ?」「今年30になりました。」「じゃあ、5つ下か。」「仕事何してるの?」「不動産会社で働いています。」生まれて始めて初対面の人間にプライベートな質問をした。普段そういう失礼なことはしない。
第一、僕はそんなに社交的ではなかった。この男には、いきなりプライベートなことを聞き、その上連絡先の交換までしてしまった。僕は、自分に似た男をいきなり信用して好きになり、次に会う約束までしたのだった。
僕にそっくりな男と別れるとき、少しさびしさまで感じた。なんだか、鼻の奥の方から奇妙な違和感が湧いてきた。気が付けば目がしらが熱くなっていた。
僕は、自分を好きだったんだ。35にして初めて自分の本性が分かった気がした。僕は自分が自己愛の強い奴で、意外にいい奴かもしれないと気が付いた。
続く
2019年03月11日
家族の木 Extra edition 夜職の家
特別養子
咲は聡一から「純一は田原の親戚に特別養子として迎えられる」という話を聞いた。今後は純一の戸籍から田原聡一の名前も風羽田香織の名前も消える。一切の縁が切れてしまうと教えられた。純一は、もう二度と真由美や咲の前に現れることは無いらしい。
咲にも聡一にも辛いことだが純一はごく普通の子供として幸福に暮らせるという話だった。やっぱり田原の人間はすることがきっちりしている。咲は、長年水商売で鍛えた真由美の目は確かなものだと感心した。
それから1年ぐらいして聡一から「純一はずいぶん可愛がられて、にこにこ笑う明るい子供になった。」と聞いた。また暗に「お前の家では笑わなかった。」と責められているような気がした。
この稼業にコンプレックスを持ったことは無かった。でも息子の健を見ると、つくづく自分の家では男はまともに育たないと思った。
真由美は純一が特別養子になった3カ月後にはガンで亡くなった。もう早くから相当辛かったはずだと医者に言われた。ゴタゴタしていて真由美の健康状態にまで気持ちが回らなかったのだ。
咲は、今まで生きがいだった店の経営が煩わしくなった。化粧をするのもきれいな着物を着るのもむなしくなった。咲はこの商売もこれで終わりだと思った。
店を売って老人ホームに入ろう。化粧なんかやめて、同年代の人と世間話をしながら暮らそう。大事な孫を人手に渡さなければならないようにな暮らしに嫌気がさした。その原因を作った息子には何にも残さななくてもいい。
咲は、老人ホームのパンフレットを集めた。大阪もいいと思っていた。あの誠実そうな聡一の近くに居れば、ひょっとしたら純一の消息を教えてくれるかもしれない。そんな未練がましい気持ちを持っていた。軽井沢は嫌だ。寒いところはかなわない。
榊島なら温かそうだし、いいかもしれない。このペアブロッサムっていうのは、ずいぶんおしゃれな建物だけど、ちょっとお高い。まあ、何にも残さなくっていいんだから贅沢に暮らそう。咲はそんなことを考えていた。
真一と梨花のストーリーに続く
咲は聡一から「純一は田原の親戚に特別養子として迎えられる」という話を聞いた。今後は純一の戸籍から田原聡一の名前も風羽田香織の名前も消える。一切の縁が切れてしまうと教えられた。純一は、もう二度と真由美や咲の前に現れることは無いらしい。
咲にも聡一にも辛いことだが純一はごく普通の子供として幸福に暮らせるという話だった。やっぱり田原の人間はすることがきっちりしている。咲は、長年水商売で鍛えた真由美の目は確かなものだと感心した。
それから1年ぐらいして聡一から「純一はずいぶん可愛がられて、にこにこ笑う明るい子供になった。」と聞いた。また暗に「お前の家では笑わなかった。」と責められているような気がした。
この稼業にコンプレックスを持ったことは無かった。でも息子の健を見ると、つくづく自分の家では男はまともに育たないと思った。
真由美は純一が特別養子になった3カ月後にはガンで亡くなった。もう早くから相当辛かったはずだと医者に言われた。ゴタゴタしていて真由美の健康状態にまで気持ちが回らなかったのだ。
咲は、今まで生きがいだった店の経営が煩わしくなった。化粧をするのもきれいな着物を着るのもむなしくなった。咲はこの商売もこれで終わりだと思った。
店を売って老人ホームに入ろう。化粧なんかやめて、同年代の人と世間話をしながら暮らそう。大事な孫を人手に渡さなければならないようにな暮らしに嫌気がさした。その原因を作った息子には何にも残さななくてもいい。
咲は、老人ホームのパンフレットを集めた。大阪もいいと思っていた。あの誠実そうな聡一の近くに居れば、ひょっとしたら純一の消息を教えてくれるかもしれない。そんな未練がましい気持ちを持っていた。軽井沢は嫌だ。寒いところはかなわない。
榊島なら温かそうだし、いいかもしれない。このペアブロッサムっていうのは、ずいぶんおしゃれな建物だけど、ちょっとお高い。まあ、何にも残さなくっていいんだから贅沢に暮らそう。咲はそんなことを考えていた。
真一と梨花のストーリーに続く
2019年03月10日
家族の木 Extra edition 夜職の家
養子
咲は聡一の家の事情を知っていた。もし、聡一が純一を引き取ってくれても、聡一の妻が純一を愛してくれるはずもなかった。当たり前だった。結婚する前に別れた女が夫の子供を勝手に生んだのだ。妻が寛容でいられるはずはないのだ。現に聡一は純一を認知していない。可愛がってくれるが家庭を壊す気はないのだ。
咲は最近体調が悪い。純一を引き取っても面倒を見ていく自信がなかった。純一の曾祖母に当たる真由美も、もう80歳を前にしている。いくら何でも、その母を抱えて純一を引き取るには無理があった。
咲の頼みは長男の健だった。健は公務員だし経済的に安定している。50を過ぎた自分が引き取るよりは安心できる。とにかく高校を卒業するまでみてくれればいい。そのあとは、金さえあれば何とかなる。聡一だって知らんぷりはするまいと思った。
健に預けるには、ある程度養育費が必要だ。それがなければ健の妻も納得はするまいとわかっていた。健の妻は悪い人間ではない。しかし、水商売を軽蔑していた。そういうことを咲はよくわかっていた。
聡一にも、そういう事情を説明して少し過分の養育費を用意してもらうように説得した。聡一は純一が自分の知らないところへ引き取られるのを辛そうにした。それでも結局月々の養育費は一般的な金額よりずいぶん高いものになった。これなら、純一を引き取ることで健の生活が楽になる。
聡一は、一括ではなくて毎月の支払いにしたいといった。気に入らなければいつでも止めるということだ。この方が純一のためになる。金を払って預けっぱなしではないのだ。咲はよく考えたものだと感心した。
純一を健夫婦の養子にして2カ月たった。咲はなんとなく、聡一が健夫婦を疑っている気配を感じていた。確かに、純一は託児所に預けっぱなしになっている。自分だけが、純一のことにやきもきしていると思った。
聡一は、最初のうちは健の嫁ににこやかに接していた。ところが、このごろは笑っているのに目が怒っていた。来る頻度が多い。そしてついに、純一の養子縁組を解消したいといってきた。
自分の親族が引き取りたいといってくれている。確かな人物なので信用してほしいといわれた。咲は暗に「お前の息子は信用できない。」といわれたような気がした。
聡一が、純一を引き取りたいと切り出した日の夕方には、純一は託児所から直接新しい養い親の元に引き取られた。不憫な孫、亡き娘の忘れ形見はたった半日でよそへ行ってしまった。
家に帰って真由美にこのことを話した。真由美は事の顛末をよく承知していた。真由美は自分の孫息子である健が妻に逆らえないことを知っていた。純一は朝早くから夜遅くまで託児所に預けっぱなしになっていた。夜も最低限の世話しかされていなかった。虐待とはいかないが、まともに育つような気がしなかった。
「受取るものは受け取っているのに、するべきことはしない。夜の女を軽蔑している癖に自分たちのすることはなっちゃいないじゃないか。」と真由美は憤っていた。真由美は自分の孫よりも聡一の方がちゃんとした男だということが分かっていた。真由美が聡一に「純一が不憫だ、何とかしてほしい」と訴えたのだ。
咲は泣いても泣き切れなかったが心の片隅でほっとした。自分がやきもきしなくても純一は幸福になる。聡一の親族は、自分の息子の健よりもちゃんとした人間に違いないと思った。聡一を見ていればそれが分かった。
続く
咲は聡一の家の事情を知っていた。もし、聡一が純一を引き取ってくれても、聡一の妻が純一を愛してくれるはずもなかった。当たり前だった。結婚する前に別れた女が夫の子供を勝手に生んだのだ。妻が寛容でいられるはずはないのだ。現に聡一は純一を認知していない。可愛がってくれるが家庭を壊す気はないのだ。
咲は最近体調が悪い。純一を引き取っても面倒を見ていく自信がなかった。純一の曾祖母に当たる真由美も、もう80歳を前にしている。いくら何でも、その母を抱えて純一を引き取るには無理があった。
咲の頼みは長男の健だった。健は公務員だし経済的に安定している。50を過ぎた自分が引き取るよりは安心できる。とにかく高校を卒業するまでみてくれればいい。そのあとは、金さえあれば何とかなる。聡一だって知らんぷりはするまいと思った。
健に預けるには、ある程度養育費が必要だ。それがなければ健の妻も納得はするまいとわかっていた。健の妻は悪い人間ではない。しかし、水商売を軽蔑していた。そういうことを咲はよくわかっていた。
聡一にも、そういう事情を説明して少し過分の養育費を用意してもらうように説得した。聡一は純一が自分の知らないところへ引き取られるのを辛そうにした。それでも結局月々の養育費は一般的な金額よりずいぶん高いものになった。これなら、純一を引き取ることで健の生活が楽になる。
聡一は、一括ではなくて毎月の支払いにしたいといった。気に入らなければいつでも止めるということだ。この方が純一のためになる。金を払って預けっぱなしではないのだ。咲はよく考えたものだと感心した。
純一を健夫婦の養子にして2カ月たった。咲はなんとなく、聡一が健夫婦を疑っている気配を感じていた。確かに、純一は託児所に預けっぱなしになっている。自分だけが、純一のことにやきもきしていると思った。
聡一は、最初のうちは健の嫁ににこやかに接していた。ところが、このごろは笑っているのに目が怒っていた。来る頻度が多い。そしてついに、純一の養子縁組を解消したいといってきた。
自分の親族が引き取りたいといってくれている。確かな人物なので信用してほしいといわれた。咲は暗に「お前の息子は信用できない。」といわれたような気がした。
聡一が、純一を引き取りたいと切り出した日の夕方には、純一は託児所から直接新しい養い親の元に引き取られた。不憫な孫、亡き娘の忘れ形見はたった半日でよそへ行ってしまった。
家に帰って真由美にこのことを話した。真由美は事の顛末をよく承知していた。真由美は自分の孫息子である健が妻に逆らえないことを知っていた。純一は朝早くから夜遅くまで託児所に預けっぱなしになっていた。夜も最低限の世話しかされていなかった。虐待とはいかないが、まともに育つような気がしなかった。
「受取るものは受け取っているのに、するべきことはしない。夜の女を軽蔑している癖に自分たちのすることはなっちゃいないじゃないか。」と真由美は憤っていた。真由美は自分の孫よりも聡一の方がちゃんとした男だということが分かっていた。真由美が聡一に「純一が不憫だ、何とかしてほしい」と訴えたのだ。
咲は泣いても泣き切れなかったが心の片隅でほっとした。自分がやきもきしなくても純一は幸福になる。聡一の親族は、自分の息子の健よりもちゃんとした人間に違いないと思った。聡一を見ていればそれが分かった。
続く
2019年03月09日
家族の木 Extra edition 夜職の家
交通事故
咲が美容院へ出かけようとした時に真由美から電話があった。大阪の香織がトラックに轢かれて重体だという。純一を置いたまま自転車でドラッグストアーに出かけた所をはねられたのだ。
子供を家に残したままだったので慌てていたらしい。軽装に小銭入れ一つで出かけていた。トラックに一度接触して、その後に轢かれた。警察が香織がもっていた携帯電話から連絡してきたのだった。乳児を預かっているということだった。
聡一が病院へ駆けつけてきたときには香織は広い処置室に寝かされていた。意識不明だった。咲は純一を抱いていた。純一は朝から香織の姿が見えないのでぐずっていた。今はミルクを飲んで少しマシになったが、ついさっきまで大泣きしていた。咲はこれからどうなるのだろうと思うと目の前が真っ暗になった。
看護師も医師も顔が緊張で張りつめていた。涙ぐんでいる看護師もいた。そして突然ざわざわとしたかと思うと家族が呼ばれた。聡一が香織の手に純一の手をのせてその上から自分の両掌で二人の手を包んだ。香織は何か言おうとして口を動かしかけたまま亡くなった。
咲も真由美も聡一も大声を上げて泣いた。純一は周囲の異常な雰囲気に気づいたのか火が付いたように泣きだした。
香織の葬儀は大阪で行われたが簡素なものだった。咲も真由美も東京に住んでいたので、大阪では行き届かないことも多かった。そもそも弔問客があまりにも少なかった。香織は純一を生んでからは、以前の勤務先の友人たちとも交友を絶っていた。純一は文字通りの隠し子だった。
続く
咲が美容院へ出かけようとした時に真由美から電話があった。大阪の香織がトラックに轢かれて重体だという。純一を置いたまま自転車でドラッグストアーに出かけた所をはねられたのだ。
子供を家に残したままだったので慌てていたらしい。軽装に小銭入れ一つで出かけていた。トラックに一度接触して、その後に轢かれた。警察が香織がもっていた携帯電話から連絡してきたのだった。乳児を預かっているということだった。
聡一が病院へ駆けつけてきたときには香織は広い処置室に寝かされていた。意識不明だった。咲は純一を抱いていた。純一は朝から香織の姿が見えないのでぐずっていた。今はミルクを飲んで少しマシになったが、ついさっきまで大泣きしていた。咲はこれからどうなるのだろうと思うと目の前が真っ暗になった。
看護師も医師も顔が緊張で張りつめていた。涙ぐんでいる看護師もいた。そして突然ざわざわとしたかと思うと家族が呼ばれた。聡一が香織の手に純一の手をのせてその上から自分の両掌で二人の手を包んだ。香織は何か言おうとして口を動かしかけたまま亡くなった。
咲も真由美も聡一も大声を上げて泣いた。純一は周囲の異常な雰囲気に気づいたのか火が付いたように泣きだした。
香織の葬儀は大阪で行われたが簡素なものだった。咲も真由美も東京に住んでいたので、大阪では行き届かないことも多かった。そもそも弔問客があまりにも少なかった。香織は純一を生んでからは、以前の勤務先の友人たちとも交友を絶っていた。純一は文字通りの隠し子だった。
続く
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2019年03月08日
家族の木 Extra edition 夜職の家
妾宅
そんな日、聡一から香織に電話が入った。聡一の声が震えていた。「久しぶりやな。お母さんから連絡もらった。子供出来たって?」といわれたので、「ええ、でも安心して。貴方にそっくりな子なの。この子といると幸福なの。それで充分よ。」と返した。
「暮らしはどうや?」「大丈夫、実家の援助があるし実家の商売を継げば、子供一人余裕で育つのよ。」と話す間にも、聡一が何の連絡もなく出産してしまった香織に当惑しているのが分かった。それでも、もともと育ちのいい聡一は、とにかく養育費を払うと言ってくれた。
聡一の妻、美奈子も妊娠中だった。結婚当初から神経質な性格はますますひどくなった。医師からはマタニティーブルーだといわれた。親と同居するのを嫌がったので、一等地の高級マンションに住んだ。すると近所付き合いがなくて寂しいといった。何やかやといちゃもんをつけた。聡一は、美奈子が嫌々結婚したのだと気づいていた。
美奈子の実家では、昨年当主を亡くして家の中が一気に寂しくなっていた。美奈子の不調は家が急激に力をなくしているせいかもしれないと思った。いずれにしても美奈子は香織の妊娠を受け止められるような状態ではなかった。
聡一が香織の家に来た。養育費の打ち合わせをするためだった。最初は、まとまった養育費をはらって解決する話だった。香織もそれで納得した。もともと、聡一には知らせずに一人で育てるつもりで生んだ子供だ。それでも、聡一を安心させるためには金を受け取った方がいいのだろうと判断した。聡一の誠実さに甘えたい気も起きていた。
聡一は自分の赤ん坊の時と似ているといって泣いた。いつの間にか毎月養育費を受取る話に決まっていた。大学か大学院を出るまでは責任を持つともいってくれた。香織は遠慮したが、香織の母の咲は「ありがとうございます。」と丁寧に礼を言った。
始めのうちは聡一は、月に一度現金を持って純一に会いに来た。そのうち養育費は銀行振り込みにして、月に何度か通ってくるようになっていた。そうなると養育費以外のものも受取るようになっていた。香織はいつの間にか妾の立場になっていたが、それでも幸福だった。
やがて田原美奈子も出産した。美奈子は産後も気分が安定せず、聡一は家庭の疲れを香織の家で癒す形になった。
咲は香織が金持ちの息子の子供を産んだことに大いに満足していた。咲は香織の携帯電話から聡一の電話番号を見つけた。そして香織には無断で聡一に連絡したのだ。香織は最初はひどく怒った。それも、今となっては、咲と香織、香織と聡一の間で笑い話になった。
続く
そんな日、聡一から香織に電話が入った。聡一の声が震えていた。「久しぶりやな。お母さんから連絡もらった。子供出来たって?」といわれたので、「ええ、でも安心して。貴方にそっくりな子なの。この子といると幸福なの。それで充分よ。」と返した。
「暮らしはどうや?」「大丈夫、実家の援助があるし実家の商売を継げば、子供一人余裕で育つのよ。」と話す間にも、聡一が何の連絡もなく出産してしまった香織に当惑しているのが分かった。それでも、もともと育ちのいい聡一は、とにかく養育費を払うと言ってくれた。
聡一の妻、美奈子も妊娠中だった。結婚当初から神経質な性格はますますひどくなった。医師からはマタニティーブルーだといわれた。親と同居するのを嫌がったので、一等地の高級マンションに住んだ。すると近所付き合いがなくて寂しいといった。何やかやといちゃもんをつけた。聡一は、美奈子が嫌々結婚したのだと気づいていた。
美奈子の実家では、昨年当主を亡くして家の中が一気に寂しくなっていた。美奈子の不調は家が急激に力をなくしているせいかもしれないと思った。いずれにしても美奈子は香織の妊娠を受け止められるような状態ではなかった。
聡一が香織の家に来た。養育費の打ち合わせをするためだった。最初は、まとまった養育費をはらって解決する話だった。香織もそれで納得した。もともと、聡一には知らせずに一人で育てるつもりで生んだ子供だ。それでも、聡一を安心させるためには金を受け取った方がいいのだろうと判断した。聡一の誠実さに甘えたい気も起きていた。
聡一は自分の赤ん坊の時と似ているといって泣いた。いつの間にか毎月養育費を受取る話に決まっていた。大学か大学院を出るまでは責任を持つともいってくれた。香織は遠慮したが、香織の母の咲は「ありがとうございます。」と丁寧に礼を言った。
始めのうちは聡一は、月に一度現金を持って純一に会いに来た。そのうち養育費は銀行振り込みにして、月に何度か通ってくるようになっていた。そうなると養育費以外のものも受取るようになっていた。香織はいつの間にか妾の立場になっていたが、それでも幸福だった。
やがて田原美奈子も出産した。美奈子は産後も気分が安定せず、聡一は家庭の疲れを香織の家で癒す形になった。
咲は香織が金持ちの息子の子供を産んだことに大いに満足していた。咲は香織の携帯電話から聡一の電話番号を見つけた。そして香織には無断で聡一に連絡したのだ。香織は最初はひどく怒った。それも、今となっては、咲と香織、香織と聡一の間で笑い話になった。
続く
2019年03月07日
家族の木 Extra edition 夜職の家
妊娠と出産
香織は聡一と別れてから会社を辞めた。東京へ帰る準備をしているときに体の変調に気付いた。妊娠3カ月を過ぎていた。父の山下が亡くなってから気分が落ち着かなかった。変調はそのせいだと思っていたが、本当の原因は妊娠だった。妊娠の影響で情緒が不安定になっていたのだ。
香織の家では避妊のことはしっかり教えられた。子供は生むつもりで生むもの、できちゃったでは済まないと咲にしっかり教えられていた。それなのに、こんなことで失敗するなんて、また咲に怒られてしまうと思った。
香織は咲には知られないように病院へ行こうと思った。何度も、病院へ行こうとしたが決心がつかなかった。産んではいけないのだろうか?何度も自問自答して結局は産みたい気持ちに逆らえなかった。
聡一に、知らせてはいけない。新婚の夫には酷な話だし、絶対産むなといわれるのは眼に見えていた。香織はこのまま、しばらく大阪で暮らすことにした。
咲が香織の妊娠に感づいたときにはもう中絶できない時期に入っていた。香織の作戦は成功した。咲に父親は誰かとしつこく聞かれたが教えなかった。
言えば、当たり前のように金の話になるだろう。でも、相手は新婚だ。いくら金持ちの息子でも、そんなに右から左に金が出るものでもないだろう。聡一にそんな苦労をさせるわけにはいかないと思った。香織は、それこそ店の経営を頑張れば子供一人ぐらい育てられると思っていた。
香織は結局大阪で出産した。ちょっと大きめの男の子で純一と名付けた。聡一の一をもらった。これなら他人に憶測されることもなかった。咲は最初は不機嫌だったが、そのうちに孫可愛さに香織を援助するようになっていた。最近は月に2,3回は来阪していろいろなものを買い揃えて帰っていった。
続く
香織は聡一と別れてから会社を辞めた。東京へ帰る準備をしているときに体の変調に気付いた。妊娠3カ月を過ぎていた。父の山下が亡くなってから気分が落ち着かなかった。変調はそのせいだと思っていたが、本当の原因は妊娠だった。妊娠の影響で情緒が不安定になっていたのだ。
香織の家では避妊のことはしっかり教えられた。子供は生むつもりで生むもの、できちゃったでは済まないと咲にしっかり教えられていた。それなのに、こんなことで失敗するなんて、また咲に怒られてしまうと思った。
香織は咲には知られないように病院へ行こうと思った。何度も、病院へ行こうとしたが決心がつかなかった。産んではいけないのだろうか?何度も自問自答して結局は産みたい気持ちに逆らえなかった。
聡一に、知らせてはいけない。新婚の夫には酷な話だし、絶対産むなといわれるのは眼に見えていた。香織はこのまま、しばらく大阪で暮らすことにした。
咲が香織の妊娠に感づいたときにはもう中絶できない時期に入っていた。香織の作戦は成功した。咲に父親は誰かとしつこく聞かれたが教えなかった。
言えば、当たり前のように金の話になるだろう。でも、相手は新婚だ。いくら金持ちの息子でも、そんなに右から左に金が出るものでもないだろう。聡一にそんな苦労をさせるわけにはいかないと思った。香織は、それこそ店の経営を頑張れば子供一人ぐらい育てられると思っていた。
香織は結局大阪で出産した。ちょっと大きめの男の子で純一と名付けた。聡一の一をもらった。これなら他人に憶測されることもなかった。咲は最初は不機嫌だったが、そのうちに孫可愛さに香織を援助するようになっていた。最近は月に2,3回は来阪していろいろなものを買い揃えて帰っていった。
続く
2019年03月06日
家族の木 Extra edition 夜職の家
恋の終わり
決定的な日は突然やってきた。聡一は香織の声が聞きたくなって夜中に電話をした。この時間ならベッドの中なのだからつながらないはずはないのだ。それなのにやっぱり出ない。返信もない。つい、イライラして何度もかけてしまった。
何度かかけてやっと香織が出た。めんどくさそうな声だった。「用事?急ぐんだったら折り返すけど。いったん切りたいの。」といわれた。直感的にそばに誰かいると思った。「いや、急いでない。折り返す必要ないよ。」と言って電話を切った。それっきりだった。
香織の部屋には咲が来ていた。不動産会社を辞めて東京へ戻るように説得している最中だった。山下亡き後、香織を大阪に置いておくのは咲には不安なことだった。それに、そろそろ店を手伝ってほしかった。
咲から見れば事務員なんて遊びのようなものだった。咲にとっては、働くこととは店を経営することだった。咲は香りも自分と同じように水商売の世界で成功させてやりたかった。いいパトロンを持って店を繁盛させれば経済的にも安定する。咲にとっての成功は結婚なんかではなかった。
翌週の週末には聡一は香織に別れ話をしていた。今度見合いをして、その相手と結婚すると話したのだ。香織は、特にすがりも泣きもしなかった。香織には聡一と結婚できないことは分かっていた。咲に言われた通り、東京へ帰って店に出ようと思った。
決心がついた途端に気分が落ち着いた。香織は、結局のところ自分は今まで無理をしていたのだと悟った。聡一のことは今でも好きだ。もし今度会える時が来たら、もっと大人の付き合いをしたいと思っていた。
続く
決定的な日は突然やってきた。聡一は香織の声が聞きたくなって夜中に電話をした。この時間ならベッドの中なのだからつながらないはずはないのだ。それなのにやっぱり出ない。返信もない。つい、イライラして何度もかけてしまった。
何度かかけてやっと香織が出た。めんどくさそうな声だった。「用事?急ぐんだったら折り返すけど。いったん切りたいの。」といわれた。直感的にそばに誰かいると思った。「いや、急いでない。折り返す必要ないよ。」と言って電話を切った。それっきりだった。
香織の部屋には咲が来ていた。不動産会社を辞めて東京へ戻るように説得している最中だった。山下亡き後、香織を大阪に置いておくのは咲には不安なことだった。それに、そろそろ店を手伝ってほしかった。
咲から見れば事務員なんて遊びのようなものだった。咲にとっては、働くこととは店を経営することだった。咲は香りも自分と同じように水商売の世界で成功させてやりたかった。いいパトロンを持って店を繁盛させれば経済的にも安定する。咲にとっての成功は結婚なんかではなかった。
翌週の週末には聡一は香織に別れ話をしていた。今度見合いをして、その相手と結婚すると話したのだ。香織は、特にすがりも泣きもしなかった。香織には聡一と結婚できないことは分かっていた。咲に言われた通り、東京へ帰って店に出ようと思った。
決心がついた途端に気分が落ち着いた。香織は、結局のところ自分は今まで無理をしていたのだと悟った。聡一のことは今でも好きだ。もし今度会える時が来たら、もっと大人の付き合いをしたいと思っていた。
続く