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今日も雲ひとつない晴天で、昨日に 続いてのドライブ日和となった。車に 装備されたカーナビで、旅先の知らない 土地でも、快適にドライブが出来る 一般道優先ルートで、目的地に快調に 飛ばす旦那。娘の好きな曲がBGMで 楽しい会話も弾む このブログでもお馴染みの真田氏の本拠 真田郷。ここで真田幸隆らが生きた。戦った 守った。暮らした。大河ではつるっぱげに なったけど、幸隆さま、かっこいい~ 真田氏の館跡は、石垣などもそのまま残り 神社となり、真田郷を見下ろす高台にあった 武田信玄が、村上義清の砥石城を攻めるが 敗退をした「信玄の砥石くずれ」で有名な 砥石城は正面の山のあたりらしい 徳川軍の第一次上田合戦では、真田昌幸の 長男の信幸が、砥石城で守りを固めていた 真田郷を離れて、旦那の信頼するカーナビの 進む先は、ちょっと!! これって!? ノーマルタイヤなんですが、戻るにも わだちから外れると、もう車が動かなく なるんじゃないの~ このまま行くしかないのか?? 顔が にわかにこわばって、言葉少なになる 高台にでると、わ~~お!! そこは雪国。完全に固まってる旦那を よそに、一足早い冬の景色に、のんきに 喜ぶ娘だったのだけど、問題はこれから 南側から登ってきたと言う事は、その先は 北側斜面の下りが待っている~!? 案の定、完全に雪道なんですが! 急ブレーキに、急ハンドルでもしたら 最後だ。とろとろ減速しながら、慎重に 下りの急カーブをひとつ、ふたつと クリアをしていく お正月の伊那のホワイトアウト状態の 雪道に続いての、恐怖のドライブに とても写真など撮る余裕もなかった なんとか下界にたどり着き、大きなため息 気を取り直し、松代よりもずっと娘が 行きたがっていた須坂市動物園にGO やっぱ須坂市動物園といえば・・・ 園内にD51がある じゃなくって~ ここにはテレビや、週刊誌でも話題に なった、ぐ~~たらアカカンガルーの ハッチの一家が住んでいる 一家の主人たるもの、今日も体を鍛えて 家族をまもるぞ~!! おりゃ~! とぅ~~!! ちなみにハッチは、2000年7月7日 名古屋の東山動物園で生まれたそうだ 昨年の夏に、神戸市立王子動物園から お嫁さんのクララがやってきたのだが 彼女には、おなかに子供がいたみたいで 1年前に生まれたクラッチ そして、この夏に生まれた赤ちゃんも ハッチの子供の可能性は、五分五分の 状況だそうで・・・複雑な家庭環境を 考えると やっぱ、ぐ~たらするハッチだった お土産にはハッチ饅頭もいいかも 動物園のある臥竜山には、地域を 支配をしていた須田氏の城があった 今はハッチで、沢山の人がやってきていた ハッチのペイントがされた自動販売機 本日の教訓 渋滞予測は出来ても、カーナビは気象条件や 高度差などは配慮してくれません。やはり 自分で、行き先の道路事情をリサーチする 必要があります 自分の地域と同じと過信せず、時には潔く まわり道、引き返す勇気も必要です。今回は たまたま運がよかっただけ。絶対によい子の みんなは、雪道(しかもカーブ連続の坂道)を ノーマルタイヤで走行をするようなアホな 真似はしないで下さい 平成19年11月24日、信州で撮影
2007年11月29日
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木曽は秋の終わりを告げていた もともとがドライブ好きな旦那が 温泉にはまったのは、数年前に 家族旅行で出かけた万座や、草津 温泉のかけ流し体験であった その後、懸賞でANA5万円利用 券が当たって、子供も大きくなったし 舅姑に任せての九州温泉の旅。別府に 湯布院、黒川などなど温泉天国で 大満喫の旦那だった 国道19号から、ほんの一瞬、白銀の御嶽山 そんな訳で旅行は勿論、普段でも 温泉に出かけるのが好きな旦那が 一番のお気に入りなのが、乳白色の にごり湯だ。硫黄臭があれば尚更 良い♪ 以前、騒ぎになった白骨温泉や お隣の乗鞍温泉は、車でも行ける 距離なのだが、トレッキングや スキーに無縁な我が家では未だ 出かける事がなかった 木曽駒ケ岳もまた、薄化粧をしていた 日本列島が冷え込んで、初雪も 記録した直後の先週末、穏やかな 秋の日差しがもどってくるとは いうもの、果たして山間の温泉に 向かうのに、冬用タイヤに換える べきなのか、旦那迷う 例年なら、12月上旬には我が家も 履き換えているのだが、今換えると もう春までというのも、早すぎる ような気もする とにかく、道路に雪があったり 凍結をしていようものなら、即 引き返すという覚悟で、薮原から 乗鞍方面に向かった。どんどん 高度があがり、見晴らしも良い つ~か、ひょえ~。道路の脇まで 雪が残ってる。昼時でもあり道路は 走れそうだが・・・・ 木曽川の源流あたり 峠を越えると、雪もなくなり ほっとひと安心。もうこのすぐ 向こうは憧れの上高地 そして、いよいよ目の前に 乗鞍岳が見えてきた。迫力だなぁ~ 無事に、旦那のお目当ての乳白色で 硫黄臭のある湯けむり館に到着だ この温泉は、武田信玄によって開拓を された大樋銀山から、自然湧出した という、信玄ゆかりの温泉だそうだ 中の温泉は、無論、紹介をできないので パンフレットの写真から・・・すんごく まったりできました~。空が青い! 温泉も名残り惜しいが、そろそろ 娘のアパートに向かうかと、車を 走らせていると、上高地、乗鞍への 玄関口「新島々」と松本をつなぐ 松本電鉄上高地線の電車が真横を 走っていた ドラマ「白線流し」でよく、ここの 路線が使われていたが、この車両は アルピコのかっこいいものだった さ、明日はよい天気らしい。娘も 引き連れての日帰りドライブ旅行は 果たして、どこへ向かうのか? 平成19年11月23日、信州で撮影 歴史に興味のない方、懸賞に興味のある方 お暇な方は、夢穂の日常的ブログである 「毎日が日曜日。」も、よろしく~♪ 本日更新 「 お疲れ旦那はへろへろで、スイーツ三昧」
2007年11月27日
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甲斐の武田信玄(武田晴信)と、越後の 上杉謙信(長尾景虎)が、北信濃の支配 権を巡って、何度となく激突をしたのが 千曲川と、犀川が合流する三角状の平坦地 松代の「川中島」である その中でも、第四次合戦にあたる永禄4年 (1561年)の「八幡原の戦い」は両軍 数千名の戦死者を出す、壮絶な戦いとなり 謙信と、信玄の名を後世に残す事となった 関東への出兵を画策する上杉謙信は、将軍 足利義輝より「関東管領」の就任を許され 関東の諸大名を従えて、伊豆の北条氏康の 小田原城を包囲するが、なかなか攻め落とす 事ができなった 北条氏康は、同盟関係にある武田信玄に 援軍を頼み、武田信玄は北信濃に侵攻をし 川中島に海津城を築く事で、景虎の背後を 脅かした 海津城もまた信玄に命じられ、山本勘助が 清野氏の館を改築したもので、千曲川を 背後に控えて、甲州流築城術の色濃い城で あり、この他に高遠城や、小諸城なども 山本勘助が築城をしたそうだ 上杉謙信は一万三千の兵を要し、川中島を 見下ろす妻女山に陣を置き、武田信玄は 二万の兵を率いて、その海津城にいた 山本勘助は、軍を二手に分け別働隊を 夜中のうちに密かに、妻女山移動させ 夜明けに一斉攻撃をして、上杉軍が 逃げ出した先を、川中島に布陣をした 本隊が挟み撃ちするという、「啄木鳥 (キツツキ)戦法」を提案をした キツツキがくちばしで、木をたたいて 驚いて飛び出した虫を、ついばむ事から 後年、名づけられたものらしい ところが、上杉謙信は、海津城からの 飯炊きの煙が多いのを見て、武田軍の 動きを察知し、夜の闇に乗じ妻女山を下り ひそかに千曲川を渡り、八幡原に陣を 置いたのだ いよいよ夜が開けると、すぐざまに 上杉軍は「車懸りの陣」で攻め込み 武田本軍は「鶴翼の陣」で応戦したが 数々の武将が討ち死にをしてしまった 山本勘助も討ち死にし、敵にその首を 取られたが、部下がそれを取り返して 胴体につけたというのが、胴合橋だ その混乱のさなかに、手薄となった隙を つき、武田信玄の本陣に、萌黄色の衣服に 黒糸緘の具足をつけ、白頭巾を被り、三尺 余りの大太刀「小豆長光」を持つ、月毛の 馬にまたがった上杉謙信が、単身現れた 謙信は、馬上から三太刀斬りつけ、信玄は 軍配でこれを防いだが、肩先を負傷して しまった。もはやこれまでか! そこに駆けつけたのが、武田方の原大隅で 信玄の槍「青貝」で、馬上の謙信をめがけて 突き出したのが逸れてしまい、謙信の馬を 傷つけ、驚いた馬は跳ね上がり、その拍子に 謙信は逃げた去った。謙信を討ち損じた 原大隅は「無念なり」と、傍らにあった石を 槍で突いた時に、開いた穴が残っている もぬけの空となった妻女山から、武田軍の 別働隊が、昼頃には八幡原に到着した事で 上杉軍は、挟み撃ちをされる形となり にわかに形勢逆転。上杉軍は犀川を渡り 善光寺に退き、合戦は終わった 江戸時代の陽明学者で、幼少より詩文の 才があり、歴史に造詣の深い頼山陽は 「題不識庵撃機山図」という川中島の 戦いを描いた漢詩を残している 鞭声粛粛夜河を過る 暁に見る千兵の大牙を擁するを 遺恨十年一剣を磨き 流星光底長蛇を逸す 「べんせいしゅくしゅく~」という くだりは、上杉軍がひそやかに 夜に、千曲川を渡る様子だそうだ 平成19年11月10日。長野市川中島で撮影 これからプチ旅に、旦那の運転で出かけて きます。お天気は良さそうだけど、問題は 冬用のタイヤにするべきか、旦那、思案中 皆様も、よい週末をお過ごしくださいませ 夢穂の日常的なブログ「毎日が日曜日。」も 歴史の苦手な方、懸賞好きな方、お暇な方は どうぞ。最新日記は・・・ ホテルのデザート・ブッフェでスイーツ三昧当選
2007年11月23日
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ご城下には、門だけではなく立派な 武家屋敷も残されている。国の重要 文化財にも指定をされている、横田家の 邸宅は、百五十石の碌を受け郡奉行 なども努めていた、中級武士の屋敷だ 江戸時代末期に建てられた屋敷には 寄せ棟造りの主屋の他に、隠居屋や 土蔵などが、ほぼ完全な形で保存が されている 明治になって、この家で生まれ育った 横田秀雄は大審院長、息子の正俊は 最高裁判所長官になった。秀雄の 弟の謙次郎は鉄道大臣、姉の和田英は 「富岡日記」の著者として、有名だ そうで、松代の名家である 武家屋敷には畑などもあり、果実の なる樹があるのが、特徴だそうだ 同じく、松代藩中級武士の白井家は 表門しか残っていないが、跡地には お休み処があり、ボランティアガイドの 皆さんが、お茶を無料で振舞って下さる お茶請けの杏や漬物も美味しいし かりんの実や、手作りの勾玉も お土産に下さった お菓子は、軽井沢に行った訳では ないけど、娘が美味しそうだと 買ったものだ 今回の旅行はそもそも、懸賞で 温泉旅館(ホテル)にペア招待を されたもので、幾つも選べる中で やっぱ真田でしょ~と、松代を 選んで、娘と出かけたものだった 夜は和食、中華、フランス料理から 選べるので、メインが肉と魚の 二品と聞いて、迷わずフランス料理 川中島古戦場を眼下に眺めての フランス料理に、温泉でまったり ウエルカムドリンクに、風呂上りに またまたドリンク券が利用できる サービスはありがたい 和室のお部屋には、お茶にお菓子と いろいろと用意され、ホテル開業 ○○周年だとかで、粗品まで貰った さて、いよいよ旅も佳境に入る 平成19年11月9、10日、長野市松代で撮影
2007年11月21日
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浦賀にペリーの黒船がやってきて、世の中が 騒然となった幕末の世。八代藩主真田幸貫が 水戸藩の「弘道館」に範をとり、松代藩にも 藩校を計画をして、九代藩主幸教の代に移り 安政二年(1855年)に開校した藩校が 松代藩「文武学校」である 正庁(文学所・御役所)、東序・西序、剣術所 柔術所、弓術所、文庫蔵、番所、門、槍塀など 開校当時の姿ほぼそのままに、藩校の姿を見る 事ができる 文学(学問)と武道の「文武両道」をめざし 漢学、国史、剣術、総術、柔術、弓術を始め 西洋医学や西洋砲術までも教育し、新時代に 活躍をした、幾多の人材を輩出している 余談ではあるが、「硫黄島からの手紙」で 有名になった栗林忠道中将は、時代も下り この学校には直接関係がないのだが、埴科郡 西条村(長野市松代町)の、戦国時代から 続く、郷士の家に生まれだそうだ 太平洋戦争の硫黄島戦において、圧倒的な 兵力、物量、装備を誇るアメリカ海兵隊の 攻撃に対し、互角以上に戦い、一ヶ月半も 防衛した戦い様は、真田氏の戦いぶりの そのままのようであり、文武学校の精神をも 受け継いでいるような気もする そうそう、トルストイ「復活」の劇中歌 「カチューシャの唄」で、一世を風靡した 日本初の新劇女優、松井須磨子もまた この松代の出身であるそうだ 教授陣の中に幕末の旗手、象山先生を 発見! 大河ドラマ「新撰組!」では 石坂浩二が好演をしていたので、覚えて おいでになる方もいるだろう 松代の蘭学者の長男として生まれ、八代 藩主真田幸貫の援助を得て、江戸に遊学し ショメール百科全書などで、蘭学を学び 科学、医学、砲術、兵法等の外国の知識を 独学で習得をした 松代には、彼が電信実験を行った鐘楼が 「日本電信発祥の地」として残っているが こう思うと思想家というよりは、なんだか 発明家みたいだ。資料館には、カメラや 電気治療器もあった 江戸で私塾を開設し、吉田松陰、勝海舟 坂本竜馬などのあまたの門下生を輩出し 明治維新の原動力とした彼の功績は大きい 門人の吉田松陰が、黒船で海外密航を 企てたのを扇動した罪で、9年もの間 松代に蟄居を命ぜられ、自由になった 翌年に将軍家茂からの招へいで上京し 開国を論じた為に、攘夷論者によって 京都で暗殺をされた 象山生誕地にある象山神社は、学問の 神として、合格祈願の参拝者を集め 境内には松代蟄居の折、高杉晋作らが 訪れ密談した「高義亭」が残されていた 人が郷土を育てるのか。郷土が人を育てるのか 平成19年11月10日、長野県長野市松代で撮影 なお、歴史が苦手な方は日常的なブログ 「毎日が日曜日。」をご覧くださいませ♪ 本日更新「ロシアより愛をこめて」
2007年11月19日
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いよいよ秋も深まりつつある中で、今年の 風林火山のマイブームは真田家という訳で 時代は下り、徳川軍に加わった兄の信之 大阪方と共に滅んだ弟の信繁(幸村)の 数奇な運命を感じつつ 信濃国の藩のうちでは、最高の石高を有し 江戸時代に長らく、真田家が藩主を務めた 松代(まつしろ)藩のご城下に潜入だ! 真田信之さま ちなみに、徳川家康の宿敵である真田昌幸の 長男でありながら、信之の才能を高く評価し 家康は、本多忠勝の娘の小松姫を養女とし 信之に娶らさせる程の厚遇ぶりだ 真田家は江戸時代を通じ存続し、明治維新を 無事に迎えたのだが、途中で他家から養子が 入り、信之の系統は断絶しているそうだ 松代のご城下には、多くの武家屋敷の門が そのまま残され、なかなか情緒のある 町並みが続いており、紅葉もまた映えていた 小山田家は、風林火山で壮絶な最後だった あの小山田殿ではなく、信虎、信玄二代の 四天王で、板垣殿の腹心であった小山田 昌辰の子孫が、真田家の重臣となっている 風林火山で、川中島共々に観光客急増が 予想できるような、この時期に真田邸が 全面解体工事による改修~? ま、以前 見学はした事があるのだが、ここで紹介を 出来ないのが残念である 菊人形も風林火山が花盛り。他のブログ友の ところでは、謙信だけがマネキン人形の頭で あったのだが、ここのは他の武将のお絵かき なのに、勘助だけが妙にリアル・・・ 9代藩主の幸教が、母の隠居場所として 建てた大名屋敷で、小堀遠州の流れをくむ 庭園は工事中でも見学が出来て、紅葉が 鮮やかだった しかし、それよりも真田の家紋の六文銭が こんなところにも!! かっこえ~~ こんなところに、小鹿のバンビ~? 情緒が あり、自然豊かな松代では「小鹿のバンビ」の 作詞の坂口淳、「おさるのかごや」の作詞の 山上武夫、「みかんのはな咲く丘」「里の秋」の 作曲の海沼実が生まれ育っている 両親共に松代出身の草川信は「夕焼けこやけ」の 作曲というように、松代は童謡の故郷でもある しずかな しずかな 里の秋~♪ そう口ずさみ たくなるような松代の秋であった 平成19年11月10日、長野県長野市松代で撮影 おかげで書類も見つかり「いつも遊び歩いて、家の 事も出来ないで!」と旦那にしかられることも無く 部活で、土日で4つのイベントでゲスト演奏をして お疲れ風邪ダウンの息子も、朝、学校に出かけました
2007年11月15日
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岡崎の最後を飾るのは、徳川(松平)家の 菩提寺である大樹寺である。ここでの 一番の見ものが、歴代の徳川将軍の位牌で それぞれに、将軍の臨終時の身長と同じに 制作をされているというのだ しかしラスト・ショーグン。十五代慶喜は 将軍職を退いても存命であり、臨終に際し 神式で葬られたいと遺言し、位牌は無い 大樹寺多宝塔 (重要文化財) 「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれると 19歳の松平元康(徳川家康)は、岡崎に 逃げ帰り、大樹寺の松平家先祖の墓前で 自害しようとしたのだが、大樹寺の住職で ある、登誉上人が「厭離穢土欣求浄土 え(お)んりえどごんぐじょうど」と諭した 苦悩の多い穢れたこの世を離れ、阿弥陀仏の おわします極楽浄土への往生を切望すると いう意味で、お前こそがこの乱れた戦国の 世を平定し、平和な世を作れという事らしい こうして「厭離穢土欣求浄土」は家康公の 旗印となった。たぶん歴史が変わった時だ 元康は大樹寺の僧と共に、織田軍を迎え撃ち 豪僧の祖洞坊は、寺の総門の貫木を振り回し 織田軍をけちらし、元康の窮地を救った 家康公お手植えの椎の木 平成19年3月18日 岡崎市内で撮影 ここからは第二部。夏休みに娘と出かけた 名古屋でのお楽しみは、名古屋駅から 「名古屋臨海高速鉄道」の西名古屋港線 別名「あおなみ線」に乗って出かけた先は ヨーロッパっぽい建物の向こうに見える のは、コンビナート。へんてこな光景だ フットサルの競技場も建設をされていた ので、出来たら観戦をしたいと思う そして目的地の、名古屋市国際展示場 (ポートメッセなごや)に到着をしたのだ 前に幸運ならぬ、運幸(恐竜のう○こ)を 触ったので、今回は恐竜の卵!! 会場にはところせましと首長、肉食、翼竜 草食恐竜のホネでいっぱいで、ワクワクした 平成19年8月25日 名古屋市内で撮影
2007年11月07日
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味噌カツ、味噌煮込みうどんなどの名古屋 グルメに欠かせないものが、八丁味噌である 米麹を使わず、大豆のみで作られる豆味噌で 赤褐色の辛口味噌なのだが、岡崎城から西へ 八丁(約870m)離れた、旧・八丁村(岡崎市 八帖町)で作られていた事から、八丁味噌と 呼ばれ、三河味噌や三州味噌とも言われる 徳川家康が遠征に行く際には、八丁味噌を 必ず兵士に持たせたそうだ。「畑の肉」と 呼ばれるほど、タンパク質が多い大豆の パワーで、持久力を保ち、体が頑丈になる スタミナ食であるからだ それにしても、工場見学はやっぱ楽しいなぁ~ NHK放送開始80周年記念番組として 昨年の連続テレビ小説で、放映をされた 「純情きらり」の有森桜子(宮崎あおい)の 祖父が営む、八丁味噌の蔵元のロケもされ 街のあちこちに、出演者の手形などもあった 行楽先では母のかわりに、ソフト・ クリームを食べるのが、いまや趣味と なったわが娘は、早速、八丁味噌の ソフトクリームを300円でぱくり 私は見てるだけ。どんな味だよ!? 飛び込みの個人見学でも、八丁味噌の ミニ袋がお土産にいただける上、売店に 八丁味噌を使った、いろんな商品が 販売をされている 無論、試食が出来るものもある 平成19年3月13日に岡崎市で撮影 夢穂の日常的ブログ「毎日が日曜日。」も お暇な時にはお寄りください。最新日記は 「粗品に懸賞。主婦はせこく頑張るの巻」です 毎日が日曜日。
2007年11月05日
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もう半年も前の話になるが、大学入学も 決まり、暇をもてあます娘と出かけた先は 三河の小豪族から、徳川将軍家をうち たてた戦国の三英傑、家康の岡崎城だ 最近、真田家シリーズをしていたので ここでも、話によく出てきたし、大河の 風林火山でも、人質時代の若かりし彼が 今川家の場面で、登場してもしていた 一寸先は闇の戦国の世を、駿府の今川 尾張の織田の大国のはざまで、小国の 三河を守る為に、幼き頃より人質生活 三英傑のそれぞれの性格をあらわす為 鳴かないホトトギスを、どうするかの話で あるけど、まさに彼の人生はスリリングだ 鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス それにしても、日本の城の天守閣、なぜか 最上階に城の写真がずらりと、掲げられて いるところが多い そして、ネコちゃんなんかもいたりする 城が出来た時に、この地の竜神が出現を して「鎮守の神として崇めれば、この城を 守護し繁栄させる」と告げ、城内の井戸の 水が吹き出たそうで、天守に龍神が祀られ 城の名は龍ヶ城、井戸は龍の井という 家康が誕生の朝には、城楼の上に雲を呼び 風を招く金鱗の龍が現れ、昇天をしたとか 葵の紋が光り輝く「三河武士のやかた 家康館」では、体験コーナーなどもあり 黄金のダースベーダー? 娘です・・・ 家康の人形が能を舞い、能面をポンと かぶる「からくり時計」もあって、ちょうど 定時で見物ができた う~む。さすが公衆電話もゴージャスだ 平成19年3月13日、愛知県岡崎市で撮影
2007年11月03日
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落合宿は駐車場もないし、あ~、やって いるなぁと、遠くから気配を感じるだけ だったのだが、ここではJRのさわやか ウォーキングの参加者に栗きんとん1個と きのこ汁を振舞ったらしい。うらやましい♪ 私といえば、馬籠で一番の人出で賑わう ごへー祭に潜入だ。栗きんとん同様に 全国に名を馳せた五平餅は、中津川に 限らず、恵那、奥三河、木曽、伊那などの 地方で愛されてきた郷土食。ダンゴ型2個 3個タイプと、御幣(ごへい)型がある 長野県木曽郡旧山口村で、地元・各地区の 素人が手作りをした五平餅を、販売をする ごへー祭が始まって約20年。岐阜県への 越県合併問題で、元田中知事に横槍を入れ られ、以前の時のように村を二分するような 事態になりそうだったのも、今は昔 岐阜県中津川市になってもなお続く、祭り なのだが、山里は、ご他聞にもれず高齢化も 進み、参加する地域も年々減っており、私の 地域もやめてしまった。それを補うように 普段から販売をしている地元業者系も増えた 焼きたてアツアツならば、めちゃ旨いという 馬籠・峠地区のエゴマ、ヤマグルミの入った ものは一番の人気で、午前中にして2時間 待ちだそうだ。私も食べた事はない幻の味だ こちらは中津川の郷土食のいもやこもち サトイモのやーこい(やわらかい)お餅が 名前の由来ともいわれている 恵那の実家では、いもごねもちと言い その昔、貧しい農家の人がご飯の量を 増やす為に、ご飯に里芋を混ぜて 握ったものを焼き、生姜醤油や、ねぎ 味噌をつけて食べるのだが、なかなか 美味しい素朴な味だ 恵那のマツタケのお祭りでも、紹介をした へぼ飯の横には、蜂の子まで売っていた そのお隣のお菓子は、栗きんとんよりも 地域の人には身近である「からすみ」だ 4月3日のひな祭りには、欠かせない 米の粉を使った蒸し菓子で、岐阜県の 東濃地方から、愛知県奥三河にかけて 各家庭で作られ、世間一般に知られている 魚のそれとは、まったくの別物である 中津川付近の道の駅が、いくつも出店を しており、前にも紹介をした市内福岡の あじめコショウ、豊臣秀吉が朝鮮への 出兵の際に、兵士の士気を上げる為と 体温を高める為に、持たせたとか・・・ 付知川に生息をする、アジメドジョウに 似ており、福岡では唐辛子をコショウと 呼んでいたから、あじめコショウと言う 余談であるが、前の栗きんとんで、全国に 知られた中津川の「すや」(中山道でも 有名な酢のお店が、和菓子に鞍替えをした ので酢屋から)と、「川上屋」であるが 暖簾分けをしたのか、お隣の恵那市には 「恵那寿や」と「恵那川上屋」があって こちらも支店なども多い 特に、恵那峡の近くの恵那川上屋などは 近代的なおしゃれな店舗で、なかなか繁盛を しており、この前も娘にねだられて、恵那 川上屋のマロンソフトをご賞味~♪ 別にお味がどうだと言う訳でなく、恵那の お店も、美味しい栗きんとんを販売をされて いるのだが、もしも老舗の中津川のお店と 勘違いして購入をすると、別のお店と知って がっかりという事もあるので、ご注意を 私の実家などでは、恵那駅前の創業90年の 菊水堂の「傘岩まんじゅう」を、贈答品で よく貰って、一番の馴染みのお菓子だった 平成19年10月28日、中津川市 馬籠で撮影(栗ソフトは恵那市で別日) ドラゴンズ日本一についてのは、夢穂の 日常的ブログの「毎日が日曜日。」の 「感動をありがとう~♪」の日記に書き ました。よろしかったらのぞいて下さい 「感動をありがとう~♪」
2007年11月01日
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