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欲望が大きくても不安に振り回されない人で神経症にならない人がいっぱいいる。それはなぜなのか。という疑問を持っている人がいた。この質問は、神経質性格を持っている人でも神経症にならない人がいる。それは何故なのか。という質問と同様であると思う。この質問について考えてみたい。これは、神経質性格を持ち、ちょっとしたことにとらわれやすい人は、神経症に陥るのが宿命のように思っておられるのだろう。神経質性格は、心配性である。注意が自己内省的に向かいやすい。こだわりやすい。生の欲望は強い。自己中心的である。観念的である。依存性が強い。などの際立った性格特徴を持っている。このように列記すると、神経質性格はマイナスの面ばかりだと思われるかもしれない。この考え方は誤りである。正確には、これらのマイナス面が強く出た時は、神経症に陥りやすいと言うべきであろう。反対に、これらがプラスの面が強く出た時は、仕事や勉強や家事、育児など、大きな成果をあげる。そうなれば、神経質性格は類まれな優良な性格であると自覚することができる。例えば、私の以前の同僚に、 500名の営業マンの中でも常に10番以内に入るような営業マンがいた。その営業マンは、毎年優秀営業マンの表彰を受けていた。副賞として、長期休暇を与えられ、海外旅行の特典を与えられていた。彼はアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、アジア各国、ヨーロッパなどをくまなく回っていた。まだ行っていない所は南アメリカとアフリカぐらいだと言っていた。その人は多くの女子社員から「あんなに神経質な人はいない」と言われていた。立派な神経質性格の持ち主だったのだ。とにかくやたらと細かい。気が付いたことは何でもかんでも女子事務員に連絡してきて色々と指示をしたり、苦言を呈していた。ある意味ねちねちと細かいことを言われるので、彼の担当の女子社員も閉口していた。周りでは「あの2人は犬猿の仲だ」と言われていた。しかし、お互いに惹かれるところがあったのかいつのまにか結婚した。あんなに口喧嘩ばかりしていたのに、結婚すると聞いた時はみんな唖然とした。今では3人の子供を育てている。 その女子社員は外交的な性格の人で、神経質性格の持ち主の彼にはぴったりだったのかもしれない。彼の風貌はお世辞にもよいとは言えない。頭は禿げあがり、身長も低い。そのうちスキンヘッドにした。仕事以外で異性と話するときはいつもおどおどしていた。ところが、得意先の女性と仕事上の話をするときは実に堂々としていた。彼の営業スタイルは、得意先で依頼された事をきちんとメモして、会社に帰ってからきちんと片付けるというやり方だった。会社に帰ると、多くのメモを取り出して机の上に並べて、一つ一つ丁寧に処理していたのが印象的である。それも1つのことを頼まれれば、それにプラスアルファをつけて依頼事項を処理していた。これをいつも心がけていた。至れり尽くせりで、他の営業マンの見本であった。彼は神経質性格を活かした営業スタイルを確立していたのだ。その効果は絶大で、彼の営業エリアから同業他社はいなくなってしまった。彼の独壇場となったのだ。そうなれば、自由自在である。同業他社からは、ヘットハンティングの誘いも舞い込むようになった。その彼は社内で優秀営業マンをライバルとして頭の中に持っていた。その営業マンに勝ちたいという意欲が半端ではなかった。出張営業の時は、その日にやり遂げると決めていたことは、どんなに遅くなってもその日のうちにやり遂げるというやり方だった。土日には次の週の訪問計画を綿密に立てていた。その際訪問する目的を明確にしていた。販売予算もしっかりと立てていた。彼の場合は、ちょっとしたことが気になるという神経質性格を仕事に活かしていくというやり方だった。常に気持ちは外向きであった。自分に与えられたノルマを大幅に超えて達成することが生き甲斐となっていた。言われたことだけをやるのではなく、どうすればもっと相手に喜んでもらえるのかということを日ごろから考えて実行していた。彼を見ていると、神経質性格というのは、その良い面を仕事に生かしていけば好循環が生まれてどんどん良くなっていくことがわかる。反対に、私のように神経質性格をネガティブに捉えて、 1つのことにとらわれて精神交互作用で格闘していたものは、観念と行動の悪循環を招き神経症でのたうち回ってきたのである。私の場合は、森田理論を学ぶ自助組織に参加して、何とか乗り越えることができた。そして、神経症で苦しんだおかげで、これから先の生きる指針を見つけることができた。これはこれで良かったのだと思っている。神経症に陥ることが悪いとは言えない。今現在神経症で苦しんでいる人は、神経質性格というかけがえのない性格特徴を持っているのである。その活かし方を是非とも森田理論学習によって習得してもらいたいものだと思う。
2018.08.01
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存在価値について考えてみたい。その前に存在価値以外の価値についてみてみよう。 「貨幣価値」というのは、物の価格を他の物や以前と比べて、お金の価値が上がったか下がったかを比較している。 例えばマンションを買って、10年後にそのマンションの販売価値が上がっていれば貨幣価値は上昇している。値下がりしていれば、貨幣価値は下落しているとみる。 「歴史的価値」というのは、今日の文明や文化の発達を考えるにあたって、見逃すことのできない遺産や出来事である。象徴的な遺産や出来事をいう。 「なんでも鑑定団」でいう「希少価値」というものは、極めて珍しいもので、欲しい人がたくさんいるものである。それらは高値で取引されるものである。 「経済的価値」というものは、利潤を沢山生むことができるものである。例えばIPS細胞などは今後の経済的価値は高まるであろう。あるいは、ガソリンを使わない電気自動車なども経済的価値が高まるかもしれない。 「利用価値」があるというのは、そのものが使い勝手がよい、人間の役に立つということである。 「潜在価値」というのは、その中に他では代替できない貴重なものがある。秘めた力があるということである。潜在能力といってもよい価値である。今は顕在化していないがいずれ役に立つに違いない価値の事です。 こうしてみると価値の特徴が浮かび上がってくる。 まず、価値というものは、その物だけを見ていては判断できない。つまり2つを相対的に比較してみた結果、はじめて価値があるとかないとか判定しているのである。比較した結果、優れたところがある。値打ちがある。役に立つ。使い物になる。利点がある。珍しいものである。価格が高いものを価値が高いと言っているのである。そうでないものは、相対的に価値がないと言っているのだ。価値がないものは見向きもされなくなる。 2番目の特徴としては、時代と状況によって価値は高くなったり、低くなったりするものである。一定で永遠に普遍的な価値というものはあり得ない。例えば野球ではホームランの数や盗塁数、打点等は減ることはない。ところが打率は打てなくなってくると低下してくる。反対にヒットを量産するようになると打率がアップしてくる。物の価値は打率のようなものである。このように価値は変化流動性があるのである。 その点をふまえて、「人間の存在価値」を見てみよう。生きとし生けるものはすべて存在価値がある。特に、私たち神経質者は他の性格には見られない優れた特徴がある。主だったものをあげてみよう。よく気がつく。感受性が豊かである。好奇心がいっぱいである。生の欲望が旺盛である。真面目でよく努力する。粘り強い。責任感が強い。自己内省力があり人に迷惑をかけない。分析力がある。堅実で計画的。しっかりとした人生観を持っている。森田理論学習の「神経質の性格特徴」でしっかりとそれらを自覚することが大切である。大事なことは、それらを自覚して磨きをかける以外に自分を活かす道なし。そのように覚悟を決めることだ。それが神経質性格を持って生まれた我々の進むべき道である。 次に、それらを実際の生活の場面に当てはめて活用していくことが大切である。いいなと思っても活用していかないと絵にかいた餅である。そうしないと、感受性の鋭さ、生の欲望の強さ、自己内省がマイナスに作用して、自己嫌悪、自己否定、他人攻撃に陥ってしまう。そして神経症で苦しむようになってしまう。2歩前進1歩後退の連続であってもかまわない。楽しみ、便利さばかりを追い求めて、面倒なこと、努力して苦労することを放棄する道に進むことは避けなければならない。人の役に立たない人。消費一辺倒で、精神的、経済的に他人に依存してばかりの人は、「人間としての存在価値」がどんどん下がり、みじめで、人からも見向きもされないようになると思われる。
2018.04.26
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水谷啓二先生のお話です。神経症に悩む人々と毎日生活を共にしていると、「負け嫌い」の人がきわめて多いことに気がつく。この「負け嫌い」の現れ方には、大別して二通りある。その一つは「勝気」であり、もう一つは「負け惜しみ」である。その根本には、人々に負けることが嫌いであり、優越したい、という共通した性分があるのだが、その人が社会生活において攻撃的な生き方をしている場合には「勝気」となり、防衛的な生き方をしている場合には「負け惜しみ」となるのである。「勝気」の人は、外向的、積極的であって、人のアラ探しをし、他人を非難したり攻撃することによって、優越欲の満足を得ようとあせる。一方、「負け惜しみ」の人は、負けるのが嫌なために、競技とか遊戯とか、難しい仕事とかには手を出さず、引っ込み思案となる。あるいはまた、優等生であった学生は、成績が下がると、 学校に行くのが嫌になって休学したりする。(生活の発見誌 2018年3月号 11ページ引用)確かに神経質性格を持った人は勝ち負けにこだわる。その結果、人より優れていると思えば優越感に浸って有頂天になる。そして、劣っている人を見下して軽蔑したりする傾向がある。反対に、人より劣っていると思えば、劣等感にうちひしがれて自己否定で苦しむ。自分の長所を伸ばすことには目がいかなくなり、劣等感なくすることばかりに注意を集中する。その結果、精神交互作用によって神経症に陥ったりする。私の知っている営業マンで神経質性格を持った人がいた。その人は、優秀な営業マンとして会社から何度も表彰されていた。その人は、自分よりも営業成績で上にいる人をライバルとしてはっきりと認識していた。そして、営業成績でその人を追い抜くことを最大の目標としていた。毎週発表される営業成績を比較しては、自分を奮い立たせていた。彼の営業スタイルは、得意先から依頼されたどんな小さな依頼でもおろそかにせずに、丁寧に取り組むという方法であった。そして依頼されたことに、プラスアルファを付け加えて対応することを心がけていた。「得意先は10個役に立つことをしてあげても、 1個気に触ることがあればすぐに逃げていく」と言うのが口癖だった。神経質の小さなことが気になるという特徴を、最大限に活かした営業スタイルであった。そのやり方は、間もなく得意先の絶大な支持を得ることとなった。そのうち、同業他社は注文がもらえなくなり、彼の営業エリアからは実質撤退せざるをえなくなった。このようにして、彼は会社の中で優秀営業マンの10本の指に入るようになった。彼は神経質性格を持っていたが、生の欲望の発揮に邁進していたため、神経症とは無縁であった。森田理論で学んでいる通りの仕事ぶりであったのである。私は、彼の仕事ぶりを見ていて、神経質の性格の活用の仕方を学んだ。神経質性格者は、細かいことが気になるが、それを利点ととらえて、きちんと仕事に反映させること。また、負けず嫌いという性格も持ち合わせているので、ライバルをきちんと見定めて、それを目標として果敢に挑戦していく。このような気持ちで仕事に取り組めば、神経質性格を持っているこを心のそこから喜ぶことができる。水谷先生のいう負けず嫌いの人は、優れた人と自分の弱点を比較して、自己嫌悪や自己否定に走るといわれている。。私は、自分と他人を比較して、自分の現状、現実を知ることは大切なことだと思う。比較するのは大切だが、その結果から自己嫌悪や自己否定してはならないと思う。弱みや欠点は横に置いて、自分の強み、能力、長所をしっかりと認識することが大切であると思う。それが自覚できれば、現実にしっかりと根を張って、そこから一方目線をあげて、努力精進していけばよいのだ。過度な自己内省に陥り、自分を虐めたり、否定することからは将来につながるものは何も生み出すことはできない。
2018.03.30
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対人恐怖症の人は自己肯定感が持てないという人が多い。元メンタルヘルス岡本記念財団の理事長の岡本常男氏は「自分に克つ生き方」のなかで次のように語られていた。自分に10の短所があるならば、逆に10の長所があると考えなさい。症状に悩んでいるときは、短所にばかり注意が向いている。ここで大事なことは、短所はそのままにしておいて、長所に光を当てて、長所で勝負していくという態度の養成である。これを意識化するためによい方法がある。自分の長所や強みを紙に書いて机の前に貼り付けておくことである。そして、「自分は何をやってもダメだ」という気持ちになったときにそれを眺めてみることだ。自分を両面観で客観的な立場からバランスよく眺めることができると思うのです。まずは神経質性格についてだ。・神経質性格を磨けば光り輝く長所に変化する。・鋭い感受性を持っている。そのため芸術、芸能を楽しむことができる。・好奇心旺盛である。興味や関心のあることに興味津々である。・ライバルには負けたくないという強い闘争心を持っている。・ ミスや失敗した原因を詳細に分析することができる。・夢や希望に向かって粘り強く努力することができる。 ・人の気持ちを思いやる繊細な面を持っている。・細かいことによく気がつき、事前に対策を講じるので大病をしたり破産者になることが少ない。その他、自分で気のついた長所や強みについても書き留めておくことだ。・一人一芸、川柳やユーモア小話で人を愉快にさせることができる。・部屋の片付けや掃除をこまめにしている。・料理が得意である。魚の3枚おろしやそば打ちができる。・愚痴を言って周りの人を不愉快にさせることが少ない。・お世話になった人には必ずお返しをしている。・生活習慣病の結果はおおむね良好である。健康体である。・学習することが好きで、本はよく読む習慣がある。・書道や絵を描くことが好きである。物を書くことが得意である。・ TV番組で役に立つものをハードディスクに保存している。・動画投稿やCDの作成などができる。・ 日記や家計簿を10年以上つけており、予算管理も行っている。・人の話をよく聞き、人の役に立つボランティア活動を行っている。・困った人の相談にのることができる。・家庭菜園や花を育てることが好きである。・カラオケが得意である。趣味が豊富である。その方面の友達がたくさんいる。・水泳や自転車、ジョギングを継続している。スポーツマンである。・将来困らない程度の、蓄えを作ることができた。・車の運転技術が上手である。・森田理論に詳しく、森田理論の応用力を身につけている。・家のローンを完済した。・田舎に田畑を所有している。これは各自それぞれ考えて書いてもらうための参考材料として書いてみたものです。これらを参考にして、少なくとも10個以上は見つけてもらいたいと思う。できれば30個ぐらい。小さな長所や強みを見つけ出して、大きなスポットライトを当ててあげることが大切です。これらを眺めていると、自分もまんざら捨てたものではないと、一方的にネガティブ思考に陥ることを防げることができるのではないでしょうか。
2018.02.14
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元巨人のピッチャーの江川卓さんの話です。1番バッターの役割は非常に重要です。まず、トップバッターはチームで最初に打席に立つ選手ですから、そのチームの「触覚」にならなければいけません。相手のピッチャーの調子はいつもと比べてどうなのか、変化球は切れているか、ストレートの伸びはどうかと、いろいろな点を分析しなければチームの作戦は立てられませんし、狙い球も絞ることができません。そのためにも、トップバッターはなるべく相手ピッチャーに球数を投げさせなくてはいけません。もう一つ重要なのは、ヒットでも四球でもデッドボールでも、とにかく塁に出て相手バッテリーにプレッシャーを与えることです。例えば、トップバッターがボテボテの内野安打で出塁。次の打者はショートが盗塁のベースカバーに入ったところを見計らったように三遊間に運び・ ・ ・といった展開になると、ピッチャーはだんだんと頭に血が上ってきて、冷静な判断がつきにくくなるものです。反対に、最初の打席からホームランを狙ってくる1番打者は気が楽でした。年間ホームランするが5本であろうと、 20本であろうと、貢献度はそれほど変わらないと思います。なぜなら、先頭打者ホームランは、ピッチャーにはほとんどダメージを与えないからです。15年位前、ある球団ではホームランを打った方が年俸が上がるという査定システムになっていました。そのために1番バッターでも最初からホームランを狙ってくる選手がいました。(マウンドの心理学 江川卓 廣済堂文庫 163ページより引用)この話を聞いて私の感想を述べてみます。野球の選手は、選手ごとに持ち味が大きく違います。例えば、ボールを遠くに飛ばす力を持っている人。ミートする能力が優れているひと。ピッチャーの癖を盗み、盗塁の上手な人。守備の上手な人。地肩が強く球を遠くまで投げることができる人。ブルペンで仲間を鼓舞できる人。プロ野球の選手で、それらのすべてが超一流という選手はなかなかいない。また、その必要もない。それらのどれか1つでも超一流という選手はプロ野球の世界で生き残っていける。どうにも使いどころのない選手は、どれもが平均的で、そうかといって、他の優れた選手と比べるとちょっと見劣りがする選手だそうだ。そういう平均的レベルの選手は山のように存在する。プロ野球の球団にスカウトされるような選手は、もともと平均的な野球センスを持っている人以外は、ドラフトで指名されることはない。入団してから、他の選手より優れた部分を見つけ出して、鍛えて超一流に高めていかなければならない。そうすることで、プロ野球という熾烈な競争社会の中で生き残っていけるのである。それでは神経質性格を持っている人の場合はどうだろうか。森田先生は人間の性格を7種類に分類されている。その中の1つに神経質性格というものがある。神経質性格は他の性格者にはない優れた特徴があると言われている。・細かいことによく気がつく。感受性が豊かである。・真面目で責任感が強い。・ 1度夢や目標を持った場合、粘り強くコツコツと頑張ることができる。・好奇心が広く、しかも強い。様々なことに興味や関心を抱く。・ミスや失敗があると、その原因を分析して、次の成功に結びつけることができる。その半面、性格が裏目に出ると、次のような傾向がある。・小さいことにこだわると、神経症に発展する。・人の思惑が気になり、対人接触を避けるようになる。・不可能なことにいつまでもとらわれて無毛なエネルギーを投入する。・その時の気分によって行動してしまう。・理想主義、観念主義に陥って、現実が見えなくなってしまう。・その結果、現実否定、自己否定、他人否定に落ち込みやすい。これらは森田理論学習の中の「神経質の性格特徴」で学習したことである。私たちは神経質性格の優れた面と見劣りがする面を過不足なく認識しなければならない。次には、優れた面に焦点を当てて、そこにみがきをかけて、さらに高めていかなければならない。神経質性格を活かしていくだけで、社会の中で存在感を示すことができる。そうすれば、神経質性格こそ神様から自分に与えられた最高の宝物であると認識できるようになる。神経質性格の活かし方については、これまでも度々投稿してきた。神経質性格で、今現在アリ地獄の底にいる人はどうすればよいのか。普段の生活の中で、「こうしたらいいな」と気づいたことを忘れないようにメモしていくことである。それが実行できるかどうかはこの際放っておく。とにかくストックを増やすということに取り組んでみてほしい。ストックがあれば、自然に手が出てくるようになる。できるようになったからといって、完璧にこなすようにしようと思ってはならない。常に60%くらいを意識して取り組んでみたらいよい。余裕がある人ならば、俳句や川柳、ユーモア小話などのネタもメモするようにしたらどうだろうか。これらに取り組むことによって、神経症の症状は急速に力を失ってくる。そして、自己内省一辺倒だった自分の頭の中に余裕が出てきて、自分以外の事にも興味や関心が生まれてくるのである。
2018.02.08
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精神科にかかると、治療方針を決めるために様々な検査が行われます。脳波やCT、 MRIなどで脳の状態を調べます。その他、性格検査、欲求やパーソナリティーの検査、無意識の精神状態など様々な検査があります。その中に性格検査としてウェクスラー式知能検査があります。これには幼児用、子供用、成人用の3つがあります。検査の中身としては、言語性検査と動作性検査があります。言語性検査とは知識や基礎的な学力、計算能力などを調べます。つまり、一般的に言うと、知識が豊富であるのかを調べているのです。論理的思考能力を調べているのです。次に動作性検査では、身体能力、運動能力、危険などを察知する能力、想像力、問題解決能力、類推能力、統合能力などを調べています。変化対応能力、対人交渉能力などなどを調べているのです。この検査を行うと、頭脳明晰で、論理的、観念的思考の傾向が強い人であるのか、あるいは身体感覚を重視して変化対応力、対人関係重視型の人であるかが分かるそうです。あるいは内向的な人か外交的な人かが分かります。本来は言語性検査と動作性検査の結果がバランスが取れているということが理想です。ところが、神経症に陥っている人を見るとバランスがあまりよいとは言えない。一般的には言語性検査の結果が動作性検査に比べると得点が高い。観念的な判断や論理的な思考を前提にして、目の前の課題や問題に対応していく特徴がある。実際に動きながら試行錯誤を繰り返して方向性を決めるというよりも、まず自分の頭の中で納得するまで考えるという傾向が強い。考えつくあらゆるシュミレーションをすることはできるが、それにとらわれるあまり、実際に行動に移すことが少ないという特徴がある。なかなか100%安心感を得られなくて、石橋を叩いても吊り橋を渡ることができない。身体表現を基にして得られたものよりどころとして、失敗や成功を積み重ねながら、大きな目標を目指していくというやり方ではない。そのことを理解すれば、言語性能力のほうはそのままにして、動作性能力を鍛えていく必要がある。森田理論でいえば、「かくあるべし」で現実を支配するのではなく、あくまでも現実に根を張って、現実から目線を少し上に向けて行動・実践することが大切である。またそういう自覚があれば、結婚をする場合も、ペアを組んで仕事をする場合も、どちらかというと動作性能力の優れた人と協力し合う人間関係の方がよいのかもしれない。そうすればお互いのプラスマイナスが有効に作用して、バランスがとれてくるのではないかと思う。
2018.01.11
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森田先生はことば使いにやかましい人だった。ことに敬語の乱用を嫌っておられた。ある人が森田先生のところで飼っていたサルのことを、 「おサルさん」と言った。「お」の字をつけて、「さん」までつけてしまった。森田先生は唖然としておられたという。だから患者さんがサルにカキをあげるとか、サルがカキを食べるなどというとすぐにお小言だった。サルは餌を食うのであって、食べるのではない。ライオンが人をたべ殺すなんて言うのは、いかにも妙に聞こえるではないか。こうした言葉づかいのはしはしにも、神経質者は神経質らしい細かい配慮をするべきだというのが先生の主張だった。何事にも神経質らしく、ゆるがせにしないという態度、それが神経質を活かす道なのである。(形外先生言行録 175頁より引用)敬語の使い方を誤ったぐらいで何もそこまでと思うのだが森田先生はそうではなかった。つまり敬語の使い方の無頓着な人は、細かいことが気になるという神経質性格を活かしていないということなのだ。神経症に陥ると、心配性である自分をよくない性格だと思って否定し、性格改造に取り組む人もいる。確かに小さいことが気になる人は、何かにつけて不安になる。普通の人の倍以上も悩みを抱える。取り越し苦労ばかりして実践・行動をすることに二の足を踏んでしまう。森田理論では、そのようなマイナス面だけをことさら取り上げて否定するようなことはしない。その裏の面をみる。マイナスの裏には必ずプラス面があるわけですから、プラス面も評価しないと、ものを正しくみたとは言えない。心配性であるという性格は、感受性が鋭いということである。いわば最新鋭のレーダーを標準装備しているようなものである。自然の風景やクラシック音楽を味わったり、絵画を見て感動したりできるのはこの鋭い感受性のおかげである。それを利用してゆけば、いくらでも人生を楽しむことができる。この性格は、それにとらわれてしまうと、容易に神経症に陥ってしまう。しかし、逆にその気づきや発見を生活の中に活かしていけば、自他共に役に立つ。森田先生は神経質性格というものを、とても得難い素晴らしい性格であると言われていた。しかし、一般的には神経質性格を忌み嫌い、存分に活用しきれていないというのが実態である。もし活用できていれば、敬語の使い方ひとつにしても、当然配慮があってしかるべきだというのが森田先生の考え方である。集談会では、定例の学習以外に、忘年会や新年会、あるいは1泊学習会などのイベントがある。こういう時こそ神経質性格を存分に生かすべきであると考える。参加する人たちにいかに喜んで楽しんでもらうかに焦点を当てて進行を考えるのである。日時、会場の決定、料理、役割分担、費用、プレゼント交換、時間配分、出し物の決定などまずは大まかな計画を立てる。出し物では、カラオケ、合唱、ビンゴゲーム、隠し芸、趣味の模範演技、作品展示などが考えられる。その中から、当日の計画を細かく立てていく。試行錯誤を重ねたイベントは自他共に感動を味わえる。そうすればかなりの高い確率でみんなに喜んでもらえるはずだ。自分でも弾みがついて実施日が待ち遠しくなる。こういうことが神経質性格を活かすということにつながる。そういうことに真剣になれる人は、もし仮に集談会での森田理論学習がマンネリに陥っていればすぐに気がつく。何とか改善したいと思うようになる。みんなで改善点を話し合うようなことにつながる。集談会活性化のために工夫やアイディアが出るようになる。例えば、森田理論を実際の生活にいかに応用しているかという、「生活森田・応用森田」のコーナーを作ってみようなどという提案も出てくる。集談会はマンネリ化してつまらないと思っている人は、神経質性格の長所を活かしきれていない人と言えるのではないだろうか。そういう人は、神経症の回復からも取り残されるし、神経質性格を活かした生き方も見つけることができないと思う。
2017.11.17
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会社や学校でみんなから明るい人、いつも前向き志向の人、ムードメーカー、盛りたて役の人と見られている人がいます。飲み会なども自分からネットや雑誌などでお店を選定してみんなに提案している。そういう人は同僚や後輩たちからもいろいろと相談されることも多い。悩みを聞いてあげて明るく励ましてあげたりしている。元々外向的、楽天的な性格で、そういうふうに世話をすることを楽しんでいるかのような人です。ところが神経質性格の人で自分を鼓舞して無理にそのようにふるまっていると大変です。自分の本音を隠して演技をしているようなものですから、精神的にはかなりの疲労がたまります。ある女性の人で、そんな人がいました。「会社から帰って自分の部屋にいるとぐったりと疲れて、落ち込んでしまうのです」「無理してみんなを盛り上げているのが自分でも分かっているししんどいのです」「みんなは私が盛り上げ役だと思っているので、みんなの期待をうらぎりたくないのです」「だから会社では私の悩んでいる事や苦しい胸のうちなんて話すわけにはいかないのです」「顔で笑って心で泣いているのです」この人は「かくあるべし」がとても強い人なのかもしれません。同僚や後輩たちに常に注目されていたい。あの人はすごい人だと思われたい。いつも一目置かれる存在でありたい。いつも明るく、前向きで頼りがいのある女性だと見られたい。反対に、みんなから無視されたり、仲間外れにされたり、軽蔑されるような人間だけにはならないようにしよう。こういう「かくあるべし」を持って、自分を叱咤激励しながら人付き合いをしているのです。欠点や弱点と思われる点は隠してしまう。現実のありのままの自分を否定して、理想の自分を演じることに血眼になって生活されているのだと思います。そのやり方である程度は、目的は達成されているのです。ところが砂上に立派な自分にとっては不釣り合いな家を建てて住んでいるようなものですから、いつ自分の家が崩れてしまわないかと不安でいっぱいなのです。人のことを親身になって世話しているように見えながら、実は人の目に写る自分の姿にばかり注意や意識を向けておられるのです。私は、その人が盛り上げ役になっている事は、その人にそれだけの能力があるからできることだと思います。というのは、こんなことを提案してあげれば喜ばれるのではなかろうか。こんなことをしてあげれば相手が喜んでくれるのではないのかということを敏感に察知する能力があるのです。その能力はさらに磨きをかけて伸ばしていってほしいものだと思います。普通は細かいことに敏感に気づく人は少ないのですら神経質性格を持ったあなたは貴重な存在だと思います。この特徴をさらに生かしていくためには、気づいたことを逃さないようにメモするなどして、忘れないように心がけることが大切だと思います。その上で、あなたの悩みを考えてみたいと思います。あなたは人に尊敬されるような立派な人間として見られたいという強い欲望があることは分かりました。その方法として、みんながしり込みするようなことを見つけて、あえてそれを自分が引き受けて、みんなをあっと驚かせて、大きな賞賛を浴びたいという気持ちが強すぎるということはありませんか。実は私自身がそうだったのです。私はみんなでできないようなトライアスロンに挑戦しました。炎天下で完走すればみんながきっと注目してくれるはずだと思っていたのです。ところが完走してもみんなからたいして賞賛されることはありませんでした。それどころか、夜遅くまで残業している人がいるのに、そんなにエネルギーが余っているのならもう少し仕事のほうに振り向けてくれないかといわれたのです。私は一発逆転ホームランを打って意気揚々と会社に出勤したのにもかかわらず、がっかりしました。その話を集談会ですると、私たちはヒットやバント、フォアボールでとにかく出塁するほうが性に合っているのではないでかといわれました。実際には、人が困っているときに手伝ってあげる。挨拶はきちんとする。電話の取次ぎは忘れないようにする。昼ごはんはみんなに声をかけて誘ってあげる。朝少し早く来て机の上を拭いてあげる。掃除機をかけておく。トイレの掃除をする。ごみを出しておく。書類の棚を整理しておく。そのほかいくらでもやることはあるはずです。ホームランを打って賞賛を浴びることは、お金もかかるし、時間をかけて努力もしなければなりません。それよりは神経質性格の細かいことによく気が付くという性格を活かして、小さな人の役に立つことをたくさん見つけてストックをためて実践することが神経質性格にあっているのではありませんか。それを実践してみて思ったのですが、人に役に立つ平凡なことを積み重ねて、それを仮に3年間ぐらい継続できればその人は類まれな非凡な人になれると思いました。私の座右の銘は「凡事徹底」ですが、平凡を徹底して生活すれば、類まれなる非凡な人になることができるという意味です。それこそが私が目指していたことだったのです。継続は力なりという言葉もあります。私たちの努力目標はそんなところに置いたほうが無理もなく効果が高いようです。
2017.09.22
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9月号の生活の発見誌に、神経質性格の持ち主は「罪悪感」が強いという記事があった。私もその通りだと思う。集談会などで財布などの落とし物はあると大騒ぎになる。財布の落とし物の場合は、カードや免許証などが入っているので、持ち主がすぐにわかる。落とし物はすぐに持ち主の所に返る。誰も盗もうなどという気持ちはさらさら持っていない。持ち主の所に無事に返るとみんなで喜び合う。幸せな光景が繰り広げられる。アメリカなどでハリケーンがやってきて、スーパーマーケットなどが水浸しになると、付近の住民は急に泥棒に早変わりすることがある。なかには盗んだ物を戦利品を得たかのように、カメラの前に堂々と差し出している。「赤信号みんなで渡れば怖くない」といった状態で、盗まなければ損だというような風潮である。ほとんどの日本人はその姿を見て大変に驚く。外国人はほとんどの人が宗教を信頼してお祈りを捧げたりしている。宗教を心のよりどころとしている人が、どうして人のものを盗んで罪悪感が沸き起こってこないのだろうか。大変不思議である。この心理状態が分かる人がおられれば教えてほしいものだ。私が考えるには、確かに落ちていたお金を盗んで自分のものにすれば、一時的には嬉しいような気がする。しかし、すぐに別の考えが浮かんでくる。そんなことをすればいつか自分に罰が当たるのではないかという考えである。森田理論でいう精神拮抗作用がでてくるのです。別に熱心な仏教徒ではないが、知らず知らずのうちにそういう風に考えるようになったのである。 悪いことををすれば、交通事故にあったり病気になったりするかもしれない。それは自分だけではなく、家族や親兄弟にも及ぶかもしれない。そんなはした金を盗んで、それ以上の罰が当たるとすれば割が合わない話だ。欲しい気持ちはあるが、警察に届けておこうということになる。この罪悪感というのは、神経質者の場合は特に強いようである。先日の集談会で、国道の側溝には空き缶などのゴミがたくさん落ちているが、自動車に乗っているときに空き缶を道路に投げ捨てる人がいるか聞いてみた。集談会でそんなことをしたことがある人は1人もいなかった。その他のケースもいろいろ話し合ってみた。国道の側溝には、弁当を食べ終わった空箱も捨てられている。そんなのは常識外だという意見が多かった。しかし行楽地のごみを家に持ち帰らないで放置する人がたくさんいる。富士山やヒマラヤは遠くから見ると美しいが、登山者の残していったごみが散乱しているという。集談会ではタバコのポイ捨てをする人も1人もいなかった。世間では、まだ火のついたタバコでも平気で道路に捨てる人がいる。またチューインガムや痰や唾などを平気で道路に吐き捨てる人も後を絶たない。プロ野球の試合を見ていると、多くの選手がグランドに唾を吐いている。それを見るととても不愉快になる。犬を飼っている人で、散歩中の犬のフンを片付けるのが飼い主の常識である。ところが人が見ていないときは、片付けないでそのまま放置している人がいる。こうしてみると、日本人の中でも罪悪感の希薄な人が多いということがよくわかる。この記事を書いた方は、罪悪感の強い神経質者は政治家にはなれないと書いておられた。なぜなら政治家は、すべてと言うわけではないが、嘘つきでなくてはならないし、人を落とし入れなくては出来ない仕事だからと言われていた。まあ、うなづけるところもある。森田先生も、神経質な人は長にはなれないといわれている。例えば、校長とか市長とか、何かそういう長のつく人間には不向きであると言っておられます。それはやはり、神経質性格の人は非常に正直でお人好しで嘘をつけない人間であるからです。私の感想としては、神経質者は偉大なリーダーや指導者の下で、ナンバー2の位置にいると、大きな力を発揮するように思います。それは何事にも細かい事まで気になるという神経質性格が十分に発揮できるからです。神経質性格の人は、偉大な指導者にとってはなくてはならない存在感を示すことができます。ところが仕事ができるので、長にしてもらったとたんに、統率力がなくて、途端に調子が悪くなってしまう人を数多く見てきました。実は恥ずかしながら、私もその一人でした。神経質者はつよい罪悪感という感情が自然に湧き上がるようになっている。つまり強い欲望と同時に、強い不安が同時に湧き上がるようになっている。それに対して、私たちは強い欲望に力を入れつつも、欲望が暴走しないように不安を活用してバランスをとりながら生活を進めていくということだ。どちらか一方に片寄ってはいけない。神経症に陥るということはそのバランスがとれていないということだ。サーカスの綱渡りでいえば、バランスが崩れて地上に落下してしまうということだ。
2017.09.19
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森田先生は「神経質」という月刊誌を刊行されていた。昭和5年から昭和16年まで続いた。森田先生は昭和13年に亡くなられているので、その後は「森田正馬伝」を書かれた野村章恒先生が編集委員として継続されていた。しかし、この雑誌には「神経質」という名前が付けられていたため、読者の中には、この言葉に引っかかる人が少なからずいたようである。名前を変えてもらわないと、恥ずかしくて人前で広げることができない。私も今でこそ神経質性格は宝の山であると思っているが、神経症で苦しんでいたときは、 「神経質」な人だと言われると、そんなことはないといつも反発をしていた。その当時勤めていた会社で、典型的な神経質性格を持った営業マンがいた。その営業マンは神経質性格をプラスに活して、 500名ぐらいいる営業マンの中でいつも10本の指に入る素晴らしい営業成績を叩き出していた。彼の営業スタイルは、得意先から依頼された事項を、細かくメモ帳にメモして、会社に帰ってくるとその依頼事項を丁寧に片付けるというやり方だった。彼は得意先から依頼されたことをそのままにするだけではなく、常にプラスαを付け加えて処理するという主義であった。風貌は標準以下で、言葉遣いもどちらかと言えば乱暴であったが、得意先からの信頼感は絶大であった。彼に依頼しておけば、それ以上のプラスαを加えてお返ししてくれるのでありがたい。そうこうしているうちに、彼の営業エリアには、同業他社の営業マンは寄り付かなくなった。注文が彼のところにばかり流れるので、ほとんど商売にならないのだ。会社では彼のことは一目置かれていて、ボーナスも多く、海外研修旅行も世界各地に出かけていた。そんなトップセールスマンであった彼が最も嫌っていたのが、 「お前は神経質な奴だ」と言われることだった。誰が見ても細かいことを気にしてすぐに大きな問題に発展させてしまう彼を見ていると、まさしく神経質性格そのものだと思う人が多かったが、彼は、自分は神経質ではないと言い張っていた。彼にとっては、神経質な人は根暗で暗い。自分の殻に閉じ籠って、いつもうじうじしている。自分の思っていることの10に1つも言えないしできない人だ。いつも悲観的でネガティブなことばかり言う。先入観が強く、いつも悲観的な決め付けをしている。そんな人と付き合いたいと思う人がいるか。彼にはそんな人間には絶対になりたくないという強い意志が感じられた。さて、私が業務の仕事をしていた頃、女子社員の採用の仕事も任されていたことがある。その時に本社からの指示では、必ずYG性格テストをするようにということだった。そのテストには、神経質な人、明るく外交的な人、物事に積極的に取り組む人など、ある程度の判定ができるようになってきた。本社人事部からは、とにかく神経質な人と診断される人は、最初から除外するようにと言われていた。明るくハキハキとして、電話応対が上手で外交的な人。人間関係にトラブルを起こさないような人。意欲ややる気が満ち溢れてるような人。仕事に対する能力を持ち合わせているような人を選ぶように言われていた。私は森田理論学習を続けており、神経質性格は類まれなる素晴らしい性格であると認識していた。しかし、世間一般的には神経質な人は付き合いにくい人、自己中心的で融通のきかない人とみなされていた。今でも神経質という言葉を嫌い、そういう性格を明るく外交的な性格に変えようと思っている人がいるかもしれない。私は森田理論によって、もともと持っている神経質性格は変えることはできないと学んだ。変えられないことにエネルギーを使うよりも、自分の神経質性格を改めて見直すことが必要だと思う。神経質性格が良くないと言うのは、あまりにも一面的な見方であると思う。よくないと思う面はそのままにして、神経質性格ののプラス面の評価を重点的にして、プラス面とマイナス面のバランスのとれた考え方をすることが必要であると思う。細かいことが気になるというのは感受性が非常に豊かであるということである。文学や音楽や絵画を存分に鑑賞出来るのはこの性格のおかげである。私はクラシック音楽が好きで、交響楽団の友の会にも入っていたし、年末のベートーベンの第九の演奏会にも数回参加した。友人たちにも勧めてみたが、わけのわからないドイツ語をピーチクパーチクと歌って何が面白いのか、と言われた。その手の演奏会に行ってよく思うことだか、時々集談会の仲間に会うことがある。それは同じ神経質性格者として、芸術鑑賞能力がもともと豊かに備わっているということではないかと感じている。私はプロ野球が好きで、よくテレビで鑑賞する。その中でどの解説者の解説が最も適切であるのか、という視点で見ている。すると、バッターの心理状態を細かく分析してくれる解説者がいる。また、ピッチャーの攻め方について的確な指摘をする解説者がいる。そういう人は分析力の能力のある人だということが分かった。人を納得させる分析は、神経質性格でないとなかなかできない。だいたいプロ野球の世界で活躍した人は、大味な人が多い。そういう人の話は、おもしろくない。そういう時はテレビの音声を切って、ラジオの解説を聞いたほうが良いことがある。私が注目している解説者で、広島の前監督の野村謙二郎氏がいる。この人の解説は面白い。それ以外の人の解説は、知識は増えるかもしれないが、あってもなくてもいいような解説ばかりである。これ以外にも、まだ慣れてはいないが、日米で200勝を達成した黒田博樹氏も素晴らしい解説をする。以前の解説者では楽天の監督だった野村さんや元中日の監督の落合さんや巨人の元ピッチャーの江川卓さんの解説が好きだった。江川さんは神経質性格であると聞いたことがある。この人たちに共通しているのは、豪放磊落と言うよりも緻密な理論家といったほうが適切である。人をうならせる解説をする人は、細かいことによく気がつき、大いに気になるという神経質性格を持ち合わせていないとできないことである。そういう人の話には味があり、面白い。共感するところが多く、とっても役に立つ。
2017.07.31
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今日は、青森県のりんご農家である木村秋則さんの紹介をしてみたい。ご存じの方は多いと思うが、映画「奇跡のリンゴ」の主人公であり、 NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で大反響を巻き起こした人である。当時、絶対に不可能といわれた無肥料・無農薬のリンゴ栽培に取り組み、 9年の歳月をかけて成功させた。その間、自分の畑のリンゴは害虫や病気で花が咲かず1銭の収入にもなかった。自殺まで考えたその木村さんが、今や欲しくても容易に手に入らないような引っ張りだこのリンゴの生産に成功したのである。そんな木村さんはどんな人であるのか、とても興味がある。木村さんは前歯がない。入れ歯をすればよさそうなものだが、そういうことには無頓着だ。また木村さんは贅沢とは無縁の人であった。服装などにもこだわらない。畳や襖はもう何年も替えていないらしい。近所の捨て猫を家で飼うので、畳や襖を替えてもすぐに爪を立てられてしまうからそのままにしている。木村さんのリンゴは産地直送だ。断っておくが希少価値が高いからといって法外の値段をつけておられるわけではない。そのための顧客管理のための年代物のパソコンが置いてある。未だにMS-DOSのマシンを使っている。(2008年の取材当時の話)そのパソコンの隣には、注文のファックスが山積みになっている。木村さんはもともと好奇心の強い人であった。小学校の低学年の頃、祖父にせがんでロボットの玩具を買ってもらったことがある。木村さんは家に帰るまでにロボットをバラバラに分解していたという。大人になってからは、使用できなくなったバイクやトラクターは自分で修理して使えるようにした。エンジンの改造などはお手のものであった。そして1つのことにのめり込むと、とことんまで執着するという面があった。無肥料・無農薬のリンゴ栽培の取り組みもその一つである。この点は我々神経質者の手本になるような人である。その日木村さんはとても愛すべきキャラクターを持っておられた。「あっあっあっあっあ」とよく笑う。水戸黄門の笑い方にちょっとだけ似ている。水戸黄門の笑い声から偉そうな雰囲気をきれいさっぱり抜き取って、陽気さを5割増にすると木村さんの笑い声になるかもしれない。次に話が面白い。自分を飾る人ではないので、たいていは数限りない木村さんの失敗談を聞くことになるのだが、イントネーションと話の間が絶妙で引き込まれてしまう。しかも彼の話にはいつもオチがつく。津軽弁の落語を聞いているような感じなのだ。その木村さんは、リンゴの収入が全然ない時、キャバレーで客引き兼ボーイの仕事をされていた。何年も続いている栄養不良のせいか木村さんはガリガリに痩せていた。化繊のセーターも膝の抜けたよれよれのズボンもいつも泥まみれだった。それを1日500円の契約で貸し衣装やから借りた安物のスーツに着替えて仕事をしていた。意外なことに、不思議とキャバレーの支配人やホステスさんにとても可愛がられた。ともに思い通りの人生を歩めないもの同士通じるものがあったようだ。木村さんはそこで無肥料・無農薬のリンゴづくりの夢を語っていたという。いつか成功させるという大きな夢を、ホステスさんたちも一緒になって夢見ていたのである。ホステスさんは、木村さんが夕食も食べずに畑から店に通っていることを知ってからは、交代で弁当を作ってきてくれたという。そこで3年勤められた。退職されたのはリンゴで生活できるめどが立ったからである。支配人からは強く引きとめられたが、意思が固いとみて、 「じゃあ頑張って立派なリンゴを実らせてください」と言って、退職金を50万円包んでくれたという。木村さんの人柄にほれ込むことがなかったら本来もらえるようなものではなかった。リンゴの収入が全くないときに、周囲の人から白い目で見られたのも事実であるが、そういう時にでも味方をしてくれる人が周囲にいたという。まったくの四面楚歌ではなかったのだ。孤立はしていたが孤独ではなかった。電気代とか水道代が払えないときにこっそりと払ってくれた友達もいた。スクラップ屋の主人もそのうち代金を取らないようになった。 「これ持っていけ」と言って、程度の良いエンジンとかをとっておいてくれたりした。お金を借りていた銀行の支店長も、利息だけでも払おうと思って、お金をかき集めて持っていっても、受け取らないことはあった。 「それ払ってしまったら、生活費はなくなるだろう」 と言われたことがあったという。税務署にも赤紙を貼られたけど、課長さんからは、 「いつかあんたの時代が来るから」と言ってずっと励ましてくれた。リンゴがなるようになってからは、近隣の人は木村さんのリンゴ畑の境にあるリンゴの木を全部切り倒してしまった。いやみでそうされたのではない。その方は木村さんのやり方に理解がある人で、 「木村さんの畑に自分のまいた農薬が少しでもかかったら、無農薬が台無しになる」と言って自分の家のリンゴの木を切ったのだ。地元のフランス料理店のシェフは、木村さんの畑にきて、少しでもリンゴが売れるようにと言って、木村さんのリンゴを使った料理を考えてくれた。木村さんは、自分1人で苦労しているようなつもりでいたが、周りで支えてくれる人がたくさんいたので、ここまでやってこられたのだと言われている。実家の両親、婿入りした木村家の義理の両親も反対することなくずっと見守っていてくれた。これだけの人を自然に味方につけていた木村さんはとてつもない人のように思える。木村さんはもともと好奇心と執着性が強い性格の上に、自然や他人に対する絶対的な信頼感を持った人だった。私たち神経質者も、心配性であらゆることによく気が付く、好奇心が旺盛である、生の欲望が強い、粘り強い、人の気持ちが手に取るようによくわかるという優れた特徴をもともと持っている。これらは後から身に付けようと思っても身につくものではない。そのもともと持っている優れた特徴を生かして、存分にそれらを花開かせて生きていけるようになりたいものだ。(奇跡のリンゴ 石川拓治 幻冬舎より引用)
2017.06.22
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世界のホームラン王の王貞治さんが次のように述べている。野球の世界で食べていくためには、ずば抜けたものがあるということが求められる。全部80点じゃダメ。最低 1つは90点、 95点のものがないと生き残れない。だから1つの分野で95点を取れるのなら、他は捨てて、その得意技で勝負したほうがいい。プロ野球の世界は、全員が走攻守そろった選手と言う訳にはいかない。例えば年間ホームラン数が数本でも、守備は一流だとか、バントの名手だとか、盗塁の成功率がずば抜けているとか、それぞれに様々な個性を持っている。もしそれが95点ならば、弱肉強食のプロ野球の世界で生き残っていけるのである。野球評論家の野村克也氏も同じことを言われていた。野球の世界で足が速い、肩が強い、球を遠くへ飛ばすことができるという特技を持った選手がいる。これらは持って生まれた才能であり、いくら訓練しても育たない。また、この3つをプロ野球の平均レベル以上に持っている選手はそうはいない。しかし、他の選手にはないきらりと光るものがあれば、プロ野球選手としてやっていける。半面、 1番厄介なのは、3つの全てが平均点の選手です。どれもそこそこの選手だ。厳しい目で見れば、他の選手と差別化できるものがない。とりえがない選手ということになります。ですから、プロ野球の選手は、自分の劣っている面に焦点を当てて、矯正しようとしたり、能力アップを図り、人に追いつこうとする努力はほとんど無駄な行為なのです。スカウトされてプロ入ってくるような人は、すでにそれなりにある一定の基準レベルには達しています。そういった人の集団の中で生き残って行こうとすれば、自分の得意分野を早く見つけ出し、それに磨きをかけて、監督やコーチにアピールして認めてもらうことなのです。足の速い人は、走力に磨きをかけ、ピッチャーの癖をよく研究して、ここ1番で確実に盗塁を決められるような選手を目指す。肩は強い人は外野に球が飛んできたとき、長打にはしないような返球に磨きをかける。ホームラン打者は三振を恐れずにホームランを狙う。ミートの上手い選手はヒットの数で勝負をする。一般の社会でも同じことが言える。自分は何を伸ばせるかを考え、そこを徹底して磨いていけば、組織の中で確実に重宝される。それも大したものでなくても良い。例えばパソコンの扱いが抜群に手慣れていれば、上司は自分の部署から外したくないと思うだろう。そう思わせることができれば、その人はそれだけリスクを少なくできるわけだ。これを我々神経質性格者にあてはめると、どういうことになるだろう。神経質者は細かいことによく気がつきます。これは天性のものです。また、真面目で粘り強い。物事を細かく分析できる能力がある。好奇心が強く、課題や目標を持って努力することができる。反面、わずかの弱点や欠点を過大視して劣等感を抱きやすい。気になることいつまでもくよくよ悩んでしまう。取り越し苦労をしてしまう。現実離れした理想を抱いて自分を苦しめてしまう。王さんや野村さんの話を参考にすると、神経質者の欠点や弱点を修正しようとするよりも、自分の持っている特徴や能力に目を注ぎ、そこに磨きをかけていく。そのような生き方のほうがはるかに意味のある有意義な人生を送れるのではないだろうか。神経質性格を持ちながらも、神経症に陥っていない人は、会社でも神経質性格をプラスに捉えて、存分にその性格を生かしている人たちだと思われる。例えば周囲の人から依頼されたことを、どんな小さな事でもメモして確実に実行していく。それを積み重ねて信頼感を勝ち取っている。コツコツと長い時間をかけて作り上げてきた信頼感は、組織の中で活かされて絶大な力を発揮している。
2017.05.31
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神経症に陥った人は、悲観的、ネガティブに決めつけをするという傾向があります。うつ病になった人も、「自分はもうダメだ」とか、「これから一生いいことはない」というネガティブな思考ばかりが浮かび、他の可能性が考えられなくなってしまいます。森田では、そのように考えてはいけないとは言っていません。そう考えたなら、それ以外の別な面も考えてみましょうと言っているのです。両面観で物事を見ることはできませんか。物事はすべて両面観でバランスよく見られるようになりましょうと言っているのです。自分はダメだと思っていても、その考え方は偏っており、きっと別の面もあるはずです。自分は神経質性格で些細なことに動揺して、すぐにイライラしてしまうということを考えてみましょう。一面では取り越し苦労が多くて、すぐに不安、不快感で悩まされます。そうでない人を見るとうらやましい限りです。自分もできるものならそういう性格に生まれ変わりたい。変身できればどんなにか輝かしい未来が待っているだろうかと思いがちです。でもそれだけでは片手落ちです。森田ではそのようには考えません。別な面も考えられる人間になれるとよいと考えるのです。さらに多面的に考えられるようになるとなおよいのです。たとえば円錐を正面からだけではなく、真上、真下、斜めからも見るとその形が正確につかめます。一方向からだと、三角や円に見えたりして正確な形をつかむことができない場合があります。神経質者は感性、感受性がとても鋭いという特徴があります。見方を変えれば、元々鋭いレーダーを装備している人間だと思ってはどうでしょうか。最新鋭のレーダーを装備していると、実態がとても鮮明に細かく見えるのです。それは最新式の宇宙望遠鏡のようなものです。宇宙空間に浮かぶハッブル望遠鏡の捉えた宇宙の画面はとても鮮明になっています。今や宇宙の誕生に迫る精度の高さを誇っています。このように性能のよいレーダーはとても役に立っています。ただレーダーやカメラの性能がよくなれば、見なくてもいいようなものまで鮮明に映し出します。同じように感性や感受性が鋭いと、取越し苦労をしたり、いやな思いをすることもあるわけです。でもそれがないと、生命にかかわるような危険なことが察知できないということもあります。事実が分からないと憶測で事実を決めつけてしまいます。想像は事実とは違います。事実を見極めないで行動を起こし、もしそれが間違っていたとすると全くの徒労に陥ってしまいます。高性能のレーダーを我々は生まれながらに搭載している。これは喜ぶべきことだと思います。そしてその使用方法を森田理論で学習して、使いこなすということがとても重要になります。そのための学習単元としては「神経質の性格特徴」「不安と欲望」などです。現実は使いこなせないから、取り外そうとしている人が多いのではないでしょうか。そうしている人は困ったことになります。心配性の性格は依然として存在するわけでが、それを有効に活用することができなくなってしまいます。自己嫌悪、自己否定の負のスパイラルに入っていくようになる可能性が多分にあります。心配性の人は高性能レーダーを使いこなしていくために、森田理論学習をする必要があります。高感度のレーダーで察知したことは忘れないように記録しておく。メモや日記などに書いておく。そして問題点や課題の解決に向かって手足を動かしていく。つまり活用していくわけです。他人の気持ちも手に取るように分かるわけですから、他人の役に立つことも手掛ける。スポーツ、芸術、文化面も鋭い感性を活かして存分に楽しむように行動する。こういう方面に鋭いレーダーを使いこなして行けば自他ともに大いに役に立ちます。
2017.03.29
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集談会に参加して他の人の症状を聞いていたら、自分にもその症状がでてきたといって苦情を言う方がいます。私もそういう経験があります。どもりの人の話を聞いていたら、会社で電話を取ることができなくなったのです。会社名を言う時にどもり出したのです。みんなに電話をとれといわれる前にとらないといけないという思いが強いのですが、どもるために電話がとれないのです。これはつらいことです。そこで行きたくもないのにトイレに駆け込んだりしていました。上司の叱責を恐れてのことです。こうなれば仕事に集中することなんてできません。電話の音にびくびくしているのですから。集談会で相談しました。こんなアドバイスをもらいました。カラオケで歌を歌う時にどもる人はいない。確かにそうです。それはリズムにのっているからだといわれるのです。ですから会社名を言わないといけないということにとりつかれてリズムを失っているのではないか。会社名の前に「おはようございます」とか、「お待たせしました」「お電話ありがとうございます」という言葉をつけたらどうかといわれました。さっそく会社で実行しました。少しうまくゆきだしました。さてここで問題にしたいのは症状が移るということです。これは今まで無意識の領域にあって、ことさら意識していなかったことが、人の話を聞いたことによって、無意識から意識状態にスイッチがオンになったということです。この状態は我々神経質者が常に抱えている問題です。たまたま他人の話がきっかけになっていますが、自分自身で何かのきっかけで意識化してくるということはよくあることです。ですから、他人から移されたといって逆恨みをするのは筋違いというものです。もともと私たちには、心配症でとらわれやすいという特徴があるのです。どんなにか小さなことでもすぐとらわれて不快感、違和感をもちやすいタイプであるという自覚を持つことが大切です。私はこういう性格傾向は決してマイナスばかりではないと思います。心配性という性格は一面であって、その裏にはプラス面がある。人の気がつかないことに敏感に反応する。感性がとても豊かである。つまり創作活動にあたっては欠かせないものを備えているということです。神経質の性格は高性能のレーダーを標準装備しているようなものです。だから見えなくてもいいものが見えてしまう。それを嘆くのはほどほどにして、その鋭い感性を強みとして認識して、いかに活用していくかという方面に力を入れるようにするとよいと思います。
2016.10.21
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高良先生は「性格学」という本の中で神経質性格についてこう述べられている。「第一に内向的性格である。これは自己内省、自己批判が強い性格である。このような人々のすぐれた点は、物事をするのに細心緻密で、用心深く、軽率に流れないことで、道徳的にも優秀であり、信用のおける人であるが、引っ込み思案になってぐずぐずし、決断がつかずにチャンスを逃すようなところが弱点である。また、自己内省に傾くので、自己の欠点、弱点を細かに調べ、それを重大視して劣等感に陥りやすい。そのため行動がにぶることがある。しかし、一方、神経質はけっして単純に内向的であるばかりでなく、これに反発するところの勝気、負けず嫌い、権勢欲、野心などの積極的な協力性の傾向も相当に強いものである。だから、自分の弱点を単純にあきらめることができず、何とかしてこれを克服しようとしてそのために心の葛藤を起こしやすい。神経質は向上発展の欲望が強く、単純な無力性素質者のように、消極的生活に甘んじられないから、神経質的葛藤を起こしやすいが、この葛藤を体験的に破壊すれば、その積極性がよく発現して優秀な素質者になることが証明される。また一般に、この性格者は意識的傾向に富み、知能も一般に普通または普通以上の者に多く、感受性も鋭く、意志も強く、努力家である。」私の性格をこれに照らし合わせてみるとほとんどすべてが当てはまっている。つまり典型的な神経質者である。森田理論学習をされている方もほぼ当てはまっている人が多いのではなかろうか。私はこの中で次のようなことを心がけてきた。まず細心緻密ということであるが、とにかく細かいことによく気がつく。それらをすぐにメモすることに努めた。そうしないとすぐに忘れてしまう。忘れると細心緻密な行動に結びつかない。出来るできないにかかわらず気のついたことはすぐに書きとめる。ストックを沢山ためることに注力した。すると気になって少しでも手をつけるようになった。細かいことが数多く出来るようになると、嬉しいものである。それに伴い注意が内向きから外向きに変わってゆき、神経症が玉ねぎの薄皮をはがすように軽くなってきた。向上発展の欲望であるが、私の場合は、人によい評価をされたいという気持ちがことに強い。といっても特殊な才能や能力があるわけではない。そんな折森田先生の「鶯の綱渡り」という宴会芸のことを知った。そのようなことだったら私も出来るかもしれない。人も喜んでくれるし一石二鳥であると思った。早速アルトサックスを始めた。今は老人ホーム、街のイベント、敬老会等年間30ぐらい出演するようになった。その他、安来節に乗せてどじょうすくい、獅子舞、浪曲奇術、ひっとこおどり、皿回し、しばてん踊り、替歌作り、ユーモア小話作りへと広がってきた。その過程で利害関係のない全く新しい人間関係の輪が大きく広がってきた。今ではこの人たちの交流が、集談会で知り合った人たちと共に、私の人間関係の大きな柱である。メンタルヘルス岡本記念財団の創設者の岡本常男氏は、「10の短所があれば、10の長所があると思いなさい。人生はその長所で勝負してゆきましょう」と常々おっしゃられていた。今しみじみとその言葉をかみしめている。
2016.01.06
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イタリアの映画に「ひまわり」というのがあるそうだ。愛する夫をロシア戦線に連れて行かれて、夫は行方不明になる。はるばるミラノからその妻(ソフィア・ローレン)がロシアを訪ねて探し出す。しかし、その夫は、自分を助けてくれた若いロシア娘と結婚し、子供のある家庭を作っている。妻はこの現実に出会って絶望的な気持ちになって、ミラノに戻る。しかし、夫もかっての妻に対する愛情を失ってはいない。ロシアからはるばるミラノを訪れて再会するが、過去の愛を現在にまた取り戻すにはなかなかむずかしい現実がある。心ならずも二人はまた離れていかねばならない。この映画に感動した小此木圭吾先生は学生に見せた。すると学生の感想はこうだ。「お互いにずいぶん見極めの悪い人たちですね。大体、何年も行方不明になったり別れたりして、一緒に暮らすこともできないような人のことをいつまでもああやって思いづけているなんて、およそ見極めが悪いよ。1年もいなくなったら、さっさと次の人を見つければいいのに、何か見ていて愚かしい感じがしてきてしまいます。」小此木先生は、世代間ギャップを感じてすごい衝撃を受けたそうだ。私も驚きました。そしてこう思いました。初恋の人や生き別れになった人のことをいつまでも思い続けることはすばらしいことではないか。執着性が強いというけれども、確かに私たちのように感情を流すことができずに一つのことにいつまでもこだわるというのは問題がある。でもこういうこだわりはよいのではないか。執着性というのはスッポンのように一度食いついたら離さないことだが、これにもプラスとマイナスの両面があるように思う。これはプラスの面だと思う。これと同じような映画でメリル・ストリープ主演の「マディソン郡の橋」という映画がありました。旅先で出会った人妻を思い続けて一生を独身で過ごす男の物語です。せつない映画ですが人間の人情について考えさせてくれました。小此木先生と同じような感性の持ち主は、神経質性格の「心配性」という特徴を持った人ではないだろうか。心配性というのは、普通の人が感じられないようなことでも、敏感に感じることができる。つまり感受性や感性の強い人である。これは生まれつきのものであって、あとから訓練によって身につくものではない。自分たちは素晴らしい特徴を持っているということに目覚めて、それをさらに磨き上げていくことに力を注いでゆきたいものである。心理学者のアドラーは、「重要なことは何を持って生まれたかではなく、与えられたものをどう使いこなすかである」と言っている。私たちは神経質性格を持って生まれた。これを活かして生きていくしか他に道はない。
2015.11.20
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プロ野球の世界で走攻守のすべてが超一流というのはあまりいない。現在ではヤクルトの山田選手やソフトバンクの柳田選手はそうである。3割、30本塁打、30盗塁、ダイヤモンドグラブ賞の候補である。あるいは三冠王が狙える選手である。でもほとんどの選手は球を遠くに飛ばす力はあるが、足が遅い。守備範囲が狭い。遠投できない。守備はうまいが、打力が振るわない。バントもうまくない。足は速いが、打てない。などと長所短所を備えている。でもそれでもプロ野球選手とて何年も飯を食っていける。それは一つだけでも人よりすぐれた能力があるからだ。ここぞという時に、チームの勝利に貢献できる能力があるからだ。反対に3拍子揃っている選手がいる。そのレベルが普通の選手並みであるとすると1軍に呼ばれることは少ない。まして1軍に定着できる可能性は少ない。落合元中日監督は守って勝つ野球を目指されていた。そんな中で茂本英智選手と岩崎達郎選手の守備力を高く評価されていた。打力は1割台か2割台前半の選手だった。でも守備がすぐれていたため1軍に帯同させて使ってきた。茂本選手は2004年ダイヤモンドグラブ賞を獲得している。特に遠投力に優れており、本塁から110m先の右翼ポールまで到達する力を持っていた。岩崎選手は2010年144試合のうち78試合に出場している。しかし打席は85打席、打率は1割8分3厘だった。それでも井端、荒木選手の控えとして重宝していた。他球団からトレードを申込まれても絶対に出せない選手であったという。年俸をあげて期待と感謝を表明しておられたという。こういう人たちはスーパーサブという。華やかなスポットライトを浴びることはほとんどない。しかし自分の得意なところを磨いてチームに貢献する姿は多くの人の共感を呼ぶ。自分の長所を磨きプロという厳しい世界で生き残ることに成功した人である。私たちもこの姿勢に学んで長所に光を当てたい。幸い私たちは神経質性格を持っており、すぐれた長所をいくつか、もともと持っているのである。長所を伸ばして、短所が自然に引っ込んで目立たなくなっていたという状況を作り出したいものである。ちなみに茂本選手は現在中日のコーチ、岩崎選手は楽天イーグルスに移籍して活躍されている。(采配 落合博満 ダイヤモンド社参照)
2015.08.27
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落合元中日監督は、指導者は選手の欠点を長所に変える目をもって新人に接していくそうだ。ピッチャーでいうとシュート回転の球を投げる選手は嫌われる。右投手なら外角を狙った球が真ん中に寄ってしまう。つまり勝負球が甘くなってしまうのだ。原因としては、指の長さ、太さ、腕の振り方、投球のフォームの癖等様々ある。自分のためにならない欠点や悪い癖は治してやるのが指導者の役割だ。でも指の長さや太さは天性のものでどうにもならない。また、どこか一つ欠点を治そうとすると、肝心の長所まで消してしまうことがよくある。投球フォームを変える。するとシュート回転しなくなったとする。でも欠点は無くなったが、威圧感がなくなる。相手にとって球筋がよく分かるようになることがある。するとコントロールはよくなったが打ち込まれることが多くなる。つまり欠点を修正したおかげで、長所も消えていって並みのピッチャーになったのである。こういう場合は発想を変えるのがよい。真ん中から内角にシュート回転する球は打つのが難しい。外角には変化球を投げる。しいて外角にストレートを投げるときはボール気味に投げる。最初からボールを意識していく。何球かはボールからストライクになるような投球を心掛ける。そのためには針の穴を通すようなコントロールを磨くことだ。欠点を逆手にとって、さらに磨きをかけるのである。考えてみればカープの黒田投手はストレートを投げることはほとんどない。ツーシームを多投する。フロントドア、バックドアと言って、ストライクからボールになる、あるいはボールからストライクになる球に磨きをかけて活路を開いている選手もいるのである。私たちは欠点に目がいきがちであるが、欠点の裏には長所が隠れている。コインの裏と表の関係にあるのである。短所の中に隠れている長所に光をあてて磨きあげる。この態度が欠かせないようだ。(采配 落合博満 ダイヤモンド社参照)
2015.08.26
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将棋の羽生善治さんは、欠点を直すことにあまり一生懸命にならないようにしているそうです。欠点は長所の裏返しであることが多くて、欠点を是正してしまうと長所まで消えてしまうことがあるからです。短所も自分の一部ですから、無理に短所を直すと、全体のバランスが崩れてきます。自分の形や棋風に何か狂いが生じて、調子が落ちてしまうことがあるのです。サッカーの岡田武史さんも、その通りだと言われています。欠点を直したからといって長所が前面に出てくるかというとそうでもない。身体能力が強くて相手に当たり負けしないが、パスはうまくない選手がいるとします。その選手が「今日はパスをうまく出してやろう」なんて色気を出しながら試合に臨むと、必ずといっていいほど、そのパスをミスしてしまいます。すると得意の当たりでも精彩を欠いてしまうんです。勝負ってそういうもので、欠点の修正を入口にするといい結果は出ないものなんです。逆に、その選手が長所である強い身体能力を活かして思いきって競り合いから入っていくと、苦手なパスでもいいプレーをするようになる。長所が欠点をカバーしてくれるんですね。無理に欠点を直すと長所まで損ねてしまうのとはちょうど反対です。短所を無くそうとばかり力を入れてヤスリをかけていると、長所の山も削れてくるのだ。うまくいったとしても特徴のない並みの人間になってしまう。並みの人間よりは、欠点が多いい人間だが持っている長所が光っている方がよい。その方が社会で役立つ。自分も自信を持つことができる。我々神経質者はすぐれた特徴、長所を持っている。反面社交性に欠け、身体能力が弱く、観念的で行動に積極性が欠ける面がある。欠点はある程度改善することが望ましいが、その前に自分の長所を「神経質の性格特徴」で学んで、その方面を自覚することが先である。細かいことによく気がつく、向上心が強い、粘り強い、責任感が強い、分析力がある。これらが神経質者の長所である。これらのうち一つでも活用することができると、その後の人生はそれまでとは全く異なってくる。
2015.06.23
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江戸時代に4つの飢饉があった。その中でも最大の飢饉は天保の飢饉であった。1833年から39年まで続いている。二宮金次郎は所用で宇都宮に行った。そこで食事をとった金次郎は、宿の膳に上がったナスを一口食べて驚いた。まだ初夏だというのに秋ナスの味がする。そこで飢饉が近いことを直感したという。すごい感性である。そこで寛永、享保、天明の飢饉の周期や被害について調べている。また、各地の稲の生育状況などを調べた結果、著しく生育が遅れていることが分かった。凶作が近づいていることを察知したのだ。すぐに凶作に備えた施策を打ち出している。小田原藩などの経済危機を救って、そういう権限を持っていたのだ。平均20%の減税を行い、気候変動に強い稗を栽培させた。その稗を蓄えさせるとともに、ある程度貯蔵ができる芋等の栽培を奨励している。天保の飢饉は7年間続き、全国各地で多くの人や家畜が死んだが、金次郎の領内では一人あたり5俵以上の備蓄があったため、一人の餓死者も出さなかったということである。金次郎のするどい感性が結果的に領民を救ったのである。森田理論では感じから出発して、感じを高めることを重視している。それは感じの中に気づきや新たな発見があるからである。それに沿ってやる気や意欲が出でくるのだ。人から強制されて行動するのと違い、自ら行動を起こすようになると生きがいが持てるようになる。この感じというのは、最初の感じがとても大切である。最初の感情を受け取って素早く反応することが肝心である。そして一つの感情にいつまでもとらわれないということも大切である。不快な感じ、怒り、不安や恐怖の感じは扁桃体で受け取るといわれている。扁桃体からはストレスホルモンを出して海馬などと連携して情動として出力して対応を指示している。ところが長期間不安な状態や極限状態にさらされるとストレスホルモンの働きが弱くなってくる。これは神経質者が陥りやすいことで特に注意が必要である。不安が慢性化すると扁桃体はまったく機能しなくなる。例えばゼブラフィシュという小魚を、天敵であるリーフフィシュと同じ水槽に入れる。最初はさかんに逃げ回っているそうだ。ところがしだいに動きが悪くなる。最後にはもはや動こうとはしなくなる。簡単にリーフフィシュの餌食になってしまう。これはストレスホルモンが過剰に出た結果、脳の委縮や破壊が起こり、意欲や行動がなくなってしまったのである。ここから学ぶことは、私たち神経質者は元々素晴らしい感性を持っている。天性で与えられているものである。その感性にさらに磨きをかけていくこと。そして十分に活用していくこと。また一つの不安、恐怖、不快感にとらわれるのではなく、行動によって新しい感情を次から次へと作りだしていく。その時々の感情の流れに乗ってどこまでも自然体で生きていくこと。こういう方向で感情とつきあっていくことではなかろうか。
2015.06.16
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北野武さんの話です。芸人の資質として、舞台に立っている自分がいて、もう一人の自分が客席にいないような芸人は駄目なんだよね。よくあるのは客がノってくると、自分も一緒になって興奮しちゃう芸人がいるんだけど、それは違うんだよね。客がノってきたのが分かって、客席に自分がいてノった自分を見ている。ノっているんだけど、それは冷静にのったふりをしている。役者でも、カメラの横に自分を置いて演技するっていうのがない奴は全然駄目。自分の演技を客観的に見られないから、自分が形だけで演技しているから分からないんだ。例えば、一番難しいのは普通に歩くことなんだけど、役者を歩かせて「手の振りがちょっと小さいんですけど」というと歩けなくなったりする。ヤクザ役の人に、ポケットから手を出して演ってというともうできなくなる。北野武さんはおもしろいことをいう。よく観察して、物事の本質を掴んでおられるようだ。これは森田では自己内省性という。森田では我々神経質者は、自己内省力が強すぎて本来外へ向かうべき注意が自分の身体や心に向かい、精神交互作用で神経症へと陥ると学んでいます。つまり我々の場合は自己内省性がマイナスに出ているのである。でも北野武さんは、芸人は客観視、自己内省性のない人は大成しないと言っている。自分の演技を冷静に見つめて、さらに高めていこうとする人でないと伸びてゆかないと言っているのです。漫才をしていて客が大笑いをしてくれると、客と一緒になって一喜一憂しているとそれだけのものだ。さらにギャグを飛ばして、大きな笑いの渦を巻き起こすことはできない。自分の演技に自己陶酔するだけのキレを持つことはよいのだが、同時に自己内省がないと反省することがないので芸はそこで止まってしまう。つまりその芸人は伸びてはこない。この考え方は森田理論の欲望と不安の関係についても言えることだ。森田ではどこまでも生の欲望の発揮に邁進しなさいと教えてくれています。でも欲望に任せてどこまでも物欲を追い求めること、食べ物を世界中から買いあさることは極めて深刻な問題を表面化させる。だから自己内省力が働いて欲望は制御してしかなければいけないということである。常にバランスを取りながら前進してゆかないといけない。欲望はほどほどに抑制していかなければ、我々の生命の存在が危ぶまれるということである。欲望の発揮は自己内省力で制御する。そしてバランスや調和のとれた生き方を目指すということが基本である。人間はともすると欲望が暴走しやすい。今の世の中の問題は欲望の暴走のなれの果てと見ることもできる。森田理論をよく学んで調和のある生き方を目指してゆきたいものである。
2015.02.22
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神経症の人は自己否定に陥っている。これを自己肯定に変えることは重要である。このヒントを得た。その本は、「自分の「うつ」を治した精神科医の方法」である。(宮島賢也、河出書房新社)105ページ参照。ちなみに宮島医師は薬を使わないでうつ病を治しているという。You Tubeでも何回も動画で話をされているので関心のある方はご覧になることをお勧めします。宮島医師はアファーメーション(肯定的自己暗示)を紹介されている。これは肯定的な言葉を何度も唱えることによって潜在意識に働きかけようとするものです。人間には潜在意識と顕在意識があります。このうち私たちの思考や言動にどちらが大きな影響を与えているかというと、潜在意識のほうである。例えば「明日からは、人を批判することはいわない」と誓うのは顕在意識の方ですが、現実にはつい批判的な言葉がでてきます。これは潜在意識が変わっていないからです。人は潜在意識が変わると、本当に変わることができると言われています。どうすればよいのか。難しい事ではありません。朝起きた時、肯定的な言葉を嬉しい言葉で唱えればよいのです。朝目覚めたときには、顕在意識の縛りが外れているため、潜在意識に働きかけやすく、潜在意識に言葉が入りやすくなっています。昼間、うとうとしたときもそうだそうです。こういう時に肯定的な言葉を一人ごとで唱えればよいというのです。潜在意識は3週間で変わります。宮島医師はこれを毎日実践して半年後には、自分大好き人間に変わったと言われていました。さらに自分の思いが潜在意識に刷り込まれて、それが固定化されるまでには100日かかると言われています。3カ月とちょっとですね。これを神経質者は試してみる価値はありそうです。私が考えた自己肯定の言葉は次のようなものです。参考にしてください。これは神経質性格を持っている人は誰にもあります。分からない人は森田理論の「神経質の性格特徴」を学習してみてください。1、私は人に比べて感受性がとても豊かである。人の気持ちもよく分かり、音楽などの芸術もより深く味わうことができる。2、「すっぽん」のように粘り強い。食いついたら絶対にあきらめない。今までも何回もトライアスロンで完走もしたし、難しい国家試験にもいくつも合格を果たした。3、好奇心がとても旺盛だ。そのおかげで退屈することがない。いろんなことに挑戦して人生を楽しめる。ボケになることは考えられない。楽器の演奏、獅子舞、どじょうすくい、浪曲奇術、ものまねなどの芸でみんなを喜ばすことができる。4、細かいことによく気がつく。用心深い。問題点等を細かく分析して事前に手を打てる。分析力やまとめる力があり1時間程度の講話をこなすことができる。また本も2冊ほど執筆した。またこのブログもほぼ毎日続けている。用心深いのでサギに遭わず、大きな病気や自己破産には至らないで済んでいる。5、責任感が強く、コツコツとなんでも真面目に取り組むことができる。宴会の幹事を何回もしてみんなを喜ばしている。大きな催事を何回も企画してほぼ成功させてきた。これを壁に貼って朝一番朝日を浴びながら唱えてみることにしました。果たして自分大好き人間に変身することができるかどうか。検証してみたいと思います。皆さんもそれぞれに肯定的な自分の長所や強みを書き出してみられては如何でしょうか。
2014.12.31
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長所は見方を変えると短所ということです。短所は長所に早変わりします。私の以前の職場に石原軍団の俳優さんのような人がいました。髪型がほれぼれするように格好いいのです。また性格も柔らかく、やさしくて誰からも好かれるような人なのです。特に女性によくもてる人です。すぐに深い仲になるのです。どうして次から次へと彼女ができるのだろうと思っていました。でも反面、結婚していても愛憎劇を繰り返していました。そのせいか彼は3度離婚していました。最初の人とはスナックで知り合ったそうです。1人子どもがいます。3度目は2人子どもがいます。どうも今は別の人と同棲しているようです。うらやましい限りです。でも最近連絡をとってみると生活保護を受けて生活しているというのです。アトピーと喘息で働くことができないというのです。また彼はパチンコ好きで、女性とお金にだらしないところがあるので、昔の男性仲間からのお誘いがなくなったようです。私も今度また飲もうねといってそれきりです。私は彼とは反対に、そういう気持ちはかなり強いところがあるのですが、容姿が悪いのと、社交性がないのでからきしだめです。でもそのおかげで、否応なしににセーブがかかり、無難な老後を迎えることができたのではないかと思っています。今になって思えば、短所が幸いしたなと思っています。要するに短所と長所は見方を変えれば容易に入れ替わるのです。話は変わりますがデルというパソコン販売の会社があります。格安パソコンを販売しています。格安で販売できるのはインターネットを使って消費者に直接販売しているからです。大手電機店は販売チャネルを確立しており、そのための経費は莫大なものをかけています。従業員を簡単に解雇することもできず、インターネット販売の時代になると価格面で大きな足かせとなっています。昔の強みは、いまや弱みになっているのです。逆に販売チャネルを持っていなかったデルは大きな強みを発揮しているのです。また最近店舗や行員を持たないネット銀行というのがあります。貯金をした時、金利が多少高くなっています。また保険業界でも、通販の生命保険や自動車保険を手掛けている会社があります。自動車保険など車両保険をつけてもかなりの格安となっています。これらも店舗を持たない、勧誘員を置かないのが逆に強みとなっているのです。特に外資系保険会社は攻勢にでています。我々は心配性であると悲観しますが、逆な面で見ると豊かな感性の持ち主である言えます。それを仕事や人づきあいなどに活かしてゆけば、他の人と差別化できる長所に早変わりするということはしっかりと認識しておきたいものです。
2014.12.13
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藤原正彦氏は「国家の品格」の中で面白いエピソードを紹介している。イギリスのサムソン夫人の話です。イギリスの庭師の場合、「楓を庭のあそこに植えてくれ」と注文すると、言われたところに穴ぼこを掘って、楓をポンと植えて、お金をもらって帰ってしまう。ところが日本の庭師の場合、まず家主の言うことを聞かないという。あそこに植えた方が良い、などと逆に提案してくる。そして1本の木をあらゆる角度から眺め、庭師自身もあっちこっちに立ち位置を変え、目を丸くしたり目を細めたりして、散々見た後、もっとも美しく、もっとも調和のとれたところに、弟子たちに身振り手振りで指示を与えて植えさせる。日本の庭師というのはオーケストラの指揮者のようだ。「みていてわくわくする」日本人の繊細な美的感受性に感動しているのはサンソム夫人だけではありません。藤原氏もイギリスの大学の教授を家に招いて食事をしていた時にこんな経験をされています。時期は秋で、網戸の向こうから虫の音が聞こえてきました。するとその人が言うには、「あのノイズはなんだ」というのです。我々にとっては心地よい虫の音ですが、外国の人にとっては雑音なのです。日本人のように移ろいゆく季節に、無常なはかなさを感じるという感覚は持ち合わせていないのです。「古池や 蛙飛び込む 水の音」という芭蕉の句があります。日本人なら森閑としたどこかの境内の古池に、蛙が1匹飛び込む光景をイメージすることができます。そこに人生のはかなさなどを連想することができます。ところが日本以外の多くの国では、古い池の中に多くの蛙がドバドバと飛び込む光景を想像するという。風流な感覚を楽しむという気持ちはさらさら持ち合わせていないのである。この句を聞いて、それでどうした、その続きの話をしてくれというのだそうだ。この話から考えられることは、日本人はもともと鋭い感受性を持った人間なのだということです。そういうDNAを受け継いでいる。鋭い感受性というのは神経質者の大きな特徴です。神経質者は日本人の豊かな感受性を持ち合わせているその頂点にいるようなものです。芸術や文学、人の気持ちを思いやる素晴らしい感性を持ち合わせているということです。これは生まれながらの天性の物であり、あとから獲得できるものではありません。私たちはそのことをよく自覚する必要があります。そしてその特徴を活かしていく。それを生活の中に取り入れて、生活を楽しむ。豊かにしていく。さらに磨きをかけていく必要があります。これが神経質性格を活かすということなのです。そこにこそ力を入れる必要があるのです。
2014.12.12
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我々は心配性です。普通の人が感じないようなちょっとしたことが気になります。それは裏を返せば感受性が強いということになります。心配性を逆手にとって生活を楽しんでいる人がいますのでご紹介します。この方は「ビールをいかに美味しく飲むか」を実践されています。のどが渇くと格別においしく感じるという生理現象うまく利用して、仕事から帰っての晩酌のビールに焦点を合わせて、いかにのどを渇かして家に帰るかが、実践の最大のポイントであるといわれています。会社では、支給のお茶以外はひかえるということはもちろんですが、とにかく、体を動かす雑事があれば、喜んでやっております。なにしろ、のどを渇かすことを目的に働いておりますので、動くことは苦になりません。会社や役所に出向いたときなどにエレベータは使いません。階段を上り下りしています。またこの実践は尻軽く動くことで、結果的に人のために尽くすことにもなり、運動不足の解消にも役に立つという思わぬ副産物もあったりして、自分では大変気に入っております。このように活動して飲むビールはとてもおいしいものです。特に一杯目のビールは美味しい。なお晩酌はどんなに欲しくなっても1本までと決めております。明日の楽しみを残しておくためです。この話は、中東の砂漠に住んでいる贅沢三昧の富豪のこんなエピソードに重なります。「美味しいものはなんでも飽きるほど食べている。もっとおいしいものを食べたい。何かないのか」取り巻きの人が「分かりました。それを用意しましょう。その前にラクダにお乗りください」炎天下の砂漠のもとで半日動き回りました。その後たったコップ一杯の水を与えられました。その水を飲んだ富豪が言うには「こんなにうまいものがこの世にあったのか」我々の感受性をもっともっと高めるには、ほしいものを少し我慢すれば可能になります。そうすれば、我々に備わった鋭い感受性という長所は、増々磨かれていくということです。
2014.11.12
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森田では自分の長所を自覚して、その長所で勝負しなさいと言われます。古田敦也氏は、野球では一つの長所だけで勝負することは、負けを意味するといわれています。たとえば150キロの球を投げるピッチャーは、これを伸ばして155キロ、160キロに伸ばしたいと、そればかり練習するんですね。でも人間には限界があります。しかも、155キロ投げられるようになっても、力んでコントロールが悪くなっては全く意味がない。またプロのバッターにしてみれば、155キロのストレートが来ると分かっていれば打ち返すことができる。自分が自信を持っている球を打ち返されると少なからずショックを受けてしまうのです。次に投げる球がなくなってしまうのです。そういう人は、第2の長所を伸ばすことに力を入れるべきです。たとえば自分がコントロールしやすい変化球をマスターすることです。ストレートが145キロに落ちても、コーナーにきちんと決まったり、変化球があることで相手を抑えることが出来るのです。バッターにしてみれば、見え見えの155キロのストレートよりも、狙いが絞れない145キロの方が圧倒的に恐ろしいのです。このことは森田理論ではどう考えたらよいのでしょうか。例えば神経質者は心配性だから、いろんなことが気になります。普通の人が見逃すようなことに対していろいろと気づきがあります。ただ思っただけでは、その気づきや発見、アイデアはすぐに忘却の彼方へと飛んで行ってしまいます。すると長所は全く生かされません。それどころか、心配性が裏目に出て、注意が自己内省に向かい、自己嫌悪するようになります。いろんなことに敏感に反応するというのは我々の最大の長所なのですが、その長所を活かすためには、その気づき、発見、アイデアをきちんとキャツチするという作業が必要なのです。すぐにメモしたり、ボイスレコーダーに記録して残す必要があります。そして次に、気づきなどを行動・実践に結びつけていくという作業が待っています。対象物に向かって働きかけることです。このように気づきの発生は、その気づきをすかさずキャツチする。そして行動実践に結びつけるという一件の流れの中で初めて生きてくるのです。気づきそのものが長所となるわけではありません。それはただ単に心配性なだけです。これ以外にも、我々には、思慮深い、分析力があり、多方面から検討できる。好奇心が強く、夢や目標、課題を設定できる。粘り強くあきらめないで行動できる。等のきわめてすぐれた特徴があります。これらを単独ではなく組み合わせることによって強大な力を発揮するようになるのだと思います。(「優柔決断」のすすめ 古田敦也 PHP新書参照)
2014.11.08
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ついにやってきたという感じです。投稿回数1111回です。一般的には1は縁起がよいと思っている人が多いようです。私は一番嫌いな数字です。本を読んでいてもどうしても111ページは気になります。注意を向けているから、そのページに近づくとますます気になります。だからそのページになると急いで読みます。途中中断するときはページ数を確かめて111ページでないということを確認してから中断しています。これは肉親の不幸が1月、11月、11日に重なっていることから始まりました。さらに追い打ちをかけたのが、世界貿易センタービルで起きたテロです。9月11日でした。さらに東日本大震災です。3月11日でした。好きな数字は7です。ところが集談会で、この7という数字が一番嫌いだという人がいました。人それぞれです。位牌の文字数が7文字だといわれるのです。その人は神仏恐怖の方でした。私はその方の話を詳しく聞きましたが、それにとらわれることは全くありませんでした。今でも7という数字は、ラッキーセブンです。その他4219、3396、4989なども嫌いです。暗証番号には敬遠したいです。「死に行く」、「散々苦労する」、「四苦八苦」と重なるからです。この数字は人に教えてもらうまで意識しませんでした。ある人が言うには4219というナンバーを付けた車には不幸が起きるというのです。それからは車を買い替えるときは、あらかじめ4219、3396、4989の番号でないものをつけてくださいとお願いするようになりました。もっとも4219という車番を出すことはないと販売会社は言っていました。そういうわけで、1111回投稿は、この原稿をもってクリアさせていただきたいと思います。笑ってやってください。
2014.10.09
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このたびのワールドサッカーブラジル大会で、日本人が試合に負けたにもかかわらずゴミ拾いをしていたというのが話題になりました。しかし国内では空き缶や食べ終わった弁当などのごみを平気で車外に捨てる人がいます。タバコの吸い殻を道端に捨てる人もいます。ガムをかんだあとそのまま吐き捨てる人もいます。テレビや冷蔵庫など電気店に引き取ってもらうとリサイクル料を取られるので山に捨てに行く人がいます。富士山は世界遺産ですがある人に言わせるとゴミの山だといいます。エベレストも日本人登山家の残したごみでいっぱいだそうです。アルピニストの野口健さんは、富士山、エベレストの清掃活動に取り組んでいるそうです。この違いは何でしょうか。私は自己内省力があるのか無いのかの違いだと思います。ごみを捨てることに対して胸が痛む。罪悪感が湧き上がる。そういう気持ちになる人はごみを必ず持ち帰ります。テレビや冷蔵庫はリサイクル料を払って引き取ってもらいます。実は、自己内省力というのは、森田理論が役に立つ人かどうかを見極めるうえで大切な要素となります。生の欲望が強いかどうかとともに、自己内省力が強いというのが森田適応者となります。またこの自己内省力は、後から身に着けようとしても決して身に着けられるものではありません。これが大きな特徴です。自己内省力は両面観でみていく必要があります。本質的には欠点、弱点、ミス、失敗などがあると責任を外部に求めていいわけをする人ではありません。自己分析をして自分に落ち度があったのではないか、何か自分のやり方に問題があったのでないかと納得するまで考えられる人です。他人に責任転嫁をしないで、自らを変革する力を内包しているのです。自己内省力を活かせば、何事も細かく分析して本質に迫ることができるのです。世の中のために大いに役立つ資質です。しかしこれが度を過ぎると、すぐに不快なことから逃避したり、自己嫌悪、自己否定に陥ってしまうのです。そして無気力になり、人を避けるようになります。これは行き過ぎです。神経質の性格特徴では自己内省というのが出てきます。自己内省というのはそれ自体素晴らしい性格ですが、行き過ぎは自分を苦しめるものだということをしっかり学習していただきたいと思います。
2014.08.24
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桑田真澄氏は巨人に入団当初実にホームランをよく打たれた。このことに対して次のように語っている。「打たれてみないと、なぜ打たれたかがよく分からない。あそこに投げたから打たれた。その経験がないと思い切って勝負はできないのです。ホームランを打たれるのは不快な経験ですが、その貴重な経験を次に生かせればよいのです」つまり打者というのは、このコースに投げると必ず振ってくるというポイントがある。桑田氏はその近辺に投げるのだという。以前にホームランされた球種、コースは自分でもよく覚えている。今度も同じ球種、コースに投げることがある。その時はスピードに変化をつける。1キロ速いか、遅いかによってタイミングはずらせる。また、数センチ球がホップするか沈むか変化をつける。あるいは球一個分ずらす。微妙な変化をつけるのです。打者はヒットゾーンの球は高い確率で打ちに来る。そうすれば打ち取れる確率が強くなるのです。私はそういう勝負を仕掛けているのです。これを仮にカーブを投げるとします。桑田氏は大きく曲がるカーブを持っていた。ところが打者が振ってくれない。また、ギリギリのところを狙っても、審判はそういう球に目が慣れていなくて、ボールと判定されることがある。ストライクともボールとも取れる球をすべてボールと判定されると、審判に腹も立つし、自分の投球にも狂いが生じてくる。フォアボールを連発して自滅することがよくあるのです。これはコントロールのいいピッチャーでないとできないことである。幸い桑田氏はコントロールがよかった。江川投手のように体格的には恵まれていなかったが、クレバーなピッチャーであった。打者と駆け引きができたのである。これは森田理論と関係のある話である。桑田氏は長所の近くに短所がある。短所の裏に長所が隠れているという。だから打たれそうなところにも思い切って勝負できたのである。ピッチャーというのはある意味心理学者のような面がある。それを理解して投球している人が何人いるだろうか。桑田氏は失敗やミスをしても必ず次に活かしている。我々も学びたいところだ。我々は失敗やミスをすぐに隠そうとする。すぐに逃げる。そして自己嫌悪や自己否定に走る傾向がある。失敗やミスは成功のための用心である。失敗やミスの数が多いほど経験が蓄積されてくる。失敗やミスのおかげで精度が高まり、精練されてきて、立派な仕事に結びついていく。自分の欠点、弱点、ミス、失敗をユーモア小話として提供できるようになると神経症から解放されるだろう。
2014.07.26
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インターネットで「じじや」を見てほしい。門司港で昭和45年から操業している魚の干物を作っている。思わず買ってみようかという気にさせる。ここはかっては借金に苦しんでいたことがあった。門司は下関と目と鼻の先だが、下関のフグのようなブランド力は何もない。さらに干物は日本一の生産地である静岡県をはじめどこでも作っている。最初から負け犬根性が染みついていたのだ。おいしいといわれる干物を作っているにもかかわらず、自己否定していたのです。つまり自分の強み、自分の長所は何もない。他と差別化できるものは何もないと思っていたというのだ。何をしても他と太刀打ちはできない。細そぼそとやっていくしかない。そんな時経営コンサルタントの人たちと話をしていた時、自分の強みに気づいたそうです。それは魚を開いてつけるときに使う漬け汁でした。「塩汁」というそうです。漬物でいう「ぬか床」のようなものです。「じじや」は、創業昭和45年以来のものを継ぎ足しで使っているそうです。魚のエキスが充分に染み込み、とてもうまみのある干物ができるのです。これは長い伝統を持つ門司地区の水産業者でも、これほどの塩汁を持っているところはないぐらい貴重なものです。これが味の違いを生み出していたのです。これほどの特徴、強みを持っているにもかかわらず、自分では気が付かなかったというのが不思議です。神経質な人も、感受性が強い、粘り強い、分析力がある。用心深いなどの長所があります。この世の中に多大な貢献をしているのは、そうした神経質性格の持ち主なのです。しかし神経症に落ち込むと、そんなことには目もくれず、心配性でちょっとしたことを気にやむ。とらわれやすい。そんな自分の欠点や弱点にしか目が向いていません。森田理論学習では、欠点や弱点があると、その裏にそれに見合うだけの長所や強みがあるといいます。欠点や弱点が大きければ、逆に長所や強みは大きいといいます。欠点や弱点は長所や強みを鍛えたり伸ばしていく中で、次第に目立たなくなっていくものだという考え方です。
2014.06.30
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宮大工の菊池恭二さんという人がいる。菊池さんは、木はそれぞれ強烈な個性をもっているという。檜は丈夫で癖がなく木肌はつやがあり美しい。香りもいい。何より耐久性に優れ、腐りにくく長持ちする。害虫にも強い。このため柱や梁や桁、土台など構造材には最適です。ただ成長が遅く、用材しては高価になります。欅(けやき)は、固くて強い木です。檜よりも堅い。それだけに加工するのがとても難しい木です。狂いも少なく、耐久性、耐水性、耐汚性に優れている。植林できないのでとても高価です。樫も非常に硬い木ですが、建築用材としてはあまり使いません。加工がしにくく、乾燥しにくいためです。カンナの台にするにはもってこいの木です。檜葉(ひば)は、殺菌効果の高いヒノキチオールを多く含むため、木を腐らせる腐朽菌に強い。ヒバ普請の家は蚊が寄り付かない。白アリに強いなどの特徴があります。強度も檜なみ、耐水性は檜以上です。杉は檜ほどの強度はないが、それなりに水にも強く、木目がまっすぐにとおっていて加工しやすい。大量に植林されているため安く手に入ります。松は、固くて曲げる力に対して強く、耐久性もあるので梁などに使われてきた。マツヤニをだし、腐りにくい。耐久性、耐汚性に優れ、線路の枕木などに利用されてきた。このように木は、それぞれ強烈な特徴を持ち合わせています。その上で、同じ木でも育った場所によってそれぞれ違う個性を発揮する。山の南側、北側、谷、峰などどの場所に育ったのか。成育環境の違いによって、右にねじれたり左にねじれたり、節が多かったり少なかったり、柔らかかったり硬かったりする。宮大工の大切な仕事の一つに、その癖を見極め、建物のどの部分にどう使うか決めていくことがあります。温度や湿度の変化によって木は曲がったり割れたりします。木は暴れるのです。これを木癖と言います。木癖を無視して、たとえば、右にねじれる木ばかりを組み合わせたりすれば、建物は右にねじれてしまいます。これを防ぐには右にねじれる木と左にねじれる木をうまい具合に組み合わせて、ねじれの力を相殺してやる必要があります。木癖を読み切り、適材適所にあてがうことで、建物の歪みを防ぐとともに、長年の風雪に耐ええる堅牢な社寺建築を実現するわけです。それが宮大工の技です。これは人間にも同じようなことが言えると思います。同じ親から生まれ、同じ親に育てられても、兄弟姉妹それぞれに顔かたちも違うし、独特な個性を持っています。ましてや違う親から生まれた他人は、気質など大きく違うのが当然です。森田先生は全集5巻で人間の気質を7つに分類されていました。神経質性格の人とそれ以外の人とは水と油のようなようなもので、決して混ざり合うことはありません。我々は、自分の持って生まれた独特の特徴や個性を早く自覚する。森田理論の神経質の性格特徴を学習すればそのことはよく認識できます。そしてその特徴や個性を磨いていく。最終的には自分自身をを活かし尽くす。高め尽くす。またそれぞれに違う他者の特徴や個性を認める。互いに受け入れて互いに活かしあう。そういう人間関係を目指していく。宮大工の菊池さんは、ないものを求めるのではない。あるものを見つけ出して、活かしつくすことの大切さを教えてくれています。これは森田でいう唯我独尊の考え方と同じです。(宮大工の人育て 菊池恭二 祥伝社文庫参照)
2014.06.24
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人間は生まれた時はみんな自己肯定感を持っています。それなのに歳を重ねるにしたがって、だんだんと自分に自信が持てなくなり、自分を前面に出して好きなように生きることができなくなります。これはなぜなんでしょうか。最初は、幼稚園などの集団生活の中で、「ありのままの自分が受け入れられなかった」という体験をすることです。さらに親や先生たちから、これはダメ、あれはダメと社会のルールを徹底的に仕込まれてきます。すると子供たちは次第に自分のやりたいことを、ストレートに出してはいけないのだと悟ってきます。自己肯定感が少しずつ歪んでいくのです。この時小さな子度たちは小さな傷を負うことになります。そしてその傷がいえないうちに、また次の「否定された」という体験を重ねて、どんどん自己肯定感が低くなってしまうのです。人間社会の中で安全に暮らしてゆくためには、最低限の社会のルールに従うことは必要不可欠だと思います。しかし、自分の感情、気持ち、思い、欲求、意志、希望、夢を封印してまで社会のルールに従う人間をつくりあげてしまうというのはどうでしょう。最初に生まれた時は自己肯定感が100%でした。それを社会に適応させるために削られてきました。それが50%ぐらいで止まり、自己肯定感との調和がとれた人間に育つという感覚が大切なのではないでしょうか。そのために優先することは、いつも自分の感情、気持ち、思い、欲求、意志、希望、夢を大切に育むことだと思います。親は子育てするにあたって、それらを優先していくことです。社会のルールは必要最低限に抑えていくという視点を持つ必要があります。これらは学習し意識しないと流されてしまいます。そうしないと他人の目にいつも怯えてしまう、神経症に陥る人間を作ってしまいます。不幸にしてそうなった人はどうすればよいのでしょうか。自己肯定感をはぐくんでいくことだと思います。自己嫌悪、自己否定感が100%の人はまず10パーセントを目標に自己肯定感を取り戻しましょう。私は森田理論学習の「神経質の性格特徴」の学習が役立ちました。性格には両面性があるという学習です。何事にも過剰に反応して心配してしまうという反面は、鋭い感受性を持っているのだということには驚きました。芸術の分野で活躍できるのも、人の気持ちを細かく思いやることができるのも神経質性格を持っている人だからこそできることだ、という視点に励まされました。そして次にはトライアスロンに挑戦しました。それから宅建、社会保険労務士、行政書士、ファイナンシャルプランナーなどの国家資格取得に挑戦しました。私には瞬発力はありませんが粘り強く、コツコツと努力を重ねるということは得意です。さらに森田先生に学んで一人一芸を4つほど持てるようになりました。これらの挑戦は、やればできるという自信が湧いてきて、自己肯定感の養成に役立ってきたように思います。皆さんも神経質性格を活かすということで、自己肯定感を少しずつ取り戻してみませんか。
2014.04.08
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学校に行っていたとき勉強もよくできる、容姿も申し分ない、運動もよくできる、歌や楽器の演奏もうまい。明るく元気で、みんなをよく笑わせてクラスの人気者である。家庭も裕福である。そんな人が一人や二人はおられたかと思います。すべての面で人より優れているのです。平均点以上の人です。私はそんな人のいいところと自分の劣っているところを比較して、劣等感に陥っていました。でも普通は、いいと思うところもあれば、弱点や欠点もあって釣り合いが取れています。「やじろべい」のバランスということから考えてみると、プラスとマイナスがあってそれが釣り合って調和がとれているということです。世の中のバランスは大体そうなっています。すべてがオール5というような人は、多方面に優れているので、自分の進路や仕事の選択に迷うのではないでしょうか。また、これで失敗してもまだ次があるということで、真剣になれないこともあると思います。選択するということは、未練のあるもう一つの方向をあきらめるということです。つらい選択ですが、自分の人生にとっては必要なことです。日ハムの大谷選手なども二刀流といわれていますが、早く一本に絞ったほうがいいのではないのかと個人的には思っています。プロ野球の元楽天の監督の野村克也氏は、プロ野球の選手で走攻守の3つがすべて平均以上という選手はそういるものではない。ましてや、すべての面で超一流の素質を持っている人はめったにいない。またかえってそういう平均的な選手というのは、プロでは使いようがない。それよりも、粗削りだが、これはと注目できる一点を持っている人ほど将来性がある。プロで飯を食っていける可能性がある。つまりどうしようもないものを持っているけれども、何か光るものを持っている凸凹の人が活躍できる可能性がある。そういう個性的な人がよいといわれています。その差が大きく、そしてバランスが取れているということが大切だということです。こうしてみると大きな弱みや欠点は、その裏に大きな強みや長所があるということです。自然にバランスが取れているのです。それを発掘して磨きをかけて生きてゆけばよいのです。これを反対にとって弱点、欠点を無くしていくことに注力すれば、強みや長所はどんどん失われていくのだということをよく認識したいものです。
2014.01.20
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私たちがいかに認識の誤りにとりつかれているか。「答えはいつも自分の枠の外にある」から探ってみよう。人差し指を立てて、頭の上でヘリコプターが旋回しているように、時計回りに円を描いていてください。次にそのまま、ヘリコプターを下げてみましょう。顔の前まで下げましょう。円は時計回りに回っていますね。さらにおへそのあたりまで下げてみてください。すると時計回りに回っているはずのヘリコプターが、反時計回りになっている事に気がつくと思います。これはどうした現象か。簡単なことです。最初時計回りに見ていたのは、下から上を見ていたのです。同じ動きを上から下に見下ろすと、逆に見えるということなのです。神経質な人というのは、普通会社では敬遠されます。私も会社で女子社員の採用の仕事をしていたことがあります。今はどうかわかりませんが、面接の前に性格テストをしていました。これははっきり言えば、神経質性格の人を選り分けて落とすためのテストです。外向的な人と内向的な人ははっきりと分かれます。内向的な人は会社ではマイナスになるといわれていたのです。実は私もこのテストを受けたのですが、このテストでは自分の反対に思ったところに丸印をつけていたのを思い出します。それでなかったらふるい落とされていたでしょう。今はこんなふうにして人間を良し悪しの価値判断をするのは間違っていると思っています。それは森田理論学習の、神経質の性格特徴の二面性を学習して初めて分かりました。一番肝心なことは神経質性格の良い面を見て、実生活で生かすことができるかどうかだと思っています。偏った見方は自分を苦しめるだけです。一事が万事、物事は一方向だけの見方は間違いにつながります。反対の見方も取り入れることによってはじめて、正しく見えるということになります。森田理論学習では両面観の学習です。私たちは、これが間違いないと確信を持っていても、それは自分がそう考えているだけで、実際はそうではないということはよくあります。皆さんもそうした経験を思い出してください。神経症で苦しんでいる人はこうした認識の誤りはよくあります。集談会などで認識の誤りに気がつくことが大切だと思います。
2014.01.04
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本多信一さんは若いころ劣等感で悩んでいました。1、 顔がよくない2、 歯が悪い3、 鼻が大きくて赤い4、 ニキビのあとがある5、 白髪が多い6、 数学が小学生並にしかできない7、 理工科目の能力がゼロ8、 学校の成績が悪い9、 勉強に全く興味が持てない10、 先生と親しめない11、 学校集団に不適応12、 クラブ活動が嫌い13、 スポーツができない14、 楽器が何一つできない15、 異性に好かれない16、 一人で喫茶店に入れないまだまだあったそうです。こんな自分では生きていけないと思ったそうです。そこで作戦を変更されました。自分の得意なことだけを考えてみることにしました。1、 犬猫からとても好かれる2、 ボロの服を着ていても恥ずかしくない3、 出された食べ物は全く残さない4、 他人の長所がわかる5、 石を3時間でも見ていられる6、 人と待ち合わせをしていて、相手が何時間遅れても平気7、 風呂には1週間に1回はいれば済む8、 どこでも眠れる9、 鳥の声からニュアンスがつかめる10、 追いつめられると変身してすごい力が出る11、 みかん皮むきが上手12、 年上の人と友達になれる13、 不良っぽい人とも付き合える14、 原稿は1日に10枚ぐらいは書ける15、 欲しいものがないから、お金がなくても暮らしてゆける16、 一度見人の顔は忘れない17、 一対一の説得には自信がある18、 旅に行くとき、予約をしたことはほとんどないが、いつでも電車、宿舎にありつける19、 女性を女としてではなく人間としてみて尊敬できる20、 勉強はできないが試験は好きである21、 腹式呼吸ができる22、 難しい漢文、古文が読めなくても分かるところがある23、 一人でいても退屈しないこれは神経質性格の二面性を考えるとき参考になるだろう。メンタルヘルス岡本記念財団の元会長の岡本常男さんは、「人間には10の欠点があれば、必ず10の長所がある」と喝破されていました。私はこの言葉に励まされて、少しずつ自分を受け入れることができるようになったと考えています。
2013.12.13
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本多信一さんは、学校時代になすべきは、「自分の本来の個性」を発見することで、それができればもう十分だといわれています。学校で友達がたくさんできて、うまくやっていける人は集団適応能力がある人だから、大人になって営業などの仕事、管理職としての仕事をこなしていけるだろう。それができない人は、自分には対人関係をうまくやっていける自信がないということを自覚すればよい。対人関係がうまくゆく人を見て、なんとか自分を改造していこうと思わなくてもよい。ましてや自分を否定して悲観することはない。自覚すれば、営業や管理職以外の道で自分を生かせるような道を探していけばよいのだ。たとえば、研究職、パイロット、運転手、職人、自営業、農業、サムライ業、芸術家などの対人関係があまり要求されないような仕事を選べばよい。これは自分のできないことは早くあきらめるということです。性格や能力でも自分の欠点を直すことはやめたほうがよい。それよりももっと大切なことは、自分の持っているもの、自分の得意なもの、自分の好きなものを早く見つけて、それをさらに磨きをかけて伸ばしていくことだ。神経質な人は、自分の持っているもの、長所を見向きもしないで、劣っているもの、欠点、短所を人並みに引き上げようと無駄な努力をする。これは長所にやすりをかけて削っているようなものだと思います。短所は人並みに引き上げることができず、長所は人並みに下がってくるのだから始末が悪いと思う。
2013.12.12
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本多信一さんの詩を紹介します。いるんですよね。どこにでも クラスの中にも 職場にも趣味の会にも クラブにも 必ずいますよ 内気な男女ただ どうでしょう あなたでも 人前に出た その時は自分の性格 隠すでしょう?元気に明るく 前向きに さも楽しそうに 振舞うんです当たり前です そうすれば 普通の人に 思われますからだからね 皆さん 演技して 自分の本性 隠しますしかし 人間 変わりません 人の本質 変わりません演技ばかりの 毎分毎秒 その偽りが ストレスや 多大な疲れ 与えますこの詩は対人恐怖の私のことを言われているようです。私たちは神経質という人はだめだ。根暗な人は嫌われる。といった先入観に取りつかれています。そして明るく外交的な人。小さいことにこだわらない豪放磊落な人を理想の人間像として持っています。つまり現実のあるがままの自分を、価値のない人間として否定しているのです。そして背伸びをして、自分以外の理想の自分を演じているのです。電車に乗って友達とたわいのない話をして、楽しそうに悩みなど何にもないような学生たちがいます。でもいったん友達と別れて、駅を出てしまうとがっくりと肩を落とし、意気消沈してしまう人がいるそうです。友達に嫌われないように、精一杯演技しているんでしょうね。他人ごとではありません。自分もそうなのですから。こういう人は、開き直って、私は神経質です。私は根暗です。と高らかに宣言してみたらどうでしょうか。あっさりと自分を認めてしまうのです。そしたら友達がいなくなるじゃないか。無責任なことをいうな。そんな声が聞こえてきそうです。でも反面、こう宣言するとそんな自分を隠す必要はなくなりますよ。自然のままの自分で生きていけますよ。その出発点に立つことができますよ。また男女の3割はそういう人だそうですから、そうゆう友達を見つければいいではありませんか。生活の発見会の集談会に参加してみるとそんな人ばかりです。そんな人と付き合えばいいではありませんか。要は、神経質で根暗な自分を否定したり、無視したり、抑え込んだりしない。ありのままに認めて、自分をいたわり、励まし、味方になってやるということです。どんな自分であっても、自分で自分を守り抜いて見せるという覚悟を持つことが大切だと思います。
2013.12.10
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神経症の人は会社でミスなどをすると、自分はダメだ、情けないと思うだけならまだよいのですが、もうこの会社での居場所はない。辞めるしかない。等と物事をすぐに飛躍させます。また自分の容姿などに不満を持っていると、もう人前に出ることはできない。人を避けて生きていくしかないというように考える傾向があります。これらは誰にでもあることを、あたかも自分だけのことのように考えて、この障害を取り除かないと、生きていくことができないと勝手に思い込んでいるのです。これは神経症に落ち込む人の特徴です。非常に視野が狭くなっています。「井の中の蛙大海を知らず」の状態です。極めて危ういと思います。例えば円錐形の物体を真下や真上から見てこれは丸い物体であるといっているようなものです。また真横から見てこの物体は三角の物体であるといっているようなものです。上からも、横からも、斜めからも見ていくとすぐに円錐形であることに気がつくはずです。田原総一郎氏の司会する「朝まで生テレビ」などは、テーマに対して賛成する人と反対する人を呼んでいます。賛成の人ばかりでは番組が成り立たないのです。反対の意見を聞いて議論を進めないと議論の本質が見えてこないのです。森田には両面観という考え方があります。バランスをとって考えなさいということです。この考え方を身につける必要があります。性格でも短所の裏には必ず長所が隠れています。短所はそのままにして、長所を活かす道を考えてみることが大切です。面白い話があります。デルというパソコン販売のメーカーがあります。デルは販売チャンネルを持ってはいません。普通のパソコンメーカーは、販社、代理店、小売りなどの販売チャンネルを持って販売しています。それが確立していないと、パソコンは販売できないという先入観がありました。ところがデルが、インターネットでお客様から注文を取り、全世界で生産、販売を始めました。すると、今まで販売体制を確立していた既存メーカーの強みは、一挙に弱みへと転落してゆきました。施設や物量拠点、小売りのシステムを急に変更することができなかったのです。それらにかかる経費は相当なものです。商品に転化していかざるを得ません。デルははるかに少ない在庫で、流通や小売りのコストを最小限に抑えているのですから、大人と子どもが相撲を取るような結果となってしまいました。これを自分は販売チャネルがないから、どうしようもない。入り込む余地は全くない。もう生きていけない。等と考えていたら永遠に道は閉ざされたままです。欠点の裏には、必ず長所があるのです。そうした見方で、試行錯誤して考え、試してみる。そういう生き方を身につけたいものです。
2013.11.16
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森田理論では物を見る時に偏った見方をしてはいけない。表からみれば、裏からも見る。プラスの面からみれば、同時にマイナスの面も見る。バランスのとれた物の見方をしなければ、物を観察したということにはならないといいます。私はそういう生き方をした良寛さんの次の句に共感を覚えます。裏を見せ 表を見せて 散る紅葉さて、一つの例として酸素を取り上げて考えてみたい。酸素は我々が生きていく上で絶対になくてはならないものである。もし酸素がなかったら人間だけではなく多くの生物もすぐに死んでしまいます。それは酸素がエネルギーの生産にかかわっているからです。ところがその酸素が著しく反応性が増した活性酸素というものは、我々を病気にさせたり、老けこませたり、ついには命を奪ってしまうものなのです。そうした酸素毒として、鉄が錆びる。皮をむいたリンゴが変色する。等があります。これらは酸化反応といいます。顕微鏡で核と酸素がふれあうと、瞬時にして核は死んでしまうそうです。このことから分かることは、酸素は我々が生きていくエネルギーを取り出すためには必要不可欠ですが、それ以外のときは毒以外の何物でもないということです。エベレストの頂を目指す人が酸素を吸いながら登っているのを見ると、酸素の持つよいところしか見えてきません。しかし実際には、最終的に生物を死に至らしめるのも酸素なわけです。実際に酸素を利用しない動物は死というものはないという人もいます。この酸素の例のように事実を見るということは、両面観で見ないととんでもない間違いを起こすということをよくかみしめてもらいたいと思います。マイナス面が見えてきたら、その次にはそのブラス面も見てゆく。特に神経質の性格は、プラスとマイナスの二面性を持っていますから、両方をバランスよく見ることです。バランスをとるためには、マイナス面は見ないようにして、プラス面ばかりに焦点を当てればやっと釣り合ってくると思われます。
2013.10.19
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岡本正善氏の「メンタル・タフ」より長所に焦点を当てる、リズムに乗るということについて考えてみましょう。プロゴルファーで試合が4日間ある場合、「今日はドライバーが悪かった」という日があったとします。するとある人は試合後の夕方、明日に備えてドライバーを一生懸命に練習します。しかしドライバーが悪いのに、一生懸命ドライバーを練習してしまうと、悪いドライバーのリズムの中に1時間、2時間と浸っていることになります。すると次の日、プロですから練習によってドライバーはある程度改善しているのです。しかし今度は別のもの、アイアン・パターが崩れたりするのです。ドライバーの練習によって、昨日よかったパターのリズムが消えてしまうのです。大事なのは、「今日アイアン・パターがよかったな」というのであれば、試合後の練習で30分、最初にアイアン・パターの調整をするとよいといわれるのです。「そうそう、今日はこの感じがよかった。おおっ、きたきた。練習でもいい感じだ。今日はこれが冴えていたんだ。」と、まさに、本番時のラウンドのいいリズムを繰り返して出すのです。そういういいリズムの中で、その日調子の悪かったドライバーを打ち始めれば、アイアン・パターでずっと強いリズムをつくってきたため、ドライバーも修正されていくのです。なるほどと思います。私たち完全主義者は自分たちの優れたところは見向きもしません。宝の山をほおっておいて、欠点ばかりに焦点をあてて修正しようとします。その結果元々あった長所が生きてこなくなるのです。岡本氏のおっしゃられている事と逆になっています。このことは、長所にやすりをかけて、長所を削っているようなものです。長所に磨きをかけることによって、短所は少なからず目立たなくなる。よくよく考えておく必要があると思います。
2013.10.17
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断捨離という言葉がある。ダンシャリと呼ぶ。2010年の流行語に選ばれた言葉である。断とは、入ってくる要らないものを断つ。捨とは、家にずっとある要らないものを捨てる。離とは、物への執着から離れる。ということです。それを生活指針にしている人のことを、ダンシャリアンというそうです。森田理論の関連で考えてみよう。神経質者は心配性である。心配性はちょっとしたなんでもないようなことが気になる。そんなことは気にしなければもっと自由に生きられるのではないかとつい思いがちです。私は反対に、心配性はとてもよい性格だと認識しています。小さいことが気にならない人は仕事でも、芸術の分野でも大成することはできないと思っています。小さいことが気になる人は、そのおかげできめ細かい準備をする事ができます。仕事がスムーズに進み、人への配慮が行き届いて感謝されることもあります。心配性というのは、言葉を変えれば感受性がとても強いということです。神経質性格を活かして仕事や対人関係に活かしていこうと思えば、もっともっと感受性を強めていくべきだと思います。その時に役立つのが「断捨離」という考え方です。物欲などの欲望をできるだけ抑えていけば、感受性はまだまだ強化することができます。それに沿って生活すれば神経質性格はどんどん活かすことができます。「断捨離」という考え方をぜひ生活に取り入れてみませんか。
2013.07.31
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長所は短所、短所は長所にすぐに変化することがある。2000年初め、アメリカでパソコンを扱うデルはコンパックを抜いて、全米ナンバーワンのコンピューター・メーカーとなった。それはデルが、インターネットで客の注文を受けて、好みに合わせてカスタマイズして生産販売するという生産受注システムを作り上げたからだ。これによって他社よりはるかに安く作ることができるようになった。在庫は抱えない、流通コスト、小売りのコストは最低限に抑えることができるようになった。他社は確固たる販売チャネルを確立していた。これが経費を抑えることができない最大のネックになったのだ。過去の長所が最大の短所に変化してきたのだ。最初ネット販売が始まったころは、デルは販売チャネルがないので見向きもされなかった。しかしその後急速に立場が逆になった。既存の販売チャネルは重荷となってきたのである。今や流通や小売りの中間経費の存在が、その会社の存続を左右するようになったのである。今や過去の強みは、現在最大の弱み。最大のネックとなり、一旦つぶして再構築しないと立ち行かないほどの問題を抱えているのである。日本にもジャバネット・タカタという会社がそうである。通販だけでテレビ宣伝をおこなうほどの急成長した会社になっている。ネットバンキングというのがある。24時間、日祭日も営業している。このスタイルが確立してくると大銀行の既存の支店や従業員は一転してお荷物となるのである。そうゆう変化流動の社会になっているのである。我々はこの変化から学んでゆこう。こうしてみると欠点だと思っていることに、とらわれて気にする事はない。欠点は見方さえ変えれば、人にはない長所なのだ。欠点が大きければ大きいほど喜ぶべきことなのだ。つまり短所が大きければ、長所もそれだけ大きいものを持っているというふうにとらえるべきなのだ。短所や欠点は人にない宝の山が隠れていると認識するとよい。発想を変えるだけですぐにかけがえのない宝ものに早変わりする。現在の強みは、未来の弱み、現在の弱みは、未来の強みと捉えよう。
2013.07.29
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山崎房一さんが子供たちにテストをしました。長所を3つ、短所を3つ書きなさいというものです。子供たちの半数は長所を1つも書けません。みなさんはいかがですか。できたら自分の長所を10個ぐらい書いてみましょう。そして身近な人の長所も10個ぐらい書いてみましょう。長所を一つも書けない子供は、ドアが開閉されるたびにそっちの方向へ目をやり、プリントを配布する様子にも何か落ち着きがありません。特によく目立つのは、先生に対する態度です。彼らは、明らかに先生の存在を気にかけています。先生の発言内容ではなく、先生の存在に注意を向けているのです。そういう子は聴き洩らす、意味を取り違える、早とちりをするなど学習能力が落ちてしまうのです。彼らは先生の存在を気にするあまり、「さされないかな」「ノートの中をのぞかれないかな」、ひどい例になると「先生は僕のことが嫌いかな」と余計なことばかり考えています。どうして長所より短所ばかり気にかけているかというと、家で両親から、叱られてばかりいるからです。指示、命令、禁止で動かされているからです。森田理論でいう「かくあるべし」の押し付けです。(いじめない、いじめられない育て方 PHP文庫より)
2013.06.09
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元中日の落合博満監督。どんな人間でもよく見ていると何かしら取り柄があるという。たとえば岩崎達郎選手。打率はほとんど1割台。それでもずっとプロで飯を食っている。それは守りに関してはレギュラーに匹敵する力を持っているからだ。落合監督は彼を2009年に1軍に引き上げてから、2011年終盤まで一度もファームに落とさなかった。2010年は出場78試合、85打席しか打席に立っていない。ほとんど守備固めで、打率は1割8分である。打率から見ると、他球団なら首になるような選手である。しかし彼は守りがいいので、チームに必要不可欠な選手だった。他球団からトレードを申し込まれても絶対に出せない選手だった。落合監督は岩崎選手の守備を高く評価して、評価査定を上げた。岩崎選手は契約更改で驚いていたという。見る人は見ているのである。つまり一軍のレギュラー選手ではないが、スーパーサブの選手なのだ。そうゆう選手は「守り勝つ」野球を目指していた中日にとっては欠かせない選手だったのである。落合監督は、「打つこと、守ること、走ることなんでもいい。肩の強さや体力でもいい。これだけは絶対に負けないという一芸を磨けばプロで飯を食っていける可能性がある」という。これは我々に自信を与えてくれる言葉だ。これを我々に置き換えると、我々は元々神経質という素晴らしい性格特徴を生まれながら持っている。それを認識して、自分のできることや長所を育ててゆけばよいということになる。しかし残念なことにダイヤの原石を見て、これを磨けば価値があるということに気づいている人が少ない。むしろ捨てようとしたり、鉄などと換えようとしたり、簡単に人にやってしまっているような人が多いと思う。神経質の性格特徴の学習では、性格の両面性をよく理解してほしい。森田理論で神経質の性格特徴をよく学習して、活かしていくのが我々の目指す道だと思う。
2013.06.08
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対人恐怖で悩んでいる人は職業を選ぶときはよく考えた方がよいと思う。自分に向いていない職業は安易に選ばない方がよいと思う。たとえば協調性が求められる仕事。一つのプロジェクトに対して、トラブル発生時自分の受け持ちでなくても、すぐに助けに入ることが求められるような仕事。サッカーを思い出してほしい。みんなが協力して心を一つにして闘わないと勝つことができない。対人タイプの人は、陸上、マラソン、相撲、ボクシング、バトミントン等のように一人でやるスポーツが向いている。次に対人折衝力が求められる仕事。典型的な仕事は営業やセールスである。必ずしも必要だと思っていないお客に対して自社の商品を売り込むような仕事である。またホテルなどの接客業も対人接客が求められる。また緊急事態が発生したとき冷静さが求められる仕事。航空管制官やパイロットなど自分のミスが重大事故を招くような仕事。お客様相談室の職員など常にクレーム処理を扱う仕事も敬遠した方がよさそうだ。そして管理職やリーダ―などマネージメントを要求される仕事。昇進しても上から叱られ、下から突きあげられて苦労するような仕事。神経をすり減らして、体調を壊しかねない。最後に変化に応じてすぐに臨機応変な対応が求められるような仕事。旅行会社の添乗員など。証券マンなど、変化に対して素早く手を打つことが求められる仕事。それではどんな仕事が向いているのでしょうか。まずは人から喜ばれるような仕事は対人緊張の強い人にはよいと思う。お医者さん、看護師、介護士、塾などの講師などの対人援助職などはよいと思う。人から感謝されると、自己を肯定的に考えられるようになる。自尊感情が満たされるのである。また単独で力を発揮できるような仕事もよいと思う。研究者、学者、芸術家、作家、農業、職人、自動車整備業、シェフ、カメラマン、建築士、新聞や雑誌の記者、司法書士や税理士などの士業、動物の訓練士、図書館の司書、グラフィックデザイナーなど。ちなみに私は大学卒業後出版社に入り、記者を希望したがかなわず訪問営業で挫折した経験があります。次に経理や事務職に就いたが、社内の人間関係と管理職になってからは能力不足のために苦しかった。いずれも自分に向いていなのに、使命感で飛び込んで失敗したのである。
2013.05.24
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青森県弘前市で自然栽培のリンゴを作っておられる木村秋則さんという方がおられます。自然栽培に取り組んで1つもリンゴのならない時期が8年続いたそうです。その間無農薬、無肥料のため近所からの迫害もいろいろと経験されました。また、無収入のためキャバレーのボーイや出稼ぎなどで糊口をしのいでこられました。そんなに苦労してまで、自然栽培の情熱が衰えなかったのはとても不思議です。私は木村さんの生い立ちを見ていて気付いたことがあります。子供のころからとても好奇心が旺盛であったということです。中学の頃は化学反応が好きで、電気に興味を持つ少年でした。ラジオがなぜなるのか興味が尽きませんでした。無線機やとてつもないアンプを作って体育館のアンプを壊したことがありました。高校時代は中古のバイクをいじり、エンジンを改良するのが面白くて夢中になりました。そのバイクでモトクロスのレースに出場したこともあります。高校卒業後は車のエンジンの改造に夢中になりました。120馬力のスカイラインを300馬力のエンジンに改造し、会社でモトクロス部を作って楽しんでいました。その後家業の関係で家に連れ戻され、農業の道に入りました。疑問があればなぜなんだろうと、その原因を確かめずにはいられない好奇心はリンゴや稲作にいかんなく発揮されました。無農薬栽培は奥さんが農薬散布の後体の不調に悩まされることがきっかけであったそうです。神経質な人も好奇心旺盛な人が多いと思います。集談会などでもいろんな趣味の話がでてきます。読書、音楽鑑賞、スポーツなどびっくりするような分野に手を広げられています。私もその一人です。外出すればいろんなことに興味がわいてくるのです。すぐに自分でもやってみたくなるのです。これは我々の持って生まれたすぐれた特徴であると思います。この好奇心を生活の中で活かさない手はありません。経済的に、時間的に許される範囲で、少しでも興味があることに対して手を出してみましょう。きっと生活の幅が広がり、楽しみが広がってくると思います。
2013.05.17
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宇宙飛行士の野口聡一さんは、宇宙飛行士の搭乗員として選んでくれるのは船長であるという。選考の基準は、人にはできない何か特殊な能力を持っているかどうかである。人と同じことしかできないということは、宇宙飛行士として選抜される可能性がかなり低くなる。野口さんは船外活動でロボットアームが操作できるということで選ばれたそうです。自分の得意分野に磨きをかける。これが大切です。企業再建で活躍されている稲森和夫氏は、「私は化学の専門家です。セラミックスでは誰にも負けないほど研究を重ねてきました。その成果が世界の他の研究者や専門家より秀れていたことがうれしい。柔道でいえば、一本背負いが得意な人は、相手がいくら警戒していてもいつでも技を決めることのできるキレと幅を磨きあげることです。」医者でも幅広く医学の基礎を学んだあとは、内科とか外科などに分かれてその道の専門分野を目指します。ファイナンシャルプランナーという職業があります。金融、不動産。リスクと保険、ライフプラン、所得税、相続、事業承継などの専門家です。この職業も幅広く勉強したのちは専門分野に分かれてさらに研鑽を積みます。一般的な知識ではとてもクライアントの問題解決には役立ちません。自分の専門分野には絶対的な自信を持ちつつ、専門以外の分野では、思い切って他の専門家の力を借りて、助け合ってクライアントの経済的な難問を解決しているのです。そのやり方で仕事として成り立っているのです。すべての面で専門家となることはできません。つまり一つの道を選んだならば、他の道はいくら可能性があっても捨てるという事です。それぐらいの気持ちで、自分の選んだ道で精進していくという事です。困難な問題を克服していくという事です。よく欠点を直すといいますが、よほど社会適応に困難な欠点でしたら、多少修正する必要があるでしょう。それ以外でしたら欠点は放置しておくことです。欠点は他人に依存することです。それよりも取り組まねばならない大切なことがあります。長所を伸ばしてあげることです。長所に磨きをかけて、伸ばすと社会に役立ちます。自分にも自信が湧いてきますし、心ある人は評価してくれます。これが森田理論でいう唯我独尊の道を歩むことにつながります。
2013.05.11
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人間には長所もあれば短所もあります。それらが同じ数だけあってバランスがとれていると考えるのが自然ではないでしょうか。生きるという事は、短所があることはイヤだけれども受け入れていく。でも長所はちょっとずうずうしいと思われるぐらいに前面に出して伸ばしていく。この生き方が自信につながり、生きる勇気がわいてくるのです。しかし多くの人は短所のみを気にかけて、短所を修正し、無くすることに勢力を注いでいます。そうすると、長所は見向きもしないようになります。長所を伸ばしてゆくという考えは放置されたままになります。自分の持っているもの、強みが宝の持ち腐れとなります。これは短所を治そうとして、長所をやすりをかけてすり減らしていくということになります。自分の持っているもの、強みを封殺していくという事です。これでは縮小再生産になり本末転倒となります。我々神経質な人はもともと素晴らしい長所を持っています。こまごまとした小さいことによく気がつく。するどい感受性を持っている。粘り強い。責任感がある。分析力がある。などです。これは神経質の性格特徴で学んだことです。神経質者はここに焦点をあてて、いかにすればその長所が活きてくるのかを考えて、実行に移していくことです。そうすれば、自信も出てくるし、人から信頼されるようになってきます。長所を十分に活かすことができるようになれば、欠点は急速に勢いをなくして気にならなくなります。その時点で長所と短所はやっとバランスがとれてきます。自分に備わっているものを見つけ出して、それを大事にして磨きをかけてやることを森田理論では唯我独尊といいます。ポイントの一つです。
2013.05.07
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神経質性格の中に心配性というのがある。裏を返せば普通の人が気づかないようなことでもよく気がつくということである。感受性が強いということです。それを活かして気がついたことをメモにでも残しておいて、小さい気づきを実践していくと大変気のきいたことができる。リッツ・カールトンというホテルがある。このホテルは接客がよいという評判がある。一般のホテルに予約を入れて満室の場合、「あいにくその日は予約でいっぱいでございます。申し訳ございません」というのが普通である。リッツ・カールトンでは、「私どものホテルでは一杯でございますが、明日のご予約ですから、もしお困りでしたら、近くの同ランクのホテルの空き状況と料金を調べてご連絡いたします。いかがいたしましょうか。よろしければ、私どもの方でご予約の手配もさせていただきます。同業ですので割引できないかも伺ってみます。」と返答する。こうした配慮は心配性の人間はいくらでもできる。問題は気がついたことを実践するかどうかである。またこんな気配りは少し気をつけていればいくらでもある。たとえばバスに乗り込む時はあらかじめ小銭を用意して、手間取らないようにすることなども同様な気づきです。そのちょっとした気配りが人に感動を与えます。こうしたことを、こまめに1年も続ければ、神経質者は人から大きな信頼感を得られるのではないでしようか。信頼は自信につながります。これが神経質の長所を活かすということです。
2013.04.19
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他己紹介というのがあります。二人一組になって相手の名前、家族、趣味、仕事のことなどを聞きこんで、本人になり変わって自己紹介するのです。この時、相手の長所を紹介するということを付け加えるととても面白い他己紹介になります。相手の話の内容、話しぶり、しぐさ、印象等から相手の長所を探さなければなりません。これとよく似ているのですが、自分で行う自己紹介のときに、自分の子ども、自分の配偶者、自分の親の長所を紹介するというものです。普段は悪いところばかり目についていても、少々無理しても長所のみをみんなの前で披露するのです。集談会で取り入れて、発表しあうと面白いと思います。あるお母さんの話です。「私は今まで、我が子を毎日ダメです、バカだ、早くしなさいと叱ってばかりでした。ところがよく考えてみると、あの子はよく下の子の世話をするのです。そうゆういいところがあることに気がつきました。下の子がすぐに生まれたので、あの子には手をかけてやれず、まとわりついて甘えてきても、うるさいわねと叱ってばかりでした。あの子にすまないことをしたなと思うと涙がでてきました。」そしてその長所をあの子の前でほめてやりました。そしてお母さんはとても大好きだと言ってやりました。あの子は何回もその言葉は言ってくれるようにせがみました。そして元気よく外に出ていきました。叱り飛ばしてダメになる子はいますが、ほめすぎてダメになった子はいません。またバランスという面からみても、私たちは自分に対しても、他人に対しても欠点やミス、弱みなどは放っておいても刑事のように目を皿にして見つけます。反対に自分や他人の長所や強み、出来たことなどは無視しがちです。バランスをとるためには、自分の長所や強みだけを考えるようにすると次第にバランスがとれるようになってきます。そのようにバランスをとりながら生活するということが森田の大切な考え方となります。
2013.04.15
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