静岡の四季 0
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年末年始だけの長い休み毎年山で過ごしていたお正月、せっかくの長い休み、旅にでるのもいいかなと2年前から各駅停車の旅にでることにしました初めての旅は北海道、去年は四国、今回は中国地方から山陰へなんでそんな各駅停車なんかに乗るの、新幹線や特急があるじゃないと同僚に言われましたあっちこっち動くより、ひとつのところでのんびりしないと疲れるだけじゃない・・確かに疲れます、でも価値観の違いだと思います各駅ごとに止まり、特急列車や対向列車とのすれ違いや乗り換えに、10分、20分、40分・・と待たされながらもゆっくりと移りゆく景色をみながら知らない町へ、こんな楽しみ方もあるのではないかと・・・今見ることはありませんが、昭和45年に始まった旅番組「遠くへ行きたい」が大好きでした。北海道の時は、時刻表片手の「鉄男さん」がたくさんいて、たまに「鉄子さん」も見かけたりして、乗換駅になるとホームを走り、階段を駆け上がって次の列車に飛び乗る光景を目にして、一緒になって走ったりしました。四国の時、今回とあまり見かけることはありませんでしたが、時に時刻表と青春18切符を持った若者を見かけることはありましたがさすがに「鉄子さん」をみかけることはありませんでした、にわか、鉄子婆さんのhimekyonは、時刻表を持ち歩いても、携帯で時刻を確認することのほうが慣れていて、携帯に頼ることのほうが多く、鉄子さんにはなれないな・・26日23時10分に東京駅を発車した列車旅、大垣(待ち時間5分)~米原(待ち時間5分)とバタバタと乗り継いで翌27時午前9時24分姫路駅に着きました。姫路といえば姫路城、一度は見たいと思っていたけど、平成の大修理で平成27年までは見ることができないとのこと、下車するかどうか迷ったけれど、修理中の外観だけでもいいかなと・・・駅前の観光案内所に行き、岡山に泊まる旨を伝え、夕方までの観光コースをピックアップ姫路城は修理中でも、エレベーターで上まで昇り修理の様子を見ることができること、好古園の庭園は一見の価値ありと、駅からバス便で、ロープウェーがある西国27番札所の書写山圓教寺もお薦めとのことで、岡山の後楽園にも連絡をとって、閉園時間まで調べてくれました縦割りで横のつながりがないお役所的な観光センターでは、珍しく親切なスタッフさんでしたさっそく行ってみよう~姫路といえば、姫路城しか知らないhimekyonはロープウェーがあることに驚きバス往復とロープウェー往復がセットになった切符を買ってバスに乗り、書写山を目指します姫路市内から20分ほど走り、山陽道の高速道路の橋脚ををくぐるとロープウェー乗り場に到着です山全体が境内になっている、書写山圓教寺「志納所」で拝観料500円を払うと、志納金1000円なりで、バスに乗れるという・・・いえいえ歩きます普通に山道です、今回は観光だし、山歩きはないと思ったので、トレッキングシューズは履いてこなかったけど(それほどでもないけれど)書写山ロープウェー今回山歩きはないと思っていたけど・・・仁王門 弁慶のお手玉石この大きな石をお手玉にしたという弁慶弁慶が修行したと言われる圓教寺に残る伝説摩尼殿(如意輪堂)京都清水寺の造りと同じ舞台造り山奥にこんなに立派な建物があるとは驚きでした本多家の廟所姫路城城主本多家の墓千姫の二度目の夫 本多忠刻、3歳で逝った子の墓も三之堂と言われコの字型に3棟が建っています正面が食堂(じきどう)、右が大講堂、左が常行堂大きすぎて全部入れて撮れませんトム・クルーズの「ラストサムライ」のロケ地になったところだとか大講堂大講堂食堂の中修行僧が寝食のための建物今は展示館と写経場となっています写真撮影はOKでした食堂の裏手続く
2013/01/05
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恒例になってきた年末年始の旅12月の半ばになって、今年の休みは27日からと発表があり、ちょっと長すぎだけどどうしようか、具体的な計画が立たず・・・とりあえずは、切符の手配をしなければ・・・すでに27日以降の夜行の指定席は満席26日の切符も残りわずかとのことで、往復の指定席を抑えることができました・・いつも書いているように、細かい計画を立てるのが苦手な、大雑把O型のhimekyon去年は、計画を立てるのが遅くて、指定席を買うことができず、ギリギリ残っていた高松行の夜行バスが取れて、四国を回りました。各駅停車では1周はできず、部分的に特急列車を利用したり、都市間の移動も高速バスを2度利用しても、半周しかできなかった四国、今回は続きを回ろうかと思ったけど考えがまとまらず・・・どんどん日にちが過ぎていき、宿の手配もしなければ、毎年利用している健保組合の補助金が、だんだん少なくなっていき、18000円、15000円、今回は5000円、来期はなしだとか・・・せっかくの補助金使わなければもったいないので、まずは岡山駅前のビジネスホテルを確保、岡山ならば、四国、中国、山陰どこへでも行けそう一人旅の場合、温泉宿を取ることはまず難しい、今回も7日間、1日ぐらい温泉に泊まりたいと思ったけどかなわず・・・考えがまとまらないうちに出発前日の深夜になってしまい、とにかく泊まれる宿を確保しようと、ネット検索して大まかに決定1日ぐらいは贅沢をしてみたい、温泉宿がダメだったら、かにが食べられる民宿はどうか、なんとかネットでヒットしました。こんな具合で、大雑把!!さてさて、26日午後で仕事が終わり、同僚とふたりで食事をして、一旦家に戻りネットで出発時間を検索して、早めに家を出たのはいいけれど・・・「青春18切符」始発から最終までの各駅停車が1日乗り放題で2300円だけど、今回の日付変更通過地点駅は小田原駅、1890円区間なので、改札窓口でゴチャゴチャと説明されているうちに、列車が一本行ってしまい、東京駅に着いたのは23時1分、「ムーンライトながら」は23時10分発、ホームを走って走って、ギリギリセーフ!なんとか旅のスタートを切ることができました10両連結の列車は満席、前夜ほとんど寝ていなかったので、エア枕とアイマスクで熟睡できたようで、目が覚めたら、終点大垣駅の手前でした、列車は一晩中あかりがついたまま、アイマスクは必携です乗り換えて、まずは姫路を目指します車窓から7時過ぎ、ようやく明るくなってきました車窓から7時20分太陽が上がってきました車窓から7時21分四国への玄関口のひとつ、明石海峡大橋?が見えてきました続く
2013/01/05
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まもなく旅の終わり、夜行の列車「ムーンライトながら」の終着駅、東京駅に到着です。のんびり旅とはいかず、駆け足だったけどなんとか無事に7日間の旅が終われそうです、昨日は、天橋立駅の観光センターで、時間いっぱいのコースを教えていただきクリア車があれば、らくらくですが…レンタカーという選択もありだけど5年も乗ってない!
2013/01/03
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早いもので7日間の旅もあっという間、今日1日で終わりです昨日は、予報に反しておだやかな新年を迎えました。倉吉の白壁の街を見学後、鳥取に戻って鳥取砂丘へ今回のメインイベント夜は、城崎温泉の隣駅竹野の民宿で蟹三昧情けない!大食いのはずが、蟹鍋の手前でギブアップあぁ、もったいない!蟹は一人で食べるよりも…(:_;)
2013/01/02
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。今年は鳥取で新年を迎えました。空には雲の間から月が見えかくれ、雪はありません残念ながら、今年の初日の出の名所には交通の便がなく行くことができません
2013/01/01
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朝から雨の倉敷、美観地区を巡り、次の目的地へ移動のはずが…ホテルへ戻り靴を脱ぐと、靴下までびっしょり応急処置をして松江に直行することに夕方からでは観光も無理かと観光センターに立ち寄ると1時間で市内一回りするバスがあるとのことで、ギリギリ飛び乗って以前一人参加のツアーで来たのも確か12月30日だったような今回は通過点の宿泊だから観光はいいかなと思っていただけに、1時間とはいえ、廻れただけラッキー!しかし、いいことばかりは続かない、ビニール袋からしみだしてまたもや靴下がびっしょり、雪道対応の靴、撥水効果はあるものの小豆島に続く雨で限界を超えてしまってたこのままでは後半の旅が維持できない、駅前のデパートでなんとか調達することができたけど…痛い出費なり…今朝の松江は雪がチラチラ日本海側のお正月は、天気が悪そう、初日の出は期待できません最後になりましたが今年一年、おいでいただき、ありがとうございました。また来年もよろしくお願い申し上げます。よいお年をお迎えくださいませ
2012/12/31
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20年近く前の夏、今は亡き友とツアーで歩いた錦帯橋を訪れてみました西の夜明けは遅いです7時ようやく明るくなって錦帯橋が浮かび上がってきました。朝は渡橋料は無料で渡れました午後からは宮島へ、この地も友と訪れたところです今回はロープウェイに乗り、山頂駅から30分のミニ登山弥山の山頂を踏みました。西の高尾山?かと思えるほどの人、人、人…標高は低いけど高尾山よりきついかな…船に戻る頃、引き潮で大鳥居まで歩けるようになり、もう一度大鳥居へ夕べは倉敷泊夜間照明ぎりぎりの時間、今回は三脚を持参していないので、撮れなかったけど、雰囲気だけは味わえました。今朝は雨、やっぱり晴れがいい……
2012/12/30
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今年の年末年始、西の天気は悪そうです。今年一年ほぼ晴れ女だったはずなのに…昨日は一日雨、去年の暮れ行きそびれた、小豆島へ思ったよりも広い島、車がないと身動きが取れません。バス便も少なく日帰りでは難しい、今回は下見ということで…夜は本州に戻り、名物を食べました
2012/12/29
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26日23時10分発「ムーンライトながら」に乗り西へ西へと大雑把なO型人間、綿密な計画ができません、前日の夜にネットでホテルの予約、なんとかおおまかな道筋をたどり着いたのは、姫路観光センターのお勧めコースの観光後岡山へ
2012/12/28
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2月も今日で終わり、外は雪になっています。2ヶ月続いた四国の旅日記も今日が最終回です12月28日~1月2日初めて上陸した四国を6日間かけて一周した旅ドキドキ、ハラハラ、バタバタの6日間、各駅停車では歯がたたなかったけど、四国の方たちの暖かい心に触れて、楽しい思い出の6日間になりました。 こんぴら参り-道後温泉-松山城-子規堂-高知市内-坂本龍馬生誕地-高知城-中村-足摺岬-四万十川-龍河洞-桂浜-眉山-鳴門-脇町-香川-栗林公園-玉藻公園玉藻公園を後にして高松駅へ、岡山行の快速列車の指定席券を購入しようとしたら満席お昼も食べていない、お土産も買ってない、指定席を買えば発車時間まで買物ができると考えていたのが甘かった。指定席が取れなければ並ぶより仕方がないってことで、お土産を買う余裕なし、おにぎりを買ってホームへ、って並んでる人はいなかった、そんなに慌てることなかったじゃない。でも席は確保できて一安心。あとは、21時49分岐阜・大垣からの「ムーンライトながら」へ乗車のための6時間、列車を乗り継ぐだけ。15:40高松発 発車前、女性乗務員に海が見えるのはどちらですかと尋ねると左側です左側の席を取ったけど、そうかなぁ??讃岐富士に別れをつげ岡山へ瀬戸大橋この橋を撮りたかったのだでも撮れたのはこれだけ・・・16:32岡山着16:44岡山発姫路行高松駅でおにぎりは買ったけど、岡山駅でおみやげが買えるかと思ったら、駅構内は大混雑、圧倒されてお土産も買えずじまい、ホームも超満員なんとか席は確保できたけど18:10姫路着18:12姫路発野洲行乗り換え時間なし、向かいの列車に飛び乗ったら超満員、大阪を過ぎてようやく乗客が少なくなって、そろそろお腹も空いてきた、いままでいつもザックには1食分のパンとお菓子は入れていたのに、徳島のコンビニで買ったのが最後、食べつくして最後の最後に何もなくなってしまった、21:15野洲着20:16野洲発大垣行21:24大垣着こんなに乗り換え時間が短いとは、だんだんひもじくなってきた~どうしよう、このままでは夜ごはんにありつけずに東京まで帰る羽目になっちゃうのか米原駅なら新幹線駅だから、お弁当が買えるかもしれない。幸いにも10分ほどの停車時間があり、もし乗れなくても、次の列車でも間に合うしと、急いでホームの階段を駆け上がったけど、お店らしきところはなし、駅員さんに聞くとお弁当は売切れで、新幹線以外に利用する人がいないからお店はありませんよって、もう最悪!駅員さんから、大垣ならここより都会だから買い物も食事もできると思いますよと聞き、ほっとして列車に戻り、大垣駅に着くなり、走って改札口を出てコンビニ探し。階段を降りたところにコンビニがあったけど、すでに棚のおにぎり、お弁当、パンなどはなくなっていて、菓子パン1ヶ買えただけ・・お店はないかと探すと駅構内に「焼き鳥会席居酒屋」があり、この際、なんでもあり~で、ぎりぎりラストオーダーに間に合っておそばにありつけた。どうにかお腹を満たすことができた~22:47発車2分前、ムーンライトながらがホームに入線いよいよ旅も最後22:49十両編成すべて満席で、東京へ向けて発車今回は、歩いて歩いて走って走った旅だった、動き回って疲れていたせいか、どんな状態でもすぐに寝れちゃう。空気枕にアイマスク、スリッパに履き替えて爆睡!!なにやら騒がしく目を覚ますと、駅員さんが、通路をバタバタと走りながら、興奮気味に「ただいま列車に乗用車が衝突しました」と駆け抜けていく時計をみると午前1時を過ぎたばかり・・・えっ、こんな時間に夜行列車に車が?車内のアナウンスが「乗用車の撤去作業が続いています、もうしばらくお待ちください」3時間停車してやっと動き出す。東京駅午前5時5分到着予定の列車は、途中遅れを挽回して7時20分東京駅に到着高松駅からの16時間の列車旅に耐えることができました考えることはみんな同じ事故のあった先頭車両の前は一目みようと大勢集まっていた。事故車両寝ていたし後ろのほうの車両だったので、衝突の衝撃はわからなかったけど、かなりの衝撃だったよう。家に帰ってPC検索したら、静岡県磐田市の踏切で遮断機が降りて警報機がなっていたところに突っ込んできて、運転手が気がついて急ブレーキをかけたけど間に合わなかったとのこと、乗用車の運転手は死亡、自殺ではないかと・・正月3日の深夜、運転手に何が起こったのだろう・・・長かった旅も終わり家に帰りついて、6日分の洗濯をしてから孫のみみりんと約束の「怪物くん」の映画を最後まで居眠りせずに観られた、日ごろ一人暮らしでは食べないだろうからと、みみりんのおうちで、おなかいっぱいすき焼きをご馳走になって帰宅。即、爆睡!!4日から仕事はじめ我ながら頑張った年末年始でした。6日間携帯からの更新 12月28日高松から 12月29日松山から 12月30日高知から 12月31日中村から 1月 1日桂浜から 1月 2日徳島から四国一周の旅日記1日目 序章 香川・こんぴら詣で 香川・こんぴら詣で2 松山・道後温泉2日目 松山の朝日と坂の上の雲 松山城 松山・子規堂 高知へ 高知・坂本龍馬と高知城 高知・高知城ライトアップ3日目 高知・足摺岬 高知・足摺岬2 高知・足摺岬2 高知・足摺岬3 高知・四万十川 高知・四万十川4日目 高知・海霧と朝日 高知・龍河洞 高知・桂浜坂本龍馬と名残り花 高知・桂浜2011最後の落日 5日目 高知・桂浜2012初日の出 徳島・眉山 徳島・鳴門の渦潮 観潮船から 徳島・鳴門の渦潮 渦の道から 6日目 徳島・うだつの町並 脇町 徳島・うだつの町並 脇町 香川・栗林公園 香川・栗林公園 香川・玉藻公園 出あった花 出あった花 足摺岬 出あった花 足摺岬2 出あった生き物たち今回、6日間で2800枚余りの写真を撮りました。重い三脚持参したのに、ゆっくりと写真を撮る時間はなく、三脚を立てたのは、元旦の初日の出のみでした。決算往復交通費+路線バス 35000円宿泊費5日間 21500円タクシー 8700円 入場料他 8500円食事その他 10000円 計83700円 この旅が高かったか安かったか・・・一期一会の出会いが旅のつながり、お金では換えられない、素晴らしい出会いがたくさんありましたまた、来年、どこかの街へ旅ができたらいいな2ヶ月以上にわたって綴ってきた四国一周の旅にお付き合いいただきありがとうございました。完
2012/02/29
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ショックです、書いたものが消えてしまいました何度も途中で保存したはずなのにあとかたもなく消えました。最後の最後になってなんてこと原因はわかりませんが、下書きしたものを誤って削除してしまったということでしょうか。最後だからと力を入れて書いたのに・・・2度と同じことは書けませんが・・・12月28日~1月2日初めての四国一周の旅香川―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂―高知―高知市内―坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬―四万十川―龍河洞―桂浜―徳島―眉山―鳴門―脇町―香川―栗林公園 「栗林公園駅」から琴電に乗り、終点「高松築港駅」に降り立つと目の前が高松城跡「玉藻公園」いよいよ四国最後の見学地になりました時間があったら廻ってみたいと思っていたところです月見櫓海の出入りを監視する櫓参勤交代で、藩主が江戸から戻ってくるのを望みみたことから着見櫓(つきみやぐら)といわれているそうです三が日は無料公開でした高松城は玉藻城といわれていたので、玉藻公園として市民に親しまれています海水導入門日本三大水城のひとつで、内堀・外堀すべて海水が使われているのは高松城だけだったとか潮の干満を調整する水門鯉ならぬ鯛が泳いでいます天守閣跡発掘調査が行われていて復元への準備中とか水手御門参勤交代や舟遊びなどは、この門から船で海へ出て行ったところ唐破風葵のご紋が使われていますお家騒動で、四代続いた生駒氏から水戸光圀公の兄、松平頼重氏が入場して明治に廃城になるまで11代228年続いたという月見櫓からの瀬戸内海奥に見えるのは小豆島?高松駅方面櫓の中スタッフに写真撮影の可否を確認してから中に入りました階段が急です重い引き戸には木製のころがついていました月見櫓からの披雲閣披雲閣江戸時代2倍の広さがあり藩の政治、藩主の住居でしたが、明治になり老朽化によって取り壊され大正時代に再建されたもの大願成就ではなく、鯛願成就です大広間では、第1回 高松城新春「鯛願城就」書初め大会今年はじめて開かれたようです書いてみたかった~高松城下図屏風(たかまつじょうかずびょうぶ)の複製が展示されていました披露閣からの中庭時間がなくてお庭を廻ることはできませんでした披雲閣からの月見櫓中庭の手水鉢まだまだ、見ていないところがありましたが時間切れ45分ほど見学した玉藻公園をあとにして高松駅に向かいました。 6日間の四国一周の旅も終わりましたしかし、これからが最後の試練、高松駅から東京駅へ16時間の長い長い列車の移動が始まるのです
2012/02/26
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インフルエンザにかかって1週間、タミフルのおかげ?で熱は2日ほどでほぼ平熱に戻りました。(インフルが移るのは熱が下がって、2日~3日が多いようです)しかし、咳が止まらず、まるまる1週間休みました。昨日は暖かく、毛布、ベット敷マット、布団カバーを全部洗って、布団も干しました、ベットマットは大きすぎるので前後を逆にしたりして、風に当てました。部屋の掃除も済んで、気持ち新たに今日から仕事に復帰します。皆様から暖かいお見舞いコメントをいただきありがとうございました。お返事ができないままでごめんなさい。 12月28日~1月2日初めての四国一周の旅香川―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂―高知―高知市内―坂本龍馬生誕地――高知城―中村―足摺岬―四万十川―龍河洞―桂浜―徳島―眉山―鳴門―脇町―香川―栗林公園四国を大雑把に一周して戻ってきた高松初日に金比羅さんだけを見学して、高松を素通りして松山へやはり、栗林公園は外せないかなとなんとかたどり着きました栗林公園1紫雲山借景の南湖園内にある15橋のうち、弓なりの月のようで、一番美しい橋偃月橋(えんげつきょう)迎春橋掬月亭歴代藩主の茶室として使用された数奇屋造りの建物芙蓉峰富士山を形容する別名が芙蓉富士山に似た築山だから芙蓉峰とつけたとか芙蓉峰からの北湖晴れ着のお嬢さんにカメラを向けられてポーズを取っている?アオサギさんちょっと照れるなぁ~っていうわけないかハート型に剪定された「恋ツツジ」今、若者の人気スポットになっているそうです鶏林石島津公から贈られた鶏に似た石別の場所には同じく島津公からソテツが贈られて天然記念物になっているようです太い根が地を這っています歴史を感じますね時計を見ながら商工奨励館をパスして駅へバタバタの栗林公園をあとにしてJR穴吹駅の駅員さんから教えてもらったJRよりも本数の多い琴電に乗り終点「高松築港駅」へ いよいよ四国滞在の時間もわずかになりました
2012/02/25
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インフルエンザにかかって1週間、熱が下がり今日から出勤のつもりでいましたが・・咳がまだ残るので今日も休むことにしました。こんな機会もないのでしっかりと治したいと思ってます。・・ってやっぱり怠け者ですかね(苦笑)12月28日~1月2日四国一周の旅長々と続いている四国一周の旅、もう少しお付き合いください香川―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂―高知―高知市内―坂本龍馬生誕地――高知城―中村―足摺岬―四万十川―龍河洞―桂浜―徳島―眉山―鳴門―脇町―栗林公園飛来峰より南湖12月27日午後8時50分東京駅を夜行バスで出発して、翌28日午前9時30分に高松駅に到着して始まった四国の旅、香川~松山~高知~徳島と周り、1月2日徳島を後にして最終目的地高松へ再び戻ってきました。 穴吹駅から佐古駅まで戻り、乗り換えて高松へ徳島―高松の都市間を結んでいるJR高徳線が、なんと車両は1両始発徳島駅から1駅目の佐古駅ですが、すでに満員、2時間以上も立ちどおし?himekyonの大きなザックをみて気の毒と思ったのか、40代くらいの男性が、席を譲ってくれました。正直疲れていたのでホッとしました隣の席の同世代の女性から声を掛けれられて、女性が降りるまでの1時間余り、楽しくおしゃべりをしました。お正月にお遍路でもなく、大きなザックを背負っているおばさんは、やはり稀有に映るのでしょう。同じ歳なのにひとりでは何処へも出かけられないのよって・・・徳島の町の景色が遠ざかって行く中、遠くにアンテナがたくさん建っている山が「眉山」ですよと教えてくれました。写真を撮ろうとしたら、角度が変わってしまって撮れませんでした。普段何気なくみているので、つい教えるのが遅くなっちゃったわねって・・「板東駅」に着くとなんと大混雑の乗客のほとんどが下りて車内はガラガラ隣の女性の話では、四国お遍路の1番札所「霊山寺」があるそうで初詣の乗客だったようです屋島徳島と香川を結ぶ鉄道だから、海が見えるかと思ったら、意外と山の中を走っているようで香川に入ってから、ようやくところどころ海が見えるようになりましたおだやかな瀬戸内海の景色を眺めていると大きな島が見えてきました近くにいた高校生の男の子に聞いてみると「屋島」ですと教えてくれました屋島「屋島の戦い」で平家が破れたところです降りてみたかったけど・・またの機会です佐古駅から2時間15分やっと着きました生駒氏の時代から100年をかけて作り上げられた大名庭園紫雲山を借景にした池泉回遊庭園でどの池も水が澄んできれいです北門が正門だったとか入場料を払って、時間が1時間しかないことを話したら、1時間コースというのがあるそうで園内地図をいただいて、1時間コースに沿って歩いてみました梅林橋 園内唯一の色のあるものだそうです晴れ着のかわいい娘さん、外国の娘さんも晴れ着にうれしそうでした断って何枚か撮らせていただきました鶴亀松110個の岩を組み合わせた亀岩に羽根を広げた鶴の形の松を剪定してつくりあげたといい松平家の家老が手入れに夢中になって登城が遅れて、禄を100石に減じられたので「百石松」ともいわれているとか園内に剪定する松が1000本ある中で、一人だけがこの松の手入れを受け持っているとか芙蓉峰からの北湖屏風松 箱松手入れされた松が300年の手入れの歴史が作り上げた箱松の枝夫婦松赤松の幹から黒松がでているように見えることから夫婦松といわれるように竹樋を伝う水の流れ鹿威しではありませんでしたが・・ウンモンチク(雲紋竹)竹の肌に黒褐色の楕円形の模様が入るとか素通りしちゃってました拡大したら確かに・・鮮やかなサネカズラ(実葛)の実ビナンカズラ(美男葛)とも茶店の店先は一面のサネカズラ棚でした鮮やかなモミジが四国は紅葉が遅いのでしょうかあちらこちらで鮮やかなモミジをみることができました栗の木江戸時代たくさんの栗の木が植栽されていたので「栗林荘」といわれていたのが、鴨猟に邪魔になるからとほとんどが伐採されて残った3本を別の場所に植え替えたが枯れてしまい、今は昭和46年に植栽されたものが10数本あるのみとか・・栗林公園ではなく松林公園では?と思うくらい松の木ばかりです鴨猟場跡鉄砲や矢を使わずに、餌で追い込んで網で掬うという方法だそうな 小さな覗き穴から鴨の動きを監視するのだそうです左側の板の真ん中に小さな穴が開いてます右側は筒になっていて、覗けます鴨猟場これだけではどんな方法かはわかりませんが・・左側の2本の土手の間が水路になっています。そこへ鴨を追い込んで網で掬うのでしょうか・・・・
2012/02/24
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12月28日~1月2日、初めての四国上陸の旅 12月28日、香川をスタートして松山、高知へ、24年の元旦を高知・桂浜で迎えたあと、高速バスで徳島に入りました。香川―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂―高知―高知市内―坂本龍馬生誕地――高知城―中村―足摺岬―四万十川―龍河洞―桂浜―徳島―眉山―鳴門―脇町徳島眉山鳴門渦潮1鳴門渦潮2最終日1月2日徳島発5時42分の列車に乗り、6時44分穴吹駅に着きました雪のちらつく中、タクシーで脇町へうだつの町並み 脇町脇町のシンボル的な建物がオデオン座昭和9年に創建された芝居小屋戦後、映画館になったものの映画が衰退し老朽化のため、取り壊しの憂き目にあったが山田洋二監督の「虹をつかむ男」の舞台になり、脚光を浴び平成11年に修復されて復活現在に至るそうです廻り舞台、奈落もあるそうな映画は好きでなかったので観てないなぁ「重要伝統的建造物群保存地区」終戦後、日本の近代化が進んで、古いものを壊して新しいものへ懸念した文化庁が、昭和41年から保存すべき家屋調査を始めたのがきっかけで独立家屋が重要文化財として指定されるものが増加しました。昭和50年伝統的な集合体としての町並みや集落、武家屋敷の保存などにも範囲を広げて指定されるようになりました。脇町は、昭和59年に町全体で保存に取り組み、建設省から「手作り郷土賞」と「日本の道百選」に選ばれて、昭和63年に全国で28番目の「保存地区」に選定されました。脇町の町並み正月2日の朝7時過ぎ観光客はもちろんのこと、地元の人も歩いていません共同井戸1823年に作られた共同井戸「手作り郷土賞」「日本の道百選」に選定されて建立された記念碑があります 昔懐かしいくみ上げポンプ 公衆電話は自動電話?脇町の町並みは、うだつの他に、むしこ窓、格子が特徴とかむしこ窓(虫籠窓)盗難除け、部屋の明り取り、風通しをよくするための窓が装飾を兼ねて格子状に作られるようになった窓去年の12月に行った奈良の長谷寺門前町でも見られました蔀戸(しとみど)平安時代から使われ始めた建具で、明り取り、風雨よけのために、格子戸を組み入れた戸を室内側か室外側へ跳ね上げるように作られている昭和63年まで法務局として使われていた建物改装して、今は美馬市観光資料館になっているそうですそういえば、門松ってみなかったような・・・裏通りには、つるし柿がセンダン(栴檀)の実関西より以西にはセンダンが多く四国に入ってからはあちらこちらで見かけます目の高さにあったのでついつい撮ってしまいます裏通りにあるお寺さんへ行ってみると真新しい前掛けをしたお地蔵さんこちらへお参りすると必ず願いが叶いますよと書いてありましたが・・願い事するのを忘れました!追記ですお地蔵さんの上の注連飾りその後ろに白地に赤いものが下がっていますブロ友マムちゃんからコメントいただきました四国はお遍路の地、弘法大師さまの真言宗の「宝来」というもので絹地の切り絵だそうです拡大してみたら、今年の干支の龍の絵でしたお地蔵さんに注目ではなく、宝来に注目だったのですねさすが、見仏記を書いているマムちゃんありがとうございます裏通りに入ると野崎家の歴史ある門構えが100年以上も前の建物が保存され、今も居住している建物も数多くありました。展示館などの開館時間やお店が開く時間には早すぎて、中に入ることはできませんでしたが、1時間余りの静まり返った脇町散策で江戸時代へタイムスリップしたようなどこか懐かしいすばらしい町並みでした。地域が一体となって保存、維持しているご苦労は大変なものだと思いますが100年たっても住み続けることができる存在感がある建物ものがありふれた現代でもびくともしない先人たちの知恵と工夫を感じる町並みでした 帰りのタクシーの運転手さんに「剣山」はここから行けるのですかと尋ねると穴吹駅からと2駅先の「貞光駅」からバスが出ていますよと去年の暮れから雪が降って、31日には単独男性が吹雪で道迷い遭難、その前にも5人グループが遭難したとか四国に雪が降るというイメージはなかったのですが、剣山にはスキー場もあるようです無雪期に登ってみたいなぁ~徳島を後にして最終目的地、香川・高松へ向かいます
2012/02/22
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12月28日~1月2日初めての四国一周の旅 高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂―高知―高知市内―坂本龍馬生誕地――高知城―中村―足摺岬―四万十川―龍河洞―桂浜―徳島―眉山―鳴門―2012年1月2日いよいよ最終日眉山鳴門の渦潮・観潮船から鳴門の渦潮 渦の道からうだつ(卯建)日本の屋根に取り付けられる袖壁平安時代からの建築様式で、棟を支えるためと防火壁の役目があったものが江戸時代から明治にかけて、裕福な家が装飾したものを建てるようになり、出世できないことを「うだつがあがらない」といわれるようになったとかうだつ(卯建)朝5時前に起床、仕度を整えホテルを出て徳島駅へ夜中に雨が降ったのか路面が濡れていました四国に入って一度も雨に降られていなかったのに・・・5時42分始発の列車に乗り穴吹駅へ白みだした車窓から、うっすらと雪化粧した景色が目に飛び込んできましたえっ、雪?まさか!そのまさかの雪です海辺の徳島から山間へ1時間、6時44分穴吹駅に着きました。穴吹駅外へ出ると雪がチラチラ舞っています早朝に降り出したとか・・四国へ上陸して5日間、一度も雨に降られていないのに最後の最後に雪駅の切符売り場で帰りの時間を調べてもらいました特急を使わずに高松へ一番早く出るには、何線を使えばいいか・・・夕べ徳島駅では、回答が得られず、案内ダイヤルを教えてもらっただけだったのにさすがに地元の駅員(女性)さんは的確でした阿波池田駅経由で乗り換え、乗換えで行くよりも、徳島駅の一駅手前の佐古駅まで戻り乗り換えて1本で行くほうが早く着くことがわかりました。そういえば観光協会のスタッフもこの線が早いと言ってましたっけ・・・脇町まで歩けるようですが、列車の時間に間に合うように、脇町まで往復タクシーを利用することにしました正月2日朝7時「うだつの町並み脇町」はシンと静まり返っていました雪がやんで朝焼けの脇町「うだつがあがらない」の語源としてのうだつは知っていましたが、その町並みが四国にあることさえもつい最近まで知らないhimekyonでした。ブログのお友達の日記から、この地に住んでいらした「時雨さん」のことを知りました。2年ほど前、お若くして亡くなられてしまったようですが、himekyonは何度か覗いてみただけでお友達としてのお付き合いはありませんでした。時雨さんが活躍されていた「時代屋」さん今回四国へ行くことになったとき、その脇町へ行ってみようと思いましたが時間的にかなりきついことがわかりました。徳島駅で時刻表を調べてみると、朝一番の列車に乗ればなんとかなりそうかと・・思い切って来てよかった吉田家(藍商佐直)江戸時代から明治期にかけて阿波藍で栄えた脇町寛政4年に建てられた脇町一番の大きな商家「うだつを生ける」假屋崎省吾氏の華道展が毎年開かれるそうです母屋の裏へ廻ってみましたモミジが色鮮やかに残り、散紅葉もきれいでした母屋の後ろには、すぐそばを吉野川が流れていてそのまま船に荷物が積み下ろしができたとか石垣は吉野川の氾濫を守るためのものだそうな今は少し離れたところを流れる吉野川吉野川まで行きそびれました・・・田村家町並みで2番目に古い建物森家将棋名人 小野五平翁の生家 もう1日続きます
2012/02/21
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12月28日~1月2日の四国一周の旅高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂―高知―高知市内―坂本龍馬生誕地――高知城―中村―足摺岬―四万十川―龍河洞―桂浜―徳島―眉山―鳴門2012年1月1日四国5日目 高知桂浜(高知湾長浜)で迎えた元旦高速バスで徳島へ移動しました眉山~鳴門渦潮1へ 鳴門大橋の補剛桁(ほこうけた)内に設置されている全長450mの遊歩道鳴門公園行きの路線バスが、観潮船乗場停留所への到着が時刻表よりも遅れて到着したために諦めていた鳴門公園に行くことができましたバスだと5.6分の距離だけど、坂道もあり、確かに歩くとなると時間がかかりそうバスから降りて、警備のおじさんに聞いて走って走って・・若いカップルも一緒になって走り出しました閉館5分前、ぎりぎりで間に合いました遊歩道には所々ガラスが嵌めこんであり、桁下45mの海面が見えます潮の流れが速い! 観潮船が小さくみえます飛島と観潮船鳴門公園割れるはずのないガラスだけど・・・怖い!!最初の一歩がでない、何度も挑戦してやっと乗れた!!船から間近に見た渦潮も迫力があったけど橋の上からも迫力があります室内が映りこんでしまいましたが・・この渦が一番大きかったかな・・でもブレブレです渦ができそうと構えると渦にならなかったり、あっというまに壊れてしまったり意外と渦を撮るのは難しいこの日は中潮、大潮だったら大きなはっきりした渦がわかるのだろうな・・・18時が最大の渦しかし閉館時間も18時できるだけぎりぎりまで待とうとしたけど観光客は一回りしたら帰ってしまい残っているのはカメラを持った男性とhimekyonだけ冬は日没が早く5時を過ぎたら薄暗くなりとても6時まではいられそうもありません17時20分が限界でした最後のほうの写真はブレブレになりました船上からと橋上からと両方の渦潮をみることができてほんとにラッキーでした車だったらなんでもないことだと思うけど、結構大変なことなのです帰りのバスの運転手さんに駅前に昼間から並んでいるラーメン屋さんがあったんですが、人気があるんですか?と尋ねると、若者にはこってりがいいんだろうけどね~3軒ほどおいしいラーメン屋さんを教えてもらったけど元旦で3件とも閉まっていました(名前忘れちゃった)他に開いているお店がなくて、結局は人気のラーメン屋に入りました 何種類かありましたが、徳島ラーメンを注文しましたとんこつしょうゆ味?100円で麺が追加できるようですが、確かにhimekyonにはちょっと・・・でした食事が終わり、観光協会へあした最終日は高松まで戻る予定ですがどのコースを使えばスムーズに戻れるかを尋ねてみました「なるほど、そういうコースもあるんですね、」協会に置いてあった1枚物のフラワーカレンダー持ち帰るには大きすぎだけど・・やっぱりいただいちゃいました・・・開いて四つ折にしちゃいましたこのあと、JRの窓口にも寄り、列車の時刻を確認してホテルへ戻り疲れ果てて、荷物の整理ももどかしく5時に目覚ましをかけベットへ いよいよ明日は最終日
2012/02/20
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昨日は皆様からお見舞いのコメントをいただきありがとうございました。「鬼の撹乱」とでもいうのでしょうか、元気印のhimekyonもインフルエンザには勝てませんでした。初日38度4分の熱、昨日は1日中37度の熱が続いていましたが、今朝は平熱の35度9分に戻りました。咳も酷かったのですが、だいぶ治まってきています。病気で会社を休んだことがないhimekyonですが今回は強制隔離ですから1週間休まなければなりません。どこにもでかけられない6日間の休みってどうやって過ごせばいいのやら・・・インフルンザ予防接種を強制の会社ですが、接種しないでかかった場合は欠勤扱いにするという会社ですので、接種しておいてよかったです。有休は「事前承認制」で文句を言われて40日ある有休もなかなか取らせてもらえませんが、今回は有休です孫のみみりんから「ブログみたよ、だいじょうぶ?」って電話がありました。うれしいですね 年末年始に出かけた四国旅行もすでに1ヶ月半を過ぎてしまいましたが、この機会に残りの分をUPしたいと思います高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂―高知―高知市内――坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬―四万十川―龍河洞―桂浜―徳島―眉山12月28日~1月2日初めての四国上陸の旅ようやく2012年元旦にたどり着きました。高知桂浜で年越しをして、高速バスで徳島へこの日のメインは渦潮観潮徳島へ着いて、急いでロープウェーに乗って眉山からの景色を眺めて鳴門へ向かいました観潮船アクアエディ号から、間近にみえる渦潮引き込まれそうでドキドキしながらも、おそるおそる覗いてみるなhimekyon徳島駅からバスで40分ほど、小鳴門橋を渡り鳴門大橋が見えてきました。実は初日、この鳴門大橋を、夜行バスで渡って四国へ上陸していますそれもちょうど太陽が昇るころでした。しかし、通路側の席だったので、カーテンを開けることができず・・・夜明けの鳴門海峡の景色をみることができませんでした夜行バスは徳島駅にも停車しましたが、今回の旅行は、徳島を通過して高松からのスタートになりました鳴門公園とは離れている観潮船乗り場この日は中潮で午後6時が満潮スタッフから、できるだけ遅い時間のほうが渦がみられますよと公園のほうへも行きたかったけど、バスの時間的にはどうも無理なようせっかくここまで来ているのに公園までは遠くて歩けないとか・・どこへ行くにも車がないと身動きが取れないようです大型観潮船 わんだーなると号こちらに乗る予定でしたが、小型水中観潮船 AQUA EDDY号水面下1mの展望室から渦の様子が見えるとか・・渦の中に船が入っていって巻き込まれることはないのだろうか・・心配でスタッフに聞いてしまいましたエンジンがついてるから大丈夫ですよって・・予約制でしたが、この時期は乗る人はいないようで15時45分発に乗ることにしました4時近くになり太陽は傾き始めています鳴門大橋の下に近づくと水面が波だっています 波だつとあっというまに小さな渦ができてきます残照に輝く渦水中展望室なんとなく泡がわかります渦が大きいともっと鮮明にわかるそうです 25分ほどの乗船も終わり港へ戻る船の中から、通過時間を過ぎたはずのバスがみえましたもしかして船が着く時間が速ければ、乗れるかもしれない~早く着いて~係留されるのももどかしくバス停まで走っていくと、終点から折返してきたバスにまにあうことができました。諦めていた鳴門公園へ行けそう~ 今日はどうも変です、インフルエンザのせいでしょうか、何度書いても同じものがコピーされてしまい、2万字になってしまいますので、途中ですがここでUPします。あしたも続きます
2012/02/19
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12月28日~1月2日初めての四国上陸、快晴とまではいかないものの四国へ上陸してから、ずっとお天気に恵まれています。高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂―高知――高知市内―坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬―四万十川―龍河洞―桂浜― 5日目2012年の元旦次の目的地を観光するために高知を8時始発のバスに乗らなければと思っていたけど、乗り遅れたら、乗車券は無効になるとのことで、次の10時発の乗車券を予約しておきました。初日の出の時間が7時10分、なかなか顔を出さない太陽を粘って粘って7時30分まで頑張って、民宿に戻ったのが8時、バタバタと食事を済ませて高知へ戻り、10時発の高速バスで徳島へ移動しました。10時発に予約しておいてよかった!南国土佐を後にして~♪夕べはぐっすり寝たはずなのに、バスに乗り込むとうとうと目が覚めると車窓からどんよりとした雲の中からみえる山どこの山?吉野川大歩危・小歩危に行きたかったけど、日程的に無理残念だけど今回はパス12時40分徳島に到着鳴門へのバスが14時、1時間20分あります急いでホテルに荷物を預けて、眉山へ行ってみることにしました残念ながら、阿波踊り会館の「阿波踊り」元旦は休みでした連結のかわいいロープウェーに乗って眉山へ滞在時間は30分です急げ~山頂駅構内にあったイルミネーションの額?きれいでした素晴らしい景色です吉野川の奥に見えるのは淡路島でしょうか望遠にすると橋が鳴門大橋でしょうか吉野川河口にかかる橋吉野川大橋でしょうか瀬戸内海に浮かぶ島々反対側は山並が広がっています四国は山のイメージはあまりなかったのですが、海岸線以外山ばかりだったのですね眉山のいわれは万葉の時代に、眉を引いたようななだらかな山容をたとえたと最終日に乗った列車に隣り合わせたおばさまから、あのアンテナがたくさんあるのが眉山ですよって教えてもらいました。なるほど~眉山の一等三角点パゴタビルマの平和記念堂ビルマ戦線で散った戦友を偲んで建てられたと徳島からはビルマへ出征した人たちが多かったのですねもう下山の時間です再びロープウェーに乗って徳島駅へ車窓から神社がみえます徳島天神社元旦まだお参りしてなかったので・・と思ったけど時間がありません手を合わせただけでした天神さんの牛さんってかわいい顔をしているけどこちらの牛さん、ちょっと怖そうあっ、触るの忘れてましただからかな・・・頭が悪いのは!天神さんといえば梅うーん、残念、まだまだ硬い蕾でしたツワブキが意外とあちこちに咲いていましたモラエス像ポルトガル人で日本人ヨネと結婚して 死去するまで徳島に住んで日本をポルトガルに紹介した人 2時のバスになんとか間に合うことができました
2012/02/12
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12月28日~1月2日 初めての四国上陸高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂―高知――高知市内―坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬―四万十川―龍河洞―桂浜桂浜1 坂本竜馬と名残り花桂浜2 2011年最後の落日2012年の初日の出は残念ながら見られませんでしたようやく今年の日記になりました。とはいっても1ヶ月以上も前になりますが・・ 2012年1月1日5日目5時半の目覚ましで起きだしてすぐにカーテンを開けて空をみあげると雨は降っていない様子なんとか今年初日の出が見られますように・・・防寒対策をして、海岸へ向かいました民宿から歩いて10分くらい通りを歩いている人は誰もいません地元の人はわざわざ初日の出を見に行くことはしないのかな??高知湾(長浜)船の明りの左が室戸岬、防波堤の左奥向こう側が桂浜海岸に着くとなんと、なんと人、人、人・・・・というか若者だらけそれも、暴走族風のおにいちゃん、おねえちゃんたちが多いのにはびっくり車高を低くした車がスピードを出して走り抜けたり、バイクで大きな音をたてたり高校生ぐらいの女の子がキャーキャー言いながら車を追いかけたり・・・赤い警告灯をつけたパトカーが10mおきぐらいに止まって、マイクで注意していますが、効き目なし初めて見る光景に驚き、写真を撮るのを忘れちゃいました・・・一面、黒い雲、どのあたりから太陽が昇るのか見当がつきません海岸に下りてみたり、道路に戻ってみたり空が白んできても太陽が昇る気配がありません7:10太陽が昇る時間です・・・・・・が顔をみせてくれません7:15雲が割れて、少し明るくなってきましたが一向に太陽は顔を出しませんあきらめて帰ろうかな・・7:20別の雲がオレンジ色に輝いてきました7:22もう少し!海の色も赤くなりだして期待を持たせてくれました7:30もう少し、もう少しとねばってみたものの結局は太陽は出ずじまい期待した初日の出が見られずがっかりでした。バスの時間までに食事を済ませなければと急いで民宿へ帰ります急いで歩いていると「おばちゃん~、おれかっこええやろ、なっ、なっ、カッコええやろ、」「写真撮ってや、な、写真撮ってや~」バイクのおにいちゃんが、道路の真ん中に止まってポーズを作ってます「うん、かっこいいね~、撮るよ~」「新聞にはってや~」「??うん、うんわかった~」笑える一コマでした民宿の目と鼻の先で「長宗我部元親の墓」の看板を見つけましたどこかで目にした名前・・・そうだ高知城に名前がありましたこれは寄り道をしなければ・・・戦国時代土佐を統一して、そのご四国全土を制圧したが織田信長に嫌われ、豊臣秀吉に破れ土佐一国の戦国大名となる四国に上陸してあちらこちらで出会う日本水仙四国は暖かいのですね元旦早々いい香りに包まれましたヤドリギが黄色い実をいっぱいつけています。レンジャクがくるのでしょうか大輪の椿花びらが少し傷ついていますUPに耐えるものではありませんが元旦の朝お雑煮、数の子、黒豆、かまぼこがついたお節風の食事でした バスで高知へ戻り、次の目的地へ移動です今回の6日間の旅で高知は29日の午後から元旦の10時まで2日半も滞在したことになります。特にこだわったわけではありませんでしたが、それでも全部廻りきれませんでした関東では見られない花もたくさんありそうで、また訪れてみたい高知になりました。続く
2012/02/11
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昨日は、去年9月に奥武蔵巾着田へ彼岸花を見に行って以来、久しぶりにブロ友・hiroさんと秩父宝登山の蝋梅を見に行ってきました、残念ながら寒波により例年よりもかなり遅れているようで、2.3分咲きの状態でした。記憶が薄れないうちに四国の旅日記を優先して書いていきたいと思いますので宝登山日記は後日です。 12月28日~1月2日 初めての四国上陸高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂――高知―高知市内―坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬―四万十川―龍河洞-桂浜桂浜1 坂本竜馬と名残り花12月31日大晦日4日目早朝、四万十川の土佐中村から高知へ戻り、午前中は龍河洞へ、午後から宿泊地桂浜へ移動今年最後の落日を期待して竜王岬の展望台に陣取りますしかし雲がかかりぼんやりとした太陽です23年最後の落日高知湾・長浜の美しい浜辺の波をを赤く染めて横浪半島へ陽が沈みます 桂浜・竜王岬奥宮からみえる高知湾・長浜桂浜花街道と名づけられています台風の通り道の高知荒れ狂う海を想像しますが穏やかな波が寄せては返していました鵜ねぐらに帰るのでしょうか元旦をどこで迎えようか今回の旅行の最大のポイントでした。やはり、元旦は海からのご来光が見たい足摺岬、室戸岬とネットで宿を探したけど、まずシングルはありませんでしたあと思い当たるところといえば桂浜桂浜には国民宿舎がある~とネットで検索するもやはりシングルはありませんどうしよう・・・元旦の行動を考えれば、これは桂浜しかないと観光協会へ電話して民宿を紹介してもらい電話で予約したのが、桂浜への途中のバス停近くにある民宿正確にいうと桂浜ではなく、長浜という桂浜というのは、足摺岬から室戸岬を結ぶ弓なりの海岸線の高知湾の一部の浜を桂浜と呼ぶのご来光を期待して桂浜に泊まってみよう~いまかいまかと待てど暮らせど・・・雲が広がってすっきりの太陽ではありません消化不良の落日でしたが静かに23年最後の太陽が沈んでいきました太陽が沈んだあと赤く染まる空を期待しましたが、遠く足摺岬の半島の空をピンクに染めただけでした民宿桂浜からバスで5.6分ほど高知よりに戻ったところにありました大阪から来た7人の家族と地元高知の7人家族が、年越しです食べきれないほどの食事でした。腹の皮がつっぱれば、目の皮たるむ・・・まさにそんな状態で部屋に戻って早々とふとんにもぐり、紅白歌合戦を見ながらうとうと紅白歌合戦の内容をほとんど覚えていません。行く年来る年の時間に目が覚めましたが、やはり4日間の疲れが出ていたのか、またすぐに深い眠りにつきました。あわただしい23年が終わりをつげました
2012/02/10
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12月28日~1月2日初めての四国上陸高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂――高知―高知市内―坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬―四万十川―龍河洞4日目 12月31日大晦日、新年まで10時間を切った3時半にたどり着いたのが、桂浜龍河洞からバスで土佐山田駅へ戻り、電車で高知駅、高知駅から路面電車ではりまや橋はりまや橋からは、路線バスで桂浜へ ♪月の名所の桂浜♪桂浜といえばこの方です元旦を海の見えるところで迎えたい足摺岬、室戸岬、どこのホテルを検索しても空室なし・・まして、シングルなどあるわけがありません。桂浜はどうだろう・・・あるわけなし出発の5日ほど前、最悪高知駅のビジネスホテルしかないかと、桂浜観光協会へ電話したら、民宿ならもしかしたら・・と紹介してもらい、ネットでアクセスをチェックしてから電話で予約、桂浜から少し離れているけれど泊まれればよしとして・・・ 桂浜連続写真ではないのでデコボコですが左の龍頭岬から右の龍王岬までが桂浜というようです大町桂月 高知県出身で明治時代の評論家、随筆家見よや見よみな月のみのかつら浜海のおもよりいづる月かげ真ん中に白くみえるのが月大町桂月の碑から見上げれば月が大町桂月月の名所の桂浜から名前を付けたという徳島・剣山が真っ白です遠く対岸は室戸岬うれしいですね咲き残りのお花もありましたハマナデシコ(花撫子)アゼトウナ足摺岬でみたお花、ここでもみられましたツワブキもっと歩き回れば、他の花にも出会えたかもしれませんが時間がなさ過ぎました・・・
2012/02/02
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今日から2月、あっという間に1月が過ぎてしまいました去年の夏からは想像できないほどの寒さ、北国は豪雪駅の運行状況のテロップ、日本海側を走る夜行列車「あけぼの」は毎日、運休と流れていますもうすぐ立春、日本の四季、春は近づいているのでしょうか・・・ 楽天ブログさん、今日からまた変わるそうですが、すでに昨日から楽天フォトがなくなったようで、、楽天さんもどうなっていくのでしょうかお友達もずいぶんとお引越しをしていきました。何にもてつかずです。いけるところまでいくしかないのかな・・・無料で使わせていただいているのですから、仕方がないのでしょうねこういうことを書くといやみを書いてくる人がいます書きたい人には書かせておけばいいのでしょうが・・・ところで去年の年末から年始にかけて出かけた四国の旅日記、一ヶ月たってもまだ終わりそうにありません。写真大好きhimekyonですので、記録として、気長に書いていきたいと思います。下手の横好き写真にお付き合いいただきありがとうございます。高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂――高知―高知市内―坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬―四万十川―龍河洞神の壷のプレートの右側に壷のかたちがみえます弥生時代のころ、この洞窟の中で生活していたあかしの壷だそうです 流れる水を汲んでいた壷が長い年月で固まったそうです今日も龍河洞の画像です。2日にわけて載せるほどの画像ではありませんが、昨日は時間がなくて一気載せができませんでした。石の花券売所のスタッフさんに三脚は使えますかと尋ねると狭いので他のお客様に迷惑にならないようならいいですよと入口から中へ入るとほんとに狭いやっと一人が通れるくらいのところばかり、三脚を出す場所がありません昨日の日記で書いたようにバス便がないけど結構次から次と人が入ってきます観光バスは止まってなかったけど車で訪れる人が多いんですね。観光地だったら、せめて1時間に1本とかバスを出してほしいものです。日本三大鍾乳洞龍泉洞(岩手県)秋芳洞(山口県)龍河洞(高知県)正直、高知にこんなに歴史のある鍾乳洞があるとは、高知に入るまで知りませんでした。鍾乳洞といえば、高校生のとき、奥多摩の伯父のところへ初めて泊まりに行ったときに日原鍾乳洞へ行きました。初めてみた自然の造形にただただ驚くばかりでした。山口県の秋芳洞へは、今は亡き友と行ったことがあります。神秘さに圧倒されましたスタッフのかたが一回りしても30分ぐらいです帰りのバスまで2時間近くあるから楽勝とのんびり構えていたらあっというまに時間が過ぎていきますここが中間点とか、出口まで何mとか書いてあれば時間が読めるのにどうもまだまだ先がありそうでちょっと焦り気味落ち着いて写真を撮っていられませんこうもりさんを発見見回りにきたスタッフさんに聞いたら冬眠しているとかみなさんまっすぐ歩いているから気がつかないんですけどよく見つけましたね。フラッシュをたくと目が覚めて落ちてしまうことがあり、落ちたら死んでしまいますと言われちゃいました。ごめんなさい、あとの祭りだったのなにしろ狭くて三脚たてられなくて、どうしてもブレブレでフラッシュ焚いちゃった後落ちなくてよかったコウモリさん、ゴメンネ!このコウモリは、確かコキクガシラコウモリって教えてもらったような・・雲の掛橋柔らかいところが解けて硬い部分だけが残って橋のようになっている狭いところで全体が撮れなかったけどこういう時は広角レンズがあるといいのかな?折られないようにだろうか網のかかったところもありました七福神とプレートがあったけど時間がなくてゆっくり探すことができず・・・PCに入れてもどれが七福神?わかりません出口近くに弥生時代の住居跡がありました狭い階段を登ってさらに出口が近くなると第一住居跡山の中腹よりもかなり高い位置にありますこの鍾乳洞の中で文明が起こっていたと思うとどんな生活をしていたのかとのぞいてみたいような気がしてきました。 最後のほうが見所がいっぱいあったのに、最初に時間をかけすぎて最後は焦ってバタバタと飛ばしながら廻りました。帰りのバスには間に合ったものの、土佐山田駅に着くと、電車との乗継が悪く1時間近くの待ち合わせここで地元のおばさんから龍のハガキをいただきましたさてさて、四国一周の旅も2011年、大晦日、残すところ10時間を切り最後の目的地へ移動です
2012/02/01
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12月28日から1月2日初めての四国上陸 足の向くまま気の向くまま・・・というわけではなかったけれどワクワク、ドキドキ バタバタ・・・の6日間でした 龍河洞12月31日の大晦日4日目車窓から朝日と海霧土佐中村駅を朝6時の一番列車で次の目的地へ出発しました高知駅へ着き、電話でバスの時間を問い合わせしました。ガーン!!なんと朝7時台に1本 そのあとは12時までバスがないというそんな馬鹿な、それで観光地か??最寄り駅への電車の発車時間も20分ほどしかなくいまさら、予定変更も考えられず・・・行くっきゃないか龍河洞へは 後免駅(ごめん)で乗り換えて土佐山田駅へ高知出身のやなせたかし氏あちこちにあんぱんまんのキャラクターが使われています土佐山田駅前からタクシーで目的地へ山の中にある龍河洞鍾乳洞への入口はエスカレーターに乗って鍾乳洞へ・・・ お土産屋さんの店先にあった寒蘭東洋蘭の代表格自然のものってあるのでしょうかあれば見てみたい~今日は時間がなくてもう1日続きます
2012/01/31
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いいわけですが、今日の画像はすべて列車の中の窓ガラス越しに撮っていますので滲んだり、反射したり、ボケたりしています12月28日~1月2日初めての四国上陸、毎日早朝から夜遅くまであちこちと動き回っています高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂――高知―高知市内―坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬―四万十川朝日海霧 思ったよりも広く大きな四国、特急列車が、約1時間に1本の割で走っていて、その時間に合わせてバスの乗り継ぎができるようになっているようです青春18切符ではとても太刀打ちできません。貧乏旅行だから各駅停車で・・なんて思ったけど、時間ばかりかかって、廻るところも限られて・・宿泊代を考えてみると、特急列車を使って、短時間で廻ったほうが安上がりだったかもしれません。いくら行き当たりばったりの旅とはいえ、おおまかな計画は立てました。南国とはいえ、さすがにこの真冬に、宿が取れなくて行き倒れなんてことになりたくありませんからねそれでも電車の時間、バスの時間などを待ちながら、のんびりするのも地元の人たちとのふれあいがあって、それはそれで楽しい一面もありました。さて、12月31日旅も4日目になりました。 アンパンマンのキャラクターいっぱいの特急列車やなせたかし氏は高知県出身です足摺岬へ足摺岬から足摺岬 白山洞門足摺岬 金剛福寺足摺岬に咲く花と実足摺岬で咲く花と実2四万十川から四万十川夕景足摺岬、四万十川の観光を終えて、中村を後にして再び高知へ戻ります中村駅から窪川駅までの第三セクター土佐くろしお鉄道線の区間だけ、6時8分始発の特急列車に乗って、窪川駅からJR各駅停車の列車に乗り継ぎます31日の宿は、事前にネット検索してもシングルの空室はなく、観光協会で紹介してもらった民宿に決めてあります。夜明けの遅い四国 7時27分朝日が登りました2日目に牧野植物園が見られなかった分、前倒しで高知市内見学をしているために、予定を変更です。夕方までに民宿につけるところで観光できるところはないかと・・室戸岬は行ってみたかったけど、高知の先、後免駅から先はやはり第三セクターで、青春18切符が使えず、終点奈半利駅からもバスで往復しなければならず、時間的に無理で却下、大歩危・小歩危も行ってみたかった、でもやっぱり時間的に無理・・・・・・で、2日日目に高知駅の観光案内所でみつけたパンフレットこれから行くところ、しかし、1日2300円乗り放題の青春18切符ですが、この日の運賃は1930円ですまっ、いっか~あれ、海がもやもや~もしかして海霧?川霧って見たことあるし、写真を撮ったこともあるし・・・でも海霧ってあるのかな?おりしもブログのお友達チャメさんが伊豆半島付根にある沼津の漁港で昔からその地方で「しおくずばんば」と言われている海霧を載せていました。海霧ってあったんだぁこのとき、列車を降りてしまおうかと悩みましたしかし、夕方までに宿にたどり着かなければならない列車の本数が少ないので、一度降りてしまうと時間が狂ってしまう・・・悩んでいるうちに列車は動き出してしまいました帰宅して、ネット検索したら・・なんと、このあたりは海霧とだるま朝日がみられる名所でもありましたここでも予習をしておけば・・「後悔先に立たず」です列車を降りていたら・・・どんな写真が撮れたのでしょう雲もなく、もしかしたらだるま朝日も見られたかもしれませんね返す返すも残念でした
2012/01/29
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12月28日~1月2日初めての四国上陸、 バタバタだったけど充実した6日間になりました高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂――高知―高知市内―坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬―四万十川12月30日3日目は早朝6時に高知駅を出て、足摺岬を見学して中村へ戻り四万十川観光です夕闇迫る4時、himekyon一人だけの貸切となった屋形船で四万十川遊覧上流部から下流まで、数多くある遊覧船、観光シーズン中は、上流部には、40余ある沈下橋をくぐったり、下流部では帆掛け舟に乗ったり、船頭さんが投網を打つサービスがあったりと楽しむことができるようですが、冬場は屋形船だけのようです。今回は、足摺岬へも行ってみたかったので、ほんの40分ほどの乗船観光になってしまいましたが、次回(いつ?)は1日かけて、清流四万十川を堪能してみたいと思います 四万十川遊覧40分間の遊覧が終わり「今日の空は焼けるよ、赤鉄橋から撮るといいよ」老船頭さんから教えていただいた赤鉄橋からの夕日を撮ってみたくなり待っていてくれたタクシーの運転手さんに赤鉄橋で降ろしてもらいました。赤鉄橋なのに赤い色がでていませんどこから撮ろうか・・・土手を駆け下りて一面のススキの中を走ってみたり・・・また、土手の上へ駆け上がったり・・あっというまに陽は沈んでしまいましたこれが限界かな・・・さて、ホテルへ戻らねばタクシーの運転者さんから聞いていた帰り道中村駅までは30分ほど歩くそうな・・・橋の袂にあった観光ガイドの看板駅は街のはずれになるみたい中村は土佐の小京都と呼ばれ540年ほど前の応仁の乱のころ、京都の一条氏が下向して京都を偲んで、町並みを碁盤の目のようにつくり、街の名も京都にちなんだ地名になっているとか・・橋のたもとの小さなお社にも灯がともっていますちょっとだけ路地へ入ってみました昔ながらの建物が残っていました幸徳秋水の墓の看板があり行ってみようか・・・うろうろしてみたけどみつからない通りかかった人に聞いてみるとあの細い路地を入った奥ですけど真っ暗ですよヘッドランプをつけて、ドキドキしながら・・・明治時代明治天皇の暗殺計画に関ったと「大逆罪」で死刑になった幸徳秋水(関っていなかったとか)遠く離れた高知から多くの思想者が生れ日本を変えようとした人たち思想が違うと暗殺され・思想が違うと弾圧による死刑今の世の中は言論の自由になりましたしかし、今、世の中を変えようと熱く燃える人はいませんねただの政治屋さんばかり・・・タクシーの運転手さんから、四万十の味を楽しむなら、居酒屋がいいよって教えていただいたけど、お酒を飲まないhimekyonは思いきって入ることができません日本料理屋さんもありましたが、なんとなき敷居が高くて・・結局は駅前のホテルまで戻ってきてしまいました。近くに食べるところがなく、ホテルのレストランで食事です。 一応、四万十の味です鰻、鮎、手長海老、ゴリの佃煮、青海苔の天ぷらレストランは満席、2人の板前さんがフル回転、焼きあがったものからでてきて、熱々を食べることができました。生ビールも1杯だけ飲んでみました。毎日、朝から晩まで歩きどおし・・旅行先でのビールもおいしいものです 今朝の地震はなんと富士五湖、忍野村は震度5弱今日出かけていたら・・・と思うと多分、目的地まで行かずに河口湖駅から引き返していたでしょうね
2012/01/28
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12月28日から1月2日の6日間初めての四国上陸、綿密な計画ができないhimekyon大まかに駆け足で一周してきました。高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂――高知―高知市内―坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬 佐田の沈下橋3日目の12月30日、高知を朝早く出て足摺岬を往復3時に中村駅に戻ってきました。駅構内の観光センターに直行四万十川の観光ができるところを尋ねると高知県観光ガイドタクシー認定のマークがついたタクシーが案内しているそうな1時間半のコースで5100円、3時間コースで10200円コースにしないで、遊覧船乗り場へ行くだけで往復4000円ぐらいコースにすれば、効率よく廻ってくれるはずだけど、時間も3時過ぎているし、ひとりで乗るには高すぎる・・でもそんなことは言ってられない、四万十まで来てしまったんだよ!5100円のコースにするより仕方がないかと・・タクシーの運転手さんから、5000円のコースには遊覧船の待ち時間は入っていないので、四万十川は舟に乗ってこそだから、折角遠くから来てくれたし、遊覧船乗り場まで送って、船が戻るまで待ってあげるよ、他の観光はまた次の機会に来てくださいね~日本最後の清流四万十川四国西部の山地から流れ出た川は、四国最大の長さ196キロをゆったりと太平洋へと注いでいる折角来てくれたからと遊覧船乗り場へ行く前に、佐田の沈下橋を案内してくれました橋の手前で降ろしてくれて、対岸で待っていてくれました。橋の欄干がないと、怖い!!この沈下橋は、観光用のポスターには必ず登場する沈下橋だそうです橋から車が落ちるってことないのですかと聞くとありませんが、ときに人間が落ちることがあるとか・・沈下橋は、増水時に橋が流されないように、欄干を作らない橋四万十川には支流を含めて47の沈下橋がかかっているという佐田の沈下橋は最下流の橋船内はhimekyonがひとり~地元漁師さんの舟四万十川は大きな恵みをもたらしているという主に獲れるのが、天然鰻、天然鮎、青のり、青サノリ川海老、モクズガニ、ごりとにかく水がきれいでしたこのあたりは10mから15mはあるそうです浅そうなところを覗き込むと底までみえましたが、それでも3mはあるといいます三里沈下橋
2012/01/26
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12月28日~1月2日四国一周の旅高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂――高知―高知市内―坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬まだまだ3日目いつになったら終わるのか見当がつきません足摺岬の日記も今日で6日間も書いています。いい加減にせいって言われそうです。足摺岬へ足摺岬から足摺岬 白山洞門足摺岬に咲く花と実足摺岬で咲く花と実2でもやっぱり、みたもの感じたものを気長に書いてみようと思っています。去年の北海道の旅日記は最後まで書かずに1年がたってしまいましたので今年は尻切れトンボにならないようにと・・・・ 路線バスで10時過ぎに着いた足摺岬、どんなところかわからないけど、高知から4時間もかけてきたんだもの、いくらなんでも1時間ではもったいない・・・と13時12分発のバスに乗ることにしました。3時間あればたっぷりとみて回れるかと・・・しかし、3時間なんてあっというまにたってしまいました。足摺岬展望台―足摺岬灯台―白山洞門―天狗の鼻―再び足摺岬展望台最後に訪れたのは金剛福寺おにぎりを持っていたけど、歩きつかれたこともあり、少し時間があったのでレストハウスで食事をすることにしました。カツオのたたきがお薦めって言われたけど、高知で食べてるし、多分夜も食べるだろうし、明日も食べるだろうな・・・で、うどんを・・・食事が終わってまだ時間があったので、バス停の前にある金剛福寺へお参りすることに四国八十八霊場第三十八札所金剛福寺 蹉?山(ふださん)補陀洛院(ふだらくいん)観世音菩薩の住む南海の補陀落山の入口として、1200年近く前、嵯峨天皇からの直筆の額を受けて空海が創建天皇の祈願所として参詣し、源氏の信頼が厚く、寄進や堂宇の整備をしたという平安時代には和泉式部も参詣しているそうな今でも遠いこの地へどれほどの日数をかけて京の都からやってきたのだろうか・・四国最南端の足摺岬にあり、37番札所岩本寺からは100キロも離れていて八十八ヶ所中一番長い距離といい、歩き遍路では3泊4日の行程とか江戸時代から庶民の間で広まった巡礼四国の巡礼を特にお遍路さんと呼ぶようになったと八十八ヶ所を通して廻ると1300キロから1400キロ歩き遍路では40日はかかるという阿波の霊場を「発心の道場」讃岐の霊場を「涅槃の道場」伊予の霊場は「菩提の道場」土佐の霊場を「修業の道場」というそうです四国は、平安時代から修験者の修行の地で、讃岐で生れた空海(弘法大師)も修行したとか、その後入定した空海の足跡を修行僧が辿ったのが遍路の始まりとか一人でお遍路しても必ず大師様が一緒に歩いてくれているといい「同行二人」の文字が入った笠を被ったり、杖を持って歩いていますね大師が呼んで岩に乗り移ったとされる亀がいましたすでに江戸中期の道中記にこの下りが書いてあるそうです多宝塔愛染堂本堂大師堂鐘楼池のほとりには奇妙な石が・・よくみると龍の形をしていました石を近くでみると牡丹のような模様をしています最後の日に徳島から電車に乗り合わせた女性が話してくれたのは、大晦日に一人で歩き遍路をされている80歳を越えたおばあさんにであったとかなにがあったのでしょうね、ちゃんと行きついてくれるといいのですが・・・とそのおばあさんも弘法大師の足跡を辿って歩いているのですね。あれから20日以上たっています。今頃どの辺を歩いているのでしょうか足摺岬へ行くバスに乗った男性のお遍路さん、バスの中から歩いている男性のお遍路さんも見かけました。高知駅では大きなザックのお遍路さん、電車から降り立った同世代の女性お遍路さん・・・たくさんのお遍路さんに行き会いました。それぞれの思いを胸に歩いているのでしょう。そんなお遍路の地だからでしょうか、親切な人ばかりに出あった四国です 13時12分足摺岬をあとにして、中村駅に戻りました車中は疲れてほとんどうとうとしていましたが、ジョン万次郎生誕地、中の浜から乗ってきた中折れ帽子を被った老紳士、お墓参りの帰りとか・・・写真が趣味であちこちと撮り歩いているとか、せっかく撮るんだったらコンテストに出すべきですよって・・いえ、下手の横好きです~中村のホテルに泊まると話したら、何もないところですよ。この時間ならまだ高知へ戻れますよ、もったいないって・・・でもまだ、四万十川もみていませんので、これから廻ろうと思っています・・・
2012/01/23
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12月28日~1月2日四国一周の旅高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂――高知―高知市内―坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬 足摺岬へ足摺岬から足摺岬に咲く花と実足摺岬で咲く花と実2白山洞門海の侵食によりできた自然の洞門、高さ16m、幅17m、花崗岩としては日本一大きなもので高知県の天然記念物に指定されているそうな椿のトンネル足摺岬展望台から足摺岬灯台へ廻ったところで白山洞門への案内板があったので行ってみることに足摺岬展望台では、観光客が結構いたけど、灯台まで足を運ぶ人はほとんどいませんましてや、白山洞門への遊歩道?を歩いている人はぜんぜんいませんちょっと不安と思ったら前から中年の女性がひとり歩いてきて、にこやかに「洞門まではもう少し先ですよ」女性は強し・・・でhimekyonも勇気がでました遊歩道をどんどん下っていくと目の前に神社の鳥居が・・その先は急な階段が岩の上まで続いていますいゃ~、あんなところを登るの、無理だわ、足を滑らせたら助けてくれる人はいないし、発見されることもないかもしれない・・ひとり旅、無茶してはいけません、鳥居に下がっていた文字をPCで拡大してみたら・・「お願い!白山神社の奥宮が鎮座しています。参道上部には、手すりも鎖がありません、危険ですから参拝者はここから遥拝してください。」行かなくてよかったみたいです足がすくんで引き返そうとふと崖の下をみると・・なんと階段が下へと続いています。そうか、洞門というんだもの、海岸のはずだよね、階段を降りて振り返るとこんな感じ白山洞門は右側の岩の下にあります。左側の山を下ったところが神社の鳥居です道路から見下ろした白山洞門洞門の中央の岩に女の子の横顔が・・・わかりますか?これはあとでネットで検索してわかったことです事前に予習しておくともっと楽しい旅ができるのでしょうね~洞門近くの海岸足摺岬灯台から白山洞門への遊歩道には、足摺の七不思議というものが点在していました地獄の穴硬貨を落とすとチリンと音をたてておちていくとか、穴は近くの金剛福寺までつづいているといわれています。・・でも硬貨がみえますが・・落葉や賽銭で穴がふさがってしまったそうな大師の爪書石大師が爪で「南無阿弥陀仏」と書いたそうです。どうみても凡人のhimekyonにはわかりません亀呼場大師はここから亀を呼んで不動岩に渡り、身体安全、航海安全の祈祷をされたといわれています。ネットで検索すると、亀が泳いでいるのがみられるようです。大師一夜建立ならずの華表(とりい)大師が一夜で建立しようとしたら、天邪鬼が鳥の鳴きまねをしたので朝と勘違いしたので建立するのをやめてしまったとか・・・???根(寝)笹この地の笹はこれ以上大きくならないとか近くには背丈ほどの笹が生えていましたが・・この立て札の下の笹のことなのですねどうもひねくれもののhimekyonはあらぬことばかり考えてしまいます汐の満干手水鉢岩のくぼみには、満潮のときに水がたまり、干潮の時には水がないとかこの日は干潮だったのでしょうか・・・亀石大師が亀を呼んで不動岩に渡ったとされる亀石伝説この亀石は、その方向に向いているそうですほんと亀さんに似てますねこれで全部と思ったら、「ゆるぎ石」というのもあったそうですが・・・ということは八不思議ってこと?でも気がつきませんでした。 この足摺岬には、四国八十八霊場第三十八番札所の金剛福寺があります弘法大師にまつわる伝えが残っているようですその土地、土地で伝わるものがあるのですね。
2012/01/22
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12月28日~1月2日初めての四国一周の旅高松―こんぴら参り―松山―道後温泉―松山城―子規堂――高知―高知市内―坂本龍馬生誕地―高知城―中村―足摺岬 12月30日3日目は足摺岬へ足摺岬へ足摺岬から足摺岬に咲く花と実昨日のわからなかったお花はトウワタかヤナギトウワタとだいちゃんさんから教えていただきました。ありがとうございました。今日も昨日の続きで実のなる植物です。フウトウカズラ(風藤葛)の実胡椒の近縁種ですが辛味がないそうです。関東南部以西の海岸に近い山地に生えるということで初めて見たのは、千葉県の山でした。以降何度かお目にかかっていますが、この実はけっこう大きな実になっていました。胡椒は調味料としておなじみですが、実際に実が成っているところを見たことがありませんので検索してみたら、フウトウカズラとよく似ています。オオムラサキシキブ(大紫式部)神奈川県以西の海岸に多いムラサキシキブで、木も実も大きくて色鮮やかでしたアオノクマタケラン(青の熊竹蘭)の実ハナミョウガかなと検索してみたら、ハナミョウガは扁平の実で先に細毛があるアオノクマタケランは球形の実暖地の山に咲き、両方ともに千葉の山で見たことがあります蘭の名前があっても蘭ではなく、生姜と同じ仲間ですハダカホオズキ(裸酸漿)かな?クワズイモ熱帯、亜熱帯性の植物で四国室戸岬が北限サトイモに似ているが毒性があるために食べられないのでクワズイモと観葉植物のアローカシアと同種とかマサキ(正木)の実生垣になっているものを見ていたので自生があるとは思いもよりませんでしたが海岸近くの林などに自生するのだそうですイヌビワ(犬枇杷)関東以西に生育する、最初に見たのは神奈川県横須賀にある猿島だったかな雌雄異株で果実はイチヂクの形をしていて、イチヂクと同じく実の中に花がある枇杷に似ていて食べられるがまずいのでイヌビワという・・枇杷というよりイチヂクそっくりだけどカミヤツデ(紙八手)だろうか?ヤツデにしては葉が下に垂れて葉の裏が白いので検索してみるとカミヤツデが別名/ツウソウ(通草)ツウダツボク(通脱木)茎の隋から造花や書画用の紙をつくることからカミヤツデと・・・カミヤツデ?の花拡大してみるとヤツデと同じですビロウ(蒲葵、枇榔、檳榔)自生地亜熱帯の海岸に自生する椰子科の植物で日本では四国、九州に自生するビロウの自生地の案内板があったので、時間が心配だったけど、急いで見に行ってきました宮崎の青島へ行ったときに自生地をみたような・・・足摺亜熱帯自然植物園足摺岬を一回りしてバス停まで戻る途中にありました以前は有料だったようですが、今は管理人もみあたりません時間がなくてちょっとだけ入って見ましたが広さは1ヘクタールじっくりとみてみたいところですが時間がありません入って階段を登っていくと木の下一面に千両の群生マンリョウは山でよく目にするのに、千両って庭の木のイメージしかなくて自生を一度もみたことがありませんでした。庭木といっても最初はどこかに自生していたものなのですね千両は南関東以西の暖かい林の中に自生するようですリュウビンタイ伊豆半島以西に自生する珍しい羊歯のようです羊歯類もたくさんありましたジャングルのようで、冬は蛇や虫はいないと思いますが・・・こういうときは、連れがいると安心して廻ることができるけどちょっとドキドキしながら、時間も気になってほんの入口だけで引き返しました。 関東ではみられないたくさんの植物に出会うことができました季節を変えたら、もっともっとみることができそうです。
2012/01/21
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12月28日~1月2日の四国一周の旅 四国で出あった花と実112月30日3日目の足摺岬では、たくさんのお花と実をみることができました。アシズリノジギク(足摺野路菊)?足摺岬には何の花が咲いていましたか?と聞かれたら、迷わずに野菊が咲いていましたと答えるでしょうそのくらい、あちらこちらに咲いていました野菊って可憐ですね日本水仙はあちこちに秋と春が同居してますねボタンボウフウ?(牡丹防風)これもブレブレでしたヤブツバキ(藪椿)の蕾足摺岬といえば、6万本の椿のトンネルが有名なのだそうですが少し早かったようですそれでもポツポツと咲き始めていました。椿のトンネルツワブキ(石蕗)そろそろ終わりですアゼトウナ(畔唐菜・畔冬菜)暖かい地方の岩場に生える花あの黄色い花はなんだろう・・ヤクシソウかなって近づいたら全然違う初めてみる花に興奮してしまったのか?ブレブレになってしまいましたツルソバ(蔓蕎麦)ミゾソバとはちょっと違うなと思ったら暖かい海岸に咲く花黒いのは実のようですハマヒサカキ(浜姫榊)テリハノイバラ(照葉の茨)咲き残りがありました。苺の花店先の鉢に植えてあった苺これはなんでしょう?トウワタ(唐綿)かナヤギトウワタ(柳唐綿)とだいちゃんさんから教えていただきました。アフリカ、南北アメリカ、西インド諸島が原産国で江戸時代に渡来したもので切花用に人気がある花だそうです。ほとんど違いがないそうですが、トウワタの葉は対生、ナヤギトウワタは互生ということで、画像を拡大してみたら対生でしたので、トウワタかもです。花の割りに大きな実がなっています。ガガイモ科ということで、綿毛がフワフワと飛んで芽が出たのかもしれません、といっても民家は近くにはありませんでしたが少し離れたところに旅館、みやげ物店、レストランなどがありました。アロエも咲いていましたハイビスカスも咲いていました
2012/01/20
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12月28日から1月2日の四国初上陸の旅12月30日 3日目 足摺岬へ8時20分、中村駅から足摺岬行の路線バスに乗り、10時5分終点足摺岬に着きました。バスの運転手さんから、このバスは11時3分にでますよ。1時間あれば充分でしょうそのあとだったら、あそこに時刻表が書いてありますからね、気をつけて行ってらっしゃいありがとうございます。 1時間ではちょっと短すぎるような・・、次は1時12分発、3時間では余り過ぎ?まっ、なるようになるさ~よし行ってみようまずは、展望台へ足摺岬は、四国最南端中の浜出身のジョン万次郎(中濱萬次郎)漁に出て遭難し、アメリカの捕鯨船に救助されてアメリカ本土の渡り、勉学に励み日本に帰ってからは、鎖国時代から開国への日米和親条約締結に尽力、日米修好通商条約では、勝海舟とともに咸臨丸でアメリカに渡っている。英会話、造船技術などを広めた人物だが、武士の身分ではなかったためにねたまれることが多かったという足摺岬燈台断崖の下に点在する岩礁どれが不動岩なのだろうか・・・弘法大師が亀を呼び、亀の背に乗って不動岩に乗り移り祈祷をあげたという伝説の岩はどれ?望遠でよってみるとなんと釣り人が、あっちの岩にもこっちの岩にも波がきたら・・・怖くないんですかね展望台からの天狗の鼻の絶壁コバルトブルーというのでしょうか吸い込まれそうで、ちょっと怖い感じです天狗の鼻からの絶壁柵もなく落ちたら・・・恐々越えました天狗の鼻からの展望台と足摺岬灯台今生天皇陛下が皇太子殿下の時に詠まれた歌碑灯台の足元に三角点がありました灯台は八角形日本一の燈光度がある見守る灯台の下を一隻の漁船が・・大漁か?
2012/01/18
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12月28日から1月2日初めての四国12月30日 3日目、連日遅寝早起きの超ハードスケジュールこの日も高知駅6時6分発の特急で出発ですホテルの目の前が高知駅、ギリギリでも間に合うはずだけど、前の晩にコンビニで、朝食と昼の分を調達して、ホテルに預ける荷物と携帯ザックに分けてすぐに出られるようにしておいたけど、遅れたら大変と5時前に目覚ましをかけて、4時半過ぎには目が覚めました。四国の夜明けは遅く、もちろん6時では真っ暗です 今日の目的地は足摺岬高知から中村駅まで特急で2時間、各駅停車だと4時間。足摺岬を日帰りするためには、路線バスの8時20分始発に乗らないと次は2時間後、1日がかりになって戻りは夕方になってしまいます。泊まることも考えてみましたが、ネットで検索する限りではシングル設定がないような(直接電話すれば可能かも・・)また、中村駅へは、途中窪川駅から第三セクターの土佐くろしお鉄道になるために、青春18きっぷを使うことができません。どうせ別料金になるのなら、特急で早く着いて早く戻れたほうが、次の行動ができるのでは、四国は海に囲まれているから、四国中央の山岳地域以外は平らなところなのかとイメージしていたら、海の近くまで山が迫っていて、いくつもいくつもトンネルをくぐり、7時を過ぎて、ようやく明るくなり、太陽がでてきても、すぐにトンネルにさえぎられてしまいます。8時13分中村駅に到着、駅前には20分発足摺岬行のバスが停車しています。発車まで7分、時間がありません、運転手さんに声をかけて、通りに出る角にあるホテルまで走って荷物を預けに行きます。列車の中でトイレを済ませておいて正解でした。出発すぐに四万十川を渡り、しばらくは川沿いに走ります。テレビなどで知ってはいてもこんなにも大きくゆったりとした川だったとは・・土佐清水までは、左手に見えた海、himekyonがシャッターを切っているのをみて、バスの運転手さんがこのあたりが一番景色がいいところなんですよと声をかけてくれました。これからは、右側に海が見えてきますから、右側の空いている席に移ってみるといいですよ。この路線バスは、集落の人たちにはかかせない交通手段のようで、停留所ごとに年配の人たちが乗ってきます。土佐清水の街でほとんどの人たちが降りて、商店街からはまた別の人たちが荷物をもって乗ってきました。途中途中の集落でポツポツと降りて、足摺岬まで乗ったのは歩き遍路の男性とふたりだけになりました。足摺岬から歩き遍路を開始するのでしょうね。途中、ジョン万次郎の生誕地、中の浜も通りました路線バスが通る集落の中の狭い道路、乗っていても車体がガードレールから飛び出すのではないかと思うくらいほんとに狭い道路です。運転手さんのハンドルさばきに感心します。(広い一般道路は別にあります)バス同士は絶対にすれ違うことはできませんので、広い道路ですれ違うバスが来るのをだいぶ待たされました。
2012/01/17
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12月28日~1月2日の四国一周の旅高知市内の日記、昨日は文字制限で途中になってしまいましたのでもう1日高知市内坂本龍馬と高知城 夕暮れがせまる高知城をあとにして、地図を見ながら街歩き午後2時近くに高知に着いて、バタバタとホテルに荷物を預けた際忘れたものがありました。結果的には行くことができなかったけど、牧野植物園は五台山という山の上にあるそうで、五台山からの展望がすばらしいとか、夕日が撮れるかも・・で三脚を持って出ようと思いながら忘れてしまいました。街を歩きながら、ふと見上げると高知城がライトアップされていました遠すぎてフラッシュは使えませんどう頑張ってもブレブレ・・・ほんといつもドジばかりやってます交差点の信号の柱に体を固定したり・・・セルフタイマーにしたりしても体が動いてやっぱりブレちゃいます観光協会でいただいた地図、結構細かく書いてあるように思えたのにいざ、歩いてみると目的の場所へ行く肝心の目印がほとんどありません何度も何度もぐるぐる廻って見つからない~と思ったら、板垣退助の生誕地がありました立派な門の中へ車や人がどんどん入っていきますなんだろうと案内の人に聞くと山内家下屋敷跡明治になってホテルが買い取ったのだとか、お庭と長屋跡を少しだけ説明していただきましたやっぱり暗いと探すのも難しいです長屋跡三日月が出ています山内一豊の父が、軍のときに旗指物として使っていたのが柏の紋柏の葉は新しい芽が出るまで葉を落とさないのでおめでたいといい丸三葉柏を山内家の紋として使われていたので、平成になって植えられた柏の木山内神社は真っ暗です三脚があれば撮れるのに・・・市内にはたくさんの史跡が点在していますが朝7時から歩きどうしでゆっくりしたのは高速に乗っていた2時間だけ疲れたのと暗くて探せなくてここで市内見物は打ち切りです食事をしてからホテルに戻ったのは9時近く明日は、目的地への路線バスに乗るために6時6分発の始発特急に乗ります特急でも2時間、各駅停車だと4時間かかるのでやむなし・・・流石に2日間、寝不足と歩きつかれ明日の朝起きられなかったら・・・携帯とホテルのタイマーと両方かけて寝ました 国の天然記念物 尾長鳥鳥さん明日の朝起こしてね~
2012/01/16
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今日からまた四国一周の旅の続きです記録として残しておきたいと思いますので、だらだらと続くと思いますが、懲りずにお越しいただければうれしいです。 高知市内見物12月28日から1月2日初上陸の四国一周の旅29日、2日目松山から高速バスで高知入り、当初5時半過ぎ到着予定で、市内見学の計画はたてておらず、2時からだったら牧野植物園に行けるのではと、急ぎ駅前のホテルに荷物を預けて周遊バスに乗ろうとしたら、年内は27日までだった、確か29日まで開いていると・・この情報はどこから仕入れたのだろう??がっかりだったけどこんなところが大雑把なhimekyonなのだ、まっいっか、次の機会にそれでは、折角明るいうちに着いたのだから、市内見物をしてみようと、観光協会で地図をいただき、主だったみどころを・・ここでまたまたがっかりなことが・・松山城に続き、高知城は今日まで休みで天守閣に上れないという、明日からはみられるという、やはり普段と違い、年末年始は、あちこちで休みが多くなっている 「龍馬の生れたまち記念館」折しも「志国高知龍馬ふるさと博」が開催されていましたので、himekyonも廻ってみることにしました。高知駅前から路面電車に乗り、はりまや橋で乗り換えて、龍馬の生誕地へその前に、裏通りにある「龍馬の生れたまち記念館」に入ってみましたが、限られた時間しかないので、やっぱりゆっくりと見る時間がありません、ささっと一回りして外へ、地図を見ながらウロウロしていたら、雑貨屋さんのおかみさんがわざわざ出てきて、何を探しているの?龍馬の生まれた…それなら表通りにでて…親切に教えていただきました。坂本龍馬生誕地の碑明るいうちに高知城へと高知城大手門太い梁には驚きです初代土佐藩藩主 山内一豊像山内一豊の妻「内助の功」で妻の鑑と称されている夫の出世のために馬を買ったとされ、織田信長の目にとまり、出世したとか若いカップルが、この馬はなに?って話していた若い子は知らないらしい・・・himekyonは??そんな時代もあったと思うけど(自称)・・板垣退助の碑 「吾死スルトモ自由ハ死セン」と言ったのが「板垣死すとも自由は死せず」になったとかした。万両の実マメヅタ?が躑躅の枝先にまで絡まっている高知城の石垣はあちらこちらで痛みがでているようで何度も修理をされているとか石樋高知は雨が多いため、雨が浸みて石垣が崩れないようにあちこちに樋を作っていたとこの石樋が一番大きく、流れた雨水が石垣にかからないように長く突き出ている 石樋の流れ口の部分戦国時代、土佐を統一した長宗我部氏が築いたころの石垣が発掘されているこれは何?底がないけど、雨水枡だろうか・・・敵の侵入を防ぐためのもの全国で高知城のみに現存しているようだ陽が傾きだして夕日があたる高知城 天守閣が近くに見えるところは?やっぱり閉まってます矢狭間から天守閣を覗いてみましたイヌビワかな?けっこうたくさんありましたこんなに赤い紅葉も残っていました
2012/01/15
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12月28日から1月2日の6日間初めての四国上陸、青春18切符を利用して1周してみようかな・・・いえいえ、とても、とても、広すぎて各駅停車では6日間では廻りきれませんでした特急利用で短時間で廻ったほうが、宿泊代が少なくて済む分案外安上がりかも知れません。 高知に降り立つと「よさこい鳴子踊り」が賑やかにお出迎え全部は廻りきれなかったけど、さすがお遍路の土地柄か、列車の中で、街の中で、地元の人たちの暖かい親切に感謝、一期一会の楽しさを味わうことができました。27日の夜行バスで東京を出発して12時間半、28日の朝、高松に着いてその足でこんぴら参り、そのあとは松山に移動して道後温泉で疲れを癒し2日目、29日は朝から松山城へ登り、坂の上の雲の秋山兄弟や正岡子規の史跡を見て周りいよいよ高知ですくじらをイメージした高知駅夜の高知駅松山から高知への移動は高速バスを利用しました。青春18切符は5回分、暮れに父のお墓参りに1回使っているので、残りが4回分、こんぴら参りから松山への移動に1回使いました。あと3回分あるけれど、最終日は夜行列車を利用するために日付変更線でもう1回分使うことになり、残りは1回分だけ、さてどこで使うか・・・・特急には使えないし、第三セクターには使えないし、宇和島周りで高知へ入るにはちょっと厳しくて、特急よりも安い高速バスを利用することにしました。お遍路さんもポツポツと歩いていました松山を廻りきれませんでしたが、予約時間よりも早い11時台のバスで高知へ入ります。寝不足が続き、歩き疲れもあって、バスの中はほとんど記憶がなく、うとうとしながら2時間ほどで高知へ着きました。早速、駅前のホテルに荷物を預けて、行動開始ですバスの予約では、5時半ごろ到着予定で、観光は無理と思っていたので「牧野植物園」ははなからあきらめていたのが、行くことができそう、確か29日までは開園していたはずと勇んで周遊バス乗り場まで行くと、27日で終わりですよ。あれ、himekyonは園には確認しなかったものの29日までやっていると何かで見たような記憶があったけど・・・う・う・ぅ 残念牧野植物園に行けないんだったら、周遊バスに乗る必要もなし観光協会へ行って、みどころを教えていただきました。高知は、松山と同じく路面電車が走っていて、はりまや橋で交差しています。街の中を歩き回ったら夕暮れです今日もイマイチの夕日ですアーケード街が多いです年末休みが多かったけど・・・イルミネーションもきれいでしたはりまや橋にもイルミネーションと思ったら赤い橋ではありません・・・でもはりまやばしとかいてあります赤いはりまや橋元旦に高速バス待ちしていたら通りの反対側にありましたこれもイルミ?センダンの実でしたからくり時計残念、ちょうど終わったところでした元旦の朝、からくり時計が動き出しました午前中松山7時から歩き出して10時半午後2時過ぎから歩いて7時30分過ぎバスに乗っていた2時間以外ほぼ歩きどおしさすがにヘトヘト、お腹も空いてきました。土佐の名物を・・・カツオのたたき、鯨の酢味噌、マグロの刺身、四万十川の青海苔の天ぷら、ナマリ節のそぼろご飯、煮物でしたこれはなんでしょう~こわごわ1本だけ頼んでみました美味??味は淡白でしたグロテスクで獰猛な海のギャング、うつぼです上の串揚げはうつぼでした高知から室戸方面はうつぼを普通に食べるそうなのです隣に座ったおじさまがおすすめはタタキだよって・・うつぼづくしというのもあったけど、ちょっと思い切れませんでした高知駅前の立つ三志士像やはり、坂本竜馬がメインのようです。高知駅前では、「志国高知龍馬ふるさと博」が開催されていました。
2012/01/12
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12月28日~1月2日初上陸の四国へ・松山道後温泉松山の日の出と坂の上の雲松山城松山城から降りてきて大通りへ出るとあっ、坊ちゃん列車が走ってる急いでカメラを向けたけど、あっという間に行ってしまいました 二の丸庭園近くを歩いていたおじさんが教えてくれた子規堂は、地下道をくぐって真っ直ぐ突き当たりの川まで行って右だよ、近くへ行ったらまた聞くといいよ近くまで行って、店先にでていたはんこ屋のご主人と近所の奥様子規堂はどの辺ですか?あら、どこから来たの、そう千葉から、遠いところから来たのね子規堂ね、そこを曲がって歩道橋渡って・・近くまで一緒に行きましょって一緒に歩き出しましたそう、その歩道橋渡って左に曲がって踏み切り渡ればすぐ右よ四国の人ってほんとに親切です子規堂って書いてあるけど正宗寺(しょうじゅうじ)というお寺ですいいのかな?本堂の左側に子規堂がありました。正岡子規と文学の仲間だった正宗寺の仏海住職が、子規が17歳まで住んでいた家を境内に再建して公開しています邸内は入館料50円でした受付で、邸内の写真の撮影の可否を尋ねるとどうぞ、どうぞご自由にお撮りくださいとたくさんの資料がありますので、ごゆっくりご覧くださいねと帰りがけに、「松山百点」の小冊子までいただきました東京へ旅立つ子規子規の勉強部屋子規が書いた植物子規が使用していたふとん生地が貼ってありました子規堂の奥が墓地になっていて子規の没後100年の碑子規の埋髪塔正岡家の累代のお墓明治初期に日本に野球が導入された頃から喀血するまで野球に熱中して「野球」の名付け親だとか境内には夏目漱石の「坊ちゃん列車」が展示されています横綱千代の富士を称えた「道」の碑も松山市駅近くの子規の碑 朝7時から歩き出して子規堂を出たのが10時半松山市駅前にある高速バス予約センターに支払いに寄ると予約してある3時20分の前に11時20分に空席があるとのことまだまだ廻りきれていない松山市内だったけど1時台の設定がなくて、11時台だったら高知には明るいうちに着きそうだったので変更して急いでホテルに荷物を取りに戻り高知へと移動しました
2012/01/11
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12月28日~1月2日初めての四国上陸夜行バスで高松へ到着、こんぴらさん詣でのあと松山へ、道後温泉で疲れを癒し2日目の朝7時、松山市内の観光開始松山の日の出と坂の上の雲松山城天守閣とマスコットよしあきくん 戸無門はじめから戸が作られていなかったとか敵を討つための矢狭間 井戸深さ44m、当時の技術としてはは考えられない深さとか城内の展望台からみえる景色すす払いの準備で忙しいスタッフのおじさまにあの山はなんという山ですか?興居島(ごごしま)の伊予富士ですよここのみかんはおいしいんですよ特にその奥にある中島のみかんは最高のブランドみかんですよ空気が澄んだ日には、九州の国東半島がみえますよ今日は霞んでますが、真っ白な石鎚山も見えるんですよ石鎚山にも登ってみたいので、また来ます。マスコット よしあきくんがお出迎え~のはずでしたが・・本日はすす払いで天守閣への入場はできませんでした天守閣1602年から築城2度の火災にあいながら、1854年に復興した城郭建築葵のご紋がある天守閣すす払いのボランティアに向かう人たち二の丸へ参道石段を降りて降りて・・今日は残念でしたねって受付の女性が、舗装された道もありますと教えてくれましたが石段を降りてみました。昔は羽織袴でこの石段を登って行ったのですね。二の丸史跡庭園残念ながらこちらもお休みでした松山市内まで降りてきて降りかえると松山城が見えます連立式天守をもった、日本最後の完全城郭建築21棟が重要文化財に指定されているというたくさんの建物を撮影してもどの建物がなんという建物か、調べる時間がありませんでしたので、今日は写真だけのUPになりました。やはり、じっくりと見学して撮らなければ無理ですね。またの機会に・・・
2012/01/10
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12月28日~1月2日の6日間 初上陸の四国の旅全県、ほぼ1時間に1本走っている特急列車を利用すれば、6日間あったら四国をくまなく廻れたかもしれません、しかし、himekyonが選んだのは青春18切符、6日間あっても主な観光地をすべて廻ることはできませんでした。高松を基点に松山へ入るべきか、高知へ入るべきか・・道後温泉に入ってみたかったので松山を選択したら、高知へ入るにはどうするか松山市内を観光して宇和島経由で入るには、途中もう1泊しないと無理・・で、選んだのが特急料金よりも安い都市間を結ぶ高速バス、松山~高知へは特急バスを利用することにしました。ガイドブックをみると愛媛県もみどころいっぱいですが、今回はパスせめて、片道1時間の内子の町並をみたいと思っていたのが、1日目の列車乗り遅れによるドジで松山入りが遅くなり、松山市内の観光が翌日回しになりあきらめることにしました。 夜行バスで四国初上陸旅のはじめはこんぴら詣で1旅のはじめはこんぴら詣で2松山・道後温泉へ四国で出あった花たち1四国で出あった生き物たち松山市内からの日の出関東から比べると、夜明けの遅い四国、7時ようやく空が明るくなってきてホテル近くの「坂の上の雲」の秋山兄弟生誕地へ正直、司馬遼太郎の小説はほとんど読んでいませんが、年末のドラマで話題になっていてhimekyonが去年の初めまで住んでいた町とゆかりの方でしたので行って見ました習志野の史跡巡りクリックしてみてねかわいい門松土地によって形が違う門松ですこの建物は?なんとミッション系の中高等学校の門のようです夏目漱石の「坊ちゃん」のマドンナは、この学校の出身のようです市内のあちらこちらにある正岡子規の俳句の碑松山城を築城した加藤嘉明公完成をみずに会津の地に転封となったそうです水準点高さの基準点で海水面を基準に山では三角点があって、登山者はみなタッチしていますが、三角点は位置の基準点だそうです東雲神社(しののめじんじゃ)松山城への上り口のひとつ松山城へはロープウェーで登ることができますが、朝は8時半から神社口から歩いて登ることにしましたなんときれいな紅葉が・・・ボケボケになってしまいましたが鳥居をくぐって東雲神社あっ、朝日が・・どこか見えるところはないの?ロープウェーがかかるところまで必死に走ってなんとかみることが・・・松山城への坂道をガタン、ガタンと音を立てながら車が登っていきますお城のスタップさんのようですここにも正岡子規の句が暗くて思い切れなかった朝の出発、あと30分早く出てきていればここで日の出を見られたようです残念松山市内には朝靄が立ち込めて、静かな朝を迎えています展望台の気温は4度でした
2012/01/09
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初上陸の四国は広いです初日、長い長い石段を登ってこんぴら詣で夜行バスの疲れ、こんぴら詣での疲れを癒すべく松山・道後温泉へ向かいます 歴史を感じる道後温泉夜行バスで四国初上陸旅のはじめはこんぴら詣で1旅のはじめはこんぴら詣で2四国で出あった花たち1四国で出あった生き物たちせっかく駅で調べてもらった乗り換え時刻を、ドジやって乗り損ない、30分待って次の列車に乗り、静かな瀬戸内海を眺めながら・・・終点観音寺駅では、50分待ち駅の外へでてみると、目の前の川にかかる橋、欄干がきれい巨大な寛永通宝の銭形砂絵があるそうな藩主を歓迎するために一夜にして作りあげたとかこの砂絵を高台から見ると、健康でお金が貯まるそうな残念!お金はほしいけど時間がない・・・列車の車窓から夕日を眺め車窓から月を眺め19時半、ようやく松山駅に到着ですホテルにチェックインしてから、道後温泉へ予定だったけどこのまま温泉へ昔懐かしい路面電車が走っているんですねレトロな雰囲気があっていい感じ道後温泉駅おみやげ屋さんが並ぶアーケード街ハイカラ通り店先に活けられた春を待つ花個々の店先に並ぶ行灯椿が基調になっています華やかなアーケード街を抜けると目の前に道後温泉の建物がどーんと構えていました1300年の昔から続く歴史のある温泉明治に建てられた建物は重みを感じます温泉料金 「神の湯」入浴のみ400円 「神の湯2階」800円 神の湯に入浴し、2階の大広間で休憩、浴衣とお茶とせんべい付 「霊の湯2階」1200円 霊の湯、神の湯に入浴し、2階の広間で休憩。浴衣とお茶とせんべい付 「霊の湯3階個室」1,500円 霊の湯、神の湯に入浴し、3階の個室で休憩 浴衣とお茶と坊ちゃん団子付himekyonは、建物内にある「坊ちゃんの間」日本で唯一皇室専用の浴室などが見学できる1200円のコースを選びました。「霊の湯」はこじんまりとしていましたが、深さがあって柔らかいお湯に体も心も癒されました。「神の湯」は日帰りの広い温泉で入浴客がいっぱい温泉を出てお茶とおせんべいをいただいて、スタッフの説明で「坊ちゃんの間」「皇室の浴室」を見学して道後温泉をでました。建物内は写真撮影禁止でした。椿の湯道後温泉本館のほかに昭和になって作られた温泉知っていたら入りたかった、こういうところが事前学習ができていない証拠です聖徳太子が訪れたときの漢詩からが由来とか、駅に戻ると駅前にはぼっちゃん列車が展示されていました同型の列車が土日祝日には松山市内を走るようですからくり時計「ぼっちゃん」の小説の登場人物が音楽に合わせて踊るという1時間ごとだけど、この時期は30分後とだったそうで、9時26分にシャッターを押していた、もう少し待っていればみられたのね、またまた残念上と同じ画像ですがフラッシュをたくとこんな感じになります上の画像のほうが雰囲気があるような・・足湯到着時間が遅れた結果道後温泉の近くにある公園に行くことはできませんでした大街道にあるホテルにチェックインしたのは10時過ぎ食事できるところを尋ねるともうやっているところはなく居酒屋さんぐらいですと教えてもらったのはホテル近くの焼き鳥屋さん旅先でお酒を飲むことがほとんどないhimekyonですが焼き鳥に生ビールビール1杯でほろ酔い気分、気持ちよかった~酔いを醒まそうと、ホテル近くのアーケード街を歩いてみると午後11時を過ぎているにもかかわらず若者たちであふれていました。何を撮っているんですか?と若者が声をかけてきました。こんな婆さんがウロウロしていたら奇異にうつるのでしょうかね~ホテルのスタッフに聞くと年末で帰郷してきた若者たちが集まっているのでしょうと
2012/01/08
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四国初上陸・一周の旅夜行バスで四国初上陸旅のはじめはこんぴら詣で1四国で出あった花たち1四国で出あった生き物たち金毘羅御本宮 最後の石段を登ると御本宮上から見下ろすと急な石段です石段の下にはまだまだきれいな紅葉が(もっときれいだったけど)重厚な御本宮お参りさせていただきました石段を登って汗をかきましたが御本宮の防火用水には氷が・・・神楽殿御本宮の展望所からの讃岐平野の遠望讃岐富士がみえます富士山そっくり~晴れて空気が澄んでいれば、本州がみえるとか絵馬堂こんぴらさんは航海安全祈願の神様大きな船が・・・ヨットで単独世界一周をした堀江謙一さんが二度目に航海した缶ビールの空き缶で造った、ソーラーモルツマーメイド号を寄贈したそうなこのようなところで、お目にかかれるとは・・旭社まで戻ってきましたしんとして荘厳さを感じます屋根裏まで彫刻が・・・息を呑む重厚さ見所いっぱいのこんぴらさんまだまだいっぱいありましたが時間切れ予習の嫌いなhimekyonは出たとこ勝負事前に予習しておけばもっともっと効率よく見られたのに・・・ねぇ、マムちゃんプロ並の見仏記を綴るマムちゃんはお寺さんはあちらこちらに離れているので、少ない時間で効率よく廻るためにバスの時間はバス会社やタクシー会社に事細かに事前チェックを入れているんだって・・・今回のhimekyonは一応バス会社には電話したけど、いつも大雑把なのよね~登りはじめてちょうど1時間でうどんやさんまで戻ってきましたお昼時、広い店内は満員呼び込みのおねえさんの凄腕!お薦めは?しょうゆかけうどんです・・ってどんなの?汁はなく、あつあつのうどんに特製の醤油をかけてそのまま食べるんですよおにいさんが、最初に醤油を少しかけときますので混ぜて食べてください。あとはお好みで醤油をかけてくださいねしょっぱすぎず、おいしかったで~すもう一杯いけたかも・・・そういえば、子供のころ、あつあつのうどんにカツブシかけて生醤油かけて食べたことがあったなぁ~、そう懐かしい味って感じがしたのはそのせいかな?駅に戻って松山へ向けて各駅停車で出発です・・・・が、ドジをやらかしました。駅で折角印刷までしてくれた乗換えの時間最初の乗換駅で大失敗終点多度津駅で乗り換えです列車の中のアナウンス乗り換えは4番線からと聞こえました乗り換え時間4分、急いで階段を上り下りして隣のホームへ列車が来て乗ろうとしたら高知方面行きの特急列車あれ、違うよと思ったら、ほぼ同じ時間に、同じホームの向かい側の列車が発車した!えっ、himekyonが乗る列車はあれだったの?行っちゃったーーーあーぁ、松山に6時前に着く予定が1時間半以上も遅れちゃう列車のアナウンスって聞き取りにくいよ(歳のせい?耳が悪いのか?)多分、特急と普通列車の乗り換え案内をしたんでしょうね・・・きちんと行き先を確認しておけばなんてことないのに思い込みって恐ろしい 初日からドタバタのスタートですこの1時間半以上の遅れが次の行動にも影響が・・・
2012/01/07
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初上陸の四国の旅日記夜行バスで四国初上陸 12時間半、夜行バスに揺られてたどり着いたのは、高松四国の第一歩の高松はどこを廻ろうか、こんぴらさん、栗林公園、高松城跡は押さえたい実は、時刻表を見るまでは、こんぴらさんが市内から離れているのを知らなかったのです。一気に市内観光をしてしまおうと思ったのに、できそうにありません。ではどこから?まずはこんぴらさんでしょう~というよりも、最終日は疲れて石段を登れないかもしれないこれは先に登っておかなければ・・高松駅を出発どんより霞んでしまっている瀬戸内海を眺めながら、琴平駅に到着改札の窓口で、夕方までに松山駅に着くための出発時間を確認親切に乗換駅、時間を印刷してくれました。荷物を預けようとしても大きなザックが入るロッカーはなし、参道まで行けば預かってくれるところはたくさんありますよ日本一高い北神苑高燈籠通りの角にいたおじさん二人、あの点滅してる信号を右に曲がれば石段がみえるよ、どこから来たのか、遠いとこからよう来たな、気をつけてなありがとうございます、がんばります金陵の郷(清酒金陵)御神木のくすのき金毘羅信仰の天狗が人々の災難を救い、この楠で休んで金毘羅さんへ帰ったという古い建物の脇から石段がはじまります旅籠やだったのかな?うどんやさんのおねえさんがここから石段だから、荷物預かりますよ奥の院までは無理だけど、御本宮まで往復1時間で行ってこられますよ、杖があったほうが楽だから持ってて~今回山歩き無しのhimekyon、ストック置いてきたので、竹杖を借りましたよっしゃ、行ってきます~いよいよ石段のスタート階段の参道脇には、みやげものやが並びます暮れの28日で平日、元旦からの賑わいに備えてお休みが多いのかな?どこまでも続く石段名物 駕籠タクシー登場大鳥居は幕がかかって見えなかったけど備前焼の狛犬が鎮座していますここからは急な一の坂金刀比羅本教総本部明治の神仏分離、廃仏毀釈により 真言宗 象頭山松尾寺金光院から象頭山金毘羅大権現へお寺でいう大本山のことかな・・青銅大燈篭やっと294段目、あと491段大門女の子たちもがんばってるこんぴらさんの境内で唯一商売を許可された五人百姓 飴やさん桜の馬場入口の二の鳥居春は桜のトンネルになるそうなさざれ石日本の国歌に歌われている石です君が代は 千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで国歌斉唱をボイコットする教育関係者があちらこちらで教育関係者は中立でいなければならないのではないかと思うhimekyonそういう教育を受けた若者たちがどれだけ歌えるか・・・国歌は国歌としてきちんと教えるべきではないのだろうか国歌を軽んじる国が他にあるのだろうかと・・・思想を持つのも言論も自由です。でも自分で物事を考えることができるようになってからのこと、こんなことを思うhimekyonは、右でも左でもありません御書院御書院石塀の隙間から垣間見祓戸社旭社までたどり着きました立派なお社にかの森の石松は御本宮と間違えてここにお参りをして帰ってしまったそうなそれくらいりっぱなお社です夜行バスに揺られた割には快調に歩いています とりたてた写真はありませんが、時間がなくて・・もう1日続きます。5日の日記が抜けちゃってました。生き物たちをUPしてます。覗いてみてね
2012/01/06
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一年に一度だけの長い休み山歩きを始めて12年、毎年どこかの山の上で年越しをしたいと思っていたはずだったけどひとりで冬山へ登れるわけもなく、折角の長い休み、それならば休みをめいっぱい使う旅行もいいかもしれないと、去年の年末年始は「北海道&東日本パス」7日間1万円の切符を使って北海道を廻ってみました。各駅停車では全道を廻れたわけではなく、続きを廻るのもいいかなとも思いました。しかし、3月の大震災以来、北へ行く気持ちがわきません。来年(もう今年ですが)は辰年、初心に戻って、2年ほど前の竜ヶ岳からのご来光リベンジも考えましたが、本栖湖でのテント泊の寒さを考えると思い切れず・・・徳島・吉野川河口だろうか・・・では南へ行ってみようか~そうだ、四国はいまだ未踏の地、この際四国を制覇してみよう~ とはいっても先立つものはなし、行くのなら各駅停車の青春18切符(5日間で11500円)しかないと切符と時刻表を購入して、夜行列車の予約をと窓口へ行くと、一ヶ月前の発売日当日にすでに満席だとか。寝台特急はどうか・・これも満席、夜行バスを調べると、これまた満席ばかり、岡山まで新幹線でいくしかないか、数日間、ネット検索してみると「徳島・高松行」の夜行バスがわずかに空席ありをみつけて即申し込み、しかし、3列座席は満席で、通常の観光バスと同じく4列座席でトイレなし、とりあえず席が確保できただけ良しとしなければ・・・以前品川から鳥取米子まで11時間乗ったことはあったけど、3列席でリクライニング、トイレ付きでした。今回は狭い座席で12時間、はたしてこの婆さんに耐えられるのだろうか・・エコノミー症候群にならなければいいのだが・・徳島で降りることも可能だったけど、会社の健保組合旅行補助が1万円残っていて、旅行会社経由での予約が必要、徳島のホテルは満室、初日の疲れを癒せるのは、道後温泉か・・道後温泉街のホテルはシングル不可、松山市内のホテルと高知のホテルを予約、高松から松山、高知とどう繋げようか・・・ガイドブックを購入すると、あっちもこっちも行ってみたくなる、しかし、四国は広かった、各駅停車ではとても廻りきれそうもない、綿密な計画を立てることが苦手なhimekyon、時刻表と首っ引きになって調べてもとても無理どの路線も特急が中心になっていて、普通列車は少なく、第三セクターまであって肝心なところが18切符は使えない、各都市間を高速バスが走っていることを知り、特急よりも安いバスを利用することにする。あと3日間のホテルはネット検索で、しかし、泊まりたいところはシングルはなしだったり、満室だったりで、どうしても泊まりたいところは、観光協会の紹介で民宿を確保することができて、ホテルを中心に観光コースをおおまかに検討していくことに、あとは出たとこ勝負!いよいよ当日、一昼夜バスに揺られるため、仕事が終わったあと家に戻り、シャワーを浴びてから出発したいと思っていたのに・・この日は夕方4時過ぎから、支社の納会が浦安市であり、6時半までは早退を許可しないという、仕方なくザックを背負って出勤後会場へ、納会は長引き一部が終わったのが7時近く、いつもの同僚も福井の実家へ帰るとのことで、新浦安駅までタクシーに乗り、東京駅へ8時50分発の乗車時間まで、駅構内で軽い食事をして乗車満席のバスも定刻に出発、一路四国へ周りは若者ばかり、隣の女の子は丸亀の実家へ、武○野美大の1年生、将来の夢を語ってくれました。斜め後ろの女の子は大学2年生、徳島の実家へ、ハイキングに目覚めて友達と御岳山の滝を見に行ってきたと、今度は高尾山へもぜひ行ってくださいねと、自然現象のシモバシラが見られますよと薦めました。夜行バスは2時間ごとにトイレ休憩、通路側の席で、折角寝入っても細切れにしか寝ることができず、それでも結構寝られたような、体も痛くならず・・・本州最後のトイレ休憩で、いよいよ四国へ明石海峡を渡り、淡路島を縦断する頃に徐々に空が明るくなってきて・・・太陽が昇ってくる気配、でも隣の女の子は寝ていて、カーテンを開けることができず残念ようやく徳島に到着、ほとんどの乗客が下車、あと1時間あまりで高松空いた席に移り、これから始まる旅への思いを馳せながら、瀬戸内海を眺めながています・・・高松・屋島だろうか・・・12時間半、12月28日午前9時20分、高松駅に到着しました続く
2012/01/04
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あらためまして、新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。留守の間もご訪問&コメントをいただきありがとうございました。行きは夜行バス泊、四国に5泊、帰りは夜行列車泊の長い、長いひとり旅でもあっというまに終わった旅でもあった6日間無事に帰宅することができました。 どこから手をつけてよいやら・・・お花大好きhimekyon、関東にはないお花にも出会うことができました。まずは、高松・金比羅さん、松山・松山城で出あったお花を松山城には、シキザクラが咲いていましたやはり、お城に桜が似合いますとはいってもソメイヨシノはまだまだ硬い蕾でお城とのコラボを撮ることはできませんでしたが・・硬い蕾のソメイヨシノですヒメウズ早春から咲きだす花ですが石垣の奥に見つけたときには感激してしまいました遠くてなかなか撮れなくて、ブレブレですツワブキどこにでも咲いているお花ですが・・和水仙はあちこちに咲いていましたベニバナボロギクアメリカフウロクロガネモチセンダンナンキンハゼ金比羅さんのムラサキシキブ南天ヤブツバキ白い山茶花道後温泉の商店街に活けられていた和蝋梅 6日間の四国一周の旅何日かかって旅日記が終わるでしょうか・・あきずにお付き合いくださいね
2012/01/04
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初上陸の四国旅最終日6日目は、夜行列車22時49分発「ムーンライトながら」に乗るため時間までに大垣駅に辿り着かなければなりません。どこまで廻れるか…徳島5時45分発の始発列車で、うだつの町並み脇町へ、夜明けの遅い四国、7時過ぎ明るくなりかけた穴吹駅に着くと、回りの山はうっすらと雪化粧、早朝から降り出したとか、雪が散らつく中、町並みを一回りして旅のスタート地高松へ各駅停車で一番早く辿り着けるのは何線経由か? 携帯で、徳島の観光協会で、駅の窓口でと調べた結果よりも、さすがに地元穴吹駅の窓口で調べてもらったのが、一度の乗り換えで次の目的地へ12時30分過ぎ高松栗林公園北口駅にたどり着きました。1時間ほどでささっと一回り、本数の多い琴電で終点の高松築港駅、目の前が高松城址・玉藻公園、天守閣は現存していませんが、現存する月見櫓が三が日無料公開中6日間の旅も終わり、一路大垣へ高松駅に3時10分に着き、岡山行3時40分発岡山行快速列車の指定席購入をしてと思ったら満席、自由席は並ばなくてはならず…6日間バタバタとお土産を買う暇もなく歩き回ったので、高松で買いものと思ったのに時間がありませんでした。岡山~姫路~野洲~米原~大垣と乗り継ぎ無事に到着、しかし、しかし…とんでもないハブニングが…ぐっすりと寝入っていたら、突然乗務員の声、踏切で車と衝突事故発生!3時間近く立ち往生して動きだしました。東京駅5時5分着予定のはずが今6時50分ようやく横浜駅に到着するところです。すっかり目がさめてしまい日記を書いています。ツアー旅行のほうが安上がりだったと思いますが、電車の時間バスの時間にハラハラドキドキしながら、素晴らしい景色に感動し、一期一会のであいに感激した6日間の充実した旅になりました。もっともっと廻りたかったけど…おおざっばな計画しか立てられないhimekyonです。無事に帰り着けたことでよしとし、またの機会に取っておきましょう~年末年始の休みも今日3日が最後、帰宅したら孫のみみりんと映画の約束です~みみりんママから映画館で寝ててください~多分そうなるでしょう(笑)
2012/01/03
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初上陸の四国旅5日目♪南国土佐を後にして♪高速バスで徳島へ時間がなくて走って眉山のロープウェイ乗り場へ、山頂からの景色を眺め10分ほどで下山、次の目的地鳴門へ興味半分怖さ半分で観潮船に乗り、うず潮の真っ只中へ~下船後走ってバスに飛び乗って、走ってうずの道へー、入館時間にギリギリ間に合って四国は広い~、車がないと大変です…昨日はバスの移動以外走ってばかり、相変わらずバタバタしています
2012/01/02
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明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げますいつもたくさんの方にご訪問をいただき、コメントをいただきながらお返事、ご訪問ができずお許しください。つたないブログですが、懲りずによろしくお願いいたします。さて、初上陸の四国4日目の昨日は、高知に戻り、龍河洞を見学の後、桂浜にたどり着きました。ホテルがとれず、桂浜近くの民宿にて5日目、元旦を迎えました。期待した初日の出は残念ながら…しかしながら、昨日、龍河洞の帰りの駅の待合室でであった地元のおばさまから、遠くから来てくれたんだから初日の出が見られますようにおまじないよと手書きの龍のハガキをいただきました、こうを奏したのか、7時半過ぎ雲の中からわずかに光が差しました。一期一会のうれしい出会いです。
2012/01/01
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初上陸の四国3日目は、足摺岬へ、路線バスの時間に間に合わせるため、高知駅から6時6分始発の特急で中村駅へ3時間ほどウロウロして、中村駅に戻りました。3時半、移動するには余裕な時間ですが中村泊まりです。中村といえば、清流四万十川、ここは外せません。しかし、四万十川を観光するには3時半からでは遅すぎ、ぎりぎり間に合って屋形船に一人、貸し切り状態で乗船して四万十川プチ観光。この3日間で感じたこと、関東と比べると夜明けが遅いですね、7時近くならないと明るくなりません。それよりもなによりも、どこへ行っても親切な方ばかりやはりお遍路の土地柄なのでしょうか…
2011/12/31
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四国初上陸の旅昨日は夜行バスで高松にたどり着いてから、haihaigaiさんおみとおしの金比羅さんの長い石段を登り、名物讃岐うどん醤油かけを食べて…各駅停車で松山へ移動しました。着いたのは7時過ぎ、道後温泉に直行してゆっくり温泉に浸かり、疲れを癒しました。松山市内のホテルに着いたのは10時半過ぎ今日はどこまで行けるやら~
2011/12/29
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四国初上陸です夕べ仕事が終わってから、夜行バスに乗り12時間半、高松に着きました。年末年始だけが長い休み、今年のお正月は各駅停車で北海道でした。まだ全道廻りきれていませんが、今回は初めての四国を廻ってみようかと…青春18切符ありきと買い求めましたが、とても各駅停車では廻りきれないようです。山歩き大好きhimekyon、四国にも百名山がありますが今回は山歩きなし、はたまたお遍路さんでもありません予定は未定の旅のスタートです。さて、どこから廻りましょうか…
2011/12/28
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22年12月29日~23年1月3日各駅停車ででかけた北の大地・北海道上野駅から青森まで関東から東北を縦断して、津軽海峡を渡り、北の大地へ日本列島は長い、北海道は広いを、身をもって体験した6日間でした昨日のトップの写真は、網走刑務所でしたタクシーの運転手さんから、受刑者にだけはカメラを向けてはだめですよと注意をいただいて、網走川のほとりでタクシーを降りました。10数年前に、仕事で千葉の刑務所のそばを通ったことはありましたが・・・、まさか、刑務所を見ることが目的で歩くなんて、思ってもいないことでした。新年早々に、なんてところに行くんだろうと苦笑しながらもでも、やっぱり網走に来たからには、気になるところでもありました。ちょっとドキドキものですが、高いきれいなレンガ塀に沿って歩いて行きました。ここが、刑務所と言われなければ、わからないかもしれないほど素敵な塀です運転手さんの話だと、時に受刑者が雪掻きをしていることもあるとのことでしたがシーンと静まり返った塀の中、誰一人いませんでした静まり返った極寒の建物の中には、多くの受刑者が、どんな気持ちでお正月を迎えているのかと、切ない気持ちになりました。しばらく写真を撮ったりしていると、中から職員がひとり門の外へでてきました写真を撮ることをとがめられたらどうしようと思いながら、恐る恐る写真を撮らせていただいても、大丈夫ですか?とたずねてみるとええ、大丈夫ですよとの答えにホッとしました。明治時代、札幌網走間の道路開削のために受刑者を労役させるためできたという網走刑務所長期刑の多くの受刑者が極寒重労働に耐えて開いた道路原野の開拓、港や川の護岸工事などなど北海道開拓、道東開拓の礎に貢献した受刑者、200名以上の死者の殉難碑が2箇所に建てられているそうな昔は長期刑の受刑者が収容されていたようですが、今は3年程度の刑期の受刑者が服役しているとかテレビのドキュメンタリー番組で、受刑者の様子などを放映しているのをみたことがありますが、なかにはやむなく罪を犯してしまった人もいるでしょう・・・1日も早く、社会に復帰できることを祈りながら、網走駅に戻りました。ニポポ人形(アイヌ語で小さな木のこども)家族を病気や怪我から身を守るといわれるニポポ一日も早い出所の願いを込めて毎日彫り続けているそうです世間と隔絶された刑務所門の外にある公衆電話はだれが掛けるのでしょうか・・・・出所をした人が社会復帰への第一歩、一番先に家族たちへ掛ける電話なのでしょうか・・・
2011/03/07
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