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自慢じゃないが、最近のマイブーム?ならぬマイ困りごと、は「忘れ物」である。 もともと忘れ物は多いほう(だと思う)。傘など、気がついてみれば自宅にあるいい傘(ビニール傘以外)はたったの1本。思い切って買ったシャルル・ジョルダンの、ばらの模様のついたお気に入りの傘も、見事に電車のなか。さすがにそれはすぐに気づいて、小田急の忘れ物係に連絡したのだが、「見つかりません」のそっけなさ。そうやって、いったい何本の傘をなくしてきたことか。 けれど傘ならまだよかった。近頃そう思い始めた。ここ数週間を振り返っても、あたふたするような忘れ物を繰り返しているのだ。 まずは財布。スポーツクラブで目についた「貴重品ロッカー」(暗証番号を入れるやつ)を活用しない手はないと、真面目心?を出して預けたのがウンのつき。気功のレッスンの帰りにみんなで楽しく飲み、さあお勘定、と思ったら財布がない。「ないない!」大騒ぎすること数分、ようやく思い出した(思い出すまで時間がかかるところが問題だ)。ところがスポーツクラブはとっくにお開き、電話も通じず、とうとうその日は財布を取り戻すことができなかった。 なのに私ときたら、自分のあぶなっかしさは棚に上げ、「スキミングされたらどうしよう!」と騒いでいたのだ。だってゴルフ場の支配人までぐるになるくらい、油断もすきもない今日この頃ではないか。 「そんなに信用できなかったら、スポーツクラブなんか入れないよ」 だんなに怒られた。 お次はオペラのチケット。その日午後2時からの公演前に、美容院を予約していたのだが、家を出て電車に乗ること30分、美容院のある渋谷で下りる手前で気がついた。チケットがなければ、当たり前だが入れない。渋谷から自宅まで、徒歩を入れれば1時間弱、その往復をまたやったら、美容院に行く時間はなくなる。泣く泣く美容院をキャンセル。マスターに「最悪ですねえ」といわれてしまった。 きわめつけはクレジットカード。請求された分を銀行経由で先方の口座に振込みして、そのままATMコーナーに忘れてしまったのだ。しかも、カード会社から通知の電話がかかって来るまで気がつかなかったのだから参ってしまう。何だか、自分がだんだんこわくなってきた。 そういえば、最近人の名前が出てこない。顔は浮かんでいるのだが・・・数年前、中学時代の国語の恩師が同じ症状に悩んでいたのを思い出すが、彼はその頃まだ50代だった。まさか40代で同じ症状に見舞われるとは・・・・ 人間、一寸先は闇、である。
February 28, 2005
「直木賞発表」の見出しにつられて、「オール読物」を買った。 「オール読物」を買うなんて、何年ぶりだろうか。 今回の受賞作家の角田光代さんは、10年以上前、「ピンク・バス」という小説を「三田文学」で読んで、印象に残っていた。その後、小説は読まなかったが、角田さんの書評などは読んでいて、相当の本読みだと思っていたので、彼女のキャラに、本読みとしてのうまさ、などを期待して読んでみたいと思ったのだ。 受賞作「対岸の彼女」は面白かった。何より、うまかった。全文でなく半分くらいしか収録されていなかったのが残念(単行本を買えということでしょう)。現代日本の、おそらくごく普通に一生懸命生きている女性たちの心のひだをていねいに描くことが、この著者はうまい。 そういえば、この手の女性心理を描いた現代小説はありそうで少ない。今元気な女流作家は、高村薫、篠田節子、桐野夏生など、「すごーい」系がけっこう多いような気がする。吉本ばななはちょっと特殊だし・・・。そういう意味で、普通の女性の生活、心理、をていねいに、けれど気がつくと深いところまで描いている、ということのできるひとはめったにいないかも知れない。 ところで、久しぶりに買った「オール読物」、時代小説が多くて驚いた。「時代小説特集」のような企画があるとはいえ、何と小説16本中、連載を含めると10本が時代(歴史小説含む)小説。いつの間にこんなに時代小説が全盛になったのかな?ちっとも知らなかった。 全部読んだわけではないが、しんしんと心にしみるような話が多かった。殺伐としている現代日本が舞台では、人間の生きるかなしみとか、はかなさとかは描きにくいのかもしれない。えらく単純な「純愛もの」ははやるのにね。
February 26, 2005
世田谷の真ん中から、田園都市線の終点近くに引っ越して、よかった、と思うことがひとつだけある。 「川」(多摩川)を渡ることだ。 以前は小田急線の梅が丘(世田谷区)に住んでいたので、東京と神奈川の境を流れる多摩川を渡ることはめったになかった。ところが今は、田園都市線のかなりどんづまり(長津田)である。当然、多摩川を渡る。 これが、いいんですねえ。 田園都市線が渡るのは、多摩川のかなり下流だ。小田急線の通っているあたりより、川がひとまわり悠然としている。昼間でも夜でも、川を渡るときは窓の外の風景が一変する。ごちゃごちゃと続くビルや家並みが途切れ、ゆったりした空間がひろがる。夜など、川沿いの道路の街灯が白く光る列になって浮かび上がる。一瞬、大都市であることを忘れる。頭と心が解放されるのだ。 電車のなかでは、たいてい本を読む。けれど多摩川にかかる橋を渡るときは、なるべく頭を上げて外を見る。流れと河原の織り成す広やかさは、深呼吸するように清々しい。 このひろびろ感を味わえるのは、電車のなかだけではない。 川べりの駅、二子玉川の駅前に建つ高島屋で、9階のレストランにいた時、半分くらい日よけで覆われた窓の外に目をやって驚いた。まるで夏の浜辺のような光景が、窓の下いっぱいに広がっていたのだ。 日の光を浴びて濡れたように輝く砂浜、その先に銀色に広がる水。多摩川の河原だと、頭では分かっているのだが、目の前の光景は限りなく夏の海だった。 川は偉大だ。河原はもっと偉大だ。
February 24, 2005
どんな分野にも、世間的な意味で「有名人」になっているひとがいるものだ。 そしてその理由は、その分野でダントツだから、というわけでは必ずしもない。むしろ、それ以外のプラスアルファがモノを言う場合がほとんどだろう。 クラシック音楽界で言えば、たとえば中村紘子や佐藤しのぶ。2人とももちろん実力はあるけれど、日本人アーティストとして文句なしのナンバーワン、というわけでもない。容姿の与える印象も大きいだろうし、中村紘子の場合は文筆活動など、他の分野でも才能を発揮している。またとくに彼女の場合、社交家でもあり、政治家・官僚から皇室関係まで、幅広い人脈も関係しているだろう。 彼女たちが、本業以外の要素も手伝って「有名」であることに、意を唱えるつもりはない。けれど、たとえば内田光子のような、真の意味で世界的なアーティストが、一般にはほとんど知られていないことを知ると、ちょっと残念な気もしてしまう。 音楽界に限っていえば、内田光子は真に国際的なピアニストだ。彼女がどんな存在かは、モーツァルト生誕250年の来年(2006年)のモーツァルトの誕生日(1月27日)に、生地ザルツブルクで、ウィーン・フィルも出て開かれる記念コンサートに、世界で唯一のピアニストとして招かれていることからも分かる。いくら彼女がモーツァルトのスペシャリストであるとはいえ、このように評価されている日本生まれのピアニストは、内田光子をおいて他にいないだろう。その彼女は、しかしクラシック・ファン以外にはほとんどその存在を知られていない(ご本人も、別に一般に知られたいと思っていないかもしれないが)。 中村紘子のような有名人アーティストは、クラシック音楽の裾野を広げる上でも重要だ。つい最近まで、そう思っていた。けれど昨今、しだいにそうではないような気がしてきた。中村紘子やフジ子・ヘミングのファンが、そこからさらに他のアーティストの演奏を聴こうとするのかと思うと、心もとないような気がしてきたのだ。 内田光子のコンサートに行く人は、たとえばウィーン・フィルやベルリン・フィルのコンサートにも行くだろう。けれど、中村紘子やフジ子・ヘミングのコンサートに行くひとが、ウィーン・フィルの演奏会に行くとはあまり思えない。今日も中村紘子が出た、スマトラ沖地震のチャリティ・コンサートに行ってきたが、いつもコンサートで見かける面々には一人も会わず、批評家もおらず(まあこれはチャリティだから仕方ないが)、役人や政治家の姿ばかりが目立った(皇后陛下も見えていたが)。彼女のコンサートは、だいたいいつもそういう雰囲気だ。多分彼らは、「(いろいろ縁のある中村紘子のコンサートだから」来るのであって、本当に音楽が好き、というのではないのだ(ショパンのソナタ第2番では、楽章間拍手もあった)。これで本当に、裾野が広がる結果につながるのだろうか。 いろいろ考えさせられた、「有名人」ピアニストのコンサートだった。
February 23, 2005
「田辺教授のモーツァルト・オペラ入門講座」に行ってきた(四谷区民ホール)。 入場料3000円とあって、あんまり期待していなかったのだけれど(タナベ先生ゴメンナサイ)、これが超のつく○得!講演だったのだ。 何といっても贅沢だったのが、ザルツブルクからわざわざこのために来たという歌手による、オペラ名曲の生演奏。名前を知らない歌手ばかりだったので、入場料も入場料だし、自分の勉強不足を棚に上げ、学生さんかしらんとたかを括っていた。そうしたらどうして!リッパなキャリアを持つ、あるいはこれから有望!な歌手ばかりだったのだ。 一番よかったのは、バリトンのトーマス・ルフ。ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場でも活躍しているそうで、たくみな性格表現がなんとも魅力的。テノールのラウベンバッハーも、声量はやや小さいながらいい声で、また聴いてみたい歌手だった。ソプラノのマリア・ハウザーも、ちょっと癖のある声だけれどうまい。これにメゾ・ソプラノのモニカ・ヴェルケレを加えた4人の歌手が、モーツァルトのスペシャリスト久元祐子のピアノ伴奏で、4大オペラの名曲を計17曲!も歌ってくれたのだ。おまけにアンコールには、ユーモラスな「カノン」を追加する大サービス。 田辺教授(一橋大学教授の田辺秀樹氏)は、ドイツ文学者だけれどモーツァルトの専門家として有名なひと。ふくふくころころしていて、大好きなキャラなのだ。テレビのドイツ語講座にも出ているらしいから、ブラウン管でおなじみの方もあるかも。 田辺センセイの強みは、話もうまいがピアノが弾けること。「ドン・ジョヴァンニ」の二重唱、「手に手をとって」の、歌のない部分の音楽の素晴らしさをピアノを使って解説しながら、「これがたとえばサリエリだったらどうでしょうね、きっとこんな感じ」と、めりはりのないフレーズを即興で(たぶん)弾いてしまう。すごい! あまり宣伝していないと思うのに、450人収容の会場は満員。みんなとても満足そうだった。 こういう催しがにぎわっているのを見ると、日本のオペラファンは本当に熱心だなあ、と思う。こんなに熱心で、聴くことに貪欲なオペラファンが大勢いる都市って、世界中探してもそうそうないんじゃないだろうか。 3000円で大満足!の一夜でした。
February 21, 2005
昨今のオペラファンの話題のひとつは、「新国立劇場」。それも残念なことに、好調より不調の演目に話題が集中する。 というのも、昨今の新国は、歌手の起用をはじめ問題が多いのだ。 一番最近の例では、2月のオペラ公演、アルバン・ベルクの「ルル」。3幕完全版で上演されるはずが、公演2週間くらい前になって、「公演の水準を維持するため、3幕ではなく2幕版」で上演いたします、という通知が来た。一部の歌手の準備不足が原因だったというが、リハーサル中は歌手を拘束するという念入りな準備を売り物にしているはずの新国としては、失態というほかない。まして2003年には二期会が3幕版を上演して成功しているのだから、国税を使っている新国立劇場が、「できませんでした」ではすまされないだろう。 準備不足の歌手は降板した、ということになったが、実はオペラファンが注目していたのは、降板になった歌手ではなく、主演の佐藤しのぶ。ちょっとしたオペラファンなら、声の上でも、彼女には合わない役柄だと思うだろう。果たして彼女の批評は芳しいものではなかった。「佐藤の集客力を期待しての配役だったら、劇場の不見識は批判に値する」という批評が「日本経済新聞」に出たが、それはその通りだろう。 昨年11月に上演された「椿姫」もひどい出来で、とくに主役の東欧系の歌手(すみません、複雑な名前で出てこない)など、一般週刊誌の「週刊新潮」にまで叩かれる始末。「キャリアがいい」と劇場関係者は言っていたが、プログラムを見ると、ウィーン国立歌劇場で「椿姫」の主役で成功した、とあるくらい(それも「週刊新潮」によれば、成功というわけでもなかったらしい)。それくらいでは、「キャリアがいい」とは言えないのではないか。今年の1月に、藤原歌劇団の公演で同じ「椿姫」を歌ったエヴァ・メイクラスの歌手なら「いいキャリア」だと言ってもいいけれど、ウィーンで1度成功したからといって、新国ですぐ主役、というのでは、新国も低く見られたものだ。 新国の歌手をはじめスタッフの起用に関しては、芸術監督が全権を握っている。現在の監督はウィーンから来たひとなのだが、彼の代になって、とくにイタリア・オペラに出演する歌手のレベルが下がった。前監督のときは、チェドリンス、ブルゾン、シラクーザ、マエストリなどなど、現代のイタリア・オペラを代表する歌手がよく出ていたのだが、今やイタリア系の歌手はほとんど姿を消し、東欧系、アメリカ系、ドイツ系の歌手ばかりがイタリア・オペラを歌っている。それがいい歌手なら分かるけれど、そうではないほうが多い。基本的には芸術監督の人脈で呼ばれるわけだが、ウィーンのプロモーターがからんでいるという噂もきく。本当だったら由々しきことだ(本当でないことを祈るけれど)。日本のオペラファンのレベルは相当に高いのだから。 予算の関係もあるだろう。現在の新国は演出に重点を置いているから、歌手にはあまり予算はかけられないのかもしれない。ならば二流の外国人歌手を呼ぶくらいなら、ちゃんとした日本人に出て欲しい。それが日本のオペラファンの正直な気持ちだろう。 自国の歌手を育てるのは国立の歌劇場の使命だし、欧米のちゃんとした劇場はみなそうしている。現芸術監督は、就任のとき、日本人歌手の出演予定が少ないことを指摘されて、「日本人でもいい歌手なら出す」と言っていたが、佐藤しのぶのミスキャストからいえば、日本人歌手の能力をちゃんと見ていないといわれても仕方がない。「椿姫」を立派に歌える日本人歌手など、何人もいる。 ここでは詳しくふれないが、現芸術監督は、就任に際して、二期会や藤原などの日本のオペラ団体とごたごたを起こした。日本の団体にまったく責任がないとは言わないが、初の外国人監督としていわば外様でやってきたのだから、日本のオペラ事情を知っている日本の団体と決裂してしまうのは、賢いこととはいえない。その騒動が尾を引いて、いい日本人歌手の起用がもしできないとすれば、歩み寄りを考えるべきなのではないだろうか。
February 20, 2005
石原慎太郎東京都知事といえば、かつての芥川賞作家。「文化人」知事のイメージもあるのではないだろうか。 けれど、私見によれば、いささか疑問である。 先ごろ音楽界で問題になっていたのが、「東京のオペラの森」という催しをめぐる騒動。東京文化会館を舞台に、今年の3月に始動する(来年以降も続くらしい)、オペラを中心にした音楽フェスティバルなのだが、石原知事と指揮者、小澤征爾氏の「友情」とやらで開催が決まったという。 ところが開催が決定された時点で、会期にあたる2月下旬から3月下旬にかけて、会場に指定された東京文化会館には、二期会をはじめ他のオペラ団体などの公演予定が入っていた。それも東京都主催の「都民芸術フェスティバル」の関連公演である。そのことを知っていたのか知らなかったのかはともかく、先約団体はすべて文化会館を追い出された。当時東京文化会館の館長だった作曲家の三善晃氏は、このできごとに抗議して館長を辞任している(後日、「読売新聞」のインタビューでそのことを問われた小澤氏は、「知らなかった、来年からは練習場を他に借りる」と言っている)。 そもそも、「東京のオペラの森」は、東京都にとって本当に必要なフェスティバルなのだろうか。東京でのオペラ公演など、気が遠くなるほどたくさんある。さらに付け加えるというのなら、それなりの理由が必要だろう。 日本人を中心としたキャスティングを組むならまだわかる。でもメインとなるオペラ「エレクトラ」のソリスト(独唱歌手)はほぼ全員が外人。それも小澤氏が活躍しているウィーン国立歌劇場でおなじみのソリストばかりだ。 このプロダクションは後でウィーンでも上演されるらしく、噂によると、ウィーン側では制作費をかけずに1作できたと喜んでいるとか。都税をつぎ込んでウィーンを潤すのではしゃれにもならない。 またオーケストラも、本来なら都が運営する東京都交響楽団を入れるべきだと思うのだが、「東京のオペラの森管弦楽団」という、このために集めた楽団を使うという。どう見ても、東京都の音楽界の発展に寄与する催しとは思えないのである。本当の意味で自国の文化を保護する、振興するというのは、まず自分の国の芸術家を応援するのが筋というものだろう。 音楽ばかりでなく、3つある都立の図書館の所蔵本を、3館でだぶっているものを捨てさせるなど、石原氏の文化政策は「文化人」知事にふさわしいとは思えない。「東京のオペラの森」にしても、東京の音楽家と聴衆のためを考えているというより、派手なアドバルーンをあげて目立ちたいという意志の方が強いのではないか。日の丸、君が代ばかりが日本の文化ではない。世界に誇れる音楽家を育てることも、自国の文化の振興なのではないだろうか。
February 19, 2005
生まれてこのかた、ウン十年を過ごした世田谷のどまんなかから、横浜は緑区のはずれ、田園都市線&JR線の長津田に越してきて1年ちょっと。駅から徒歩2分が徒歩19分になった「不便」にはかなり慣れたけれど、もうひとつの「不便」にはなかなか慣れることができない。そう、買い物の「不便」です。 まず、駅前にスーパー、コンビニ、ファストフードのたぐいが1軒もない(すべて徒歩数分)。斜面になった駅前広場に建ち並ぶのは、まず農協のビル、そしてパチンコ屋と地銀。マクドナルドの1軒もないのだ。 それなら駅構内、という手もあると思うのだが(ターミナル駅なのだし)、これがまた不思議なことに、その類がないのである。テナントは靴屋、喫茶店、写真店などだが、不思議なのは貸しスペースが2つくらいあり、「諸国物産展」「衣料品セール!」などをとっかえひっかえやっていること。ひと時代の地下街みたいな・・・そんなスペースがあるのなら、なぜ小さくてもいい、コンビニを作らないのだろうか。通勤途中のひとたちの需要は、そっちの方がはるかにあるんじゃないだろうか。 かくいう私も、ほんとに不便している。何しろ夜の商売(コンサート通い)なので、まっすぐ帰っても長津田に着くのは10時半から11時。もちろん店は閉まっている。たまに「諸国物産展」が開いていれば、帰ってからちょっと飲むときのつまみを買ったりする。でも本当に欲しいのは、「チーズいか」なんかじゃなくて、明日の朝のパンや牛乳や納豆なんだよね。 じゃ昼間買い物に行けば?といわれるかもしれない。でも世田谷では、家を出て1、2分で商店やスーパーのある環境だったので、買い物のためにわざわざ車を出さなければいけない今の環境はしんどい。第一出たら30分から1時間はかかる。時間の節約のためにも、駅周辺でコンサート帰りに買い物ができたらなあ、と思うのだ。田園都市線や横浜線の近くの駅と比べても、こんなに不便で寂しい駅はない。何しろ渋谷方向へ2つ戻れば、デパートもどきのスーパーやコンサートホールまで揃っている青葉台なのだから。「金妻」ではないが、田園都市線のイメージって、青葉台みたいなおしゃれな感じなんじゃないだろうか。 「東急が、再開発に失敗したんだよ」 だんなの説である。 もともと長津田には、横浜線が先に来ていた。それが、田園都市線が来ることになり、再開発をしようとしたのだが、何とここは鎌倉時代から続く宿場町だったのだそうで、「13世紀から住んでいるひとが多い」(ある近所のひとの話)、地主が大勢いるのだそうな。そのひとたちを、うまく説得できなかったようなのである。 がらんと寂しい駅前は、また開発の話もあるようだが、何だかもう諦められたような感じもする。というのも、駅から徒歩25分くらいのところに、総所帯500近くの大マンションが建設中。大スーパーもできるようで、駅とは関係なく街づくりが進んでいる。そんなところにスーパーができても、私の不便は解消されないのだが。 「定年になったら、駅前でコンビニやろうよ。もうかるかも」 だんなに持ちかけたら、「お人よしが2人で商売やったって、うまくいくわけないじゃないか」 一蹴されました。
February 16, 2005
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