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先週の定休日。椎名町駅から西武線に乗り、ユナイテッドシネマとしまえんにて。前二作も観たくなりました。終わるとちょうどお昼時。遊園地前の「ひもの屋」、さばのみりん干し定食ランチ。さや侍が走っていたような、たくさん木のあるところに行きたい、と思っているうちに、戻る電車は椎名町を通り過ぎ池袋へ。そうだ、西武池袋駅からは雑司が谷鬼子母神が近い、と気がつき、お参りすることに。二十数年、池袋に住んでいて、まだ一度も訪ねたことがありません。想像していたほど広い境内ではなかったけれど、あちらこちらに大きな木を見ることができました。樹齢七百年の大公孫樹(おおいちょう)。そばに立っているだけで、こちらまで何だかどっしりしてきます。石造りのベンチで休憩していると、目の前にパタパタッと、はぐれ鳩が舞い降り、羽つくろい開始。一枚くれるというのでもらいました。羽ペンにするには小さいし、何に使ったらいいのか分からないけれど、ありがとう。家まで歩いて帰る途中、新しくできた東武ストアに立ち寄り、夕食の買い物。「まぐろの酒盗焼きそば」にしよう。先日の日経新聞に載っていたレシピ。うろおぼえだった材料、合っていました。今日はさかな系の日。あー、うまかった、といいたいところ、酒盗を入れすぎ、塩辛い。。でもうまい。ビールが進みます。昼寝(夕寝)の後、前日の支部研修会レポート作成。支部だよりのワンコーナー担当なのです。デスクトップに撮った写真を全部並べて、ノートとつき合わせ。講師Y先生の顔がいっぱい。七百年のうちの一日を、共に過ごしてもらって感謝です。
2011年06月24日
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常にマイナス言葉をプラス言葉に言い換える人でした。中学時代の陸上部顧問、田中由一(たなかゆういち)先生。専門は400mハードル。早稲田大学競争部主将を務めた何年か後、我がT中に赴任。マラソンの瀬古利彦選手とは早稲田同期であり、瀬古選手を育てた故・中村清監督の下、ともに鍛え上げられました。「寒い~」×「涼しい~」○「しんどい~」×「気持ちええなぁ~っ」○そう言って、日が沈んだ後も、土砂降りの雨の中でも、いつまでもグランドを、部員とともに走り続けます。ある土曜日の午後練習。100m坂道ダッシュ×100本。「まだ50本か…」×「もう50本か!」○それどころか、やったことは忘れろと。残り10本。「ええか、今日の練習は坂道ダッシュ‘たった’10本だけや。おまえら、よかったな~っ、楽勝やろ!」よかったな~って言われても。。「努力は無限」「はよう、どっかの中学に転勤になればええのに」と、苦々しく思っていた人の本を買ってしまいました。言葉のちょっとした言い換えに、いったいどれほどの力があるのか。きつい練習中、もう笑うしかないとき、ついでに口にする冗談くらいにしか思っていませんでした。先生自ら、誰にも先頭をゆずらずに100本全部こなすのと、あと、怒るととっても恐いから、仕方なくついていったのだと。ふり返れば、ちょっとした言い換えを駆使して、起こった出来事をとらえ直し、人生を渡ってこられた教え子が、1000人近くはいるでしょう。ここにも一人。冗談としか思えなかった言葉の力のしくみ。中学生には難しく、体で覚えるしかなかったかもしれない。中学に上がる前、こんな絵本に出会っていたら、また違ったのかも。「となえもんくん(ことばの力のまき)」小学校一年生~向き。中学生になる前に、早めに読ませてあげて、お母さん。(※「母と子の均整法セミナー」もお早めに)プラス言葉やマイナス言葉は、どこに響いてどうやってかたちを持って返ってくるんだろう?と疑問に思う人にはこの一冊。「アトランティスの叡智」「肉体というのは、すべてのボディの中で最も『リアル』ではありません(第5章P.171)」書店で手に取り、たまたま開いたページから目に飛び込んできた言葉。日々その肉体を整えている仕事柄、ハッとして、そのままレジに。分厚い本すぎて、5章だけ読むつもりのはずが、一日一章、11日間で読破。プラス言葉もマイナス言葉も、肉体より、もっとリアルなところに響いて返ってくるそうですよ。つゆ読リスト、梅雨が明けるまでに、あと2周はいきたいな。由一先生のはいいや、もう。。なんて、うそです。
2011年06月17日
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高校レスリングの全国大会は「インターハイ」「国体」「全国グレコ(全国高校グレコローマン選手権)」の三つ。インターハイはフリースタイルのみ、全国グレコはグレコローマンスタイルのみ、国体では両スタイル開催されます。グレコ専門選手として狙うは国体と全国グレコ。中でも社会的にメジャーな国体には、ぜひとも出たいところ。ただし、そのためには国体県予選を、両スタイル制覇しなければなりません。国体には、各県から同じ階級にフリーとグレコ、二人の代表を送れない規定がありました。県予選を完全制覇した者のみ、本人の希望するスタイルで国体に臨めるのです。両スタイルの優勝者が別々になった場合には、県のレスリング監督会議で協議され、大抵はフリー優勝者が国体代表に、グレコ優勝者は全国グレコ代表に選ばれます。(※ここまで、二十数年前の状況ですので、現在とは違うかもしれません。)当時、我が校は神奈川の強豪。決勝で同門対決になることも多く、予選1日目のフリー決勝で当たった相手がF。先取された1ポイントを、どうしても覆せません。アロエダイエットに励む普通のおばちゃんでありながら、すご腕の霊能力者。予選前日、フリーへの自信のなさから、おばちゃんにかけてしまった電話が、最初で最後の自分ルール破りとなりました。試合時間が残り少なくなり、ポイント差が縮まらず、あせった頭の中は「おばちゃんにお願いしたのになぜ!?」でいっぱい。土壇場で、自分以外の何かに頼ってしまったことがショックでした。夕方、寮へ戻ると、再びおばちゃんに電話。「明日のためのお祈りはしないで下さい…」2日目。グレコもFとの決勝。別々の優勝者となって監督協議に。結果、全国グレコ代表にはなれたものの、国体代表はフリーのFに決定。不思議と悔しさはなく、前日のへこみっぷりが嘘のような、誇らしい気分のまま、試合場を後にしました。「明日のためのお祈りはしないで下さい」のあとに続けた言葉。「自力でがんばってみます」電話の向こうのおばちゃんはきっと、ぼくの中学時代からずっと、この言葉を待っていてくれたのかもしれません。他には何も話しませんでした。だって、「お祈り効かへんやん!」なんていう文句の電話ではないことも含めて、全部読まれているから。おばちゃんに言葉で伝えて初めて芽生えた、自分の足で立った感。この感覚を磨けば、必ず全国グレコも勝てると、根拠はないけれど、なぜか自信が湧いてきました。自分以外の大きな力があることは知っているけれど、それを発動させるためには、まずは自力。「ほうか、分かった、がんばってみな」そう言って大人へと送り出してくれた、大恩人のおばちゃんへのお礼はといえば、帰省のお土産「崎陽軒のシウマイ」くらいなもの。よくぞ最後まで見守ってくれました。いつか均整法を駆使して、アロエダイエットをハイパーに後押ししますからねっ。
2011年06月10日
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前回、レスリングのことを書いたついでに今回も。レスリングには「フリースタイル」と「グレコローマンスタイル」の2種目があります。フリーは相手の全身どこでも攻撃OK、女子レスリングの吉田沙保里が見せるような、高速タックルからグランドに持ち込んでフォールする流れ。グレコは上半身のみ攻撃OK、足をつかむと反則になります。その分、相手を持ち上げやすく(足をつかんで防げないため)、反り投げなど、豪快な投げ技につながる流れ。高校時代はグレコ専門、フリーはほとんど練習しませんでした。よって、同級生のFにフリーで負けるのも仕方がない。。。なんて、言い訳を書くつもりではないのでした。レスリングを通じて大人になったときの話を書きます。すごい霊能力者と知り合いです。出会いは中学の頃。男子同級生Yが、母親と一緒に、ときどき占い的なアドバイスを受けにいっている霊能力者がいると聞きました。祈祷によって様々な祟りを鎮めたり、訪ねてくる人の悩みを解決したり願い事を叶えたり。興味津々でいると、「きさくなおばちゃんやから、今度一緒に行こ」とYが誘ってくれたのでした。緊張しながらの初対面。明るくて声の大きい、ごくごく普通のおばちゃんが、口をすぼめて「シュッ」と空気を鳴らしました。瞬間、そのとき考えていたことや家族事情など、何も話していないのにすべて見通されてしまったのです。中学男子の頭の中と言えば、こんな感じではないでしょうか。加えてプロレスが少々。おばちゃんに心を読まれる度、恥ずかしくて仕方がありませんでしたが、そのうち慣れました。だんだんと一人でも遊びに行くようになり、「プロレスラーになりたい」だの「○子ちゃんが好き」だの、しょっちゅう話を聞いてもらっていました。たぶんYの母親などは、見料、祈祷料を納めていたはずなのに、そんなことにはまったく気を遣わず、逆におやつまでごちそうになりながら。三重を出て神奈川の高校に入ってからも、おばちゃんへの電話や手紙相談は続きます。でも不思議と、試合で勝つために祈って下さい、とは頼まずにいました。何かこれだけは自分一人でやらなければならないような気がして。その自分ルールを、一度だけ破ってしまったのです。(続く)※おまけ:泣けます。ニコ・ロビンの脳内イメージ
2011年06月03日
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