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今日は、いよいよ長かった冬休みを切り上げて自宅に戻る。色々なことが短くない帰省の間にあった。母の事、自分の事、地震の事、航空機事故の事、諸々。4月以降のことについて、母の体調次第だが、帰省直後に比べても、まあまあ、復旧傾向にある。明確に改善しており、家事参加を通してのリハビリは有効である。残存機能を低下させないように、励ましながら過ごした。家の中では杖を使いながらの伝い歩きができるように補助棒が設置されたので、トイレも不自由なく、時間はかかるものの、過ごしている。祖母は、補聴器を使うことが早かったが、母は、全くその気が無い。聞こえていないことに気づくのは、本当に難しく、周囲の努力で聞こえていることに感謝は無い。元日のニュース以降、やっとテレビを観るようになったが、それ以前は、興味や関心が薄れていたのか、テレビもついていなかった。テレビが無いと、大地震にも気づかないし、あらゆる情報に遅れる。好きなスポーツが始まって、やっとちょっと観るようになった。音声的な刺激は、重要である。しかし、音が大きくて、閉口する。食事時は、ちょっと辛い。私が普段、無音環境下に居て、テレビをつける習慣が無いからか。元気になってきて気がかりなのは、自分の中で蓋をしてきたネガティブな感情が口をつくことだ。あからさまに嫌悪を口にするのではまだないけど、聞いたことも無かったような昔の悪い記憶を話す。あきれたとか、びっくりしたとか、私も知っている人のことを言うので、話を切るのに、苦労する。内容は事実で、その時に母が抱いた感情も、ありのままなのだが、常に身びいきで、父や、父方の親戚などには批判的だ。私にとっては、母よりも父親っ子だったから、余計に始末が悪い。昭和の時代を、貧家に生まれ、苦労して生きた父を、豊かな家の庇護で、親を失っても大学にまで行けた立場で、しかも、今の価値観で批判するのは、変。。。まあ、そんな話もできるような元気を取り戻したと言うことだ。母は、可能な限り長く、家で気ままに暮らしたいと感じているようだ。そのために、できることは、限られたことでも、自分ですると言う感じ。食事の懸念は無くなったので、後は、排泄だが、それも普通に過ごしているので、退院直後のような不安は感じない。家は、温かく保たれている。退院直後の不調は、冷え切った家屋での低体温症だったと判断する。入院原因の消化不良も、低体温で、内臓機能が低下していたことに拠るだろう。脳内の処理においては、一度に大量の情報が送り込まれると、混乱か停滞を起こす。情報の消化不良である。また、不注意によって、自分の置いたはずの場所から、ものが見えなくなると、混乱をきたす。オロオロするとか・・・無口になるとかだ。順調な時は、問題ない。食洗器のご飯用のタッパーのセットに関しては、注意をし、改善を促した。今まで通りのセットの上に、汚れていない平皿を下向けにかぶせるという方法だ。小さなことだけど、できることが増える。さ、帰宅の準備だ。頑張ろう。
2024年01月08日
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私は、朝、母を見送ってから、久しぶりに朝寝した。けっこうクタクタ。母がいない間にできることは、台所の除菌と漂白とか。頑張った。帰省してすぐにトイレの徹底掃除をしたんだけど、台所は母のスペースでもあるので、今日まで本格掃除は我慢してきた。夏の帰省では、冷茶を作るガラス容器の除菌が真っ先だけど、今回は、排水口周りやゴミ受けなど。ステンレスのザルの徹底掃除など、自分の口に入るものについては、もう少し前の昨年末に取り組んだ。細かい汚れは、母には見えない。分かっているから、ちょっとずつやって、母のストレスは減らしたい。あまり、がーっとやってしまうと、嫌だろうと思うので。母は、朝食を自分で作れるし、ご飯も自分で炊けるし、炊いた自分用のご飯を小分けして冷蔵保存することもできる。私がいなければ、ごく少量の食器だから、1日分をまとめて食洗器で洗うし、洗濯も自分でして、自分で干して、自分で畳んで、自分でしまえる。デイケアに行く準備も、自分でできる。ベッドメイキングも、自分でする。普段はデイの日だけ、デイで入浴する。今回の帰省で、何度かは私も家の風呂を使ったけど、父が機能を考えて作り直した浴場なので、本来、母は家でも入れる。浴槽の掃除が面倒なだけだ。風呂の劣化した蓋は、今回年末に慌てて買い直したので、まっさらなものだ。1人で入浴できるが、万一に備えて、妹や姪が、待機していたようだ。デイに行けないような体調の悪い期間は、それが必要だったろう。何ができて、何ができないのか、何をしてほしくて、何はされたくないのか、あらゆることは、母次第なのだ。姪は、今年30歳になるようだ。コロナで仕事を失って以降、相変わらず、自宅防衛軍だけど、妹がボラをはじめとした外出が多いこともあって、姪の存在は大きいと見える。私の4月以降の身の振り方も、姪に関わることが多い。おんぼろ車の車検は、妹にもう1年頼むことにした。母は、天気が良ければ、外出したい気持ちもあるようだし。去年は膝蓋骨の骨折から年末の消化器系の不調迄、母は一気に衰えた。私も、春先の64歳から、股関節痛、ぎっくり腰、不整脈と、寄る年波だしなぁ。。。ま、能登の人たちの苦難を思えば、どんな不調も乗り切らなきゃ・・・
2024年01月06日
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今年が西暦2024年であることは、贔屓のサッカーチームが23-24シーズンを戦っているから、覚えている。でも、令和で言うと何年か???ってなると、もう?????!令和6年なんやんな???これは、新聞を読まなくなった結果起きた私の退行現象だ。昭和・平成・令和と生きてきて、昭和は34年生まれだから、30年弱。平成は31年が令和1年だから、平成で30年ちょっと、そして令和で今春の誕生日で満5年目になるのだ。父も母も昭和で、祖母は大正で、祖父は明治の末くらいか?昭和は原爆もあり、色々と大きな日本と世界の歴史の転換点だったけど、令和も、いきなりコロナとかウクライナ情勢とか、トランプがらみとか、アフガニスタン、イスラエルとか、安倍死に、女王死に、大盛りのてんこ盛りで、濃すぎると思ったら、ここに来て、正月からいきなりやってきた。しかも、地震関連のニュース見てたら、画面に映ってるのが、石川県の火災じゃなくて、NHKの定点カメラの映像は、いきなり羽田の航空機事故の炎上をリアルタイムで中継するし、何故か羽田空港には、たまたまNHKの職員が被災地への取材に飛ぶために居合わせたし。。。末世とか、末法とか、思う世の中だ。一般参賀は、今日は中止になった。ご英断。箱根駅伝はあった。まあそうだろう。高校サッカーも、大学ラグビーも、あった。北陸からの高校生のチームは大変だったろう。今朝、母は、次の野望を達成した。セブンイレブンに行くと言う野望だ。昼ご飯前に、昨日の年賀状の返事を出しに行ってあげようと台所に顔を出したら、外出の準備をしている母親がにこやかに言うんだ。今から、セブンイレブンに見学に行って、それから、けいことドライブに行って海を見て、帰ってきてから1時半から昼ご飯にする。年賀状は?って聞いたら、ポストはどこにでもあるやろって言う。家から一番近いポストは、郵便局のポストで、しかも、一度も行ったことが無いだろうと思うんだが、去年新しく移ってきた徒歩5分の郵便局。へっ???って思いながら、何食わぬ顔で、junkoにメールしといてなって、言って、母がトイレから出るのを待ってプチドライブに出かけた。徒歩五分の郵便局、年賀状出し。徒歩五分のセブイレ、母の社会見学、セブン銀行の便利さを説明。そして、晴れた冬の日本海を、見るドライブで、室津から吉母、そこから引き返して、1時35分に帰宅した。昼ご飯を温めていたら、母が、セブイレの店員が客を監視しているみたいでいややったって言うから、それが可笑しかった。あれは、レジやでって言うたら、何人も居ったって言う。レジが複数レジで、店員は品出し以外はあそこで客に対応するんやでって説明した。店員だって、90歳のおばあさんが杖つきながら、64歳のおばあさんに手を引かれて入ってきたら、そら、じろじろ見るやろ???・・・・・そうそう、備忘録として、母が、今日、吉母小学校を見た後、室津に引き返してきて、室津小学校の横を通るまでの間に、初めて行った吉母の印象が強かったのか、室津小学校と言うべきところで、吉母小学校とはっきり言ったので、一度に入る情報が多いと整理しきれなくなると感じられた。・・・・・NHKのニュース映像の羽田空港の飛行機炎上を見ながら、羽田ってどこなん?全然わからん、知らん!・・・って言い放った。本当に、全く羽田を知らないかのように言い放ったので、ちょっと心が折れた。母は、飛行機に乗ったことが無い。にしても、羽田空港を知らないはずはないので、記憶に欠損が生じてるんだなぁって昼間の出来事と共に心に残った。・・・・・おばあちゃんも、よくゲップをしてたけど、最近の母もゲップが多い。こうやって人は老いていくんだって、その姿が教えてくれるのだなぁと、母を見て思う。明日の母の野望は何だろう???・・・・・考察1,お母ちゃんがセブンイレブン見ときたいのは、デイケアでの話題についていく為!?
2024年01月03日
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昨日と今日とは、母の野望を叶える為に相当頑張った。母の野望は、何事も無かったかのように、お正月を迎えることだった。お正月には、妹の家族4人もやってきて、一緒におせち料理を食べる。我が家で。主宰するのは母だ。お節料理を、単品で取り寄せて、盛る付けるだけだけど、冷凍庫から出して、普段なら大晦日にお重に詰めるところだが、母は、お重は止めて大きなお皿を使うという。お皿におせちを並べると言うのは、テーブルの広さのロスで、準備の段階から無駄だから、私がお重にした方が良いと思ったので、そう言ったら、じゃあ、あんたがやってって言う。焼いてある小鯛が銘々付けで、6皿あって、その他に取り皿が6人分あって、湯飲みがあって、お重が3つと。丸皿のハムとブロッコリーの盛り合わせが1つ。昨日のうちに姪が作ってくれたお煮しめを、一の重のセンターに入れて、周囲に有頭海老煮たのを6尾。姪の煮しめには彩りにちゃんと絹サヤが入っていた!同じく姪が作ってくれた紅白なますを二の重のセンターに置いて、数の子、ドン!鮭の昆布巻きと鰊の昆布巻きを6切れずつ。庭から小葉の南天の葉を取ってきて彩りにした。三の重は、栗きんとんドカン!と、黒豆と、金柑の甘露煮と、若桃の甘露煮と、甘いの尽くし。これに、丸皿のでかいのにブロッコリーを並べて、センターに三田屋のハム(みんな大好き)。残ったのは数の子と、少量の栗きんとん。昨日のうちに、解凍するものは解凍し、心づもりができてたけど、今朝になってから、母が、さつまいもはどこかいな?って言うのだ。???まさか、これからきんとん???って思ったら、廊下の冷凍庫から「裏ごししたさつまいも」ってやつが出てきて、カチコチやがな。こんだけもどないすんねん???って、朝ごはんの後片付けしながら思ってたら、母が席の後ろの食器棚を指さして、何食わぬ顔で、そこに栗の甘露煮の瓶詰があるやろ?って言うねん!はあ???それ、元日の朝、お餅食べてから言うこと???って思いつつ、まあ、もう、乗りかかった舟やから、母の希望、元へ、野望を叶えるしかないと、諦めて。朝からお屠蘇用のお猪口が無いと、プチパニックで途方に暮れていた母。それでも、あとはお雑煮も盛り付けるだけってところまで、母の独力でできていたので、良し良しと思いつつ、お仏壇に供えるお雑煮を入れ、おそらくは捨てられたであろうお猪口の替わりに、一番小ぶりの湯飲みで、2人でお屠蘇も飲んだし、お雑煮も食べたし・・・もう、朝から、普段食べない私にしては相当頑張ってたのに・・・そこから、食後の片付けしつつ、ぬるま湯で緊急解凍し、鍋をIHクッカーにかけて、甘露煮のシロップと適当な量の味醂を煮詰めて、裏ごしさつまいもを練って、練って、練って、仕上げに半割にした栗を混ぜ込んだ。クチナシもへちまもありませんって!砂糖は足さず、隠し味の塩も入れず、気力と時間が作る栗きんとん。普段使わないからIH調理器具とは私の相性が悪いのだ。ま、きんとん作ったあと、ブロッコリー茹でて冷ましたり、ハムの塊を切り分けたり、テーブル周りの母の品をどけたりして、後はお重出すだけ、全部準備し終わった頃、やっとパソコン立ち上げて、サッカーの結果みようと思ったら、いきなり飛び込んできた大津波警報の文字にびっくりした。なんか、母が全くテレビを見なくなったので、情報弱者になっていた。私は普段から全くテレビを見ないから、結構やばいと思った。兎も角も、つけっぱなしで情報を得続けているうちに、姪が準備に派遣されてきたが、もうすること無いから母とテレビを見てもらっていた。妹家族もそれから小一時間でやってきて、会食して、帰って行った。さすがに食器は食洗器に任せた。官房長官になったばかりの林ヨシマサ君は、地元の中学で、母の教え子なんで、彼が画面に出る時だけ、ちょっと声を出して、それ以外は音声消してテレビをつけている状態。ウクライナに行って帰ってくる途中で、外務大臣外されたのに、今回も緊急事態で、引き受け手の居ない官房長官やらされてて、その上、この事態だ。安倍も、岸田も、困った時の林君である。彼がテレビに出るたびに、母が、「痩せんにゃあ!」って言う。国難だ。内政も、天災も。辰年が始まった。
2024年01月02日
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