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様々なことがあった一年でしたが、何かに生かされていることを改めて実感した一年でした。 自分の身体の衰えというものを感じ、人の成長を知り、世界の国々がそれぞれに問題を抱えてあえいでいることを感じとり、日本の人々の暮らしぶりも少しずつ変化していることを知った一年でした。 総括しているつもりはないのですが、自分の生きていく道のどこかに何かの道標を立てておかないと流されて行ってしまうような気がします。 少しでも誰かのお役に立って死んでいきたいものです。歳の終わりに縁起でもない事を書いていますが、結局人はどう納得して死んでいけるかということなのてはないかと最近は感じて考えております。 施療技術の更新、改良、人の魂の本質を解き明かしていく、心が身体を支配していることの意味、いろんな課題があります。少しずつ少しずつ学んでいきたいと願っております。
2012年12月31日
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時間というもの、時というものは決して人を待っていてはくれません。「時間通りに」という言葉どおりに次々と過ぎ去っていきます。 人の出会いや別れにしても時間が支配していると言っても過言ではないかもしれません。どんなに別れたくない人とも時間が許す限りしか会っていることは出来ません。どんなに出会いたくても時間が来なければ出会うことは出来ないわけです。 一年の過ぎゆく速さは年を取るごとに早くなっていきます。一日一日を大切になんて言っていられるのは若いうちだけだとこの頃何となく悟ってきました。若いころの一瞬という感覚で一週間が過ぎ去っていくのです。それは充実した日々を送っていないせいだと非難しないでください。凡人にはそれ相応の日々しか送れないのです。 子供だった私を可愛がってくれた身内の方達がこの数年でばたばたと亡くなられて行きました。違う本のページに移って行かれただけだとはわかっていますが、この本の世界ではもう会うことは出来ないわけです。 時間という読み手がめくっていく本のページ、もうすぐ次のページが開きます。どんなページになるのか、私達はどんな物語を綴っていくことになるのか、「時間」という読み手にしか解っていない事なのでしょう。
2012年12月30日
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先日のNHKのEテレのほうでやっている日曜美術館で「円空」を特集していました。 円空仏という数多くの木彫りの荒削りな仏像群を作成し続けた仏師です。 その「木そのものの魂から御仏を生み出す」作風は全ての人を魅了すると思います。私も大好きで仏像の中では一番好きかもしれません。 星宮神社、千光寺、行ってみたい場所が出来ました。来年雪が解けたら足を運び数多くの円空仏を観て来たいと思います。
2012年12月29日
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謙虚さというのはとても好きな美徳の一つです。これまでにお会いさせていただいた一流の方というのはほとんどがとても謙虚なお人柄でした。 「俺が、私が」と前へ出る性格というのはどんなに頼もしく思えても、私の場合は後ろへ下がって逃げ出したくなります。 決してマイナス思考ではないし、引っ込み思案でもないのですが、穏やかに自分の意思を相手に伝える雰囲気というものを持っておられる方達はお話ししていてもこちらの話もきちんと聞いてくださるので、とても温かい気持ちになります。 謙虚な態度で接せられるとこちらも自然にへりくだって丁寧な対応をすることになります。日本人に特有の性向ではありますが、同一単一の民族で固まって生活してきた島国の人間にはこういう性癖がどうしても大切にされてきたのだろうと思います。 メジャーリーガーの松井秀喜氏が引退との事。彼は石川県出身のスポーツ・ヒーローですが、常に謙虚な人柄であったことが好ましい人です。残念なことですが、大きな拍手を送りたいと思います。
2012年12月28日
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金沢弁で路面凍結した状態を言います。今朝の街中の道路は全てこういう状態でした。たぶん氷点下なのだろうと思います。 きんかんなまなまというのは、多分金華糖(きんかとう)というお菓子から来ているのだろうと思っています。 金華糖(きんかとう)とは、煮溶かした砂糖を型に流し込み、冷やし固めて彩色した砂糖菓子である とウィキペディアに載っています。子供の頃よく食べたのですが、金沢ではお目出度い席でのお土産などに使われていました。このお菓子は薄い砂糖の殻でできているのですが、この彩色されたお菓子の殻の裏側がつるつるで冬の路面凍結した状態にとてもよく似ています。 それできんかんなまなまと言ったのではないかと私は思っています。一説では果物のキンカンから来ているという説もあります。 子供の頃の金沢の道路はよくきんかんなまなまになったものです。よく長靴で滑って遊んだものです。
2012年12月27日
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フィンランドの教育事情を知る機会があって、子供たちが小さいうちから家庭内で親が絵本とかの読み聞かせをしつつ投げかける言葉がフィンランド語で「なぜ?」という言葉。 小さいうちから物事がどうしてそうなるのか自分自身で考える習慣をつけていくと言うことに力を入れているらしいです。 自分自身で原因や理由を考えること。ネットに頼ってすぐに答えを求めてしまうのではなくて、とりあえず自分で考えてみるということは大切なことなのかもしれません。 そう言えば娘が小学生の頃、夏休みの自由研究のテーマを相談されたときに娘が動物や野鳥が好きなので近所のいろんな場所にどんな生物が生息しているのか調べて地図を作るという課題を与えたことがありました。あのとき、もう少し「何故そこにそういう生き物たちが来るのか、生息しているのか」深く考えてみるように教えてあげればよかったなぁと若干後悔しています。 その国によって教育事情は違いますが、他の国の教育方針を知ると自分自身の生き方についてまで反省させられる部分があります。
2012年12月26日
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テレビに出ている人達というのは大変なリスクを負っているのだと思います。本当に多くの人達の視線を集めるわけだから、人の「念」というものが集中します。善良な念だけならいいのですが、悪意や妬み嫉みも含まれているし、送力の強い体質の人だって中にはおられるわけですから、そういう人の念が集中すればよっぽど強く霊的に守られている人でないと病気になったり、はじけ飛ばされてしまったりするだろうと思います。 人気者になりたいとか、大金持ちになりたいとかと思ってテレビに出ておられる人達がよくおられますが、多くの人の注目を浴びるということの威力をよくわかっていないのかもしれません。 もちろんテレビの力も良く使えば素晴らしいことを成し遂げられるものですが、テレビの中に入り込むことの本当の意味を知っていて警告する人はあまりいないようです。美輪さんや江原さんがテレビ番組をあんなにすんなりと止めてしまった本当の意味はテレビの功罪というものをよくわかっていたからなのだろうと思います。あれだけ強く守られているお二人ですらそうなのだろうと思います。 あくまでも私の推測、憶測に過ぎないことですが、人の注目を浴びすぎるのは決して良いことではないと思っています。
2012年12月25日
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子供のころのクリスマス・イブの思い出は靴下の形をしたお菓子の詰まったプレゼントです。クリスマスのプレゼントは兄弟そろってそれだけでした。それでも嬉しかったものです。 我が家は貧乏だったので、それが精いっぱいの両親の愛情だったのだろうと思います。昭和40年代の高度経済成長の真っただ中でしたが、母が水商売を始めるまでは結構苦しい生活だったようです。それでも家族四人で楽しく生活していた記憶しかありません。 ただ先日家内が居間の家具の上に花を飾っているのを見つつ、そう言えば我が家では子供の頃家の中に花が飾ってあることなんて一度も無かったなぁと思いつき、母に聞いてみるとそんな余裕はなかったとのこと。経済的に多少豊かになっても母は決して心に余裕を持つことなく懸命に生きていたんだろうなぁと思いました。 母自身は生け花なども好きで相当の腕前のようなのですが、花の飾られることのない家庭で育った私ということになります。 クリスマスには今の我が家の居間の飾られた花が大きなプレゼントのように感じられます。
2012年12月24日
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久しぶりに親鸞聖人の出てこられる前世を視ることが出来ました。なかなかお目にかかることがない高祖のお姿にありがたい気持ちになったものです。 来られたお客様の男性二人組、ともに親鸞聖人のお弟子さんだったようで年の若い方の方が前世でも弟弟子で、大変頭の良い人だったようで学識が半端なくあられたようでご本人もどうしても高慢になり、周りを見下す感じがあったようでお弟子さんの集団の中でも浮いてはみ出しそうになっていたようです。 兄弟子であるもう一人の方の前世の僧侶が親鸞聖人に弟子全員の前でどうすればよいかとお聞きしたところ親鸞さんのおっしゃったのがこういう言葉でした。 「高慢の花もその人に咲いた一つの花です。人はそれぞれにそれぞれの花を咲かせます。愛でてあげればいいではありませんか。」高慢になっているその人の心もその人の自然な姿なのだから、そっと慈しんであげなさいということのようでした。若いその学僧はハッと気づいたようでした。花があまりに綺麗さを誇って咲き誇れば、すぐに萎れて落ちてしまう。根っこがまだしっかりしていないのに私は花ばかり咲かそうとしていた・・・そう気づいたようです。 別の僧侶が同じときにお聞きしたようです。「それでは悪人もそういう花を咲かせていて、それを愛でてあげればよいのでしょうか?」 それに対する答えは「悪人の木の枝は影のほうへ伸びようとしています。影にのびても木は育ちません。その時は、その枝を切るなり撓めてあげて光に導いてあげなさい。木そのものを切ってしまうのは滅多にしていいことではありません。人の根っこはみんな同じように仏の慈悲という大地に根付いているのです。」 久しぶりに親鸞聖人のお言葉をお聞きしました。あまり多くを語らない方だったようです。歴史上ではとても雄弁な方のように思っていましたが。
2012年12月23日
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昨日が「納めの大師」という日に当たり、お大師様に一年の加護を感謝してお参りをする日らしいです。この後だと12月25日が終い天神、28日が納めの不動という日巡りになるようです。 それで、ふと「氣の感覚」を背後に飛ばして今年一年お世話になった神仏に感謝の「氣」のご挨拶をお送りしました。受け取ってくださる御柱もおられれば、「そんなことはせずともよい」と受け流す方もおられて、それでも全体的に良い感触です。 気持ちというのは届くもの(だと思いたい)。全ての存在に対して感謝と尊敬の念を送りたいと思います。皆々様本当に一年間ありがとうございました。皆々様のお蔭で生かされてまいりました。生かしていただいているのは、まだわずかにでも私でも何かの手助けが出来るのかもしれないと思いつつ、仕事に励みたいと思います。お大師様、天神様、お不動様ありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします。
2012年12月22日
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マヤのカレンダーでは人類滅亡が予言されていたとされる日。しかし、先日のテレビ番組でマヤの残した暦の発掘で、今日以降の日付が記録された遺跡が見つかったそうで後7000年先までのカレンダーだったそうです。 多分人類は滅亡しないと思います。ただしじわじわとぬるま湯から煮殺しにしていくように環境汚染や温暖化による気候変動を誘発しつつあるような氣はしていますから、生活環境は悪化していくのかもしれません。 何しろ冬至。一年で一番昼が短い日。冬は睡眠時間を長めにとって半分冬眠状態で過ごすのがいいのかもしれません。そんな暢気な人は私ぐらいかも・・です。
2012年12月21日
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「ホビット」という映画を観に行ってきました。朝九時半からの回は3Dの吹き替えしかなくて、しょうがないのでしぶしぶその時間に。最近は3Dの場合のメガネというかグラスは買うんですね、知りませんでした。100円で購入して席へ向かいました。 映画はあの「ロード・オブ・ザ・リング」の前の世界を舞台にした魔法あり妖精ありの物語です。三時間以上の大作で三部作の第一作になりますが、「ロード・オブ・・・」のファンでしたから、すんなり楽しめました。 印象的だったのは魔法使いガンダルフの言葉です。エルフの王に何故旅の仲間に一人だけホビットというなんの力も持たないつまらない存在を加えたのかと聞かれたときの言葉。 「さぁわしにもよくわからないのじゃが、悪や闇に対抗する存在というのは強さや勇気を持っている存在なのではなくて、さりげない日々の平和な暮らしを維持していくこと・・・そういうことを大事にする者の存在だと思っておる、そういう者がホビットなんじゃ・・・」 何か大きく目を開かされたような気がしました。今回の旅にはドワーフという小人だけれど力の強い勇気のある種族が全員なのですが、その中に一人だけホビットという平和な種族が混ざっているのです。 そういう存在がどういうものなのか・・・弱く見えるものにどういう意味があるのか考えてみたいと思いました。
2012年12月20日
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母親に頼まれて家電の「ドアモニ」という商品を購入して、母親の住居の玄関に設置しました。 ドアの上部に引っ掛けるように設置して、モニター部をリビングに設置すると来客の人の様子がくっきりと画面に映し出されました。設置はとても簡単で、ただし取り付けられるドアの形状には条件があって三ミリの隙間が必要だったりドアの上部が平面でないとダメだったりしましたが、母の玄関のドアは条件を満たしていたのですんなり設置できました。 ワイヤレスでつながっているので面倒な配線工事が不要で、何とも便利です。母は場所柄で不審者も来ることがあるので、来客を確かめてから玄関に出たかったようです。 このドアモニは玄関のカメラ部にスピーカーとマイクも付いているので来客と話も出来るし、来客の様子をカメラに録画まで出来るようになっていました。便利なものが出来たものです。価格も18000円だったのでお手頃でした。
2012年12月19日
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私の母は健康については驚くほどの努力を欠かさない人で、毎日腹筋運動は百回もしてリンパ刺激の乾布摩擦もし、金魚運動という両手足を空中に挙げて震わす運動をし、サプリメントも必要なものだけはきちんと飲み、糖尿病のために甘いものは極力控え、どこに行くにも電動カートに乗って出かけて行って少しずつでも歩く努力をしています。 現在80歳ですが、耳が少し遠くなったくらいで白内障の手術も両膝の人工関節の手術もさっさとやってしまって「子供たちに決して面倒を掛けたくない。」と仲人業にも精を出し、積極的に不動産経営にも手を出しています。 若いころに脊椎カリエスという病気で背骨が二三個溶けて無いのですが、それでも健康への関心と意欲は並大抵ではなく、生き生きと日々を過ごしています。 私もこういう職業なので母の健康については相談に乗ったり定期的に身体のケアを手伝ったりしています。身の回りの世話も出来るだけ手伝っていますが、なるべく自分のことは自分でと思っているようで私も出来る限りその意に添うように努力しています。 宗教や哲学にも興味が強くて、と言っても新興宗教は大嫌いです。親鸞聖人の教えや「死」というものをどう捉えていくかなんていうことを時々議論したりします。変わった年寄りかもしれせん。 いつまでも健康で長生きしてほしいと世間の全ての子供と同じように願っております。
2012年12月18日
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日本に住まわれている神々の数ですね。そんなに簡単にお姿が視えるものではないとおっしゃる方達もおられますが、「氣」の視点から視るとよくお姿を視かけますし、声をかけてくださることもあります。猿田彦命様との深いご縁のお蔭かもしれません。 先日も竜神様が施療中に出てこられておっしゃっていたのは「この者は水の氣を嫌いすぎる。自分が水の氣で生かされているのに、水の氣が近づくと振り払って逃げてしまう。考え違いをしてはいけない。水の氣を生かすべきなのだ。」との事。 「水の氣」というのは人の情や思いやりや小さな親切のこと。それをお節介と捉えたり、余計なことと退けていたのでは自分自身が生かされている道を踏み外してしまうことになるとおっしゃられたかったようです。 この女性は優しい思いやり深い性質をお持ちなのに、他人や身内にそういう態度を掛けられると煩わしく感じていたようです。龍神系の方達は頭の中は論理的にできているのですが、魂はそういう思いやりや情で生かされている部分が強い人がほとんどなのです。 人の情や思いやりをお節介とは捉えずに、そういうものに生かされている自分を自覚していかなければなりません。 神々は人を生かしてくださる役割も持って森羅万象に宿っている存在でもあります。視る、感じる視点を持って生かされている喜びを日々感じていきましょう。
2012年12月17日
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政治に関しては言及することを避けてきました。時事の問題というのは、触れはじめると様々な弊害が起きるのであえて避けていた部分もあります。 しかし、今の日本の政治については長い夜が続いているように感じています。政治に関心のない国民には国民に関心がない政治家しか与えられないという格言がどこかにあったように覚えています。 小さな島国で単一民族で侵略されることもなく長い間やってきた国家なので、外交能力は低く国際感覚というものが欠如しているし、やたら誇りだけは高くしかし選挙のための政治しか行ってこなかったような政府が出来上がり、本質的な行政は官僚たちによって実質支配されているような陰の部分を秘めているように思えます。 新しいイノベーションが起きつつあっても、いつの間にか「夜の闇」に取り込まれてしまって力を失い、摩耗していつかまた「長い夜」が続くことになってしまっているように思えます。 夜明けの兆しはデジタル・ネット社会が何かの起爆剤を投げ込まれて目覚めていく過程で起きるのかもしれないなぁと思っています。 「アラブの春」のような現象のように突発的で爆発的ではないにしろ、日本らしいデジタルな夜明けがいつか起きるのではないかと感じています。
2012年12月16日
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従姉妹が亡くなりました。71歳でまだまだ若いのですが、人工透析を長い間続けていて身体が基本的に弱っていたのだろうと思います。心臓の手術のために入院していて免疫力が落ちていたためか、肺炎になり儚くなってしまいました。娘さんがお二人いて、喪主を務めておられました。写真館を経営しておられたので沢山の参列者の方達がおいでになりました。 参列者の方達のお顔を見ていたら、どう見ても地域性が出ていて気づくことがありました。金沢でも若干高級な住宅地と昔は職人さん達が数多く住んでおられた町がある地域なので、独特の風貌が集まっています。頑固そうな男の人が多いし、女性陣はハイソサエティな感じがにじみ出ています。 地方に住んで長くなると、この人はこの地域の人だななんていうのが何となく解るようになります。金沢でも北部、南部、海岸部、山麓部で何となく風貌が区別できるようになってきました。 もちろん出身地と現住所が違う場合も多いのですが、金沢のように古い町は代々そこに住んでおられるという人もまだまだ数多くおられます。 従姉妹は苦労の多い女性でした。身体の不調にも耐えて激務である写真館経営を励んできた人です。ゆっくりとお休みしてほしいと願っています。
2012年12月15日
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朝はいつも飼い犬の鳴き声で目が覚めます。お腹がすいたのとおトイレをしたいので、朝五時ころから鳴きはじめます。 夜寝るときはケージの中に入れておかないと、夜中に部屋中のいろんなものをあさるので閉じ込めるのですが、朝はお腹がすいた、トイレがしたいと鳴き出します。 娘の方が先に起きるので、彼女がトイレの後始末をします。そして私が朝食の準備ということになります。今年で13歳になるポメラニアンの彼女ですが、心臓が弱っていて薬を飲んでいる以外はいたって元気です。 毎朝ワンコの鳴き声を聞きながら、いつまでもこういう元気な声が聴けるのかなと思っています。
2012年12月14日
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最初に氣視を始めると左目に痛みが走りました。そして巫女の姿が視えて、その方は左目が自然な形で閉じられていました。片目が見えないのだとわかりました。 そして、その方の務めている神社の名前が「松葉神社」という名前らしいこともわかりました。「松葉」というのはその葉の形から夫婦和合のしるしとか言われています。また、松という木は氣の力がとても清浄で強いことでも知られています。 伝わってきたメッセージは「片目でも出来ることはたくさんあります。出来ない事は少ししかありません。そして松葉が表すように二人なら出来るということもたくさんあります。でも二人いると争いが起きることもあります。 一人でできること、できないこと。一人でしてもよいこと、してはならないこと。二人なら出来ること、できないこと。二人で、大勢の人と協力して出来ること、逆に出来ない事、いろいろです。何でも一つの型にはめて考えないで。協力しあうことも大事。だけど一人でやりとおす勇気も大事。頑張って。」ということでした。 彼女は一人で外国へ留学されるとのこと。そういう彼女の不安と悩みに対してのメッセージだったようです。
2012年12月13日
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急に寒さが強くなりました。室内でもストーブの火力を強くしないと手足の先が凍えてくるような状況です。秋が短くて、突然真冬がやってきた感じです。異常気象などというよりも、段々こういう気候変動が普通になってきているのかもしれません。 お客様の身体を診ていても体のどこかに「冷え」が入り込んでいることが普通になってきています。急激な気候変化に人の身体のほうが付いていけなくなっているのかもしれません。若い人はそれなりに何とか順応していますが、ご高齢の方達にはきついだろうと思います。 新聞のお悔み欄にも連日多くの氏名が載っているのを見かけます。人というのは気候条件にも「生かされている」感があるのだと思います。 ヒートテック素材のアンダーウェアなどが随分と普及して、私も母に勧めて着てもらっています。こういうもので何とかこの気候変化の激しさを乗り切って行ってもらいたいものです。
2012年12月12日
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母が頻尿で夜中に何度も起きてしまうと言うので、以前から苦にしていたのですが、テレビの医学番組で漢方薬の名前を調べて「これが良いかどうか調べてほしい。」と頼んできました。 持っている漢方薬関連の本で調べると「頻尿」という症状に対しては八種類くらいの漢方薬の名前が明記されていて、母の言ってきた漢方薬も入っていました。「清心蓮子飲」という漢方薬でしたが、詳しく調べてみると母の症状にはちょっと違うような気がしました。その他の漢方薬も調べてみると「八味地黄丸」という製剤がとても合っているような気がしたので掛かり付けのお医者さんに相談してみることにしました。今は街の普通のお医者様でも漢方薬を保険適用で出してくださるところが多いです。 素人療法は危ないことが多いですが、漢方薬は体質や症状をきちんと見極めれば西洋薬と違う治し方をしてくれることがあるのでちょっと頼りになります。以前ひどい百日咳のような症状で苦しんだ時に「小青竜湯」という漢方薬でピタリと治ったことがありました。 お医者様ときちんと相談をして出していただく漢方薬ならお年寄りなどの生活習慣病などには良いかもしれないと思っています。
2012年12月11日
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お客様の氣の流れを視ることが多いので、いつのまにか自然界やら現実界でも氣の流れを何となく掴めるようになってきました。 天の氣を時々じっと視ていると龍の形をした大きな氣が飛んでいくのが視えることがあります。神社などでは高いご神木の上に厳かな氣が集中して留まっているのを視ることもあります。 まだまだ力不足というか練氣不足というか、相当それらの氣は凝縮したものでないと視るのはなかなか難しいです。霊能者の方達の視ている「霊気」というものもこれらの氣の一部なんだろうなぁと思います。 原始人とか自然に今よりも近い暮らしをしていた人達にはこういうものが当たり前に視えていたんだろうなぁと思います。先人の方達が書いたりおっしゃったりしていた「原始感覚」というのはこういうものを指すのだろうと推察しています。
2012年12月10日
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昨日の休日は長野県の戸隠神社へ行くつもりだったのですが、この荒天では無理をしないほうが良いと判断し、しかも行く途中の北陸道にはトンネルが26本も続く道筋もあり、何となく危険と判断しました。 実はお客様の中に変な霊能者の集団にお金をだまし取られている友人達がおられるとのお話があり、氣視してみると相当性質が悪い霊能者集団で、自分で邪霊を取り付かせておいて、あとで祓うフリをしているようなところまで視えて、これはちょっと争いになるかなと思ったら、戸隠の神様がおいでと呼んでくださったので行こうかと思ったのです。しかしながらそちらの被害者の方達は何とか収まってしまったので神様のお呼びも無くなったのかもしれません。 霊感商法とかいうのがひところ流行りましたが、まだそういう類いの犯罪者たちがいるようです。皆様もお気を付けください。ご先祖様が祟っているとか、そういう事は滅多にないことですし、救われるのにお金が必要だなんていうことは決して無いことです。
2012年12月09日
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我が家の伝統芸です。ついつい安いものに目が行って買ってしまい、長持ちせずに損をしてしまう。随分前に気が付いて、それからは「欲しい」と思っても一度は買わずに帰るという習慣を身に付けました。 最近は必ず買う前に一度冷静に考え直すということを習慣づけています。が、なかなか持って生まれた性分というのは直りません。 「欲を捨てよう」とよく言っているのはそういう自分への強い戒めなのだろうと思います。同じ家族でも弟氏は全く逆でゆつくりと時間をかけて吟味して高級な一品を大切に購入する性分です。 物欲というのは厄介なものです。決して囚われずに淡々と生きていきたいものです。
2012年12月08日
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子供の頃、年末になると近くの和菓子屋さんにはお鏡餅や普通のおもちの予約受け付けますの張り紙が出されていました。 金沢は和菓子屋さんの数が相当多い町で近所に何軒もの和菓子屋さんがありました。そういうお店にお餅を注文するのが、昔は当たり前の行事のようになっていました。平たくて大きな白いお餅を貰ってきて自宅で小さく切り分けて焼いたり煮たりして食べたものです。 最近では近所の和菓子屋さんというのも減少して、ましてやお餅は大量生産の切り餅が販売されていて、和菓子屋さんで作ってもらうなんて言う風情は消えつつあります。 子供のころは近くの公民館で会合なんかがあると、よく上生菓子が入ったお土産を父や母が貰ってきてくれて、そういうのが大変なご馳走でした。いろんなお菓子が入っているそのお土産は宝箱のように感じたものです。 年末には凧や独楽を買ってもらって正月の準備をしていたものです。遠い昔の思い出になってしまいました。
2012年12月07日
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外では凄まじい風が吹き荒れています。我が家は鉄筋コンクリート造りなので音だけが響いてきます。 こういう日に思い出すのは近年亡くなった身内の人達のことです。叔母が三人と父が亡くなり、それぞれに身近くお付き合いしていた人達だっただけに感慨深いものがあります。 叔母三人の魂の様子を氣視してみると、それぞれに身近な身内の方のそばに魂のかけらを置いて、後は霊的な世界を信じていなかった魂の性質のままに大きな魂の中に吸収されて行ったように思えます。 父は多少の霊感のあった人なので、今世に相当大きな魂のかけらを残していったようで母や私達兄弟を守っていてくれるのを感じます。現世にいるときは感じられなかった身近にいる感覚を今の方が強く感じます。 大きな強い風が吹くとき、人は失った絆を強く感じるのかもしれません。
2012年12月06日
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本来、歳神様というのは正月元旦に各家を訪れる神様のことを言います。中にはご先祖様の御霊を歳神様として祀る地方もあるらしいです。 しかし私には毎年師走に入ると歳神様のような方達が視えることがあります。寿ぐ気持ちが人々の心に宿るから、そこに招かれるようにご先祖霊や土地神様のお使いなどが来られているのかもしれません。 この神様たちはとても地味で静かな神様です。そっと目立たぬように家の玄関口や敷地の角に立っておられます。もしかしたらせっかちな歳神様たちで、正月が待ちきれずに来てしまって待っているのかもしれません。 何しろ多分幸運の神様たちですので、大切にそっと見守りたいと思っております。(あくまで私の妄想かもしれないと付け加えておきます。)
2012年12月05日
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施療技術が変革していくと来られるお客様のレベルも変わって行ったりします。誰にも教えず知らせずに自分の中でだけ少しずつ施療技術を練磨していっているのですが、「骨ゆらし」にしてもまだまだですが「氣の技術」と重なって身体の波動性が視えてきたと思ったら、そこに異常が多いお客様が来院される傾向が高くなってきました。 こういう変化というのは無意識の世界で伝播していくものなのかもしれません。テレビなどのマスメディアが普及している現代社会ですが、本当はそういう科学技術などを媒介しなくても、人同士や自然界では同じ波長の思考や傾向が無自覚に伝播していく性質があるのかもしれないと思います。 シンクロニシティ(同時性)という現象もその一部なのかもしれません。 何しろ怠けてはいられません。施療技術の練磨に励まないとお客様についていけなくなってしまいます。
2012年12月04日
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今朝は霜が降りていました。放射冷却現象なのでしょうか。晴天の一日になりそうです。トンネル事故も大変です。亡くなられた方達のご冥福をお祈りします。 昨日金沢には維新の会の橋下氏が遊説にこられていたようで、観られたお客様が凄い人出だったと言っておられました。ムーブメントが起きるのはいいのですが、冷静に見つめなおしていく目も大切なような気がします。 政治の場で「国防軍」という言葉が躍るようになりましたが、ちょっと恐ろしい気がします。憲法第九条は素晴らしい条項だと思っているのですが・・・。 人々の心にも霜がおりて大切な平和を愛する心が凍りついてしまわないように願いたいものです。
2012年12月03日
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カンブリア宮殿というTV番組も好きでよく観ています。先日は「海洋堂」という会社の特集でした。フィギュアで有名な会社ですが、プラモ好きのオタクの方達が好きなことを追求し続けて出来上がった会社だということが解り、大変面白かったです。 滋賀県の長浜市にある海洋堂の店舗には一度行ったことがあります。そのフィギュアの精巧さと芸術性には目を見張るものがありました。 日本人の持つこの特性。江戸時代の「根付」という煙草入れに付けるアクセサリーに凝ったり、刀の鍔の装飾に凝ったり、日光東照宮に代表されるような凝った芸術品に対する愛着心や工芸性というのは本当に日本人の特性としては最たるものだと感じます。 生物は狭い所に生息域を定めると小型化する傾向があるそうですが、日本人のこの小型化や特異な分野への集中力はそういう自然発生的な部分もあるのでしょうか。 海洋堂の社長さんが言っていましたが、「虐げられ、見下げられている分野からナニクソと這い上がってくる分野」というのがこういう特性を生み出していくのだそうです。そうだとするとこれは人の生きようとする力の発露なのかもしれません。
2012年12月02日
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永井先生の新しい健康法「骨ゆらし」を施療に試験運用しながら研究中です。 以前に永井先生のところにお邪魔していたときに先生の施療の中にヒントになる動きが随所にあったのを思い出して総動員しつつ研究しています。 どうも「骨ゆらし」というのは実際の運用の要諦を表している意味があって骨をゆらすように揺するのですが、その実態は身体の全ての細胞に振動を与え活性化させ、氣の流れをスムーズにすることが目的のようです。 揺すっていると「揺れ」が鈍いところが必ずあるので、様々な角度から様々な微妙な力加減で揺すっていくことで、連動性が生まれてくるように思います。身体の温かみや「ゆるゆる感」などが生まれてくるように思います。 まだまだ研究を続けてみたいと思っています。施療に来られる皆様少しだけお付き合いください。
2012年12月01日
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