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〇先日、物置から抜き出した書物の中の一冊。それは水野白川(本名武、貴族名忠武)男爵の「丹鶴集」という句集。呈吉田すばる兄 著者のサインと次頁には、 美よし野の花を真下の山仕事 白川の真筆入り。14頁を割いて髙濱虚子の序文、同じく野風呂先師の序文には白川荘の俳部屋日誌のことが述べてあり、野風呂師と共に俳誌「京鹿子」を起ち上げた日野草城の序文等が添えてあります。序文に入る前のページには、土田麦僊の高貴な絵が3枚添えてあります。昭和9年11月15日の発行・非売品。京鹿子叢書の第11編にあたり、父の「春燈」は22番目の発刊です。なお、父は白川さんからいろんなものを頂戴しており、立派な短冊帖や短冊30余、軸、葉書60余が残っています。白川ご逝去の葉書もあれば、法要を兼ねた句会案内の真佐子夫人の葉書もあります。
2017.03.31
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〇三十数年前に隣町に家を購入したのは、素朴な田舎っぽい子供に育てたかったことの他に、桜の綺麗な街であったことも魅力の一つでした。それより更に遡ること二十数年前、長岡から京都市内の予備校に通った折、阪急電鉄の車窓から見える桜に埋もれた街。 歌舞伎に「義経千本桜」という出し物がありますが、その舞台の華やかさ、そっくりの街が見えて居ました。 その桜並木も二十年ほど前に植え替えられたものが半数以上で、大木の桜トンネルは暫く叶わぬ夢ですが、桜並木の数は同じですから、染井吉野の街と呼んでも憚りは無いでしょう。 或るお宅の門前には、今を盛りの辛夷。目より下から空に向かうクリーム色がかった純白の円錐。それはまるで、白無垢をかぶった花嫁が腰掛けているような・・・。 桜の大木は一年ぶりのファッション・ショーに自ら酔い痴れるかのように、日ごとに満開への変貌姿を見せてくれます。嬉しいことに、枝花では無く、目に触れんばかりの幹そのものに直接花を咲かせているものもあります。 美術館に展示される巨匠の名画を見なくても、軽装の散歩の道すがらに出会う日本画の世界。桜の幹に寄り添って天を仰いだり、薄ピンク色の花の傘下に心を解していると桜に抱かれているような気持ちになります。梅の花は武家の妻のような凛とした雰囲気。桜の花は、何か甘えたくなるような優しさに包まれますね。
2017.03.30
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○随分むかし、朝日新聞日曜版に掲載された高橋治さんの玉章は<>内です。 < 馬酔木咲く万葉仮名の道標 樽矢美緒 示す先は京か奈良か。かまくらみちと刻まれた石は関東にも多い。 とはいえ西の人たちの方が昔からこの花に愛着を持つせいか、畿内の光景を思いうかべる。> 夢声映画時代からの大スター丹下左膳などで一時代を築いた大河内伝次郎。 彼が嵯峨野に造った大河内山荘、それはこの名優の夢の実現でした。 <山ひとつに私財を投入、思うように作った庭を歩く時、至福の表情だったとは夫人の言。桜も悪くないがこの庭の主役は無数に植えられた馬酔木。 花だけでなく若葉も見事である。 僧兵の拠りし石垣花あしび 蛭子幸二 墨を買ふ馬酔木の花の麓かな 新藤一考 墨は奈良。やはり西の花だが東の句も一句。 花あせび雨となりたる天城越 正田栄太郎> 京都駅近くの水族館が鉄道記念館と呼応して盛況のようですが、あの公園にこんもり茂った森があります。そこの馬酔木に目が捉われれてしまいます。 また父生前中のわが家の西側の庭には、馬酔木の花が列を組んで鈴を鳴らせていました。前主宰にとって貰った句。 鼓笛隊列組んでゐる花馬酔木 星子
2017.03.29
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ツバキ(椿) ○椿はツバキ科の常緑高木で、古事記では「都婆岐」、日本書記に「海石榴」、万葉集に至って初めて椿という漢字で表わされています。中国で椿の字をあてるのは、別種の栴檀科の高木である「ちゃんちん」という木を指し、山茶と書くのが椿を指すようです。 つばきという名の起源は、艶のある葉から艶葉木、葉がぶ厚いから厚葉木、冬でも丈夫だから強葉木、刀の鍔から鍔葉木、朝鮮の「冬柏(つくばく)」からなど、いろんな説があります。 素朴な味わいの藪椿から外国で品種改良されたものまで1万種以上あって、冬場の殺風景な無聊を慰めてくれる花でもあります。大山崎では宝積寺、観音寺、円明教寺などで見られます。因みにわが家には50種程の椿が、いよいよ庭の四方、八方で咲き誇る季節になりました。
2017.03.28
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○ここ数年の間に京の町には百年ほど昔の町家をリフォームした建物の中で、京料理や多国籍料理を営む店が急増しています。時には、外国人の料理人が和風会席を作っている店も。 以前、この日記にも綴りましたが、京都新聞社編「京都・町並散歩」という河出文庫本があります。 同社にお勤めの、京都市北区生まれの杉田博明さんの文と、同僚で左京区生れの横山和雄さんのお写真。 目次に書かれた名称を挙げるだけで、あぁ京都だなぁという思いに捉われます。 桟瓦屋根、張り出し、鍾馗(ショウキ)さん、切子格子、犬矢来、卯建、むくり屋根、 虫籠窓、ばったり床几、鳥居、駒寄せ、麻暖簾、卍崩し格子、明り窓、お地蔵さん、土蔵、 牛繋ぎ、煙出し、かしき造り、聚楽壁、なまこ壁、漆喰壁、鬼瓦、通り庭、紅殻格子、平格子、 一方モダンな明治のかたちには、 三角破風、ステンドグラス、透かし彫り、ドーム、アーチ橋、時計台、レンガ壁、ランタンなど。京都っていいなぁ~。
2017.03.27
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○桂米朝師匠の落語にはお囃子ものが多かったのですが、その中には端唄で使う伴奏も多々あります。歌舞伎の長唄の旋律にも同じ部分があって、死ぬまでに三味線や端唄など学びたいなとも思っています。 <松づくし> 2上り うたい囃せや大黒一本目には池の松 二本目には庭の松三本目には下り松 四本目には志賀の松五本目には五葉の松 六つ昔は高砂の尾上の松や曽根の松 七本目には姫小松八本目には浜の松 九つ小松を植え並べ十で豊受の伊勢の松 この松は芙蓉の松にて情け有馬の松ケ枝に 口説けばなびく相生の松またいついつの 約束に日を松 時松 暮を松 連理の松に 契りをこめて福大黒を見さいな(演奏3分半)古風な世界と考えていた小唄、端唄、長唄の世界。しかし、これらにも実は転調や複雑なリズムが使用されているのです。日本民族は早いテンポに弱いのかなと思っていましたが、何のなんの、邦楽の世界には歯切れの良い、テンポの良いものが沢山あります。 静と動、遅速とup tempoいろいろ変化をつけながら面白可笑しく作曲してあります。松づくしの歌詞では掛詞などがふんだんに使われています。
2017.03.26
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○俳句でお世話になった方の「木魚閑話」を広げていると面白い話が載せてありました。「菩薩道その4 平等」というくだりです。 <京都の神泉苑近くに見るからに死期の近い老女を哀れと思われた空也上人は、朝夕となく見舞いに訪れ、女になまぐさ物まで与えていた。 やがて老女が元気を取り戻し空也上人と褥を一緒にしたいとまで言い出しました。空也上人は熟考の上、応じても良いような素振りをなさったそうな。 すると老女は「吾は神泉苑に棲む老狐なり。上人こそ真実の聖なり」と言い残し消え失せた。これは文殊菩薩が狐に姿を変え、空也上人の人柄を試されたとも言い伝えられています。> <>で囲んだ部分は俳人・無量子さんの文章を要約したものです。法事に直面する都度、読経されるお坊様のお人柄を推し測るのですが、修行を積みながらも凡人にも解るような教えを語って戴ける人間臭いお坊様に敬意を覚えますね。
2017.03.25
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○QC運動の権威者・藤田董さんが某塗料関係の商社の受付嬢のお辞儀がお座なりでなく、丁寧で、心がこもっていて感じが良いと思われたので、会社側に特別な教育を実施されたのか問われたそうです。ところが、それは受付嬢たちが自主的に研究して結論を出した方法だという話でした。 彼女らはストップウォッチ片手にいろんな会社の受付を覗きに行き、立ち上がって、いらっしゃいませと言うタイミングやお辞儀の角度、言葉遣いを調査したとの事。 ストップウォッチを用いる事によって数値的に記録され、平均値は2秒、しかし感じの良い会社のそれは3秒。<彼女たちはこれまでの2秒半から30秒足し、 立って、いらっしゃいませと言ったあと、頭を下げ、1、2、3と数えてから頭を上げるようにした。>ただ、それだけで、心がこもっている、と感じさせるようになったと言う話です。 この大発見は、経営者や部課長など上からでは思いつかない、ストップウォッチで測って一番良いお辞儀の仕方を知ると言う発想に成功が潜んでいた事になりますね。(参考文献・「読むクスリ」上前淳一郎著)
2017.03.24
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○「不許葷酒入山門」という碑は寺門で良く目にしますが、ニンニク類は別として、この酒も般若湯とすれば、仏様もおおめに見て下さるとか。で、般若湯の由来は・・・・・・。イ)酒も飲み過ぎると、女の嫉妬の形相の様に、恐ろしい本性が出るから、持ち込むなとの意。ロ)般という字に手偏をつければ「搬」になり、若さを運ぶという意味。ハ)むかし、奈良の般若寺の近辺には造り酒屋や沢山あったので、僧侶が再々般若寺に出入りしていたから、酒を般若湯と呼んだ。二)いいえ、般若は梵語のプラジュニャーを訳した語で悟りを得る知恵の意味。だから坊主どもが「飲めば知恵の泉湧く」と都合の良い呼称を使ったとされます。ほかに僧侶の隠語には、「巻紙」=鰹節。磨る(使う)と減っていくから「踊り子」=泥鰌つまりどじょう「天蓋」=蛸。これは形が似ているから「御所車」=卵のことで、中に黄身(君)が入っているねっ、坊さんたちにも賢い人が多かったようです。
2017.03.23
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○上から読んでも下から読んでも同じ、でお馴染みの回文、 その全国から寄せられたものの秀作をご披露致します。 この遺骨は初恋の娘(コ) 酒飲みし 坊さん散歩 染みの袈裟。 〇参観日、母は敏感さ。 新幹線沿線監視 数字ばかり並べた、こんな変りダネがあります ◎14×23×64×82=28×46×32×41 計算して確かめたところ左右とも、168,9856でした。 静かな涙は流す誌。 詩歌(しか)を問いかけ祈る春の池か、いとをかし。 〇自治体治めたがだめさ。老いた知事。 〇人選は二番煎じ。 しろようかん買うよろし。 住まいはほんと片田舎だがしかたない。だがトンボはいます。 ◎スェーデン、タイ、パラオ、ベトナム、ロス、 オランダ、フィジィ、ブータン、ラオス、 ローム等へおらは行ったんでぇす。 ここまで来ると、ほとほと感心しますね。
2017.03.22
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○角川mini文庫の「まちがい言葉」から少し拝借。文章は変えています。 夏目漱石の草枕の有名な書き出し<智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角この世は住みにくい。> 実に流麗な名文ですね。 さて、「情に掉させば」を流れに逆らってと捉え、情に流されないように抵抗しても結局は流されてしまうと解釈しがちですが、そうではなくて、 「棹さす」は時流にうまく乗るというのが本当の意味であって、逆らうということではありません。 もう1つは「夫唱婦随」。夫がリードして妻がそれに従うとなっていますが、多くの夫婦を見れば、 日本では必ずしもそうではなくて、「婦唱夫随」と表した方が的を得て居そうです。 だからと言って、文章の表記として「婦唱夫随」が正しいという世の中になるには、もう半世紀ほどかかりそうですね。
2017.03.21
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○先月来今月2日の講演を含めて多忙でしたので、永らく図書館には行けていませんでした。漸く借りた本は、1)「京都の凸凹を歩く」梅林秀行著(青幻舎) 昨夜ちょっと拾い読みしましたが、観光地にみるデコボコのある場所は、現在と異なる明治・江戸時代以前の名残ということで、大変興味深い本です。2)「昭和の京都」浅野喜市(写)泰弘著(光村推古書 院) 著者の亡父が生前、30年代を中心に撮られた写真集。年老いた所為か、やはり良き時代を感じてしまいます。3)「おんなの史跡を歩く」京都新聞社編 額田王、橋姫、小町、大弐三位、横笛、桂昌院など70数名の女性にゆかりのある場所を紹介しています。4)「神々の匠」林恭子・深萱真穂共著(京都新聞社) 京都新聞文化科学部編集委員の林さんと同社会部記者の深萱さん、それぞれが「和風総本家」のように、京の匠の技を紹介しています。5)「巨大地震の予知と防災」京都大学防災研究所編 (創元社) テレビ番組では幾度となく、これから起こり得る地震について報道しています。拾い読みでも良いから・・・。
2017.03.20
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〇<比叡山の名物、緑の渓間をささやきかわすうぐいすの声が近ごろめっきり悪くなり、 その上他の小鳥類までがだんだん山の奥へ逃げてしまい、小鳥の博物館といわれるこの山の特徴が全く失われるというので、京都府の天然記念物調査官である大学教授、京都市動物園長、川村多実二氏などがその原因をよりより研究した結果、 それは、山頂の売店で盛んに売っている人工うぐいす笛の音に本物のうぐいすが真似て悪くなり、かつ他の小鳥も笛の音に驚いて山奥に逃げ込むものとわかったので、 川村氏から京都府社寺課にあてうぐいす笛禁止方を願い出、社寺課では叡山の鳥類は天然記念物に指定されている関係から大いに驚き、ただちに滋賀県と相談し、 「うぐいす笛を売るのはよいが、吹くことは一切禁止する」との制札を近く山の各所に建てることになった。>昭和9(1934)年6月18日付 大阪毎日新聞より。
2017.03.19
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〇滋賀の坂本にある西教寺辺りは信長の比叡山焼き討ちと関連のある地域です。 焼き討ちに猛反対した明智光秀でしたが、信長の人使いの巧みさは、反対した光秀に事後処理を任せたところです。 船の舵そっくりの「金製の輪」があり、それは「法輪」といって車輪が転がるように仏法の教えが遍く行き渡ることを現しているとのこと。 またここいらは穴太衆という独特の石組み技術団の石組みが顕著に見られる地域です。
2017.03.18
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〇週刊誌やテレビ番組の表題でも一目で人々を惹きつける言葉には頭が下がりますね。所謂コピー・ライターという範疇のものです。難しくする必要性もなく、いつも使っている言葉もしくは新しく創造した「造語」も含めて・・・。 私に雅号をつけて下さった野風呂翁は、実に端的な表現に秀でた俳人でした。新しく生まれた「造語」は作者の手元を離れて生き生きと呼吸を始めます。 高浜虚子の「炎昼」なども季語に入っていますね。過去、こうして生まれた語彙も少なくないように思います。 近頃の若い人は英語の頭文字を組み合わせて、どんどん符牒を作るのが流行っているようですが、できれば日本本来の単語を使って産み出して欲しいなぁと思っています。 造語をどんどん作る反面、表現力は年々低下して行く傾向にあると杞憂しているのは私だけでしょうか。超○○とか、ヤバイとか・・・まるで英語の基本的な単語そっくりですね。 一方、俳句に携わっていると今まで知らなかった言葉がわんさと出て来ます。句会の席では電子辞書を引いたりしながら順次覚えるようにしています。 言葉を沢山知っておくといろんなおしゃべりの時、当意即妙的に合いの手を入れることが出来たり、アドリブの効いた会話で場を愉しい雰囲気に演出することも出来ますね。
2017.03.17
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〇最澄の天台宗、空海の真言宗、法然の浄土宗、一遍の時宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗を凌駕する勢力となった真宗(一向宗)は親鸞上人が広めたとされていますが、まるでニ次三次成長期の蚕が桑を食むような勢いの宗教運動に天才信長も手を焼いたと伝えられていますね。 ところが親鸞上人は教団を作って新たな一派を開こうとはなさっていなかったようで、「私は弟子を一人も持っていない。何故なら私の力で人に念仏をとなえさせたのではなく、阿弥陀如来の偉大な功徳によって、人々がおのずから念仏を口にするようになった。そんな人たちをどうして弟子と呼べようか。」と言われたように、自分の口添えで阿弥陀如来を信じた人々を御同朋とか御同行と称され、 「阿弥陀如来のもとに人はすべて平等である」と明言されていたようです。皮肉にも親鸞上人亡きあと弟子たちは、いろんな拠点をつくり、自分こそ彼の後継者であると言い争いました。 親鸞直筆の「教行信証」には角筆という、爪跡のように紙にへこみをつけて記す筆記がなされていた事実が緑色LEDスポットライト、つまり指紋検出と同じ手法で発見されました。 また京都市下京区の「常楽台」では金銅製の宝塔や木像の中に親鸞上人の骨片や骨粉が保存されているようです。<参考図書・河合敦著「教科書から消えた日本史」(光文社)
2017.03.16
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〇大山崎の名刹宝積寺の仁王門を少し上ったところには「待宵の鐘」がありますが、大晦日の晩には善男善女が並んで除夜の鐘を撞きます。この梵鐘の願文は、 「天下泰平、国土安穏、特庄内安全、十方旦那諸人快楽(ケラク)也」と小文字で彫られていますが、鐘の名の謂れは石清水八幡宮別当の娘、待宵の小侍従に因んでつけられています。 彼女は平安末期の近衛天皇の皇后多子に仕えた女流歌人で、恋人が来るのを「待つ宵」と、「後朝(キヌギヌ)の別れ」とでは、いずれに趣が深いかを問われた時の歌が 待つ宵に更け行くかねの声きけば あかぬわかれの鳥は物かは(新古今) と詠んだことから、恋う男性の訪れを待ちわびる女性の恋情をこの鐘に託して後々、待宵の鐘と呼ばれるようになったとか。小侍従は恋の歌の名手だったので、恋の成就に効果がありますよと私たちガイドが説明しますと、女性の皆様は悉くワァーと歓声を上げて下さいます。 先日長岡京の図書館で小侍従の詠んだ歌集の資料を入手しました。百首を超えますが、 君こふとうきぬる玉のさよ更けて いかなるつまに結はれぬ覧(千載) 朝ごとにかはる鏡の影みれば 思はぬかけのかひもなきかな(千載) 思ふあまりみつのかしはにとふことの 沈むにうくは涙成けり(続古) 今こそは逢夜にあふと見し夢を いはぬにいむと思ふあはすれ なからへはさりともとこそ思ふつれ けふを我身の限成けり 今こそは絶はてぬとも君ゆへに とまる心は身をもはなれし こうして一部を鑑賞してみますとかなり一途な性格で、思われた男も、或る時は嬉しく、或る時は重すぎて辟易していたのではないかとも愚考する次第です。しかし色恋沙汰は女性の方がお上手で、思わせぶりな詠み方に徹した小侍従だったのかも知れません。
2017.03.15
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〇宝塚歌劇をこよなく愛した父はいろんなグッズを遺していました。 家中にそういう遺物が溢れていましたので、残念な想いを噛み締めながら整理を始め、 月刊誌「宝塚」や各公演の脚本集や鳳蘭、大地真央ら大スターのポスターなども古書店に引渡したりしましたので、物置内にあった華やかさが幾分減りました。 主題歌を集めた記念のレコードやカセット・テープ、そして主題歌集はまだ残しています。 さて、手元にある主題歌集(歌詞・譜面付)の1つのファイルを順次繰りますと、 1980年通番298は安寿ミラの「冬の嵐」、299は一路真輝の「雪之丞変化」以下連番は途切れず、 304はCMで大活躍の真矢みき「エデンの東」、305はドラマで大活躍の天海祐希「ME AND MY GIRL」、 311は麻路さき「パッション・ブルー」、313は高嶺ふぶき「虹のナターシャ」、314は久世星佳の「プレスティージュ」 そして321番は真矢みきの「ザッツ・レビュー」。 大昔、高木史朗振付の「華麗なる千拍子」辺りから、宝塚歌劇のレビューが華麗を極めだしました。 寺田瀧雄さんの曲も素晴らしい出来栄えでした。寿美花代さんや甲にしきさん活躍の頃の主題歌なら10曲以上歌えそうです。
2017.03.14
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「落城物語」後編 「殿ッ!二の丸に 火が移りました。」 「分った。退がれ!」 「ははァ!」 花の盛りは 短かやな 昨日今日には 散り初むる 鉦の音 八方山に谺して 火焔城郭 覆ふなり 過ち忽ち 現(うつつ)に出でて 高楼の夢 儚く消ゆる 信じる余りに 裏切られ 悔ゆる心は 死の果てまで 築き住まひし わが城は 異国の輩の 足踏みに 月の光に照らさるる 己が姿の変はり様 散り行く花より 哀れなり かくなる上は 永き武門の 誉れこそ大事 立派に死んで 見せやうぞ 小田原殿 先立つ我を 許し候へ 死しては 君が 守護神たらむ 「あヽ、これ露姫 何処に参るのじゃ。そなたは余と死を共にせぬ所存か? それとも、やはり敵の間者でありつるや?」 「殿、お許し下され露姫は、露姫は・・・」 何を隠さう 自らは 徳川殿の 息掛かり 今日まで殿を 欺きし その罪は その罪は 鳴門の海より 深くして 富士の山より 大いなり もとより命を 受けしより 我が身に悪性 備へむと 朝の野に出でて 蛇苺を摘み 夕べの鐘に 食したり されば恐ろし 神が業(わざ) 幾たびか衣を 脱ぐほどに 憐れも解せぬ 悪の性(しゃう) ついにこの城を 傾けぬ 人の心を 戻すには 悲しや この身の 果つる時とかや 只今、この身を 断つが故 まことの思ひを 打ち明けむ 「露姫は、露姫は・・・初めて殿に 遇ふた日よりお慕い 申して居りました。どうか哀れと思し召し 不幸なおなごと 抱(いだ)ひて下され」 「さても露姫 哀れなり。黄泉の国にて 今一度 そなたと夫婦(めおと)に 相成りて 人も羨む鴛鴦の 永久の愛を誓うたぞ!」 「忝(かたじけの)ふ御座ります。」 「これっ露姫! しっかりせい、露姫~~!」 * * * * * <突然敵兵現れ、それに切りかかる。軽くいなして 切り納める> 愛しの花よ 露姫よ こよなく愛でし 我が花は 初めて遇ふた その日より 悲しき定めを 負ひ来たり もとより我に 千里眼の ありつれば かくも 哀れな 恋の道 避くる術など ありしものを・・・ 愛しの花よ 露姫よ 静かに眠れ 我が花よ 之より行かむ 彼の月の 光の中に 静けさに それこそ真の 恋の華 城は落つとも 崩るとも そなたと共に 築かうぞ 不滅の城と 永久の国 不滅の城と 永久の国 こういうもの、個人の作品的なものは、読者への押し付けになってしまっては、逆効果になりますので2回に分けて掲載させていただきました。 私は忙しくって、この地唄の舞踊際を観ることができませんでしたが、 阪急音楽隊の某氏が音程をつけて下さり、出し物として産声をあげたのだそうです。 もう、35年も前のことです。
2017.03.13
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「落城物語」 春や春 花や花 花は春限り 花は今限り 唄へや踊れ 踊れや唄へ わが君は 国を治めて 憂ひなし 五穀豊穣 民は君を 敬ひて 君は民を こよなく思ふ 世に国は 数あれど わが国こそ 永久の国 やれめでたやな 花を限りに 踊り明かさむ 春を限りに 踊り明かさむ 「殿 ご覧あれ、ほれあのやうに まん丸月が・・・ 」 「うむ、今宵は満月 有難し。 皆のもの 踊れ 唄へ 酒が美味いぞ! 利光 一さし 舞うてみよ」 「ははーっ!」 朝霞 たなびく 箱根の 山間に 鶯 鳴くなり 静かなり 二の丸より 下を望めば 青々と 春は地から 生まるなり 殿に従ひ 早二十年 世の為 人の為 計らずも 殺生を 生業(なりあひ)とす 敵の勇者に 教へらること 数知れず 此処に 黙して 慰むる 死ぬは一刻 生くるは無限 信を以って 義を通す これぞ武士の こころなり これぞ武士の こころなり 「よくぞ舞った。これ露姫も 舞うてみよ」 花の宴に 舞ひ立ちて 扇かざせば 花ひらり 盃戴く わが君は 月の光に 清げなり 男は戦に 名を挙げて 女は男に 身を捧ぐ 踊り狂へば いつしやら 花の精と 変る吾 人を恋ふのは 花の許 恋に泣くのも 花の許 時に心 和ませて 時に心 沈ませる さるほどに 一国一城 灰に帰す げに花てふものは 恐ろしや げに花てふものは 恐ろしや されど 花の命は あはれなり 儚き 露の 命なり ちらりほらりと 咲き初(そ)めて はらりひらりと 散り初むる 風が運ぶ 谷間(たにあひ)へ この世の 名残 惜しむらく 花は舞ふなり 舞ひ落つる ひらり ひらひら ひらり ひらひら 今の盛りは 夢と消へ 明日は悲しき わが身かな 「何時になく 悲しき舞となりました 殿には 一トさし舞ひ直し遊ばしますやう」 「心得た。ちょいと はしゃひで くれやうぞ」 酒酌みて 喉に通せば 先の合戦 甦(よみがへ)る 黄金の兜を 頭に戴き 黒漆の 鎧に 身を固め 鐙(あぶみ)に足添へ 全軍に号す 打てや打て 突けや突け 余に先を越さるるは 一生の恥 進んで 誰ぞ 一番槍 敵は行軍 長ければ 太刀振り 一つ 弱かりき 忽ち敗走するを見て 残らず首を 挙げて帰す 小田原殿に 拝謁し 義経再来と 労ひ給ふ 部門の誉れ この上もなし 小田原殿を 慕ふ限りは 戦上手に やつす他なし 西に秀吉 東に北条殿 いずれ戦に なるは必定 国を挙げて 打ち崩さむ それ迄 力 蓄へて 富国強兵に 励むなり 今宵の月は まろやかに 踊り明かさむ 飲み明かさむ 「世に続いて 皆のもの 舞へ舞へ!」 〇この落城物語は、私が28歳の時、亡父の元部下だった女性が花柳流から独立され一派を興されて間もなく、 私に「落城」をテーマとする地唄を書いて欲しいと頼まれたことに起因します。 丁度、この部分まで書いた時、停電になり、水入り状態になりました。 で、それから半年以上放置していましたら、そのお師匠さんから催促の電話がありました。 そこで止むなく小田原城まで旅行を組んで、城からイメージを貰うことによって、後編を書き上げました。 只、妙なことに後半は宝塚歌劇風に、芝居めいたものになってしまいました。
2017.03.12
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〇「アレ何?大事典」(佐々木正孝著)から拾ってみました。校正作業の時に使うもので、 普段よく目にする符号ですが、何と呼ぶのかご存知でしょうか? むかし、「花まるマーケット」でも3番目の符号が話題になっていました。 1)&=アンパサンド 2)ヽ=ひらがなかえし 3)々=同じの字点 4)〃=同じく記号 5)~=波ダッシュ 6)ー=音引き 7)!+?=ダブルだれ 8)・=中点(ナカテン) 9)♂、♀=マスキュラ フェミニン或いはオスマーク メスマーク 西洋占星術に由来する符号で、♂は火星、戦いの神・マルスの盾と矛を象徴し、一方、♀は金星、愛と美の女神・ヴィーナスの手鏡をイメージしています。 10)・・・=三点リーダー 通常は2個続けて表記し ます。 私たちの身近なところで目にするこれらの記号、ちょっと覚えておくと便利かなぁ~♪
2017.03.11
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〇十年ほど前の三月。南座の川端南沿いにある「かぶらむし一平茶屋」さんに予約なしで入りました。当時はまだお若いご主人と奥さんが丁重に笑顔で招き入れて下さいました。 建物の概観は決して美しいという風情ではありませんが、中に入ると詫び寂びのある雰囲気で、小さな和室が二部屋、四人向かい合わせ計八人の椅子席と私たちが座った椅子席も六人が座れそう。あと二人掛けの席もあって都合三十人ほどで満席になりそうなお店です。 この時も座敷に二組、椅子席に七人のグループ、独りちびちび酒を酌みながらの老人がおられ、程よい賑わいでした。それをご主人一人が料理を拵えなさるのですから大した腕です。 先付け、其の他思いやりのある品が適当な間合いで次ぎ次ぎ卓に上ります。そしてメインのかぶら蒸しの陶器椀にはゲル状の煮出汁にすっかり柔らかくなった蕪、そのやわ蒲団の下から鶏肉や豚、其の他いろんな食材が登場しました。 テレビのケンミンショーでも京都人は冷ややかで意地悪などと評されていますが、おっとどっこい都人の心遣いとは、あとでしみじみわかってくる愛の振る舞いです。年々廃れていく京の味、此処にちゃんと受け継がれていました。
2017.03.10
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〇一体いつ?こんな詩を作ったのだろう・・・。恥ずかしいけれど一応、ご披露まで。「かがやく君に」 いつもお元気そうで 嬉しいです キミをこの世に生み出して下さった ご両親に感謝しています 清らかさと素直さと好奇心いっぱいの 少女のまま 大人になった貴女を祝して 乾杯しましょう 揺れ動く心の葛藤の中 キミはいつもしなやかに そのハードルを越えて行く そして キミは今日も 輝いているのだ
2017.03.09
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○まだまだ寒い日が続くものの、日照時間が日々伸長していますが、脳裏に描くは桜満開の図。 花見には駅の売店で「幕の内弁当」と酒1合の小瓶を携えて・・・。 NHK人気番組だっった「ホントにホント?」から、幕の内弁当の謂れの問題です。 a)お花見の幕の内の意味から。 落語の「長屋の花見」ではないけれど、隣・近所が誘い合わせて準備万端、緋の毛氈を敷き詰め、幕を巡り張らせて・・・。 b)相撲の幕の内を意味します。 土俵の好取組に目を奪われていると、つい弁当にも箸が行きません。で、幕の内が始まる前にお弁当を済ませたから。 c)芝居の幕の内の意味。 今でも芝居を見にいくと、幕間の休憩時間に、ぞろぞろと団体さんが食堂へ移動する光景を目にします。幕間に桟敷や土間でお弁当を食べた。 d)陣中の幕の内を指している。 遊びや行楽とは無縁、戦国時代の合戦では、陣中に張り巡らせた幕の中で武将や側近が食べた弁当からついた名で、小ぶりの握り飯にしている。 どの説も尤もらしい理由を掲げていますが、弁当類の中でも人気の衰えない「幕の内」は妙味に欠けるものの、お爺ちゃんお婆ちゃんらと楽しい時を過した想い出の一コマに映じる光景なのかも知れません。では正解を。 <正解>そもそも時間にゆとりのない役者衆が、幕の間の短い時間を利用して、楽屋でおむすびを食べて腹ごしらえをしたのを、観客も真似ました。
2017.03.08
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〇今から十年ほど前、大山崎、東の黒門傍にある旧本陣をガイド四期生一同が見せて貰いました。 梅林の梅が満開。また由緒ありそうに思っていた大木のあるところが本陣の裏庭でした。 本陣ですから参勤交代時に休憩・宿泊した大名の部屋は一段高くなった書院造りでした。同じ大きさ(六畳)の部屋が「田」の形、四つ組になっていて、内、三つの部屋に床がありました。松平右近将監という看板も残っていました。 ここいら一帯は、その昔、宿場町でしたから本陣、脇本陣、旅籠がずらっと並んでいたといわれています。當家は明治以降、代議士をして居られ、そういう方面の古い資料は残っているけれど、古文書などはもう一つの蔵を崩した折に処分したらしく現存していないという話でした。 欄間や調度品、雪見障子などに江戸・明治時代の面影をしのぶ風情を感じました。裏庭にはご近所さんが自分で風呂桶を担いで来られていた話や相撲取りを抱えていた話など聞かせて貰いました。今は田圃でなく草地になっている場所には土筆が数え切れないほど群生していました。
2017.03.07
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〇ハラッパの会の編集になる「一千年の恋人たち」の初項を飾るのは小野小町。 クレオパトラや楊貴妃のような傾城ではなかったので、生没年不詳。謎の美女としてわたし達のロマン心を揺すります。 百人一首かるたの絵札では長髪の十二単姿で描かれていますが、嵯峨天皇の好まれた唐風文化政策の煽りで、 地名・儀式・衣服などが中国風に傾いていた時代ですから、小野小町の本当の姿は袖も裾も短い唐風のこざっぱりした衣服、 そして髪も短めであった故に衣通姫(そとおりひめ)の流れと紀貫之に言わしめたほどに美しかったのでしょう。 ところで当時の歴史年表からいろいろ拾ってみると、桓武帝の御世には長岡京遷都、10年後には平安京、798年田村麻呂が清水寺建立、 和気清麻呂67歳で身罷る、800年には駿河富士山噴火、廃太子した早良親王を追尊して崇道天皇と称さる。802年にも富士山噴火、足柄路を塞ぐ。 804年最澄・空海が葛野麻呂に随伴して唐へ、嵯峨天皇の御世の810年から賀茂斉院を設置、翌年、長柄橋を造る。812年僧尼の堕落を戒む、814年皇子・皇女に源の姓を与う。 821年播磨の人銅鐸を発掘、825年空海を初めて東寺長者となす、仁明天皇御世には、東方諸国をして相撲を勧進する、小野篁(小町の祖父?)は遣唐使に。 空海63で寂、828年遣唐副使小野篁を隠岐に流すも翌々年召還する。淳和天皇御陵を灰方春日に、2年後の842年嵯峨天皇の御陵造成、 伴健岑・橘逸勢ら謀反、それぞれ隠岐・伊豆に配流、翌年宮田麻呂謀反伊豆へ配流、855年東大寺盧舎那大仏の頭みずから落ちて地に在りと奏す 清和天皇の御世に晴れて神泉苑にて御霊会を修し、崇道天皇・伊予親王・橘逸勢の霊を祭る。864年5月駿河富士山の噴火を奏す、7月甲斐国富士山噴火、 この頃小野小町は娘時代ではなかったのしょうか?藤原良房が民間人として初めて摂政を始めた時代でした。正に歴史はサスペンス。
2017.03.06
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〇こうも景気が悪いとヘソクリ上手のお内儀さんを持つ亭主は、幸せ者と言えるやも。 ないしょ金のことをヘソクリ(臍繰り)というのは、今でこそ標準語化していますが、どうして臍を繰るのか、まだ解明されていないようです。 長崎県対馬では<針箱銭>、高知県では<苧桶銭>、鹿児島甑島では<土瓶金(ちょかがね)>などと言うのは、隠し場所から出た呼び名なのでしょう。 だから内ふところに温め持つのがヘソクリだとおぼろげにに解るものの、江戸時代に胴巻きにヘソクリなどを入れていたら直ぐにバレてしまうので、語源はほかにあったのやも知れません。 一説に、<綜麻(へそ)くり>という考えがあって、麻が主な衣料だった時代に麻糸をつくるのは女の労働分野、毎日、ちびりちびり貯め込んだ麻の繊維でもって、親の着物や、子供用に供したところに起因するとも。 ヘソクリガネ、ホゾクリガネという語が多く見られるのは元禄ごろの上方文芸誌。 ヘソクリは女だけの特権かと思いきや、世知辛い現代では男もこっそりわが小遣い銭を貯め込んでいるようです。500円亭主が或る程度貯めるのは、涙なくして成しえないのかも。 (参考文献・鈴木裳三著「日常語語源辞典」)
2017.03.05
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〇世界の人口は年々増えるばかりで、そう遠くない日にわたし達は昆虫を捕らえて食べなければならないようになると言う学者もいます。私など三時のお八つを我慢できず、体重測定グラフはいつも希望の域に達しません。 ところで平安貴族は絵巻物を見ればふっくらとした人が美人だと聞かされ、さぞ美味しいものばかり食べていたと思いがちですが、そうではなく、慢性的な栄養失調の姿だったようです。なぜなら仏教思想が食欲を統制したからで、これを無視した藤原道真公は偏食の余り、若くして糖尿病や他の病に侵され、苦悶の内に没しました。逆に、貴族の多くは栄養失調が原因の結核や脚気によって、女性は二十七、男性三十五才が平均寿命だったと言われています。
2017.03.04
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〇昨日、奈良は五條市の奥里にあるNPO法人「うちのの館・「藤岡家住宅」にて、第九回藤岡玉骨記念俳句大会、茨木和生・塩川雄三など七名の選者の選される時間を、結社の創刊時の話題の講演をして参りました。野風呂先師の軸や短冊その他も特別に展示して下さっていました。スライド映像とともに往時を語りました。 ところで、桂米朝師匠の落語には囃子入りのものが多いのですが、その中には歌舞伎の長唄や端唄で使う伴奏も多々あります。 <松づくし> 2上り うたい囃せや大黒一本目には池の松 二本目には庭の松三本目には下り松 四本目には志賀の松五本目には五葉の松 六つ昔は高砂の尾上の松や曽根の松 七本目には姫小松八本目には浜の松 九つ小松を植え並べ十で豊受の伊勢の松 この松は芙蓉の松にて情け有馬の松ケ枝に 口説けばなびく相生の松またいついつの 約束に日を松 時松 暮を松 連理の松に 契りをこめて福大黒を見さいな(演奏3分半) 小唄、端唄、長唄には、難解なメロディ、転調や複雑なリズムが結構使用されています。日本民族は早いテンポに弱いのかなと思っていましたが、邦楽の世界にも歯切れの良い、テンポの良いものが沢山あります。 静と動、遅速とアップテンポなど、いろいろ変化をつけながら面白可笑しく作曲してあります。松づくしの歌詞では掛詞などがふんだんに使われています
2017.03.03
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〇塩田丸男著「死語読本」(白水社)の序を読んでいると面白いものに触れておられました。 <置き注ぎ(手に持たず下に置いたままの盃に酒を注ぐこと)>も死語なれば、<ちりめん>も死語。 反物の寸法を測る時、普通の生地は布地をぴんと張って測りますが、縮緬は撚りが強い緯(よこいと)の生地だから、 それを畳や机の上にぺたりと置いたまま計測します。置いたまま尺をとるから置き尺(杓)という意味合いになります。 映画監督そして「風の盆恋唄」などで著名な高橋治さんが、<人間の美しい動作を表現する言葉ほど、有効性を無くし死語に成り易い>と述べられ、その典型例として挙げられたのが<紅差指>。実はこれは薬指を表すのですが、他の指に比べ、使用頻度が少ない為、いちばん汚れていない指とするのが常識的。でも薬指とか<くすしゅび>とか呼ばれたのは室町以降のことで、それ以前は<名なし指>と呼ばれていたようです。広辞苑で<名無し指>で引けば、くすりゆびとあります。 名が無かったのは軽んじられたからでなく、呪力や霊力のある指と一目置かれる存在だったからで、 薬や紅をこの薬指でつけると、特に効き目があると信じられて来たことにも拠るという民族学者・井之口章次さんの説があります。 このように死語や死語に近い言葉を研究すると日本の古来の世相・風俗にに戻れるので、役に立ちますね。
2017.03.02
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〇忘れもしない、今から15年ほど前、阪神タイガースの元代表のお家に、未明5時半ごろ泥棒が進入し、奥様を脅し15万円いくばくかを強盗していました。その頃の母はまだまだ元気で、母からその事件を聞き及び、我ら夫婦はびっくり仰天しました。午前10時頃、警察の方5、6人が我が家に押しかけ、その説明によると、犯人は我が家伝いにお隣りさんの二階窓から進入したとのこと。 警察手帳を見せて貰ったかと確認しましたら、母には記憶が無いと言いましたので、我が家の上隣りのAさん方に確認した所、警察手帳を見せられたとのことで、地続きの隣家への泥棒事件は本物だったと解りました。葬儀の晩の話だったので、お隣りには長男ご一家が、そのまま泊まって居られる様子でしたので、我らは自宅に戻りました。 普段は二重ロックするなど、防犯には過敏過ぎるくらいの母ですが、きっと動転していたのでしょう、今後は警察手帳を確認してから話に応じるように母を再教育しておきました。有名人のお隣は、早速お香典強盗のターゲットになってしまったのでした。くわばら、くわばら。
2017.03.01
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