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本日の局面 私の実戦から取材しました。私の黒番、白は東北大OBのTさんです。今、黒1から5とあてたところです。ここで、白はどう打ってきたでしょうか。黒は、下辺の劫を睨んでの劫立て作りが狙いですが、1から5は今ひとつだったようです。 非常に面白い局面ですが、実戦よりも良い打ち方が、いろいろありそうな気がします。いい知恵があれば教えてください。
Mar 31, 2005
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環境保護をテーマにしている愛知万博は、ひどい環境破壊をした上に成り立っている。それでも、面白い物見たさに一度は行きたいと思っている私。 私は、子供のころのひどいトラウマがあって、環境問題については正面から見ることが苦手である。 子供のころ、自転車で20分くらいの所に雑木林で覆われた小山を発見した。そこは、オオムラサキが群生していて、他にもクワガタとか昆虫がたくさんいたので、よく遊びに行った。子供にとっては、まさしく楽園であった。しかし、ある日行くとそこは、完全にはげ山になっていて、住宅地に整備されようとしていた。その時の、ショックは凄まじいものであり、呆然としてそれから涙が止まらなかった。これも人の営みであるからと、何とか納得しようとしたが、その時のショックは今だに尾を引いているように感じる。 愛知万博の会場は、都市近郊に残った貴重な里山であり、子供の宝だったはずだ。これを失った近くの子供たちの悲しみを想像するとつらい。 万博に行く人は、子供たちの悲しみを噛み締めていく事である。 子供の宝と言えば、松本に県の森公園という日本庭園が売りもの公園があって、先日テレビの旅番組でも紹介されていた。ここは、それ以前は草が茂る何もない広場で、子供が駆け回ったり、野球をしたりできた。それが、大人のおもちゃに生まれ変わったので、すこぶる評判が良いというわけある。なかなか綺麗でいい庭園なので、観光に行かれる人は、子供たちの悲しみを噛み締めて味わってほしい。
Mar 28, 2005
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最近は、勤務職員の労働環境に関して、いろいろ厳しくなっているらしい。看護婦などの職員は、勤務時間中に決められた時間は休憩を取らなければいけないそうだ。しかし、忙しいのでなかなかそうもいかない。もし、休憩が取れないとどうなるのかというと、何と仕事が終わって帰る前に休憩を取らなければならないと言うのだ。早く、家に帰って休みたくても、家事をしたくても休憩を消化しないと帰れないのだ。不思議な話である。
Mar 28, 2005
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今日は、選手権の地区予選でした。注目選手の中学生Y君は、強豪I君相手にいい碁を打ちながら、逆転されて負けてしまいました。今年から、新聞の観戦記は静岡の日吉さんが書くことになり、全15地区の予選を順に回っていくそうです。これは、今まではプロ棋士の横山孝一先生がされていました。86歳になる今も、まだまだお元気ですが、さすがに体力的にきついようで、バトンタッチとなったようです。 この15地区にも分けての予選というのは、全国的にも類を見ないのではないでしょうか。昨年まで、横山先生が水戸黄門のように、約半年間をかけて順に開催される各予選会場を回って、振興活動をしていました。これは、非常に面白いシステムだと思います。新しい水戸黄門になる日吉さんは30代ながら、dasさんと共に今後の静岡の囲碁普及活動の切り札として期待されています。 打ち上げの席でも、日吉さんは子供への囲碁普及について熱く語り、その情熱に圧倒されました。ユーモアセンスも抜群なので、新聞観戦記も面白いものになりそうです。 ところでその後に、すごい不思議体験をしました。繁華街にいた代行車に、車の置いてある囲碁センターで待っていてくれるように頼んだのです。運転手さんは囲碁センターを知ってるというので感心しました。しかしよく考えたら医療センターと間違えているのではないかとちょっと不安になりましたが、無事来てくれてほっとしました。 車の中で、「よく囲碁センターなんて知ってますね」という話をしたのですが、その真相を知ってびっくりしたのです。何と、運転手さんは例のY君のお父さんだったのです。お父さんは碁は全く知らないそうですが、Y君の熱中ぶりなどを話してくれました。あまりの熱中に心配しているようでしたが、「この熱中の経験はいつか絶対役に立ちますよ」と、大目に見てくれるようにお願いしたのでした。
Mar 27, 2005
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サッカーは残念でした。それほどサッカーに興味がない私でもがっかりするくらいですから、イランまで応援に行った人の落胆は想像を超えます。観光くらいはしてくるのでしょうか?応援だけに行ってとんぼ帰りだとすると、すごいとしか言うようがありません。 こういう試合を見ていつも不思議に思うのは、試合にはっきりと流れが出来ることです。力が拮抗していても、必ずどちらかが一方的に押している状態を繰り返します。これが特に著しいのが、バレーボールです。オリンピッククラスでもそうですから、素人だとなお更です。10点くらいの連取をお互いに繰り返すのがむしろ普通の感じです。一人一人のほんのわずかな気持ちの揺れが、チーム全体に大きな影響を与えてしまうのでしょうが、代表クラスの技術を持ってしてもそうなってしまうのが何とも不思議です。碁でも「流れ」という言葉は良く使いますが、「流れが悪い」という場合にはどこかで悪手を打っていて必然的に苦しい展開になっていることが多いと思います。 それと何と言っても、いつもこれでもかと思い知らされるのが、守りの難しさです。今回の試合でも露呈しましたが、特に守りに入った時の守りの難しさです。攻めに意識が行っているときは案外守りも固いのに、守りに意識が行くと逆にもろくなるのは、不思議ではありますが碁打ちなら誰でも、いやと言うほど経験しているでしょう。 碁で私は、形勢が良くなって、後はポイントはあげなくても普通に流せば勝ちという時が、一番心が揺れます。守ろうと思っているのに、何故か中途半端な打ち方をして乱れてしまうような事は日常茶飯事です。さらに、悪手が悪手を呼んで止まらなくなります。人の碁を見ていると、誰でも同じような事があるようです。逆に相手がそういう状態に陥っているのが見えると、まだ形勢が悪くても押せ押せの気分になります。 これを解決する良い方法はないものでしょうか?もっとも日本代表でも、同じことを繰り返しているくらいですから、簡単ではないでしょうね。
Mar 25, 2005
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先日の連休はパソコンが使えなかったため、久しぶりに棋譜並べなどしてみました。碁盤で棋譜を並べるのは、ここ数年間はほとんどしていませんでした。専らプロの碁はネットで見るか、新聞などの棋譜を目で追うばかりでした。 実際碁盤で並べるのは、目で追うのとは違う感覚があります。何となく一手一手が、体に染み入るような感覚です。やはり、時々は手で並べないといけないなあと実感しました。 今は手元に置いてある棋書もあまり多くはないのですが、本因坊秀哉全集があったので並べて見ました。かなり高価なものだと思いますが、地方の新聞の懸賞問題でもらったものです。これを並べていたのは学生時代の事で、秀哉のけれんみたっぷりの打ちっぷりが好きでした。私の場合、自分で並べた棋譜でも覚えているという事はまったくありません。昔のプロの碁でも序盤を覚えている人がいますが、私からすると驚異的な能力です。そういうわけで、新鮮な気分で並べたのですが、あらためて秀哉の芸に引き込まれました。中堅の棋士を相手に2子くらい置かせた碁が多いのですが、見事な打ちまわしです。 ところで、例の安永一編集囲碁春秋の中に秀哉に関する評論がありました。津善信三という人が評論しています。それによると、秀哉名人は碁を作るのに対して、秀栄名人の碁は自然と流露するのだというのです。よって、真の名人は秀栄であり秀哉は達人だと言っています。難しくてよくわかりませんが、それにしても流露するとは神に近いですね。確かに、早打ちで有名な秀栄名人に対して、秀哉名人は長考で有名ですから、手をひねり出していたという感じなのでしょうか。秀哉名人自身も、「秀栄名人が生きていたら今でも先相先は打たれる」と言っていたそうです。 また、秀哉名人と当時の一流現役棋士とどちらが強いのだろうか、という話も出ています。その結論は載っていないのですが興味深い話です。名人になってしまうと、近い手合いはほとんど打たないので、実際のところどっちが強いのかというのは、ファンは当然気になって仕方なかったでしょうね。今は、実力がはっきり出てしまう時代ですが、そういう状況も神秘的に感じます。
Mar 23, 2005
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前回の局面 での黒のH君は、大学時代の同期です。そして、間違いなく、私が今まで見た中で最も早打ちの碁打ちです。相手の打つのが待ちきれないような様子で、相手が打つと同時かそれより早いくらいのタイミングで次の手を打つのです。どんなに難解な局面でも、それは変わりませんでした。マージャンでは、隣の人が切る前にツモッテ切ってしまう人は良く見かけますが、碁では非常に珍しいタイプです。当然ミスも出やすく、そのため、一局の中で何回も「あ、いけね、いけね、いけね」という決まりセリフが飛び出しました。それでも、彼の早打ちは徹底していました。けして弱いわけではなく、一回何かの大会で県代表になった事があります。 彼のあまりの、早打ちを懲らしめようとハメ手を放った事があります。以下の実戦図のように、白一線ハネから白3とつけたのです。彼は、ハネたらつぐと思って別のところに打ったので5と切って黒地が崩壊したのです。正確に言うと、白がつごうとしたら、もう他に打ったのでそれを見てから3につけたと言う方が近い感じです。実戦図 マージャンでは、先に切ったらリーチされて振り込んでしまうという事があり得るでしょうが、碁では極めて珍しいケースと言えるでしょう。 この碁は、もちろん練習試合です。大会では、いくらなんでもここまで非情な事はできません。けしてマネしないようにお願いします。 彼は、「あら、なんだなんだ、そこに打ったのかー」と悲鳴を上げていましたが、その後もけして彼の早打ちが治まることはありませんでした。
Mar 22, 2005
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何とか無事に接続できるようになりました。7年前に買った物より 10倍以上も性能が良いものが、ずっと安く買えるのですから、この分野の進歩は凄まじいですね。何でも大きい物が好きなので画面の大きなものを選んだのですが、実際に置いてみてその大きさにびっくりしました。広い店で見た時は、それほどとは思わなかったのですが、実際使うととにかく大きいのです。 早速ネット碁をやってみましたが、相当の違和感があり、初めてネット碁を体験した時のような新鮮な感覚でした。案の定ぼろぼろです。本当は、同じはずなのに不思議なものです。黒番の時に、白が右下に打ってきて上辺に3連星や中国流ができてしまう事がありまうが、これも私はすごい違和感を感じてやりにくいです。 椅子と座敷での対局も、盤を見る角度が違うのでだいぶ感じが違いますね。座敷で打つ方が見下ろす感じになってずっと打ちやすいです。その点、日本棋院は椅子でも机が低くしてあるので、気になりません。 打ちにくいと言えば、普段は囲碁と関係ない場所を会場にしている場合、とんでもない状況になる事があります。机が高いケースが多いのですが、それだけでなく、ひどく相手との距離が遠い場合や近い場合が困ります。 遠い場合は特につらくて、手を伸ばさないと打てないので、お互いに盤の引っ張り合いになる事もあり、妙に神経を使います。それに盤全体がよく見えないので、時々立って見たりする必要が生じます。 このケースは、机を二つ並べてあって真ん中に段差が生じている場合もあります。もう、こうなると碁どころではなくなります。 逆に机の幅が狭い場合は、碁盤が机からはみ出してしまう事があります。特に、ぺらぺらのゴム盤を使っているときは、がけの上にある石が今にも落ちそうな状況が生じるため、気になって盤上に集中できません。 やはり、碁の大会は建物はどんなにオンボロでもいいので、普通に碁盤が見える状況が望ましいと思います。
Mar 21, 2005
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7年ほど使ったパソコン買い替えます。早ければ明日接続できますが、データの移行や設定が、成功する保障がないのでどうなることでしょう。
Mar 20, 2005
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学生時代からの友人、H君はいつも極端な早打ちです。そんな、彼の早打ちを、ちょっと懲らしめようと、寄せのはめてを打ったことがあります。 私の白番。この形から、白はどのように打ったでしょうか?本日の局面
Mar 19, 2005
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前回の局面から、黒は以下の実戦図1~5のように黒石をあっさり捨てて模様を広げてきました。実戦図 ちょっともったいない感じもしてはっきりした善悪はわかりませんが、非常に軽い発想です。なかなか思いつきにくいと思います。この黒は、静岡の顔とも言えるカトケンさんです。カトケンさんの魅力は何と言っても、このような序盤における構想力の豊かさです。いつも、こちらの予想を超える構想でこられて、感心させられます。 カトケンさんは、招待選手キラーとしても有名です。招待選手と相当数打っているはずですが、ほぼ打ち分けているとの事ですから、驚異的です。それを考えると、取りこぼしが無ければ、優勝していても不思議ない気がします。一つの大会で招待選手に2勝したのに、ベスト8入りを逃したなどという事もありました。華麗な序盤を売り物にする打ち手に共通の特徴なのかもしれませんが、やや勝負に淡白なところがあって、優勢な碁をあっさり打ちすぎて終盤逆転される事が多いのです。そのために、ここ数年代表になっていませんが、団体戦などで他県のエースと打っている碁を見ていると、いい内容の碁が多く、さすがだなあと思います。 カトケンさんは、泥縄流の私とは違う棋風ですが、高林先生という共通の師匠を持っています。たぶん、カトケンさんは先生の華麗な棋風の部分に影響を受け、私はえげつない部分に影響を受けたのだと思います。
Mar 19, 2005
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どこの大学の囲碁部にも、奇人変人と言われる人がいるものだが、S先輩ほどの人はおそらく、全国を探してもまずいないであろう。とびきりの奇人であった。碁も強く、大学の大会で上位入賞暦があり、高校時代からよく教えてもらった。 文字通り、仙人のような生活をしておられた。玄米を主食にして、他に近所で雑草を取ってそれを食べていたらしい。大学囲碁大会のレセプションに参加した時も、会場で出された食事には一切手をつけず、自分で用意した玄米と雑草を食べていて、周囲の度肝を抜いたそうだ。Sさんに食事に招待された人の話では、雑草のてんぷらばかりが出てきたそうだ。私も一度、自宅に招待された事があるが、びっくりした。木造の古びた納屋のような建物の中に妙な機械がたくさんおいてある。どこに生活空間があるのだろうと不思議だった。このときは、ベアリングという物に凝っていたようで、ベアリングの仕組みやうんちくについて、延々と何時間も聞かされたのだった。とにかく、凄まじい凝り性の人で、一度何かに凝り始めたらとことん極めようとする人だった。 Sさんと一緒にスキーに出かけたことがある。二人とも初心者だったが、Sさんはワールドカップを目指すとはりきっていた。私は、一緒に行ったコーチ役のTさんと一緒にすべっていたのだが、なぜかSさんの姿が見えない。どこだ、どこだと探しているうちに、リフトの上から見つけた。カニ歩きで、斜面の端っこを登っていたのだ。何をしているのかと聞いたところ、ワールドカップを目指すためには、足腰から鍛えないとだめなので、一切リフトは使わずにカニ歩きだけで上まで行ってから、滑るというのだ。この、心構えの違いに圧倒されてしまった。本当にワールドカップに出られるのではと思ったが、さすがに無理だったようだ。 その後、スケボーやローラースケートに凝っていたこともある。スケボーでは、スキーの時とは対照的に、いきなり山のてっぺんから車も通る道をすべり降りてきたらしい。曰く、こういうのは命がけじゃないと上手くならないそうだ。 さらに一輪車の達人になって公園で子供にショーを見せていたりしたようだが、その後の詳細は知らない。風の噂では、今も仙人らしい。
Mar 19, 2005
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18:20 黒番、羽根棋聖少し優勢に見えます。こうなると、強いですからね。逃げ切りを祈ります。昨日終了時点で、最後の最後に、今シリーズ初の羽根ペースの碁になりましたね。結城さんやはり、固くなったのでしょうか。 18:25 ちょっと結城さん、緊張が切れたムードですね。こういう結城さんはNHKで良くみますが、これでさらに羽根棋聖万全になりそうです。18:40 盤10ですね。羽根棋聖の集中力が、すごいですね。18:45 結城さん、昨日から明らかに堅かったように思います。どうも、結城さんが4勝目をあげる前に、羽根棋聖が2勝目を上げた時点で、結城さんの4勝目がなくなった気がします。19:00 盤十は動かないですね。去年は、最終局は衛星放送延長したのに残念です。19:30 羽根棋聖の、4目半勝ち。防衛おめでとうございます。この勝利は、天元を失った後で苦しい中だったので、昨年より嬉しいです。 一局目から、ずっと結城さん得意の碁形が続いていた気がしますが、棋聖はそこを五分で乗り切って、最後に自分の土俵に引きづりこんで快勝しました。見事な戦いでした。 結城さんも、持ち味を発揮して面白いシリーズになりました。
Mar 17, 2005
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本日の局面 私の、対局から取材しました。数年前の、支部対抗戦での一局です。黒は、いつも華麗な序盤構想を見せるアマ強豪Kさんです。白番の私が1と打ち込んだところです。さて、黒番のKさんはどういう作戦で来たでしょうか?次の3手を予想してください。
Mar 16, 2005
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今日は、団体戦のメンバーにかり出されて、ひさしぶりの生碁を、これまた数年ぶりに行く日本棋院中部総本部で打ってきました。心に残る出来事が二つありましたので今日はその話です。 一局、童顔の学生さんと対戦がありました。序盤早々上手く打たれたのですが、更にちょっと石を働かそうとしたら強烈な反発を食らって、ひどく苦しい碁になってしまったのです。とてもまともに行ったんでは勝てないので、例によって形もへったくれもなく、メチャクチャ頑張っていたのですが、相手がひるんだのかどんどん後退して結局私の逆転勝ちとなりました。 検討では、最近の布石理論や、呉清源師の推奨する手などをいろいろ教えてもらって、たいへん勉強になりました。たぶん彼は心の中で、「このオッサン、布石理論も最近の手も知らないから舐めてたら、途中からひどい筋悪、悪力出してきて辟易した。」と思ったはずです。なぜ分かるかと言うと、20年前は自分が同じ事を考えていたからです。私は昔から、序盤苦しくして悪力に頼る事が多かったのですが、それでもそう思ったくらいですから、スマートな布石の打てる彼にしたらなおさらでしょう。いつのまにか自分がその立場になっていたのかと、愕然としたのでした。 もう一つは、嬉しい話題です。隣の部屋で、大勢の子供が真剣に碁を打っていたので、職員に聞くと院生だというのです。これには驚きました。以前は中部の院生は少なくて、廃止などという噂もあったくらいです。今は、何と三十数人もいて多過ぎるので、厳選して申し込みを断ることもしばしばだそうです。しかも、数年前ならすぐ入段できたようなレベルの子が院生にごろごろいるというのです。中部の将来は明るいと、確信しうれしくなりました。 ところで、現在の院生師範は小県九段で今日も指導されていました。今まで、気づかなかったのですが、院生師範というのはたいへんな仕事だと思います。何しろ自身もトーナメントがあるのに、毎週日曜日に目一杯時間を取られてしまうし、大勢の子供に指導しなければならないのですから、骨の折れる仕事です。小県先生に、「たいへんじゃないですか」と聞いたところ、3月一杯で任期が終了するのでほっとしているとのことでした。
Mar 13, 2005
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山城先生に聞いた話ですが、ある時、金子先生が中部総本部の棋士の協力を得てある実験をしたそうです。プロやアマに実際に碁を打たせて、おそらく脳波を利用して脳のどの部分が活発に働いているかを調べたそうです。それによると非常に興味深い結果が出たというのです。 聞いた話なのでその実験の内容や信頼性などは、はっきりとはわかりませんが、プロ棋士は大半の時間は記憶を引き出す脳の働きをしていて、創造的な脳の働きをしている時間はアマチュアの方がずっと多かったと言うのです。これは、さもありなんと思いました。 アマチュアの方が、形や手筋が身についていないので、その分自分で考え出す作業が必要になるのは理解できます。 一方で、酒井プロが言う所の「アマは既成概念に囚われて、発想が狭い」というのも経験的に真実だと思います。つまり総合すると、プロは記憶を引き出すだけでもかなり打てるけれど、局面の打開が必要となるような難しい場面に出会った時は、豊かな発想で既成概念に囚われない手を考え出せるという事でしょう。もちろん、この局面は打開が必要であるという評価ができなくては始まらないことです。 ところでプロでも、既成概念に囚われない発想をする能力は、人によって違うと思いますが、その点だけ取ると酒井猛プロはトップレベルじゃないかと感じます。ネット棋院では、一年ぶりに酒井プロの棋聖戦解説が連載されていますが、その発想の豊かさにはいつも驚かされます。ただ、故人の山部俊郎プロとか、そういう天才型の棋士はいつの時代にもいますが、プロのレベルになるとそれだけでは勝てないというのも、難しいものですね。
Mar 12, 2005
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日記「年齢と思考」のところで、碁は思考のゲームと言ったばかりでした。ところが昨日は、全然考えてない上に盤も良く見えてないのに碁に勝ってしまった、という話を紹介したので妙なことになってしまいました。要するに、碁とはよくわからないゲームなのでしょう(ごまかし)。 時間が十分あるきびしい勝負となると思考がものを言うのは間違いないですし、仮に持ち時間が何百時間あってもいくらでも考える内容があります。しかし、あまり考えなくても結構碁が成立してしまうのもよく経験することで不思議なものです。それは、私の体験からも実感しました。つまり、パターン認識だけでもある程度打ててしまうという事でしょう。 脳外科医で痴呆診療の権威である金子満雄先生が、「碁を打つとボケない」という説を発表しています。これは、痴呆の方に碁を打たせたらその症状が軽快したという、先生の多くの経験からも明らかだと思います。これに対してまだ、世間には発表していないのですが、私が発見した法則があるのです。それは、金子学説とちょうど裏返しの説なのですが、「ボケても碁は打てる」というものです。 昔、橋本宇太郎先生の晩年、NHK杯を見ていたら整地してから明らかに、4×5くらいの計算ができずに地の計算ができない様子でした。その様子を見ていて、碁はすごくしっかりした内容だったので、その落差に驚きました。しかも、その碁は全盛期の趙治勲相手に見事に勝ったのです。もちろん、計算力は知能の一部に過ぎませんが、自分の学説を裏付ける一つのエピソードではあります。続いてこれに関連して、中部の山城先生から聞いた金子先生の面白い実験について紹介します
Mar 12, 2005
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なぜそれほどの思いをしても参加したかと言うと、当時田舎のその大会で3連覇中であって、更なる記録がかかっていた事と、またそれ以上に予選を勝ち抜いた地区の代表なので、勝手に休むわけにはいかなかったのです。もうろうとした状態のまま1回戦が始まったのですが、椅子に座っているのも苦しい状態でした。顔を机の下にして、ビニール袋に吐き続けていました。考える事も困難でしたが、それどころが目が回って石もまともに見えない状態でした。音がしたらとにかくその辺りに転がしておくといった有様です。相手もさぞやりにくかったで事でしょう。自分は、こういう相手と対戦した経験がないのですが、実際どんな気持ちなんでしょうか。一回戦は、ほとんど盤上をみている余裕はなく吐き続けていましたが、自分でもわけがわからないうちに勝ってしまいました。 2回戦も大差ない状態でしたが、これも吐きながら奇跡的に勝ちました。その後の昼休みに、朝送ってくれた碁の弟子が心配して様子を見に来てくれたのですが、曰く「会場に入った瞬間にすっぱいにおいが立ち込めていて何事かと思った」そうです。昼休み一杯、寝転んで休み、少しはましな状態になって、その後の準決勝も勝ち決勝に進出したのでした。 決勝戦では、だいぶ体調も回復し、優勢に打ち進めました。ここまで、苦しかったけれど何とか連覇を伸ばせそうだなと思い、どっと疲れを感じたのです。終盤に、ひどいミスが飛びだし、大逆転負けを食らいました。ここまで来て、何とも残念でしたが文字通り自業自得です。大反省したのでした。 たまたま、大学のOBが大会に参加していたのですが、「~君じゃなかったら、絶対永久追放されていたよ。」と言われたのでした。
Mar 12, 2005
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国会議員が、酒でひどい失敗をしましたね。私も含めて酒飲みにとっては、人ごとではないと思います。ほんとに酒は、ほどほどにしないといけませんね。社会人になってからは失敗はないですが(?)、学生のころは良く失敗しました。反省を込めて今日はその話にします。 学生時代の話しです。週末に、地元でプロ棋士を囲む碁会がありその打ち上げに参加しました。中部の馬場プロを囲んで、最初は大勢で飲んでいたのですが2次会3次会と進み、いつしか私と二人だけになったのです。馬場先生も、お酒大好きで有名な先生です。何しろお酒を飲むのがメインの碁会(ゆうゆうクラブ)を主催しているくらいですから、もう底なしです。私は、それほど強くないのにとにかく好きで、こういう時はとことん付き合わないと気がすまないのでした。特に、酒が入ると自慢のボケが冴えてきて、ますます酒席が盛り上げるので、止まらないのです。 どちらが誘って飲み歩いたのかは、昔のことで覚えがないのですが、最後は私の行きつけの台湾料理屋に入り、絶品の腸詰をツマミに楽しく飲みました。閉店となり、先生がホテルに帰って行った時はもう明るくなりかかっていました。先生はけっこうしっかりしていたはずですが、私はもうべろべろです。こういう時は、いつも二日酔いになるので、夕方まで寝ているのですが、この時は事情が違いました。実は、その朝に約100km離れた県都で、朝日アマ十傑戦の県大会があったのです。一時間くらい寝て、もう出かけなければなりません。しかし、べろべろで、タクシーに乗って駅まで行くのも、電車に乗るのも自力でする力がありませんでした。そこで、ある手段を使ったのです。 車を持っている私の碁の弟子に送ってもらおうと考えたのです。当時私の頼みを聞いてくれる一番手は県都に住んでいたので、早朝電話をかけてそこから迎えにきてもらったのです。ずいぶん無理な事をしたものですが、冷静な判断などできる状態ではなかったのです。待っている間のつかの間、一寝入りしてから彼の車に乗り込みました。しかし、この道のりが地獄でした。最初は、寝ていたのですが、山道を車に揺られているうちにひどく、気持ちわるくなってしまい、道中は袋にずっと吐いていました。もう途中で、休んでいる時間の余裕はなかったので必死で車中で耐えて、なんとか会場にたどりつきました。しかし、ここからが更なる地獄が待っていたのでした。
Mar 11, 2005
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私は、特に座右の銘などはなかったのですが、囲碁ボケのネタを考えていて、突然完成しました。「明日、世界が滅亡するとしても、わたしは、今日、林檎の苗を植え、そして碁を打つ」 (元ネタ、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)
Mar 11, 2005
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棋聖戦第6局は、羽根棋聖の6目半勝ちとなりました。今回は、黒番で見事に力強く押し切りました。昨年に続いて7局までもつれ込む大激戦になりましたが、こうなると精神力に勝る羽根棋聖がもうもらったようなものでしょう。最終局を楽しみにしたいと思います。
Mar 10, 2005
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前回の局面からの続きです。 実戦で私は、以下のように星につけを打ちました。こーたさんの予想通りです。実戦図 ただ、これはやりすぎの危険もあり、TAUCさん推奨の例図のように、あてあてからカケツギが無難ですし白不満ないと思います。当初の黒のつけ切りも、問題かもしれません。また、実戦は白十分のサバキになったので、黒2では左辺の白石を上から当てるか、上に伸びて頑張る方が良い気がします。 私もあてあては考えたのですが、あえて白1とつけて大サバキに行ったのは、理由があります。それは、相手がエイジさんだからです。エイジさんは、いつも序盤にすごく工夫を凝らしてくるのです。それにこちらも乗ってしまうと言うか、エイジさんと打つと一番面白い手を打たなければならない気持ちになってしまうのです。たぶん、エイジさんの方にもそういう感じがあって、悪いと思ってもつけ切ってきたと思います。これは、不思議な現象なのですが、どうしてもそうなってしまうのです。そうなってしまう人として、他に元東北大のエースKさんがいます。Kさんとの思い出は、また別稿で書きます。誰にもそうなってしまう相手がいるのではないかと思うのですがどうなんでしょうか。 ところで、この碁は甲府で行われていた中部地方の最強戦予選の決勝戦で、乱戦の末に私が勝ちました。甲府大会は、戸田さんが経営する碁席本因坊で行われていました。戸田さんは、山梨碁界の算砂みたいな人です。海坊主みたいな外見ですごい貫禄ですが、気さくでやさしい人です。この大会での一番の楽しみは、戸田さんの奥さんが作ってくれる「ほうとう」が振舞われることです。大鍋でつくる本場のほうとうの味わいは最高で、特に寒い季節でしたので格別でした。ただ、昼食に出てくるのであまり食べ過ぎると次の戦いに差し支えてしまうので、ほどほどにしなければなりません。これに対して負けて観戦にまわった人は、あとはもう食べ放題ですから、ほくほくやりながら観戦しているわけです。これを見せつけられるのは、たまりませんでした。全部終わった後は、イカやビールが振舞われました。ゆでたイカを輪切りにして、しょうが醤油で食べるのは長野や山梨独特の料理みたいですね。 この予選には、主に山梨、長野、静岡からの参加者が多いのですが、同県の人はなるべく散らばるようにしてあるので、県対抗戦のような雰囲気があるのも面白いところでした。大概は、静岡勢が上位を占めてしまう事が多くて、「せっかくご馳走してるのに」などと冗談を言われたものでした。そんな思い出があるこの大会がなくなってしまったのは、残念です。
Mar 10, 2005
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前の日記に関連して、論理的思考と年齢について書きたいと思います。年齢と伴に読みの力は衰えるのですが、全体としての論理的思考能力は、むしろ高まる場合もあると考えます。特に、流れにそったスムーズな思考ができるようになるようです。 自分のことを思い出しても、若いころはただ何でもかんでもがむしゃらに読むだけでしたが、年をとるにつれて、整理してから手順よく読めるようになってきました。平田先生をはじめ、高齢でもものすごく強い人や、ますます強くなる人がいますが、これはそれを証明するものだと思います。碁は何と言っても思考のゲームであって、単に知識の蓄積などで勝てるようなものではありません。80歳をすぎても、すばらしい思考をしているわけです。 ところで、以前酒井猛プロがネット上で、アマとプロの一番の違いはアマは既成概念に囚われるがプロは囚われないと事だと言っていました。これは面白いテーマなので、図を使ってあらためて書きたいと思います。ところで、既成概念に囚われない発想をするという能力に関しては、年齢とどう関係するのか興味があります。一般には、若いほどその能力はあると思われているでしょうが、高齢の方の碁を見ていると一概にそうも言えないと思うのです。実際、学生やそれに近い年代のかなり強い人で、ひどく既成概念に囚われていて、独創性が乏しい碁を打つのを見ることがしばしばあります。
Mar 9, 2005
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前回の、「碁の方が面白いから、後から将棋を覚えても上達しない」と言う私のコメントに対して、トラックバックを頂きました。対局日誌 この私のコメントは願望と負け惜しみですので、将棋ファンの方は気になさらないでください。将棋の方が、目的がはっきりしていて読みの量がものを言うという意見は、なるほどと思います。要するに、碁でいう詰碁の能力が勝負に占めるウエイトが大きいという事でしょうね。その部分は、確かに碁打ちが将棋をやろうとした時に、違和感を感じる部分ですね。案外碁というのは、正確でない適当な読みでも成立してしまうものです。 碁の方が、目的がはっきりしていなくて混沌とした、状況が多いようです。ところで、論理的思考能力の中には、たくさんの枝別れを頭に描く能力(読み)の他に、分析力、判断力、計画を立てる能力、またこれらの作業を手順よく行う能力など、様々な能力が含まれると思います(初期の日記、診療と囲碁シリーズを参照してください)。碁の方が混沌とした状態が多いとすれば、その状態を解きほぐすための分析力(事象を分類し問題を取り上げる能力と言い換えてもよい)が特にものを言うと考えられます。この点は、診療と似ている点です。 論理的思考力がものを言うという点では、囲碁も将棋と同じかまたはそれ以上だと考えますが、その内容が多少違うようです。
Mar 9, 2005
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そのラーメン屋が現れたのは、昨年の春ごろだった。うちの近所の空き地に突然、プレハブ立てのラーメン屋ができたのである。そして、近所の各要所にチラシが張られたのだ。曰く、「日本全国のラーメンを研究しつくして遂に究極のラーメンを完成した。このあたりの有名ラーメン店も食べ歩いたが、話にならない。期間限定。日本一美味いラーメンを出します。」というもの。 ここまで、書かれて食べに行かない人間はまずいないだろう。大繁盛である。私も、できるだけ空いている閉店前を狙って、満を持して出かけた。ラーメンのメニューは、とんこつラーメンとミソラーメンの2種類で、それぞれに具の種類が何種類かある。さらに、生ビールに餃子とチャーシューもある。餃子で一杯やってから、とんこつチャーシューで締める。ビール好きには、これはたまらん。さて、味はどうか。餃子は、肉が多くて美味い。野菜の多い餃子に慣れていると、たまに肉の多い餃子が出てくると嬉しい。肝心のラーメンは、なかなかコクがあって美味い。「日本一はどうかな?」とは思ったが、まあ食べるほどに味が出るという事もある。今度は、別のメニューを試そうと、次への期待がますます膨らんだ。 そんな調子で、何回か通った。必ず、ビールと餃子またはチャーシューから入って、ラーメンで締める。2回目はミソラーメン、次は具を変えて肉にんにく味というように、いろいろなバラエティーを楽しめる。そのうち、ちょっと飽きたかなと思い出した頃、何と新たに塩ラーメンの登場を予告する張り紙が出た。その宣伝文句は、「この地方には美味い塩ラーメンがない、地元で一番美味いと評判の塩ラーメンより3倍美味い」などと書かれている。こりゃまた、たまらん。次は、塩ラーメンを食べよう。期待が膨らんだ。次回、またまた満を持して塩ラーメンを食す。確かに美味い。いい塩を使っていそうだ。しかし、3倍はどうかな?とも思う。まあ、また次は別の具で試そうと更に通い続けた。 この店は期間限定である。だんだんと、その期限が近づいてきた。このラーメン屋がなくなると寂しくなるなあ、としんみりし始めた頃、また張り紙が出た。曰く、「好評につき、一ヶ月営業延長」というもの。「おー、よかった、よかった。後悔しないように、せいぜい一ヶ月の間、なるべく食べに来よう。」と思った。そうこうしているうち、またまた新たな張り紙が登場。「まかない料理人気N01、つけ麺をメニューに載せました。」とのこと。「そりゃまた、いいね、いいね」とさらに通う。 そのうち、「はて、待てよ」と思った。確かに美味いことは、美味いけれど、そんなに美味いか?地元の美味い店よりはっきり上と言えるだろうか?という疑問が、ふつふつと沸いてきた。丁度、それと時期を同じくして店が延長期間も終えて撤収した。おそらく、新天地で次の営業をするためであろう。 その後、何とも言えない寂しさと脱力感が襲ってきた。あのラーメン、どうだったんろう?本当に日本一だったんだろうか?そう言われればそういう気もするが、むしろ日本一商売上手なラーメン屋だったんじゃなかろうか?こういうのを、「青春時代の一夏の淡い恋が終わったような気持ち」と言うのだろうか? このラーメン屋を、どこかで見かけた方がいたら情報を求めたい。
Mar 8, 2005
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最強戦は、予選に参加するのに遠方まで出かけなければならないので、あまり参加していないのですが、いろいろと思い出があります。 数年前の全国大会に参加した時の、秒読みでの苦い経験は特に忘れられません。最強戦は、予選が県別でなく地域別になっていて、他の棋戦より強豪が出そろうのですが、日本棋院の協力がなかったためか、なぜか棋院3階の狭い部屋に大勢がひしめき合って打つのです。その一回戦、難しい局面で秒読みに入りました。青い色の秒読み時計で、10秒から「プッ、プッ、プッ、プー」とブザーで秒を知らせます。ここで、とんでもない事態が発生したのです。密集して打っているので、周囲でピーピー鳴っているのが聞こえて、自分の秒読みなのか他の秒読みなのか、わからなくなったのです。その上局面は難解、完全にパニックに陥りました。まだ、十分に秒があるはずと思っても、ピーと聞こえると心配で打っちゃうわけです。ここで、碁もズタズタになってしまいました。あんな経験は、2度としたくないものです。 学生のころに、腕試しにと名古屋まで出かけて初めて最強戦予選に参加したのも思い出です。信じられないような快進撃であれよあれよと勝ち進み、代表決定戦でついに超強豪の青木義生さんと当たりました。何しろ相手は、全国のトップクラスです。勝とうなどいう考えは全くなく、とにかく目一杯時間を使って頑張りました。芸の違いは歴然でひどく苦しい碁でしたが、目茶苦茶暴れているうちに、何と相手の大石を取ってしまったのです。しかし、この時まだ局面は中盤の終わりくらいだったのに、持ち時間は30秒くらいしかありませんでした。最後まで打ち切る事は不可能でしたが、ここまで戦えた事で満足していました。ところが、次の瞬間信じられない事が起きたのです。何と青木さんが投了してしまったのです。学生の大会などで手段を選ばず勝つような雰囲気に慣れていたので、ビックリしました。そして、やはり強い人は心構えが違うなあと思いました。その時に、いつかは青木さんの域に近づきたいと思ったものですが、情けなくも未だにその心構えにほど遠いところにいます。
Mar 7, 2005
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今はなき最強戦の予選での、私の実戦から取材しました。私の白番です。本日の局面 今、黒が1から3と力強く切り違ってきたところです。ここで、白はどう打ったでしょう。私が打った手ですから、正解というわけではありません。変化を考え出すと、キリがないくらいあって面白い局面です。いろいろと思い出深い一局なので取り上げてみました。
Mar 7, 2005
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是前回の問題の解答は、解答図です。 白1が面白い手で唯一の生き筋です。ところが、私は同じだと思って白3に打ってしまったので、黒1に打たれて頓死してしまいました。ただ、この時点では細かいながら左辺の白が寄せ劫残りで、白が苦しいので勝負には関係ありません。 この黒は、4強の一人原田実さんです。手厚い本格派の碁で、けして形が乱れない上に、読みが深く戦いでの強さも際立っています。安定感抜群です。招待選手キラーとして知られる加藤健一さんも、原田さんだけには勝てる気がしないと言っています。私は学生時代に、大会で初めて対戦した招待選手が原田さんで、すごく厚い壁を感じた思い出があります。また、坂本兄弟など、たくさんの弟子を育てています。 原田さんの碁を観戦していて、いつも感心することがあります。それは、時間が迫っていても、マイペースで淡々と打っていることです。私などは時間がなくなると慌ててしまって、とにかく打ち切ろうとして、手が震えて石が飛び跳ねたり、ひどく見苦しいことになってしまいます。原田さんは、時間がなくて打ち切れないと分かっていても、時間が切れるまでたんたんと落ち着いて打っています。勝負よりも、囲碁道を大切にしているのだと思います。何とも潔い武士の姿なのです。
Mar 6, 2005
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昨日、楽天囲碁ブログ人気NO1のosama氏との公開記念対局を打ちましたので紹介します。私の白番で、以下が棋譜です。棋譜黒のosama氏は、序盤から独創的な布石作戦を展開し、右上のぶつかって切り、下辺の利かしなど評判通りの天才的な感覚を発揮してきました。最後、右辺の白石の生死をめぐる攻防が勝負だったのですが、極めて難解で白のつぶれもあったように思われます。右上の序盤の変化と、右辺の生死については極めて難解で、よく研究しないとわかりませんので、できればあらためて紹介したいと思います。 黒の独創的な布石から、面白い碁になって皆さんには楽しんでいただけたと思います。このような、ネット劇場型対局はosamaさんのアイデアで生まれたもので、今後もいろいろな形でできれば面白いと思います。
Mar 6, 2005
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昭和12年に創刊された囲碁春秋という雑誌がある。3年前に西村修さんらがその復刻版を作られたのだが、偶然一冊いただいた。安永一氏編集で、日本棋院への提言やアマ碁界の情報、随筆、安永実戦解説、アマ勝ち抜き戦などが主な内容であり、当時としは相当に新鮮な内容だったと推測される。逆に言うと、現在のすべての囲碁雑誌は囲碁春秋の内容からほとんど変わっていないと言ってもよい。いかに安永氏がアイデアマンで優れた人であったかがよくわかる。創刊当時のニュースには、ナチスドイツから囲碁教師の派遣を要請されたとか、天才少女本田寿子現るなど、興味深い記事がいくつもあるので、追々紹介してみたい。 当時はアマ棋戦の創生期であったらしく、これには安永氏の力によるところも大きかったようだ。これに関係して面白い記事がある。第1回アマ囲碁選手権の開催において、思わぬ抵抗があったと言うのだ。それは、段位が違う者同士が互先で打つ事に対する抵抗である。つまり、自分より低段の者と互先で打つ事は当時は大変なことだったのだ。一発勝負で自分より低段者に負けたら困るというわけである。今の感覚からするとやや滑稽でありビックリする。当時のプロは新聞棋戦よりも段位が重要だった時代であるが、アマも同様だったらしい。それだけ、段位が実力を示す評価であり権威があったのだ。 現在の段位はというと、これはどういう位置付けと考えたらいいのかさっぱりわからない。日本棋院の段位は純粋に寄付行為の証なのか?それならあまり売れないだろうし、そもそも段位認定試験などするのも意味がない。正確に実力を示す基準ではとっくになくなっている。何だか宙ぶらりんな存在である。日本棋院側にはもう理念など全くなくて、ただ売れれば良いと考えているように見える。だから、財政が困るとより高い段位を乱発するわけであるが、これも結局は自分の首を締めるばかりである。段位を乱発すれば、段の権威が落ちて、結局売れなくなるのは子供でも分かる理屈である。8段免状を公開して実際収入が増えたのだろうか?そんな事をすれば、当然6段7段が売れなくなって収入が減るはずであり、仮に今年は増えても一時的な効果に過ぎない。 それともう一つ、6段や7段に権威があると思って段位を買ってもらった(寄付した)人はどうなるのか?もうこれは詐欺行為ではないのか?碁打ちは皆人がいいから日本棋院が訴えられたという話は、今の所聞かない。しかし、「段が上がりすぎたから、今までの段は全部チャラにして、初段からまた始めます。」という話が出たらどうだろうか?。8段免状発行もこれと大差ない話に思える。こんな子供だましをしているといずれ痛い目に会うのは間違いない。
Mar 5, 2005
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本日の問題私の実戦から取材しました。私の白番。黒は、あるトップアマ選手です。今、黒1と白の目を奪ってきました。ここで白から、凌ぐ手があるでしょうか?
Mar 5, 2005
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だすさんの日記で、将棋と囲碁の両刀使いの話が出ていたので、それに合わせて今日はその話をします。 将棋をやっていた人は、碁の上達が早いのは本当によく実感しますね。その逆は、あまりうまくないみたいです。将棋のプロは、碁でも県代表になった人や本気でプロを目指した人もいるくらいで相当碁の強い人がいますが、碁のプロの将棋はそこまでではないようです(横山先生は、プロ級らしいですが、最初に将棋をされていたようです)。もっとも、プロの両刀といえば本因坊算砂は別格ですね。算砂はどういう手順でそうなったのか興味があります。 私は、大学に入って多少将棋も勉強したのですが、へぼのままでした。高校囲碁大会に一緒に参加した当時の仲間も将棋をやっていた人が多くて、覚えて一年くらいでみんな碁会所5段くらいになっていたものです。読む習慣が最初からあるのが大きいのでしょうね。最初に碁をやっていた人が将棋をやってもあまり強くならないのは、こんな事を言うと怒られそうですが、碁の方が面白いからのめり込まないという理由もあるのではないかと推測します(失礼)。 アマで両刀と言うと確か徳島の沢野さんという方がすごかったですね。大学時代によく将棋の雑誌を読んでいましたが、同じ年に将棋と碁の両方の全国大会でベスト16以上に入っていて驚きました。田中保さんは、私の大学のころは将棋のアマトップスターだったのに、なぜか碁に転向してすぐに県大会で準優勝したという記事を読みましたが、その後どうなったのでしょう。(たぶんO氏の日記に登場する先生ですね) 他にも凄い人がいましたら、教えてください。
Mar 4, 2005
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今日は、桜海老のかき揚げの話し。ほんの数年前まで、恥ずかしながら桜海老の美味さを知らなかった。と言うより、桜海老を知らなかったのだ。 山国育ちの私だが、桜海老を子供の頃からよく口にする事があった。かき揚げに入っていたり、惣菜によく入っていた覚えがある。しかし、美味いものだとは思わなかった。実が少なくて、ごわごわして味も貧弱、それに早く飲み込まないとシャリシャリした妙な食感が残る。スーパーのかき揚げによく入っていて、冷めてまずいのと毒々しい色だなあという印象だけが残っていた。 数年前に遠州に移り住んで、ちゃんとした料理屋のメニューに桜海老のかき揚げがあるのにまずびっくりした。これは、スーパーの惣菜にしかならないと思っていたのだ。それでも話の種にと試しに食べてみた瞬間、衝撃が走った。うまい、それに今まで食べていた物と全然別物である。実がしっかりあって、品がある甘い味と磯の香りが広がり何とも美味い。食感はさくさくして気持ちがよい。はてな?今まで自分が桜海老だと思っていた物は何だったのだろうか?ネットで調べてみてすぐわかった。桜海老と称して田舎のスーパーに並んでいた代物は、何とオキアミの類に着色したものだったのだ。そんなやり方で人を騙すのも許せないが、桜海老だと思い込んでいた自分も情けない。桜海老は駿河湾の名産である、遠州に来なければ一生オキアミを桜海老と思っていたかもしれない。そういう人は結構多いのか、それとも自分だけだろうか?しかし、ようやくではあるが本物の桜海老を知る事ができて幸いだった。今はもう、桜海老のかき揚げの魅力に取り付かれて、はまってしまった。かき揚げの中で、いやすべてのてんぷらの中でも、桜海老のかき揚げが最高に美味いとまで思っている。 桜海老漁は、春と秋に行われているので、そろそろまた桜海老のシーズンがやってくる。書いているだけでよだれが垂れてくる。 名前の偽りと言えば、これと似た例として、スーパーにある「シメジ」というのがある。私の田舎ではよく、黄シメジとか、シモフリシメジなどを採ってきて、キノコご飯にしていたが、マツダケご飯より間違いなく美味い。それに比べて、「シメジ」と称して売られている代物は、キノコとしての風味も味わいもなく、ましてやシメジとは砂とダイヤほどの違いがある。ご飯にいれても何の味も出ないであろう。スーパーだけでなく、けっこうなレストランのメニューにも「シメジの~」などとあるのを見ると悲しくなってしまう。
Mar 3, 2005
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最近、脳のリフレッシュのために囲碁ボケが大いに役立っています。笑いが健康に良いというのは医学的にも証明されているらしいのです。ここで最近、「気合で打ったら碁盤が割れた」というボケを見かけましたが、実はこれは現実に存在した話なのでこの機会に書き留めておきましょう。割った本人から直接聞いた話なので、間違いありません。 以前よく、碁を教わっていたT先生がお客から自宅に呼ばれた時の話です。この時は、新品のカヤの碁盤の打ち初め会だったそうです。打ち初めに先生を呼ぶくらいですから、当然5寸か6寸の見事な盤だったわけです。先生がいつものように、凄い気合で白石を打ち下ろしていたところ、突然、「びしびしー」と音がして対角線に完全に深い割れ目が入ってしまったと言うのです。ウソみたいな話ですが、先生の打ち方を知っている私からすると不思議ではありません。プロ棋士で凄い気合で打つと言えば依田碁聖が筆頭でしょうが、まだまだ甘いのです。あのうち方では碁盤は割れません。T先生は打ち下ろす時に、よく手のひらの硬い部分を碁盤に叩きつけるのです、要するに相撲の突っ張りみたいな打ち方になるわけです。音の凄まじさだけでなく、こちらに振動が伝わってくるほどなのです。もっとも、まともな碁盤であればそれでも割れるわけはなく、くだんの碁盤は不良品だったのでしょう。 T先生とは、以前美しい手つきの稿でも登場した金沢の高林共平先生です。学生時代によく押しかけて、3子から先まで何十局と打ってもらいました。美しいだけでなく、すさまじい気合で打つので免疫のない人はそれだけで、びびってしまうでしょう。もちろん、力強く打つのは、相手をびびらすためではなく、文字通りの一手入魂のためなのです。昨年、幸運にも依田碁聖に一局教えてもらう機会があり、その迫力は双璧だと思いましたが、こと碁盤への衝撃力という点では高林先生が上でしょう。 友人の紹介で、最初に高林先生と金沢で打ったのは、大学に入ったばかりで田舎の県代表になったころでした。ちょっとその筋の人のような風貌と迫力にびびった上に、弱かったので、3子でコテンパンにやられました。それから私の金沢通いが始まったのですが、当時の思い出についてはまたいずれ書きたいと思います。
Mar 2, 2005
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前回の問題の答えは解答図です。黒が5に押えるのと比べて先手5目の手です。白1の手で、5に出ると3に押えられて先手一目にしかなりません。これを間違えた時の衝撃が大きかったので、次に同じ形ができた時はしっかり打とうと思っていますが、まだめぐり合いません。よく考えると、実戦では極めてでき難い形ですね。
Mar 2, 2005
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