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<旅先で観た美> 今日は大連の宿で観た美術品です。説明はありませんのでじっくりお楽しみくださいませ。 安直なブログで済みませんでした。今日夕方に旅先から帰宅する予定です。<続く>
2020.07.31
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<懐かしき大連・旅順ツアー> バスの車窓から見えた大連市の海岸部。 渤海に沈む夕日。日露戦争の激戦地「203高地」の帰路。 遼東半島突端部。203高地から見えた夕日。ここはお国を何百里 離れて遠き満州の赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下。 かっての戦歌より ここからは夕暮れの旅順港。旅順港は軍港のため撮影禁止なのですが。遠かったためOKとのことで。 日露戦争当時、この旅順湾にロシアの艦船が逃げ込み、日本は湾の外(黄海側)や山上から榴砲弾を撃ったのですが遠過ぎて敵艦に損害を与えることは不可能でした。そこで遼東半島に陸軍が上陸して総攻撃を行いました。ロシア側はコンクリート製のトーチカ(地下要塞)に潜み、そこから日本軍に砲弾を雨嵐と「降らせました。それで乃木希典大将率いる陸軍は数多くの死者を出し、将軍の長男と次男も戦死しました。 今ではその激しかった戦いが嘘のように静まり返った湾内です。 こちらは大連市の海岸部で、今ではリゾート地として整備されているようです。 現地添乗員の価さん。 「水師営会見所」(正面の建物)での価さんとツアー仲間。 「水師営会見所」は「203高地」での戦いを終え、勝利した日本側の乃木希典大将と、ロシアのステッセル将軍が会見した場所で、ステッセル将軍は自分の愛馬を乃木大将に贈ったそうです。 昨日の敵は今日の友 語る言葉も打ち解けて 彼は讃えんわが武勇 吾は讃えん彼の知略・・・ 食事会場へ向かうツアー仲間 ツアー仲間と(右) 旅順博物館で 203高地で 大連市内の宝石店(土産物屋)にて。 <続く> 本日は出雲ツアーの第2日目。出雲の「古代出雲歴史博物館」を見学し、松江で一泊です。
2020.07.30
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<大連市街と路面電車> <大連市内の観光案内用看板> バスの車窓から見えた大連市民。どうやら買い物のようだ。 大連市街の様々な表情 市街地に今も残る旧ロシア及び旧日本統治時代の古い建物群 以上3点は路面電車の車内から見えた大連市街風景です。 私たちは買いませんでしたが、車内で売られていた路面電車の切符です。 路面電車の天井に張り付いた「設備」。スピーカーかな。 こちらはレトロな照明器具です。昭和時代が思い出されて懐かしいです。 今日から出雲へ旅して来ます。帰宅は月末ですが、その間のブログは予約しています。留守中にいただいたコメントへの返事は、帰宅後の来月になるかも。皆様もどうぞお元気で。ではまたね。 今日は出雲大社付近を散策し、夜は玉造温泉に1泊の予定です。天気予報は雨ですが。
2020.07.29
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<大連市街と路面電車(2)> 大連と旅順への旅の3日目だったか。大連市内の路面電車に乗った。乗車時間はとても短い。市内の繁華街で乗り、10分ほどで降り、観光バスに乗り換えてとある宝石店に向かった。これは観光バスの車内から見えた路面電車を撮ったもの。日本ではとても少なくなった路面電車が、大連市内ではまだ現役で走っていた。立派な「市民の足」なのだ。急いで路面電車の停留所へ行った。 この路面電車も日本統治時代の産物なのだ。しかもれっきとした「満鉄」の運営によった。「満鉄」の正式名称は「満州鉄道」。日露戦争の勝利によって、ロシアから経営権を委譲された。日本は路線を拡張して日清戦争後に日本へ併合された朝鮮から北京に至る新路線を拡張した。大連市内の路面電車もその一環だ。満鉄は病院、図書館、博物館を作り、銀行や「調査部」と言うシンクタンクも持っていた。 運転席と女性運転手さん 台湾も朝鮮もそして満州も、今では「植民地」としてしか認識されていないが、日本は一切奪ってはいない。それどころか「内地」同様に教育、医療と厚生、農業を始めとする産業、交通網、ダムや発電などのインフラ整備に力を尽くした。それぞれの地に国立大学まで作ったのだ。長年植民地政策を採った欧米の列強がそんなことをした事例はほかにはない。日本は財政を傾けてまで、それらの地を整備したのだ。 車内には路線図と各停留所の案内が張られていた。停留所の名前は現代中国に相応しい名前に変わり、かつての「本字」から「簡体字」の表示になり、少し戸惑った。 車内風景も日本と変わらない平和なもの。経済大国となった近代中国の大連市民。その落ち着いた暮らしの一コマが見てとれた。<続く>
2020.07.28
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<大連の市街と路面電車その1> 大連市の人口は669万人。省都の瀋陽市に次ぐ遼寧省第2の大都会です。ここにはかつてロシアの租界があり、日露戦争で日本が勝利した後は日本がその権利を引き継ぎました。ロシア式の建築はその後も日本人建築家の手によって修繕されただけではなく、新たなロシア風の建築物が日本人の手によって建築されたのです。それらの建物が現在もロシア人街や日本人街として残り、観光の目玉になっています。 古い時代の建物に、現代中国の近代的なビルディングがとても良くマッチしています。 渤海(ぼっかい)や黄海に面した大連は、暖流が直ぐ傍を流れているために、冬でもさほど気温が低下することはありません。私も中国東北部の厳寒を覚悟していたのですが、その予想は良い方に裏切られました。 「中山」は革命によって中国を近代化した孫文に対する敬称です。彼は国民のだれからも「国父」と慕われ通りの愛称も「中山大通り」としたようです。台湾でも各所で「中山」の敬称を目にしました。 きっとこちらが「中山大通り」なのでしょうね。 革命家となった孫文も文学者となった魯迅も、若き頃に混乱する祖国を離れ、日本へ留学していました。魯迅は東北医専で医学を学び、藤井先生などに手ほどきを受けました。また孫文は長崎の写真家梅屋氏に莫大な資金の提供や武器の調達など多大の恩義がありました。 それらを含めて、中国の近代化のにはいち早く欧米の政治や学問を取り入れた日本の役割が大きいのです。外国の専門用語を漢籍の素養がある日本人が簡潔に「訳」しました。化学、物理学、社会科学、人文科学、哲学、倫理学、政府、憲法、市民などなど現在私たちが何気なく使っている「用語」の大半は明治初期に苦労の末に生まれ、これが書籍などを通じ中国の思想家や革命家、知識人に広がって行ったのです。<続く>
2020.07.27
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~予定なき準備~ 今年に入ってから、男は密かに準備を始めた。当てのないその日のための収集だ。長年連れ添った妻が家を出、男は3年前から独り暮らしになった。それまでの人生で何度も辛いことを経験し、孤独にもすっかり慣れたと思っていたのに、必ずしもそうではなかった。時々無性に人恋しくなるのだ。このままずっと1人で人生を終えるのは淋しい。助け合って残りの人生を共にしてくれる優しい女性はいないものかと。 もしもそんな人が現れたら、ささやなか贈り物をしたい。男はそんな夢に取りつかれた。それだけではない。あるウェブサイトに載っていたウエディングドレスを熱心に観たこともあった。それを見て男はビックリ。なんとも可愛いウエディングドレスが信じられない値段で買えるのだよ。ただし代金はネットバンキングでの支払いのみ。そうなると時代遅れの爺さんには、出番がなくなるのではあるが。 相手もいない爺さんが、そんなものを検索しても無駄。そう思のが普通かも知れない。だがと男は思う。ひょっとして万が一か千に一つか、奇跡が起きいないとは言い切れない。だがやっぱり現実は残酷。好きになった相手には見向きもされず、何とも思ってない人がしつこく迫って来たりする世の中。それでも女性に恋し、人を愛しく思う気持ちが自分にもまだ残っていることを、嬉しく思う男でもあった。 もし万が一奇跡が起きたら、その人に上げたい。そんな思いで男が始めたコレクションの第一は、旅先の中国大連市の宝石店で求めたペンダント。決して高価なものではないが、五色の光沢に惹かれた爺さん。買った際に急遽付けてもらった鎖だが、もしも決まれば別の鎖に付け替えられるだろうと。 コレクションの第2は大連の旧満鉄列品館で求めたトルコ石。旧満鉄の調査部が収集した本物の宝石で、老朽化した施設を補修するため最近から日本人に直売することにした由。これには驚いた。日本円での支払いもOKと聞き、即座に購入を決定。赤い色のトルコ石もあったが、男はとても上品なこの色が気に入って選んだのだ。このトルコ石の「宝石言葉」がまた素敵なのだが、ここでは内緒にしておこう。 3番目のコレクションは三重県産の真珠。東京のあるデパートの広告が新聞に出たのをはっけんして注文。まあまあ大粒の本真珠で、ネックレスとイヤリングのペアリング。上品な真珠はどんな場面にでも使えるはず。大連では手持ちが乏しくて買えなかったけど、帰国後に国産のが買えて幸いだった。 4番目のコレクションはラピスラズリ。聞き慣れない名前だろうが、私は50年以上も前からその名を知っていた。古代メソポタミアのシュメール王などが愛用していた宝石。多分古代の日本では瑠璃(るり)と呼ばれるもの。古代エジプトの少年王ツタンカーメンの「黄金のマスク」にも使用されている。原産地はアフガニスタン付近か。その神秘的な宝石がメソポタミアやエジプトの王の装身具に用いられた。 オランダの画家フェルメールはこの青い色が大好きで、高価な宝石を粉末にして絵具とし、あの神秘的な色を出した由。西洋の有名な画家には他にも絵具にした人がいたと聞く。これは山梨の宝石店の広告がJR「大人の休日倶楽部」の冊子に載っていたのを見て注文。山梨は水晶の産地として有名で、昔から印章店や宝石店が多い。私は仕事で甲府を訪れた際、宝石博物館で巨大なアメジストを観たことがある。 青と白の宝石を選んだのは、ある方がその色が好きだから。ただしその方がこのブログを見る確率は不明。来月はご主人様の新盆。ご家族で迎えられるだろう。さらに1周忌まで待てば心の傷は癒えるだろうか。純情な生き物である男を信じるか信じないか。今日のコレクションもその方の喜ぶ顔が見たいだけの話で、笑わば笑え。今は何らかのサインを待つ身。でも何もなければいつまでその気持ちを保てるか。悲しいことに、男に残された時間はさほど多くはない。
2020.07.26
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~ブログ中毒者の日常風景~ 火曜日の朝。雨は降ってない。長袖シャツとトレパンに着替えて外へ。この日はプラゴミと燃えるゴミの日。そこで気になっていた庭の草取りを。花壇、居間の前庭とその奥、東の通路と畑。雨が続いていたせいで草は伸び放題だった。2時間かけて作業を終え、ゴミを出しに行った。帰宅後は風呂の残り湯で体を洗った。作業で火照ったせいか、被った水を冷たいとも感じないで済んだ。 家の周囲が全て土の上に畑が3か所もあるので、今の時期は草が凄いのだ。俳句友のK氏が言うには、雑草の種は5年間は生きている由。それだけ生命力が強い雑草を、そのままのさばらせては置けない。それで止む無く草取りをした次第。私は汗かきの上に蚊に食われやすいと来ている。それでその朝は蚊取り線香を2個点けて、草取りする傍に置いた。そのせいで、ほとんど蚊に食われずに済んだのだ。 いつもよりもかなり遅い朝食。2時間もかかったせいか、体重がかなり減っていた。汗をかいたのだ。そして血圧はつもより低い数値を示してくれた。やはり良い運動になったのだ。「コロナ自粛」でほとんど家にいたここ何ケ月。その間に体重が増えていた。それはそうだ。動くのは炊事の時と、布団の上げ下ろし、週一の買い物くらい。後は座ってコーヒーやお茶を飲み、駄菓子を食べる日々だったのだから。 新聞を開くと、阿川佐和子の記事が目に入った。先日書き終えたばかりの連載小説に関する談話。「TVタックル」でビート武や大竹まこと達と丁々発止のやり取りをする彼女。その彼女の父が小説家阿川弘之であることは知っていた。今回初めて読んだ彼女の小説だが、最後まで飽きることはなかった。表現力や読者に訴えるポイントなど堂々たる筆の運びで、さすがは小説家の娘だけのことはあった。 前日の夜、大学時代の級友から電話があった。楽天生命パーク球場に行かなかったかとの質問。ずっと家にいたよと答えると、TVの画面に一瞬私に似た人物が映った由。その中継なら私も家で観ていた。今季は開幕以来ずっと首位を維持しているわが東北楽天。雨が多い上にドームじゃないこと、同一チームと6連戦の厳しいゲームスケジュールに良く耐えている。これもトレードで戦力強化した成果か。 例のGoTo補助がもたもたしている。新型コロナで冷え切った観光関係を何とか盛り上げようとのプランが二転三転。そのことに関する苦情が多いが、私はほとんど気にしていない。何せ未曽有の強力なウイルス。人々の行動が読めないのも、医療体制が不十分なのもある意味頷ける。場当たり的に見える政府の政策にも、あまり文句は言えない。リスク覚悟で旅に出るのは自己責任。嫌なら家に居れば良いだけの話。 3日間の旅行中家を留守にするとなれば、その間のブログを予約しておく必要がある。もちろん休みでも良いが、毎日更新するのが私の方針と言うだけのこと。帰宅の翌日から直ぐに旅の話が書けるわけではない。写真の整理も、文章を書くための準備も必要だ。そうなると4、5回分の日記を予約しておかねば。何と言うブログ馬鹿、何と言うブログ中毒なのだろう。苦しみをも含めて、老後の密かな楽しみだ。
2020.07.25
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~最近気になったニュース~ 日曜日の昼。囲碁のNHK杯を観ているうちに眠ってしまったようだ。だが何だか様子がおかしい。あれほど晴れていた空が曇っている。「これは大変」とベランダに急ぐ。やっぱり雨がポツポツ降り出していた。急いで洗濯物を取り込む。大分部は庇の中にあり、濡れたのはわずか。それを1階まで運び、仕分けを終えて気づいた。「あれっ、干していたのは他にもあったぞ」。そうだ梅干し、梅干し。 幸いにして梅干しの濡れ具合もさほどではなかった。急いで取り込んでザルを和室に。そしてシソの葉は台所へと。落ち着いてからPCを開いた。Kさんからのメール。今年の「伊達なマラニック」は新型コロナの心配があるため中止する由。来年81歳になるリーダーのF田さんだが、来年はやれるだろうとも。8月の「作並ラン」も中止。まあ全く運動してなかったので、多分参加は無理だったろうが。 カルガモ親子 何年か前「仕事がまだ現役だった頃、何度か死のうと思ったことがあった」とブログに書いた。それに対して「死ぬ死ぬと言う人に限って死んだ試しがない」とさる女性。何と言う心の冷たい人だろう。その人との縁はそれで切れた。離婚後、現実の生活でもブログの世界でも去った友が何人かいた。それは私も同じ。会者定離の人生だからこそ、この苦しい新型コロナ対応の「ステイホーム」にも耐えられるのだ。 それにしてもと思う。アメリカと中国はもう2年以上も「ノーガード」で殴り合って来た。最初は「関税問題」。相手がノックアウト寸前まで互いに高い関税をかけ合った。その次には中国への国家機密スパイ容疑勃発。世界的なIT企業で5Gの最先端を走る「ファーウエイ」(華為)が米国政府や企業の機密を盗んで中国に漏洩してると主張し、アメリカは矢継ぎ早に対抗措置を取った。 その後は中国武漢発の新型コロナウイルス感染症」の世界的な大流行。これで大量の死者を出したアメリカは中国に賠償させると息巻いている。感染初期に人から人への感染の危険性を中国は隠し、WHOも中国に忖度して、各国の対策が遅れたと主張。それに加えて中国の香港への圧力だ。これにより「一国二制度」は完全に崩壊したとして、米英両国は厳しい対抗措置を取った。 ここ1か月余り、私はyoutubeによる「チャイナウォッチャー」だった。恐らく50本ほどの動画を観たはず。その大部分は長江流域の洪水被害と「三峡ダム」のj崩壊危機の問題だ。それらについては何度も書いたので繰り返さないが、中国経済が破綻するほどの大きな被害が既に発生している、そんな中で中国は艦船を東、南シナ海に出動し軍事訓練を行い、英米もこれに対抗して艦船を出動させた。 今中国政府内では、習近平氏に対する批判が公然と起きているらしい。そして北京でのコロナ感染症再発生から守るため、政府首脳を中南海から数km離れた山の下の地下壕に移した模様。また中国人ウイルス研究者や香港の民主運動指導者がアメリカに亡命し、故国で得た情報を報道陣に語った。やはり新型コロナウイルスは初期の対応ミスで、5年前にもコウモリ所以のウイルスが研究所から武漢市中に漏れた由。 youtubeをチェックする中で、気になる動画を見つけた。米国、中国、台湾、インドの著名な占師の今年の中国では滅亡に匹敵する大災害や事故が発生するとの予言。加えて金環日食が長江流域で起き、「惑星直列」もあった。私は迷信は信じないが、大水害、イナゴなどの虫害、大地震、香港の暴動が既に現実になった。この後は何が起きるか。現在そして「コロナ後」地球と人類は大きな岐路に立っているように思う。
2020.07.24
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~マックス爺の日常風景~ ある朝の食卓 長雨が続く。冷蔵庫の中を確かめる。乏しくなったおかず類。さて、今ある材料で何が作れるか。物置からジャガイモとタマネギを取って来て、カレーを作る。1か月ぶりくらいのカレー。モロッコインゲンを茹でる。茹で上がったら網で掬い、次に雲南百薬を茹でる。次はキュウリの佃煮作り。干した小エビを入れてみたが少し味が薄いか。まあ健康に良い煮物と考えれば済む。食感も良く、意外と美味しかった。 多肉植物の花 思い切って洗濯機を回し、洗濯物を部屋干しにした。一体どれくらい長雨が続いたのだろう。天気予報だと、3週間ほどの間に例年の2か月分が降った由。それに加えて日照不足。宮城県は例年の4割以下とのこと。それは全国共通で、野菜が高いのはそのせいらしい。庭の雑草の伸びが物凄い。俳句教室で会ったK氏が言うには、雑草の種は土の中でも5年間は生きる由。そろそろ草取りする時期か。 <小さい方がミニトマトの「アイコ」> 雨が上がったある日の朝。畑に出てビックリ。なんとミニトマトの茎が腐っていたのだ。長雨のせいだ。まだしっかりしてる実もあったが、腐るのは時間の問題だ。トマトの苗には4本のビニール傘をかけたが、ミニトマトは丈夫だろうと思い、そのままにしていた。ところがトマトにも腐った実が現れ出した。傘を差しても雨は横から入り込み、根は大量の水分を吸い上げる。根腐りが起きねば良いのだが。 トマトの花 陽が出たので部屋干ししていた洗濯物をベランダに干した。乾燥した空気が嬉しい。これならきっと気持ち良く乾いてくれるだろう。居間の窓を開けて網戸にした。久しぶりの換気と通風。これは嬉しいねえ。その時あることを思いついた。 それは漬けてい梅を干すこと。物置から取って来た竹のザルに新聞紙を敷いて梅を載せる。ついでにしっかりと絞った赤シソの葉も干した。梅雨の合間に2回ほど干すと梅干しの品質が良くなる。前妻が家を出てから、これで3年連続の梅干し作り。すっかり手順も覚えて、今では塩の量などは全部目分量だ。ちゃんと数えれば多分80個近いだろう。2回干したらまた梅酢が入った元の容器に戻す。 庭の隅でカボチャの花が咲いていた。雨が降ったため花粉が飛んでしまったかも知れない。それに雄花と雌花が同時期に咲き、かつミツバチが活動しないと受粉しない。ミツバチに代わって私が雄花の花びらを切って雌花に花粉を付ける人工授粉させれば良いのだが、雨でタイミングを逸した。裏の畑にももう一株あるので、梅雨が明けたら試したいと思う。 ナスの苗が倒れていた。実が重た過ぎたのと、長雨で支柱の竹が腐ったようだ。取り敢えず起こして真っ直ぐにしたが、そろそろ支柱を3本に強化する頃合いだ。梅雨の間も植物はどんどん変化して行く。雑草などはその典型。生命力の旺盛さが半端じゃないのだ。 あるブログ友が訪ねて来なくなった。まあどこへ行こうが、返事を書こうが書くまいが自由なのがブログの特徴。私自身にも同じような経験があった。出会いがあれば別れもある。自分に相応しいブログ友を選び、自分が納得出来るブログを書く以外にない。ブログも人生に良く似ている。自分の生き方と世相を反映するブログは、今の私にとっては不可欠のアイテムだ。 クチナシの花が咲いた。清楚で良い香りがする白いこの花が私は好きだ。出雲への旅が10日後に迫った。正直怖さもある。ステイホームから一歩飛び出すのだから。ただ、仙台空港と出雲縁結び空港直行便の往復だし、島根県の感染率が低くかつ今回の旅は行動範囲が狭いことが安心材料か。ともあれ油断は禁物。そしていよいよ梅雨明けが近そうだ。旅立ちの一週間前、飛行機のチケットが届いた。
2020.07.23
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~最近感じたことなど~ <槍ヶ岳のモルゲンロート=朝焼け> 慰霊の日南風吹き渡る岬かな *はえ 白南風のモルゲンロート槍ヶ岳 *しろはえ 荒梅雨や野良猫旬日現れず *あらづゆ *じゅんじつ=10日間 過日の俳句教室。私の俳号真楠(マックス)が呼ばれた。最後に呼ばれたのは講師がその日提出された作品の中で最も優れたものと認めたのだろう。私は一句ずつ読み上げ、句の背景を説明した。講師はほとんど口を挟まず、ただ工夫の跡と挑戦心が窺えるとだけ言った。私にはそれで十分。それらの句の陰には没にした習作がどれだけあったことか。新しい仲間と話せたのも嬉しい。来月の兼題は「立秋」だ。 ある夜TVで「太陽を抱く月」を観た。韓国の歴史ドラマだ。嘘が多い韓国の歴史ドラマには飽き飽きしていたのだが、このシリーズには厭らしさが感じられずにこれまでに4回ほど観た。最初のフリップに「このドラマは時代背景も含めて全てフィクションです」のコメントが流れたのも好感を抱いた理由。世子(セジョン=日本の皇太子に相当)の亡き妃を思う一途な気持に打たれた。 眠っている間にBSから地デジに切り替わり、別の韓国歴史ドラマ「百日の郎君様」が始まっていた。ストーリーが良く似ているが、嘘っぽさが目立つ。王室の親子の確執と両班(ヤンパン)の対立などドロドロした話。おまけに記憶喪失がらみの話も共通。どうやら何年か前の再放送みたいだ。その1週間後にどちらも観た。だが回りくどくて辟易。韓国人は喜んで観るのだろうが、つい歴史考証に目が行く私。 東京の「産業遺産情報センター」に「軍艦島」の展示コーナーがある。ユネスコの記憶遺産となった軍艦島を補足説明するためのもの。それに先ごろ韓国の外相がクレームをつけた。日本が朝鮮人労働者に対して行った差別のことが記されてないと言うのだ。だが当時の朝鮮は日本と併合し、朝鮮人も同じ日本人で差別はしてない。それらを旧島民からの聞き取り調査で確かめ、映像もある。それすら確認してないのだ。 「歴史はこうあって欲しい」との願望から、韓国は歴史を書き換える。だから「歴史ドラマ」は美化の産物なのだ。だが日本では「水戸黄門」は娯楽番組で「歴史番組ではない」と誰もが認識している。逆に反日の論理で「従軍慰安婦」を「性の奴隷」に、「出稼ぎ労働者」を「強制労働」に変えて何度も補償を要求する。何と言う曲がった根性なのだろう。 日本併合以前の朝鮮では奴隷制度が残り、激しい差別が存在した。それを嫌って内地(日本)や満州に渡ったのだ。そこでは日本人となり、差別がなかったためだ。かつて2割の人が奴隷(白丁=パクチョン)で白い服しか着られなかった。貴族階級の両班はせいぜい1割程度しかいなかった。ところが現在では8割の人が自分は両班(ヤンパン=貴族)の出と主張する由。だからあのインチキ歴史ドラマに夢中になるのだろう。だが当時の庶民があんな美しい絹の服を着ることはない。それらは中国の産物で、王族や貴族の特権だったのだ。 一方中国では力で帝国を倒した者が、次の帝王となって倒した前の時代の歴史を書いて「正史」とする。だから時の権力者に都合の良い歴史になる。それが延々と繰り返され、現代にも続いている。欧米列強による支配には目をつぶり、同じアジアの日本をことさら悪者にする。それは共産主義国家になっても同様で、政治家は自分に都合の悪い事実や自国民を簡単に抹殺する。そんな国が一体どこにあるだろうか。 「GoTo」から東京発着が除かれた。そのことに対する評価は様々だろう。何せ未曽有の出来事。これまで人類が出会ったことのない新型で狂暴なウイルスだ。人の命が最優先だが、経済活動や行動の自由とどう折り合いをつけるか。それが為政者が最も悩むところだろう。コロナ禍のさ中にあって私たちはどう生きるのが正解なのか。それが分かれば苦労はない。東京オリンピックも今後の世界情勢次第だ。 それなのにさらなる軍備強化を図り、宇宙開発や5Gや世界のIT制覇と経済援助攻勢を続けた中国。その「つけ」が今一気に押し寄せている。チベットや新疆ウイグルに続いて香港の自由まで奪い、政府高官は汚職で私腹を肥やし、自国民は顔認証やネット規制で厳重に管理し、事実を秘匿する。そんな今、中国の真の姿を知りたいものだ。 7月6日現在の上海中央部の水深は50cmで、降雨が本格的になるのは8月以降なので恐らく上海の水害は大変なものになってるはず。さらに各地の国家穀物倉庫が次々に炎上している由。穀物不足のため政府の監査が入ることを怖れて、省の役人が火をつけたのだろうとのこと。備蓄したはずの穀物は食べられないゴミつまり籾殻。その発覚を恐れたのだ。中国では万事がこの調子。崩壊が近い訳だ。 連日こんな内容のため、ブログ友が全然寄り付かなくなった。その一方で誰だか知らない読者が増えて全体のアクセス数は上がった。無名のお客様にこの場を借りてお礼を言いたい。面白味に欠けたわがブログですが、これからもどうぞよろしくね。
2020.07.22
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<想いは限りなく> 先日youtubeで沖縄県与那国島の海中遺跡(上)を、とても興味深く観た。私がこの遺跡の存在を知ったのは20年以上も前。一人のダイバーがダイビングポイントを調べているうち偶然発見したのだった。当時はまだそれが本当に遺跡なのか、単なる自然の構造物かの判断は出来なかった。それを遺跡だと最初に判定したのが琉球大学理学部の木村政昭教授だった。 私は琉球大学勤務時代に先生と会って話したことがある。当時先生はまだ助教授だったはず。先生の専門は地学、中でも地殻変動だが考古学に興味を持ち「ムー大陸は琉球だった」と言う著書がある。私はそれを読んでいたのだ。沖縄本島北谷(ちゃたん)で発見された「線刻文字」などが論拠の一つ。世界の各地にある不思議な文字と共通性があり、北海道小樽のフゴッペ洞窟の文字なども同様で、海洋民族の特徴と先生は考えていた。 木村先生はダイビングも出来て自ら与那国に行き、学生などと何度も調査した。上の図はその調査結果を図化したもの。youtubeではさらに進化し、特殊なレーダーで海中遺跡を精密に測量して3D化した。さらに遺跡は地上部の崖上に続き、そこに石像があった。私はモアイ像やアステカの石像とも似ているとの印象を受けた。八重山地方は隆起と沈降を繰り返しており、かつては地上にあった遺跡が海中に沈んのだろう。後日談だが、出雲大社付近の日御碕神社の直ぐ沖合の海中にも、古い宗教遺跡があることが判明した。ここも地震と地殻変動で海中に沈んだのだろう。 島根県立古代出雲歴史博物館(上)の存在を知ったのは、昨年の山陰旅行の紀行文を書くためネットで検索してから。出雲大社境内から出土した鎌倉時代の柱が伝承と全く同じ状態であり、同館にも保存してある由。もうツアーで行くこともなく、残念な思いをしていたのだ。ところがコロナ不況で困ったツーリストから先日格安フリープランの案内が届いた。松江と出雲大社3日間の旅で往復飛行機の直行便だ。 同館には荒神谷遺跡などから出土したおびただしい数の銅鐸と銅剣も展示(上)されている。これは願ったり叶ったり。例の10万円をこの際有効に使わせてもらう所存。神話の国出雲は謎が多い。国譲りやヤマタノオロチ伝説などだ。古代出雲王朝と大和王権との間で激しい闘争があったのは確実。だが両者は戦わずにテリトリーを分割して共存を図り、出雲は大量の武器と銅鐸を地中に埋めたのだろうか。 さて、7月12日にオープンした国立アイヌ文化伝承館「ウポポイ」(上)の存在を知ったのは、昨年のこと。情報源は忘れたが、北海道の白老に1年後に開館することだけが頭に残っていた。ところが何と、旅先の大連でそのポスターを見たのだ。これにはビックリ。多分北海道へ観光客を呼び込むキャンペーンの一環だったのだろう。不思議な話だが旅をしていると、そんなことに何度も遭遇する。 私が勤務していた国立民族学博物館(大阪府吹田市)にも、アイヌのチセ(小屋)があり、毎年アイヌの儀式をしていた。当時アイヌ出身で唯一の国会議員だった萱野茂氏と奥方がわざわざ来館され、私もアイヌのご馳走をいただいたことがあった。その縁で北海道平取町で氏が運営するアイヌ資料館と、平取町立アイヌ博物館を、「北海道マラソン」参加のついでに立ち寄ったこともあった。 知里幸恵さん アイヌ文化に関心を抱いていた私は、アイヌ語研究の第一人者であった金田一京助博士とその助手を務めた知里幸恵さんの苦心談も知っている。差別を受けながらも日本の高等教育を受けた幸恵さんが、博士の希望に応え、助手としてアイヌ語を日本語に翻訳する重要な任務を立派に果たした。若くして東京に出て苦労されたせいか、彼女は19歳の若さで亡くなった。類稀な才能の持ち主だった彼女の遺志を、弟の真志保博士(北海道大学教授など)が継いだ。 ウポポイではアイヌの音楽や踊りなどを後世に伝え、アイヌ文化を広める役割も担っている。アイヌ(人間と言う意味)のみならず、それに賛同する日本人(アイヌは日本の先住民とされた)も一緒にこの事業に携わっている。私はアイヌの口承文学であるユーカラ(正しい発音はユカッラ)を読み、動画もたくさん観たが、コロナ騒動が落ち着いたら是非ウポポイ(アイヌ語で大勢で歌うと言う意味)を訪ねたいものだ。 大連で観たポスター 国や領土と言う概念も文字も持たなかったアイヌ民族。そのために日本人に騙され、「旧土人保護法」によって自分たちの土地と生活の手段をほとんど奪われた彼ら。だが当時の蝦夷地をくまなく踏査し、アイヌ民族の文化をこよなく愛した松浦武四郎(初めて北海道の名をつけた冒険家)のような存在もある。いずれは札幌市の「北海道博物館」とこのウポポイを訪ねたいと願っている。 宇梶剛士氏 何気なく観た新聞に、ウポポイの開館の紹介と、この人の談話が載っていた。俳優の宇梶剛士さん。以前から風貌がアイヌっぽいなと感じていたのだが、その勘が当たった。東京生まれの彼はアイヌ出身の母親にアイヌの魂を叩き込まれた由。それが嫌で北海道に渡り、様々な職を転々として苦労した。だが自らの出自に誇りを持ち、アイヌとして生きることを自覚したそうだ。思いがけない出来事だった。 旅を通じて歴史を学び、各地の文化に接する。私はアイヌや沖縄に対する偏見は一切ない。ただし、国の内外には彼らの民族意識を煽り、政治活動に利用しようとする動きがあるのも事実。長らく国立大学の図書館や国立博物館職員として勤めた私は、常に何が真実かを自分の目で確かめる習性があり、他人の言を簡単には信じない。曇った眼や頑なな耳では真実は見えず声も聞けない。これからも旅を通じて歴史と文化と真実を探し続けたいと願っている。
2020.07.21
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<中国はいま> 目下中国旅行記の連載中だが、その幕間を利用して中国関係のニュースを載せて書こうと思う。実は今中国はトンデモナイことになってるのだ。アメリカとの貿易戦争。香港の統治と「一国二制度」問題。新型コロナウイルス感染症の蔓延とその後。「一帯一路」の不始末。東シナ海、南シナ海での覇権と侵攻。それをカバーするための軍事力の増強。それらのことへの欧米の抗議と経済力のひっ迫。などなど。 これまでにないことだが、この人に対する公然たる批判が、中国共産党内部からも起こっていると言うから驚く。またSNSでの国内事情の暴露なども始まった。ただし顔認証システムやSNSの監視、諸外国の機密情報の非合法的な入手などのあらゆる手を尽くす一方、インドとの国境を侵し領土拡張の野心を隠そうともしない。その中国で今大変なことが起きている。 その一つが昆虫による被害。ベトナムに近い国の南部では大量に発生したバッタ(上)による食害。ロシアや北朝鮮と近い東北部ではイナゴによる大変な食害が起きている。アフリカ東部で大発生したサバクトビバッタが紅海を越えてアラビア半島、パキスタン、インド、東南アジアを経由し、中国まで達したのだろうか。普段は単層で大人しいバッタが集団発生で狂暴化し、あらゆる植物を食い荒らす物凄さ。 <長江 三峡ダムの放水状況> 中国最大の河川である長江(揚子江)に建造した三峡ダムは、距離が570kmに及ぶダム湖を有し、発電量は日本全体に匹敵する。中国の総電力の10分の1をここ1個の発電所で賄っている。だが元々地盤が弱いうえに膨大な貯水の重量に耐えかね、方々でがけ崩れや地震が起きている由。そして膨大な水蒸気が雨雲を発生させ、常に雨が降る状況らしい。それに今年は1か月以上に及ぶ長雨が国内各地で起きた。 これはダム上流の人口3千万人の大都市重慶市内。増水により各所で建物が水没している。ダム建造のため強制的に移住させられた住民は360万人。その大半は補償されず、移住先は崖上などの補強されない危険地の由。工業都市のため、工業汚染水はダムに垂れ流し。下水処理施設が完備されてないためトイレットペーパーも使えずに垂れ流し。ダム湖はゴミだらけで、土砂が堆積している由。 <水没した重慶市内> この汚染水が、三峡ダムの放水によってダム下流の都市に流れ込む。当然病気が発生するだろう。元々中国の農地は強烈な農薬や化学肥料で汚染されている。それに垂れ流しの工業汚染水と下水と土砂崩れが加わればどうなるかは火を見るよりも明らか。ダムから河口の上海までは約千km。そこに6億人が住み、中国軍の物流倉庫が置かれ、1万を超える外国企業が進出している。 <武漢市黄石地区の水没した寺院付近で泳ぐ市民> 長江の中流域、下流域でも1か月近く長雨が続き、24の省と大都市が水没している。それに三峡ダムの警告なしの放流が始まってから10日以上。ダム下流の被災者は既に3400万人を超える由。この地域は中国の工業製品の40%、農作物の50%を生産する中心地。そこが被災、水没したらただでも減速した中国経済が破滅に向かうのは必至だ。中国全土では27の省と大都市に被害が及び、被災者は3800万人に達していると言う。中国の経済的な損失は計り知れないだろう。 紫禁城天安門 中国が偽の100ドル紙幣を大量に印刷して米国内で使用してバレた。上海と香港では株価操作に乗り出した。私は1か月近く常に最新情報をチェックし、それによって判断してブログを書いている。これは単なる厭中反中ではなく、世界の情勢を正確に把握するためのもの。チベットを奪い、新疆ウイグル自治区で東ウイグルを奪った憎むべき「現代版中華思想」。北朝鮮、韓国と共に迷惑至極な隣国だ。 ここ1か月間で中国の水害を中心に30本以上のyoutubeを見た。だが最近では中国政府の取り締まりが厳しくなって、中国人個人のアップは極端に減った。逮捕されるのだ。中国全土の水害による被災者は3900万人ほど。そのうち避難出来たのは約400万人。また最近北京や四川省など3か所で地震発生。震度はさほどでもないが長雨で地盤が緩み、大きな被害が出ている。重慶特別市ではアパートの4階以下の住民に退去命令が出たとか。 目下最新情報は東森新聞(台湾)、大紀元(米国)などの通信社が作成したyoutubeで得ている。「三峡ダム」の崩壊を防ぐための放水は異常で、長江下流では川や長江が流れ込む湖の決壊が何か所も起き、今後も続きそうだ。まさに地獄そのものだが、中国政府が国民に現状を知らせることはない。
2020.07.20
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~ニュースぞろぞろ~ 東京都での感染者数が減らない。いや減らないと言うよりも、相当増えて危険信号。この人が言うには、検査数の増加が陽性者の増加につながってる由。「夜の街」での感染が多いことに嘆く。演劇関係や保育所でのクラスター発生。ついに東京都は警戒の度合いを一つ上げた。24歳の母親が幼児を閉じ込めて1週間家を留守にして彼氏に会いに行き、その間にわが子は餓死した。何と言う身勝手さだろう。 <尖閣付近で中国の艦船を挟み撃ちする海上保安庁の艦船> 連続90日以上もの長期間尖閣の接続水域に侵入している中国艦船。海保隊員の緊張と疲労は大変なものだ。そのうちの1隻が故障して修理のため鹿児島に停泊。そこで隊員がコロナにり患した。クラスター発生のパブに飲みに行ったのが原因とのこと。 中国の調査船が南鳥島のEEGで、我が国に断りなく海底調査をしたため警告した由。中国船は以前もこの海域で海底調査した。周辺はレアメタルの埋蔵地。国際法規を無視する中国は世界の嫌われ者だ。アメリカは南シナ海における中国軍の動きに対して、かなり強硬に抗議した。 嫌われ者と言えば、韓国の前大統領だったこの人にもついに裁断が下った。懲役20年の実刑とのこと。既に2年以上も身柄確保されていたので、その分は差し引かれるのだろうか。文大統領支持の現ソウル市長が自殺した。セクハラで元秘書に訴えられていた由。釜山市長など文氏支持者の不祥事もあった。その反面で反日を煽る姿に、世界もおかしいと気づき始めたようだが。 とぼけた味が何とも愉快な漫画家の夷子(えびす)さん72歳。このたび検査の結果軽度の認知症であることが判明した模様。洗濯籠の中の奥様の衣類を見て、奥様が倒れていると勘違いしたのでおかしいと気づき病院に行った由。レビー小体型とアルツハイマー型の合併症とのことで、投薬でかなり症状が軽快したと言う。奥様が早く気づいてくれて良かったね、蛭子さん。 人類が初めて月面に立ったのは、アメリカのアポロ11号の乗組員。1969年7月20日のこと。あれから51年が経った。。私も興奮して写真集を買ったものだ。そのNASAと文科省がこのたび契約を交わし、10年後に月面で共同作業することになった。日本は電源の確保など主に設備面を担当するそうだ。後10年。わたしも何とか元気で生き続け、その朗報を自分の目と耳で確認したいものだ。 糸川英夫博士と初期のペンシルロケット模型 さてミッションを終えた「はやぶさ2」が地球に向かっている。「小惑星リュウグウ」で岩石の破片を採取し、12月中旬にオーストラリアにカプセルを着地させた後、さらに火星に向かうのだとか。これには驚いた。日本のロケットがUAEの宇宙事業を手助けする計画もある由。「ペンシルロケット」から出発した日本の宇宙技術も進歩したものだ。
2020.07.19
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<ジオラマ館> <アイスランド> <ケニア> <チェンマイ=タイ> <カッパドキア=トルコ> <ネネ=国名不詳> <ノリリスク=ロシアの汚染都市> <ヒマラヤと登山隊> <ヨーロッパアルプス> <砂嵐と海辺> <地中海> かつての南極探検です。木造の帆船ではかなり苦労したことでしょう。 自然の氷の塔です。場所は不明です。 世界の活火山の様子を、危険を顧みず間近に迫って撮影しています。 このシリーズは世界的な写真雑誌からブログ用に無断借用して保存していたものを紹介しました。それもPCの容量を食うための放出と言う全く個人的な理由です。二重の失礼をお詫びし、併せて心から御礼申し上げます。筆者謹言。
2020.07.18
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<人類館> <ソマリの女> <ヒマラヤの僧> <自転車乗りの男> <少女> <母と娘> <ジャンプ> <こんな帽子はいかがです?><歴史館> 以上は旧約聖書と「死海文書」の世界でした。 以上はイスラム教の聖地メッカとカーヴァ神殿でした。
2020.07.17
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<動物園> <ブラックタイガー> <カンガルー> <ゾウだぞう> <ペンギンの親子> <チータ ただし水前寺清子じゃない方> <「三密」を守らない水牛> <いずれも純日本犬 「山陰柴犬」の兄弟> <ここから別館> <隕石に逃げ惑う恐竜> <サメのオンパレード> <母の胎内の子サメ サメは胎生です> <最後はシャチ 嫌いな人はゴメンねm(__)m>
2020.07.16
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<車窓から見た大連> 大連は黄海に突き出た遼東半島の先端にある近代都市。日清・日露戦争に勝利したことで、この地に長らく進出していたロシアが引き上げ、清国が日本へ割譲したことで日本の植民地となった。さらに清国に追放された前の国王愛新覚羅溥儀を擁して満州国を建国し、五族共栄を図った。五族とは日本、漢民族、満州族、朝鮮族そしてロシアであった。単純な植民地ではなかったのだ。 街には日本統治時代の建物がまだ数多く残っている。ロシア式の建物も多いが、これはロシア人が引き上げた後も、日本人の建築家がロシア式の近代的な建物を建て続け、街の雰囲気を維持したのだ。かくて日本は満州のインフラを整備し、満州鉄道の路線を拡充した。また満蒙開拓団を内地から送るなどして満州の広大な荒野を農地とし、大豆などを生産して豊穣な沃野に変えた。奪ってはいないため、私は植民地ではないと考えている。 泊ったホテルの正面には「日本語の看板」も見えた。中にはマッサージを受けたツアー仲間もいた。 大連空港から市内へ向かう途中にバスの車窓から見えた大連の郊外。海岸部にも巨大な建物が建っているがいるが、大連は真珠の養殖が盛んな土地柄。ただし日本の真珠があこや貝を母貝にするのに対して、大連ではアワビを母貝とし光沢のある大粒の真珠が生まれる。 ここからはバスの車窓から見えた市内の店の様子を。 看板で何となく何の店かは分かる。 ゴミはきちんと捨てようと言う注意か。街中の電光掲示板。 春節を迎えるためのランタンもちらほらと。 2階は写真館で、1階は鮮魚店みたいだけど。 ビルの軒下の電光掲示板には、中国のスローガンが流れていた。だが本当にこのスローガンが守られているだろうか。チベット族、ウイグル族、そして香港市民への強制的な抑圧を見ると、こんなのは到底「まやかし」にしか見えないが。つまり外国人向けのアピールだろうか。私たちはちゃんとやってますよと言うポーズだけの。 街中で見かけた中国の国旗(上)と政府のスローガン(下) ロシア語(キリル文字)と漢字の看板がある不思議な店。 看板を見ると、特定のVIPだけが入れる「商工会議所」みたいだが。 「大連の未来は明るく輝いている」とでも言うかのような内容は、大連市当局のPRか。それとも空母遼寧や近代都市の写真からだと、中国政府肝いりの広告か。バスの車窓からだが、現代中国の目指す方向と人民の暮らしぶりが垣間見られたように思う。<続く>
2020.07.15
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<旅先で観た中国らしい形> 今回は大連で観た異国情緒溢れる「形」をご紹介します。ただし説明はありません。中国の美術や意匠として楽しんで見ていただけたら幸いです。 そうそう。これらの写真は確か「雑技団」を見た建物内の装飾ですね。いかにも中国らしいと感じて夢中になって撮ったのですが。 目にしたものを手あたり次第撮るのですから、大忙しですよ。それが原因でPCの容量が満杯となり、たくさんの写真を整理しないまま捨てたのが、悪夢のように思い出されます。 そして大連の街中では、春節(中国の旧正月)を迎えるための飾りつけが施されていました。今にして思えば、私たちが大連と旅順のツアーから帰国した数日後には、中国で「新型コロナウイルス感染症」発生と大流行の驚くべきニュースが飛び込んで来たのです。まさに危機一髪。私たちが訪れたのは武漢からかなり離れていましたし、まだ日が浅くて大連へは飛び火してなかったんですよね。危ない危ない。<続く>
2020.07.14
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<マックス爺の日常些事> 和室の前庭に赤い花が咲いてるのに気づいた。だがその日は雨で、ためらっているうちに夕方になった。きっと一日花なのだろう。だから夕方には萎むのだ。翌朝は雨が上がったので勇躍外へ出た。ちゃんと花が開いていた。これはキスゲの仲間の園芸種で確か「ヘメロカリス」とか言う名前だったはず。この日は別なデジカメで撮った。古い機種で撮ったのがPCに取り込めないでいた。きっと故障だ。 クチナシの樹に蕾が見えた。今年の冬にかなり刈り込んだせいで、花は無理かと諦めていたのだが、それでも生命力が優ったようだ。畑は手入れしても、花や木はほとんどが植えっ放し。それでも咲いてくれるのが嬉しい。花好きなお嫁さんが来てくれたらもっと嬉しいのだが。首を長くして待ってるうちに、キリンになってしまうかもなあ。 これは裏のお宅のガクアジサイ。裏のご主人が亡くなってからは荒れ放題で、時たま猫の鳴き声すら聞こえて来る。それはとも角、きれいな色なので、わが家に飛び出ている一枝を切って、「挿し木」にしてみた。梅雨時の今は水やりも不要で、元気に生きている。そんな遊びよりも庭の草取りをするのが先決なのだが、湿気と蚊の猛攻に手を焼いて、そのまま放置状態。男やもめの庭は、草ボウボウなのである。 先日郵便局で通帳を記帳したら、例の10万円が入金していた。市から通知が来たのはそれから3日後。一旦市が立て替えた形のようだ。市から健康診断の申込書が届いた。必要事項を記入し、掛かり付けの内科に電話すると、通常の診察日に一緒にするためわざわざ別の日を選ぶ必要はない由。定期的な診察と一度に出来るとは助かる。薬が切れ掛かった晴れの日に出かける予定。 わが家のトマト ツーリストから緊急の案内があった。長引いた「自粛」で困っていたツーリスト各社。色んなパンフが来たが、全て資源ゴミ行きだった。それが、目に留まった最近の1通。内容を見ると、私が欲していたものに近い。2泊3日往復飛行機の出雲・松江フリープラン。前回の旅行で観ることが出来なかった「古代出雲歴史博物館」をこれで観られるはず。玉造温泉と松江に1泊ずつ。早速申し込んだ。 パンフレットに載っていたものを発注した。その名前を初めて聞いたのはもう50年以上も前。古代シュメール(メソポタミア)の王が身に着けていた宝石。それを古代エジプトの少年王ツタンカーメンも身に着けていたと知ったのはずっと後。フェルメールがその色に惹かれて取り寄せ、て加工して絵具として使ったと言う貴重品。その憧れの品にようやく会える。それをある人に捧げるのが目下の夢だ。 そうそう。こんな遊びもした。熟した梅の実(左)を材料にしてジャムを作ろうとしたが、果汁が多過ぎてトロトロに。そこでバナナと年代物の梅ジュースの実(右)を刻んで追加した。甘みと酸味がほど良く融合してとても美味しくなった。 完成後はジャムの空きビンに入れて冷蔵庫で保存することに。きっとほど良く固まることだろう。鮮やかなオレンジ色。何だか本物のアプリコット(アンズ)ジャムみたい。それはそうだ。わが家の豊後梅は、元々アンズと梅の掛け合わせ。思いがけず美味しいジャムが出来て嬉しい。今回も実験成功。
2020.07.13
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<五月晴れとは・・> 梅雨のある日、空が明るくなり気温が上がった。これはチャンス。そう思って急遽洗濯をした。パジャマ、タオルケット、タオル、靴下、下着など。お天気が悪かったため、洗濯するのを控えていたのだ。だがそうすると洗濯物が溜まってしまう。着る物はまだあるが、そのギリギリの判断。これは梅雨時の悩みの一つだろう。もちろん乾燥機などが備えてあるお金持ちなら別だが。 ベランダから下の畑を見ると、4本のビニール傘。誰かが傘を差して立ってる訳ではない。これは不要な傘をトマトの苗にかけたもの。トマトは過剰な水分を嫌い、梅雨時に連日雨に当たると根腐りを起こし、折角のトマトまで病気で腐敗する。それを避けるための苦肉の策。全体をスッポリとシートで被えば良いのだが、アーチ状の支柱も要るし、そんな手間も経費も掛けられない貧乏人の知恵なのだ。 これは畑で熟しつつあるトマト。こうなると一気に成長が進み、採らないと実が割れて来る。水分の吸収による急激な成長。そのままだと腐るので急いで収穫。苗が10本あるので、当分買う必要はない。先日は丸ナスを3個、万願寺唐辛子を6本ほど収穫。その他シソ、雲南百薬、モロッコインゲンは最盛期に入ったので、それらも当分買う必要はない。 これはモロッコインゲン。一度に30本ほど採れる。今が最盛期に近いのだろう。食べ切れない時は茹でて冷凍すると保存が可能だ。キュウリが獲れ出した。朝に2、3本程度だがそれで十分。キャベツやシシトウ、シソの葉と一緒に塩昆布で揉むと、あっという間に浅漬けの出来上がり。先日は裏のジャガイモを掘った。今年植えた品種は堅くて小さい芋。これも3か月は買わずに間に合うだろう。 国旗の「日の丸」ではない。目下私が漬けている今年の梅干し。これでざっと80個近くはあるはず。梅酢が上がり、良い塩梅(あんばい)になったので、先日赤紫蘇の葉を買って来て一緒に漬け込んだ。そのシソの色が出て来たのだ。これからは梅雨の晴れ間を見て2度ほど干す。それが本当の「梅干し」。去年漬けたのが残り2個になったので、丁度良い量だったのだろう。今回はかなり多い。 これは樹に残しておいた成熟した実。昨年近所の人に上げたら果物として食べたと言っていた。それならと今年は私が食べることに。わが家のは「豊後梅」(ブンゴウメ)と言う品種で梅とアンズを掛け合わせたもの。そのため実が大きく、成熟すると甘みが出て来るのだろう。試しに食べたらなるほど美味しい。熟し具合も甘さもほど良く、幾つでも食べられる。熟してたくさん実が落ちたのが残念だ。
2020.07.12
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<中国・この不可思議な国家> 写真は中国国内のTV放送画面(筆者撮影)から。 しかし中国とは一体どんな国なのだろう。黄河流域に発生した世界4大文明の国。漢字を発明した国。儒教が起きた国。仏教が伝来した国。漢民族が支配し、中華思想を中心とした国家と歴史を有する国。ほとんどが漢民族の暴動、転覆などによって国が興亡した国。滅ぼした国が滅ぼされた国の歴史を正史として自由に記した国。わずかモンゴル族、女真族、満州族の3つの異民族だけに支配されながら、それすら漢民族の文化を継承して来た国。 近代になって西欧列強に蚕食され、激しい内戦に明け暮れた国。独立を勝ち取った後、ロシアに次いで社会主義・共産主義への道を辿った国。その中でも毛沢東のような独裁者を出し、大勢の自国民を死に追いやった国。共産党支配になっても為政者の不正が止まず、経済力の不足を補うため社会主義を採りながら自由経済を目指す政経分離方式を採った国。 60近い多民族国家として民族自治を標榜しながら、チベット族、ウイグル族などを徹底的に弾圧して中国語、漢文化を敷衍、中国化を図った国。絶えず領土拡張の野心を燃やし、インドとの国境侵入、南シナ海での国際法に反する領土拡張と軍事拠点化、尖閣諸島への不法な侵入の繰り返しと東シナ海における理不尽な油田開発など近隣諸国との諍いが絶えない国。 これまでサーズ、マーズなどの感染源となり、新型コロナウイルス感染症の発生源となって世界中に多大な被害をもたらしながら反省しない国。国連及びその関連機関に手を伸ばし、世界制覇を目指す国。軍事力を増強し、宇宙開発、IT技術による優位性維持を図る国。「一帯一路」や「アジアインフラ銀行」の立ち上げによる経済協力を標榜しながら、国際社会での優位性確保に余念がない国。 その中国がとうとうその正体を現した。香港に対する締め付けだ。「一国二制度」を50年間守ると約束しながら、その半分にも達しないうち実質的な中国化を図る法律を可決し、香港市民を慄かせた。かつての宗主国イギリスはもちろんだが、アメリカはその野望を粉砕するため議会で中国首脳の活動に制約を加える措置の実行を可決した。香港におけるドルの交換、アメリカ国内での資金凍結などだ。 アメリカとの貿易・関税戦争で疲弊した中国経済は、新型コロナウイルス感染症による生産力低下と、購買力の激減でさらに減速した。そのためでもなかろうが、何と偽ドルの印刷を始めたようで、それが先日アメリカ国内で発見された。精巧な100ドル紙幣が大量に中国からもちこまれたのだ。その陰には北朝鮮の特殊部隊がいると言われる。かつて北朝鮮では大量の偽札を印刷してぼろもうけした「技術」があるのだ。 さて、中国から逮捕の危険性を感じた香港市民の脱出が始まったようだ。既に民主派の指導者がアメリカに渡った。イギリスは香港市民の受け入れを表明し、オーストラリアもこれに続いた。香港から銀行のスペシャリストが大量に消えると、中国はお手上げになる。ドルをはじめとする外貨の確保が困難になるのだ。中国経済の失速は火を見るより明らか。自らが放った火に、自らが焼け焦げるのだ。<続く>
2020.07.11
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<中国とはいかなる国家か> 久しく途絶えていたこのシリーズを再開した。理由は撮った写真がPCに取り込めないため。恐らく画像の容量が大きくなり過ぎたのだろうと判断し、出来るだけ写真を使おうと言う魂胆。しかし今年の1月初旬に行った大連と旅順への旅。あの頃既に中国内では新型コロナウイルスが蔓延し、感染者が大勢いたのは間違いない。良くも無事帰国出来たものと、今さらながら胸を撫でおろしている。 今日は大連のホテルで観た中国国営放送TVの画面をカット代わりに使用しつつ、私の感想を述べたい。新型コロナウイルス感染症は、その後の情報を読み解くと昨年9月ごろには武漢市で発生したようだ。同市内の2つの大病院の駐車場が連日異常なほどの車で溢れ返ったことが衛星写真の分析で判明している。中国政府は12月末に発症したと言っているが多分そうではないのだろう。 その間に中国が何をしていたかと言うと、マスクや防御服などを買い占めて準備していたのだろうと言われる。そして武漢に仮の収容所を大至急建造して感染者を閉じ込め、武漢を封鎖した。それが今年の1月以降で、そのおかげで私は無事帰国出来たのかも知れない。だが中国政府はこのことをひた隠しし、WHOへの報告も遅れた。その間に春節の休暇を取った中国人がイタリアなど各地へと出国、旅行した。 大型クルーザーが停泊した横浜港では大変な騒動になった。何と正体不明の新型コロナウイルスに感染した旅行客が千名近くが急遽押し寄せたのだ。この未曽有の事態に自衛隊は果敢かつ完璧に対処した。陽性と陰性の乗客の区分。陽性者の医療機関への輸送。乗員の隔離と動線の完全な区分。防護服不足をカバーする臨時の感染対策。乗客からは数十名のり患者が出たが、対応した千名を超える自衛隊員からは1人の感染者を出さなかった。 しかし何という国だろう中国は。自らの不始末が他国での大量の患者発生につながった。服飾産業で中国人が多く滞在するイタリア北部のミラノ周辺。一帯一路で経済的なつながりのあったスペインやドイツ。そして大勢の中国人観光客が押し寄せたフランス。それらの国の発症者と死者数は膨大で、ついには都市のロックアウトと言う強硬措置も取られた。それで何とか感染を防ごうとしたのだ。 重慶北駅 だが、WHOの対応も酷かった。世界への警告が遅れたのは、事務局長が中国から経済援助を受けていたエチオピア人で、彼は医師でなくてWHO事務局長になった初めての人。元はエチオピアの外務大臣を務めた。そのことが恩義ある中国発祥の新型コロナに関する世界への警告が遅れた大きな理由と騒がれ、否定していた彼も後にその一部を認めざるを得なかった。その情報操作が、世界を混乱に陥れた。 しかし新型コロナウイルスの発生源は未だに謎のままなのだ。武漢の生鮮市場とも言われたが、これは後に否定された。市場で「コウモリ」や「センザンコウ」の肉が売られた形跡はなかった。次に疑惑の的となったのが2つのウイルス研究所。中国は否定したが、危険なウイルスの管理が杜撰だったのは明白だ。だが真相は謎のまま。その間ヨーロッパの新型コロナはアメリカ大陸へと向かった。 何せヨーロッパとアメリカ間の人の移動は大量でほぼ自由なのだ。そのために経済が回り、物資が輸送される。だが大量のり患者が出ると、各国は自由な人の往来に待ったをかける。特に患者数が多い国からの渡航は禁止する措置。そうして国家間の封鎖と防御策は拡大し、経済が急速に冷え切って行った。それだけではない。感染者と死者が急速に増えた。新たなウイルスに対応する術がない。何せ各国とも「未知との遭遇」なのだから。<続く>
2020.07.10
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~私とニュース~ 外国人記者クラブが改作した東京オリンピックのロゴ 新型コロナウイルスによる感染者が全世界で4千万人に迫る勢いらしい。東京都では連日50人を超える感染者が出ている。どうやら国内での第2波の到来はないようだが、府県をまたぐ移動が解禁されてもやはり感染は怖い。この分では来年に延期された東京オリンピックの開催は無理なように思う。日本は治まっても、世界の状況が過酷なことを知ると二の足を踏む。救いはワクチンの開発が進んでいることか。 東京オリンピックを皮肉って韓国が作成したポスター 韓国の暴走が凄い。北朝鮮から足蹴にされたうっ憤か、日本への風当たりがまた強まった。G7に韓国を招くべきではないと安倍総理がトランプ氏に進言したことで怒りが増幅したようで、WTOで日本の貿易制度に難癖をつけ、小委員会が設置される方向のようだ。そのWTO事務局長へ女性の幹部を立候補させる由。制限3品目の自国生産を目指したものの、日本製品ほど精度の物質は作れなかったのだ。 中国が世界中から非難されていた「香港国家安全維持法」を可決した。その夜、香港民主化運動を推進して来た男女の代表が辞任し、会は解散した。今後は新たな方法で戦うと宣言。同法を歓迎する旨の香港行政長官の談話。そして翌7月1日には370人以上の逮捕者が出た。この騒動の発端は、香港の書店が習近平の女性問題を暴露する本を発行したこと。関係者が中国に連行され取り調べを受けた。 釈放された書店主は、活動の場を香港から台湾へ移した。危機感を抱いた中国が「犯人引き渡し条例制定」を香港政府に迫り、反発した若者が昨年大規模なデモを決行した。それが今回の法制化決行の理由だ。「一国二制度」は消滅した。G7メンバーの欧米も日本もこれに反対の意思表示。アメリカはもっと強硬で、香港での優先的なドル交換の停止、中国首脳lのビザ発行停止と米国内資産の凍結を決めた。 返還時の約束を破られた英国は激怒し、香港人の英国への移住を許可し300万人のビザを発行する予定とか。香港から金融人が出国すれば困るのは中国だ。経済力が低下した中国で唯一外貨を入手出来たのが香港だったのだ。もしそれが不可能となれば、国際的な決済は出来ず「一帯一路」の失敗や「新型コロナ」で疲弊した国土が持たない。それに長引く悪天候で、食糧不足が懸念される。 「一帯一路」でインフラを整備した国も、「新型コロナ」をきっかけに中国の欺瞞性にようやく気付き、借款を支払わずコロナで受けた損失と相殺すると主張する国家も出始めた。大統領選を控えるアメリカの追及はさらに強まるのは必至だ。それに三峡ダムが決壊などすれば中国で大暴動が起きるとも言われる。全体主義の悪弊ここに極まった感がある。 中国艦船の宮古海峡通過は違法ではないとツイッターした玉城デニー沖縄県知事が、全国からの抗議を受けて投稿を削除した由。無論公海の通過は問題ない。だが尖閣諸島の漁場で石垣島の漁船が中国海警から4時間追い回されたことに抗議しないとは不可思議。県民の安全を心配せず、中国海警(今は海軍の下部組織)を擁護する発言は許しがたい。琉球王朝時代から離島の島民は差別を受けて来た。それを県民はどう考えているのだろう。 将棋の藤井聡太7段が棋聖戦で渡辺棋聖に2勝して王手をかけた。第3局は7月9日の対戦。もし藤井7段が勝利したら、タイトルの最年少記録達成だ。その前に木村王位との王位戦があり、第1局で藤井7段が先勝した。また順位戦ではB級2組に昇格し、そこでも初戦を物にした。しかし末恐ろしい天才棋士だ。天災)は困るが、天才なら国民揃って大歓迎。本当にすごいねえ。 都知事選では現職の小池都知事が圧勝した。野党統一候補は惨敗し、他の候補も得票を伸ばすことは出来なかった。ただ、同時に行われた区議補選では、小池氏が率いる都民ファーストが惨敗し、自民党が勝利を手にした。かつての都民ファーストの爆発力は姿を消した。やはり都民は「一時的な勢い」よりも、実質的な政治を臨んだのだろう。 九州南部や北部では大雨で河川が氾濫し、大きな被害が出た。例の「線状降水帯」が原因だ。しかしここ数年大雨による被害が全国で起きている。海水温の異常な上昇など地球的な規模での災害が目立つ。日本列島を覆っている梅雨前線を西に追うと、中国の中央部まで連なっている。揚子江(長江)周辺では連続1か月以上の長雨により、各地でダムの決壊と河川の氾濫が発生して大きな被害が出ている。その上に「三峡ダム」の決壊ともなれば、中国の経済と社会は破綻を来すだろう。
2020.07.09
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~悲しみを乗り越えて~ その人を知ったのは9年前。東日本大震災の年なので良く覚えている。その未曽有の災害に関し、非常識なコメントを書いた2人のブロ友と別れた。その寂しさがあったのだろう。あるブログを通じて知ったその人のブログを訪ねたのだった。平和に暮らしている平凡な主婦。花が好きで家庭菜園が好きな、ごく当たり前の感覚のその人。この人は何の心配もなく付き合える人。私は出会った時からそう感じていた。 ただ、気掛かりなことがあった。私のブログにお子さんのことを書かれたコメント。それがその人の一番の心配事だったのだろう。私も3人の子の父親として、子供に対する心配は尽きない。結婚もせずに東京で働く2人の息子がいたからだ。もし彼らが普通に暮らし、家庭を築いていたのならどれだけ安心して老後を迎えられたか。だが人生は無情。それほど甘くは出来ていない。 その人のブロ友さんも徐々に分かった。いずれの方も温和で平和な家庭の主ばかり。どんなブロ友を選ぶかで、選んだ人の人柄も分かる。私もそのうちの何人かといつしか交流するようになった。もちろん何の違和感もない。穏やかで平安な暮らしは、私の実生活には欠けたもの。私は妻と心が通い合わず、長い間家庭内別居状態にあった。子供のころから家庭的に恵まれず、結婚後の家庭も心安らげるものではなかった。 その人のブログが突然更新されなくなった。1年半ほど何の音沙汰もない。これは一体どうしたのだろう。私は心配になった。喧嘩別れしたブロ友、病気で亡くなられたブロ友さん、認知症になってブログを閉じた方もいたが、さて、一体その人の身に何が起きたのか。病気で入院していたことを知ったのは1年半ほど後だったろうか。そしてその後はリハビリを続けられていることを知った。 一方私は長年連れ添った妻と家庭裁判所の調停により離婚した。どうしようもない自分の気持ちをブログに赤裸々に記した。ほとんどのブロ友が当たり障りのないコメントをくれた中で、「洗いざらいぶちまけたら良い」と本音で書いてくれたのはその人だけだった。それが私には救いにも慰めにもなった。老後の男の独り暮らしは苦しいが、ブログと家庭菜園などの趣味が、私の慰めになった。 しかし悪いことは重なるもので、その人のご主人が亡くなったことを知った。何と言うことだろう。きっとまだ若いご主人だったのだろう。事情は良く知らないがご夫婦で海外に旅されたことなどをブログで書かれていて、仲睦まじいご夫婦だと感じていた。それが2人のお嬢様を残して先立たれたご主人と、目下リハビリ中のその人。どれだけ辛い思いをされて来たのだろう。 その人が先日ブログで悲しみを漏らしていた。妻に去られた私とは異なる苦しみと悲しみ。私は諦めることが出来るが、その人はどうか。明るくて、穏やか。何事にも拘らず大らかなその人。きっとその人なら悲しみを乗り越えると思うけど、自分に手伝えることはないか。もう少しその人が落ち着いたら、わが家に迎えることは無理だろうか。互いに助け合って残された老後を心穏やかに過ごせたら嬉しいのだが。 幸い私は何でも自分で出来るし、その人が大好きな庭も畑もある。そしてトイレ、洗面所、浴室、2階への階段には「手すり」が取り付けてある。だから体一つで来てくれたら嬉しい。でもそれは私の勝手な想い。だが海外旅行は無理でも、六甲山に青いケシを見に行くことなら喜んで付き合うよ。リハビリ出来る病院も近くにあるし、家事や買い物も今まで通り私が出来るしね。腕だって肩だって喜んで貸すさ。 その人の悲しみが早く癒され、少しでも早く元気が戻ることを祈っている。そして今、その人が好きな青と白のあるものを準備中。それは決して腐らないもの。その人にそれを手渡せる日が来るかどうかは分からないが、いつか私の気持ちがその人に伝わることを願っている。その人と巡り合わせてくれた楽天ブログに感謝している。いつもありがとう。遥かなるわたしの友よ。これからもずっと健やかでありますよう、今日も祈っています。
2020.07.08
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<料理を作る> 昼は冷やし中華を作って食べた。裏では相変わらず猫の鳴き声。だがあれは子猫でも生まれたてでもない。しかし飼い猫がそんなに長く家を空けるものだろうか。疲労を感じ、少し横になって眠った。風邪を引かぬよう、ちゃんと「どてら」は掛けた。1時間近く眠っただろうか。それから起きてパソコンに向かっている時、誰かが硝子戸を叩いた。慌てて見るとお向かいのKさん。 Kさんは、持っていた袋を私に手渡した。一目でサクランボだと分かった。少し前にも来たけど、その時は寝ているのが窓から見えて、起こすのを遠慮した由。あらまあ、どうも済みませんでしたね。ちょうど先日買ったサクランボがなくなったところなので、これは嬉しいプレゼント。お徳用品だが、私が買った安ものよりは色も粒の大きさもずっと立派。大事にして食べないとね。 さておかずを作る必要があるが、何にするか。そこで、たくさんある卵を生かすことに。具は解凍した「ミックスベジタブル」とベーコン。味付けは「そぼろ」と塩と胡椒で。焦げないよう何度もフライ返しで突つき、大きな1枚が完成。それを4つにカット。他のおかずも加えれば3回分にはなるだろう。味が物足らない場合は、ケチャップを少しかけるのも良し。でも素材の味がして、十分美味しかった。 次に大きなカリフラワーを切って茹でた。しばらく前に遠くの園芸店で買った見切り品。そろそろ使わないと傷むかと思ったのだが、切ったらまだまだ新鮮。残りは冷蔵庫に戻した。また何かで使えるだろう。それから味噌汁を作る。具はタマネギ、シメジ、油揚げ、豆腐。入れようと思った「切り昆布」は悪くなっていたため捨てた。チルドの奥から手前の方に移したのが良くなかったみたい。う~む残念。 夕方、その日の朝撮り忘れたハイビスカスをようやく撮影。日が翳って彩りはいまいちだが、咲いた証拠にはなった。3年ぶりにこの花を観られて嬉しい。確か沖縄、松山、大阪そして仙台と転勤に伴って私と共に長旅をして来た。それだけに嬉しいのだ。苦難を共にした仲間。苦しかった各地での思い出が蘇る。生涯を誓った相手が、私の元から去ったこともあった。いずれも人生の貴重な体験だ。 翌朝の食事がこれ。上の真ん中に「卵焼き」。上の右側にカリフラワー。そして下の右端が具沢山の味噌汁。ご飯には自家製の梅干しの小さなかけらと沢庵。そして真ん中にはピクルス。出来るだけバランスの良い食事を心がけ、健康を保持したいと願っている。この朝も、裏から猫の鳴き声が聞こえた。空き家のどこかに潜んでいるのか、ただの通りすがりではないみたい。梅雨空の下、ちょっぴり気になる。
2020.07.07
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<梅雨の日の朝> 6月下旬のある朝、カーテンを開けると東の空が明るかった。ほほう今日は珍しく晴れか。そう思って急いでデジカメで何枚か撮った。ブログのカット用の写真が乏しくなっていたからだ。「挿絵」代わりの写真もブログの雰囲気を和らげるために不可欠の要素。「絵」があるのとないのとでは、全然雰囲気が違う。たとえその写真の出来が悪いとしても。 新聞を取るため外へ出る。バラの枯れた花びらが石段付近に散らばっている。雨の日が続くと掃除が出来ないが、今日なら出来そうだ。ついでに畑の様子を見る。ナスに小さな実が幾つか生っている。ゴーヤは定着したが、葉の形がどうもおかしい。カボチャの苗が、ゴーヤのネット方面に伸びて来た。これは何とか別な方向にけん引しないとなあ。それにトマトの伸びた茎を紐で縛ってやらないと。 ある朝は畑のチェックに行って、ちらっと赤い物が見えた。植木鉢の赤い花ならハイビスカスしかない。慌てて紫陽花の茂みの中から鉢を引っ張り出して、日が当たる場所へ移した。たった一輪だけだがやはりハイビスカス。ここ2年ほど花を付けなかったのだが、この冬は居間に置き春に外へ出してからは固形肥料も与えた。それが良かったのかも知れない。だが、写真を撮るのを忘れていた。 用足しに出かける前に冷蔵庫の中を確認。作り置きのおかずがかなり減っている。さて、何か買っておくべき物はないか。リュックを背負って歩き、先ずは生協へ。シーツと白のスポーツ用ソックスを買った。どちらも少し「頼りなく」なっていたためだ。代金を支払ってレシートを見たら1割引きになってない。確か売り場には夏物衣料1割引きとあったのに。会員になってないのが原因だろうか。 続いて近所の床屋に。前回から2か月経ち、髪が伸びていたのが邪魔になっていた。待つことなく直ぐにカットが始まる。髪の長さとカットの方法を伝える。白髪染めを始めてからは、「バリカン」はやめて少し長めに。そして今回はマスクをしたままでも大丈夫だった。前回はマスク無しで来店したら断られたのだが、あれから少し状況が落ち着いたせいで、新型コロナに対する対応も変化したのだろう。 次にそこからスーパーへ。本当に必要だと思われる最低限度の物だけを買った。レジで「袋は必要ですか」と聞かれたが、要りませんと返事。プラゴミを減らすための法制化でレジ袋が有料になるのだ。私がリュックを背負って家を出たのはそのため。重たいリュックを背負って店を出た途端にマスクを外す。そこからは歩いて帰宅し、誰とも会わないはず。それにマスクしたままだと眼鏡が曇って見え難いのだ。 帰宅すると裏から猫の鳴き声が聞こえた。裏は空き家なのだが、猫の鳴き声とはおかしい。つらつら思うに、冬の終わりごろ猫の鳴き声が煩かった。彼らの恋の季節で毎晩遅くまでうなり声。きっとあの時の恋が成就して子猫が生まれたのだろう。それにしてもなぜ野良猫なのか。飼い猫がわが家の庭を通過するのを良く見かけていた。時々はウンチをして行くので大迷惑。あの同じ猫だろうか。<続く>
2020.07.06
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~マックス爺の日常~ 毎日の暮らしの中で一番気になるのは何と言っても自分の体調。後期高齢者の一人暮らしという現状では、自分で自分の健康状態をチェックする以外ないからだ。朝夕の服薬。日に3度ないし4度の血圧測定。体重測定。睡眠前の緑内障用目薬の点眼。食事は欠かさないし、食欲が落ちることもない。小用が多いのが多少気がかりだが、快食快便なのがありがたい。 新聞を丁寧に読み、TVでのニュースのチェックも欠かさない。パソコンではネットでの地元の主な出来事をチェックし、全国紙、スポーツ紙2紙の話題をチェック。そしてyoutubeでの最新情報の収集。世界的な学術雑誌でのニュースチェックは、主に考古学や世界史のニュースチェックと、画像の「取り込み。それらがいずれ自分のブログネタとなり、カット用写真となる。 ブログ関係では、ブログ友のブログの定時巡回とコメント送信。自分のブログについては、極力予約機能を使って予め5回分ほどのブログを常に準備してある。そのためにカット用写真の確認と整理、予約したブログの推敲。日時の経過に伴い、内容に齟齬が生じるためだ。そして予約分以降のブログの準備。これはネタ集めや画像の準備。そうして読者が飽きない工夫をしている積り。 私は主夫でもあるため、冷蔵庫の中にある「作り置き」のおかずの残り具合、食材の種類と量なども時々確認する。そして不足するものがあれば覚えておくかメモして、週末の買い出しに備える。食品の場合は傷み具合にも注意し、食料以外の生活必需品の不足にも注意する。それらは全て暮らしを支える要素であり、生きるすべであり、ボケ防止策でもある。 洗濯の必要性、掃除の必要性、育てている植木鉢の植物への水やりの必要性、畑の作物のチェックと作業の必要性と優先順位の判断なども大切な仕事。ゴミ出し、外掃除は必要に応じて。これから厄介なのが草取りだ。見た目もあるが、そのまま放置すればますます雑草が増えるため。これからは特に暑さや蚊との戦いでもある。そしてそのために健康を損ねてもいけない。老人にとっては熱中症は大敵なのだ。 そんな訳で、気楽な独り暮らしにも結構チェックポイントはあるものなのだ。色んな要素を勘案しながら、時に応じてどれを優先させるかを判断する。その判断力が鈍れば、極端な場合は死につながり、そうでなくとも健康を損ねかねない。ブログは実験的な要素が大だが、人生もまた然り。意義ある老後を送るためにも、必要なチェックを怠らず少しでも健やかな日を増やしたいものだ。
2020.07.05
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「梅雨に暮らす」 梅雨の最中は物が傷みやすい。6月下旬のある日、台所の裏に行ったらコバエがわっと飛び立った。これはおかしいと、タマネギを干している箱を覗くと、そこが発生源。どうやら幾つかのタマネギが腐り始めたのだ。取り出すとそれはトウが立っていたもの。その「トウ」の部分が腐り始め、コバエが群がっていたのだ。慌てて腐ったのを捨て、大丈夫なものを残してガレージに運んで干した。ここなら雨は当たらない。 先日の血圧測定でトンデモナイ数値が出た。緊急用の血圧降下剤を飲むべきかと迷った。結局薬は通常のものにし、いつも通り焼酎の水割りで流し込んだ。ある時は何度か「脈拍間隔異常」の表示。軽い不整脈が起きたようだ。梅雨は食べ物だけでなく、人間の体にも負担がかかる。気温の乱高下や気圧の変化。昔から日本人がこの蒸し暑さと戦って来た。扇風機やクーラーが無いころはさぞかし大変だったろう。 雨の合間を見つけて畑に出る。モロッコインゲン(右)の実が何本か見つかった、今シーズンの初物だ。これは嬉しい。ミニトマト、トマトの実が大きくなって来た。恐らくはこの雨で撒いた肥料が融け、効果が出たのだろう。ナスにも小さな実。すっかり根付いたようだ。ただゴーヤの勢いがない。南国の作物には、きっと雨よりも太陽が必要なのだろう。すべては神の差配だ。 スーパーで見たタケノコ。名前は「からだけ」で、アクを抜く必要がない由。細いのが2本で280円と私には高価だが、思い切って買った。たまには煮物も食べたい。帰宅してニンジンと一緒に圧力鍋で煮、さつま揚げや鶏肉の「つくね」で甘煮を作った。味付けは思った通りで、美味しかった。 その日はシソの葉(左)とサクランボも買った。シソの葉は梅干し用で、葉を全て茎からもぎ、塩で揉んでアクを抜き、漬けていた梅やそれから出た梅酢と丁寧に混ぜた。サクランボは山形の佐藤錦だが、規格外のお徳用。粒の大きさや色が今一で地元では売れない。それをパックにして出荷し、私のような貧乏人が買う。1パック500円だが今年の初物。タケノコもサクランボも普段の頑張りのご褒美だ。 6月28日は楽天ブログのメンテナンスで、作業中は画像のアップが出来ないとお知らせがあったので、念のため1週間前には原稿を書き予約をしていた。私はそんなことはざら。暇な時(大抵の日は暇だが)ブログを書いてせっせと予約しておく。その方が連載物などは気が散らなくて良いからでもある。それに字が良く見えないことや、変換ミス、推敲ミスなどに早めに気づいて修正するためでもある・ 漫画家のジョージ秋山さんが5月に亡くなっていたことを知った。彼の代表的な作品「アシュラ」はニヒルでシュール。それに比して、なんとも凡庸で暢気な浪人を描いたのが「浮浪雲」(はぐれぐも)。私はそのほのぼのとした雰囲気がとても好きだった。妻や他の女性にちょっかいを出す、「男の習性」にもくすりと笑えた。彼は私と同学年。死因は明らかにされない由。同時代の才人の死に合掌。 南天の花 習近平に対する公然とした非難が中国国内で起きているようだ。非難の主は政府要人であり、一部の知識人。あの全体主義国家では稀有なことだ。新型コロナへの対応や、香港への弾圧に対する抗議のようだ。これまで権力者の意向は絶対だった中国。だが、相次ぐ失策で綻びが出たか。三峡ダム決壊が現実となれば失墜は明白。共産党解体を大っぴらに叫ぶとも聞くので、中国は今大きな岐路に立っているのかも。
2020.07.04
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<マックス爺の俳句論再び> 私が良く観るテレビ番組の一つに「プレバト」がある。正式には「プレバト才能ランキング」と言うらしいが、私にとってそんなことはどうでも良い。先日ここ8年間で詠まれた俳句1400句余りの中から、選者のなつき先生が50句の秀句を選ぶという企画があった。最上位の「天」に選ばれたのが東国原氏の次の句。 花奮ふ富士山火山性微動 (はなふるう ふじさん かざんせいびどう) 「プレバト」のルールは翌週の出演予定者が、同じ1枚の写真を観てそれぞれ1句詠んで提出し、それを選者が選んで順位を決めるというもの。もちろん選者はどの句を誰が詠んだのかは知らされていない。「天」の東国原氏の一句は、選ばれた言葉も表現も、日本語として俳句として美しい文句なしのものだった。やはり現代俳句よりも、基本を押さえた句の素晴らしさは格別だ。 この「プレバト」良く使われるフレーズが「発想を飛ばす」と言うもの。写真の印象をそのまま詠むのみならず、そこから得た別のイメージを詠むのも自由と言う訳だ。それは俳句を志す者にとっては、良いヒントになる。つまり自分が感じたものをどう表現するかの訓練であり、イメージをどう膨らますかの訓練でもある。ただし独り暮らしの私の場合は、通常競う仲間はおらず自分で作り、自分で評価するのみ。 先日、作りかけの梅干しの「梅酢」の上がり具合を確かめた。その時に詠んだのが、 重石退け梅酢の嵩を確かむる *おもし *どけ *うめず *かさ=量 そこからお寺の修行僧が梅干しを作るイメージが湧き、以下の句を詠んだ。 作務衣(さむえ)の僧 重石退け梅酢確かむ修行僧 禅寺や梅酢確かむ作務の僧 修行僧梅酢の嵩を確かむる 庫裏(くり) 庫裏には僧たちの暮らしの場や、食堂、厨(くりや=台所)などがある。そこに目を転じて。 大庫裏に梅酢確かむ作務衣かな 作務僧の梅酢確かむ庫裏の奥 *さむそう(寺の雑務をする僧) 確かむる梅酢の嵩や奥の院 次に僧たちの日々の勤めである読経(どきょう)の称名(しょうみょう=仏や菩薩の名を唱えること)に目を転じて。 梅雨寒に称名響く古刹あり *こさつ=由緒ある寺 梅雨寒や読経乱るることもなく *つゆざむ 梅雨寒や称名響く文殊堂 *もんじゅどう 梅雨寒や称名乱るることのなし 称名と言えば、「立山登山マラニック」(距離55km、高低差3003m)のコースである八郎坂から見える滝(落差400m)の名前が「称名の滝」だった。立山は山岳宗教の霊山であり、他にも仏教に因む地名が多く存在する。さて、「梅酢」と「梅雨寒」が夏の季語。梅干しを漬ける作業から思い浮かんだ一句が、こんな風にお寺での修行に変化した。 福井県の永平寺で観た厳寒期の修行僧の姿、宮城県松島の瑞巌寺の庫裏や、座禅を組んだ際の経験と記憶が私にこのような句を詠ませたのだと思う。それらの経験からの印象であり、果実でもある。言葉に対する追及には終わりがない。たかが俳句、されど俳句。俳句は奥の深い芸術。私が心惹かれる所以でもある。日本語の深遠さと俳句の本質を思う。退屈な話に最後までお付き合いいただき、感謝です。合掌。
2020.07.03
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<世界のニュースは私にとって大切な関心事> わが家のキンシバイ(金枝梅) 暫くニュースについての感想を書かないでいたら、やっぱり書きたくなった。もちろん全世界のことに詳しくも関心もなく、ごくごく気になったニュースだけではあるが。独り暮らしの私にとって、社会への関心を抱くことは、それだけでも自分が孤立していないことの証でもある。また、自分の意見を持つことは老化防止にも役立つとも思う。では早速。 アメリカにおける新型コロナ感染症へのり患者が2千万人を超えた由。もちろん世界一の多さだ。今米国内では人種差別問題で沸騰中。警官による黒人への過剰な対応がきっかけが死の原因だった。そのことがあって、米国における黒人問題の歴史をyoutubeで観たが、底なしの暗黒史。白人優位、黒人差別の実態は凄まじい。民主主義国家の恥部とも言えよう。やはり緊急な改善を要する案件だと感じた。 「ビラ」の問題で南北が大揺れの朝鮮半島。北は金与正が脚光を浴び、兄の正恩が鳴りを潜めている。南北和合のシンボルのような建物を爆破し、軍事境界線を突破しようとする不気味な試み。一方韓国は「慰安婦問題」で大揺れ。また北の急変に文大統領がうろたえ、反応も出来ない感じ。その一方で日本に対しては「世界文化遺産」(軍艦島)やWTOへの提訴と、相変わらずいちゃもんと反日カード連発だ。 中国の動きがおかしい。香港への強圧的な態度はますます強まり、尖閣では日本の漁船を負い回し、海底の地形に中国名を付け、GPS機能を持つ衛星を打ち上げ、最新鋭の潜水艦で宮古海峡や薩摩半島沖を通過した。その中国では長江(揚子江)や珠江などの大河が部分的に決壊し、大きな水害が発生中。活発な梅雨前線の影響だが、「三峡ダム」の決壊が懸念されているとの情報もある。 翻ってわが国ではどうだろう。河井前法務大臣が夫人の選挙運動に関する買収容疑で東京地検の事情聴取を受けている。法を守るべき立場の元閣僚が、選挙違反の買収容疑とは世も末だ。疑念を一掃するためにも、地検には王道を行ってほしい。河井氏はトランプ大統領が誕生した際に安倍総理が渡米し、世界最初の協議の橋渡しをしてくれたことへの恩義として、閣僚の椅子を与えたようだ。任命権者である総理の責任が問われても当然。 ミサイル迎撃システムであるイージスアシュアの配置計画を白紙に戻すとした河野防衛相の決断には驚いた。秋田と山口への配置計画も、根拠となる測量データがインチキだったことを含めて、防衛省の事前調査が全くなってなかったことにも驚いたが、今回はシステムの根幹の問題。この現状では北朝鮮の新型ミサイルを迎撃出来ないことが判明したと言うのには、開いた口が塞がらなかった。 北の新型ミサイルはロシアのイスカンダル型の軌道を持つため、現有のレーダーでは識別が不可能とのこと。それに対応する迎撃ミサイルの設置が必要と河野防衛相は考え直したのだろう。事前の閣内での協議がなかったことも含めて、最近の内閣の意思決定の不確実性、不安定さの象徴みたいな事案。そのことに関しては早速中国が反発したが、共産党など国内で反対意見が出ることが不可思議。 中国の急速な軍備整備と北朝鮮の凶暴な反応を見ても、我が国がそれらの攻撃から国土を守る準備が不可欠なのは火を見るよりも明らか。ひたすら「平和」を唱えていたら、「平和」が訪れるなどは夢物語。全体主義国家の危険性を認識し、確固たる国土防衛の姿勢を示すのが世界の共通認識だと言うのに。日本国民の認識も甘いが、政府の危管理の甘さも相当なものだ。北方領土と竹島は奪われ、尖閣は危うい。 しかし、我が国の新型コロナ感染症対策で、過日の非常事態解除宣言は本当にあれで良かったのか。東京都などでは、新たなクラスターが続出している。これが懸念された第2波ないようだが、まだまだ油断は出来ない。政府の専門家を交えた委員会が近く改組される運びとなった。油断は厳禁。まさに「災害は忘れた頃にやって来る。最近地震が多いのも何かと気になる。老人の杞憂であれば良いのだが。 さて昨日から7月。暑さにもコロナにも負けず、頑張りましょうね、皆さん。
2020.07.02
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<紫陽花と俳句> 今日のテーマは紫陽花。梅雨の時期に相応しい花だ。結構どこの庭にも見かける花でもある。きっとそれだけ日本人の心情に訴え、そのために園芸種として色々改良もされて来たのだと思う。上の3枚はごく近所の紫陽花で、徐々に色が着き出したころの撮影。そこから足を延ばして、幾つか違う花を狙ってみた。それらを以下に並べる。 アジサイは漢字だと紫陽花と書くのが一般的だが、俳句では「七変化」とか「四葩」(よひら)とも呼ばれる。「よひら」は3音、あじさいは4音、「しちへんげ」だと5音。作句時の状態に合わせて、3音から5音まであれば、自在に俳句が詠めることからの工夫なのだろうと勝手に思っている。なお旧仮名遣いでは「あじさゐ」と書くように記憶している。 紫陽花の原産地は日本。幕末に日本を訪れたシーボルトは博物学者としての興味から、日本の草花を標本として採取し、オランダに持ち帰った。当時の紫陽花は「山アジサイ」でガクアジサイの仲間。だがシーボルトが持ち帰ったのを品種改良したのが「西洋アジサイ」と聞く。シーボルトは日本人妻のお滝を偲んで学名を「otakusa」とした。お滝さんがそう表記されたのだ。 学名はラテン語で付けるのが生物学の約束事。学名の中に密かに日本人妻の名を潜ませたのは良いが、彼が故国に帰国し、結婚して生まれた長男と共に再び日本に来たのが明治。だがお滝は再婚しており、自分を捨てたシーボルトとは会わななかった由。なお彼との間に生まれた女児のイネは、日本人初の女医で産婦人科医となった。そのイネもレイプされて女児を産み、その子も女医となった。 俳句で用いる紫陽花の別名のうち「七変化」アジサイの花が土の成分によって七色に変化することからの命名。また「四葩」(よひら)は四方に対の状態で葉が付くことからの命名。シーボルトがヨーロッパに持ち帰って改良された西洋アジサイは、逆輸入されて主流になっているが、国内で改良された園芸種もある。シーボルトが日本と紫陽花を愛したお陰で、今日たくさんの種類を見られることに感謝したい。 鎌倉の長谷寺は紫陽花寺としても有名な古寺。その写真をネットから借用して俳句を詠んだ。 紫陽花を訪ぬる寺の日暮れかな 捨て鐘やあじさゐ寺の夕まぐれ 鐘の音の余韻聞きつつ四葩咲く 鎌倉や鐘は何処か七変化 *いずこ 鐘の音や雨も止む頃あじさゐ寺 紫陽花の参道昏き苔の雨 *くらき 紫陽花と浜辺を臨む寺ありぬ 長谷寺に紫陽花眠る日暮れかな 由緒ある寺の紫陽花日は暮れぬ 紫陽花を訪ねし人や古寺の雨 浜見ゆるあじさゐ寺の散策路 紫陽花の夢幾度や明月院 *いくたび 即興で13句ほど詠めた。長谷寺には行ったことがあるが、紫陽花の時期ではなかった。明月院は訪れてもいない。だが想像力だけでも句は詠める。それが良いかどうかは分らないが、イメージ力を高め、言葉を探すのは俳句には不可欠の作業。思いがけず幾つかの句が生まれたことを素直に喜びたい。人生と俳句の修行の場は、いたるところにある。ただ、それに気づくかどうかだ。さていよいよ今日から7月だ。<続く>
2020.07.01
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