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歌では聴いたことのあった、真っ赤なポルシェを初めて見た。NHKの番組で、高知の中学生達に熱く語っていた、渡邉美樹氏の言葉が浮かんだ。「自分が死んでから世間に思い出されるとき、『あー、あのポルシェに乗っていた人ね』でいいのか?」自分をとことん表現しているうちに、いつの間にかポルシェやフェラーリをドトール感覚で買えるようになった人。ポルシェを買うためにドトールさえも我慢してきた人。どちらを選ぶのも自由。と、スタバでしばし考える。アサリを初めて料理した。アサリ汁。生きているのをそのまま茹でるのはちょっと…って、ずっと躊躇してきたけれど、、おいしい。ぼくもいつか土に還り、地面に咲くシロツメクサの役に立つから許してね。四つ葉をワサワサ生やしてあげる。お知らせ今週の日曜日(27日)、毎年恒例「幡ヶ谷社会教育館文化祭」。社会教育館の1~4階まで、すべての部屋を使って様々な出し物あり展示会あり。均整法体験コーナーは4階体育室でお昼の12時~1時、1回500円で15分くらいの施術を体験できます。去年の様子はこちら。http://www.kaihuu-kinsei.com/kinseiclub/hatagaya2010.html遊びに来て下さいね☆
2011年02月25日
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通り沿いのあるお宅。ドアが開いた瞬間、目の前の真っ白な光景に、飼い主の足もとでビクッ!とした豆柴を見た。今週初め、雪の日の朝のこと。うれしいときと恐いときのビクッ!には、動きに違いがあるらしい。ただし、人間用の整体の本に書いてあったのだけど。「うれしい驚きでビクッ!としてすくめた首は、あとで伸びる。恐かったときは、すくめたまま伸びてこない。頚椎6番を中心に」と。なるほど、確かに。しっぽまで伸びてる。その通りをしばらく行くと、雪道に付いたタイヤの跡など、なるべく雪のないところを探しながら、そろそろと横断中のネコ発見。雪のせいではなく、もともと白い足袋を履いた柄のトラ。冷たいのをがまんしながら下を向いて歩いているうち、近づいてきた自転車に気づかず、ひかれそうになってビクッ!すばやく方向転換して、もといた道の端。すくめたままの首。なるほど、確かに。人と同じと考えていいみたい。せっかく雪を避けて道の半分まで来たのに、あわてて引き返した雪の上、かわいそうな足跡がくっきりと。均整法体験コーナーのお知らせ今月27日(日)、毎年恒例「幡ヶ谷社会教育館文化祭」。社会教育館の1~4階まで、すべての部屋を使って様々な出し物あり展示会あり。均整法体験コーナーは4階体育室でお昼の12時~1時、1回500円で15分くらいの施術を体験できます。去年の様子はこちら。http://www.kaihuu-kinsei.com/kinseiclub/hatagaya2010.html遊びに来て下さいね☆
2011年02月18日
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誰でもこだわりのひとつふたつ、心に秘めていると思います。ぼくの場合はブリッジ。レスラーがマット上、頭と足で体を反らせて支える、あのかたちです。なぜレスラーがブリッジをしなくてはならないかというと、相手に押さえ込まれて、両肩がマットに1秒間ついてしまったら「フォール」となり、負けてしまうから(アマチュアレスリングの場合です。プロレスは3カウントで負け)。肩がマットにつかないよう、踏ん張っている姿がブリッジなのです。ブリッジにはもうひとつ役目があって、相手を豪快に、自分の頭越しに後ろへ投げるには、体を反らせる能力、つまりブリッジがしっかりできないと、自分も相手も危なくて仕方がない。よって、どちらにしてもブリッジが崩れないよう安定させるため、足裏全部を使ってしっかり支えたほうがよいのですが。。ぼくはレスリング部時代、ずっとつま先だけで支えていました。監督や先輩に指摘されても。レスラーもプロになると、観客を感動させるという使命が生まれ、技もきれいで派手になります。例えばブリッジで相手を投げたあと、そのままのかたちで手を離さずに相手をフォールする「ジャーマン・スープレックス・ホールド(画像は初代タイガーマスクvsダイナマイト・キッド)」。そのときに、足裏をベタッとつけるよりも、つま先立ちのほうがブリッジのアーチが高くなり、見た目がよりきれいなのです。「フォールされないように踏ん張るなんて消極的な理由よりも、アマチュアであってもきれいに投げるためのブリッジを!」そんなことを考えていた高校生の頃。背格好がぼくと同じくらいのとても強い先輩が、国際親善試合で韓国の選手と記念に交換してきたレスリングシューズを、卒業のときにゆずってくれました。当時はめずらしかったナイキの、真っ赤なシューズ。うれしくて毎日履いて練習していたから、最後の大会の頃にはボロボロに。靴底のゴムもツルツルにすり減り、はがれかけているところも。絶対に勝ちたい全国大会。万が一マットについた汗で足がすべったら、、なんてことは考えませんでした。先輩が果たせなかった思いを受け継ぐには、そのシューズを履いて勝たないと意味がないような気がして。少々効率が悪くても、リスクを負うことになったとしても、そんなことは、美学の前には無力なのです。朝ご飯を食べたほうがいいのか抜いたほうがいいのか。睡眠時間は何時間がいいのか。どんな運動をしたらいいのか。なんてことにとらわれるよりも、その先で自分はどうしたいのか。10年後の自分の姿を思い描ければ、そこに向かうための自分に適した睡眠や運動も、自然と見えてしまうはず。セブンイレブンのミートソーススパを毎日食べていたとしても、それを体内で、10年後の自分に必要な栄養素に変換してしまうくらいの力も発動するはず。。。と、これはぼく一個人としての美学です。ひとまず、バランスよく食べて下さいね、とは言っておかなければ。均整師として。
2011年02月11日
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風邪は年に一度、引くか引かないかです。寝込むほどではなく、仕事に支障が出ることもないので恵まれています。気持ちが凹んだりするのもそう。本格的に落ち込むことは滅多にありません。その数少ない体感から思うことは、心身にストレスがかかって体調を崩している方に、施術を通して力になることの難しさ。来院される多くのお客様の中には、肩こり、腰痛といったお悩みだとしても、頭を触らせていただくと、ストレスからの歪みがもとになっていると分かる方がいます。特に前頭部がカチカチ、パンパン。施術としては、頭の硬さがとれた結果、肩や腰もゆるむという流れが理想です。また、「頭の疲れは体を動かすととれる」というしくみが人間には備わっていますので、施術後にそのことをお話ししたり。でも考えてみれば、自分だって年に一度の凹み中に、朝のジョギングや筋トレに出かける気は起こりません。私よりもずっと大変なお悩みを抱え続け、胃がいつもキリキリ痛んでいる方に、調子が悪いのはストレスからで、ストレス解消には体を動かせばよいと伝えることに、どれだけの意味があるか。私自身の経験からは、ジョギングや筋トレはしたくないけれど、無性に歩きたくはなります。部屋に閉じこもっていると、どんどんマイナス方向に引きずられてしまいそうで、歩きながら最善の策を考えたくなるのです。そんな思いで歩いているときに活躍してくれる「ホ・オポノポノ」。聞いたことありますか?マイナスの考えやイメージが湧いてくる度、それらに向けて、「ありがとう」「ごめんね」「許してね」「愛してる」と、四つの言葉をかけ続けるだけのシンプルさが気に入っています。悩みや怒りのもとになっている相手や物事に対してではなく、現在の辛い状況を通じて、自分の中に湧き上がってくるマイナス感情に対してかけ続けます。なぜか、みんなうまくいきます。別に歩きながらでなくても構いません。いつでもどこででもいいのです。自分で自分の凹んだ気持ちを癒していきます。湧いたらかける、湧いたらかけるの繰り返し。そのうちカチッとスイッチが入って、頭ではなく胸の奥で「もう大丈夫」と感じられますよ。個人的には、最後の「愛してる」なんて、これまで自分の口から出るなんて思ってもみなかった言葉を言えるようになったことが、恥ずかしくもうれしかったり。外を歩きながら、通りがかりの人にすれ違いざま「愛してる」と声をかけて驚かせないよう、冬場や花粉の季節には、マスクの中でこっそり言いましょう。夏場は。。。どうしよう?みんなが幸せになるホ・オポノポノ
2011年02月04日
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