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気が付けばもう新年が始まっている。というか、冬休みがあと二泊三日で終わるってところか・・・亥年は終わり、子年かぁ。最早、私は年女でさえもなく、タダの初老のおばさんだが、今日は、元中学校教諭の母の、同窓会に付き添うために、新年早々下関に出かけた。とは言え、私の車では、行きは良い良い帰りは怖いと言うのが正直なところだったので、妹に頼んで、母が階段を使わなくて済む最寄りの駅まで車で送ってもらい、帰りはその駅からタクシーでと計画。しかし、昨夜の妹の家族との軽食パーティーの帰り際に、妹の主人が下関までは送ってくれると言うことで、なんとか、行きつくまでの困難は解消された。私は、会場の待合のロビーで2時間待った。帰りは、母の勝手知ったるビルの中の道を、杖に頼る母の手を引いて、下関駅まで歩き、丁度の時間に準備されたかのように山陰本線の2両しかない電車に乗り込んで帰った。老老介護な感じで、乗り込んだ途端に、優先座席に座ってた若者二人がとびのいて席を譲ってくれた。三十分後、川棚温泉駅には妹の迎えの車もあって、無事帰着した。時間が微妙で、帰宅は7時半近かったから、そこから二人の晩御飯だ。宅配のおかずを温めるだけだが、まあ、茶碗蒸しや焼鯖や、お節の取り寄せの残りやで、あっさり。昨日も、お節の他は、蕪鮨とか、生ハムとかでけっこうあっさりした晩御飯だったなぁ。あと、そう、白菜の刻み漬け、山盛り、こしらえたけど。そんな中、母の言葉を聞いて、またちょっと、耳を疑った。母が、小さな取り皿を準備しながら、その小皿を見ると、おばあちゃんを思い出すって言うんで、そうかぁ、これおばあちゃんの使ってたお気に入りのお皿だったのかと、一瞬思った。でも、違った。嫁姑の埋め難い溝の深さを感じた。配膳の時に、母が何気なくその小皿をおばあちゃんに置いたら、おばあちゃんが、嫌がって交換したって言う話だった。母がおばあちゃんに前に置いたのは、使い込まれて模様が色落ちしてるような小皿だったらしい。おばあちゃんは、そんなんじゃなくて、ちゃんと色柄のはっきりしたのを使いたいと言ったらしい。で、母は、その時の出来事を、ネガティヴな思い出として、私に聞かせた。私は、驚きながら、2枚の皿を見比べて思った。私なら、色柄が薄くなったような使い古しの皿を、自分に配膳して、おばあちゃんには出さない。しかし、母は、なんの気なしに、そういうことをした。気位の高い人だったおばあちゃんは、粗末に扱われたような気がしたことだろう。母は、その時点では、単に悪意無く置いたのだろうが、その後の思い出としては悪意と共に語られる。私にとっては、その母の口から出る思い出の悪意が辛い。本当に表面的には円満を装いながら、心底、仲の悪い、嫁と姑だったのだ。母の心から、その思いを消し去ることができないのは、辛いことだ。私は、小学生の頃から、二人の不仲に気付いていたが、どうしようも無いものだった。悪意は、人の判断にフィルターをかける。母が、ずっとそんな思い出と生きるのは、あの頃と同じ家に住む上で、辛い。私は、素知らぬ顔で、母に言った。「いや、お母さんは信じられへんかもしれんけど、 ○○○さん(元夫君)の実家では、毎年、正月から新しい食器を下して使ってたって。 結構、そういう習慣のある家はあるかもよ。」分からないけど、とっさに、昔聞いた話を出しておいた。実は、私の元夫は、私の実家で、古い食器を使い続けていることが嫌だったみたいだ。だから、ずっと以前に、私に、新年云々と言ったんだと思う。人にはそれぞれの暮らしの価値観があるのだろう。私は、どっちでも平気派なんだけど・・・母は、食器は愛着を持って使い込んだものを使い続ける派。士族の娘だったおばあちゃんは、何かにつけて、母や母の親戚の感覚が受け入れられなかったみたいだ。母の親族から送られてくる様々な物品・食品なども、おばあちゃんは鬱陶しがっていた。相容れないことは、仕方ないけど、黒々した記憶の毒から、母が解放されて欲しいと願っている。私の知る限り、記憶が純化していく中で、母の身贔屓と自己正当化は、信念・真実として結晶し、聞く度に辛いことが増えてくる。今年87歳になる母なのだが、100歳越えは確実の健康体を持っている。当分同居は勘弁してほしい。
2020年01月03日
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