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<庭の改造でもうクタクタ > 庭仕事で必要な道具とは まず軍手は不可欠ですね。手が泥だらけになったり、汚れたり、怪我するのを防ぐ役割がありますね。今回も10組以上使いました。雨の日、雪の日は泥だらけになり、それを洗って、何度も使い回しをします。問題は足元。晴れた日は古いランニングシューズで十分。でも雨の日や雪の日は、どうしても長靴が必要です。泥で汚れ、そのままでは玄関から入れないため、履き替えようのサンダルを用意しています。 左から園芸用の小さな「熊手」。これで土の中から、根っこなどの邪魔者だけを選び出します。真ん中は移植ごて。植木を掘り上げるためには大きなスコップ。それよりも手軽な中型のスコップも使います。一番右が「稲刈り用の鎌」。これは切れ味が鋭く、かつ土の中深くの根も切ることが可能です。 園芸や農作業専用の「外バケツ」。20年以上も使用し、今回水漏れするようになったため、切った根と共にゴミに出しました。水や土の中から出て来た石を運ぶなど、本当に良く活躍してくれました。長い間、どうもありがとうね。そしてお疲れ様でした。 掃除などで使う「内バケツ」が3個あったので、その内の1つを「外バケツ」にしました。早速汚れた軍手を水に漬けています。よろしく頼むね、新顔さん。 住宅メーカーの「24年目点検」が終了した日の午後から、早速南通路の整備にかかります。左側はすっかり丸見えになったユズの根元。右はその隣のレンギョウを剪定して、スッキリと。 この際とばかりに東通路の植木を剪定しました。左側はムクゲで、右側はクチナシ。どちらもかなり刈り込んで、とてもスッキリした形に。両者の中間のヤブツバキは、写真を撮り忘れました。 「ミョウガ帝国」のムラサキシキブ(左)とアオキ(右)もかなり刈り込んでスッキリと。この日切った枝はまだゴミに出さず、一旦裏の集積所に積み上げます。葉が枯れ落ち、枝だけになったら紐で縛って燃えるゴミとして出します。長さは80cm以内に切り揃え、芝って出せば無料です。 花壇と南通路から出た邪魔な根などだけで45リットル用2袋、40リットル用1袋を燃えるゴミとして出しました。それがかなり重たいんですよねえ。今回も前夜のうちに自転車で運びました。 切ったアオキの枝とヤブツバキを「一輪挿し」に活けて玄関に。アオキは赤い実が、ヤブツバキにはたくさんの蕾があったので、捨てるのはもったいないと思ってね。<続く>
2020.02.29
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<近づく春の息吹> 暖冬だったこの冬。世界は「コロナウイルス肺炎騒動」におののいた。中国で発生した恐るべき病気。あっと言う間に世界へ感染し、様々な国で死者が出ている。そんな騒ぎをよそに、私はどこにも出かけず。断捨離に続いて、家中の大掃除と模様替えに明け暮れ、その後引き続き庭の改造に勤しんでいる。まだ体が持ってるのが奇跡とも思える苦痛の連続。だが、わが家の庭にも春が近づいたようだ。 例年なら4月中旬から5月にかけて咲くクリスマスローズが、もうこんなに成長している。 家の中から外に出して庭に植えたミニスイセン(左)が、こんなにも元気になった。やはりスイセンは寒さに強い花であることを実感。元々地植えのスイセン(右)の蕾が、もうこんなに大きく。 大改造のため一旦花壇から掘り起こした球根を再び花壇へ。左はチューリップ。右はアイリスか。 これからが楽しみなスイセン。左は花壇、右は庭のソーラー灯の下へ移植したもの。 今回の大改造で邪魔になっていたシュウメイギクを他の場所5か所に分けた。その根の深さと太さにビックリ。シュウメイギクは土質を選ばないしぶとさがあることを初めて知った。根付いてくれよな。 さすがにヴィオラ(左)は寒さに強い。暖冬のせいか、今年は梅が膨らむのが早いなあ。 愛犬マックスの墓石は開墾中に出て来たピンク色の石を用いた。両脇にはアジサイとユキヤナギが植えてある。私のHNマックス爺も、俳号真楠(まっくす)も勿論彼の名の無断借用。庭で戯れる1人と1匹。どちらもまだ若くて元気だった。マックスとは最長で11kmを一緒に走ったが、最後はバテバテで気の毒なことをした。最後の日、彼は私の腕に10時間抱かれ、天国へ旅立った。安らかにな。 裏庭のニラがもうこんな具合。(2月25日現在)絶好調だねえ。<続く>
2020.02.28
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<続・庭の改造計画> 東通路と東の畑 この通路沿いの植木は、手前からバラ、ユズ、レンギョウ、キンシバイ、フヨウ、クチナシ、西洋シャクナゲ、ドウダン、ムラサキシキブなど。今回この通路には手を付けず、強いて言えば邪魔になる小石を拾い集めて、突き当りの「ミョウガ帝国」を石置き場にするくらい。鎌での通常の草刈や除草剤の効き目を効果的にするためにも、小石を撒いたのは失敗だと気が付いたため。畑には既にジャガイモを植えた。 ミョウガ帝国 ミョウガも案外しぶとい植物で、地下茎の強さが半端じゃない。自分のテリトリーを遥かに超えて、東の畑のき北側5分の1ほどを占領している。このままでは大帝国の誕生は明らかなので、今年中に何らかの措置を講じる予定。とてもミョウガの収穫で喜ぶどころではなく、放置したら東の畑全体が「帝国」になる日も近い。 地下深くで行われる密かなバトル。これは笑い事では済まない。そしてその対策ではないが、ここの角地に庭や畑から出た小石を全て集める予定。その分各通路がスッキリ見えることだろう。でもそれでも出て来たミョウガは収穫して、美味しくいただきますがね。 整備後の花壇 これが花壇の最新版。柵は庭にあったのを移動した。こちらの方が、来客に境目を明確に出来るため。今後の予定は上に見える、ヒイラギ南天とツツジを一旦掘り上げ、地下にはびこるドクダミなどの邪魔者を一掃する。さらに左側に見える敷石を1枚ずつ外し、同様に芝生、ドクダミ他の邪魔者を一掃する計画、これも根気を要する作業で、問題は根を除去した後の土を水平に保てるか。じゃないと、敷石が凸凹するので。 鮫川石と万年青(オモト) 花壇がスッキリしたせいで、鮫川石が良く目立つようになった。この前に庭中の万年青(オモト)を集めた。左手の小ぶり石は元来観賞用の盆石。その下に雨水の流路とマンホールの白い蓋があり、興ざめなので「目隠し用」。まさかそんな仕掛けがあるとは、誰も気づかないはず。亭主の密かな楽しみである。 居間の前庭 これまで生えていた草を全部除去した。そのせいでここの鮫川石もスッキリ。右手の石は義父が愛した盆石。遺品として譲り受け。山茶花、ウメモドキの下に置いた。なかなかの雅趣。義父は自分の息子よりも私を信頼して、転勤先の全てを訪れてくれた。妻は去ったが、こうして義父との縁は絶たれていない。その奥、ツツジの傍に外灯が立ち、ガレージから玄関まで夜の来客を誘導している。 南通路の「玉砂利もどき」 芝生を全部除去すると困るのが土埃。そこでかつて名取川から拾って来た川石を敷き詰めた。玉砂利とまでは行かないが、まあまあの風情。足らなかった手前のスペースには、和室前の小菊の苗を移植。小菊も生命力が強く、秋になれば淋しくなったこの通路を、明るく飾ってくれると信じている。 最後の邪魔者 これはユズの樹下にはびこるリュウノヒゲ(ヤブラン)。これも生命力が半端じゃなく、種と球根の両方で、猛烈な勢いで庭を席券する。そしてこれまた地下茎がどこまでも伸び、新たなアジトを形成する。ユズの根もかなり周囲に伸び、今回の作業でずいぶん分断した。樹下に汚水管と汚水桝があり、ユズの根が侵入しないかが気がかり。昨年は50個を超える収穫。わが家の可愛いシンボルだ。 さて、本日は住宅メーカーの24年目点検の日。今回が最後になる。このメーカーの言いなりにならず、私なりに知恵を絞ってリフォームを重ねたお陰でとても住みやすく、とても築24年の家とは見えない美しさ。先日の断捨離に続く、大清掃作戦と模様替えも良い効果を生んだ。今日も相手をギャフンと言わせる予定。むざむざそっちのペースには乗らないよ~だ。 <続く>
2020.02.27
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<断捨離に引き続いて庭の整備を> 断捨離に引き続き、またしても「片付け病」にり患した。今度は庭の整備だ。芝生とドクダミの根に悩まされてるわが家の庭。それほどその根は深く長く伸び、ドンドン周囲を席巻する。まだ寒いこの時期なら作業も比較的楽なはず。そう考えて花壇から手を付けた。だか一旦全部土を取り除き、球根などは別な場所に保管し、2つの根だけをゴミ袋へ。残骸置き場に置こうものなら、菌をばら撒くのと同じ。 南通路その1 手前が花壇。楕円形の大理石は「元テーブル」右手の植木はツツジとモッコウバラ。一番奥にユズ。この部分も芝生、ドクダミのみならず、リュウノヒゲ、ハーブ、ノコンギク、雑草、山芋の根など全て除去する。どれも生命力が強く、放置すれば植木が弱ってしまう。奥の4つほどの石を除き、全て踏み石を一旦取って、その下にはびこる根を掘ってゴミ袋に入れた。その量が半端じゃない。 南通路その2 芝生を除去するとスッキリするが、困ったことがある。風が強い日の土埃で、サッシが汚れることだ。そのため、建物の基礎と踏み石との間に、丸くてきれいな川石を敷くのだ。以前名取川から拾って来て、花壇の一部に使っていた。今回はそれを取り出して、再利用する予定。工事代は無料。何せ作業員が家主自身なので、賃金を支払う必要がないのだ。ただし、その分疲労が著しいが。 家の裏通路 今回は手をつけずに雑草が生え次第鎌で切り、酷い時は除草剤を撒く。労力を減らすためだ。左側は家の裏側の壁。右手前は物置小屋。その手前の小さな畑はミョウガの天下。ここを庭や畑から出る小石の集積所にする予定。物置の奥が三つ葉畑、その奥がニラ畑、その奥がジャガイモ畑で、擁壁側が野菜の残骸などの集積所。この通路はコンクリートブロックと、マンホールの蓋が飛び石状に連なる。奥の白いのが給湯設備。 西通路 ここも今回は手をつけず、通常の草刈で対応する。通路脇にアジサイ、ユキヤナギ、ヤブツバキ、ハナズオウなどの植木があり、愛犬マックスのお墓もこの通りにある。奥の突き当りが、野菜の残骸や、剪定した木の枝などの集積所。種のある雑草はゴミ袋に入れて、燃えるゴミの日に出す。種が、庭や畑に拡散するのを防ぐためだ。敷石は、以前私が石屋の廃材を使い、自分で敷いた。結構気に入っている。 畑と和室の間の芝生 ここは芝生の一部を切り取ってレンガの敷石を敷く予定。芝生を一部残すのは、畑で作業した際に、靴に付いた土や泥を拭うため。ただ、芝生の根が際限なく広がるのを防ぐため、定期的に芝生の根切り作業をする必要がある。また和室前へ広がる芝生を切り取るため、現在生えている小菊を一旦掘り上げるかも。この菊の根も強い生命力があり、そのまま放っておけば、際限なく繁茂する。 飛び石になる予定のレンガ 煉瓦は、これまで花壇の「縁取り」にしていたものを再利用する。花壇の縁取り用には、新たにHCで「柵」を購入する。その方が見栄えが良いし、今回広がった花壇の境目がハッキリするはずだ。<続く>
2020.02.26
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<雪の日の庭仕事> 冬の花壇 家の中の断捨離が一段落ついて、庭仕事を始めた。今年は暖冬のせいで雑草の伸び具合が早いように感じたからだ。それに今の時期だとほかの植物が成長してないため、雑草を直ぐに見つけることが出来る。そしてふとひらめいたことがあった。今のうちに邪魔な芝生の根っこを切ることだ。特に安い芝生は丈夫で、どこまでも根を張る。そして他の植物の根っこと絡み合う。そうなったら厄介だ。 芝生の根 それで天気の良い日に、和室の基礎との境目から切り始めた。たちまちのうちに根っこが袋一杯になる。これを裏に積んで堆肥にしようとしても、丈夫な芝の根は死なない。そして腐葉土と一緒に庭に撒こうものなら、あっという間に根付いてしまう。それで居間の前庭に潜り込んだ芝の根も退治し、ついでにハーブの根も全て抜き、芝生と見分けがつかない「芝桜」も全部抜き、その跡へスイセンを植えた。 厄介者のドクダミの根 しかし、前庭の方はそれで一件落着だが、芝生は花壇へも潜り込んでいる。さらに厄介なのがドクダミ。こちらは30cmほど地下に潜り込み、わずか1cmでも取り残したり、折れたりすると、そこから発芽して、夏はドクダミが背比べする花壇だった。そうだ今のうちに何とかしよう。そう思いついて始めたのは良いが、そのうちに雪。そして冷たいみぞれに変わった。レ・ミゼラブル。 絞りの山茶花 そして完成したのが冒頭の写真。作業の都合上、球根は一旦全て掘り上げた。そしてスコップで土を掘り上げる度に、土をかき分けて芝生とドクダミの根を探してゴミ袋に。ドクダミも裏庭に積めない。事情を知らない前妻がドクダミの根が混じった堆肥を庭中に撒き、「ドクダミ帝国」に変身した経緯がある。 藪椿 偶然畑の土と花壇の土を交換した形になった。これで花壇の土質も少しは改善されよう。そこで掘り上げた球根を花壇に戻し、余った球根とシュウメイギクは他の場所に植え替えた。これで第1弾は終わったが、引き続き第2弾を予定。芝生をほとんど切り取り、その後へ石を敷くのだ。当然雑草対策。ただし畑の脇だけはjっ間の芝生を残し、玄関前及び玄関が泥で汚れ難くする。 そして玄関へのアプローチ部分の敷石を一旦全部どけて、その下に潜り込んでいた各種の根も除去する予定。またもや大作業になった。ガンバレ>自分。<続く>
2020.02.25
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<おおミステーク > 大規模な断捨離を行った際の疲労のせいか、ここのところミスが続く。曜日を忘れるなどは序の口で、先日は火災保険の更新手続きに行ったのだが、まだ契約期限が残っていた。それでJAの窓口でコーヒーを戴きながら、得意の断捨離論を一席ぶった。ビックリした受付嬢は、しぶしぶタオルをくれた。3月初旬に改めて手続きに行く。 飛んで来たキジバト(山鳩) 昨日子供へ送る段ボールを近所の宅急便受付店に持って行き、送り状に住所を書こうとして愕然。そのメモを入れた財布を先日捨てたことを思い出したのだ。かなりボロボロの財布、これじゃいくら何でもと新しいのを買ったまでは良かった。カードや診察券などは新しい財布に移し替えた。ただ「ミニ住所録」を新しいのに移さず、そのまま捨てたんだと思う。 メモは、子供、兄弟、従弟、親戚など比較的連絡を取り合ってる関係者ばかりの重要なもの。それ以外の手がかりはない。幾ら疲労が激しくて曜日を忘れても、あれだけは失くしちゃいけない。自分は一体何と言う大失態をやらかしたのだろう。ガックリし再び段ボールを積み、すごすご引き返したのだった。「立山登山マラニックゴール」 段ボールを家まで運び、玄関で財布を再点検。「仕切り」の内側と外側。カード入れ3か所。どこにもない。そして「秘密のポケット」。急いで開くと、なんとあのメモがあるではないか。きっと「無意識のうちに、移し替えていたのだ。私は家を出た妻の話をおばちゃんに聞かせたが。あんなに驚いた小母ちゃんを見たのは初めて。もちろん彼女は元妻を知っていた。 「立山登山マ。ラ」の難所 今回の作業中に亡くしたものの一つが「部分入れ歯」。全く物が噛めない訳なじゃないが、咀嚼力は著しく劣る。「置き場所」が決まっているのにない。やはり無意識のうちに、ゴミと一緒に捨てたのだ。お金を出せば作り直せるが、疲労の影響は、体重3kg減、口唇ヘルペス発症だけではなかった。 地植えにした水仙 勘違いもあった。黄色のミニ水仙だが、居間に入れ水やりを欠かさなかった。ある時、付いてた「説明札」を読むと、スイセンは冬の寒さに当てると長持ちする由。確かに地植えのスイセンはどれもみな元気。そう思って一晩外へ置き、翌日庭へ地植えにした。ゴメンね誤解から過保護に育てて。わが子の育て方も間違えたかもなあ。 次にミスしそうなのがこの2つ。実は月に1度の「俳句教室」とKちゃんが集金に来るのが同じ日なのだ。Kちゃんには伝言があるのだが、私が出かける前に来れば良いが、出かけた後だとドアノブに引っかけたこの袋のみが「頼みの綱」。伝言は1から3まで。最後が一番大事なのだが、果たして私の意が彼女に上手く伝わるかどうか。ふ~む。 小雪が舞い散る中で、ジャガイモの種芋を植えた。南の畑に一列。東の畑に一列。比較的粒が大きく日当たりも良いので、立派に発育するだろう。小粒の11個は、裏の畑。ここは地味も日当たりも悪いが、生命力が強ければ、必ず育つはず。願いを込めて発酵鶏糞、草木灰、化学肥料を土にすき込み、畝も去年よりもぐっと厚くした。これも育児と似てるか。う~む。 ジャガイモに小さな「芽」が。 さて19日(書いてるのは前日)は市民税、県民税申告用に私が指定された日。関係資料は完全に整えた積りだが、最近チョンボが多いんでねえ。開始は9時だが早めに行けば早く終わる。そんな訳で今日は早朝から区役所へ出かけて来ます。何とか一発合格を。これが公開された時には、きっとどれも決まっていることでしょう。ところが実際は持参した添付資料が違っていたのだ。なんとお馬鹿な私。
2020.02.24
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<雨の日の仕事 後編> ようやく証拠が出そろった。男は次々と写真を並べたのじゃ。 まず。これが第1現場の写真。実に鮮やかでござるのう。ふぉっふぉっふぉ。 そしてこれが最初の事件の遠因となったブツ。左が間接的、そして右が直接的原因じゃ。ん?さっぱりわからんじゃと。つまり男が茶碗を落としたのは、「もぐもぐタイム」でお茶菓子が気になっていたんじゃよ。そして右の杉板の上に茶碗を置こうとしたんじゃが、その「微妙な段差」がもとで茶碗が倒れた。その証拠に杉板にもお茶がこぼれておろうが。でも良うわからんかのう。 そしてこれが第2の事件現場。この日、男は間もなく火災保険の契約が切れることに気づいた。そこで男は慌てて自転車で「JA共済」へ行こうとしたんじゃ。ところがこの日は生憎の雨。思わず「クソ~っ」と怒鳴った男は思いっきり椅子に腰を下ろした。ところがこの椅子の様子がおかしい。あるはずのない「隙間」が開いとった。またまた怒った男思いっきり椅子を蹴飛ばしたらじゃ・・。 その衝撃でさらにグラグラし出した。グリグラグリグラ。それを言うなら「グリとグラ」じゃろ、「こどもの友」社の絵本の。 これが次の証拠品。「んんん?」。どの写真もみんな、色は焦げ茶色とモスグリーンの組み合わせじゃ。男は昔からこの組合わせが好きでの、若い頃は焦げ茶色のスエッドのスーツに、モスグリーンの細い編みタイを締めてた。それにタイピンは真珠1粒だけのシンプルなヤツ。確かその組み合わせは上品で優しいとフロイトが言っておったが。 室堂平付近のチングルマ 次の新しい茶碗 ところが男の専攻は色彩心理学じゃなく、女性心理学。だがいくら本を読んでも、女性心理の奥義つかめず、常に女に振られっ放しだった。「女心はよ~山の天気よ」それで立山室堂平のチングルマと言う訳。ハハハ。あの手拭いから拝借した。こんな調子で、仕事は捗らず、雨で段ボール箱も発送出来なかった。なんとまあ気の毒な。だが男は満足そうに新しい茶碗をじっと見てたんじゃと。<続く>
2020.02.23
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<雨の日の仕事 前編> 紫陽花の芽 畑の土起こしの翌日は朝から雨。ほほう、これは良い。理由は、1)少しは自分の体を休められる。2)畑が潤い、早速施した肥料の効果が出やすい。3)家の中にいる分、残っている仕事が捗る。と、あくまでも前向きなマックス爺なのだった。 庭のフユシラズ やりたかった仕事の第一は、3人の子供たちに送付する段ボールのサイズをよりコンパクト化すること。居間に古毛布を敷き、段ボール箱と工具、ガムテープなどを運んた。箱は長期間2階にあり、箱が古く汚れていた、表面を雑巾で拭き、用心して古毛布も敷いた。居間での作業は、暖房があるため。 苦労の甲斐あって、段ボールはぐっとスリムに。その代わりに彼らの幼児・少年期の思い出が消された。後は各自心に残る映像を思い浮かべてくれ。父はそう願う。次男の箱だけに手紙。後はじっくり練った文案を送付予定。かなり厳しい文面になろう。特に「私とは親子の縁を切った」と言う長女には。散々苦労かけた上、あれほどまで父を愚弄した報いだ。 次がアイロンがけ。と言っても服ではなく、花瓶などを引き立てるため下に敷く布地。中には汚れたり、変色したものもあった。それら洗剤入りの湯に漬け込み、もみ洗いした。みっともないのがピンとなれば、少しはマシになるはず。 しわくちゃの手ぬぐいはアイロンがけ後、階段の踊り場の「特等席」にピンで止めた。思い出深い「立山登山マラニック」の参加賞が、ようやく「檜舞台」に。実にメデタイとここまでは良かったのだが。 お気に入りの茶碗 ところが手元が狂ってお茶が入った茶碗が落ちて、床にシミを作ってしまった。「どうもシミマセン」と謝ったがもう遅く、ゴザに黒々と沁み込んだのだ。男はこうして「雨の日用の仕事」を増やし、まさに「自給自足」であった。 <続く>
2020.02.22
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<遥かなるリフォーム作戦> 思い切ってプロに障子の張替えを依頼して良かった。私が頑張ってもこんなに上手に行かないのは分かり切ってるし、第一にして「障子滑らし」を上手に張り替えるのでさえ、プロは専門の道具を使って鮮やかにこなす。だから仕上がりが見事なのだろう。 この陰影が鮮やかに戻った。以前は破れたまま。紙も劣化してたのだろうし、前妻が手を突っ込んだ破れも多かった。「空間認識」が衰えたのか、至る所にその痕跡を残していた。風呂の小窓を開閉するハンドル、換気扇のタイマーを壊し、IHクッキングには焦げ跡。その同じ焦げ跡の形が「ヤカン」の底にも。だがいつも「私は壊してない」と主張する前妻だった。 我が家は「軽量鉄骨住宅」。地盤強化工事もしたため、地震の揺れにも強い。そのメーカーの「24年目点検」が今月末にある。だが断捨離と大掃除を自ら行ったことで、幾つかの弱点をバルコニーで発見。今回の点検の眼目は、屋根の塗装の劣化と、バルコニーの防水とか。そのバルコニーの欠陥を見つけたのだ。そして屋根の塗装は、前回の20年点検時に別の業者に発注し、既に済ませてある。 住宅建築メーカーのリフォームは、目玉が飛び出るほど高い。下請け業者からの1割ピンハネは常識。実はそのことに関して、ある業者と相談している。その業者に「直」に発注すると3割は安く上がる。 「住宅建築メーカー」の見積もり後、某業者へ連絡予定。年金生活者はそれくらいでないと、金をドブに捨てるようなもの。極力複数業者と接して、より多くの業界情報を得ることだ。私は「ソーラーシステム」と塗装を住宅建築メーカー任せにしなかった。 別の業者が言うには。「もし私に新しいお嫁さんが来たら、お祝いに好きなリフォームをプレゼントする由」それで新妻のための、リフォームは決めている。そして出来ればとある外構工事も、私とその業者の2人で。そんなことをするのは、出来るだけ長くこの家に住み、この家で死ぬためだ。業者に売れば買い叩かれた上、その代金で買える家などないと思った方が賢明。業者は自社の利益しか眼中にない。 ハイビスカスの鉢 2Fトイレのウォシュレット化は、別な業者に発注予定。ずいぶんお金を注ぎ込んだこの家には、とても愛着がある。出来るだけ長く庭や畑を楽しみたいし、その体力も保ちたい。最後まで私の面倒を見てくれた嫁さんには出来るだけのことをして上げたい。離れて暮らす父など顧みないわが子よりも、最後まで面倒見てくれた血のつながらない妻を大事にしたい。いざとなれば公正証書(遺言)と言う奥の手」もある。<続く>
2020.02.21
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<体と疲れを癒しながら> 3週間にも及んだ断捨離の疲れを取りながら、次々と重要な案件に対処している。お陰様で体調は少しずつ回復しつつある。ひと頃の「曜日忘失」もなくなった。しかし断捨離のどさくさに紛れて、部分入れ歯が無くなった。きっと間違えて捨ててしまったのだ。咀嚼機能の減退は痛く、次の予約日まで我慢だ。 しかし「口唇ヘルペス」の発症には参った。痛みは全然なかったのが、この病気の本質を知って愕然とした。そしてこの治癒を最優先した。だが体に潜むウイルスの完全な駆除は、現代医学でも困難の由。それなら再発を防ぐこと。またパートナーが出来たら、相手に迷惑をかけないことが最優先。眼精疲労用の目薬、総合ビタミン剤の効果もあり、ヘルペスの症状はほぼ消滅。 次に優先度が高いのが、市民税、県民税の申告。2月19日の午前9時と指定されている。関係資料を整え、「医療費控除を申請するための表の作成を急いだ。毎年関係法令が改正され、「控除申請」を極力抑えるための複雑化としか思えない、帳票は区役所打ち出せる。なぜ高齢者に面倒な仕事をさせるのか。 ある夜、1本の電話。業者に和室の障子の張替えを頼んだ。翌日「見積もり」を見てビックリ。普通の4倍ほどの料金。だが今は自分でやってる暇がない。料金は高くてもプロの手に任せたら、立派な仕上がりになる。それに、「断捨離」が終わっても、「破れ障子」じゃね。早速相当額を引き落として準備。 翌日の早朝に、職人さんが来た。石川県出身で、私の10番目の職場があった市の近くで修行された由。これも何かの縁。彼が仕事をしている間、私は庭と畑の整備に勤しんだ。お陰で庭仕事が捗るとともに、良い気分転換に。家の内外が美しくなるのは実に気持ちが良い。 これが裏に積まれた、雑草と剪定枝。これがわずか2日分だから、勢いが強い夏などは、暑いし、蚊に食われるしで、大変な苦行。しかし晴れて暖かい週末で助かった、畑の準備を急いだのには訳があった。ジャガイモの植え付け時期が迫っていたのだ。 その前にやることがあった。大根は土に埋めた5本を掘り上げ、立派な1本を裏のSさんにお上げした。東の畑からは収穫し損ねたジャガイモが幾つか。それらを他の食品と合わせて急遽「おでん」を作った。当意即妙なのがマックス流。 和室2の大小の窓と障子。 和室1の障子と床の間。障子の張替えが終わった。さすがプロの技は凄い。「障子滑らし」も張り替えたので、戸の開閉も楽に。そして今回の「障子紙」は通常の4倍、つまり10年間持つと言う。経費は4倍支払ったが、今後10年間美しいままなら、結局損はない。いやむしろ良いかもよ。 作業中、タマネギと雲南百薬の苗に追肥を施し、南、東、裏の畑を耕し、石灰、発酵鶏糞を施して整地。これでもういつでもジャガイモを植えられる。今回の種芋は早生品種の「インカのめざめ」を2kg購入したが。濃厚な味らしく、収穫し食べるのが楽しみだ。 最後の白菜 今回の土起こしに合わせて、発酵鶏糞2袋、黄色いスイセンの鉢植えを買い、食卓に飾った。庭の雑草取りと植木の剪定、花壇の縁のレンガの組み直し、野茨の除去、芝生の剪定も行えとてもすっきり。断捨離に続く整備で、ますます気持ちが良い。また表具店とは、次の作戦を計画中。<続く>
2020.02.20
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<迷彩服ドクターと「こけし語録」> 宇宙病院で迷彩服ドクターの話を聞き、さらに帰宅後ネットで病気のことを調べてガックリ、これじゃあたとえパートナーが見つかったとしても、一体どんな愛の営みが出来ると言うのだろう、「じゃあオヤスミ」と手をつないで寝るだけなの。あんなに長い期間、家庭内別居に耐えて来たのになあ。 でもその鬱屈した気持ちが「中庭薬局」でこけしちゃんに出会ってから救われたね。私が空前絶後の断捨離を決行したことを話すと、彼女も最近同じような体験をしたと教えてくれた。誰だか分からない初対面の人にだよ。「めんこいね」と言うと「おばあさん」と一言。とんでもないこけしちゃん。 あんたほどの器量なら今すぐにでもお嫁に行けるさ。それに気持ちもとってもめんこくてね。私が名札を覗き込むと、見易いように持ち上げてくれたの。その可愛い仕草に爺さんはすっかりハートを奪われたのさ。そして、断捨離後の家が、美術館や博物館のような感じになったと言うと、見に行きたいと仰る。他のスタッフもおられる中でだよ。爺さんはたまげた。そしてまたもや感激。 そして、それだけの重労働をした後は、太り過ぎに要注意だって。へえあの小保方さんは割烹着だったけど、こけしちゃんは本物の白衣。そして「リケジョ」らしい客観的で適切な意見。これにも感心。私も学術畑の仕事が長かったから、論理的で客観的な考え方は、とても居心地が良い。そしてなんと言う、無邪気さ。遠い昔に観た「ローマの休日」のアン王女を思い出したのさ。あの可憐なオードリー・ヘプバーンをねえ。 この娘はきっと深窓のご令嬢で、上品に育ったのだろう。そのご家庭が偲ばれる。父上は教育者だったのかもなあ。そして私がブログをしてると言うと、自分もしたいと言う。そこでブログ名を殴り書きしたメモを渡すと、「きっとコメントするね」と彼女。本当なら嬉しいんだけど。 その夜、爺はブログを確かめた。だが待てど暮らせど、こけしちゃんからのコメントはない。何日か経ってから爺は考えた。ひょっとして、コメントし難い内容だったかもなあ。そこでランニングの話を書いた。それはたまたまそんな巡り合わせだったんだけど。そしてらありましたよ。本当に書いてくれたんだねこけしちゃん。そして「私も前に進みます」って。彼女の身の上に一体何があっのだろう。 天が三物も四物も与えたこけしちゃん。きっと彼女に相応しいジェントルマンが直ぐに現れるはず。もしもそうでなくても、彼女なら独り立ちできるだろう。さて本日14日は庭と畑の整理。明日15日は障子の張替え。19日は市民税、県民税の申告で、20日は俳句教室。月末は住宅メーカーの「24年時点検と。今月は猛烈に忙しく、重要事項が目白押しだ。 ようやく体調が回復して来た。でも「中庭薬局」に寄るのは、遠慮しよう。ふと薬の袋をみたら、彼女の丸い印。ああ懐かしき名前よ。こけしちゃん、ひと時の夢をありがとうね。そして限りなき前進をされますよう。ではお元気で。たった1日だけのわたしのアン王女さま。 <完>
2020.02.19
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<3度目の正直> ついに「宇宙病院」に行く日が来た。ところが生憎の氷雨。合羽を着てフル装備。何分わが家からは直接的な交通手段がない。それでどうしても自転車になるのだ。場所は知ってる。病院の前に一番乗り。まだスタッフは誰も来ていない。それから2人3人とスタッフが来、最後に「迷彩服」を着た若い男。するとあれが院長か。どうやら雨中をバイクで来た感じ。9時少し前、ついに皮膚科の扉が開いた。 ふ~む。やはり宇宙ではなく、ここは普通の病院みたい。受付へ保険証、お薬手帳を提出し、初診なので「問診表」に記入。「質問があればどうぞ」とあったので、そこにも口唇ヘルペスなどに関しての幾つかの疑問を記した。予めトイレに行き、診察に備えた。 院長と直接面談しながらの診察。今の症状を全治するには5日分の内服薬を飲めば済む由。次いで「質問OK」とのことだったので、口唇ヘルペス、性器ヘルペス、帯状疱疹の特徴と治療法、今後の注意及びパートナーと接する際の注意などを聞いた。そのものズバリなので若い院長は驚いたようだが、大学病院に3年、国立大学の医学図書館2か所に勤務した私にとっては、別に驚くほどでもない常識程度のことだ。 次に向かったのが例の喫茶店みたいな薬局。普通なら行かないが、ここが皮膚科に一番近いので良いと咄嗟の判断。そこが「ワンダーランド」の入口だった。処方箋を渡しながら私は症状が出るに至った経過を必死に話した。驚くべきここ3週間の激務。そして「新生」への強い願望。それを初対面の女性に向かって必死に訴えていた。それを嫌がりもせずに聞いてくれたのが「こけしちゃん」だった。<続く>
2020.02.18
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<融通の利かない院長> 受付へ診察券と保険証を提出。「その後お変わりありませんか」と微笑む係の人。ああ大変なことがありましてね、目の前が真っ白になって見えないんです」。それから待たされること2時間あまり。持参した新聞も本の字も見えないため、頭の中で何かを想像するしかない。そして時々はトイレに。ようやく名前が呼ばれて検査室へ。いつもの眼圧測定と、念のための視力検査。案外見えたのが意外だった。 マイPC またかなり待たされてから診察室へ。ドクターに症状を訴えても「でも視力は出てますから」の一点張り。ずっと前から私の訴えは聞かず、眼科医としての診察結果だけを言う。これまでも緑内障のことを尋ね眩暈を訴えても、それは「耳鼻科の領分」とだけ。私は両目の焦点距離が違うため、物が二重に見える。それが眩暈の原因になるかと尋ねたのだが、相変わらずの石部金吉。最後に「眼精疲労」を取る目薬の処方を頼んだらそれは聞いてくれた。 PC脇のお菓子など 受付へ戻って「眼科専門医検定状」を見る。副院長の奥様も同じ眼科医で3歳年下。こちらの方が柔軟な印象。東北大学の眼科教室はまだ木造建築だった頃から知っていた。主任教授は確か「桐谷」だったかなあ。場所は1階の東端に行く最初の曲がり角。私はかつてそこの医事課に勤務していた。もう55年も前の話だ。次回の「視野検査」を予約し、診療費を支払い、処方箋を受け取る。 幼き日の孫たち 隣の薬局で緑内障用の目薬2本と赤い眼精疲労用の目薬1本を受領。こちらは1日4回点眼して良しとのこと。これで何とか助かった。途中HCで灯油の給油ポンプ、種ジャガイモ「インカの春」2kgを、スーパーでコロッケ、お茶、和菓子などを購入して帰宅。いやはやこの日は予想以上の大遠征となった。そしてその夜から雪が降り、翌日の新年会会場へのランの準備を始めた私だった。<続く>
2020.02.17
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<ネットで探した病院はいずこ?> 3週間以上ぶっ通しで続いた断捨離作業はほぼ目途がついたが、まだやり残していたことが幾つかあった。それに気がかりなこともあった。それは5年ぶりに発症した「口唇ヘルペス」のこと。ネットで調べたら案外しつこくてヤバイ感じ。それで是非とも皮膚科を見つけて受診し、症状を全快させようとする試みだった。それは自分自身のためだけでなく、まだ見ぬパートナーのためにも絶対に。 先週土曜日の夜、区内の皮膚科をネットで検索した。ヒットした中で住所が分かる医院を、今度は地図情報で検索。地下鉄の駅前と言う大きな目標はある。だが今一場所が特定出来ない。これは前もって日曜日に確認しておく必要があるな。そう判断して自転車で出かけた。想定通り実に分かり難い構造のマンション。どうやら2階に歯科と皮膚科があるようだが、階段が幾つもあって何とも不可解。そして中庭にはまるで喫茶店みたいな薬局があるのを知った。ああこれじゃ「不思議の国のアリス」だよなあ。 待望の月曜日になった。早速喜び勇んで皮膚科へ。なんと「宇宙」めいた名前の医院。この日も迷いに迷って探し当て、皮膚科の前に行くと「本日院長の体調不良のため休診します」の張り紙。何なのこの皮膚科は。本当にやる気があるんだろうか。やっぱりここは宇宙だったか。ガッカリした私はキッパリ諦めて眼科へ向かった。緑内障用の目薬がほとんどない。それに連日の重労働で目が見え難い。どうしても目薬をもらう必要があった。<続く>
2020.02.16
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<マックス爺大いに吠える> ランパン 走友会など団体への所属が必ずしも良いことばかりとは限らない。在る年のあるレース後、10も若い後輩がいきなり「〇さん評判悪いですよ」と私に言った。なぜそんなタイミングでそんなことを口にしたのか。多分自分が完走出来なかったはらいせだと私は直感した。そして「裏で悪口を言ってるのはお前だろうが」とも。それは彼が別な時に「〇さんは走友会を利用してる」と言ったのでも分かった。 ランシャツ こいつはよっぽどの馬鹿。そして転勤族の苦労を知らないなとも。と言うのは言われた当人は中部地方から仙台に赴任した転勤族。そしてわが走友会にたどり着いて入会した次第。走友会など「利用してなんぼ」のもの。すべからく利用するためにあるのがそもそも走友会の役割。それを会の中心に据え熱心に会員を勧誘している走友会が存在するほど。利用するための走友会で一体何が悪いのか。 そもそもその当人が一番便宜を得てるはず。彼は誰かと一緒じゃないと距離の長いレースを走れない人。私はそんなのが大嫌い。ウルトラは1人で走ってなんぼの世界。コースに迷うのも、地図を読み解くのも、食料や水分の調達、どんなペースで走り、無事にゴールするか。それを自分だけの判断で最後まで走り切るのがウルトラマラソン。それを他人の援助にすがってしか走れないなんてウルトラランナーとは呼ばない。 ウインドブレーカー こんなこともあった。その1年間、ずっと私に負けっ放しだった12歳も年下の男が、行事で写真を撮る際、私の前まで来るとくるりと引き返す。そんな訳で、私の写真はそれ以降走友会のHPには1枚も載らなくなった。何と言う度量の狭さ。ケツの穴の小さな奴ばかり揃ってるとはなあ。私の完走記は実に詳細。だが嘘は書かない、その文章で心理分析までされてよほど悔しかったのだろう。 この日も4つ年下の男を叱った。4歳違えば少年時代の状況がまるきり異なる。都市と地方では食糧事情が異なるし、仙台には進駐軍が常駐し、朝鮮戦争と同時に、米軍の射撃演習が郊外で始まった。食えない家では娘が「パン助」になり、男は「闇屋」で食いつないだ。生きるか死ぬかの時代だった。ところが「ランニング馬鹿」は歴史も文化も学ばない。人は何時か老い、何時か死ぬ。いつまでもランナーで通すのは無理な相談なのだ。 ある人が今年は北海道を自由に走る計画中教えてくれた。1520kmの「本州縦断フットレース」を完走した強者が、70を目前に果敢に自分の夢を目指す。エベレスト走った81歳の長老。昨年100kmを完走した80歳の長老。膝を傷めた84歳の長老。かつての勢いがなくなったことを憂い、もう会合に顔を出さないかつてのスピードランナー。老いは誰にも平等に訪れ、いつしか体力も弱るのが宿命か。 「ムンバイマラソン」に行くと言ってたA山さん、Y野さんはどうだったのか。インドは1月でも30どを超えるだろうが、心臓の悪い2人が無理してなければ良いが。私も誘われたが「大連旅行」を優先した。「仙台鉄人会レース」を今年は形を変えて再出発させるとF氏。スタートが朝6時なら「10時間走」か。あのコースでそれは厳しいねえ。しかし新年会でT田氏と飲んだ酒は旨かった。 S氏とは昨年死んだ彼の兄の話をした。兄は高校の3年後輩。彼ら兄弟とは実に不思議な縁で結ばれていた。人生とは不思議だね。弟は私の愛犬の名前を出した。三神峯公園で花見をした時、私が連れて行ったのだ。その愛犬が私の腕に10時間抱かれて死んだことを教えた。家族で唯一私を裏切らなかった愛犬。ありがとうわが走友たち、これからもどうぞよろしくね。 文中敬称を略しました。 <完>
2020.02.15
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<映像編> 永遠のマドンナ。まあどんな? まだまだ元気でランニングライフ!! みんな笑顔が素敵だよ。 私(右)とレバノンへ逃れたゴーン氏(?) みんなのお顔も真っ赤っか。 81歳のM仙人(左)と新役員のS君、お疲れ様で~す。 Yさん福島原発からの避難、お疲れ様でしたね。一緒に飲んだ「銀河ビール」懐かしいなあ。 K野さんM井さん役員お疲れ様でした。白髪が増えましたねKさん。 K山長老は84歳、M仙人は81歳。まだまだ走るそうです。凄い先輩たちに大きな拍手を。 昼の酒は効くねえ。もう腰がフラフラ。お開きはまだなの。もうちょっとだよ。 記念撮影その1。最前列の左側が私。みんな良く飲みましたね。 記念撮影その2 ちゃんと前向いてよ、おんちゃん前会長~っ!! <続く>
2020.02.14
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<総会そして新年会へ> やっぱり天然温泉は良い。眼下の名取川の清冽な流れにも癒された。本当はもっとゆっくりお湯に浸かりたかったが、そろそろ総会が始まる頃。もう送迎用のバスに乗って、仲間が大広間で待ってるだろう。 それにしても良く今の体調で、幅が40cmもない粗雑な小径を走れたものだ。あそこは散々練習で走った小径だし、雪もまだあんな程度だから危険性は全くなかった。もし怪我するとすれば、それは自分の不注意。9kmくらいあるかと思ったが、実際に走ったら6.5kmから7kmの間だろう。自分の勇気と判断力に拍手。十分注意しゆっくっりとなら、これからもまだランを楽しめる。男はそう確信した。 総会中の役員たち O川会長はじめ真剣な表情の執行部。すでに会長の挨拶、昨年度活動報告、会計報告、監査報告が型どおり終わっていた。会費を値下げしたためかなり財政は苦しそうだ。議題は新年度の活動計画案に移り、活動計画と年間予算案がそれぞれ会長と会計担当役員から説明された。 総会遠景 新年度活動計画案に関する質疑及び討議に移り、今後は経費と事務省力化のため極力「ペーパーレス」を目指すことになった。会の正式な行事として残すものの決定、役員の退任と東京から仙台に赴任したS水会員が新役員となること、および退会した会員名が披露された。私が参加出来なかったここ数年の間に、大きな時代の流れと会員の高齢化が進んだことを意識させられた。 戯れるAさんとKさん(新年会にて) 最後に私が緊急動議を出した。それは財政難の走友会に寄付すること。OKみたいなので直ちに財布から2万円を出して提供。ビックリする仲間達。「宮城UMCには?」とKさん。そう来たか、それならとさらに1万円をKさんの手に。本日の会費+3万円は大変な出費には違いないがここ数年間。私は全く会の中では異邦人。そのくらいは安い物。それにウルトラマラソンなら1回分でそれぐらいする。だからこの新年会&総会はが自分にとって久しぶりの「ウルトラ」に参加したと考えれば済む。 こうして予め準備された議題は全て討議され、挙手による賛成多数で全議題が可決された。この後はM井会計担当(左)の司会で、新宴会の部に突入。一気にアルコールの海に浸かるのであった。だがそこでも厳しい声。「値段が高いビンビールは極力抑えました」と天からの一声。それ以降は「プシュッ!」と言う缶ビールを開ける音が大広間に響き渡ったのであった。 <明日に続く>
2020.02.13
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<いざ雪道へ> 所属走友会の新年会&総会の前夜、雪はしんしんと降り続いていた。あれまあ。これは想定外のことが起きた。でも明日は何としてでも行く。男が一旦口にしたことは何が何でも守る必要がある。それだからこそ生きる価値がある。そう思って深夜にランニングの準備を始めた男だった。先ずは最悪のケースを考えての服装。明朝までにどれくらいの積雪になるか。そして足元は、そして西風対策は。 朝が明け、外を見てビックリ。庭は一面の銀世界。なるほど。これなら走れる。だが問題はあの峠道。あそこさえクリヤー出来たら、後は峠からの下りに注意すれば何とか行けるだろう。男はそんな風に考え直した。しかしこんな日にこの冬一番の大雪とはなあ。だがウルトラマラソンなどしていたら、こんなハプニングなんてしょっちゅうだ。それに対応するのが本物のウルトラランナーではないか。 時間の経過と共に気温が上がり、道路の状態が変化した。ふ~む。これなら重装備は必要ない。そう判断した男は折角前夜準備した荷物を全部解いて、改めて服装と荷物の中身を変更。もう道路の雪は融け始め、グチャグチャ状態。厄介だが、それも自然現象のなせる業。ランナーはそれに合わせて走るだけだ。9時ジャスト家から走り出し、自販機でホット紅茶を購入。もちろん道中の水分補給用だ。 街中は難なく通過し、いよいよ問題の峠へ。人が走れるのは右側の狭い歩道。到底歩道とは言えない狭い幅しかなく、足元はデコボコで横から木の枝が邪魔をする。車道は元国道286号線。これが狭くて車が多いため走る訳には行かない。だからこの真っ白くて狭い空間を行くしかない。でもここは30kmから最長77kmまでの私のかつての練習コースで30回は走っている。だから走れるのだ。 徐々に標高が上がる。たまに広い箇所があるが、こんなのはごく一部。時々車道の様子を窺い、車が来ない時だけ車道の端っこを走る。さすがに下が安定して走りやすい。でも車が来たら再び「獣道」へ。その内に車道の雪が融けて水たまりに。そこを車が通れば、当然泥水が撥ね飛んでズボンを濡らす。それもまた想定内。せめて脇の木の枝が掃われていたら、さぞかし走りやすいだろうと、思うのだが。 数kmの峠道はやがて下り坂となり、間もなく「山神」などの石碑が立つ場所まで来た。ここまで来たら後はちゃんとした歩道になる。一安心し、山に向かって放尿。ふむふむ。これで大丈夫。国道との合流地点までさらに下る。そして広い国道の広い歩道へ。ここまで来たらもう安全。横断歩道を2つ渡って道路の向かい側へ。そこから左折すると、あとは会場の温泉までは一本道。雪があっても走れる。 10時20分会場へ到着。開会は11時なので十分間に合う。部屋に荷物を置き、着替えなどを持って早速温泉へ。ここは何年ぶりだったか。サラサラして気持ち良い泉質。目の前の山も川岸もすべてが真っ白。昨年の大雨ではここが氾濫しかけたと聞いた。今はとても静かな流れに戻っている。体を洗ってお湯に浸かり、大急ぎで部屋へ戻ると、既に「総会」が始まっていた。着替え後、その席へ。<続く>
2020.02.12
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<模様替え> 拡大鏡 突然じゃが、デザインを変えた。今回の「断捨離」で腰と肩を傷め、5年ぶりに「口唇ヘルペス」を発症するほど体調が悪化。疲労のせいか、目が霞んであまり見えない。そんな中でブログを続けるため、少しでも字が黒く見える方が助かる。指の動きが悪く、変換ミスも増えた。そんな訳なので、どうぞヨロシク。 工具箱 そんな私に対して、しつこく「ポチ」(応援)を迫る人がいる。そんなのは友じゃない。最初から命令口調で「ポチ」を迫る人だった。それは人に物を頼む言葉じゃないだろう。そう言ってやりたかった。恐らく「名古屋のなんとか爺」を真似たのだろうが、トンデモナ。それならポチと結婚したら良いのだ。ずっとポチと一緒にいられるからの。 辞書用書架 日曜日は、午後から浴槽、洗面所、1Fトイレの床を拭き掃除。夜は辞書用書架を釘で打ち付け、、工具箱2個を総点検し、不用品を捨てた。その夜は早めの睡眠剤。それをすっかり忘れ、夜中にもう1錠飲んでしまった。忘れっぽくなったなあ。。それが大騒動の引き金だったとはなあ。 深夜異常を感じて起きた。トイレだ。そこでトイレへ行ことしたが方向が分からない。室内は真っ暗で、鉢物置き場所を変えたばかり。この日は物干竿まで使って、大量の洗濯物を干していた。それが「寝ぼけた爺」にはジャングルに思えたのだから不思議。洗濯物。カーテン、植木類などが森で、自分は迷い込んだ小人。そのうち下腹部から暖かい液体が。何なのコレは一体 切手アルバム 不覚にも夢の中でお漏らしした爺がやっとトイレを探し当てた時、残量は半分ほどに減っていた。それでも、パジャマ、下着など一式を洗濯機に入れ、風呂の湯で体を拭き、寝ぼけながらも洗濯していたんだと。翌朝爺が見たのは。開いたままのガラス戸。だがシャッターが下りていた。だから外へ出られなかったんだねえ。やれやれ。 籐籠(とうかご) 翌朝、勇んで爺は皮膚科へ出かけた。この日も実に寒い朝での。手袋などしてないも同然じゃった。それに訪れたビルが複雑で肝心の医院が見つからん。ようやく探し当てた時、病院の玄関に「本日ドクターが体調不良につき、休診します」だってさ。まさに第二の悲劇じゃった。 それでも爺はへこたれない。帰宅するなり、ベランダの汚れ落としじゃ・寒空の下で軍歌を歌いながら床をこすっておったら、裏を通る人が一体何ごとじゃと振り返っておったぞ。そんなに俺の声が良かったかのう。続いて爺は玄関周りの汚れ落としじゃ。畑や植木鉢の土が付着し、黒ずんだりカビが生えて厄介。最後にバケツの水を流して、思わず快哉を叫んだ爺じゃった。 この日の昼食はパンじゃった。と言っても食い忘れた古い食パンじゃ・先ずトースターで2枚焼き、そに野菜サラダとアジフライを挟めば完成。ブドウパンも同様に焼き、爺特製のユズジャムとピーナツクリームを塗ったんじゃ。「人はパンのみにて生くるものに非ず」。聖書にそうあるが、爺はレモンティーも飲んだぞ。 <第11回「立山登山マラニック」の参加賞の手ぬぐい> ここからは11日(火=祭日)の話。今日は所属走友会の新年会&総会が近郊の温泉であるんじゃ。爺は送迎バスには乗らず、自力で行くと既に連絡済。ところが前夜の11時現在で8cmほどの積雪。今朝は今年一番の大雪じゃろう。「立山登山マラニック」か「八甲田山死の彷徨」の二の舞じゃ。ふぉっふぉっふぉ。 では皆の衆サラバじゃ。達者での。もし生きて帰ったらブログを書くし、雪に埋もれたら春までお別れじゃ。これは久しぶりに凄い体験が出来る。「コロナ新型ウイルス」どころの騒ぎじゃないぞ。吾輩はもう英雄じゃ。まあ足が凍傷で腐ってしまわねば良いが。ではサイナラ、サイナラ、サイナラ。さあ今夜はオシッコ漏らさないよう、もう寝よ。<さてこのシリーズが今後も続くかどうか。じゃあね。
2020.02.11
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~月と雪と氷~ 昨夜遅く、風呂に入るため脱衣所に行ってビックリ。何と床がきたない。裸でも構わず、濡らした雑巾でごしごしと床を拭いた。汚れが落ちたのか、かなり雑巾が汚い。どうしたことだろうと思って、風呂から上がった後も裸でゴシゴシを続けた。しかし不思議なことがあるものだ。きっと雑巾が汚れ過ぎて逆に汚くなったのかも知れない。翌朝の洗顔時にも男は気になって、もう一度床を拭いたんだと。 目が覚めたのは日曜日の朝4時。まだ4時間も眠ってない。それなのになぜそんな時間に起きたのか。実はこの日は月に1度だけの「資源ゴミ回収日」なのだ。それでガレージに積んだ資源ごみを一気に片付けたいと思ったのだ。そして車で往復して運んでくれると言ったKさんとの約束の時間は8時。それにしてもあまりにも早過ぎるこの日の起床だった。早速男は着替えし、布団を上げた。和室の障子を開くと、真冬の空に煌々と輝く月が出ていた。これはブログネタにちょうど良い。男はそう呟いた。 4時55分、1回目の血圧を測定。147の89、脈拍62。連日の疲労と寝不足の割には悪くない数値だった。このずっと後、全ての作業を終えた後8時15分の測定時は、130の86で脈拍63だった。寒い早朝の激務にも関わらず、依然として好調な様子に、男は一人笑みを浮かべた。 これが昨日の朝食。1)刻んだキュウリとシソの実の漬物、シナチクが乗っかったご飯。2)具沢山スープ。3)アジフライの小片、野菜と豚肉のケチャップ炒め。4)納豆。6)大根おろし。7)さつま揚小2個。8)トマト、キュウリ、ピクルス。9)果物はリンゴの小片2とミカン1個。男は途中一度だけ咽たが、それでも最後まで食べた。一片アジフライだけは残したが、大作業を前に良くぞ食べたものだ。 朝食を食べ終えた男が口内の掃除をしてた時、ふと気づいた。あれま、前歯の隙間に何かの骨が挟まってるぞ。そこでやおら小さめのピンセットとフロスを手に持ち、懸命に除去作業に励む男。だがあざ笑うように依然として骨は退こうともしない。最後にフロスで何とか取れた、出て来たのはアジの中骨。ほほうこんな物が。忌々し気に男は続けて朝食後の薬を飲んだんだと。6時ちょうど、いよいよ外へ。 一口水を飲み、男は先ずトイレへ。ズボンは二本ともひも付き。立ったり座ったりの作業でズボンが落ちないよう、紐は硬く縛ってある。こんな寒い朝は直ぐにトイレに行きたくなるんだが、ズボンを脱ぐ時が危険帯ってわけ。それで用心のためにまず済ませた訳さ。もう外は明るくて、懐中電灯は不要だった。それに男の自転車は周囲が暗いと勝手に点灯する仕掛けなんじゃよ。オッホン。 コラマテ慌てるな。こんな時は先ず準備だ。大きめの大きな本を手前に集める。そしておおまかに分類してしておくだよ。男は元大学図書館員らしく、「分類」と言う言葉を使った。これが後後ジワジワ効いて来て、作業効率がぐっと良くなったんだと。そして男は自転車の荷台には分厚くて丈夫な「チューブ」のロープでしっかり固定した。 そして前の籠には軽めの物を丁寧に入れる。それで前後左右の安定を図るんだよ。そして重心が真っ直ぐだと、雪道でも大丈夫。それにこの程度の新雪ならほとんど滑らないことを、男は体験的に知っていた。そして資源ごみの数隻所でも、男は運んだ物を最初からきちんと場所を分けて、丁寧に積んで行ったのさ。自分のが入るだけじゃなく、町内の方のスペースもちゃんと空けて置いたんだねえ。ここでもまた男は「分類」と自慢そうに頷いたのさ。 7時。一旦家に帰ってトイレに入った男が何かの音に気付いた。こりゃまずい。これは水道が凍るぞ。そして慌ててトイレの中にある「弁」を締めた。それは屋内水道の凍結予防のための装置。それが一瞬の機転で間に合ったらしく、「キンキン」言う金属音がやがて聞こええなくなって来た。次に男は「外水道」へ。だが既に遅く、バケツの水も外水道の蛇口も、完全に凍ってピクリともしない。零下5度以下に下がる日、外水道は予め「水抜き」する必要があるんだが、忙しさに紛れて男はうっかりしていたのだ。 7時30分、全作業終了。もうガレージに「資源ゴミ」の山はない。夜はすっかり明け、実に清々しい朝だ。町内会の人も何度か私を不審げな目で見ていたが、ちゃんと自分たちの「スペース」が確保されているので、文句のつけようがないのだ。ワハハ、ワハハ、ワハハ。やった、やった、ついにやったぞ~。 7時35分。屋内水道の凍結が解除され始め、やがて音を立てて水が流れ出した。こんな時は一気に噴出するため、やはり「弁」は絞る。あちこちで水が「暴れる」のを防ぐのだ。その時トイレの床も汚いことに気づいた。洞のお湯に手を突っ込んだ時、浴槽の汚れに気づいた。「これはひょっとして、原因は白髪染めか」と。 私の推理はこうだ。ある夜、私がした白髪染め薬が何かの理由(恐らくは汗か」に混じって浴槽に入り、そのお湯を使って拭き掃除をした結果、きれいにするんじゃんくて、逆に床を汚したと考えるのはどうだろう。それほど「白髪染め」は落ちにくい証拠だが、逆に困る場合もある。似たような例がベランダ。真っ黒になった水でいくら雑巾で拭いても、逆に汚したケースはなかったか。 しゅうりょうご 作業終了後、Kさん宅へ作業を終えたことを報告しに行った。「あんな重たい本をどうして」と訝る彼に私は言った。「俺は大学図書館で長く働いて来たので、本の扱い方は良く知ってるの」と。彼は一瞬呆気に取られたようだ。手伝うとは言ったものの、あれだけの作業をしたら体を怪我する恐れもあった。その山が消えてないのだ。「私は今朝4時起きだったので」そう言うと、彼はさらに驚いたようだ。 「皮膚科」を探しに自転車で家を出た時、集積所の前では軽トラの荷台で親父が張り切って働いていた。良くもこんな立派な本を出したなあ。これは相当儲けたぞ。きっとそうほくそ笑んでいたことだろう。私が念願の皮膚科をついに見つけ、ついでに買い物まで済ませて帰宅した際に見たら、集積所にはもう一切の資源ゴミの姿はなかった。ハハハ大成功。そして今朝は早くから皮膚科へ行って来ますね。では。 <注>挿絵は今年のカレンダーから借用したmものです。<不定期に続く>
2020.02.10
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~最後の力を振り絞って~ < 洋間1 花器 > 土曜日も整骨院で眠ってしまった。帰路はゆっくりと走って帰る。距離は1kmもないが、こうして走れるのが良い。整骨院の先生は「筋トレとストレッチだね」と言う。まさにその通りなのだが、今は必死で断捨離を続けてる。帰宅後は2階の全ての窓のレールの拭き掃除。レールの溝に、土や汚れが溜まってて汚い。 < 洋間3 ブドウの陶額 > 次にベランダの床の清掃。2回目だが今回は硬化プラスチックのマットを全部外し、芝生に投げ落とす。軽い掃き掃除後、洗剤に浸した雑巾で拭くのだが、たちまち真っ黒に。それを何度か繰り返し、最後にはブラシを使ったが、あまりにも水が汚れていて効果が乏しい。比較的きれいな布地で拭くと、こちらもたちまち真っ黒け。やらないよりはマシだが、やはり水を取り替えるべきだったと反省。 急に思いついて、物置小屋の掃除を開始。色んなガラクタを全て外へ出して清掃。必要なものだけを残して、清掃後の小屋に収納したら、何と気持ちの良いことか。長男が捨てて行った衛星放送用のアンテナなども分解。最後にベランダのマットも分解してゴミ袋へ。これでゴミを一掃だ。 これがこの日出たごみの山。左側が巨大ゴミ袋の燃えるゴミ6袋分。右がこの日出た金属類2袋分。 夕方近くなってからHCへ自転車で。途中皮膚科の看板を見かけたので、HCに到着後病院名をメモ。この日買ったのは、掃除道具各種。新しい箒も角型ハンガーも新しい物に。古くなると劣化して洗濯ばさみ部分が壊れやすくなるためだ。帰宅後皮先刻の膚科をネットで調べたが、その病院はあったものの、そこに皮膚科はないようだ。あの看板は一体何だったのだろう。それとも疲労がなせる業か。 夕食後、前日買ったキャスター付きワゴンに簡便な「取っ手」を取り付けた。これもこの日HCで買ったものの1つ。これで楽に運べるし、両手で持ち上げることが出来便利になった。セメダインで、表面のめくれた部分を接着。まあ現品限りの半額品だが、手を加えれば結構楽しいではないか。夕食後区内の皮膚科をネット検索すると、比較的近くにあり月曜日受診の予定。今朝は「資源ゴミの搬出作業。お向かいのKさんの車で往復していただく。収容所がわが家だけで満杯にならねば良いのだが。<続く>
2020.02.09
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~体調は回復傾向へ ~ 木曜夜放送の「プレバト」俳句編は見逃せない。さて、その夜は思いついて「鍋」にした。出汁は豪快に「鶏ガラ丸ごと1羽分」。肉がほとんどないため、茹でて脂抜きした「白モツ」を。これに葉物野菜、キノコ、長ネギ、豆腐などを放り込んで具沢山。これがなかなかの味で「締め」にうどんを入れていただくと、これまたグー。久しぶりに「平らげた」感じがした。 金曜日も整骨院で眠ってしまった。まあ眠れるのは良いこと。帰宅後、和室、居間、2Fクローゼットを掃除機で。1F2Fのフローリング部分をモップ掛け。お日様が出てから、ベランダの手すり一杯ににずらりと4枚の布団、枕2個を干す。半分はピンクなので、近所の人は「何事か」と驚いたはず。実に壮観な眺めだったはず。物干ざおに毛布敷布」を2枚干す。これでフカフカ感が増すはずだ。 植木鉢を通して見た前庭 居間の窓辺の植木鉢を一旦全部移動して、これまでのテーブルの台を外へ。代わりに銀色の敷物。改めてその上に植木鉢を移動。こんな作業をしたのは、前妻が買ったこれまでの大理石製が、重過ぎて運べないため。「見え」で高価なものを買っても人は老い、必ず体が弱る時が来る。体に負担がかかるようでは論外だ。 これが「高級テーブル」の末路。大理石は庭の「雑草除け」になった。表面を下にし、ザラザラ部分を上にすると踏んでも滑らない。これも用心のためだ。4本の脚はカンガルーのではなく、テーブルを分解したもの。この後はゴミ袋に入れられ「燃えるゴミ」の日にお別れ。これでスッキリし、安全になった。 棟方志巧の渋~い版画 1Fの窓のレール部分と裏側の窓枠を拭き掃除。「住まいの洗剤」を浸した雑巾を長い柄にひもで縛り、網戸を拭いた。次に前日の作業で汚れたガレージの樋の泥をブラシで落とし、踏み台を使ってガレージの「梁」の汚れも拭いた。たちまちバケツの水が真っ黒に。次は布団などの取り込み。かなりフカフカになっていて嬉しいな。 午後思いついてHCへ。大型スーパーに寄るか迷ったが、先日来通っているHCを優先。探したのはキャスター付き小型テーブル。ソファーでお茶を飲む時、こんなテーブルがあったら便利。それが「現品限りで半額」の掘り出し物が(右)があった。値段は捨てたテーブルの約50分の1。良い物が見つかって最高。これでKちゃんとお茶出来たら楽しいね。 窓辺の小物 朝「毛布敷布」の上の小さな異物を派遣。形と大きさから、ひょっとして唇の瘡蓋(かさぶた)かと一瞬狂喜。唇を触れると、確かに以前よりつるつるだが、完治ではない。完治のためには皮膚科で治療を受け、内服薬をもらう必要があるとネットで判明。完治させないと、パートナーに伝染させる危険性がある由、来週早々必ず皮膚科へ行こう。自分のためだけじゃなく、Kちゃんに迷惑をかけないためにも。 シュガー容器 残った作業は、ベランダの掃除と花瓶の再配置くらいか。体も楽になるはず。来週の火曜日は所属走友会の新年会兼総会。会場までは自力で行くとメールしてある。で、9kmを走って行く予定。それまでに何とか体調を戻したい。この夜も「鍋うどん」となった。さて今日の日曜も有意義に過ごそうね。<続く>
2020.02.08
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~ついに病魔現る~ 下駄箱の上 (1) 前夜の整理作業はその後も続き、下駄箱の上が埃だらけなのに気付いた。そこで元「ピアノ掛用の敷物」の陶磁器類を全部移動させ、掃除した。これは下駄箱の上の左半分。一見和紙の箱らしいものには、小荷物受領用の認印と朱肉、花切り鋏、自転車の鍵などが入っている。花器台は屋久島杉の根っこで、白い壺は山形の高清水焼。山形勤務を終えた時の記念品だ。 下駄箱の上(右半分) 右半分はほとんどが沖縄の焼き物が中心。シーサー3種。抱き瓶(だちびん)など。一番右のシーサーは沖縄勤務時の職場の走友からいただいた特注品で、職場の走ろう会の名入り。 玄関のマチスはこれに入れ替え。人物のシルエットが鋭角的なところが良いと感じて。他のマチスの絵は全部棟方志功の版画に取り換えた。残り物を確認したら、やはり志功の版画の芸術性の高さは別格と感じたため。4点を選んで、サイドボード横、1Fトイレ、キッチン、デスク周辺に。これで一段と家の中が美術兼博物館の様相を呈して来た。本当に楽しい作業だ。家の中はこうありたいね。 木曜日は、仙台も久しぶりに雪の朝になった。整骨院へ歩いて向かう際に、愛犬「ヘバ」を連れて散歩中のT杉夫人に遭遇。私に良く声を掛けてくれる人。私もこの犬が好きで良く頭を撫で、夏は野菜を届けている。帰りにはS藤夫人と遭遇。退院後はずっと家におられ、話したのは4年ぶりくらいか。お互いに健康に気を付けて頑張りましょうと「エール交換」独り身の私にはとても嬉しい隣組の気づかいだ。 サイドボード側面の棟方作品 朝食後、自転車で近所の薬屋へ。ネットで「口唇ヘルペス」の市販品があると聞いたため。この病気はとても厄介で、普段は身を潜めているのに、過労などで抵抗力、免疫力が落ちた時に突然現れて牙を剥く。断捨離作業中は睡眠不足がちで、体重が2.5kgほどの減。また、血圧上昇、軽い不整脈、胃もたれなども起きて、数日前から唇にピリピリ感があった。 薬剤師が常駐していると言う薬局は私が行く眼科の付近。薬剤師と話して右側の塗り薬を買った。本当は皮膚科で治療を受けた人のみの販売とか。私は帯状疱疹で診察を受けたことがあるので、適当に話を合わせてゲット。使える期間は最大1Wだけとのこと。う~む厳しい。左はその前に寄った薬屋で勧められた総合ビタミン薬。結構高いが、こちらも効いてくれたら嬉しいね。 今回出た資源ゴミ 午後は予定を変更して、和室及び物置小屋に集めていた資源ごみを、全部運んでガレージに積んだ。それを見ていた向かいのKさんが、「こんなに量があったら大変だから、収集日には彼の車で何度か往復すると言ってくれた。朝の2人のご夫人と言い、夕方のKさんの声かけと言い、実に有難い話。同じ班にこんな善意の方が何人もおらる嬉しさよ。早くKちゃんも来て、同じ班に入って欲しいな。 志功の小品と職場の記念絵葉書(手前) その後、ガレージの樋に詰まった泥の撤去作業。気温がどんどん下がり、樋の泥は半ば凍っていた。その冷たい塊を必死で手で掻い出す。たちまち軍手が真っ黒け。手が冷たい。風が冷たい。その寒さに耐えながら最後まで頑張り、ついでにバラの伸びた枝も剪定。予定外の作業だったが、これでまた一歩前進。後は2Fクローゼットの掃除のみか。今夜こそグッスリ眠りたいねえ。<続く>
2020.02.07
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<夢か現実か> 藪椿のツボミ 昨日は朝から氷雨だった。恐らくは日本海側の雪雲が強い西風に乗って仙台上空へ達し、太平洋側で雨に変わったのだろう。その雨の中、歩いて整骨院へ。今日は施術中に眠ることはなかったが、さすがにもう先生も私の断捨離の話は聞かなかった。何せ行く度に毎回毎回断捨離話では、いくら大切な患者とは言え、彼の耳にもきっと「たこ」が出来たに相違ない。 <庭の山茶花1> 帰宅後、早速居間に掃除機をかける。大事な作業前に床の汚れを少なくしようと思ったのだ。何せ家の中は半月続いた断捨離作業のせいで、汚れに汚れていた。その汚れが付いたスリッパで方々歩き回るため、居間のカーペットにも色んな付着物が。それで徹底的に「はたき」をかけ、掃除機をかけ、フローリング部分はモップをかけ、木製品は洗剤がついた雑巾で拭いた。 <庭のミニバラ> 掃除後に最初にやったのは、冬用の「毛布敷布「の四隅についている「ゴム部分」の修繕。最初は針に糸を通して縫おうとしたのだが、糸が針の穴を通らない。それだけ視力が悪いのだ。それならと輪ゴム8本を用意。それを伸びたゴム1隅を2か所ずつ輪ゴムで止めた。これはグッドアイデアで、たちまち作業は終了。これなら気持ち良く「毛布敷布」がきちんと治まるはず。 次に和室から順番に布団を居間に運び、布団カバーをかける作業。これは私用の敷き布団。捨てようとした古い布団に洗ったばかりの布団カバーをかけた。まあ良い良い。私はこれで十分だ。天気の良い日に何度か干せば、少しは「フカフカ感」が戻って来ると思うのだが。 これはKちゃん用の冬用布団。新しい客用布団に、先日大型スーパーで買った布団カバーをかけた。どちらも全く同じ柄で色は薄いピンク。敷布団は普通サイズだが、掛布団は少し大きめのサイズ。写真を撮ったもののどちらが「掛け」か分からなくなったので、そのまま載せた。 これはKちゃん用の枕に、新しく買った枕カバーを付けたもの。ピンク系統の女物ばかり買った爺を不審がらるかと思い、わざとレジで「後は母ちゃんが選ぶだろう」とつぶやいて支払い。別に悪いことをしてる訳でもないので「演技」は不要だが、そんな芝居を楽しんだ次第。やっぱり新しい物は良い。そして家の中に女性用寝具があるだけで、心が安らぐのも確か。 <庭の山茶花2> ずいぶん前のこと、ブログに20首ほどの相聞歌(そうもんか=恋の歌)を載せた時、「これは夢ですか、それとも現実ですか」とコメントされたブロ友がおられた。あのシリーズへのコメントには一切返事を書かないと言う態度を貫いたが、今回の壮大なる断捨離作業も、実は夢とも現実とも言えるのだ。なぜなら、「夢」をエネルギー源にして行った「現実」の行動だったからだ。恋は人に夢を与え、愛は人に偉大なパワーを与える。それが今回の実感だ。 今回入れ替えた絵はほとんどがマチスの作品。と言ってもこれは新聞社のサービス品。ちゃちではあるが気分転換にはなるはず。これは玄関用に。 この斬新な2点(上下で)の作品は台所の壁の片隅に。 このいかにもマチスらしい絵は、居間のPC用デスクの壁に飾られ、いつも私を見尾ろしている。 今回の断捨離作業中に引っ張り出したレース中の写真、これはフルマラソンの自己新記録(3時間36分03秒)を出した1994年の「NAHAマラソン」(沖縄)か。胸のゼッケンの数字が若いので、かなり前方からスタート出来たはず。NAHAには珍しく気温18度と好条件に恵まれ、松山勤務当時の走友とタイムを競えたのも自己ベストの原因だと思う。他の数枚も各部屋に飾った。やはりプロのカメラマンの写真はアングルが良く、迫力が全く違う。良い記念品になった。さて、後始末はまだ少々続く。<続く>
2020.02.06
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<断捨離作業開始後2週間を過ぎて> 断捨離作業もとうとう大詰めを迎えた。一昨日の月曜日は思いついて台所へ。食器戸棚のなかにある陶磁器類、サイドボードの中のも含めて不要品を引っ張り出した。もうこの齢になってからまで虚勢を張る必要はない。日用品として使うものだけを置き、残りは全部捨てた。 次に食器戸棚の引き出しとキッチンの引き出しの中の物一切を一旦出して掃除し、必要なものだけ戻して後は捨てた、金属はそれだけをビニール袋に、陶磁器やガラス製品は他のゴミに混ぜて大きなゴミ袋に。こうして溜まったゴミの大袋を、深夜自転車に積んで、ゴミ集積所へ。これを何度か繰り返して無事終了。ガレージに詰まれたゴミは消えた。 その夜は、額縁の絵の取り換え作業を最後まで行い、ついでに位置も変えた。翌朝は「ビン缶、金属、板ガラスなどを集積所の決まった場所へ。遅い朝食を済ませて整骨院へ。出遅れたためもう先客が8名ほど。先生の施術と電気治療中もずっと眠っていた。帰宅後は断捨離作業をしてた和室を清掃。かなりゴミ吸ったため、掃除機の中も清掃。 1階クローゼットから、スーツなど普段着ないものを2階のクローゼットへ移動。空いた分がKちゃん用。その後洗濯物と掛け布団3組をベランダに干す。さらに捨てようとしていた敷布団、掛布団を点検し、新しい布団カバーを掛けたらまだ使えると判断。買ったばかりの布団カバーを出して、本日の作業の準備。それを干して私が使い、私が現在使用中のものを客用にしよう。極力無駄は避けよう。 夕方廃品回収業者の車を停めて、家の中を見てもらう。本や雑紙などを引き取ってもらおうとしたのだが、「鑑札」がないため無料で引き取れない由。次の日曜が資源ゴミ回収日なので、土曜日の深夜にでも運ぼうと思う。大量の紙類は、s減ゴミとして再利用される。中には高額な本もあるが、古本屋まで持って行くのが大変。かくてまだ片付け継続だ。 作業の期間中、連ドラはおろか、朝ドラも見られなかった。新聞もろくろく読めない日々。それでも重労働を続けたのは、断捨離するなら今しかないと思ったため。良くあの苦痛に耐えられたもの。それは唯一の願いを成就すること。いやどうしてもj成就させたいとの強い気持ちがあったからだろう。だがまだ安心はしていない。慎重かつ丁寧に最後まで。<不定期に続く> ブロ友の皆さんスミマセン。間もなく疲労も回復しそうで、お邪魔しますね。ではでは。
2020.02.05
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<宮城UMC新年会のことなど> 2月1日(土)宮城UMC新年会へ出席するため街に出る。まだ誰も来ておらず、私が一番乗りだった。何せ2週間近く連続で断捨離の重労働中だったため、アルコールを飲んでも大丈夫かと心配だったが、何とか最後まで持った。だが不覚にも帰路の車中で眠ってしまい。かなり遠くのバス停で、ようやく降りて家に戻った。まずは怪我しないで良かった。肝臓も何とか持ちこたえてくれたみたいだ。 「宮城UMC」とは宮城県内のウルトラマラソン愛好者の集いで、2年ほど前に結成20周年を迎えたところだ。かつての鉄人もやはり齢には勝てず、衰えが目立つのが普通。だが80歳を過ぎてもまだ現役でウルトラマラソンに挑戦し続けている「万年青年」も中にはいるんだよねえ。 席は長年の走友T田さんの隣。kazuさんが初孫ちゃんのお宮参りのため欠席だったのが残念。とも角T田さんとはかつて一緒に走ったレースの思い出話に花が咲き、走友たちのチェレンジ精神に強い刺激を受けたのだった、80歳のF田さんが昨年「伊奈川」の100kmを完走したこと。81歳のM仙人が昨年3度の100kmレースに挑戦したことなどを聞くと、ウルトラマラソン道の奥深さをしみじみ感じさせられたのだ。 73歳のK藤さんが今年は親戚の結婚式のため連続10回完走記録を持つ「佐渡島一周」(206km)に参加出来なかったのが残念。同じく三婆の1人76歳のK村さんが昨年100kmを完走したこと。64歳の名幹事のKさんが今年も520kmの「川の道」に3度目の完走を目指して挑戦することなど。やはり鍛えている人は違う。まさに「継続は力なり」だ。 そんな中、今年の9月5日(土)の開催を目指して頑張っている仲間もいる。第4回目の今年は、最短60kmから最長115kmの部までコースを5つに増やした由。アップダウンの激しいコース設定だが、コース途中の温泉3か所にも自由に入れるのが「売り」だ。この体調ではスタッフとして手伝うのも無理だが、気持ちだけでも大勢のウルトラランナーを応援したい。集え、そしてガンバレ、全国の走友たちよ。 この日、会に新たな仲間3名が加わった。顔ぶれも昔とはまるきり変わったが、それも時代の流れ。こうして顔を合わせ、話せるのは嬉しくかつ楽しいひと時であった。最後に私とH多さんがハグするのをビックリした顔で見ている若い会員。厳しいコースのレースを共に走り、共に苦しんだ仲間だからこそ、男女など関係ないんだよ。そして年齢も。チャレンジする気持ちがあるうちはまだランナーなのだ。<思い出のレースから> 今ではヨボヨボの爺だが、私かつてはランナーだった「証拠写真」を探した。ご笑覧あれ。 「NAHAマラソン」フル=沖縄県 {愛媛マラソン」フル 1994年 「小豆島オリーブマラソン」ハーフ=香川 1996年 「しまなみ海道」100km 広島県福山市~愛媛県今治市 2005年 「秋田内陸ウルトラ」100km 2004年 「えちごくびき野ウルトラ」100km 2006年 「立山登山マラニック」 富山県 距離65km 標高差3003m 2007年 神戸マラソン(フル)2013年 浜名湖一周(70kmをワープ)2013年 久米島マラソン(フル=沖縄県)2014年 これが「小豆島オリーブマラソン」(ハーフ=香川県)です。 疲労のため途中で操作ミスしたみたいで、全部載らなかったのが残念。
2020.02.04
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<新生に向けてその1> <庭に置いたテーブルの大理石> 土曜日の宮城UMC新年会は、懐かしい走友たちと久しぶりに会って大いに話し、大いに飲んだ。やはり疲労した身には効いたのかバスで寝てしまい、かなり遠くの停留所まで行ってしまった。それでも日ごろの運動不足解消とばかりに手を振って歩いて戻った。つまみ程度の料理ばかりだったが、もう夕食は摂らず、この夜も遅くまで起きていた。 翌日の日曜日も早朝から断捨離作業を決行。最初に3人の子供たちに送る物品を最終的に決定。後は暇を見て手紙を書く予定。最後に残った本を紐で縛り、本のケース、不要な段ボール箱もそれぞれ縛った。昨夜のうちに済ませていた洗濯物を干したが、生憎途中で小雨が降り出したが、そのままにした。これでほぼ作業を終え、簡単に掃除をして遅い朝食を済ませる。 今回の作業中に見つけた記念品などを居間のデスク周辺に移動。これは筑波大学開学10周年を記念し創設時から勤務した職員に配られた青銅の彫り物。古代エジプト風のとても重厚な物。他に幼児時代の2人の孫の写真や使えそうな空き箱や手元に置きたい本を数冊。後は全部捨てた。その後、自転車に乗ってHCへ。古い生活用品を捨て、新生活に相応しいものを選んだ。 1F(上)2F(下)のトイレ キッチンマット(上)とバスマット(下) 玄関扉の前に泥落とし用のマット2枚を敷く。畑仕事をした靴のまま入ると、玄関の内側が汚れてしまうためだ。居間の植木鉢置き場にしていたテーブルの大理石を庭の雑草除け用とし、代わりにデスクの引き戸2枚を敷いて植木鉢を載せた。これで床への荷重を減らし、危険性も防げる。気分転換に小さめのシクラメンの鉢を置いてみた。午後は下駄箱の中を掃除し、不用品を捨てた。 前妻が選んだソファーや座椅子などは人間工学を無視した形の物ばかり。それでは腰に負担がかかるため、円形のクッションを買った。これで姿勢が良くなり、腰の痛みも減るはず。ついでに座椅子の背もたれ用のクッションも変えた。HCでは今回初めてポイントカードを作った。こんなことならもっと前に作っておけばかなりポイント貯まっていたのにと、少々残念だがまあ良いか。<定期に続く>
2020.02.03
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夢中になっているうちに・・ 断捨離作業に熱中して疲労が蓄積し、曜日は忘れるは、整骨院で施術を受けるはで大変なのであります。その施術を受けながら、なんと居眠りしている始末。そろそろ体力の限界に近づいたようだ。整骨院からの帰り道あるアパートの前に、今年も真っ先に紅梅が咲いているのを見つけた。立春、節分と続くこれからは日差しも強まり、一気に春の気配が漂って来るのだろう。 今日は「宮城UMC」の新年会へ出かける。この疲労ぶりでは泥酔するのが心配だ。怪我無く無事に帰宅出来ることを祈る。 大相撲界にも春の嵐が吹き荒れた。何と10勝1敗の好成績で初優勝したのは幕尻の徳勝龍と言う意外さ。出身の近畿大学相撲部伊東監督の急死に発奮した由。賜杯を手にし、土俵の上で男泣きする姿に場内から大きな拍手が送られた。それにしても今場所はお粗末。2人の横綱は初めから休場し、大関2人が席脇に陥落。その1人の豪栄道は引退を宣言して、来場所はもういない。正代、炎鵬、北海富士らの活躍が光った。時代の交代期のようだ。 カルロス・ゴーン氏の逃亡劇には呆れた。東京地検がキャロル夫人および逃亡を助けた米国人3人の逮捕状を取った。また、中国で発生したコロナウイルス型肺炎騒動の急転には驚いた。WHOの中国人事務局長が、密かに幕引きを図ったようだ。今夏開催の東京オリンピックにも多大の影響が出そうで怖い。 イギリスのヘンリー王子とメーガン妃が王室からの離脱と公用から自由になることを宣言した。英国には何せ口さがない国民が多いようで、これまでも2人が傷ついていたのは確かみたいだ。 その英国がEUを離脱することが昨日正式決定された。だが、貿易や人の移動の問題など課題は山積し、TPPへの参加もある由。イラン問題と合わせて注目だ。 とも角忙しい。断捨離の残り。市民税県民税申告の準備、住宅メーカーによる点検作業への対応。今月の俳句教室への準備。粗大ごみの選別と移動、ベランダの清掃。「KK作戦」の準備。畑作業の準備とジャガイモの植え付けの準備などなど。所属走友会の新年会&総会もある。そんなこんなで、ブログ友の皆さんのところへなかなかお邪魔出来ないのが実状。次のシリーズ「国境・その時空を超えて」にもそろそろ本腰を入れなくちゃいけない時期なのだが。ゴメンなさいね皆様。
2020.02.02
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<この拙き歌を新妻となる予定のK子に捧げる> 家と言ふ幸の形のいにしへの古き写真をことごとく捨つ 全力で断捨離を終へ父としての最後の文を子に出さむとす 商ひで訪ねて来るその人がわが妻となることの不思議さ *きたる 子は四人いずれも娘と言ひし人微かに笑みてわれを見たる日 君を迎かふ準備はすべて整ひぬ全力投球のこの一か月 震災の津波襲ひしその町に生まれし君が傍らに立つ 七十も半ばを過ぎて得たる君をわが掌中の珠として生く*しょうちゅうのたま わが余命幾歳あるや知らねどもただひたすらに君を守らむ *いくとせ 喜びも悲しみもまた共にせむたとへ果てなき道であるとも 幸薄きわが妻なるか震へたる君を抱きしめわれも嗚咽す *ふるえ*おえつ 雪の中二時間ほども語りたる多分あの時が恋の始まり これほどに深く愛せしことありやその人の名を幾度も呼ぶ *いくたび ああK子永遠に麗しき名の君にわが魂も癒されまほし *とわ *うるわし *いやされ 嗚呼妻よ君と縁の赤き糸はいついかにしてつながりたるや *ああ *えにし 美しき響き持ちたる君の名を呼べば微けき返事ありけり *うるわし*かそけき 今回の断捨離作業中、私は新約聖書の「コリント人への第二の手紙」の中でキリストが語った「愛」に関する言葉を必死に思い浮かべていました。私が教会に行ったのは50年以上も前のことで、ほとんど忘れていましたが、それでも2、3の聖句を思い出すことが出来ました。キリストが語る「愛」とは、無私無欲の行為。それだからこそ尊いのだと改めて感じた次第です。 ここに載せた短歌はどれ一つ現実ではなく、すべて私の心の中にあるものです。魂に潜む愛のカタチ。それが短歌となりました。人を愛するという行為。美しい日本語で短歌を詠むという行為。どちらも魂を清めるとともに、希望と勇気を与えてくれたと思っています。こんな歌が誕生したことに心から感謝しています。ではまた。
2020.02.01
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