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地域政党だった大阪維新の会が再編して全国政党になるという。いつも不思議に思うのだが、この維新という政党、政党としてどういう国家、どういう社会をめざすのかさっぱりみえてこない。政党にとって重要なことは「政権の受け皿」だとか「第三極」とかいうことではなく、その政党がどういう社会をめざすのか…ということであろう。単に「いい気になっている与党に痛い目をみさせる」、あるいは「何かやってくれそうだ」で貴重な投票権を使うと後で痛い目にあう。*安保法制反対の運動が全国で盛り上がっている。ネット上の情報や報道だけではなく、こうしたものが国民の広範な民意に根差した動きであるのか、表面上のあだ花かは気になるところだ。この運動で前面にでてくるのが、さしあたって前線にいきそうもない学生ばかりで、非正規雇用者とか困窮者はあまり動いていない。「あじさい革命」が報道を席巻したことがあったが、次の選挙でも、そしてその次の選挙でも反原発を標榜していた政党が躍進することはなかった。*安保法制もさることながら、日経にしか大報道されなかった家事代行サービスに外国人を入れるという動き、そして残業代タダ法案やいずれやってくる解雇自由化法案…社会を本当に変えるのはこういう制度改変ではないか。あの政党はしきりに安保法案反対の風潮を煽って宣伝カーで「皆さまの子どもさんやお孫さんが戦場に行くかもしれません。戦争法案に反対しましょう。」と叫んでいる。なぜ「残業代タダ法案、解雇自由化法案で、あなたやあなたの子供、孫が失職し路頭に迷うかもしれません。」と言わないのかしら。「憲法9条を守り抜く」もおおいにけっこう。一人の戦死者も出さない(朝鮮戦争中の掃海作業中の死者はいたけど)戦後の歴史は誇るべきものだろう。ただ、厳密には既に自衛隊は存在自体が意見なのだが、災害などでは自衛隊の存在そのものが欠かせないものとなっている。憲法9条があったから平和だったという主張も大方の国民の賛同を得ているとは言いにくい。憲法9条がそれほど素晴らしくノーベル賞にも値するほどのものならば、憲法9条はとうに世界中に広がっているはずだ。*安保法制について一生懸命書いている人もいるけど、おそらくこの法制が成立してもそんなに世の中変わらないだろう。すぐに自衛隊が派遣されるなどということもないだろうから。それはちょうど秘密保護法で恐怖政治が再来するようにいわれてもそうはならなかったのと似ている。すぐには変わらず、今のような政治はずっと続く。貧困は拡大し、食えない人があふれていく。ロスジェネのかなりの部分を占める不安定雇用者も次の職は見つかりにくくなっていく。怖いのはそれからである。
2015年08月30日
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日本のテーマパークはいくつかあるが疑似外国旅行としての●●村というのは成功率が低いようである。ある銀行ではトルコ村、ロシア村、ガリバーパークに出資を決めた幹部が背任で逮捕されるという事態まであったという。オウム施設の後にできたガリバーパークは素人がみても首をかしげる冗談のような企画だったが、他の二つがいずれもその●●村だったというのも面白い。要はまがいものの外国よりも、その土地らしさを活かした方が客寄せの王道ということなのだろう。もちろん残っている●●村もあるのだが、例えばドイツ村などは、観覧車の色が黄色、黒、赤に塗られている以外は、ドイツとの関係はほとんどなく、当初の趣旨は没却されている。ちょうど職場近くのドイツ料理店が開店当初のメニューをずいぶん変え、ドイツの看板はそのままで、今ではチヂミやおしんこをメニューに入れているのと同様である。ただ、海外旅行などはめったに行けるものではなく、国内やそれに準じるような近い場所に●●村があればよいだろう。そういう意味で、歯舞、色丹にリアルロシア村を作ってはどうなのだろうか。コンセプトはリアルヨーロッパ、リアルロシアである。リアルヨーロッパの草分けのような観光地であるハウステンポスに行ったことがあるが、たしかに建物は本格的なヨーロッパであるが、肝心の歩いている人々がアジアなので、なんかどっかの植民地のような光景であった。それに比べれば歯舞、色丹には本物の外国人が普通に歩いているし、これに伝統的なロシア風の建造物のある一角を作って、ロシア教会で結婚式とか本場のロシア民謡のショーとかをやればうけるのではないかしら。もっとも領土問題で争っているうちはとても無理だろうけど…。*オリンピックエンブレムについてはいろいろな人がいろんなことを書いているので、どうでもよくなってきたが、どっかに書いてあった「面積を求めよ…みたいな」という評は面白かった。
2015年08月25日
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鬼怒川方面に日帰り旅行に行ってきた。昼食は適当なところがなかなかなく、ホテルででも探そうということになって、鬼怒川方面でも老舗のKホテルに行ってみた。さすがに気位の高いホテルだけあって外来者がとびこみで入るようなレストランはないということ…。次に行ってみたのはAホテル。大変大きなホテルで入ってみてちょっと驚いたのは、上までずっと吹き抜けになっている構造が「千と千尋の神かくし」にでてくる湯屋にそっくりだったことだ。宿泊者以外も利用できるレストランもあり、まあお手頃価格の1100円のカレーライスが売りというのがうれしい。窓際の席で鬼怒川の渓谷を眺めながらの食事はよかった。その後、那須方面に行き、「ゆりパーク」を見た。もともとはスキー場なのだが、オフシーズンを利用して花の名所にしているところで、結構にぎわっていた。単なる見物と違い、花はまた来年も来たいという気にさせる。最近ではそんな花の名所があちこちにできているようだ。
2015年08月24日
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海外在住のデザイナーの方が考案した扇をモチーフにした五輪のエンブレムが素敵だ。http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0820/blnews_150820_6563945238.html祝祭にふさわしい華やかさと日本らしさにあふれている。五輪エンブレムはやはり再考した方がよいと思うのだが、おそらくそうはならないだろう。なぜならあのデザイナーはもと大手広告代理店の社員で、ネット上にあるような少数の「デザイナー」同士の馴合い受賞の構図があったとしても、それも、大手広告代理店の関与の下でのことなのだから。マスコミの首ねっこをおさえているのは大手代理店であり、エンブレムの問題が馴合い選考の問題に波及するのをマスコミは好まない。賢い都知事が、競技場の問題と違って、この問題に沈黙しているのも、このあたりの背景がきっとある。まあ、いったんミソがつきはじめた五輪…あの喪章のようなエンブレムこそふさわしいといえばいえるのかもしれないけど。*政府が「中国に対抗するために」アフリカに一兆円の援助を検討しているという。一兆円といえば一億の一万倍だ。つまり一億人に一万円ずつ配ることのできるお金…。この間、2千何百億円の新国立競技場の問題で大騒ぎしたばかりなのに、こんなことがたいして議論もなしに決まってしまうのはおそろしい。このあいだも、生活苦から子どもを殺害したり、新幹線車内で乗客をまきこんで自殺した人がいたけれども、一兆円あれば、こうした人々を何人も救うことができる。かつかつの生活をしている全国の介護職員に臨時に直接給付するだけでも大いに喜ばれ、その金は100%国内に回り、経済を潤すことだろう。それを「中国に対抗するために」アフリカに撒くなんて…このノータリンめ。そもそもなぜ「中国に対抗」する必要があるのかさっぱりわからない。中国はたしかにアフリカに巨額の援助をしている。ただそれと同時にその金による事業は中国の企業が引き受け、中国人の雇用を生む。アフリカではこうして大勢の中国人が働いている。それだけではない。世界中どこでもそうなのだが、アフリカにも多くの中国人が定住している。駐在員のように腰かけでいるのではなく、そこで妻をよびよせ、家族とともに暮らし続けるわけである。いずれは東南アジアにあるように、アフリカにも、中国人が政治経済を支配する国があらわれることであろう。日本の援助と中国の援助は意味が全く違う。日本がばら撒く金はブラックホールのように吸い込まれるか、せいぜいアフリカの労働力目当てに進出する日本企業を潤すだけだろう。そうした企業の役員や株主は儲かるが、トリクルダウンという「金持ちのおこぼれ効果」などは決しておこらない。それどころか、国内の同業他社は窮地に追い込まれ、失業や困窮はいっそう広がる。意味が全く違うものを、「中国に対抗する」というのは無意味である。
2015年08月23日
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オリンピックの招致エンブレムと今問題になっているエンブレムのグッズを比較した画像がある。http://blog.livedoor.jp/keydrop/archives/1037550563.html祝祭に相応しい華やかさといい美しさといい、デザインの巧拙は明らかのように思う。招致エンブレムでなくとも、もっと日本らしく美しいデザインはいくらでもあるのではないか。それともすでにあちこちにあのエンブレムでポスター等が作られているので、ことのよしあしではなく、「今さら後に引けない」、「今まで作ったものが無駄になる」というあの論理がでてくるのだろうか。*今年は戦後70年。あらためてあの戦争を考えてみる。そもそもあの戦争を始めた時、指導層はどういう形での終結を考えていたのだろうか。日中戦争については敵国の首都を占領すれば戦争は終わると考えたのかもしれなかったが、南京を占領しても戦争は終わらなかった。傀儡政府と講和しても戦争は終わらなかった。ましてや太平洋戦争となると、どんな終結を考えていたのかどうもわからない。いわば出口を考えずに穴に入っていったようなもので、やはり始まりからして無謀だったとしか思えない。結局、戦争の終結は天皇の聖断によってしかできなかった。たしかに、実態としてそうだったのだろう。戦争に限らず様々なプロジェクトは始めるのは簡単でも終わるのは難しい。戦前の体制では、総理の権限も今よりも弱く、戦争という超巨大なプロジェクトを終える権限はどこにもなかったのだから。ただ、「民を思う天皇の大御心」として、戦争の終結を天皇賛美の物語にしてしまうと、それもちょっと違うのではないか。もちろん天皇個人は戦争の惨禍に心をいためていたかもしれないが。戦争終結の決断の決定的要因となったのはソ連参戦であったように思う。ソ連は米英とは異なり日本のすぐ北にある隣国だ。そのソ連が参戦したということは日本列島にもソ連の戦車が上陸し、日本の全部あるいは一部がソ連の占領下におかれる可能性を意味する。そしてソ連は社会主義体制を標榜し、革命の際には皇帝一家を処刑し、多くの地主や貴族を処罰した国だ。今でこそロシア革命は歴史だが、1945年当時には、それは記憶であって、まだ歴史にはなっていなかった。ソ連参戦により首に縄がかかったかのような恐怖に怯えた支配層が急きょ終戦に動いたというのが実相だろう。*中国天津の事故は本当に単なる事故なのだろうか。あれほどの大規模な爆発をひきおこし化学物質というものがあるのだろうか。**国立新競技場の2000億円以上の建設費が高すぎるという記憶も新しいのに、政府が、「中国に対抗して」アフリカに1兆円の援助を検討だって…呆然、涙目http://news.infoseek.co.jp/article/20kyodo2015082001001700/
2015年08月21日
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東京オリンピックのエンブレムについては、この作品だけではなく、同じデザインナーの他の作品についても盗作疑惑が次々に提起されている。もしこうしたものが本当に盗作ということになれば昨年世の中を騒がした偽ベートーベンよりもよほど罪が重い。ただ、盗作以前に不思議でならない。なぜこのデザインのこの作品が選ばれたのだろう。喪章のような真っ黒な長方形がデンとまん中にあるデザインは美しくもないし、正直、この程度ならプロでなくとも作れそうに思う。作者もその世界では有名な人なのかもしれないが、一般的な知名度があるとも思えないし、傑出した才能ならサラリーマン生活などやっていない。あの気持ちの悪い新国立競技場のデザインもそうだが、このエンブレムの方もなぜこうしたものが選ばれたのか、きちんと検証する必要がある。*高槻の少女殺人事件は被害者の身元が判明して急展開を迎えている。もちろん死者に鞭うつようなことをいう必要はないのだが、被害者について「普通の少女」という報道がされていることが気になる。川崎で起きた中学生殺人事件もそうなのだが、中学生が夜遅く一人で外出するのはどうみても「普通のこと」ではないだろう。深夜外出や外泊を普通のことであるかのように報道することで、かえって本当に普通の中学生が誤った認識をもたないのか…そのあたりが心配である。
2015年08月19日
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安倍総理は談話発表後の記者会見で、「どのような行為が侵略にあたるかどうかは、歴史家の議論にゆだねる」と言ったという。歴史家の議論にゆだねる…ということは、政治家は判断できないということをいっているわけで、そうだとしたら政治家が侵略を謝罪するということはありえないこととなる。まさに謝罪をした後で、あれは謝罪であるわけがないのだよといったに等しい発言である。談話自体は総理周辺の頭のよい人々がせっせとそれらしい文章にしたものの、ご本人の記者会見で地金がでたということだろう。この発言、もっと報じるべきである。http://wajin.air-nifty.com/jcp/2015/08/post-cfaf.html*GDPはいよいよマイナスで、国民の実質所得も減っている。さすがに景気回復という大本営発表も無理になってきたのではないか。*それはさておき、最近の事件で気になるのは高槻市の少女殺人事件。もちろん違っていればよいのだが、なにか非常にいやな事件なのではないか。殺害方法からして、さすがに虐待のはての親族による事件にはみえない。それどころか大勢の人間による快楽殺人のような匂いを感じる。いまだに身元がわからないのは、非常に長期間監禁されていたという可能性もある。
2015年08月17日
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安倍総理の戦後70年談話がでた。日本語をみるかぎりはよみやすい文章だし、分量も長すぎない。ただ内容についてはいくつか疑問を感じる。せまりくる西欧の植民地支配の脅威の中で日本は国力をととのえ、日露戦争くらいまではまっとうな国だったが、いつしか国策を誤り…というくだりは「司馬遼太郎史観」であるが、本当にこう言えるのだろうか。台湾出兵は明治7年、江戸華島事件は明治9年であり、対外侵略の芽は明治期からあり、昭和前期に急にでてきたものではない。日露戦争は「アジア諸国に希望を与え」というが、あの戦争の本質は朝鮮半島の支配権をめぐる日露間の勢力争いであった。もちろん半島がロシア支配下になれば日本も危ないとみえば、防衛戦争という面もなくはないのだが。あの談話をつらぬく史観と最近の明治期の産業遺産を世界遺産にするという動きとは連動している。でも、後の侵略戦争の芽はその明治期にすでにあったわけだし、台湾、朝鮮の領有も明治期に始まっている。また、戦争を背景とした多くの女性の悲劇についてもふれているが、これも漠然としている。こういう表現だとソ連侵攻時の日本人女性の悲劇も含まれるようによめる。こうした抽象的な一般論をあえて入れる必要があったのだろうか。謝罪という表現はたしかにあるが、何を謝罪するのか、誰に対して謝罪するのかが非常にみえにくい表現であり、こうしたものなら、あえて出さなかった方がよかったのではないかと思う。最後に謝罪は我が世代で終わりにするという趣旨のこともあったが、これも「いつ終わりにするか」を決めるのは謝罪される側であり、謝罪する側ではない。謝罪する側は、謝罪するか、無視するかの選択しかなく、宥恕という選択は謝罪される側のものであろう。
2015年08月16日
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鳩山総理が韓国で謝罪のパフォーマンスを行なったという。ユダヤ人犠牲者の碑の前で同様の行動をとったドイツ首相はいまだに称賛されているので、同様のものをねらったのかもしれない。ただ、戦前の体制の下で弾圧されたのは半島の独立運動家だけではない。日本にだって特高の犠牲者がいる。そっちの方にも謝罪する必要はあるのではないか。*特高や治安維持法の犠牲者だけではない。従軍慰安婦だって日本人女性がいたし、戦後は、進駐軍相手の慰安所なる同様の施設だってあった。そうした日本人慰安婦についてはなぜ問題にしないのだろうか。彼女らの人権は半島出身の慰安婦と違い十分に守られていたからだろうか、それとも声もたてられないほどに蹂躙されていたからだろうか。**国立競技場に続き、エンブレムの盗作騒ぎで、オリンピックにもつぎつぎとけちがついている。建設費用とか盗作の問題をぬきにしても、新競技場のデザインは「牡蠣をとかした」みたいで気持ち悪いし、エンブレムも喪章のような黒い長方形がデンとあって気分がよくない。新競技場もそうだけど、エンブレムの方はいったいなぜあのデザイナーが選ばれたのだろうか。いろいろなことがネットでは言われているようなのだが、オリンピックの祝祭気分も急速にさめつつあるように思う。http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-12061609375.html
2015年08月14日
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終戦後、日本がまだGHQの間接統治下にあったとき、おびただしい数のGHQ指令なるものがでているが、こうしたものの中にはちょっと驚くものもあったりする。「琉球人」の扱いもその一つだろう。占領当初、GHQは日本人と琉球人は別の民族としてとらえ、琉球人も台湾人や朝鮮人と同様に、日本から本国に送還し、そして同じく占領下にあった沖縄からも「日本人」すなわち本土人を本土に送還しようとしたという。この指令がどこまで厳密に実行されたかはわからないが、たしかに本土には沖縄から渡ってきて三代以上住んでいるという人は少ないようだし、沖縄に住む本土人にも同様のことがいえる。米軍がかってに沖縄を異民族にしたとも考えにくく、当時の本土人にも沖縄人を異民族と考える人がけっこういたのではないか。そしてもう一つ。米国は沖縄占領当時、最初は国連の信託統治領にすることを考えていたという。これはよくしられているのかもしれないが、終戦直前には、米国とともに、中国も沖縄の統治に参加するという話があったという。もし、その後の国共内戦で中国が混乱状態にならなければ、沖縄の中国編入という可能性もあったのかもしれない。70年という本当に近い時代でも忘れられている歴史というものがずいぶんあるものである。
2015年08月12日
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司馬遼太郎の「峠」を読み終わった。昔、朝日新聞に連載されていたのをときどき読んでいたのでいつかとおして読みたいと思っていたものだ。幕末の戊辰戦争の時代、越後長岡藩の家老である河合継之助を主人公にした歴史小説である。フィクションに比べると歴史小説は易しいと思う。虚構という了解のもとになりたつ小説では、読者が感情移入するためには魅力的な人物を造形しなければならないし、筋書きも起承転結があり、その結末は読者が納得するものでなければならない。ところが歴史小説では事実こういうことがあったということで十分である。ただし、その事実で読者を引き付けるには、膨大な情報収集がなければならない。事実、この「峠」でも、文献情報だけではなく、生前の継之助を知る人も懐古談にもふれていて興味深い。*作者は継之助を通じて武士の人間像を描きたかったようであるが、正直、継之助という主人公にはさほど共感しなかった。ただ、倒幕から新政府樹立へと向かう時代の激流とその中で翻弄されていく群像ドラマという意味では面白い。長岡藩が朝敵となったのは、河合継之助の選択というよりも、時代の勢いのようなものがあったのではないか。勤皇だの佐幕だのといっても背景に思想的対立があったわけでもない。朝敵とされた藩が反天皇かというと全くそんなことはない。明治維新という大転換のためには「朝敵」といういけにえが必要だったというだけのことで、それをひきうけさせられたのが、東北であり、越後であったというだけのことだろう。徳川将軍家はうまくかわした。もし、かわさなかったら、はるかに多くの流血と混乱があったであろうけど。*ただ思う。明治時代の政治家で河野広仲という人物がいた。彼はもともと奥州三春藩という小藩の武士だったが、時流をみて藩主に勤皇方につくことを説き、成功している。多くの藩がそういう機敏な処し方をしている。それに比べると長岡藩は最初は会津につくわけでもなく、土佐藩士岩村精三郎との会談が決裂した後、ようやく会津と同盟を結ぶ。会談決裂は岩村の若さゆえの未熟と言うよりも、官軍が朝敵を必要としていたからだろう。会談の時期は遅すぎたのだ。長岡藩にとっても河合継之助にとっても、もっと別の途はなかったのだろうか。主人公にいまいち感情移入できなかった理由はこのあたりにある。
2015年08月10日
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昔「光る風」という漫画があった。ポリティカルフィクション(空想政治物語?)と銘うっていたかと記憶するのだが、軍隊を持つ圧政国家となった日本とそれに抵抗する主人公という設定が珍しかった。いつのまにかこの漫画は連載うちきりになり、作者はギャグに転向してブレイクした。山上たつひこである。あの頃、「光る風」の設定は近未来SFとしても非現実に思えたのだが、今はどうだろうか。某国と軍事同盟を結んだ日本が若者を戦場に送りだす。それに抵抗する人びとは次々に弾圧され、人々は諦観のうちにすごすようになる。当時は単なる空想的な設定の話として読んでいたが、今読むとずっとリアリティがあるような気がする。*そんな時代になったら、戦場に行きたくない、死ぬのはいやだという人間のぎりぎりの要求でさえも、「利己的」とか「非国民」とかといわれ糾弾されるのではないか。戦争には様々な悲劇があるが、国家によって強制された死があったこともその一つだろう。子犬を抱いた特攻隊員の有名な写真がある。童顔の若い隊員なのだが、諦観と悲しみをたたえた瞳が印象的である。自分はまもなく死ぬことになるが、抱いている子犬はこれからも無心に生き続ける。目の前の死の不条理さが余計に伝わってくる。ふと大津皇子の有名な辞世を思いだした。ももつたう いわれの池に鳴く鴨を 今日のみみてや 雲隠れなむ
2015年08月09日
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今日は立秋。秋の訪れをうたった歌にはこんなのがある。昨日こそ 早苗とりしか いつの間に 稲葉そよぎて 秋風の吹く古今集にあるよみ人しらずの歌で、よく係り結びの例にでるのでたいていの人は知っている。早苗をとったというのは実体験であろうし、よみ人しらずということから、おそらく作者は無名の庶民で、もしかしたら民謡のように人口に膾炙していた歌なのかもしれない。文化の担い手は貴人だけではなく、庶民も大きな役割を果たしてきた。*国立競技場についてはようやく何も新しいのをつくらなくてもよいではないか…という議論がでてきたようだ。じゃあなんで前のを壊したんだということはいってもせんないことなのだが、駒沢にも競技場はあるし、千葉や埼玉にもある。特に横浜では世界陸上大会を開催した立派な競技場がある。オリンピックだからってなんでもかんでも新しいものをつくらなくてもよいのではないか。中心国がオリンピックを開催をばねに先進国に飛躍するというのとはわけがちがう。おもいきって金をかけないオリンピックの先例を作ったらよいではないか。そしてまた、開会式のながながとしたパフォーマンスもやめたらよい。その国の歴史をショー的に演出する趣向がはじまったのはいつからなのだろうか。アトランタ五輪の開会式では黒人たちは笑顔で米国にやってきたことになっていたし、シドニー五輪ではかの国の歴史のはじまりである流刑船がすっぽりとぬけていた。ショーとしてならよいけど歴史の紹介と思ってみると、ちょっと恥ずかしい。
2015年08月08日
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最近、二人の自民党議員のブログが話題になっている。本物は削除されたようであるが、今でも下記のサイトでみることができる。http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-6558.html一つは強制わいせつであり、もう一つは監禁暴行でれっきとした犯罪行為だ。もっともこうした行為も中学生あたりが学校を舞台にしてやると「いじめ」という別の名でよばれるし、こうした過去の行為をブログに書いた先生も別に犯罪を告白したという認識はたぶんなかったのだろう…と思う。まあ、この手の話も、日ごろ権力をかさに横暴な態度のやつをこらしめたという類ならまだよいのだが、この議員先生の話は二つとも非常に気分が悪い。なんで気分が悪いのかというと、方や小柄で非力な級友を狙った強制わいせつ、方や若い代用教員の女性を狙った監禁暴行で、両方とも単なる「弱い者いじめ」だからである。若気のいたりというのはあるにしても、こうしたことは年齢とともに後悔が増し、苦い想い出になるのが普通ではないか。少なくとも自慢げにブログで吹聴するようなことではない。それとも、自分のように考えるのが少数派で、こうした自民党の先生方の感覚の方が今では普通なのかしら。別に政治家が聖人や人格者である必要はないのだが、こうした人物が政治家となるとちょっと考えさせられる。もっとも政治家は自然に政治家になるのではなく、投票する選挙民がいるから政治家になる。そうした意味で、政治家の質は選挙民の質でもあり、政治家のレベルは国民のレベルでもあるといえるのだろう。それにしても、こうした先生方を要する政党が道徳の教科化とか公共の授業とか…本当によくいうよw。
2015年08月07日
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楽天ニュースで新幹線放火自殺で遺族にのしかかる巨額賠償という記事が何日か前にでていた。たしかに賠償責任を計算すれば何億にもなるのだろうけど、払ってもらえない債権などは絵に描いた餅というものだろう。この間の放火自殺事件では遠く離れた故郷に兄弟がいたようだが、相続放棄をすればよいだけのこと。放火自殺事件の死亡者の兄弟が重い負債に苦しむかのような報道は正確を欠く。もちろん相続放棄の場合にはプラスの財産も放棄しなければならないのだが、新幹線放火自殺は生活苦による自殺の典型例で、プラスの財産はもちろんない。*昔の映画などでは差し押さえで家具などに赤札を貼る場面がでてくることがある。今はよほどの資産家ででもなければ家には換金可能なものなどそうそうない。普通の家具や家電なら。貼られるとしたら差し押さえの赤札ではなく、粗大ごみの札くらいだろう。結局、金になる不動産や自動車、それに預金がなければ差し押さえはできない。預金はどこの銀行にいくらあるかを把握しなければならないし、先に引き出されたら無理である。不動産にしても、ちょっと田舎にいくと資産価値がいくらにもならないものもあるし、財産価値のない自動車も珍しくない。要するに、もともと相手の財産や信用をあてにする契約上の債権と違い、損害賠償債権なんてものは、たとえ裁判にうったえたところでとれない場合が多いということだ。*親族も含めさまざまな人との絆があり、しかも、自分にもいくばくかの財産のあるような人は自殺などしない。遺された親族に損害賠償の負担がいくから自殺は思いとどまれ…という主張には残念だが説得力はない。ただし、例外がないわけではない。それは賃貸住宅で自殺する場合だ。この場合は部屋そのものがいわゆる事故物件となるので、家主から巨額の賠償を請求されることがある。相続人としての負担なら相続放棄をすればよいのだが、賃貸で部屋を借りる時には親などの親族を保証人とすることが多いだろう。その保証人である親族に逃れようのない巨額の請求が行くわけである。こういう場合、巨額の賠償には応じきれないので、保証人である親族がそのまま自殺のあった部屋を借り続けるという例もあるという。誰も住んでいないのに、誰かが借りてふさがっているという部屋の中には、そういうものもあるのかもしれない。
2015年08月05日
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デモに参加する学生に対して「就職できなくなる」という脅しがあるらしい。ことの真偽はわからないし、こういう脅しは今に始まった事ではない。ただ戦争法案とは別に、「就職できなくなる」…つまりまともな労働環境で普通に働くことをますます困難にする法制も着々も準備されているし、こちらの方にももっと関心を向けてもよいのではないか。いうまでもなく残業代タダ法案や首切り自由化法案である。*改憲をしなければ徴兵制は不可能であるという話があるという。これも真偽はわからない。そもそも法解釈は自然科学ではない。非常に極論をいってしまえば、権力者が馬を鹿だと言えば、鹿という名の馬ができるだけのこと。円周が直径のおよそ三倍になるとか1たす1が2になるとか…そういう世界ではないのだ。裁判員制度というものがある。無作為に選んだ市民に死刑判決に関与させたり、死体写真をみせたり。殺人被害者の断末魔の声のテープをきかせたりする。精神科の治療を受けることとなった人もいるというが、こうしたものは当人も報道されるのを望まないので実際にはけっこう例があるのではないか。裁判員を拒むと罰則があり、こういうのはどうみても憲法で禁止する「苦役」ではないのか。ただ今のところ裁判員制度が憲法違反という議論はそんなに強くなっていないし、たとえ司法の場で合憲性が争われることとなっても、裁判所は、なんとかかんとか理屈をつけて「合憲判決」を出すのではないか。裁判員が合憲なら、徴兵制も合憲とされても不思議がない。
2015年08月03日
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ドラマの新番組が軒並み不調で今後さらにバラエティ番組が増えるという。これで視聴者のテレビ離れはさらにすすむことだろう。韓国ドラマをDVDで見るくらいで、実は日本のドラマはほとんどみていない。だからどうとかこうとかいえるわけではないのだが、日本のドラマはつまらないのではないかと思う。以下そのつまらないと思う理由について書いてみる。*まず俳優の演技よりもスターとしての人気によりかかったドラマが多い。俳優(女優)とスターは違う概念なのだが、主演級の俳優とスターはほぼ同じものと認識されている。演技というのも本来は歌唱や演奏のような「芸術」なのだが、どうも芸術とは認識されていない。スターがでれば、それで映画やドラマに客が入ると思っている人が多い。本当に不思議なのだが、何十年も「大女優」とよばれているスターがいる。演技力皆無で女優という範疇にも入らないくらいなのだが、衰えない美貌と知的で優等生的なイメージでまぎれもないスターであることには間違いない。ドラマはともかく彼女の主演する映画ははやらないというがそりゃそうだろう。生活に苦闘する女性を演じても、逆境を乗り越えていく女性を演じても、常に彼女は美しく清らかである。まあ、こういうのは映画というよりも、一種のコスプレに近いもので、ファン以外にはあまり見る価値がない。映画の世界、物語の世界につかり、虚構ではあるがその中に真の人間ドラマや感動を求めるのであれば、俳優にもそれなりの演技力が必要である。そしてスターとしての人気によりかかると脚本もどうしても限定される。二枚目スターはあくまでもかっこよい役どころで、お笑い系はコミカル、悪役はそれらしくということになると、ストーリーも意外性がなくワンパターンになりがちである。水戸黄門や寅さんのような偉大なワンパターンをめざすというのであればそれもよいのだが。*NHKの朝ドラも不調だという。主人公がさしたる努力もせずに弁護士になったり、本をだしたり、和菓子コンクールに出品したり、はては宇宙飛行士になったり…というおとぎ話に先祖がえりすれば視聴者がそっぽ向くのも当たり前だろう。そうかといって、戦前の女性の一代記もののように、「素人のよい娘さん」が懐かしい時代の女性を演じ、それをおばあさんが見ているという時代でもない。
2015年08月01日
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