全15件 (15件中 1-15件目)
1
駅前周辺の使えなさを理由に、「横浜のチベット」(チベットの皆さんごめんなさい)などなど、つねづね文句を言っている地元、長津田。 けれど、ひとつだけお気に入りの場所がある。 田園都市線の改札を入って正面にある、セガフレッドのお店だ。 最近よく見かける、イタリアンコーヒーのチェーン店である。 だんなをはじめ、そういう趣味のないひとにはよく不思議がられるのだが、私は喫茶店が好きである。結婚前、世田谷区の梅が丘に住んでいたころは、毎日のように徒歩数分の近所のカフェに行き、仕事や手紙書きやらをしていた。家で仕事をしているので、喫茶店はいい息抜きになるのだ。 けれど長津田にきたら、そんな場所なんかなかった。ファミレスは落ち着かないし、駅の近くにある喫茶店は遠すぎる(おまけにちょっと暗い)。引っ越してきたころは探し回ったが、じきにあきらめた。 そんな私の長津田での唯一息抜きの場所が、セガフレッドなのだ。 といっても、改札のなかにあるため、電車を利用するときにしか使えないのがちょっと難点。けれど、たまに時間に余裕があるとき、電車に乗る前のコーヒーの一杯はほっとする。 そしてもっとたまに、なのだが、夕方、長津田の駅まで帰ってきて、ちょっと時間のあるとき、ここでビールを飲むのが、ほんとに至福、である。 長津田のセガフレッドのいいところは、入った正面が天井までガラス張りになっていて、線路と空が見渡せること。夕暮れ時(一番好きな時間)、この窓に沿ってめぐらしてあるカウンターに陣取って、ひろびろとした空がじわじわと暮れていくのを眺めながら冷たいビールを飲むのは、なんとも言えず心地いい。 正直、いつかは都心に引越したい。でもそのときまではこの眺めを楽しもうと、今日の夕方、ビールと空に満たされながら決心したのだった。
June 30, 2005
久しぶりに、横浜の中華街へ行った。 知人との待ち合わせ時間よりかなり早く着いたので、ぶらぶら歩きを楽しんだ。 平日の夜なので、週末ほどごった返していなくて快適。厄介な日中摩擦も、(少なくても表面上は)、ここには影を落としていないみたい。華やかなお祭りみたいな大通り、ごちゃごちゃと入り組み、なつかしい匂いのする脇の小路・・・飛行機に乗らなくても、手軽に異空間の楽しさが味わえる中華街は、やっぱり楽しい。 けれど、ちょっぴり、気になる風景にも出くわした。 以前は「行列のできる名店」だった(はず)のお店が、「がらがらオーラ」を発していたのだ。 おいしそうな焼きブタや腸詰を、ショーウィンドーにつるしていたK店。おかゆが有名で、いつも行列ができていたA店。(ここで食べた冷やし中華はおいしかった!)etc・・・老舗で、家族経営の昔ながらの店、という感じだったのだが、ほんとにがらがら!蛍光灯のついたそっけない店内だから、なおさら「がらがら」が目立ってしまう。「がらがら」がほとんど「オーラ」化している状態。 こうなると、いくら昔おいしかった店でも、入る気がしなくなるから不思議だ。 あとで知人にきいた話だと、今人気のあるのは、オーダーバイキング形式の店だとか。内装もそこそこきれいなほうが受けるらしい。 一度「がらがらオーラ」を発してしまうと、そこから抜けるのは結構大変なような気がする。でも中華街が、こぎれいなファミレスみたいな店ばかりになるのはつまらない。ああいう家族経営の昔ながらの店に、ぜひ復活してほしいものである。
June 23, 2005
昔から、サークル活動が大の苦手だった。 小中高通じて、まともに「クラブ活動」なんてやったことがない。 大学でもサークルらしきものに入ってみたが、長続きしなかった。ひとえにワガママなせいである。とにかく集団行動に向かない性格なのだ。協調性ゼロ。 同窓会の幹事のようなおつとめにも、とんと縁がない。 なのに、今年から、音楽ライターの集まり、「ミュージック・ペンクラブ」の委員を引き受けることになった。 人生でいっぺんくらい、この手のことをやっておかないと、いくらなんでもまずいんじゃないだろうか、と思ったのである。委員といっても、月一度のミーティングに出るのがせいぜいなのだけれど。。。 メンバーはクラシックだけでなく、ポピュラーのひともいるので、ふだん触れない空気に触れられるのは面白い。やっぱりかなりタイプ(ノリ)が違いますね。 それはさておき、気になるのは、この手の「クラブ」に、若手が少ないことだ。 というのも、私は「日本ペンクラブ」にも入っているのだが、こちらも高齢のひとが多いのである。パーティなど行くと、8割がた?そんな感じ。まあ30代40代でバリバリ活躍しているひとは、そんな場に出て行くひまなんてないんだろうけど。 ペンクラブ主催の講演会(たとえば江川詔子さんや森住卓さんを講師にしたイラク戦争の現地報告)などは、若いひとも少なくない。ただ、大半は会員ではなさそうだ。 そのなかで出世すれば社会的にもいささか役に立たないでもない「学会」の類と違い、この手の「クラブ」はまあ同好会のようなもの。日本ペンクラブはともかく、ミュージック・ペンクラブとなると、知名度も低い。役職をやったと自慢?できそうなのは会長職くらいだろうか。 でもこの種の団体が、たとえばペンクラブにしても、若い世代にアピールする魅力がなくなってきているのは確かなのではないだろうか。何も同業者で群れなくても、という感覚も、関係しているのかもしれない。 いくら昔より高齢者が増えているとはいえ、やっぱり年齢が偏るのは不自然だし、できれば現役ばりばりのひとがいる方が、会も活気が出るんじゃないかなあ。 そんなことをうだうだ考えていたら、ミュージック・ペンクラブの会長(女性です!)に言われました。 「私もね、若い頃、こういう会に入ったことがあるんだけど、すぐやめたわ。 やっぱり年齢の高いひとばっかりで、固まって共通の話ばっかりしててね」 「高齢者仲良しクラブ」になりがちなのは、昔も今も一緒なんですね。
June 21, 2005
サン・カルロ歌劇場のソリストとして来日しているソプラノ歌手、フィオレンツァ・チェドリンスにインタビューする幸運に恵まれた。 日本には何度も来日して、新国立劇場の公演にも出たりしており、おなじみの歌手。舞台姿も美しく、「華」のある歌手、という表現がぴったりだ。 今回歌ったのは、得意の「トロヴァトーレ」のレオノーラ役。公演では、情熱的な役作り、豊かな表情づけに感動した。 舞台をおりたチェドリンスも、とても素敵。きれいで、落ち着いていて、艶っぽい。かなり年上のご主人と一緒だった。ご主人の職業、ききたかったけど聞けなかったな。 それはさておき、今回の「トロヴァトーレ」のレオノーラ役について、色々興味深い話が聞けたのが何よりの収穫だった。あれは「身分違いの恋の悲劇」なんですね!自分の思い至らなさを恥じました(詳しくは、8月に発売される「音楽の友」9月号を見てくださいね)。 ところで、今回のサン・カルロ歌劇場の公演には、2人の世界的なソプラノ歌手が同行している。一人はこのチェドリンス、もうひとりは、バルバラ・フリットリという歌手だ。フリットリは欧米では大活躍だが、日本にはなかなか来ず、今回ようやく初来日を果たした。なので、メディアでは彼女のほうがよく取り上げられている。 このフリットリ、ほんとにうまい歌手だし、きれいなので、どの記事でも「美人!」の枕詞がふられている。もちろん同意するのだが、なぜか美貌では決して負けていないのに、チェドリンスには「美人!」の形容詞がつく頻度が少ない。 「フリットリはもちろんきれい。でも、チェドリンスもきれいなのに、どうして「きれい」って言ってあげないの?」 今回のプロモ-ションを担当している会社のひとにきいてみた。 「そうですよね、きれいですよね」 同意する彼女。 と、そばにいた、某音楽出版社の編集者が口をはさんだ。 「今回は、フリットリは「きれい」って、そういうことになっているから・・・」 なるほどね。納得がいきました。 つまり「美人」とセットにしてPRしているのだ。マスコミ「美人」はこうして作られるのかも。 チェドリンスやフリットリもいいけれど、私はたとえば、今回のメンバーでは、バリトン歌手のアンブロージョ・マエストリあたりにも話を聞いてみたかった。だってスカラ座で「ファルスタッフ」の主役を歌うような、スター・バリトンなんですよ。 でもインタビューって、だいたいソプラノかテノールと決まっているのである。バリトンは二の次。主役を張る場合は別だけれど。 ほんとは、オペラの「男」の真骨頂はバリトンにある、と思っているのだけれど。「シモン・ボッカネグラ」の主人公(バリトン)なんて、最高ですよね。
June 20, 2005
「すごいよね、これ」 来年6月に来日する、「ボローニャ歌劇場」の招聘メンバーを見たときの、私を含めた複数のオペラファンの感想である。 何がすごいって、歌手の顔ぶれがすごいんである。フローレス、デッシー、クーラ、アラーニャ、ガザーレ、グエルフィ、グレギーナ・・・よくこれだけ集めたな、っていう感じ。同時期には、メトロポリタン歌劇場もスターをそろえて来日するし、何だかこの時期、欧米のオペラハウスはかなり寂しくなるんじゃないだろうか。 で、できあがったパンフレットには、これら売り物の歌手の顔写真と紹介文がずらっと並んでいるのだが。 途中で、何がなにやら分からなくなってしまった。 意味不明の日本語のせいである。 いろいろ形容したいのはわかる。とにかくすごい歌手!って広告しなきゃならないし。 でもね、こういうのって、いかがなもんでしょうか。 「現代の、世界No1テノールといって憚らない。シチリア島の血を引く、地中海の海の輝きと、ほのかな官能美を漂わせた美声、フランスに生まれ育ち、・・・(中略)・・・で磨き上げた洗練された歌唱表現と演技力。王侯貴族の息子の役、ドン・カルロや「イル・トロヴァトーレ」のマンリーコを演じた時ににじみ出るテノール・ノービレの気品は比類がなく、ヒロイックな役を演じても、どこか母性本能をくすぐられるハンサムなオペラ界の貴公子、・・・・」 まあ、ひとりくらいならいいんです。でもこの調子で、13人分続くんですよ。 こんなのもある。 「若くして、・・・・ベルカント・オペラの最高峰にのぼりつめた天才、現代の奇跡、100年に一人の歴史的テノール。・・・」 これって、「・・・のぼりつめた天才」まででいいんじゃないだろうか。 「・・・純イタリア・ベルカントの美声と美貌に加え、歌唱表現の彫りの深さと卓越した演技力は、もはや全世界のソプラノの中でも比類がない。・・・」 「比類がない」っていう形容詞が、やたら大盤振る舞いされているのも特徴である。「・・・オペラ史上に比類なき美貌とモデル顔負けのプロポーション」なんていうのもあった。マリア・カラスファンは怒るかも? まあ、この調子で13人紹介されると、印象が薄れてしまうのである。 たしか谷崎潤一郎の「文書読本」だったと思うけれど、繰り返したり、大げさに表現することはかえって逆効果だ、というくだりがあった。まったく同感である。 広告なのだから、インパクトは強烈なほうがいい。これでもか!と形容詞を連発するより、短くて効果的!なコピーを考えたらいかがでしょうか。 主催者のみなさま、この際、この公演の売りになっている「ポスト三大テノール」(アラーニャ、クーラ、フローレス)のキャッチコピーを募集する、なんていかが?当選者は公演にご招待!なんて。S券57000円だから、価値ありますよ?
June 18, 2005
大足に加えて外反母趾のため、「靴」に悩まされていることは前も書いた。 一番ありがたいのはゾウリサンダル。けれど今日のように雨が降ると、そうもいかない。 今日は朝から大学で講義、そのあともいろいろ行くところがあり、最後は渋谷でオペラ。 なのに、とうとう「長靴」を履いてしまった。 だって、駅まで20分近く、雨のなかを歩かなきゃいけないんだもの。 こういう日にかぎって、タクシーも来ないのである。 けれど、一日歩き回るのだから、靴の恥は掻き捨て!と自分に言い聞かせた。 なのに、夕方渋谷に着くと、雨はほとんどあがっていた。雨が止んだのに長靴でオペラ。しゃれにもならない。 ところで、1日あちこち歩いていていて思ったのだが、いまどき長靴(雨靴)なんて、ほぼ絶滅状態ですね。数人しか見かけなかった。 まあそれは分かるのだけれど、驚いたのは「ゾウリサンダル」を履いている女性の多さ。 雨のなか、はだしで(当たり前だけど)、ゾウリサンダルで歩いているのだ。 うーん、女性ってすごい・・・ ひたすら感心していたら、 バッシャン! 目の前で、きれいにペディキュアをした足が、水溜りに突っ込んだ。 うわ。思わず目を上げると、視界を傘でふさがれた。 いやああっぱれ。オンナの鑑である・・・ 風邪引かないで、ね。
June 15, 2005
11、12日と、関西の某Bホールにて、「サン・カルロ歌劇場」の来日公演に行ってきた。 わざわざ関西まで出向いたわけは、Bホールがオペラに最適のホールだから。京都から近いので、京都に泊まって遊べるのも楽しい。旅行がてら、の気分だったのだが。 公演初日。S券を奮発して行ったのに、見つけた席は何と平土間(このホールでは平土間の後方を「2階席」としている)の最後尾。頭上には上階がばっちり張り出している。こういう席は聴こえにくいんですよね・・・ 結果は、案の定、でした。 いい歌手も出ていて、演奏もいい感じ、なのは伝わってくるのだけれど、何せ頭の上にかぶさっているものが邪魔して、今ひとつ聴こえが悪い。「カンカソーヨー」という気分なのである。 カーテンコールも、前方で大いに盛り上がっているのに、こちらは今ひとつ盛り上がれずじまいだった。 それにしても、普通、平土間最後列ってS券にしないんじゃないの?音響条件がまるで違うんだもの。 休憩時間に、ホールの関係者を見つけたので聞いてみた。 「あ、今回はね、ほとんどS券ですよ」 何だ、それ。 どうしてか。理由は、いろいろ聞きました。公演回数が制限されていること、などなど。 まあ、分からないでもないが、お客の立場としては「分かりません」と言いたくなる。だってS券以外の券種はもともととても少ないから、「一瞬でなくなった」って言うんだもの。それって、あり?(ホールの名誉のために言っておくと、今回の席の決定は、ホールが行ったのではない。) そりゃ、主催者の事情はいろいろあるだろうが、だからと言ってS券の範囲がやたら広がるのは、フェアとは思えない(だから広告で、別の券種が全部売れていて、Sばかりが残っていたわけですね)。何か制限を設けるべきではないだろうか。 もうひとつ。これは今回にかぎらずいつも思うのだが、主催者がど真ん中に座っているというのはどんなものだろうか。それは公演にこぎつけるまでには色んな苦労があるに決まっているが、主催者はやはりお客さんに来てもらってなんぼ、なのではあるまいか。天井桟敷に座れとはいわないが、高いお金(S券58000円もするんですよ!)を払ってきているお客を平土間最後尾に座らせ、自分たちは平土間どまんなか、はないんじゃないかなあ。せめて少し脇に、遠慮をこめて?座ったらいかがでしょう。
June 12, 2005
久しぶりに、巨体のプリマ・ドンナを見た。 「ミューザ川崎」で行われた、コンサート形式のオペラ「トゥーランドット」でのことである。 このオペラ、主役のトゥーランドットは、高く強い声をびーっと出し続けなければならないので、それに耐えうる?体格の持ち主が求められる。台本では「絶世の美女」のはずなのに、???という歌手が登場することが多いのは、たぶんそのせい。けれど昨今の、オペラ歌手=女優かモデル、という風潮のなか、トゥーランドットもどうなることやら、と、ちょっと心配?だったのでありました。 いや、安心しましたね(笑)。やっぱりトゥーランドットはこうでなくっちゃ! ヴィジュアルがとやかく言われるこの時代であるが、オペラは伝統芸能。伝統芸能って、グロテスクなところもあるもんでしょ?歌舞伎の女形だって、何の予備知識もなくて初めて観たら、驚くんじゃないだろうか。 オペラの巨体プリマだって、初めて見たときは「えー!?」と思っても、聴いているうちにそんなことがどうでもよくなって、何となくキレイに見えてきてしまう、それこそほんとの「歌の力」なんだと思うのです。歌の力にねじ伏せられる快感、ですね。 ヴィジュアル系の歌手だと、これは不可能。だから、私なんぞは逆につまらないな、と思うこともある。 今日(正確には昨晩)聴いたマッツァーリアという歌手は、久しぶりの豪砲級だった。歌も堂々としたもので、「これぞトゥーランドット!」とぃう歌いぶり。何だか安心して、途中から目をつぶって聴いていた。 そう、歌に酔いしれ、目をつぶって聴く。それも、オペラのまっとうな楽しみ方だったのに・・・今ではまれな、一夜の夢になってしまったのである。
June 11, 2005
二子山親方が亡くなって噴出した「若貴きょうだい」の不仲が、メディアをにぎわせている。 どうもミーハーなので、気になってしまうんですねえ。ついつい電車の中吊り広告に目が行ってしまう。 「バッハ」の解説を書かなければならないのに、「お手伝いさんは見た!」なんてお昼のワイドショーについついチャンネルを合わせてしまった。(Hさんごめんなさい・・・)途中でさすがにうんざりしたけど・・・。こんなときにテレビに出てきてぶちまけるのも、ねえ(それを観ている身で言うのも何だけど)。 こんなにごちゃごちゃしたら、亡くなったひとがあまりに気の毒じゃないか、と思いかけて、思い直した。 亡くなったからこそ、いろいろ出てくるんである。きっと。 これまで抑えていて、出せなかったものが、一気に噴出してくるのである。あるいは抑えていなくとも、見えなかったもの。あるいはそれまで向き合う必要のなかったもの。そういうものが、いっぺんに押し寄せてくるのだ。 このあいだ読んだ、桐野夏生の「魂萌え!」もそのことがテーマだった。夫が亡くなったとたん、ふだんは音信不通のどら息子がわずかな遺産が欲しいと出てきたり、夫の愛人の存在が分かったり。静かに亡くなったひとの思い出に浸ることができる日々なんてものは、その嵐を乗り越えてはるか先にならなければ訪れないのだ。自分と自分の周りの人間の感情が整理されるのにだって、気が遠くなるほどの時間がかかる。よほど「死」について準備していれば別だが、そんな例は一握りだろう。 私の母が亡くなったときだって、今思えばまったくたいしたことではなかったのだが、感情的な葛藤はいろいろあった。でもそれは乗り越えるのが必要なことだった、と今になって思う。遺産だ何だというレベルはまったくなかったし、かなりラッキーな方だっただろう。 けれど花田兄弟の場合は、一族も大変だけれど、回りにも色んな人がいるんだから、ほんとに大変である。下手をしたら一生、何かが残りかねない。 平凡でよかったかも・・・ね。
June 10, 2005
今週は、ほとんど毎日コンサートが入っている。 コンサートが続くと、困るのが夕食。横浜のはずれの家に帰ってから、したくするのは遅すぎる(帰り着くのは、早くて10時半)。(第一、駅で買い物ができない環境なのだ)。 始まる前に済ませるのがいいのだが、これがなかなか難題。手軽に食事のできる場所が周囲にないホールも多い(NHKホールなど。サントリーホール周辺も意外と少ない)。 加えて、ぎりぎりまで用事が立て込むこともある。そうすると、ロビーで売っているサンドイッチというパターンになるのだ。ホールによって多少差はあるが、高くて薄くてまずい点は共通している。これが何日も続いたりすると、ほんと悲惨。 おにぎりやお弁当などを買って持ち込む、という手もあるのだが、どういうわけがここだけは変に見栄っ張りで、それだけはできない・・・のである(持ち込んでいる方、ごめんなさい。こだわっているこちらが悪いのです・・・)。 というわけで、コンサートホールに通うとき、周辺の食環境は重要である。ここ3日間、すみだのトリフォニーホールに通いつめたのだが、錦糸町駅に隣接しているせいで、手軽に食事のできる場所がけっこう多くて助かった。女一人で入りやすいのは、やはりパスタ系。ファストフード的な食事どころだと、天丼の「てんや」くらいなら入ってしまう。吉野屋はちょっと無理・・・かも。 そんな「見栄」と、ホール周辺の食事環境の折り合いがつかないと、「恐怖のサンドイッチ」パターンになってしまうのである。 ところで、私の知人の一人で、元銀行マンの音楽通は、ある女性人気評論家のことを褒めていたのだが、その理由は「おにぎり」だった。 「あのひとはねえ、お仲間なんかで固まらないで、ロビーのすみっこのほうで自分で作ってきたおにぎりかなんか出して食べてる。それがいいんだよねえ」 そうか。おじさん音楽ファンには、「手作りおにぎりをかじる女性評論家」が受けるのか。 ロビーで売ってるサンドイッチでスパークリングワイン飲んでるのは、かわいくないかもしれない、というわけなのでした。
June 9, 2005
昨日から、ベートーヴェンを聴きに通いつめている。 ヘレヴェッヘという指揮者の、交響曲の演奏シリーズだ。 今日はご案内をいただいた席で聴いたのだが、昨日は私的に購入した天井桟敷で聴いていた。天井桟敷といっても音はいいし、舞台もよく見える。 私の2席くらいおいた隣に、中学生か高校生くらいの女の子が、一人で座っていた。化粧っ気のない、まじめそうな女の子である。ステージを見る目が、きらきらしている。 きっと一生懸命自分でチケットを買って、来たんだろうな。 そう思ったら、ちょっぴり胸がきゅんとしてしまった。 昔を、思い出してしまったからである。 自分で初めてオーケストラコンサートのチケットを買ったのは、たしか中学1年のとき。BBC交響楽団というイギリスのオーケストラを、NHKホールに聴きにいった(年がばれますね)。発売開始日には、朝早くからプレイガイドの前にならんだことを覚えている。 すごくわくわくして、大人になった気がしたものだ。 音楽を一番貪欲に聴いたのも、その頃だったような気がする。 ブラームスやブルックナーの交響曲なんぞに夢中になって、夜明けまで聴いていたりしたものだ(今ではめったに聴かなくなってしまった)。 ブルックナーに夢中になっている女子中学生なんて、周りから見たらすごーく異様だったと思う。 でもそんなこと、かまってなんかいなかった。 今だって普通のひとから見たらオペラおたくの異様な存在だけれど、大人になれば「おたく」もある範囲では許される。けれど中学生の「女おたく」は、ひたすら学校からはみ出すだけである。 幸い私のいた中学校は、「何か好きなこと」がある学生を尊重してくれたので、中学にいる間は窒息しないですんだ。それ以後はしんどかったが。 これでよかったか悪かったかなんてわからない。人生、たぶん最後になるまでわからないから。 でも目をきらきらさせていられるなら、きらきらさせていて欲しい。たぶん、無駄にはならないだろうから。 何となく肩に力が入ってしまった、胸キュン少女、目撃談なのでありました。
June 8, 2005
オペラ歌手というものは、マイクなしで歌うものである。 そう、固く信じている。 ところが、ちらほら漏れ聞こえるところによると、どうやら最近、この大原則がしばしば破られているらしい。もし本当なら、とても悲しいことなのだが・・・ 伝聞に限られるが、「漏れ聞こえ」の例をいくつか。 その1 今年1月のあるオペラ公演。会場で出会った知り合いの評論家、開口一番「今日PA使ってますね」 私「え、何でわかるの?」 評論家 「舞台の脇の黒い部分あるでしょ?あれがたぶんPAの機械だと思う。いつもはあそこ閉まってるんですよ」 その2 飲み屋で偶然、ある大手呼び屋さんの社員と一緒になった私の友人。飲んだ勢いで聞いた。 「最近、歌手がPA使ってるってほんとですか?」 社員氏 「あ、わかります?声の足りないひとには、使ってるんですよ・・・」 友人 「・・・(憤然)・・・」 その3 今年冬に行われたある国内劇場の公演。主役の女性歌手が不評だったのだが、私のカルチャーセンターの講座に来てくれているある女性いわく、 「あの歌手のひと、PA使ってたんですって。あと、相手役の男性も」 私たち「・・・(沈黙)・・・」 どれもこれも伝聞で、直接確かめては居ない。確かめようと思えば確かめられないこともないが、はっきりいってこわくて確かめられない。 だって「オペラにPAは違法」だと思っているから。 オペラはやっぱり「声」の魅力だ。たかだか2000人かそこらの劇場でPAを使っているとしたら、オペラ歌手失格である。そのような歌手を起用する方にも責任があるのではないだろうか。 1万人収容する、あのヴェローナの円形劇場でPAを使っていないのに(これはNHKのもと録音ディレクターが、自分の耳で確かめたこと)、日本の2000前後の劇場で使うのは、ルール違反だ、と思う。 どこの世界もそうだが、オペラ界もすっかりビジュアル時代で、かわい子ちゃんが優先される。別にそれは結構だけれど、「声」が伴わなければ意味がない。ただ容姿がよくて演技がうまければPAを使ってもいいというなら、ミュージカルに転向すればいいのではないだろうか。 これを読んでいる関係者の方がもしいたら、そしてもしPAを使っていたら(そうでないことを心から祈っております)、どうぞお考えになってくださいませ。よろしくお願いいたします。
June 6, 2005
今回のオペラツアーで一番悩まされたことは、歌手の「ドタキャン」である。 前に発表されたとおりのキャストであったためしはほとんどなかったのだが、とくにウィーンの「愛の妙薬」でテノールのカレヤに、チューリヒの「仮面舞踏会」でテノールのアルバレスにふられたのはショックだった。代役はまあそれなりのレベルではあったけれど。 日本だったら、その公演で「売り」の歌手が出なければ、払い戻しというケースもままある。だがヨーロッパでは、そんなことはまずないらしい。 払い戻しはあくまで、 「公演自体がキャンセルになった」場合なのだという。 しかもある歌手が出なくなったことに対し、劇場内に何のエクスキューズがないことも珍しくない。 それでも抗議している姿は見かけないから、まあそんなものと、了解されているのだろう。 だが、聴衆も黙ってはいない、場合もある。 昨年の6月、イタリアへ行ったときがそうだった。スカラ座の「フェドーラ」で、前にアナウンスされていたドミンゴとフレーニ、2人の大物が2人ともキャンセルしたことがあったのだ。 フレーニの代役はグレギーナ、ドミンゴの代役はちょっと名前をおぼえていないのだが、この2人がまた不調だったので、客席の反応たるやすごかった。 「ブー!」 1幕目が終わった時点から、ブーイングが渦巻いたのである。 最後のカーテンコールなど、ブーイングの嵐。たまりかねたか?一部から「ブラボー」が出ると、消してしまえ!とばかりに、また「ブー!」の洪水。 カーテンコールより何より、そちらに気をとられてしまったのだった。 主張するときは主張する。そこはヨーロッパ人、黙ってはいないのだ。
June 3, 2005
今回のツアー、演出も面白かったが、歌手もずいぶん贅沢に聴いた。 フローレス、バルチェッローナ、ヌッチ、ハンプソン、ボニー・・・キラ星のような歌手を連日聴いたのだが、一番すばらしかったのは、女性ではソプラノのカリタ・マッティラ、そして男性ではバリトンのレオ・ヌッチである。 レオ・ヌッチは日本でもおなじみ、大ベテランのイタリアのバリトン。もう40年近く、第一線で活躍している。とくにヴェルディ・バリトンとしてぬきんでた存在。得意の「仮面舞踏会」レナート役で、今回ぴか一!の大熱唱アリアを聴かせてくれた。会場はほとんど総立ち状態だった。 演技もすばらしく、目や動作にこめられた表情の濃さ、密度の高さにはつくづくうならせられてしまった。 ヌッチは以前から何度も聞いているが、今回初めて聴く歌手で、一番期待していたのがフィンランド生まれのソプラノ、マツテイラ。DVDでは何度も聴いていて、「ドン・カルロス」のエリザベッタや、「シモン・ボッカネグラ」のアメーリアに魅了された。とにかくうまい!高音から低音まで危なげなく出るし、声もつやとはりがあって、よく通り、澄んで美しい。 そのマッティラ、シャトレ座の「アラベラ」は、期待通りの歌唱だった。ハンプソンやボニーら共演者を圧倒して、みずみずしく、よくふくらむ、艶と広がりのある声が突き抜けてきたとき、本当にうっとりしてしまった。今活躍しているソプラノでは、彼女とフリットリの印象がダントツである。 マッティラはまだ確か日本に来ていない(珍しい!)。ぜひ呼んで欲しいものである。 「アラベラ」の公演終了後、シャトレ座の総裁と芸術監督を交えたカクテルパーティが劇場内であった。 そのとき、「マッティラがすばらしかつた」と芸術監督に伝えたところ、 「彼女は、シュヴァルツコプフのようになる歌手です」という答えが返ってきた。 シュヴァルツコプフ!あの伝説の名歌手ではないか。カラスかシュヴァルツコプフか、という。 スゴイお墨付きである。でも一番肝心なのは、「カリタ・マッティラ」をきわめて欲しい、ということ(もちろんご本人は承知していらっしゃることだろうけれど)。 たとえば「カラスの再来」などという売り出し文句をかぶせることは、その歌手にとって何の利点もないのだから。 そして一度、彼女の「ドン・カルロス」、エリザベッタを、ナマで観てみたいものである。
June 2, 2005
やれやれ、である。 シリコンバレーから帰国し、引き続きオペラツアーに出ていたのだが、旅先での接続はやはり難しかった。 ほんの1ヶ月たらず前に泊まったウィーンのホテルでは、前回はできた接続ができなかったしまつ。 ラッキーなことに、今回のツアーについてくれた添乗員さんは男性で、機械関係(パソコン、携帯)に詳しかったので、いろいろ教えてもらったのだが、結果からいうと外国での接続はやはり難しい、できなくてもいらいらしてはダメ、ということだった。 ちなみにこの添乗員さんは、パソコンはめったに持ち歩かず、「ザウルス」を愛用していた。パソコンより軽いのはもちろん、接続もかんたんらしい。ネットの中古オークションで3000円くらいだとか。トライしてみようかな・・・ というわけで、この日記も、帰国(2日)後に書いている。ごかんべんを。 これからこの調子で、しばらく日付をさかのぼって日記をつけることになりそうだ。 もっともツアー中は朝から晩まで忙しく、接続できた都市(チューリヒ)でも、日記を書くひまはなかったというのが実情でもあったのだけれど。 ちなみにチューリヒでは、これまで泊まったホテルすべてで接続ができた。オペラもすばらしいが、接続事情の快適さも、チューリヒを気に入っている理由です(?) ところで今回は、「客室乗務員」のお話である。ついこのあいだまでは「スチュワーデス」と呼ばれ、花形職業だった職業ですよね。 機内食とならんで、こちらの方も、サービスされる側としては、昨今なかなか寂しいものがある。 以前は、とくにサービスの面で悪名(失礼!)が高かったのはアエロフロートだが、最近ではその傾向は欧米系各航空会社にも伝播しているようだ。 今回、サンノゼ往復で利用したアメリカン航空は、笑顔こそあるものの、通路をふさいでしまうような貫禄で、おまけに私の母(ちとおおげさか?)みたいな年配のひとばかりだったし、オペラツアーで利用した英国航空は、日本人乗務員はともかく、イギリス人乗務員のおっかなさといったらなかった。 トイレに行こうとしたら、カートで通路がふさがれており、立ち往生していたら、カートをどかそうともせず、「あっちのトイレを使って」と、にこりともせずに言い放つ。また飛行中に飛行機がゆれ、ベルト着用のサインが出たとき、たまたま添乗員さんの席で話をしていて自分の席に戻るのが遅れたら、顔色を変えてどなりまくる。こちらが生返事をしたのが気に入らなかったのだろうけれど・・・。 せちがらし、飛行機の旅、である。 だがこんなご時世にも、一昔前に夢に描いたような客室乗務員が存在している航空会社も、まだあるらしい。 「アジア系の航空会社はね、アジア人独特のまったりした感じがあってね、まだまだサービスいいよ」 教えてくれたのは、オペラツアーの帰りの飛行機で隣り合わせた、フィンランド帰りの通訳の女性だった。 「マレーシアとか、シンガポールとか」 とくに彼女が絶賛していたのが、シンガポール航空だった。 とにかく絵に描いたような美女ばかりだというのである。(面接試験は美人コンテスト状態だとか)。年齢制限は26歳くらいで、それを過ぎるとデパートの高級品の売り場とか、それなりに目立つ職場に回る。とにかく女性女性したエリート街道を歩くらしい。そんな美女が、スリット入りの制服でかいがいしくサービスしてくれるというのである。とくに男性客にはこたえられない、のはいうまでもない。 以下は彼女の目撃談である。 「前ね、シンガポール航空に乗ったとき、隣にアメリカ人のすごいおでぶちゃんが座ったのよ。 それがどういうわけか、何度も客室乗務員を呼びつけてサービスさせるわけ。ウィスキーを何杯も持ってこさせたり・・・その上、上の棚に入っている枕をとれとか、色々言いつけるのよ。 でね、わかったのよ。上の棚を開けると、彼女のスリットが目の前に来るわけ。もうたまんないでしょうね」 それを聞いて、シンガポール経由もいいかも、と少し動きかけていた心が止まった。 まあいいや。おっかないおばさんにも耐えて、直行便で行きます。
June 2, 2005
全15件 (15件中 1-15件目)
1


![]()