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気が付いたら霊的な背後にどうも男神様がお一人就いてくださっているようで、出雲に行ったときに就いてくださったようです。 母といっしょに神社とかにお参りすると神様のご機嫌が良くなるようで、白山神社の菊理姫様にも仲良くさせていただけるようになったのも母との参拝が起点です。 自分の霊的な背後を視るには心眼が必要なのですが、臆病な性質の人間には大体出来ることのようで、ただしっかりと腹を据えていないと変なものが視えたときに心がパニクってしまうので注意が必要です。 人の霊的な前面や横手は意識の中にきちんと防衛ラインが出来ていますから、守護霊様が普通に守ってくださいます。ただ背後は一番信頼のおける霊的な守護仏に守っていただくのがベストなようで、もちろん私は背後はお不動様にお任せしております。 ですからお不動様にお参りに行くと背中のあたりからじわじわと温かくなつてくるようです。 今回の神様は荒ぶる神様なのでお不動様とも相性がいいようで、居心地良くおられるようです。ありがたいことです。
2012年07月31日
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表題に「いじめ」と書けば少しでも注目が集まるのが嫌なので避けました。 個人的な意見です。 もちろん私もいじめられた当事者なのですが、いじめの最大の問題点は「いじめる側」の心の問題です。何よりもいじめた側は学校を卒業して何年か経つといじめた事自体を忘れてしまうのです。何もなかったかのように平然と社会生活を始めていきます。 いじめられた人たちは心の傷をその後の人生すべてにおいて背負って生きていくというのに、加害者たちはすぐに「そんな事」は軽く忘れてしまうのが普通です。 為政者にしても社長という立場の人たちにしても「力」を持った人達がすることは一方通行であり、刹那的なことが多いという事でしょう。 いじめられた人達にも問題があった??そんなわけはありません。全て加害者側にこそすべての問題があったのだと思います。 増税を推し進めるどこかの国の首相も国民のことを考えてと言い続けていますが、そして増税しなければ経済的に成り立たない国の現状というものもわかりますが、どう考えてもやはり「いじめる側の人間」のやっていることだと思わざるを得ません。 あるSF小説の中に一つの解決策が出ていました。誰もが生まれた時に身体の中にある小さな機械を埋め込みます。この機械はその人の全ての行動と思考過程さえも記録して、あるセンターへ送信し続けます。全ての行動が監視されているということです。もちろんそれを見ることには厳しい制限が課せられますが、これによって犯罪というものは無くなり、いじめももちろん無くなるでしょう。 これは夢物語ですが、こういう事が現実にできればもう少し人は幸せな生活を送れるようになるのかもしれません。
2012年07月29日
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本物の霊能者というのはもしかしたら「孤独」なのかもしれないと思っております。 何故なら見えないものが視えるというのは、一種の力として作用することだし、そういう「力」には人が集まってくるものです。しかし、人を自分の周囲に「縁者」として集束させてしまうと「霊的な濁り」が生じてしまうのではないかと推測しています。 人格的に優れた霊能者の場合、周りに人が参集してきます。力が強ければますますそういう傾向が強いように思います。S氏なども優れた霊能者でしたが、周りに人が集まり過ぎて、おかしくなっていったように思います。 「縁」というのは見えない拘束衣のようにいつのまにか人をがんじがらめにしていきます。「悪縁」にしても「良縁」にしても人には拒むことは出来ず、なすがままに縛られていく結果になります。 私などは人格的に優れてもいないし、孤独癖があるので他者をあまり寄せ付けない傾向があります。(スクールの生徒さん達ごめんなさい。私の性格はあまり指導者向きではないのかもしれません。) 霊的にあちらから無言のアドバイスとして「人をあまり寄せるな」と言われているような気がします。 霊的な「個」というものはある意味「宝物」のように守って行かなければならない「人の核」のようなもののように思います。まだまだ修行中の私には解らない部分でもあります。
2012年07月28日
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子供のころ夏は蝉取りに夢中でした。私の住んでいた地域は寺院がとても多い土地だったので、境内の木々に蝉たちが数多く出没したものです。 鳴き声を頼りに「数集め」に奔走する日と、種類を増やす日に分けて楽しんだりしたものです。 数集めの日にはやはり一番数多く取れる「アブラゼミ」がターゲットになり、ゴロという鳴かないメスも含めて三十匹以上捕ったものです。これらは確か最後には逃がしてやったような記憶があります。 種類集めでは「ニイニイゼミ」や「ヒグラシ」や「ツクツクボウシ」なんかを集めていて、たまに「クマゼミ」なんていう希少なセミを捕まえると有頂天になったものです。 それなのに今年の夏、あまり蝉の声を聴きません。どうしたのでしょうか。
2012年07月27日
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女子サッカーが初戦を制し、幸先の良いスタートとなった世紀の祭典です。日本人選手の活躍が期待される種目もあれば、どうしても腕力に勝る西洋勢には勝てない種目もありますが、どちらも精一杯頑張ってほしいものです。 と言いつつ「お祭り」というものが生来苦手な私は世間のムードには付いていけず静かにオリンピックが終わるのを待っています。勝負事に賭けるということや他人と競い合うということが本来好きではなく、自分に克つという精神状態もあまり好きではありません。 静かに淡々と日々の生活を過ごしていくのが好きです。テレビなどで観ているタレントさんでも、作られたキャラをとても強く演じていたり、変人キャラをそのまま演じている人たちを見ていると何だか可哀想になってしまいます。 スポーツ選手も競技のために犠牲にしている部分が多々あるのでしょうが、名誉や自分の成長の為に厳しく戦っている姿を見ると、そこまでやらなくてもいいのにとつい悲観的・消極的な意見を持っている自分に気づいてしまいます。 またまた独断と偏見溢れる意見なので無視してくださっていいのですが、私はスポーツというのは誰にも見せずに個人が楽しむものでいいように思います。例えば「登山」というものをスポーツと考えるのなら、最近はそれをネットで配信して頑張っている人がおられますが、それが感動を呼んでいるのは本来はその人個人の世界だけのものだったのが公開されたことによる「驚き」があるからだろうと思います。 サッカーにしても野球にしても観戦者がいる中で行わずに、自分たちだけで行っていれば「プロ化」はされなかっただろうと思います。「プロ化」されるとスポーツはスポーツではなくなり、「商業技術」になってしまうのではないか?とフト思います。メジャーリーグのイチロー選手の姿は個人の戦いという面が強くあってスポーツの本来の姿に近いような気がしています。 またまた変な意見をオリンピックの最中にほざいてしまいました。スポーツ大好きの皆様申し訳ありません。
2012年07月26日
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毎年、夏になるとお客様に言う事があります。「シャワーばかりにしないで、二日に一度はお風呂に浸かってください。」ということです。 シャワーばかりにしていると体質によって自律神経の乱れを身体が修復・調整できなくなって自律神経の変調がそのままになってしまいます。 実証体質と言って体力のある方なら問題は無いのですが、中間証の方や虚証体質の方はお風呂による全身の体温リセットが必要です。 そして実証体質の方でも重要なのが、夏の塩分補給です。甘いものは身体を中から冷やす傾向があるので、甘いものの過食が多くなりがちですが、実は夏にはミネラル塩を十分に摂っておかないと身体の中に「冷房による冷え」などが残って行ってしまいます。 塩分は身体を中から温め、しかも一緒についているミネラルが余分な塩分は体外に排出する役目を果たしますから適度な塩分を意識して摂ることをお勧めします。 身体のケアをうまくやって夏を乗り切りましょう。
2012年07月25日
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須佐神社の近くの須佐川という川が凄かったです。川床が古い古い地層がそのまま浮き上がっている川で、元々島根という土地の川は古代のエネルギーが満ちている川が多いのですが、この川も凄いエネルギーを隠していました。 水木しげるさんが妖怪の存在を子供のころから感じていたのも、こういうこのあたりの独特の土地のエネルギーのせいなのだろうと思います。他の土地には決してない古い時代と直接つながっている「水の流れ」がそこかしこにある場所です。 こういう古代からのエネルギーが「妖怪」という形で出現しやすいのだろうと思います。小泉八雲のような霊感の優れた人を引き寄せたり、古くから妖怪の棲家として知られている三次市などもこの近くです。 日本の霊的な玄関のような場所がこの出雲のあたりなのかもしれません。日本中の神様が集まってくるのも、こういう土地柄のせいなのだろうと思います。
2012年07月24日
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今回の旅もいつものごとく母との旅につきものの「禊の雨」から始まりました。 行く途中の福井あたりの豪雨は半端ない凄いもので、これだけ自分たちの霊体に穢れが付いていたのかと悟った感じでした。 八時間かけて出雲大社へ到着。本殿は未だに修復作業の途中で、祭神は不在です。侍り神様たちが周囲の山・森の梢から見守っておられました。 出雲大社の古代の本殿は地上48メートルの高みにあったということですが、これはいつも私が氣視しているときに神々が決して地上近くにはおられない事と一致しているのかもしれません。 神というものは人という存在を高みから見下ろしている存在なのです。私の母は氣の力が半端なく強いので、自分の念だけで神様への道を強引に作って送り込んでいました。もちろん無意識なんですが・・・。 それから地元のネット友達の方から推薦していただいた須佐神社へ向かいました。 伊勢神宮へのお参りの時にも「瀧の宮」というお社に招かれて、そこが伊勢神宮のルーツというか原型の社だと感じましたが、今回の須佐神社も出雲大社の主神である大国主命の父祖神であるわけで、神社の造りも出雲大社のミニチュア版という形になっていました。 何故どこの聖地へ行っても「ルーツ」のような土地に導かれるのでしょうか。須佐神社の本殿左右に日本全国からの神々が集まった時に会議をされる社の形を見極めたときに、何かこの国の神々の在り方というものを教え悟らされているような感覚を覚えました。 須佐神社には神様の本質のようなものがおられました。それは深山幽谷の中の湿った巨岩の岩肌に生える深緑色の苔のような色合いと肌触りを私に感じさせ、「自然の力に抗う人の性の根本は地球の成り立ちと同じ、海が山を侵食し海から山が隆起し、マグマの火が海の水に流れ込みつつ大地を作っていく姿と同じ営み」と教えてくれているようでした。 スサノオノミコトの荒ぶる力は地球の営みの象徴なのでしょう。人が治め得るようなものではないのです。 伊勢にしても出雲にしても、古代のルーツたる姿の社の地の声は人の再生を私に促しているように思えました。
2012年07月23日
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明日から出雲へ旅してきます。朝早くの出発なので日記は書けないと思います。二日ほど日記はお休みになるかもしれません。 出雲でどんな神様と出会えるのか楽しみです。ロングドライブです。前の会社にいた時に境港市まではよく出張していました。大山がまた見えるかな。
2012年07月20日
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子供のころ、近所の児童会館という場所の庭の大きな楠の根本の洞の中にいる大きな蟇蛙を見たことがありました。 野生のそんな大きなカエルは見たことがなかったので、とても驚いて心に焼き付けられたのだろうと思います。 カエルと言えば母の実家の周りの田んぼにいるトノサマガエルやイボガエルしか知らなかったので、カエルの王様かなと思ったものです。 人の姿を見ても逃げもせず悠々と佇んでいました。 こういう動物の野生の姿を見ると、自然のエネルギーがどういう形で結実したり、動いて行ったりするのかがぼんやりと感じられるような気がします。 テレビや映画の中の映像体験では無くて、こういう生の「生きる」姿をもっと子供たちの多くに見てもらいたいなぁなんて勝手に思っています。
2012年07月19日
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法体の武将というのは出家をして僧侶の姿をしている武将たちのことです。上杉謙信や武田信玄などが有名ですね。 何故、仏の道に入りながら殺生の極みである武将でいたのか?不思議であり矛盾しているという部分もあります。 多分、自分が殺したり犠牲にしてきた人たちの菩提を弔いながらもそれでも戦いを止めれないという自らの存在へのアンチテーゼだったのかもしれません。 先日氣視させていただいた女性の守護霊として現れた方がこの法体の武将でした。「大きなものを生かすために小さなものを犠牲にする必要がある」そういう重いテーマが現れた氣視だったのですが・・・。 大津市のいじめ問題についてタレントの中川翔子嬢が立派な文章をブログに載せておられました。たぶんご自身がいじめに遭った経験があられるのだろうと思います。 人は自分が被害者や当事者にならなければ、本当の「思い」というものを持つことはできません。 法体の武将も殺される瀬戸際を経験したからこそ、仏の道をも自分の中に取り込む決意をしたのだろうと思います。 「人の命」というものの重さ、尊さ・・・それを解らしめることこそが「教育」の本質ではないかと思います。 原発事故の被害者の方達にしても電力会社の幹部や社長は原発のそばに家族とともに移り住んでみろと思っていると思います。 人の世というものは全て「教え教えられる」場です。人の命、人の尊厳を大切にする教育というものが世の中すべての場面において顕現されていかれることを強く願います。
2012年07月18日
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気温は30度です。少し吹く風は涼しいのですが、朝から汗がじとっとにじんできます。 昨日の金沢は36度を超えて猛暑日となりました。今日も何だか暑くなりそうです。頭の中まで湯だってしまいそうな気がします。 外でお仕事をされておられる方達は大変だと思いまするそれよりももっと大変なのは暑い外と涼しく冷房が効いた室内を往復する方達です。身体の体温調整機能が過敏になって自律神経を痛める形になります。 お家へ帰られたら湯船にどっぷりと浸かって身体を全身で温めて自律神経のリセットをしてください。 私は暑さが苦手なのでなかなか慣れませんが、慣れるまで何とか頑張っていきましょう。
2012年07月17日
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彼女の氣視をすると古代のイギリスに住んでいるケルト人の男性が視えました。 彼は今でいう数学者でストーンサークルのようものを設計して天文学から数学まで様々な「数理」を研究していました。 だから思考回路が常に論理的です。今世の彼女はとても一見そんな風には見えませんでしたが、氣視の結果をお話しするととても驚いて「私、数学の教師をしているんです。」とのこと。 高校で数学教師をしていて、今は小学校で教えていられるとのこと。 あちらからのメツセージは「何もかも割り切って考えるのは止めるように。何事にも未来があり変化する可能性があるということを現実として見定めて、もう少し周りに優しく接するように。」ということでした。 同じことを彼氏によく言われるようです。ちなみに彼氏はこの前世では奥様で前世でもよく言われていたことのようでした。
2012年07月16日
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私の守護神様にしても守護仏様にしても全て何らかの「武器」に関わっておられる方達で、今回ご縁を頂いた観世音菩薩様でさえも調べてみると、やはり「武器」に縁のある方でした。 如意輪観世音菩薩という方なのですが、元々「如意輪」というのは投擲用の武器だったものだそうで・・・。 本来「武器」もそもそも争うことが大嫌いな性格だと認識していたのですが、これはどういうことなのかと考えてしまいます。 誰かを守るために戦うということなら充分納得できるのですが、そう解釈するにしてもこうも「武器」が縁続きだと何だかわからなくなってしまいます。 人の世の中から「武器」というものを全て無くしたい、そう切実に思います。そのために霊的な世界の中だけでも世界中から武器を回収して誰にも使わせないようにするために働く・・・そうなりたいとでも思っていくしかないようです。
2012年07月15日
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その方の家系が抱えている「業」というものはどうしょうも出来ないものです。個人的な憑きモノとかは何とかできるものですが、「家」の憑きモノとなるととてつもない熱量を持っているので手を付けることもできません。 何千人にお一人くらいそういう家系の「業」を抱えておられる方がおられます。先日視た方の場合は「土の中に火が燃えて固まっている」という姿で視えました。これは可哀想だけれど手を付けられないなとあきらめ、ご本人にもお話しませんでした。 それでも何事もなく平和に暮らしておられる方がほとんどなのですが、どうしょうもない苦難を抱えてしまってもそれを当たり前と捉えていることがよく見かけられます。 どんなお家でも少しずつ問題点を持っているものですが、それを問題と捉えないで課題点と捉えて乗り切ることを生涯のお役目とするしかないのかもしれません。 魂の集団化が持つ「光」と「闇」の部分。個人の修行者が必死になって取り組んでいるのはこういう「闇」の取り払いなのかもしれません。
2012年07月14日
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急に夏と梅雨が同時やってきたような感じです。体調を崩しやすくなるかもしれません。皆様お気を付けください。 暑いのは苦手で寒いのは得意です。冬生まれだからでしょうか。暑くなると頭がすっきりしなくて、ぼーーとしている感じになります。 夏は大切な季節だとは思うのですが、早く過ぎてくれないかといつも願います。糖質制限ダイエットを試してみているのですが、なかなか体重が落ちません。健康の為にもう少し続けてみようと思っています。しかし、その為に大好きな西瓜を思いっきり食べれなくて少しさびしいです。
2012年07月13日
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我が家のワンコは心臓に少しガタがきているので、月に二回ほど動物病院へ行きお薬を貰っています。そのお蔭で13歳になるのにとても元気で若いワンコと散歩の途中でよく間違われます。 動物病院は寺町台地という金沢の南側にある台地の上にあるので、自転車で行くと行きはずっと坂道です。ワンコを自転車の前かごの中に座らせて、エッチラオッチラと漕いで行きます。 金沢には二つの台地があって、ともに江戸時代以前には砦の役目わ果たすために寺院群が多く建てられました。寺町台地もその名の通り数多くの寺院が林立しています。その中を病気のワンコを乗せて月二回自転車を走らせています。もちろん雨が降れば車で行くことになります。
2012年07月12日
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氣視の中で「蛟(みずち)」が空を飛んできたのが視えて、それが地に立つ天部の御仏に近づいていきました。 よく視るとその御仏は毘沙門天で、蛟はその三叉鉾の柄に降りていき巻き付きました。 私の解釈では蛟というのは竜神になる手前の存在で、成りきれずにいるものなのか、もうすぐ神化するものなのかというものです。 そして不動明王の破邪の剣に竜神が巻き付いているのと同様に毘沙門天の破邪の鉾には蛟が宿るのかもしれません。 そう言えば不動明王と毘沙門天は対になって並んでいることが時々あるそうなので、不動明王の「火」に対して毘沙門天は「水」の魂性を持っているのかもしれません。
2012年07月11日
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私の守護してくださっている神様は「剣」の神様なのですが、同じ神様系の方が来院される直前にメッセージが来て 「剣に鬼力を宿らせてはいけない。常に観音力を心に満たしていなさい。」とのこと。 確かに「破邪の剣」を持つのが基本の人間にとって「剣」はやはり戦いの道具なので「鬼力」に頼ってしまいたくなるのが人の性というものだろうと思います。強い力で剣を振りかざしてみたくなるものです。 しかし「剣」は他者に向けるものでは無く、自分自身の心に向けるもの。そこには鬼力は必要ではなく観音力の慈愛こそが必要なのだろうと思います。 自分を愛していけるものだけが他者をも愛して行けるのだし、慈愛の心こそが破邪の目的を達成できるのだと信じています。 本当に邪悪なものというのは、邪悪と思われているものの中でも一割ほどだと私は感じています。それ以外のものは「惑わされているもの」だと思っています。一割の真に邪悪なものに出会った時にこそ鬼力は現れるのだろうと思っています。
2012年07月10日
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そろそろお盆の時期ですね。しかも雨が降って湿気が高いと、あちらの世界との接点がゆるくなります。 亡くなられた方達がこちらの世界へ来やすくなるようです。肉親の亡くなられた方が近くへ来られていると氣視の中でまず「匂い」を感じます。 お父さんや旦那さんだと「タバコのにおい」なんかがプンと匂ってきます。施療を受けている女性はタバコを吸われない方なのですぐにピンときます。 水気というのは「氣」を吸収しやすい物質だから大気中の水分が増えると「氣」に関連する霊体なんかは移動しやすくなるのかもしれません。 こういう霊体を感じると「意思」というものを強く感じます。この世への未練ではなくて、遺してきた者たちへの「愛」が感じられます。
2012年07月09日
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恋に悩む女性が多いです。それも結婚適齢期ぎりぎりの方が多い。話をお聞きしたり、その方の守護霊さんからも話を聞いたりすると、原因の主たるものは「好みへの妥協が少ない」ということらしい。 決して自分の好みのタイプではない男性には興味を示さないという特徴があり、守護霊さんが用意した相手が目の前にいても好みでなければ素通りしてしまうらしいです。 しかも「好み」というのがほとんど「外見」に限定されているというのだから男の私からすると困ったものだと思ってしまいます。 と言うのも私は女性にあまり好みのタイプというものがありません。どんな女性でも「素敵だな」と思うところを見つけてしまいます。「単なるスケベだ。」なんて言わないでください。 外見で言うなら「肌がとてもきれい」だったり「首筋のラインがとてもきれい」なんていう美点を数多く見つけて加点していってしまいます。 美人ほど性格が男っぽくて雑な人が多いなんていうのもよくわかっています。 綺麗な外見の人に惹かれるのは男性でも女性でも同じようですが、人を好きになるのに必要なのは「加点方式」の見方だと思っています。 付き合っていくに従って、少しずつ加点していく評価の方法を自分に試していけば「恋に悩む」なんていうのも少し減るのではないかと、軽率な私は安易に考えています。女性の悩みはこんなに単純なものでは無いですよね。
2012年07月08日
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昨日から大雨洪水警報が発令されて、携帯の防災メールには何本もの市内を流れる河川の警戒水位が送られてきていました。 昔の道は今のように舗装されていなくて降った雨は地面に吸い込まれていく割合が高かったようです。スギ花粉も地面に落ちて吸収される率が高かったようです。その代り砂埃や小石なんかが家の中にまで入り込んできていたように思います。 私の育った家は都市部にあったので、物心つくころには周り中アスファルトで囲まれていましたが、母の実家の家の周りにはまだまだ舗装されていない道もあり、何よりも家には「土間」というものがありました。家の中に地面がむき出しの部分があったわけです。 現代では透湿性のアスファルトなども出てきたようですが、昔の道の「自然に対する優しさ」が何だか懐かしく有難く思えてくるようです。
2012年07月07日
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最近のJ・ポップや韓国ポップの歌はいいなぁとは思えても心が震えるということはなかなかありません。 55歳のおじさんではしょうがないのですが、若いころに聞いた石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」なんかの感動、心の震えというものを最近はなかなか感じなくなりました。 ジブリの映画の音楽、もののけ姫やら「千と千尋の神隠し」のエンディング曲なんかには心が震えたりしました。 中島みゆきさんの曲なんかにも心に響くものがあります。 要するに物語性が高い楽曲に心が揺さぶられることが多いのだと思います。もちろん今の楽曲にも物語があるのでしょうが、刹那的過ぎてわかりにくいのかもしれません。中年のおじさんの心を震えさせるのは、昭和的な物語で無いとダメなのかもしれません。 テレビの才能テストなんかを受けてみると少しだけ「音楽」を聞き分ける才能のみがあることがわかってきました。耳だけはいいようです。 音楽というのは「個」のものです。私の「個」の心に響くのは物語のあるゆったりした楽曲なのだろうと思っています。それは他の人と相容れないもので、それは誰にも共通する特性なのだろうと思っています。 要するにその人独自の心の震えがあるのだということですね。
2012年07月06日
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三人の女性が来院されまして、お一人目を氣視してみると江戸時代末期のさる藩に勤めておられるお武家さんでした。名前まで伝わってきました。何故か「藩史」の編纂をしておられる真面目一方の男の方でした。何故こんな変わった職分の方が・・・と思いつつお二人目。 この方は瀧をご神体とする神社の巫女をされていました。瀧に赤いもみじがかかって綺麗な風景が視えていました。この赤い色というのが後で意味を持ってきました。 お二人ともにそれぞれにメッセージのようなものがあり、この時点でお二人が同じ地域に同じ時期に住んでおられたような感じは伝わってきました。 すると三人目の女性の氣視ですべてが繋がっていきました。彼女は一度来院されている方で今回の中心人物とも言える方なのですが、スピの世界でもそういう事になっていました。 彼女の前世は最初の人の前世の中の藩の藩主の側室でした。そして時代劇ではよくあるところの「跡目問題」というやつでした。 彼女の産んだ男の子は正室に世継ぎの男子がいたので他の藩に養子に出されていました。ところがその正室の世継ぎが亡くなってしまったわけです。他に世継ぎとしてふさわしい男子がいないので、藩内は大もめにもめていました。 ここでお一人目の前世の武士と側室が関わってきます。藩の歴史の中でこういう前例がないかどうか調べなくてはならない事になってきたわけです。 そしてお二人目の巫女は側室の方が信仰していた神様の声を伝えてきたわけです。赤いもみじは怒りというか感情を表していました。感情的に決してならずに冷静に跡目の問題には対処していくこと。それが一番大事ということでした。 そして藩史の中から適切な前例も見つかり、藩内はごたごたも収まり無事にこの側室のお子さんが跡目を継ぐことになったようです。 三人で来られるとこういうドラマのような展開を視せられることがあります。
2012年07月05日
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生まれたときは一人 死んでいくときも一人 生きていくのはいろんな人といっしょに歩いている心算(つもり)だけど 本当は生きていくのも一人なのかもしれない でも心は別の心を求めています 触れ合える心 喜び合える心 悲しみを分かち合う心 心はきっと生まれたときも、死んでいくときも、生きていくときも 一人ではないのかもしれません 心はきっといつも結び合っているものなのだと信じています そういう心の結びを持って今日も一人で歩いていきます
2012年07月04日
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自分自身はどうなんだという深く強い疑問の自問自答は常にあります。自分で勝手に悟ったような気持ちになって偉ぶっているのではないか?とか人の為にと思っているけれど、そこに「我」というものはゼロではないのではないか?とか・・・悩み反省するために人は生まれてきたのではないかと思ってしまいます。 しかし、きっと「それは何かに気づきなさいというお知らせなんだよ。」という出来事に遭遇しても気づく事無く以前と同じ生き方を繰り返している人などを見ると(これを読んでくださっている方達の中にはおられません。そう感じています。)何故そういう事に鈍感なんだと思ってしまいます。 裸の王様というのはどこにでもいるもので、自分の姿というのは常に客観的に見つめられるという人はとても少ないようです。勢いのあるエネルギッシュな人に多いかもしれません。 私の理想の生き方は出来る限り人に迷惑をかけず、逆に少しでも人の為に何かが出来て、それをできる限り長く続けられて、何よりもできる限り目立たないでひっそりと生きることです。 だったら日記なんか毎日書いてアップするなと言われるかもしれません。本当にそう思います。でも、これはもしかしたら自分自身をできる限り客観的に見ていく修行なのかもしれないと思って常に迷いながらもしていることなのです。 悟れない人・・・その内の一人が私なのだろうとは確信しています。
2012年07月03日
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七月一日は白山の夏山開きでした。20年ほど前に椎間板ヘルニアになってから山登りは無理な身体になってしまっているので、白山山頂に再び立つというのは叶わぬ夢になっています。 それでも白山の登山口になる市ノ瀬という地点あたりまではぶらぶらと行ってみたりしています。 白山という山はとても大きい山なので登山道が何ルートもありまするその内の二つの登山口は温泉地になっています。「中宮温泉」と「岩間温泉」です。 「中宮温泉」から登るルートはとても長い時間がかかるルートのために下山専用ルートとして使われることが多いです。このルートを友人と二人で若いときに登ったことがありました。頂上までは行きつけず途中の避難小屋で一泊して帰ってきましたが、滅多に登山者の来ないルートは下草が生い茂り、動物たちが自由に動き回っている本当の白山の姿を見せてくれたものでした。 夏山が開かれるとそういう思い出が夏草のあの香むせたつ中から蘇ってきます。
2012年07月02日
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ある女性を氣視したらカラス天狗が憑いて悪さをしていました。カラス天狗にも色んなタイプがいるのか、それとも天狗との相性の良しあしがその人その人で違うのか・・・ちょっと不明です。 彼女の場合はこれが憑いたせいで、精神的に不安定になり言動も行動もフワフワしたものになっていたようです。カラス天狗に悪意はあまり感じられませんでしたが、結果として彼女を苦しめていたのでお不動様にお願いして離れてもらいました。 「心の隙」というものがあるとこういう雑霊と呼ばれるようなものが憑いてしまうことがあるようです。「夏」という季節も何だかこういう心の状態を生みやすい傾向があるかもしれません。皆様ご注意を。
2012年07月01日
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