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大腸系が弱い体質の私はヤクルトを飲んでみたり、ラブレという乳酸菌飲料を飲んでみたりと色々と試行錯誤を続けてきました。 人の大腸に住んでいる善玉菌というものは人それぞれで、合っている乳酸菌を飲まないと効果がないと言われています。そのために試行錯誤を続けていたのですが、カルピスが「ビオマイン」というサプリメントを発売しこれがその人の大腸に元々住んでいる善玉菌を増大させる特殊な乳酸菌を含んでいるということなので、購入して二か月ほど飲み続けています。 娘も慢性の便秘に悩んでいたのですが、徐々に緩和されつつあります。私の方はまだ顕著な変化は見られません。もう少し飲み続けて効果が出てくればまたご報告しようと思います。 施療をしていて思うことは「大腸」というのはとても重要な臓器で、その割に大切に思われていないなぁということです。大腸ガンなども増加していますが、食べ物には気を遣って大腸を労わって差し上げてください。
2012年10月31日
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子供のころは習い事をたくさんやっていたような記憶があります。書道(と言うより習字と言った方がいいかも)は小学校時代ずっと習っていました。とは言っても行書体のみで、母親は私の行儀作法をしつけるために習わせたようです。そろばんも二年間ほど通ったような記憶が・・・。絵画も二年間ほど。 どれも才能の開花というのはありませんでした。何もかも中途半端だったのかもしれません。後はどこかへ遊びに出かける度に感想文を書かされていました。そのお蔭で学校の読書感想文の課題などはとてもよく出来て表彰されたこともあったような気がします。多少文才はあったのかもしれません。 人の才能と言うが子供のころの習い事で開花するというのは滅多にないことなのかもしれません。しないよりもした方がいいのかもしれませんが、したからと言って偉いわけでは無くて習い事に行けること自体が幸せな教育環境・生活環境なのだと感謝すべきなのだろうと思います。 姪っ子たちはバスケットボールにはまり、弟夫婦は応援やら支援やらでいつも忙しくしています。姪っ子たちはその方面の才能も有り、下の姪はそのご縁で大学にも入ったようです。習い事でもスポーツは健全で心身の発育のためにもいいのかもしれませんね。
2012年10月30日
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全ての物体には固有の振動数があるといいます。つまりどんなものも原子レベルまで見て行くと震えているということです。 光も音も「波動性」と「粒子性」を持っています。もちろん人の身体も物質ですから、固有の振動数を持って震えていて、多分「氣」と呼ばれている生命エネルギーはあらゆるものに存在している共通の「波長」なり「変調させるもの」なのかもしれません。 極端なことを言うと人の身体は「音」の集合体とも言えるのかもしれません。その中にその人その人で決まった「交響楽」が固有の「氣の波動」として流れているのが「人」もしくは「生命体」と言えるのかもしれません。「死」というのは「交響曲」が止み、しかしその曲は別の次元で響き始めるのかもしれません。 永井先生の新しい御本「骨ゆらし健康法」を読んでいて、何だかこういう感想が湧きました。所々私の考えとの相違点もありましたが、やはり先生は天才です。全く新しい人体への見解を示してくださっているように思いました。 何かの原理が見えてきそうです。
2012年10月29日
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有名なイギリスの先史時代の遺跡です。先日の氣視でここに関わる女性の方の過去世を視る機会がありました。 あくまでも私の氣視によるものなので、はっきりとはわかりませんが、「大地母神」と「太陽神」の両者の合致を目指した祭礼儀式のための場所だったように見受けられました。 大地の母神を象徴する巨石が形を表して、それに対して太陽が礼を尽くして光を差し込ませる姿が自然界の究極の営みの元であることを古代の人達は知っていたのかもしれません。大きく言えば地球と太陽の関係をまぎれもない生命を生み出す奇跡として捉えていたからこそ作り上げた信仰のための建造物だったように思います。 大地があって、光がある。奇跡の場所に私達はいるのだと思います。
2012年10月28日
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東京の永井先生が新しい御本を上梓されました。「骨ゆらし健康法」というタイトルの著作物です。先生には頭が下がります。当たり前のことなのですが、常に新しい技術や健康法を試行錯誤されておられて、立ち止まることなく走り続けておられます。 私はと言えば「氣」の世界が深すぎて、あっちへ行ったりこっちへ突き当ったりとどうにもススッと進めずに立ち止まり続けています。 後頭部の首筋あたりに身体全体の経絡の一部が集中しているのが解ったり、人の氣の流れがたどれるようになったりしただけで、新しい技術などは中々見つかるものではありません。 人の身体や人の「氣」というのはとても奥深くて広い広い世界を持っています。様々なアプローチの仕方があって、個人個人それぞれの健康維持の方法があるようです。 私が思う唯一共通している「氣の流れ」というものがあるということ。それがどういう風になっていくのが「自然」にあった生き方なのか。それだけでも解っていけたら、そこに近づけるように身体の「氣」を導いていきたいものです。
2012年10月27日
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来年のことを言うと鬼が笑うと言いますが、来年は巳年。石川県は前にも書いたことがありますが、蛇神様と縁が深い土地柄です。「かか」というのは蛇の古語。そこから「加賀」という地名になっているらしいです。 蛇神は土蜘蛛系やら何やら古い古い神様の一族です。天照大神系の神様たちが降臨する前から大和の国に住まわれていた神々でもあります。人々の霊性の変革に伴って古い神々も復活の兆しを見せているように思います。 来年は巳年という蛇神様系には運氣の上がる年回りになりますが、大地の力を強めて地震や地滑りなどを鎮めていってくださるとありがたいのですが・・・。そうなるようにお祈りしていきたいと思います。
2012年10月26日
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テレビでよく歩きながらスマホの画面に見入っている人の姿を見かけて、あきれていました。しかし自分がいざスマホを手にしてみると、そうしないでいるには相当の努力がいることが解りつつあります。 確かにのめりこまないで普通の携帯のように使っている人もおられるとは思いますが、このスマホには「アプリ」という厄介なものが数多く入り込んでいけるので、これでネットと深く繋がったりすれば、前述のような「ながら」姿になるのは間違いないようです。 小さなノートパソコンを手の中に持っているのと同じで、そこには「自己拡張」の世界が待ち受けているようです。人間の意識というのは電脳の世界とつながると、何か歯止めが効かなくなる雰囲気があります。 一種の電脳麻薬と言っても過言ではないかもしれません。そういう事に対する規範意識が心の中に生育されていないように思います。 多分学齢にも達していない幼児がいとも簡単にスマホを操ったりしているのを見ると、人の感覚の拡張は本能的なものなのかもしれません。霊性の変革は電脳によってある意味進展していく部分もあるのではないかと思います。 とりあえず私は決して歩行中にスマホをいじることだけは止めようと心に誓っております(笑)。
2012年10月25日
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我が家の敷地内の細長い庭には何本かのイチジクの木が生えています。白イチジクの木で先日から頻繁に実がなって次々と収穫しています。白イチジクというのは果肉が白くて、私が今まで食べてきた普通のイチジクよりも若干甘くてさわやかな味がして美味しいです。 近くの野鳥たちも味を覚えて食べに来るのですが、どうもイチジクの葉に触るのは嫌いらしくて葉にあまり隠されていない果実だけを食べていきます。だから果実の収穫にはあまり問題にならないようです。葉についている細かな毛が気に入らないのでしょうか?うまく出来ているものです。 高く伸びて二階にある整体院の治療スペースから手を伸ばして、もう十個以上果実を収穫しました。今年はよく実りました。美味しい味覚を堪能しております。
2012年10月24日
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というほどのものでは無いのですが、ご本人にとっては大変だったろうと思います。先日当院のお客様である70歳代の女性が「先生、助けて・・・」と言いつつ入って来られてベッドに倒れこんでしまわれました。 鳩尾(みぞおち)の部分が嫌な激しい痛みに襲われて、このままでは倒れてしまうと自覚されていたそうで、最近身体の調子が良かったので調子に乗って少し激しい体操を体操教室のようなところで行ったらしくて、不整脈のような状態に陥っていました。 すぐに背中の心臓の反射区の脊椎の側部を強圧しつつこすり続けました。少しずつ脊椎の陥没が戻ってきて鳩尾の痛みも和らいできました。私の母も心臓が弱く、狭心症になっていた経験があったのでこういう場合にどうすればいいのかは何となく理解していました。これ以上少しでもひどい状態なら救急車を呼ばなくてはならない状態でした。 痛みが落ち着いたので、身体の各部から心臓への氣の流れを強化して行き、最後に特別なツボへの施療を施して身体が正常に近い状態になったので施療を終えました。 気象状況なども心臓の状態には強く影響するので、特に高気圧が張り出している場合などは心臓に持病のある方は運動などは控えるほうが良いようです。 とりあえず内科のかかりつけのお医者様にもすぐ行かれるようにアドバイスをしておきました。
2012年10月23日
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久々に江原さんがテレビの対談番組に出ていて、あの噂の塩谷氏と対談していました。 その中でとても参考になった一言。それは「気を遣う人というのは自分自身の氣を消費してしまう。気を遣うのではなくて、気を利かすという形に替えなさい。」という言葉でした。 私のお客様の中にも「気を遣いすぎる」性格で三焦経という経絡が疲弊している方が数多くおられました。三焦経というのは身体の末梢循環系の働きを支配する経絡なのですが、外気温や外界への身体の適応も支配しています。それと同時に周囲への気遣いが過ぎると疲れ切ってしまう経絡でもあり、首が回らなくなったり車の運転が下手になつたりする傾向があります。 手足の先の「冷えむなどにも関係してきます。こういう方にアドバイスとして「気を遣う」ではなくて「気を利かす」という発想の転換を促すべきなのだろうなぁと感じました。 気を遣うという場合には自分が使われていく消費感があります。それに対して気を利かすという形態なら、自分の大切な部分は保存しておいて割り切って頭脳を遣っていくことになるので「氣の消費」が無くなるかもしれません。 気を遣うではなくて気を利かす・・・とても良いことを聞かせていただいた気がします。
2012年10月22日
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どうも私が視る神仏や霊界の模様は一般の霊界通の方達にはお気に召さないようで、よくお叱りやご注意をいただきます。 「異端」なのか「低級」で「品格」が無く、「無知」で「悪意」があると思われているようです。私の場合は生まれつきの霊能などはさらさらなくて、人を楽にしたいと思って始めた施療方法の中で「氣」に触れることがあって、たまたま受信能力が少し人より強かったので「過去世」や「その人の魂の状態」が視えて、それが施療に多少役立つと考えたので、カウンセリングの真似事のような形で始めたのですが・・・。 ですから神仏の存在についても「霊」という観点ではなくて「氣」という視点から視ているので、例えば神社などで神様の存在を感じるのはそこに「自然の氣の集中してうごめくもの」を感じているのであって、霊的に視ているわけではないので、普通の霊能による神仏の捉え方とは違うようなのです。 それが他の霊能者の方達には理解できないようで、こういう言い方は失礼だとは思いますが、霊能者の方達は多少なりとも独善的なところがおありなので、ご自分達の知識から判断すると私のようなものの言ったり書いたりしている神仏は「異端、低級、悪意」と思われるようです。 「氣」の世界から視るといわゆる「霊界」というものはダイナミズムとロジカルに支配されている世界です。理論的であり、流動的でもあり、一部に混沌というものを秘めている部分もあるようです。 神様などはとても遠い存在・・・確かにそういう本質的な部分もありますが、スポークスマン的な仮の存在もおられて人を「自然界の理」に則って導こうとしてくださいます。 人がそういう存在から操られるなんてことはあちらにはそういう意思はなく、悪霊とか悪神などというのは全て「人の作為」でしかないと私は思っています。 真理というのは単純で明快なもの、複雑にしているのはあくまでも「人の作為」でしかないと私は思っています。 ちなみに今日のこの日記も私の「妄想」にして霊的には「全く信用してはならないもの」ということでご理解ください。
2012年10月21日
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夏の暑さの記憶が心にも身体にも残っているのに、秋の涼しさというか寒さが容赦なくやってきていて身体が付いていけないようです。 年齢を重ねるごとに夏の暑さが堪えるようになってきて、やっと乗り越えたかなぁと思っていたらストンと空が高くなり寒い朝とかがやってきて、夏の暑さが残っている身体には効きました・・・。 もう冬の足音がすぐそこまで聞こえているような気がします。冬布団に替えて、ストーブの用意をして、衣服も夏物をしまって冬物を用意し始めました。 温暖化とは言いつつも北陸の冬は容赦なくやってくるようです。
2012年10月20日
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何度か書いたこともあるのですが、この表題の二つの刀技は柳生新陰流の奥義として知られています。私なりの解釈だと殺人刀(せつにんとう)は自分の力と技を十二分に発揮して相手をねじ伏せるように切り払う刀法で、集団を相手にしたときなどに使う物だと思います。 逆に活人剣(かつじんけん)は自分よりも力量が上もしくは同等の相手と一対一で戦う場合に、相手の技を十分に引き出しておいてそのわずかに上を超えて相手を封じ込めてしまう「後の先」とも言える刀法なのだろうと解釈しています。 普段の生活で使うなら人を説得したりする場合の使い分けになるのでしょか、殺人刀のように強引にチームの全員を引き連れていく場合もあるでしょうが、活人剣のように相手の意見をしっかりと最後まで聞き出してお互いが納得の行ける妥協点というか共同意見にまとめる技術というか心境というのも大切だと言う事なのかもしれません。 ある女性を氣視した時に心の中に「刃」が視えて、その後にこの刀技を説明しておいてくれと彼女の守護霊に頼まれました。あらゆることに応用される考え方なんだなと説明しながら自分も納得していたように思います。
2012年10月19日
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室生寺で国宝の十一面観世音菩薩様の大きなポスターを買ってきて院内に飾りました。素晴らしい木像でしたし、写真も素晴らしかったので・・・。 でも飾ったとたんに「拝め、敬え、讃えよ・・・」という想念が漂ってきて・・・。強烈な自我が発散されているようで驚きました。何百年も人々に拝まれてきて、そういう人々の思念が木像に籠ってしまったようです。 恐ろしく強い想念で、これがポスターでこれなんだから実物は一瞬たりとも畏敬の念を絶やさずにいないと大変なことになるかもしれないなぁと思ってしまいました。 院内のポスターのほうは私の潜在意識から少しずつ畏敬の想念を送り続けることで納得していただきましたが、こういう形になってしまうのは参拝者や寺院に籠って修行した人達の想念がとても強く、しかも長い年月にわたって繰り返し送られ続けたことによるものなのかもしれません。 あくまで私の妄想の一部なのかもしれませんが、凄い仏像であることは間違いないようです。
2012年10月18日
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前日の旅先で川沿いの断崖を上り下りして何十分も歩いたり、室生寺の急な石段を何段も登ったりしていて気づいたのですが、ロングブレス・ダイエットで腹筋が異常に鍛えられていて腰への負担が極端に減っていました。 腹筋の強化がこんなに身体を楽にするとは思ってもいなかったので驚きでした。もしかしたらもう一度白山へ登れるかもしれないとうっすらとした希望が見えてきました。ヘルニアになって以来完全にあきらめていたのですが、少しずつ来年あたりから挑戦してみたいと思っています。 家内は今、マンションの管理人のパートをしていて毎日広いマンション内を掃除して回る仕事なので、やはり身体が鍛えられていると言っていました。日々の運動は大切ですね。(さぼり気味、楽している運動ですが・・笑)
2012年10月17日
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三重の旅二日目。 朝八時半に宿を出発。女人高野として知られている室生寺へ向かいました。そのすぐ近くの「龍穴神社」にも立ち寄りました。 この土地全体が水神様系の強い力を感じていましたが、この神社も何十本もの巨大な杉の木に守られていて杉は「水の木」ですから大変な水の霊気が立ち上っていました。たまたまというかこの神社も室生寺も秋の祭礼の日にあたり、霊気と人気が合わさって大きく開いた状態になっていました。 神社の境内の一番大きな杉が触ると歓迎している氣を発していました。珍しいことです。赤目から続いている「水の氣」の流れがここへきて大きく渦を巻いている気がしました。 そして室生寺へ。ここは平安時代に作られた木造の仏像の宝庫です。特別拝観を実施しているお堂があり、何気なく私だけ入ってみると小さなお堂の左側に役行者のお姿がありました。前列に前鬼、後鬼を従えて座している姿は気迫が籠っていて、しかも像としての完成度もすばらしくて生きているように見えました。呼んでくださった方はやはりこの方なのかもしれないと感じました。 境内には素晴らしい金堂、阿弥陀堂、五重塔などが林立し、奥之院には二百段以上続く険しい石段を登って行かなくてはなりませんでした。「高野」と名付けられているのはこういう地形もあるのかもしれません。 帰りにフトまだ立ち寄っていないお堂があり、家内に促されて入ってみると「如意輪観世音菩薩」様が待っていてくださいました。観音様の中で唯一武器を持っておられる私とのご縁が感じられる仏様であり、さらにこの寺院は日本三大如意輪観音の一つなのだそうです。 家内の守護仏は千手観音なのですが、私のそばには常に生きた観音様もいてくださるのかもしれません。ありがたく「お守り」を購入して帰途に付きました。 大体こういう旅では現世での「穢れ」を清める形になることが多いのですが、今回の旅では娘が穢れを清める必要があったのかもしれません。赤目での娘の幸せそうな顔は今まで見たことのないものでした。 清められた旅という感想です。ありがとうございました。
2012年10月16日
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三重へ行ってきました。訪ねた場所は「赤目四十八滝」と「室生寺」と「龍穴神社」です。 赤目は娘のリクエストでめざましテレビで特集していたのを見て行きたいと思ったらしく、日本サンショウウオセンターやら「へこきまんじゅう」やら興味深いものが数多くあったらしくて・・・。 晴れ女二人の出動ということもあり良いお天気で、赤目四十八滝は雨が降っていたら最悪の場所ですね。役行者さんが修行していた場所というだけあって、様々なところに「氣」が渦巻いていました。 大きな大きな「水の氣」という題名の本が置いてある感じでした。ページが何枚も綴られていて、そのページ毎に様々な「瀧」が描かれているようでした。列柱石のような巨大石が様々な崖を形作り、澄んで青々とした深い水が「氣」を貯め流していました。 普段ならすぐにへたばってしまう家内と娘が嬉々として崖を上ったり下りたりして何十分も川沿いの道を遡って行きました。特に娘にはとても気持ちの良い「氣」が溢れていた場所の様で最後までニコニコとしていたのが印象的でした。最後の瀧まで行ききれなかったので、再度また来たいと思った場所です。 私は次の日の行程を考えて途中でめげてしまいました。赤目四十八滝の近くの店舗で買って食べた「へこきまんじゅう」は意外な美味しさでした。今回の旅は食べ物には恵まれた旅でした。泊ったのはサンルートホテルでしたが、人工温泉の大浴場も付いていて朝食の無料バイキングもそこそこのお味でした。泊った晩の夕食は伊賀牛を食べようと焼肉店へ行ったのですが、精肉店が営業している店舗でお肉が美味しくて割とリーズナブルなお値段で美味しいお肉を堪能しました。 何か娘が誰かに招待していただいたようで、その方のお蔭で楽しい旅にさせていただいているような感じでした。(多分役行者様のような気がします。) 二日目は室生寺と龍穴神社へ行きました。その模様は明日の日記で。
2012年10月15日
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氣視をさせていただいているとあちらからのメツセージをもっともっとと求めてくる方がおられます。自分が望む内容のメッセージが足りないと不足に思うのでしょう。 しかし霊界というものはそういう人には冷ややかです。「求めよ、さらば与えられん」というキリスト教の教えは曲解されています。人の求めというのは自分自身に対しての努力を求めるものなのだと思います。他力を願うのではなくて、自力を込めることが他力を引き寄せるのだという真理を謳ったものなのだと思います。 もっともっとと求める人は多分、自分自身への本当の意味での努力を求める心が足りない人なのだろうと思います。一生懸命頑張っても結果が出ないときはいつもあります。その時に「天」に力の助けを求める人には「天」は決して目を向けてはくれません。 努力して努力してそれでも遮二無二努力を続ける人に「天」はいつの間にか助けを用意していてくれるように思います。 私などはお金をたくさん得よう、得たいと思わないせいか必要な分だけがきちんと測ったかのように手に入ります。それ以上でもなくそれ以下でもなくお金を得ることが出来ています。充分です。そう感じています。母や家内や娘や、お客様たちやこのネットの上のお友達、そして昔からの同級生たちや友人たち、そういう全ての人達へ毎日感謝の気持ちを深く強く持っています。決して求めない心を持っていきたいものです。
2012年10月13日
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明日から一泊で三重県の方へ旅行に行きます。娘のリクエストなので寺社が中心の旅行ではありません。でも、ちょっと有名な寺社も廻れたら巡りたいと思っています。 秋の行楽シーズンなので有名地は人でいっぱいだろうなぁ・・・長距離ドライブなので気を付けて運転していきたいと思っています。 帰ってきたら旅行記をアップしたいと思います。そのために日曜日のブログはお休みするかもしれません。あしからずです。
2012年10月12日
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という映画をDVDで観ました。中々の佳作でした。バラバラだった家族が東北の古い民家に引っ越して、座敷童と同居を始めて段々つながりを取り戻していく姿を東北の美しい風景、田園風景なんかを舞台に描いていました。 原作も一応読んでいたので、映画の内容も深く理解しつつ観ていました。座敷童が可愛かった。本物はこんなに簡単には視ることは出来ませんが、たぶん感じることは出来るんだろうなぁと思いつつ・・・。 全世界でうつ病に罹患している患者さんの数が報告されていましたが、座敷童を感じることが出来るような社会ならうつ病はもう少し減っているんだろうなぁと思います。目に見えないものの力を感じることは、周りにいる自分を愛してくれているモノへの感覚を取り戻してくれることにつながるのだろうと思います。 風も木々も家も大地も水も全てが日の恵みを受けて、あなたを愛してくれていると感じることができたなら落ち込むことも少し無くなるような気がします。
2012年10月11日
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お客様の一人が先日ある霊能者のところに家族で相談に行ったところ、大学の進学についてダメ出しをされ性格についてもボロボロにされるほど言われて落ち込んで、私に「こういう事はどう考えればいいんでしょうか?」と聞いてこられました。 性格については当たっているところもあったらしいですが、相談後にそのアドバイスを真に受けて母親にもきつく叱られたというか意見されたようでした。 性格については当たっているところもあったらしいですが、相談後にそのアドバイスを真に受けて母親にもきつく叱られたというか意見されたようでした。 どうなんだろう?こういう事を書くとまた他の霊能者の方達からお叱りを受けるのでしょうが、霊界からのメッセージというのは私は基本的にその人を励まし、宥め、元気を与え、前に進めるものであるべきというか、ほとんどそういうものしか氣視の中で視ていないので、私はそうしています。 例え真実だとしても人を腐し、攻め、言いたいことを告げっぱなしというのはいかがなものかと思わざるを得ません。 あえて言わせていただくなら、そういう厳しいだけのメツセージを与えて全くフォローなしというのは多分低級な眷属霊が就いている霊能者なのではないだろうかと思ってしまいます。 安直な人間主義でこういう事を書いているわけでは無くて、審神者(さにわ)というものが巫女のそばには常におられたそうで、そういう存在が霊界の言葉を噛み砕き選別し洗練させて人に伝えていたのだと思われます。何故そういう対になった形が必要だったのか、霊能者の方達も一考せられるべきなのではないかと思います。
2012年10月10日
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有名な建築家のガウディはサグラダ・ファミリア教会の建築においてその高さを170メートルとしました。それはバルセロナの山の標高が180メートルであり、人が作るものが神の作ったものを超えてはいけないと判断したからだそうです。 2026年に完成予定の教会ですが、ゆっくりと作り上げられていくその教会に与えられた神への敬虔な気持ち、それは天才であった人でもきちんとした自主規制がその思想の中にあったという表れでもあるのかもしれません。 超高層ビルが林立する我が国の状況というのはもしかしたらバビロンの都のようなものなのかもしれません。
2012年10月09日
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その女性を氣視すると霊体の周りを昔の巻物のような長い紙がふわふわと漂い、巻き付くように浮かんでいました。 全ての紙面に文字が連なっていました。これは彼女のこれまでの歴史なのかなと思いました。彼女は今、自分の周りに「私のことをわかってほしい、私はこんな辛いことを経験してきたんだよ、こんなことも言いたいのよ。」という思いのループを漂わせているようでした。 こういうものが目に見えない形で漂っていると、たとえば恋愛関係においては近づく男性も「自分の事をわかってほしい」オーラを自動的に発散します。触発される形になるようです。 お互いが自分のことを積極的に解ってもらわないと気が済まない状態になっていれば、恋愛においても人間関係においても相互理解がそんなにスムーズに進むわけがありません。 自分を深く判ってほしいという思いはよくわかります。しかし、それをあまりに強く心の表面に漂わせてしまうと最初から相手に潜在意識的にも身構えさせてしまうことになります。 まず相手のことを理解してあげようとする努力が大切なのだと思います。そうするうちに必ず自分の心の内も相手に届くようになるはずだと思っています。
2012年10月08日
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野槌というのは水木さんによるとツチノコのような異形の蛇を見た昔の人がそこに神性を感じて祀ったりしたことから生まれた半妖怪・半神のような存在ということらしいですが、私に言わせると大地の神様の眷属というか具象化したものの一部のように感じています。 私の中にそういう意識があるからなのでしょうか、大地神との結びつきが強い方を氣視するとこの野槌がイメージとして出てきます。毛むくじゃらの筒のような胴体の巨大な蛇のような姿で、大地の匂いをまとって現れます。 農業に関わる強い力を持つ神様でもあり、女神様の姿で現れることもありますが、土の力というのは猥雑でもありごちゃごちゃとした汚濁の中に熟成の力を秘めているものなので、こういう姿かたちというのが好ましく感じることでもあります。
2012年10月07日
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いつもお世話になっている神様です。こんな事を書くと誰かに怒られそうですが、この神様と友達のような感じになって、そのお蔭で他の神様へのアクセスがとてもスムーズになっているように思います。 家内の実家の近くの大野湊神社というところが、やはりこの神様の社なのですが何度か呼ばれて一人で行っています。航海の安全を願う人達にとって、この「導きの神様」は重要な方なのだろうと思います。 風系の神様なのだろうと推察しています。私の魂の系列が「風」が強いのもこの神様とのご縁なのかもしれません。 血液型がAB型なのと関係があるのかどうなのか、私の魂の系列は「風・水・火」と変にハイブリッドなものになっています。その中でも筆頭は風のようですが・・。 風の神様、導きの神様、これからも導いて行ってくださることを願っています。
2012年10月06日
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携帯をスマホに替えました。iPHONE4sです。でも何だかアップルのほうのサーバートラブルでアップルIDとかいうものが取得できないトラブルが続いています。 最初は自分の操作ミスというかパスワードの記憶違いかとあせってしまいました。何度やってもSorryという英文が出てくるのでアップルへ直接電話してあちらのトラブルだとわかりました。 それにしてもスマホというのはヤバイですね。夢中になって操作している自分に気づくと愕然としてしまいます。この魔法は何なのでしょうか?世間のみなさんがスマホに夢中になりつつ歩いている姿は見ていましたが、こういう事なのかと実感しました。 これはやはり自我意識が拡張される興奮のようなものが大脳に麻薬物質のようなものを分泌させるのかもしれません。初めてスーパーマリオをファミコンでやった時と同じような感覚があるのかもしれません。 毎月6000円近い通信料金というのも痛いですよね。庶民にはちょっとキツイ出費です。二年経ったら普通の携帯に戻しているかもしれません。
2012年10月05日
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部屋の窓に掛けてあったすだれを全て取り外しました。扇風機も自室にあったものは掃除して片付けました。部屋に入ってくる日差しはまだ暑いですが、風が涼しくてあまり気にならなくなりました。 長い夏でしたが、母が付けている五年日記によると去年もこれくらいまで暑かったらしいです。 夏が過ぎて秋になって雲が高い空を形作るようになり、庭の白いちじくが数多くの実をつけ、隣のビルの壁面の蔦も少しずつ茶色くなりつつあります。 もうすぐまた冬が来ます。昔は冬がとても長く感じたものですが、最近は冬の方が早く終わってしまうような気がします。温暖化のせいでしょうか。 季節のページをめくる速度が年々早くなりつつあります。早すぎるよと文句が言いたくなります。
2012年10月04日
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二か月ほど続けていますが、体重は二キロ減でお腹は相当引っ込みました。毎日一回しかしていないので、これくらいのものなのだろうと思います。 確かに効果があるようです。一番大切なコツは丹田をしっかり意識して呼吸をすることのようです。 あと、カルピスから「ビオマイン」という健康食品が発売されて娘と二人で試しています。これは腸内環境を良くするものなのですが、これまでのそういう健康食品と違うのはその人その人の腸内の善玉菌の種類に合った良い菌を増殖させるように働く健康食品だということです。 とりあえずまだ一か月なので効果はまだはっきりしていませんが、効果があればまたご報告します。
2012年10月03日
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恋愛についての将来を聞かれることがよくあります。しかし未来のヴィジョンは大体分岐が数多くあって、氣視してもどちらへ行くことになるのかよくわかりません。こちらの方へ行く確率は六割、こちらへ行く確率は三割、こちらが一割・・・だからこうなるかもしれませんね・・・でも確率で測ることが出来ないのが人の心ですから。 また最近の女性は目の前にご縁のある男性が表れていても、自分の理想の基準が高すぎて無視してしまうケースも多々あり、私が言っていた時期に相手が現れなかったと言って嘆いておられるけれど、視るとちゃんと目の前を通り過ぎている・・・自分で見ないようにしてしまっているケースが多いです。 恋愛というのは難しい。たいてい自分の思い通りにならないことが多いです。恋愛問題というのは自分でどうにでもなるものではないようです。何かに振り回されるか、何かに導かれて連れて行ってもらうケースが恋愛では多いように思います。 それと女性のみなさん、理想を高め過ぎないようにお気を付けください。
2012年10月02日
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ご夫婦を氣視すると確かに深いご縁でつながっていることがよくわかります。前世では兄弟だったり、師弟だったり親子だったりと様々に形の違うつながり方をしておられますが、どちらにしろ深い絆があった者同士ということが多いようです。 一番強い絆のご夫婦はやはり前世で親子だったケースでしょうか。お互いを思いやる気持ちが半端ない感じです。 仏縁でつながっているご夫婦というのもたまにあります。お互いが仏様との強いご縁を頂いており、その縁で夫婦になる。信仰心がベースにあるから情というより狸でつながっているようなご夫婦になることが多いようです。 夫婦というのもその霊的なつながり方はそれぞれに千差万別。それでも目に見えない過去からのつながりがあることをよく認識してお互いを大切にして結びついていきたいものです。
2012年10月01日
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