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安保法案の裏側でさして報道もされないまま進められている残業代タダ法案や派遣法の改正法案も気になる。たしかに安保法案は大きな問題であるが、本音をいってしまえば、自衛隊員以外の多くの人にとってはどっかで他人事という気分があるのではないか。それではいけない…というのはたやすいのだが、人間というのは常に論理的かつ公正にものごとを考えるわけではない。抽象的な理念よりも現実の損得で動くのも人間の本質だ。自分がそうだから、よくわかるのだが、徴兵制や軍隊の創設という議論が具体化しないうちは、安保法制は自分の生活に関係する問題とは思わない。民主党は安保法制以外にこうした労働法制の改正(改悪?)を問題視している。民主党政権時代もはじめのうちこそ貧困政策に力を入れるようなフリをしていたが、現実には格差拡大政策に変更はなかったし、逆進性の強い消費税の増税を決定したのも民主党だ。だからこんな主張は選挙民向けのポーズなのだろうが、嗅覚はさすがである。人間というものを知らないと政党としての躍進はない。正直言って、某政党の「憲法9条を守りぬきます」というポスターには反吐がでる。「ミニ政党としての立場を守り抜きます」としか読めない。「人間の尊厳を守り抜きます」、「働くものが希望の持てる社会をとりもどします」、「ストップ格差拡大、ブラック企業にお仕置きよ」と言ってくれればうれしいのに。
2015年05月31日
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第二次世界大戦後は日本では戦死者がいないことになっているが、厳密にいえばそうともいえない。というのは朝鮮戦争中、日本の海上保安庁の掃海隊が派遣され、その機雷除去作業中に56名が亡くなっているからだ。忘れられた歴史かもしれないが、こうしたことがあったということは記憶にとどめておくべきであろう。http://matome.naver.jp/odai/2140437659083084801*朝、テレビをみていたら、犬猫の殺処分を行なう施設を「動物愛護センター」とよんでいるのをみて、何のブラックユーモアかと思った。たしかに殺処分の前に動物好きな人への引き取りあっせんなどもやるだろうから、「愛護」といっても全く間違いではないが、それでもやはりこの場を、愛護センターとよぶのは違和感がある。要は、名前はなんとでもつけられる、名前に騙されてはだめだろう…ということだ。戦前の拷問、虐殺で悪名高いあの法律も、名称だけは「治安維持」ともっともらしかった。最初に残業代タダ法案の議論がでたときは、残業代がタダになれば残業しなくなり、一家団欒の時間が増えるという奇妙な理屈がとなえられた。さすがにこれはばかばかしいので、代わりに出てきたのが、ホワイトカラーなんとかという舌をかみそうなカタカナだ。戦争を事変、敗戦を終戦、占領軍を進駐軍というふうに、わが日本語は非常に柔軟性にとむ便利な言葉だ。戦争を平和というのだって、きっとおてのものなのかもしれない。
2015年05月29日
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総理はよく「日本をとりもどす」という。でも、総理の取り戻したい日本とはどんな日本なのだろうか。さる方のブログに小生が書いたコメントである。総理のいう「取り戻した日本」というのは、企業のもうけのために労働者が犠牲になってもよい日本、貧困の連鎖は問題だけど大人の貧困は自己責任だという日本、国家のために国民の血をながすのも当然という日本…まあ、戦前の日本はそんな日本でした。当時の世界の中で日本の社会が相対的にどうだったかということはいわない。その当時の人がどう思っていたかと言うことと、21世紀の今日、戦前の社会を美化してそういう社会にもどろうとすることとは全く別なのだから…。**ドローン少年ノエル君については下記のブログが小生の言いたいことをよくまとめているように思う。http://www.asyura2.com/13/hihyo14/msg/696.html自分で撮った映像を流して金を取るというのが、そんなにけしからん行為なのだろうか。マスコミは自分達が普通にやっていることを一般人がやると異様に叩く。そしてそのくせ自分達がさんざん行なってきた人権侵害についての反省はない。選民意識もたいがいにしろ…といいたい。それにしてもこのノエル君の逮捕容疑となった威力業務妨害罪…これで逮捕できるのであれば多くの行為がこんな容疑にひっかかるように思う。法治国家としての信頼感というのには、犯罪容疑以外では身柄を拘束されないということがあるのだが、こんな行為まで犯罪にしてしまうのではおそろしいことこのうえない。さらにいえば、もっとおそろしいのはマスコミが皆ノエル君非難の大合唱で、こうした逮捕に疑問を呈する声がほとんど聞こえてこないことである。それだけではない。最近ではネットの書込みなどで、警察が動いたから、それが警察に対する偽計業務妨害になるなんていうのもあって、もうめちゃくちゃ。虚偽の110番通報などならわかるけど、お前の行為によって、とにかく警察は動いた、だからお前は警察の業務を妨害したから逮捕するなんてなると、なんでもできちゃうんじゃないのだろうか。
2015年05月27日
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韓国ドラマ「福寿草」を見ている(DVD試聴)。純粋でけなげなヒロインと悪役の女性。そして悪役の女性はたいていヒロインよりも美人で、様々な策略をつかってヒロインをおとしいれていく。そんな悪だくみに周囲の人は気がつきそうで気がつかない。「冬のソナタ」以上に韓国でヒットしたという「天国の階段」もこんな話だったが、悪役が単なる悪役で共感しにくかったのと、ヒロイン役のチェジウがちょっときつい顔立ちで苛められ役がにあわず、こっちの方はあまりはまれなかった。それにくらべると、「福寿草」の悪役には悪役なりの切実感や哀しさがあって、むしろ本当の主人公はこちらではないかと思うような熱演で、それがドラマに深みを加えている。どうも韓国ドラマには、こうした物語がひとつのジャンルになっているのではないかと思うのだが、なんというかこの手の話には既視感がある。そう…昔の日本の少女小説や少女漫画にはこういう話が非常に多かったのだ。この中での金字塔ともいえる漫画はなんといっても「ガラスの城」だと思うのだが、今ではちょっと忘れられているようなのが残念だ。最後にいくほど荒唐無稽になっていって、それが難点といえば難点なのだが、悪役の美少女が様々な策略を使い、聖少女のようなヒロインを苛める話なのに、作者もどこかで悪少女の方に肩入れしているようなところがあった。こうした苛め物語は、いまさら作っても新味がないようだが、「福寿草」ではすべてを失ったヒロインがビジネスの世界で反撃していくストーリーになっており、そう快感のあるものになっている。まだまだこのジャンルもいろいろな面白い話が作れるということだろう。なお、韓国語は発音の複雑な言語で同音異義語は日本語よりもずっと少ないのだが、福寿草の福寿は復讐と同音異義語になっている。こういうのに出てくる苛め役というのは、美人でプライドが高く、しばしば親が金持ち、そして主人公の少女に内心では嫉妬心をもっているなどの場合が多い。今は「元」になったが、ちょっと前にある女性国会議員がマスコミでさんざんバッシングされたことがあった。この女性議員については、特段の関心もないのだが、彼女に対するバッシングがあんなに大衆受けしたのは、おなじみの物語の苛め役のイメージとこの女性議員のイメージが重なったからではないか。お嬢様育ちでそこそこ美人でプライドが高く、めちゃめちゃ気が強い。もちろんこうしたものはあくまでもイメージで実像とは関係ないのかもしれないけど。
2015年05月26日
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最近レシピサイトをよく利用する。一般人の投稿が元になっているサイトで、材料で検索すると、何百、何千のレシピがでてきて、それをさらに検索していくという仕組みになっている。今までも料理研究家の本を購入したことはあるが、こうしたものは、どうしても一般人よりもワンランク上のもので、料理好きの人を対象としたものが多いように思う。また、「専門家」としての矜持から、あまりにも簡単な料理は載っていなかったように思う。それに比べると、レシピサイトは一般人の等身大の料理で非常にありがたい。求めているのは何が何グラムとか、バルサミコ酢大匙1とかナンプラー小さじ1とかそうしたレシピではなく、普通にある材料を使って、誰にでもできるレシピなのだ。今日作ってみたのは、茄子と豚肉の炒め物で、生姜の千切りと豚肉を炒め、それに茄子を加えて、砂糖大匙1・5、酒大匙2、醤油大匙2・5を加えたもの。投稿者は、これは結婚するときに母から教わった料理で、材料はまあ適当に…なんて書いてある。まあ、これに小生が余計なことを付け加えるとしたら、茄子は火が十分に通っていないという失敗がおきがちなので、炒める前に切った茄子をレンジにかけるとよいみたい。マンネリになりがちな料理なのだが、様々な新レシピを試してみるのも面白い。
2015年05月24日
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朝食の時にはなんとはなしにテレビをつけている。いつもみるのはワイドショーのようなニュースのような番組なのだが、真の意味でのニュース、芸能ニュース、たまたま入手した面白い映像など、まるでごった煮のような印象を受ける。それにしてもニュースの軽重はどうやって決まるのだろうか。テレビでは、どうも映像の有無というのが大きいのかもしれない。絵がないとニュースにはしにくいし、絵がないと視聴率はとれない…ということだろう。*今のところ誰一人怪我したわけでもないドローンに大騒ぎしているのに、タリウム事件があまり報道されていないのは不思議でならない。ドローンとタリウム…怖ろしいのはどうみても後者ではないか。銃などがあんなに厳格に規制されているのに、毒物については高校生が薬局で購入できるというのは、どう考えてもおかしい。そしてまた少年犯罪としてみても、川崎殺人事件や船橋の生埋事件は殺害報道は衝撃的で現場など「絵になる」のかもしれないけど、あえていってしまえば被害者の生活実態は普通の中学生や高校生とは距離があった。それにくらべるとタリウム事件はごくごく普通の高校生の日常生活の中で起きた事件である。何年か前の事件で、しかも少年事件ということで、映像がつくりにくいのかもしれないけど、毒物の売買などの規制は、それこそ検討すべきではないか。化学の実験は学校などのしかるべき場所で行なえばよいことであろう。*だいたいドローンなんてあんなに大騒ぎすることなのだろうか。なんかオモチャにしかみえないのだが。件の少年はドローンをとばしてその映像をネットにアップしていたというが、それはマスコミだってやっている。マスコミがやればなんの問題もなくて、一般人がやれば威力業務妨害というのがよくわからない。官邸の屋上にほったらかされていたドローンが威力云々というのも変だし、善光寺の参道の人ごみの上にとばしたドローンが威力云々というのも変だ。それにしてもこのごろ威力業務妨害というのが多い。2ちゃんねるで脅しの書込みをしたといって、これも威力業務妨害で逮捕されているが、脅迫とまではいえない書込みでもこの罪名なら逮捕できるということか。それにしても警察に対する威力業務妨害って…警察の仕事を妨害するのではなく、警察が動けば、それで「余計な仕事」をつくったといって威力業務妨害になるのだろうか。警察というのはそもそも罪名があって動くのではないのかしら。何とかの容疑で捜査するというように…。警察が動いたから警察に対する威力業務妨害罪というのはなんかよくわからない。
2015年05月21日
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木は森に隠せ、人は人ごみに隠せ、ニュースはニュースに隠せなんていう言葉があるらしい。隠しているのかどうかはわからないけど、大坂都構想住民投票のかげでさほど大きく報じられていないが気になるニュースがある。一つは、仙台の高校で起きたタリウム殺人未遂事件である。意図的に小さく報道されているわけではないのだろうが、ごく普通の高校生の日常生活の中で起きた事件として、川崎中学生殺人事件や船橋少女生き埋め事件とは違ったおそろしさがある。被害者の少年は、何カ月かの時間をかけて、徐々に病状が進行し、失明や麻痺にいたったというのだから、殺人に匹敵する被害ではないか。しかも、これからも苦しみは続く。少年法の議論も大いにすべきであろうが、他リウムのような劇物が高校生にも入手できたという実態にも疑問を感じる。銃のような器具は管理が厳しく、いまのところけが人一人でていないドローンについても規制が急ピッチで行われている。ごく普通の護身用具でさえ、一度でも犯罪に使われたら「こんなものが野放し」といった大合唱が起きる。それなのになぜ、殺人や傷害に使われるような毒劇物が「化学の実験」だといっただけで入手できるのだろうか。不思議でならない。もう一つのニュースは意図的に小さく扱われているのかもしれないが、福島健康調査で子供4人に新たに甲状腺がんが見つかったという記事である。チェルノブイリでも事故から4年ほどたって子供の甲状腺がんが発生したという実態があるのだが、大丈夫なのだろうか。パニックは情報がなかったり、情報が少なかったりすると、かえって起きる。そして原発の安全、健康被害の有無は政治的な問題というよりも、科学の問題だと思う。甲状腺がんと原発事故との関係はどうなっているのか、子供達の非難は必要ないのか、大人はどうなのか…正確な情報を知りたいものである。http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/738c96fc80a134d791f93e3625230cb9
2015年05月20日
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七詩:さいきんどこに行っても国民投票、積極的平和条項というのばっかりで街は賑やかだねえ。ムメイ:そうそう、普通の選挙みたいな公職選挙法の制限もないし、政府もかなり本気だから、すっごい有名人をどんどん動員して楽しみだったらありゃしない。今日は生で極楽トリオをみたし、昨日はさあ、ピン芸人のアホンダラッタが積極平和踊りをおどっていて面白かった。サインもらっておけばよかった。七詩:でもさあ、あの改正案を積極的平和条項というのは変じゃない?どうみても、同盟国にくっついて地球の裏側で戦闘に参加することができるとしかよめない。ムメイ:え、だって政府や偉い学者はみんな積極的平和条項っていっているよ。テレビだってそう言ってるし。七詩:そのテレビだけど、どっかのテレビ局であの案を再軍備案とよんだコメンテーターがいたけど、すぐに番組責任者が官邸に呼ばれたみたい。コメンテーターも、あれから出なくなったみたいだし。ムメイ:へえ、だから積極的平和条項ってどこでもいっているんだ。七詩:で、国民投票に行くの?ムメイ:もちろん、だってアホンダラッタのファンだもんね。それにこれからは積極的に平和を維持しなければいけない時代なんだってテレビでもみんな言っているよ。七詩:そっかあ。でも投票に行かない人も多いみたいだよね。自衛隊を合憲にするだけで、何も変わらないっていうし、テレビや新聞でもそういうことをいう評論家やコメンテーターがほとんどみたいだしね。ムメイ:だってそうじゃないの?自衛隊を国防軍にするだけで、あと、自衛隊の仕事がちょっと増えるだけじゃないの。七詩:それなんだけどね。自衛隊のことを既に軍隊だという人が多いけど、ちょっと違うように思う。軍隊というのは軍刑法があったり、軍の裁判所があったりして、普通の公務員とは全然違うものなんだよね。上官反逆とか敵前逃亡とかは銃殺だし、第二次大戦中にもそれで処刑されたりした兵隊さんもけっこういたんだよ。前線に行け、じゃあ辞めますといえないのが軍隊というわけ。警察や自衛隊は武器をもった公務員というだけで、軍隊とは別物だよ。ムメイ:へえ、そうなんだ。ふうん。七詩:あ、そうそう、息子さんはどう、就職決まった?ムメイ:それがねえ、前の仕事がきついと辞めてからずっと仕事を探しているのだけれども、なかなかなくてねえ。どこにいっても厳しくて、困ってしまう。民間はこんなに苦労しているのに、公務員はいい目を見ていて、それで腹がたって、腹がたって。うちの子も本当にどっかに就職できればよいのだけれども。**まったくどうでもよいことのようだが、報道ではあれほど橋本氏を取り上げているのに、彼の著書「まっとう勝負」の中にでてくる言葉には誰もふれないのが不思議でしょうがない。某元首相の「神の国」発言などはあれほど有名になっているのだが、これもまけずおとらずインパクトの強い言葉でしかも活字である。http://blog.livedoor.jp/u_ono_u/archives/53114702.html
2015年05月19日
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大坂都構想についての投票結果は深夜に判明するという。これについて思ったこと書いてみる。まず大阪都構想という言葉であるが、これは大阪を首都にするとか、東京都と同格にするとかいう意味では全くない。東京都の下に特別区があるように、大阪府の下に特別区をおこうという構想でいわば、大阪市解体特別区設置構想といった方が正しい。ちょっと実態とかけ離れ、誤解を生みやすい都構想という言葉がそのまま使われているのは変な感じがする。さらにいえば、大阪市を存続させるか、大阪市を解体して東京都のように特別区をおくかは、権限の分配の問題で、政策の中味の問題ではない。行政の対象である府民にはどうでもよい話で、さほど関心がない…という人も多いのではないか。今回はともかく、こうした問題で投票を行なった場合に、投票率が極端に低くても、賛成とか反対ということが府民の意思ということになるのだろうか。こんどの大阪都構想の住民投票をみていると、想像はどうしても、いつかあるかもしれない憲法改正の国民投票に向かう。提案者側の用語をマスコミがそのまま使うことにより、提案内容についての特定の先入観が流布するということはないのだろうか。例えば、憲法9条改正案を積極的平和条項案と名付け、それに反対か賛成かというように…。そしてまた、国民の間の「そんなことは日々の生活には関係ない」式の無関心が極端な低投票率となり、そうした中で、憲法改正が決まっていくこともある。そうしたことを思うと大阪都構想の住民投票の結果も気になる。
2015年05月17日
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現憲法はよく「おしつけ憲法」といわれる。たしかに法律の専門家でもないGHQの少数のメンバーが短期間で草案を創り、日本に賜ったという意味ではおしつけだろう。ただし、その背景には、日本政府による憲法草案がGHQからみれば「日本の民主化」という観点からみて非常に不十分なものであったという実情がある。今見ても、時の日本政府の改正案は、天皇の神聖不可侵を至高不可侵にかえるなど、従来の憲法の微修正にとどまっている面が大きい。上からの視点ではなく、下からの視点でみたとき、大衆の人権や権利と言うものに対して、鋭敏な感性をもっていたのはどちらだったのだろうか。時の日本政府の憲法改正に携わっていた面々とGHQ指導部と…。*そしてまたそんな「下からの視点」でみたとき、明治憲法はおしつけではなかったのだろうか。伊藤博文ら4人の高官が夏島の別荘で草案を創ったのが明治憲法である。別荘には唯一女中だけが出入りできたが、女中はもちろん憲法の制定の議論をもれきいてもなんのことだかわからない。明治憲法が公布されたとき、大衆は憲法発布を絹皮の法被が下賜されると勘違いして喜んだという話があるが真偽のほどはわからない。中味はともかくとして、大衆とは関係のないところで草案ができたという意味では明治憲法も日本国憲法もおしつけであり、そしてまた大衆が中味を知りながら歓呼して迎えたのは、むしろ現憲法であるように思う。*憲法9条があったから平和だったみたいな議論にはついていけないが、それでも戦後何十年もの間、「戦死」の心配をしないで暮らしてこられたというのは実は大変なことのように思う。そしてまた憲法は9条だけではない。幸福追求の権利、集会結社言論の自由、生存権、平等権、勤労の権利義務など、あらためて考えてみたい条文は他にもある。「憲法9条五月晴れ」という歌があるが、その歌詞をみると、この内容はむしろ憲法25条におきかえた方がぴったりとくる。なお憲法25条はGHQの草案にはなく、国会審議の過程で社会党の発案で入った条文であるという。
2015年05月15日
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もし100人の村があったとする。その100人が全員結婚をして子供二人もうけたとする。50組のカップルに子供二人である。この子供二人が子供一人になったとしても村の様相はそれほど変わらないだろう。ところが、結婚するのは50人、残りは独身、そして子供の数はあいかわらず二人となれば、村は全く別のものになる。子供の数はかわらなくても…だ。社会を決定的に変えるのは少子化ではなく、未婚化である。そしてそんな未婚化による社会の激変は今現在進行中なのではないか。*未婚化社会では子供、孫のいない人が比率として増える。いつかは子供を持つというのではなく、おそらく一生もつことはないという人が増える。そうなれば社会から子供の騒音、子供の迷惑に対する耐性がなくなってくる。子供の声の騒音苦情はひきもきらないし、電車や駅などでも子供の行為に目を細めるよりもまゆをひそめる人の方が多くなっている。極端な例だが騒音苦情にぶちきれて保育園に乱入した男が逮捕されたなんていう事件があったが、報道をみたらやはりというかなんというか40代の独身男性であった。子供のいない人にとっては子供の声くらいうるさいものはない。そして未婚化社会では、次の世代、次の時代のことを考える人が減っていく。この郷土を愛するのは、そしてその郷土をつつむ国を愛するのは、かなりの部分そこが自分の子供、孫、そしてそのまた子供達が生きていく地だからであろう。未婚化社会では刹那的な考えをする人が増え、極端な政策をかかげる政治勢力が支持を集めることなども考えられる。マクロからミクロに目を転じれば、未婚化社会は係累をもたない人が増えるということである。係累というのはよしあしであるが、行動に規制をかけるのは間違いなく係累である。はっきりいって高齢になれば死刑だの無期懲役だのといった刑罰の威嚇もあまりきかない。長寿社会で元気老人は増えているし、今後は高齢者の重大犯罪というのもでてくるのかもしれない。犯罪ではないし、真偽のほどはわからないが、最近では60歳代、70歳代のAVモデルもいるという。生きているうちになんでも体験しておきたいということなのかもしれないけど、こういうのも子供とか孫とかがいれば普通はやらないだろう。そして国家とか社会の制度の中では、子供が結婚し、その孫が結婚し、というようなライフサイクルがずっと続くことを前提としたものもある。あまりいわないのだが、勲章というものもその一つではないか。今までなら勲章をもらうような「立派な人」は子供もちゃんと結婚していて、偉いおじいちゃんの貰った勲章は子々孫々受け継がれるのが普通だった。ところが最近ではそうでもない例もあるのではないか。ネットで検索すると売りに出されている勲章というものがけっこうある。勲章を売るというのは昔もあったのかもしれないけど、今ではネットの普及もあってとみに増えているように思う。家という感覚がなく、受け継ぐような代もなければ、親父や祖父の勲章などがらくた程度の価値しかない。
2015年05月13日
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よくわからないニュースというものはある。大阪都構想の住民投票もその一つだ。無駄をなくそうという都構想と住民投票というのはもっともらしいのだが、そもそもこの住民投票の根拠は何で、投票結果の効果はなんなのだろうか。そのあたりの報道がさっぱりなされずに、お祭りのように住民投票という行事をとりあげているだけのようにみえる。たしかに憲法には特定地域にのみ効力を有する法律については住民投票で過半数の同意をえなければならないという規定(第95条)があるが、どうもこれとは違うようだ。だいたい政令市と府県の関係というものは、国全体の地方自治の在り方を考える中で議論する問題で、大阪市だけの住民で決める問題だとはとても思えない。それに大坂都という名称からしてまぎらわしい。政令市と大阪府の二重行政を解消し、東京都と東京特別区のような関係にしようとするのであれば大阪市特別区構想といえばよい。大阪都では大阪が首都になるかのような印象を与える。もし、大阪に第二首都のような機能を与えることまでも考えているのだとしたら、それこそ全国レベルで議論することである。ひところさかんにいわれた地方分権もそうだが、この大阪都というのは権限分配の話で行政の中味の話ではない。二重行政のむだをはぶくというともっともらしいが、具体的に何がどう変わるというのだろうか。税金が安くなるのならよいが、府と市で二つあった図書館やスポーツセンターが一つになるというのではあまりありがたくないだろう。具体的にどうなるのかわからない権限分配について「さあ、投票しろ」というのは無理な話だし、この問題が投票になじむテーマなのかもよくわからない。すごくうがった見方をしてしまうと、この大坂都構想の住民投票というのは憲法改正の国民投票の瀬踏みかもしれない。憲法改正の発議が現実味を帯びてくれば、問題は国民投票である。投票率はどのくらいか、どういう点を考慮して投票するのか、注意深く見る人は見ていることだろう。大阪都だって、大阪が東京と対等になるみたいでカッコよいやんけ…とほいほい投票する人がそんなにいるとも思えない。役人や政治家が考えているのよりは国民は利口である。*たぶん憲法改正の国民投票だって、一人ひとりの国民はけっこう考えて投票する。憲法改正の発議がなされ、国民投票にもちこめば政権の望み通りの改憲ができるというのは、一般国民をバカにした見方ではないか。そしてそんなふうに一般国民をバカにした政党が支持を得るとはとても思えない。どっかの政党のポスターには「憲法9条を守り抜く」とあったけど、それよりも、公党として戦ってほしいのは残業代タダ法案など働く者の雇用環境を悪化させようとする悪政である。
2015年05月11日
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友人が小さな一戸建てを購入した。その小さな一戸建てには小さな庭がついているので、その庭をどうつかおうか思案中なのだという。庭いじりに精力は使いたくはないし、かといって雑草伸び放題というのもまずい。そこでミントを植えることを考えたらしいが、これが調べてみると非常にまずいのだという。ミントの繁殖力は非常に強く、直播きをすると、生態系を乱すおそれがあるという。そればかりではない。他人の花壇にミントを種をまくミントテロというのもあるという。たしかにミントは手もかからず繁殖力を強そうなのだが、こうした話はちょっと大げさなような気もする。こんなにミントの繁殖力が強いのなら、あちこちに自生していてもよいのだが、ミントの自生というのはみたこともない。ただいわれてみればミントも含めハーブというのはたいていプランターで栽培されており、直播きは見たことがない。ミントにかぎらずハーブはおおむね繁殖力が強く直播きはしないことになっているのかもしれない。
2015年05月11日
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韮山反射炉、軍艦島、松下村塾などの日本近代化の足跡をしめす史跡が世界遺産に登録されるかもしれないという。軍艦島や松下村塾には行ったことがないが韮山反射炉は見たことがある。その頃から「世界遺産に」という幟があったかと思うが、正直いって、すごく変なきがしたものである。韮山反射炉を見た人なら同感だと思うのだが、あれって海外どころか遠方からわざわざ見に来るようなものとはとても思えない。そもそも西欧に始まった近代文明は世界中にひろがった。そうした近代文明伝播の足跡なら日本だけでなく、世界中のあちこちに数多くあることだろう。韮山反射炉だけではなく、廃墟となって誰も訪れていない軍艦島や粗末な民家でしかない松下村塾などが、ベルサイユ宮殿たモンサンミッシェルと同様の世界遺産だというのは、まったくぴんとこない。*世界遺産というのは、史跡や建造物などを人類の遺産として後世に遺しておこうという趣旨で発足したものであろう。国内の観光客寄せの目玉にするというのとは趣旨が違う。石見銀山も世界遺産になったときには観光客が押し寄せたが、今では人出も半減しているという。富岡製紙工場もブームは一過性に終わるのではないのだろうか。ましてや韮山反射炉に大勢の観光客が押し寄せる光景というのは、どうも想像ができない。
2015年05月10日
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レディ・ジョーカーを読み終わった。いつも思うのだが、評論などでいうと問題発言となることでも、小説中で登場人物の口を借りていえばそのままとおる。表題のレディ・ジョーカーの由来も、重度障害の娘をもったことを「ジョーカーをひいたようだ」と語っていることによるのでかなり刺激的である。障害児とその親についてのルポなどは美談仕立てでなければならないというマスコミの暗黙のお約束からはちょっと距離がある。でも、これは小説…。重度障害の娘と病気の妻をかかえるトラック運転手。孤独の生活を続け老境に向かう小さな薬局店主。組織の中で屈辱に耐え鬱屈した刑事。そして株屋など、社会の中で様々な形で「ジョーカーをひいたようだ」と感じている人々が競馬仲間という薄い繋がりでまとまったときに、大きな犯罪の歯車はまわりはじめる。*グリコ森永事件に想を得た小説なのだが、もしかしたら迷宮入りとなったあの犯罪も実態はこういうものではなかったのだろうか。子供の時に読んだ外国の民話で、様々な特技をもった豪傑を頭のよい豪傑がまとめ、それぞれの特技をいかして巨万の富を王様からせしめるという話があった。この物語では、運転手、溶接工、刑事などをまとめる精神的指導者は薬局店主である。おとぎ話では巨万の富を得た豪傑達の物語はめでたしめでたしで終わるが、金を得た後もさらにグループの一部が暴走をつづける。現実のグリコ森永事件でも、社長誘拐に始まる前半と手当たり次第に食品会社を恐喝しているような後半とでは様相を異にしていたので、もしかしたら犯行グループの分裂があったのかもしれない。けっしてすいすいと読める小説ではない。推理小説ともちがうし、企業小説でもない。重厚なノンフィクションのような読後感である。社会の中でいわば「負組」に属する犯行グループと最上流層に属する社長やその周辺人物の生活の細部描写がすごい。犯行グループの鬱屈に共感しながらも、その犯行すらもっと大きな巨悪に流されて行ってしまうので、そう快なピカレスク小説というのともまた違う。こんなすごい小説に出会ってよかった。**以下ネタばれ犯行グループの中に刑事がいることは早い段階で推測されていたが、結局事件は迷宮入りする。警察内部に重大事件の犯人がいるということは、それだけ警察と言う組織にとっては致命的なことなのだから。組織防衛などともっともらしい言い方をしなくとも、しょせん人間というものは私利私欲で動く。もし、自身が警察幹部であれば、責任問題、栄達への障害等のやっかいごとをひきうけることと、事件が迷宮入りすることとどちらを選ぶのだろうか。後者を選びたいという誘惑は絶対にあるだろう。現実の事件でもそういう例があるのではないか。そうかもしれないし、そうでないのかもしれない。ただちょっと気になるのは、富山県の夫婦殺人では、警部補が「自白」しているのだが、事件は未解決扱いで懸賞金まで提示されている。ずっと昔にあった幼児誘拐殺人事件では、誘拐して何時間後の脅迫電話で幼児は「おまわりさんと一緒」といって怯えている様子もなかった。そしてこの事件も迷宮入りしている。
2015年05月09日
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米国でムハンマドの風刺画展示会をやっていたところ、銃撃事件が起き、容疑者が射殺されたという。こうしたニュースだとむしろ容疑者の方が気の毒に思える。http://www.huffingtonpost.jp/2015/05/04/muhammad-art-contest_n_7202176.html言論がきにいらないからといってテロを起こすのはもちろん問題なのだが、わざわざこうした風刺画の展示会をやる目的というのはなんなのだろうか。新聞や雑誌に預言者の風刺画が掲載させるということと、こうした風刺画を集めて展示会を行なうというのは、似ているようでどっか違う。ムハンマドの風刺画展示会というのはあえてムスリムの感情を害するために行なっているとしか思えない。自由な議論や批判は必要だが、あえてそれを尊崇するものの感情を傷つけることだけを目的とする行為なら、それも一種の暴力だろう。まあ、例えていえば天皇制や伊勢神宮を風刺した漫画の展示会を行なうようなものである。
2015年05月08日
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有名なボクシング選手の試合を一般のニュースでも大報道していた。前々から期待されていた試合だけで動く金も半端ではない。リングサイドの席が3000万円というのも信じられないが、ペーパービューと言ってテレビで中継を試聴するだけでも1万円近い金をとるのだという。日本ではwowwowが放映していたので、そういうこともなかったようだが、ペーパービューが主流の国では、友人同士が金を出し合い、一つ所に集まってテレビで観戦するそうだ。*テレビ視聴といえどもタダではない。こうした感覚が普通になれば、頼みもしないのに視聴料をとっているNHKに対する不満が増大するのも当然だろう。はたしてNHKは視聴料をとるだけのものを提供しているのだろうか。NHKで昔からよく見られているのはニュースである。娯楽番組は民法に期待しても、「ちゃんとしたニュース」だけはNHKで見たいという人は多い。それなのに最近のNHKでは半素人のアイドルグループの人CD販売戦略行事を大報道したり、憲法記念日には、国内での様々な立場の集会の動きを追うかわりに、英国王室の赤ちゃんのニュースを延々とやっていたり…。ニュース以外の番組でも首をかしげるものもある。例えば、どっかの中央官庁の一職員がお昼に何を食べているかをおいかけるだけの番組があったが、こういうものを公共の電波で放映する意図はなんなのだろうか。ほかにも立ち食いおでん屋を24時間かけて写したものを番組化したものとか。さすがにひょうきんものの子供がやるような一発芸だけのお笑い芸人やげてものきわものタレントを並べてねじのゆるんだような笑い声を流すだけのバラエティはいまのところないようだが、そのうちそうしたものもでてくるのかもしれない。*画像の質のよい新型テレビの宣伝もみかけるが、テレビに期待するものは画像の質よりも放送内容の質である。有料の衛星放送には歴史ものや科学もので良質な番組も多い。それだけに地上波の番組の質の低さがめにつく。民法はしょうがないのかもしれないけど、NHKだけは視聴料をとっている。せめてNHKだけはもっとまともな番組づくりができないのだろうかと思う。
2015年05月06日
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韓国ドラマ「商道-サンド―」を見終わった。李朝時代後期に実在した商人イムサンオクを描いた大河ドラマで、「商いとは人を遺すこと」を座右の銘にしたサンオクと「金を稼ぐことが自分の商道」というライバルとの対決が物語の大きな軸になっている。今日の経済人でも、「稼ぐが勝ち」とか「儲けるためには何でもしますよ」と豪語する人が多い中、「商道―サンド―」のメッセージは重要である。韓国ではこのドラマの原作となった小説は大ベストセラーになり、そのため、ドラマとして放映されたときには、新鮮味がなく、視聴率的には苦戦したという。*ドラマとしてはすごく面白い。低い身分でありながら幼いときから訳官をめざしていたサンオクが訳官の夢を捨てて商売の世界に入り成功していく。柔軟な頭のよさと機知で困難を克服していく様子は、フィクションがほとんどなのだろうけど、あきさせない。ドラマ監督は巨匠といわれるほどの人で「チャングム」、「ホジュン」、「ソドンヨ」もこの人の監督だという。チャングムは総集編をテレビでみただけだが、「ホジュン」、「ソドンヨ」は見た。古代百済を舞台に王子王女の恋愛をテーマにしたソドンヨはちょっと違うが、李朝中期を舞台にしたホジュンと後期を舞台にした商道とではなんとなくドラマの雰囲気が似ている。ホジュンは医師の物語で、鍼灸だけでこんなに病気が治るわけがないという嘘っぽさがあったが、商道は商業の世界を舞台にしているだけに、より現実的なように思う。商いとは人を遺すこと…というのは人を活かすということでもあるだろう。英雄とは優れた資質や能力をもっているからそれを英雄というのではない。その資質や能力を他の多くの人々のために使うからこそ英雄というのだろう。イムサンオクの商道は人を活かすもので、人を踏みつけて利益を追求するものではない。小商人達や民衆との共存共栄の道が商道である。こんな商道が主流になれば、資本主義の弊害などはなくなるのかもしれないのだが…。*ソドンヨ、ホジュン、商道にはいずれも主人公に対峙するライバルの存在が大きな役割を果たしている。実はいずれの作品でも非の打ちどころのない主人公よりも、むしろそれに対峙するライバルの方に感情移入して見ていた。ソドンヨやホジュンに比べても、商道のライバル役はやや小者感があるが、それだけに高いエリート意識と主人公に次第に追い抜かれていく焦りのようなものがよく描かれていて、なにか哀しい。イムサンオクは中国との人参交易で巨利を得るが、アヘン中毒のまん延する中国では特効薬として朝鮮人参の需要が増えていたという。阿片戦争が起きるのはイムサンオクが老年になった頃だ。勃興する西洋と遅れていくアジア。こうした世界情勢の認識は中国と陸続きの朝鮮ももっていたのではないか。もつべきではなかったのか。人間ドラマからちょっと視点をはなして、19世紀初期の時代を描いたドラマとしてみると、そんなことも考えさせられた。
2015年05月04日
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目的があっていったわけではない。たまたま知人を訪ねて行った時に散歩がてら案内してもらった場所…それが谷中商店街。正直驚いた。なんなんだ、ここは。休日とはいえ大変なにぎわいだ。日本全国どこに行ってもシャッター通りばかりなのにまるで別世界である。*とげぬき地蔵の「おばあちゃんの原宿」商店街や、外国人観光客も混ざってにぎわう浅草寺仲見世のように寺社仏閣があるわけではない。大久保韓流タウンのように日本の中の外国というコンセプトがあるわけでもない。目玉となるような客寄せの施設があるわけでもない。とびきり値段が安いというわけでもない。それではここがなにかの映画やドラマの舞台になっているかと言うとそれもない。きけば下町情緒あふれる商店街ということで客がおしよせてくるのだという。しかしこういう商店街というのは探せばほかにもありそうである。子供の頃、いやちょっと前まではこんな雰囲気のところはあちこちにあったような気がする。もしかして、そういうものの多くがシャッター通りと化して絶滅していったので、こうしたものが人気を博しているのだろうか。たしかに谷中界隈は空襲をうけず、戦前の下町情緒が残っているのだが、特に町並み保存をやっているわけではない。まことに他の商店街からすればうらやましいかぎりだろう。*以前行ったことのある木更津の駅前商店街はシャッターどおりを通り越して、店のあった場所がぽつぽつと空き地になていた。そのうちあの錆ついたシャッターも撤去という話がでてくるだろう。都会にも衰退した商店街は多い。そうしたところは、やはり店主の高齢化とセットになっている。「店主が入院のため休業します」と張り紙のある商店、はいってみると70歳はゆうにこえているような主人がきりもりしている喫茶店など…。かつては小さな店を始めて生活するというのも普通のことだった。それがいまでは「起業」などという大層な名でよばれ、しかもその成功率は非常に低いという。元気のよい商店街があちこちにでき、夕方には買い物客でにぎわうようになれば…と思うが、それこそ時計の針を逆回転させるような議論なのだろう。
2015年05月03日
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安倍総理が「米国議会で英語で演説したこと」が大報道されているが、一方でこんな写真もある。総理が日本語のトガキ付きの原稿を読んでいる姿である。http://blog.livedoor.jp/shunzo480707/archives/4866128.htmlご丁寧にも顔をあげ拍手を促すなんていうことまで書いてあるので笑ってしまうのだが、しかしその一方では、こんなものがもしあったとしても、写真がでるとも考えにくいのでガセではないかという気もする。どうでもよいことなのだが、真相はどっちなのだろうか。「米国議会で英語で演説したこと」を大報道しているけど、他の国の元首だって米国議会で演説くらいしているだろう。中味そっちのけの絶賛報道ばかりが眼につくけど、なんかそれも気持ち悪い。マスコミが常に政権批判、反権力であるべきだとも思わないけど、途上国や独裁国家ほど最高権力者の動静を美化して大報道する。
2015年05月02日
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辞世を詠んだ人は古来数多い。上古から今にいたるまでの辞世を集めた本で今までなぜこうした本がなかったのか不思議なくらいである。刑死した皇子の哀切な万葉歌から安楽死までも視野に入れた今日の歌人の歌まで…。辞世を並べてみると、それだけで日本の歴史がみえてくる。天寿を全うしての死もあれば政争の中での不本意な死もある。忠臣蔵の義士の辞世もあれば幕末の志士、先の大戦の軍人の辞世もある。自然死の場合の辞世はどこか諦観にみちているが、忠臣蔵の義士や軍人の辞世はどこか観念的だ。本音がでた辞世はさっと記憶に残るが、そうでないものは印象が薄い。特攻隊員の辞世も多く収録されているが、これは痛ましい。痛ましいというのは歌の内容についてではない。特攻隊員については遺書にも検閲があったという。今日見る特攻隊員の遺書は中に含まれている辞世も含めて検閲済みのものである。若者に死を強要しただけではなく、その最期の言葉にまで検閲をかけた…こうしたことについての遺ましさである。*ネットで調べてみると、この千人一首については、webサイトもあった。http://blog.livedoor.jp/mojibaka86-jiseiweb/archives/2014-12.html印象に残った歌を二つほど紹介する。二つには、作者の名がよみこまれているが、それで選んだというわけではない。源義経配下の四天王の一人で屋島の戦いで戦死した佐藤継信の辞世惜しむとも世はいつまでもながらへむ 身を捨ててこそ名をば継信戦国時代の連歌師山崎宗鑑の辞世宗鑑は いづくへと人の 問うならば ちとよう(ヨウ)がありて あの世へといへようは難しい漢字があるができもののことで悪性腫瘍だったのであろう。八百屋お七の辞世もある。世のあはれ 春吹く風に名を残し 遅れ桜の 今日散りし身はいくらなんでもこれは本人の作ではないように思う。名が残り、物語として語られるうちにだれかが創ったとしか思えない。*本には掲載されていなかったが、この辞世も入れて欲しかった。前者には人生を終えるにあたっての万感の思いが凝縮され、後者には死にいく場合の本音がはっきりとえがかれているように思うから。吉展ちゃん誘拐殺人事件で死刑となった小原保の辞世底までも かく透きとおる 朝の湯に 刑死の近き 命を洗う罪なき命として再び生まれ生をやり直すことができたら。江戸時代の狂歌師蜀山人の辞世今までは 人のことだと 思ふ たに 俺が死ぬとは こいつはたまらん死というものは自分の場合以外はすべて他人事。
2015年05月01日
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