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古くより景雲、慶雲、瑞雲などとも呼ばれ 吉祥の印ともされる彩雲は、太陽の近くを 通りかかった雲が、緑や赤に彩られる現象だ 仁科神明宮の近くにある、創建は平安時代と いわれる真言宗の盛蓮寺で、重要文化財の 観音堂を参拝をする際に、境内から空を 見上げると、このような雲を見物できたのだ 如意輪観音を安置する観音堂は、室町時代の 建築らしく、非常に優美な建物であった さて、いよいよ塩の道も、白馬村に入る 長野五輪でノルディック複合で荻原兄弟の ジャンプを見て以来の2度目の白馬だ そのまま、日本海でも見に行きたい気分 だが、岐阜へも帰らなきゃいけないし 今回は、日本海に注ぎ込む姫川の源流の 見物とするにとどめた 一番右側の樹木をよく見てくださいな なんだか象さんの鼻のように、幹が たら~~んと垂れ下がっていた さて白馬も名残惜しいが、引き返しって 穂高で、偶然に、紛れ込んだ森の中で 見つけた小さな美術館で、ロイヤル コペンハーゲンなどの陶器を見物する イヤープレートが、その時代の世相を 感じさせもする 今回の穂高のそばは、てんこ盛りされた うえに、豪快に山かけだぁ~ そしてラストを飾るのは北アルプス牧場の とろけるばかりのソフトクリームで、姉も 大満足の塩の道ドライブだった おかげ様で、高卒就職組の息子ですが 希望をする企業の内定をいただきました はぁ~これで一安心。10月は名古屋フィルの メンバーの方たちの室内楽演奏会に、部活 みんなで、ゲスト出演をさせていただきます 年内は部活。年を越したら免許かな? 平成19年9月16日信州で撮影
2007年09月28日
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「争うべきは弓矢にあり、米、塩に あらず」 戦国の名将、上杉謙信が 太平洋側の今川、北条両氏との確執で 塩を絶たれた、武田氏の領民の為にと 塩を送ったのは、日本海側の糸魚川から 松本方面へ塩を運んだ「千国街道」だ 敵に塩を送るという言葉の語源である 娘のアパートから、姉を助手席に乗せ その塩の道を北上をし、向かった先は 平安時代末より、伊勢神宮の荘園である 仁科御厨(みくりや)を治める、名族 仁科氏のお膝元へ 日本最古の神明造りである、国宝指定の 仁科神明宮(にしなしんめいぐう)は 秋祭りの準備で華やかに彩られていた 信玄と謙信が信濃の覇権を巡る中で、領主 仁科盛政は武田方に従って、佐久、小県に 転戦をしていたのだが、留守役の家臣らは 武田氏に従う事を拒んだ 上杉氏からの誘いもあって、武田氏に抵抗の 姿勢をとったが為に、武田氏に攻略をされ 仁科盛政は処刑をされ、仁科氏は断絶をした その後、信玄は五男の晴清に、仁科家の 名跡を継がせ、仁科五郎盛信と名乗らせたが 織田信長の武田への侵攻によって、伊那の 高遠城で壮烈な最期を遂げた 推定樹齢900年の、巨大な杉の切り株は 国指定の天然記念物だった、以前のご神木 樹齢800年の鳥居横の三本杉は、昭和 54年3月の突風によって、真ん中の 1本が倒れてしまったそうだ。残念 仁科氏に由来される仁科三湖(にしな さんこ)は、大町市北部にある、糸魚川 静岡構造線による、地溝上に出来た湖で 青木湖、中綱湖、木崎湖の総称である 小っちゃな中綱湖(なかつなこ)の湖畔 には、釣り人が数人、楽しそうだ 白線流し、男はつらいよ、犬神家の一族 などの映画のロケなどでも、仁科三湖が 使われている。あの湖に突き出した足も ここだったのか! 県内で最も深く、透明度も高い青木湖は 湖底にかなりの湧水があると考えられて いるそうだ 木崎湖の西岸の半島状に突き出した丘に 農具川をせき止めて、浮島とした水城が 前述の仁科氏の森城だそうだ 平成19年9月16日に、信州で撮影 前回のへぼ飯(笑)にも、沢山のコメントを ありがとうございました。へぼ飯は食べた事が 一度も無いので、味は?です。イナゴも無いです でも、実家では味ご飯にはへぼが入っているのが 当たり前、赤飯には栗が入っているのが当たり前 みたいなものでした 夢穂 26日AM
2007年09月26日
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昨年は、姉と姪と出かけた中津川市坂下の 椛の湖(はなのこ)の満開の蕎麦の花の お祭に、旦那の運転で娘と出かけた 最初は、気球に乗りたいといっていた 娘も、長い行列に辟易し、肉の串刺しや 蕎麦だんごとグルメに満喫し、大満足 次のグルメスポットに向かう途中では 中津川市福岡の下野庚申堂(しものこう しんどう)で、何やらお祭りをしている どうやら、今日は庚申の日にあるらしい 日本三大庚申の一つで、青面金剛童子像は 高僧行基の作とされ、文覚上人が安置を したと伝えられている。「金剛王」の大額の 文字は山岡鉄舟筆であるらしい さて、昨年も紹介をした恵那市の秋を飾る 「ENAみのじのみのり祭」は、炭火焼きを して味わえるマツタケや、市内各地域の ふるさと料理を、ふんだんに味わえられる 蕎麦の花を見ているうちに、マツタケの 炭火焼きはもう終わっていた~。しまった~ しかし、高級マツタケは販売中のようだ 貧乏人の私は、笠置町のあわ焼きなる お菓子に興味津々。娘は山岡町の寒天を 使ったあんみつをご賞味~。また食うのか お~、へぼ(地蜂・クロスズメバチ)の成虫や 幼虫が炊き込まれた、へぼご飯だ! 懐かしい うちの兄がこれが大好きで、よく取りにって 姉とか、むにゅむにゅした幼虫を、そのままパクリ それを宇宙人を見るように口をあんぐりする私 私は大嫌いで、したがって食べたことは無い 「みのじ宣隊ENAレンジャー」のグッズまで 販売をしているよぉ~。キュートな後姿しか 拝見できなくって残念だった そんな訳で、あちらこちらで食べ歩き 秋のお祭りはこうでなくっちゃ! 平成19年9月23日。庚申の日に撮影 日常的な、というか懸賞日記になりつつある 馬籠人日記も、お暇なときはよろしく http://plaza.rakuten.co.jp/soraho/
2007年09月23日
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長い夏休みで、帰省中の娘のアパートに 懸賞の当選品が不在なので、届けられないと 宅配会社から電話があった。8月に続いて これで3度目になる うちのあたりには無いチェーンなどで 私が出かけた時に、買い物をして応募を しているので、せいぜい1口、2口しか 応募ができないのに、よく当たる ワンコのお守りと、小さな畑作くらいで 暇をもてあます姉を誘って、2時間半の ドライブだ。布団も2組あるので、家賃も 勿体ないので、泊まっちゃおう~! いつもの抜け道では、案山子のお祭りを やっていた。やっぱ風林火山ネタに年金か 案山子のお役目もあと僅か。刈り取り 直前の黄金の稲穂のほかに、純白の そばの花が、あちらこちらで満開だ 以前、霧の美ヶ原の帰りに旦那の車で 立ち寄った山辺ワイナリー。あの時は 夕刻で利用できなかったけど、あそこで 姉とランチを楽しもうと立ち寄ってみた このワイナリー、まだ日が浅いみたいだけど レストランに、農産物の直売もあって なかなかの盛況ぶりである お昼時で、30分程の待ち時間ができたので 早速、試飲コーナーへ。といっても今回は 運転手。姉があれも、これもと飲んでいるのが うらやましい。飲めないのはかわいそうと 夜に二人で飲もうと、ワインを買ってくれた 写真は姉ではなく、まったくの赤の他人の方だ さすがワイナリーのランチなので、セットの ドリンクはワイン(赤、白)も選ぶ事が できるので、姉はさっぱりと白をチョイス パスタにサラダ、ドリンクで1000円以下で 楽しむことが出来た。ここでは手打ちそばも あるそうだ、次回は・・・ お安い葡萄も買い込んで、もちろん 今回もスーパーに寄り道し、今度は 締め切りが9月末なので、当選しても 娘が受け取ってくれるから安心だ 姉が家で使うというワンコフードや 野菜のタネや、食品なども購入をして 懸賞の対象品も入れてのレシートを くれたので、4種類くらい応募が出来た ほろ酔い気分の姉を連れて、娘の アパートにつくと、程なくして宅配が フードミキサーセットを届けてくれた 今回も、これでガソリン代は優に浮いたし 娘も喜びそうなプレゼントだ。しかも この駅前のチェーン、初当選はありがたい! 平成19年9月16日塩尻、松本市内 で撮影
2007年09月21日
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週末、名古屋で団塊の世代の皆さんが 涙するというクミコさんの生歌付きで シャンソン歌手エディット・ピアフの 生涯を描いた映画の試写会に、娘と 出かけてきた 杖を持った、腰の曲がったおじいさんや おばあさんなど、かなりの年配層なのは 若き日の思い出が、シャンソンに重なるのか 映画をみた後にぽつり。全盛期の ピアフって、私の姉に似てるかも? 栄に出て、本屋や地下街を徘徊して 名古屋名物の味噌カツを、いし河でぱくり さ、いよいよ名古屋グランパスエイトの 聖地である、瑞穂(みずほ)運動競技場に 到着だ。グランパスの試合は懸賞の招待で 息子と豊田スタジアム、姉と瑞穂で観戦し 今回は3度目になる。ナイターは初めてだ 試合というよりは、応援席を見物をするには 絶好の席で、続々とつめかけるサポーターに やっぱ、あの中に混ざりたいという衝動が おもしろそう~ グランパスのシャチ・マスコットの グランパスくんの動きは、もしや・・・ 「そんなの関係ねぇ~!!」 いよいよグランパスとアントラーズの 選手も入場し、試合開始だ グランパスゴ~~~ルで、サポーターも 大盛り上がり。やっぱスポーツ観戦の 醍醐味は、この得点シーンにあると思う お土産は、無論、グランパスくんのでら パワーむき栗。でらとは、ものすごくと いう意味だ。たぶん・・・ 旦那の晩酌のビールで、勝ちパンダも 当選し、この勢いでいけいけドラゴンズ~!? 平成19年9月15日。名古屋市内で撮影
2007年09月19日
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あまりにも立派な楠の大樹が、門前に 立ち並ぶ青蓮院は、法親王(天皇の 皇子や皇族の男子で、出家後に親王 宣下を受けた者)が、門主を務め 宮門跡寺院として格式を誇ってきた 江戸時代の御所炎上の際、後桜町上皇の 仮御所となった為、青蓮院旧仮御所として 国の史跡にも指定をされ、その地名から 「粟田御所」とも呼ばれ、雅さも感じる 慈円院主のもと、わずか9歳の親鸞聖人が 得度をされたそうで、楠は親鸞聖人の お手植えによるものと伝えられている 小御所の近くにある「一文字手水鉢」は 豊臣秀吉の奉納であるとか 廊下に巨大なお数珠がかけてあり それをくぐると、厄払いになる さらには、座敷&坐像なので、写真は 控えたのだが、おみくじの創始者である 元三大師のおみくじもひけちゃいます♪ 話は変わって・・・・ 11月上旬は、京都御所の一般公開や 秋の未公開寺院の特別公開が目的で 毎年のように、京都に出かけるので 紅葉もまだまだ始まりで、ほのかに 早いものは、色づき始めている程度だ 続けての京都訪問もままならず、紅葉の 一番美しい頃の見物はしたことがない たぶん、この黄緑色の紅葉が真っ赤に 染まったら、さぞかし美しいであろうと 禅林寺の木々を眺めた 永観律師がおいでになった事に由来して またの名を永観堂とも呼び、古くより 「秋はもみじの永観堂」と称された 小ぶりな木造阿弥陀如来立像は、頭部を 左に向けた特異なお姿をされており 「みかえり阿弥陀」の通称もある これは、永観律師が念仏を唱えながら 阿弥陀如来立像の周囲を行道していると たところ、阿弥陀如来が須弥壇から下り 一緒に行道を始めたので、それを驚き 永観が歩みを止めると、阿弥陀如来は 振り返って「永観遅し」といった時の お姿がもどらなくなったとか・・・ 普通は、松は二葉か五葉なのだが、まれに 三葉の松があり、仏具の三鈷に似ている ところから「三鈷の松」と呼ばれており その葉は、ラッキー☆アイテムのようだ 平成19年9月9&10日に京都市内で撮影 追 記 「庭のどこが虎の子渡しでしょうか?」と 前の南禅寺の日記の説明不足で、複数の方から ご質問がありました。築地塀の前に並ぶ石が 川を渡る親子の虎を表しているそうです
2007年09月14日
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京都といえば山村美紗ミステリー。京都 ミステリーといえば、狩矢警部という訳で 某男優さん演ずる、死体のメイク待ちの 彼に、かつて出会った事があるのが東山 界隈だ 黄門さまの風車の弥七のように、突然に 絶妙のタイミングで、コートをたなびかせて 現れるのが、南禅寺の境内にある水路閣だ 気配感じろよ~!と、突っ込みたくもなる 私もミステリードラマで、琵琶湖疏水が流れる このロマンチックな水路閣を知って、何度と なく出かけているお気に入りのスポットである ま、有名どころだし、皆さん知ってはいると 思うが、一度、このブログでも紹介したかった さらに「ちょっと、そこで話しましょう!」と 警察署から出かける先は、石川五右衛門が 絶景かな!と、見栄を切る南禅寺の三門の下 東山の緑に包まれた、大好きな南禅寺で 国宝の大方丈を彩る、狩野派のきらびやかな 障壁画を堪能し、方丈前の小堀遠州作庭の 「虎の子渡し」の枯山水の名園を見物する 虎の子渡しとは、中国の故事で、目を離すと 他の2頭の兄弟虎を殺しかねない、獰猛な 子虎の計3頭を、無事に河を渡した母虎の 知恵である。川は危険なので1頭ずつしか 連れてはいけない。さぁ、どうする? 最初に母虎は、獰猛な子虎を向こう岸に渡し 戻ってくる。その次に大人しい1頭を連れて 向こう岸に渡り、獰猛な子虎を連れて戻る 更に大人しい残りの一頭を連れ、向こう岸へ 渡して戻って、最後に獰猛な子虎を連れ 向こう岸へ渡って、おしまい 岐阜県産の大理石の「紅縞」でできた 巨大な硯(すずり)石 平成19年9月9日午後に、京都市内で撮影
2007年09月13日
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京都のホテルのペア招待が当選をしたので 青春18切符を利用して、娘と二人で残暑 厳しい京都に出かけた。どこも出かけた 所ばかりなので、娘に面白がって貰えたら などと、私が選んだのは青春18切符で 交通費がかからない事もあり、伏見稲荷 稲荷神を祀る全国の約4万社の稲荷神社の 総本宮であり、五穀豊穰、商売繁盛、交通 安全といったご利益がある。現在の本殿は 応仁の乱で焼失し再建をされたもので、国の 重要文化財にも指定をされている ご神域である稲荷山には、信者から奉納を された約一万基の鳥居が立ち並び、特に 千本鳥居は名所となっている 日本人は表側から、写真を撮っているのに 対して、外国人は住所や名前の書かれた 裏側からとっている人を、幾人か見かけたが 漢字がエキゾチックなのだろう 千本鳥居を通って奥院へ。山深い奥院には 一対の石灯籠があり、この灯篭の前で 願い事をして、灯篭の空輪(頭)を持ち上げ 重さが軽ければ願い事が叶い、重ければ 叶いにくいというおもかる石。軽かった~! ここの絵馬は、白狐さんの形をしていて みんな面白い顔が描いてあるよ~。自画像? 奥院の先の鳥居の参道から、山道に それた所には、竹取物語の舞台だとも 言われている神宝神社のお社がある 昔ながらの千代紙で作られた叶雛 (かなえびな)での祈願が出来る やっぱ、お昼にはおいなりさんを食べる 事にしたが、それを見て娘が絶句? 「あれ、ここの尖がってる!」。そう うちのあたりのおいなりさんは、丸いの だけど、皆さんの地域はいかがです? 看板ネコちゃんなのか、のんびり軒先で お昼寝しているのを、観光客になでなでされ 上目遣いで、愛想良くするネコちゃんは 再び目を閉じて、うとうとと・・・・ 参道では、名物のすずめとうずらの焼き鳥 すんません。私は無論。娘も食べなかったです 平成19年9月9日午前に、京都市内で撮影
2007年09月11日
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諏訪湖の花火の見物の次の日、家への帰り道 木曽の御嶽山にも出かけたのだが、他にも 以前から気になっていた、国道19号に近い 長野県塩尻(しおじり)市の観光スポットに 立ち寄ってみた 佐賀県の吉野ヶ里や、青森県三内丸山などで 近年、巨大遺跡が発掘をされたが、かつての 日本三大遺跡は、静岡の弥生時代の登呂遺跡や 長野県の縄文時代の尖石遺跡、そして塩尻の 平出(ひらいで)遺跡とも言われた時期も あったらしい 初めて、子供のころより名の聞いていた登呂に 出かけたら、町のど真ん中にこじんまりとあって これがぁ~?と、少しがっかりしたことがある しかし、田舎の塩尻だけあって、広い敷地には 復元遺跡や、出土品の並ぶ博物館や、古墳など 盛りだくさんで、なかなか見ごたえがある 戦後間もない時期に始まった発掘調査で 縄文時代中期、古墳時代から平安時代と 5千年にもわたる、大規模な集落跡が多数 見つかった 東京、京都や奈良などで大きな博物館も なれてはいるが、ここの博物館は小規模 ながらも、貴重な遺物が所狭しと並んでい 土偶や銅鐸などなど。あぁ~やっぱり楽しい! やっぱ、ここでもクマに注意! 今年はうちの あたりでは出没がなく、人間にも、熊にも 良かった。山でいっぱい木の実を食べて冬を 迎えてくださいな 縄文の時代から、絶えず水が湧き出ている 「平出の泉」は、息を呑むような蒼さで 光り輝いているようだ 塩尻といえば、ナイアガラなどのブドウが 有名で、国道19号沿いには、幾つもの ぶどう園が立ち並んで、この遺跡の周囲にも ぶどう棚。遺跡よりそちらに目がいく私であった 平成19年8月16日。長野県塩尻市で撮影
2007年09月08日
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よく東海地方の旅番組でも紹介をされる 付知峡で、きまって紹介をされるのが 渓谷を望みながら食べる流しそうめんだ しかしお金もないので、岐阜の名水50選にも 選ばれた付知の水をごくり。ここでおなかを 膨らませることは許されない。なぜなら目的の グルメは違うのだから! 日本でも、有数の活断層である阿寺断層は 中津川市神坂付近から、坂下、福岡、付知 加子母、下呂、萩原付近へ至る約80キロの もので、付知峡入り口のあたりでも断層の 様子が見られる いよいよ車を北に走らせて、付知町から 中津川市最北端の加子母(かしも)に入った そして、飛騨方面に何度となく走らせながら いまだ食べた事がなかった、旅の目的である 加子母名産のトマトを利用したという とまとソフトに、道の駅でご対面だ ソフトを持った娘の向こうから、旦那が妨害 工作。ブログ目的の写真を取ろうとすると 知らぬ間に乱入をしてくる事がたびたびある 道の駅ではご当地グルメの「けいちゃん」に トマトジュースなどのグルメも食べることが でき、ちょうど中日新聞の地方版の記者が 取材に来ていた 岐阜県東濃地方は、全国的に「地芝居」の 盛んな地域で、加子母においても毎年秋には 地元の住民たちによる、素朴な地歌舞伎が 上演をされている 加子母ではないが、中津川市坂下の子供 歌舞伎からは、市川猿之助の門下の女形として 市川笑三郎さんが活躍をされている その舞台となる「明治座」は、その名のごとく 明治27年に作られたのだが、回り舞台に、セリ 両花道や、2階席まである本格的なものだ さて、ラストに今回は立ち寄らなかったのだが 加子母といえば、なめくじの墓。ここの日記で かつて紹介もした事があるので、ご興味のある方は 下記の私のフリーページでご覧下さい 女の恋慕は、刀傷のあるナメクジと化してもまで・・・・ 殿上人日記フリーページより「文覚上人と袈裟御前」 http://plaza.rakuten.co.jp/siroihana/29009 国の天然記念物に指定もされた樹齢千数百年の 加子母の大杉も境内にある 平成19年8月、中津川市内で撮影。夏の思い出より
2007年09月05日
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前回ここで紹介をした、中津川市蛭川の博石館で あるが、本当は息子を部活に送ってから、旦那の 運転で娘と私と一緒に出かけて、一人は有料で 入館をするつもりだったのだが、入り口まで行って 「あっ、招待券忘れた」と、ドンくさいのは私です 「え~~、サイアク。トロい!」と、娘や旦那の 常日頃、聞きなれた罵声を浴びながら、代わりに 出かけた先は、中津川市内の付知峡でマイナス イオンを浴びて、酷暑も忘れリフレッシュだ~! 私も、中学時代にキャンプに来たことがある付知峡は 東海地方の子供たちには身近な存在で、その日も 愛知県内の子供たちが、幾組か、キャンプにやって きていた 全国森林浴の森百選にも選ばれた遊歩道をずんずん 進んでいくと、大小さまざまな滝が幾つもあり 学生たちは、滝つぼの中で水を掛け合っていた 携帯電話とか大丈夫~~?? たぶんキャンプで 泊まりだろうから、着替えはあると思うのだが なんだか楽しそうだなぁ そして揺ら揺らと、つり橋の上から下をのぞくと 先ほどの学生たちも米粒のようで、なかなか スリリングでもある。きゃぁ~、そんなにズンズン 歩くと、つり橋が揺れる 相変わらず高いところが好きな私である ぶ~ぶ~言っていた娘も旦那も、もう私のちょっと したミスなどすっかり忘れて、顔もにんまり 楽しい夏の日であった。さぁ~食べに行くぞ! 平成19年8月に中津川市付知峡で撮影。夏の思い出より
2007年09月03日
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会社の夏祭りで旦那が貰った宝石探し体験 つきのペア招待券で、娘と二人で、市内に ある博石館に、遊びに行くことにしたのは お盆の直前の事だった 中津川市は花崗岩などの産出があり、ここも 石材店が経営をしてるのだが、そのシンボルは 小さなピラミッドで、中は迷路になってる そして、いよいよ30分ほどの宝石探しだ 沢山の砂には、キラキラと色とりどりの石が 腕まで水につけて、シャベルのように砂を かき分け、かき分け。うっ・・・面白い! 当然、沢山ある方が私の成果である。ついつい こういったものには、本気を出してしまう さらに、子供たちには楽しい遊具も幾つもあり 娘も久々に、竹馬にチャレンジをしていた 石の博物館では、8月と言えば、原爆 広島、長崎の被爆をした石などもあった トンネル工事したときに出る貫通石は 物事をやりぬく、成功をするという 幸運の石だそうだ さらに恐竜のウ○コは、幸運ならぬ 運幸~の石!? う~~む、親父ギャグ みたいな気もするが、それが運幸に つながるのなら、触ってみるのが悲しいかな 庶民のサガ! 時間が無くよれなかったが、不思議な ネーミングのお店だ。変わったメニューとかも あるのかな? 次回はぜひ寄ってみたい ちなみに、冒頭のかわいらしい石の建物の 写真は、おトイレだったりするのだ!! 平成19年8月撮影。夏の思い出日記より
2007年09月01日
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