全18件 (18件中 1-18件目)
1
長期間逃亡を続けていたオウムの元信者についての無罪判決が出た。もともと起訴の時点で疑問が呈されていたし、結局のところ、知っていたかそうでないかという内心の問題でこれ以上審理を続けても新証拠がでるとも思えない。それでも、検察は上告するのだろうか。まあ、上告審で二審判決が破棄されたとしても、裁判はまだまだ続く。裁判が続く限り死刑の執行はない。麻原はじめ死刑の確定したオウム信者はさぞほっとしていることだろう。
2015年11月30日
コメント(2)
日本の軍記物といえば平家物語が有名なのだが太平記もそれに劣らず面白い。平家物語が源平合戦を描いているのなら、太平記は共に源氏である足利と新田の争いを描いたものといえるだろう。そんな太平記の最後の方のエピソードで新田義興の物語が印象に残っている。足利の世はすでに固まっていたのであるが、新田義貞の遺児の新田義興は新田家の再興を目指し、兵力を蓄えていた。その義興を警戒して足利将軍は刺客を送るのであるが、そのやりかたはこうである。竹沢右京亮を帰順と偽らせて義興の下に送る。それだけでは信用を得られないので娘を妻として献上する。その娘と言うのは養女にした宮中女官の少将局であった。義興は少将局を気にいり、竹沢をすっかり信用する。やがて竹沢は関東に攻め上ると偽り、多摩川の矢口の渡しで船に乗せ、船の底に穴をあけたうえ、両岸から矢を射て殺害するのである。少将局も義興に殉じて殺害される。場所が多摩川の矢口という身近な場所であることだけでなく、船の上で憤死した義興の無念や、身分は高かったが寄るべない身の上であったであろう少将局と義興とのはかない契りなど、物語としての興趣もつきない。義興を祀った新田神社、義興とともに死んだ臣下を祀った十寄神社、少将局を祀った女塚神社はみな近いところにそれぞれある。特に新田神社は武蔵新田駅前の商店街にあるのですぐにわかる。*この物語の後日談を歌舞伎にしたものが神霊矢口渡であり、国立劇場で上演しているものを見てきた。四場にわかれているのだが、それぞれ独立した物語としても楽しめるようになっており、最終場の上演が一番多いのだという。一番の見せ場は船底に穴をあけた船頭のところに、新田義興の神霊が現れ、新田家の家宝の矢で射殺すところである。この脚本は平賀源内が、新田神社の参拝客増のために書いたものであるという。当時は大ヒットしたというので、新田神社もさぞかしにぎわったであろう。大河ドラマや朝ドラの舞台となった観光地がにぎわったり、アニメの舞台が聖地として多くの客をよぶということは今日でもあるが、こうした現象はすでに江戸時代にあったわけである。それだけではない。この歌舞伎ではグッズの販売促進もある。神霊が悪人を矢で射る場面があるが、それをふまえて破魔矢を作るようになったのは新田神社がはじめだと言うが、この破魔矢はいまや全国にひろまっている。ウナギは土用の丑に食べるという宣伝をしたのは平賀源内だというのは知られているが、破魔矢も平賀源内がかかわっているわけである。こういう人が今生きていればマスコミの寵児のマルチ人間ということでさぞもてはやされることだろうが、実際の平賀源内は江戸文化の寵児という時期もあったが、晩年は不遇だったよ歌舞伎を見るときには、図書館などで脚本を探すこととしているが、神霊矢口渡の脚本はみあたらなかった。たしかに面白いけど、他の有名な歌舞伎のパロディのようなところもあり、才人の余技として文学的には評価の外ということなのかもしれない。
2015年11月29日
コメント(7)
イスラムテロのニュースをきかない日はないのだが、そのテロ組織に入る人々は今のところは中東出身者やその移民が多いようだ。ただ、宗教とか思想とかいったものは伝播していく。そのうち、生粋の先進国で生まれ育った若者がテロ組織に入るという例も増えてくるのではないか。イスラムテロ組織と「善良なイスラム教徒」は違う…というのが、この種の議論の「お約束ごと」であり、たしかにテロリストイコールイスラム教徒ではない。ただ、イスラム教の中にそうしたテロ思想を生む部分があるということはいえるのではないか。全くの無信仰者とイスラムテロリストとの距離よりもイスラム教徒とイスラムテロリストとの距離の方がおそらく近い。イスラム教について知見があるわけではないが、一神教であり、来世が教義の中で重きをなしているということは、たぶん間違いではないだろう。一神教の神の前の平等という観念や来世での救いは現世で弱い立場、不遇な立場にいる人に受け入れられやすいし、「正しい信仰」を持っているという優越感も手に入る。日本もそうなのだが、欧米でも格差の拡大や貧困の問題は深刻であり、若者の失業率も高いという。イスラム教文化の中に育った若者だけではなく、これからは、先進国の不満層の間にもイスラム教が広がっていくのかもしれない。疑似宗教的なマルキシズムが魅力を失った今、貧困に苦しむ人々に誇りと希望を与える宗教がきっと求められている…のかもしれない。
2015年11月26日
コメント(19)
国連の「表現の自由に関する特別報告者」の調査を日本政府が突然キャンセルしたという。安倍総理の国連演説などは大報道されるのに、こうしたものはほとんど報道されていない。http://wajin.air-nifty.com/jcp/2015/11/post-56d2.html#more*同じようにあまり知られていない国際比較として日本の最低賃金が主要国中で最低というものもある。たしかに日本の最低賃金は低く、生活保護水準とよい勝負だという。これについて、生活保護を下げろという声が大きいが最低賃金を上げろというのがあまり大きな声にならないのはなぜなのだろうか。たぶんそれは労働者の中には主婦や学生のアルバイトも多く、そういう人は賃金が安くてもよいのではないかという暗黙の了解があるせいのように思えてならない。その背景には、他の先進国に比べ、日本では夫は妻を養うもの、子供は老親を養うもの、親は生活力のない成人した子供を養うものという観念がことのほか強いということがあるように思う。経済界からよく出てくる言葉に「多様な働き方」というのがある。この「多様」の中には最低賃金以下の働き方、最初から経済的自立など望まない働き方というのも入っているのだろう。まあ、現実の世の中には、経済力ある夫を持つ主婦や豊かな家庭の子弟で、好きな●●を生かせるのならどんなに安い報酬でもよい…なんてのもいるわけなのだが、その一方でそうした低い賃金のために青息吐息で生活している人もいる。*そしてさらには、雇う側にも家族間扶養を見込んで、最初から生活のかかっていない労働力を求める傾向もある。賃金にはうるさいことをいわず、上司が頭を下げればすぐに辞めてくれるような便利な社員というわけである。電柱の求人広告で「円満な家庭の奥様募集」というのをみたことがあるし、今は事情が変わったのかもしれないが、かつての女子学生の就職は、高収入の父親を持つ「自宅通勤」の者が有利であった。*就職だけでなく、奨学金選考でも親の所得が考慮される。多くの場合、奨学金受給者は親が低所得の場合に限られ、これはさしあたっての必要という意味ではやむをえないのかもしれないが、大学生と言えば大人であり、3年生ともなれば20歳を超える。考えてみると、そんな大人に対する奨学金給付に親の所得が要件になるというのはおかしい。まあ、資源と緊急性という意味で、低所得の親をもつ若者に限るというのは必要性という意味ではわからなくもないのだけれども。*日本は経済成長とともに出生率が急減していったが、この低出生率は欧米よりも東アジアで顕著である。東アジアでは伝統的に家族のつながりを強調する文化を持つ国が多い。成人した子供について親はいつまでも責任を負わなければならず、生活力のない子供の面倒だけでなく、犯罪の場合でも非難の矢面に立つ。こうした子供に対する親の無限責任といった文化が、逆に子供を持つことを躊躇させているのかもしれない。
2015年11月20日
コメント(43)
ああ、またこんなニュースが…と思うニュースがある。ニュースの中味そのものではなく、「こんなもの」をさも大問題のように報道することに腹が立つ。どっかの小学校で先生が17382たす18782イコール37564をいやなやつたすいやなやつを皆殺しを教えたことが、保護者の反発を読んでいるのだという。反発する保護者も中にはいたかもしれないが、子供の話をきいて笑った保護者も多かったのではないか。教師は算数に興味をもってもらうためと語っているというけど、そのとおり。こうしたことが計算に興味関心をもつ契機になることだってある。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151119-00005278-kana-l14以前も、「ドはドクロのド」というドレミの歌の替え歌(古くから子供の間にあったもの)を教えた教師や模造刀でがまの油売りの実演をした校長の話がさも不祥事のように報道されたことがあった。がまの油売りの口上を素人芸でやる人は多い。小学校のとき、そんな実演を実際に見たなんてすごくよい想い出になると思うし、なんの問題もないではないか。「模造品とはいえ刀を持ちこむなんて」といった非難は的外れでそんなものをとりあげて報道する方がおかしい。これでまた面白い授業をする教師が委縮していく。そういえば火成岩の覚え方で「流産安産元気な子、かこって先公半殺し」(流紋岩、安山岩、玄武岩、花崗岩、閃緑岩、斑レイ岩)なんてのがあった。こんなのも学校では絶対に教えられないのだろうな…きっと。*問題といえば、出生前診断についてのどっかの教育委員の発言が問題視されている。発言の内容についてはここではふれないが、出生前診断についての議論でいつも不思議に思うことがある。それは「命の選別につながる」というおなじみの批判である。でも、この論法でいけば妊娠中絶と言うものはすべて「命の選別」ではないのか。未婚や貧困故の中絶は「命の選別」ではなく、出生前診断で障害がわかった場合の中絶は「命の選別」だとする根拠はなんなのだろうか。もうひとつは出生前診断を批判しているのが、当事者である妊婦やその予備軍達ではなく、障害者やその親達であるという点だ。この問題について障害者や障害児の親は当事者ではないし、出生前診断の結果、中絶を選ぶ親がいたとしても、そうしたことは今生きている障害者や障害児の親とは全く関係のない。もちろん障害者もそれ以外の人と同様、生きるに足る人生を送っている人もいればそうでない人もいる。障害児の親にも幸福な人もいれば不幸な人もいる。こうしたことは出生前診断を受けた親にとっては情報として知っておいた方がよいというだけのことである。
2015年11月20日
コメント(16)
政府は今度のフランスでのテロ事件を契機に共謀罪の創設を検討するという。共謀という「形のないもの」を罪に問うことに怖ろしさを感じる。共謀そのものを犯罪とすることで、時の政権に都合の悪い人物をいくらでも「犯罪者」にすることができるのではないか。共謀はその性格上物証などというものがない。共謀をテープやビデオに残しておく人はいないだろう。誰それの証言というだけで十分なのである。そして形の上でその場にいても「共謀」しているかいなかは内心の問題で、捜査のさじ加減でどうにでもなる。現在でも、共謀だけでなく、現実に犯罪が実行されれば、共謀者を罪に問うことはできる。有名なのはオウム事件のサリン謀議。車中には6人の人物がいた。後に殺害された一人を除けば5人である。5人のうち死刑になった人もいれば、全く刑事事件に問われていない人もいる。素人目には不可思議なのだが、「共謀」にはそうしたわかりにくさがある。実行以前の「共謀」だけで犯罪とするのなら、こうしたものは冤罪の温床になっていくのではないか。この「共謀罪」の新設にかぎらず、議員定数削減という名の参政権の縮小、トリクルダウンと言い換えた富裕層優遇、緊急事態のための権利制限…今の政権のやっていることは庶民の権利を縮小し庶民を苦しめることばかり。こうした政権を支持している人がいまだ多いなんて、世の中はマゾばかりなのかしらん。
2015年11月18日
コメント(6)
世界を震撼させているフランスの自爆テロであるが、この自爆テロについて現地の報道はカミカゼアタックとよんでいるという。これについて日本ではとまどいの声もあり、中にはこういう言葉の使い方について抗議しろという意見まである。特攻は軍事施設が対象であり、一般市民を狙ったテロとは全く別のものだというのがその理由なのだが、しかし、対象が軍事施設であれ民間人であれ、自爆を前提とする攻撃自体がそもそも非人道的なのではないのだろうか。特攻隊の遺書を「記憶遺産」にするという動きもあるというが、もし「記憶遺産」にするのなら、死を強制されただけでなく、最後の遺書まで検閲の対象となったその残虐性こそ記憶していきたい。http://ryuma681.blog47.fc2.com/それにしても、自爆テロが外国ではカミカゼになぞらえていること…日本の報道だけをみているとこうしたことはわからない。ついでにいうと「真珠湾のような残虐行為」という表現もあるらしい。
2015年11月16日
コメント(23)
なぜ福祉の問題となるとすぐに財源云々が議論になるのに、軍備や外交バラマキではこうした議論は起きないのだろうか。どっかのブログでどなたかも指摘されていたが、考えればたしかに不思議である。借金ばかりがふくらんでいる状態なのに…これで「集団的自衛権」だの「防衛力増強」だのといいだせば、いったいどれだけの金がかかるのだろう。生活保護や公務員給料、それに公共事業だって、こうしたものに費やす金は国内に回る金である。特に生活保護などはその性格上100%国内に回る。これに対して軍事や外交バラマキはそうではなく、国富の流出としか思えない。*フランスのテロは衝撃的であるが、それでは空爆はどうなのだろうか。is空爆やシリア空爆の、その空爆下の映像やニュースはあまり流れない。空爆下にいるのが戦闘員ばかりだとは思えない。やはり老人や婦女子など戦闘とは関係のない人びともいることだろう。ニュースとして世界に配信されることのない惨劇がいくつもあることだろう。フランスのテロで被害を受けた「レストラン」は寿司店だったという話もネットででている。真偽のほどはわからないが、そのうち日本も標的になるかもしれない。総理が外国を訪問して「テロとの戦いを支援するため」といって金をバラまき、集団的自衛権といって日本からも自衛隊を派遣するようになれば、そのうちそうしたこともありうる。*イスラムテロと善良なイスラム教徒は違うと強調するのが言論の作法であるが、イスラム社会があって、そこにテロリストも潜んでいるという実態はあるのではないか。ムスリムイコールテロリストではないが、かといってイスラム社会とイスラムテロが全く無関係であるとはいえないように思う。日本にはイスラムコミュニティはない。ただ今後もないといえるかどうかはそれはわからない。不思議でならないのは、外国人労働者受入れの議論でこうした宗教の問題がスルーされていることだ。インドネシアから介護士を受け入れるという話がある。でも、イスラムの女性はイスラムの男性としか結婚できない。彼女らは日本に定住すれば、母国のムスリムの男性と結婚して家族をよびよせるであろう。家族を呼び寄せることは人道上拒否できるものではない。年間1000人の介護士を受け入れれば、その夫、子供と増えていく。いったん日本語を習得し、日本に生活の基盤をもてば、故国には帰らないだろう。日本にも非常にも短期間のうちにイスラムコミュニティができる可能性がある。
2015年11月15日
コメント(16)
演劇「桜の園」があまり面白かったので、「桜の園」についてのブログをあちこち探してみた。「桜の園」はチェーホフ最晩年の戯曲であり、彼の死後6年まもなくあのロシア革命が起こる。そんなこともあって、登場人物は革命後どうなったかなどという想像(妄想?)を膨らませた感想もかなりあって面白い。傑作なのは「一皮も二皮もむけたアーニャが生き残るだろう。トロフィーモフの屍をのりこえて」などというのもあった。まあ、そういうのもあるだろうけど、アーニャとトロフィーモフが当初の理想のままにつきすすんで粛清と弾圧の最前列に立つというのもあるだろう。でも、正直思うのだが、一番ありそうなのは、ロパーヒンが新体制の下でも「貧農の息子」の肩書を活かしてうまくいきのびるのではないか。理想家で不器用なトロフィーモフのような人間は、新体制の下でもはじかれていくような気がする。何がいいたいかというと、ゲームの種類は変わっても、ゲームに強いタイプと弱いタイプはあまり変わらないのではないかと言うことだ。このゲームが合わないだけで別のゲームならオレは強いのかもと考えるのは、なぐさめにはなるのだろうけど、現実となぐさめとは違う。だから問題は、ゲームの結果が一人勝ちでいいのか、勝ち負けはあるにしても結果はほどほどでいいのか。中間だとしたらどのあたりがよいのか…ということなのだろう。
2015年11月15日
コメント(0)
演劇「桜の園」を見た。おおげさな言い方なのだが、これだけは生の舞台でぜひ一度見たいと思っていた。そのくらい好きな戯曲なのだから…。四幕が起承転結になっており、決して長い戯曲ではない。それなのに登場人物の個性がはっきりしており、いくつかの性格の異なる恋愛模様が領地の競売の行方ともからんで描かれる。際立った善人もいないし、際立った悪人もいない。皆それぞれ頼りなさをもった人間で一歩退いてみれば、たしかに喜劇である。背景にあるのは社会変動で、その中で前向きに生きていこうとする人々と過去の郷愁にとらわれていく人々がいる。*郷愁にとらわれる人物の代表格は主役のラネーフスカヤ夫人と兄ガーエフだろう。老僕のフィールスはさらに昔の農奴解放令以前の時代を懐かしんでいる。ただ郷愁に溺れているといっても、ラネーフスカヤ夫人は老女ではなく、最後は恋人を追ってパリに行くくらいの年代の女性である。情に溺れやすく、頼りない女性特有の魅力をたたえた40代くらいの女性なのではないか。一方、社会変動に立ち向かっていくという人物の代表格は実業家ロパーヒンと大学生トロフィーモフだろう。ロパーヒンは農奴の息子で「字もろくに読めず殴られてばかりいた」境遇から這い上がって巨万の富を築く。いつの時代にもこういう人間というものはいる。ロパーヒンは自ら這い上がっていったのに対し、トロフィーモフは社会全体を変えようとする。演出の仕方でロパーヒンはとんでもない俗物になるし、トロフィーモフは夢想家のおバカさんになる。劇中唯一の「やな奴」である従僕のヤーシャもシニカルに周囲を見下しながら夫人に気にいられてパリに行くことを画策するという意味では前向きである。トロフィーモフ「人類は一歩一歩前進している。そしてぼくらはその最前列にいるのだ。」ロパーヒン「行きつけるかね。」トロフィーモフ「行きつけるとも。もしそうでなければ後のものに方向を教えてやる。」人類全体の前進を語るトロフィーモフの言葉は美しく、純情な娘アーニャはうっとりとする。けれども、人間というものは己の利益だけを考えている分にはそんなに間違えないが、「人類全体の利益」を考えると往々にして間違える。「前進する人類の最前列」にいるつもりが、壮大な回り道だったということも、歴史にはある。*「桜の園」は高校生の演劇でもよく上演されるという。登場人物の個性がはっきりし、しかもそれぞれに魅力的なので、やりたい役というのがそれぞれにきっとある。配役としてみて一番面白いのはたぶんシャルロッタではないか。正確な身元もわからないフランス女性で旅芸人出身。手品や軽業の場面は舞台の余興でもあるのだが、恋したり悩んだりという登場人物の中で彼女だけがアウトサイダーである。
2015年11月12日
コメント(2)
大阪維新が不人気で聴衆もまばらなのだという。http://www.asyura2.com/15/senkyo196/msg/311.htmlもともと維新人気、橋下人気なるもの自体、「なにかやってくれそう」といった漠然とした期待に基づいたもので、それをマスコミが台風の目だとか第三極だとかといって大きくしただけで、中味ははじめっからなかった。単にあきられたのだろう。お笑い芸人と同じに…。あわてているのは維新の看板で当選した議員達だろう。いったいどんな旗をさがせば次の当選がより可能性が高くなるのか。これに消滅寸前の次世代の党や元気にする会を選んでしまったと思っている議員も含めての右往左往が続く。議員には大きく二種類がある。これは綺麗に分けられるというよりも、これを両端にしてどっかに位置づるというだけであるのだが、政治家を飯のたねであり自身のステイタスと考える選挙屋と政策を実現する手段と考える政策屋である。そういう意味で維新は典型的な選挙屋政党であり、公務員叩きと大阪都構想のような政策の中味とは関係のない派手な花火を打ち上げる以外には、これといった中味はなかった。*今年の流行語大賞の候補がでそろった。個人的にはエンブレムを推したいけど…結果はどうなのだろうか。
2015年11月11日
コメント(13)
マスコミでは報道されていないのだが気になる事象というものはある。福島の原発事故による健康被害もその一つだ。さるサイトをみると白血病の増加や先天性の異常など大変なことが起こっているように述べているところもあるのだが、新聞やテレビなどではそうした問題は初めからないかのように沈黙している。http://www.asyura3.com/rank/genpatu/001/1/さて真相はどうなのだろうか。ただ一つだけいえることは、作業員の被ばくについては事故当初から何度か報道されていたのに、後追い報道が全くないということである。住民に健康被害がでているのだとしたら、もっと高い頻度で作業員の健康被害があるはずだ。これも気になるところである。*そしてもう一つ。経済状況についての実態がある。アベノミクスで景気がよくなっているというマスコミ報道がされていたが、その後どうなっているのだろうか。経済に本腰という安保法制成立後の総理発言があったが、いまさらこんな発言がでてくるということは、アベノミクスの失敗を裏付けているのではないのだろうか。GDPの推移を主要国で比較したグラフがあるが、マイナス成長などは日本だけである。もしこれが信用できるデータだとしたら、日本は静かに世界史の表舞台から消えつつあるのだが、テレビや出版などでは、逆に「日本は素晴らしい」式のものが目立つ。これも実際のところはどうなのだろうか。http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-1655.html
2015年11月10日
コメント(5)
ネット上には様々な人がいる。ばびろんまつこという人も有名だったらしいけど、さて、小生には初耳だ。ネットと言っても関心に応じて分野があり、その分野では有名だったというところなのか。そのばびろんまつこが事件の主役になったらしいが、そのニュースもなんだかよくわからない。http://news.infoseek.co.jp/topics/20151109jcast20152250103/あの「かなえキッチン」のブログも別人の写真を掲載していたようだし、ハイヒール女や村野瀬玲奈さんなど美人の写真やかわいいイラストを掲載しているブログはある。でも、そういう写真やイラストが現実のブログ主とイコールと思っている人はあまり多くないのではないだろうか。ネットの人格はリアルとは別物だし、ネットはネットでよいのではないかと思う。そういえば韓国のネット界でミネルバという人物が活躍したことがあった。留学経験のある証券会社社員を名乗り、経済評論を主に書いていた。その経済予測が非常によくあたるというので「経済大統領」というあだ名までつけられた。ところが何かの法令違反(なんとでもできるのだろうけど)でミネルバが逮捕され、リアルな正体が明らかになったのだが、それは無職のひきこもり男性で経済の知識もネットで得たものだった。こういうこともある。閑話休題。NHKのクローズアップ現代が袋叩きに会い、番組の存続も危ぶまれている。直接のきっかけは出家詐欺の番組なのだが、そうでなくともあの番組をつぶしたいと思っていた人は多かったのではないか。民放では絶対にできない社会問題の告発を行なってきたのがあの番組だったのだから。ワーキングプア、名ばかり管理職、無縁社会、ネットカフェ難民…これらの言葉はたぶんあの番組が発信源になって社会に普及していったのだろう。社会問題について人々の意識を喚起するという重要な役割を果たしてきた番組だったと思う。
2015年11月09日
コメント(2)
大人になってからは友人ができにくいという。たしかにそういう面はあると思う。逆にじゃあなぜ子供の頃や学生の頃は友人ができやすいのだろうか。まず人間その頃には本当に悪い奴はいないということがあるが、それはひとまずおく。子供同士とか学生同士というのはお互いのバックグラウンドを熟知していて信頼がおけるということがまずある。どこの家の何ちゃんとか、どこ出身の誰さんといった具合である。そしてもう一つ、子供や学生同士は基本的に利害関係も打算もないので、純粋に気の合うもの同士が結びつきやすい。近づいてくる人も下心があって近づいてくるという可能性はまずない。さらにいえば、学生の場合は、知的レベルなどで共通する者同士が同じ学校に集まるので、より話のあう相手がみつけやすいということもある。ただそんな学生時代の友人でも離れていくこともある。立場が違えば引け目が生まれることもある。道が違えば共通の話題もみつけにくい。*結局今の年齢になってみると、学生時代の友人にもまして職場の友人が貴重に思える。立場の違いや利害関係は全くないとは言えないが、その一方で、共通の話題も多く、同じような境遇をのりこえてきた戦友同士のような連帯感もある。何もかもつつみかくさずというわけではないが、過度に立ち入らないのも大人のつきあいと心得ている。そんな職場の友人の一人からこんな話をきいた。その人はさる有名私大の出身なのであるが、住居近くの大学のOB会の入会案内がきたそうである。同じ区内に住む大学OBが親睦の飲み会などをやるというものであるらしいが、結局参加をやめたのだという。単に親睦だけが目的の会というと近づいてくる人間に信頼がおけない。営業の勧誘もあるだろうし、不倫相手の物色などというのもあるのかもしれない。それにこの年齢になれば、こちらから友人になりたいと思うような人はこうしたOB会でなくても、すでにかかえきれないほどのネットワークをもっているだろうから。言われてみれば、たしかにそういうものなのかもしれない。
2015年11月08日
コメント(4)
朝テレビをみていたら今年の顔という特集をやっていた。五郎丸選手というのはわかるけど、「安心して下さい、はいてますから~」とか「あったかいんだから~」とか知らないよ、そんなの。自分の感覚ではなんといっても今年の顔は佐野研二郎のように思う。そして佐野研二郎と五郎丸はなんか風貌が似ている。ツーショットで今年の顔なんてどうだろうか。*ところで、あの佐野研二郎のエンブレム騒動については専門家と称する人と素人の間でかなり意見の相違がある。いってしまえば専門家の方が佐野氏に同情的で一般人とかなり温度差がある。パクリといってもあの程度は許容されるものであり、デザインといってもあれは専門家の目でみると素晴らしいものであるというように。そうだとすると、エンブレム騒動があぶりだしたものは、専門家と素人のまさにそうした感覚のギャップなのかもしれない。あの騒動の根底にあったのはパクリ疑惑や受賞者と審査員の持ち回りではない。これらは騒動になってからでてきたもので、ああ、やっぱりという話に過ぎない。騒動の根底はあのデザインそのものにあるのではないか。趣旨不明で、全然美しくもなんともなく、まるで面積を求めよというようなデザイン…それを専門家達が持ち上げているのをみて、素人が異議を唱えたということではないか。*黒い長方形がデンと正面にあって喪章みたいだし、それにああいうデザインを自分の持ち物につけたいとは思わない。どうしてあれをいいというのだろうか、といった素朴な疑問である。ただこうした専門家と一般人の意識のずれはデザインの世界だけではないのかもしれない。現代美術や前衛書道だって、芸術家と評論家のやりとりはともかくとして多くの人には意味不明である。戯曲でも不条理劇と称するわけのわからない脚本が専門家の高評価を得ることがある。芸術に娯楽や慰安を求める大衆からみると自己満足としか思えない。文学でも今年の芥川賞はそれなりに面白い本が選ばれているが、何年か前には、いったいどこがよいのか、何が面白いのかわからない小説が選ばれたことがあった。出張に行って大学時代の同級生を訪ねた男の一日を描いただけのもので、全く意味不明であった。それでも、いわゆる芸術であれば、評論家と大衆の感覚がずれていても問題はない。しかしデザインとなると、消費するのは同時代の大衆である。こうしたものはやはり専門家だけの仲間内で評価しあうのではなく、大衆がよいと思うものでなければならないだろう。
2015年11月05日
コメント(8)
裁判所や弁護士事務所など法曹関係の場所な中には「正義の女神」像を置いてあるところがある。正義の女神は目隠しをし(あるいは目を閉じ)、手には天秤と剣をもっている。天秤は公平、剣は峻厳、目隠しは個人をみないということをあらわすのだという。「神の天秤」は法曹界を舞台にしたドラマで、正義の女神の天秤と、それを模したキーホルダーが重要な役割をする。司法試験合格発表の日。三人の受験生の明暗から物語は始まる。一人は幼い頃父と死別したジュナ。母と弟と三人で貧しい生活を送っているが、母親は幼いころから神童だった彼に一家再興の望みをかけている。二人目は祖父も父も法曹という家庭の一人息子ウビン。幼い頃から父のような高名な検事になることを夢見ている。そして三人目はハクボム。万年受験生の三枚目だが人間的で憎めないという役どころである。ウビンは合格し、ジュナとハクボムは落ちるのだが、その夜、ジュナの恋人が殺害され、ジュナに疑いがかかる。ジュナの弟のヨンハはジュナを救うために嘘の自白をして刑が確定する。このため、ジュナは心機一転諦めていた勉強を再開して、事件の真相を暴き弟を救うために検事になるという…いかにも韓ドラな展開である。といっても、犯人は誰かと言うのがドラマの本筋ではない。いや、事件そのものの真相は冒頭から明らかになっている。ドラマの本筋は事件の真相を知った後の検事の葛藤であり、この検事こそが本当の主人公なのだろう。今まで見た韓国ドラマではホジュンでも商道でも、キムタックでもソドンヨでも、男性キャラは主人公よりもライバルキャラの方が魅力的であった。でも、この「神の天秤」では、主人公がとにかくよい。韓ドラとしてはそうそうむちゃな設定でもなく、登場人物もそれぞれに見せ場があり、日本でリメイクしても面白いのではないかと思う。
2015年11月03日
コメント(0)
日中韓の首脳会談が行なわれ、今後は定例化するという議論もあるという。それにしても、日本は総理、韓国も大統領がでてくるのに、なんで中国は習近平ではなく、李克強なのだろうか。中国は相手によって「首脳」を使い分けているのかもしれない。だって米国やロシアと首脳会談するときには習近平がでてくるじゃない。閑話休題…それはそうとして、韓流が好きで新大久保にはよくいくのだが、どういうわけか、ヘイトデモなるものは見たことがない。そんなヘイトデモの写真をあるサイトでアップしてあったのでみたのだが、「なるほどなあ」と思うと同時になんかいたましさを感じた。失礼ながら皆さまあまり幸せそうにはみえないのだ。なんか生活や境遇に不満のある人々がその鬱憤の矛先を外国や外国人に向けているという気がしてならない。そしてまた現政権の支持のある部分が「近隣国にガツンとモノをいっている」という点にあるのだとしたら、現政権を支持している人々とヘイトデモの参加者とは重なっているのかもしれない。http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-12089613325.html生活できない最低賃金。希望の持てない不安定な職場。労働基準法無視の長時間労働やサービス残業。そういうものに不満をもっているのだとしたら、その不満の矛先はどこに向ければよいのだろうか。財界の意を受けて労働法制を改悪し、不安定雇用を増大させている現政権。金持ちのおこぼれをトリクルダウンとよび、富裕層優遇政策をおしすすめている現政権。どうみてもこっちではないか。外国人に向けるのは間違っているとしか思えない。もっとも人間というものは自分が現実には「弱者」であっても、なかなかそうは考えない。また、そういうふうに考えたくない。だからぎりぎりの生活をしている人が「真面目に働くのがばからしくなる」と生活保護受給者をバッシングする。優越感を作りだしたくて、自分らよりも「劣った連中」や「下等な連中」を外にみつける。ヘイトデモに参加している人々には何かそんな人間の哀しさを感じる。
2015年11月02日
コメント(89)
日野市の小学生縊死事件はやはり不可解だ。10歳の小学生が手足を縛られた状態で全裸で縊死。遺書や思い当たる自殺の動機もない。普通に考えたら自殺ではなく事件であろう。それなのに、なぜか二日くらいで警察は自殺と断定、たとえ自殺にしても衝撃的な事件のはずなのにマスコミ報道が異様に少ない。それにまだある。こうした場合、自殺か事件かを判断する重要な要素は縊死や手足を縛ったのに使ったテープの入手経路だろう。小学生の家にはそういうものが置いてあったのか。そうでなければ小学生がそういうものを買ったという痕跡があるのか。小学生の生活圏は狭いし、そうそう頻繁に売れるような商品でもない。このあたりの報道が全くないのも気になる。不可解な事件はこれだけではない。警察官も含めた複数の男性が女性を暴行した事件で、故意を立証するのは困難として不起訴処分になったという。こうした事実で故意の有無が問題になるというのはどういう状況なのだろうか。被害者が同意していた可能性が強いので犯罪を立証できないというのなら、まだわかるのだけれども…。それにこの警察官はすでに懲戒免職となっている。そうだとしたら、犯罪を立証するのが困難な行為で懲戒免職となったのであるので、この免職処分そのものもおかしいということになる。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151030-00000168-jij-soci世の中にはかように不可解な事件が多い。ネット上の市井人としてはわけがわからないのだが、わけがわからないついでに考えていくと、こうしたわけのわからない事件処理がまかりとおっている国で最高刑に死刑をおいている。これはもしかしたらすごく怖ろしいことかもしれない。これまで死刑廃止論というのは、自分が当事者ではないということの上に胡坐をかいたきれいごとの議論だと思っていた。死刑廃止論を唱えていた弁護士が自分の妻が殺害されて意見を180度変えたという例もある。ただ人道や人権にベースをおいた死刑廃止論とは別に、警察や刑事司法の扱いの不可解さがつみかさなっていくと、警察や刑事司法への不信にベースをおいた死刑廃止論というものもでてくるのではないか。
2015年11月01日
コメント(4)
全18件 (18件中 1-18件目)
1