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今年のニュースで気になったものをおもいつくままに書いてみる。まず日本で人口減少傾向が明確になり、出生児数が初めて百万人を割った。背景には未婚化の動きがあるのは明らかであり、結婚して子供を持つということが「あたりまえ」ではなくなりつつある時代の到来であろう。子供を持つことがあたりまえな社会ではなくなってきたから、子供の騒音に対する耐性もなくなってくる。かつては路地で、電車で、その他あらゆる場所で子供の声がきこえるのは普通のことだったが、それが普通でなくなったから保育園の騒音やそれに伴う反対運動が社会問題になる。人口減少社会は同時に高齢者の比率の高い高齢社会でもある。一億総活躍という掛け声がなくとも、働く高齢者は増えている。とくに65歳以上の高齢女性の就業者の増加が著しいという。介護、福祉だけではなく、小売でも、元気であれば女性の方が障壁の低い業種が多いのかもしれない。高齢者が加害者となる交通事故も問題視されているが、生活のために働かざるを得ない高齢者の事故というものもあるのではないか。単に免許返納を促せばよいというものでもない。東京都ではマスゾエ知事が辞任し、小池都知事が誕生した。それに伴いオリンピック費用の問題が噴出してきたのも印象的だ。当初のみつもりよりも、1.5倍とか、せいぜい2倍になるとかならまだわかるけど、10倍以上に膨らむとはどういうことなのだろうか。費用のかからない五輪だというので、都民も賛同したのであって、兆単位の金がかかるとなると、五輪の開催自体を見直すということも選択肢なのではないか。閉会式では安倍マリオは都知事よりも目立っていたし、国には五輪担当大臣までおかれ、実行委員会には財界人や元官僚も名を連ねている。これで国が金を出さないというのも変だし、かといって、東京以外の道府県民にしてみれば開催を決めたのは東京ではないかという意見もあるだろう。それにしても実行委員長には元総理が座っているが、なぜ、この人が実行委員長なのかどうしてもわからない。レガシーだのアスリートファーストだのを金科玉条にして湯水のように税金が使われてはたまらない。事件ではやはり相模原の障害者施設で起きた殺傷事件が印象に残った。犯人は20代の青年で、実際に施設職員として重度障害者の世話を行なってきた人物であった。事件を契機に措置入院制度の見直しなども検討されているというが、犯人にとっては、福祉施設を解雇された後、措置入院の処置をとられたことが、逆に犯行の引き金になったというような気がしてならない。措置入院後の援助、というか監視を強めることが、こうした事件の防止に役立つという気はあまりしない。それよりも、この事件には、老人福祉施設での入所者投げ落とし事件や、真相は不明だが終末期医療現場での点滴殺人と、同質の背景があるのではないか。以上、おもいつくままに書いてみたが、高齢化、格差拡大、マスコミの影響力低下など、今までもあった傾向がより鮮明になった一年であったように思う。来るべき年が希望に満ちた幸多いものであるように、心より願っている。どうかみなさまよいお年を…。
2016年12月31日
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東京オリンピックは、今度は経費負担でもめている。もともとオリンピックは国家ではなく、都市が主宰するものであり、趣旨からすれば都市が経費を負担するものなのだろう。ところが現実には国には五輪担当相がおかれ、オリンピックパラリンピック競技大会組織委員会には元首相や財界人、役人OBなどが名をつらねている。リオ閉会式には安倍マリオが出現し、都知事よりも目立ったくらいだ。レガシーだのなんのと散々経費をふくらませたところが、経費を負担しない、いや、最初から経費の負担が曖昧になっていたあたりにボタンのかけちがいがあるのではないか。新国立競技場に始まり、エンブレム騒動、新施設建設問題に、今回の経費負担のゴタゴタ。これ以上続くと都民の間から「オリンピック、もういいよ~」という声がでてくるのではないか。たしかに競技スポーツそのものの意義は否定しない。おそらく歴史の黎明期から、より速く走ること、より遠くに跳ぶことなどを競うことは行なわれていただろうし、余裕が生じれば、それに人生や価値観をかける人や、それに感動する人も生まれたことだろう。特に、今日のような情報社会ではオリンピックのたびに「感動をありがとう」の大報道がなされ、国によってはそうした競技スポーツを国家意識の醸成につかっているふしもある。マスコミだけを見れば、全国民あげて日本選手の活躍に熱狂しているようにみえるが、ネットではそうでもない意見や感想がいくらでもでてくる。しょせんメダルでいいおもいをするのは選手個人と周辺だけ…というさめた見方である。スポーツは人間の生み出した文化の一分野ではあるが、学術技術の発展のように多くの人に恩恵がいくものではないし、芸術のように後に残るものではない。例えば、陸上に強い某国について、あの国はメダリストを輩出しているから一流国だという人はいないし、陸上で記録をだすことによって人類に貢献しているなんてことをいう人もいない。オリンピックも含めた競技スポーツはしょせんはやりたい人々がやればよいだけのことで、こうしたものに、後世の重圧になるような経費をかけるのはおかしいと思う。あまりにも肥大化しすぎたオリンピックはそろそろ曲がり角にさしかかっているのではないか。
2016年12月29日
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子供の頃、まだ冷蔵庫が家になかったので、生鮮食料はたいてい夕方に買いに行った。その時間は主婦は夕食の支度をしていたので買い物はもっぱら子供の役目だった。その買い物の時間をのがすと大変だ。店は7時半か8時には閉店するのだから。どの店も大みそかにはあいていたけど、元日になるとまず閉めていた。街はすっかり静かになり、ときおり晴れ着を着た人がとおるくらいだった。翌日二日になると、初荷のしるしをつけた自動車が通り、お正月気分は徐々に薄れていったのだが。そんな時代に比べると今は信じられないくらいに便利になった。店が深夜まで開いているというのはめずらしくないし、コンビニなど24時間営業のところもある。元日だって開いているところも多く、もともとが保存食であるおせち料理や餅もあまり必要ない。それどころか、店まで出向かなくてもほしいものが金さえあれば手に入る時代だ。本屋さんに読みたい本を注文し、忘れたことに入荷の連絡を受けたなんて、今は昔の話だろう。でも、こうした便利さの裏には、昼夜逆転の生活をしている人や、重労働に耐えている人がいる。もちろんそうしたものが個人の労働環境の悪化ではなく、雇用の創出や賃金の上昇につながっていけばよいのだが、どうもそうなっていないのではないか。宅配でも、かつては相当の日数がかかったのに、今では翌日配達もあるし、不在の場合には再配達や時間指定もある。そしてそのために料金が高くなっているわけではなく、利用者にとってはありがたいのだが、配達する人はマンションの階段を何度を上り下りしなければならず、けっこうきついと思う。時間を指定しておきながら、忘れる人もいるだろうし、何度も再配達を頼む人もいる。大企業の社長や役員には年額何億もの報酬が支払われるのに、配達とか販売とか比較的誰にでもできる労働は買い叩かれる。以前、コンビニの雇われ店長が連日長時間の勤務を強いられ、睡眠不足と過労で精神障害となって労災が認められたという記事があった。この事例も、そして飲食店などで起きる過労死や過労による健康被害の事例も本当に報道は小さかった。そうしたものにひきかえ、大手広告代理店の過労死事件の連日の大報道はかえってなにか作為的なものを感じてしまう。
2016年12月28日
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奥武蔵に顔振り峠というところがある。あまりの景色の美しさに振り返ったというのが名前の由来になっているだけあって、大変に見晴らしのよいところだ。この間、奥多摩ドライブに行ってきたが、顔振り峠から富士がみえたのが印象的だった。山々の向こうに三分の一ほど頭をだしていたのだが、純白で日の光をあびた姿が宝石のようだった。普段富士がみえることはなかなかなく、こうした光景も冬ならではのものだろう。顔振り峠の後は、高山不動に行った。これは高幡不動と名前が似ているが、山の中の不動尊で急な石段を上って参拝しなければならない。しかもその石段がかなり古くなっていて、一段一段がせまく、鎖をつかまなければ登れないので、ちょっとした登山気分である。参拝後、帰りはどうしようか…と思ったが、幸い石段横には坂で下れる道があったのでそちらを使うこととした。昔、ハイキングを楽しんでいた頃はこんな石段などなんてことはなかったのだが、今はちょっとしたことでも転びやすいし、やはり安全第一である。
2016年12月27日
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蓮華寺では下宿を兼ねた…で始まる印象的な小説で、中学生の頃に読んで以来、何十年?ぶりかの再読である。あの頃に比べると時代背景に関する知識も増えたし、明治後期の学校教育のスケッチなどはそれだけで興味深い。当時は小学校でも授業料を徴収していたし、視学という役人が常に教育の現場を監視していた。師範学校を出て教員になることは貧しく向学心あふれる青年にとっては大きな階層上昇の機会であったが、教員の給与は決して高いものではなかった等々。本作は明治維新後も残る差別問題の深刻さを提起した問題作といわれるが、正直に言って、「差別に怒り差別を告発した小説」というのとは距離があるように思う。それどころか地の文に、「人種問題」とか「下層の○○○によくある愚鈍な目付」といったそれこそ差別的な表現があり、こうしたものを現代の視点で読むと、作者の意図とは別に当時の差別の凄まじさを感じされる。当時は新平民ということが露見すると、住居や職場からの放逐が通常だったのかもしれないが、一方で時代はめまぐるしくかわり、そうしたことには拘泥しない世代というものも育ってきたのではないか。主人公の親友や恋人のような感覚は単に小説の中だけではなかっただろう。現代の視点で見れば、作者の見方自体が既に差別的であり、作者の描きたかったものも告発というよりも、破戒に至るまでの主人公の心理であろう。こうした心裡を描いた傑作としては「罪と罰」があり、主人公をとりまく人物模様も「罪と罰」に良く似ている。分別あふれる親友や落魄した男と心優しい娘など。それだけではなく、酒飲みの独白や、主人公が夜道を不安にかられて歩くところなど、よく似た場面もある。ただ、「罪と罰」では殺人犯が犯行告白に至る心理を描いているのに対して、「破戒」では、「身分を隠していたことを生徒に詫びる」という結末になっている。結局のところ主人公は差別を告発し、差別と闘ってなどいない。結局のところ、この小説は世間に言われるような差別告発の書というよりも、明治後期の世相の一断面を描いた自然主義文学の傑作といった方がよいのかもしれない。この時代は深刻な差別があった。でも、一方では師範学校では身分を問わず学力に優れた若者を受け入れていた。そしてこの時代ですら、新平民の主人公は元武士の同僚とともに勤務し、給料の差などもなかった。近代化に伴う、学歴主義、実力主義はこうした差別も急速に解消していったのではないか。
2016年12月25日
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給付型奨学金が世の中ではさもよいことのように喧伝されている。こうした風潮に便乗して、政党の中でも給付型奨学金の創設あるいは拡充を主張しているところもある。しかしこの給付型奨学金というのはそれほどよいものなのだろうか。*日本には4年制大学は700もあるという。これだけでも驚きなのだが、このうちでまともに入試競争が成立している大学は、数でいけば半分もないように思う。給付型奨学金というが、その原資は税金である。その限りある資源を投入する必要のある大学というものは、700のうちのほんの一握りではないか。*こうした議論で結局なにが問題なのかといえば、「優秀な人間が家庭の事情で進学できない」ということであろう。ならば、優秀なのに貧困故に進学できないという人が現実にどのくらいいるのか、いるとしたら何が問題なのかについて考えてみる。現在でも、国立大学の多くは授業料免除という制度を導入しており、低廉な住居費の学生寮も完備している。ならば、こうした国立大学の学生について、本当に貧しい家庭の者については、授業料免除の上、学生寮に住んで暮らしていけるだけの給付を行なえば、十分に勉学に励むことは可能である。その上で、更に傑出した学生については、大学毎に独自な奨学金給付を行なえばよい。給付型奨学金という制度をもし作るとしても、それは万人のものではなく、限られた優秀層が家庭の経済的事情で進学をあきらめなくてもすむようにするものでなくてはならない。*優秀層ならぬ凡人層でも給付型奨学金を望む人はいるかもしれないが、今日では大学進学自体にはそれほどの価値もないことを受け入れた方がよいのではないか。相模原の大量殺人犯も、4年間某大学で高い授業料を払い続け卒業している。そうでなくても、4年間授業料を払い続けて卒業しても、まともな就職ができないなんていう話は珍しくない。4年間わけのわからない講義を高い授業料を払って聞くくらいなら、海外に語学留学するという途もあるし、手に職をつける方がよいのではないか。もちろん、スネをかじらなくても、ワーキングホリディのように働いて語学を身につけたり、見習い職人として技芸を習得するという選択もある。なにも「大学」だけがすべてではない。
2016年12月22日
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少年法の適用対象年齢を18歳に引き下げることが検討されているという。http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20161220-00065694/選挙権を18歳に引き下げたことと関連しているのかもしれないが、投票において適切な判断をする年齢と善悪の適切な判断をする年齢とは異なる。選挙権が引き下げられたから少年法も連動すべきという議論が乱暴なら、仮に少年法を15歳に引き下げるなら選挙権も15歳にすべきだという議論も同じくらい乱暴であろう。選挙権と少年法は別問題である。それはさておき、こうした少年法の適用対象年齢の引き下げの話が出てくるたびに、必ずでてくる議論がある。それは現在少年犯罪は減っているのになぜ「厳罰化」するのか、少年法の「厳罰化」は犯罪抑制の効果がないのではないか、更生を妨げる可能性がある…といった議論である。まず最初の少年犯罪が増えているか減っているかであるが、これと現行の少年法の改正論議は関係ない。法律が社会情勢や社会意識からみて不適切なものであれば改正すべきであり、それは少年犯罪が減少傾向にあったとしても、改正を行なわないと言う理由にはならないのではないか。次に、犯罪抑制の効果であるが、これは仮定の議論を行ってもらちがあかないのだが、実際に起きた少年事件の中には、明らかに少年法の寛大さをみこして犯罪に走ったような例がみられる。市川の一家惨殺事件で死刑が確定しているSについては、事件後、面会にきた母に「今度は長くなりそうだから」といって国家試験の参考書をねだったという。刑罰の存続理由にはいろいろな説があり、犯罪抑止の他にも、社会隔離とか応報刑という説もある。応報というと何か野蛮なようであるが、これは被害者や遺族の側からみれば、犯人が適切な処罰を受けることが、立ち直りの大きな要件になることを考えれば、これも刑罰の大きな役割であろう。だから、少年法の厳罰化は犯罪抑制の効果はあるかという問はなされても、少年法の厳罰化(適性化)は被害者の立ち直りに効果があるかという問があまりなされないのは心底不思議である。第三の更生についてであるが、これもそもそも更生とは何かについての共通認識があまりないように思う。更生とは殺人者が過去を知られずに、例えば弁護士かなんかになって豊かな生活をし、社会的に成功することをいうのだろうか。どうも違うのではないか。更生とは二度と犯罪を犯さないことであり、取り返しのつかない被害を与えたことについて、補償などの形で一生むきあっていくことであろう。いつもいつも起きる少年法厳罰化反対の大合唱であるが、これも死刑廃止の合唱と同様、圧倒的な世論とはかけはなれたところで少数の専門家が騒いでいるだけ…というのは言い過ぎだろうか。
2016年12月20日
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世の中にはさまざまなレトリックの罠がある。たとえば相関関係と因果関係の混同だ。例えば、毎朝ジョギングをやる老人には元気な人が多く、だからジョギングは健康によい…こんな言説をきいてどう思うだろうか。ちょっと考えれば、ごくあたりまえのことを言っているだけであるのはすぐにわかる。そもそも元気のない老人はジョギングなどやらないし、できない。じゃあ、こんなのはどうだろうか。女性の就労率の高い地域では出生率も高い、だから女性の就労率を上げるのが出生率を上げる早道だ。そしてその後に「私も仕事をもって充実した人生を送ってきたので、子育てもがんばることができた」のような個人的体験談がつくと非常に説得力がある。でもこれもどうも違うようだ。女性の就労率が高く出生率の多いところをみると、農村地帯を多くかかえている県が多い。そういうところでは家も広く三世代同居も多い。結婚すれば姑に「赤ちゃんはまだなの?」とせかされるし、子供が生まれれば姑に子育てを手助けしてもらって、就労にでるのが普通のライフスタイルになっている。農村地帯にはそうした主婦の労働力をあてにした工場なども進出しているし、需要に応えて保育園もできている。これは因果関係というよりも、農村型ライフスタイルという第三の要因があるように思われる。あまりにも言われ過ぎて「常識」のようになってしまっている「親の所得と子供の学力」との因果関係なるものも、実は「第三の要因」によるところが大きいのではないか。アイスクリームが売れる日にはビールが売れるといっても、双方には特に因果関係はなく、「暑さ」という第三の要因があるのと同じである。まあ、人は自分の信じたいことを信じるものだし、自分の学力の低さを親のビンボーのせいにしたいという人が多いのはわからんこともないが。*こうした相関関係と因果関係の混同以外にも、相対的比較と絶対的位置づけを混同するレトリックもある。Aよりももっと悪いBがいる。だからAは悪くない。Aよりももっと重要なBがある。だからAは重要ではない。こうした理屈の変なところはAとBとの相対的な比較をAの絶対的な位置づけにひっぱってきていることである。こんなのはけっこう例がある。オウム実行犯に比べ麻原は遥かに悪い。だから同じ量刑にするのはおかしい。英語よりも国語の方がはるかに重要だ。だから英語教育は重視する必要がない。何語でしゃべるかよりも何をしゃべるかの方がはるかに重要だ。だから語学教育は重視する必要がない。そして最近では…カジノよりもパチンコの方がはるかに社会的害悪が大きい。だからパチンコの規制ができないのにカジノに反対するのはおかしい。さらにいえば、ダムの工事や万年受験生がよくいう「ここでやめたら今までの金が無駄になる」、「ここであきらめたらいままでの努力が無駄になる」という理屈。これも、ギャンブルの負をとりかえそうとして深みにはまるような愚かな議論だと思うのだが、これはまた、別の機会に…。
2016年12月17日
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政府はカジノ法案成立を受けて、ギャンブル依存症の対策を強化する法案を検討中だという。法律を作っただけで人間の問題行動がなくなるとはとても思えず、最初からこんな問題がわかっていたら、そもそもなぜカジノ法案を作ったのか…という疑問がぬぐえない。一体誰が法案成立を望んだのだろうか。少なくとも、庶民の間からは「オレもカジノをやってみたい」なんていう声はほとんど聞こえてこないのに。*いまさらギャンブル依存症対策なんていう話がでてくるようなら、主な顧客というのは外国人よりも日本人だろう。少なくとも今の日本の議論の状況では「外国人専用」という話にはなりそうにない。日本人を主な顧客とするカジノを中心とする遊戯施設を作る…となると、経済効果云々というのはどうなのだろうか。いささら「もりすぎ」という気がする。実質消費が減退するなか、多くの人が不要不急の消費を切り詰めている。旅行や出版はとうに不況業種になっているし、パチンコですら厳しい状況だという。競馬の売り上げは減っているし、地方競馬でも閉鎖するところがでてきている。そんな中で、日本人を主な顧客にするカジノを作ったとしても、流行るとは思えないし、もし、流行ったとしても、それは他のところから客を奪うだけで、全体で経済が活性化するとは思えない。カジノで遊戯を覚えれば、カジノ施設外の違法とばくも増えるだろうし、そうしたものは犯罪集団の資金源になったり、様々な犯罪を誘発したりしていく。もちろん、カジノで多くの金を失ったり、借金を負ったりして生活を破壊する人もいる。トータルでみれば、少数の冨者がさらに利益を上げるために、多くの人を不幸にするものだとしか思えないのだが。
2016年12月16日
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テレビのニュースを見ていたらオスプレイが海の上に墜落している映像が映っていた。それなのに字幕では「不時着」とある。不時着というのは、不慮の事態により、予定にないところに着陸することで、これはどうみても墜落ではないか。乗務員も怪我をしたということであるし、もし、これが海の上ではなく、民家などだったら大惨事になる。墜落を不時着とよべば怖くない…というわけでもなかろう。それにしても言葉は便利であり、いいかげんである。人は言葉で考えるので、その言葉を言いかえればおのずと考えを特定方向に誘導するのも可能になる。そんな言いかえが猛威をふるったのは、第二次大戦中から終戦直後だろう。全滅を散華、撤退を転進といったのは戦時中。戦争が終わると敗戦を終戦、占領軍を進駐軍と言い換えた。そして今また戦闘を衝突と言い換えることをやっている。そうなると戦死は衝突死になるのだろうか。このままでは戦後最初の戦死者がでるもしれない。「衝突死」とよびかえられた戦死者である。彼または彼女は今は生きている。どんな家族、どんな友人がいるのだろう。何を好み、どんな夢をもっているのだろう。薔薇豪城さんのブログに七尾旅人さんのこんな歌が紹介されていた。「兵士A」というタイトルでこう歌っているという。♫一人目の彼はどんな人だろう 一人目の戦死者Aくん♫一人目の君はどこにいるだろう この国のどこかでまだ君が生きているhttp://plaza.rakuten.co.jp/articlenine/diary/201612130000/
2016年12月14日
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一生のうちに読むことのできる本は限られている。だから、読書はできるだけ「名作」として評価の確立しているものを読むようにしている。もちろん「名作」といっても感動するものもあれば、なんでこれが「名作」と思うものもあるのだが…。今回読み終わった本は「魔の山」。スイスの国際サナトリウムを舞台にした長編小説である。国際という名にはじず、登場人物の国籍は多彩であり、主人公のドイツ青年とその従兄、ロシア夫人、主人公の考え方に影響を与えるイタリア人と東欧生まれのユダヤ人、それになぜか「大人物」とされるオランダ人の富豪、ついでにわき役ながら中国人までいる。小説のかなりの部分は、イタリア人とユダヤ人の論争なのだが、実はこの論争はさっぱりわけがわからない。これは翻訳のせいではもちろんなく、この時代のヨーロッパ人の精神世界がわかりにくいということがあるのかもしれない。この二人の論争を無意味なもののようにしてしまう「大人物」のオランダ人になると、いったいなにを考えているのか…。こうした論争部分はちょっと読むのが苦痛であり、これで読むのをやめる人もいるのかもしれないが、それ以外の部分は非常に面白い。雪の中での遭難の危機や交霊術の実験など、それ自体が一つの中編小説のような趣もある。そしてまた、これは21世紀の今日読むからこその興味なのだが、主人公が初めてレントゲン写真をみたときの驚きやレコードではじめて音楽を聴けるようになった感動などがいきいきと描写されている。サナトリウムといっても、贅を尽くした食事と娯楽の機会が入所者には提供されており、闘病の場というよりも、この世の喧騒を離れた別世界のようだ。登場人物の何人かは病気により、あるいは病気を背景とした自殺により、死んでゆくのだが、それでも、あまり悲惨さはなく、主人公ハンスはあっというまに、サナトリウムの生活に順応してしまう。そして7年後には再び下界に下りていくのだが、これは闘病生活の終了というよりも「ひきこもりからの脱出」のようにもみえる。具体的には、第一次大戦の勃発により志願兵として戦線に赴くのだが、このあたりの主人公の心理は全く描かれていない。小説として面白いのだが、肝心な部分で理解できないところが多く、読後感としてはちょっと不満がのこる。*この国際サナトリウムを舞台にした小説に影響をうけ、高原のサナトリウムを舞台してかかれた小説が「風立ちぬ」である。続けてこれも読んだが、こちらの方はあっという間に読み終えた。男女の愛がテーマで「魔の山」よりはずっとわかりやすい。ただ、主人公は、ヒロインの闘病と並行して、それをテーマに小説を書いており、その結末はわからないようなことを語っている。それがなんとなくヒロインに対して残酷な行為のように思えるのは小生だけだろうか。
2016年12月13日
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思わずギャグか~と笑いたくなるニュースがある。経済産業省が経団連などと共同して行う「プレミアムフライデー」もそんななかの一つだ。買い物しやすいように従業員の終業時刻を早めることにより消費を拡大するというのだが…。http://news.yahoo.co.jp/pickup/6223907給料が上がらないのにいったいどうやって消費を拡大するのだろうか。それに従業員の終業時刻を早めると言うのだが、世の中は事務職ばかりではない。サービスや小売りに従事する人びとは、事務職の休日が増えるほど、早出などで事務職の余暇が増えるほど逆に労働強化になる。こうした業界は昔からブラック企業の温床であり、過労死の問題も多い。労働者も会社を離れると消費者なので、サービス業や小売業に従事する相当多数の人が労働強化になるような施策はかえって消費を減らすのではないか。こんな施策をおおまじめに「消費拡大」のためにやろうというのに、その一方で、雇用を安定させ、賃金をあげていこうとする発想はさらさらない。まさにノータリン。経産省は偏差値秀才の多いところと聞いているのに、これってお笑いの世界である。**保育園落ちた、にほん死ね~というのが流行語大賞に選ばれたことが問題視されている。流行語というものの本質はインパクトと時代性であり、そういう意味で流行語は綺麗な言葉でなければならないというのは頭が固すぎるだろう。ただ、小生は別の意味でこの流行語には違和感を感じている。保育園を申し込むためには、子供がいること、母親が継続的に就業をしていることが必要であり、さらにいえば日本では同棲カップルが子を持つことは少ないので、結婚していることが必要である。今の日本で、結婚し、子供を持ち、母親が就業を続けるというのは、かなりハードルが高い。経済的に結婚を諦めている若者も多いし、妊娠した途端に辞めるように仕向けられる職場も多い。つまり「保育園落ちた!」なんていえるのは、同世代の中でかなり恵まれた層なのではないか。だからきっと「日本死ね!」と思っている人は別のところにいるのではないか。ワーキングプアで結婚できない日本死ね!妊娠したら解雇された日本死ね!ブラック企業で子育てどころではない日本死ね!低賃金低待遇日本死ね!
2016年12月12日
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カジノについては下記のHPがよくまとまっていると思う。全く同感である。http://wajin.air-nifty.com/jcp/2016/12/post-2c45.htmlさて、何度か書いているのだが、韓国の大統領弾劾はさっぱりわからない。怒っているのはわかる。大学生も女性団体も元慰安婦だった人々もデモに参加している。独立運動以来の熱気…こう伝えている報道まである。でも、国政壟断とか権力の私物化という大きな言葉が躍っているわりにはその中味がどうもよくわからないように思う。国政壟断といっても、具体的に見えているのは、親友という私人に演説の草稿を事前にみせて、彼女が手を加えたということだけだ。それ以上に、こうした機密情報がもれたとか、こうした決定に彼女が関与したという具体的な話が聞こえてこない。「実業家」といっても、死者の口寄せというイタコのようなことをしていた人のようなので、軍事や外交などに口を出していたとも思えない。演説の草稿を私人が事前にチェックする…というのがそんなに問題なのだろうか。日本では総理周辺に文化人の友人がいることはよくある。固有名詞はあげないけど、たとえば、総理の原稿をそうした人がもし事前に「国民の立場で」とか「小説家の目で」チェックしてもほとんど問題にならないであろう。そしてこうした「国政壟断」した結果、どんな利益を得たのだろう。件の女性実業者の事業に税金がつぎ込まれたとか、特別な許可などの恩恵を受けたというのはどうもなさそうだ。はっきりでている恩恵というのが彼女の娘が不正に有名女子大に入ったという話だというのが、なんともしょぼい。日本では有力政治家や財界人の子弟が特定の私立大学に集中しているように見えるが、そうした人々が皆学力だけで入ったなんて思っている人はあまりいないのではないか。そう言えば、昔、勉強してなさそうなアイドルタレントがある私大に入学して話題になったことがあったが、あれで若者のデモが起きたわけでもなければ、そのアイドルの人気に陰りがでたわけでもない。日本だったら有力政治家のお友達の子弟が私立に優先的に入ったとしても、問題にはならないように思う。韓国の激しい大統領糾弾のうねりをみていると、怖ろしくなるとともに、あれでは誰が大統領になっても、最後はああいうふうに糾弾される可能性があるのではないかと思う。
2016年12月10日
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オリンピックはたしか当初はコンパクトな五輪とか金のかからない五輪といっていたのではなかったのだろうか。それがふたを開けてみると費用の膨張がとまらない。競技も野球ソフトが増えるだけだと思っていたら、いつのまにか5つも増えており、なかには初めて聞く競技もある。それに施設も老朽化していると言われる国立競技場だけかと思いきや、水泳、ボート、バレーも新施設を作る話になっている。おまけに体操とボッチャのためにも巨額の費用をかけて仮設競技場を作る。これでは、都民ならずも「きいてないよ」と言いたくなるのではないか。ばかでっかい観客席をもつ水泳会場などイベントにも転用できないし、無用の長物になるのは目に見えている。ドマイナーがボート競技のための施設だって廃墟になっていくだろう。なによりも不可解なのはバレーだ。横浜に打診したところ難色を示したため、有明に新施設を建設するという。既存施設の活用について「時間がない」と言っているのに新施設をこれから建設する…こんな話、誰でも変に思うだろう。それにバレーボール会場など東京にだって無数にある。それこそレガシーのはずの駒沢体育館もあるし、大学や自治体でも立派な施設をもっているところは多い。なんでそういうものを使わずに、建物から巨額の費用をかけて作るのだろう。もう、オリンピックは「オ利権ンピック」に名を変えればよい。レガシーだの新会場だのと、自らは金をださないくせに注文ばかりするスポーツ界自体もなんか薄汚れたものに見えてきてしまう。かつての東京五輪は日本の復興の象徴になった。今度の五輪が日本の衰退の象徴にならなければよいのだが。
2016年12月08日
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カジノ法案についてのネット上の言説をみていて、目につくものは「すでにパチンコがあるのだからカジノがあってもよい」、「カジノがだめならなぜパチンコがよいのか」という言説である。これについては、既にあるパチンコの是非とカジノの是非は無関係なのではないか。パチンコがなぜか容認されているギャンブルだとしても、これがあるからカジノもよいではないかというのは、いわば既に毒を飲んでいるのだから更に毒を飲んでもかまわないといった論理である。報道を見る限りであるが、やはりカジノ法案はおかしいと思う。カジノを置いている国は多いが、その多くは外国人専用である。こうしたものは途上国が外貨稼ぎのために置くのが普通であり、飛行機に乗ってやってくるような金持ちの外国人から金をとるのはよいが、自国の庶民がむしられるようなことになっても困るということだろう。国家は普通自国民が不幸になるような政策は行なわないし、それは慈悲というよりも、ギャンブルですってんてんになるような人が増えたら即治安の悪化や福祉などの社会の負担増大につながるからである。そしてまた、自国民にカジノを開放しているところでも、ラスベガスのような都市部から離れたところが多い。それでも、韓国では唯一自国民に開放されているへき地にあるカジノで、多くの韓国人が大金をすってしまって社会問題になっているという。日本のカジノ法案では、外国人専用という議論はほとんどないようであるし、人のよい日本人は「自国民ならだめだが外国人からはぼってよい」という議論はおもてだってできないであろう。結局、顧客は日本人が中心になるであろうし、場所も東京や大阪などの交通至便の場所にできるので、ぼられる日本人が続出することになるだろう。雇用を生むとか経済効果とかいうが、生まれる雇用の多くはウサギの耳をつけて尻を出して歩き回るような風俗まがいの不安定な職くらいで、とても良質な雇用を生むとは思えない。外国人観光をよぶ起爆剤と言うが、今だって外国人観光客は順調に増えている。どうみても、国民が幸福になるとも思えないような法案を拙速で成立させようとする政府は途上国にも劣る。
2016年12月07日
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韓国ドラマの中には日本で翻案されたものもある。「魔王」や「銭の戦争」などがそうであり、そこそこ人気を得ていたようだ。けれども人気韓国ドラマの中には日本では絶対翻案が無理だろうなと思っていたものもある。ネタばれになるのでタイトルは書かないが、有力政治家の娘が芸能人を殺害したが、警察はことごとく証拠を抹殺してしまい、法医学者が孤軍奮闘して令嬢殺人鬼を追い詰める話とか、有名裁判官の娘がひき逃げ事件を起こすが、警察や裁判所の謀略でヒロインに罪がなすりつけられる話とか。こうしたドラマは、いずれも警察や裁判所が犯罪者をかばうというのが話の発端になっていた。韓国の実態はしらないけど、日本ではこんなドラマは作れないだろう。いくらなんでもありえない設定はドラマにはならないはずだから。…とそう思っていたけど、そろそろ日本も、こんなドラマが受け入れられる時代になってきたのかもしれない。ある大学で起きた集団暴行事件では容疑者の名前が当初公開されなかった。こうした事件は親告罪ではないのだが、「合意」があれば犯罪はなかったことになる。そのため、「合意」があったことにするため、様々な働き掛けがあることは容易に想像がつく。逮捕されても、警察が名前を公表しなければ、大学も処分のしようがない。そんなわけで弁護士などから、警察に氏名を公表しないようにするための要請もあったことだろう。ただそれにしても、こんなに長期間、成人した容疑者の氏名が公表されず、大学もなんの処分もしないというのは異例というしかない。一般人だったら痴漢だってすぐに名前がでて、会社にもわかってしまうのに。かくも長い非公開。変だと思っていたら、やはり容疑者の一人は五代続く法曹界のスーパーエリート家庭の出だという。ネット情報によると明治時代の司法官僚○田◎之助。とにかく、大審院判事にして司法省次官、それに二つの大学の設立にもかかわったというすごい人なのだ。こうした出自によって警察が特別扱いするというのは途上国だけだと思っていたけど、まさか日本でこんなことがあるなんて。それとも、日本もしだいに途上国化しているということなのだろうか。
2016年12月06日
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ものを記憶するときには語呂合わせがよいという。記憶の能力は人によって違い、中には映像記憶といって、なんでも写真をとったようにそのまま覚えてしまう便利な能力を持つ人もいるらしい。大多数の人はそうじゃないので、だから苦労する。言葉の記憶には法則があって、呪文のような無意味な音の配列は記憶しにくいが、意味のある言葉なら覚えやすい。また、言葉のリズムも重要で、日本語の場合は五七調にするとよく覚えられる。だから無意味な音は意味ある音にする、できるだけ五七や七五の調子のよい語調にする…というのが覚え方の鉄則であろう。ネットで探すといろいろな覚え方がでてきて、中高生の頃、これを知っていたらよかったのにと思うものがある。たとえば「流産安産元気な子、かこって先公半殺し」は、火成岩の種別の覚え方で、最近では半深成岩(だったっけ?)という種別はなくなったそうである。「情報ないよ」は参議院に対する衆議院の優越が認められている事項をまとめたもので、条約、法律、内閣総理大臣の指名、予算もこうすれば覚えやすい。もちろん優越の中味については別途記憶する必要がある。「身の上に心配あるので参上つかまつりそうろう」とか、「心配ある事情」は球の体積、球の表面積の公式で語呂合わせの傑作だが、これ自体を聞く問題というのはよほどの低レベルでもなければないだろう。中学生の頃で覚えるのに苦労するのは解の公式だろう。記憶力のよい年齢だったせいか覚え方は工夫しなかったが、今だったら「2aの 上にマイナスBプラマエ 屋根の中にはビニマエヨエシ」と無理無理の歌にして覚えたかもしれない。小学生の頃は九九の暗記が山だろう。語呂合わせとはちょっと違うが九九にはよくみると法則があって、9の段の一の位は9から一つずつへっていて1の段と逆になり、8の段の一の位は2の段とは逆になっている。7の段と3の段も同様。こんなことを知っていたら覚えやすかった。いや、かえって混乱する?
2016年12月04日
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さるタレントの覚せい剤事件を集中豪雨的に大報道するくせに、同時に進行している年金制度の改正やカジノ法案についてはあまり報道しない。あのタレントは名前くらいは知っているが、いまさら覚せい剤で逮捕されたところで世の中がどうこうということは全くないし、こうした報道騒ぎのたびに、故意か偶然か、議論すべき制度改革(改悪)が裏で進行しているように思う。韓国の政変だって同様だ。しょせんは外国の話で日本の新聞が連日のように一面で報道する価値があるのだろうか。そしてそんな大報道のわりには、彼我の政治風土の差異などをほりさげたものは少ないように思う。大統領の演説の草稿を私人である友人がチェックしていた。そこで、国政介入だ、機密漏洩だと大騒ぎになったわけだが、こういうのって、もし日本だったらこんなに問題になっただろうか。文化人で政権周辺に近く、総理とも懇意にしているという人物は、どの総理のときにも大抵いた。もし、総理が演説の草稿をみせて、表現などで意見を求めたとしても、日本だったら、ああ、そうですかですんだような気がする。それとも、韓国の場合は、その友人が文化人ではなく、怪しげな宗教家まがいの人物だったというのが問題なのだろうか。報道ではその友人は死者の口寄せをする巫女だったという。韓国では習俗としてそうしたものが残っており、学校や就職の選択に迷ったとき、悩みのあるときにそうした巫女を訪れる人もいるという。今回の騒ぎでは、そうした巫女が、かの国の社会通念の中でどういう位置付けがなされているのかという点が気になる。
2016年12月03日
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カジノの合法化をめざすカジノ法案がわずか6時間の審議で衆議院の委員会を可決したという。前々から議論としてカジノの合法化の是非ということはいわれていたので、本当はもっと大きく取り上げるべきニュースだと思うのだが、最近の報道はもっぱら覚せい剤で逮捕されたタレントのニュースばかり。報道すべきことをろくに報道しなくて、どうでもよいことをせっせと集中豪雨のように報道しているマスコミは社会的機能をはたしてないのではないか。このカジノ法案のめざすのはカジノの合法化であり、いわゆる公営ギャンブルとしてカジノを行なうというものではない。射幸心は人間の本能であり、主宰者は確実に儲けが期待できるし、だからこそ、原則私人がギャンブルを行なうことは禁止されている。こういうものを解禁すれば、参画する業者は膨大な利益を得ることができるわけで、これはこれで大変な利権である。それではその儲けを提供する人びとはどんな人々なのだろうか。おそらく今でも競輪競馬に行ったり、パチンコに行ったりする人々だろう。総じて貧しい人々であり、ギャンブルによる悲劇はますます拡大するのではないか。経済の活性化といっているようだが、実態は庶民の金を吸い上げ、カジノ業者の懐をうるおすだけの結果になるように思う。格差や貧困のますますの拡大である。実は、カジノを合法化している国の中には顧客を外国人に限っているところも多い。わざわざ国境を超えてやってくるような外国人なら余裕の金をつぎこむわけだし、外貨獲得にも観光誘致にも役立つというわけである。たしかに顧客を外国人に限るというのであれば、カジノの合法化もメリットがあるのかもしれない。カジノに落ちる外貨がちゃんと国内に回ればの話であるが…。ただ、今の日本のような風土では、外国人専用という議論はでにくい。結局は業者の下で日本人のギャンブル依存症ぎみの人々がカモにされるだけで終わるだけのことであろう。
2016年12月03日
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オリンピックの会場が問題になっている。東京オリンピック誘致の話はたしかに石原前都知事が当選した選挙の頃から話題になっていた。多くの都民はオリンピック誘致に賛成して票を投じたのだが、あのとき、こんなにオリンピックに金がかかると思っていたのだろうか。1964年のときには、競技場もインフラも未整備で多くのものを建設しなければならなかった。でも、今日の東京では、過去何度も様々な競技の国際大会が開催され、新しい施設などは建設の必要がないと多くの都民は思っていたのではないか。老朽化した国立競技場は仕方ないけど、それ以外では金のかからない五輪、コンパクトな五輪というからこそ、多くの都民はオリンピックに賛成した。それなのにいつのまに新種目は五つも増え、新国立競技場以外にもボート、カヌー、バレー、水泳といくつもの競技でハコモノを作る話が進行していて、おまけにこのあいだは体操とボッチャの仮設競技場に何億もかかるという話もでてきている。IOCとか競技団体のような金を出さないところの意見が重視され、費用がどんどん膨らんでいく様には恐怖すらおぼえるほどだ。バレーボールなど、日本で何度も国際大会を開催している。それこそレガシーとなっている駒沢体育館のバレーボールコートだって十分使えるだろう。なんで新施設を作らなければならないのか、さっぱりわからない。水泳にしても、水泳競技場はすでにある。巨大な観客席のある施設を造ったところで、プールではイベントにも使えないし無用の長物になるのは目に見えている。ボートやカヌーにしてもそんな競技を日本でやっている人がどれだけいるのだろうか。こんなことでは、オリンピックは金くい虫、スポーツ団体はうすぎたない利権団体のようにみえてきてしまう。東京にはまだまだ足りない施設がある。保育園の不足はつとにいわれているし、老人介護施設だって需要に追い付かない状況である。一般人の使うスポーツ施設にしても、夏になると公営プールは芋洗い状態で泳ぐのもままならない。オリンピックのために巨額の費用を使って新施設を作るよりもこうしたものに金を回してほしい…と切に思う。*この問題についての最近の報道を見ると、利権オヤジ対小池知事という劇場ドラマをみているようだ。都民の多くは知事の側なのではないか。かってな憶測だが、もし、今議会を解散して都議選を行なえば小池塾からかなりの議員が出るのかもしれない。
2016年12月01日
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