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アトピーの女の子の施療を続けています。ご両親の不仲な時期が一時期あったせいで、またご両親が別れてしまうのではないかという不安感が彼女の中に大きく巣食っているようで、そういう精神不安が病気の大きな原因だと考えています。 先日の施療の中で氣視をしていたら、寝ているときに小さな赤い鬼が彼女の中に入り込んでくる姿が視えました。これが彼女の睡眠を妨げているようです。改めてお聞きしてみるとやはり夜中に何度か目が覚めるようです。 そこで熱田神宮で戴いてきた小さな可愛い土鈴をお守りとして差し上げました。寝ている部屋に置いてください、剣の神様のお守りだからきっと鬼を祓ってくれますよ。そう伝えました。彼女の嬉しそうな笑顔。まだ小学生だから不安感と戦うためには何かのシンボルが少しずつ必要なのだと思います。 深層心理を補助するものは何がしか必要です。ちょっとずつ彼女の不安を取り除いていってあげれればと思っています。
2012年04月30日
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神社へ参拝した時のルールは、その神社ごとに違う部分もありますが、基本的に守ったほうが良いものもあるようです。 参道の真ん中は歩かない。 鳥居から入る場合には一礼する。出る時も同じ。 禊の場(手洗い場)では両手と口を洗い、ゆすぐ。 賽銭箱にお金は投げ入れない。そっと落とし込む。 このような感じでしょうか。あくまでも私の思っているルールなので違っている場合もあるでしょうし、神社によってはそれぞれ特別な決まり事もあるようです。 厳密に考えすぎないことも大切で、人に強要することもいけないことだと思っています。神様はその人その人に一対一で接してこられますから、その人だけの神様とのルールというものもあるはずだろうと思います。 ただ神様への尊崇の念は大切だと思います。
2012年04月29日
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タオ指圧の遠藤先生は「経絡」というものをとことん追求していって、その真実の姿を突き止めていかれました。 それは人の本来の身体からニメートルほど離れた空間にある「氣の身体」という球体上のものの表面に「真の経絡」というものはあって、その影が身体の中や表面に現れているという事実でした。 私のような半端なものにも何となくそういう姿は感じられるようになりつつあります。 それと同時に神霊界においてもそういう構造が視えてきたような気がしています。「真の神仏」というのは決して人の近くやそばにおられるものではなくて、ましてメッセージを伝えてくるということは中々無いことで、その「影」のような存在が代わりに伝達者となっているということです。 だからと言ってその代弁者が邪霊とか雑霊であるということではありません。そういう存在は人を恐怖や混迷の中に誘い込むような内容のメッセージしか伝えてきませんから区別ができると感じています。 なぜ「影」のような代弁者的な存在が間に立つのか?人と神仏とは何か絶対的な「壁」のようなもので遮られているのでしょうか。 「犯すべからざるもの」として神仏はあるのでしょうか?この疑問はまだまだ先に持ち越されていくのだろうと思います。
2012年04月28日
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彼女の氣視を始めると山の急な斜面を駆け上がっている武者の姿が視えてきました。戦闘状態だったような武装をしていて、周りには煙が渦巻いていました。 落城した山城から逃げ出してきた感じです。周りの煙は炎上した城からのもののようでした。よく見ると懐のあたりに幼い乳飲み子を縛りつけてありました。城主の息子のようでした。若侍にとっては大切な預かりものという感じです。 ひそかに慕っていた側室の女性が生んだご落胤という存在のようでした。しかし、彼にっては大切な存在ですが、このままいっしょにいては共に見つかって捉えられてしまうことになると思われました。若い侍が乳飲み子を抱えていては目立ってしょうがありません。 彼は山からそっと下りて村里の子だくさんの農家のお嫁さんに幼子を預けていつか必ず迎えに来ること約束して立ち去って行きました。 現実世界の彼女は今、仕事でがむしゃらに頑張っている最中のようでした。気力が充実しているので身体も心も支えられて大丈夫なのですが、心に少し重荷を背負っているようでした。それをどこかに預けてもう少し心を軽くして歩んでいくことをこのビジョンは伝えているのかもしれません。そう解釈して内容をお伝えしました。
2012年04月27日
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葉桜が好きです。桜満開・・・という時期が過ぎて桜色とは対照的な緑の若葉をたくさんつけた桜の木を見ると清々しい気持ちになります。 野鳥たちはこれからが恋の季節です。なぜなら営巣の時に緑葉が生い茂り巣を隠してくれるようになるからです。自然はきちんと生命を守るように鳥たちに利用の仕方を教えているようです。 昨日のワンコの散歩で川べりの桜はほとんどが葉桜になっていました。綺麗な緑を目にしてなんとなく初夏の訪れも感じたように思います。
2012年04月26日
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当院では灯油ストーブを使っているのですが、さすがに少しずつ片付け始めています。暖かくなるにつれて、冬のものが段々家の中から消えていきます。 炬燵が消えて、ストーブが消えて、寝具が段々薄くなって、春から初夏へと季節が移っていきますね。 でも今年は寒さが長引きました。お客様の身体も寒さが堪えて、「冷え」を身体にため込んでいる方が大勢おられます。 先日からまた自分自身を実験体にして「ノニジュース」というのを試していますが、何だか身体の中心部が温まってきているような感じがします。もう少し試していってみないとわかりませんが・・・。 ストーブが撤去されれば長い冬も完全に終わりなのですが、北陸の冬はしつこいです。
2012年04月25日
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本当にやりきれない思いを感じる交通事件が相次ぎます。無辜の人たちが犠牲になり、平穏な日常が切り裂かれていくのを見るのはとても辛いことです。 車というのは便利なもので有難いものでもありますが、それを操る人間によって恐ろしい凶器にもなるということを改めて考えさせられます。 私も車の運転を三十年以上続けていますが、必要以上に運転したいと思ったことはありません。それは道路の上に出た時点で、乗っている人と周囲にいる人たちの「命」に対して大きな責任を生じるということが心の底から感じるからです。 自分のミスで何かを引き起こしたときに「命」に係わる状況を生じさせてしまう「車」という道具は本当に怖いものだと心底感じています。 運転は好きなほうなのですが、できる限り自転車や徒歩で目的地に行ける場合はそうしています。 安易にモノに頼らない・・そういう社会や人たちが増えてくれればと思ったりもします。
2012年04月24日
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当院の近くに「О寿司」という小さなお寿司屋さんがあります。ビルの陰に小さな入口があって、ひっそりとした佇まいの目立たないお寿司屋さんなのですが、近所に来られる観光客の方達からしょっちゅう場所を聞かれます。 どんな宣伝をしているのかなと思ってネットで調べてみたら、ほとんど何もしていません。でも「食べログ」では上位に来ていて、要するに口コミがネットで広がって「美味しいお寿司屋さん」として評判になっているようでした。 ネットがこれほど普及する前なら、あんなような立地だとある程度宣伝広告にお金を出さないといけなかったのでしょうが、今では「美味しい」ものを提供し続けていればネットの力がいつの間にかその店を有名店に押し上げてくれるようになったようです。 その店の弛まぬ精進が欠かせない必須条件ではありますが、ネットの普及というのは中小自営業の経営形態を変化させ続けているような気がします。 スマホ片手に探してやってこられる人たちの姿がこれから「町の形態」さえも変えていくのかもしれません。
2012年04月23日
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独りで立って生きていくというのは難しいです。大変です。誰かに支えてもらえるものなら支えてもらいたいですが、心や魂を支えてくれる他者というのは中々いてくれないものです。 それでも人は一人で生きていかなくてはなりません。それを頑張るためには何が必要ですか?と聞かれて答えたのは「覚悟」という言葉でした。 自分で自分を見捨てない覚悟。自分を決して嫌いにならないという覚悟。その決められた意の先にはすべての人への「愛」があるのだろうと思います。 独りで立つのは周り中の全てのものを愛するという行為でもあると思います。色即是空 空即是色 これはそういう事を表している言葉なのだと私は解釈しています。
2012年04月22日
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もうすぐゴールデン・ウィークですね。当院は祝日も関係ないので曜日通りに営業いたします。 社会人になってからほとんど土日祝日にお休みをするということと縁のない仕事にばかり就いてきたので、他の方達が休んでいるときに働くということに逆に快感を覚えているかもしれません。 今年のG・Wは東北地方を中心に人々が動いてにぎやかになってくれるといいなぁと思います。 お出かけになる方達は事故など会われないように心よりお祈りしております。
2012年04月21日
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昨日の施療中の氣視で届くメッセージはそういう感じのものが多かったです。伝えている私まで熱くなってしまうような感じがありました。 自分に自信が持てなくて勇気を失って縮こまってしまうときもあるものです。 でも、前へ進むことを忘れてしまってはいけないし、自分を自分が信じてあげなければ誰が信じてあげれるというのでしょうか。 私もそんなに自信のある人間ではありませんが、自分を疑うことだけはしたくないと思っています。それがなぜか他の人に対しても真摯に誠実に向き合うことにつながっているような気がするからだろうと思います。
2012年04月20日
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愛知への旅以来少し風邪気味なのですが、何だか自分の中の悪いものを外へ押し出そうとしているような風邪の感じがしています。 野口晴哉氏の「風邪の効用」という名著がありますが、こちらは中々難解な内容で凡人が読んでも解読が難しいです。 ただ風邪にも何種類かあって、今回のようなデトックスのような効果をもたらそうとしているものが含まれているのは間違いないような気がします。 早くすっきりと嫌なもの悪いものを出してしまいたいと思います。何か自分の中の未熟な考え方を改めるように言われているような気がしています。
2012年04月19日
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親子関係というのは中々深いものがありますね。社会の基礎になっているのはこの関係なのかもしれないと思います。 親子関係が薄い方も時々おられますが、ほとんどの方はそのしがらみに縛られて生きています。楽しんでいる方もおられれば、生きがいにしておられる方もおられますし、中には苦しんでいる方もおられるのかもしれません。 もちろん前世からの関係はずっとあるのがほとんどの場合なので、「親子」というのは「ソウルブラザー」というか「ソウルメイト」であることが間違いない間柄と言っていいのかもしれません。 遠く離れていても魂ではずっとつながっている関係なので、知らないうちに影響を与え合っているのが親子というものです。親は子のためなら何でもしてあげたいと思うでしょうし、子は親という存在を現代では「当たり前」「友達感覚」として捉えているので少しずつ「ギャップ」のようなものが生まれつつある関係なのかもしれません。 しかし、なにしろ深く強く結びついていて「絆」という言葉のベースになるような関係になるのでしょうね。
2012年04月18日
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私の娘は天神系の守護をいただいていて、要するに菅原道真公が守護神なのですが、この神様はやはり元々が崇り神様なので守護の形も少し物騒です。 今回の名古屋への旅は行きも帰りもこの神様の守護の中にあったようなのですが、まぁ交通事故の現場に何度も遭遇して中には当事者の方が担架で運ばれている現場も見ました。 帰りは東海北陸自動車道を通ったのですが、五箇山から福光の間が事故のために通行禁止で一般道へ迂回するはめになりました。まぁそのお蔭で世界遺産の合掌造りの村々をゆっくり眺めつつのドライブになりましたが。 車の運転は危険と隣り合わせでいるということを久々に強く実感させられる旅になりました。天神様のお諭というところなのでしょうか。 それにしても天神様と天照大神様は何でこんなに相性が悪いのか、やはり光と闇の関係なのでしょうか。
2012年04月17日
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只今です。帰ってきました。と言っても一泊二日の小旅行ですが。 何か不思議な感じのする旅でした。行きは雨は降っているし、事故の生々しい現場は見るし何だか変なトラブルがいっぱいあって、でも何だか何か大きなものに包まれているような安心感があって、のんびりと旅が続いていきました。 そして熱田神宮に到着して混雑しているのに簡単に駐車場に入れてついているなぁ、ラッキーだなぁ、歓迎されているのかなぁなんて思ったのに、境内にも本宮内にも神様の気配がありません。 ここまでの道程の間はずっと気配を感じていたのに、到着すると姿を消してしまわれました。何故なのか、自宅に帰ってくるまで理由がわかりませんでした。 神宮自体は伊勢神宮の小型版という感じで、なかなか雰囲気も良く宝物殿にはさすがに名刀の数々が展示されていて、しかも「殺気」が全て抜かれているので感心しました。 神様不在の理由。それは娘が原因でした。娘と私の守護神とは相性があまり良くないのでもちろん、こちらの神様も苦手らしく、娘は神様がおられると気分が重くなり調子が悪くなってしまうのだそうで、不在であってほしいと願っていたのだそうです。 帰ってきてからそれを聞いて、なるほどと納得。娘は争いごとが大嫌いで、「剣」の神様なんていうとそれだけで毛嫌いしてしまっているようで、単純というか・・・・今度じっくりとこの神様系について話をしなければならないと思っています。 愛知の知多半島の突端近く「まるは食堂旅館」では美味なえび料理の数々を堪能してきました。
2012年04月16日
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今日は名古屋の熱田神宮へ行き、そのまま知多半島の先っぽのほうで宿泊してきます。 熱田神宮は三種の神器の一つである「草薙の剣」がご神体として祀られている神社です。私の守護神は「剣」の神様なので、とても関連深いというか本質に迫るような神様への謁見になるわけで、そう言えば今朝は雨模様でいつものように「禊の雨」のように感じます。 土曜日ですし神宮のほうが混んでいなければいいのですが。たぶん何かのお導きがあるだろうと思いつつ向かいたいと思います。 明日の朝は旅先なのでもしかしたらブログはお休みするかもしれません。
2012年04月14日
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まだ若い女の子なのに氣視をすると変な前世が視えました。なんと江戸時代くらいの大道芸人である「蝦蟇の油売り」わしている姿です。浪人なのでしょうが、まだそんなに年を取ってもいなくて中年くらいの年齢で道端で堂々と蝦蟇の油を売っていました。 家には奥様と子供が三人。貧しいですが、幸せな家庭を営んでいるようでした。決して苦しかったり辛かったりという雰囲気がなくて、皆が楽しく暮らしているようでした。奥様がお稲荷さんの強い守護を得ているのが印象的でした。 メッセージは「貴女は弁が立つのだから、それを生かした仕事がいいかもしれない。良縁を得たければお稲荷さんにお参りしなさい。周りの人たちには真摯に接すること。決して自分を偽ったりだましたりしてはいけません。」というものでした。 大道芸人の前世というのは初めてでしたが、なんとなくほんわかした温かい人生を視させてもらったように感じました。
2012年04月13日
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パソコンが突然起動しなくなりました。前日きちんとシャットダウンする前に電源を落としてしまったのが遠因かもしれません。メーカーさんの電話サポートを受けて色々とやってみましたが、復旧せずやむなく初期化しなおしました。 パソコンというものがいかにデリケートなものなのか身に染みました。そのあとのセットアップがまた色々と面倒で大変でした。休日が半分飛んでしまいました。 閑話休題。 今度の土日は愛知県のほうに旅行へ行きます。できれば熱田神宮にもお参りできればと思っております。それで日曜日はブログお休みになるかもしれません。
2012年04月12日
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お客様に「将来彼氏とかできますか?」などとよく聞かれます。氣で繋がっている間には未来の氣の流れる方向は視えるので、何となく視えるものをお伝えしますが、あくまでも確率の問題で選択肢は幾つにも分かれていることはお知らせしています。 そして、どちらの道へ行くかという確率はその人の性格というか魂の性質で決まっていくようです。「細い道だなぁ・・危ないなぁ」というような道へあえて進んでいく方もおられるようで、それは決して幸せな道ではないようにも思えるのですが、それはその人の選ぶ道なので「心が決めたこと」なのだからそうなるのだろうとその道をお伝えしています。 でも必ずそうなるとは限りません。人の未来というのは決して確定しているものではないのだと思います。
2012年04月11日
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有卦に入るとは 「有卦」は、陰陽道で、人の生まれ年を干支に割り当てて定めた幸運の年回り。陰陽道では、この年回りにあたると、七年吉事が続き、無卦にはいると五年凶事が続くという。 そういうメッセージを貰ったお客様がおられました。後でお聞きすると結婚が決まられたそうで、そうなんだと納得しました。とても良い縁を得られたということなのだろうと思います。 ただ「好事魔多し」ということわざも伝わってきましたから、決して浮かれすぎないように注意もさせていただきました。 それとご主人になられる方にはギャンブルにはまりやすい傾向も視えたので、サイフのひもはしっかりと握っておくようにとのアドバイスも。全くお節介な人間に思えてしまいます。
2012年04月10日
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春の気配にはもう包まれているのですが、金沢はまだ桜の開花宣言は出ていません。数日中には出るとか出ないとか。 昨日はお釈迦様の誕生日。子供の頃に甘い飲み物を頂いて仏像に何かを掛けて祝っていた記憶がぼんやりとあります。 震災の記憶はまだまだ生々しく残っており、東北にはいまだに自宅へ帰るめども立っていない多くの方達が残っておられます。神戸の震災と違って被災地域も広く、地場産業も被害の深刻さからも中々復興には至らないようで、政治の中枢にはまだまだ選挙がらみの執着から抜け切れていない政治家が復興復旧への真摯な取り組みを阻んでいる感じもあり、東北日本の暖かな春はまだまだ遠い感じもします。 桜はいつか咲いてくれますが、被災地の桜がそこに住む人達の心の中にもいつか満開に咲いてくれることを祈っています。
2012年04月09日
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先日倶梨伽羅不動尊に行ったときに教えていただいた不動明王の名号になります。時々唱えさせていただいています。破邪の力が強いお不動様なので、変なものが憑いていたりしたお客様には背中にお不動様の分け御霊をお授けさせていただいた後で、この名号を時々唱えていただくようお願いしています。 もちろん貼り付ける前に変なものは祓っているのですが、憑いているものによって祓い方は千差万別です。静かに説得してお引き取り願うことが大半ですが、理屈や説得が通じない場合は力技を使う場合もあります。しかし不思議なのはそういう祓い方を誰に教わったわけでもないのに、少しずつ覚えていったというか思い出して行ったことです。少しは前世でそういうことをしていたのでしょうか。 本質的には、その方の潜在意識に潜り込んで少しですが改善していくことが内容ではあると思っています。起因するものは全てその人の魂の中に含まれているものだと私は考えています。
2012年04月08日
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アトピーのひどい小学生の女の子を施療しました。氣の流れを視てみると身体の中心部に縮こまっているような感じで、肺のあたりで一度渦を巻いているのも視えました。 証としてはやはり「三焦虚・大腸実」という感じで、この逆の証と行ったり来たりしている感じもありました。 メインの証は三焦経です。これは気を使いすぎて疲れてしまったことが原因。外界適応が過敏になり過ぎて、適応力が異常になってしまった結果が皮膚上のアレルギー反応となっていると思われます。 アトピーと言っても人それぞれなので「証」という東洋医学でいう診断結果に相当するものも様々になるとは思います。 彼女の場合は家庭環境にも大きな問題を抱えていた時期があったので、その時期に心が受けた大きなストレスが原因にもなっているのかもしれません。 氣を整えるとと同時に、ご両親に彼女へ接する際に勘違いしやすい部分をよく解説して施療を終えました。もう少し時間をかけて施療を続けていくつもりです。
2012年04月07日
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昔そういう名称のテレビ番組がありました。永六輔さん作詞の主題歌が良くて時々見ていたような記憶があります。今でも時々この歌のフレーズが頭の中に甦ることがあります。 遠くへ行きたいと何となく感じていたものでした。そして何故か向かう先は北だったような気がします。今でもアラスカや北極圏には旅してみたいと感じています。 人には北向きに向かう性向の人と南へ向かう性向の人がいるのかもしれません。もちろんどの方向へも全方位OKという方もおられるでしょうが。 知らない街、知らない人達の中を旅してみたいと常に思っているのは人類が進化の過程で旅してきたグレート・ジャーニーの名残なのかもしれませんね。
2012年04月06日
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昨日のお休みワンコと散歩に出ました。晴れてはいるけれど風はまだとても強くて、いつもの川べりの散歩道で我が家の12歳のおばあちゃんワンコは風が強すぎて歩けないのか歩かないのか・・・。 強風で毛も身体にぴったりと張り付いたようになっていて、こちらを情けない顔で見ていました。 早々に退散しました。
2012年04月05日
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死後の生はあるのかどうか?これは永遠の疑問なのだろうと思います。魂の存在が科学的にでも立証されて追跡調査でもされない限り、明快な答えなどは与えられないのだろうと思います。 氣視をしている立場からすれば、生きている間にも人の「氣」というものは宇宙にある大きな「氣の流れ」と接続されていることは間違いない事だと思います。 死の瞬間にその接続は断たれることはなく、そこを通って宇宙の氣と繋がっていくのだろうと私は想像しています。繋がり方が弱かったり、迷ってしまっていたりすると氣の一部分が外れて現実界に漂い残ることはあるかもしれません。それは「モノ」に対する執着が強ければ強いほどそうなる確率が高いのかもしれません。 あくまでも「かもしれない」「そうなのだろう」という推測の域を出ないお話ではあります。 いまだに「氣」というものの存在も科学的には立証されていませんからね。でも、存在していることは間違いないと私は信じています。
2012年04月04日
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柳生新陰流の修行の一環に「心の下作り」というのがありました。若年者が剣術の修行をしていく段階で、相手を自分よりも格下に見下すように心を作っていくことが大事という修行内容でした。 それはおごり高ぶることにつながるように思いますが、真剣を持って命のやり取りをする狭間で心がひるんでしまったり、肝が据わっていない状態でいるというのはとても危険なことだったのだろうと推測されます。 そういう事にならないように若いうちから「不動心」の一歩手前の状態としてこういう「心の下作り」をして、自分の心を鍛えていくようにしていたのだろうと思います。もちろん驕りや自分の能力を過信することは、年配の指導者が日々戒めて鍛えていくことでそうならないようにしていたのだとは思います。 また、簡単におごり高ぶるような資質の持ち主はその時点で剣の修行はストップしてしまったのだろうと思います。もしくは真剣での斬り合いで亡くなって行ってしまうか、だったのだろうと。 変な話ですが、多分学校の先生などにもこういう「心の下作り」は必要なのかもしれないなぁと思っています。生徒さん達を平等に見るという心や、指導していく場合の自分自身の「覚悟」などをしっかりとしていないと教育というのは難しいのだろうなぁと思うからです。 教育の場も真剣を使っての斬り合いと同じような部分もあるように思うからなのですが、ちょっと大げさでしょうか。
2012年04月03日
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老子の教えの中では「徳」や「仁」は上位のものとされていますが、「智」や「礼」は最も下位のものとして低く見られています。 智恵や礼儀を声高に言わなければならない社会はダメになった社会だと老子は言っているわけです。 そうですね、今の社会は「智恵」を最も尊いものとしていますし、「礼儀」が人々の中から失われたと言って嘆いている人が多いようにも思います。 どこかで私達は間違った曲がり角を曲がってしまったのかもしれませんね。思い返すのは先日のブータン王国の人達の暮らしぶりです。あれはもしかしたら老子の教えに近づく暮らしぶりなり社会なのかもしれませんね。
2012年04月02日
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葛城一族というのは古代の有名な豪族なのですが、古い時代に滅んでしまった氏族でもあります。 ただ私はこの一族は滅んでしまったとは言っても、多分地の底に潜ったかのように歴史や社会の表面から姿を消しただけで、今も隠然とした勢力を持ち特に霊的な世界では名を変え形を変えて日本の霊界を下支えしているのではないかと思っています。 何しろ大地の力を得ている一族なので、土に根差したエネルギーを支配しているのでなかなかそう簡単に滅びてしまうようなものではないと思っています。 あまり大きくこの氏族について取り上げることは霊的には多分好ましくない事だろうと思います。隠れていることに意味がある人達ですから・・・。私もこれ以上話題にするのはやめようと思っています。ただ彼らに対して好意と興味を持って視続けるつもりではあります。
2012年04月01日
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