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先週今週と2週続けて、週末にヴェルディ作品の「日本初演」を観て来た。 先週は「スティッフェリオ」、今週は、何と処女作の「オベルト」である。 「オベルト」の初演!これだけで感心してしまうのに、何と2週連続の初演とは、まあちょっとヨーロッパでもないだろうな。 それも「スティッフェリオ」は日本人だけ、「オベルト」は日本人も含めて日伊の共同キャスト。上演のレベルもともに高く、大満足でした。 日本の「オペラ大国」ぶりはもちろんこれだけじゃない。 先月は「マイスタージンガー」が同日に2箇所で上演されていたし(バイエルンと新国)、ヘンデルのオペラが1週間のあいだに2本上演されたこともあった。 「椿姫」が1週間の間に2回あるのとはわけが違うのである。 日本のオペラ市場も本当に成熟してきたということだろうか。 一時のブームに終わらず、定着することを願うのみである。
October 30, 2005
今年の文化功労者に、内田光子さんが選ばれたと新聞に報道されていた。 音楽ファンへの知名度は圧倒的だが、一般への浸透度は低い内田さんが文化功労者に選ばれたことは、一内田ファンとしてまずは嬉しい。日本にもちゃんと見ているひとがいるのね、という気分である。 けれど一方で、内田さんくらい、その手の名誉?に、無関心なひともいないのではないだろうか。 音楽ファンならご存知のように、内田光子は日本人であって日本人でないようなひとである。外交官のお嬢さんで、12歳のときから日本に定住しておらず、現在はロンドンにいるが、それは音楽が一番心地よくできる、という理由のようだ。 その気持ちはよく分かる。私だって、彼女くらい情熱と才能があれば、自分のやりたいことが一番できる場所に住みたいと思うだろう。日本に生まれたのはたまたま、くらいに思うだろう。 この春、「考える人」という雑誌で内田光子さんのインタビューを読んだ。 「内田節」ともいえるせりふの連発で、ノックアウトされてしまったのだが、たとえばこんなくだりを読むと、彼女が何を一番大切にしているか分かる。 「金持ちであることなんて最終的には何の意味もない。贅沢なものを所有しなくたって、自分がやりたいと思うことを、やりたいようにやって生きていれば、他に何を望む必要がありますか。私は偉くはなりたくないの。人間て偉くなるとゴミがついちゃう人が多いんです。私はこれからも、学生にちょっと毛が生えたような感じで一生暮らしていきたい、と思っています。」 こんなせりふを吐くひとに、文化功労者だの文化勲章だのは、本当は似合わないのではないだろうか。 こんな箇所もつくづく共感してしまった。 「音楽とは、最終的には美しい何かを人と分かちあうことです。演奏することは、自分がうまいということを見せびらかすことではありません」 内田光子は、世界の財産である。
October 29, 2005
以前も書いたけれど、私とだんなは「歳の差」夫婦である。 28歳違うと、まず夫婦には見てもらえない。 この間も、こんなことがあった。 近所に昔からの、わりと立派でおいしい和菓子やさんがあって、時々のぞくのだけれど、はじめて2人で行ったときのこと。 店主のおばさんが、だんなを仰いで言ったのだ。 「まあ、お父様?ごりっぱねえ」 反論はしなかった。だって、噂になったら面倒だもの(それほどでもないか)。いや、単に説明するのがめんどうくさかったのかもしれない。 で、「ええ」とか言いながらへらへらしていたのでした。 こんなことも時々ある。 私は仕事は旧姓でしているので、宅配便の荷物の宛名が旧姓で来ることがよくある。ただ表札は新姓(というのかな?)なので、配達のひとが首をかしげながら呼び鈴を鳴らしたりする。 「加藤さん、で、いいんですよね」 ある日、宅配のおばさんが、やはり首をかしげながら荷物を持ってきてくれた。 続いて、 「今日はお父さんはお留守?」 とのたまったのだ。 ああ、そうか。姓が違うから、出戻り娘だと思ったのかも。 とっさにそう思ったが、こちらもそのままに、 「ええ」とうなずいて、お見送り。 ま、そりゃ、どう見たって、「親子」なんですけどね。
October 28, 2005
びわ湖ホールが毎年主催している、「プロデュース・オペラ」を見てきた。 これは1998年の開館以来毎年実施しているシリーズで、ヴェルディの本邦初演作品を上演するのが決まりごとになっている。 そのモットーでもう8回(初年度は2回あった)続いているのもすごい、と思うのだが、総監督の指揮者若杉弘氏の方針で、独唱、合唱、オケ、すべて日本人。それでいて毎年水準が高いので、本当に感心してしまう。外国の劇場にもっていっても十分通用するのではないだろうか。どこに出しても恥ずかしくない。 今年は「スティツフェリオ」という作品。この作品、「リゴレット」のひとつ前に作曲されており、音楽的にもとてもいい作品なのだが、2日ある公演のうち初日のできは本当に素晴らしかった。その数日前に見た新国立劇場の「セビリヤの理髪師」が、少なくとも音楽的にはひどい出来だったので(外国人ソリストを呼んで来て!)、よけい感心してしまいました。 初日はとにかく日本人ではこれ以上望めないほどの豪華メンバー。主演の福井敬をはじめ、堀内康雄、小浜妙美、井ノ上了吏、久保田真澄、と、脇役まで充実していた。ほんと素晴らしく、とくに福井さんの入魂の歌唱には大感激してしまった。 ところが、こんなにいい公演なのに、入りは7割(ホール関係者)なんですねえ。来年6月のメトロポリタン・オペラの引越し公演は早々と売り切れだそうなのに。 会場で会った、関西在住のある音楽ファンが言っていたのだが、 「やっぱり、日本人の出演者で、マイナーな演目だと、だめなんですよ」 ということだった。 彼女の話によると、周りの音楽ファンにも、だいぶ声をかけたのだが、東京へオペラを聴きに行くようなひとでさえ、このプロデュース・オペラには来ないというのだ。 「やっぱりオペラは、視覚的にも大事だから、日本人では格好がつかない」 という理由もあるらしい。 でも、それは違う!声を大にしていいたい! 手抜き力抜きルーティンワークの外来オペラ公演なんて、それこそたーくさんある。そんなものを見るより、日本人だけで世界レベルの公演ができている、この現実を体験して欲しい。 音楽はブランドじゃない。メトの「椿姫」が王道なんていうのはおかしい。日本人の公演を、日本人が評価しなくてどうするのだ。ブランドばかり追っかけているから、足元を見られてばか高い料金をふんだくられるんだよ。聴衆もしっかりしなくては。
October 23, 2005
あのホセ・カレーラスとお話してしまった!それもイタリア語で! 場所は、ある記者会見場。先日ここで書いた「トスカニーニ・フィル」が、イタリアのブッセートで開かれている「ヴェルディ・コンクール」の入賞者をソリストにガラ・コンサートを開くことになり、ヴェルディ・コンクールの現審査員長のカレーラス氏が、このコンクールについて話をしてくれることになったのである。ちなみにカレーラス氏も、このコンクールに優勝してキャリアの出発点にしている。 何でもこのコンクール、現在はトスカニーニ・フィルの生みの親であるトスカニーニ財団が主催しているらしい。 会場には、カレーラス氏の他にトスカニーニのお孫さん(典型的なおしゃれなイタリア・マダム)も登場して、華やかな雰囲気。場所もパーク・ハイアットでした。 壇上のカレーラス氏は、あまりにこにこしたりせず、ちょっと神経質そううな感じ。あれが彼の持ち味なんですよね。真摯な役がよく似合う。 イタリア語もとても上手。マゼール氏より発音がきれい。イタリアに近いバルセロナの出身だからだろうか。 で、一通り話しがすんで、質問の時間になった。 ある情報誌の記者が、「今回のコンクールの入賞者は、審査員の方々からごらんになって、どんな特徴がありましたか」と尋ねたところで、ふと質問が浮かんだ。 質問したい!でも私は、何を隠そう?実は「吃音癖」がある。 最近はだいぶよくなったのだが(カルチャーセンターとか講義とか、慣れた場所だと出ないのだが)、緊張するとだめなのだ。結婚式の披露パーティの最後でお礼の言葉を言ったときも、ほんとぼろぼろ。会場から???のざわめきが漏れるのが分かって、しんどかった・・・・ で、とたん、どきどきどきどきし始めたのである。 どーしよーどーしよー・・・落ち着け落ち着け、必死で言い聞かせて深呼吸。 ところがそうこうしているうちに、 「すみませんが、時間切れになりましたので・・・」 主催者側の声がした。 えー・・・ ため息、半分ほっと息? でもどうしても諦められなかった。 何が聞きたかったって?「ヴェルディの声」ってどういうものなのか、カーレラス氏の考えを聞きたかったのだ。 そうこうするうちに、会場から人が引き始めた。 あわてて主催者側に、「もうだめ?質問できない?」と迫ったが、冷たく「だめだめ」とあしらわれるばかり。 未練がましく、関係者の近くに立っていたら、カレーラス氏と目が合った。 「ひとつ質問してもいいですか?」 きいてしまいました。イタリア語で。 「いいですよ」 紳士的に対応してくれた。ラッキー! 「ヴェルディの声って、どのようなものだと思いますか?重いんでしょうか」 とんまな質問だと思ったのだろうか。カレーラス氏はとても真摯に、熱心に答えてくれた。残念ながら、半分くらいしか分からなかったのだけれど(泣)。 ドラマティックさとリリックさを兼ね備え、「スピリット」を感じられることが重要、というくらいは何とか分かった。また同時に、「これがヴェルディの声、ビゼーの声、チャイコフスキーの声、というように、カセットみたいに分けられるものではない」ということも。 彼の「ドン・カルロ」の題名役はすごかった、という話を、その後一緒に食事をしたひとから聞いた。残念ながら録画でしか知らない。ナマを見てみたかったな。
October 21, 2005
噂の「おれおれ詐欺」(今はなんていうんでしたっけ?)を、初体験してしまった(らしい)。 今日のお昼前。電話が鳴った。受話器を取るとなんだかがさがさした空気が伝わってくる。またセールスかと思って切ろうとしたら、 「おれだよ、D。」 というのだ。それも品のない声で。 ちなみに、「D」というのはだんなの次男坊の名前である。 「???」と思いつつ、 「Dさん?」と声に出した。 「そうだよ。Dだよ。あのさ、木村・・・から連絡あった?」 なれなれしいタメ口。D君はとても礼儀正しいから、なんか変だな、と思い始めた。 「すみません、どなたさまですか?」 「だからさ、Dだよ、D」。 ヘンである。受話器の向こうは、狭い部屋のようで、がさがさと話し声が聞こえてくる。別の男が別の電話でしゃべっているみたいだ。 「Dだよ。Dだって」 私は切れた。考えてみれば、D君が平日の昼間に電話をかけてきたことなんてない。まじめなサラリーマンだし、よほどの急用がなければ昼間に電話はかけないはず。 「あのね、Dさんはそんな馴れ馴れしい口はききませんよ。だいたい声が違いますから。もう切ります」 そういって、おさらばしたのである。 切ってから気がついた。これが「おれおれ詐欺」というやつなんですね。だんなが70過ぎているから狙われたのか。それにしても、次男坊の名前を知っているのだから気味が悪い。 電話口で名前を連発されたら、たしかに、耳が悪くなっていたりしたら、多少口のきき方がおかしくても、子供と信じてしまうかもしれない。 「個人情報保護法」とやらができたって、この手の業者に名前が漏れるのが防げないなら、何の役に立つというのだろうか。 それにしてもセールスの電話の多さには参る。一網打尽にしてくれる機械が電話についていればいいのにな。個人情報保護法よりよほど実際的だよ。
October 20, 2005
一番尊敬する日本人。それは、中村哲氏である。 アフガニスタン&パキスタンで、医療活動をしながら、井戸を掘り、水路を作っている医師だ。 中村氏の存在が注目されたのは、9.11後のアフガン空爆の頃。現地に診療所を持ち、ハンセン氏病をはじめ色々な病気の診療をしながら、同時に現地の旱魃のひどさに、「まず水がなければ生きていられない」と、井戸を掘り始めてしまった中村氏が、彼を支えるNGO「ペシャワール会」とともに、「無関係の一般人を巻き添えにするのは許せない」と、「アフガン命の基金」を立ち上げ、戦火のなか、食料配布を行ったのである。 彼の姿勢に打たれ、私も「ペシャワール会」の会員になった。 NGOはあまたあるが、「ペシャワール会」くらいまっとうなNGOはないのではないだろうか。たいがいのNGOは、人件費やらなにやらで、募金を募っても本当に現地で役に立つ分は数十パーセントときく。ペシャワール会では、90パーセント以上が現地に投入されている。 主催の中村氏が偉いのは、現地の声をきき、現地のひとたちに実際に役立つことをモットーにしていること、さらに、自分の収入を会員の会費に一切頼らずに、1年の数ヶ月の間日本に帰り、日本の病院で働く収入で、自分の家計をまかなっていることである。 巷のNGOの主宰者のなかには、銀座で飲み歩いているひとも大勢いるらしいから、まさにその正反対である。 中村氏のそんな姿勢は、多くのひとに支持されている。会員はこの数年で、4000人から3倍の12000人に増えた。そして中村氏は、今なお続く旱魃からアフガンの村々を解放しようと、用水路!まで作り始めてしまったのだ。 その開通までを収めたビデオも見たことがあるが、感動しました。 一度、中村氏の講演に行ったことがある。 始まる前、会場のビルのなかにある喫茶店にいたら、中村氏が打ち合わせをしている姿が見えた。 氏が席を立って、出口の方に歩いてきた時、私は思わず立ちあがって、 「お目にかかれて光栄です。講演、楽しみにしています」 と、声をかけてしまったのだ。 その時の中村氏の目は、今でも忘れられない。くっきりとした、澄んだ光と、深さをたたえた目だった。 今日、送られてきた「ペシャワール会報」を見ていたら、「ペシャワール会は中村哲ファンクラブなのだ」という記事があり、そうだそうだとナットクした。会員のほとんどは、中村氏の姿勢に感服、共鳴して会員になったのだと思う。 私自身、なんにもできないし、やろうともしない、ほんとにいいかげんな人間だけれど、ペシャワール会に入っている、ということで、ほんの少し、誰かの役に立っている、という思いを持つことができている。ほんとに中村氏には感謝しているとしかいいようがない。 すごいひとだな、と思う日本人はいっぱいいる。内田光子さん(まあ彼女は自分では日本人だと思っていないだろうけれど)も、大野和士さんもほんとうにすごいな、と思う。 でも中村氏は、ちょっと次元が違う。 何だかんだいっても芸術家は自己実現だけれど、中村氏のようなひとは、そうですね、マザー・テレサの次元です。 彼のようなひとにノーベル平和賞をあげるべき、だと私は思う。沖縄返還の政治家にあげるより、よほど日本は尊敬されると思うよ。
October 19, 2005
しばらく前、小説を書いている女友達と話していた時のことである。 彼女はあるミステリー賞の最終選考まで残った筆力の持ち主で、今もミステリーに挑戦しているのだが、 「濡れ場って、難しいのよね」 と言う。 それも、 「男が書くより女が書くほうが、絶対に難しい」 と主張する。 なぜかというと、 「男はその時視覚を活用するけれど、女は感覚になってしまうから」なのだそうだ。 「視覚を使っていれば、見たことを色々書けるけれど、感覚を表現するのは難しい」から、「同じことを書いても、男性のせいぜい半分くらいしか書けない」 という。 なるほどね。 そう言われてみれば、男性作家の濡れ場の描写というのは、ほんとに具体的だものね(日経に連載している渡辺淳一センセイとか、たまに週刊誌で見る神崎京介センセイとか)。 それにしても、 「男の作家の書く女って、そのシーンでもそうだけど、ほんとに都合のいい女なのよね」 という友人の言には、深ーくナットクしてしまう。 「男の言うなりで」。 そしてそういう時に名前が出てくるのが、「渡辺淳一」センセイなのである。 「ほんと、とことん都合いい!」 というところで、意気投合してしまうのだけれど。 それにしてもあの人気、すごいものである。男性の願望を代弁しているのだろうか。 だとすると、ちょっとさびしいなあ。
October 18, 2005
「トスカニーニ・フィル」の記者会見に行ってきた。 聞きなれないオーケストラ、かもしれないが、それもそのはず、つい4年前に設立されたばかりらしい。 指揮者はあのロリン・マゼール。そのマゼール氏、70代半ばにして元気矍鑠、成田から直接記者会見場に駆けつけた。ほとんどの職業がそうだと思うけれど、指揮者もタフが第一条件。 で、彼がしゃべり始めて驚いた。流暢なイタリア語!まあ、イタリアのパルマを本拠地とするオーケストラなのだから当然かもしれないが、やはり一流の指揮者なら、指揮するオケの国の言葉ができて当然なのですね。 とはいえ、隣にいたトスカニーニ財団の責任者(イタリア人)が口を開いたらやはり発音は全然違ったけど。 さて、この「トスカニーニ・フィル」(ちなみに20世紀を代表するイタリアの名指揮者、トスカニーニにちなんだオーケストラ)、面白いのは、すべてのメンバーがソリスト契約だということ(サイトウ・キネンみたいなのかな)。プロジェクトごとに契約するんだそうだ。「お金はかかりますが」と責任者は言っていたけれど。(本当のところはどうなのかな)。このような形の契約にしたのは、「マンネリを防ぐ」という目的もあるそうだ。どのような道をたどるのか、興味をそそられるところではある。 ところで、トスカニーニの出身はパルマ。パルマはヴェルディの生地にも近い。パルマ市内にあるトスカニーニの生家は現在は博物館になっているが、狭い長屋のような家で、貧しかった少年時代が偲ばれる。 パルマといえば、名物は生ハム。パルマの生ハムは本当に甘くておいしい!日本に輸入されているのは残念ながら塩気がきつく、本場の味からはかなり遠い。 そのパルマハム協会が、「トスカニーニ・フィル」のスポンサーだということで、何と資料のなかに、「パルマハム協会」の立派なパンフレットが入っていた。「パルマハムを使った料理」のレシピまで!これでレセプションもパルマハムで決まり、かな。 ちなみに日本側のスポンサーはロレックスだそうだが、時計の広告はありませんでした。 日本ではドイツ、オーストリアばかりがオケの本場のように思われがちだが、イタリアのオケも独特の迫力があって聴き栄えがする。マゼール以外にも一流の指揮者ばかりが指揮しているようなので、ゆくゆくはイタリアのオケを代表する存在になるかもしれない。 ところで、マゼール氏は11歳の時、指揮をしたそうだが、その折のリハーサルの後、楽屋にトスカニーニが訪ねてきてくれたんだそうだ。 11歳!やっぱり天才ですね。
October 13, 2005
コンサートやオペラに行くと、「ドレスコード」を観察するのが結構面白い。 ここのところ立て続けに行った3つの公演でも、つくづく面白さを感じてしまった。 3つの公演とは、ベルギーのモネ劇場来日公演(「ドン・ジョヴァンニ」)、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場公演(「アリオダンテ」ほか)、そして宝塚歌劇の東京公演(「炎にくちづけを」)である。 劇場に来ている観客のドレスコードで、何となく、いろいろ想像をしてしまうのだ。 一番おしゃれ!だったのは、モネ劇場の来日公演。話題の指揮者、大野和士が指揮者になって、その彼に率いられての、いわば大野さんの凱旋公演ということもあり、マスコミでも大分取り上げられた。女性誌でも話題になったよう。(そういえば、この間まで連載していた「プレシャス」の編集者も、「今一番読者が知りたい日本人指揮者は大野さん」だと言っていた)。 そのせいか、会場にはファッショナブルな人多し。何年か前に、知人に誘われていったキース・ジャレットのコンサートのようなファッショナブル度でしたよ。 逆に、想像より地味?だったのが、宝塚の公演。ステージがあんなに華やかなのに・・・普段着のようなひとも多かった。それだけカジュアルに楽しめるということだろうか。 中間といえば中間なのが、バイエルン州立歌劇場の公演。ここは主催者が老舗で、昔からのオペラファンが多いので、オペラが中心、服装は二の次、みたいなひともいれば、けっこうゴージャス系のひともいた。チケットの価格からいえば一番高いから、みな着飾っているかというと、必ずしもそうではないところが面白い。 またここの年齢層は、他の2公演より総じて高め。やはり筋金入りのファンが多いせいか。 ともあれ、ナマの公演はこれだから面白い。ステージだけでなく、マンウォチングも捨てたものではないのです。
October 11, 2005
久しぶりに、宝塚に行ってきた(東京宝塚劇場)。 久しぶりに、と偉そうなことを書いたが、実はこれでまだ2回目、である。 ファンである、とはとうてい言えない。 2回とも、行ったのにはわけがあり、2回ともオペラの演目を下地にしたものだったから。前回は「トウーランドット」を下敷きにした「鳳凰伝」、今回は「トロヴァトーレ」を下敷きにした「炎にくちづけを」である。 両方とも、原作のオペラについて、プログラムに書かせていただいたので、ご案内をいただいた、というわけ。 宝塚はこれ以外にも、「アイーダ」を下敷きにした「王家に捧ぐ歌」など、オペラの翻案を時々やっている。作者の方が、NY滞在中にメトに通いつけたというオペラ好きなようだ。 実をいうと、今回の演目、ちょっと気がかり?ではあった。 「アイーダ」や「トゥーランドット」なら、宝塚版に焼きなおしても面白そうだけれど、ドロドロごたごたの「トロヴァトーレ」のお話を、どう宝塚乙女に気に入られるように作るのか、心配でもあったのだ。 ところがどっこい、これが面白かった。個人的には「鳳凰伝」より面白かったといってもいい。 原作のオペラは、ジプシー女が主人公。これは社会から疎外された主人公を、という、作曲者ヴェルディの意図が反映された設定なのだが、オペラ自体、音楽がとても勢いがあるので、それに浸ってしまい、あまりテーマ性を深刻に感じないうちに過ぎていってしまうことが多い。 ところがこの宝塚版では、そのテーマ性が、強烈に打ち出されていた。 オペラでは、ジプシー仲間で活躍するのは主人公母子くらいなのだが、宝塚では、準主役級の役も想像されており、ジプシーの一団が重要な役を果たす。 というのも、これはオペラと共通だが、この作品のテーマは「身分違いの恋」にある。恋の当事者は、宮廷女官とジプシーの吟遊詩人。これはたぶん、設定された15世紀当時だと、とうてい乗り越えられない溝だった。だってジプシーは「人間以下」とみなされていたから。 で、原作のオペラでは、その「人間以下」のジプシーに、人間性を認めているわけなのだが、宝塚版ではそこが強烈に打ち出され、ジプシーと対立する宮廷の貴族、武士たちの残酷さ、ジプシーへの偏見、非道な仕打ち、などがもりこまれていたのだ。 「ジプシーなど人間ではない」「けものと同じ」など・・・ 加えて、これもオペラには出てこない役として、「修道院長」なる役が創造され、「キリスト教徒でない者は人間ではない」という見方を代表していた。 対して、ジプシーの一団は、「ジプシーだって人間」「宗教が違っても人間」と主張し、「僕らはキリスト教徒ではないけれど、ジーザス(キリスト)は尊敬する」と、感動的な言葉を吐く。 そのジプシーたちを、宮廷側はむざんに処刑してしまう。「人間ではないから何をしてもいい」とか理由をつけて。修道院長も大賛成するのだ。 いやはやまるで、イラクで捕虜を虐待しているアメリカ兵のようではないか。 つまりこれは、作者の、今の世界へのメッセージのようなのだった。 「文明の衝突」、「宗教戦争」、「キリスト教とイスラム教徒の戦い」・・・表現はいろいろあるけれど、異質なものを排斥することへの告発、そして戦争への告発、である。 「人間は2000年昔から、おろかにも同じことを繰り返し続けている」と合唱が歌い、夫や息子を奪われたジプシー女たちは、「子供を沢山産んでやる」と叫ぶ。 いやはや、なかなかジーンとさせるのであります。 宝塚ファンにはちとハードかも、でもある意味、大人の鑑賞にも耐える出し物。ぜひごらんあれ。11月13日まで、東京宝塚劇場です。Hpは http://kageki.hankyu.co.jp/
October 10, 2005
昨夜、モネ劇場の来日公演「ドン・ジョヴァンニ」を見てきた。 ここの音楽監督をしている大野和士氏の指揮。凱旋公演である。 大野ファンなのか、会場におしゃれな女性多し。スカラ座やウィーンの来日公演に来ているマダムたちとは、ちと感じの違うお客が多かった。面白いですねえ。 大野さんの指揮はほんとすばらしかった。流れがよくて鋭敏だけれど繊細で。レチタティーヴォから歌への移行があんなに絶妙なモーツァルト・オペラの演奏は初めて聴いた。(知り合いの評論家によると、とても計算しているそうだけれど)。オケも反応がとてもいい感じ。 歌手は、それはウィーンとかに比べればまだ若手だし、一段階落ちるかもしれないけれど、全体的に若々しい活力があって、とても楽しめた。大野さんは歌手に歌わせるのもうまい。 プログラムの記事によると、大野氏はすごく頭のいいひとらしい。話術、交渉も巧みとか。えらく貴重な人材ですね。 ところで、「ドン・ジョヴァンニ」という作品は、(よく言われることだが)モーツァルトのオペラのなかで、かなり異質な、ロマン派の方へはみ出している作品である。 今日とくにそれを感じたのは、登場人物の心の葛藤の激しさだった。 とくにドン・ジョヴァンニをめぐる女性は、みんな揺れている。というのも3人とも、どこかでジョヴァンニに惹かれているからだ。 ドン・ジョヴァンニと結婚して捨てられたドンナ・エルヴィーラはもちろんだし、口説かれては陥落しそうになるツェルリーナも当然、そしてよく論議の対象になるドンナ・アンナも。 それぞれ程度は違うのだが、みなドン・ジョヴァンニに惹かれる気持ちがあり、葛藤しているのだ。 葛藤のなかで、一番自分の気持ちを把握できないのが、ドンナ・アンナだろう。お嬢さん育ちで、たぶんそういう激しさを経験したことがないから、どうしていいか分からないんじゃないだろうか。 ただし、よく(とくに男性から)言われるように、ドンナ・アンナが幕が上がる前にドン・ジョヴァンニと関係してしまっており、そのために惹かれている、と言う解釈は(そういう演出も多い)、私はとらない。 だってドンナ・アンナはファザコンで処女(のはず。貴族の娘なんだから嫁入り前は厳禁でしょ)なのだ。だからこそ、闇にまぎれて忍んできた暴漢=ドン・ジョヴァンニを追っかける、なんて無謀なことができたのではないだろうか。もし本当にやられていたら、とても起き上がって追っかけてくる、なんて無謀なことは、精神的にも肉体的にもできないと思うよ。自分の恥をさらすようなものだし。 まあ、ただ、私が感じたのは、やられてしまったのかどうなのか、ということではなく(それは最終的にはあまり重要ではない気もする)、その忍んできた男に、ドンナ・アンナはフェロモンを感じてしまったのだろうなあ、ということである。 おとなしいお行儀のいい婚約者のドン・オッターヴィオと結婚するというレールを信じきっていた彼女が、自分でもわけのわからない感情に襲われているのではないか、ということである。 けれど同時に、そのジョヴァンニは父の仇であるわけだから、それはそれでやはり許すわけにはいかない。 つまり、どうしていいかわからない状態ではないだろうか。 だから彼女の歌うアリアはわけがわからない。オッターヴィオの誘いを断るのは、ドン・ジョヴァンニへの複雑な感情に揺れているからだろうけれど、まさかそれを口に出すわけにはいかないから、父のことだけで逃げようとする。でもそれは本心の半分でしかないから、やはり心情のこもらない、半分空虚なわざとらしい感じがしてしまうのではないだろうか。オペラ・セリア型の大仰なアリアにしたのには、その心理表現もあるのでは。 今回改めて認識したのはドンナ・エルヴィーラの女らしさ。モーツァルトは男の純情を描くのは得意だけれど、女の純情はあまり描かないな、と思っていたのだが、どっこい、これはすばらしき女の純情であります。揺れる女心を描いた第2幕の彼女のアリアには、本当に胸を打たれた。
October 7, 2005
だんなが9度の熱を出した。 熱中症と風邪がダブルで来たらしい。 10月らしからぬ猛暑のなかで、草刈りとテニスを土日と続けてやったのがたたったのだ。 日曜日の夕方、テニスから帰ってきて、つまみを並べてビールを飲み始めたので、だんながそれまで使っていた車で、ちょっと買い物に出てかえってきたら、布団にもぐってうんうんうなっているではないか。 「『おこり』っているのか、震えが止まらないんだ」 と、腕をがくがくさせて言う。 あわてて、こういう時に頼りにしている野口整体の先生に電話して、どうしたらいいかたずねたら、 「後頭部を暖めて、背中をさすってあげたら」 と言われた。 だんなの話では、冷房の風にさらされながら、寝入ってしまったというのだ。 「それは一番悪い」 整体の先生に言われた。 野口整体では、後頭部は絶対冷やしたらいけないそうだ。下手をすれば命取りにもなりかねないらしい。 とくに冷房の風は厳禁である。 その通りに応急処置をしたら、少し収まったが、熱が出てきて、かなりしんどいらしく、解熱剤を飲んでいた。 一晩明け、熱は7度くらいに下がったが、さすがにまだだるいというので、今日は会社を休んで家で寝ている。 ちなみに、このように、ふだん元気なひと(だんなは自他ともに認める元気印である)が、熱中症にやられることを、 「鬼の霍乱」というのだそうだ。ちっとも知らなかったな。 ところで、久々にだんなが1日家にいて、朝夕はもちろん昼ごはんも作らなければならない、という状況を経験したのだが、 「もし定年になって毎日これだったら、とてもやってられない」 1日でそう悟ってしまった。 なにしろ、平日は家で一緒に食事をすることなど、週に1度かせいぜい2度。昼はもちろん別々だし、週末だってしょっちゅう出かけているから、3度作ることなんてまずない(友達に話すと、うらやましがられる状況ではある)。 これが3度作るとなると、とにかく食事の支度と後片付けに追われる、という状況になるのである。 こちらも家にべったりいるわけではなく、講義だ打ち合わせだ調べ物だと出かけなければならないから、家にいる時間は台所ばかり、ということにもなりかねない。 ある週刊誌に、やはり定年退職後の夫と暮らしている女性エッセイストが連載を持っているのだが、それによると筆者は、夫が定年になった時に、「昼食は作らない」と宣言したそうな。 それも手だな、と、わずか1日の経験で、考えてしまったのでありました。
October 3, 2005
今日から、学習院の生涯学習センターというところで担当している、カルチャー講座が始まった。 今期のテーマは、来年の生誕250年に向け、「モーツァルトのオペラ」である。 講座は午前中なので、終了後、常連さんとご飯を食べることがよくある。 今日は目白の中華料理やさんへ行った。 音楽とは打って変わり、選挙やら「小泉語」やら、かしましい話になったのだが、どちらかというと私自身より私の両親の年輩に近い皆さんが、かなり気になっているらしかったのは、 「今時の若いひと」(まあみんなそうですね。われわれも時々話のタネにいたします)がどーのこーの、と、 「ニート」でありました。 皆さん、あちこちで、「ニート」の例を聞いては、かなり引っかかっているようだったのだ。 「親がいるうちはいいけど」に始まり、 「とにかく家から出して、何でもいいから働かせて、独り立ちさせないと」 という結論に、だいたい落ち着いたのである。 「ハングリー精神がない」 という声も聞いた。 「ハングリー精神がない」 それもそうなのだろうけれど、今の時代にそれを言うのは、ちょっと残酷なような気もする。 私たちの世代もそうだが、今の日本にはとにかく欲しいものは何でもある、ありすぎる。氾濫して、アップアップしている状況だろう。 そのただなかにいて、ハングリー精神を持て、と言われても、そりゃ難しい。 それに、このような消費社会を作ったのは、物のない時代に育った、ハングリーだった人たちでもある。 もうこんな状態はごめん、という原動力が、高度成長、経済成長を促進した面もあるだろう。 その結果、とにかく次々と作り、売り、消費する、という社会ができあがってしまった。 こう商品が多くては、選択する力が育つ前にこちらの方が埋もれてしまう。 モノがひっきりなしに提供され続ければ、それを求める力、ハングリー精神など育つはずがない。 いろいろな世代の音楽ファンと接するけれど、年輩の音楽ファンを、うらやましいと思うことがけっこうある。それこそ終戦直後の何もない時代に、砂漠に水がしみこむように、限られた機会を必死に求め、なけなしのお金をはたいた。その経験は、絶対消えることはないだろうから。 今のように提供が異常に多いと、好きなものを見つけることが逆に難しくなってしまうのだ。 その点、今の学生さん(出ました、本当はこんな言い方は禁句ですね)、は不幸かもしれない。私の時代でも、かなりそうだったと思う。(自分の不勉強を棚にあげてよく言うよ、と自分でも思うけれど) そういえば、「ニートの子供を家から出せ」という意見のおじさまの家には、一流企業に勤める40近くの息子さんがパラサイトしている。 かくいう私も、結婚までパラサイトしていた。 ひとのことなんか、いえた義理ではないのである。
October 1, 2005
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