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この本は高校生の頃、読み始めたものの4分の1くらいで挫折した経験がある。主人公のジャンがとてつもなく傲慢で自分勝手で、要するに嫌な奴でどうしても共感できなかったことと、全編にあふれる教訓めいた調子に嫌気がさしたのだった。はるかに時を経てよみかえしてみても、やっぱりジャンはいやな奴である。かつてほど教訓的という印象はうけなかったが、そのかわり、ストーリーの途中の踊り場のような部分で、芸術論などが語られているところがあり、これは翻訳調のせいもあって読みづらいことこのうえない。思い返してみるに、かつてなげだした原因は、この翻訳調の評論部分で挫折したというのが実態なのかもしれない。若きジャンは音楽に志をたて、生まれ故郷のドイツの街からフランスに出奔し、一時スイスに住み、イタリアにも滞在する。波乱にとんだ彼の人生をたどるうちに、しだいに彼に共感するようになってくる。若い頃の傲慢や身勝手が影をひそめ、老年のジャンは非常に円熟した人格として、彼岸に向かう。ただそれに至るまでの行動が激しく、特に、さしたる思想もなしに、暴動に参加して警察官を殺害したり(これについての反省は最後までないのだ)、スイスで恩人を裏切ったりするのは、普通に考えればどうかなと思う。ただこの小説世界では、それも彼の生命力の表れということになっているのだが。この物語の登場人物は数多いが、そのほとんどは、彼の人生を縦糸として、それに接しては去っていく人々である。その中で、最も重要な人物は彼の終生の友となるフランスの詩人である。極東の人間にはわかりにくいが、この物語の書かれた時代にはフランスとドイツの相互の国民の間には激烈な対立感情があったという。その中で、生粋のドイツ人と生粋のフランス人の友情を通じて、国家や民族を超えた人のつながりを描いたのだろう。全編を通じての生命への賛歌、信仰の喪失と再発見、国家や民族を超えた人間としての連帯。ジャンクリストフのモデルはベートーベンだともいわれるが、なぜか第9を聴きたくなってきた。
2016年09月30日
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アフリカに兆単位の金を撒いてきた総理は、今回のキューバ訪問でも借金の棒引きと医療費支援を約束して戻ってきた。あの閉会式でのマリオのパフォーマンスでも何億もの金がかかっており、わざわざファーストクラスを止めて着物も自前にした都知事の節約もばからしくなるほどだ。こんなふうに湯水のように金がつかわれている一方で福祉の議論となるとすぐに財源が問題となる。このあたりの軽重の判断の基準がどうもよくわからない。※事件というものは伝染するのだろうか。それとも共通の社会状況の中で似たような事件がおきるのだろうか。このあいだの相模原の障碍者施設の事件、そしてその前に起きた老人ホームでの突き落とし事件には同質のものを感じてならない。なにか自分の境遇に絶望した人間が、自分よりも弱いものに矛先を向けるが、標的は弱者ではなく、施設そのもの、そして施設の中で自分よりもはるか上にいた人々である。そしてまた、手近なところにそんな弱者がいなかったら、矛先は別に向かったかもしれない。相模原の事件についてみれば、犯人の若者は子供時代は友人も多くなんの問題もなかったという。大学の途中で、問題行動がでてきたというが、それは夢見ていた教職が無理そうだと分かったからではないのか。犯人は、障碍者福祉施設に就職し、そこも続かず、生活保護を受けていたという。精神科への措置入院については退院を疑問視する意見もあるようだが、見ようによっては、措置入院という措置がなされたとき、犯人は完全に自分の人生が終了したと思ったのではないか。こうした事件を防ぐためには、犯人を糾弾するだけではなく、医療や福祉施設に勤務する職員の待遇についても真剣な議論がなされるべきであろう。
2016年09月29日
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東京五輪は最初はコンパクトな五輪といっていたと思う。それがいつの間にか膨れ上がっているようだ。まず新種目。東京大会かぎりだというが、野球・ソフトボール、空手、スポーツクライミング、スケボー、サーフィンを入れるという。野球やソフトボールなら、日本でこれほど盛んな競技なのだからわからないでもないし、競技場だって新しく作る必要はない。これに対して他の4種目はいったいいつこんなのが決まったのかと不思議に思う。競技が増えればそれにあった施設が必要になる。当然費用もかかる。今でさえ、オリンピックの種目が多すぎるくらいなのに、東京大会でさらに増やす理由ってなんなのだろうか。報道によれば「若者のスポーツ離れが深刻で、若者の関心をひくために若者に人気のあるスポーツを入れた」とある。スポーツ離れが問題かどうかは別にして、もしそうしたスポーツ離れという現象があるのだとしたら、それはブラック企業の問題や低所得の問題として議論するもので、オリンピック競技とかあまり関係ないだろう。ためにする議論としか思えない。それにそもそも、スポーツクライミングなるものの競技人口ってどのくらいいるのだろうか。それも男女それぞれにやるみたいなのだが、女性のスポーツクライミングって世界でどのくらいやっているの?ちなみに女性スキージャンプは500人くらいだそうである。http://number.bunshun.jp/articles/-/824263膨れているのは競技だけではない。水泳競技場やバレー競技場もオリンピックのために新しいものを作るのだという。今でも水泳競技場は国際大会にも使われた立派なものがあるが、観客席が足りないという。それだけのために新しいものを建設する必要があるのだろうか。
2016年09月28日
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近々「三月のライオン」、「聖の青春」といったプロ将棋界をテーマにした映画が公開される。将棋愛好者の数は減っているのだが、頂点の方はあいかわらず活況でプロ棋士をめざす若者の水準も高いし、将棋界に対する関心も高い。それはそれでよいのだが、プロ将棋の世界というのは、人材の浪費のような気がする。例えば他にプロの世界だと、例えば、ボクシングなどは、あの世界にいかなければよからぬ横道に入った人もけっこういるのではないか。それかあらぬか外国の名選手でも矯正施設でボクシングに出会ったという人は多い。他のスポーツや音楽、芸能の分野でも、その方面の異才に才能開花の機会を与えているという意味ではおおいに意味がある。そういう人々はその分野で才能を開花させるのでなければ平凡に生きるしかなかった人々であろう。これに対して将棋はちょっと違う。全員ではないけど、あの世界の人々のかなりの部分は他分野でも十分に貢献する能力が、きっとある。そしてそれは多くの人に利益を与えるものであるのかもしれない。そおんな才能と能力をあたらあんなドーデモよい遊びの世界に使うのはどうか…という気がしてならないのである。例えば江戸時代には和算という芸事があった。これは明治以降、衰退したが、もしあの和算が現代も残っていて、プロ和算なんていう世界があったとしたらどうであろうか。きっとそういうのに対しては多くの人がもったいないと思うに違いない。実は小生は将棋界についても同じようなものを感じている。
2016年09月26日
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有名タレントの娘がAVデビューするというのが話題になっているらしい。借金が原因だというがどうもよくわからない。例えば世の中には借金が返せない場合に破産という制度がある。これはいったん借金を整理して再起をはかる制度もので、自己破産したからといって人生終了となるわけではない。また、収入が少なかったりなかったりして生活できない場合には生活保護という制度もある。もし、じゅうぶんに若い女性が自己破産や生活保護の申請をしようとした場合、「AVなどで借金を返せる余地があるから」とか「AVに出れば生活も可能ではないか」という理由で拒否されるのだろうか。件のタレントの娘の借金の理由についてはいろいろと言われているが、借金の理由など様々である。医療費が高騰すれば、家族の医療のために借金をおう人もいるだろう。また、親族に頼まれて保証人の判を押す人も多いが、このほとんどは連帯保証で自分が借金をおうのとなんら変わらない。そして離婚や離縁などで親族関係を解消しても借金はついてまわる。要するに借金なんて人生の中でいつおうようになるのかわからない。借金が返せないからAV出演は当然のように考える「社会通念」のようなものがあるのだとしたら、普通に生きてきた人がおもわぬ借金をおい、自己破産も生活保護も断られて、生きるためにAV出演なんて事例もあるのかもしれない。昔、ある識者の話で、わいせつ規制の必要性について、イラストのように頭の中だけで考えだされたものと違い、写真やビデオの場合にはモデルとなっている人の人権も保護しなければならないということをきいたことがある。たしかにそうであろう。タレントの娘のAV出演をめぐっては「転落だ」、「転落だ」とマスコミ(週刊誌やスポーツ紙)は騒いでいる。でも、「転落」は他人がおもしろおかしく眺めるものではなく、こうした「転落」の穴のある社会構造自体が問題なのではないか。
2016年09月24日
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今ではどこの職場でもパソコンはすっかり定着している。けれどもそのパソコンを使った仕事では、こんな怖いこともある。しばらくパソコンにふれないとロックされる設定になっているのだが、そのロックされたパソコンを解除しようとしたがどうしてもできない。最初にパスワードを打ち込んでエラーとなる。押し間違いかともう一度打ってもやっぱりエラー。なんどもやっているうちに動かなくなってしまう。自分の作成途中の書類等はすべて自分のパソコンに入っているので、ちょっとしたパニックだ。もしかしてパスワードを勘違いしているのでは。知らないうちにボケがすすんでいるとか。どうしよう…どうしよう。結局はいったん電源を切って、もう一度やり直したら、無事に入ることができたが、なぜそれをはやくやらなかったのか。作業途中の文書が消えてしまうことをおそれたためにである。で、今後の教訓。重要なものは共通のファイルにいれるか、チームで共有する。念には念を入れて、パスワードはどっか、スマホのメモ等他人には見えないところに保管しておく。
2016年09月23日
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週刊誌の広告をみていたら、さる芸能人の作詞についてゴーストを告白した人がいるという。あの佐村河内氏の話題(事件ではない)から気になっていたのだが、ゴーストというのはなにが問題なのだろうか。盗作とは違い、当事者同士が納得したうえでのことなら、問題になりようもない。世間を騙したというのであれば、ゴーストだけではなく、偽外国人の著者なんてのもあるが、これがそんなに糾弾されたという話はきかない。*結局のところ、そうしたものが現実に社会にどの程度許容されているかであろう。書いたものはかなり許容されているが、作曲はそうではない。だから佐村河内氏は批判された…ということなのだろうか。作詞はどちらかといえば「書いたもの」である。書いたもののゴーストなど世間に蔓延している。本屋に行けば芸能人や著名人の著作はいくらでもある。メダルをとったスポーツ選手が大会からいくらもたたないうちに自伝をだしたこともある。全部が全部でないにしても、こうしたもののうちの何割かは別に書いた人がいるということは否定しない。それだけではない。芸能人やスポーツ選手の著作を職業的ゴーストライターが書くという以外にも、ゴーストはさらに多いのではないか。夫が書いて妻の名で出す、親が書いて子の名で出す、あるいはその逆といった家族間、親族間のゴーストである。こんなのは絶対に表にでないし、実際にあったとしても、悪いと思う人は少ないだろう。最近、週刊誌が指摘した芸能人の作詞にはゴーストがいたという話も、多くの人は、それがどうしたと思うだけではないか。もっとも件の芸能人がことさら「作詞家」とか「作詞もできる」で売っていたのならともかくそうしたこともなさそうである。
2016年09月22日
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明治時代の法律家穂積陳重の随筆「法窓夜話」にこんなのがあった…と思う。http://www.aozora.gr.jp/cards/000301/files/1872.html英国に寛大な判決を下すということで有名な裁判官がいた。ある窃盗犯がその裁判官にあたり、さぞかし寛大な判決になるかと期待していたが、判決は思いの外厳しいものだった。実は、判決を書く数日前、その裁判官の家に泥棒が入り、被害者となった裁判官はすっかり考えを変えたのだと言う。自分が当事者にならないとその痛みはわからないというのは人間だから当然なのだが、公平を旨とする法曹がそれでよいのだろうか?ということを書いていたと記憶する。そういえば日本にもこれと似た話がある。死刑制度反対の急先鋒だった弁護士がいた。その方は証券会社の顧問もされていたが、あるとき、証券会社の勧める投資で財産を失った男に妻を殺され、それ以降、考えを180度変えた。彼は弁護士であり、裁判官ではないのだが、大物弁護士として社会的に大きな発言力をもっている方だ。それ以降、彼は被害者の立場からの活動を精力的に行ない、法廷に被害者の遺影の持ち込みを認めさせ、妻を殺した男に対しても極刑を主張してやまなかった。妻が生きている間は死刑廃止論を唱えていた人権派弁護士がである。まあ、それはそれでよい。ただちょっと変だと思ったのはマスコミが一斉にこの弁護士夫人刺殺を「逆恨み」と報じたことだ。殺人はもちろんよくないが、犯人は証券会社の勧める投資話で一生かかって営々とためた金を失い、その怒りが証券会社の顧問弁護士に向かい、そして弁護士の家を訪問したとき、居合わせた夫人を刺殺した。これって逆恨みではなく、普通の恨みではないか。同じ頃、婦女暴行で服役した男が出所後告訴した被害者を殺害したなんていう事件もあって、こっちの方は典型的な逆恨みなのだろうけど。もっと変なのは、この弁護士夫人刺殺事件では検察側は死刑を求刑して、判決は無期だったという。犯罪を告訴した被害者を逆恨みで出所後に殺したなんてのが死刑というのはわかるけど、こちらの方は死刑を求刑するような事件なのだろうか。殺人はもちろん悪いが、刑には相場がある。強盗殺人でも身代金目的誘拐殺人でもない被害者一人の事件である。そして、全財産を証券会社の勧めで失った男の怒りが、証券会社の顧問弁護士に向かうのはわからんでもないし、犯人の男にも不運なせっぱつまった状況があった。なんか言っちゃなんだが、法曹界の身内意識のようなものが求刑に反映されたとしか思えない。と思っていたが、今週号の週刊誌の巻末コラムでも同じようなことが書いてあった。やっぱりね、同じように思っていた人はいるんだ。世の中は、法も含めて、不公平なものである。
2016年09月20日
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豊洲の新市場への移転があらためて問題となっている。移転先は東京ガスがあったところで、その土壌内に有害物質があったということで安全性が懸念されているという。この豊洲新市場については、ネットなどでは前々からいろいろな懸念が指摘されていた。しかし、それが問題として表にでたのは新都知事が就任した最近になってからのことだ。表立って問題にしにくいなんらかの力がはたらいていたのだろうか。高層ビルから築地市場をみおろすと豊洲市場に続く橋も完成し、これまでにも膨大な公費が投入されてきたことがわかる。豊洲市場への移転の是非についてはよくわからない。ただ素人考えでは、魚市場という多くの人の食にかかわる場所について、そもそも安全性に議論があるところになぜ移転を行なうのかという疑問がぬぐえない。現在の築地市場の施設老朽化が問題というのであれば、必要な修理をすればよく、なぜ移転するのか…と誰でも思うのではないか。微量の有害物質が含まれていますけど、健康には心配ありません、安心して食べてください…といわれても普通は食べる気がしない。築地市場直送の魚ですといわれれば喜んで食べても、豊洲市場直送の魚ですといわれて、喜んで食べる気になるのだろうか。*公共事業などでは、よくいままでに投入した金や労力が無駄になるという議論がよく行なわれる。公共事業でなくとも、あのサリン事件の際、破防法適用の議論が巻き起こったとき、ときの総理は今まで破防法に反対しつづけてきたことが無駄になるといって、何カ月も適用に反対し続けた。この「いままでに投入した金や労力が無駄になる」という議論は、よく考えるとまるで説得力がない。なぜならいままで投入した金や労力はすでに過去の話でこれはどうにもとりかえせないものだから。重要なのは、これからの選択として、どっちがより利益となるかであろう。ここで「いままでの金や労力」に拘泥した選択をすれば、いままでの金や労力をとりかえすどころか、より傷を深める選択をしかねない。いや、人間の選択にはそうやって間違えることが往々にしてある。不実な恋人に尽くし続ける女性、何度受験しても合格しない試験に拘泥する受験生。身の回りにもこうした人はいるのではないか。豊洲への移転を決めるにしても、その逆に移転を白紙に戻すにしても、どちらにしてもその検討については「今までの工費や労力が無駄になる」という根拠は排除するのが賢明であろう。
2016年09月19日
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民進党の新党首はレンホー氏が決まった。スタイルのよいクラリオンガールから出発して最大野党の党首として総理大臣も狙える地位についたのだから世の中本当にわからない。それにしても、彼女がそもそも政治的な信条としてどういう国家や社会をめざしているのか、どうもそのあたりがみえてこないような気がする。いっちゃなんだけど、かっこよい女性候補で頭もきれそうで、浮動票をかっさらっていくから党首になれたというのはいいすぎだろうか。政治的な信条がわかりにくいというのは、レンホー氏に限った事ではなく、民進党という政党がそもそもそんな政党であるような気がする。ただ選挙に当選したい、できれば政権にありつきたいで集まっているだけの烏合の衆。そういえば元総理の野田氏もレンホーの下で要職につけるという。でも野田氏は風貌といい、なんといい自民党そっくり。そういえば消費税の税率アップを決めたのも彼のときだった。民主党といったって、自民党と変わらないではないか…そういった失望は大きく、それが民進党と名を変え、イメージチェンジをはかってもさっぱり党勢が上向かない理由だろう。レンホー氏の清新なイメージ、「何かやってくれそうな」雰囲気だけでは、とてもじゃないが風は期待できない。
2016年09月16日
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ヒガンバナの花をみると、今年ももうこんな季節になったのかと思う。年齢とともに、月日のたつのが早くなっていくような気がしてちょっとおそろしい。リオ五輪も終わり、今ではパラリンピックが行なわれているが報道は格段に少ない。そして五輪のときもかなり日本選手に重点をおいた報道ぶりだったが、パラリンピックにいたっては日本選手以外の選手が紹介されることはまずない。けれども義足や義手の各国の選手達を見ながら思う。あの中には相当数、戦場で手足を失った人がいるのではないか。そしてそうした選手達のことが報道されれば、戦争というものは生命の危険だけではなく、重度の障害をおう場合もあるということが実感できるのではないか。そういえば、昔の歌で戦場に手足を置いてきたなんてのがあったように思う。小学生や中学生の頃はよく白衣の傷痍軍人をみかけた。特に印象に残っているのは新宿西口の百貨店前の雑踏にいた二人の傷痍軍人だった。一人は義足でアコーディオンを弾き、そしてもう一人は片手片足が義手義足でうずくまっていた。なにか、見てはいけないものを見たような気がして足早に通り過ぎたのを覚えている。
2016年09月15日
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この映画は続編はできないと思っていたが、まさかの続編…そしてそれがすごく面白い。安っぽいタイトルなのだが、時代劇としてのつくりは本格的で、城の中などたしかに当時はこんなだったかもと思わせる。もっとも、いわゆる結婚式に神主さんがくるのは明治以降ではないかとか、したにい~したに~という大名行列は御三家だけなのではないかとか、つっこみどころはいろいろある。まあ、でも、歴史を忠実になぞったドラマではなく、虚構の時代劇エンターテインメントなのだからいいだろう。笑うところはたくさんあるのだが、 (少しネタばれ)手配書の似顔絵に猿までのっていたのが、すごいツボだった。ちょうどペットボトルの茶を飲んでいたのに、そんな場面がでたので、思わず笑ってむせて、あれがとまらなかったら、途中で出るはめになっていたかもしれない。殿さまはじめ藩の人物がみな強みもあれば弱点もある人物ばかりで、そこがまたよい。側室もいまいち活躍部分が少なかったし、殿の妹と祐筆との恋のゆくえも気になる。おまけに大岡越前のようなおなじみの大物もでてきたし、悪役も遠島になっただけで別に死んでいない。これはもしかして三作目もできて、ゆくゆくはシリーズ化されるかもしれない。毎回あの悪役が藩をつぶそうとして最後は撃退されるというワンパターンなのだが、人気時代劇はワンパターンで、それもよいのかもしれない。
2016年09月13日
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人気グッズの「コップのフチ子」がOL人形に改名するという。え…なんで?というのが大方の意見であろう。http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=45126&pg=20160910だいたいあれは「コップのフチ子」という名称だったから人気を博したのであって、OL人形だったら人気はさほどでなかったのではないか。だって、もし同様に女子高生人形、女子大生人形なんてものがあったとしたら、そういうものを買うのはその趣味の人しかいないだろう。それにしても、今どきOLというのはいるのだろうか。女子社員もかつてのように制服を着た花嫁予備軍というのは少なくなって、長期間戦力として仕事をしている人と非正規職あるいは契約社員に二分されているように思う。お昼休みに会社の制服を着て、群れているOLって本当に見なくなったような気がするのだが…。ひょっとしてOLという語も半分死語になりかけていてフチ子さんをOL人形に改名したのは、なんらかのレトロな効果を狙ったのかもしれない。いや、それとも、冨智子さんといった名前の女性から猛抗議がきたとか…。
2016年09月11日
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●●致傷で逮捕されていたが、有名女優の息子が被害者と示談が成立し、起訴猶予になったという。致傷がつけば親告罪ではないはずだし、今の時点での起訴猶予というのは嫌な感じだ。被害者の側からすれば、なんらかの示談に応じざるをえない状況があったのではないか。脅し…とはいわないけど、加害者側からの接触の中に被害者が恐怖を感じることがあった可能性がある。ああいう犯罪では、被害そのものだけでなく、被害が知られることによる被害が大きい。被害者の女性にしてみれば、今までどおり職を続けていられるのか、今の時代に再就職先がみつかるのか、という不安もさることながら、社会的に注目される事件の被害であれば、その「被害者」という肩書だけでも辛く、そしてそれは生涯つきまとう。ネットでそれらしい写真や名前がでまわっているという情報も、たとえそれが事実ではないとしても、被害者にとっては十分に脅威になっただろう。この種の犯罪には微妙なケースもあって男女関係のもつれか犯罪かわかりにくいものもないではない。しかし、少なくともこのケースがそうだとは思えない。加害者と被害者との間には事前の面識や接点はいっさいなく、金を払った顧客と従業員という力関係の差だけがあった。世の中にはこうしたサービス業に従事している女性は多い。事件は、こうした産業に従事して真面目に生きている女性全体の安全にかかわる問題でもある。普通の人々にとって、社会がより安全なものであるためにも、こういう事件には厳正に対処すべきだと思うし、それこそ「女性が輝くために」必要なことであろう。以前、成人した子供の犯罪に親の責任を問うのはおかしいと書いたことがある。けれども、今回の示談、起訴猶予には、母親が無関係であったとは思えない。よくは知らないけど、この顛末は、母親の「人気」にも関係してくるように思う。その昔…話は逆であるが、親族(姉)を獄中に送った芸能人がいた。付き人をしていた姉が財産を横領したわけではあるが、金持ちの芸能人でありながら、財産被害で実姉を宥恕しなかった冷酷さに、子供心にも、すごく違和感をもったのを覚えている。少し前に、テレビドラマで「明るいいい人」を演じているのをみていただけになおさらそう思ったのかもしれない。その後、その芸能人は人気が急落し、孤独のうちに亡くなったという。人気急落の原因は、マスコミはあまりかかないようだが、姉を獄中に送ったことにあったように思えてならない。で…今回は、あれとは反対に息子を獄中から救い出した事案だけど、やっぱり、人気急落となるように思う。
2016年09月10日
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徒然草に「物言わぬは腹ふくるるわざなり」なんて言葉があった。思っていることを言えないのは、たしかにいやな気分だ。それがあまり大きな声で言えないことなら、地面に穴でもほってそこに向かって言うか、でなければこんな日記にでも書くしかない。安倍マリオについては、国内、海外ともおおむね報道は好意的なようだ。海外についてはそりゃそうだろう…だって面白いもの。国内についても絶賛が目立ち、批判すると「それでも日本人か」とか「オリンピックムードに水をさすのか」と罵倒されかねない雰囲気も感じる。でも、やっぱり言おう。安倍マリオはどっか変じゃないか。一国の首相がやることか云々という議論はさておくとして、変だと思う点は次の点だ。まずマリオは特定のゲームメーカーのキャラである。これだけの費用をかけ、これだけの大舞台で、総理が国内の一企業の大宣伝を行なうのはどうなのだろうか。それともあのゲームメーカーが費用のいくばくかを負担したのかだろうか。もう一つは、日本の誇る文化としては、アニメやゲームしかないのだろうか。キャプテン翼が海外で受け入れられていると言ってもどの程度なのだろうか。ロンドン五輪の開会式にはシャーロックホームズ、メリーポピンズ、007など英国の大衆文化が生んだヒーロー達が次々と登場したが、そうしたものにくらべると、いくら日本のアニメがうけているといっても、範囲が限定的で子供文化にとどまっているように思う。なにも日本人自らが「精神年齢12歳以下」の文化ばかりを前面にだす必要はない。まあ、こうした疑問はあるのだが、一方でこうも思う。それでは日本の誇る文化とはなんなのだろうか。歌舞伎はともかく謡曲となるとほとんどの日本人には縁遠い。雅楽、邦楽もそうだし、和太鼓がうけるとも思えない。そうなると、国粋主義的なものをやるよりも、アニメなどのサブカルを前面にだした方がよいのかもしれない。開会式のアトラクションはアニメヒーローのオンパレードで、入場行進はアニソンにのって、コスプレをした旗手を先頭にやるなんてのはどうなのだろうか。
2016年09月08日
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子供の頃、漫画などでほぼ定番となっていた人類破滅の物語として米ソ最終戦争というものがあった。たぶん手塚治虫の「来るべき世界」あたりが最初かもしれないが、さらにもっと前にもあるのかもしれない。アメリカとソ連はともに人類を何度も絶滅させるだけの兵器をもち、しかも睨み合っている。こんな核の均衡がいつまで続くのだろうか。その後、冷戦体制は崩壊し、米ソ核戦争どころかソ連という国家そのものが消滅するなんてあの頃誰が予測しただろうか。ところで、こんな米ソ冷戦が過去の話になったとおもいきや、最近では米中戦争の可能性をいう人もいるらしい。http://japan-indepth.jp/?p=29828たしかに両雄並び立たずという言葉もあるし、中国が超大国として浮上してくれば米国と対立ということもありそうにも見えるのだが、ただ冷戦時代をリアルに記憶している私としては、考えれば考えるほど米ソと米中は違うようにみえる。まず、米ソは資本主義対社会主義というイデオロギーの対立でもあった。けれども、今の中国は一応、共産党という名称の党が政権を担っているが、イデオロギーとしての共産主義とは無縁である。次に移民国家米国には中国系の移民が押し寄せており、その数は次第に増えている。米国だけではない。アジアにおける米国の副官的地位を占めているオーストラリアにも中国人が大勢いて、10年ほど前、メルボルンに行ったときには、街全体がチャイナタウンのようになっていておどろいたことがある。今ではさらにチャイナタウン化は進行しているだろう。これは米ソ冷戦期に米国に移住したソ連人は体制に嫌気のさした亡命者くらいであったのと対照的だ。また、米中の間には、情報の交流があることも、かつての米ソと違う。最近のハリウッド映画は中国を巨大市場と位置付けており、ストーリーも中国人の歓心をかうように工夫がなされている。火星に置き去りにされた宇宙飛行士を中国が救うというのもそうだし、インデペンデンスデイのリメイク編でも人類基地の長官は中国人であり、また、中国を含めた数カ国が人類を代表して異星人への対処を協議する…という内容になっているらしい。米国の大衆に大きな影響を与える映画産業では、観客としての中国人を視野に入れており、そしてこうした、いわば媚中的内容の映画が、アメリカだけでなく、世界中の観客に影響を与える。たしかに冷戦期にも、米英のスパイとソ連のスパイが協力して人類の敵と闘ったり、米国とソ連が協力して地球に衝突する隕石を爆破するという映画があった。でもこうしたものはソ連の観客を意識したものではなかったし、その意味で、今日のハリウッド映画で中国人が活躍するのとはずいぶん違う。米中は米ソと違って対立するよりも、手を結ぶ可能性の方がずっと多いし、中国周辺国の国益にもその方がかなっているように思う。
2016年09月06日
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南房総に行ってきた。雨という予報だったが、そうでもなく、晴天の下で青い海の景色を楽しんだ。ただし、やはり天気は不安定で、空の一角には太陽が照っているのに、突然天気雨がやってきた。そのせいで、空にはくっきりした色合いの大きな虹がかかった。水滴ではなく、天気雨の虹なので、いっこうに消える気配はなく、あの「はかない虹」のイメージとはかなり違う。「わあ、こんなのはじめて」と言いながらしきりとスマホを向けていた人が何人もいた。この超豪華版の虹は、しだいに色が薄れて消えるのではなく、太陽が雲に隠れると同時に一瞬にして消えていった。もう一か所、いったところは道の駅ローズマリー公園。これは市町村合併前、まだ丸山町だった時、シェークスピアのテーマパークとしてかなり力を入れて作ったもので、何棟か英国風の家屋が並ぶ。しかも、劇場まであって、最盛期には、シェークスピアかどうかは知らないが、ここで実際に劇の上演も行なわれたのだろう。残念ながら、今では閉鎖されている。なぜ南房総にシェークスピアと思うのだが、これには理由というかこじつけがある。このあたりはローズマリーの栽培が盛んなのだが、シェークスピアの作品にはよくローズマリーが登場するのだという。ただ、どの作品のどこなのか…それはよくわからないが。ローズマリー公園の正面にはプレハブの物産館があり、これはシェークスピアとは関係ない。というよりも、背後の英国風建物をさえぎるようにでんとたつ物産館は「もうここはシェークスピアとは関係ないんだぞ」といっているようにもみえる。うしろの英国風家屋で唯一閉鎖されていない家屋の二階にはシェークスピアの展示があり、石膏像が劇の名場面をあらわし、録音された台詞が流れている。そして日本で上演されたシェークスピア劇のポスターやシェークスピア当時の英国劇場のジオラマもあるのだが、訪れる人もいないし、いつまでもつのやら。一階では、シェークスピアぽく、英国風?のしゃれた小物やローズマリーの瓶づめを売っていた。この棟も閉鎖されたら、いよいよシェークスピアの痕跡は英国風の家屋と、雑草が茂った元英国風庭園だけになってしまうのだが、せっかく力を入れて作ったのに、それもちょっともったいない感じもする。
2016年09月04日
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最近話題の「後妻業の女」をみた。正直期待していなかったのだが、これが面白い。いっておくが主人公は金持ちの老人を狙って後妻になり財産をまきあげる「後妻業」の女。そして彼女と組む結婚相談所長やその愛人、利益のうわまえを狙うサオ師?などほとんどの登場人物は悪い奴らばかり。けれども、彼らの金をめぐってのバイタリティあふれる行動はどこかおかしく悲しい。後妻業の女は実際には殺人にも手をそめるわけだが、あまり生々しい殺人場面はなく、描かれているのは死期の迫った老人の死を早めるだけなので、あまり悪女という感じがしない。年齢のわりに愛嬌も魅力もあり、話し上手で、こんな女性が実際にいたら寂しい老人などはすぐに騙されるのではないか。結論は…ここでは書かないが、ああいうラストもいいかなと思う。感想は、映画の中の登場人物の一般人代表ともいえる老人の姉娘の言葉につきる。受身でばかり生きてきたのでああいう(後妻のような)生き方がうらやましく思う。お父さんをほったらかしにしていた私たちにも責任があるわけだし、お父さんにとってもあれはあれでよかったのかもしれない。だいたいこんな趣旨だったかと思うのだが、確かに老人に寂しい思いをさせておいて、後妻と相続争いをする実子の側も問題といえば問題だろう。後妻業も長寿社会の中で需要はしっかりとあるわけである。そして枠にとらわれ、平凡にいきるしかない人間にとっては、バイタリティあふれるワルの生き方はどっかうらやましい。なぜピカレスク物語が人気があるかといえば、ワルに感情移入してワルの生き方を疑似体験したいという願いがあるからではないか。そういう意味で、この映画は多彩で魅力的なワルが活躍するピカレスク映画であるともいえる。
2016年09月02日
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個人情報がよく問題になる。ただそうした問題となった個人情報には単なる住所と氏名や年齢であったりと個人にとっては漏えいしてもなんてこともないものがかなりある。年齢などは人によってはいやがることもあるかもしれないけど。個人情報といっても比較的どうでもよいものと、本当に知られたくないものとが、同じ「個人情報」という言葉でくくられているので話が混乱するように思う。従って、個人情報が流出した弊害も、余計なダイレクトメールがくることから、生活破壊まで様々である。それでは本当に知られたくない個人情報とはなんであろうか。犯罪や病気の関係の情報はその最たるものであろう。犯罪の被害者、あるいは加害者、逮捕歴、入院歴、通院歴などがそれにあたる。そしてもう一つ…生活保護の受給もそうした最重要の個人情報ではないか。生活保護申請の際、親族に扶養照会がいくが、それすらそれで申請を躊躇する人が多いという。親族扶養の義務があるかぎり、扶養照会はやむをえないが、いったん生活保護が始まれば保護を受けていることは高度の個人情報のように思う。かつてさるお笑い芸人の母親が生活保護を受けていたことが問題になったことがあるが、これも受給者本人が公言したものでない以上、どうして漏れたか不思議である。なぜあのとき、誰も芸人の母親の人権を問題にしなかったのだろうか。それと同様にある政治家が前夫の実姉の生活保護受給をメディアで語っているが、これも、個人情報という観点から問題ではないか。前夫は公人かもしれないが、その実姉は私人であり、生活保護受給が社会に知られることで、交友関係の支障などの様々な不利益があることは容易に想像できるからである。
2016年09月02日
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