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麻生総理が三年後の消費税アップを明言した。この発言の一つの見方として・・・解散は当面はやらんということだろう。ミンシュにしてみれば、してやられたというところではないか。選挙の顔も福田からキャラ立ちの麻生に変わった。総裁選も5人の候補がたってもりあがった。こうなると誰しも総選挙近しが既定の事実だと思ってしまう。※そこでミンシュは子ども手当て、高速道路無料化、農家の個別補償など鳩に豆を投げ与えるようなバラマキ公約を発表する。ミンシュは米国の政党と同じ名前で何となくリベラルなイメージがマスコミ受けするだけで、実態はジミンとほとんど差がない。なにしろ代表は最も自民的だったこわもての元辣腕幹事長だ。政策に差はない、でも政権はほしい。そこでぶちあげたのが「政権をとっちゃえばこっちのもの」のバラマキ公約。でも、ジミンは政権政党の強みで本当にバラマキをやっちゃいそうなのでミンシュの公約がすっかりかすんでしまう。※それにまた、ミンシュが打ち上げた候補者リスト。あれも選挙間近だからよいのであって、時間がたてばまずい。だってミンシュの候補者の中には話題性いのち、サプライズいのちという人も混じっているではないか。ああいうのは鮮度が落ちないうちに「風」をおこして得票するからよいのではないの。ペイリンおばさんも出てきたときは清新で人気ものだったが、時間がたてば「あれではねえ」となる。それと同じであろう。※ミンシュは今度政権にありつけなかったら、おそらく解党、分裂するだろう。よいことではないか。だいたいマスコミ、特にA新聞あたりがあおる二大政党だの政権交代だのという煽りは、最初からうさんくさいと思っていた。次の選挙はジミンに投票するか、ミンシュに投票するか・・・て、なんかこの二つの政党しかないように誘導してないのだろうか。マスコミの中立性、不偏不党性にも反する。ミンシュといったって、政策そのものはジミンの派閥のようなもの。どちらが政権をとったって酷い格差社会や貧困の惨状はおそらく変わらない。多様な選択肢や多様な政党の主張をとりあげるのこそマスコミの役割ではないか。※それにしても消費税論議でいつも不思議に思うのは以下のような議論がスルーされていること。税収が要るのはわかるが、なぜ消費税なのか。所得税や相続税についての議論はなぜないのか。また、国によっては食料品や生活必需品とそれ以外で消費税の税率を区分しているところもある。消費税といっても実はいろいろなのだが、なぜ日本での議論は一律に何%なのだろうか。
2008年10月31日
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不況の足音とともにあちこちの企業では非正規雇用の雇い止めをやりはじめたという。労働者は解雇されたら路頭に迷う。借家人は家を追い出されたらホームレスになるしかない。そんな事態を防ぐために雇用法制や借地借家法があるはずなのだが、会社の寮などに住む非正規雇用者にはそんな保護はない。おそらく雇い止めの次にくるのはホームレスの激増だろう。※また、非正規雇用の雇い止めだけではなく、リストラや内定取消しをやりはじめた会社もあるという。苦しいときこそ皆で一丸となって・・・というのが昔からの日本の考え方だったと思うのだが、今では会社は苦しくなるとすぐに社員を辞めさせようとする。役員の高給はそのままで。リストラがカタカナであるように、こんなのは昔の日本企業にはなかった。どうも日産の外国人社長がもてはやされるようになってから、日本の企業も変わったように思う。※内定取消しだけではない。こんままではいずれ第二のロスジェネ世代のような大量の就職難民が生まれるだろう。一方で正規雇用ならよいというものではない。一日十時間もの労働。祝日も休日もない職場。定期昇給もボーナスもなし。そんな現代の蟹工船や女工哀史のような職場が蔓延している。そしてそんな実態を告発すれば、職場を失う覚悟でやらなければならない。※企業と労働者を比べれば圧倒的に企業の方が強い。企業の利益だけを考えれば正規雇用などはぎりぎりに減らして、後はモノ扱いでいつでも切れる非正規雇用にする。正規雇用者の中でも中核社員以外は、労働基準法無視のサービス残業させほうだいで使い棄てる。今起きているのはそんなことではないか。そうならないために労働行政であり雇用政策があるはずなのだけど…。※※ジミンかミンシュか、政権交代か政権選択か…というように、あたかも投票にはその二つの選択肢しかないように煽るマスコミ報道はもうたくさん。ジミンもミンシュも似たり寄ったりの政党なのに、「対立軸がみえてきた」とはしゃぐ某新聞はマスコミの役割を放棄しているとしか思えない。たぶん今必要なのは、きちんとした雇用政策を行い、せめて労度基準法くらいは遵守するようにさせること。これが多くの人々の切に望むことであろう。いくら金をばら撒こうが高速道路をただにしようが、雇用が安定しない限り、内需など拡大するはずがないではないか。
2008年10月30日
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小さなニュースだったが、麻生総理の家を見に行こうという人達が無届デモを行ったとして3人が逮捕されたという「事件」があった。これについての詳細を見るとどうもデモというほどのものではなかったらしい。http://www.news.janjan.jp/living/0810/0810270277/1.phpということは、ただ歩いているだけで逮捕されちゃったのか。なんと・・・。これに限らず最近(前からかもしれないが)変な逮捕が多い。我がマンションの郵便受けにも毎日どっとチラシが入っているが、そのチラシを投函して逮捕されたなんていう「事件」はどう考えてもわからない。そしてまた、誰も互いに顔も知らないような都会で郵便受けに政党機関紙を投函した公務員(もちろん勤務時間外)がなぜ政治的行為を行ったとして刑事責任に問われるのだろうか。全然公務員の肩書きとは関係ない行為で、どう考えても「公務員の地位を利用した」わけでもないのに。日本は自由な国で中国などとは違うと思うけど、油断しているとどんどん変な方向に流れていきそうな気もする。だからこそネットの上だけでも危機感を共有しておかないと、そのうち自由にネット上に意見を書くこともできない時代がきてしまうかもしれない。※最近は公務員や官僚をたたくのが政治のトレンドになっている。民間が厳しい分だけ嫉妬の眼が公務員に向けられているし、また公務員は決して反論をしないから、「公務員たたき」は政治的テーマとしては都合が良いのかもしれない。その点、うまいなあ・・・と思ったのはコイズミの選挙方策だ。「郵政改革は改革の本丸」というワンフレーズで自民党を圧勝に導いたが、あの本質はおそらく郵便局員という有権者の最も身近で、しかも警察官や消防官に比べて「楽そうな」公務員に対する嫉妬をあおったことだと思っている。たぶん一度は郵政民営化法案が流れて、大喜びしている郵便局員達の映像がテレビに流れることも計算済みだったのだろう。本当に、コイズミうまい。※それでいくと最近ミンシュがやっている官僚バッシングも似たようなものかもしれない。たしかにいわれてみれば郵便局員よりも官僚の方がバッシングのしがいがある。曰く。日本には官僚がいて自らの私利私欲のために税金を無駄づかいして権限をふるい贅沢な生活をしている。だから官僚主導の政策を政治主導にすれば税の無駄づかいはなくなり、世の中もよくなるはずだ。さてさて、でもそんな私利私欲のため国民を食い物にしている官僚って具体的にはどこにいるのだろうか。もちろん収賄等をする人間はいるがそういうのは警察で処断している。ミンシュの岡田元代表もかっての通産官僚ではないか。またこの間、発表されたミンシュの候補者にだって元官僚がいる。特に厚生官僚同士の争いになる茨城あたりの選挙区。自民のおす厚生官僚は「私利私欲のために国民を食い物にした悪い官僚」でミンシュのおす女性元官僚で元山口県副知事は「よい官僚」だとでもいうのだろうか。どうもわかんない。※※公務員がらみでもう一つ。もし国立大学の試験や医師などの国家試験で人物重視といって2倍や3倍の試験合格者の中から面接で最終選考をするとしたらどうなるのだろうか。不公平だといって轟々たる非難が沸き起こるに違いない。問題のある人物をふるいおとすのならともなく、2倍や3倍の中から「人物本位」で選ぶ面接はどうしても不公平になる。面接官のうけた印象や相性。だから面接のために「整形手術」なんていうことも冗談ではない。ところが最近の公務員試験ではこの面接の比重が多くなっている。昨日発表された国家公務員1種でも試験自体は採用予定者の何倍も合格させてその中から面接で採用するのだという。特定大学のクラブやサークルの先輩が省内にいる人。身内に幹部がいる人。女性だったらまあ美人。とこんなのがおそらくかなり有利になっているのではないか。一方で、私立大学などで1年の頃から公務員試験の猛勉強をしてめでたく合格はしても採用されないなんていう悲劇もけっこう起きているのかもしれない。公務員は明治以来試験任用の長い歴史がある。民間企業で面接重視は仕方ないけど、公務員試験くらいはせめて公平な試験重視にできないのだろうか。
2008年10月29日
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解散はどうやら先送りされそうな情勢である。もともと解散だ総選挙だなんていうのは総理だけが決定できる話で、マスコミがいかにも近日中に解散があるように報道していたのは、そうした意味ではなんの根拠もない。一時のブームや空気に流されて投票しない・・・という意味では解散の憶測から実際の解散までに時間のあることはよいことではないか。だいたい麻生総理は本当に漫画やアニメ好きの総理として若者に人気があるのだろうか。ミンシュはリベラルな政党で政権交替自体がわが国の政治状況を改善するのだろうか。なんかこうしたことは皆マスコミが煽っているだけで、実態のない話であると個人的には思っている。有権者一人ひとりが、それぞれが最大の懸案だと思う問題をよく考え、どの政党に投票するのが最適かをゆっくりと考える。そのためには総選挙までの時間はたっぷりとあった方がよい。急速にすすむ貧困や雇用不安。そしてそれと裏返しの超残業という人間の使い捨て。私利私欲しか考えない卑しい経済人のいうがままに格差拡大政策を続ける政権。もちろん小生は、そんなのにSTOPをかけたいと思うから、それができそうな政党に投票するつもりだ。まあ、小生のように考える人が世の中に多いと思えば、ブレイクしたい政治勢力はそうした声をすくいあげる政策を提示するばよい。それが民主主義による世の中の進歩というものであろう。※そうした意味で延々とつづく米国の大統領選挙。あの二大政党制には大いに疑問があるのだが、選挙に時間をかけるのは、それはそれでよいことだと思う。一過性のブームにふりまわされることなく、ゆっくりと候補者を選ぶ時間があるのだから。(HP参照 10人に183億円の減税だという。http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2008/10/28004323/#more-9970)
2008年10月28日
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親が子を殺し、子が親を殺す。こんなニュースがあっても今時誰も驚かないが、また61歳の父親が無職の30代の息子を殺害する事件が起きた。動機の解明はこれからだというが、背景にはやはり息子の不就労の問題があるのではないか。父親の目からみれば働かない息子は不真面目に生きているとしか思えない。まあ、一種の自己責任論である。これが息子の立場からはどうなのだろうか。「働け」と言われても、30代のニートにはすぐに働けるような職場はそうそうない。あったとしても3Kか4K、そしてワーキングプアの代表のような老人介護の仕事くらいではないか。派遣の労働条件の厳しさはよく言われるが、最近はそうした劣悪な労働環境が正社員にもでてきているという。無定量のサービス残業で定期昇給もボーナスもなし。初任給のままの賃金で一日に10何時間も働くから、1時間あたりの賃金はもちろん最低賃金をはるかに下回っている。何をいいたいかといえば、たぶん労働環境は60代の父親の若い頃よりも、今の方がはるかに悪化しているということだ。もちろんミクロの問題としてみれば「自己責任論」が誤りだとは思わない。「もう30歳を過ぎているのだから働かなければだめ。よりごのみはしないで給料をとらないと。」「社会が悪いだって。甘えているのではないよ。」たぶん小生だって親の立場だったらこう言うだろう。※ただそれと同時にマクロでみればもっと大きな問題がある。新自由主義の流れは雇用の場にも押し寄せ、派遣業を中心とする規制緩和が行われた。そのため、企業は派遣など外部労働でできる部分は極力外部労働でまかない正社員の数をどんどんと絞り込む。今年の大卒者の就職内定率はかなり低くなっているという。新卒であっても正社員になるのは簡単ではなく、面接に幾度も落ち続け、ノイローゼ寸前になる者もいるという。そして「正社員」になっても今度は一日十数時間にも及ぶ労働時間で心身に変調をきたす人もいる。労働基準法違反の残業や休日出勤は問題なのだが、それを告発するのがいずれも「元社員」ばかりというのも問題である。組合を作ったり、労基署に告発をしたりしたら、社員の地位を失うというのが実態で、その先にあるのはさらに劣悪な労働現場でしかない。※ごく一部のエリート社員や資産家。そうした人々を「勝ち組」というのかもしれないけど、新自由主義というか、市場原理主義はそうした少数の人を除いた大多数の人間を不幸にしているのではないか。労働法制の再規制も必要だが、まず労働基準法の遵守。派遣などの非正規雇用者の悲惨と正規雇用者の超残業の苦痛はたぶんコインの裏表だと思うから。
2008年10月27日
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高齢化がピークを迎える2025年に、医療・介護サービスを確保した場合、91兆~94兆円程度に達するという調査結果を政府は発表した。高齢化の問題、中でも医療や介護の問題が深刻であることはわかる。でも、そのために○○円の費用がかかる・・・といわれても、そのままではうけとれない。医療や介護の中味については議論されたのだろうけど、肝心のそれを供給するシステムについての議論はなされた形跡がないからだ。※介護を考える上で絶対に忘れてはならない(と思う)事件にコムスン事件がある。表面的にはヘルパー数の水増しなどの違法行為が問題とされただけなのだが、本当はもっと根源的な問題があった。それは、強制的に徴収された介護保険料が結局は事業者を潤しただけで現場の介護労働者の処遇改善にはなんら結びついていなかったということだ。折口社長は田園調布に豪邸を建て自家用飛行機まで所有していたが、介護労働者の地位は派遣という形でさらに不安定化弱小化されていた。ただでさえ賃金が安いところに、その賃金の半分近くをピンハネされていたのだからたまらない(さらに違法なピンハネもあったようであるが、それでなくとも派遣業者のピンハネ率は高い)。介護費用に税を投入するのはよい。ただ、その投入された税が、第二第三の折口社長を生み、新たなピンハネ御殿が建つだけではなんにもならない。それで増税だって・・・冗談じゃない。※やはり、介護の問題で第一に考えねばならないのは、介護労働者の処遇の問題である。介護現場の人不足の問題はここに帰着するし、そうした介護労働者の処遇改善に直結する負担増であれば国民的合意を得やすい。おそらく介護労働者の処遇の問題もワーキングプア、最低賃金、労働基準法といった、日本の雇用や貧困をとりまく全体の文脈の中で考えなければならない問題であろう。せめて介護現場についてだけは派遣を禁止するような措置ができないのだろうか。あのコムスン事件がもたらした介護政策への不信はあまりにも大きい。※また、医療、介護費用と消費税を結びつける議論も納得できない。なぜ消費税なのだろうか。戦後一貫して所得税は高額所得者中心に減税されてきたし、相続税もバブル期に減税された。高齢者の医療や介護にかかわる費用はむしろ相続税の出番ではないかと個人的には思う。かって家族がみていた老人の世話を社会に期待するようになってきた。ならば、かっては子どもだけで行ってきた相続も社会に還元するのがすじである。親の世話はしたくないけど、親の財産は子どもだけで相続したいというのでは、ムシがよいというものだ。相続税を増税し、その上で親と同居していたり、親の介護をしていた人については減税するという政策も考慮すべき時期ではないか。※※留学への夢をくいものにしていた会社が倒産した。留学費用を支払った人々の声が紹介されていたが、閉塞的な社会状況で留学に人生の起死回生をかけていた人もずいぶんいたようだ。こうした人々をみていると思う。なぜ外国人留学生の招致は政策として税金が使われているのに、日本人の海外への留学については公的支援がないのだろうか。
2008年10月26日
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最近、「格差」批判に対する再批判といった趣のコラムを読んだ。一つは週刊誌Sに載った著名評論家のコラムで、人間の能力や努力に差がある以上格差は当然だということと、格差の少ない社会というのは日本の昭和20年代や30年代にみられた「特異な現象」であるといったようなことを書いてある。※人間の能力に差があるから格差は当然なんだということをいう人は多いし、現総理も著書でたしかそんなことを言っていた。能力に差があるなどということはいまさらいうまでもないくらい当然のことだし、能力を十分に花開かせるためには相応の努力が必要なこともスポーツ選手などをみていれば明らかである。だから、能力に関係なく人間を平等に扱えなんてことを言っている人はいないし、たとえいたとしてもごく少数であろう。あのマルクスだって「能力に応じて働き必要に応じて与えられる」社会と言うのは人類究極の進歩の果てに出現する共産主義社会でしか実現しないと説いている。結果の平等は究極の理想にはなりえても、すぐに実現可能な目標にはなりえない。だから格差そのものは否定しないが、問題はその程度である。少数の富裕層の対極に大量の貧困層が出現し、しかもその貧困層が増えていくような社会でよいのか・・・今、格差批判を行っている人の多くが問題視しているのはそこである。※また、格差の少ない社会は、日本の一定時期に見られた特異な現象という説も、その真偽はさておき、そのことが日本の競争力を支え、日本を経済大国におしあげたように見えることについてはどう考えているのか。高い品質やサービスの質は、すべての社員が安定した生活を営み、会社と一体感をもって仕事をしているからこそ可能であろう。よく格差拡大は国際競争に勝つためには仕方ないという議論があるがこれも疑問である。世界に受け入れられ外貨を稼ぐような文化や商品は国内に厚い消費市場がなければでてこない。また、経済を支える内需だって、多くの中流層がいなければ拡大を望めないではないか。そしてまた、犯罪や社会福祉需要など、貧困層が拡大すれば、本人の不幸ばかりでなく、社会全体の負担もはかりしれない。※もう一つ読んだ「格差」批判の再批判のコラムは産経新聞朝刊に載った著名な女性作家のものだ。この人は最近アフリカの貧困を紹介しながら、日本人は本当の貧困を知らないなどと書いているが、人が生まれてくるのはアフリカなみの生活を享受するためではない。ネットカフェ難民やワーキングプアにむかって「あんたたちの状態はアフリカよりもマシなのよ」と言ってみたところで意味はない。ちなみにこの日本の貧困はアフリカよりもマシなんてことは、経済界の重鎮も言っているようである。評論家の言葉ならともかく、国の施策を左右するような経済界の重鎮がこんな発想でいるようではちょっと怖い。※※昨日久しぶりにタクシーに乗った。金曜日の夜なのに走っているのは空車ばかりでつかまえるのに苦労はない。小生もそうなのだが、どうしてこんなに皆タクシーに乗らなくなったのだろうか。景気が悪い、収入が伸びないということもあるだろう。でもそれだけではなく、なんかタクシーそのものに対する安心感のようなものがなくなったような気がする(偏見だったら申し訳ない)。かってはタクシー運転手は裕福ではないけど普通の職業だった。「ちびまる子」のお父さんも魔法使いサリーのよし子ちゃんのお父さんもたしかタクシーの運転手さんだったように記憶する。しかし、今ではタクシー運転手はワーキングプアの代表のように語られることが多い。30代、40代の男が家庭ももたずにその日暮らしのぎりぎりの生活をしているようなイメージなのである。夜道が怖い女性はよくタクシーを使ったものだが、今では夜道も怖いがタクシーも怖い、そして金もないという女性が多いのではないか。貧富の格差の拡大や貧困層の増加は、これまであたりまえのようにあった社会をなりたたせていた安心感や信頼を一つ一つ壊していく。(秀逸な動画。ぜひ御覧あれ。http://jp.youtube.com/watch?v=v0siyuT_0as)(ミンシュの待ち受け画像 縁起でもないと思うのだがよく・・・。http://mobile.dpj.or.jp/medias/wallpaper/docomo/d_t/334281_F_505.jpg)
2008年10月25日
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労働法制についての規制強化になると必ずこんな議論がでる。そんなことをしたらかえって失業者があふれる・・・と。失業か雇用かという、労働者はまさにそんな弱い立場にあるからこそ様々な労働法制があるわけで、規制を強化すれば失業が増えるという議論はそこのところをわかっていないとしか思えない。奴隷のような長時間残業でも、生活保護以下の賃金でも、失業して路頭に迷いよりもマシ。こんな議論をしていれば、そもそも労働法制なんて必要ない。周旋屋のボッタクリの規制ができないのなら、せめて労働基準法の遵守くらいはできないのだろうか。蟹工船や女工哀史の時代から70年。8時間労働や休日や夜間の超過勤務給の割増し、代休の支給、年次有給休暇といった様々なものは皆労働者の権利として勝ち取ってきたものだ。そしてそれが今空洞化している。ときには「正社員の地位」や「正社員登用の途」という名の下にサービス残業が強制されている実態がある。人体にどれほどの害があるかさだかでないような賞味期限表示の違法ではあんなに大騒ぎするのに、労働者個人の健康や生活を破壊するような超過勤務やサービス残業が社会全体で黙認されているのは、おかしな現象だとしか思えない。もしも労働基準法がきちんと守られるのであれば、寝不足で過労気味の正社員1人とアルバイト2人を雇うよりも、3人の正社員をきちんと働かせたほうが、会社にとっても経済的かつ合理的となることだろう。そしてもちろん社会全体としてもその方がずっとよい。参照 こんな実態もあるということで。http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/e84806cccc1610fe6ad6bf2b8bf644f8
2008年10月24日
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ジミンが下野して細川政権が誕生したときのことを覚えているだろうか。あの頃のマスコミの偏向誘導ぶりはひどかった。まあ、変化があった方がマスコミとしては面白い。それに国民だって豊かな社会で退屈し、ジミンにも飽きていた。そこでマフラーの似合うハンサムな青年宰相が登場して空前の支持率を得たわけだが、結果は御覧のとおり。※時代は変わってマスコミはいままたミンシュ対ジミンの対決をあおり、偏向報道をくりかえしている。麻生首相の「連夜の豪遊」がマスコミネタだが、ホテルのバーの会合なんて「豪遊」というほどなのだろうか。庶民から見れば豊かではあるが、総理が何を食べているかなんて基本的にはどうでもよいことである。それに安いものを食べれば「庶民感覚」が身につくというものでもないし、庶民感覚が庶民レベルの発想を意味するのであれば、それでは逆に困るではないか。麻生総理の「豪遊」を批判しながら、小沢代表が「湯豆腐」が好きだ、なんて本当にどうでもよいことを書くマスコミはどうかしているとしか思えない。それにまた小沢代表の体調不良による外国要人との会談キャンセルなどについても、なぜかマスコミの報道は少ない。※自衛隊内の「格闘訓練死亡事件」はどうやら犯罪としては不問に付されそうだ。これが犯罪じゃないのなら相撲部屋のリンチ殺人だって犯罪に問えなくなるのではないか。自衛隊よりも相撲部屋の方が格闘訓練の必然性は高いし、ましてや死亡した自衛隊員は除隊予定だったそうだから過酷な訓練の必要などさらさらなかったはずである。総理の「豪遊」などをネチネチ報道するよりも、こうした問題をこそマスコミには追求してほしい。
2008年10月23日
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民主主義というものはある意味「大きな虚構」の上になりたっている。大金持ちも一票なら庶民も一票。そしてノーベル賞学者も一票なら凡人も一票というように。現実の世界では人間は平等なんかではないのだが、選挙権だけは誰でも平等に一票であるし、いまさら制限選挙にもどすなんてことも不可能である。その意味で、民主主義というものは、必然的に弱者のためのもの、庶民のためのものになりやすいといえよう。逆に言えば、社会の支配層というか権益を持っている人々は常にその「民主主義の暴走」を警戒する。日本でも普通選挙が導入された際には、あの悪名高い治安維持法とだきあわせであった。現代では露骨に弾圧を行うわけにもゆかないので、それに代わる「暴走抑止装置」が膨大な死に票をもたらす小選挙区制ではないのだろうか。そしてまた米国でみられるような似たもの同士の二大政党制…。あれだけの貧困層がいる米国で、貧しい若者が外国で血を流している米国で、なぜ大統領選挙の争点が大統領候補という一個人の人柄や皮膚の色にしかならないのか。近いか遠いかはわからないが日本でもいずれは選挙が行われる。選挙権は庶民にとっては唯一の武器。マスコミにまどわされることなくしっかりと一票を行使したいものだ。(秀逸ブログ参照 http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20081020.html)※あれかこれかの二分法思考は間違いに導かれやすい。正社員か非正規かという二分法だってきっとそうであろう。「正社員」という名のもとでの低賃金労働や過労死が急速に広がっている。どうも最近ではそんな実態があるようである。
2008年10月23日
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マスコミはしきりに次の選挙は政権選択選挙であり、太郎か一郎か、ジミンかミンシュかと煽る。しかし、昨今の世論調査をみていると、どうもジミンにもミンシュには有権者あ幻滅気味・・・そんな数字もでている。あたりまえである。ミンシュは政策よりも政局優先、党利党略優先としかみえないのだが、それはジミンとの間にめだった対立軸がないからではないか。そりゃそうだろう。ミンシュの代表はもともとジミンの辣腕幹事長。ミンシュといったって中心部分はかってジミンにいた勢力なのだから。※政党の中味も問わずにとにかく「政権交代」しさえすればよいという人達がいる。理解しがたいことである。政党にとっては政策こそが何よりも重視しなければならない要素である。「・・・私たちの選択は決まっている。私たちは、人間らしい生活と労働の実現を求める。 選挙が近い、と言われています。政権選択の選挙だと、言われています。しかし、私たちが求めているのは単なる政権交代ではない。日本社会に広がる貧困を直視し、貧の削減目標を立て、それに向けて政策を総動員する政治こそ、私たちは求める。・・・」この間、東京明治公園で開かれた「反貧困世直しイッキ! 大集会」の、「集会宣言」にこんな言葉があったという。単なる「政権交代」信者はこの言葉をよくかみしめてほしいものだ。貧困の問題、労働の問題を基準に支持する政治勢力を選ぶ人は、現在確かに増加中ではないのだろうか。※また、政権交代によって既得利権とのしがらみのない党がでてくることで政治が浄化されるという見方もある。これも実は二大政党の中味による議論であって、同じように既得権益と結びついた二大政党が交互に政権をとるのでは、かっての自民党の派閥政治と同じである。似たもの同士の二大政党。せめてよさを上げるとしたら一党独裁よりもマシということだろうか。もともとジミンにいく票の一部がミンシュにながれるのならまだよいのだが、本来は批判票にむかうような票がミンシュにながれるのなら、ゆきつくところは翼賛体制であろう。
2008年10月22日
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政権交代がなければ民主主義は機能しないという人々がいる。政権交代も、そしておそらくは民主主義それ自体も、よりよい社会を創る手段であって、それ自体が目的ではない・・・ということを忘れた愚論であろう。※思い出してみればよい。日本で現実の「政権交代」があったのはそう遠い昔ではない。ジミンの下野と細川政権の樹立。若くて清新でマフラーの似合う総理は大人気であったが、結果はどうなったのだろうか。政治空白と経済混乱。あれが失われた10年というか、日本の衰退の引き金となったことを忘れてはならない。結局、日本新党(という名前だっただろうか)とジミンとの間にはみるべき政策の差などはほとんどなかったのに、単に政権交代という言葉に踊り、マスコミもそれを煽っただけのことである。というより、マスコミは積極的に一方勢力に肩入れした報道をして、それが後で問題視されたくらいだ。※おととい反貧困一揆集会というのが明治公園で開かれたという。2000人という人数は少ないという声もあろうが、団体の動員もなく、参加してニュース写真に顔が載ることが得にもならない集会に、それだけ集まったというのはやはり大きい。昭和初期の小説「蟹工船」がブームとなっているが、今度は江戸時代の一致という言葉がでてくるほどに今日の貧困は切実だといえよう。貧困の様相は時代や社会で違うが、普通の人間が真面目に働いて自分の口も養えような貧困というのは昔だってあまりなかったのではないか。根底にはたぶん労働分配率が減っていること、つまり株主や役員の利益は増えている反面、人件費は非正規化やサービス残業でぎりぎりまでおとされていることがある。※さて、政権交代の一方の雄とマスコミが持ち上げているミンシュはこうした問題についてなにか言っているだろうか。非正規雇用の問題や格差や貧困についてどんな政策を打ち出しているであろうか。答えはNOであり、何も言っていない。貧困の問題は政治テーマになっていないというが、それは施策が似たり寄ったりだから、ジミンとミンシュの間ではテーマになっていないというだけのことである。参照 http://ppfvblog.seesaa.net/article/108178851.html※※言葉というものには本来の正確な意味の他に先入観からくる意味付けがともなう。外国人観光客といえば、どうしても欧米などの豊かな国からやってきた人々が京都の寺社などをまわって土産を買う様子を想像する。日本にお金も落ちるし、日本文化に対する理解も深まる。大いにけっこう、と思いたいのだが、実態はどうなのだろうか。外国人観光客誘致のためにいつのまにか「観光庁」という組織ができた。これが、外国労働者誘致庁にならなければよいのだが・・・。
2008年10月21日
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ジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」という小説を読んだことがある。典型的WASPの銀行家のケインとポーランド移民のホテル王アベルの終生にわたるライバル関係を描いて面白い小説であるが、その中でケインは共和党員、アベルは民主党員ということになっていた。この小説の続編である「ロスノフスキ家の娘」ではそのケインの息子のアベルの娘が結婚して、娘が大統領を目指すという話で一種の政治フィクション小説となっている。ふと疑問に思ったのだが、米国で、この民主党員、共和党員という色分けはどの程度まであてはまるのだろうか。銀行家やホテル王のような人々だったらたいていは共和党か民主党かのどちらかの政党の党員あるいは支持者というのが普通かもしれない。しかし米国ではニューヨークタームズのようなクオリティーペーパーを読むのは人口のごくわずかだというし、ほとんどの人は大衆紙をときどき買って読むくらいだという。ごくごくふつうの庶民が好きな野球チームを語るように、俺は民主党だとか俺は共和党だとかといってもジョークにしか聞こえない・・・案外こんなところが実態なのではないか。※それを思うと、米国大統領選が、候補者が黒人か女性か、候補者の宗教がどうか、ファッションセンスや私生活、カリスマ性がどうかが話題となっているのもよくわかる。中国政治家の白猫黒猫の喩えではないけど、こんなのはみんな本当はどうでもよいことである。逆にこんなどうでもよいことが問題になるくらいに民主党と共和党の政策上の対立軸は少ないということであろう。米国の政治が企業や団体などのロビー活動で動かされていることはよく知られている。ロビー活動にはもちろん多額の金がかかる。そこでそうした金を受け取ることの出来る、別の言い方をすれば財界など金を出せるところと結びついた政党のみが国政を動かし、他の政党は問題外として政治勢力として育つ余地もない。そして、金を出す団体は似たり寄ったりだから、大政党の政策も似たりよったりとなる。そうなると、素敵なファーストレディーや人柄の良い大統領にいくら熱狂しても、大多数の有権者の意思などは国政の場に反映されっこないのだ。人の国のことだからどうでもよいが、似たような政党の二大政党制というのは、まさに民主主義の墓場だと思う。※二大政党かどうかが問題なのではない。要は政党のかかげる政策の中身である。アサヒは昨日の新聞でようやく「青年大集会」の記事をとりあげ、若者の貧困は票にならないからあまり政治問題にならなかったと書いてある。しかしそれは嘘だ。派遣業や労働法制の再規制は財界の利益に直結する。だからこそ財界とつながりの深いジミンやミンシュで、それを政治テーマにしていなかっただけのことで、3人に一人といわれる若年非正規雇用者の問題はその親族や予備軍も含めれば大変な票になる。若年非正規雇用だけではない。貧困の問題は、このままではもっともっと深刻化する。アメリカの民主共和以上に似たりよったりの、ジミンミンシュの二大政党制もどきが日本に出現したら、そうした多くの貧困者やその予備軍の声は決して国政の場にとどかなくなる。ちょうど米国の数多くの貧困層が政治から阻害されているのと全く同じ、いやそれよりも悪い状況が日本にも起こるかもしれないのである。※アサヒは今日の新聞でも政権交代をあおる愚論をかかげている。以下引用する。「政権交代には混乱がともなうだろう。しかし、しがらみとの「断絶」は政官財のもたれあい構造を変える。今度の衆院選は、「党首力」より、その「断絶」に日本の未来をかけるのか否かが問われる。」だってw。同じように財界と癒着した似たもの同士の「二大政党」が政権を交互にとるような体制になったら、それこそ断絶どころか永遠の癒着になるのではないか。二大政党とか政権交代とかの言葉に踊ってはならない。庶民にとっては、格差拡大や貧困の増大にストップをかけるような政策を掲げる政党に投票することの方がずっとかしこい選択であろう。
2008年10月19日
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日本の文化の根底にはケガレと言霊の思想があるといった人がいる。でもそれにさらに加えれば、祟りと言うか怨霊の思想というのもあるのではないか。死者の魂は時に怨霊となってこの世に害をなす。それを神として祀ることで幸いをもたらす。なぜ日本では仏教と神道という全く別の宗教が共存しえたのか。それはもともとの日本の宗教である神道では、死者儀礼というものは怨霊を鎮める、つまり鎮魂のためのもので、死者本人のためのものではなかったからであろう。それで貴族のような余裕のある階層が出現すると、今度は自らの魂の死後の平安のために仏道に励むようになる。子どもの成長、結婚、ご利益など現世のことは神社、死者の供養はお寺という役割分担の始まりである。※死者、特に不幸な死をとげた人の魂は怨霊となってこの世に様々な害を起こす。時代は変わっても、こんな感覚は日本の歴史を通じてずっと一貫しているように思う。日本神話では、この世のあらゆる不幸は、死後の醜い姿を見られた死者の怒りと死の穢れから始まったと説く。お隣の中国などと比べて、日本の歴史にはどうして残虐な話が少ないのだろうか。これも祟りとか怨霊とかいうものについての感覚が根底にあるように思う。惨殺などしたら後の祟りが怖ろしい。それよりは実質斬首でも腹にちょっと刃をあててもらって自分で死んだことにすれば、後の祟りは少なくてすみそうである。死刑廃止論なんてことが昨今ではいわれているが、実は、平安時代には何百年間も死刑は廃止されていた。祟りが怖ろしかったからである。そういえば奈良時代の役の行者も謀反の疑いをかけられながら死刑にはなっていない。だから流罪先から空を飛んで戻ってきたという伝説もうまれた。これほどの霊力の強い人を処刑などしたら…いったいどんな禍が起きるか。当時の人々はきっとそんなおそれをいだいたのだろう。※よく話題になる靖国神社もその本質は鎮魂の神社だと思う。国家によって強制的に戦地にかりだされ、無残な死をとげた何百万の御霊達である。国家の要人がいってきちんと祀らなければどんな祟りがあるかわからない。逆にきちんと祀ることによって国家守護の利益を及ぼす。でも、国家によって死を強制されたのは戦死者ばかりではない。治安維持法によって国家権力に殺害された人々がいる。戦後の日本は外国にはあれほど謝罪をしながら特別高等警察による死者達には一言も国家としての謝罪をしていない。祀れとはいわないけど、国家としてきちんと謝罪をしておかないと、それこそそのうち「祟り」があるのではないかと、迷信深い小生はつい考える。ちなみに当時の特別高等警察の最高責任者は町村金五という官僚である。
2008年10月18日
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21世紀臨調という団体がある。詳細は下記のHPをみていただきたいが、財界やマスコミの関係者がずらりと顔をそろえているのが印象的である。http://www.secj.jp/what_21st.htm#421この21世紀臨調が、「総選挙を名実ともに『首相候補』『政権公約』『政権枠組み』を一体的に選択する『政権選択選挙』とする責務があるとし、連立与党と民主党はそのための努力を精力的に行うべき」であると提言しているそうである。※そのせいだろうか。マスコミの報道ぶりには、まるでジミンとミンシュしか政党がないかのような報道が多すぎる。なかには「一度はミンシュにやらせてみて、だめならまた下野させればよい」といった愚論をあおる夕刊紙まである。二大政党制とはそんなによいものなのだろうか。重要なのは二大政党制か否かよりも、その中味であろう。アメリカのように国内に凄まじい貧困問題をかかえながら候補者の肌の色が大きなテーマとなる二大政党制もさびしいが、日本がジミン、ミンシュの二大政党制になればそれよりももっとひどいことになる。なによりも政局優先、早期解散にもちこみたいミンシュは重要法案にろくに論戦もしないで次々と賛成している。提言する公約なるものも子ども手当てや高速道路の無料化など買収に等しい目先のバラマキ政策がめだつ。なんのことない。ジミンだミンシュだといったって、そこには政策や国家ビジョンの差などほとんどないのだ。それもそうだろう。小沢代表をはじめミンシュの政治家の多くはかってジミンにいた最もジミンらしい政治家だったのだから。似たような政党がかわるがわる政権を担う。これは二大政党制というよりも、翼賛体制である。非正規雇用者、貧困者、残業地獄にあえぐなんちゃって社員・・・こうした人々の声は翼賛体制のもとではどんどんと抹殺されていく。いっとくが、ミンシュは肝心の雇用の規制については何もいっていない。ジミンであろうがミンシュであろうが、格差と貧困が拡大していく状況にはなんら変わりないのである。※それにしても、まず二大政党制ありきという議論は本当に変だ。重要なのはその政党の掲げる政策であって、二大政党制になるかどうかはその結果ではないか。かって日本には「社会党」という政党があった。都市労働者を支持基盤とする政党で、公害や労災、貧困の問題をよくとりあげた。政権はとれず、万年野党と揶揄もされたが、社会党という批判勢力が国政の場にあったことで、国民皆年金、皆保険というように福祉もいきわたり、国家の再分配機能も働いて、厚い中流階層を有する社会が出現したのではないか。結果的に、社会党に政権がゆかなかったのは、ジミン政権下でも幸福であると多くの国民が判断したからである。そうした意味で社会党は政党としての役割を立派に果たしていた。・・・マスコミが煽る二大政党制や政権交代。そんなものに騙されてはならない。参照 http://toyugenki2.blog107.fc2.com/
2008年10月17日
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星新一のショートショート「生活維持省」を読んだことがある。国家が「生活を維持」するために無作為に抽出した人間を殺害するという話だ。そんな殺害を請け負う生活維持省の公務員。でも最後に抽出された人間の名を見ると・・・。こんな話が発表された頃は少子化どころか人口の過剰が問題となっていた。このまま人口が増えていけば資源もいずれは使い尽くされるのではないか。そんな危機感がこんな話の背景にあったことは想像に難くない。この星新一の「生活維持省」と最近の漫画「イキガミ」との類似が問題となっている(らしい)。※「イキガミ」という漫画は読んだことはないが、かなりの長編で死ぬ前に人はどう生きるかをテーマとしたものらしい。それで結論めいたものをいうのは間違いかもしれないが、どうやら「生活維持省」と「イキガミ」との類似点は国家が無作為に抽出した人間を公共の利益の名の下で殺害するということだけで、他の類似点はないのではないか。推理小説で犯罪トリックが生命であるようにSFではアイディアが生命である。ただ推理小説の犯罪トリックとSFのアイディアは違う。全く同じ犯罪トリックを使えば剽窃といわれても仕方ないが、SFのアイディアというのは一人の作家のアイディアが他の作家に活用され、それでSFというジャンル自体が発展していくのではないのだろうか。透明人間、タイムマシン、宇宙戦争などのアイディアはウェルズが最初に出したが、いずれもその後の多くの作家によって踏襲されている。「生活維持省」のアイディアもそれと同じで、「イキガミ」の作者に抗議するというよりも、このアイディアを最初に考え出したのは星新一であることを誇ればよいだけではないか。※これだけいろいろな物語が世にでているとプロットの似た話というのはいくらでもある。古典では「罪と罰」と「破戒」などは、親切な友人、貧しい父を持つ心優しい女性、何かを告白して遠くへ行く主人公というストーリーはそっくりである。それでも誰も盗作だなんてことはいうわけもない。最近では、NHKドラマで、互いに知らずに育って偶然にであった双子の姉妹という話がある。これも昔読んだ漫画「海の星山の星」にそっくりだ。大金持ちの家が双子が生まれると悪いことが起きるという先祖からの言い伝えを信じ、一人を養女にやる。その二人が偶然に出会って・・・という話だがこんなストーリーはさがせばきっともっとあることだろう。
2008年10月16日
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よく選挙の争点とか論点とかいったものが話題となるが、声高に議論されているものばかりが重要な問題ではない。本当に重要なことが案外議論もなされずにすんなり進行中だなんて場合もあるからである。自民党の一部の政治家が外国人移民2000万人構想なるものをだして波紋をひきおこしたが、民主党の中にもこうした移民流入政策をとなえる動きがある。「日本を夢の国へ~移民1000万人受け入れ」なる民主党若手議員の提案である。そしてその背景には低賃金労働力を確保したい財界の意向がある。http://blogs.yahoo.co.jp/mmasah2023/2056480.html※これからの国家社会の方向を考えた場合、本当の対立軸は、株主経営陣優先の施策を続けるのか、雇用者優先の施策に舵をきるのかということではないかと思う。何年か前、某大企業が経営危機に陥ったとき、凄腕の外国人が社長としてやってきたことがあった。その社長は「リストラ」と称して大胆に社員の解雇を行い、自らは従来の日本の経営者には考えられなかったような億単位の高額報酬をとった。会社の経営は立ち直り、経営者の度外れな高給と社員の地位の不安定化をみて、これぞ「グローバルスタンダード」だと納得したものだが、それってそんなによいものだったのだろうか。あれから日本社会は変わった。拍車をかけたのはもちろんコイズミの構造改革路線である。経営者や株主への果実分配は手厚く、そして労働者への分配は極力減らしていく。労働者への分配を減らす、つまり人件費を安くするための手段が雇用の規制緩和ではなかったのだろうか。今まで正社員がやっていた仕事を派遣に切り替えればたしかに人件費は安くすむ。しかしその一方で、それで働く人々は、さして労働単価が高くもない仕事で、派遣業者に報酬の半分近くを中間搾取されるわけだからワーキングプアが大量発生するのはあたりまえである。正社員の下に大量の非正規労働者が発生すれば、正社員だって、代わりはいくらでもいる存在になり、労働環境はますます苛酷化する。長期間の好況で企業の多くは空前の収益を得たけど、雇用者の賃金は下がり続けた。今度は不況がやってくるから、さらに下がると喧伝されている。内需拡大なんていったって、これだけ給与が下がっているのに内需なんて拡大するわけがない。※このまま経営者や株主優先の施策、つまり人件費を削減させる施策を続けていくのか。雇用をどんどんと規制緩和していけば、そのうちアベ政権のときにでてきた残業代タダ法案(ホワイトカラーエグゼンプション)や正社員フリーター化法案(労働契約法改正)だってでてくるだろう。低賃金労働力が足りないときのために移民受け入れという流れも本格化していくことだろう。これで本当によいのか。ジミンかミンシュかと言っているだけでは、とうていこんな流れに歯止めをかけることはできないのではないか。
2008年10月15日
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過重労働の問題と非正規雇用の問題、そしてワーキングプア。こんな問題は皆どこかでつながっているような気がする。3人の人をまともに雇って普通に給料を出すよりも、一人だけまともに雇ってサービス残業もどんどんやらせ、後の二人はアルバイトや派遣にした方がずっと安上がりだ。そんな方法で人件費をうかせることを企業は覚えてしまったのではないか。それを可能にしたのは、小泉改革下での雇用の規制緩和。※女工哀史や蟹工船の時代からはや70年。労働者の悲惨なんて過去の話なんて思っていたら、あっという間にもといたところに戻ってしまった。ほんのちょっと前までは、テキヤの寅さんがウィーン旅行にでかけ、ダメオヤジも鬼婆にいじめられながらも三人の子どもを養えた時代があったのに。職場の花のOLさん達が今日は水着で明日は湯浴み着という具合にレジャーを楽しんでいた時代があったのに。なんかそういう時代ってはるか昔のことのように感じる。※格差はグローバル化の所産で仕方ないという議論もあるが、本当にそうなのだろうか。今や日本の格差は主要国では米国についで二位だという。米国のような多様性をうりにした移民国家の追随をする必要など少しもない。たぶん今が再分配型の社会に舵をきる最後のチャンスだろう。ワーキングプアやプカレタリアート、そして寝る時間まで削られるほどの超過勤務。今の日本、真の争点は国際貢献でも子ども手当てでもない。格差と貧困、そしてその背景となる雇用法制についてどう考えるのか。それこそが真の争点ではないか。
2008年10月14日
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子ども手当てを所得に関係なく2万6千円。農家の個別保障。高速道路の無料化。これらはミンシュがうちだしている政策なるものである。よくみるといずれも個別の国民に○○を上げるという中味になっている。高速道路の無料化だって今までだしていたものがタダになるというのだから高速道路代を差し上げるというのと変わりない。これは政策というよりも、選挙向けのていのいい買収ではないか。※国家は打出の小槌ではないわけで、当然誰かの利益は誰かの負担になる。子ども手当てというのは、結婚もままならないワーキングプアなどがはらった消費税を優雅に子育てを楽しむシロガネーゼやアシヤレーヌにまわす愚策だし、他の施策だってそんなところにまわすならもっと困っているところにだせといいたい。ミンシュだってもちろんバカではない。政策通を自認する官僚出身の議員は多いし、彼らを通じて官僚達との太いパイプもあるはずだ。それなのになんでこんな政策しかでてこないのか。それはおそらく他の施策ではジミンとの差異を出せないからではないか。つまりジミンだミンシュだといくらいってみたところで施策の大きな違いなどないのである。※今の日本、最大の問題は何か。それはやはり格差と貧困で、この流れにストップをかけようと思えば雇用政策の見直しがなによりである。それなのにミンシュは雇用の問題については沈黙している。雇用規制の緩和こそが大量のワーキングプアを生み出し、労働基準法無視の残業地獄を生み出しているのにである。世間では蟹工船をブームとみる見方が強いが、蟹工船のような過重労働はブームではなく、いまや現実である。人体にどの程度の害があるか定かではない食品表示などの違法にはなぜ大騒ぎするのに、人の心身や生活を破壊する労働基準法違反についてはなぜこんなに黙認されているのだろうか。一つの工場に大量の労働者が継続雇用される職場は過去のものとなって、労働組合だけで労働者の権利を守ろうというのは非現実的だろう。労働組合を作ろうとしただけで、労働基準監督署に告発しようとしただけで、即解雇というのが現実であるし、それだけに労働者保護のための国家の役割はますます大きくなっているのではないか。※新自由主義、市場原理主義賛美の時代はもう終わった。株主や役員の利益だけを考えれば、人件費は落とせば落とすほどよい。中核的社員や高度な技術者は大切に育てるが、他の社員は使い捨てでよい。そして非正規雇用でできる部分は非正規雇用で行う。安く使える労働力が足りなければ外国人を入れても良い。こんな方向ではほとんどの人は幸福になれない。○○が争点だということは、これからもマスコミが、そしていろんな政治家が言うだろう。でももう騙されない。国家の進路を決めるほどの最重要テーマでもない「郵政民営化」にひっかかって投票をした愚はくりかえしてはならない。何が重要かは有権者が決める。雇用の問題、労働法制の問題で何を語っているのか・・・そこをよくみて支持する政治勢力を決めていきたい。
2008年10月13日
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思い立って新宿七福神をまわってみた。まずは、韓流ファンのメッカ大久保コリアタウンにもほど近い東新宿の駅で降りる。そこから新宿方面に下ると永福寺という小さなお寺がある。福禄寿と緑色の字で書いた石柱があるのでわかりやすいのだが、これぞ新宿七福神の内の「福禄寿」の寺である。お堂とは別に離れて建っている小さな福禄寿様の参拝をしてまずは出発。福禄寿は寿老人とともに道教の神様で南極星(カノープス)の化身ともいわれる。※そこから坂道をちょっと登ると職安通りから抜弁天どおりへ移る三叉路に小さなお宮がある。これが抜弁天である。神社にもいろいろな風情があるが、こうした大通りの三叉路の真ん中にあるところは非常に珍しい。しかし弁天様ということで綺麗な池もあり、鯉が泳いでいる。弁天様はもともとはヒンドゥー教の川の神サラスバティーだという。でも、すっかり日本になじみ、今ではお寺よりも神社に祀られていることの方が多い。都会の一角にこんな場所があるというだけで心洗われるような気がする。弁天様に二礼二拍手一拝。※抜弁天通りを真っ直ぐ行き、大久保通りとぶつかってから、さらに牛込の方にあるく。牛込柳町駅そばに大黒様の経王寺がある。大黒様の像はよく見えなかったのだが、前に大きな打出の小槌があって、心に三回願いことを唱えて三回振るとか・・・やってみる。ここからはちょっと歩く。牛込柳町、牛込神楽坂、そして飯田橋。神楽坂通りにでると、この先の中ほどに毘沙門天の善国寺がある。神楽坂通りは緑の並木が美しく、和装小物店なども多い、歩くと楽しい街だ。ちょうど韓国でいえばインサドンのような・・・その日本版のような感じである。日本人なのにこんな言い方は変だが、インサドンには行ったことがあるけど、神楽坂を歩くのは初めてなので仕方ない。坂の入り口あたりの和風喫茶はぜひおすすめ。善国寺は華やかでどこか懐かしいような不思議な感じのするお寺で、境内も広い。※そこから今度はもどって再び抜弁天の三叉路に行き、さらに新宿方面に歩く。しばらく歩いて小道を曲がると、すぐそこが恵比寿様の鬼王神社である。恵比寿様を祭ったのは別社で、水をかけて心に願い事を唱えながらなでるとよいといわれる石の蛙とやはり水をかけて近くの竹筒に耳をあてると妙なる音がきこえるという不思議な石とがある。由緒正しい神社なのだが、場所が場所だけに近くの飲食店から食べ物のすえたような匂いがただよってきてちょっと残念な気もする。※抜弁天通りに戻り、今度は三叉路の別の道をとり、東京医大に向かう商店街の小道に入る。しばらくあるくと寿老人の法善寺である。寿老人と書いてある案内にしたがって戸を開けると、畳の部屋の棚に寿老人の像がある。なんか住居に勝手に入っていくような気もするが、参拝料を置いて、寿老人様にもお参りをする。そして東京医大を通り過ぎ、新宿の大通りにでると、最後の目的地、布袋様の太宗寺に着く。太宗寺は広い境内を持つ寺で、本堂の向かいに布袋様のお堂がある。七福神の最後の布袋様にお参りする。黒い顔に笑みをたたえた布袋様のお姿は小さな窓越しにもはっきりとみえた。布袋様は、唐末に袋一つをもって全国を托鉢して歩いた和尚様で、人の吉凶などをよくいいあて、弥勒菩薩の化身であるともいわれているという。七福神の中で唯一実在した人物である。※※朝、政党討論会をちょっとみたけど、子ども手当て支給とか農家個別保障とかいった民主党の政策はきけばきくほど子どもじみたばかげたものに思えてくる。財源についても埋蔵金とか無駄遣い廃止とかいうが、それはしょせん一回こっきりの財源で継続的な施策に耐えるようなものではない。格差や貧困の拡大防止にや雇用や労働法制にこそ手をつける必要があり、それをやってこそ内需も拡大する。ミンシュは、もともとそうした政策を行うつもりがない、というよりこの分野ではジミンとなんの違いもないので、結局はああいう買収のような子供だましの政策しか打ち出せないのだろう。さらにわかんないのがミンシュの官僚批判。ミンシュによると官僚が自分達の利益のために政策を主導して税金を無駄遣いしているのだという。しかしミンシュには岡田前代表をはじめとして官僚出身者が非常に多い。彼らは別に石もて追われるように役所を追い出されたのではなく、政界に新天地を求めて華麗な転身をとげた人たちである。おそらく古巣の職場の官僚たちとだって、親睦の機会を大いにもっていることだろう。そんなミンシュの官僚批判っていったいなんなのだろう。
2008年10月12日
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先の青年大集会は、ブログの中でも水に投げた石の波紋がひろがるように静かに静かに反響が広がっている。http://wajin.air-nifty.com/jcp/東京の真ん中に4500人の若者が集まり、仕事内容の酷さや職場での差別を自分の言葉で訴える。貧困の自己責任論に対する異議を唱える。政治の争点は給油でもなければ国際貢献でもない。今、この日本に真面目に働いても生活できない人がいる。休日もとれない、帰って寝るだけの過密労働で人間らしくくらせない人がいる。そうしたことこそがまさに大問題ではないか。彼らの声を政治の場にとりあげていこうという勢力がでてきたこと。これはすごく画期的なことである。政権にありつくことしか興味関心のない政党には用はない。※さらに願わくば第二、第三の集会が開かれ、こうした動きがさらに活発化していけばよい。貧困の苦しさを訴える若者達の背後には、時間がとれない、情報がないなどの理由で来られなかった若者が何倍もいる。こうしたときこそネットの出番だ。集会の様子は動画像などでも見られるし、主宰した側もコメントやブログにもどんどんレスしてほしい。現実空間だけではなく、ネット空間でも連帯の場ができていけばよい。この若者の貧困の問題・・・実はかなり深刻なのではないかと思う。というのは、20代や30代では親の家に住み、親の扶養も受けている人もかなりいるからである。こうした人々はたとえ自らの給料が低くても、定期的な所得がなくとも、貧困者としてはでてこない。しかし、あと10年もして親が彼らの面倒を見切れなくなっていけば彼らもまた貧困者として街にでてくる。4500人の若者の外には共感する何倍もの若者がいる。そしてまた現時点では貧困を自分の切実な問題と思わなくても、実は貧困層予備軍という若者も何倍もいる。さらにいえば貧困は決してこの世代だけの問題だけではない。就職難とともにリストラも同時に起きたし、そして今も起きている。個室ビデオ店火災でみられるように中年以上の貧困も大きな問題である。青年大集会とは別に、「貧困の自己責任論に異議あり」集会、「憲法25条の会」なんてのもやってはどうなのだろうか。※米国では上位400人の富豪が国富の何割かを独占しているという。一方でトレーラーハウスで暮らす人も多いし、貧困で医療も受けられないことも一般的だという。王侯のような富豪と多数の貧困者の並存。本当に米国は先進国なのだろうか。それなのに国家による再分配を唱える政治勢力、福祉拡大を唱える政治勢力はでてこない。二大政党制の下で伸長の余地がないのである。そして大統領選では、あいもかわらず候補者が黒人だからどうだとか、夫人のファッションがどうだとかと、政策の中身よりも愚にもつかないことが話題となっている。そんな米国の例をみているとわかる。二大政党制とは決して良いものではない。
2008年10月11日
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ある新聞社の世論調査によれば「ミンシュに政権をまかせてもよい」と答えた人が58%もいたという。選挙、そして政権交代。かって、こうした政治空白や政権の不安定が日本の長期不況(衰退)のひきがねとなったことを皆忘れているのだろうか。あの頃も、マスコミは政権交替ムードをあおった。中には明らかに意図的な情報操作をして後に問題となったテレビ局もあった。いつの世もマスコミは珍奇なもの、面白いものを求める。娯楽などの分野ではそれもよい。しかし政治となれば一人ひとりの生活に直結する問題だ。マスコミの情報に踊るのではなく、冷静によ~く考えてみる必要がある。質問その1そもそも二大政党制ってそんなによいものなのだろうか。似たり寄ったりの二大政党だと相当部分の人々が政治から阻害される(米国の貧困層のように)おそれや事実上の翼賛体制となるおそれもある。質問その2下野させることが政権政党に「お灸」をすえることになるのだろうか。大連立の可能性だってあるだろうし、新たに政権をとった政党もやはり国民の側に痛みを強要するものであれば、何のメリットもないではないか。質問その3政権交代だけが政治を変える方法なのだろうか。現実には似たような政党に政権交代するのではなく、きちんとした批判勢力を育てた方がはるかに政治の中味が変わる可能性が高い。かって日本に社会党という政党があった。万年野党とか何でも反対とか揶揄もされたけど、とにかく国民皆保険、皆年金というように社会保障が整備され、工場で働く労働者も海外旅行を楽しむような一億総中流ともいえる社会が実現したのは、やはりきちんとした批判勢力があったからではないか。※政治は「一度まかしてみる」などという単純なものではない。一度変な施策を行えば取り返すのには相当の負担がかかる。格差社会の元凶となった派遣業の自由化にしても、今から規制すれば必ず「派遣で働く人たちが困る」という議論がでてくる。ミンシュが国会でろくに審議も行おうとしないのは、政局優先ということもあるが、それほどの対立軸がないせいでもあるのではないか。ミンシュが政権をとったところで格差拡大や貧困増加の流れはとまらないように思う。※格差や貧困の問題は、現に困っている人だけではなく、国家全体、社会全体としても大問題ではないか。それによって治安やモラルが悪化し、社会が崩壊していくということだけではない。富の偏在は経済全体にもマイナスではないか。いくら金があっても体は一つ、口も一つ。これは貧乏人も金持ちも変わらない。富は偏在するよりも適度に分散した方が結局は内需も拡大し、経済も活性化する。いまこそ格差縮小の方に舵をきるときではないか。それにしても・・・。悪平等なんていう掛け声の下でどんどんフラット化されていった累進税率。バブル期に大幅に緩和された相続税。福祉充実か消費税上げかなんていう議論はまやかしにしかすぎない。消費税以外の累進税率や相続税の強化といった議論がなぜでないのだろうか。今ではあの金持ち優遇国の米国でもこうした議論がでているというのに。参照 http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2008/10/10001250/
2008年10月10日
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最近「古事記」がブームだという。様々な関連本が出版されているだけでなく、女優の浅野温子氏などは全国をまわって古事記の語りを行っているという。古事記といえば日本最古の書物であり、しかも未だに読みつがれている本だ。こうした本があらためてブームになっているのは、混迷の時代に原点に返ろうということなのだろうか。実は古事記は大好きな本で子供の頃に子ども向けのもので三回。注釈つきの原文で二回読んだことがある。古典が難しいのは文章が冗長で主語が省略されたり、途中で変わったりするからである。もともとが語りで伝えられてきた古事記は、文章もそれほど難解ではない。現代語訳で読むと、もともとの文章のリズムや雰囲気はかなりそこなわれるので、絶対に注釈つきの原文で読んだ方がよい。※古事記といっても、神話の部分は最初の3分の1くらいだろうか。冒頭はこんな言葉で始まる。「天地の開らけしとき、高天原になりませる神の名はあめのみなかぬしの神」宇宙が始まったときにお生まれになった神は天御中主神・・・なんかこれってビッグバンを暗示しているようではないか。爆発するということは、まさに中心が定まるということである。150億年の昔、この宇宙はビッグバンとよばれる大爆発で始まった。いわばこの世の始まりである。古代の人々が最新の理論を知っているわけもないのだが、なんか直感のようなものでこうした物語を作ったのではないか。※この冒頭にでてくる天御中主の神は、宇宙の中心を支配する神という名の意から最高神のようにもみえるのだが、実は古事記全文の中でこの最初の一行にしかでてこない。これも最も権威あるもの、最も重要なものは常に中心にいるが常に隠されているという日本文化の特質のような気がする。
2008年10月09日
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全国青年集会でのこんな話。ある日雇い派遣の女性の例であるが、こんな女工哀史かそれ以下のような実態が一般化しているのだろうか。http://toyugenki2.blog107.fc2.com/まさに格差と貧困こそ今後の政治の争点ではないか。「選挙の争点は国際貢献」だなんて。そんなこと勝手に決めるなといいたい。※それにしても昨今の国会をみていると、国益、国民の利益よりも党利党略、まず解散ありきというミンシュの姿はあさましいかぎりだ。政権奪取というけど、政権ああくまでも手段のはず。日本をどんな国にしていきたいのか、どんな政策を行っていきたいのか、そのあたりはどうもよくみえない。バラマキ公約と「官僚」バッシングで歓心をかおうというのでは、不安なことかぎりない。
2008年10月09日
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麻生総理は総選挙の争点を国際貢献にするといっているらしい。なんか変じゃないか。投票権を持つのは有権者。だったら選挙の争点、つまり何を重視して投票を決めるのは有権者でないの。まあ、ミンシュ党は国連指揮下での国際貢献とか妙なことをいっているので、そこをつきたいのかもしれないけど、ミンシュだけが野党ではない。このあたりで、ことさら二大政党だの政権交代だのと煽るマスコミの報道ぶりには疑問がいっぱいだ。※国際貢献。テーマは大きいけど、普通の庶民目線で議論できるテーマではない。個人的には、国連につぎこむ金もODAとしてばらまく金も無駄だし、常任理事国入りも諦め、サミットの席もどっかに譲ってしまえばよいとも思うが、そういうことをいう政治家はたぶんまずいない。何か、国際貢献っていうと、勝ち組オヤジがソファーで高給酒でもちびちびやりながら「日本ももっと国際貢献をやらなければならない」とぶっているイメージだ。そして勇ましい国際貢献論を唱える人にかぎって自分や自分の家族が紛争地で血を流す可能性なんてのはまるで考えない。そんな国際貢献論者にまっこうからぶつかりそうなのが、9条信者達。彼らの多くは教員などの安定した職について朝日を愛読しながら、自分は知的で周囲の大衆は「意識が低い」などとひそかに思っている連中だろう。9条茶に「我が窮状」。9条があるから紛争地にいってもテロ組織にも襲われない。9条を歌にすると気持ちがしゃんとする。自分が丸腰なら相手も丸腰。非核を貫けば核攻撃もされない。とにかく理解不能な考え方をする幸せで平和な人たちである。※次の選挙の真の争点は格差と貧困の問題だと思う。ところが残念なことに格差と貧困を問題視しそうな人々には、9条信者も多い。もしかして総理の心にあるのは、国際貢献でつっついて9条賛美の合唱をひきだし、真の争点をかすませようなんて・・・そんな高等戦術かしら。
2008年10月07日
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今の政治の最大の対立軸は何だろうか。それは格差と貧困ではないか。財界が自己の利益のために労働コストを引き下げる。正規雇用を非正規に置き換え、労働者を使い捨てることで、労働分配が破壊されていく。一方で国家の再分配機能は低下し、累進課税は緩和されるとともに、消費税のような大衆課税は強化される。※こうした見地でみた場合、マスコミのはやすジミンとミンシュの対立というのはどうなのだろうか。国連重視か日米同盟重視か。天下り規制をどうするのか、公務員改革をどうするのか。こうした点には意見の違いがあるようであるが、こと「格差と貧困」の問題に限ってはちっとも対立などしていない。二大政党制というものはそれ自体がよいとか悪いとかではなく問題はその中味である。英国の保守労働などは再分配重視か自由競争重視かという対立軸の下で双方がチェック&バランス機能をはたしているようにみえるが、米国の民主共和の二大政党制は多勢の貧困層を政治から阻害しているようにみえる。二大政党だの政権交代だのという言葉に惑わされずに、ジミンとミンシュの政策の中身を冷静にみる視点が重要であろう。はっきりいってしまえばジミンとミンシュの「対立」などは政権のうまみをどっちが握るかの対立であって根本的な政策の対立というほどのものではないのではないか。※さらにいえばミンシュのとなえる「官僚主導の打破」とか「官僚支配の脱却」というのもよくわからない。役所の幹部の人事には政治家の意向がはたらくし、労働法制の規制緩和だって、厚労省の官僚が自己の利益のためにやったことでもない。財界の意向を受けた政治家が官僚を動かしてやったことではないか。ミンシュの官僚批判は、単に有権者の嫉妬心をあおるだけの戦術のようにしかみえない。もちろん官僚の特権や優遇にはメスを入れる必要があるとは思うが、それは別の問題であろう。また、ミンシュの議員には岡田前代表を初めとして多くの官僚出身者がいる。実際、ミンシュは官僚出身でもっている党のようにもみえ、それが政策に強い政治家が多いというプラス評価にもなっている。そんなミンシュの官僚批判っていったい何なのだろうか。参照http://toyugenki2.blog107.fc2.com/
2008年10月07日
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ついに非正規雇用者などの貧困層と連帯する動きをみせる政治勢力が出てきたのだろうか。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-10-06/2008100601_01_0.html東京・明治公園に五日、「若者の貧困と『使い捨て』をゆるさない」「労働者派遣法の抜本改正を」などの要求をかかげた「全国青年大集会2008」(同実行委員会主催)が開催され、四千六百人の青年が全国から集まったという。国会では、日本の国際貢献だとか国連と日米同盟のどちらが重要かだのの議論がくりひろげられているが、国民の最大関心事は格差と貧困ではないか。「使い捨て」雇用に苦しむ人間が一人いれば、それを心配する家族がその何倍かはいる。そしてそれを他人事とも思えない人だってもっと多勢いる。安定した仕事についていたってそこは宮仕え。いつ辞職を強要されるかわからない。そしていったん辞職したら、なんの特技もないサラリーマンは転落するのだってあっという間だろう。この間の個室ビデオ店の放火だって犯人は数年前までは普通に家庭を持ち、会社に勤めていたという。難をいえば、実は貧困も格差も特定世代だけの問題ではない。非正規雇用イコール若者の問題とするとかえって本質を見誤るのではないか。貧困と使い捨ては若者だけではなく、かなりの世代にひろがっている。ぜひ若者以外の世代との連携もはたしてほしい。※「全国青年大集会2008」(同実行委員会主催)には四千六百人が集まったというが、これが人数として多いのかどうかはわからない。これはたぶん最後ではなく、今後もこうした集まりはくりかえされるだろう。何万、何十万の人数があつまるようになれば、きっと世の中は変わるし変えられる。
2008年10月06日
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個室ビデオ店放火は身元を明かしたがらない被害者が多いせいかどうも報道は一人の被害者に集中している。生活費節約のために個室ビデオ店を利用しながら介護の世界を目指していたという男性である。報道は男性が介護の世界で再起をめざしていたとあるが、介護労働の実態を考えれば、この男性にしても希望に満ちて生きていたとも思えない。たぶんこの事件では加害者も被害者も境遇は似たり寄ったりで、こうした澱のように溜まった絶望のはてに起きた犯罪にしか見えない。被害者の一人をことさら美談の主のように報道することは、事件の本質から眼をそらすだけであろう。放火した男性は40代。そして被害者にも意外にこうした年齢層が多い。貧困や格差をことさら特定世代だけの問題にし、世代間闘争の問題にすりかえたような議論もあるが、これもやはり実態を見誤った議論というべきだろう。※正社員を非正社員におきかえる動きは各世代を問わず行われており、放火犯も数年前までは電気会社に勤めていてリストラで職を失った人間だという。また、若者の非正規就労の比率にしても政府のいう「好景気」の下でも減少どころか高どまりしている。格差や貧困がひろがった背景は、企業が人件費をどんどん下げ、労働者の取り分が減ったことにある。だからこそ、これからの政治の真の争点は現在の資本主義にどの程度規制をもちこんで労働者の取り分を増やしていくかどうかではないか。少数の勝ち組と多数の貧困者の並存する社会にしていくのか、多少とも平等な社会に近づけるのかである。ちなみにこうした格差拡大をグローバル化の所産で仕方ないという議論もあるが、日本は旧社会主義国を除けば、米国についで格差の大きい国だという。日本の格差はヨーロッパの格差よりも大きいのである。比較的平等で同質な社会が維持されている北欧のような国から学ぶことはないのか。このあたりも検証してみる必要があろう。※こうした真の対立軸を考えれば、マスコミの囃すジミンとミンシュの二大政党制なるものがとんでもないということがよくわかる。だってミンシュは少なくともこうした格差や貧困の増大にストップをかける政治勢力ではない。まるで買収のようなバラマキ「公約」は論外だが、それ以外でミンシュが派遣業の規制について何か言っていたことがあるだろうか。二大政党制による政権交代があるべき姿だとか、ミンシュに政権が行けば「改革」だとか、はだはだしきは「一度はミンシュにやらせてもいいのではないか」とか・・・そんな笛に踊ってはならない。※※映画「おくりびと」で風呂屋の女主人が突然倒れて亡くなる場面がある。高齢化社会の中、風呂屋にかぎらず、今やそんな店が増えているように思う。この間入った「純喫茶○○」というところ。いまどき純喫茶なんていう言葉があるのかと驚いたが、中に入るとインベーダーゲーム(もちろん動いていないが)のテーブルが並び、店にいるのはどうみても70代の女主人だけ。まるで時代がとまって主人だけがそのまま年老いたような感じだ。そしてそのとなりの食堂はシャッターがしまっていてこんな張り紙がしてあった。「店主の検査入院のため○日までお休みいたします。」
2008年10月05日
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葬儀はかっては地域共同体、親族共同体の一大イベントだった。子どもの頃、祖母が亡くなったときのことを覚えている。湯灌から納棺、葬儀の手配まですべて親戚一同で行い、たぶん葬祭業者なる他人は入る余地がなかった。そしてお寺には大きな厨房があり、そこで親戚や近所の女達総出で葬儀や通夜で出す食事などの準備していたように思う。いつしかそうした死にまつわる儀礼も様変わりしたようだ。※父が亡くなったときは兄弟だけで葬儀の手配を行った。なにも知らないので、どうしても次第は病院から紹介された業者まかせとなる。死者の枕元に供養の飯をおいたりといった細々とした儀礼。由来もわからないし、そもそもこんな習俗が実際にあるのかどうかも定かではない。定かではないが、たぶん今後はこうした葬祭業者が広める習俗が浸透していくのだろう。納棺師という職業もその時初めてみた。よい若者二人(20代後半くらいの男女だったが)が、死化粧を施し、装束をきせて、棺に安置する。彼らが、いかにも神妙で真面目そうな様子だったので、いったいこういう職業はどういう人がどういう経緯でつくのかすごく疑問に思ったものだった。葬祭業の専門学校の広告をいつかみたような気がするが、そうした養成機関も今はあるのだろうか。企業が研修で行うにはリスクとコストが高すぎるように思う。自腹で学校を出るが、そのかわり就職率は100%という世界なのかもしれない。一見、伝統的なように見えて、実は伝統とは無縁の、まさに血縁共同体も地域共同体も崩壊した現代の所産のような職域。それが納棺師も含めた葬祭業の世界ではないか。※「おくりびと」はそうした納棺師を主人公にして、彼が出会う様々な死の形と彼自身の家族の物語を重ね合わせてストーリーが進行する。山形の美しい自然とそこに生きる人々の哀歓がなんともいえない。俳優陣もみな好演で印象深いが、風呂屋の客で実は火葬場の管理人という老人が特によい。銭湯の女主人との淡い老いらくの恋だけではなく、なんとなく今までどんな人生を生きてきた人なのだろうか・・・とまるで実在の人物であるかのように想像をしてしまう。ただちょっとつっこみをいれれば孤独死現場にかけつけたり首吊り自殺があって夜中にとんでいく場面。ああいうことは実際にはないのではないか。納棺師は、遺族から委託を受け、葬祭儀式の一環を担う職業である。孤独死の現場処理は警察などの仕事だろうし、首吊り自殺のような場合も検視等の一連の手続きが終わった後に、納棺師がでてくるはずである。また、非行グループに入って事故死した娘の死体の前で、父親が事故をおこした男友達に「一生こんな(納棺師)仕事をして償うか」とどなるシーンは印象的である。主人公はここで落ち込み、納棺師をやめようとまで考える。実は、私たちの社会は、とうにある職業に対してそういう扱いをしているのではないかと思う。介護労働者である。よく刑事裁判の記事で、被告人が「これからは老人介護の仕事をしたい」と言い、それが被告人の反省の気持ちと報道されることがある。また、この分野での人手不足が議論されると、受刑者にやらせてはどうかという議論もでてくる。こうした報道をみて、実際に介護の仕事をしている方がどう思うか・・・。そんなことも考えさせられた。※※今の政治とマスコミをめぐる状況は細川政権発足直前とよく似ていると思う。あの当時も、マスコミは反ジミンに肩入れし、名を忘れたが細川氏の立ち上げた政党の人気を煽った。今も、そもそも解散権は首相にしかないのに、マスコミは勝手に解散だ解散だと騒ぎ立て、二大政党だとか政権交代だとかと、ミンシュに票がいくように煽るのに余念がない。「一度はミンシュにやらせてみれば」みたいな愚論も火元はマスコミではないのだろうか。まあ、政権が変わり、変動が起きればマスコミとしては面白いだろう。それにマスコミはジミンにもミンシュにも献金しているらしいので、二大政党制をあおってこの二党の票の総和が増えることも望んでいるのかもしれない。でも、あの細川政権発足の頃は、日本は空前の繁栄を享受し、一億層中流で皆海外旅行だグルメだにうつつをぬかしていた時代だ。そんな時代には鼓腹撃壌ではないが、政治も娯楽の種でしかない。清新でハンサムなマフラー姿の細川氏に、人々が熱狂したって不思議ではない。しかし、今は格差と貧困が進行した辛い時代だ。本当にミンシュがそんな社会の不満層を受け入れるのにふさわしい政党なのか、はなはだ疑問である。市場原理主義にストップをかけるのであれば他の政党も選択肢に入れて考えた方がよい。また小沢も最たるものであるが、他のミンシュの有力政治家も、いまさら風を起こすにはいかにも賞味期限切れというところがなんとも痛い。
2008年10月04日
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個室ビデオ放火殺人も、事件の真相が明らかになるにつれ、あのアキバ通り魔殺人と似たような匂いをはなちはじめている。いずれも格差社会の中で自暴自棄となった人の衝動的殺人という点において・・・。日本の貧困は単なる貧困ではない。家庭生活も、明日への希望も、自分に対する誇りすらも奪っていく貧困である。人は人とのつながりを持たないと人間らしく暮らせない。明日がみえないと希望が持てない。今度の個室ビデオ放火殺人の犯人もアキバの通り魔と同様、名前も呼ばれることなく、人とまともな会話をすることもない、明日の見えない生活を強いられてきたのであろう。彼の場合は結婚暦も職業暦もあるようだが、これからは結婚をしたこともなく、定職をもったこともない40代がどんどん増えていく。今のフリーターとかニートと呼ばれる連中が40代に入り、しかもその頃になれば彼らを庇護してきた親だって面倒をみきれなくなっていくからである。そしてそれに加えて健康など将来への不安はますます増大する。まさに犯罪予備軍はいくらでもいるのである。※小沢代表の「所信表明演説」は鳩ポッポにエサをばらまくようなでたらめな中味だと思うが、「格差と貧困は社会崩壊の寸前まできている」という部分にはおおいに共感をする。まさに絶望型犯罪というか格差社会型犯罪というか、そうした犯罪が激増していきそうな兆候はどんどん顕著になっているのではないか。解散は当面はなさそうであるが、かえってよかったのではないかと思う。政権交代だ二大政党だとマスコミはミンシュ寄りの報道をしているようだが(ちょうど細川政権発足前のように)、政権交代による政治混乱はマイナスの方が多い。そしてミンシュが政権をとったところで一律にばらまく農家の個別保障や子ども手当てなどはまず反故にされようし、仮に実行したとしたらそれこそ壮大な無駄づかいだ。また国家公務員の給料減もミンシュはいっているようだが、国家公務員の中でミンシュの岡田前代表のようないわゆる官僚はほんの一握り。数としたら営林署の職員とかなんかの方がずっと多い。そして国家公務員の給料が減ればそれと連動して地方公務員の給料も確実に減るし、それはまた地方の景気にも影響をする。さらにいえばミンシュだって念願の政権をとれば、やはりジミン同様に解散はやりたがらないであろう。「一度はミンシュにやらせてみれば」というバカが多いが、その一度は最長4年にもなるのである。マスコミの笛におどって、この時期に解散総選挙などをやるよりも、国民の側もじっくりと頭をひやして小沢公約のあほらしさを考えてみたらよい。解散などしなくてもいずれは衆議院の任期満了はくる。ジミンとしても、ここはひとつ格差や貧困が大きなテーマとなっていることを踏まえて財界よりではなく、国民よりの施策を行ってほしいものである。政権を失うという恐れが、結果的に国民のためになる施策にむかわせるのであれば、それがいちばんよいことなのかもしれないのだから。※※一人ぽっちじゃ人間らしく生きられない、明日がなければ人間らしく生きられない。
2008年10月02日
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今の国民の多くが望んでいることは何なのだろうか。それはたぶん「強い国」に住むことなんかではない。普通の人が真面目に生きて幸せに暮らせる国を願っているのではないか。ついこの間までの日本がそうだったように・・・。コイズミ改革の最大の失政は中流社会を壊したことだという人がいる。同感である。中流社会とはまさに普通の人が幸せに暮らせる社会ということなのだから。非行にも走らずに真面目に生きてきた若者が就職に失敗して30代になっても親がかりの生活をする。一生懸命仕事をしてきたサラリーマンが突然解雇されて路頭に迷っている。酒もギャンブルもやらず毎日10時間以上働いても貧しさから脱却できない。こんなことが今や日本のあちこちで起こっている。※日本は今やロシア、中国、米国に次ぐ格差社会になったという話もある。ロシアや中国は昔から格差の烈しい国で、しかも多民族国家である。米国も競争と機会を国是とする移民国家だ。しかし、古来から共同体を大切にし、ほぼ単一民族でやってきた国で格差が拡大していったらどうなるのだろうか。しかも貧困層の多くは結婚もできない若者で、いまのところ親がかりで貧困層として出て来ない人々もいるので、これからはもっと深刻になっていく可能性もある。※ジミンは若年雇用対策基本法なるものを考えているようだが、「基本法」などにいったいどれほどの効果があるのだろうか。なぜ派遣業の問題、そして労働法制の規制の重要性についてふれないのだろうか。貧困や格差の拡大にストップをかける必要がある。コイズミがおしすすめてきた市場原理主義的改革路線はみなおす必要がある。たぶんこう考えている人は多いだろう。そうした人々の受け皿としてミンシュは適切なのだろうか。とてもそうは思えない。マスコミの囃すジミンかミンシュかの二大政党祭り。こんな二大政党制になってしまったら、格差や貧困の拡大はますますすすみ、誰も市場原理主義の暴走をおさえられなくなる。あたりまえであるが・・・野党はミンシュだけではない。というよりも、元ジミンの辣腕幹事長が率い、大連立の話がちらつくミンシュなどは準与党といってもいいのかもしれない。
2008年10月01日
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