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「棚田(たなだ)」とは、山の傾斜地などに 階段状に築かれた田んぼで、「千枚田」なども 呼ばれている。つい先日、大きな地震があった ばかりの石川県輪島市白米や、長野県姨捨の 月夜にあぜ道を歩くと、小さな田んぼに月が 写るので「田毎(たごと)の月」の千枚田などが 有名だ 棚田の定義としては、傾斜度が20分の1(水平 距離を20メートル進んで1メートル高くなる 傾斜)以上の水田であり、認定をされた棚田は 助成金が交付されているそうだ そういった面積の狭い悪条件の田んぼは、今も 機械化の恩恵も満足に受けられず、それ以前に 田舎の高齢過疎化の波は激しく、我が家の あたりを見まわしても、子供は東京や名古屋 などで暮らし、70代を迎えた高齢者世帯が 細々と、痛い身体に鞭打って農業を続けている 無論、年を取ってくると農作業もきついので JAから稲の苗を買い、JAで稲を植えてもらい コンバインで稲を刈り取って貰い、乾燥をして 精米をして貰うような状況では、農業収入などは 望めず、逆に持ち出しがあるくらいなのだが 自分の家の田んぼが荒れ果てていたら、周囲に 体裁が悪いからと、定年後の趣味みたいなものだ そういったJAなどの農作業事業も、田んぼが 大きく条件の良い場合でしか出来ないので、この ような斜面の棚田は、自分で耕作をするしかない あと10年も絶ったら、半分の世帯が農業の 継続は不可能ではないかと思う。これは全国の 田舎で同じように起きている話であり、日本の 食料自給率は一気に低下をし、世界規模の飢饉 でも起きた時には、輸入に頼っている日本に 食料をまわして貰える保証などは、無いのでは ないかと思う 農林水産省は、農収入だけでは棚田の維持が 難しいと考え、観光地化を目的とした「日本の 棚田百選」を選定した。棚田の景観を維持をする 意味からも、都会の人たちにオーナーになって 貰い、農業体験などをする試みをしている地域も あるそうだ かつて、そういった事をした経験のある姑に 言わせると、おにぎりなどの食事の接待が大変で 素人子供の植えた苗は、後日、手直しが必要で 余計に手間がかかって、すぐにやめたそうだ 「限界集落」という言葉が広まる中、こういった イベントを通じて、自然に親しんで農業を志して みたいと思う人や、農村への理解が少しでも 深まるなら、それはそれで意味もあるとは思う 昔の人たちが雨を願ったという雨乞い石 農村の景観日本一の富田地区がある、岐阜県の 恵那市にも、棚田百選に選ばれた山村がある。私の 夕焼けの写真によく登場をしている、笠置山の麓に ある坂折地区の「はしご田」である 今から約400年ほど前から築かれ始め、明治時代 初期には、ほぼ現在の形になったという約500枚の 田が幾重にも重なった、石積みの美しい棚田の幾つ かは、満々と水がたたえられ田植えをするばかりに なっていた 今年も、棚田に春がやってきた 平成19年4月27日午前に撮影
2007年04月28日
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遥か昔、それが嘘か誠かも判らぬが、大和盆地は 湖であった。当麻のヘビと川原のナマズが勝負を 挑み、ヘビが勝ったので、当麻に水を吸い取られ 川原のあたりは干上がってしまい、湖の亀はみんな 死んでしまったそうだ。村人たちは亀を哀れんで 大きな亀石を造り、亀の供養をしたという その大きな亀石は南西を向いているけど、もしも 西を向いて、当麻の方向をにらみつけたトキには 大和盆地は、泥の海に沈んでしまうというそうだ 飛鳥には亀石の他にも、とっても不思議な石造物が 一杯で、不思議なものがたりも多い。鬼が、霧をふらせ 旅人を迷わせては捕らえ、大きなまな板の上で料理をし パクリ。お腹がいっぱいになると下の雪隠(トイレ)で 用をたしたという そんな鬼のまな板と雪隠は、本当は古墳の石槨で あったそうだが、本当のところはわからない 飛鳥の代名詞とも言われる石舞台は、蘇我入鹿の 祖父で、推古女帝時代に辣腕を振るった古代の 大政治家である蘇我馬子の墳墓が、入鹿失脚後に 辱めを受けて、墳土を取られたものだという その後、この上で狐が美女に化けて、舞を見せた から石舞台だとか・・・ 西日本三大奇祭の一つで、五穀豊穣 子孫繁栄を 祈念するおんだ祭で有名な、飛鳥坐神社の境内には 大小様々なマラ石(陽石)でいっぱいだった 男性は左手で、女性は右手この石を持ち 上がったならば、幸福をつかめるという力石 くぅ~っ! 上がらなかった~(泣) 酒の醸造用、油を搾る道具、薬の調合の道具と 言われる、小高い岡の上に鎮座した酒船石の近くで 平成12年の発掘で、亀形石造物など精巧な石の 水槽や、石段などをも備えられた日本最古の流水 石造施設遺構が発見をされた これは土木工事が大好きな斉明女帝によって造営を されたという、両槻宮の関連施設であるらしい お昼ごはんは千円の定食♪ 娘は古代米カレー 江戸時代、欽明天皇陵の南の田んぼから掘り 出された猿石は「今昔物語」にも石の鬼形と 記述がされている。どうも猿ではなくって 「渡来人」の姿ではないかとも言われている 古くは大陸から、春秋時代、戦国時代にかけて 戦災を逃れる為に来日をしたとされ、古墳時代に 百済の滅亡によって、多数の亡命貴族が来日をした 応神帝時代に百済から渡来した、阿智使主の子孫で ある東漢氏は、蘇我氏との密接な関係から繁栄を したのだが、彼らの本拠地こそが飛鳥であった 渡来人が安住の地である「安宿(アンスク)」を求め さまよい歩いて見つけた地である安宿が、転じて 明日香となり、その枕詞である「飛ぶ鳥の」から 飛鳥となったとも言われている かわいい亀石のお菓子 平成19年3月30日撮影
2007年04月25日
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関西旅行の2日目は、夜の野球観戦まで 高野山にしようかな、いや和歌山か・・・ 赤穂に竜野。まてよ出石で蕎麦も食べたいな なんて考えていたのだが、「久しぶりに 飛鳥でサイクリングをしたい」という 娘の一言で、急遽、馴染みの飛鳥となった 最初は小雨もぱらつき、サイクリングには 不向きな朝ではあったが、自転車で飛鳥を 走り回るうちに、日ごろの行いがよいのか 青空ものぞくなるようになり、絶景の楽しめる 甘橿丘では満開の桜にも迎えられ、春の飛鳥を 堪能をすることが出来た 遠くには大和三山の、天の香具山(右側)と 耳成山。あのあたりに持統天皇の藤原京があった 古代日本の中心であった、飛鳥であるだけに 聖徳太子の誕生地や、この一面の菜の花が咲く 小原は、藤原氏の祖である藤原鎌足の誕生の 地であり、遠くには大和三山の一つ畝傍山も 大豪族であった蘇我氏は、大王家(天皇)を 凌駕するような権力と財力をを持ち、日本に 仏教を広め、飛鳥大仏を本尊とした蘇我氏の 氏寺の飛鳥寺は、五重塔、中金堂、東金堂 西金堂が建つ、壮大な伽藍であったそうだ それを良く思わなかった中臣鎌子(藤原鎌足)は 中大兄皇子(天智天皇)と、権力奪取を図り 皇極朝の4年(645年)、飛鳥板蓋宮において 蘇我入鹿を暗殺し、その父の蘇我蝦夷は自らの 邸宅に火を放って、自殺をし蘇我本家は滅んだ 日本の歴史上記録に残っている、もっとも古い クーデター「乙巳の変」で、討ち取られた入鹿の 首は宙を飛び、飛鳥寺の近くにその首塚が残る その中大兄皇子(天智天皇)は、斉明(天智の母、 皇極が重祚)朝の6年(660)5月に、中国の 技術を輸入をし、日本で初めての水時計を作り 時刻を知らせたと「日本書紀」にもあるそうで 水落遺跡がそれにあたるそうだ 近くの石神遺跡では、発掘調査が行われており 斉明朝、天武(天智の弟)朝、藤原京時代と 3期にわたる、池状の遺構を埋めた後に造られた 石敷き、石敷き井戸、建物跡、溝などの遺構が 発掘をされ、溝からは土器や木簡など多量の 遺物が出土をしている 遺跡から振り返ると、一面の菜の花畑の向こうに 耳成山と、香具山が昔と変わらぬ風景を見せて くれるような気がした 春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天香具山 持統天皇(斉明の孫。天智の娘で、天武の妻) 平成19年3月30日撮影
2007年04月23日
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京都御所の予覚時間まで時間があるので、最初は 平野神社でお花見とも考えたが、思いのほか桜には 早く・・・。だったら、お気に入りのあの餅を! そんな訳で、京都駅から真っ先に向かったのは 洛北の名刹、大徳寺。は信長や、ガラシャ夫人など 歴史的人物にゆかりがあり、沢山の塔頭が立ち並ぶ 寺の町である 秀吉に寵愛された千利休が、この鮮やかな三門の 上層に自身の木像を安置した為、門をくぐる者は 利休の下を通る事になると、秀吉の怒りを買って しまい、自決をする羽目となってしまった ちょうど修学旅行中の女子高校生らが、境内に ある和食所でお食事タイムだったようで、何時も 静かな境内も、華やいだ少女らの声が響いていた そんな女の子たちも見逃せないのが、すぐお隣に あたる今宮神社である。京都の八百屋の娘だった お玉が、三代将軍徳川家光の側室にあがり、五代 将軍綱吉を産んだという「玉の輿」にあやかっての 玉の輿のお守りを、妙齢の女性もお買い求めだ しまった~、うちの娘にも買えばよかったのに 娘は、人の顔ほどもでかい参詣スタンプに夢中だ 994年(正暦5)年に、都の悪疫退散を祈った という紫野御霊会を営んだのが今宮神社の起源で 京の三大奇祭のひとつ、やすらい祭りでも有名で やすらい人形という健康を祈願するものも 京名物のあぶり餅は、きな粉をまぶした親指大の 餅を餅を竹串に刺して、炭火であぶって白味噌の タレをぬったもので、竹串は今宮神社に奉納された 斎串が使われている 日本最古の和菓子屋とされ、西暦1000年(長保 2年)創業という千年の歴史を誇る一和は、前回に 食べたので、今向かいの江戸時代創業のかざりやで 食べることにした。はぁ~甘辛くって美味しいけど 娘は高山のみたらし団子の方が好みのようだ 京都駅地下街のサンドアート 平成19年3月29日午前撮影
2007年04月19日
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せっかく関西に出かけるならば、花見も 楽しまねばなるまいと、選んだサクラは 京都御所のものだった。お天気にも恵まれ 青空の下で老若男女。国内外の多くの人が サクラに携帯を向けていた 狩野派の障壁画のように、ダイナミックで 絵画的な枝振りは、見るものを圧倒をする 同じ桜であるのに、田舎のサクラと、京都の サクラでは、なんだか違って見えてしまう(笑) 桓武天皇が「啼くよ(794)鶯、平安京」と 都を開かれて、千年以上の長い間の帝都で あった京都は、日本人には特別の存在である いつもは、一般公開で沢山の人らの長い行列で 慌しい見学の「京都御所」を、宮内庁の予約を 必要とする通常の見学で、ゆっくり楽しんだ 平安時代の御所は、今よりも西にあり、正式の 内裏が火災等で使用できない際、臨時の内裏 (里内裏)の一つであった土御門東洞院殿を 南北朝時代に、光厳天皇が皇居と定めたという 現存をする建物は、江戸末期になってから総奉行 松平定信によって、平安様式にのっとって再建を されたものだそうだ 「天下布武」の名の下に、足利将軍家を滅ぼし 比叡山を焼き打ちした信長であっても、天皇に 弓ひく事はなく、秀吉は朝廷より関白・太政大臣に 任ぜられ豊臣姓を賜り、家康の孫娘である和子は 徳川家を天皇の外戚とするべく、皇子を出生する 期待を背負って、宮中に送り込まれた 明治維新で、天皇が東京にお移りになっても、なお 第二次世界大戦前までは、天皇即位は京都御所で 行われていたそうで、戦後の皇室典範の条項改定に より、今上天皇が御即位の大礼の際には、高御座と 御帳台は東京の宮城まで運ばれ、大礼が終わった後 再び、京都の紫宸殿に戻したという 天皇の在所を示す特別な玉座である「高御座」が 京都御所紫宸殿にあるので、京都御所こそが皇居で あると言う人もいるそうだ 平成ガメラ・シリーズ第3作である「ガメラ3 邪神覚醒」のクライマックスでは 親を殺された事で、ガメラを憎む少女が育てた 邪神イリスが、近未来的な京都駅で、ガメラと し烈な戦いを行う 安上がりなぷらっとこだまを利用をする事が 多いので、一時間に1本、乗り遅れ不可のこだまを 待つ為に、早めに京都駅に着いて、駅構内で 時間をつぶす事が多い私には、馴染みの場所だ 長いエスカレーターを上ると、京都市内が 一望できる展望台になっており、夕暮れの 淡いピンクに染まる、京都の町を眺めた 平成19年3月29日午後撮影
2007年04月16日
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昨夜の夕飯で娘の箸も並べてしまい 面白い番組が始まると、娘に教えて やろうと声をかけそうになり、今は 娘の大好きだった大リーグの生中継を 一人で見ながら、井川のピッチングを 娘に見せたいなぁ・・・と思いもする 娘のアパートから帰宅して、わずか 1日しかたっていないので、新しい 生活に慣れるのは、まだまだ時間が かかりそうだ 厳粛な入学式では、旧制高校時代からの 歴史ある寮歌も、現寮生によって披露を され、近くに座っていたご老人が、昔は 羽織袴で歌ったものだがと・・・ きっと親子三代、この大学出身なんだろう なぁと、地域に根ざした伝統のようなものを 感じもしたし、孫の晴れ姿を見にいらした お年よりが多いのには驚いた それにしても大学も、スーパーも、本屋も コンビ二も、郵便局も、レンタルショップも バス停も徒歩5分でいけて、なおかつ静かな 環境だとは、うらやましすぎる・・・ 娘が、学校に出かけるようになったので 私も近くを探索して、新しい町を楽しんだ 学校はどこも桜が満開で、新入生を暖かく 迎えてくれているようだ この「まんぼうラーメン」気になる・・・・ さて、今までは「日記リンクのあるなしに かかわらず、日記にコメントを下さった方に まずはコメントのお返事を書いた上、その方の ブログに、お邪魔をさせていただきコメントを させていただいた後に、日記の更新をしてきた」 のだが、日記の旅行ネタも、溜まるばかりである せっかく遊びに来ていただいても、新しい 日記が無いので、そのまま帰られるブログ友の 方もおいでになるので、申し訳ない限りだった そこで、日記更新の回数を増やすためにも この春より、「日記にいただいたコメントの お返事は省略をさせていただき、コメントを 下さった方の日記に、私がコメントをさせて いただく事で、お返事とかえさせていただき たい」と思うのですが・・・・ コメントの内容によっては、お返事が必要な 場合には、コメントを下さった方の掲示板などに 改めて、そのお返事をさせていただく形式で 進めさせていただきたく、大変に身勝手な話で ありますが、ご理解いただければさいわいです 今後もよろしくお願い致します 夢 穂
2007年04月14日
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深夜、家族の誰もが寝静まった頃、闇をつんざき せっぱ詰まった息子の叫び声! やめて! その豚を殺すのは!! そこにいる豚を殺さないで!! あ、いなくなった(豚が) って、本人も覚えているそうです。どんな夢を 見てるんだろぅ(笑) さて先週は、世界フィギュアのエキシビション ツアーの為に、大阪に行ってきました。カメラは 禁止の為に、皆さんにはご覧できませんが 日本の安藤、高橋選手らの華麗な舞いもですが 海外のメダリスト総出演は、フィギュアファンには お涙モノです。はぁ~至福の時をすごさせて いただきました♪ そして次の日には、まるでたこ焼きかUFOか 大阪の京セラドームで、セ・リーグ開幕第一戦の 阪神VS広島。ナゴヤドームのコテコテ阪神ファンを 見ているので、さぞかし本拠の大阪は・・・と びびりながらの観戦でしたが、あ、おとなしい・・・ やっぱ、首位決戦の名古屋に乗り込むファンとは 違って普通のファンは、小さなお子さん連れや おばちゃんらや、おっちゃんというように、ドラと まったく変わらず普通の人たちで安心しました というか、自虐的なぼやきが多いです ま、黒田やから、そら打てんわな。しゃ~ないわ そしてお楽しみだった風船飛ばし。もう7回表は 試合を見てる人はいないですね(笑) あちら こちらでパン、パンと風船が割れたり、大騒ぎでした 平成19年3月30日撮影 昨日は旦那の車で、第一弾の娘の荷物を運び込み 掃除などをして、退去時のトラブル回避の為に 部屋の現状写真も、デジカメで撮影をしてきました 明日より、少しばかり娘と二人での電化品などの 使い方、ゴミだし、近所の探索、各種手続きなどと お手伝いをしてきますので、娘のパソコンもまだ こないのでネットは、またまた当分の間、お休み させていただきます 皆さんも、春を満喫されてくださいね
2007年04月02日
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