全30件 (30件中 1-30件目)
1
来月に再び出雲大社へ行こうと思っています。母と二人で行きます。普段は第二土曜が定休日なのですが、その日に宿泊先が予約できなかったので、お客様には申し訳ないのですが、定休日を変更させていただいて第三土曜と日曜を休業して行こうと思っています。 第二土曜は七月は営業します。皆様申し訳ありません。80歳を過ぎて未だに仲人業を続けている母にとっては縁結びの神様である出雲大社は一度は行きたい場所だったようなのです。しかも母は両膝の人工関節手術をしているので、パック旅行のような団体行動を伴う行程はこなせません。贅沢なようですが、私が付き添ってのんびりと車で行ってこようと思っています。 母と二人で行くと何だか不思議な体験もすることが多いので、今回も少し楽しみです。
2012年06月30日
コメント(0)
その方の氣視を始めると白い砂浜が広がり、松林が続く綺麗な海辺の風景が視えました。 本当に気持ちの良い風が吹いて、景色の素晴らしさと相まって私の心の中まで心地よい風が通り抜けていきました。 彼女の前世は漁師をされていたようで、昔の日本には数多くあってであろう見事な砂浜に彼の舟も引き上げてありました。 日本人の原風景なのかもしれません。「白砂青松」。今では銭湯の壁絵でしか見かけられなくなってきている光景です。 松は木々の中でも「氣」の力がとても強い木です。松林の中を散歩すれば人の氣も充実するはずだと思います。 最近見た白砂青松の海辺は福井県の気比の松原くらいでしょうか。気持ちの良いこれからの季節訪れてみたいと思いました。
2012年06月29日
コメント(0)
ある女性が山へ行って腰を痛めたと言われて来院されたのですが、氣視してみると「蔵王権現」との相性が悪い何かの因縁を持っておられる方だとわかりました。 蔵王権現は修験道の主尊でもあり、守り神です。この方の前世で修験道に関わって脱落した世があるのかもしれません。 峻烈な性格の神仏ですから、その山か峰に近づくことさえ許していないような感じでした。 神仏もそれぞれに性格的なものが違われるようです。厳しい神様はそれだけ強い力もおもちなのですが、近づくにはそれだけの心力も必要なようです。 先に書いた鬼力・観音力で言うならまさに鬼力の固まったような方がこの権現様なのかもしれません。
2012年06月28日
コメント(0)
偽物というのは、偽物であればあるほど本物とそっくりの姿や形をしています。 本物というのは偽物とは全く逆に本物であればあるほど、これが本物かと見紛うばかり、だれが見てもそうは見えず、一笑に付してしまう、そのようなつまらぬ表情をしているものです。 何事においても「偽物と本物」というのはあるものです。外見にだまされずに本質を見極めるのは大変難しいことですが、前述のような指針をひとつ心に置いて見極めていきたいものです。 自分の心に真に問いかける一瞬を持つということが判断するときに大切なのかもしれません。
2012年06月27日
コメント(0)
女性で鬼力をメインに使っている人を視ました。その力は確かに強いけれども持続して使う力では無いことははっきりしています。 女性が鬼力を使えば身体と心への負担は非常に大きく、間違いなくガンや心筋梗塞などの重篤な病気を発症するでしょう。元々「鬼力」は女性には合わない力なのだろうと思います。 女性が生まれつき持っている力は観音力です。優しく弱く持続して発揮されていく霊力です。基本にあるのは「慈愛」の波動であり包み込む包容力を伴っています。 鬼力の席巻を防ぐために生まれたともいえる観音力は穏やかに健やかに少数の女性の中で発揮されています。 マザーテレサさんは観音力の象徴的使い手でした。そしてダイアナ王妃は残念ながら鬼力をも使っていたので不幸な結末を迎えてしまいました。 彼女には鬼力を使うことを止めて、観音力のみを使っていくことをお話ししました。
2012年06月26日
コメント(0)
当院のお客様で何年も続けて来ていただいていた常連の女性の方が結婚が決まって嫁がれることになりました。 しかも私の母が経営している結婚相談所でお世話していたお相手とめでたくゴールインとなりました。 私が強引に勧めて入会していただいたわけではなかったのですが、ご本人から母の相談所の話を聞かれて説明させていただいたら入ってくださいました。そして二回目のお見合いで気に入った方が見つかり、交際を重ねてこの度ご結婚の運びとなりました。 素直で優しい家族思いの女性で、お母様がご病気で亡くなられています。母も彼女のとても素直で優しい心根に惚れ込んでしまって、何とか幸せになってもらいたいと必死でお相手を探していたようでした。 もちろんこういう事はご縁のものですから、何とかして差し上げたいと思っていてもなかなか簡単に決まるものではありません。何年も前から知っている方だけに「おめでとうございます!」と心からお祝いしたい気持ちになります。
2012年06月25日
コメント(0)
今日がご命日だそうです。日経新聞のコラムで知りました。 以前、私は美空ひばりさんの凄さを全く知りませんでした。ただ唄のうまい人だなぁ・・くらいでした。 ところがクラッシックの指揮者として有名な岩城宏之さんの雑誌のコラムを読んで何だか目を開かされたことがあったのです。 岩城さんが外国の演奏家や音楽関係者に日本の現代の歌手たちの歌を聞いてもらうと皆、全然ダメでオペラなどの長い歴史に培われてきた外国人(特にヨーロッパの)には歌唱技術も何もかも幼稚なものとして低評価を受けたのだそうです。 そこで岩城さん、ひばりさんの歌を聞かせたところ皆黙り込んでしまったそうです。「これは天才かもしれない・・・」そういう評価が与えられたそうで・・・。 日本人というのは外国で高い評価を得ると見直してしまうところがありますが、自分たちの文化や何やかやにあまり自信を持っていない民族なのかもしれません。古典は別ですが。 美空ひばりさんの歌を改めて聞くと、本当にすごい歌唱技術と歌に心を乗せる力の素晴らしさに驚かされるものがあります。
2012年06月24日
コメント(0)
「ストレス」というのは厄介なもので、患者さんのほとんどが感じていて身体や精神の負担になっているようです。 生きるという行為にはストレスというものが必然的に含まれてしまうのかもしれません。「ストレスレス」な生活というものを望んで現代人は生きているのかもしれませんが、例え望んでいるほぼ満足のいく生活をしているとしても「ストレス」から100%解放されるということは無いのではないかと思えます。 私の娘が朝起きてお弁当を作っている・・・その最中に何だか鼻歌のようなものを歌っている・・・それを見た家内は「娘はストレスがたまっているようだ。」と断定しました。母親としての鋭い観察で、あとで本人に確認すると苦笑いしつつ肯定したようです。 私も時々訳も分からず鼻歌を無理やり歌っていることを自覚します。これもストレスのなせる業なのかもしれません。 ちなみに経絡で言うと「肝経」がストレスを調整するものです。ストレスがオーバーフローすると右の肩甲骨の横あたりが凝って重くなるようです。 私のストレス解消法はどうも倶利伽羅不動へ行って、お不動様の前に座って一時を過ごすことのようです。
2012年06月23日
コメント(0)
今、読んでいる本なのですが、冲方 丁氏の作品で本屋大賞に選ばれたものですね。 この中で気になる一節を見つけました。 「左手は火足(ひたり)すなはち陽にして霊 右手は水極(みぎ)すなはち陰にして身」 というものです。主人公は碁を打つ人で将軍に仕える四家の棋士の家の一人なのですが、算学に傾倒し天文学を趣味とし遂には幕府から新しい「暦」の編纂を命じられていく人です。 彼が算学において目覚ましい才能を発揮するライバルとも言うべき人の書いた備忘録を前にして「拍手」をしてしまう・・・それは彼の中で信仰心のようなものの発露として自然発生してしまう行為なのですが、その「拍手」の説明として先述の一文が出てくるわけです。 右手と左手を打ち合わせる行為の中にこういう意味が含まれている・・・日本全国に植林されている樹木が「杉(水の木)」と「檜(火の木)」に限られている・・・様々な事象が「絶妙のバランス」と「神妙な真理」に裏打ちされて成り立っていることが、少しずつ見えてくるような気がします。
2012年06月22日
コメント(0)
子供のころ、叔父の家の茶の間の壁に「十一面観音像」の水彩画が飾られていました。たぶん木版画作家でもあり写真家でもあった叔父の作品だったのだろうと思います。 何とも子供の目にはリアルで不気味な絵でした。叔父は写真の作品でも絵画でも赤一色や黒一色という背景を描くことが多かったのですが、赤一色の背景の中の観世音菩薩はとても悲しくて怒っているような感じを与えていたように思います。 人の情念の中に浮かび上がる御仏のお姿というのはリアルな現実世界を切り取っていたのかもしれません。子供心にも何がしかの感慨が残っていたことを記憶しています。
2012年06月21日
コメント(0)
昨晩は暴風警報が発令されたようですが、金沢は直撃を免れたようでたいした風も吹かずにすぎ越したようです。 改めて白山連峰や立山連峰に守っていただいている幸運を感謝しています。台風被害に遭われた地域の方達は大変だと思います。少しでも早く復旧されることをお祈りしています。 しかしもうすでに台風五号が発生して接近しているとのこと。矢継ぎ早の台風過は困りものです。
2012年06月20日
コメント(0)
NHKの番組で「宇宙の渚」シリーズの最終回を見ました。地球の生命の起源が流星かもしれないという内容でした。 大気圏で燃え尽きてしまう流星だけではなくて、ふわふわと綿雪のように地上に落ちてくる流星のかけらがあることが実証されて、その中に生命の元になる物質が含まれていることがわかったという事でした。 生命の元が宇宙からもたらされたとしても、地球の環境がそれを生かす絶妙な条件を作り守って行っていなければ、地球にこれほど多様で大量の生命は繁栄しなかったはずですから、本当に奇跡の星であることは間違いないわけです。 でも、宇宙の広大な空間に「生命の元」が拡散してあまねく存在しているという事実は何か「神の意思」のようなものを感じますね。
2012年06月19日
コメント(0)
ご家族が自殺された方の氣視を行いました。男性の方です。 自殺された方の魂の行方を追ってみると、その方達の魂は不思議な形のものに変化しているようでした。 「物魂」というのでしょうか。生きている人が亡くなられた場合「生魂」というような種類の霊魂になります。それは流動し拡散し収束して変化していく魂です。同じ生きているものに転生することが可能な魂なのだろうと思います。 しかし、自殺された方の魂は「生魂」にはならず「物魂」になつてしまうのかもしれません。「物」とは石や土や金属のようにほとんど変化しないものを言うようで、・・・・でも何かここにはもう少し深い区分があるようで「物」と言っても「空気」や「水」や「火」のような変化する「物」もあるようで、この方の亡くなられたご家族の魂は「物魂」ではあっても、この「空気」や「水」のような「人を生かす物」の魂=要素(エレメント)に変化しているようでした。 遺ったご家族を「生かす」もの・・・そういう物魂に変化していったのかもしれません。「生魂」とは違って生きているものへの転生は出来ませんが、少なくとも人の生に関わるモノに変化したのだろうと視えました。 自殺した魂は救われない・・・とは限らないということかもしれません。自ら命を絶つということは許されない事なのかもしれませんが、その時点でその魂の意思というものは無くなり、「物」になって人を生かすという道に移ったのかもしれません。 浅はかな私のようなものの氣視で視えたシステムですから、きっと間違っている部分もありもっと深い意味も隠されているのだろうとは思います。 ただ少し「生死」というものの意味が解りかけてきているような気はしています。
2012年06月18日
コメント(0)
彼女の前世を氣視するとインド人の男性でした。お釈迦様が生きておられた頃のインド。そこで小さな国の国王として「光の王」と呼ばれていました。 それは彼がとても慈悲深く愛情にあふれた王様だったから・・・。宗教者や貧民を手厚く保護し、常に弱いものや貧しいもののことを考えた施政を行っていました。 ただ軍事というものがあまり好きではなく、国防という観点が全くなかったために隣国の軍事国家についには攻め滅ぼされてしまいました。頭が悪い王様ではもちろんなかったのですが、武張ったことが大嫌いなために外交能力だけでは乗り切れなかったようです。 今世の彼女も周りの全ての人たちを楽にしてあげたいと願うあまりにストレスのオーバーフローになっていました。 優先順位をきちんと付けて、切り捨てる部分は切り捨て、戦うべきときには戦うことも大切だとアドバイスさせていただきました。善良すぎる魂は得てして生き抜く力が弱くなることがあります。多少の悪も飲み込む気概を持っていないと本当の「善」は生きないのかもしれません。
2012年06月17日
コメント(0)
北陸地方にも三十三か所の観音霊場が設定されているようで、先日福井県の瀧谷寺へ行ったときにそのガイドブックを購入してきました。 最初の案内に載っていたのが福井県大飯郡高浜町の中山寺で、祀られているのは「馬頭観世音」でした。再稼働されることが決定した原発のすぐ近く、そこに守護として置かれている観音様がおどろおどろしい外観で有名な馬頭観世音だとは・・・何となく納得してしまうようなシンクロニシティでした。 この観世音菩薩様が原発の安全も守っていってくださることを切に祈ります。
2012年06月16日
コメント(0)
私の母が糖尿病なのですが、どこからか聞き伝えに聞いてきた「シナモンが糖尿病に良い」という噂を信じて、スーパーのスパイス売り場でシナモンを購入して三か月ほど飲み続け、血糖値を標準値に下げてしまいました。 ただし副作用もあって胃が悪くなりました。そこでシナモンの摂取を一旦止めて、胃を治して今度は慎重に様子を見ながらまたシナモンを飲み続けています。 下記に転載するのは医学情報誌の抜粋です。 シナモン(肉桂)はスパイスであり、生薬でもあります。糖尿病にいいとはかねてから言われていましたが、いよいよアメリカ糖尿病協会の学術誌に載りました。 [Diabetes Care 2003,12月号] 以前からシナモンが糖尿病 者の血糖やコレステロール、血中脂質を下げると発表していたドクター リチャード・A・アンダーソン(Beltsville Human Nutrition Research. メリーランド)が、糖尿病ケアの一流誌に新たな論文を発表しました。 1日わずか1g(小スプーン1/4)のシナモンを40日間摂取しただけで、糖尿病者の血糖、血中脂質が改善したというものです。 これは2型糖尿病 での研究で、2型というのはインスリン(ホルモン)がうまく作用しない、あるいはインスリンの分泌能力が低下した状態で、エネルギー源として大切なブドウ糖(炭水化物)が筋肉や脂肪細胞に取り入れにくくなる病気です。そのため、活力が落ちたり、血中にあふれたブドウ糖が血管や臓器を傷害していろいろな合併症を引き起こします。 ドクター アンダーソンによると、シナモンを摂り過ぎると害があるかも知れないので、1日1gで十分だということです。 小スプーン1/4のシナモンはトーストにふりかければ、おなじみのシナモントーストができますし、コーヒーやフルーツジュース、朝食シリアルにかければより美味になるというものです。 実験では60人の2型糖尿病者に1日あたり、1g、3gあるいは6gのカプセル入りのシナモンと、ニセ薬としての小麦粉カプセルを見分けがつかないようにして40日間摂取してもらいました。その結果として、シナモン 組は量に関係なく血糖値、コレステロール値、中性脂肪値が30%以上も低下したのだそうです。 そのしくみは不明ですが、ドクター アンダーソンによるとシナモンにはインスリン分泌を増大させて、より効率よくからだの細胞にブドウ糖を取り込ませる未知の『物質』があるのだろうとのことです。 シナモン1gで3kcalしかありませんからカロリーの問題は全くありません。 以前の研究ではシナモンが脂肪細胞に作用してブドウ糖の取り込みを高めることが分かっていたそうです。動物実験やイン・ビトロ(試験管の実験)ではシナモンが糖代謝を20倍も高めたとも同博士は説明します。 シナモントーストはとてもおいしいですよ。 食べ過ぎにご注意を。 実際に私の母は血糖値が下がりましたが、個人によって体質の差があったりしますので一概に全ての人に効くかどうかはわかりませんし、副作用として胃が荒れるようなので「柿の葉茶」などを常飲するといいかもしれません。
2012年06月15日
コメント(0)
「たしなむ」という言葉なのですが、現在は「楽しむ、好む」という意味で使われることがほとんどですが、本来の意味は「苦しみ、悩む」という意味があって「辛苦む」と書くこともあるそうです。 意外な言葉の意味に驚くと同時に、何だかこの二重の意味を持つ言葉の音に深いものを感じてしまいました。 人というのは当たり前のように簡単に苦しんだり悩んだりする生き物なのかもしれません。それこそ息をするのと同じように悩んだり苦しんだり、そして人生を楽しんでいることに気づくのかもしれません。
2012年06月14日
コメント(0)
御仏の教えは「いつもそばにいますよ。」という声掛けが元のような気がします。神様と違って仏様も観世音菩薩も常に人の魂のそばにいてくださいます。 お寺さんなどに参りますと、その存在は「氣」の集合体として身近に感じられます。雨などが降っていると、濃厚な御仏の氣が周りに充満して息苦しく感じられるほどです。 加賀の那谷寺などはパワースポットとしてとても強く私には感じられます。ここは白山の「氣」の収束地でもあるので、氣の固まり方が半端ではありません。 そばいてくださる御仏の慈愛を皆さんが実感してくださると嬉しいのですが。
2012年06月13日
コメント(0)
暗いニュースが多くて気が滅入ってしまいます。無差別殺人に消費税増税、東北の被災地も復興がおぼつかないまま、福井県では原発が再稼働しそうになっています。 当地でも無駄なダムが先日竣工して稼働を始めました。自殺者の数は毎年三万人を超え、「新型うつ」などという新しい精神障害も現れました。 情報過多の現代社会ですから、暗い部分を見つめることは簡単にできてしまいます。だからと言って明るい部分ばかり見ているのも何だか現実逃避のようにも思えます。 一つ一つの出来事に真面目な視線を向けてじっくりと考えたら、いつまでもそのことにこだわり過ぎないで、自分の生き方を明るいほうへ向けるように努力していくしかないように思います。
2012年06月12日
コメント(0)
ネットでお知り合いになった霊能者の方が初めて来院してくださりました。最も信頼できる霊能者の方なので嬉しかったです。ネットの中での印象と同じ素敵な女性でした。 氣視もさせていただいたのですが、こちらが視るというよりも視させていただいている感が強く、霊的な泉というか沸き返る世界が魂の中にあって、これはご本人の案内無しには踏み込めないなぁと感じました。 私の霊的な魂の構造も複雑なものだと思っているのですが、彼女の魂の構造も複雑怪奇(笑)なものでした。プロの霊能者の方の氣視は初めてだったのですが、(他の霊能者の方の氣視はあまり気が進みません、信頼できる方じゃないと魂の深部に近づきたくないです。)やはり霊的に二重構造以上の多層形じゃないと霊能者としてはやっていけないだろうなぁと思いました。 彼女とお会いした昨日一日はパワーを分けてもらった感じで、何だか元気に一日を過ごしたような気がします。相性が良いのか、彼女が持っておられるスピリチュアルなパワーなのかはわかりませんが、真正の霊能者というのはこういうタイプの方なのかもしれません。 前世からのご縁は深く、彼女とはこれからも長いお付き合いをさせていただくことになるという予感は強まりました。ありがとうございます。
2012年06月11日
コメント(0)
昨日の休日は娘のたっての希望で福井の松島水族館と天然石ショップめぐりに行ってきました。 水族館がリニューアルされたのだそうで、確かに様々な展示物が増えていました。 それにしても雨の一日でした。実は行程の中に「瀧谷寺」を入れてあったのが原因のようで、私がこのお寺さんへ行くときは必ず雨になります。三度行っているのですが、必ず雨です。このお寺さん自体が火事にあったことが一度もない創建何百年という古いお寺さんなのであり、私はこちらの如意輪観音様に呼ばれて行っているのですが、この観音様が水にご縁が深いのかもしれません。 娘は霊的に合わない寺社へ行くと気分が悪くなったり、入りたくないと言い出す人なのですが、こちらのお寺さんではそうはならず、屋内に寝そべっていた老犬を気に入ってそばにべったりとしていました。 瀧谷寺を出たあと食事をして福井市内の天然石ショップを二軒巡りました。娘には至福の時だったようです。 私は観世音菩薩様のお守り札を頂けたので満足して帰ってきました。
2012年06月10日
コメント(0)
私の守護神である経津主命様と鹿島明神様は同一神と思われるほど仲が良い神様同志なのですが、この神様を守護神さされる方が来院されました。 氣視してみて解ったのは、同じ神様でも微妙な違いがあるということです。この方の場合は古い古い原初の神様から繋がっている神様の守護を頂いておられるようで、その本質は完全なる「水」と「風」から出来ているようでした。 両柱ともに「剣・刀」の神様なのですが、「水」の性質は「斬り下ろす」動作を表していて、初期の刀の使い方が馬上からの斬り下ろす形が主であったことから「剣」の本質は流れ落ちる「水」の形だったようです。 私の守護神様の場合は「水」に「火」が入り、「風」をまとっています。これは「火」の本質である「斬り上げる」動作が入ってきた新しい形の神様になっていったのかもしれません。 神様の性質というのは信仰する人々の思いや生活様式の変化にある程度共鳴していくような部分があるのかもしれません。神を自然と同一視するのであれば、これは矛盾した考えのようにも思いますが、人の思いや生活というものも自然の一部だとすれば共鳴して変化する神様の形というのもあるのかもしれません。 同じ神様系の方を氣視させていただくことによって何か新しい観点が生まれたように思います。
2012年06月09日
コメント(0)
老子の言葉です。全文の現代語訳は 現代語訳 軍隊というものは不吉な道具であり、多くの人がこれを嫌うものだ。だから「道」を知った人間は軍隊には近寄ろうとはしない。人の上に立つ人々は、通常は左の席を上座とするのに軍隊では右の席を上座にする。軍隊は不吉な道具であるので、人の上に立つ様な人々が本来使うものではないのだ。やむを得ない理由で使わねばならない時には、あっさり使って長く使わない事だ。勝利を善い事だとしてはいけない。勝利を善い事だとする人間は人殺しを楽しむ人間だ。そんな人間が天下を得られる筈が無い。一般に吉事では左を上座にするが凶事では右を上座にする。軍隊でも将軍は右に座り、副将軍が左に座る。つまり葬儀の作法に従っている訳だ。戦いによって多くの命が失われたらたとえ勝利を収めたとしても、葬儀の作法に従って悲しみの心で涙を流すべきである。 平和憲法で軍隊を所持することを放棄した日本は良い国家であると思うし、自衛隊の専守防衛という姿勢は現時点では問題を抱えてはいるけれども、それはそれで守っていったほうがいい基本的な考えだと思います。 私の守護神である経津主命様は「剣」の神様なのですが、剣というものも江戸時代以降の日本人が思考してきたように「人を殺す道具」ではなくて、自分の心を験す器であるという考え方が正しいように思います。 刀や剣は人に向けるものではなくて、自分自身の心の芯に向けているべきものなのだと考えています。
2012年06月08日
コメント(0)
子供のころから四、五回家が変わりました。最初の家には17歳くらいまで住んでいたのですが、小さな二階家で小さな通りの突き当りに在って西日がまともに差し込む家でした。トイレが夏の夕方にはとんでもない暑さになり、素っ裸になつて入らないと我慢できないような家でした。 それでも家族の成長期を支えてくれた家だったように思います。まさしく映画「三丁目の夕日」のような時代でしたから、地域が生き生きとして子供たちが周り中に見守られて成長していく雰囲気がありました。 悪さをして閉じ込められた押入れの記憶、母親が入院して独り父の帰りを待った家の台所、カメを飼ったり金魚を飼ったりした小さな庭の小さな手作りの池、屋根に上って見渡した金沢の卯辰山の夕景、家の記憶が心の中の小さな窓にいっぱいはめ込まれています。
2012年06月07日
コメント(0)
昨晩から何かこの「不空羂索」(ふくうけんさく)という言葉が頭の中に響いていて、何なのだろうと思っていました。 ネットで調べてみると「不空羂索観世音菩薩」様という方がおられるようで、この方が何か伝えたいことがあって来られていたようで、どうやら伝えたいことは自分が守護しているのが私の家内であるということらしいです。 この観世音菩薩様はタケミカヅチノミコトという神様の本地仏らしく、このタケミカヅチノミコトというのは鹿島神宮の神様で、家内はサッカーの大ファンでしかも昔から鹿島アントラーズのファンなのですが、どうもそういうことも神様とのご縁を示しているようで、そしてまたこのタケミカヅチノミコトは私の守護神である経津主命様ととても仲が良い神様としても知られています。 何だか夫婦としてあるのも守護してくださっている神様同志のご縁もあったのかとわかったわけで、何だか嬉しいような気が抜けるような安堵感もあるような・・・突然のメッセージでした。
2012年06月06日
コメント(0)
先日のテレビ番組「ほこ×たて」で雨男、雨女対晴れ男、晴れ女という企画を見ました。 興味深かったです。ちなみに私は雨男で、家内と娘は強烈な晴れ女です。だから家族で出かけると大体晴れます。 私の一族は父も母も「雨系」だったのですが、雨系は農耕民族の血が入っているように思います。それに比べて「晴れ系」は狩猟民族もしくは遊牧民族の血が入っているのではないかと思っています。 もちろん雨系は龍神様系の守護の方が多いようですし、晴れ系には天神様系やアマテラス系の守護の方が多いようです。 最近の天気は雨があまり降らず、降るとゲリラ豪雨のような土砂降りになります。「龍の年」ですが、少し収まりが悪い感じのする年になっているような気がします。 それにしても雨男の悲劇は悲しいものです・・・(笑)。
2012年06月05日
コメント(0)
彼女の悩みは肩こりだというので身体の状態を診ていくと、ほとんど悪い所は見当たりませんでした。骨盤の歪みもそうたいしたものではありません。 それで頭の上あたりを氣視してみると、溜まっていました雑霊やら邪霊やらもろもろのものが・・・。 彼女の前世は平安時代の白拍子。遊女と踊り子を足して二で割ったような存在です。最下層の人間ですが、芸が上手なら公家や貴族の家に呼ばれることもあったようです。 彼女の前世の人は稼いだお金で孤児やら年老いた病人なんかを養っていました。とことん優しい人間だったようです。その魂が根っこにあるもので、今世でも寂しい浮遊霊やら雑霊を引き寄せてしまっているようで、しかも悪いことにダメ男を引き寄せる結果にもなっていました。 頭の上に溜まっていた雑霊は祓いましたが、とりあえず先日倶利伽羅不動尊から頂いてきたお守りを差し上げて肌身離さず持っているようにお願いしました。とりあえず男運をよくしないと最悪ですからね。ご本人も自覚はあるようなので、むやみに優しい気持ちを外に出さないようにお願いしておきました。
2012年06月04日
コメント(0)
うつ病で苦しんでこられた女性が回復期に入っていて、氣視したら身体から「ご飯が美味しく感じられるようになりました。」とメッセージが伝わってきました。 回復してくる心と体のイメージが「ご飯が美味しい」というのはとてもわかるような気がしました。それまでは「砂を噛むような」という感覚の味覚だったのだと思います。 美味しくご飯が食べられるという当たり前のことにも感謝しなくてはいけないなぁと思いました。 魂に栄養が入っていくのは「美味しい」という感覚なのかもしれません。過度に行き過ぎたり、美味ばかりを追求するのは考え物ですが、食べ物を有難く美味しくいただくということは大切な人の営みなのだろうと思います。
2012年06月03日
コメント(0)
55歳になる男がこういう事を真正面から取り上げるのはちょっと気恥ずかしいのですが、「愛する幸せ」と「愛される幸せ」というものがあるように思います。 これもバランスが大切で「愛する幸せ」も「愛される幸せ」も両方均等に満たされていればとても良いことなのですが、なかなかそうはならないのが人の営みというものかもしれません。 愛する幸せにばかりかまけている人は忙しくて疲れやすいかもしれません。でも充実感はあると思います。 愛される幸せのみを感じている人は少し空虚な心になっているかもしれませんね。 外国の方はこの両方の幸せを追い求めることにとても敏感なような気がします。日本人はどちらかに偏っていても平気な人たちが多いような気がします。 ちょっと変なまとめ方かもしれませんが、今の「人」という種にとって大切なのは「自然」や「環境」というものについての愛する幸せと愛される幸せを求めていくことなのかもしれません。
2012年06月02日
コメント(0)
今日は写真の日だそうです。初めてカメラを持って撮影に行ったのは、父の古いカメラを借りて父のバイクを借りて内灘砂丘でした。 そこには古い弾薬庫がコンクリートで作られて残っていて、確か五木寛之さんの「内灘夫人」という小説の中にも出てくる場所でした。 その古いカメラで感じるままに撮影して現像に出して仕上がってきたプリントを見た時には感動したものです。 写真やカメラは叔父が写真館を経営していましたから、幼いころから身近にあったものです。それでも現在のようにデジカメや携帯のカメラがこれほど普及して誰もがそういうツールを普通に持つ時代が来るとは想像できませんでした。 写真は一つの芸術だと思っていますが、今の時代では写真芸術は相当難しいものになっているような気がします。
2012年06月01日
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1