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人類があまりに愚かで、あまりに経済がインチキだらけで格差をみれば明らかなように、人類同士で詐欺強奪する経済になり、行き詰まっているので、経済の原則について書きたい。 経済とは、不足を補う事である。足らないものに与えることが経済行為なのである。利潤を追求することではない。それではモーゼの十戒に背いてしまう。利潤を追求するのは詐欺にあたる。 第一、利潤を追求すれば、カルマの法則で、負債を負うことになるからである。だから利潤を追求すれば、地獄に堕ちるだろう。 だから、経済とは、利潤追求では断じてないのである。ここが現代人の大いなる過ちである。だから、もし誤って、短期的に利潤を追求することになれば、長期的に利潤を得たところに還元しないとダメなのである。 経済とは、不足を補うことだというが、どれぐらい不足している、のかの目安は何なのか、と反論されるかもしれない。 何が不足しているのか、といえば、与えるという博愛である。だから経済行為には博愛が必要不可欠で、博愛の不足が生じるのは、自己が実現していないことにあたる。 自己を実現するために、人はこの世に生まれてくる。自己を実現するのに必要なのは、博愛と自由の精神である。博愛と自由を担保するのが、カルマの法則による平等の精神である。 足らないという人は自己が実現していない。だから、皆が協力してそれぞれの自己実現を手助けするのが経済行為なのである。 さて、現代の経済はあまりにも唯物論に染まってしまい、特に物的投資論が盛んで、インチキ数学が蔓延って、世の中を複雑化させ、混乱を生んで、格差社会を拡大している。 それもこれも、「自由」の概念があまりにも、物質的だからである。物質の自由はありえない。物質自体が、誰かの所有になれば、その誰か以外の自由の障害になるからである。 つまり、一人が所有すれば、他の人は所有できないわけで、物質の本質とは自由とは相いれない性格をもつから、物質所有によって利潤を上げようとする現代の経済は根本から誤っていて、「自由な経済」という言葉自体が、「平和な戦争」と同じく既に間違っているのである。 だから、所有の概念を捨てない限り、自由な経済はあり得ない。 では、どうやって所有の概念を捨てるかといえば、最近になってようやく一部の経済学者が気づきつつあるが、レンタルの概念、もしくは共有の概念を導入すべきなのである。 共有の概念とは、決して新しいものではなく、もっとも古い概念で、国家の概念や公的機関の概念がそれである。 共有、レンタルの概念とは、実は最も古い概念で、それがどうして新しく感じるのかといえば、私物化という所有の概念を、共有の国家や公的機関に持ち込むからである。 所有化の概念とは、唯物論からはじまった、もっとも陳腐で、皮相的な、割と新しい概念で、なんでも私物化してしまうというのは、要するに精神年齢が低いことを意味する。この国の政治家やアホ総理をみれば明らかであろう。 そこで、このレンタル、共有の概念を、私物化という所有の概念を抑えるために、どのように再び、回復させるべきかといえば、老子の思想を持ち込むのがよいと思われる。 老子を現代の経済に当てはめればノーベル経済学賞ものであろう。 老子を読み解いて、いかに経済の共有の概念にあてはめるか、が現代経済の課題である。 簡単にいえば、物質は一つでは、一人しか所有できないが、巧く所有に見合うように分割すれば、その分を所有できる。 どのように物質を分割すれば、所有したいという各人の自己実現のためになるのか? この物質の分割と、各個人の自己実現に橋を架けるのが、現代の老子を用いた経済であるべきなのである。 物質を分割していけば、素粒子になるが、それでは、各個人の自己実現には結びつかない。つまり、唯物論ではダメなのである。 人はなぜモノを所有したいのか? モノを求めることは、同時にそのモノに束縛されることで、モノである限り、自由ではなく、不自由を求めていることになる。 現代の詐欺経済の宣伝などで洗脳され、見境なく、モノを求めれば、かえってその分モノに拘束され、自由がなくなるので、最近は断捨離が流行るようになってきたことでわかる。 だから、人間がモノを求めるのに、不自由であってはダメなのである。不自由な現代の格差詐欺経済を続ける限り、モノに束縛され、特に金持ちはキリストが言ったように、地獄に堕ちることがわかる。 現代人の多くがモノを求めて、地獄に堕ちていく。 だから、現代人は考えを改めないといけない。 人はなぜモノを求めるのか?それはモノに閉じ込められた力を獲得したいからである。 カネを求めるのは、カネにより生活の安定への保障を求めているわけで、つまり安定した生活の信頼を得たいからである。 だから、モノを求めているのではなく、実際は、未来の自己実現を求めているのである。 だから、モノを求める行為を、所有行為にしてはならず、自己実現行為にしないといけない。それにはなにより博愛が必要不可欠なのである。 現代の詐欺経済を、創造共有経済に変革するカギが老子である。 老子とは、端的にいえば陰陽論に帰する。 人は、自分とは逆の立場の人を求める。実は、この陰陽のお互いが逆を求めるというのはカルマの法則でもある。 この陰陽論の間に共有とレンタルの概念を持ち込むべきである。 例えば、既にあるが、老人ホームと保育園を一緒にし、お互いの人生を共有する、というような陰陽論に沿った経済概念を確立することである。自由とは、何ものにも束縛されないということで、それは実はネガティヴな考えをもたないということである。常に足るを知り、自己を実現する、ということなのである。自分はこれでいいと社会に見合った位置を共有するのである。この足るを知り、自己を実現する、自分はこれでいいと社会に見合った位置を共有する、という最も身近な譬えとは、実は結婚なのである。男女という陰陽の反対の立場を互いに求めながら、互いに束縛されずに自由に生き、自己実現を行う、という課題を背負うのは、結婚だからである。結婚生活ほど経済学の教科書になりえるものはない。だから結婚には経済が不可欠なのである。結婚生活を続けられない人は経済学を修めることはできない。いまはここまでしか思い浮かばないが、いずれ書き込んでいきたい。
2017年03月30日
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また久しぶりに書く。 道徳教育が巷を賑わせているが、この国のやろうとしている道徳教育は「論語読みの論語知らず」といえる。果たして、反知性主義などを唱える段階で、論語を知っている、ともいえないが…。 道徳教育を教育勅語と関係づける嘘つきたちが巷を賑わせているが、それこそ不道徳そのものである。大人が国会という国の最高機関で嘘をつくことぐらい道徳を愚弄する行為はないだろう。地獄に堕ちること請け合いである。 このような神を信じない行為は自らの魂を滅ぼす行為である。皆の前で平然と嘘をつくことぐらい不義で非道徳な行為はなく、子どもの教育にはよくない。 大人が公衆の面前で公然と嘘をつくことが、子どもにどれだけ害を与えるのかを考えてみればすぐにわかる。子どもは当然真似をして、不利になると嘘をつくようになる。そのような子どもが大人になって、国会で嘘をつく。 恐るべき不道徳行為と言わざるを得ない。しかも権力を使ってもみ消す。まさに悪魔の行為というべきだろう。そのうち悪魔が現れる。 そのような愚かな行為に人類が埋没しないために、キリストはきたのにも関わらずである。神への冒涜である。神が道徳をつくったのに、道徳に従わない人間が生まれてしまった。 本当なら、不道徳行為をする度に自滅していくようにすべきだったのだが、肉体はそのようにはなっていないが、霊魂はそうなのである。霊魂は道徳を守らないと腐敗する。道徳は霊魂に課された行動規範なのである。だから古代人は嘘をつかなかった。 道徳とは神があってこそ意味をもつからである。無神論者に道徳を語らせることはできない。道徳とはカルマの法則である。嘘を語れば、自分の存在も嘘になる。 キリストでないものが、キリストの教えを語ることはできない。キリストに従うしかない。 さて、道徳といえば、老子が思い浮かぶが、教育勅語をみていると、「大道廃れて仁義あり」の一説が思い浮かぶ。 この意を、「道徳を実践できる者がいなくなったので、道徳を語るしかなくなった。」という風に解釈している。つまり、道徳を語るのは偽善である。道徳とは実践してみせなければいけないものだからだ。 余談だが、勝海舟も言っているが、「武士がいなくなって武士道ができた。」と同じである。 道徳とは、行為であって、語るものではない。というのは良いことを言うからといって必ずしも善人とは限らずに、悪人、つまり詐欺師の偽善者こそ、良いことを言って人を欺くからである。 いまの国会をみれば誰の目にも明らかだろう。権力を使って大衆を欺き、悪事を誤魔化す極悪人たちが道徳教育とは、片腹痛し。 どちらが、国会という場で神に誓って自らの生命を懸けているのだろうか? 自分の子供時代を振り返ればわかるが、子どもは教科書などバカにしていたもので、どうして大人たちはそんなに教科書に拘るのか不思議だった。教科書などよりも、国会で嘘をついたり、居眠りしたりの政治家の態度こそ問題に思っていた。 反骨心の多い子供ほど教科書なんかよりも大人の偽善的な態度に疑問を感じたはずである。 つまりいまの権力を悪用した嘘つき政権こそが、子どもにとって不道徳極まりない地獄行きの非人道的な態度にみえるはずなのである。 大人たちは生活費を稼ぐから真剣に生きているとは限らないのだぞ。 子供も真剣に生きているのだぞ。 この世界に生きている時間が長いからといって、子どもを教育できるなどと、それも道徳を教育できるなどと思いあがるなかれ。それこそ大人の無知さ故の驕りである。 子どものほうが、大人世界の非道徳な関係から、良心が穢れていないだけ純粋なのである。 まだ、あの世の教え、人生を真剣に生きる、という志をもっている。 政治家たちももっと真剣に生きないと大変なことになるぞ! というわけで、お馴染みのサイトから、紹介することで、再び警告します。 ★ ★ ★ 自民党は統一協会に乗っ取られた http://my.shadowcity.jp/2017/03/post-10871.html 本日の森友ネタとしてはですね、例の小学校の土地というのが11億円で売りに出されているというんだが、おいらの査定としては、「ウチは産廃屋なので、自前で処理してキレイにしてドンキに売りますw 12億で売れるだろう」というので、ほぼ、金額が一致して来るわけですw ウチは産廃屋であるとともに、不動産屋でもあるので、プロの見立ては正しいw あの土地なんだが、誰の土地なのかというとカゴイケの土地なんだが、りそなかどっかの銀行で担保に入っているわけで、カゴイケの独断では動かせない。財務省では「返せ」と言ってるが、金融機関としては、担保として押さえると主張するだろうw こういうヤヤコシイ話になったら、さて、どうなるかw 10年くらい裁判やるのかw民進党は27日午前の参院予算委員会の理事会で、大阪市の学校法人「森友学園」(籠池=かごいけ=泰典理事長)への国有地売却問題に関する政治の関与を解明するため、安倍晋三首相の妻の昭恵氏と、昭恵氏付の官邸職員、谷査恵子氏を含む4人の参考人招致を要求した。 首相はその後の予算委の集中審議で、昭恵氏の招致に関し「その必要はない」と述べ、応じない考えを示した。これひとつとっても、あの土地が「産廃が埋まっているからタダ」なんていう理屈が通るもんじゃないというのは明らかだ。そもそも財務省が21億円で買った土地なんだからw 【森友学園】財務省「谷氏から照会があったのは2015年11月頃」 民進、谷氏招致求める 昭恵夫人の招致に首相応じず★14 、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。-----------------------アベ終了のカウントダウン-----------------------今日のBS-フジ「プライムニュース」が森友やるよ森友学園問題、テロ等準備罪・・・与野党幹部に後半国会の戦略を問う! 小野寺五典、上田勇、階猛、井上哲士あと金曜の深夜、朝まで生テレビも森友の可能性が高いかな?まだ未定ってなってるけどね-----------------------今日のテレ東放送で、ゴミは、なかった-----------------------しかし籠池のおっさんの胆力は大したもんじゃのう。 愛国カルトがなければねえ。身の破滅はしなかったろうに-----------------------辻本清美が違法行為してると思えば検挙すればいいだけだろ安倍チョンキチガイ過ぎ-----------------------三原じゅん子氏、当選おめでとうございます。お母様の金一姫さん(キム・イルヒ)が在日韓国人時代ひとにはいえない苦労をされた。晴れて娘の政界入り。 質問です。帰化しているので立派な日本人ですよね。 三原じゅん子氏、当選おめでとうございます。お母様の金一姫さん(キム・イルヒ)が在日韓国人時代ひとにはいえない苦労をされた。晴れて娘の政界入り。-----------------------↑三原じゅん子、在日二世か三世??-----------------------テレ朝のワイドスクランブル3月7日放送分でも乗光さんは ゴミは無かったって証言してた-----------------------小林よしのり「尊大な正義には警戒せよ!」アッキード事件という不正義に、今、国民が注目しているのに、自民党や自称保守は、大した問題じゃないと国民の目を逸らそうとしています。もっと大きな天下国家を語ることが正義だと言い始めました。 身近なホロコーストから目を逸らしたドイツ国民が、ヒトラーが大言壮語する、もっと大きなヨーロッパ侵略に国民の目を向けさせ、それこそが正義だと洗脳しました。 国内の腐敗という不正義を軽んじ、国外の危機を論ずることこそが正義だとする劣化した愛国心が籠池理事長を生んだのです。 尊大な正義には警戒せよ! 安倍政権は憲法改正という正義を持っているのだから、この程度の不正義には目をつぶれという劣化した自民党、劣化したネトウヨ保守をいいかげん見限らなければならない。-----------------------内閣にカルト会議が多数派って感じだからな、かなり無敵モードかもね。しかし、日本もひどくなったもんだ。化石みたいなカルト宗教に冒されるなんて。-----------------------悪魔の証明はできる。それは安倍が悪魔の化身だから。こんな非情で嘘吐き、そして残酷な人間は見たことない。-----------------------中山議員 お持ち帰りホステス在籍店に政治資金から18万円 自民党大阪府連会長の中山泰秀衆院議員が政治資金で六本木の高級クラブの飲食代を支払っていたことが分かった。このクラブには大阪ダブル選挙大敗の原因となった"お持ち帰り事件"のホステスが勤めている。 政治資金を使って不倫していたとしたら呆れるばかりだ。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/171969 -----------------------安倍の政治は悪魔の政治。恐怖と金であちこちアンコンやってる。こんな屑首相は日本では初だわ。-----------------------昭恵はアホだから招致に応じてはいけない-----------------------森友学園の小学校だとは存在が2月まで伏せられていた辻元には時系列的にアリバイがあるんだよ存在を知らないのにスパイ送れる訳がない大阪市も再調査してるので「告発者」の埋め戻したという主張が正しいことは確定している。だからガセネタ、デマと言い切れる逆に籠池諄子のメールの妄言にはひとつも証拠がない安倍は国会で辻元モーと言うなら、 諄子メールが正しいと証言出せよ辻元がスパイ送った証拠を示せw -----------------------安倍が2度目の総理になれた理由 安倍を総理にするために2011年に作られた会「安倍晋三再生プロジェクト」 (「そこまで言って委員会」の三宅久之と安倍内閣で文科大臣に任命された下村博文議員が立ち上げた。日本会議メンバーばかり)この安倍の仲間内の会で、日本会議の小川榮太郎に安倍礼賛本「安倍晋三待望論 約束の日(2012/9/3発売)」を書かせることを決めて、安倍の政治資金で数百万円分も爆買いし、やらせでランキングを捏造させベストセラーとさせた「安倍晋三待望論という本が売れている」「世論は安倍を望んでいる」と捏造し、そのお陰もあって、自民党の総裁選(2012年9月26日)に勝利したと言われている松井は語るに落ちている「安倍晋三再生プロジェクト(=日本会議)」の計画を知ってる人間なら、安倍をヤラセで総理にすることはかなり前から分かっていたはず まあ実際は総理になれなかったとしても、規制緩和で松井らに損はない安倍小学校の8億円汚職も安倍が2度目の総理大臣になれたのもセットで日本会議が計画的に仕組んだこと-----------------------籠池氏が送った手紙の内容http://pbs.twimg.com/media/C7pBsHwVwAEoNXZ.jpg 4)についてのところhttp://i.imgur.com/JoOOMoY.jpg小学校用地として豊中市野田1501の国有地を売買予約付定期借地として契約。(国土交通省航空局の土地)交渉先は近畿財務局 当方としても買収をしたかったが資金調達都合があったので10年以内に購入希望したところ10年定借という当方にとっては切迫感のある契約となった事業用定借というのは長期間借りることにより経営が安定するのだが長期間使用する必要がある学校という扱いが財務省側はしていないので非常に不安である学校が事業用地で定借10年は短すぎ(10年以内に買取しそれが出来なければ建物を取りこわし原状に復する)10年で買い取るつもりではあるが事業環境が変わったりするのでやはり50年定借として早い時期に買い取るという形にして契約変更したいのです でないと安心して教育に専念できない。 買い取り価格もべらぼうに高いのでビックリしてる。1)2)回答さらに現在借地契約のあと土壌汚染や埋蔵物(ガラなど)を撤去しており本来国が契約前に撤去するか、撤去をしている間は賃借料(2500万/月)が発生しないのが民民契約だが国との契約だから従ってもらわねばならぬということで現在に至る。 建物建築時から借料が発生するのが本来であるのでおかしいと思う。3)回答 安部総理が掲げてる政策を促進する為※国有財産(土地)の賃借料を50%に引き下げて運用の活性化を図るということです。※学校の用地が半値で借りられたらありがたいことです。 A'の関係してですが、平成27年2月契約事前の段階で財務と航空の調整の中で学園側が工事費を立て替え払として平成27年度予算で返金される約束でしたが平成27年度予算化されていないことが9月末発覚し、平成28年度当初に返金されるという考えられないことも生じています。 ??11月中に地表工事が????に、4ヶ月間のギャップはどう考えているのか???人間の感覚が変です。4ヶ月間の利息は? ふりまわされています。4)回答 新聞記事と、当方の契約書を同封いたしますので よろしくお願いします。 回答FAX 1)10年定借の是非2)50年定借の可能性3)土壌汚染や埋設物の撤去期間に関する賃料の扱い4)工事費の立て替え払いの予算化-----------------------籠池側から谷に送られた手紙は公開されてないはずなんだけどな2017年3月27日 参院予算委員会 辰巳孝太郎議員の質問https://youtu.be/iAdx7oBEiwY?t=20 ----------------------- ↑籠池さんの送った手紙を共産党が入手したよ。本物のコピーだと判明してる今日の国会でやってたわ-----------------------TV入り国会の日程が終わり乗り切れたと安倍が心底安心しきったこのタイミングで菅野が爆弾投下するとおもしろくなるんだが・・・-----------------------三原じゅん子在日だったの?w ----------------------- ↑典型的なチョン顔じゃん-----------------------昭恵夫人が出てくれば、必ずどちらかが嘘をついているわけだから話は早く さっさと次に進めるのに何で安倍は頑なに拒むのかね? 真っ黒だって言ってるようなもんじゃねーか-----------------------あのあたりの土地は豊中市に売ったとこや給食センターのところでもゴミが出てきて安くなってるんだろ だけど今日のテレ東では小学校予定地にはゴミなんて全然見当たらないのに値引きされた ここで思うこととして、大阪のあの地域に限ることかどうかはわからないがゴミが本来無い場所にゴミがあると嘘をついて国有地を意図的に安く払い下げることが頻繁に行われていたのではないか?-----------------------辻元さんが的になって産経がおバカな印象操作記事を載せたせいか豊中市の公園用地取得に問題があったとするかのような葉梨さんのフリップがブーメランになって麻生さんに誤爆が行っているのが何ともw地域活性化・公共投資臨時交付金を目玉政策として単年度限定で創設してそれを豊中市が受けられることになったから国交省の補助事業と合わせて利用して公園用地を取得できるようになったのに そうした麻生政権の成果がおかしいと自民党議員や支持者と思われる人たちが言い出すカオスな世界。 使える制度を利用して頑張って仕事をしただけの人たちの努力を理由もなく咎める最低の連中が森友問題で財務省を擁護しているということなのかなあ。-----------------------相変わらず昭恵や迫田や松井の証人喚問から逃げている自公維新www 完全に勝負ついてるわな-----------------------(羽鳥慎一 アナウンサー) 「これ山口さん でも こーゆー状況でもやっぱりこれは あの 総理側 政府側としては やっぱり谷さんが個人でやったんだって言う今 見解なってる...ですか? 」 (山口敬之 ジャーナリスト) 「えーもーそのー 玉川さん言う通り そう言うしか無くなっちゃったんですよね」※発言中の玉川さん~(玉川徹テレ朝コメンテーター) (羽鳥慎一 アナウンサー) 「そう言うしか無くなっちゃった」 (山口敬之氏 ジャーナリスト) 「ただ やっぱり あの...寺脇さん おっしゃる通り これは実質公務ですよね。 実質公務。 それから えー...」 (by.EXTV 羽鳥慎一モーニングショー 20170328 09:11 敬称略)-----------------------↑田崎スシローですら擁護戦から撤退した状況を判断出来ない山口敬之ってマジでバカだなwww-----------------------テレ東はゴミがなかったもだけど、 元々全部公園予定地だったという衝撃告白が流れたからな安倍小学校建設こそ横槍の異端だった-----------------------元々は公園用地として豊中市が値引きないしは無償譲渡で全部取得するつもりだったのよ。 (立ち退きのときの地元との約束もあった)そこに財政健全化で国有地払い下げの方針変更が来て全部なら20億とか半分でも10億とか15億でないと売らないって話になって交渉が難航していたの。 全部が無理なら半分でもってことになって資金を工面しようとしていたところに麻生政権が平成21年度単年度限定で地域活性化・公共投資臨時交付金を作ってそれが利用できるから手をあげたら採択されたから前からある国交省の補助金も使って平成21年度中に国有地を取得するべく急きょ予定を前倒しして補正予算を組んだという流れ。-----------------------自民党って統一教会とズブズブのカルト集団だったんだよな統一教会、家族離散、日本破壊工作-----------------------自民党はチョーセンジン統一協会に乗っ取られた。自民党に投票するのはチョーセンジンに投票するのも同じ。もちろん、維新もそう。日本人だったら日本人に投票しましょう。間違いなく日本人だけの政党というのは、共産党だけ。なぜなら、コミンテルンの指示で、日本にいた在日共産党員は全員、北朝鮮に帰国したから。その経緯は野中に聞くといいよw-----------------------今やってる放送法遵守を求める視聴者の会の配信見たら笑ってしまったわ全員で要は「俺達の都合のいいように放送しないテレビ局はサヨク!」って連呼するだけというね-----------------------谷口雅春 「安倍くん、早く天国に来なさい」 文鮮明-----------------------あ、公園の面積が半分になった理由は国が賃貸はダメってことで豊中に購入を迫ったせいな予定の面積を全部買うにはお金がかかりすぎるので計画変更して半分を購入 購入後、いろんなことがあり補助金で実質2000万にはなったが すでに計画変更したあとなので、元には戻せず、予定の半分の公園ができた-----------------------ネトサポ朝鮮人や工作員は、まだ辻本ガーとか必死なのか。 産経が少し取り上げた程度で、こんなの本筋から全く関係ないからどこもシカトしてるのに奴らは惨めすぎるわ。-----------------------安倍は悪魔の証明だが、辻元は証明するチョー簡単なんだけど(笑)あほの産経や山口スシローに釣られたのかもしれない(笑)さて、安倍晋三を如何に永田の再来にするか・・・ちょっと考えて見よう以下が全文(原文のまま)。 (籠池夫人、以下籠) 誘導尋問にのらぬようにしてください絶対に国の不利になるようなことはいってません孫請業者の作業員がその委託社長がしてないといったのにもかかわらず その三日だけきた作業員が辻元清美が潜らせた関西なんとか連合に入っている人間らしいです作業員はわからないくせにマスコミにいわしていたそうです あきえさん 分断がねらいです ひっかからぬよう 国の再生の為にまけないようにしてほしい 下請け業者の社長は現場もマスコミに写し全くうめてないことをしっていて三日だけきた作業員を辻元清美は送り込みました 辻元清美生コンをみればある関西こうえき連合の人間をマスコミに出し社長の言い分はのせなかったそうです 国会議員の犯罪じゃないですか↑ツッコミどころ満載(笑)まず報道されてるのは告発者は2週間の作業をすべて担当したということw(日報でも出せばいいし) 大阪府の再調査で詳しい経緯をヒアリングして森友側が「仮置き土」として逃げているのだから安倍に勝ち目はない工作員送り込んだというのは時系列的にアリバイがある。 世の中に森友学園の名前が公表されたのは2月。 黒塗り資料で安倍界隈の関係者しか知らなかったこと京都府の業者が作業したのは昨年11月~12月の2週間その告発者も報道で学校と知って子を持つ親として許せないとして告発したw辻元はどうやって森友学園に工作員を送り込めるというのかw 予知能力でも備わってんの?w -----------------------国民を侮辱してる!っていう理由で、アッキーを証人喚問で良いんでないの?-----------------------辻元も安倍もどうでもいい今大事なのはそこじゃない森友の土地はこのままいけば 認可下りず小学校建てられず国が買い戻し特約で取り戻せると思ったんだが仮差押えついたよね?これどうなるんだ森友にその権利はないはずだが業者が差し押さえて転売できる可能性あるの?つまり国側が取り戻せない可能性があるの?もしそうだとしたら籠池が急に時間稼ぎしたり それでいて財務省と決定的に対立しないように とぼけた証言した理由もなんとなく見えてくるんだが-----------------------今度は安倍昭恵に大麻疑惑浮上なんか来週の週刊誌のタイトルみたいよwwwwww-----------------------↑昭恵は医療大麻推進とか以前からやってたのは知られてたことだが、 疑惑というからには吸引してたの?-----------------------産経の辻元3つの疑惑・幼稚園侵入←多くのマスコミが証人(写真撮ったりはしただけ)・作業員スパイ←時系列的に不可能(森友学園の存在の不知。黒塗り資料非公開)・野田中央公園←公共施設と学校法人は同列に語れない実にくだらんなw 大阪府の再調査した役人でも国会に招いて資料等を出させようかw辻元が質問に立てば、安倍は何も言い返せなくなること間違いなし関生のついてサヨクガーさせて反撃してボコボコにするのが良いかもしれないw安倍晋三は籠池詢子メールが正しいと強弁するなら証明してみせろ-----------------------証人喚問を拒否し続けると、安倍たちが何か隠してるから逃げてると勘繰られ、ますます怪しいという印象が世間に強まるだけ籠池の証人喚問は大正解だったわwww 最初に出たもの勝ち仲間をアッサリ捨てるから、こういう返り討ちにあう。-----------------------辻元問題の構図 安倍「ソースは産経」↓産経「ソースは籠池嫁」↓籠池嫁「ソースはネット」↓ネット「あー、統一教会っしょw」-----------------------行政の私物化だろ三流国家によくあるパターン人治国家 未熟な国-----------------------今朝の山口氏 ロングバージョン(羽鳥慎一アナウンサー) 「これ山口さん でも こーゆー状況でもやっぱりこれは あの 総理側 政府側としては やっぱり谷さんが個人でやったんだって言う今 見解なってる...ですか? 」 (山口敬之氏 ジャーナリスト) 「えーもーそのー 玉川さん言う通り そう言うしか無くなっちゃったんですよね」※発言中の玉川さん~(玉川徹テレ朝コメンテーター) (羽鳥慎一アナウンサー) 「そう言うしか無くなっちゃった」 (山口敬之氏 ジャーナリスト) 「ただ やっぱり あの...寺脇さん おっしゃる通り これは実質公務ですよね。 実質公務。それから えーあっ そ 夫人付きというものでなければこれだけ機敏に 回答が きっ来ましたかっていうと これ4っつのがあるんですけどー 普通だったらこっ この係り はー 違いますとか言ってかなり面倒臭くやり取りをして別々にこう合わせないと一気にこんだけ来たかっていったら ちょっと僕も判らないですね ただ あの ひ ひとつ言えるのは この まさに谷さんが返した あー FAXを見ることで 夫人付きであることで結論が変わったかどうかというのが一番大事ですよね こっちに繋がるんであれば 問い合わせをして した場合としてない場合で 財務省の 動きや金額や時期が変わったかどうか た それについて言えば えー 谷さんの返事は現状では『ご希望に沿うことはできないようでございます』と ゆっているので もし少しでも変わってたら これだけ成果を得ましたというFAXを送っていただろうと だからこれはゼロ回答だろうと」 (羽鳥慎一アナウンサー) 「て 安倍総理は言ってますよね ... 変わんないんだからゼロ回答だろうと」 (山口敬之氏 ジャーナリスト) 「あの ゼ ゼロ回答じゃなかったら いやこれだけ えー あの問い合わせをした結果 これだけいい結論が出ましたと書けばいいじゃないですか これがゼロ回答じゃないってゆってる人はこれは僕はおかしいと思いますよ 野党はゼロ回答じゃないって言ってる...」 (by.EXTV 羽鳥慎一モーニングショー 20170328 09:11)-----------------------籠池の偽証罪に必死な自民党でも国有地払い下げ問題は解決しようとしない-----------------------↑だって主犯 安倍晋三・昭恵-----------------------政府「安倍昭恵の塚本幼稚園講演に同行した役人秘書は公務だったけど自主的に同行したし安倍昭恵は私人」と閣議決定。禅問答かな?政府は28日の閣議で、安倍昭恵首相夫人が平成26年12月と27年9月に学校法人「森友学園」が運営する塚本幼稚園で講演した際、政府職員が同行したことについて「必要性を踏まえて当該職員が自ら判断した。同行に当たり、旅費法に規定する旅行命令の発令手続きは行われなかった」とする答弁書を決定した。-----------------------行政、司法、立法、マスコミ、学者がそれぞれの仕事をせず総理の顔色ばかり見てる素晴らしい国ある意味 北朝鮮と同じ-----------------------安倍カルトの唯一のアピールポイントは支持率www 赤坂飯店の夜www-----------------------↑・匿名掲示板やツイッターではネトサポやbot動員して架空の支持者を粗製濫造。・マスコミの連中とゴルフや会食して手懐けて水増し支持率ぶち上げる。・選挙ではムサシ使用。 安倍からこれらを取ったら本当に何も残らない。あいつのやってることは民主主義への冒涜でありクーデターだからな。-----------------------ネトサポの危険性については、おいらも延々と訴え続けてきたところなんだが、それに対して何ら有効な対抗手段を出せない野党もまた、腐っている。各自、自分の持ち場でいいから動けよw ★ ★ ★ 自浄能力を失った国家は滅びゆく。 大人たちの人生に対する姿勢のなかで誰の目にも正しく映るものが道徳の教科書なんである。 子ども側に選ぶ権利の自由がある。教育とは自由だからである。 教育勅語などは、「心の底から皆に尊敬される人間になれ」の一言で済む話である。真事にバカバカしい。そういうのは教育ではなく、単なる標語である。叱咤激励である。 そういうような大人、つまり皆に尊敬される大人、特に政治家が現在一人もいない、というのはこの国の大損失である。バカにされる政治家は沢山いるのにね。国や国民のことより自分が大切な阿呆ばかり。
2017年03月25日
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久しぶりに書きます。 あらかじめ言っておきますが、私はキリスト教徒でもなく、預言者でもなく、どんな宗教も信じないただ神のみを信じる単なる平凡な一般人です。ごく平凡な一般人が思うに、いまのキリスト教はインチキなので、なくすべきです。キリスト教に限らず、現世の宗教は金儲けの道具にされているので、それだけでインチキです。 さて、一般人が思うに、人間は決して死にません。ただ肉体を失うだけです。 だから、キリストも死んでいませんし、イエスに受胎し三年間人として生きて、イエスの肉体を捨てたのです。だから、いまも人智学風にいうなら、エーテル体のキリストで生きています。そして地球の救済にあたっています。 多くの唯物論者が間違っているのは、神が人の子のように生まれてくると思っているところです。人類は悪魔の唯物論に染まり、魂などなく、魂がないと思いこんでいるために死ぬことを知り、死を恐れ、悪魔の言うなりになっているわけです。 神が人の子として生れてくるわけがありませんし、神の魂は高貴なので、人間の肉体には耐えられないものなのです。だからイエスの受胎も二人の生命を必要とし、ゾロアスターの霊魂と、トート、モーゼの霊魂を必要としたわけです。 さてキリストはいまも地球のエーテル層にエーテル体で活動しているので、霊視力を身に着けた人にはキリストがみえるようになります。キリストは、人類自らで自立して救済を行うことを願っています。 というのも、人類の多くが良心を失い悪に走り、悪魔にそそのかされ、自ら進んで神を裏切り地獄に堕ちるからです。神が助けたとしても、助けられたことさえ忘れ、また悪に走るからです。 それは現代の政治家や権力者たち、金持ちたちをみれば自ずと明らかです。何度も同じ過ちを繰り返し、全く反省すらありません。 このままでは、キリストを永遠にみることなく、地獄めぐりを続ける悪人だらけになってしまうでしょう。キリストをみれないとは、良心を失うことを意味します。良心は地獄から脱し、天国に行くための道しるべなのです。 つまり、良心を失い、永遠にキリストをみれなくなるというのは、天国にはいけない永遠の彷徨い人になるということです。キリストはなぜ永遠の彷徨い人といわれるユダヤ人に受胎したかといえば、ユダヤ人が悪いことばかりして神に離反したからです。聖書のカインの子孫がユダヤ人だからです。 偽ユダヤ人はそのことを悪用しているので、地獄のなかでも最低の地獄に落とされるでしょう。というか自ら堕ちるでしょう。 ではキリストをみるにはどうすればいいかといえば、キリストのように振る舞うことです。キリストの教えを吹聴するのではなく実践するのです。キリストのように行えば、自分のその振る舞いのなかにキリストがいたことがわかるはずです。キリストが背後で支援していることがわかるはずです。 善人が悪人を救うためにキリストはいつでも見守り救いの手を差し伸べるでしょう。悪を改心させるために、キリストは地球にきたからです。 今日はここらへんでやめにして、人智学的医術の紹介を続けます。 ★ ★ ★ 提出して貰った質問が、少しずつ登場してくる、のがわかるだろう。ただ重要なのは、これらの質問にラツィオ(理念、原理)に則って答える為の土台を築くことにある。今回は、前回の最後に急いで述べた内容を引き継いでいきたい。 前回述べたことは、脾臓の働きの重要性だった。脾臓の本質は、意識下(潜在意識)の生命活動(呼吸など)を制御することにある。 脾臓を単なる人体の付属器官とみなすなら、全体を見誤ることになる。脾臓は、物質というよりも、霊に偏った器官で、脾臓の働きを補助させる為にエーテル体を引き寄せ、エーテル体に脾臓の働きを容易に肩代わりさせるので、脾臓を単なる付属器官とみなすような錯誤、誤解が生じやすい。 しかし、もし、脾臓の働きを、潜在意識から、覚醒意識へと引き上げたなら、脾臓の働きの特異性がわかるだろう。脾臓の特異な働きを手掛かりにして、近代において、興味を引く対象となった、ある治療法が実際に観察できる。 その治療法が特異なのは、脾臓の特異な働きに負う。つまり、脾臓の辺りを弱くマッサージすることで、潜在意識上の活動(呼吸など)に対して、均衡をとるように覚醒意識を働かせる、のが確認できる。 脾臓の辺りを、そっとマッサージすると、潜在意識上の活動のなかに均衡を獲得させ、つまり例えば人体に合った食事が発見でき、人体の為になるのと、そうでないのとの取捨選択ができるようになり、食に対して健全な関係が持てるようになる。 とは言え、この脾臓付近のマッサージはすぐに限界に突き当たる。マッサージが強すぎると、忽ち、潜在意識上の活動を完全に弱めてしまう。従って、潜在意識上の活動に均衡を与えるゼロ点と呼べるものを独自で獲得し、保持しないといけない。また、マッサージする範囲を、あまり広くしすぎてもいけない。 さて、では、この事実は一体、どういうことなのか? 脾臓をマッサージすると(脾臓の辺りを、という意味だが)、通常は、この脾臓の辺りにないものが送り込まれる。つまり、マッサージされている人の覚醒意識が、マッサージした部位に投影される。 このように潜在意識を、覚醒意識に移行させ、潜在意識と覚醒意識の均衡を図ることで、人体の健全化が成し遂げられる。このような霊的な治療法を、無骨で粗雑な現代の言葉で表わすのは困難である。 奇妙に聞こえるだろうが、脾臓とその働きにより媒介される、潜在(無)意識上での活動、つまり[理性の働き?]と、覚醒意識上の働きとの間には(均衡をとるための)相互作用が存在している。 それでは、覚醒意識上の働きとは一体何なのか? 覚醒意識上の物質体の経過が、高次の潜在意識上の(エーテルの)経過を伴って、特にイメージ(アストラル体)を伴う形で生じる場合、物質体に害を与える。この事実を見過ごしてはならない。 物質体が、イメージ(アストラル体の)活動に通じると、絶え間なく自らを害するようになる。この自らを害する(ネガティヴ=自虐)状態は、潜在(無)意識上の自我のなかの意志によって絶えず中和されている。 脾臓には、この潜在(無)意識上の自我のなかの意志の中心がある。マッサージして、脾臓を、覚醒意識で満たすと、高次の潜在意識(アストラル体‐エーテル体)から発する強い毒性に対抗する働きかけができる。 (毒性とは、物質体にエーテル体とアストラル体がひきづられて、自我による物質体の制御を困難にすること。脾臓には、人体のリズムを調節する司令塔みたいなのがあるらしい。) 脾臓マッサージは、必ずしも肉体の外から行う必要はなく、内からでもできる。そもそも、この治療法をマッサージと呼ぶのに異論があるかもしれないが、重要なのは理解にある。例えば、内からの脾臓マッサージは、次のように行なえる。 例えば、エーテル体やアストラル体の活動が過激になってしまう場合、1日の主な食事(ドイツでは通常、昼食)の時に食べないか、少なく食べ、その分、間隔を開けて、数回に分けて食べることで、1日の食事の間隔を通常よりも短かくする。 このように1回の食事を数回に分けて食べることで、マッサージのように、内から脾臓に影響を与えることができる。ただし、あらゆる治療法に難点があるように、この内からのマッサージにも難点がある。 というのも、今日のように慌ただしい時代では、実際、少なくとも大多数が、四六時中、肉体活動に追われ、食事の消化に時間をかけられず、脾臓の働きは、肉体活動に強く影響を受けている。 人間は、動物たちとは異なり、地面に横たわって、消化活動を妨げないようにすることで、健康の維持を図らない。動物たちが、脾臓の働きを労わっているのは事実である。 慌ただしい、神経症的ともいえる肉体活動のなかにあるときは、脾臓の働きを労わらない。その結果、文化人などにおいて、脾臓の働き全般が次第に大変異常なものになっていく。そうすると、いま少し述べたような治療法で、脾臓の働きの負担を少しでも軽減するのが意味をもつようになる。 内、外を問わず、脾臓マッサージのような繊細な霊的なマッサージに、多少とも注意を向ければ、潜在(無)意識を媒介する霊体(エーテル体)と、覚醒意識を媒介する物質体との間の関係について、素晴らしい示唆が得られる。というのも、それによって、マッサージ全般の意味を理解するのが容易になるからである。 マッサージが意味を持ち、特に効能を発揮するのは、人体のリズム活動の調節であり、状況に応じては、強力な治癒力を与える。マッサージは、主としてリズム活動の調節に影響する。 しかし、マッサージによる治療成果を上げるなら、人体を知る必要がある。例えば、次のようなことを考慮に入れてみるとよい。 人体の、腕と脚とは大変異なっている、ということである。 人間の腕は、重力に組み入れられるのを免れ、自由に動かせるが、腕でのアストラル体は、脚よりも、遥かに物質体との結びつきが弱い。脚は、アストラル体と緊密に結びついている。腕について、アストラル体は、外から皮膚を通じて内へと作用するほうが多い。 アストラル体は腕や脚を包み込み、外から内へと作用する。だから、アストラル体は、人体を包み込むように働いている。そして、脚では、アストラル体を貫いて、自我のなかの意志が、内から外へと強く遠心的に放射しながら作用している。この違いにより、腕と脚の違いは大きなものとなる。 その帰結として、脚のマッサージと、腕のマッサージとでは、根本的に全く違う影響を与えることになる。腕のマッサージは、アストラル体を、外から内へと引き入れる。 腕のマッサージによって、通常よりもアストラル体を引き入れることで、(自我の)意志の道具となり、外から内への、腸から血管までの消化で生じている新陳代謝のリズムを調節するような働きを引き起こす。すなわち、腕のマッサージは、血液の形成に対して多くの影響を引き起こす。 脚のマッサージは、内から外へと意志を拡げ、意志のイメージに沿って物質体の変化が増し、内から外への排泄-分泌と関係する新陳代謝リズムを調節する作用を引き起こす。 腕をマッサージすると、外から内への構築のリズムとつながり、脚をマッサージすると、内から外への解体のリズムとつながっていく。このマッサージの働きを内外に継続していくなかに、人体の本質である霊体の微妙な細やかさを見て取れる。 このようにラツィオ(理念)に則って人体を探究すれば、どの部位も、他の部位と対極的な関わりを持ち、マッサージは、この相互作用を霊視で洞察した知見に基づくのがわかるだろう。 下腹部をマッサージすれば、呼吸活動にも良い成果を与える。下腹部のマッサージが呼吸活動に良い影響を及ぼすのは非常に興味深い。しかも、心臓の下あたりをマッサージする場合、上から下へといくほど、呼吸活動への影響は強くなり、更に下にいくと、今度は咽喉への影響が強まる。 つまり人体が丁度逆になっていて、胴体のマッサージでは下にいくほど、上に位置する器官が影響を受ける。これに対して、例えば、腕のマッサージは、胴体の上部を同時にマッサージすることで強められる。このような事実は、人体の個々の部位の関係を具象的に示している。 実際に人体下部と上部の相互作用を調べるなら、離れた位置にあるが、密接に関係している各部位の相互作用が、例えば偏頭痛などに特に顕著に出現することでわかる。偏頭痛は実際、下腹部の消化活動が、頭部に移行したものである。 従って、例えば月経のような下腹部での強い活動により、偏頭痛などのように、頭部も相応に影響を受ける。このように頭部に消化活動が生じることで、日常生活では免除されている負担が、頭部の神経にかけられた、のである。 頭部では消化活動をせずに、摂取活動のみを規則的に行うことで、神経は、消化の負担を免れ、摂取したものを知覚するだけの知覚神経になる。しかし、消化活動のような、無秩序な活動が頭部で起こると、神経は知覚神経でなくなる。 すると、頭部の神経は、感じやすく敏感になり、本来、感受すべきでないものを感じ取ってしまい、偏頭痛の痛みが起こってくる。周囲の外界を知覚する代わりに、突然、頭の内部を知覚するように強いられたら、どんな風に感じるか、想像に難くないだろう。 さてしかし、この状態を正しく見通したなら、偏頭痛の最良の薬は、やはり安静にしてよく眠るだけ、と指摘できる。というのも、通常(1920年)用いられ、推奨されている薬は、有害な作用を及ぼすからである。 この逆症療法(アロパシー)の薬を使用すると、過敏になっている神経を麻痺させ、その活動を低下させる。確かに、例えば、劇の公演に出なくてはならないときに、偏頭痛にとりつかれ、出ないよりは、多少、神経を害する方がマシと考え、神経を麻痺させてしまうことがよくある。 このような事柄からわかるのは、人体の精妙精巧の極まりなさと、社会に参画するだけでも、しばしば健康の素養を阻んでしまう、ということである。 このような事柄は当然のことで、決して無視してはならない。だから、社会的立場を通じて引き起こされる害を受け入れて、場合によっては、更に生じる後遺症の完治も目指すべきである。 結局、この人体の精妙精巧さは、疾患に即した形で色彩-光療法(光線力学的療法)を研究していく場合にも示される。この色彩-光療法は、過去に研究されていたものよりも、少なくとも、将来もっと研究していくべき治療法である。 更に、人体上部に強く働きかける色彩の精神的な作用と、物質等に吸収されてから、人体に働きかける光の(物質的)作用との違いも研究していく必要がある。色のついた光を発する部屋に連れていき、色のついた光で全身を照らすか、一部を照らすかすると、4つの体(自我、アストラル体、エーテル体、物質体)の働きを誘導できる。 色彩-光療法は、外から人体の働きを誘導する治療法である。 通常の覚醒意識に働く色彩、つまり色彩の印象やイメージを用いた治療法、つまり、色のついた光で照らす代わりに、ある色に塗られた部屋に連れていって、ある色の印象を意識に強く働かせると、覚醒意識を通じて、自我に影響を与えることができる。 この主観的な色彩療法では、自我に働きかけがなされる。先に述べた、他方の客観的な色彩療法では、まず物質体に働きかけがなされ、この物質体を通り迂回してから、自我に影響が及ぼされる。 ここで、「目が見えない人は、色のついた部屋に連れていっても、無駄ではないか」などとはいわないで欲しい。この意見は間違っている。 眼がみえない分、視覚以外の知覚への影響がより顕著に現われてくるからである。眼がみえなくても、赤か青の部屋に連れていけば、その違いが知覚できる。 つまり、この色の違いは、知覚の本質に関わるので、眼がみえなくても、青い壁の部屋に連れていけば、自我の意識を、頭から下へと誘導できる。また、赤い部屋に連れていくと、自我の意識を、上の頭へと誘導できる。 以上の事実から、客観的な色彩をもつ環境に人体を曝す本質は、色を変えたときに生じる違い(リズム)にあることがわかるだろう。青か、赤かの部屋に連れていく、というのは本質ではなく、赤のなかにいた後で青のなかにいくか、或いは、青のなかにいた後で赤のなかにいくかが、本質なのである。この色の違いに本質がある。 一般的に、頭への強い刺激を通じて、下部の(代謝)機能を改善したい場合、青い部屋から赤い部屋に連れていけばよい。人体下部への強い刺激を通じて、頭部の(神経)機能を改善させたいなら、赤い部屋から青い部屋に連れていけばよい。 このような事実は、将来、非常に重要となり、光療法だけでなく色彩療法が大きな役割を果たすようになるだろう。 覚醒意識と潜在(無)意識との交替が、将来の治療では、重要な役割を果たすようになるべきだろう。というのは、この交替によって、入浴を通じて人体に作用する物質特有の働きについて健全な判断を獲得できるようになるからである。 また、外から人体に、冷たい印象を与えるのか、暖かい印象を与えるのか、では大きな違いがある。冷たい印象とは、湿布や入浴などで冷却する場合で、冷却物質自身の働きであり、薬として用いるなら、冷却物質のままで、人体に投与するのがよい。 冷たい印象とは、薬として用いた物質自身の特性からくる。冷却ではなく、例えば、温かい湿布のような加温の場合、物質の特性ではなく、つまり、どんな物質を用いようと大差なく、考慮すべきは温熱の働き自身で、結局、加温は、物質には無関係で同じである。 だから、冷湿布に用いる液体に、薬となる物質を、どのように浸透させたらよいか、に注意を払う必要がある。物質を薬として有効に作用させるには、冷水に有効なときで、つまり、低温度で固体として溶解する物質でないといけない。 対照的に、物質特有の作用をほとんど引き出せないのは、(強い香りを発するエーテルに近い[揮発性の]物質は、高温でも、物質の特性が引き出せるが、)固体として溶解し難い物質である。 温湿布、もしくは温浴では、物質特有の作用は引き出せない。対して、硫黄や燐に近い物質は、温浴に加えたり、加温でこそ、非物質性の霊的な特性を展開できる。 つまり重要なのは、上述したような関係を、霊体にまで繊細に観察することで表現することである。霊を表現するために、原現象(ウアフェノメーン)というモデル(イメージ)を設定すると非常に役立つ。 (現代でいうところの、思考実験のようなもの。例えば、シュレディンガーの猫とか。) 原現象を設定する、という方法は、医学教育(医師の養成)が、秘儀から発することが多かった時代では、大きな役割を果たしていた。 当時の事実や法則は、現代のように理論的に表現されたのではなく、原現象で表現された。だから、例えば「お前の内に、蜂蜜か、ワインをもたらせば、宇宙からお前に与えられた力を、内から強める。」と表現された。或は「そうすれば、お前の自我の力を強める。」とも表現された。 原現象は事実をイメージのように見通しよくする。 また「お前の体に油を塗れば、お前のなかにある、地の力の有害な作用を弱める。」などと表現された。地の力とは、自我の(意志)力に対抗する(物質体などの)力のことである。 また、「内からの甘いもの(蜂蜜など)による(天の力の)強化と、外からの油による(地の力の)弱化の間に正しい割合を見つければ、老いる。」 以上のように言われた、古代人たちや、古代の医師たちの原現象は次のように解釈できる。 「お前が肉体に油を塗り、油の働きにより有害な地の力を除去できるように、エーテル体が強ければ、ワインと蜂蜜を飲むことで、自我の力が強まり、老齢に導く力を強める。」 以上は、当時、原現象として表現された事実である。古代人は、教義ではなく、事実そのものを通じて正しい道を示そうとした。このような事実に、現代人もまた立ち返っていくべきである。 というのも、以上のようにして原現象に回帰できると、外界の多様な物質のなかでも、事実を見通せるからである。 霊に関わる何か具体的な力などを登場させようとすると、即座に人体を度外視しする、いわゆる抽象的な自然法則なるものに回帰するよりは、遥かに容易に事実を見通せる。 さて、簡単な表現の原現象もあるので、紹介する。 「両足を水に入れなさい、すると下腹部に血液の調整を呼び起こす。」 以上のような生活の指針となる原現象が得られる。また、 「頭を洗いなさい、すると下腹部に排泄の調整を呼び起こす。」 以上は実際、教唆に富む原現象である。原現象のなかに法則が示されているからである。このような原現象は、人体に関する事実である。というのも、人体を考慮しなければ、原現象は無意味だからである。以上のような原現象では、人体を考慮することに大きな意味がある。 さて、以上の原現象は、人体に関する様々な力の空間的特徴(法則)を示すものだが、時間的特徴(法則)もあり、例えば、子供の頃か、もしくは青少年のはじめの頃に、不当な扱いを受けた結果、その時代に育成すべきものが育成されず、または、年配になってから育成すべきものを、既に育成してしまっている場合に現われてくる。 実際、幼少期(約7歳まで)に既に、エーテル体をつくっていく力をもっている。しかし、例えば、少年期(約14歳まで)につくるべきアストラル体が、少年期のうちに正しくつくられるわけではない。 (7歳までの幼少期=エーテル体作成、14歳までの少年期=アストラル体作成、21歳までの青年期=自我作成。) また、少年期にアストラル体をつくるのは、青年期になってからようやく活動を始める自我を準備する為でもある。つまり、子供の頃すでに、エーテル体がつくられるが、子供時代に特別に使用されるだけではない。歳をとってからでは、エーテル体をつくりだせないので、この時期につくられる。 この事実に関して、例えば、次のような事実が全く考慮されていない。 つまり、歯が生え変わるまでは、模倣を通じて教育する必要があり、歯が生え変わってからは、秩序や権威という父性が大きな役割を果たすように教育し、育成する必要がある。 (歯が生え変わるまでは、模倣によるエーテル体の作成、歯が生え変わってからは、秩序や権威に従う父性によるアストラル体の作成。) もし、上述の事実が考慮されなかったら、歳を経てから使われるべき(準備されるべき)エーテル体、アストラル体、自我が早期に使われてしまう可能性が出てくる。 今日の唯物論的な思考法は当然、次のように非難するだろう。 「模倣を用いるか、権威を用いるか、がそんなに大きな意味を持つはずがない。」 しかしながら、この事実は、非常に重要な意味をもっている。というのも、エーテル体、アストラル体の働きは人体のなかで継続していくからである。 子供は、寝ているときの魂の状態も含めて生活全体のなかで模倣している、という事実を考慮しなくてはならない。例えば、以下のようなことは非常に大きな意味を持つ。 考えてみればわかるが、教育する大人と同じ食物を好むように、子供を育てれば、好みを子供に(強制的に)植え付けることになる。 すると、この模倣の原理から、大人と同じ食欲を、子供に根づかせることで、子供のアストラル体をエーテル体に結び付けてしまい、エーテル体に模倣された、アストラル体の食欲が継続してしまう。後の権威に基づく教育も同様である。 要するに、歳をとるまで使われることなく、準備されるべきアストラル体が、子供のときに使われてしまうと、恐ろしいデメンティア・プラエコクス(精神分裂病)が起こる。 デメンティア・プラエコクス(精神分裂病)の根本の病因は、成人後に使うべきアストラル体が、子供のときに使われてしまうことにある。だから、次のような結論に至る。 「適切な教育は良薬である。」 従って将来(現在、ヴァルドルフ学校では、適切な教育を行うように努力しているが、幼児のはじめにまで教育を広げられず、六歳か七歳になってから、ようやく可能という段階である)、「人智学(精神科学)の観点からの子供の教育」(1)という小冊子で提示したような意味に沿って、教育全体が、人智学から得られる認識を獲得するのに貢献するようになれば、デメンティア・プラエコクス(精神分裂病)も消滅するだろう。(1)「精神科学の観点からの子どもの教育」(1907)は「ルシフェル-グノーシス、論文集1903~1908」(GA34) に収められているが、個別小冊子としても何度も出版されている。最新版は1985年。 「精神科学の観点からの子どもの教育」は、1906年の年末から1907年初頭にかけて、ドイツの諸都市で行なった講演内容をもとに、シュタイナーが論文形式に改めたもので、まず雑誌「ルシフェル・グノーシス」に発表された後、単行本としても何度か出版されている。邦訳は「霊学の観点からの子どもの教育」(高橋巌訳 イザラ書房)。 (精神分裂病は大人の価値観を子供に植え付けることが病因のようである。) というのも、教育を、そのような意味から行えば、歳をとってから使うべき霊体(エーテル体、アストラル体、自我)を早く用いてしまうのを防げるからである。この事実は、適切な教育を行うために必要である。 さて、人生では、上述とはまた逆の事も起きる。逆というのは、少年期の成長のために使われるアストラル体を、使えずに後に残しておく、という事である。主として、子供や青少年の成長の為につくられる霊体を使うことは全生涯にわたって起こりうることだが、成長以外にあまり使われるのはよくない。でないと有害な結果をもたらすからである。 例えば、多種多様な理由から、精神分析が、今日(1920年)の思想全般に入り込み、混乱を生じる可能性のある分野となっている。大きな誤りはすぐに反駁されるため、それほど有害ではないが、むしろ有害なのは、多少の真実が混じっている場合で、議論が極端に進んで、誤用されるからである。 精神分析から生じる世界観が到来したために、一体何が起こっているのか? 止むを得ないとはいえ、人間を外界の環境に適合させない今日(1920年)の不自然な生活様式によって、子供のときに与えられる外界に対する印象の多くが消化されないままに残る、という問題が生じている。 魂(アストラル体)に与えられた印象の多くが、物質体に適切な形で編入(フィードバック)されずに残ったままになってしまう。 というのも、アストラル体の働き自体は弱くても、持続していき、少なくとも肉体への働きも持続させるからである。 ところが、現代の子供たちにあっては、魂(アストラル体)にいつまでも残り続けるほどの異常な印象が数多い。これらの印象を、エーテル体や物質体の働きに転化するのはもはや不可能となる。そうすると、これらの印象は、魂(アストラル体)のなかだけで働き続け、成長に関与する代わりに、肉体から分離した魂のなかの欲望であり続ける。 これらの印象が肉体の成長に関与すれば、つまり分離した魂の欲望でなかったら、後の人生、いわゆる大人になったときのためにあり、青少年期に与えられた印象の為に自我を用いなくてよくなる。 このようなことから、人体全体(肉体、エーテル体、アストラル体、自我)に不都合が生じてくる。魂(アストラル体)の分離が、そのとき用いるのに相応しくない自我に影響せざるをえなくなる。 以上は、実際、精神分析の方法を正しく適用すれば確認できる現象である。教理問答などで診断すれば、魂(アストラル体)のなかに消化されずに残り、無理にでも消化すれば、既に老いてしまった物質体の中で破壊を行うような印象を見つけ出せる。 しかし重要なことは、このような精神分析の方法では、治療は不可能で、単なる診断のみが可能だが、精神分析を診断のみに用いる、という立場を堅持するのなら、正しいとはいえる。 ただし、適切な順序に則って正しく精神分析が実行される場合で、一切の非難、批判めいた手紙が寄せられずに、それにより裏づけられるような悪事も生じずに、すなわち、精神分析家たちが、教理問答などの診断に際して、患者から強制的に情報を引き出そうとして、患者の発言を、スパイのように監視人などを使ってでも獲得する、というようなことが生じなければ、ということである。 実際、上述のようなことはしばしば起こるので、精神分析には酷い不正が隠れているのも当然と言える。しかし、このような不正を度外視すれば、実際、精神分析に携わる人たちの道徳性が非常に重要であるが、次のような結論に至る。 「精神分析を診断に用いるなら、多少の真実が含まれているが、治療に用いるのは、決して不可能である。」 これもまた時代の現象と関わりがある。 唯物論の悲劇は、唯物論が物質の認識からも逸れていることで、物質の認識を妨げることにある。つまり唯物論は、霊の認識というよりも、物質を形作る霊性の認識にとって有害なのである。 霊は至る処で、物質と結びついている。だから、物質のなかに霊の働きが探究できる、という霊についての洞察が阻まれ、人生についての健全な洞察の為に、阻まれてはならない多くが阻まれてしまう。 たとえ唯物論者であっても、これまでの考察で議論してきたような特性全てを物質に帰するなどは不可能である。物質に備わる様々な特性を、物質に帰する、というのは全く馬鹿げたことにみえるだろう。つまり、そのこと自体が、既に、物質の認識から逸れている、ということを意味する。 唯物論の物質認識では、もはや、燐の現象や塩の現象に関して、全てナンセンスとみなすので、霊の現象を語ることができない。物質のなかの霊の認識から逸れているので、逸れることで、更に、霊の働きを的確に研究する可能性からも隔たっていき、特に、人体の本質が、いずれも二重の課題を担い、一方が自我の意識づけと関係し、他方がその反対の、物質体作成へと向かう、という洞察から離れていく。 以上のような見解は特に、これから議論していく分野、つまり歯の診断に失われてしまった。歯は、唯物論的に、単なる咀嚼器官と見られているが、そうではない。 歯が二重の性質をもつのは、歯を化学的に調べれば、歯が骨組織と関わることからも明白となる。しかし、発達史(進化学)では、歯の本質は、皮膚組織から発している。歯は二重の性質を持っているが、ただ、第2の性質は極めて深く潜伏している。 動物の歯列を人間のと比較すれば、この一連の講義の冒頭で述べたエーテル体の違いが、動物の歯列にも強く現われている、のがわかるだろう。サルの頭蓋骨図から示した下方への負荷のことである。 サルとの比較から、人間の歯列では、上向きの垂直線(エーテル)の作用が見られる。この力から、歯が事実、単なる咀嚼器官ではなく、本質は吸収器官であり、第1に外へ向かって機械的に働くが、第2には、内へ向かって吸収する霊の精妙な働きがある、のと関係している。 そこで、次のような疑問が浮かぶ。 では一体、歯は何を吸収するのか? 歯は根本的に、できる限りフッ素を吸収している。歯はフッ素を吸収する、フッ素吸収器官なのである。 つまり人間は、微量のフッ素を必要とし、フッ素がないと、さて、衝撃的な事実を述べるが、人間はあまりに利口になり過ぎてしまう。 人間は、自らをほとんど破壊しかねないほど利口になってしまう。つまり人間である為には、適度な愚かさが必要で、フッ素の働きにより、利口が和らげられる。人間は、あまりに利口になることへの絶えざる対抗手段として、微量のフッ素を必要する。 だから早く歯が悪くなると、フッ素の吸収を損なうことになるが、これはフッ素の吸収が過剰になっている、のを意味し、歯を損なうことで、フッ素の愚かさを抑え、利口にしている。 つまり、このフッ素の吸収により、あまりに愚かにならないように、歯を壊す、のである。上述の微妙な関係を考察すれば、あまりに愚かにならない為に、歯を損なうことがわかる。 このような事実から、人間に利益をもたらす一方と、害をもたらす他方へと揺れ動く、密接な対極関係を洞察できる。 人は、あまりに利口になりすぎて、人でなくならない為に、フッ素の愚かさを必要とするが、フッ素の愚かさを強く吸収しすぎると、愚かになりすぎてしまうので、エーテル体を通じて、歯を破壊する。 これらの事実を是非、よく考察すべきである。というのも、これらは、人体の根底に関わる究めて意味深い事実だからである。 1-16 自我が、シリカを通じて四肢に作用する、この奇妙な作用を図を用いて表現するなら、以下になる。 「自我のシリカを通じての四肢への作用(下図参照、赤点線と内のピンク)の本質は、人体を統合することなので、いわば人体内の液体として、区別なく統一へと結合し、混合するため、四肢では、自我は全く区別のない(固体化しない、未分化な)一様な全体への統合力となっている。」
2017年03月16日
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久しぶりに書きたいと思います。 シュタイナーの人智学を学んでいると、わかることは、人類が次第にバカになってきたということです。 いまの人類は賢くなっている、と思い込んでいますが、人を欺いたり、騙したり、出し抜いたり、要するに詐術が巧みになったことで、賢くなった、と思い込んでいるわけです。 しかし考えてみればわかることですが、何のために人を騙したりするのでしょうか? 自分だけ得をしたいからでしょうが、自分だけ得をする、ということが、人類全体にどういう影響を与えるか、がわかっていないのです。 人間は一人では生きられません。人間が生きるためには、空気や水、食物をつくる環境や、人間が出す糞やゴミを処理する社会が必要で、人類全体が、精神的に向上するために、人類のなかの一人一人が自分の役割に応じた目的をみつけ、様々な人間としての体験を積まない、といけないわけです。 人類全体の精神が向上することで、その成員の精神も向上するのです。だから一人でも悪いことをすれば、人類全体の精神が堕落腐敗するのです。つまり人を欺く、ということはそれだけで罪なのです。 だから、一人だけ得をする、ということは、人類から一人抜けることになるわけです。 キリストは、人類から一人も落第者を出さない、と宣言していますので、一人だけ得をすることはあり得ません。だから、必ず、その人は損をすることになります。それがカルマの法則です。 そして、キリストは、人類すべての損を背負って罰を受けたので、カルマの法則により、キリストは人類すべての得を得るのです。 前置きが長くなりましたが、何が言いたいのかといえば、現代人は、地獄に行くことをなんとも思わなくなっているほどバカになっている、と言いたいのです。 人を騙すことは、もはや騙した人だけでなく、キリストをも騙すことになり、神をも騙すことになるわけです。神は勿論、人間に騙されることはないので、騙した人が神ならぬ、悪魔に騙されることになります。神を騙せば、こいつは見どころがあるなと、悪魔がやってきて、地獄に連れていくわけです。 悪いことをすれば刑務所に行くように、地獄に行くのです。 だから、一人だけ得をしようという危険な考えなど捨てるべきです。 特に、いまの政治家たちに警告しておきたい、と思います。あなた方は地獄に堕ちる資格が十分有り余るほどにある。 人や国を騙して、生きることがどれほどの悪なのか、バカな頭を少しでも使って、考えてみてほしいです。 さて、悪とはなんでしょうか? 悪とは偽善です。良いことだ、といって押し付けるのは偽善で悪です。 この国のバカな地獄行きの連中が教育勅語がいいものだと吹聴していますが、それがたとえ良いものだとしても、まだ分別のない子供に押し付けるのは、偽善で悪です。 第一、教育勅語が良いものなら、なぜ、それを吹聴する者が誰の目にも明らかな賄賂やインチキをするのでしょうか? それこそ教育勅語のせいで、8億も国から騙し取って教育を私物化しようとしていた悪人なのではないでしょうか? オリンピック選手が教育勅語のお蔭で金メダルが取れたとは聞いたことがなく、インチキや賄賂に関わってそうな悪人ばかりが教育勅語を絶賛する。そんなにいいのなら、行動で示してくださいな。 自分だけが得をしたいために、教育勅語を吹聴するインチキさが見え見えです。そんな教育勅語などはいかに良くても、悪人の道具でしかないので、ない方がまだマシでしょう。 口先で示すより、教育者として、行動で示すべきではないでしょうか? 口先では良いことは悪魔だって言えますが、悪人は行動をみれば一目瞭然です。 口先だけ巧みなのは悪魔の特権です。地獄で悪魔が待っているのですよ。 地獄の恐ろしさを知らない人には実際に地獄に行ってもらうしかないようなので、せめて生きているうちに地獄にいかないように、地獄にいくタイプを簡単に述べておきます。 第一に金持ちたちです。これはキリストの、金持ちが天国に行くには、縄を針の穴に通すよりも難しいとの発言から明らかです。また地獄の沙汰はカネ次第という諺もあります。 この諺はよく曲解されてますが、ある金持ちが、莫大な遺産を残して死んだのを、このままでは地獄に堕ちるから、遺産を全て貧しい人に寄付しなさいと、あの世をみれる坊さんが助言し、遺族がその通りにしたので、地獄に堕ちることを免れた、という話が由来です。 天国に行くか地獄に行くかは、生前の行い、つまり、生きているときに、人類全体の精神の向上にどれだけ寄与したかによるわけです。 第二に権力者たちです。これは権力というものの性質を考えれば明らかです。権力とは、本当は無いものをあるかのように演出することです。人類は皆平等なので、権力を持つこと自体が嘘で詐術なのです。その嘘の権力で人を支配したり、人を貶めるのは地獄への通行手形を手にいれることを意味します。 第三に宗教家です。なぜ宗教家かといえば、神を心から信じているのなら、宗教は必要ないからです。神は宗教を必要としないのに、なぜ人間は必要とするのでしょうか。人が宗教を語ることで、神になりかわろうとするからでしょう。 人類全体が既に、神の創造物であり宗教なので、そのなかで宗教をつくるのは私物化であって、偶像化であり、神への冒涜といわざるを得ないでしょう。神の教えを語るのではなく、自らで実践することです。 だから、宗教家は地獄にいくことになるでしょう。 さて、そういうわけで、審判の日は近いと思います。インチキな人がTVを賑わせていますが、反面教師として、シュタイナーの人智学的医術の紹介を続けます。 ★ ★ ★ さて、以前、取りあげた題材に基づき、この題材を扱える範囲内で、まずは全体に正しく光を投げかけ、この題材を実り多いものにする幾つかの事実を紹介したい。だから、その取っ掛かりだけになるにしても、更に時間ができればよいが、前回に続いて、今回は、歯の発達(進化)と退化について、少し述べたいが、これは健康と病気の双方に多少とも、光を投げかけるのに適した事例である。 以前議論されたような事例を、唯物論的な意味で解釈されると具合が悪い。というのも、この事例で重要なことは、外見上生じること、つまり、歯が損なわれるのは、ある体内の活動のためで、その本質は、外見から隠されているからである。 歯の形成を理解するには、一見、それとはかけ離れたように見える別の活動も視野に入れる必要がある。それは、歯の形成と結びつけて考察し、理解してはじめて正しい評価を下せるような、よく知られている別の活動である。 その、よく知られている別の活動とは、健康な歯を持つ女性が、最初の分娩を経た後で、歯がダメになる現象と関わる。この現象から、歯痛や歯の損失と、人体との関係が解明できる。更に、歯で起こることと、痔疾への傾向との興味深い関係についても考慮する必要がある。 上述の関係から、次のような疑問が思い浮かぶ。 人体での鉱物化とはどういうものか? というのも、歯の形成は、まさしく鉱物化だからだが、この疑問に答えるには、人体に、どう関わり、その対極にある活動と、どのような関係があり、そのなかで、どう現われてくるのか、を洞察する必要がある。 歯の形成を洞察するにあたって、実際、次のような否定できない事実に影響を受ける。 「歯の形成活動は、歯肉の外の、歯が被さった部分にまで達し、この活動の終結部では、人体が実際、鉱物として、外界に委ねられ、そこでは歯の被膜、つまりエナメル(ほうろう)質がほぼ完全な形で閉じられ、もはや栄養摂取が行われず、器官とは呼べない形となっている。」 さて、既に述べたが、この歯の形成活動よりも、全生涯にわたって生じる解体活動の方が重要である。 しかも、歯の最外部は発達(進化)するのに、この末端での器官形成はほとんど行なわれず、解体、つまり破壊活動と関係するのは非常に重要で、この事実からくる次の疑問は更に重要である。 「人体の解体の傾向をどうしたら遅らせられるのか?」 というのも、この解体が、外からの攻撃だけで生じる、と考えるなら、完全な錯誤だからである。この事実を十分に考慮すべきである。 更に重要なのは、以前、歯の形成に関連して、フッ素の働きについて述べたが、この働きが本質的に、幼児の歯と関係するのは当然で、幼児の歯の形成は、まず準備されたエーテル体の内から外へと進むからである。というのも、幼児の歯の形成は、第二の歯(永久歯)が生えてくる前に、体内の奥深くのエーテル体で準備されるからである。 このフッ素の活動は、歯の被膜のなかで、フッ素が被膜の物質と結びついて均衡し、安定状態に至ることで、その頂点に達する。 しかし、歯が退化し、破壊活動に向かうことで、この安定した均衡が揺さぶられる。この破壊活動の背後には、歯に端を発するフッ素の活動に関わるエーテル体の活動があり、このエーテル体の活動は肉体全体を満たしながら、全生涯にわたり維持され、継続される。 さて、以上の事実から、破壊活動に対する予防措置が考えられ、次のような例が挙げられる。 「ヴァルドルフ学校での教育カリュキュラムでは、子供の健全な発達(成長)に寄与する他の予防措置に加えて、子供たちの歯が早期に損なわれるのを阻止する予防措置も取り入れている。」 というのも、この人体の末端部といえる歯(フッ素)の形成については、幼児期の正しい教育に左右されることが多いからである。残念ながら、ヴァルドルフ学校を通じて、歯の形成に介入し、本格的な予防措置を行うのには、年齢が少々遅すぎる、のが目下の現状(1920年)で、この予防措置をもう少し早く始める必要がある。 とは言え、歯は一度に生えてくるものではなく、徐々に生えてくるもので、体内の活動はその後も長く継続されるので、子供たちを6歳か7歳になってから預かっても、まだ若干の予防措置は可能だが、全く充分とは言えない。若干の予防措置は、ある形で実行できるが、それには乳歯が生える際の歯の全体の活動が、どのような性質なのかを、注意深く調べてみる必要がある。 さて、以上のような歯の形成は体内で既に準備されているので、歯冠は既に完成され、押し出されるだけなので、予防措置は困難なのではないか、という反論は尤もである。確かに、この反論は正論だが、歯の形成活動の本質を理解するには、歯だけを観察していてはダメである。 重要なのは、子供が大体6歳になっても、手足を動かすのが不器用な場合、その子の歯の形成活動が適切でない傾向にある、という事実である。手足の動作のなかに、歯の形成においても前面に現れるエーテル体の活動が示される。 従って、子供たちが両脚を器用に動かして巧く走れるように、できるだけ早く指導すること、例えば、タゲリ走りなど、巧みな駆け足を指導し、身に付ければ、歯の形成を促進できる。 ヴァルドルフ学校の手芸の授業では、男子も女子と同じように棒針編みや、鉤針編みを共に行っている。年長の男子でも、夢中になって棒針編みをやっている。何も奇をてらったものでなく、指を器用に、柔軟にし、魂を、指先にまで送り込むためなのである。 魂を指のなかに送り込むと、特に歯の形成を促進することにもなる。子供が怠惰なとき、そのままじっと座らせておくのか、駆け回るように導くのか、また、手先を不器用にさせておくのか、器用に導くのか、で、全く異なってくる。 この事が重要なのは、子供の時に怠ったことが、後になって、程度の差はあるにせよ、早期に歯を損なう現象となって現れるからである。個人差はあるが、確かに現れる。だから、次のような結論に至る。 「このような訓練を子供のとき、つまり早期に始めるほど、歯の破壊を遅らせるような影響を与える。」 歯の形成への直接の介入は困難なので、上述のような現象を考慮する必要がある。 さて、次のような疑問が浮かび上がる。 「フッ素は、どこから人体に摂取されるのか、外のエナメル質なのか、歯髄なのか、それとも血管などなのか?」 フッ素は体内の形成活動でリサイクルされるので、どのような経路を辿って摂取されるのか、というような疑問を抱く必要はなく、日常の栄養摂取と同じく、フッ素結合を含む食物から摂取される。 人体の外側周辺のフッ素が蓄積される処へと、血液によって運ばれるので、日常の栄養摂取を追跡すればよい。大切なのは、フッ素は、一般的に考えられているよりも、広く分布している、という事実にある。フッ素の多くは、様々な植物のなかに存在している。 植物のなかに、フッ素が存在する、とは、たとえフッ素が化学的に検出できなくても、植物がフッ素(エーテル)の活動をもつ、という事実を意味している。フッ素は水のなかにさえ常在しているので、フッ素不足に困ることはない。 重要なことは、物質体は、(フッ素を摂取して必要なところにフッ素が割り当てられる、という、)フッ素の複雑な活動と、均衡をとるようにつくられている、という事実にある。だから、現代用語で語るなら、次のように言えるだろう。 「フッ素は血液を通じて物質体形成が必要な場所に輸送される。」 更に、「割れた歯のエナメル質には猶も養分が供給されるのか」、という疑問が浮かび上がるが、養分は供給されない。 この事は以前述べた事実からわかる。しかし、また別の事実に注目すべきである。つまり、人智学で探求すると、歯がつくられる場所やその周囲では、エーテル体が自由に活発に働くので、物質(肉)体との結びつきが緩くなっている、ことがわかる。 この歯の周辺に見られるエーテル体の活動を、特別に霊視すると、顎の周りを、自由に動いているようにみえる。このような自由な運動は、下腹部には全く存在しない。下腹部では、このような運動は狭義の意味で、物質体の器官(腸)活動と結合し、以前述べた産後の歯の損傷は、この事実と関係する。 つまり、エーテル体の活動が、妊娠によって、物質体から切り離され、緩くなると、自由に運動するようになって、反対側にある対極の活動、つまり歯の形成に重大な変化を引き起こす、のである。 同様に、痔疾も、物質体とエーテル体が分離し、独自の道を歩むのに関係している。しかし、この人体の末端で起きるエーテル体の独立は、反対側にある対極の部位で、逆に、このエーテル体を物質体に結びつけようとするので、独立の反作用として、物質体の破壊活動を生じさせてしまう。 エーテル体の活動が高められ、正常に出ると妊娠だが、異常に出ると病気となるが、妊娠のように正常に出ても、反対側の対極では、歯を退化させ、破壊に導く。この事実は特に重要である。 さて、次のような疑問が投げかけられる。 以上は物質体へのフッ素の働きの話だが、物質体に対してフッ素が十分に働かない場合、その不活発なフッ素の働きを人体内に探し出せるのか? 人体は非常に複雑なので、フッ素の働きを教育する代わりに治療で示すべきなのか。 つまり「(手足を巧みに動かす等の)教育で間に合わなければ、治療を始めるべきなのか?」 というのも、手足の動きは、肉眼でみえるフッ素の働きであり、フッ素は黒子役だからである。手足の指が柔軟によく動くようになると、フッ素の働きが肉眼でみえるようになる。 フッ素の働きとは、以上のようなもので、原子(細胞)論で解釈し、空想(想像)されるような働きではなく、人体の内から外へと表面に出現し、継続していく波動(流体)の運動なのである。 人体の表面で生じている活動が、体内に継続していくのがフッ素の活動である。というのも、子供の教育がよくなかった、と気づくのは、歯への影響だけでなく、子供が自分からは何も始められない、器用になれない、などにも現れるからである。更に重要なのは、これまで述べてきたように、その予防として人体に介入することである。 この予防として、トチノキ(1)の樹皮から採った液を水溶性のエキスにして、つまりエスクリンエキスとして試してみるとよい。エスクリンを人体内で薄く希釈されるように内服すると、歯を保護し、長くもたせるように調整できる。ただしその時期が手遅れでないなら、の話である。 (1)Rosskastanie トチノキ属。セイヨウトチノキ、マロニエ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%AD この事実からまた興味深い関係が見つけ出せる。トチノキの樹皮液のなかには、実際、歯をつくる要素が含まれる。マクロコスモス(自然を含む宇宙)のなかに見つけ出せるものは、人体のなかでも生命活動を担い、なんらかの形で人体をつくっている。 そして、このような事実から、以下の事実が明らかになる。 エスクリンには、物質の化学力を中和させる力が存在する。実際、奇妙だが、円錐(?)のスペクトルをエスクリンの溶液に通すとスペクトル(?)から化学力が中和され、消失する。 このような化学力の消失は、水溶性のエキスでないとダメで、人体に投与する際には、非常に薄く希釈されるようにしないといけない。 以上の事実からわかるのは、このような化学力を中和して、鉱物化を誘導するのは、結局、人体の歯の形成活動と同じ、ということである。 ただし、歯の形成では、化学力が中和され、物質(歯)として生じる活動も、人体内では、まだ化学力に浸透されている。 同様の働きは、ただし別の抽出法が必要だが、クロロフィル(葉緑素)にも見られる。以上のトチノキ他の樹皮に見つけられる鉱物化の力は、葉緑素のなかの力とは逆の働きをする。だから、葉緑素を、エーテルとして抽出する必要があるので、内服ではなく、下腹部に作用するように、薄めずに軟膏などにして体外から擦り込む必要がある。 従って、葉緑素のエーテルを下腹部に作用するように外から軟膏などで擦り込むと、エスクリンを内服するのと同様に、歯の保護などに働きかけられる。 以上は是非試すべき事柄で、統計的な成果などが示されれば重要な印象を与えるだろう。歯髄が死んでしまわないように、フッ素の活動を健全にしなければならないが、そうすると、歯科治療の問題だけでは済まなくなる。 さて、歯の治療が手遅れでなければ、歯の治療から、歯の形成が、体内の活動と密接に関係している事実が判明するだろう。というのも、エスクリンやクロロフィル(葉緑素)について述べた事実から、鉱物化とその逆の霊(精神)化へと向かうエーテルの活動に導かれるからである。 人間は、精神を高度に進化させる代わりに、歯(鉱物)を損失することで贖わざるをえない。この事実は、生物の系統発生(進化)からも正しく、動物の歯に対して、人間の歯は退化している。しかも人間は、この退化を、エーテル体を通じて本質的に、頭部の活動と分かち合っている。 (エーテル体の活動が自由になれば、物質体の破壊が進む。つまり、精神が高度になるほど、物質体が劣化してくる。) 以上、歯を診断するために重要となる観点を紹介した。更に、また基礎を与える別の事実をつけ加えれば、更に幾つか別の事実が判明してくるだろう。そこで、一見、この事実とは無関係にみえる話をつけ加える。それは食の養生についての問題で、丁度、いま扱ったような事実と関係する。 食の養生とは、医学的な意味を持つだけでなく、社会的な意味も持つので重要である。マズダナン(Mazdaznan)食餌療法(2)などの特殊な食生活に正当な意味があるか、については多くの議論が生じる。(2)マズダナンは、1900年ごろA. Hanisch によって創始された、ゾロアスターの教えに基づく生活様式運動。マズダナン食餌療法はそれに基づく食餌療法と思われる。 このような食生活で問題となるのは、推奨されている事項が、当人を非社会的存在にしてしまうことにある。実際に、社会的な意味と医学的な意味とが衝突する。何か特別なものを摂取するように指示すればするほどそれだけ一層、世間の影響全般に対して、非社会的な存在になってしまう。 最後の晩餐の意味というのは、キリストが弟子たち皆に何も特別なものを与えたわけではなく、皆に同じものを与えた事実にある。皆が共に同じものを飲食する可能性を人類にもたらしたのは、大きな社会的意味をもつ。やはり、健全な社会性を妨げる結果になることは慎重に扱わなければならない。 (逆説すると、金持ちたちだけが特別なものを飲食するのは社会性に欠ける行為といえる。) というのも、人間を放置しておくと、当人の意識だけでなく、体内の働きにも言えるが、できる限りの食欲を生じさせて、バランスを崩し、かえって食欲不振に陥ってしまうからである。食欲と食欲不振を通常の意味で眺めても、それほど重要なことはわからない。 というのも、耐えられなかったことに耐えたなら、つまり広義の意味で、食べれなかったものを食べて、食欲不振を克服したなら、食べれなかったものを食べないでいるよりは、肉体は遥かに多くの力を獲得するからである。 損傷した人体の器官、もしくはエーテル体を見れば、新しいとさえ言える、その回復は、耐えられなかったことを耐えたことにある。だから、人体の器官形成力は、他ならぬ食欲不振の克服にある。 逆に食欲の虜になると、肉体の器官の役に立つどころか、器官を肥大させ、退化させてしまう。つまり、肉体を害したので、食べないでいた食物に、魂が囚われ、食べてしまうと、エーテル体を害することになる。しかし、嫌いなものに、少しづつ慣らしていくなら、エーテル体は強化される。 現代の自然科学は、以上の治療に必要な事実をほとんど覆い隠してしまった。というのも、自然科学が提唱してきた、生存を巡る闘いや、自然淘汰といった外見的な原理は、実際は、表面的なものにすぎないからである。 ルクス(1)は、これを更に人体での器官の闘いに転用したが、それは表面的なものにすぎない。このような事は、物質のみでなく、霊(精神)の上で生じている事を観察してはじめて意味をもつ。(1)Wilhelm Roux 1850~1924 ドイツの解剖学者、生理学者。1895~1921ハレ大学教授。主要著書:「生体組織における各部の闘い」(ライプツィヒ 1881) 「生体組織進化のメカニズムについて」(ウィーン 1890) 「進化のメカニズム」(ウィーン 1905) だから、次のような結論に至る。 「人体器官の進化は、反感(食欲不振)の克服でなされる。」 (進化という意味の)器官形成力は、反感(食欲不振)を克服した結果もたらされる。人体に既にある器官の成長は、食物への共感によってもたらされるが、食欲は限度を超えてはならない。食物への共感と反感は、舌の上、或いは眼の感覚だけでなく、体全体に鳴り響いている。 どの器官も共感と反感をもっている。器官は、共感から成長するが、成長しすぎると、逆に反感を持つようになる。つまり、器官は反感を持った段階で、完成される。 つまり、外界からの作用に対して、人体内が抵抗し、自我を通じて反感が生じることで、器官の完成が進む、という事実を考慮するなら、外界の作用から、生命体の系統発生学(進化)を探求できる。器官が体内での、いわゆる生存競争に良く耐えれば、反感を克服した代わりに、莫大な器官形成力が手に入る。 この事実を考察すると、投薬する際の、薬の希釈量を見積もる基準が得られる。共感と反感の間で絶え間なく、器官形成活動が揺れ動いている、のが洞察できる。器官形成は本質的に共感と反感を共にし、その間の釣り合いに関わっている。 以上が、共感と反感の対極的な関係だが、薬を用いる際、あまり希釈せずに、物質として用いる場合と、体内で希釈されるように用いる場合の関係も同様である。 人体であまり希釈されないように(低い周波数の波動で)用いる場合と非常に希釈されるように(高い周波数の波動で)用いる場合では、逆の対極的な関係にあり、両者の釣り合いが全体の形成力と関係する。 以上から、以前、別の観点から述べた事実が正しいのもわかる。つまり、幼児期の人体に、ある形で働く力は、老年期では逆に働くので、年齢に応じて、人体の働きが変化するという事実である。 この事実が基になって、以前述べたように、デメンティア・プラエコクス(精神分裂病)などの慢性疾患の症状、つまり魂(アストラル体-エーテル体)が、肉体から絶縁される状況が生じ、この魂の絶縁が、後の年齢になって、肉体に結びつくべきでないときに、結びついてしまう。 現代科学自体が、少しばかり霊化され、もはや精神病と呼ばれる病気を、精神(心理)的な方法で治療しようとせずに、次のような疑問 「精神、もしくは心の病がみられるとき、肉体の、どこが不調なのか?」 が投げかけられてはじめて、精神病と呼ばれる病気を適切に処理できるようになる。逆に、奇妙に聞こえるかもしれないが、肉体の病気の方が、精神病と呼ばれている病気よりも遥かに、心魂(魂を心と捉える観点)に目を向けることで、治療への多くの手懸かりが得られる。 精神病と呼ばれる病気の場合、心魂(霊魂)についての所見は、せいぜい診断の助けになるくらいである。肉体のどこに欠陥があるのか、を観察から探り出すために、心魂についての所見を研究しなければならない。古代人たちは、この点について、既に術語の上でも配慮していた。 古代人たちが、実際に、「ヒポコンデリー(心気症、憂鬱症=鬱病)」という術語を用いて、心魂(霊魂)の所見を、唯物論で純粋に言うところの「下腹部の骨(物質)化」とか、「下腹部の軟骨(粘液)化」の意味に結びつけたのは正当な理由がある。 古代人が、心魂の状態から生じる下腹部の疾患を、それ以外の何かに探求することは(心気症が悪化した場合ですら)なかった。ともあれ、物質を、霊から発生した状態になるまで洞察できなくてはならない。 今日(1920年)、唯物論を、思考法に採用し、継続したカトリックによる精神(霊魂)を苦しめる行為によって、実際、途方もない損害を被っている。この霊を侮辱し、苦しめる行為は、自然霊も侮蔑し、自然から、精神(霊)を抜き取った。 今日の唯物論による世界観は、この霊魂を無視する行為から派生したもので、精神病と呼ばれる病気については、肉体の下腹部で生じている変化などには注意を払う必要はない、と考えるのを好む。 (心気症などは、下腹部のエーテル体の運動の問題らしい。) しかし実際、そのような世界観は全くの間違いである。物質の内部では、霊(精神)が働いていて、どのように霊が働いているのか、という事実こそ知るべきである。人体内で働く霊を、外界のなかで働く霊と結びつけると、内と外の霊が照応し、相互作用していることがわかる。 だから、自然を侮蔑するのをやめなければならない。自然全体を再び霊の働きとして眼前に思い描くようにしなければならない。というのも、現代は唯物論の最盛期なのに、精神を異常な状態にしようと、催眠術や暗示などで働きかけるような欲求が現れているのは、何とも奇妙で、医学的な思考の改革にとっては究めて重大に思えるからである。 一見して物質から離れているような精神や霊などの事柄が、他ならぬ唯物論の時代に登場し、そして水銀、アンチモン、金、銀などの背後の霊の性質について探求する可能性が逆に失われてしまった。現代の本質とは、物質の背後にある霊の性質(霊性)について探求する可能性が失われてしまった、ということにある。 霊の正体が見えなくなってしまったため、霊そのものを取り扱い、精神分析で行われてきたように、精神=霊そのもので説明しようとする。だから、物質を生じさせている霊性についての健全な見解が再び広まる必要がある。 以上のような外界の物質のなかの霊性についての信仰が生活のなかで保たれてきたことは、十九世紀を通じてのホメオパシー(同症療法)のような伝統医療のなかで浮かびあがってきた、少なからぬ功績の1つであることは間違いない。それどころか、この事実は究めて重要な1つとも言える。 というのも、唯物論的な、アロパシー(逆症療法)の医学は、残念ながら一層益々、人体外の物質やその作用のみに関わるべきである、という物質信仰に向かっているからである。 しかし、ホメオパシー(同症療法)の医学から、肉体上の病気の診断には、魂の状態にも注意を向け、逆に異常な状態が精神に強く現われているときには、肉体上にもその影響の場所を探す、という方向に通じていくべきである。 肉体に病気が現れる場合は常に、この人はどのような気質なのか、という疑問が出てこなければならない。 例えば、病人が、ヒポコンデリー的な性質(憂鬱質)であるなら、物質体の新陳代謝が強いので、人体下部の新陳代謝(消化)を通じての治療を考えるべきである。つまり、薬を投与するなら、あまり希釈されないように、物質性をもつ状態で下腹部に作用するように処方すべきである。 憂鬱質は、物質(肉)体が優位な状態の気質;過剰な新陳代謝が特徴 また、病人が、日頃から賢いか、多血質の気質であるなら、アストラル体が優位なので、体内でなるべく希釈され、人体上部にまで達するように、薬を投与しないといけないことがわかる。このような病人には、肉体上の病気に対して、アストラル体、つまり心魂の状態を明らかにする必要がある。 多血質は、アストラル体が優位な状態の気質;過剰な神経系が特徴 このようなアストラル体、つまり神経系が優位な状態が、子供でも、既にある形で現れるが、その子の気質が、粘液質への傾向を全く示さず、つまり後の年齢になってはじめて現われるべき、その粘液質の萌芽が、たとえ控えめであっても、その子のなかに全くみられなければ、デメンティア・プラエコクス(精神分裂症)は、簡単には発症しない。 粘液質は、エーテル体が優位な状態の気質;過剰な腺分泌が特徴 しかし、精神が能動的(ポジティヴ)か、受動的(ネガティヴ)か、という区別は特に重要である。この事はよく考慮すべきである。心理療法で、暗示などを用いて働きかけたなら、その人を働きかけた人の影響下に置くことになり、その人の能動性を阻んでしまうからである。 そして、この能動性の阻害、つまり内面にあるイニシアティブ(自由意志)を阻むこと自体、既に、外界での生活において重要な意味を与えてしてしまう。つまり、この事を、子供のなかに適度に観察したなら、その子の後の人生の、再び、歯の問題に関係してくる。 いま、自分のためには、ある食品を避ける必要があり、別の食品をもっと摂取する必要がある、という例えを考えてみる。だから、自分には、ある食餌療法が必要である、と考えられ、実際、それは自分に非常に良いかもしれない。 とは言え、自分で試し、自主的に様々な食品を試してみてから、食餌療法へと辿りつくのか、医師に指示されて、食餌療法を取り入れるのか、では、大きな違いがある。この違いを曲解しないように注意して欲しい。 自分で良い食餌療法を見つけ出して自分のものとし、もしくは医師の指導の下で、自分でイニシアティブを発揮し、身につけたにしても、医師に一々指図してもらって身につけた場合であろうが、唯物論的な考え方の前では、いずれも同じように役に立つ、ように思うだろう。 しかし、以上の最終的結果は、以下のような違いで現れる。 つまり、医師に指示され、それに従った食餌療法は、最初のうちこそ役に立つだろうが、残念ながら有害な面もあり、食餌療法を行わなかった場合よりも、高齢になってから痴呆化(統合失調化)しやすい。 つまり老人性痴呆(認識障害、統合失調症)になりやすく、逆に、食餌療法に積極的に協力することは、老齢に至るまで(勿論、他の要因も加味されるが)、精神の活発を継続するのを容易にする。 暗示などの心理療法を用いると、このような自主性(能動性)が損なわれ、受動性を身に着けてしまうと、自分の判断を放棄し、他者の指図に依存しきってしまうだけでなく、自分の意志を、他者の判断に委ねることさえ行ってしまう。 だから、催眠と暗示等を用いる心理療法は、できる限り使わないのがよいが、次のような場合は例外といえる。 「このような心理療法を試行するときに生じる意志の阻害が、別の根拠から有害ではなく、一定期間、暗示などを用いたほうが、病人のためになりうる場合。」 しかしながら、一般的にいうなら、人体をつくる4つの体のうち、物質体、エーテル体、アストラル体の3つの体による直接の働きではなく、意識、もしくは無意識から、能動的にイニシアティブ(主体性)をもつ、自我のなかにある意志力による治癒的な働きこそ、人智学が指摘すべき重要なことである。 このような事が非常に重要なのは、唯物論の時代にあっては、自我がもつ意志(自主性)に反する事が多く、しかも、時代を反映する支配的な意見に汚染されやすく、催眠術に似た今日の洗脳や暗示が教育にも取り入れられているという、ゾッとするような事態を体験することもある(サブリミナル効果のようなこと)。 このような洗脳の類が教育のなかに取り入れられるのは恐ろしい事である。催眠に誘導されずに、覚醒をもたらす活動が、このような洗脳に対して、どのように働くのか、というような疑問に答えられてはじめて、その恐ろしさが明確になってくるのかもしれない。 催眠に誘導されると、本人の意志に従わないイメージが潜在意識のなかで展開され、外界に対する活動が停止する一方で、潜在意識は活発になる(白昼夢をみる)。 オイリュトミー(シュタイナーがつくったダンス)をする場合は、この催眠とは逆の覚醒が起こる。オイリュトミーでは、催眠とは逆の覚醒がもたらされ、日常の覚醒意識を超える、強い覚醒がもたらされる。 寝ているときにみる夢のような肥大したイメージが取り去られ、代わりに自我のなかの意志が健全に養成されて、四肢に送り込まれる。自我のなかの意志が、物質体のなか、四肢のなかにまで送り込まれる。 例えば、オイリュトミーの母音のダンスが、人体の上部と下部に与える働きは、どのように違うのか? 逆にオイリュトミーの子音のダンスが、人体の上部と下部に、どのように異なった働きをするのか? などについて研究すれば、オイリュトミーのなかに重要な治療法(2)を探求できる。 (2)ルドルフ・シュタイナー「オイリュトミー療法(講習)」(GA315)参照。このオイリュトミー療法の講習は、この「人智学と医学」の1年後の、医師を受講者とした講習「治療のための人智学的観点」(GA313 1921年4月12日~18日)の期間中に行なわれた。 1-17 「治療のための人智学的観点」 シリカの生命活動は、四肢での血液やリンパ液などの液体での、自我による統一(混合)活動と同じ人体の活動だが、自我の力よりは強くなく、自我の統一活動とは、反対に働く(上図参照、黄金線)。このシリカの生命活動は、人体を細分化し、秩序づけ、末端まで放射状に拡がる。 だから、人体は、(血液のなかの)自我により四肢から区別なく統合され、シリカにより頭部から細分化され、互いに異なった働きをもつ器官とされる。 すなわち、人体を形成する力は、個性的な器官をつくる為に、頭部において予め細分化されている。この力は、頭部に独特なシリカの活動により、心臓、肝臓などの個性的な器官が秩序正しく働くように刺激されている。
2017年03月10日
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