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「旧約聖書」創世記(バベルの塔) メソポタミヤの大河ユーフラテス川中流平原にバビロンという巨大都市国家が出現、煉瓦焼き技術を用いて聖塔建設を始めた。此れがバベルの塔として歴史に現在まで名を止めます。古代文明は何れも、大河下流の肥沃な統一王国を創り易い大平原地帯に発生します。山岳地帯は民族が分断され統一し難いのが理由です。 巨大王朝は権力集中と誇示の象徴として、山がなければ人工の高層建造物を神格化して、人の拡散を防ぎ統一と安定を目指します。此の「神性」が問題になります。権力者は自己の支配体制維持に都合の良い宗教を、無ければ新たなる神を「創造」します。此処に真性の神の目的を阻害する「悪徳」の匂いが問題となり、一致団結の象徴バベルのジッグラトを罪の支配を誇示するものとして、神が粉砕して人々の言葉を異ならせて意思の疎通をできなくした理由があります。 現代のバベルの塔として、原発があげられそうです。世界の唯一の被爆国にも拘わらず、「経済発展」を掲げ「挙国一致」の名の下、自力で開発したものでもない、米国本土で使い物にならないとされた原子炉を使用した発電施設の巨造物の事故が此の象徴です。自力開発で無いために技術者派遣を要請するお粗末。当時の権力の腐敗構造(ロッキード事件のピーシーズ)の匂いがするのは致し方ないでしょう。 バビロンにしろ日本にしろ、何時も命を以って崩壊の犠牲になるのは人民です。一致に潜む悪を見つめ直すことが必要です。旧約聖書が其れをバベルの塔建設の中止として語ってくれます。
2012年03月31日
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アダムとエバが、何故か神が植え置いた(サタンは人間の神への絶対従順を試す目的で置かれた、神の下僕と思われます。)知恵の実を食べ、神との人格と神格の感応が失われ、今度は、知恵をつけた二人が楽園にある永遠の命の木の実を食べないよう、周囲をケルビムに守らせ楽園から追放します(失楽園)。その後、永遠の生命は失ったものの、寿命数百年を生きるアダムは恐らく論理的に考えて自己とエバとの間に生まれた娘・孫娘と関係を持ち、次々に子を増産、エバにしてみれば腹立たしいこと此のうえ無しです。それ故にエバは「私は主によって一人の人(男の子)を得た」と漏らす言葉には重みがあります。此の長男が後に両親を悲嘆にくれさせる「カイン(得たの意)」です。 カインの誕生から何年後かに「アベル(儚い空虚の意)」と名付けられる弟が誕生します。やがて成長後、アダムからカインは畑地を与えられ農耕を、弟アベルは牧畜を任されます。やがて燔祭に兄は農産物、弟は「羊の初子の中の、最良のもの」を神に捧げます。神は弟の捧げ物を嘉納し、兄の方には答えさえなし。面目を失ったカインは神をも恨み、弟を野原に誘い撲殺します。ここには、恐らくアダムとエバの夫婦間の不和が反映されているようです。母の長男カインへの熱い期待と父のアベルへの心情が読み取れなくもありません。家庭内夫婦の不和と子への贔屓は崩壊を呼ぶという好例かも知れません。
2012年03月31日
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「怪異」真説卑弥呼 古代、太陽が隠れ天が下盡く暗闇に包まれた時、九州高千穂の聖所とされる岩穴で、道ならぬ恋で胎内に子を宿した巫女が隠れて赤子を産みます。しかし母親は産褥熱により気が狂れたようになり、谷へ身を投げました。残されたその赤子が特異なのは、産声をあげることが無く、眼に芥子の粒程の点以外に瞳がない白眼の娘であることです。その後、赤子は岩穴への供物が備えられるのを本能的に六歳になるまで、洞窟内の暗闇の中に育ちます。 或日、雨水の吹き込みの激しさから出てきた処を、小豪族でもあった神からの言葉や意思を読み取り指示を出す祭主に見つかり、社殿での生活が始まります。盲目に拘わらず指でなぞってやるだけで字を覚え、暗闇に足を外す事もありません。この不思議を大豪族でもある御許山の宇佐大社に知らせ、連れ行きます。旅路の途中も何度か、神懸りに成り預言をし、其れが間違はないのに驚き、宇佐に着く頃は主客転倒していました。其の頃山口・九州北部は小国乱立の時代、噂を聞きつけて豪族が宇佐に集まり、勃興する狗奴国を恐れ、神の預言を巫女に成っていた少女に聞き、それを踏まえて同盟が出来上がり、巫女を盟主とします。 巫女が預言をするときは、必ず真っ暗闇の堂に入り、それぞれ金と銀の鈴の何方かを振り鳴らし、結果を従者に伝えます。銀の鈴の時は裁断の時、金の鈴の時は未来を予言する時と決まっています。 三国時代の魏が勢力伸長甚だしく、倭国とされる同盟国が脅威に晒されたときは、魏への使者となる難升米と都市牛利を暗闇の堂に入らせ、直接に預言と政略を授けます。平伏する二人に、後に「卑弥呼」と呼ばれ、或いは「天照大御神」と称される女性が二人の顔を上げさせます。驚くことには瞳がない筈の両眼には、暗躍の中に光る金色と銀色の瞳がメラメラと燃えていました。
2012年03月30日
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「旧約聖書」創世記(エデンの園の実在) アダムとエバのエデンの園は、人類発祥の科学的探求から見れば馬鹿げた話にも取れますが、創世記が云わんとする処は、人間の原罪を問うところにあり、一種の象徴的な性格を帯びています。原初の、未だ罪の汚れのない神との交流、妻との交わりを描くことで、神の前で人間がどう振る舞えば良いのかを説いている様に想えます。楽園追放以来、夫婦間にも溝が深まりゆくのも、旧約は暗示しています。 それではエデンの園の実在しなかったのか。実はイラクのチグリスとユーフラテス川の合流地点に、エデンの園の所在候補が伝承と伴に現存しています。そのエリドウと呼ばれる遺跡で、本当のところ何があったのか、我々に何を語りかけるのか、今後の研究で何が解明されるのかに期待がかかります。此の時の神の意思と行動が、その後の旧約の方向性を見る上での指針となって行きます。
2012年03月29日
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「医療」現代医療を問う 世間では、臓器移植や遺伝子解明、クローン技術果ては生命創造まで取り沙汰される昨今ですが、医療現場で患者の診療に携わる臨床では、どれだけ現代医学の恩恵があるのでしょう。成る程、X線CT始め多くの医療機器が半導体、集積回路の進歩をうけて飛躍的発展を遂げたことは認めるには吝かではありません。しかし、それらは既存の病状分析であり、最終的な診断を下すのは機器では無くて臨床医です。私も近年に叔母とその娘を相次いで失いましたが、死因場所は解明されているのに病名が特定されませんでした。私事の経験から言いますと、十数年前に激しい腹痛に襲われ、苦痛で七転八倒、救急車で運ばれ、脈拍120以上、血圧200を超えるその事より、苦痛を逃れるために医者に、只ひたすら殺してくれと泣き叫ぶ有様。此の時は、「死」が本当に望みでした。筋弛緩剤でその場で洗面器一杯の排便、それからの二週間はベットから起き上がれなかったのが、その後体調の回復と共に死への恐れを抱くように成り、病名宣告に不安を抱いての、四日の減食四日の水だけの生活、検査結果をうけての医療会議の宣告待ち、これを四度繰り返しての退院許可。退院時に医師が言うには「病名を突き止めることは出来ませんでした。色々薬を試したところ此れが効いてる様なので、一生飲み続けて下さい。腸の長さが長いのが原因かも知れませんね。」と云われて不安のまま退院、幸い現在まで、薬を辞めても再発せずに過ごしています。しかし、あの苦痛が再度起これば我慢より死を選びます。 此れが医療現場での実情です。とは云え、此れは各種医療機器や解析装置の飛躍的発展により、今迄、現場医師が単純に病名を与えていたものが、そうとも行かない段階に入った結果だとも言えます。インフォームド・コンセント等の医師の負担を踏まえても、我々が罹病した時は、診断つかずの試行錯誤、医師の直感を信じる以外に頼り処はありません。派閥、専門に囚われない横断的な研修会での臨床学の成長を望みたいと考えます。
2012年03月29日
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「旧約聖書」創世記(始めに神ありき) 創世記第一章では、「絶対有」である神の創造行為によって、無から初めて万物の存在が開始されます。混沌から「地」が形造られ、昼夜が隔てられまた地表と大気が分離され、陸と海が別けられ、天には神の手により昼間を照らす太陽と夜の明かりの月が置かれます。植物が繁茂し、動物が造られて、最後に「<われわれ>神の姿に似せて」人間を土から創造します。其れ故、永遠の命を持っていたアダムとエバが、罪を得て楽園を追われる事となった後は、神の意思により、命の木から遠ざけられ、死を運命づけられて「元の土」に還ること強制されました。但し、後にイエスの出現が、人の原罪を贖罪し、神との新しい契約を結ばせ、人間に永遠の生命の可能性を復活させます。 他の神話との特異性は、万物の存在に先立つ「神」の絶対有を唱え、万物が存在しない「無」からの創造を神が成し得ることを強調している点です。即ち、絶対存在としての神以外の存在は神を因とした被創造物であり、神以外に非創造物は在り得ない存在として、始めも終わりもない永遠性を描きます。
2012年03月28日
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「怪異」偕老同穴 此処はグリーンランドのイヌイット(カラーリット)村落、一年の殆んどが氷に閉ざされた世界で、近年は移動にスノーモービルが使われるようになったが、やはりトナカイが欠かせない世界です。此処、村落の村長の次男エーヴィーは、シャーマンの娘の婚姻の条件「父にに勝ってね」の声に励まされシャーマンの地位に挑戦しますが完敗します。村の掟通り、十年を村外、三十キロ四方の外でナイフと毛皮一枚、罠具一個、火打石とトナカイ一頭の橇で暮らさなければなりません。ところが、過去に此の仕打ちで生き残れたものは今迄一人も居りません。 出立四日後、吹雪が凄まじくエーヴィーは「儘よ」と毛皮で身体を覆い、トナカイの行くに任せ運命を神に任せます。目を覚ました時、妙に薄暗い洞窟に入っていました。明かりを点けようと乾き藁に火が移った瞬間、上から下から生温かい水が噴出びしょ濡れです。仕方なく外へ出、掛からないにしても罠を雪を掘り仕掛けて、暖かい洞窟に疑問も持たずに戻り一眠り、二時間程経って罠を確認、大きな兎が掛かっていました。外で調理して喰えない分を明日の罠に使用するため洞窟に入り、明日を待ちます。 翌日、外に出ると周りの景色が様変わりしています。陸地が移動していることに驚きますが、それ以上考えず賞金の出る狼を捕るため、兎の骨を罠に仕掛け待ちます。今度も二時間程経った頃、狼の悲鳴が、駆けつけ丸太で殴り殺し、証拠の毛皮を剥ぎ、その他も洞窟に持ち帰り、明日に近くの村落を探して、銃を手に入れようとの希望を持ちます。フト気が付くとその生肉が洞窟に吸い込まれて消えゆきます。その後も陸地が移動を繰り返し、妙に罠に獲物が掛かります。 空の大きなプロペラ音で、目を覚まし出てみると、米軍兵士を伴って、生物学者と名乗る人が尋ねます。「君は、此の中で暮らしていたのかね」と。話を聞くと、海綿体と覚しき巨大な生物の移動を衛星写真で発見、訪れたと言います。研究結果は「共生」にあたると解明されます。丁度、海中の海綿体と蝦が共生している様に。其の後も、学者と私は海綿体の胎内で「偕老同穴」しています。
2012年03月27日
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「聖都」エルサレムとアブラハム エルサレムは、唯一神を奉じる宗教、ユダヤ教・キリスト教・イスラームの聖地とされています。ユダヤ教ではダビデ像で有名なイスラエル統一を成し遂げたダビデ王が「契約の箱」を此処に安置します。キリスト教ではイエスが幼少時代を此処で過ごし、宣教の最後の地としてエルサレムに入り処刑され、預言通りに復活を顕現します。イスラームに在ってはムハンマドが此処で昇天したことから、メッカ・メジナに次ぐ聖地とすることから三教其々の聖都として現在に至っています。 日本の駄洒落で言われる、アブラムは年老いて歯を入れ、老妻サライは胃を取ったと言われる、神の名付けによる改名、アブラ歯ム(アブラム転じてアブラハム)・サラ胃(サラ転じてサライ)は唯一神を奉じる三教それぞれの「信仰の父祖」・先祖・始祖とされています。エルサレム南30キロの地ヘブロンにアブラハム一族の墓があり、ユダヤ教・キリスト教・イスラームの聖蹟として今も三教徒の多くの人が訪れます。アブラハムの二人の異なる妻が産んだ子のうち、初めての子供の庶子イシュマエルがアラブ民族の先祖で、老齢で石女であった正妻サラに神が約束して授かった子イサクの子孫がユダヤ人です。「創世記」の記述は三大唯一神教とも受け入れますから、アブラハムは「多くの国民の父」「信仰者の父」とされています。
2012年03月26日
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「聖書」躓きの石4(聖書数字に纏わる不思議) 旧約・新約聖書にしろ離れて仏書にしろ或る種特有の数字にこだわりがあります。キリスト教信者が嫌う13日の金曜日は有名ですが、曜日についてはイエス処刑の日から来ています。13日は十二使徒に加えた十三番目がユダとなり不吉と云う説もありますが、13を嫌うのは其れより古く、十二進法が使われていた当時、十三番目がはみ出た数字として嫌われ、曜日とミックスされ「13日の金曜日」のジンクスが生まれたと云う説が最も有力です。 また、ヨハネの黙示録に出てくる「666」(映画エクソシストでは悪魔を表象)ですが、此の数字は、ヘブライ語からアルファベットで紐解くと、キリスト教徒迫害者皇帝ネロが浮かび上がってきます。 幸運のラッキー7は、七が数字としては特異なもので、正七角形だけは定規とコンパスだけでは作図出来ないことから、扱いの難しさによって神秘性が与えられています。
2012年03月26日
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「怪異」御恩 篤子夫婦は当時許されない学内結婚の教員夫婦で、その恋愛の凄まじさは今でも語り継がれる程。篤子が結婚のため教員を辞めた後、夫も定年を迎えて二十年、宿病により篤子を残して旅立ちました。篤子のその後の生活は、夫が生前好きだった近くの小山の玄関口の公園をいつしか夫を懐かしみ、話しかけての散策が日常となりました。 その日も、何時も幼児に与える菓子を持ち、公園ベンチに腰掛けていると、山側の山の湧き水を流す溝の側で、園児らしき子供が石を投げ付けている場面に出会います。怪我でもしたらと側に寄ると、一匹の白蛇を目掛けて石をぶつけています。思わず「白蛇様は、此の山の神様やで、罰が当たるよ」と言うと、園児は「怖え!」と逃散します。彼女は弱った蛇に手を合わせます。蛇は溝の流れに落ち消え行きました。 その後、足腰も弱り、白内障のみならず緑内障を患い公園散策もままならなくなります。篤子は生前夫が失くしたと云う愛用の杖をと、もしやと思い裏の縁の下を見たところ其処に、夫愛用の杖を発見。その日から杖を頼りに公園散策が続きます。手にしっかり馴染み、道路に吸い付く様に、ときには身体を安全に保って呉れてる様で篤子は夫の愛の深さを思い知らされます。遂には盲目状態となり介護相談員から白杖無しに歩くことが無理と判断され、篤子の部屋の杖立に持参して立てようとすると、既に其処には白杖が。その後も白杖をついての篤子の公園散策は止みません。厳寒の或日、篤子は高熱を出して主治医にかかりますが、自宅で死にたいとの希望を入れて臨終。駆けつけた子供は皆二三年ぶりに来たという状況です。 立ち会った介護相談員が死亡確認を聞いて、杖立を見やった時その場には、腕ほどの太さの白蛇が襖をこじ開け中へ入り、悲鳴を挙げる遺族をしりめに消え去っていきます。介護相談員だけが篤子と白蛇に向かって合掌しております。
2012年03月25日
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「聖書」躓きの石3(新教・旧教と十字架) プロテスタントはにカトリック教会から後世に分離した派で、仏教に於ける上座仏教等の有部に対する大乗の関係に似ているかも知れません。小乗では妻帯や剃髪が厳しく定められ、大乗では世俗僧侶を認める等大きな違いがありますが、其れが新教・旧教にも当て嵌まります。 カトリックでは指導者を神父、黒いフォーマルと詰襟、十字を切るときも右手を額から胸より左肩から右肩と触れます。祈りの場ではロザリオを使用するのもバチカンを宗主とする旧教の特徴です。他方、プロテスタントは指導者を牧師「、日常は普段着、十字を切るのも一部を除いでやりません。ロザリオを祈りの場でも使用しません。仏教上座部、カトリックともに妻帯を望ましくないものとしますが、大乗・プロテスタントは厳しく規定しておりません。何方も、仏祖その説法、イエスの福音そのものに忠実なのが右部と旧教であり、対して大乗・プロテスタントは解釈的な意義を持った宗教と云えましょう。 また、十字架にも様々なものがあり、イエスの架けられたラテン十字架型、上下反対にしたペテロの十字架、その他Y字・X字、鍵型・十字に円形があり民族其々に大切に伝えて来ています。更に、大教会の建物も上から目線では十字形になっています。
2012年03月24日
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「聖書」概説3(聖書創出) 紀元前三千年頃には、南にナイル川デルタ地帯を擁するエジプト文明が、北はチグルス・ユーフラテス川のメソポタミア文明が栄華を極めています。その中間のアラビア半島地中海沿岸部にやがてイスラエル人と呼ばれる民が定住化します。しかし、メソポタミアに勃興する王朝と南のエジプトにたえず脅かされ、終には蹂躙支配され主権さえ失います。辛い危難とその過酷な自然がやがて結束の絆としての神を見出します。豊かな自然と浪漫に恵まれたギリシャの神を星座に観たてて詩を歌うといった多神教の余裕など、荘厳な滝や巨木に心打たれる事もなく、大湖と云えば魚も住めない「死海」だけの此の民には「一系統の神(唯一神)」以外心に浮かび上がってきません。しかも此の神はイスラエルびととの契約で、信仰の有る無しに拘わらず他民族には恵みをもたらさない、唯一神とは云っても限定神です。 イスラエル人は打ち続く圧迫と受難の日々に結束を促す意味でも、強力な信仰が欠かせませんでした。。信仰の基本と其れに基づく社会規範と個々の生活規範を文書にして子々孫々に伝える必然性が生まれ、旧約の律法書が此処紀元前八世紀頃から書かれ、ユダヤ教正典三十九書が紀元一世紀末に確定されます。そのユダヤ教の形式主義を批判、神の福音を説くイエスが人間の贖罪として十字架に架けられ、神との新しい契約が結ばれます。その伝記や使徒の手紙を聖書に取り入れられたものが「新約聖書」と呼ばれることになります。此処では信ずる者全ての神となり、その存在が一のものとして認識されています。
2012年03月24日
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「聖書」躓きの石2(預言と予言の取り違え) 世界的ベストセラーとなったノストラダムスの著書が、余りにもマスコミに取り上げられ、世間を騒がせたことからそう時は経ていません。偶々ノストラダムスが聖職者であった事から予言と預言の相違が曖昧となり聖書の「預言者」を「予言者」と誤解される方々が多く見受けられます。此れを混同しては聖書を誤解することに陥りがちです。「予言者」の予の字源は「豫」で、予め決まっている或いは将来的に起こることを予告するものを言います。一方、聖書に出てくる「預言者」の意は一般の人間には解からない神の言葉を預かり、翻訳する者です。 旧約・新約・イスラームの時代には神が自身の意志を述べるときには、まず預言者にその意志を伝え、民に説くことを求めます。其れ故、預言者は民衆にとっての信頼と期待を一身に担う存在でした。預言者にはアブラハム・ヨナ・エレミア・エゼキエル等があり、なかでも大預言者イエスと最高預言者ムハンマドは現代に於いての最も尊重される人物です。
2012年03月23日
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聖書(the Bible)は「the Book of Boos」とも云われ、本の中の本とまで言われています。聖書には「旧約聖書」と「新約聖書」がありますが、「約」と云うのは、神と人間との契約の意であり、神が契約を人間に示し人間は署名するだけと上からの一方的な契約です。また一部の方々の中で「旧約」と「新約」を「旧訳・新訳」と取り違える方も居られるのでご用心。加えて、キリストの誕生を北欧神話の祭祀の日にしたクリスマスはギリシャ文字のキリストの最初の大文字「X」を取入れたもので、俗にはエックスマスとも呼ばれます。日本の一部に見かける「X’mass」は間違いなので気をつけましょう。 「キリスト」の名にしても、イエスに固有の名ではなく、古代では王や祭司は預言者から油を頭に注がれて。その使命を授けられたことから、、その後「油を注がれた者」とは民衆は圧政からの解放を実現してくれるメシヤ(救世主)を意味するものとして、現実・政治的な救済を求めることに成ります。此処に、神の子を自称するだけで、ローマ帝政への反抗を説かないイエスに対して、弟子のイスカリオテのユダやペテロと同様の誤解が生まれ、イエスに裏切られたとする想いが民衆の怒りに火を点け、ローマ総督ピラトの特赦の提案に、一方の強盗・政治犯でありローマに反抗するバラバの名を叫ばせることになります。
2012年03月23日
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「怪異」至極のマーガリンの後書き(喰らう) 少し前に、アンデス山脈旅客機墜落のラグビークラブ等の遭難者の、長期間経った後の奇跡的な生還が話題になりました。その後、食糧不足を補う栄養摂取が人肉であったことが発覚、世界に衝撃を与えました。人食いを我々は未開人特有のものだと考えがちであるが、実は身近に起こっている事なのに報道が殆んどされないだけです。 日本の歴史を観ても、天明の大飢饉では、人減らしと食料難のために、さすがに自分の腹を痛めた赤子は食せないので、相互に交換して食べていたことが文献に残されています。 近世では、太平洋戦争が日本兵に限界を超える過酷さを要求します。特に、大本営が計画した豪州攻略の拠点にニューギニア東端のポートモレスビー作戦は、米軍火力の前に補給路さえ保てず、二十万とも云われる勇兵を見捨て去ります。現地では風土病のために全員が病人状態に、、それでも食糧難ゆえの口減らしの玉砕作戦が組まれ、生還出来た者一万という有様です。その中には、餓死から逃れるために敵兵や戦友を喰らう者少なからず、やがてその味を好み、死者の脂肪を溶かしラード状として保存し、スープ等に入れ生存を勝ち得たとの報告が残されます。南方派遣軍の方々が、今だ浮かれて戦友会で前線未経験者が軍歌などを合唱しているのを尻目に、戦争を語らず胸に秘めたまま世を去って行かれるのは悲惨なことです。 未来の地球環境も、環境悪化と人口爆発によって蛋白源の確保が難しくなれば人肉処理の悪夢が待ち構えます。
2012年03月22日
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「聖書」概説2(内容の相互矛盾) 聖書の内容と言っても所謂宗教書ではない。民族の歴史もあれば、神話・伝説の類、現代で云う法律である律法、勿論宗教書としての内容が中心として書かれてはいます。大乗仏教の様に自己の哲学・宗教を論述するたに釈迦の口を借りた、所謂偽書ではありません。そこには時代区分もなく特定の人物のみによって書かれた物でもないため、内容の相互矛盾が多く、読者を苛立たせることもあり(かく云う私が苛立ち、十数年積ん読状態でした。)、期待を挫かれた方々もあると想います。 ところが、聖書を再読してみると、その矛盾こその価値が見えて来るのに驚かされます。所謂概略に矛盾なきようプロット全てを見渡し、論理的矛盾を排除した論理的宗教書には見られない、生身の人間の赤裸々な現実の叫びとも云える体験は、人其々受け取り方も異なるための内容の違いから相互矛盾が生まれ、其れ故、無理に論理合わせをしていないため現実性があります。 元来、聖書はバイブル(書物)として書かれたものであり、此の事が宗教に囚われること無く、民族の壮大な物語としても読んで価するものであり、金剛石の原石と言い得るものとして汲めども尽きぬ内容を磨けば、光り輝くものと成り、此れが世界のベストセラーとなっていることに結び付きます。
2012年03月22日
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「怪異」至極のマーガリン 今年は十四人のグループでエベレスト登頂を目指すとリーダーの勲は張り切り、空の人となり現地入り。しかし四号キャンプからブリザードが凄まじく、断念と思いきやリーダーの勲のゴーサインで登攀を続けたものの、ルートに迷い遭難。その後捜索隊が探すも誰一人発見出来ずに断念。四十日も経った頃突然にリーダーの勲の下山を確認大騒ぎになりました。他の皆はクレバスに落ち絶望、私一人が取り残され生存してしまった、申し訳ないと涙ながらに話します。食料は隠し持っていたチーズでしのいだと言います。 帰国して後、十数年登山家として若手育成に努め、ロッククライミングクラブで各岩山を先導、五十歳にしてトーストにマーガリンだけで誰にも負けないのには皆驚かされます。毎年、遭難地のエベレストの冥福のため独占使用許可を得たキャンプ小屋を訪れ、帰国の際にマーガリンだけを持ち帰ります。 仲間の談合の時、グループでシェフの息子がそのマーガリンに興味を引かれ、少々盗み出し、持ち帰り父に舐めさすと、「味わったことのない味覚、成分解析に大学研究所で分析して貰え。」と言います。数日して研究所副所長から電話が、訝しく思いながら駆けつけてみると、此方を睨みつけて無言の圧力。書類を突きつけました。其処には人脂肪成分解析と書かれています。「何処で手に入れた」隣に立つ刑事らしい人物が尋ねます。正直に全てを話しました。 裁判が始まったものの、判事判断で即隔離施設へ、内情詳しい方に内聞に聞いた処、彼等一行は下山する時食糧難に直面、死に行く者を生存者に肉体提供をと投票で決め、メンバーは順次死に絶えた、凍てつく前の肉を喰いますが、リーダーの勲以外は全員吐き戻し、遂には勲だけが四号キャンプを目指します。空腹を満たすため、彼は生肉を喰らい体力を回復させ、やがて、その味を好み、死者の脂肪を溶かしラード状に加工しキャンプに貯蔵、毎年冥福のためと言っては、至極のマーガリン持ち帰っていたと思われます。
2012年03月21日
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現在の貴方が現実を生きる代りに逃避して、信仰の物語を生きているのだったら注意してほしい。輝かしい登場人物、遙か古代の世界、驚くべき奇蹟の連続。信仰に取り憑かれた者達の才能が創り出す絵巻物が、其れ自身のプロットによって、更に我々を現実を離れた世界へと導くことを。緊張に強いられた生活の苛酷な現実から、貴方を救い出すという名目で、正義と神を振りかざし、貴方を夢想の世界へ連れ出して神の指示や預言者・教祖の指示として過酷な要求を求め、貴方の犠牲を求めます。 創造主たる絶対愛の存在、無限存在の精神が絶対存在を愛するのに犠牲を求めることなど有り得ません。人が主手で神は受け手です。神を愛するものには幸福がありますが、それは神が与えた貴方自身の精神様態であり、神其のものが貴方を認識・加護しているものでは有り得ません。自己さえ認識する必要性が無い完全体、それこそが究極の存在者「神」です。
2012年03月20日
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「怪異」入魂(創作) 「此の糞ったれ、無駄飯食い。三浪もしやがって、誰に面倒観てもらっている。」頭を拳でぶん殴られ、壁に激突したたか肘を打った。痛みを感じても涙が出てこない。前妻の息子で十歳年上の兄は商社マンの登山好き、前途も洋々らしい。私といったら二流どこの大学受験に再々度度の失敗。それでも後妻の母と父が生きていた頃は、こんな地獄の日々はありませんでした。バイト生活で予備校費用は賄えるものの食費までには手が回らず、まして出て行きたくても下宿代の目途が立ちません。兄は財産分与も此れ一言も云わず相変わらずの暴力。 近くにある神社の縁日でトイレ横の古物商いと書かれた旗に惹かれて、冷やかし半分、国光銘と書かれた箱を開けさせ、「この短刀、中身あるの?」と聞いたら達磨のひと睨み、剣争で半ばから折れ銘は無くなったが本物とのこと。眉唾物とは思いつつ、何かが心に働きかけ貯金の全額二萬円で、翡翠の様な砥石付きで購入。その日から兄の登山記念の後ろ姿の登攀フォトを見て、毎度の砥ぎ。シャーシャー々魂込めて毎晩遅くに研いでいます。 夏も盛んのある日、兄がお前を登山で鍛えるから従いて来いのお言葉、魂込めて研いだ短刀は勿論持参。クライミングに兄が取り掛かった時、腰だめにして刃を上向きに兄の後姿の腰目掛けて一気に挿し込む。一瞬頭が真っ白、力が喪われてゆく、何かが奇しい。自分の腹に眼をやると、何故かユリゲラーのフォークみたいに短刀が180度曲がり、そして折れて、今尚グイグイ腹にめり込んできます。意識の遠のいていく中、兄の嘲る声「お前が、砥石で磨くたび、俺はお前を殺すことを念じていた、それは俺の入魂の短刀だぜ。」笑いが増々大きく、小さく遠ざかっていきます。
2012年03月20日
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「仏祖」と「キリスト」四(死生観) 凡そ、人は死とともに永遠の無・闇に没すると考える傾向は、世に知識人と云われる人に顕著である。魂が五体から遊離すると考えるのが無知蒙昧ととられることを恐れるかのように。人間の肉体が死滅した後、魂はどうなるか、果たして死後の世界の存在は、人類の原初から抱き続けてきて疑問であり続けてきました。科学が進歩し、植物遺伝子の組み換えは日常となり、人間の遺伝子構造解明も最早時間の問題となっています。しかしその反面、人間は未だ原虫一匹生命の創造ができません。生命の創造行為は将来的にも人間には不可能かも知れません。生命の創造は創造主たる万能者に委ねられています。 医者がよく言います。患者の枕頭に坐っているとき、心臓停止と同時に死の気配とともに魂が抜け去るのを感じると。人は何処からやって来て何処へ行くのか、「仏祖」と「キリスト」は共に違った考えを持つも、其々の答えを用意しています。 釈迦は、五体離れて魂なしとしますが、此処にニルヴァーナを用意、此れが極楽浄土の世界であり輪廻転生を免れ苦界を脱するとします。イエスは、人の霊、神の霊・聖霊、惡靈の存在を認め、人が聖霊を受け入れた時永遠の愛とともに生命を得るとします。両者ともに人が死とともに永遠の無・闇に没するとは説いておりません。永遠の闇に没するとするのは、貪欲家の逃げ口上に聞こえます。
2012年03月19日
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「聖書」概説1(キリストの定義) 一般にキリスト即イエスと思いがちですが、そもそもイスラエルでは王権の復権と政治的独立を勝ち得てくれる救世主を待望してキリストと呼んでいます。イエスも自分が人の子(神が、人間の贖罪のために送った犠牲としての神的存在の一部)であるとは言いますが、決して自らキリストを名乗ることはありません。キリストを名乗れば、当時の状況ではローマ法に照らして死罪は確実です。ローマ帝国総督ピラトの「お前は、ユダヤ人の王か」の問に、静かに「私はユダヤの王です」と、真理に生き律法を完成させる者の意で答えます。そこにはユダヤの反乱分子に加担なきことが込められています。此のイエスの思考が、弟子ペテロに疑いを抱かせ、イスカリオテのユダの落胆を誘い裏切りに直結した原因になると想われます。イエス一行の金銭面を全て任される程信用のある男が、僅かの金でイエスを売ろう筈がありません。ユダは最後までイエスのローマ帝政への蜂起を期待していた可能性があります。 expiation(エクスピアシオン)としてのイエスは、イエスを救世主と確信して自己の生命の危険さえ厭わず従ってきたユダに対して、イエスがエルサレムに入るまでの発言は裏切り行為に思えた筈です、ユダには到底許すことの出来ないものでしょう。 但し、イエスの十字架刑のあと、イエスは神の子として人の性をとった、真の神であり真の人であったことに目覚め、罪を悔い己が命を捨てることとなります。
2012年03月19日
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「イエス」復活の謎4(4月10日その後)聖書のイエス復活の記述は、ヨハネ・マタイ・ルカ其々に違いが有っても、その言わんとする処は、理路整然と語られる作り物の世界よりも、人が通常持つ言語表現では捉えられない超自然的な奇蹟を前にしての、激しい現実に晒された反応であり現実味があります。イエスの最後の晩餐の預言通り、朝一番鶏が鳴くまでにまでに、十二使徒中最も強靭さを持つペテロでさえ師を知らないと答え、処刑を免れようとします。その他の弟子も、己の命惜しさに処刑までの二日間、息を潜め、隠れています。 ところが、何故に使徒行伝に書かれているような、凄まじい弟子に変容していったのか。此の臆病な弟子達が別人となり真理を伝導していったのか。ペテロはローマへの伝導時、不穏な空気を恐れ引き返そうとします。町の外へ出た時、イエスが現れペテロにと云います。「ペテロ何処へ行くのか、私がもう一度十字架に掛かりに行こう」と、ペテロは引き返しイエス・キリストを慮って逆さ十字架に掛かり殉教します。 此処に聖霊としてのイエスの出現の真実性が浮かび上がります。「私は、本当に死んだ。しかし私の手と足を見よ、死んでは居るが本当に生きているのだ。」弟子に、この言葉は死への恐れを失くさせるに充分でした。
2012年03月18日
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「イエス」復活の謎3(4月8日土曜日)普通十字架刑では、三日では事切れないところをイエスはたった六時間で死に至ります。七日の陽が沈むと安息日に入る、イエスの埋葬は何があろうと日没前に行う必要がありました。安息日に入っては墓を暴く、遺体を盗み出すなどの行為は重罪に問われ、当時のユダヤの民には論外のことでした。祭司長とパリサイ人がピラトに迫ります。イエスは生前「私は三日の後蘇る」と言っています。そこで三日までは、預言が実現したと言いふらすために、遺体を盗み出す弟子を警戒して、予言の成就をが無いことを証明して欲しい。でないと騒ぎは増々大きくなると。総督ピラトは此れまでの事の成り行きから、さもありなんと番人を付けることを許可しています。 奇妙なことに安息日に忠実な筈の祭司長とパリサイ人だけが此の日働き、墓に行き、石で封印し、番人に厳重に墓を見晴らせます。(4月9日日曜日)ヨハネ・マタイ・ルカが其々イエスの墓の封印が破られ、墓石が取り除かれ、墓の中が空で、イエスの弟子アリマタヤのヨセフが総督ピラトの許可を得て覆った、亜麻布のみが脱ぎ去られているのは共通するものがあります。しかし、弟子達に三日後に蘇ると言った心に湧き立つ思いと墓が空であることが結び付かなかった。一つの宗教の肝心要の復活の記述が、恐れ慄いて口がきけず、或いは喜び勇み、幻を見る目撃情報もマリアが只一人、他は複数の女性達と混乱しています。幻にしても若者であったり、天使であったり、イエスその人であったりします。此の辻褄のなさは何を意味するのでしょう。恐らくは信心の深浅から来るイエスの復活の眼前の捉え方です。預言されたイエスの復活の真実・現実性が此の辻褄のなさから読み取れます。
2012年03月18日
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「イエス」復活の謎2(4月7日金曜日・裁判3日目)前例のない稀な死刑判決が下されます。ローマとしてはユダヤの民衆の動向のために犠牲(いけにえ)を必要としていました。ローマ帝国総督ピラトの「お前は、ユダヤ人の王か」に静かに、永遠なる真理にして命なる王として「私はユダヤの王です」と、真理に生き律法を完成させる意で答えます。ユダヤ教徒やパリサイ人は震え上がり、群衆は罵り、ピラトの持ち出す過ぎ越の特赦を、許すなら「強盗・政治犯バラバを」と叫びます。 ローマ帝国総督ピラトの目論みに民衆は乗せられ、暴挙の矛先を犠牲者へ向けさすことに成功、そこへ祭司長が「彼は、自分を神の子としたから死罪に当たる」と群集を掻き立たせます。「神の子」と名乗れば死罪など律法書の何処にも、涜神罪に触れるとは書かれてはおりません。罪は彼等にあり、唯一人味方無き貧相な無実の男を、平手で打ち又鞭打ち、いばらの冠と紫の衣を着せら血を流し続けるのを群集は乱舞して嘲ります。(4月7日金曜日午後)群集が嘲り乱舞する中、此の男が猶も平静心を失わず、群衆と総督に向かい語ります。「誰でも真理につく者は、私の声に耳を傾ける」、この状況に在って口がきけただけでも、既に奇蹟の人であったと言えます。爾來、此の一言が二千年に亘って人類の歴史に響き渡ります。午後三時に遂に男が十字架に架けられます。涜神罪なら石打の刑なので、ローマ法による世俗版・政治犯としての十字架刑です。総てが今までと違い異例であり違法性を帯びたものでした。 十字架の上にピラトが書かせた罪状札が掲げられます。「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」、此れはイエスのみならずユダヤ民族に対する侮蔑の文言です。祭司長達の自称したと書くべきだとの抗議を、似非宗教家と見做すピラトは、兵士に「俺が書いた儘にして置け」と命令します。こうして、安息日前に全てを終わらせる異常とも云える処刑が敢行されました。以後、イエスの語った真理と律法の本質と、律法学者の律法に書かれた通りの行為にこそ神の祝福を受けるとする考え方が歴史を通じて対峙することになります。
2012年03月17日
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「イエス」復活の謎1(4月5日水曜日・裁判1日目)紀元26年から紀元36年の間の時期の早朝のエルサレム、自分に従ってきた13人の弟子の中の一人に裏切られた貧相な男が捕縛され、大祭司アンナスの尋問を受けますが、何らわるびれた様子もみせず、返答も理に適ったものでありアンナスはそれ以上の尋問の無駄を悟り、彼を縛ったままに祭司長カヤバの処に送ります。しかし、その態度が気に食わないとアンナスの部下が何度も平手打ちを加えます。其の時忍び込んできた弟子らしき人物は見とめがれ問い詰めにあって男の預言通りに、その男のことなど絶対に知らないと言い、夜明けの闇に消えて行きます。 大祭司アンナスから送られた男に対する祭司長カヤバの最初の裁判が開かれますが、男の悪びれない様子と理に適った返答は変わりません。苛つ祭司長と部下は、増々平手打ちを加え、言葉じりを掴もうと焦りますが、弱々しく見える此の男は態度を翻しません。初めから有罪は決まっている様なものなのに。その訳は、彼が未だ約束された時に至って無いことを確信しているからです。父なる主の声こそが其の時を決定します。(4月6日木曜日・裁判2日目)此の日の早朝開かれた裁判は、祭司長カヤバの下、策略を以って男を殺そうとする裁判は、名ばかりの形式裁判で死刑判決は予め決まっていました。男には死刑判決が下され、嘲笑と侮蔑の中に孤立します。身柄をローマ帝国総督に送ったのはユダヤ人の死刑を極度に厭う性向(現在のイスラエルにも死刑制度はない。)からです。政治犯としてローマ人の手での処刑を目論みます。
2012年03月17日
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「怪異」対向車 私は大学を、関東では田舎と言われる処の新興大学で寮生活を送っています。町とは云っても周りは総て畑地、しかし、縦横無尽にトラクターの車輻以上の砂利道が整備されています。近頃、衛生都市計画狙いのマンション住民が駅への近道として、車で此れ等の道を利用していますが周りは全くの暗闇、何時も事故が起こらねばいいがと気にしておりました。その畑地にポツンと一件の焼き鳥屋の小屋が立っています。焼き鳥と言っても所謂四足の豚の腸ですが、此れがまた一緒に出す下皿に溢すのを当たり前とした焼酎が合い、セットで百円なので大人気。但し、安焼酎の報いで皆が帰りには千鳥足。 折も折、マンション暮らしのスポーツカーの若者が、毎夜此の道をレーシングドライブ、遂に二人の千鳥足の地元人間をはね飛ばしましたが地元有力者の息子ということで、書類送検の寛大さ、撥ねられた家族はお涙金では承知しません。 共に、地元高校に通う娘がいましたが、親と同じで中が良く二人して復讐を計画しました。東京秋葉原で特大のサーチライト二つを購入、未だ懲りないレーサー馬鹿を深夜待ちます。真っ赤な大風呂敷を繋ぎ逢わせ互いに引っ張り合い、向かって来るスポーツカーが近づいた時、道の両端のサーチライトを点灯、レーサー馬鹿は対向車と思い込み避けきれず、一段下の畑地にダイブ、車が燃えての顔が大火傷、外へも出られない身と成り果て、対向車を探させますが見つかりません。警察に言ってもラリっていたのを疑う始末。田舎に平和が戻りました。
2012年03月16日
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「仏祖」から紅海渡渉を観想 ラメセス二世の当時アジア遠征の兵站基地のため、ユダヤ人を強制労働に駆り立てた事から起きた、言わずとも知れた脱エジプトのハイライト「紅海渡渉」ですが、時期は紀元前1280年頃と云われます。しかし、「旧約」に紅海と訳されたジャム・スフとは「葦の海」であり、海水では有りそうもなく、シナイ半島北岸のセルボニ湖が有力視されています。此処は湖と地中海を隔てる狭い地峡があり、「水は彼等の左右の墻(かきね)に別れる」ことが可能となります。渡渉時は引き潮で陸地となり、やがてエジプト軍が追撃のときには強風と高潮により海が高波(水壁)となり左右から押し寄せます。 軍事統制力にも秀でたモーセは、徒渉地を目の前にして、エジプト軍に皆殺しにされる恐れがあるのに、怯え戻ろうとする民をみて、劇的な方法を取ります。皆が畏怖する杖を高く掲げ、神の預言を叫び無事渡渉を成功させます。 同じ厳しい自然条件のなかでモーセの立場に釈尊が追い込まれたら、最早説得等を聞く耳持たない烏合の衆を前にしては、便法をもってモーセと同じことをしたに違いありません。そこには神現と理法とに違いあれど民を見る眼には共通するものが在る筈です。
2012年03月15日
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「仏祖」からノアの方舟を観想 旧約聖書の創世記に述べられているノアの方舟は、モデルがありました。特にアッシリア版の英雄ギルガメッシュの叙事詩に出てくる大洪水の方舟伝説は旧約聖書の創世記に驚くほど符合する部分があります。其れより古い大洪水を記録した粘土板断片も発掘されており、また、大洪水を物語る沖積層も発見されているので、方舟伝説の事実は間違いなでしょう。 但し、旧約聖書の創世記のノアの方舟が事実だとしても、聖書という宗教書に取り入られると問題が起こります。ノアがアダムとイヴの子孫は別として、「私は、お前の神」全ての堕落した世界を水で覆うとする「全て」はメソポタミア地方に限りとせなばなりません。世界視線から見れば、方舟到達地とされるニシル山やアララト山(標高5165米)でも無理があります。全生命を滅ぼすには世界の屋根エベレストをも水で覆わねばなりません。然し乍ら地球にそれだけの水資源が存在しないのは明らかです。神の視界がこの時点では狭かったからでしょうか。 旧約はイスラエル人の神であり、多民族の神ではなく、一神教とは云え氏神的存在です。新約イエスを待って神が選民としてのイスラエル人は変わらなくても他民族の信仰も受け入れ、救済を取り入れますが、イスラエルの神、其のものが変わるわけではありません。イスラームとなって初めて神が信仰する民族・人々全ての唯一絶対の神になります。此の流れを自然現象から絶対精神、そして絶対存在と捉えます。 仏祖釈迦ならノアの方舟をどう解釈するでしょう。世界の理法を諸法実相「空」と捉え、常恒するもの無しとする哲学に絶対神は存在しません。バラモンの神々、ヒンズー神さえも不常条件付きで認めてはいます。須弥山に居る神々を、釈迦が自然神(自然現象)として観て、自然は世界の理法「空」の下にあり、絶対神である神の存在は認めないにしても、自然現象に対して畏怖の念から人々が想う神源性の可能性までは、恐らくは便法として否定しません。自然も「空」を逃れず常恒・常有の絶対存在には成り得ないと断定します。
2012年03月15日
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「怪異」歯抜け 私は、幼い頃より甘いものが格別好きで、ご多分に洩れず何時も歯が損傷状態、総て健康歯など在ったためしが有りません。高校時代でも同級生が「ガマ口」と渾名を付ける程、残存する歯は四本。入れ歯を歯科医に勧められていましたが、放置して何とか卒業。ところが、就職面接では此れが祟り、オールバツ。十八歳にして人生を諦めました。 或日、日がな暇なので、好きな水族館を見終わりベンチに腰掛けて居ると、今では珍しい、羽織袴の白鬚を長く垂らした老人が横に腰掛け「君は、悩み事があるね。此れをあげよう」と小袋の中から、何かの歯らしきものを取り出し「今飲めば、悩みは無くなるよ」と私に渡しました。その威厳のある顔と声に逆らえ用もなく、口に放り込みました。胃壁の熱くなるのを感じましたが心地良いので、礼を言って別れ家路につき就寝、異変も無く朝を迎えました。 磨く歯も無いのに一応洗面所で歯ブラシを取り出し、磨き始めたのも束の間、残存する歯四本が音をたて転がり落ちます。驚きと悲しみに打ち拉がれ、昨日の老人を呪いました。翌朝早く、何気にか洗面台へ行き、うがいをしょうとした時、異変に気付きます。歯が全部揃っているではありませんか。少々口が突き出し出っ歯な顔つきには成りましたが、喜びに打ち震え、明日から就職活動を始めることに決め、その日水族館で彼の老人に礼をと思い探しましたが見つかりません。館員に聞いても見かけたことがないと言われ心の中で感謝して、明日の面談に備え練習をして就眠。ところが翌朝口が増々前に突き出して「北京原人」状態、面接どころか外出もマスク無しには、儘なりません。大口を開けて鏡を見ると、歯が奥に何列も並んで予備状態、水族館好きの私は、鮫の歯を直感。 現在、5日毎に生え換わる歯を呪いながら、虫歯に悩む人を羨んでいます。
2012年03月14日
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「ケルト人」4謎と残虐のドルイド僧 モナ島の女王ボウディッカとの戦いにも出てくるドルイデス(ドルイド僧)は、首狩りをも恐れないローマ軍団兵を恐怖させます。彼等は世襲制ではなく、ケルトの多くの若者が社会的尊敬と特権をを一身に受けるドルイド僧に成るべく、非常な努力をもって学習に励んでいました。彼等は詩の形式で伝承される知識の宝庫でした。ギリシャやローマの文字を使用出来ても、知識が独占物でなくなるのを恐れると共に記憶力の研鑽のため文字を使用しません。 また、その権力背景には、司法官として自己の採決に従わない者が出ると、貴族・平民を問わず、生贄の式の出席を拒否。ケルト社会から穢れた者と見做され、社会的に葬り去られました。その宗教の根幹には、不滅の神々には、戦士の生命を守るとかケルト重病人を救うには、同じ犠牲を求めなければいけないとする信仰があり、犠牲のやり方も其々細かく公けにも決めています。更に気味の悪いのは犠牲者のせなかを突き刺す断末魔の様子で未来を占ったことです。而も、異人や盗賊等の罪人が居ない場合は罪の無いものをも犠牲にします。私に言わせればドルイド僧は、残忍な魂の洗濯屋さんです。
2012年03月14日
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「ケルト人」3女王ボウディッカ 海岸線の敵を縫って走り廻る復讐の女神、喪服を纏い髪振り乱し松明を振りかざしながら。周りではドルイド僧が身の毛がよだつ呪詛を唱えている(年代記)。紀元一世紀ネロ帝の時代、ブリタンニアのイケニ族女王ボウディッカがローマに対して、自由を求めて勇敢にも反乱を起こします。その軍は結局負けますが、女王の言葉は記憶に残るものとなります。 男も女も誇り高く勇敢な自由人の女王は、戦いに挑んで味方兵に激を飛ばします。「ブリタンニアでは、昔からよく女の指揮の下で戦争をしてきた。しかし、今は王家の一員としてではなく、人民の一人として、奪われた自由と鞭打たれた身体、凌辱された娘の貞節のため、復讐するのです。ローマ人の情欲は、私の体はおろか、年寄りや処女まで一人残さず辱めずにおかないまでになった。神々は正義の復讐を加護している。それが証拠に敢えて戦いを挑んだローマ軍団兵は全滅、残りは隠れているか、退却の機会を狙っているか何方かだ。もし戦争の原因を考えるなら、此の戦いには是が非でも勝たねばならない。でなかったら死ぬべきである。此れが一人の女としての決意である。男等は生き残って奴隷となろうと勝手である。」鉄の女サッチャーの古代版ですね。
2012年03月13日
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「ケルト人」2屈辱のローマ帝国 ケルト人が住んでいるガリアやブリタンニアなど北西ヨーロッパは、紀元前5世紀頃のローマ帝国に於いては、まさに暗黒大陸そのものでした。ところが、紀元前三八七年にローマ人は否応なくその存在を思い知らされます。其れまでのローマ帝国の長い歴史の中で、初めて異民族ガリアのケルト人にローマ首都を占領されます。而も、ローマは撤退する条件の黄金の支払いを認めざるを得ませんでした。 ガリア王プレンヌスは秤を誤魔化して、更なる黄金を追加させます。ローマ側が不服を言い張った時、王は自らの剣と剣帯を秤に乗せ重りを付け加えます。呆気に取られるローマ人に向かって王の答えは「負けた奴が、悪いんだ」の歴史的名台詞を吐きます。 永遠の霊魂不滅と輪廻転生(インドバラモンの影響)を信じるケルト人は、死を些かをも恐れず、戦闘に於いて裸で狂った様に戦うケルト槍兵は文明社会の兵士等を恐怖に陥れます。その後、ローマは紀元前一世紀に、漸くユリウス・カエサルの登場を待ってガリアを平定、ブリタンニアを征服することになります。但し、ブリタンニアではケルト人イケニ族女王の反乱が起きます。
2012年03月13日
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「ケルト人」1奇怪な謎の世界 英国のストーンヘンジやストーンサークルがケルト文化に関係在るとしてケルト人に注目が集まりましたが、現在では紀元前5世紀頃のケルト人のブリテン・アイルランド入植より、更に一千年古いことが解り、増々謎が深まっていますが、此処では未だ謎めいた民族ケルト人に注目します。 紀元前15世紀頃東方インド=ゲルマン諸族から拡大したケルト人は、その後、北はアイルランド西はガリア(現在の仏蘭西)・イベリア半島まで勢力を拡大、紀元前5世紀頃にはローマ帝国と境界を接することになります。その文化はインド=ゲルマン系であることから、当然にインドバラモンと社会構造や文化が共通する点は見逃せません。古代インド社会の階層制度の最高位バラモン(神官)を筆頭に貴族・戦士のクシャトリヤ、庶民階級のヴァイシャ、奴隷階級のシュードラが、ケルト社会では残忍な儀式で知られるドルイド僧、部族的な王と土地を所有する自由民即ち騎士階級、そして平民と奴隷階級が比肩されます。部族単位のケルト人はヨーロッパ各地で戦いを行い、文明世界に知られ始めた時のように、再び歴史の闇の中に多くの謎を残して消えさります。
2012年03月12日
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「外史」首狩り2 スキタイ人と謎のケルト人 紀元前8世紀頃からウクライナの南部を拠点とした遊牧騎馬民族であるスキュタイ人が「謎のケルト人」とは、騎馬に長じていることと共に首狩りに於いても相互に影響がし合ったとしても不思議はないでしょう。スキタイ人は敵の首を奪い、頭皮を頭蓋骨から剥いで布巾として、馬勒につりさげ、敵が将クラスともなると頭蓋骨を眉のところを鋸で引いて切断し、牛革を張り或いは富裕層では金箔を被せ杯としています但し、日本の場合と同じく、宗教的色彩は無く名誉と誇りを首に託したかたちです。 スキタイに影響し合った謎のケルト人と云われる民族は、BC1500年頃より東方から拡大して来たインド=ゲルマン諸族の流れに在り、彼等の首狩りはスキタイと違い、敵首を部屋の柱や壁に特別の霊力が在るものとして飾り、大切にしていました。更に、髑髏に金箔を貼った杯をも制作、此れがを織田信長にも宣教師と伴に伝わったと思われます。
2012年03月12日
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「外史」首狩り1序章 史上、首狩りを行なっていた人々・民族は遍く世界に存在します。概して首が魂の在りどころとした宗教的側面から行われていたものが多数を占めますが、宗教を離れ、日本の様に恩賞に預かる首確認のため塩漬けして(例:義経塩漬け首)領主に送り、また、見せつけの晒し首として首狩りとは名付けられないものまでを含めますと数限りなく存在します。 我が国では、仏法各宗派から魔王と恐れれた現実主義、実利主義者である外国好きで世界制覇さえ夢に描いていたと思われる織田信長は、恐らく西洋史を宣教師等から知識を得、恨みの朝倉と妹お市の方の愛夫である朝井長政を、髑髏に金箔を貼った盃で家臣で飲み廻すことを強要します。此れはローマ帝国を除けば、西洋史にあっては更殊珍しいことでもないことは、現在の欧州の祭祀に再現された姿に多く見かけられます。概して現実主義者と考えられる信長を除いては、相手の力を自己に取り込むと云った信仰が底辺にあります。 歴史的に観ても謎深いケルト人に関連してスキタイ・ゲルマン人の風習、中央アメリカではスペインに征服されたインカ帝国の心臓を神殿に捧げた行為等は、民俗学的に観ても野蛮だけでは片付けられないものがあります。
2012年03月11日
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「時間」已去・ 去時・未去 時間を大乗八祖の龍樹の説く「中論」から捉えると、此の古代大哲学者の否定の否定論法が良く解ります。先ず、時間を過去事・現時・未来時と定義して、時間の流動の可否を検討します。過去時・現時・未来時を流動するものと捉えると、其々に作用が必要となり、「過去事は去る作用により既に去って今は存在しないもの・現時は今まさに去ろうとしているものが去る作用によって去りつつあるもの・未来時は未だ来ないがこれから近づいてくる来る作用によって来るもの」と解釈出来ます。 此処に矛盾が生じます。過去時は去る作用により既に去って、今は存在しないものだから作用の働き用がなく存在さえ否定します。未来時は、未だ来ないが、これから近づいてくる来る作用によって来るものだから、未だ来ない存在に対してて作用の働き用がなく、此れも存在を否定、では現時の今まさに去りつつあるものの「去る作用」による働きによる動きはと云うと、「今去りつつあるもの」が如何してまた「去る作用」を必要とするのか、二重の去る働き必要とする去りつつあるものなどは成立し得ない。と説きます。 龍樹は時間其のモノが存在せず、人間の観想する観念にすぎないとして、老死や苦楽等々を盡く此の論法で論破して行きます。そうして人間が実相するものが、全て縁起していて、その諸法実相・縁起こそ「空」であると説き、執著・我執を離れた涅槃を示します。
2012年03月11日
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「怪異」臍が茶を沸かす 大学院を出たものの就職先の大学も見つからず、辛うじて其のまま在学大学の助手として教授の情けで残して頂いてる私に、振って湧いたかの様に学長の次女が一目惚れ、未来の学部長も手に入れたも同然です。 今日も夕食を学長の次女と高級仏蘭西料理店にて、コースを堪能、とりわけワインが旨かったので彼女持ちで追加、飲み過ぎました。あくる朝、何か腹具合が悪いので臍あたりを触ると、突然、何かが指に噛みつきました。驚き壁掛けミラーで腹を見ると、臍が人の口に変貌しています。歯のある臍の口が頭に呼びかけます。「何か食わせろ」と。口は腹に在るが眼や耳鼻はおまえのものを利用している。脳はお前が利用してない部分を支配していると頭の中で言います。 其の侭今日も、夕食を学長の次女とデート、臍の口が頭の中で命令します「俺にも食わせろ」と、仕方なしに彼女が化粧室に立ち上がった隙に、コースのチーズを臍に背広とズボンを開けて放り込むと「旨い」と頭に声が響渡ります。只、彼女が戻った時に奴が大きなゲップをして、客総てがドタキャン、彼女に「私のことは、忘れて」と言わしめた時は、私の心が臍への殺意を決定付けました。 丁度其の時、奴が私の頭を探って「臍が茶を沸かす、てのがお前の記憶にあるけれども何だ」と聞きます。 私は自分に言い聞かせるように臍の口に茶葉を入れて、湯を沸かすことさと念じました。「やってみろ」と言うんで、湯の代わりに油を煮立て茶葉もろとも臍の口に注ぎます。一瞬頭が真っ白になり失神しました。 幾日失神していたのかわからないけれども、気が付いて腹を撫でると臍に口が在りません。漸く心の平静を取り戻したのは良いのですが、今迄、毛嫌いして喰ったこともないものが妙に食べたくなることがあり、女性の好みも変わり、果たして今の自分が臍の口か、過去の自分か区別がつかなくなりました。
2012年03月10日
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「聖書」旧約四(モーセの奇蹟と諸葛亮の法力) 法力無邊孔明扇 と云われる程、諸葛亮は天文・地質・地理・人間心理・自然等各分野を網羅し、軍略に此れ等の知識を巧みに利用した天才肌の武人ではなく、政略家及び軍師でした。道教の中国でなく、西・中東アジアに出現していたら、恐らくは大預言者と呼ばれたことでしょう。史的に観てもそれら奇蹟は事実だと言えます。 他方、恐らく三四千人のイスラエル人を脱エジプトに成功せしめる十の奇蹟を起こしたモーセは、パロの王女の元、当時のエジプト最高の軍事・天文・地質・地理・人間心理・自然学を修め、人に秀でた才能と叛逆者として放牧生活をおくるシナイ半島南部の荒野での神的体験が、彼を大預言者にします。神の力により彼が起こしたの是非はともかく、想像性逞しいギリシャ人ではなく、実利主義のイスラエル人の記録は現実性が高く、その事蹟は確認されること大です。
2012年03月09日
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「聖書」旧約三(モーセ出生の秘密) モーセが出生の秘密を知った後、同胞を救うことを使命と考え、エジプト人に鞭打たれているイスラエル人を救うべく相手を殺害します。モーセを毛嫌いしていた当時の王は、彼を叛逆者として捉えようとしたため、実母の里方である ミデアンのエロテの許に逃れます。其の時、放牧生活をおくるシナイ半島南部の荒野の静寂のなかで荘厳な神体験をし、エジプトの圧政から同胞を解放するための行動に出ます。それは神から明確な使命を授けられた結果です。 やがて、モーセを毛嫌いしていた当時の王は死に、義理の兄弟とも云うべき王が後継者に立てられたが、同胞の境遇は変わる事無く、虐げられています。こうして彼は、神の権威と力を帯びて、エジプトに赴き、王にイスラエル人の解放を直談判します。勿論、交渉は決裂、ここからモーセの十の奇跡、エジプトにとっては十の災禍が始まります。
2012年03月09日
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「怪異」飼育 未だ、ダイバーと云えばスカイダイバーのことで、海の方のスクーバダイバーを、職別にもアクアラング若しくは潜水士と書かなければならなかった頃、映画「沈黙の世界」に憧れてダイバーとなった私に、ミクロネシアの沈船(太平洋戦争で沈んだ輸送船・潜水艦・零戦)撮影の依頼が来て、バディー無しの単独撮影に現地へ、飛行機を乗継々到着。 カヌーにエンジンを付けただけと云うお粗末なボートに予備エンジンを追加して借り、ホテルとは名ばかりの戸口でご六匹の犬が寝そべっている小屋を借り、夕食は現地の人が親切に持って来てくれたタロイモと不思議な味の肉を食べ就眠。明くる日、片言の日本語が出来ると云う村長に現場の確認に訪れ、食べた蒸し肉の話をしましたら、日本人で、犬の肉を食う人は珍しいと言われ、その場で吐きそうになりました。 澄んだ海を現場へ三時間程、エンジン付きカヌーを急がせていると、いきなりエンジンストップ。さあ大変と予備を付けようにも形式が違い、暗くなった海を漂うに任せて数時間、無人島らしき浜に乗り上げました。一先ず浜にキャンプを張り明るくなったらマニュアルを見て予備エンジンを装着しようと考え、寝袋に入り込んでしまうと、外が何だか怪しい雰囲気、見ると五十ほどの怪しく月光に光る眼が此方を凝視、不気味で一睡もせず夜を明かしました。 昨日の生き物が気に懸かるので、島の中に三十メートル程入り込んだ時、ヤシ林が切れ開けた所に出ました。何と三百人ばかりの背丈が私の半分の人々が何か地面のものを収穫しています。その回りを幅二米深さ四米の空堀が囲み、一箇所だけ人一人通れそうな道が残され、空堀を覗くと犬達が土を必死に掻いてヤシのお椀に土を入れ、道に一気に掛けあっがってきます。フト周りを眺めやると人の数の三倍はいそうな犬が、此方を警戒するような顔つきで見ております。昨日の眼の正体がこれです。突然騒がしくなったとみるや、二十匹ばかりの犬が魚を咥えて人々に運んでいます。成る程、よく仕込んであると感心させられました。蛋白源に困らない筈です。 中の連中に声をかけても返事が無いので、ボートに戻りエンジンを取り替え、海に出ようとした瞬間、此方に大声で喚きながら走ってくる女の子に気付きます。途端、群れなす犬が、少女に飛びかかり、骨一本残さず平らげました。 後、此の頭が良い犬達は、人間を自分達の食料として飼育していたらしいと、ライフルで犬を皆殺しにした警官が私に語ってくれました。
2012年03月08日
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「聖書」旧約二(モーセの誕生) 日本ではモーゼと云う呼称が一般的ですが、命名の由来はパロの王女がナイル川の岸で「水から引き出した(マーシャー)から来ています。後にイスラエルの民を「エジプトから引き出した」事蹟に結び付けられます。但し、「ラムセス」の省略形とする説も可能性大です。 その頃のエジプトは、古王朝を経てユダヤ民族と同じく異民族が徐々に王朝内の権力を掌握し王朝を建てた中王朝、この時はユダヤ民族は寛容に扱われていましたが、再びエジプト人が支配する新王朝は、イスラエル人に過酷で、勇気ある両親が、赤子をナイルの支流に誰かが拾ってくれる事を願って流したのも、王がユダヤに産まれる男子は全て殺す事をエジプト全土に命令していたからです。 パロの王女がナイル川の岸でモーセを拾い養子としたことから、そのままモーセが、パロの王女の王位継承権の大きさからみても、エジプトの王となる可能性がありました。その後モーセはエジプトでも最高の学問を身に付けることを得ます。
2012年03月08日
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「怪異」後ろ前 私は、とある南海の人界から忘れられた様な孤立した島に生まれました。と云うのは私が此れを記す、数年前まで我々以外に他の人々の居ることさえ知らなかったからです。部落と言ってもいい程の人口で、母は私を産みました。しかし、産場で母自身も産婆も私を見て悲鳴を上げたそうです。そらそうでしょうとも、頭が他の人と違い逆向きについて生まれたのですから。 生き続けることが出来ないと思われた私が、皆に虐められても生きてこれたのは、海岸には私の様な魔物がいるため近づけず、動物といえば木菟と昆虫は蟷螂しか見ない世界です。木の実が我々の唯一の食料で、実が熟して落ちてくるのを待って収穫します。ここで魔物扱いされた私の出番です。木を登り実を投げ落とし皆に配り、怪物でもいい、皆に認めて貰えたらと自らを慰めていました。 木菟と蟷螂が頭の向きが正常な時もありますが、常に私と居る時は、頭を逆向けにして慰めてくれるので、島唯一の友でした。或る時空から鉄の塊が、轟音とともに何かを回しながら降りてきました。人々が見物に集まり眺めていると、中から私と同じ魔物が出てくるではありませんか。皆蜘蛛の子を散らすように逃げました。その魔物は私を引っ捕えて、空を飛び日本と云う魔物だけの世界に連れて来、教育を施してくれたため、今此れを書いております。もう誰も後ろ向きに歩くとは言う人々のいない世界で。
2012年03月07日
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「歴史を変えた女(ヒト)」天璋院篤子 幕政を幕閣が行うと云うのは実は表向き。幕閣がいかに良い政策を将軍に進言しても、幕府最高権力者の将軍が一旦男子禁制ハーレムの大奥に入り込んでしまうと、妖花の甘い囁きが政策を変容させるのは日常茶飯事であった。その伝統的弊害の改革を松平定信が寛政改革で実行しようとしたが、大奥の力により失脚。紀伊の将軍吉宗公でさえ改革実行を断念せざるを得ませんでした。 此処、外事多難な幕末に島津斉彬が支族島津安芸の娘敬子を養女とし、再度京都の近衛忠煕の養女として名を篤子と改めさせ十三大将軍家定に輿入れさせることに成功します。ところが、篤姫が御台所となると斉彬の思惑を超え、篤姫は大奥慣習を打破、才能と気性の激しさを発揮します。 家定没後は、御台所篤子は落飾、天璋院と号します。時に天璋院二十三歳、余りにも若い院です。家郷の薩摩藩に江戸城明を明け渡し、明治の世になり、隠居謹慎の慶喜に代わり徳川宗家幼主家達を教育傳補し、後の徳川公爵家を再興したのは天璋院篤子の力が大です。「一旦、徳川に嫁したからは盛衰をともにする覚悟である」と実家・養家の援助を拒み、手道具を払い下げてまで家計を賄い、やがて徳川家達の貴族院議長の就任を見届け安心したものか四十八歳で没し、徳川代々で初めて亡夫と並んで埋葬されます。 篤姫は江戸城明け渡しの前夜、大奥の寝所で、何処からともなく不思議な女の笑い声を聞いたと言われます。恐らくは徳川に滅ぼされた淀殿の怨念の笑い声でしょう。
2012年03月07日
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「怪異」ストーカー 俺がある夏の夕暮れ、車でのゴルフ場の帰りに小便がしたくなり、車を脇道に入れ、歩いて誰も通らなさそうな適当な場所を探していたら、右手が寺の白壁で、左手が竹林の道に大きな溝に水が流れていた。そこで用を済まし車に戻ろうとしたとき、その道を綺麗な声で歌をハモりながら行く、透けたブラウスに形よく膨らませた胸、黒髪を長く垂らした抜ける様な肌が色白の、今まで見たこともない美貌の、二十歳前後の女性とスレ違い、行き過ぎ用にも全身これ欲望の塊となり声をかけたところ、いきなり走って逃げ出して寺の角で消えてしまった。辺りを見回しても居そうでない。只、近くに女子学生のマンションが在るので、この時間帯を狙って、毎日車を回し機会を待つことにした。 もう十日もたった同じ時間帯に、漸くチャンスが巡ってきた。竹林の溝に隠れて待って、いきなり前から羽交い締め狂喜の甘い匂い、唇を求めると、下半身に激痛が、ズボンを破り手らしきものが急所を掴み、少女の「貰って行くわよ」の一言と共に何かが引き千切られ、ズボンが血まみれ、少女は笑い声をあげながら竹林に姿を消した。俺は悲鳴とともに失神し、気がつくと病院のベッド。お巡りには事情を訊かれるが、言える筈もなし、看護師には妙な目付きをされ地獄の日々を過ごした。現在のワタシは場末のゲーバーのママしています。
2012年03月06日
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「仏祖」と「キリスト」三(偶像崇拝) 釈迦にしろイエスにしろ、偶像崇拝を極度に戒めています。創世記モーセの脱エジプトその後の例を引くまでもなく、人は獣等を神に見立てて崇拝する傾向が多多あり、イエスは偶像を自ら破壊することも厭いませんでした。釈迦に至っては絶対神さえ認めないで、布教上の必要性からかバラモンの神々を一応は認めていますが、人間と同じく不常で死を免れない者と規定します。 そもそも、一神教であるユダヤ教からキリスト教、イスラームまで神は人間には不可視のものとしますので、イスラームなどはキリスト像に対しても偶像として批判します。イエスや釈迦が教えの中で我が像を創り、教えを思い、拝礼せよとは一切説かれておりません。どうも中央アジア辺りの偶像神の影響で、仏教に於いては多数の仏像を造らせ、その後の大乗に在っては無数の仏を創出して、偶像を制作しました。 寺院の釈迦牟尼像にしろキリスト十字架磔像にしろ、人がその教えを忘却しないための、肖像的なものとするのは一向に構わないとは想いますが、肉体を離れた涅槃(空)や聖霊を可視化して其の物を、信仰対象として帰依するのは疑問が残ります。三大宗教の中で最も新しい一神教であるイスラームは、人間が可視化出来ない神を、流石に一切の偶像化を認めていません。
2012年03月06日
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「仏祖」と「キリスト」二(存在を観想) 絶対永遠の創造者を否定する仏祖は、十二因縁説を唱え此れ等を盡く離れ去ったところに解脱があり、「有」(常恒)を否定し、我執に囚われない境地を覚りとします。龍樹は中論に在ってそれを哲学的に発展せしめ、総ての法は「縁起して,諸法実相はなく、空である。」と実相しています。但し、此れは法有を否定しているもので、宇宙存在・空間・運動の存在そのもの迄を否定するものではありません。しかし、人が観想する形而上学的な実存そのものや時間や運動は否定します。全ては「観」えない「空」(仏)があるからこその実相だとも説きます。 一方、「人の子」イエスは、人に見えるものには滅びがあり、人には見えないものにこそ滅びのない永遠の絶対存在(神)がある。其れ故、神に対して「人の子」として全ての人間の罪を償うために、十字架に架けられ、聖霊となって復活を遂げます。
2012年03月05日
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「仏祖」と「キリスト」一(慈悲・布施と隣人愛)の序文 高齢の入院患者は、長寿国日本にあっては、増えることはあっても減少することは有り得ません。少子化も伴って増々その介護制度の法整備が叫ばれています。しかし、此れに異論はを唱える人々は居ないのでしょうか。第二次大戦の敗戦に伴い、其れまでの家父長制を否定、教育界に在っては個人主義を履き違え「個々主義」を年少期の子供に教育、此れが「私は私」で、誰のしがらみも、財産相続の権利を残して以外は受けないとした人間を育てます。 現在、高齢入院をされている方は、家族介護に不安を感じられているのは、厳然たる事実です。専門家でもない情が通わない嫁・息子の介護を受けて何処に喜びと救いがあるでしょう。此れが高齢者に「早よ、死にたい。彼等へ行きたい」と言わせます。 ところが、東北大震災が奇跡を起こします。昭和晩年・平成生まれの孫までが、爺ちゃん・婆ちゃんを想い、その存在を大切にする心が育っています。人間自然の精神の奥底には「仏祖」と「キリスト」の慈悲・布施と隣人愛が備わっていることを確信するに到りました。帰依しなくとも、人は仏性、隣人愛を共に授かっています。其れを膨らし、平安を手にするのは、全てはあなたの心の持ちようです。
2012年03月05日
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「怪異」紅傘 京都で小さな墓裏の一軒家を借りて、勤務先も見つからず、大学院の研究室で日がな貧しい生活を送っていたところ 、今日も今日とて、教授の夜の呼び出しが掛かりました。急いでいたので雨にも拘わらず、教授の叱責する顔を見たくなさに、傘も持たず玄関を飛び出し道を急いでいると、前を行く此の道には不似合いな舞妓らしき人が、おこぼの鈴を鳴らしながら、前を歩いています。追い抜きざま、「お困りだっしゃろ、ウチの傘をどうぞ使わはって。」続いて「すぐ、車屋はんが来ますさかい、ウチ困らへんし。」と、紅染の和傘を差し出し、「あんたの家知ってやさかい、此方から取りに行くんで、気にしんといて。」と言うので、急いでいたので「御免、お借りします。」と研究室へ、教授の叱責する顔を見ずに済みました。 四五日経っても傘を引き取りに来ないので、舞妓の歩いていた時間帯を選んで道を傘を持ち歩いていると、紅の傘が突然、此方を向き一眼の目の瞳を真っ赤に輝かせ、柄を私の手に巻きつかせ、浮くが如くグイグイ私を引き連れます。とある禅寺の裏門に来た時、ギイーと裏門が開き、中に居たおこぼを履いた舞妓が此方を見ました。「おおきに」と、只、やはり大きな目が一眼で瞳は真っ赤、意識を失いました。 目覚めると、額を水気を絞ったタオルで冷やされています。「此処は寺男の小屋だから、安心しなさい。」と中年女性らしき声が、隣部屋から聞こえます。「今、お茶を持っていきますから」と盆を持って来ました。倒れていたから心配してたと言って、「まさか、こんな顔見て驚いたの、あの娘は私の子よ、可愛がってね」と、真っ赤な一眼の瞳を光らしました。再度の失神。それからは、祇園・先斗町・上七軒には近づく事を考えるだけで身震いする私です。
2012年03月04日
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「聖書」旧約一(契約) 旧約に在って、宗教上に非常に特徴的なものに、神との契約が随所に現れていることです。仏が信徒や信教国民に向かって、菩薩十戒を守りなさい、されば私が涅槃へと導くことを此処に宣言、契約するとは間違っても説いていませんし、諸仏が契約を実行したからご利益を果たすなんてことも一切ありません。仏を敬いこそすれ、念仏は契約ではなく帰依です。仏は人に正しい仏道を説いて涅槃への扉を開かせます。 ところが、旧約イスラエルの民は違います。豊穣な土地に恵まれず、水一つにしても勝手に名々が汲み上げたら、常に抗争に発展し、統一的民族は望むべくもありません。過酷な生活環境に住むが故に、厳格な契約観念が発達します。此の民族的習俗・性格が「神」にも取り込まれます。 厳しい生活環境故に、芸術的にはギリシャ神話のホメロスなどに観られるような、夜空を眺めて吟する余裕など有り得ません。彼等は、芸術的想像力を持たない実利主義者かも知れません。結果、「創世記」の真実性が信頼性をおびます。
2012年03月04日
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「地獄」儒教に於ける地獄世界8(悪徳取り立て屋) 不法金利専門に庶民の法律の味方である法専門家が、法を潜りぬけ法定利息の二倍・三倍等の取り立て業者に味方して庶民を泣かしていた場合は、閻魔直々の裁判でその取り立て額を計算させ、その金額に応じた銅銭を溶かし、喉に流し込む判決を下します。その場所は平地でありながら銅銭が堆く積まれ、まるで丘陵の様でした。 それをだんだんに釜の中に入れて、烈火で溶かし鬼が柄杓で喉に流し込みます。舌が焼け臓腑の焼けつく匂いが周囲に漂い、悲鳴さえあげられないのは人知を超えた苦痛に思えます。鬼使が「毎日、小奴を再生させ、金額が尽きるまで此れを繰り返すのさ、取り立て額の多さを憂いているのを見るのは楽しいぞ。」と、牙を見せニッと笑いました。
2012年03月03日
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