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山荘が完成した頃は、近くの山裾の道を折々に散歩したものである。僅か10数年の間に随分と少なくなったが当時は東京ではお目にかかれない様々な草花が、土手や林の裾に咲き乱れていた。山荘から数百メートルの近くにある塚のように小高くなった場所に、地区の名前を冠した名松があった。その大きさは公称樹高14m、幹回り5.8mとされていた。残念ながら近年猛威をふるうマツノザイセンチュウに依って6年前にあっという間に枯死してしまった。その松があった場所の到る所にツリガネニンジンが群生していて、そこから一株移植したのが山荘で大株になって今年も花をつけた。ツリガネニンジンはキキョウ科の植物で、花茎の高さは150cmにもなり茎には3から5枚の葉が輪生、稀に互生または対生する。比較的倒れやすく土に付いたところからは、簡単に根が出る。茎につく葉の形の多くは楕円形で、やや厚みがあって艶がなく縁に鋸歯がある。8~10月が花期で、淡紫色の釣り鐘形の花を下向きに咲かせる。葉と同じように輪生する枝の先に、3~5輪ずつまとまって段状に花をつける。花冠の長さは15mmほどで先端はやや広がり、裂片は反り返る。和名は釣り鐘状の花が咲くところから「釣鐘」、朝鮮人参に似た大きな根をもつことから「人参」の名前がつけられた。しかし朝鮮ニンジン・食用人参何れとも異なり、朝鮮ニンジン(オタネニンジン)はウコギ科で、食用の人参はせり科である。朝鮮人参は、江戸時代には高価な薬だった。日本に入ってくるのは乾燥または蒸したもので生のままの形で入ってこなかったので、その根の形をたよりに山野での人参探しが行われた。その時代にツリガネニンジンにつけられた、釣鐘人参・蔓人参・岩人参などの名が今でも残っている。雌しべの花柱は花から少し突出しており花が開いた直後の花柱の先端は棒状だが、その後3裂して広がるのはキキョウやホタルブクロと似ている。冬の間地上部は枯れて根の状態で越冬し、春に新芽を出して茎を伸ばし7月~11月に花を咲かせる。ツリガネニンジンの漢名は沙参(しゃじん)で、根は漢方薬の咳止の「沙参」である。朝鮮語の「トトキ」の名で、山菜としても有名である。「山でうまいはオケラにトトキ、里でうまいは瓜、茄子嫁にやるのも惜しうござる」と俗謡に歌われるトトキは、ツリガネニンジンの古名で若葉は他の山菜より旨かったのであろうか「嫁に食わすな」と歌にも唄われて昔から食用とされてきた。 花言葉 詩的な愛、優しい愛情、感謝、誠実誕生花 9月4日、9月14日、10月4日、10月27日
2014年08月31日

月遅れの盆が過ぎる頃、山荘の庭の縁に14年前世田谷区のある庭から一枝貰って挿し木したミヤギノハギの大株に花が咲くようになる。今では勝手に実を飛ばして、庭のあちこちに株を作り隣家の庭でも咲いている。萩は秋の七草の一つであり鹿が鳴く時期に開花することから、ハギの別名は鹿鳴草(しかなぐさ)という。他に庭見草・野守草・初見草の古名もある。古来ハギは鹿との組み合わせで語られてきたのだが、花札では萩と猪の組み合わせとなっている。何故この組み合わせができたのか諸説があるが、何れも牽強付会の類で信憑性と説得に欠ける。萩の文字は廾冠に秋で、秋の草という意味を表す日本の国字である。名前の由来は冬の寒気で地上部が枯れた古い株から、毎年芽を出すことから生え芽(ハエギ)と呼ばれていたものが次第にハギに変化したものとされる。萩といえば一般的には山萩のことで、日本各地の山野でごく普通に見られる。東京近辺で見られるものは、ほとんどがミヤギノハギかヤマハギである。花札ではハギが7月とされているように、早いものは夏前から咲き出すが見頃は9月になってからである。 豆の花に似た蝶形花を咲かせ、枝や葉は家畜の飼料や屋根ふきの材料とされ、葉を落とした枝を束ねて箒に、民間薬では根を煎じて目眩や逆上せに使われたことがある。仲秋の十五夜に萩を、すすき・だんごと一緒に供える習慣がある。ススキは魔除けの力があるので供え物を護り、ハギは神様が供え物を頂くための箸という意味があるという。彼岸には祖霊に小豆を塗したオハギとボタモチ餅を供えるが、どちらも材料は同じである。春の彼岸に供えるのは春花の牡丹にちなんで牡丹餅→ボタモチと呼ばれ、秋の彼岸に供えるのは萩にちなんで萩餅→御萩餅→オハギと呼ばれるようになったとの説がある。さらに潰し餡と晒餡の違いがあるが、小豆の収穫は夏の終わりころになるので、秋分の頃にはまだ柔らかいため潰し餡にし、春分には小豆が固くなって粒のままでは食べにくいので晒し餡にするのだという。しかし、東京の菓子屋ではどちらも「オハギ」と呼んでいる。わが岳に さを鹿来鳴く初萩の 花妻問ひに 来鳴くさを鹿 万葉集 註:さお鹿 鹿が野を分け入るというところから、「入野」に付く枕詞。萩は万葉集で最も多く歌われている植物で、141首が見える。さらに萩と鹿との組み合わせは、10首が見える。ハギは、マメ科に属す落葉低木の秋の七草のひとつとされ、花期は7月から10月。日本のほぼ全域に分布する。古くから親しまれ、「万葉集」の歌に最も多く出てくる花である。茎は木質化して固くなるが冬には地上部の殆どが枯れ、翌年再び株本から新しい芽を出す。直立せず先端は枝垂れる。秋に枝の先端から多数の花枝を出して赤紫の花の房をつけ、結実すると楕円形で扁平な種子1つだけの果実を付ける。ヤマハギは、広く日本全土に分布しており枝はほとんど枝垂れない。樹高2m前後で別名エゾヤマハギと呼ばれる。 良く知られたミヤギノハギは、日本海沿岸の山地に自生しており、良く庭園に植えられる。枝が長く垂れ下がり樹高1~2mになる。変種にシロバナハギ・サミダレハギ・ケハギがあり、別名ナツハギと呼ばれる。キハギ(木萩)は山野に生え、樹高2~3mにもなり、花は小さく淡い紫白色であまり見栄えがしない。 白露を こぼさぬ萩の うねりかな 芭蕉 9月18日の誕生花 花言葉 柔軟な精神
2014年08月29日

現在世界一辛い唐辛子は、オーストラリアで開発されたTrinidad Scorpion Butch T(雄蠍トリニダード)と名付けられた新種の唐辛子で、手袋と保護眼鏡を着けないと触ることができないない辛さだという。とても食用になる代物ではないと言い、何のために開発したのか良く分からない。トウガラシ独特の食べた時口の中がカッと熱くなる辛さを、英語ではhotと表現される。トウガラシは実は辛みだけではなく、独特の香味をもっていて「香辛料」として料理のうまみを増す効果も大きい。ヨーロッパでは比較的新しいが、原産地の中南米では9千年も前から栽培されていたともいわれている。現在は世界中でペパー以上に広く利用されているスパイスで、日本でも古くからおなじみが深い。赤く成熟した唐辛子をレッドペパーまたはチリペパーと呼び、鷹の爪は一味唐辛子や輪切り唐辛子、糸切り唐辛子など様々な製品として利用される。辛い唐辛子をうっかり口にしてしまった際の対処には牛乳の他、乳製品のヨーグルト・アイスクリームや冷めたお茶が効果的である。唐辛子はコロンブスがアメリカからヨーロッパに持ち帰り、わずか百年で世界中に普及したと言われる。インドのカレーが辛いと言われるが、レッドペパーの出現以前はそれほど辛くはなかったという。日本へは16世紀に移入されたが唐辛子は雑種を作り易いので、鷹の爪や八房(やつぶさ)など日本で作出された品種も多い。乾燥させた実を丸のまま、あるいは輪切りや粉末にして香辛料として使う。粉末にした鷹の爪は、一味唐辛子と呼ばれる。輪切り唐辛子は唐辛子の種を除いて輪切りにしたもので、漬物やパスタの香辛料として使われる。糸切り唐辛子は唐辛子を糸状にカットしたもので、韓国料理ではチヂミのトッピングなどに使われる。日本では一般的に赤のイメージが強いが、メキシコの代表的な青唐辛子の粉末はハラペーニョペパーと呼ばれ唐辛子の中でも辛みが強く独特の風味があって、メキシコ料理には欠かすことができないものである。トウガラシは丸ごとではそれほど辛みを感じないのだが、不思議なことに切ることによって辛みが強くなる。また辛いのは、中身のワタ部分である。辛味が強く種子が非常に辛いと言われるが、実際に辛いのはワタの部分である。細かくするほど辛さが増すので、好みに応じて切り分けて利用する。数年前、トウガラシ味噌を作るために未熟の青い実を採取し、裸指で中ワタを除いたことがある。未熟な鷹の爪でもカブサイシンの威力はものすごく、2日間指先が熱く火照って痛く排尿するのにも苦労した経験がある。鷹の爪は日本で作出されたトウガラシ(Capsicum annuum)の代表的な品種で、辛み成分はトウガラシの学名から採ってカプサイシンと呼ばれる。10cmほどの実は先が尖ってすこし湾曲した、紡錘形をしている。この形が鷹の爪にているとしてこの名前が付けられた。熟すと、鮮やかな赤色になる。鷹の爪は収穫後に乾燥させて保存するが、乾燥させることにより辛味がワタから種子や皮に移って行く。収穫時の鷹の爪から慎重にワタを取り除いた場合、種子や果肉には辛味を感じるほどのカプサイシンはほとんど含まれない。丸のまま乾燥させた鷹の爪は、辛さだけでなく独特の香りを着けるのに適している。炒めものや漬物と一緒に漬け込むことで、味だけでなく香りも活かされる。 我が家では毎年聖護院蕪を使った自家製千枚漬を作るのだが、その際輪切り鷹の爪は必需品である。少し栽培すれば一年分賄えるし、あまり大量に作っても経年劣化で色落ちしてしまうので今年も3株を植えた。8月中旬から赤く熟したものから順に摘み取り、網に入れて乾燥中である。
2014年08月28日

南アルプス東麓の標高600mを超える山里では、8月初めからススキの穂が開き始め未だ真夏の暑さが続く中にもかかわらず、すでに路傍や耕作放棄された畑にススキの穂が揺れる。丁度この時期に鬼灯が色付き吾亦紅とススキが穂を出すので、毎年この時期に部屋に飾るドライフラワーの入れ替えをする。ススキは漢字で芒または薄と書き表される、イネ科の植物である。別名を尾花といい茅・萱とも呼ばれ、野原にごく普通に見られる多年生草本である。高さは2mにもなり地下には短いが、がっしりした地下茎があって塊を作り多数の花茎を伸ばす。葉は硅酸を多く含むため堅く縁が鋭いため、素手で触れるとかなり深い傷を負うことがある。晩夏から秋に茎の先端に長さ20cm~30cm程の白っぽい花穂をつけ、日本全国の日当たりの良い山野に自生している。ススキは株が大きくなるのに時間がかかるので初期の草原には見られないが、次第に背が高くなり草原全体を覆う。草原としては、ススキが最後の段階で次には赤松等の木本が進入し森林に置き換わって行く。中秋の月見には、ハギとともにススキを飾られる。「釈日本紀」(鎌倉時代中期)に引用された「備後国風土記」にある「蘇民将来」神話では茅の輪を腰につけて災厄から免れたとされ、茅の旺盛な生命力が神秘的な除災の力を有すると考えられてきた。夏越の祓いの茅の輪くぐりと同じように除災の力を信じて、沖縄ではススキの葉を環のように結んで魔除けにする。ススキの穂を動物の尾に見立てて尾花と呼ぶことがありこの「尾花」はススキ全体または、穂を指して言う古名である。大正10年(1921)野口雨情が作詞した「枯れすすき」は、後に「船頭小唄」と改題されたが、♪「己は河原の枯れ芒 同じお前も枯れ芒…」と唄われる。枯れ芒とは花も穂も枯れたススキのことで、「幽霊の正体見たり」の枯尾花という言葉と同じ意味である。江戸時代中期の国学者で俳人の横井也有が俳文集「鶉衣」の中で「一年松木淡々己れ高ぶり 人を慢ると伝へ聞き 初めて対面して化物の正躰見たり枯れ尾花 其の誠心なること大概この類なり」と言ったのが世間に広まったものである。「化物の正躰見たり枯れ尾花」とは、心に疑いがあると風になびく枯れススキのような何でもないものも怪しげに思え、実態のない物を恐れるようになるということを意味する譬えとなっている。類義語として「落武者は薄の穂にも怖ず」があるが、「落武者は捕まることを警戒し、怯えているためススキの穂にも恐怖する」ということから幽霊の譬えと同じ意味に用いられる。与謝蕪村の俳句「狐火の 燃えつくばかり 枯尾花」の意味は、夜の野原で風に揺れる枯れススキを、この世のものならぬ狐火に譬えて詠んだものである。穂の出たススキは中秋の名月に収穫物と一緒に供えられるが、これには収穫物を悪霊から守り、翌年の豊作を祈るという意味が込められている。ススキの名前は細小(ササ)または笹が変化したものに、茎・草を表すキが付いたものとする説の他にも、ススが葉がまっすぐに立つことを表わし、キは芽が萌え出る「萌(キ)」だとする説などがある。 9月7日の誕生花 花言葉 心が通じる
2014年08月27日

産地から、幸水が届いた。ミカンや葡萄を食べない人はいるが、食べる前に冷蔵庫で少し冷やした幸水は子も孫も皆が好物である。有りの実・当たり鉢・当たり棒・あたり胡麻・アタリメと言われても、知識の無い人にとっては何のことか理解できないかも知れない。果物のナシは「無し」に通じるとして庭に植えることを避け、ナシと言わないで反対の意味の「有りの実」と呼ぶことがある。手紙を出しても返事のないことを、「なしの礫」という。「梨」に「無し」を掛けた言葉で、無しは礫にならないから「梨の礫」と書くのが正当であろう。ナシは中国が原産で、日本の中部地方以南に自生する野生種のヤマナシから改良されたものである。ヤマナシは人里付近にしか自生していないことと、本来日本には自生していなかったことからこれらは栽培地から逸出して広まったと考えられている。高さ15メートルほどにもなり、花期は4月頃葉の展開とともに5枚の花弁を付ける。8月下旬から11月頃にかけて、黄褐色または黄緑色の球形の果実をつける。リンゴやカキと同じで尻の方に甘みが強く、芯の部分は酸味があって食用にしない。ナシの独特のシャリシャリとした食感は、ペントザンやリグニンという物質が果肉に蓄積することにより細胞壁が厚くなったことによるものでこれは石細胞と呼ばれる。洋ナシでは和ナシよりその量が少ないので、食感が大きく異なる。ナシの語源として様々な説があるが、新井白石は中心部ほど酸味が強いことから「中酸(なす)」と言っていたものがナシに転じたものと解説している。弥生時代には既にナシが食べられていたとされ、遺跡からその種子が見つかっていることからも類推される。「日本書紀」には持統天皇が、五穀とともに「桑、苧、梨、栗、蕪菁」の栽培について奨励する記述が見える。江戸時代に入って栽培技術が発達すると、100を越す品種が栽培されるようにった。千葉県市川から船橋に辺りにかけての江戸近郊では、江戸時代後期には既に梨の栽培が盛んだったという。明治時代になって松戸市において青ナシの二十世紀、川崎市辺りで赤ナシの長十郎が発見されこの二種は長い間ナシの代表として生産された。戦後になって甘味の強い、赤ナシ系の幸水・新水・豊水の3品種が普及した。現在幸水、豊水、二十世紀、新高の4品種で全収量の約9割を占めている白居易の「長恨歌」の一節に「猶似霓裳羽衣舞 玉容寂寞涙闌干 梨花一枝春帶雨(その美しさはかつて玄宗の前で舞った羽衣の舞のようであった。しかし寂しげな美しい顔には大粒の涙があふれ、その様子は絹のような雨に濡れる梨の花を思わせるものであった。)」がある。この一節「梨花一枝春帶雨」は、美人が涙ぐむ様子の譬えとして引用される。ナシは赤星病を防除できれば、比較的簡単に栽培が可能である。山荘の庭の隅に幸水の苗を植えて、14年になる。最初は袋掛けまでして、収穫を楽しんだのだが隣の山荘の庭に、4株ものカイヅカイブキが植えられた。ナシの産地には条例があってカイヅカイブキを植えることができないが、山荘のある地域には条例も無いので抜き取り依頼は無理である。カイヅカイブキの所為もあって消毒しても赤星病にり患し、さらに10年ほど前からはハクビシンが収奪するようになった。今年も電気柵を取り外した途端に、数十個の実が結局ハクビシンの餌食となってしまった。これからもこのままでは収穫の望みが無く、結局は伐採する以外に方法がないと覚悟している。
2014年08月21日
今年の関東地方の我が家の辺りでは、8月は10日の台風11号の余波による大雨以外降雨も少なく連日の猛暑と熱帯夜が続いている。こんな真夏の最中19日の夜には、網戸の外にコオロギの涼やかな初鳴きを聞いた。清少納言は枕草子の40段の虫はで、「鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひをむし。螢。蓑虫、いとあはれなり。」と書いているが、蟋蟀の代表選手として鈴虫が出てくるがコオロギ亜科の虫は出てこない。しかしコオロギの古語はキリギリスなので、ここに出てくる「きりぎりす」は、コオロギのことだとする説もある。それを示すように童謡虫の声の二番の歌詞は昭和7年にキリギリスから「キリキリキリキリ こおろぎや」に差し替えられた。コオロギ(蟋蟀、蛬、蛩、蛼)は、特定の虫の名称を言うのではなくコオロギ科またはコオロギ上科の昆虫の総称である。頭頂に糸状で長い一対の触角を有し尾端にも後ろ向きに2つの尾毛を有するのが特徴で、これも触角と同じ感覚器としての役割を持っている。多くは翅が短く、左右の前翅は背面で重なっている。コオロギ亜科に分類され日本に生息するものには、エンマコオロギ・ミツカドコオロギ・オカメコオロギ・ツヅレサセコオロギなどである。12世紀以前の日本ではセミを含めて鳴く昆虫の全てを、蟋蟀と総称していた。現在でも日常会話では、コオロギ上科に属しないカマドウマなども「コオロギ」として扱われることがある。前脚脛節の付け根に聴覚器官があって、物音や他の個体の鳴き声を感じ取る。オス成虫の翅にはやすり状の発音器と共鳴室があり、発音器をこすり合わせて音を出すものが多い。翅を用いて音を出すコオロギの雌雄を比較した場合、メスの前翅の翅脈が前後に直線的に伸びるのに対して、オスでは複雑な模様を描いている。メスは尾端に長く硬い産卵管を持ち、土中や植物の組織内に産卵管を差しこんで産卵する。我が家の窓の外で鳴き始めたコオロギの種類は、鳴き声から判断してツヅレサセコオロギ(綴刺蟋蟀)である。体長は15から20mmで、この虫は単にコオロギとも呼ばれる。沖縄県を除いて全国の畑、庭、草地に生息し、成虫は8から11月にかけて出現する。田舎家などで気密性が低い住居では家屋内に入ってくることも多く、部屋の隅で「リーリーリー」という鳴き声を聞くことがある。「ツヅレサセコオロギ」とは何とも奇妙な名前だが、これに漢字に当てはめると「綴れ刺せコオロギ」となる。いくら頑張って耳を澄まして聴いて見てもとてもそうは聞き取れないのだが、昔の人はこのコオロギの鳴き声が「肩刺せ、綴れ刺せ」と聞こえのだと言う。この虫が鳴き出すと秋が近くなってやがて寒い季節がやってくるため、昔の人はこの虫の声を聞くと「ぼつぼつ冬に着る衣類の繕いを始める時期が到来した。」と感じたことから付けられた名前だという。かつては単にコオロギと呼ばれ、秋になると至る所でこの虫の声が聞かれる。単調だが、鈴虫ほど甲高くなく郷愁を誘う音である。
2014年08月20日

アブラゼミ ミンミンゼミ芭蕉が陸奥で詠んだ有名な俳句「…岩にしみいるセミの声」のセミは、今を盛りと騒がしく鳴くニイニイゼミの鳴き声であったとするのが通説になっている。セミは耐えられないような強烈な臭いを発するカメムシと同じ、カメムシ目に分類される昆虫である。同じ仲間でもカメムシは鳴かないが、セミは鳴く昆虫として知られる。オス成虫の腹腔内に発音筋と発音膜、共鳴室、腹弁の発音器官が発達していて音を出すことでメスを呼ぶ。発音筋は1秒間に2万回も振動して、音を発する。気管が拡大した共鳴室は腹部の大部分を占め、高く大きな鳴き声で鳴くヒグラシやハルゼミなどでは腹部の断面は殆ど空洞である。オスと異なりメスの腹腔内は大きな卵巣で満たされ、尾部に硬い産卵管がある。昆虫は一般に卵→幼虫→蛹→成虫と完全変態するが、セミには蛹の期間がない。日本のセミの多くは夏に成虫が現れるがハルゼミは4月末から、チョウセンケナガニイニイは秋になって現れて鳴く。都市部では11月に入って、セミの鳴き声を聞くことが珍しくない。セミは儚い命の昆虫とされていて羽化してからは1~2週間の寿命と言われているが、自然界の観察では殆どがこの倍以上を生きるとされる。幼虫が地下で生活する期間は17年にも及ぶ種があるがアブラゼミは6年とされる。一般に短命で儚い昆虫の代表のように言われているが、実際は昆虫類のなかでも寿命が長い部類に入る。鳴き声や鳴く時間帯は種類によって異なりクマゼミは午前中、アブラゼミやツクツクボウシは陽が昇ってから、ヒグラシは朝夕、ニイニイゼミは早朝から夕暮れまでなどと鳴く時間が大別される。しかしヒグラシは大雨の後にも鳴くし、都会の街灯の明かりでニイニイゼミやアブラゼミは夜半に鳴く個体もある。成虫には、ヒト・クモやカマキリ・スズメバチなどの肉食昆虫や鳥類などの天敵がいる。セミはこれら逃げる時に、小便をかけることがある。飛翔の際に体を軽くするためという説や、膀胱が弱いからという説もある。小便は体内の余剰水分や樹液の放出であって敵を狙って放出しているわけではないとされている。メスは、枯れ木に産卵管をさし込んで産卵する。夏の初めに出現するニイニイゼミの卵はその年の秋に孵化するが、多くのセミは翌年の梅雨の頃になる。最初の脱皮をおこなった後幼虫は、土の中へ入る。成虫も、木に口吻を刺して樹液を吸う。植物の導管で運ばれるのは根からの無機養分で師管で運ばれるのは、光合成で作られた有機養分である。ほとんど活動しないため成長に必要なアミノ酸を主に摂取すればよい幼虫は主として導管から、成虫は活動のエネルギー源として大量の糖を含む師管から樹液を吸うとされる。4月下旬からハルゼミ・ニイニイゼミ・ヒクラシと鳴いて、盛夏の今ミンミンゼミとアブラゼミが盛んに鳴いている。後暫くすると、ツクツクボウシが鳴き出す。子供の頃ホタル・トンボ・セミ・キリギリス・チョウ・トンボなどの昆虫採集は、夏休みの課題として推奨されピンやホルマリンなどが入った「昆虫採集セット」を学校で斡旋していた。特に羽が透き通っているヒグラシやミンミンゼミ・ツクツクボウシは稀少で、しかも素早く逃げるためなかなか捕えることができなくて、一日中遠くで鳴くセミの声を追い手製の捕虫網を使って捕まえたものだ。しかし、現在は捕虫網を持って遊んでいる子供の姿を見ることは無い。自宅近くの団地の桜並木の木の幹に、鈴なりに取り付いているセミに関心を示す子供の姿すら全く見ない。捕まえて殺傷を奨めるつもりは毛頭なく、小さな昆虫を捕えることで生物に興味を持ち命の大切さを学習する切っ掛けになるために昆虫にもっと興味を示して欲しいところだが、なかなかうまくいかない。現在は夏休みの遊びの対象が昆虫から電子遊具に移った所為か、孫は捕まえたセミに触ることすら拒否している。
2014年08月19日

秋に咲き観賞価値が高いとして昔から愛でられてきた花に「秋の七草」があり、7日正月に粥に入れて食べるものは「春の七草」と呼ばれている。元々の「七草」は秋の七草を指し、人日の風習(正月7日)と小正月の風習(1月15日)が七種と呼ばれていたのが習合して春の七草になったと言われる。秋の七草は奈良時代初期に、山上憶良が詠んだ歌が由来になったとされている。 秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば 七種の花(万葉集・巻八1537) 萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志 また藤袴 朝貌の花(万葉集・巻八1538)「朝貌の花」が何かについては昭和の初め頃までは定説が無かったことが、「秋の七草に添へて」岡本かの子(昭和十二年十月)からも分かる。「朝顔が秋草の中に数へられると言へば、私達にとつて一寸意外な気がする。早いのは七月の声を聞くと同時に花屋の店頭に清艶な姿を並べ、七月の末ともなれば素人作りのものでも花をつける朝顔を、私達は夏の花と許(ばか)り考へ勝ちである。尤(もつと)も朝顔は立秋を過ぎて九月の中頃まで咲き続けるのだから、秋草の中に数へられるのもよいであらうが、(中略)――ばかりではなく、木槿と桔梗をも総称してのものである。さういへば木槿も桔梗も牽牛子と同じやうに花の形が漏斗の形をしてゐる。」と書かれている。現在では山上憶良が詠んだ朝貌は、桔梗とする説が最も有力である。春の七種と違い秋の七草には、行事と結びついたものは特にない。山荘の庭に咲く花を数えて見ると、いつの間にか秋の七草が揃っているのに驚く。ススキやクズは勝手に進入したもので私にとっては迷惑植物として、見付け次第刈り取ってしまうので庭で花が咲くことは先ずない。その他の5種類については、14年も前に秋の七草と特段意識しないで植えたものである。一般には全く普及しなかったが春・秋の他にも、夏の七草と言われた植物がある。昭和20年6月に日本学術振興会学術部が戦時中の非常用野草として、「藜・猪子槌・雁来紅・滑莧・白詰草・姫女菀・露草」を「夏の七草」に選定したものである。戦後の食糧難の時代は兎も角、食べても全く美味く無いこれらの野草を食べる人は現在では皆無であろう。岡本かの子も書いているように「秋の…」とついているが、この七草には夏の花が多い。中でも桔梗は既に6月下旬から咲き始めるので、立秋を過ぎるころには花が終わって実を付けている株が多い。春の七草は「セリ・ナズナ…」と語呂が良いので覚えやすいが、秋の七草の名前はなかなか覚えにくい。名前を覚えるのに昔から七種の植物の頭文字を並べて、「おすきなふくは」とか「ハスキーなおふくろ」・「フナオ君は好き」などと覚える方法が伝わっている。秋の七草は直接食べることを目的としたものは少ないが、それぞれに薬効があるとされる。ススキは、利尿・解毒・風邪・高血圧などに根茎が利用される。ハギは、民間薬として婦人の目眩・逆上に効果があると言われる。フジバカマは、全草が浴湯料・利尿・黄疸などに用いられる。ナデシコは、種子が消炎・利尿に用いられる。クズは葛根湯として発汗・解熱などに用いられる。デンプンは葛湯や和菓子材料に利用される。キキョウは、排膿・去痰などに用いられ若芽は山菜や根は食用とされる。オミナヘシは、腸炎などによる腹痛・下痢・肝炎・腫痛・婦人病に有効とされる。
2014年08月17日

アジサイやアナベルの花がとっくに終わった8月になって、14年も前山荘の庭に植えたノリウツギが3mを超える大株となって今年も径3mにも広がって見事な花を咲かせ始めた。しかし10日の台風第11号の強風と豪雨の影響で、すっかり樹形を崩してしまった。花のように見えるのはアジサイと同じで、実際は萼である。ノリウツギに良く似た花には、アナベルやカシワバアジサイがある。アナベルの花は略円形であり、同じハイドランジャーのカシワバアジサイとノリウツギは円錐形の花を咲かせる。カシワバアジサイは葉に特徴がありアナベルとカシワバアジサイの開花時期は2か月も前で、ノリウツギと同じ時期に開花しないことで区別がつく。名前は空木だがハイドランジャーと言われるアジサイの仲間で、中空にはスポンジ質の髄が詰まっている。「ノリ…」の名称由来は、紙漉きの際の糊としてこの木から採取した樹液を利用したところから付いた名前でそのまま「糊の木」とも呼ばれその他にも、サビタ・ピラミッドアジサイなどの別名でも呼ばれる。山地の林縁などに自生し目立つ花を咲かせ、またハナカミキリやハナムグリなどの昆虫が多く集まる。この花は咲き終わってからも散らないで、茶色に変色して翌年まで枝先に付いたまま残る。南西諸島を除く日本の全土に分布する落葉の低木で条件が良ければ樹高は5m程になるが、痩せ地では地面を這う。7月から8月の終わりに、新梢の先端に円錐状の大きな花序を形成する。自生種ではほとんどの花は小さな普通花で5枚の花弁と10本の雄しべを持つが、周辺に花弁4枚の装飾花が混ざる。装飾花の萼片は花弁状に変化しており、白色から淡赤色を帯びる。和紙は楮や三椏を原料にして作られるが、紙を漉く際にこのノリウツギで作った糊を混ぜる。和紙に使う糊としてはオクラの仲間のトロロアオイの根もよく使われるが、糊空木の方が腐敗しにくいという。アイヌはこの樹皮から抽出した粘液を洗髪に利用したという。園芸種として改良されたハイドランジアパニキュラータは、見事な円錐形の大きな花の塊が開く。改良種には咲き進むとその重みで枝が垂れ下がるほどに花を着けるミナヅキ、始めはクリーム色で咲き進むにつれてライム色に変化するライムライト、白色で咲き始め次第に桃色から濃桃色に変化するダイヤモンドルージュ等がある。20cmほどのポット苗が600円ほどの手ごろな値段で売られていて、紫陽花ほど剪定時期を選ばないので広い空間があれば庭植えで手軽に楽しむことができる。生薬名は粉団花(フンダンカ)と呼ばれ、中国では花や根を去痰などに用いられている。花言葉 乙女の夢この他にも高慢・移り気な方・臨機応変
2014年08月16日

お盆の期間に入って東京の道路は、見事にガラガラになった。いかに多くの車が地方へ出て行ったかあるいは、営業の車が休んでいるのかが分かる。ヨーロッパのように一カ月を超える夏休みでは無いため、一斉に休暇を取るため車が集中し有料道路は時として大渋滞を起す。お盆は元々中国で「盂蘭盆経」に基づき苦しんでいる亡者を救うため、7月15日に行われた仏事が起こりである。これが日本に伝わって初秋の魂祭りと習合し、祖先の霊を供養する仏事となった。仏教の「盂蘭盆」が省略されて、「盆」または「お盆」と呼ばれるようになった。童謡に♪「出た出た月が まあるいまあるいまんまるい 盆のような月が」とあるが、盆とは本来は霊に対する供物を置く容器のことであるが、これが供物を供え祀られる精霊の呼称となり「盂蘭盆」と混同されて習合したものという説もある。一月と八月の年2回、満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事があった。旧暦では一月十五日と八月十五日がこれに当たる。初春のものが神格を強調されて正月の祭となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して仏教の行事として行なわれるようになったとされる。日本で夏に祖霊供養を行うという風習が確立されたのは、8世紀ごろと考えられている。お盆の行事は迎え火・送り火を焚き、精霊棚に食物を供え、僧侶に棚経を上げてもらうなどの行事を行うが地域によって異なった風習がある。一般的には月遅れの盆と称して8月13日から15日がお盆戸されるが、一月早く7月に行う地域もある。お盆・盂蘭盆会・盂蘭盆供・精霊会・精霊祭・歓喜会・魂祭りなどの異称で呼ばれることもある。祖霊供養は元々旧暦7月15日にあたる中元節の日に行なわれていたが、明治6年(1873)新暦採用以降は以下のいずれかに盆の行事が行なわれるようになった。東京では7月13日~16日、地方では8月13日~16日が一般的で、始めと終わりの日が多少異なることはあっても必ず15日が含まれる。沖縄・奄美地方では旧盆と称して旧暦7月15日、新暦7月15日に行うのは東京・横浜・静岡・函館・金沢など。前記以外の殆どの地域では月遅れの盆と称して、新暦8月15日がお盆である。旧暦での盆は旧盆といわれるが通常、新盆には別の意味があるため新暦での盆は新盆とは言わない。8月1日は釜蓋朔日といわれ地獄の釜の蓋が開く日であり、1日からお盆の支度が進められる。今では盆と別の行事になっているが7日は七夕で棚幡とも書き、故人をお迎えするための精霊棚とその棚に安置する幡を拵える日であり、7日の夕方に行ったことから棚幡が七夕に転化したとの説もある。盆の期間中に僧侶に読経してもらうことを棚経というが、これは精霊棚で読むお経の意味である。13日夕刻、門口で焚く火を迎え火と呼ぶ。精霊棚の故人へ様々な供物をする。15日に送り火を行うころも多いが、少しでも長く家で休んでもらうためとして一般的には16日に迎え火と同じように送り火を焚いて霊を送る。
2014年08月15日

雲間から満月 立待ち月と甲斐駒ケ岳7月29日に発生した台風第11号は、それまで西に進んでいた進路を8月5日になって北へと変えた。その後も10km以下の極めて遅い速度で日本に接近した後、四国・中国地方を横断して日本海に抜けた。速度が遅かった分数日にわたって列島に影響を与え、特に九州・四国・近畿・北海道地方に豪雨をもたらした。9日から酷暑を逃れて山荘へ避難していたのだが、遥かに離れた台風の影響を受けて10日の明け方から猛烈な雨に見舞われた。午前10時を過ぎるころから、雨に加えて東寄りの強風も加わった。隣の韮崎市では、最大時間雨量が53ミリを記録したと言う。この大量の降雨で山梨県下では甘利山公園線が全面通行止め、南アルプス公園線琴路トンネルと新倉トンネル付近で土砂流出があり甲斐市では家屋が倒壊した。山荘での生活が14年を過ぎたが、今までに3回経験した。そのうち今回が、2回の停電した。そのほか5年も前に我が家への引き込み線の、電柱のヒューズが劣化して飛んだことが原因で1回の停電を経験している。今回は送電線の切断があって、北杜市全域が3時間を超える停電となった。生活用水は8戸の共同井戸水を使用しており、停電すると断水するのでトイレも使えなくなる。12日の停電は夕飯の炊飯中であったので、炊飯途中の米を慌てて蒸し器に移してガスの火で炊いた。幸い強い風雨は、10日の夕方には次第に収まってきた。8月の満月は11日で、晴れていれば月齢15.2の月が昇る筈であったが、昼間僅かに夏の日差しが覗いたのだが夕刻には再び台風がもたらす特有の低く黒い雲が空を覆ってしまった。すっかり諦めていたのだが夜8時過ぎに二階に上がると、窓越しに月の明かりが確認された。窓を開けると東の方角へ黒く早く流れる幾筋もの雲の隙間から、今将に顔を覗かせつつある月の姿が見えたのだ。急いでレンズを望遠に交換して、雲の間から真円の葉月の満月を撮ることができた。写真を撮る僅か10分ほどで、満月は再び雲の影に完全に隠れてしまった。翌日は早朝から一日強雨が降り続き、十六夜の月を見ることは不可能であった。立待月と言われる月は、陰暦17日の月のことだが日没後に立って待っているうちに昇ることから付けられた名前だという。12日夕方から少し雲が切れてきたので、期待していたところ8時過ぎになって少し歪だが見事な月が現れた。台風の影響がいつまでも続いたのだが12日夜から13日早朝に掛けて今回初めて朝まで雲が無く沈みゆく月が西に聳える甲斐駒ケ岳とみごとなツーショットを見せてくれた。
2014年08月14日

朝5時には未だ開花せず うっかりすると食用にならなくなってしまう山荘の菜園でオクラを何年か栽培したことがあるのだが、訪荘が1週間から10日のインターバルでは莢が大きく硬くなってしまい全く食用にならない。この何年か栽培を止めていたのだが、菜園の作物が毎年サル・イノシシ・シカなど野獣の被害を受け収穫不能になったため地元自治体の市民農園を借りて野菜の栽培を再開したのを機に、今年はオクラの栽培を再開した。猛暑と干天にも関わらず伸長旺盛で、3日目毎に適量が収穫でき毎日の食卓に上るようになった。英語の名前もOkraで、名前の由来は、ガーナで話される言葉のnkramaが語源だと言う。オクラは、英語のokraをそのまま日本名にしたものである。和紙・蒲鉾・蕎麦の繋ぎ、漢方薬の成形などに利用されるアオイ科トロロアオイの仲間の植物で、若い果実が食用とされる。トロロアオイが「ネリ」と呼ばれたことから、アメリカネリと言われた。オクラが全国的に知られ食べられるようになったのは昭和50年代からで、それ以前から食べられていた伊豆諸島・沖縄・鹿児島などではトロロアオイと同じように「ネリ」と呼ばれていた。それら以外の地域では、オクラが通り名になっているのでネリの名称は殆ど通用しない。エチオピアが原産地とされ、エジプトでは紀元前からすでに栽培されていたのだという。アメリカ大陸へは西アフリカから連れてこられた奴隷によって持ち込まれたとされ、現在もアフリカ系住民の多い地域でよく栽培されている。熱帯では多年草であるがオクラは寒さに弱いため、日本では一年草として扱われている。草丈は2mにも生長し、30cmの大きさの掌状の葉をつける。全体は黄色で中芯が赤色の、芙蓉に良く花を咲かせる。朝方開花するが、昼過ぎには凋んでしまう。開花後につく先の尖った形の五稜の果実は、表面に短毛が生えていて熟すと木質化する。日本へは明治初期に移入されたもので、良く似たトロロアオイがネリの名前で呼ばれていたので、同じような種類の植物であることから「アメリカネリ」と名付けられた。日本で栽培されているものは稜がはっきりしていて断面が星型になる角オクラが主な栽培品種だが、沖縄などでは大型で稜がなく断面の丸いものが「島オクラ」として栽培されている。その他にも莢が暗紅色になる品種などもある。開花後余り日数をおいてからの収穫だと種・莢ともに硬くなって食べられなくなってしまうので、角オクラでは開花4~5日の10cm以下で、丸オクラは15cmほどで収穫する。オクラを刻んだ時に出る粘り気は、ペクチン・アラピン・ガラクタンなどの食物繊維である。これらは、コレステロールを減らす効果をもっている。他の栄養素としては、ビタミンA、B1、B2、C、ミネラル、カルシウム、カリウムなどが含まれるため、夏ばて防止、便秘・下痢に効く整腸作用などが期待できるとされる。日本では生あるいはさっと茹でて小口切りにし醤油、鰹節、味噌などをつけて食べる他煮物、天ぷら、炒めもの、酢のもの、和えもの、スープ、摩り下ろして自然薯の代用としても利用される。オクラのペクチンは水溶性なので、刻んで和えものやオクラ納豆で食べるのが理想である。茹でる場合、ムチン様物質は湯に融けだしてしまうので短時間にする。白くコロコロと硬くて丸い種子は、煎じてコーヒーの代用品として利用されたこともあると言われる。
2014年08月08日

降雪8日後 悠歩さん撮影 積雪の重みに耐えきれず今年の夏は関東甲信地方のみ降雨が無く、カラカラの干天が続いておりボツボツ畑の作物には乾燥被害が出始めている。人は暑い夏になると寒かった冬を懐かしみ、冬には夏の暑さを恋しがる。しかし日本にはメリハリの利いた四季があるからこそ、素晴らしい国なのだと言われる。これが年中暑い熱帯や逆にいつも寒い寒帯では、四季の移ろいや花鳥風月の美しい自然を肌で感じることも不可能になってしまう。理屈では分かっていても、7月22日の梅雨明け以来真夏日・熱帯夜が連続すると、今年の冬のあの寒さの一部でも残っていて欲しいとの妄想が湧く。半年前の2月14日から15日にかけて低気圧の接近・通過により関東甲信地方を中心に雪が降り続き、山梨県では最深積雪を大幅に更新する記録的な大雪となったのだ。この大雪により雪崩や建物の破損、農業施設の倒壊、停電など各地で多くの被害が発生した。2月13日21時に南西諸島で発生した低気圧は、本州の南海上を北東に進み次第に発達しながら15日明け方から昼頃にかけて関東地方沿岸に接近した後、関東の東を北東に進んだ。また、関東地方の上空約1500m付近は-6℃以下の寒気に覆われていた。この低気圧と上空の寒気の影響により、山梨県は14日未明から15日昼前にかけて雪が降り、前の週(2月8日から9日)の50cmを超える大雪の上にさらに甲府で114cm、河口湖で143cmの積雪があり明治27年8月観測開始以来史上初の大雪となった。それまでの間に観測された最も深い積雪の第1位は、平成10年1月15日の49cmだから今年の積雪がどれだけ深かったのかが分かる。鉄道は運休し全ての道路が通行不能となり、山梨県内外への交通途絶の結果物流にも大きな影響が生じた。降雪時から日夜にわたる除雪作業が行われたが、県には大型除雪車の配備が無く想定を遥かに超える積雪のため、豪雪地帯の新潟・石川・長野から応援に駆け付けた大型除雪車に助けられた。中央道・国道20号などの幹線道路を中心に、全ての道路が積雪に埋没してしまい路上に取り残された人のため各所に開設された避難所は、3日間後に漸く国道の除雪が進んで道路が開通するまでの18日まで開設されていた。山荘のある北杜市と甲府市はかなり距離が離れていて、しかも温度は山荘のある地域の方が5℃以上も低い。そのため一週間前の50cmを超える積雪が殆ど解けない内に、新たに100cmを超える降雪があったので、累積では1.7mもの積雪になり全てが自然の作った「かまくら」の中にすっぽりと埋まってしまった。唯一の交通手段である車も、このような状況下では冬用タイヤやチェーンは全く役に立たず4輪駆動車も全くの無力である。救急車も動けず、そのために亡くなった人が2人出たという。別荘地によっては全く行政の除雪車が入らず、たまたま別荘に宿泊していた人を救出するため地元の消防団員が活躍したと言う。道路枝線まで除雪され、孤立状態から解放されるまでには7日も要した例があったという。殊にプレハブ小屋や農業用ハウスの被害は大きく、至る所で潰れていた。幸い我が家の山荘では数株の花木の枝が折れた程度で建物被害は無かったが、隣家の車庫は見事に押し潰されてしまった。車庫は軒並み被害を受けたものの、幸い倒壊家屋は山梨県内2棟と言われているが、そのうちの1棟であろう倒壊家屋が6カ月を経た今も片付けられずブルーシートを被ったまま夏草の中に横たわっている。今では「極寒」の時期のあの豪雪を思い出す、唯一のモニュメントでもある。
2014年08月07日

東の空が朝焼け 西の甲斐駒ケ岳の朝焼け7月5日に梅雨入りし22日に梅雨明け宣言が出された山荘のある北杜市は、梅雨明け以来ほとんど降雨が無く昨年並みの干天となっている。一週間のインターバルがあるので、干天に弱い菜園の野菜はボツボツ息切れを起し始め庭の周りに植えられた花木も青息吐息である。沖縄から九州・四国・中国・東北北海道は豪雨が集中し多いところでは8月になっての雨量が、1300mmを超えるほどの降雨となっているのに、皮肉なもので関東甲信地方には降雨が無い。午後になると積乱雲が発達するのだが、雨を降らせることなく翌日はまたカンカン照りとなる。3日の午前4時過ぎの日の出前、東の空が赤く染まり始めた。急いでカメラに250mmの望遠レンズをセットして散歩に出ると、東の空に架かる雲にも色が着き始めていた。夕焼けは翌日晴れになり、朝焼けは翌日雨になるという言い伝えがある。その理由として日本の天気は西から東へと移っていくので、朝焼けが見られる場合の空では間もなく次の雨を降らせる空気が巡ってくるから雨になりやすいと説明する。しかし朝焼けの翌日が雨になる確率は丁半博打と同じで統計的に50%より多少高い程度と言われており、必ずしも正しいとは言えない。地域によってはむしろ「朝焼けは雨」は、当たらない場合が多い。夕焼けには有名な「♪夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる…」と唄う童謡があるが、朝焼けには無い。日の出頃起き出す人が少なく、夕焼けほど人目につかない故かも知れない。世界大百科事典第2版では、「夕焼けは日没前に西の空が朝焼けは日の出前に東の空が赤く染まる現象」と解説しているが、山荘のある甲斐駒ケ岳の麓は四囲を山に囲まれて盆地状になっているので空の面積が極端に狭い。ここで見る朝焼けは決して東の空だけでは無く、西の空にも現れる。見事に焼けた空を眺めて植木や畑の作物のために翌日の降雨を期待したのだが、言い伝えに反して4日は朝からギラギラと太陽が照りつけ雷雨もない真夏の一日となった。のろのろ台風11号が沖縄の南で、沖縄本島と九州上陸を狙って北上を続けている。風も過量の降雨もいらないから、関東甲信越にも適度なお湿りだけをおいて行って欲しいものである。
2014年08月06日

トマトはペルーまたはエクアドルが原産とされる、ナス科の植物である。一般に日本では一年草として扱われるが本当は多年生植物で、好き嫌いで食べない人でもキュウリ・ナスと並んで夏の野菜として知っている。日本でトマトに付けられた名前には、唐柿(とうし)・赤茄子・蕃茄(ばんか)・小金瓜の別称がある。トマトのとは、アステカ人が昔同じナス科のホウズキをトマトウルと呼んで料理に用いていたが、果実の形が似ているトマトも同じ名前で呼んで料理に用いたことに由来する。現在では世界に8000種もの品種があるとされ、日本には6年前で120を超える品種が登録されている。F1品種は登録されないので、有名品種なのに桃太郎は品種登録されていない。日本では桃太郎に代表される桃色・丸型のトマトが多いが、世界的にはこれ以外のトマトの流通栽培が多い。赤系トマトは皮の色が黄色なので果肉と合わさって赤色に見え、皮が透明の場合は桃色系トマトとなる。他にも黒・緑・白・オレンジ・黄色・バイカラーなどのものがある。子供のころからトマトは赤いものと信じている者にとっては、他の色のトマトに対しては食指が動かない。日本の大玉品種は甘さに重点を置いたものとなっているが、世界的には旨味・香り・酸味などを重視した品種が数多く存在する。江戸時代の寛文年間頃に初めて長崎へ伝わったとされ、大和本草(貝原益軒)にトマトについての記述があるので、その頃までには伝播していたものと考えられている。しかし当初は独特の青臭さと真っ赤な色から敬遠され「悪魔の果実」として食用にはされず、観賞用で「唐柿」と呼ばれていた。食用として利用されるようになったのは明治以降になってからで、一般庶民に食べられるようになったのは日本人の味覚に合う品種の育成が盛んになった昭和になってからである。品種や産地、栽培方法などで、味にかなりの差が出る作物である。同じ種苗農家の苗を植えても、東京近郊と山荘の菜園で栽培したものでは、品種が異なるのではと思われるほどの違いが出る。トマトの赤い色素「リコピン」には、様々な生活習慣病の原因となる抗酸化作用の働きがあると言われ盛んに宣伝されているが、その効果についてはハッキリ検証されているわけではなくまだ研究の途次である。5月の連休明けに相模原の種苗店で、可なり高価な苗を購入して山荘の菜園に植えた。例年ハクビシンの収奪を受けて殆ど全滅していたのだが、昨年から厳重な防獣網と15cm幅4段の電気柵を設置したことで全くハクビシンの被害を受けなくなった。7月の中旬から完熟のトマトの収穫が可能となったのだが、26本に一斉に熟すトマトの量は生食ではとても消化しきれるものではない。我が家では食べきれない分のトマトは、皮を剥いて加熱しトマトピューレを作る。この時期毎年炎熱の酷暑の時期に当たり、台所で1時間以上ガスを使うことは辛いのだが出来上がったものはジッパー付きのビニール袋に入れて冷凍しておく。シチューやスパゲッティのソースに使えば、市販のものと一味違ったソースができる。ささやかな贅沢でもある。
2014年08月05日

今年も段ボールに一箱、伊那谷育ちの糖度が18度もあるという「果物トウモロコシ」が届いた。メロンの糖度が平均14~15度だから、このトウモロコシが如何に甘いか想像がつく。トウモロコシは穀物として人間の食料や家畜の飼料となるほかコーンスターチや油、バイオエタノールの原料としても重要な作物で、米・小麦とならんで世界三大穀物の一つでもある。紀元前5000年頃には既に大規模に栽培され、南北アメリカ大陸の主要農産物となっていたという。日本に移入された経緯はハッキリしていて、1579年にポルトガル人によって伝わったものである。しかし我が国では1860年代の明治初期になって、アメリカから北海道にスイートコーンとデントコーン種が導入されたことで広く栽培されるようになったものである。トウモロコシには、地方によって様々な呼び名がある。一般的呼称の「トウモロコシ」という名称は、トウは中国の「唐」であり、モロコシは唐土(もろこし)から伝来したことに由来する。関西での呼称「なんば」は南蛮黍(なんばんきび)、「こうらい」の呼び名は高麗黍由来である。信州伊那谷では、「キビ」と呼んでいた。全国的には260以上もの地域でそれぞれ異なった呼び名で呼ばれている。播種から凡そ3か月で、雄花を茎の先端に箒状に咲かせる。雌花は分枝しない太い軸に2個ずつの雌花が並んでつき、長い雌しべだけが束になって包葉の先から顔を出す。トウモロコシのひげは、この雌しべである。トウモロコシを真ん中から二つに折って折面を見ると分かるように軸一つに2個の雌花が着くので、トウモロコシの粒の数は原則偶数個になる。国の統計ではトウモロコシは穀類に分類され大部分は飼料とされ、一部は澱粉や油脂原料に加工される。一般に店舗で売られている未成熟状態で収穫されるものは、統計上は野菜類に分類され「スイートコーン」と呼ばれる。スイートコーンは茹でる・焼く・蒸す・などの方法で調理して食べる。糖分が多く強い甘味があるが、筍と同じで収穫後は呼吸によって変質し、夏季常温では数時間で急速に食味が落ちる。低温管理を徹底し、収穫後直ぐに加熱することでかなり劣化を防止することが可能である。粒が黄色をしていて甘味が強く1990年代から出回るようになった生食も可能な品種に、当時のメロンと同じ平均糖度12度の「みらい」、糖度15度以上の「サニーショコラ」などがある。粒が白や黄色など複数の色が混ざった混合品種は、2色が並ぶことから「甘味バイカラー種」と言われる。この種類にはアメリカから伝来し日本で初めに食べられた品種として、ハニーバンタムがある。品種改良されて「ピーターコーン」が生み出されてからは、姿を消しつつある。ピーターコーンは皮がやわらかくて糖度が高く、ハニーバンタムより軟らかく甘味がある。粒が白色で甘味が強く、生食も可能なピュアホワイトがある。トウモロコシは、粒の色や食味に関る遺伝子の多くが特定されているので、人為的に遺伝子を組み合わせることによって、思いのままに糖の含有量や糖の種類(風味)を作出することが可能である。祭り等の屋台で売られるトウモロコシは、一旦茹でて冷凍したものを焼いて醤油タレを付けたものが多い。生のままで食べたり茹でたり蒸したり、或いは電子レンジで調理する。茹でる場合は沸騰したお湯に少々の塩を入れ、皮を剥いたとうもろこしを入れ約5分茹でる。蒸す場合は蒸気が上がってからさらに5分火に掛ける。電子レンジを使う場合は、600wで5分ほど温める。焼く場合はグリルや網で焼いて醤油を塗って、さらにこんがり焼く。私は子供のころから茹でトウモロコシが好きなのだが、江戸っ子の家内やその影響を受けた子供たちは醤油の焦げる香りがする焼きトウモロコシを好む。ただ大量のトウモロコシは生のままでは保存できないので、茹でたトウモロコシを一本ずつラップに包み冷凍しておけば1か月は美味しく食べることができる。中に入っていた説明書の通り生で齧って見たが、その甘さは最早果物の様であった。軽く茹でた物も、食べた後暫く口中に甘さが残る程であった。このまま甘さを追求していくとやがて、メロンやスイカと同じ果物に近い扱いになってしまうのではないだろうか。
2014年08月01日
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