全20件 (20件中 1-20件目)
1
3都市7泊で6演目。過酷な?オペラツアーもいよいよ千秋楽。今日はパリのシャトレ座で、このツアー一番のおすすめ演目、「アラベラ」を観た。すばらしい!ほんとうっとり。詳しくは「コンサート日記」を見てくださいね。 昨日のガルニエの「オルフェオとエウリディーチェ」といい、今日のシャトレ座の「アラベラ」といい、歌手もすばらしかったが、演出もほんとに気がきいていておしゃれだった。 今回、最初に入ったウィーンでは、1980年くらい、つまり四半世紀前の演出ばかり観て、チューリヒとパリでは新しい演出ばかりだったので、対照的なものが体験できたのもよかったと思う。 ウィーンの演出は、オペラを初めて見るひとにはうってつけだし、かなり観ているひとでもそれなりには楽しめるけれど、チューリヒやシャトレの演出を見てしまうと、やはりちょっと物足りない。 バスチーユやガルニエで、今回ウィーンで見たような演出が舞台にのることは、まずないだろう。 ウィーンだってもちろん意欲的な演出もたくさんある。けれどその一方で、伝統的なものも繰り返し上演している。観光客向けというのもあるのだろう。もちろん、それができるのもすごいことだ。 でも個人的には、やっぱりパリの方が面白い、と、今回つくづく思った。 とにかく「センス」がいいのである。 音楽だけではなく、芸術一般に対して、たぶんそうなのではないだろうか。 シャンゼリゼ劇場というところも、ときどきいいオペラをやっている。今度はそちらに行ってみたいものだ。
May 31, 2005
実施中のオペラツアー、ウィーンとチューリヒでの行程を無事に終えて、最終目的地であるパリにやってきた。 今日は旧オペラ座(ガルニエ宮)で、ピナ・パウシュ振り付けのバレエ「オルフェオとエウリィディーチェ」。日本で観たときは、歌手はひとりだけだったが、今度は各役に歌手とダンサーがつく豪華版で、舞台もおしゃれでとても楽しめた。 客席は地元のひとばかりらしく、慣れた感じでラフなスタイルのひとが目立つ。 ロビーで知り合いのバレエ評論家とすれちがったが、「地元のひとばかりのときなこんな感じ」なのだそうで、これがクラシックバレエだと、観光客が多く、ドレッシーになるのだという。 劇場でのドレスコード。これはよく聞かれることである。 個人的には、「何でもいい」と思っている。普段着もロングドレスも混在しているのが、ヨーロッパの劇場なのでは、という印象があるからだ。私自身も、一人で来るときはかんたんなニットスーツか、せいぜいワンピース、またはブラウスにスカート。ツアーのときは、おしゃれしてしまうときもあるけれど。 でも最近、いろんな劇場を回って、やはり劇場によってさまざまな「色」があるのだな、と思うようになった。 カジュアルな印象のあるドイツの劇場でも、たとえばドレスデンのゼンパー・オパーはドレッシーだったし(保守的な感じもした)、おしゃれな都のはずのパリは、バスチーユのオペラ座も今日のガルニエもほんとカジュアル。 昨日のチューリヒでは、オシャレが必要とされるプレミエ(その演目の初日公演)だったのに、けっこうカジュアルなひとが多くて驚いてしまった。私はプレミエだからとちょっと気張って、今回ウィーンで安く仕入れたロング丈を着ていったのだが、かなり浮いた、かもしれない。 その一方で、ウィーンではそれなりにおめかしているひとが目立ったのだが、そのなかには観光客もかなりいたようだ。 おおざっぱに言うと、オペラが日常化している町では観客も日常的な装いで、非日常化している町や観光名所として観光客の多い劇場では、ドレッシーなのかもしれない。 そう、いざ、と思って、気を入れておしゃれしていくってことは、通いなれていない、ってことなのかもしれないね。
May 30, 2005
25日から突入したオペラツアー(ウィーン、チューリヒ、パリ、3都の劇場めぐり)もはや5日目。開始早々、酷暑に襲われ、チューリヒ2日目の今日なんぞ、34度もあった。あの山国スイスで、ですぞ。 というわけで、われわれ一行は暑さを避け、昼間はバスツアー。ザンクト・ガレンという町の、世界遺産になっている修道院を訪れ(音楽ツアーなので、たぶん軽井沢状態のインターラーケンなんぞには行かない)、これも国宝級の図書館で、それはそれは美しいグレゴリオ聖歌の写本を見せてもらった。この修道院は、9-10世紀にはグレゴリオ聖歌の聖地だったという歴史をもっている。 その後は、ドイツとの国境に横たわるボ-デン湖の湖畔で、風に吹かれながらランチ。リゾート気分を満喫した。 夜はオペラハウスで、コルサコフ「皇帝の花嫁」の初演。前夜につづきすばらしい公演だった。(コンサート日記をご参照ください) まあそんな毎日を過ごしているわけで、実は日記を書くひまはほとんどない。チューリヒに来てからも、メールをして、原稿1本書くのが精一杯だった。 実はこの日記も、帰国後に書いている。ゴメンナサイ。 加えてやはり接続は失敗つづき。ウィーンでは前回接続できたホテルに泊まったものの不調、チューリヒにきてようやくつながったが、こんどは書いているひまがない。昨日はオペラがはねたあと、あまりの興奮を押さえるために、湖の夜風に吹かれながらのワインが必要だったし・・・ というわけで、接続ができなくとも、ツアー中はもうふてくされないことに決めた(?)。できないならできないで、きっとツアーに専念しなさい、という、神様の?お言葉なのです。なんちゃって。
May 29, 2005
オペラツアー4日目、2つ目の目的地のチューリヒにやってきた。 この日記にも何度も書いているが、チューリヒの劇場は最近一番のお気に入り。演奏のレベルは高いし、キャストは豪華だし、劇場のひとはフレンドリーだし、劇場自体も1300と小さくて感じがいい。町もこぎれいだし、大きさも手ごろでなごめる。チケット代と物価が高いのが難だけど・・・ 今日はそのお気に入りのチューリヒで、大好きなヴェルディの「仮面舞踏会」を観た。 流麗な旋律がふんだんのこのオペラ、けっこう人気もあるし、欧米ではよくやるのだが、なぜか日本ではあまりやらない。ヴェルディ作品のなかで一番好き、というひとも少なくないのだが。 ウィーンに続き、残念ながらここでもキャストに変更があり、リッカルド役がマルセロ・アルバレスからマルコ・ベルティに、アメーリア役がパオレッタ・マッロークからミシェル・クライダーに変わっていた。好不調のあるマッロークが、最近大活躍のドラマティック・ソプラノ、クライダーに変わったのはまあそれはそれでよかったが、アルバレスは期待していたのでちょっとがっかり。ベルティは、最近ヴェローナなどにも出ているが、声は美声だけれど声量ばかりで押すタイプで、1300人の劇場を考慮した歌い方ではなかった。ブラボーも出ていたが、ブーイングも一部あり。 歌手で一番よかったのは、大ベテランのヌッチ。やっぱりすごい。さすが。劇場中がうなった。詳しくはコンサート日記(番外編!2005年5月オペラツアー)を見てくださいね。 だが今日一番面白かったのは、ユルゲン・フリムの演出。イラク戦争反対の急先鋒にも立った彼は、徹底的にアメリカを風刺。クリントン風の赤いネクタイを締め、ロ-ルスロイスで登場するリッカルド、レーガンの奥さんの占い好きを揶揄した、占い師ウルリカのシーン・・・暗殺場面の舞踏会は、ホワイトハウスを模した半円形に並んだ白い円柱がステージの中心に据えてあった。 そんなこんなでも不自然ではないのは、音楽をこわしていないから。現代的な演出がしばしば批判されるのは、演出家の主張ばかりが際立ち、音楽がこわれる場合だと思う。再来年からザルツブルク音楽祭の監督にもなるベテラン、フリムは、さすがにそのあたりはよくよくわきまえている。3月の「ポッペアの戴冠」でも同様に感じたけれど。 大満足で劇場を出て、あまりの興奮をさまそうと、有志で近くのワインバーに行った。 ツアーのいいところは、こういうことができるところだ。 今回は劇場のすぐ裏の、「ホテル・オペラ」に泊まったが、このホテルのある通りにはホテルやレストランが軒を連ね、道端にテラスを出している。ホテルの斜向かい、通りの角にあるそのひとつに陣取ると、交差する通りのどんづまり、わずか数メートル先に湖(チューリヒ湖)が横たわっていた。水をわたってくる風が気持ちいい。こんな贅沢は、東京ではとてもとても。 チューリヒの醍醐味である。 ところでとうとう、この劇場が来日するという噂をきいた。来日していない最後の大物歌劇場、ついに陥落か。恐るべし日本!
May 28, 2005
おとといから、ウィーン、チューリヒ、パリを回る3都オペラツアーが始まった。 最初の訪問地はウィーン。ツアー初日は遅く着いたので鑑賞はかなわなかったが、2日目、3日目と、ロッシーニ「アルジェのイタリア女」、ドニゼッティ「愛の妙薬」を国立歌劇場で鑑賞。「愛の妙薬」の後は、出演者のひとりで、国立歌劇場専属のバリトン歌手、甲斐栄次郎氏を囲んで、食事会を開催した。日本人で専属歌手なんてすごい。色々興味深いお話をうかがえた。 ところでこの町、ホテルから劇場も、劇場からレストランも、レストランからホテルも、みんな徒歩圏内。いいですねえ。車の通行も中心部は制限されているから、車に気を遣うこともほとんどない。しぜんと気持ちにゆとりができる。 こんな風に過ごしていると(まあ旅行者だから、かなり特別な過ごし方ではあるけれど)、ゆとり、という言葉が思い浮かぶ。ここだったら、電車が多少遅れても、そういらいらしないで済むだろう。 だがたしかに日本なら、そういうわけでにはいかない。 何しろ人口が多すぎる。それも大都市圏にはげしく集中している。電車の混雑もただごとではない。痴漢を理由に「女性専用車両」ができちゃうんだから・・・・ 電車の遅れが許されない、というのも、わからないでもない。 でもねえ、だからといって、運転手を徹底的に管理して、ストレスの塊にしてしまうのだったら、やっぱり異常である。 JRだけではないのだ。わずかなことでもルール違反は許されないのが、日本の社会なのではないだろうか。 通勤時間帯の電車の時刻のように、ちょっとでも歯車が狂うと、全体が狂ってしまう可能性を抱えている。だからよけいに厳しく管理してしまうのだろう。 通勤など、時差出勤をもっと徹底すればいいのに、と思う。ずいぶん楽になるはずだ。私の利用する田園都市線など、通勤時間帯と昼間の混雑の落差ははなはだしい。 そうやって、「みんな、いっせいに」という傾向を、少しずつ転換できる方法をさぐった方が、もっとリラックスして暮らせるように思うのだけれど。
May 27, 2005
この半年ばかりの間に、「さわりで覚える・・・」(中経出版)という、CDつきクラシック音楽解説書のシリーズのうち、「さわりで覚えるオペラの名曲20選」と、「さわりで覚えるバッハの名曲25選」という2冊を書かせてもらった。 このシリーズ、はしりは「さわりで覚えるクラシックの名曲50選」。文字通り名曲の「さわり」を収録したCDが2枚ついて1400円、という価格で、何と17万部売れたため、版元がシリーズ化したのだ。 CD2枚つきで1400円というリーズナブルさは、CDの制作費を安く押さえられたことがポイントになっている。CDの価格を決めるのは著作権なので、その点がひっかかる既存のCDは避け、スタジオ録音でまかなったのだ。 「あの曲がクラシックの何々だった」と分かればOK、という読者も多いらしいので、クラシックファンがこだわる「演奏者」は関係ない、ということらしい。 それも一理ある。日ごろクラシックに縁がなければ、「どうせ演奏者のよしあしなど分からないのだから」と思ってしまうだろう。 でも、それはやっぱり、違う、と思うのである。 たとえば、「子供だからどうせ分からない」、だから適当に、という考えもあるだろうが、子供の感性は大人の想像以上に敏感なような気がする。子供のころに偶然いいものに出会ったら、その衝撃は大きいように思うのだ。 私がそう思うのは、個人的な体験がベースになっている。 忘れもしない中学1年のとき、カール・ベームという今は亡き名指揮者がウィーン・フィルハーモニーと来日した。私はたまたま切符をもらって、生意気にもその会場にいたのだが、ブラームスの交響曲第一番に心を打たれ、さらにアンコールに演奏された「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲を聴いて、思わずこう思ってしまったのである。 「この世に生まれてきてよかった」。 あれが、もし別の演奏家だったら、それほどまでに感動しなかったのではないだろうか。つまらない「マイスタージンガー」はいくらでもあるから。 今でも音楽を聴く時、あの感動は原点になっている(ただし今のところワグネリアンにはなっていないが)。 だから、初めてのひとにこそ、いいものを聴いてほしいのである。 というわけで、自分が「さわり」シリーズを書くことになったとき、演奏家にはこだわった。著作権料の関係で、自分の希望する演奏家ばかりというわけにはいかなかったが、レコード会社が協力してくれて、まずまず一流の演奏家を網羅できたと自負している。 ところが、やっぱり、そのことが売り上げを左右しているわけではないようなんですねえ。残念ながら(泣)。 もうひとつ。こだわりたかったのが、収録曲をなるべく全曲収める、ということ。 何しろ「さわり」がCD1枚あたり原則25曲、ということが売りなので、全曲が入らないことは言うまでもない。けれど音楽ファンにとって、気持ちよく聴いていた曲が途切れてしまうことくらい、気持ちの悪いものはない。 だから「オペラ」では20曲にしてもらい、その代わりアリアなどの全曲を入れるようにした。 だが「バッハ」では「25曲」という線がどうにもくずせず、涙を飲んで何曲かをフェイドアウトさせた(レコード会社のひとも泣いていました)。 ところがこれも、どうやら人によってはあまり気にならないらしいんですねえ。それどころか、そのほうが多数派らしい。 「曲が途中で切れてしまうのはどうも・・・」という感想をくれたひともいる。だがたとえば、私の妹などは、「全然気にならなかった」という。たしかに、ぼーっと聞き流していたら、あまり気にならない、といえなくもない。 「さわり」に「こだわり」は似合わないのだろうか? 何となく考えさせられてしまうのでありました。
May 22, 2005
昨日も書いたように、シリコンバレーの妹夫婦のところに、子守の名目で滞在している(実態は「おさんどん」ですね)。 昨日今日と、からりと晴れていい天気。すかんと抜けるような青空には雲ひとつない。その分、紫外線は強烈だ。 でも、朝方のすがすがしさは格別。ここは平屋建ての一軒家で、きれいな芝生の庭がついている。 今朝は珍しく早起きをしたので、庭の一角で朝の体操。朝に簡単な気功体操をするのが習慣なのだが、ふだんはなかなか落ち着いて体操する余裕がない。「おさんどん」専門で比較的のんびりしているこの数日は、身体をほぐすチャンスに恵まれた。 芝についた朝露を踏んで木陰に陣取り、すがすがしい太陽に向かう。こんな爽快さ、横浜のはずれの自宅ではとうてい味わえない。 最近何かと紫外線が敵視されているけれど、気功の本などには、朝の太陽は身体にいい、と書いてある。一日に30分は紫外線を浴びないと、骨にもよくないというし、紫外線の強くない早朝くらい、存分に浴びてもいいのでは? 庭にはテラスもついていて、昨日はテラスでランチとしゃれこんだ。あまりいい気分なのでビールを空けたら、そのままお昼寝モードで爆睡。気分はほとんどリゾート。妹夫婦が、日本に帰りたがらないわけである。 ほんとうは車で1時間くらいのところにある、アメリカでも相当有名なサンフランシスコ・オペラに行きたかったのだが、5月は夏枯れならぬ5月枯れ。オペラはあきらめ、今回は「おさんどん兼休暇」に徹することにした。 ちなみに義弟はエンジニア。日本に本社がある会社に勤めているので、まあ転勤で来ているわけだ。日本の本社にいたら、庭付き一軒家テラスと広いガレージつき、なんてまず無理だろう。 でもこのあたりでは、ごく普通の住宅らしい。 昼間、義弟の車で買い物に行ったが、途中の風景は、住宅、会社、ショッピングモール、ファミレスにファストフード、の繰り返し。きれいだけれど、ちょっと退屈かも。 私は全然知らなかったのだが、「シリコンバレー」とは、俗にサンフランシスコの南端からサンノゼあたりまでをいうようで、半導体の開発が行われて人が集まるようになったという。シリコン=半導体、で、山が近いので、「シリコンバレー」と呼ばれるようになったそう。 風景からも想像できるが、アメリカでもかなり裕福な地域、ということだった。住民の収入は、「おそらくアメリカの上位5パーセントに入るでしょうね」(義弟の話)。職業は当然ながら、圧倒的にエンジニアが多い。 ちょっと、絵に描いたような地域ではある。 ここに住んで、勤めて、週末はショッピングモールに出かけたりしていれば、平和な日常が送れそうだ。 そう、そしてこれは、アメリカの「5パーセント」なのである。たぶん。
May 21, 2005
おとといから、アメリカ西海岸のサンノゼにいる。 だんなの転勤でこちらに住んでいる妹夫婦に、結婚9年目にして待望の赤ちゃんが生まれたので、助っ人?に駆けつけたのだ。仕事の都合もあるので、ほんの5、6日なのだけれど。 赤ちゃんは女の子。誕生時2400グラムとやや小さめなので、抱くとなんとも頼りない(でもかわいい!)。8日に生まれたので、まだ誕生後10日そこそこ。(当たり前なのだろうけれど)おっぱいを飲んでは寝るのが仕事、食っちゃ寝、を繰り返している。本能そのもの?である。 表情もおぼつかないが(目も開いたりはするが、まだちゃんとは見えていないらしい)、何があっても泣くしか表現手段がないようすを見ていると、自分の子供でなくとも守ってやらなきゃ、という気分になるから不思議だ。 「赤子」とはよく言ったもので、ほんとに「赤い」のもなんだか不思議。 妹は華奢な体格なので、おっぱい出るのかな、なんてちょっと心配していたが、何と100パーセント母乳で育てている。昨今では珍しいのだそう。 胸もしっかり立派になっていて、「自然」はすごいな、と感嘆してしまった。人間の本能も、まだまだ捨てたものではない。 母子を眺めていると、自分も、母にこうして育ててもらったのだな、と、改めてじーんとしてしまった。 母は身体が弱かったし、舅や姑と同居していたから、ほんとに大変だっただろうと思う。 でもね、「孝行のしたいときには・・・」なんですよね。 お母さん、明子にかわいい赤ちゃんが生まれたよ。「あちら側」にいても分かるよね。
May 20, 2005
JR西日本に、「嫌がらせ」が殺到しているのだそうだ。 線路の上に置石までしてあったというから、呆れてしまう。本当に事故になったら、どうするつもりなんだろう? 最近の日本はなんかおかしい。「空気」にちょっと火がつくと、すぐ暴走してしまう。殺伐としているというか。閉塞感もあるのだろうか、いらいらのもって行く先を探しているような。 「世論が一点突破的な兆候を見せている」と書いていたのは、たしか日垣隆だったけれど、本当にこわさを感じる。イラク人質バッシング事件は、象徴的だった。 多少うかつだったかも知れないけれど、何も悪いことはしていない3人が、なぜあんなに叩かれなければならないのか、私には理解できなかった。 同じような状況で誘拐されたイタリアの女性ボランティアがいたけれど、イタリア国内ではそんな世論は起きなかったし、(政府は身代金を払ったらしいが)解放された彼女たちは、空港でベルルスコーニ首相の笑顔に迎えられて、晴れ晴れとした表情を見せていた。(日本ではほとんど報道されなかったようだが)。 このあいだウィーンに行ったときも現地在住のガイドさんとその話になったが、「こちらでは(日本社会のような反応は)考えられない」という意見で一致した。 思うのだが、20年前だったら、こんな空気にはならなかったのではないだろうか。 今週号の「アエラ」に、人質バッシングを題材にした小林政弘監督の映画「バッシング」が、カンヌで公開されたという記事が出ていた。監督曰く「描きたかったのは、「なぜ自分は何もしていないのにに非難されなければならないのか」という主人公の内面と、弱い者を叩くという、日本全体が病んでいるこの社会」なのだとか。 日本での配給先は、まだ未定だそうだ。 「今は左翼的なことを言ったらばかにされ、自分の意見を思うようにいえなくなっている状況。そういう社会が息苦しいなと感じますね」(小林監督)。 「出る杭は打たれる」のが日本の社会かもしれない。その時の空気に乗らなければ、置き去りにされてしまう。かつて全共闘時代もそうだったらしいし。 でも、「置石」をするような殺伐さは、やっぱりちょっと異常なんじゃないだろうか。
May 17, 2005
昨日おとといとフェニーチェ歌劇場の公演に行ったのだが、そこでもらったちらしの束、いつものように捨てようとして、1枚のちらしに目が釘付けになった。 「ボローニャ歌劇場来日公演」という文字が躍っていたのだ。 しかも歌手は、クーラ、フローレス、アラーニャ、デッシー、ガザーレ、グレギーナ、etc・・・今のイタリア・オペラを代表する歌手ばかり。 演目はといえば、アラーニャは「トロヴァト-レ」、フローレスは「連隊の娘」だって!十八番ばかりじゃないですか。 そして今朝は、某マネージメントからのダイレクトメールで、「メトロポリタン歌劇場」のご案内が届いた。 またこの歌手がすごい。お年を召した(失礼)ドミンゴはともかく、フレミング、ホロストフスキー、パーペ、モリス、コジェナー・・・これもまた、「聴きたい!」歌手のオンパレードではないか。 しかも時期は、両者とも来年の6月前後とほぼ同じ。 困るんですよねえ、こういうの。オペラファンの懐は大変!なことになるのだから。 今年だって大変!今月のフェニーチェ、来月にはサン・カルロ。秋にはバイエルン国立オペラに、大野和士のモネ劇場。 そして年明け早々、ゲルギエフ&キーロフの「リング」がある。シュトットガルトの「魔笛」がある。メータの振る「フィレンツェ5月音楽祭」がある。そしてそして、メトにボローニャ、なのである。 ほんとに、これだけオペラハウスが来る国って、他にないんじゃないだろうか。 もちろん日本にいながらにして、世界のオペラハウスの演奏に接することができるのは素晴らしいことだ。夢のようだと言ってもいい。 でもね、お財布を考えるとほんとに大変!と思うオペラファンは、少なくないのではないだろうか。せめて期間がぶつからないようにして欲しい・・・せめていまの半分の数にして欲しい・・・そう思うのは私だけ? 考えに考えたあげく、欲しかった洋服を諦める。だからオペラ会場に来ている女性のファッションは、比較的地味なのかも???(違っていたらごめんなさい。けれど昨日のフェニーチェの会場でも観察したけれど、普段着に近いスタイルのひとも多い。個人的には悪くないことだと思うのだが(オペラ=敷居が高い、というイメージをこわしてくれそうだから)。 まあ、こんなに数が来るというのも、何だかんだ言っても会場が埋まるからなのだろう。昨日のフェニーチェの「椿姫」も、日本では知名度の低い歌手だったにもかかわらず超満員だったし(「椿姫」だから、という理由もあるだろうけれど)。 外来オペラが沢山来て、満員になっているうちは、日本も安泰かな。こなくなったら日本の落日?(そういえば昨日は安倍晋三氏もご来場でした)。
May 16, 2005
フェニーチェ来日公演の「椿姫」を見た。 ロバート・カーセンの演出が面白いだろう、と聞いて大枚をはたいたのだが、期待にたがわぬ面白さで、いろいろ考えさせられた。 何より突出していたのは、舞台を現代に置き換えたこともさることながら、ヴィオレッタの「娼婦性」を強調したこと。前奏曲の間、何人もの男が入れ替わり立ち代り、彼女にドルの札束を渡すのだ。 第2幕も、林のなかのような風景なのだが、地面にはお札が敷き詰められており、空からもお札が降る。ジェルモンも息子と別れてくれと、ヴィオレッタに札束を差し出す。 これは納得でした。 なぜって、ヴィオレッタは本当に娼婦なのだから。 原作を読めばよく分かる。だがオペラ化されたとき、彼女のその部分をほとんど削ってしまったので、ただ台本に忠実に演出しただけでは、ヴィオレッタのどこが問題なのか分からない。娼婦的な場面なんてほとんどないのだから。そしてジェルモンが「すごく悪いやつ」になってしまうのだ。 ジェルモンは、ごく普通の田舎の頑固親父だと思う。今だって、たとえば地方の保守的な家の主だったら、自分の息子が東京に出て行って、キャバクラのナンバーワンと付き合ったら心配して連れ戻しにくることもありうるんじゃないかなあ。貢いでいるんじゃないかって。 だいたい息子(アルフレード)も頼りないんだから。お父さんはそのあたり分かってるでしょ?お金も稼がないで女性と同棲するばか(失礼!)がいるだろうか。お金がどこからか湧いてくると思っていたのかな? こうして考えていくと、「椿姫」って結構嘘っぽい。もしヴィオレッタが病気で余命わずかでなかったら、アルフレードとなんて危なっかしくて同棲できないんじゃないかな?数ヶ月で舞いもどってしまうのでは。 これは精神科医の香山リカさんの発言なのだけれど、芸能界とか水商売とか華やかな世界に一度身をおいた人が、普通の生活に戻れなくてすごく苦労する、そういうケースがとても多いそうだ。ヴィオレッタだって、余命わずかでなかったら、そうそう簡単にあの生活を捨てられるだろうか? まあ、そのへんをばっさり切り落として、きれいきれいの分かりやすいお話にしてしまったから、「椿姫」は人気があるんでしょう。分かりやすければ、あまり考えなくていいし。 で、その話が、面白い演出によって、俄然「考えさせられて」しまったところが、今回の演出を見ての成果かもしれない。 唯一不満は、ジェルモンへの冷淡さ。カーセンはジェルモンは「皮肉屋」だと言っていたけれど、そうだろうか?少なくとも「プロヴァンス」のアリアに見られる息子への愛はホンモノだと思うのだけれど。 「リゴレット」の主人公のように、度を越した子への愛のために、何かを見失ってしまった父親なんじゃないだろうか。 ジェルモンをもう少し暖かく描いた演出を見てみたいけれど、なかなかお目にかからない。いっそ自分でやってみたい!なんて夢想してしまう。 誰かジェルモンをもっと理解した演出をしてくださいな。はっきり言って相当飽きてしまった「椿姫」でも喜んで観にいきますから。
May 15, 2005
昨日、13泊15日の旅から帰ってきた。今日はカルチャーセンターの講座をこなして、その後さっそくオペラだったけれど、まだへろへろ状態。 で、やっぱり!ネット接続は後半全然だめでした。ライプツィヒーヴァイマルーアイゼナッハ、ことごとく全滅。 で、それをいいことに?毎晩(5月3日からはライプツィヒのバッハフェスティバルを含めたバッハツアーだった)ツアーの人と飲んでいた。 たしかにネット接続ができてしまうと、そちらにかかりきりになって?肝心?の飲みもおろそかになってしまうかもしれないので、その点ではまあこれでもよかったのかもしれない。 けれど一度知ってしまった便利さ、たとえばネットで調べものができる便利さは、「言いたい放題日記」が書けないよりずっと「不便」に感じる。 ツアー中、ちょっと調べたいことってあるんですよね。次の訪問地に関する、音楽系以外の情報とか(講師の名目で来ている私がツアー中に話すのは、もっぱら音楽の話。でもそれ以外の一般的な話も、あった方が面白い。来る方は、ドイツにいる、というだけでわくわくしているのだし)。ガイドブックもそうそう詳しいものはないので、ネットはやっぱり重宝だ。 次に外国に出る時は、国際携帯を絶対もって出ることにしよう。
May 14, 2005
ウィーンとドイツ、チェコを回った今回の旅は、5月3日からグループと合流して「バッハへの旅」ツアーとなった。 ツアーはほぼ和気あいあいで進んだが、参ったのは天候。初冬なみに寒かったのだ。 「バッハへの旅」は毎春やっている。バッハファンの最大のお祭り、ライプツィヒのバッハフェスティバルがこの時期にあるからだが、予想より暑いことのほうが多い。2000年のGWなど、連日30度!になって閉口した。 なので、少々暑め、で対応できるように服を準備してくるのだが・・・ 今回も、5月の1、2日あたりは暑かった。ツアー合流直前はドレスデンにいたのだが、30度を軽く突破、紫外線も強くて、持参したセーターを置いていこうかと迷ったくらい。あわてて日本のツアー主催旅行社にこの暑さを報告した。出発直前にもかかわらず、担当者がお客様に連絡してくれたのだが・・・ それが、フタを開けたら連日10度そこそこ、朝方は数度、という日が続いたのである。 バッハツアーを始めて6年目になるが、こんなに震え上がったのは初めてだった。 いったいこの天気は何なのか。ライプツィヒで深夜タクシーに乗り、「寒い!」とぼやいていたら、タクシーの運ちゃんが言った。「今はEisheiligenという祝日の時期なんだよ。だから寒いんだ」。 Eisは文字通り「氷」(アイスクリームも)の意味。Heiligenは「聖者」。辞書で調べたら、「5月11日から13日までの晩霜の時期」とあった。聖ボニファチウスの祝日も含むのだそうだ。 つまりこの時期、寒くなることがあってもおかしくないということらしい。 「アイスハイリゲンとはよく言ったものだよねえ」 帰りにフランクフルトの中央駅で会ったドイツ在住の知人が、そう言っていた。 もうひとつ、アイゼナハのバッハハウスというところで、サロンコンサートをしてもらったのだが、そこの出演者のひとりが言うには、このような寒い日を、「犬の日Hundtag」というのだとか。「犬を戸外に置いておけないくらい寒い」ということらしい。 これも辞書で引いたら、「Hundkaelte」という言葉が載っていた。訳は「ひどい寒さ」。(もう少し説明してくれてもいいかも)。うーん、色々表現があるものです。 天気予報によると、何と私たちが帰国するのと入れ替わりに、暖かくなるらしい。日本帰着は13日(この日記の日)。Eisheiligenが辞書のように13日までとすると、ほぼその通りということか。 でも辞書によると始まりは11日。そのずーっと前から、「Eisheiligen」だったんですけど???
May 13, 2005
おととい5月8日は、ヨーロッパ(ドイツ)の終戦記念日。 ここドイツでは、テレビでも新聞でもそして書店でも、大々的に特集を組んでいた。 ロシアでの盛大な祝典の様子を、ドイツのテレビが延々と報道したのも驚いたが、もっと驚いたのは、その祝典にドイツのシュレーダー首相が列席していたこと。戦後初めてのことだというが・・ 同列に比較はできないが、小泉首相が中国の同種の式典に参列するようなものだろう。とうてい考えられないことだ。 改めて、日独の戦後処理の違いを考えさせられた。 事情は色々違うので、単純に比較ができないことは言うまでもない。 けれどドイツは、相当苦労して戦後処理に取り組んできたと思うし、それを内外にアピールしてきた。 ミュンヘンの郊外にあったダッハウのユダヤ人収容所をそのまま残して博物館にしたり、ベルリンの真ん中にユダヤ人博物館を建てたりしたことは、反省の意を対外的に示す意味があったのだろう。これも日本ではとうてい考えられそうにもない。国内にその種の建物を作ろうなどという計画が持ち上がりでもしたら、袋叩きにされそうだ。 敵対した各国と国境を接しているドイツは、具体的な反省の意思表示をしなければ、ヨーロッパで信頼を獲得できなかったのだろう。 絶えず戦乱が繰り返されてきた歴史から、その種の「外交」も鍛えられたのだろうし。 それに対して、長く「鎖国」していた日本を含む東アジアでは、そのような経験が浅いせいか、感情が介在してしまって、なかなか「外交」までたどりつけないような気がする。 今回の反日デモにしても、中国側の事情も相当あるのだろうけれど、日本側があちら側を刺激している面も、やはり否定はできないのではないだろうか。 数週間前の「サンデープロジェクト」に、民主党の野田議員(野田聖子ではありません。念のため)が出演して、日本の戦後処理に対する中国側の反応について、興味深いことを言っていた。 たとえば、日本側の謝罪が足りないと中国側が感じていることについては、 「村山談話のように、日本はもちろん謝罪しているのだが、その一方でそれを否定するような発言を一部の政治家が繰り返すので、中国側が不信感を持ってしまう」。 また、靖国問題については、 「中国は、終戦後、日本から賠償金を取ることもなく、寛大な面もあった(その代わりODAがあるじゃないか、という意見もあるだろうが)。そして今度の戦争では責任はA級戦犯にあり、日本国民は被害者である、という立場をとり、実情はともかく、A級戦犯の「せい」にすることで合意していた。それが、彼らを祀った靖国に参拝されたのでは、面子がつぶれてしまう」 というような主旨のことを言っていた。 これはどちらも、それなりに説得力のある発言だと、私は思った。 とくに前者の、「せっかく謝罪しても、打ち消すような発言が多いので不信感を持たれてしまう」という発言には、うなずけるものがあった。 そのあたりの感覚は、「外交」に通じるものがあるのではないだろうか。 最近読んだ、村上龍の「半島を出よ」にも描かれていたが、日本には「外交」の感覚がまだ未熟だ。日垣隆の著書で指摘されていた、「日本が核査察を受けていた」という一件など、その最たるものではないだろうか。被爆国の日本が、核査察を受けている!など、外交感覚が欠如しているとしか思えない。日本は被爆国で、(たとえ形式だけにせよ)非核三原則があるのだ、とアピールしていない証拠である。 今回の「バッハへの旅」の途中で、60年前の空襲で破壊され、今まさに再建中のドレスデンの聖母教会を訪れたとき、屋根に輝く十字架が、イギリスからのプレゼントだときいて衝撃を受けた。攻撃したイギリスから攻撃されたドイツへの贈り物、つまりアメリカが原爆ドームに何かを寄付するようなものだからだ。 東アジア、太平洋地域が、たとえ表面的なものにせよヨーロッパ並みになるには、まだまだ気の遠くなるような時間と経験が必要なのだろうか。
May 10, 2005
ヨーロッパの春の名物といえば、なんと言っても白アスパラ。 この季節、市場にも山と積んである。もちろんグリーンアスパラもあるけれど、日本でお目にかかれない分白アスパラの方がありがたいし、料理法も多いよう。 日本でいうと、筍のようなものだろうか。 ドイツではこの白アスパラを茹で、これも茹でたジャガイモと一緒に、「オランデーズソース」(卵の黄身と油で作ったソース。マヨネーズみたいなもんですね。コレステロールが高そう!ですが)をかけて食べるのが、スタンダードな食べ方である。 レストランによっては、これにオプションで、生ハムやシュニッツェルなどをつけることもできる。 3日から始まった「バッハへの旅」、ハイライトはライプツィヒのバッハフェスティバルだったが、そのフェスティバルが昨日でお開きになった。ファイナルコンサートはブロムシュテット指揮の「ロ短調ミサ曲」。これが素晴らしい名演で、大いに盛り上がった後、ツアーの有志メンバーで、打ち上げをかねて「白アスパラ」を食べに出かけたのである。 打ち上げの場所は、ライプツィヒで一番古いコーヒーハウス、「カフェバウム」。シューマンやワーグナーも来た有名なカフェレストランだ。 このレストランを選んだ責任は私にあるのだが、実はちょっと不安だった。というのも去年、同じ「バッハへの旅」ツアー中に、やはりこのレストランにアスパラを食べに来たのだが、どうもあまり評判がよくなかったのだ。「名前だけ」などという声もあがったりして。 なので当初、別の有名レストランを予約できないかと思ったのだが、コンサートが終わるのが夜の10時半。それ以後でも食事ができるところというと、ここしか残らなかったのだ。 ままよ、あとは運を天に任せ・・・の心境でした。 ところが今年は美味だった。アスパラの仕入先が違ったか?(まさか)。やわらかく茹で上がったアスパラは、口に含むとふんわり甘く、ソースのねっとり感とあわせてとろけるよう。その口をワインで洗うと、これがまたたまらない。 おまけに個室も用意されていて、「ロ短調」の名演で興奮状態の一同は、真夜中過ぎまで大騒ぎだったのでした。 途中、昼間名演を披露してくれたヴァイオリニストの寺神戸亮さんが、奥様の上村かおりさんや共演者のチェンバリストとひょっこりお店に現れたので、一同またまた大騒ぎ。「キャー」とか「ワー」とかやっていたので、さぞうるさかったことでしょう。寺神戸さんごめんなさい。 いい音楽、おいしい食べ物とお酒、楽しいメンバー、ツアーやっててよかった!皆さんに感謝の至福の夜でした。て
May 9, 2005
同じペンダントを3回!なくした。スワロフスキーのハート型クリスタルペンダントである。 以前から店頭で見かけて、欲しいなと思っていたのだが、思い切って買ったのは今年の3月。ミュンヘンのお店だった。 上機嫌で2、3日ぶら下げていたら、いつの間にかなくなっていた。まったく気がつかなかったのだから、われながら鈍感ぶりに恐れ入る。 再度購入したのは、今回の旅の行きの飛行機のなか。「リベンジ」したい気持ちもあったし、「免税ショッピング」で41ユーロという値段にも惹かれた。 とはいえ一度あることは二度ある?不安を持たないわけでもなかったのだが。 不安は見事に的中。ウィーンのホテルに着き、荷物をあけたところ、たしかに機内で受け取ったはずのペンダントの箱がないのである。 必死で探し回ったが、ついに見つからずじまい。「これはペンダントに嫌われているかも・・・」。頭をよぎったそんな気分、あまり面白くなかったことは言うまでももない。 ここでやめておけばいいのに、3日から始まった「バッハへの旅」で訪れたチェコのカルロヴィ・ヴァリで、また同じものを買ってしまったのである。 どうしても買わなければいけないものを手に入れて(これはひどく安いもの)、ほっとしていたということもあったし、「ボヘミア・クリスタルの産地」といううたい文句にも惹かれてしまった。また表示がチェコ通貨のコロナだったので、何となく安いように思ってしまったのだ。 ところがこれがとんでもなかった。よくよく計算してみたら、機内の価格の倍以上。しかもその高価な(3回目なんだから3個分ですよね)ペンダントを、翌日つけていたのにまたもやいつの間にか!なくしてしまったのである。 ここにいたり、鈍い私も気がついた。どうやらペンダントに好かれていないらしい、と。 きっとあの3個のクリスタルハートは、私の悪運を持って行ってくれたのだ。 ブログに書いた「超ポジティヴ力士」の言葉を思い出しながら、何とか斉藤一人に少しでも近づこうとしたのでした。
May 8, 2005
4月29日に日本を出てからウィーン、ドレスデン、ライプツィヒと回り、ライプツィヒで「バッハツアー」一行と合流、再度ドレスデンにやってきた。 旅先でいつも苦労するのがネットの接続。Gric Mobil officeというソフトを入れているのだが、かなり優秀なソフトだと思われるにもかかわらず、結構つながらないことがあるのだ。 今回も、ドレスデンではかろうじて接続できたが、ライプツィヒではまったくだめ。ビジネスセンターを借りてそこのアダプターを使ってみたのだが・・・30分以上を浪費してしまった。 今までこの方式でやって、いつもスムーズなのはスイスのドイツ語圏(フランス語圏はうまくいかなかった。気質の違い?)、ドイツの旧西側、だいたいうまくいくのが、意外なのだがイタリア。 失敗続きなのが、パリと、ドイツの旧東側である。 もともと統一前の東独は、電話など頼んで10年もたたなければ取り付けてくれない通信後進国。統一後は西側なみになったのだが、インターネット接続に関してはうまくいくほうがまれである。 今日も、ドレスデンのホテルに着いて、パソコンのケーブルを電話機の横のデータポートにつないで試したもののうまくいかず、電話用の口?に強引にケーブルをつないだら接続できた。 ホットメールのアドレスも取得してあるのだが、こちらも今回は失敗続き。日本で使い慣れないせいもあるのだろうか。 しかし接続って、出来ない時はえらいストレスになる。時間を取られ、得られるのは無力感。接続できれば、こんな便利なものはないのだが・・・こうやって日記も書けるし、ね。 せっかくの旅なのだから、パソコンなど家においておき、日常を離れればいいのに、という考えもあるだろう。けれどけっこう旅する期間が長いので、仕事関係の通信手段が旅先にあった方が気がラクである。 また、旅の印象をいろいろ書き留めておこうと思っても、パソコンがないとなかなかやらない。かといって帰ってからゆっくり書こうと思っても、そんな時間は取れないのがおち。だからパソコンはやはり便利だ。 これからチェコ領のカルロヴィ・ヴァリ、そしてまた恐怖?のライプツィヒ。その後も旧東独が続く。 どなたか旧東独のネット接続対策をご存知の方がいらしたら、ぜひ情報をください!よろしくお願いします!
May 5, 2005
ドレスデンにある有名なオペラハウス、ゼンパーオパーに行ってきた。 ゼンパーオパーという名前は、建築家にちなんだ通称で、正式にはザクセン州立歌劇場。ドイツでも5本の指に入る名門である。 華麗な内部、抜群の音響で、劇場それ自体も人気が高い。ドイツの憧れの劇場のひとつ、といったところか。 演目はヴェルディの「ファルスタッフ」。久しぶり(たぶん)のヴェルディ・オペラである。 ヴェルディのオペラはどれも好きだけれど、「ファルスタッフ」はちょっと別格だ。ヴェルディがとても楽しんで書いていることが伝わってくるのだ。悲劇の帝王が、最晩年になって、ほぼ初めて手をつけた喜劇オペラ。大笑いするのではなく、頬をゆるめてずっと見ていられるオペラ。耳を傾けながら、「よくここまで来たなあ」という感慨に、私も浸ってしまう。 私の尊敬している評論家の国土潤一氏は、「ファルスタッフ」をしめくくる最後のフーガを聴くと、いつも涙が出てしまうと言っていた。ヴェルディの人生を考えて、ということも作用するらしい。私もまったく同感である。 音楽も、とっつきにくいと言うけれど、よく聴いているときれいなメロディがいっぱい出てくる。派手に歌い上げたりしないので、わかりにくいような気がしてしまうのだけれど、品がいい、ということもできる。 で、その「ファルスタッフ」をゼンパーオパーで、というので張りきって出かけた。 演奏自体はまずまず。歌手は今ひとつだったが、オケがよかった。「ファルスタッフ」はオケが重要なオペラなので、オケがいいと楽しめる。まろやかな、ちょっと渋みのかかった、熟した音色のオーケストラだった。 ところが、最後の最後、国土氏が涙する有名なフーガ形式の合唱に来て、驚倒させられる出来事に遭遇してしまった。 この合唱、終わる直前で、全体がいったん休止する。そしてまた主役のファルスタッフから歌いだすのだが、その休符のところで、演出なのだろうと思うけれど、客席の照明が点灯した。そしたら、聴衆が一斉に拍手を始めてしまつたのである。 ちょっと待ってよ!まだ終わってないよ! 心のなかでそう叫びながら、私は「しーっ!」と言い続けた。たぶんすごい形相をしていたと思う。 けれど拍手はなかなか止まない。舞台上の歌手も呆然状態。 2分も続いただろうか。私にとっては気が遠くなるくらいの時間のあとに、ようやく最後の1分足らずが始まった。このまま終わるんじゃないかと思ったほどだった。 最後の拍手も、なんだか拍子抜けしたみたいだった。 拍手しながら、ふと思った。 このひとたちは、「ファルスタッフ」っていうオペラをあまり知らないんじゃないだろうか。 日本の新国あたりでこんなことが起こるとは、ちょっと想像しづらい。休符のところで拍手が起こったら、たちまち「しーっ!」の声にかき消されてしまうと思う。 「ファルスタッフ」は決してマイナーなオペラじゃない。この間だって、ウィーンやチューリヒあたりで上演していた。そんなオペラを、日本人からみたらおそらく「オペラ通」に見えるドレスデンの聴衆が、知らないとは考えにくいけれど、今日の反応を考えると、そのようにしか思えない。 日本の聴衆の方が、ここのひとたちより、ずっとオペラに通じているんじゃないだろうか。 ウィーンにしても、ワーグナーなどの重いオペラは人気がなく、いわゆる有名な、スタンダードなオペラが人気が高いそうだ。ワーグナー熱がかなり高まっている日本では、考えにくいことである。 バッハのコンサートに来る聴衆もそうだけれど、今、日本人の聴衆のレベル(というか熱心さ)は世界でも有数なのではないだろうか。 そんな気がした、ゼンパオーパーの「ファルスタッフ」でした。
May 2, 2005
ウィーンから日帰りで、アイゼンシュタットに行ってきた。 アイゼンシュタットといっても、普通の人には知られていないだろう。ブルゲンラント州という州の州都なのだが、音楽ファンにはハイドンの活躍していた町として有名。ハイドンは長年、ここに居城を構えていたエステルハージー侯爵に仕えていた。 アイゼンシュタットは3度目だが、明るくて感じのいい町だ。ノイジトラー湖という大きな湖が近いせいもあるかもしれない。湖でも海でも、水の近い町は何となく明るい。 またこのあたりはワインの名産地なので、郊外にはぶどう畑が広がり、心なごむ風景に出会える。 オーストリアの田舎はどこもきれいだ。昔インスブルックに留学していたので、オーストリアはあちこち行ったが、とくに田舎は感じがいい。北国ドイツと南国イタリアにはさまれているせいか、どことなくゆるゆるしていて、光も明るくてくつろげるのだ。ドイツ語でいうmild,という感じ。うまく日本語にできないのだが・・・英語(和製英語?)の「マイルド」な感じだろうか。 エステルハージー侯の居城はまだ残っていて、ガイドツアーで入ることができる。今日はきれいな女性ガイドが、わかりやすいドイツ語で案内してくれた。 女のはしくれなのにお恥ずかしいのだが、私は美しい男性より美しい女性に目が行ってしまうので(別に女のひとが好きという趣味ではないのだけれど)、ついつい彼女に見入ってしまったのでありました。 それにしても、昔のヨーロッパ人は衛生観念がまるでなかったのだが、貴族もまったく同じ。風邪を引くのがこわいからって、お風呂にろくに入らず、ラベンダーオイルなどで拭くだけだったというのだから・・・香水が発達するのも当たり前、ですよね。今でもシャワーすら週に1回くらいの人も珍しくないのだから。 昼食にはワインも試したが、安いだけあってそこそこの味だった。 ところで、昨日会ったガイドさんに教えてもらってびっくりしたのだが、オーストリアは食料の自給率が100パーセントなのだそうだ。 これって、すごいことだと思いません?日本なんて50パーセント以下でしょう? なんだかんだいっても、自分の食い扶持は自分でまかなえるのが一番いいと思うのだけれど・・・どうだろうか。 考え始めると、実際恐ろしくなる。 食料だけじゃない。日本はほんとに、けっこう危ない状態ではないだろうか。あんな莫大な借金を抱えて、いったいどうなるのだろう。 そんな経済状態を反映しているのか、ユーロに対して円は下がる一方だ。ユーロができたころは1ユーロ100円ちょっとだったのに、今は140円台、こちらで両替すると150円近いのだから。およそ1.5倍になってしまった計算だ。 このままじゃ、アメリカと共倒れになるかもしれないし、この間読んだ村上龍の小説のように、預金封鎖だって考えられないことじゃない。 なのに政治家はあまり危機感を感じていないような印象をうけてしまうのは、こちらの先入観だろうか。 憲法改正より財政再建の方が先、と思うのは、間違っているのだろうか。 憲法を変えたら、この閉塞状態がよくなるように考えている政治家が多いように感じるが、そんなものではないのではないだろうか。 まず財政再建、そして自分の食い扶持をある程度自分でまかなうことができる方法を考えるほうが、大事なように思うのだけれど。 こんな小さな国(四国くらいの面積)で自給率100パーセント、に思わず衝撃を受けてしまった結果の、どうどうめぐりの考えなのでありました。
May 2, 2005
久しぶりのウィーン。気候がさわやかで、若葉が目にきれいだ。 ウィーンは何度も来ているが、いつも快適、というわけでもない。最近は温暖化で結構夏場は暑いし、ホテルも当たり外れがある。物価も安くない。 まあ、同じ町だからといっていつも同じ印象を受けるわけではなく、こちらの気分によって印象は変わるし、そのときの経験によっても当然変わる。また、目につくものの受け止め方も、その時々で違うのが面白いところだ。 初めて来た20年くらい前(年がばれますね)には、事情があって1ヶ月くらい滞在したので、退屈して困った。其の時はもうウィーンはたくさん!と思ったのだけれど。 懲りずに?また来て、楽しい思いをしている。 20年前と違い、スタバも衛星版朝日新聞も、おいしい和食屋もあるところはパリ並みだけれど。 今回は、町行くひとのファッションに、(珍しいことだが)ポジティヴな印象を受けている。 年齢にあったおしゃれがうまいなあ、という感じなのだ。 とくに好感をもてるのが、中年以上の女性(と夫婦)が身奇麗にしていること。コンサートやオペラに向かうひとや、しゃれたカフェにいるひとたちは、流行を追う、というのではなく、スーツにネックレスやスカーフなどをうまく組み合わせ、きちんとしたスタイルをベースに、自分なりの工夫をしている。色もシックだがきれいなものが多い。 対して若いひとは、ジーンズにラフな感じのシャツ、ブラウスなどで、これも自分なりに装っている。日本の一部の学生さんのように、お金をかけているという感じはあまりないのが、私などから見ると若いひとらしくていいなあ、と思ってしまうのだ(おばさんになった証拠でしょうか?) 各人が、年齢や社会的な立場など、自分を考えておしゃれをしているのが、見ていて気持ちがいい。 日本の中年(失礼!)女性もいまはおしゃれだ。けれど、ちょっと若いひとと競い合っているような印象も受ける。若いひとは若いひとで、ブランドものを持ったりするのが日本的ではある。 大人が大手を振って、上質な、身の丈に合ったおしゃれをしている。 広場に面したカフェから人々を眺めながら、心地よい気分になった。 ああいう風に、年齢を重ねていけたらいいな、と、ヨーロッパの春の名物の白アスパラとじゃがいも(美味!)を頬張りながら思ったのでした。
May 1, 2005
全20件 (20件中 1-20件目)
1


