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ヨーロッパから帰った翌日の昨日、藤原歌劇団の公演「アドリアーナ・ルクヴルール」を見てきた。 いやあ、すごい落差。半世紀タイムスリップしてしまった。 何がって、「演出」である ヨーロッパで流行の、時代や場所を変更する「読み替え」演出のまさに正反対。台本の指定どおり忠実に、18世紀ヨーロッパの華麗なる?劇場世界、社交界を再現していた。 まあ日本では、これが「オペラ」だ!ということなのだろう。 客席の入りも上々。当初出るはずだった人気ソプラノ、ダニエラ・デッシーの人気もあったのだと思うが(残念ながらそのデッシーはキャンセル)、それでも聴衆はおおむね満足していたようだった。デッシーの代役のヴィッラロエルはまずまずだったし。 でもねえ、これ、1966年の制作なんですよ。ヨーロッパだったらまずお蔵入りでしょうね。 会場で会った某人気評論家も、「40年前の演出ですよね」と絶句していた。 また、ある有名オペラ団体の専務理事は、 「うちはこれはできないですよねえ」 とつぶやいていた。 彼によれば、現在の日本のオペラファンのコアな層はきわめて保守的。その層にアピールするのが、このような演出なのだろうという。まったく同感である。もちろん主催者の藤原歌劇団もそれを承知で、このような上演をやっているのだろう。 「もちろん藤原さんの考えはよくわかります。でも、じゃうちがこれを、何億かかけて作るか、といわれれば、それはできない」 それも、もっともである。 何が何でも新しい演出がいい、とは言わない。宮本亜門の「ドン・ジョヴァンニ」などは大嫌いである。ほめる批評家も少なくなかったが、あれはまったくモーツァルトの音楽を顧みない演出だった。モーツァルトに失礼である。 でも、40年前の演出をずっと、というのも、やはりいつかは行き詰るだろう。 難しいところだが、お客からあまり反発の出ないような、新しく、それでいて筋の通った、目のさめるような演出をしているオペラハウスもないことはない(チューリヒのような)。超保守的と超過激、何とかその間に妥当な線を見つけて欲しいものである。 ちなみに保守的なオペラファンでも、象徴的で品のいい舞台には、あんまり抵抗はないようだ。
August 30, 2005
久しぶりのブログである。書き方忘れたかも。ごかんべんください?! 5日から28日という、3週間以上に及ぶヨーロッパ(イタリア、オーストリア)滞在の間、一度もパソコンの接続ができなかったのだ。うーん、ショック・・・・ フィレンツェでもザルツブルクでもインスブルックでもイタリアの田舎町でも、どこでもつながらなかった。しまいには半ばあきらめ気味で、一晩しか滞在しないところでは、パソコンを開かなかった日も。 かろうじて携帯(国際携帯にしました)はつながっていたので、メールのやりとりくらいは何とかなっていたのだが。 ところで、今回の失敗、パソコンの設定が狂っていたせいかもしれない。 なぜそう思うかというと・・・ パソコンの海外での接続には、「GRIC MOBIL OFIICE」というソフトを使っている。電話線を使って接続するのだが、あらかじめ世界中の都市の連絡先が入っているのが便利なのだ。 ところが今回、どの町でトライしても、同じ理由で切られてしまったようだった。 ヘルプメニューを開くと、 「モデムまたは他の接続デバイスは使用中か、正しく構成されていません」という説明が、いつもいつも出てきたのである。 専門家がいれば、きっと分かったのだろう。でも素人はお手上げ。悲しいところでした。 ちなみに頼りの携帯も、最後にはダウン。これはすこぶるおばかな理由で、途中滞在していたホテルに、充電器を忘れてきてしまったのだ。踏んだり蹴ったり、とはこのことですよね。 というわけで、滞在記はこれからぼちぼちさかのぼって書くことにしようかな。面白いことのいっぱいあった旅なので。
August 28, 2005
20日から始まった今度のオペラツアー、ペーザロのロッシーニ・フェスティバルで2演目、ヴェローナで1演目、インスブルックの古楽音楽祭でバロック・オペラ、そして最後はザルツブルク音楽祭で2演目、というスケジュール。 今回の最大の目玉は、ツアー最終日の26日に鑑賞する、ザルツブルク音楽祭の「魔笛」ではないか、という点は、多くのご参加者が一致していたように思う。 なんと言っても「魔笛」はモーツァルトの大人気オペラ。そして指揮が、これもモーツァルトを得意とするリッカルド・ムーティだったから、なのだが。 これが、えらい不評だったんですねえ。 元凶は演出である。 音楽的にはよかったのだ。ムーティものっていて、実に楽しそうに指揮をしていたし、歌手もザラストロのルネ・パーペはじめ、かなり揃っていたと思う。 オケピットに入っているウィーン・フィルの響きも、もちろんよかったし、ね。 でも演出ですよ、問題は。 演出家のグレアム・ヴィックは、スカラ座などでもよくやっているが、そんなに前衛的、というイメージではなかった。スカラの来日公演の「オテロ」なんか、適度に象徴的で美しかったし。 ところが今回は冒険でしたね。やっぱりザルツでは冒険しないと相手にされないんだろうか。 冒頭がタミーノの寝室。全体は、タミーノの見た夢?のようにも受け止められる。ただ、最後で寝室の場面に戻るかというとそうではないので、決め付けるのも難しい。 とにかく難点なのは、全体が汚らしい(!?)こと。モノスタトスとその一味は浮浪者みたいだし、ザラストロの配下の僧侶たちは、なんだか老人ホームの入居者のよう。(ツアー参加者は60代が中心なので、「身につまされた」なんて声も出たりして・・・)。 ザルツブルク音楽祭といえば、ほとんど社交場の世界。みんなめかしこんでいるのに(ロングドレス、タキシード率高し)、どうして舞台の上は汚らしいのだ??? あとで、ご参加者の間で喧々囂々でした。 「こっちは盛装していっているのに、失礼ですよ」とおっしゃる方も。でもその気持ち、分かるよねえ。 帰国後に聞いた話では、当初出演予定だったサイモン・キーンリサイドという有名歌手がキャンセルしたのは、演出のせいではないか、という。 その気持ちも分かるなあ。 現代的な「読み替え」演出に異を唱えるつもりはないが、わけのわからないのは、ごかんべん、という心境である。 モーツァルトに失礼、なのではないかなあ。 少なくとも演出家は、演出のコンセプトについて、プログラムにでも発表するべきではないだろうか。
August 27, 2005
バーニョ・ディ・ロマーニャのイタリア語研修は昨日で終わり、今朝バーニョを出て、フィレンツェまでやってきた。 今日日本から来るオペラツアーの皆さんと、合流するためである。 のどかな田舎のバーニョから、名だたる観光都市のフィレンツェ、ちょっとおのぼりさん状態になるかも、と覚悟はしていたのだが。 まず驚いたのがチップ。バーニョでは、たとえばイタリア人と一緒にいて、カフェでチップを上げている姿とか、見たことがなかった。俗にいうホテルの枕銭なんかも、上げている形跡はない。 先週末に行ったマチェラータもそう。タクシーなんて、チップを出したら驚いて返してきたもんね。良心的な運転手さんだったのかもしれないけど。 それがフィレンツェについたら、いきなりタクシーでぼられた。 駅から歩いて数分のホテルまで行くのに、荷物が多いのでタクシーに乗ったら、ホテルの玄関でメーターを止める拍子に、「3.75ユーロ」だった表示が、とつぜん「8.20」ユーロになったのである。 何だ、これ。 最初4ユーロ出したら、メーターを指差して「8ユーロ」だという。「荷物代か」というと「そうだ」という。渋々払ってしまった。日本人てお人よし。日本人観光客はチップを払いすぎると評判になっているそうだ。うーん、その評判を後押ししてしまった。ちょっぴり自己嫌悪、である。 やっぱり、旅行するなら田舎にかぎる、かなあ。見るものは少なくとも、精神的にはラクだもんねえ。 フィレンツェ到着早々、ぼやいてしまったのでありました。
August 20, 2005
ご承知のように、日本は今、「美白」ブーム。白くてつるつるの毛穴のない肌?めざして、次々と新製品が現れる。当然、紫外線はお肌の大敵。日傘、時には手袋も必需品である。 ところがヨーロッパでそれをやると、白い目で見られるんですねえ。 夏は、小麦色にやけていてこそ美しい、という感覚なのである。白い肌なんて、アウト・オブ・デート。ホテルの逗留客も、テラスでよく日光浴をしている。噂によると、バカンス前にわざわざ日焼けサロンに通って焼くひともいるとか。日傘はもちろん、帽子をかぶっているひとも少ない。うーん、日本では考えられませんね。 ヨーロッパは、空気が乾燥しているせいか紫外線が強い。私としては日傘をさしたいのだが、今日、ホテルで知り合ったイタリア人の友人と外出したときに、日傘をさそうとしたら、「恥ずかしいからお願いだからやめて」と言われてしまった。恥ずかしい、といわれてしまっては引き下がるしかない。郷に入れば郷に従え、である。 「後でしみになるじゃない」と抵抗?してみたのだが、いっこうに気にならないようだった。資生堂の美白化粧品は、ヨーロッパではきっと売れないだろうな。 これは日焼けとは関係ないが、日本の習慣?でもうひとつ「ナンセンス!」という目で見られたのが、すいかに塩をかけて食べること。ホテルで食事のデザートにスイカが出たので、テーブルの上の塩に手を伸ばしたら、「だめよ、それ塩よ!」と、同席のイタリア女性が顔色を変えた。「砂糖の間違いでしょ」とも。 「塩をかけると甘くなるんだよ」といっても、変な顔をして全然受け付けない。 別に、無理に塩をかけなくてもよかったのだけれど、まあ彼女たちが家に帰ったときに、「日本人て、変な習慣があるのよ!」と友だちに聞かせるネタを提供してあげようかな、と思いつつ、最後まで塩かけすいかを通したのでした(負け惜しみではありません?)。
August 18, 2005
バーニョ・ディ・ロマーニャの、町長さんに会ってきた。 通っている語学学校の校長先生が、どういうわけか、紹介してくれるといってきたのである。 たぶん私が、旅行の仕事とか、本を書く仕事とかしているからなんだろうけれど。 町役場?は、隣町、というか、隣の集落にある。午前の授業の後で、校長先生が連れて行ってくれた。 感じのいい町長さんは、こちらが向かっていくと、開いた窓から手をふって迎えてくれた。 まだ40代くらいの、若い町長さんである。 執務室?に入ると、町長さんのほかに、広報担当者など計2名がぞろぞろと登場。 お話は、やっぱり町の「振興」らしかった。 何か日本で、バーニョ・ディ・ロマーニャのことを記事にしてほしい、ような感じ。 うーん、なかなか難問である。 それ以外にも、私の企画するツアーにでも、この町を組み入れられたらいいのだろうけれど、これまた難しい。 以前も書いたけれど、温泉も日本人好みじゃないし。 何でも町長さんたちは、有名ソプラノ歌手の、カーティア・リッチャレッリと親しいようで、彼女を町に呼んで教会でコンサートを開いたりしている。 それにあわせる、というのも考えられなくはないが、リッチャレッリは、現役の歌手としてははっきりいって「終わっている」ひと。その彼女を聴く為に、アペニン山中のバーニョまではるばるくるのはなかなかきついものがある。 他にミシュランのひとつ星がついている、「マルコ・ティベリーニ」というレストランがあり、そこでリッチャレッリと会食、というのはどうだろう、なんていうアイデアも出た。 悪くないけれどね。バーニョのような町としてはできる最大のイヴェントだろう。他との組み合わせ次第かもしれない。 ツアーの企画をしていると、アイデアは色々出ても、いざ実現、となるとなかなか難しかったりする。ひとつのイヴェントだけではツアーはできないから、いくつかのイヴェントを組み合わせなければならない。それぞれの日程が合うことが第一条件だ。 「何もすぐ来年でなくとも」 眉間にしわを寄せていただろう?私を見て、市長さんが言った。 「将来、できれば、でいいんですよ」 そうですね。まじめに考えすぎてしまうところが私の泣き所?なのであります。 長ーいお付き合い、になればいいですね。
August 17, 2005
先週からイタリア語研修のために滞在しているバーニョ・ディ・ロマーニャでは、温泉ホテルに泊まっている。ホームステイなどに比べて確かに割高ではあるのだが、思いがけないことだがよかったのは、宿泊客との交流?があること。一人滞在の私は、最初の晩の食事の席で、同じく一人で来ているイタリア人女性客ばかりのテーブルに案内してもらえ、それ以来ずっと彼女たちと食事をし、食後のコーヒーやプールにも付き合ったりしている。ふつうのスピードでしゃべられるとちょっと理解できないが、ゆっくりしゃべってくれると何となく分かるので、とても勉強になる。 ちなみに同じテーブルで食事をしている3人は、それぞれ26歳、43歳、50歳。26歳を除く2人は離婚経験者だ。 50歳というS嬢は、とっても若い。小柄なのをカバーする意味もあるのだろうが、いつも高いヒールのついたしゃれたサンダルをはいていて、おしゃれ。他の2人もそれぞれおしゃれだ。3人ともミラネーゼだというから、さすがというところかな。 43歳の彼女には、とてもリッチな恋人がいて、何でも彼女が経営しているミラノのビューティスタジオを援助してくれているらしい。もちろん既婚者だが、これまで都合4回結婚しているとか。一度ここまで訪ねてきた。親子のように年齢が離れているが、すごくエネルギッシュな感じの男性だ。ドイツにもいたそうで、ドイツ語で話をすることができた。確かに魅力的かも。 それにしても、一人で来ているのは離婚経験者ばかり。カトリックの国イタリアでも、今時はほんとに離婚が多いらしい。 それとは別に、これも離婚経験者の男性に聞いたのだが、イタリアでは今、中年女性のシングルがすごく多いのだそうだ。同年代の男性が足りないので、若い男性と付き合うそうなのだが、当然ながら若いつばめ?はいつか去っていくのだという。 ちなみにこれを話してくれた男性は、50歳ちょっと。それじゃ彼はさぞもてるのかな?残念ながら聞きそびれました。
August 16, 2005
週末出かけていたマチェラータから、今日の午後帰ってきたのだが(今日8月15日はイタリアの祝日ー聖母被昇天祭ー、で学校はない)、帰りの電車で、音楽評論家の小畑恒夫さんにお会いした。 小畑さんは、イタリアオペラ、とくにヴェルディにお詳しく、とても尊敬している評論家のひとりである。(他には國土潤一さん、岸純信さん、水谷彰良さんなど、すごいなーと思って尊敬しています) 時々オペラの会場ではお見かけしているが、いまだかってお話をしたことはなかった。 マチェラータからの帰り道、チヴィッタノーヴァ・マルケという駅でお見かけしたので、Tシャツに旅でくたびれたズボンというお粗末な格好を恥じつつも、ついお声をかけてしまったのである。 光栄にも、小畑さんは、私めの名を知っていてくださった。 同じ方向の電車に乗ることが分かり、車内で楽しくおしゃべりさせていただいたのである。 博識だし、とてもよく聴いている方だし、もともと声楽を勉強していらしたこともあって、「声」のことにお詳しい。短い時間だったけれど、楽しくも大いに勉強になった。 とくに、ヴェルディについて、かなり意見が一致したのが嬉しかった。 一番ヴェルディらしい作品といえば、「シモン・ボッカネグラ」と「ドン ・カルロ」ですよね、とか。 小畑さんが以前ミラノでごらんになった、アバド指揮の「シモン・ボッカネグラ」は、 「あれ以上のオペラの公演というものはありえない」 というほど、すばらしいものだったとか。うーん、うらやましい!!! 小畑さんが訳された、タロッツィというイタリア人ジャーナリストが書いた「評伝 ヴェルディ」(名訳!)を読むと、ヴェルディはほんとに偏屈で気難しいひと、というイメージだが、 「ああいうイタリア人は、北イタリアにはけっこういるんですよ」 ということだった。そうなんですね。 ちょっとショックだったのは、 「加藤さんはバッハとヴェルディがお好きなんですよね。正反対なのに、どうして?」と言われてしまったこと。 よく言われるのだが、小畑さんにまで言われてしまったのは、さすがにちとショックでした。 ちなみに小畑さんは、バッハには距離を感じてしまわれるらしい。 たしかに、方向としてはまったく違うかもしれない。音楽的な書き方も違うし、何より表現したいものがまったく違う(ただこれは、ヴェルディにかぎらずワーグナーだってベートーベンだってそうだと思うけれど)。 でもね、違うものが好きなのが「変」「おかしい」といわれると、うーむ、と考え込んでしまうのだ。 違うものが好きだって、いいじゃない?異性だって、いつも同じタイプが好きになるとは限らないし・・・???バッハのよさも、ヴェルディのよさも分かるのは、自分としてはなかなかラッキーだと思っているのだが。 クラシックの世界では、たとえばバッハが好きなら、ワーグナーというのは「大いにあり」なのだ。両方ともドイツ系だから、ということもあるらしい。(もちろんワーグナーが苦手なバッハファンも大勢いるが)。 でもねえ、ただでさえ狭いクラシックの世界、やれドイツ系だ、イタリア系だといって分けたりするのはいかがなもんだろうか。
August 15, 2005
先週から通っているバーニョ・ディ・ロマーニャの外国人向けイタリア語学校には、当然ながらドイツ語圏からきたひとたちもたくさんいる。はっきりいって、大半はドイツ、オーストリア、スイスから来たドイツ語圏出身者だ。 なかにはイタリアの「ドイツ語圏」出身者もいる。オーストリアとの国境に近い北イタリアのアルト・アディージェ州では、第一次大戦までオーストリア領だった関係で、住民の半数がドイツ語を話す。両親がオーストリア系だと、子供は学校にあがるまでイタリア語を話さない、なんてことも。そのとばっちり?を食った若者が、イタリア国内に「留学」しているわけだ。 このドイツ語圏住民の多さ、個人的にはけっこうありがたい。というのも、以前オーストリアに留学していたから、ドイツ語は多少なじんでいるが、やはり日本にいれば使う機会は少ないから、こういうときにブラッシュアップできるのはもうけもの?なのだ。その分イタリア語を話す機会は減るといえば減るけれど、学校のクラスメートたちは外人だからイタリア語はへたなわけで、彼らと話していてもあまり勉強にはならない気もする。 というわけで、休憩時間など、ドイツ語圏の住民と話す機会が多くなる。音楽好きもちらほらいて、オペラの話もはずんだ。ヴェローナのオペラフェスティバルに行ったという、ドイツ人の先生同士のカップルとか、ドイツ出身で、今はジュネーヴの楽譜屋さんにつとめている女性とか。 で、昨日マチェラータで見て、演出がスキャンダラスなためにブーイングだった「トスカ」の話もしたのだが。 どうやら皆、あまり進歩的、前衛的な演出には、抵抗を感じているようすだった。 先生同士のカップルは、シュトットガルトに住んでいるという。シュトットガルトには有名なオペラハウスがあり、きわめて前衛的、演劇的な演出をすることで知られている。その点で、オペラの専門誌からはきわめて高い評価を受けているのだ。彼らも当然、そのような演出に慣れているのかな、と思ったのだが。 「たぶん、僕らは古いんでしょうね」 と、男性のほうが言った。 「でも、ついていけないよ」 とも。 やっぱり「アイーダ」は「アイーダ」らしく、と、彼らも思っているらしかった。 「前衛的な演出がいいと思うのは、ファンの一部」だとも。 うーん、前衛的な演出の牙城みたいなシュトットガルトの一般のファンがそう受け止めているなら、やっぱり演出家をはじめとする専門家は、考え直したほうがいいんじゃないか。今に、ファンに見捨てられるかもしれないよ。
August 15, 2005
昨日の「ドン・カルロ」から一夜明け、今日は午前中、マチェラータのオペラフェスティバルの事務局へ行ってきた。 来年以降のオペラツアーに、このフェスティバルも組み込もうと考えていて、その相談である。 去年はマチェラータを組み込んで好評だったのだが、今年はホテルの確保が難しくて断念したので、来年こそは、と思っての訪問だった。 事務局のひとは感じよく、フレンドリーで、私がドイツ語がまだまし、ということを知っていてくれて、わざわざドイツ語のできるひとを呼んでいてくれた。片言のイタリア語と英語で仕事の話をするのは不安だったので、一安心でした。 その帰り、町をぶらぶらしていたら、 「日本人の方ですか?」 若い日本人女性に、声をかけられた。 この町で彫刻を勉強している学生さんだという。日本人の観光客は珍しい(オペラの時期しかいない)ので、声をかけてくれたらしい。ルームメイトだというイラン人の女学生と連れ立っていた。 しばらく立ち話をしていたが、ちょうどお昼時だったので、彼女たちの知っているレストランへ連れて行ってもらい、手打ちのパスタで食事をした。 その後カフェでジェラートを食べ、最後には彼女たちの家まで行ってしまった。旅先でこんな経験は、(私には)珍しい。 マチェラータには日本人はごく少ないらしく(学生さんが数人いるだけのよう)、日本語で色々しゃべることもあまりないようで、それこそ堰を切ったように?色んな話をしました。政治、経済から、私生活?、将来への不安まで・・・。 彼女はもうすぐ美大を卒業するらしいが、やはりこれからどうするか、とても迷っているらしい。そりゃ、そうだよね。すぐものになる、っているものじゃないんだから。 私だって20代のころは、長い長いトンネルに入っていたようなもんでした。この先どうなるのかな、と思うといつも憂鬱だった。 でも、石の上にも十年。S子ちゃん、がんばってね。いつかまた会えるといいですね。
August 14, 2005
週末を利用して、マチェラータという町にやってきた。 アドリア海の浜辺から、内陸に入ること25キロくらい、丘の上にあるかわいい、古い町である。 いつもはなんてことのない田舎町なのだが、夏の一時だけ、オペラファンでにぎわう。「スフェリステリオ」という、19世紀に建てられた球技場(屋外)を会場に、もう40年以上続いているオペラフェスティバルがあるのだ。 今年の出し物は「ドン・カルロ」と「トスカ」。「トスカ」はともかく、「ドン・カルロ」は大好きだけどあまりやらないので、飛んで来たのである。 バーニョ・ディ・ロマーニャから、鉄道の最寄駅のチェゼーナまで、バスで1時間半。そこから電車でさらに2時間以上、そしてさらにタクシーの長旅。 で、その長旅が報われたかというと、肝心の「ドン・カルロ」、いまいちでした。 それより、前後が楽しかったのだ。 上にも述べたように、マチェラータは小さな町で、オペラの時期しかお客がいない。つまりこの時期、来ているお客はみんなオペラ目当て。 というわけで、偶然の出会い、がいっぱいあるのだ。 今日夕食をとりに入ったレストランでも、楽しい出会いがあった。 私の隣のテーブルにいたフランス人夫婦が、一人の私を自分たちのテーブルに呼んでくれたのである。 もちろん彼らもオペラ好き。ブロークンの英語で何とか通じるから嬉しい。話の内容が、だいたい想像がつくのである。 いや、オペラ(ファン)に国境はない。実感するひと時だった。 彼らは「ドン・カルロ」をみるのは初めてだと言う。 「終演後、感想を話しましょう。あそこで待っているから」 開演前、ご主人は、会場前のカフェをさしてそう言った。 とてもとても行きたかったのである。でも、事前に予約していたタクシーが、終演前から待っていてくれたのだ。ドライバーさんに一言断って、彼らと約束したカフェで、しばらく待っていればよかったのだが。 ごめんなさい、素敵なご夫婦。「ドン・カルロ」はよかったでしたか?
August 13, 2005
前にも書いたように、月曜日からイタリア中部のバーニョ・ディ・ロマーニャという温泉町で、イタリア語のお勉強をしている。小さな、アットホームな学校で、先生たちもフレンドリー。居心地はいい。 午前中は個人レッスン、午後はグループレッスンというスケジュールだが、個人レッスンはやっぱりいい。こちらの個人的な?質問にも答えてくれるし。 で、今日も、気になっていたことを聞いてしまった。 オペラのイタリア語、である。 オペラの講座などをやっていて思うのだが、どうやら皆さん、イタリア人ならたとえばイタリア語オペラの言葉はわかる、と思っているらしい。 でも、本当は違うんだろうな、と、私はずっと思っていた。 で、個人レッスン担当の地元の先生に、それを確認してみたわけなのです。 彼女は、別に特別なオペラファンではないのだが(椿姫くらいなら知っているというところだろうか)、十二分に答えてくれました。 で、その結果。やっぱり、分からないのです。 「声が高すぎたり低すぎたりして、言葉が聞き取れない」 というのが、先生の答えでした。 結局、オペラ(イタリア語ではオペラ・リリカ。「オペラ」という言葉は本当は「作品」という意味)は、「音楽が重要なんでしょ」「音楽が優先されているんでしょ」と、彼女は言うのである。 そうだよね。やっぱりオペラは「音楽」。だからこそ、国境を越えて親しまれるんじゃないだろうか。 そしてその「音楽」のなかに、作曲家によって作り出された人間の感情がこめられているんだよね。 それから、オペラで使われている言葉は(これも予想したことだけれど)、古すぎて、今使ったらおかしい、変に気取っているととられてしまう、ということでした。 そりゃそうだよね。大半が19世紀のものなんだから。森鴎外か樋口一葉か?というところかも。 もうひとつ。イタリアにいて、現地のひとと接していると、オペラのなかに使われている言葉が、そこから連想されるのとまったく違う意味で使われているのに気づくことがある。 たとえば、「椿姫」、第1幕終わりのヴィオレッタのアリアに先立つ、「不思議だわ・・・e strano」という有名なせりふ。 これは彼女が、恋人のアルフレードに初めて会って、今までにないときめきを感じている場面なので、この「不思議だわ=strano」という言葉は、何かときめくようなロマンティックな感情をあらわしているように、これまでは思っていた。 でも違うんですね。 だって、イタリア人の話をきいていると、「あの人変わっているよね!=変人だよね」なんていうところで、「strano」を使っているんだもの。 結局、英語の「strange」なんですね。 ついでにもうひとつ。これはオペラとは関係ないが、イタリア人がよく使う「きれい bello,(男性形) bella(女性形)」という言葉。見ていると、どうやら深い意味もなく、親しみを感じる対象に対して使っているみたい。たとえば家族や親しい友人に電話するとき、「 ciao, bello(bella)」なんて、挨拶言葉にまぜて使っている。だから彼らに「きれい」なんて言われても、あまり本気に取らないほうがいい? うーん、ほんとに言葉は、現地に来て見なければわからない。2週間でも、来ないよりはるかにまし、なのである。
August 11, 2005
月曜日から、バーニョ・ディ・ロマーニャという、ボローニャから2時間くらいの小さな温泉地で、イタリア語のお勉強をしている。 オペラの仕事をしていて、イタリア語ができないなんて話にならないので、短期でもいい、イタリア語学研修はずーと夢だった。本当は独身時代にできればよかったのだけれど、何しろ時間とお金、両方必要なことだから、なかなかかなわなかったのだ。借金してでもしてしまえばよかったのかもしれないが・・・ ともあれ、ようやく夢がかなった。多少はだんなに遠慮?して、2週間にしたけれど、本当は1ヶ月はいたいところ。まあ仕方ない。それでも恵まれていることには間違いない。 バーニョ・ディ・ロマーニャは、ローマ時代からの温泉保養地だそうな。観光客というより一般のイタリア人がひいきにしているらしい。メインストリートは1本しかない、ほんとに小さな町だ。でも山に囲まれ、温泉の成分だろうか、白濁した水をたたえた小さな川が町に沿って流れている。風光明媚といっていいかな。気持ちのいいところです。滞在客は、家族連れもいるが、老夫婦の姿が目立つ。1週間単位で滞在して、ホテル付属の、医者の常駐している「テルメ」(温泉)で保養するパターンが多いみたい。 学校(外国人向けの私立のイタリア語学校)は町の真ん中の広場にあり、昼間はこの学校に通う。滞在場所だが、ホームステイやアパートもあるのだが、今回はホテルにした。温泉プールつき、マッサージもできますというのが魅力だったのだ。広場をはさんで学校のまん前にあるホテルなので、通学30秒という便利さ。 ところでこの「温泉プール」だが、想像していたとは大分違った。日本の温泉と違い、ヨーロッパの温泉はプールスタイル、というのは承知していたのだが、ここは水泳のできない(遊泳禁止)ジャグジープール。宿泊客でも使用料が必要だし、午前中はもっぱら水中エアロみたいな体操に使われている。授業のないときはゆったりプールで泳いで、プールサイドでのんびり昼寝、というパターンは無理そう。 「温泉マッサージ」というのも、ちょっと日本で想像していたのとは勝手が違った。いくつか試したが、「ファンゴ」(泥パック)は、寝台に泥の塊をばん!ばん!と置き、その上に仰向けに寝そべってシーツで巻かれる。ファンゴが熱いので、どんどん発汗してきて気持ちはいいのだが、日本のエステのようにていねいでもないし、細やかでもない。あとはジャクジーバスに入り、その後休憩、というパターン。うーん、あんまり優雅じゃないかも。 参ったのが東洋系?マッサージ。女性客の全身マッサージを男性が担当するのにも驚いたが、服を脱がなければならないのにはもっと驚いた(水着を持参したが)。おまけにこのマッサージ師、どうやらヘビースモーカーらしく、たばこの匂いがぷんぷん。食事の時同席したイタリア人の話によると、酒飲みでもあるらしい。 うーん、マッサージ師失格じゃないの??? 日本の女性誌などでは、イタリアの「テルメ」というと何となく超高級な、憧れの場所として扱われているようだ。もちろんそのような「テルメ」もあるだろうけれど、たぶん「中の上」くらいの人たちがいく「テルメ」は、そうそう高級でもエレガントでもない。「テルメ」で優雅に休日を、などと考えているひとは、よく調べたほうがいいかもね。
August 9, 2005
5日に日本を発ち、チューリヒ経由で、オーストリアの西端にある、ブレゲンツという町にやってきた。 ドイツ、スイス、オーストリアにまたがる、ボーデン湖という湖のほとりにある保養地だが、ここがとくに有名なのは、夏の間に開かれるオペラフェスティバル。湖上の特設ステージで、約7000人の聴衆を前に上演されるオペラは、夏の風物詩だ。普通の小さな劇場もあり、こちらではドビュッシーなど、ちょっとマイナーなオペラがシーズン中何度か上演される。 今年の湖上オペラの演目は、ヴェルディの「トロヴァトーレ」。大好きなヴェルディだし、ブレゲンツはこれからイタリアへいくのだが、チューリヒからイタリアへ向かうちょうど途中。見落とす手はありません。 というわけで、肌寒く、雨もぱらつくなか、毛布にくるまっての鑑賞に臨んだ。 いやあ面白かった。何がって、ロバート・カーセンの演出が。 カーセンは、以前このブログにも書いた、フェニーチェ劇場の「椿姫」を演出したひと。メッセージ性にあふれながら音楽を殺さない演出は、いまや世界中からひっぱりだこだ。 この「トロヴァトーレ」でも、やってくれましたね。 「トロヴァトーレ」というオペラ、タイトルは「吟遊詩人」という意味。先日、フィオレンツァ・チェドリンスというイタリアのソプラノ歌手にインタビューをしたとき、「トロヴァトーレ」のテーマは「身分違いの恋」だという話がきいた。お話の中心にある吟遊詩人と宮廷女官の恋が、まったくの「身分違い」だというのである。 なるほどねえ、と思っていたところに、カーセンが、どんぴしゃりの演出をやってくれたのだ。 湖上ステージは、石油缶で組み立てた要塞の形。カーセンは物語を現代に読み替えているのだが、現代の富を支えているのは石油、というコンセプトらしい。その石油で豊かになった人々が、この「要塞」のなかに、兵士たちに守られて暮らしている。原作では「宮廷女官」のヒロイン、レオノーラはこの世界の住人。ハリウッドのセレブ?のように、着飾った人たちがシャンパンを酌み交わしている輪から抜け出し、高級車で「吟遊詩人」マンリーコとの逢引の場にやってくる。 一方「吟遊詩人」マンリーコは、放浪者たちの集団に混じっている。彼らの世界は石油缶の要塞の下側に張り付くように作られ、ぼろぼろの缶が乱雑に積み重なっている、という具合。 湖上ステージという点をうまく利用して、途中モーターボートが出てきたのも面白かった。 作者のメッセージを的確に理解して、大胆に読み替えるカーセン。天才です!
August 7, 2005
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