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今、本屋に平積みになっている「an an」の特集は、「恋に効くセックス」である。 「袋とじ」までついているというから、驚きだ。そのうち男性週刊誌を越えてしまうのではないだろうか。 それにしても、あれを買うのは、勇気要るだろうなあ、と思うのは、私だけなんだろうか。結構、中身はどうってことないのかも知れないが。 そういえば、昨日出版社と打ち合わせをしていた新しい本のタイトルなのだが、私のアイデアを伝えたら、同席していたレコード会社の男性に、 「男性だと、レジに持っていくのがちょっと恥ずかしい」と言われてしまった。 ちなみに考えていたタイトルは、「モーツァルト 愛の名曲20選」。はやりのCDブックである。 モーツァルトの残した有名な作品のなかから、とくに「愛」にからんだ作品を選び、解説しようという本である。 オペラのなかの「愛」の場面の曲から、モーツァルト自身の私生活がからんでいそうな曲まで、声楽、器楽、いろいろ取り上げようと考えているのだが、 「愛」という言葉が、「どうも照れる」のだそうだ。 「じゃ、『セカチュー』は?」と聞いたら、 「場合による」のだそう。うーん、よく分からん。 それともあれほど売れてしまうと、免疫ができるのかな。 私なんか、あれほど売れている本、を買うのが、逆に恥ずかしかったりするんだけど。 もうひとつ思うのは、それこそイタリアかどこかだと、「愛」ってつけたからって、男性が買いにくい、ということはないのではないだろうか。 「恥ずかしい」の定義は、性別だけでなく、いろいろあるのかもしれない。 でもたしかに、そこまで考えないと、本を売るのは難しいだろう。 「バカの壁」にしろ、「さおだけ屋はなぜ潰れないか」にしろ、タイトルで成功しているのだから。 うーん、何かいいアイデアはないでしょうか。もしこれを読んでくださった方でアイデアをお持ちの方がいらっしゃったら、ぜひ書き込みをお願いします!
September 29, 2005
午後、お茶の水にある出版社に、打ち合わせに行ったのだが、途中駅でトイレを借りようと思い、うろうろしていたら、間違って男子トイレに入りそうになってしまった。 冷や汗もので出てきたのだが、思い出してしまいました。 間違って、ではなく、故意に?、男子トイレに入ったことがあったのですねえ。 小学生の時である。 私の通っていた小学校は、1学年、1クラスの人数が決まっており、男子より女子の方が人数が少なかった。女子は男子の約半分である。 私の一番の不満は、女子トイレが少なく、また規模も小さいことだった。 どう見ても、男子トイレの3分の1、という感じだったのだ。 ある日、私は開いていたドアから、たまたま男子トイレの中を見た。 驚くべきことに、小用便器のほかに、個室がずらっと並んでいたではないか。 なんであれを女子が使えないんだ?その疑問が、ふつふつと沸いてきた。 男の子もウンコをする、なぜかその事実は思い浮かばなかったのだ。 ある日、休み時間に、私は男子トイレを堂々と?覗いて、叫んだ。 「ほら、これ、女子も使えるよ!」 「のぞき魔!」という非難の声が、用足し中の男子から起こったことは、言うまでもない。 もちろん私の決死の?うったえに、耳を傾けるひとは誰もいなかった。 蛮勇というのは、オソロシイものである。 もっとも今でも、けっこうあちこちで奮っている、気がしないでもない。
September 28, 2005
今週から、大学の講義が始まった。 週に2、3時間しか担当しない、ほんとにパートタイムの講師だが、それでも始まると結構準備その他に忙しい。 今日は、明日返す試験の採点。2ヶ月前に終わった試験を、今頃採点している。いかに夏休み遊んでいたか、ばれてしまいますね。 今回は「持ち込み可」の試験にしたのだが、となると決まって出回るのが、同一ノートのコピー。きれいに取ってある特定のノートのコピーを、試験会場で沢山見かけた。 自分も身に覚えがあるから、まあそれはいいのだが、採点していて歴然とした証拠を見せられた。 誤字、である。 たとえば「苦脳」。これは分かりますよね。 それから、「調整」っていうのもあった。音楽の授業なので、「ちょうせい」と読む専門用語は、「調性」である。(ハ長調とかト短調とかいうやつですね)。 「写真主義」・・・これはお分かり?「写実主義」が正しい。 それからこれも音楽用語だが、「教会旋律」というのがあった。本当は「教会旋法」が正しい。 というわけで、あまりに誤字が多いので、一瞬「パソコンの弊害か?」と思ったのだが(自分が日々さらされているので)、これはたぶん同一ノートコピーの弊害ではあるまいか、と思い当たったのである。 そのノートを取っていた本人が間違えると、間違えたまま写される、というわけ。 最近の学生は(お決まりのせりふで恥ずかしいが)日本語力がえらく低下しているのか、と愕然としたりもしたので、まあ同一コピー弊害のほうがまだましか、なんて変にナットクしたりした。 もちろん、多少の減点はさせてもらったのだけれど。 しかし、いや、やっぱり日本語おかしいんじゃないか!と叫びたくなったのは、自分の名前を間違えて書かれた答案を見たときである。 3枚くらいの答案の担当者名のところに、「加藤造子」と書かれていたんですねえ。 これは初めてだった。「治子」と書かれたことはあったのだが。なんて読むんだ?「ぞうこ」というのだろうか。 最高点を取った学生もこの仲間だったので、結構ショックだったのでありました。 まあ、いまどきの学生(これもお決まりのせりふで失礼)の名前は、こちらから見て読めないことがしばしば。「絵理夢」なんてあったしね(少女まんがの読みすぎ?)。これは本人より両親の趣味だけれど。 もうひとつ、やはり日本語として筋の通らない、おかしな答案もある。それはたぶんコピーノートを使っていて、その内容が理解できていないからだろう。自分の言葉になる以前の問題である。てにをはをはじめとして文章のつながりが変なので、だんだん宇宙人みたいな気分になってくる。 手書きをしなくなって、パソコンで文章を書くようになった弊害も大きいかもしれない。 というのも、自分が一番「身に覚え」があるからだ。 手書きで文章を書くと、何と言うか、ろれつが回らなくなってしまうのだ。ふだんローマ字変換で文字を書いているせいじゃないだろうか、と勝手に思っているのだが。 でもそのような状態が続くと、ちょっと怖い。 コピーノートも、パソコンも、最終的には本人のなかで切り替え(理解)ができているかどうかが大事かも。便利なパソコンも、信頼しすぎるとまずそうだよね。
September 27, 2005
ひそかにハマッているが、読んでも読書日記には書かない本、というのがある。 私の場合、典型的なのが「成功本」。 「マーフィ」の何とか、から、斉藤一人まで、けっこうマジに読んだりしてしまう。ちょっと恥ずかしいかな・・・ 最近このジャンルで売れている著者のひとりに、「口ぐせ博士」こと「佐藤富雄」センセイがいる。 要するに、いい運を引き寄せるには、いい口癖をつけなさい、という簡潔明瞭な理論なのだが、これはなかなか説得力がある。 「言霊」というくらいだから、人間が口にする言葉には、侮れない力がある。「言葉」をコントロールするのは案外難しいものだと思うので、それを意識することはかなり重要だと思うのだ。 学生時代のことだが、ゼミの後輩(私は文学部の美学科というところにいた)に、指揮者をめざしている男の子がいた。 芸大の指揮科を受けては落っこちていたのだが、落っこちても表面上はからっとして見せ、「いつかちゃんとした指揮者になって、(ゼミの)先生をコンサートに招待するから」というのが口癖だった。 私だったらきっといじけてしまうだろうと思ったから、とても尊敬したものだ。 卒業後、しばらく噂を聞かなかったのだが、何年かたって、その彼がイギリスで指揮者デビューを果たしたニュースを聞いた。 その彼は、今は立派な(ほんとに!)指揮者になっている。 だから「口癖」の威力というのは納得しているつもりなのだが、うーん、やっぱり「成功本」には限界があるのである。 どうしてそう思ったかというと、かの佐藤先生の、「愛」と「お金」に関する本をめくってみて、 「あーあ」 と思ってしまったのだ。 とても耳あたりのいいことが書いてある。女の美しさは「思い込み」次第、恋愛がうまくいけば仕事も順調、年齢は関係ない、むしろ60が女ざかり・・・ そりゃ、嬉しいですよね。 ところが、最後がいけない。 「あとがき」で佐藤センセイは書く。 「恋愛がうまくいっていれば、仕事も順調」と繰り返した後で、 「実は私のこの本も、恋愛から生まれました。その恋のおかげで私の仕事は絶好調、お金もどんどん入ってくる・・・・今度のお相手は、私より40歳ほど年下の、28歳のOLで・・・」 と、きたのである。 なんか話が違うぞ!これじゃ、若い女性とつきあっているおじさんの自慢話と変わらないじゃないか! 道理で、「若い女性にとって、年上のリッチな既婚者との付き合いは超特急に乗るようなもの」なんて、ぬけぬけとお書きになっているわけである。 「60前後が女ざかり」というなら、ほんとうにそういう年頃のすてきな女性と付き合って、「大人の恋」とやらを見せていただけると説得力があるのだけれど。 うーん、「大人の恋をしましょう」なんて言っている成功本著者がこれでは、日本で「大人の恋」が市民権を得る日はまだまだ遠いのかもしれないね。
September 26, 2005
来日中のバイエルン州立歌劇場公演「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に行ってきた。 ふだんはあまり付き合いのない?ワーグナーだが、仕事柄、聴くべきものは聴いておかなければ話にならない。 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」はこの劇場の十八番(初演劇場&シーズン最後のフェスティバルのトリ演目)なので、演奏はさすが。座席が1階前方だったので、オケの聞こえ方がいまひとつだったが、歌手はよく見え、よく聴こえて、オペラグラスのいらない快感!を味わえた。 このオペラ、ワーグナー唯一の喜劇、そして彼のオペラに通常出てくる神々ではなく、普通の人々が登場する、ちょっと特異な作品だ。 それだけに、音楽もワーグナーの他のオペラと違い、デモーニッシュな部分が少なくて、陽光の当たっているような箇所が多く、チャーミングな印象を受ける。ワーグナーも、肩の力を抜いて書いている感じ。長いけれど楽しめるオペラだ。 私の連れ合いは、どちらかというとイタリアオペラよりドイツオペラ派で、ヴェルディよりワーグナー派なのだが、ワーグナーのオペラのなかで一番好きなのは「マイスタージンガー」だそうで、聴いていて何となくナットクしてしまった。 ヴェルディの名前を出したのは、聴きながらつくづく、こう思ったせいもある。 「こういう音楽になじんでしまうと、ヴェルディのとくに初期のオペラなんかは、やぼったく聴こえてしまうんだろうな」 と。 というのも、ワグネリアン(熱狂的なワーグナー好きのことをそう呼ぶ)のなかには、「ヴェルディはあまり好きじゃない」というひとが少なくないからだ。 とくに音楽評論家はワグネリアン(ドイツ音楽系)が多く、その手のひとがヴェルディの初期のオペラの批評でもしようものなら、(某大新聞に書いていたワグネリアンのM先生のように)、「ルイザ・ミラー」のようなすばらしい作品でも「類型的」なんて決め付けられてしまう(そういう先生に頼む方が問題なのですよね、本当は)。 まあでも「マイスタージンガー」を聴いて思った。こういう精妙な音楽に親しんでいれば、ヴェルディの初期オペラがバーバリスティックに聴こえても無理はない。「ださい」という印象を受けるだろう。ワグネリアンが好かないのも、無理はないかもしれない。 プッチーニの方が音楽としてははるかに整っているから、受け入れやすいのも分かる気がする。 でも本当はそうではないのだ。イタリア・オペラを測るものさしと、ワーグナーのようなドイツ・オペラを測るものさしは違う。優劣の問題ではない。基準が違うのだ。 本当は批評家も、もっと得意な分野に集中してくれればいいのだけれど。オペラでも、イタリア系、ドイツ系に分かれて担当したほうがいいと思う。音楽雑誌では比較的そうなっているけれど、新聞はそこまでではない。願わくば、担当の方々に、そこまで考えていただきたいものである。
September 25, 2005
今日はめでたい?誕生日。いくつになったかはさておいて、とにかく1年無事に元気にやってこられたことがめでたい、と、いつからか思うようになった。 ちなみに歳は44である。 幸い物忘れ(とくに固有名詞の出てこないこと!)以外は、そう困ったことには見舞われていないのだが、やはり肌の衰えは人並みに気になる。 最近、右の手の甲にうっすらシミが出てきて、かなりショックなのだが、今日昼間、電車に乗っている時にひょっと見たら、なんと左手の甲全体に!シミの前兆らしきものが浮いているではないか。 何度もためすがめつ見たのだが、どうみてもシミの前触れのようだった。?年後を想像すると、気が遠くなりそう・・・。 窓からいっぱいに陽が差し込んでいる下で見たので、いっそうきわだったようで、後で室内で見たら、ほとんど分からなかったのだが(分からなかったような気がしただけ?・・・。 太陽の光は残酷であります。 これまではどちらかというと、にきび跡が悩みで、あまりシミにまで目がいかなかった。 今でもにきび跡はかなり深刻なのだが、一度なんとかきれいにしたいと思って、皮膚科に相談に行ったことがある。 そこで勧められたのが、「オバジ」という製品だった。 まあ化粧品の一種なのだが、皮膚を「剥いてしまう」、つまり文字通り一皮剥いてしまって、その下のきれいな皮膚を出す、という効用があるという。 いろいろ説明を聞いて、いったんは決心しかけたのだが、 「わざと皮膚に炎症を起こしてしまうんです」 と聞くに及んで、やめました。 だって、いくらきれいな皮膚を出す?ためとはいえ、健康な皮膚に炎症を起こすなんて、やなこと、だもの。 また最近、皮膚のたるみに効くと評判の「サーマクール」という施術があるらしいが、こちらは皮膚を一瞬火傷のような状態にするのだという。皮膚が驚いて自然治癒しようとする力を利用するのだろうか。 これも、やっぱり私には無理そうだ。 それに、一度やったら半年ごとくらいに繰り返さなければならないらしいし。それこそ費用ははんぱじゃない。普通に働いていたら無理なんじゃないだろうか。 きれいにはなりたいし、年齢のしるしを目に見せられるのもしんどい。でも不自然なことはやりたくない。 結局いつもそこに落ち着くのだけれど、やっぱり日の光のなかで手の甲を見ると、ため息が出てしまうのである。
September 22, 2005
ある女性ファッション誌で担当していた、「ステージ」のページが、打ち切りになった。 カルチャーページ全体が刷新され、ステージとかシネマとか、それまであったコラムがすべて打ち切りになってしまったのだ。 その後どうするかの方針は、確固としたことはまだ決まってないらしいのだが。 というわけで、昨日はそのお疲れ様会?を、担当の方たちがしてくれた。私のほかに、バレエ評論家の某女史も加わり、西麻布の南欧料理店で乾杯。西麻布なんてめったに行かないし、かわいいおいしいお店だったので、いい時間を過ごさせてもらいました。 それはとにかく、女性誌、とくにファッション誌のカルチャーページは、なかなか難しいらしい。 まず広告が取れないのがネックだそう。そうですよね、今のファッション雑誌って、半分以上広告。どこまでが記事でどこまでが広告か分からない状態だもの。 そしてそのほとんどは、とうぜんながらファッション&コスメ関係。ほとんどこの手のカタログ化しているのが、ファッション雑誌の現状のような気がする。 それにひきかえ、クラシック関連のたとえばマネージメントが、単価の高いファッション雑誌に広告を出せるわけもなく、また広告を出したからといって、効果もそう高いとも思えない。カルチャーページの読者は、年齢の高いひとが多いというが、だとすると、この雑誌のターゲット(主な読者層)である30,40代はあまりいない(たぶん)わけで、効率のいい広告にはなりそうもない。 加えて、たとえばオペラの場合、海外有名歌劇場の来日公演は、チケットの発売が1年くらい前だったりする。そうすると、カルチャーページで紹介した時点では、あまりチケットが残っていないこともある。1年後の公演の紹介をするわけにはいかないし、そういう意味で、いつも適切な対象が紹介できるわけではないのだ。(あまり早く発売するのはほんとにやめて欲しいのだけれど)。 この点は、日本のオペラ公演のゆがんだ面である。 そんなこんなで、女性誌のカルチャページはなかなか続かないのである。 ところで、昨日会った担当編集者のお嬢様方の意見では、思いついたときにふらっといけるようでなければ、オペラの定着は難しいのではないか、という。 そうだよねえ。明日たまたま夜の予定が空いて、じゃオペラでも行こうかとなり、ふらっといけるようになれば、身近になったと言えるんじゃないだろうか。げんに、ヨーロッパの大都市はけっこうそういう状態だし。 料金的にも同じことが言える。今の値段だと、ふらっと行く、というわけにはいかない。 この間、岡田准一さんのFM番組に出たとき、周囲のスタッフに、「いくらだったらオペラに行ってもいいですか?」ときいてみたら、「ロードショーの2回分」と言われてしまった。まあ4000円弱なわけだから、せいぜい5000円が限度だろう。 経済的にも時間的にも、ふらっと行けるオペラ劇場。本当は新国あたりがそうなってくれるのが一番いいのだけれど、外来オペラがこう多くて、みんながそっちに向いている現状では、新国がそこまで到達できるかはななだ疑問である。 前も書いたけれど、外来に頼るのではなく、日本に根付かせなければ、オペラが本当に日本人のものになったとは言えない。カルチャーページ打ち切りの理由のひとつは、クラシック・オペラ界のアンバランスな体質にもあるのだ。
September 21, 2005
今週から、イタリア語のプライベートレッスンに通い始めた。 夏に語学研修に行く前、高いことで有名な「B」という会話学校に通っていたのだが(たしかに内容はよかったと思う)、これ以上「B」を続けるのは経済的に無理なので(もともと転勤の決まった社員が、会社のお金で通うような学校なので)、「B」で目をつけた先生に頼み込んだのだ。 「B」はネイティヴスピーカーによる個人レッスンが基本で、入れ替わり立ち替わりいろんな先生が来たが、今回の先生が一番話が合ったのである。 もちろん費用は「B」の半額以下。 想像のつくことだと思うけれど、イタリア人男性講師はほぼ例外なく日本人女性と結婚している。私の先生もそうだが、プライベートレッスンに来ている生徒さんたちとの写真を見せてもらったら、これまた見事に全部女性。 「男性はイタリア語を習わないのか」 ときいたら、 「転勤で必要な会社員以外は、せいぜいオペラ歌手の卵くらい」 という。ごくたまに、イタリア料理人をめざすひともいるようだけれど。 「じゃ女性はどうしてイタリア語を習うのか」 ときいたら、 「たぶんイタリア人と結婚したいんだよ」 という。 まあ、当初の理由は、旅行したとき使いたいとか、そういうことらしいのだが。 私の場合は、仕事で必要なので、今までやらなかった方が顰蹙ものなのだが(オペラの仕事をしているくせにイタリア語が不得手では話にならない)、旅行のとき使いたいというためにお金と時間をかけてイタリア語を習う、ことはたぶんしないだろう。逆に言えば、そのような理由でイタリア語を勉強して続くなんて、尊敬してしまう。 で、「イタリア人と結婚したい」という話だが、 「僕はすすめない」 と、先生は言うのである。 その理由は、 「イタリア人は最初は当たりがいいけれど、だんだん不機嫌になる」 のだそうだ。 では日本人はどうかというと、彼の説では 「あまり態度がかわらない」のだという。 結婚前も後も、そんなに激変しないから、そのほうがいいんじゃないの、ということらしい。 うーん、そうかな。「釣った魚にえさはやらない」ということわざがありましたよね・・・「あまり変わらない」というのは、日本人女性から結構ブーイングが出るのでは? では女性はどうか。 「イタリア女性は強い」というのはよく聞く話だ。 イタリア人男性と結婚したある日本人女性によると、 「男性が銀のアクセサリーをプレゼントすると、相手の女性に「どうして金じゃないの」って言われる」らしい。 「イタリア女性はけんかすると大変。物を投げたりする」 というのは、件の先生の弁である。 「日本人女性の方がドルチェ(やさしい)。妻ともけんかをするが、10分後には仲直りしている」 これはのろけというやつですね。 まあ、日本人と結婚するようなイタリア人(ほんとはイタリア人だけでなくオーストリア人もドイツ人も)は、どちらかというと繊細なタイプが多いように思う。本国では「変わっている」タイプかも。 最終的には、個人差でもあると思うんですけれどね。
September 14, 2005
今回の選挙、ほんとに民主党のだらしなさが響いた。 岡田代表は嫌いじゃないけど、政策があいまいすぎて自民党と区別がつかないだからどうしようもない。自民党とどこが違うのか、疑問を持つひとも多かったんじゃないだろうか。 この民主党の優柔不断さ、いろいろ取り込みすぎた寄せ集め政党のアキレス腱が出たようにも思う。 あれだけ意見の違う政治家を集めているんだから、それを集約する、っていうのが土台無理なんじゃないだろうか。右は西村慎吾から、左は横路孝弘までいるんだもん。 以前、ある民主党の幹部の奥様と話したことがあるが、以下のようなことをきいてたまげてしまった。 「とにかく一度政権交代させてください」というのである。 「政策の中身は」と尋ねたら、 「それより政権交代することですよ。日本は、選挙で政権交代した経験がないから、とにかく一度選挙で政権交代して、選挙でそれが可能だっていう経験をしたほうがいいんです」とのたまう。 「ただ、政策が変わらないんだったら、別にいままでの政権政党を変えようとは思わないんじゃないですか」 と言っても、それには何も言わないんですねえ。 何でもいいから二大政党制にしよう、っていう発想では限界がある。今回の小泉さんじゃないけど、強いメッセージを打ち出せなければ、政権交代なんてとても無理。加えて野党である分、与党以上のエネルギーが出せなければ始まらない。 それにしても、今回の選挙の結果はこわい。何でもできる大政党の誕生である。イデオロギーで対立するのはもう無理だけれど、それこそわかりやすい対立軸を持った野党は絶対に必要だ。
September 13, 2005
ご承知のように、衆院選は小泉自民党の大勝。あれよあれよ、あぜんボーゼン、であります。 小泉反対派にとっては、チャンスだったはずなのに、大博打に出た小泉さん、すべて自分のペースで仕切ってしまった。途中からマスコミが「勝利」予想をどんどん流し始めたのもよかったのでは?小泉政権はマスコミ対策がほんとにすごい。 世間の関心も高く、そのせいで投票率も高かったようだ。 私自身はというと、かなりしらけていた。林真理子さんが、「週刊文春」のエッセイで、「こんなに面白い選挙はない、絶対投票に行く」と書いているのを読んで、「へえ」と思っていたほどだ。 そりゃ、ワイドショー的に見れば面白い。ホリエモンだの、美人刺客だの。でも一皮剥けば、「一度も投票に行ったことがない」ホリエモンだし、上昇志向の塊むき出しのエコノミスト刺客。「これじゃ、今までまっとうに政治に取り組んでいた人はどうなるんだ」と思ったものである。「こんなのがぞろぞろ出てくるんじゃ、ぜんぜん魅力ない」というのが個人的な感想だった。 ところが世の中は、その反対なんですね。 以前このブログにも書いたが、「分かりやすいから」「いままでの政治家と違うから」小泉さんが好き、という女性がいた。 そしてそのほうが、おそらく多数派なのだろう。 そう思ったのは、新聞に出ていた「この間は民主党に入れ、今回は自民党に入れた」人たちの意見を読んだためである。 「政策は関係ない」「郵政には興味ない」「小泉さんは何かやってくれそう」・・・そんな意見が並んでいたのだ。 そういえば、これまで、政治についてよく「どうせ何も変わらない」という意見?を聞かされた。そう思っていた人が、小泉さんなら変わりそうだと思った可能性は高いだろう。 あと、やるといったことをやり遂げた(郵政解散、総選挙)も、これまでの日本人政治家にはなかったから、すごく新鮮に見えただろうし、実行力があるという印象を与えたのだろうな。 とにかく小泉さんは分かりやすい。争点を「郵政」にしぼったのもそうだし、「改革するか、しないか」と迫ったのも分かりやすかった。郵政に賛成すれば改革派、反対すれば保守派、これ以上わかりやすい構図はない。 多くの人が閉塞感を覚えているから、改革してくれそうな小泉さんに投票した、という分析もあった。それはかなり当たっているのではないか。 けれど、とにかく今は、「分かりやすさ」の時代なのである。 いい例が「純愛」ブーム。セカチューしかり、「電車男」しかり。いい小説もいっぱいいっぱいあるのに、売れるのはこの手のわかりやすいもの。 日本人て、すごくナイーブで、内向的になっているんじゃないだろうか。 そういえば、 「ベストセラーになる本は、ふだん本を読まない人が買うからベストセラーになる」という。 今回の選挙も、「ふだん政治に興味のない人が興味を持ったから、なだれ現象が起きた」ということなのかもしれない。 それにしても民主党はだらしない。しっかりして! 政治家の世襲を批判していた石原慎太郎が2世をぞろぞろ立候補させるのも問題だが、管直人も2世でほんとミソをつけました。
September 12, 2005
今出ている「音楽の友」は、「2006年 来日演奏家特集」を組んでいる。 興味の対象として、まっさきにオペラに目がいくのだが、来日する外国の劇場をざっと数えて驚いた。何とその数15!毎月1つ、以上である。 異常だよ、これ。 有名どころだけでも、メトロポリタン、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、そしてゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場、ざっと5つは指を折れる。古楽ファンとして付け加えれば、11月のクリスティ&レザール・フロリサンもはずせない。これだけでも全部通ったら、海外オペラツアー1.5回分くらいになるのではないか。 もちろん、この状況をラッキーだということは簡単だ。お金さえあれば、日本にいながらにして、世界の一流オペラに接することができるわけだから。海外に行くにはお金のほかに時間も必要だが、これなら時間の負担はさほどではない。 けれど、最近つくづく思うのは、こんな状態が続いていたら、日本が発信できるオペラ文化がやせ細ってしまうよなあ、ということである。 有名劇場が有名歌手と指揮者を連れてやってきて、一番ワリを食うのは日本の劇場やオペラ団体だろう。同じお金を払うなら、新国や二期会よりボローニャやメトに行きたい、となってしまうだろうから。 以前新国立劇場の芸術監督に会ったときも、「私たちが本当に戦わなければならないのは、来日オペラだ」と言っていたが、それももっともな話である。せっかく大枚の税金をはたいて新国立劇場を建てたのだから、本当ならそれを世界に発信できる劇場にするのが、日本としては第一に優先されるべきではないだろうか(そして本当なら、日本の既存のオペラ団体と新国が結束するべきなのだが)。 これだけ沢山来日オペラがある、ということは、もちろん日本がそれだけの大マーケットだということだ。だがただ消費するだけでは、文化は根付かない。オペラの分野だけでなく、たぶんどの分野にも見られる日本的な傾向なのだと思うのだけれど。
September 8, 2005
けさ、「こたえてちょーだい」という番組を見ていたら、視聴者からのお便り(ファクス)で、「同窓会で再会したもと同級生と不倫」してしまい、その罪悪感?もだが、「50にもなってこんな気持ちになれた」ことが不思議、というメッセージが寄せられていた。 この種の番組の常として、ゲストコメンテーターがあれこれ言うのだが、不倫についてはともかく、「50にしてのときめき」という点には、みなさんけっこう共感していたみたい。 そういえば、何日か前に見た新聞のテレビ欄では、「40代の恋愛がテーマ」のドラマ、が紹介されていたっけ。 うーん、「40代の恋愛」って、ドラマになるほど大げさな(まれな)ことなの? まっさきに思い出したのは、この夏にイタリアで語学研修をしているときに会った、イタリア人たちの光景。 離婚経験者も何人もいて、みんな40代50代だったけれど、男も女もそれなりにおしゃれして、恋人がいるひともいたし、「年だから恋愛アウト」なんていう風はまったくなかった。 そう、前も書いたけれど、私と同じ43歳の女性(離婚経験者)で、70過ぎの男性(既婚者)とつきあっていたひともいた。 まあ、その男性はこれまでに結婚4回とやらで、いかにもタフで頭のよさそうなタイプだったけれど。ここまで行けばさすがに個人差かな。 けれど考えてみれば、別にイタリアに限ったわけじゃない。私の周りだって、かなりいい年になってから結婚した人もいるし(私を含め)、奥さんと死別して20年近くたち、60代も半ばになってから新しい恋を始めたひとだっている。 そういう現実だってあるのに、なぜか日本の一般的な常識?では、40代50代はもう恋愛アウト、ということになっているのだろうか。 そういえば、この間行った美容院にいた若い美容師の女の子に、イタリアの土産話をし、 「中年でもみんなばんばん恋愛しているよ」 といったら、目を丸くしていた。 それともテレビドラマを見るのは20代、30代が中心だから、そういう年代のひとたちにアピールし、まだまだ大丈夫と思ってもらうために、40代の恋愛をテーマにするのだろうか。 ともあれ、40、50はまだまだ人間ざかり、現役ざかり。ときめいて当たり前。早くそういう考えが共有されるようになるといいんだけど。
September 7, 2005
V6 の、岡田准一さんに会いました。 岡田さんがナビゲーターをつとめる、J-WAVEの「Growing Reed」という番組のゲストに、招いてもらったのである。 番組のコンセプトは、あるテーマについて、その道の専門家に岡田さんが聞く、というもの。 ちなみに今回のテーマは、「オペラの楽しみ方を知りたいんです」。 これまでのゲストをちらと見たが、野口悠紀雄さん、明石康さんなど、そうそうたるメンバー。私のような若輩が呼んでもらえるなんて、ほんと光栄でした。 岡田さんは、テレビのイメージ通り?好感度大の好青年。さすがに整ったマスクでした。 知的好奇心も旺盛みたいで、これからがますます楽しみです。 ところで今回の出演を通して感じたのは、周囲のスタッフの重要性。 番組の内容に関して、もちろん岡田さん自身の好奇心もあるだろうけれど、適切な台本を作り、録音中もうまくリードする放送作家氏とか、著名ゲストをゲットしてくる番組スタッフの熱意、努力をすごく感じた。 すべて自分でプロデュースするしかないこちらの立場からすると、優秀なスタッフが周囲にいるのはうらやましい限り。 まあ、分野もまったく違うわけだけれど。 収録の正味は1時間弱と、短い時間だったけれど、色々刺激になりました。 岡田さんの質問や、スタッフとの(ほんのちょっとだったけれど)雑談から、一般からみて、オペラはまだまだ敷居が高いことも改めて実感。 番組のリスナーも、オペラファンなんかじゃないだろうから、そういう方たちに少しでもオペラを身近に感じていただければいいな、と思っている。 ちなみに放送は10月2日(日)、深夜24時からです(もちろんJ-WAVE)。どうぞよろしく!
September 5, 2005
ヴェルディのオペラ「運命の力」をみてきた。 序曲が有名なわりに、実演で接する機会がめったにないオペラ。やっぱり上演が大変なんでしょうね。とくに歌手・・・ そう思っていたら、まさにどんぴしゃり、でありました。 とくに日本人が歌うのは非常にきつい作品である。主役のテノールとソプラノがめちゃくちゃ大変。最近人気のワーグナーも、日本人にはかなりきついといわれるが、今日の公演を見た限り、「運命の力」のほうがずーと大変ではないだろうか。歌手と指揮者に、全体を引っ張っていけるような力、(馬力といってもいい)、統率力がなければ、このオペラの魅力を生かすのは難しい。その代わり指揮者と歌手が揃えば、すごく堪能できる作品だと思う。 会場で会ったあるオペラ団体のトップの方は、メトでドミンゴが主演した「運命の力」を聴かれたそうだが、「すばらしかったですよ」とのことだった。 公演を聴きながら、ある演出家が言っていたことを思い出していた。 「日本人にはヴェルディは無理ですよ」 と、若手の売れっ子である彼は言ったのである。 「無理をしないで、主役級は外国から呼んでくればいい」 とも。 賛成である。 ふだんなかなか上演されないオペラを上演することが「意欲的」であることは言うまでもない。「日本人にはむり」なオペラを日本人だけで上演することも、もちろん「意欲的」ではあるだろう。 でも、「無理」と「意欲」とをてんびんにかけたら、この場合は「無理」がまさると思うのだ。「意欲」だけで上演できる時代は、少なくとも日本では終わったのではないだろうか。 適切な歌手がいればまだいい。でもいない(少なくともこの主催者は確保できなかった)のだから、やはり出演可能な歌手に可能な作品を選ぶべきではないか。無理な作品を歌えば、歌手にも過剰な負担がかかる。「運命の力」の主役などというのは、かなりの外国人歌手にだって難しいのだから。 まして今日のテノールはレッジェーロタイプの軽い声。モーツァルト向きである。 「運命の力」の音楽が堪能できず、すっかり欲求不満になってしまったので、実は今、ムーティ指揮の「運命の力」を聴いている。やっぱり迫力! 歌手でいえば、それこそテバルディとデル・モナコですね。あれくらいパワフルでないと。魚と野菜を食べてるようじゃだめかも。
September 4, 2005
昨日の夕刊だっただろうか、今年のザルツブルク音楽祭で、ネトレプコとハンプソンという人気歌手の共演した「椿姫」が、圧倒的な人気だったという記事が出ていた。それがなければ一番話題を呼んだだろうムーティの「魔笛」も、かすんでしまったとか。 本国のオーストリアでは「椿姫」初日の公演がテレビ中継され、視聴率が29パーセントを記録したそうだ。オペラの公演で29パーセントなんて、すごいよね。 もちろん、ザルツブルクに行った私たちも見たかったのだが、日程の都合で不可能だったのだ。 でも、現地で話をきいたり記事を読んだりしているうちに、まあいいか、という気分になってしまった。 いくらなんでも、とんでもない、という気がしてきたのだ。 まずチケットがとても入手しづらかったらしい。最初購入できるはずだった旅行社でも、急に取れないということになり、急遽担当者が現地に飛んだケースもあったよう。 ブラックマーケットも暗躍したようで、チケット代が1500ユーロから2000ユーロまで値上がりしたという話もきいた(正規料金はたぶん最高の席で380ユーロくらいか)。 2000ユーロといったら、28万円くらいである。 あほらし。 そりゃネトレプコはもちろんきれいだし、若手のなかではうまいほうだと思うよ。それにしても、いくら人気歌手だからって、2000ユーロというのはいくらなんでも、ではあるまいか。 そんな値段なら買わなきゃいいのに、と思うのだが、希少価値となるとますます聴いて見たいのだろう。 でもよくないと思うよ、こういうの。 あとで「いくらで買った」という話が飛び交ったりするんだから。ゲットしたのを得意げにいうひともいるだろうし。 そういうの、聞いててあまり面白い話とは思えない。 いっそのことみんなでボイコットすればいいのだが、そういうわけにもいかないのだろう。 「お金をいくら積んでも買う」日本人(アメリカ人も???)なんて言われないうちに、ブラックマーケットも取り締まったほうがいいんじゃないだろうか。
September 3, 2005
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