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〇家内の祖母は93歳の長寿でした。今から四半世紀も経いるので、今なら定めし百歳を優に超えていたでしょう。家内の実家は二十年ほど前に建替えていて、風情のあった池も、祖母が暮らしていたお離れもありません。祖母に関わるダンボール箱があったので中を拝見したら、時は明治へと戻ってしまいます。 祖母が高女で学んだ国文の教科書には徳富蘆花や旧い文壇の名士の文が掲載されていました。その頃の雑誌には今と同じように美容に関する広告も載っていて親近感を覚えました。 小唄などは製本された和紙に祖母自ら筆でしゃなりしゃなりと歌詞が書いてありました。優等生でしたので筆の方も達者でしたが、図案に才があって、襖絵や陶器が今も家内の実家で沢山残っています。 明治の人に負けないよう、自分の人生は自分で責任を持って切り拓いて行かなければと思ったのでした。
2017.02.28
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〇今更ながら冬の季語の句はおかしいのですが、ちょうど十年前の日記を繰っていたら、某句会で次のような句を詠んでいました。 春隣絵本のやうな家の建つ 殉教の巡査の笑みや春隣 待春の鏡台に増ゆ化粧品 三つ目の句は女性の春を待つ心境を化粧品に託して詠んだもので、名乗りを挙げると句会場の女性、男性双方からどよめきがありました。 当時の主宰は、雅号を使って詠む分には、男性が女性の身になって詠むのも一つの<文芸創作上の技>と仰って下さいました。 通勤車二月の顔をどつと呑む 二月の顔って? 私が思いますところ、一年間で一番つまらない、地味で面白くない月が二月なのかなって感じるのです。ですから早朝から満員電車に乗り込む通勤者の表情がどなたも、もう一つパッとしない雰囲気、加えて宮仕えの辛さを織り込んだ積りでした。
2017.02.27
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〇何事もすいすいとことが運ぶのは却って危険で、むしろ、一度や二度修正して、より良い高みへ行くが肝要。例えば舞踊は、静と動の組合せ。観客の頭脳に残る残像こそが、深い味わいを具現しているのやも知れません。 何事も間は妙(たえ)にして春の雷 こんな句を詠んだことがありますが、大相撲だってビデオ撮りしたものを、仕切り場面を飛ばして観戦すると興味は半減します。 五輪の放送でも結果だけを後から見るのと、解説者の意見を聴きながらリアルタイムで観るのとでは緊張の度合いから言っても大違いです。 江戸時代、庶民の楽しみの一つ芝居を例にとると、電気が無かった時代ですから、朝早くから興行が行われていました。 金比羅大芝居、通称「金丸座」と呼ばれる日本最古の芝居小屋で解るように、 日中は観客席の背にある窓を開け閉めすることによって舞台効果を出していたようです。 さて出し物の舞台と舞台の準備期間を幕間(まくあい)と言い、当時の休憩時間は随分アバウトであったようです。 このことについては、桂米朝師匠が「本能寺」の枕で話しておられました。
2017.02.26
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〇父は随分マメな人でした。四六時中頭脳を働かせているような人でした。日課の一つに新聞の切抜き保存がありました。現在私はボランテャア・ガイドをしていますが、この切抜きに助けられています。 昔は大学ノートにきちんと貼り付けていたのですが、何十年も続けていると場所を取るので、大きな封筒に入れて保存する略式になっていました。本当はシリーズ毎に袋詰めしてあるものが有難いのですが・・・・。 京都新聞や朝日新聞紙上でのシリーズものは後年、別途出版されているものが多いのですが、一流小説家の連載小説の切抜きは、後日出版された書物よりも価値あるものと言えないでもありません。 何故なら新聞紙上での連載なら挿絵は毎日変って掲載されていますが、書籍として出版されたものには挿絵は数える程しか付いていませんので、これら切抜きも捨て難い「父の形見」と言えましょう。
2017.02.25
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○五年前の日記を辿って、「あっ、そうか、この時に買った古書だったんだ」と懐かしむこと仕切り。日記によれば、<・・・寺町通りを下り、先ずは下御霊神社に立ち寄り、不遇なままお亡くなりなった御霊を慰めました。 御所の旧建礼門(ここには龍の彫刻)がここに移設されています。 続いて西国観音巡り第19番札所の革堂にも参りました。本堂の軒にはいろんな扁額が寄贈されて居て、その殆どが古びていました。 それからは古書店にて大阪・岡本偉業館蔵版の「俳諧 叢句名家集 全」という古書を200円で買い求めました。何せ明治32年の再版発行の代物。 正式には”俳諧 百哲 発句名家集”というもので、宗祇を筆頭に、宗長、山崎宗鑑、松永貞徳、 北村季吟、芭蕉翁、宝井其角、服部嵐雪、向井去来、各務支考、井原西鶴、千代女など著名な人物100人の略記や作品を掲載しています。> この古書が後年、結社の月間俳誌の紙面を飾る記事になるとは、購入時には思ってもいませんでした。
2017.02.24
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○上前淳一郎著「読むクスリ」の第4巻に、<困ったは金の卵>という題で、不便を感じた時の工夫が特許クラスのアイディアを生むと述べておられます。 列車1台遅刻したのがきっかけで安全カミソリを発明したジレット、万年筆のペン先に割れ目を入れたウォーターマン、十字溝のネジを考案したフィリップ。 碁が大好きな人が黒・白を表裏にした結果思いついたオセロゲーム、これをゲーム業者が5千万円で買ったとか。 釣り好きが夜釣りの浮子(うき)に鈴を付け且つそれを洗濯バサミに付けて取り外しを楽にしたものが7百万の価値に。 この本が出版されたのが凡そ30年前だから現状はどうだか知りませんが、洗濯機で糸くずを除く袋状の網いわゆるクリーニング・ボールを考えた主婦には、当時、1個につき4円10銭つまり毎月およそ2百万づつの収入が7年間続いていると記述されています。 雇用問題がクローズアップされている当世ですが、就職戦線で勝ち残るにも、或いは職場でかけがいの無い戦力と認められ雇用を護られるにも、 他の人に秀でる<何か>が必要とされますね。愛社精神を根底に秘め、創造力豊かな個性を持つ人物が有利なのではないでしょうか?
2017.02.23
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○歌人吉井勇の かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水の流るゝ の元の詠みは如何だったかな?と谷崎潤一郎の「京乃夢大阪の夢」(昭和25年4月1日、日本交通公社出版450円)を手元で繰りました。この歌の最初は かにかくに祇園は嬉し酔ひざめの 枕の下を水の流るヽ でした。 ところで、上記の本の「磯田多佳女のこと」という項は46頁も割いて居り、大山崎山荘を遺した加賀正太郎と漱石との出会いや、この日前後の漱石との心の食い違いや当時の作家との交流が詳しく書かれています。多佳女に続く最終項は昭和22年度の潤一郎の日記が掲載されています。その4月27日の辺りから再々登場されるのが奥村富久子さん。 奥村富久子さんは知る人ぞ知る観世音流能の一人者ですが、わが両親の新婚時代からの知人で、その繋がりで、法然院での能・地唄の発表会には私ら夫婦はお招き戴たし、お亡くなりになるまで年賀状を交わす間柄でした。 某年頂戴した年賀状にはハガキを横向きに、左にご子息南條長柾作の小面(花)の写真、右から左へと迎春の筆致も若々しく、「大福やえにし嬉しき歌の友」(富久女)の句が墨痕瑞々しく書かれてあります。 南條秀雄氏との共著「花乃むかし」(中央公論社)も戴いているし、某新聞社に投函された一文に見る、若き日のラブロマンスにある彼女の情熱の迸りを思うにつけても、青春を忘れない限り年齢を超えた万年青(オモト)で居られるものなンだと学ばせて戴きました。
2017.02.22
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○わが国に残っているキスの文献中、最も微笑ましいのは秀吉が愛妾淀君へ送った手紙かも知れません。 <20日ごろには必ず参り候て、若君(秀頼)を抱き申すべく候。その夜さ、そもじをそばへ寝させ申すべく候。せっかく御待ち候べく候。返す返すも御ゆかしく候まま、やがて参り候て、口を吸い申すべく候。> いかにも太閤秀吉らしい率直にして大らかな愛情表現ですね。時は巡って江戸時代には好色文学や遊女などが流行り、庶民の間にもキスが行き渡ったようで、<おさしみ><口吸い><くちくち>と呼ばれ、国貞や歌麿など浮世絵師の材料になりました。 有名な「春色梅ごよみ」にも、キスを求められた女性が、男を待たせ庭の白梅を口に含んでから応じたというシーンが描かれているそうな。 中国ではキスを「呂」という字で表わします。な~るほど♪
2017.02.21
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○岩上力著「京のあたりまえ」(光琳社出版)という京の良識、仕来り、作法の解説書があります。 112節ある項目の中で87番目に書かれているのが大安・仏滅などの縁起かつぎの話。 そう言えば、大阪から京の木綿問屋に嫁いできた母も、京の慣習に溶け込んだのか、割とゲン担ぎでした。 買ったものをおろす日は大安を選んでいましたし、皿や洗濯ものは北向きには絶対干しませんでした。 吉日を選ぶには六曜(六輝)と暦の中段、そして二十八宿の組合せの良いものを考えるとのこと。 六曜とは周知の大安、赤口、先勝、友引、先負、仏滅の6つ。必ずしも順番に繰り返しません。 中段とは、ひらく、とづ、たつ、のぞく、みつ、たいら、さだん、とる、やぶる、あやぶ、なる、おさん、の12で順送り。 二十八宿は角、亢、軫、房、心、尾、箕、斗、牛、女、虚、危、室、壁、奎、 婁、胃、昴、畢、觜、参、井、鬼、柳、星、張、翼、軫。 平凡な字、牛や女などあって不思議ですが、初めて見るような字もあります。どうやら星座のようです。 大安で、中段が<ひらく>で、<畢ヒツ>の日は、神仏祭祀、結納、結婚、屋根ふき、棟上、取引開始に最良の日だとか?
2017.02.20
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○物置から1冊の美術書を出してきました。 1973年の3月下旬から4月中旬まで京都国立近代美術館で開かれた「シカゴ美術館浮世絵名品展」の記念誌で、ご丁寧に当時の入場券の半切れも挟んでありました。 浮世絵師の殆どを網羅した199点もの作品が展示され、その全てを掲載しています。かつて、「日本歴史ミステリー」という番組では高島礼子さんの案内によって、「おんな北斎 天才の陰に隠された娘の感動記」と銘打って、北斎の娘、お栄(号:応為)の作品も紹介していました。北斎ひとりでは到底こなされない作品群には、娘のサポートがあったのだはないかと推測されることで、ぼかしの技法や花模様などは彼女の方が父より優れていた節もあります。 陰翳の画家レンブラントと共通する明暗の技法を用いたお栄の作品なども紹介していました。 ニューヨーク・メトロポリタン美術館にあるモネーの「サンタドレスのテラス(海辺のテラス)」という作品は、 葛飾北斎の「五百らかん寺さヾゐ堂」という版画の構図をそっくり真似ていることが二つの作品を見比べることによって納得できました。 北斎の作品を沢山収集したモネ。浮世絵が多く海外に流出した一因として、浮世絵の一部は、日本の陶器を買い入れた時の包装紙に使われもしていたということです。
2017.02.19
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○短命ながら珠玉の文章を残した天才小説家、樋口一葉。そのイメージを覆すような話ですが、樋口一葉はヘビースモーカーだったようで、 その出所は掌に乗るほど小さな冊子(旧日本専売公社)から拾った情報です。 一葉は小説を書く時は必ずタバコを手元に置き、朱らおのキセルで一服吸いつけてはペンを走らせ、行き詰ると亦一服。 その証拠に一葉の作品には、たばこの場面がよく出て来るのです。 高級官吏に見染められて貧家から嫁に来たものの、周囲の冷たい眼に、身の置き所のない若妻の嘆きを描いた「十三夜」には、 <煙にまぎらすたばこ二、三服から咳こんこんとして、涙をじゅばんの袖に隠しぬ>という女将の表現。「にごりえ」ではお力という女性に触れて、 <胸くつろげてたばこすぱすぱ、立ちひざの無作法さもとがめる人のなきこそよけれ>と綴っています。登場人物の性格をたばこを吸うしぐさひとつで、見事に描写されているのは、彼女が愛煙家だったからこそと言えるでしょう。 余談ながらたばこポスター百年史によれば、昭和30年代は有馬稲子、 33年:司葉子、34年:池内淳子、39年:佐久間良子、40年代には浅丘ルリ子、 池内淳子、浜美枝、大空真弓、江波杏子など懐かしい女優さんがずらり。
2017.02.18
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○藤原定家の「明月記」に触れる前に、日本三大随筆と称されるのは「枕草子」「方丈記」「徒然草」ですが、その時代性を考えてみるのも面白いものです。 先ず清少納言の「枕草子」は、彼女が仕えた一条天皇の中宮定子の時代を拾っていますが、当時の歴史を探ると、 藤原道長が右大臣から左大臣に昇進する頃で、西暦千年には定子が皇后へ、ライバル紫式部の仕えた彰子が中宮になっています。 鴨長明は漢文と仮名混じりの文に無常観を漂わせています。安元三(一一七七)年の火災、三年後の竜巻、その翌年から続いた大飢饉、一一八五年の地震など。 定家よりずっと時代の下る一三三〇年代建武中興の波乱に満ちた時代を綴ったのが吉田兼好の「徒然草」。国語の教科書にも引用されますね。 明月記の原本を手にしていませんので詳しくは述べられませんが、後鳥羽院に仕える定家は出世が遅く、五十歳を越えて漸く重臣の仲間入りを果たします。 その間、彼は非常に忙しい生活をしていました。貴族としてのお付き合いに日々を費やしていたようです。 日記には不満をくどくど書いているようですが、当時のファッション、つまりどのような服装で出かけたとか、後鳥羽院の派手な振る舞いなども記述しています。
2017.02.17
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○某日の夢の中の私は噺家であったようで、大きなホールの舞台中央に並びながら、先ずは後輩がアドリブを効かせたショートで会場を笑わせ、目の合図では私の順でしたが、良い話が浮かばず逃げの合図を返しました。 で、気を利かせた別の若手が、また短い噺で会場の空気を温めなおし、いよいよ先輩の私の番です。大きな身振りで会場を鎮め、シ~ンとさせました。 夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か この歌を裏声の、しかもソプラノと同じような発声の仕方で朗々と謡い上げました。しばらく会場は鎮まりかえった侭でしたが、誰かの一つ目の拍手につられ、そこかしこから拍手が沸きあがりました。ウォ~という声の大反響の中、目を覚ませたわけであります。 某行の市岡支店に配属されていた頃、何かの機会にファルセットが出来ることに気がつきました。そして銀行人事部主催の「関西各ブロック対抗歌合戦」でも、所属ブロック選手の一人として「夕焼け」をソロしました。その日の体験が夢に出たのでしょう。実は下なる「外交員哀歌」 朝も早から起こされて、女房子供に送られて バスに地下鉄乗り継いで やっと着いたよ 梅田駅 ・・・・ 乗った電車は満員で 坐りたい気持ちを我慢して 日本経済夢心地 弁天町の駅に着きました といった具合のギター伴奏つきのオリジナル「外交ソング」の中に 夕暮れの中、ノルマ達成の重圧に苦しむ一外交員の胸中を表わすシーンとして、この「夕焼け」のオペラっぽいソロを入れたのでした。 私の場合、度々見る夢の中で、歌って聴かせている場面がちょくちょくあります。その出来映えも鮮明に覚えているのですが、不思議なことですね。
2017.02.16
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○お陰様で忙しくしております。こういう時には手間のかからない、便利なビックリハウス版「大語海」。 大額受賢=おでこの広い人は頭がいいということ。 大婚約者=(40年前の本書を考慮に入れて)三浦友和。 断舌感=舌切すずめの気持ち。 単泊室=ビジネスホテル。 惰足=車ばかり利用して足を使わない人。 誕生火=マッチ、ライターのたぐい。 多空くじ=当りの少ないクジ。 淡水化物=ネッシー、クッシー、イッシー等。 断女交際=いわゆるホモ。 ダイアモンド=大きなアーモンド。 高飛車=タカビシャでなく、高跳びする為の犯罪者逃亡 用の車。 あぁ、もう出かける時間です。
2017.02.15
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○毎日のように新聞紙上やニュース番組で報じられる痛ましい犯罪事件。人間には性善説に基ずく善玉と性悪説に由来する悪玉とが共存していて、交感神経・副交感神経にの様に平等には作用しないで、善玉が優勢を保っているから、平和が保たれているのかも知れません。 昔、西村寿行さんの「血(ルジラ)の翳り」という小説を読みました。犯罪者は先祖からの血筋から免れないという筋道を立てた独善的な強権者グループが、血の翳り血筋の対象者たちを、犯罪を犯す前に、順次誅殺していくドラマ。 毎日のように生じる痛ましい犯罪事件・・・。 「わたし達は犯罪など犯さない家系であり、それを護るのだ」という良い意味のプライドを親が終始子供に言い聞かせて置けば、 犯罪を起す前に、自分の家族、親戚、一族郎党に思いを馳せ、その家訓を呼び戻せば、哀しい犯罪など起こらない筈なのですが・・・。
2017.02.14
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○今からちょうど10年前のブログには<父さん、今日は貴方の愛して止まなかった句派の総会の日でした。昨年(’06)の同時期に同人に推挙して戴き、句誌六月号で会員に発表され、本日の総会にて先輩諸兄の前でお披露目して戴きました。 もう一つ報告があります。確か~父さんも戦前に句誌の編集に携わってられたと思うのですが、本日、総会の席で主宰から常任委員編集担当者に推挙され、親しいM・K氏と一緒に句誌の編集を担当することになりました。 句派の発展と編纂には野風呂翁を初め多くの先輩方の献身的な下支えが累々と受け継がれ、本年度末、いよいよ千号という記念すべき節目を迎えるのですが、そういう大切な時に編集の仕事をさせて戴くことに、緊張と重責を感じずには居られません。 過去の流れを踏まえ乍らも新たな試みにも挑戦し、次世代の担当者へ立派にバトン・タッチできるよう頑張って参る所存です。我が句派の健全な発展を通じて日本の俳句界にも寄与して参りたいと思っています。> この綴りから10年後の昨日の総会にて従来の編集長プラス当俳句結社(一般社団法人)の理事にも加えて戴きました。会員の皆様の声を吸収して、俳句結社進展の一助となるよう努め、オリンピックの年の創刊百周年を成功させたいと思っています。
2017.02.13
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〇JR湖西線の堅田駅から徒歩20分、タクシーなら3分の湖岸に葭葺の入母屋があります。 天台宗の学僧だった六如上人(慈周)が寛政11年(1799)に建立したとされています。 その名も「天然図画亭テンネンヅエテイ」。庭園はそれより118年前に、千利休の孫:宗旦の四天王の一人である 藤村庸軒(淀看の席で有名)とその弟子北村幽安との合作で、湖水に面し、 湖東の遠連山を借景にした枯山水庭。宝塔の塔身から作った袈裟形手水鉢や厠が古風で趣があります。 秀吉公の御座船にヒントを得た板蔀(イタジトミ)の仕掛けの縁側、 障子の腰板には海北友松の描いた花鳥画、下地窓のある床の間にはこの季にあった梅の掛け軸。 6畳の間には古色豊かな行灯や大奥の奥女中が手に持つ燭台も時代じみて居、各部屋は全て明るい聚楽壁。 襖の取っ手も葉脈を浮かす紅葉形など様々。探幽の弟子探山の椿雀の図など季節の掛け軸。 資料室には元亀年代(1570~73)の朝倉氏や淺井氏の禁制(古文書)はもとより、 千利休直筆の掛け軸、湖水渡りの勇将:明智左馬之助の古文書など、名品が数知れません。 伊勢平氏の流れをくむ現在の当主は29代目でとっても親切に応対して下さいました。 鎌倉、室町時代から強力な水軍を擁した居初家は中世堅田の三豪族の一つ。 総見記(信長公記と並ぶ古書)には、淺井、朝倉連合軍と信長との戦では居初家らが信長側について参戦したことも記録されている由。 風光良し、庭良し、建物良し、宝物多しの4拍子揃った見所のある指定文化財のお宅です。
2017.02.12
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〇図書館で見つけた「京の夢物語」岡本小夜子著は読み易い京都の案内書。彼女は京生まれの京育ちですから、彼女自身が京の匂い、京の風を持って居られます。この本は、京のお寺めぐり、京の遊び心、京のおいしい話、京の夢暮らしなどに分けて書いて居られます。 単なる観光案内所ではなく、彼女の気持ち、その日の風の匂い、光の濃淡など・・・。文章に触れていると、小夜子さんと肩を並べて歩いているような・・・。知識そのものを流すのでなく、歴史に刻まれた風土を紹介しているような・・・。 ボランティア・ガイドとして、富山の薬箱のように、ちょっとした豆知識をいっぱい吸収し、お客様の脳裡に残るような、快いガイド術を磨いて参りたいなと思っています。
2017.02.11
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〇最近は少し元に戻りつつありますが、テレビの番組欄には、表題の長いドラマが掲載された時期がありました。 何だか、その表題だけでドラマの内容が概ね推し測れそうにも思われたものでした。 日本放送出版協会の「ホントにホント?」を繰っていると、「長い長い小説の題名は?」があって、 <落語の「寿限無」ではありませんが、日ごろ何気なく口にしている物の名まえでも、正式の名まえを調べるてみると、 とても長くて驚くことがあります。実は皆さんおなじみの外国の小説にも、正式の題名がたいへん長いものがあります。次のa~dのどの話でしょうか> a)ロビンソン・クルーソー b)若草物語 c)ベニスの商人 d)レ・ミゼラブル 正解はロビンソン・クルーソー。原題を日本語に訳せば、 「難船してただ一人助かり、アメリカ海岸オリノコ大河の河口に近い無人島に、28年間全く孤独で生活したヨーク生れの船員ロビンソン・クルーソーの生涯と驚嘆すべき冒険」 ねっ! ある程度どんな書物、物語か推測がつきますね。鮮明な印象を与えるのが小人と人間との関りです。 わたし達が庭で歩いたり、道端を歩いている時、小さな生き物はどんなに驚いていることでしょう。 大人の目線と高さの違う幼い子、知識に大きな違いのある子達の立場を、余裕を持って理解して置きたいものですね。
2017.02.10
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〇今から十数年前、父の遺品を整理していたら、桐箱に納められた立派な色見本帖が見つかりました。B4版ぐらいの大きさで、厚みは15センチ程度。 各頁の真中に5×8センチ程度の布製の色見本が嵌めこれていて、従って、この本はかなりの重量。長姉が欲しいと言いましたので、それ以降、姉の手元に。 和の色見本での種類は全部で82種類もあって、色の呼び名の風流なこと。 (1)蘇芳(そおう) (2)紅梅(こうばい) (3)韓紅花(からくれない) (4)桃花(もも) (5)桜(さくら) (6)肉(にく) (7)赤蘇生(あかそおう) (8)銀珠(ぎんしゅ) (9)猩々緋(しょうじょうひ) (10)紅緋(べにひ) (11)黄丹(おうたん)(12)真緋(まひ) (13)ソヒ(そひ) (14)柿(かき) (15)深支子(こきくちなし) (16)柑子(こうじ) (17)朽葉(くちは) (18)赤白橡(あかしろつるばみ) (19)小豆(あずき) (20)蒲萄茶(えびちゃ) (21)真朱(しんしゅ) (22)檜皮(ひはだ) (23)ベンガラ (24)代シャ(たいしゃ) かように、赤系統だけで24種類の分類、しかも読みにくい漢字が使われています。
2017.02.09
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○全国都道府県対抗女子駅伝のあった、先月15日、娘の結婚式でしたので、新居の設えなども含め、多忙を極めました。 婿どのと一献交はす屠蘇銀盃 紅白の初荷は婚荷匂ひ発つ 初美空メタセコイアの遠近図 初詣駐車ナンバー聴牌す 初東風や勇姿更なる野風呂松◎若菜野や早朝(つとめて)美(は)しき天王山 地響きの鋲打太鼓初閻魔 身の内の油脂事足りて寒の入り 極寒や獄中志士の篤き胸 初場所や綺麗どころの桟敷席 大寒や捨て鉢といふ毀れもの 臆面もなく老僧の牡丹鍋 式内社神意あらたか寒の水 天皇(すめらぎ)の御胞塚(えなづか)や春隣
2017.02.08
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〇大山崎山荘で展示されている美術品の中の一つバーナード・リーチに関する新聞特集があります。これは父が遺した新聞の切抜き(1980年4月5日、池田弘編集委員)を参考に一部書いてみます。 自らを東洋・西洋間の使者と称して十三回も来日し、東洋と西洋文化の相互作用の中に人間の在り方を模索、機械文明の果てしなき発展の落胤として枯渇してゆく人間の精神の潤いへの果敢な闘いを陶芸から伝えた人でした。香港で生まれ京都や彦根で幼年期を過した彼は、小泉八雲の著作に感化され再び来日し、英国で学んだエッチングの技術を教えている時、志賀直哉・武者小路実篤・柳宗悦・岸田劉生などの白樺派とねんごろになりました。そんな或る日、招かれた茶会で楽焼の絵付けを経験したことから焼き物への興味が湧き、日本人に溶け込んで日本人が本来欲している素朴な民芸の良さを彼の作品を通して伝えました。11年間日本に在住したリーチは大正9年、浜田庄司を伴って英国へ帰り、漁村セント・アイブスにヨーロッパ初めての登り窯を築きました。「人間の魂の宿るやきもの」を鼓舞した彼の著書は世界中で愛読され、欧米随一の陶芸作家として敬愛されるに至りました。英国王室はサーの称号に類するC・Hを彼に贈り、またエリザベス女王は訪日に際して彼のエッチング「手賀沼」を皇后への土産ものに携えられたようです。92歳の生涯を民芸的立場で東西文化の融合に寄与した彼の功績を称え、死後の翌年に日本で大々的な展示会が催されました。 このように日刊紙の特集は精度の高い記事が満載されていて、このHPやガイドに役立つことが多いので有難いなと亡父に感謝しています。
2017.02.07
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〇大山崎町には、選挙の都度持ち出される天下分け目の天王山を初め、千利久に因む国宝の「待庵」、重要文化財の多い「宝積寺」、秘仏の「山崎聖天」のほか、 風光明媚で、人気のある「アサヒビール大山崎山荘字術館」もあります。加賀正太郎の手に成る瀟洒な英国調の建物には、河井寛次郎を筆頭に民芸作家たちの陶器、 そして安藤忠男が建てた「地中の宝石箱」と言う名の美術館には、このモネを中心に印象派作家の作品が展示されています。 小学館の「西洋絵画の巨匠」シリーズの「モネ」なる本は、僅か580円ながら印象派というネーミングになったモネの作品、「印象 日の出」を初め、愛妻カミーユをモデルにした作品や時間の経過を表わす連作一連の睡蓮の画も。 陽だまりの中、裏地が緑の洋傘を持ったロングドレスのカミーユ像。あまり見たことのない少年時代の鉛筆戯画や浮世絵に心酔した彼の作品なども掲載されています。
2017.02.06
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〇住宅ブームの魁sakigakeに、阪急電車不動産部から父が購入したこの家屋、庭。南に向かって東南の場所には正月の飾り鉢から地植えした梅が立派な古木の風情をかもし出しています。梅の蕾は不思議!枝の股の生え際や枝そのものにも蕾をつけています。 勿論、梅は匂いのする植物ですが、古えの人は、色が移ろうさまを「にほふ」と表現しています。染まるの意味もありますし、美しく映える、輝くの意味もあります。 現代の世相は、由緒ある日本語をどんどん潰して行っています。古来の人が培って来た奥床しい文化そのものを遠慮会釈も無しに壊しています。 日本語や中国語は、世界では最も語彙の多い、また表現方法に微妙なニュアンスのある知的な民族の語であります。 日本語が面白いゆえに、英米語独特の表現方法にも興味が尽きません。日本語や日本文化の崇高な領域をどうかメディアの世界や若者たちよ、壊さないでおくれ。 大昔に詠んだ拙い句ですが、 梅匂ふ山と谺kodamaを分ち合ふ 天神の梅通り抜け母の許 天満宮の梅林はかなり遅れて咲きますが、八条池堤の梅は満開、芳香を放っています。
2017.02.05
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〇随分むかしに、下記のような詩を詠んでいたのでした。 背中をごり押す 雪の風 風 風 瞼を襲う 雪の結晶 結晶 結晶 頬打つ 雪の礫 礫 礫 一瞬にして変わる 雪嵐 嵐 嵐 背を丸め 身を縮め 道行く人は 皆 無言・・・ 舗装路を転がり 舞い上がる 一陣の粉雪 遠景の山を閉ざす 灰色の緞帳 行く手を阻んでいた 白い 魔女 それも幻覚のように 消え失せて やがて 街は平静を取り戻す 不安を除いてくれたものは いつもの 穏やかな 日輪 そうだ あの柔和な 太陽に わたしも 安らぎの 太陽になろう
2017.02.04
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〇10年ほど前、NHKで、ヘレン・ケラーの日本版のような偉人を紹介していました。ダンス・インストラクター、大橋弘枝さんがその人で、多くの仲間とにこやかに笑顔を振り撒きながら、リズミカルに踊っていらっしゃる彼女が映っていました。 アナウンサーの「彼女は耳がきこえませんが」・・・という説明を聞いた瞬間、信じられず愕然としました。幼い時に歌舞伎や宝塚歌劇を見慣れて来た私の目に、通常人と何ら変わらない見事なダンス・・・。 彼女の耳が聞えないのだということが解ったのは2歳の時だったようで、爾来母親が厳しく彼女を訓練し、振動で音を感じるように、また相手の唇の動きで話が解る能力(読唇術)を身につけられたようでした。 大橋さんの話ぶりは通常の人と全く同じなので、彼女にそのようなハンディがあるなどとは誰にも解らないと思いました。彼女は自分の企画する舞踊会の舞台に乗せる仲間50名をオーディションで採用しました。 そのメンバーには、やはり難聴の人々も、そしてプロのダンサーも含まれていました。「私のように、耳にハンディを持って生まれて来た人々にも、ダンスの楽しさを伝えたくって・・・」と大橋さんは明るい表情と輝く瞳からオーラーを発しながら語って居られました。
2017.02.03
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○全国都道府県対抗女子駅伝のあった、先月15日、娘の結婚式でしたので、新居の設えなども含め、多忙を極めました。 婿どのと一献交はす屠蘇銀盃 紅白の初荷は婚荷匂ひ発つ 初御空メタセコイアの遠近図 琵琶湖海津大崎の奥、「冬のソナタ」さながらの日本版景色です。 初詣駐車ナンバー聴牌す テンパイとは麻雀であと一つ入れば上がれる状態のことです。 初東風や勇姿更なる野風呂松◎若菜野や早朝(つとめて)美(は)しき天王山 七草など、春の菜を摘むことのできる野原を若菜野と言います。 地響きの鋲打太鼓初閻魔 身の内の油脂事足りて寒の入り 正月のご馳走で太ったものを脂肪分と表現すると生生しいので。 極寒や獄中志士の篤き胸 初場所や綺麗どころの桟敷席 大寒や捨て鉢といふ毀れもの 臆面もなく老僧の牡丹鍋 式内社神意あらたか寒の水 天皇(すめらぎ)の御胞塚(えなづか)や春隣 京都市内荒神口を西折れしたお寺に祀ってあります。
2017.02.02
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〇わが心の師・鈴鹿野風呂翁の「野風呂序文集」は京鹿子五十周年記念に上梓されたものですが、その中に亡父の「春燈」に添えて戴いた序文があります。 亡父が句集として公にしたものはこの「春燈」一冊ですが、七十才の折、ワープロを購入、いろんな絵模様の中に句を入れた自作の句集は四集ほど作り、俳句を愛する後輩の人々に配っていました。 話が逸れましたが、「春燈」の序文の中に京都を愛した父の一面を捉えて戴いたた野風呂翁の一部分を参考までにご披露しましょう。 <・・・すばる兄みたいに(最初の)来訪記念日をよつく覚え、而も年々歳々欠かさずに親しくとひ、遠くにあつても消息を怠らぬあたゝかい心の持主は稀である。すばる兄は私と同じく純粋の京都つ子である。而も兄は中京の鉾町生れである。 京都人と云へばどこかヾ冷かなところがあるとやゝもすれば噂せらるゝ、けれどもすばる兄の如くあたゝかく正しき好漢も居る。 昨年祇園会の一つの鉾が損傷した。復旧に骨が折れる。 この記事のある京の新聞(佐賀に居る間、父は叔母を介してして郵送して貰っていました)佐賀で読んだ兄は金若干をイの一番に喜捨した。やがてこの事が京の新聞、ラジオが報じた。 あたかも私がスイツチをひねると電波にのつて胸に迫るではないか。放送の終りも敢へず筆をとつて知らせた。之によりその鉾町の人々乃至京の人等を刺激し、立派に復興した。> 父の句はこの日記において幾つか紹介していますが、序文にあった鉾に関する秘話は今日まで知りませんでしたが、京を、郷土を愛した父の一面を紹介できると思い、ここに記しました。
2017.02.01
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