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明日から、カレンダーが6月に替わる。旧暦では明日6月1日は5月4日に当たり、この時期の晴れ間を「五月晴れ」と呼んだ。旧暦6月の「水無月(みなづき)」の呼称を、そのまま新暦6月の別名として用いている。水無月の由来として梅雨が明けて水が無くなる月であるとされることが多いが、田植がされた田に水を張る必要がある月であるから「水張月(みずはりづき)」あるいは、「水月(みなづき)」が由来であるとする説もある。さらに水無月の「無」は「の」の連体助詞「な」であり、「水の月」であるとする説などがある。梅雨時の新暦6月の異称として用いられるようになってからは、梅雨を降らせるのに使ってしまい「天の水」がなくなるから水無月であるといった新たな解釈もされている。6月は英語ではJuneだが、ギリシャ神話の主神ジュピターの妻ジュノー(ヘラ)が由来となっている。ジュノーは最高位の女神で結婚と出産を司り、家庭・女性・子どもの守護神と云われている。またジュノーを祭る祭礼が6月1日に催されたことから、6月に結婚式を挙げる花嫁はJune brideと呼ばれ女神ヘラの加護を受けて生涯幸せになれると言われるようになった。ヨーロッパの6月は一年の中で最も雨が少ない月で気候が良い上に、「復活祭」が行われヨーロッパ全体が祝賀ムードとなるので多くの人から祝福されることになる。ヨーロッパでは3月~5月の3か月間は、農繁期であるため結婚式が禁じられていた時代があった。そのため解禁となる6月に、多く結婚式を挙げることになったとされる。6月は日本では逆に雨が続き、蒸し暑さが増す季節である。まだジューンブライドという言葉が知られていなかった頃、梅雨時期の6月に挙式を避けることが多く式場はどこも閑散となってしまった。起死回生を図るためこの時期に結婚式を誘致すべく知恵を絞った結婚式関連業者が、ヨーロッパの言い伝えを持ちこんで宣伝したものが日本でも定着して行ったものである。この他にも商業ベースで出来上がったものに、バレンタインデー・母の日・父の日など多くのものがある。しかし実際には2012年の政府統計を見てみると、婚姻届数の最も多い月は11月の11.9%で逆に最も少ないのは9月の6.9%となっていて、6月は下から2番目の7.5%となっている。日本の場合月毎の届け出数の多寡は、気候・農作業・卒業・就職などの要因があると思われる。6月は復活と再生・成長の季節である。わが国のこの季節には、植物は成長著しく見渡す限りが緑一色になる。春先番いになった小鳥が、巣立つ時期でもある。一日に何回も巣立ち直後の雛を連れたシジュウカラの一家が「ジュク ジュク」と啼き立てながら、庭の植え込みの中を忙しく廻って歩く。空き家の二階からは、雨戸の戸袋の中からムクドリの雛が餌を強請る声が道路まで響く。既に発生を始めたアカアリ・ゴキブリ・カなどの不快虫や衛生害虫は困りものだが、万物が生き生きとするこの時期にこそ自然を満喫したいものである。今年も6月に届け出されるであろう凡そ5万組の「6月の花嫁」には、言い伝えの通り幸せになって欲しいものである。
2014年05月31日

源氏物語の最終巻とされる五十四帖に、夢浮橋がある。比叡山山奥の横川を訪ねた28才の薫が、「法の師と尋ぬる道をしるべにて、思はぬ山に踏み惑ふかな」と詠んだというものである。意味は、「(僧都のことを)仏道の師とあおいできましたが、思わぬ恋の道に踏み惑うことになってしまいました。」というほどの意味である。法師(ほうし、ほっし、のりのし)は仏教経典では、人の師となるほどの学識・経験を備えた僧侶に対する敬称とされているが、中世以前には「一人前でありながら、自らの僧房を持てない僧侶」の意味として使われるようにもなった。万葉集の「戯嗤僧歌」には「法師等が、鬢の剃り杭に馬つなぎ…」の記述もあって、一般の僧のことを指して法師と呼んでいたことがわかる。続日本紀では大僧正行基や元興寺の道昭には和尚を用い、僧正義淵には法師と使い分けて用いている。霊異記では身分の高い方に対して使われており、小倉百人一首では僧官を有するもの以外の全ての僧侶に法師の語が使われている。法師と言う言葉が一般化してくると琵琶法師・一寸法師・起き上がり小法師・影法師・つくつくぼうしなどと使われるようになり、さらに餌取法師・散所法師・長吏法師・非人法師・田楽法師・猿楽法師・千秋万歳法師などのように主として卑しいとされる身分や職業を表して使われるようになった。時代が下るとこの法師と言う言葉は「坊主」に置き代わり、これが「坊」と略されて賤称の意味で用いられるようになった。エッタ坊主・ハッチ坊主・スタスタ坊主・スッタラ坊主・乞食坊主・マイス坊主・オゲ坊主・毛坊主・カッタイ坊主・生臭坊主・糞坊主・チャンチャン坊主・、長吏ン坊・八ン坊・皮坊・御坊(隠亡)、べら坊・泥坊・立ちん坊・風来坊・ケチン坊・シワン坊などである。(柳田國男「郷土研究」、喜田貞吉「俗法師考」)しかし鎌倉時代末から室町時代に至っても比叡山の山法師、三井寺の寺法師、南都の奈良法師に見られるように、「…法師」と呼んでいたがこれらには侮蔑の意味は込められていなかった。この比叡山延暦寺の僧姿から、採って付けたという名前を持つ植物がある。中央の丸い花穂が坊主頭で4枚の花弁に見える苞を白い頭巾に見立てたものと言う。しかし一説には叡山の法師の頭巾の中は、坊主頭では無く蓬髪であったとする説もある。山荘の周りに植えられた白色花8株と紅花一株に、今年もまた無数の花を咲かせた。葉の上に開く花は樹下から葉を通して見るよりも、ニ階の窓から見下ろした方が見事である。初夏の暮れ方に薄闇に無数に浮かぶ白い花は、イルミネーションに例えられなくもない。中国名でヤマボウシは「四照花」と言われ、枝いっぱいに白く咲かせた花が四方を照らしているように見えるところから付けられたものである。
2014年05月30日

虞(ぐ)は項羽が愛した美しい女性で、文献では虞美人あるいは虞姫としているものが多い。夏目漱石の小説に、虞美人草がある。主人公の持つ女王のようなプライドと態度を象徴して、題名を虞美人から借名したものだ。項羽が劉邦に敗れて垓下に追い詰められた時に、死を覚悟した項羽が詠った「力拔山兮氣蓋世 時不利兮騅不逝 騅不逝兮可奈何 虞兮虞兮奈若何」に合わせて虞姫が舞いその後に自害して果てた。彼女を葬った墓に翌年赤い花が咲いたという言い伝えにより、この花に「虞美人草」の名前が付けられた。この花には雛芥子、雛罌粟(コクリコ)、虞美人草、ポピー、アマポーラなど多くの別名がある。アマポーラは、スペイン出身の作曲家ホセ・ラカジェが発表した歌である。園芸種にはヒナゲシ・アイスランドポピー・オリエンタルポピーの3種がある。香港出身の歌手で後に日本人と結婚した金子 陳 美齢(かねこ チャンメイリンが1972年に♪「丘の上ヒナゲシの花が…。」と歌ったヒナゲシは、ヨーロッパ原産のケシ科の越年草で、約150品種が世界に分布している。オニゲシと言われ一般にオリエンタルポピーの名前で呼ばれる種類には、栽培が禁止されていて草姿が良く似たハカマオニゲシがあるので栽培には注意を要する。アイスランドポピーは元々の和名をシベリアポピーと言って、シベリアで発見されたものだが今ではシベリアポピーと呼ぶ人は少ない。ポピーはケシやオニゲシに比べるとずっと華奢で、薄い紙で作った造花のようにも見える。強健に見える鬼芥子に対比して、たおやかな花姿から雛芥子という名前を付けられたのであろう。ケシ属の学名Papaverは、ラテン語の「幼児の粥」を意味する。ケシ属の茎から分泌される乳汁には催眠作用がありこれを粥に混ぜて子供に与え、寝かしつけたことに由来している。また、花弁が薄く紙のパピルスに似ていることからともされる。ヨーロッパ原産で、江戸時代に渡来した。ゴボウ根を持つ多くの植物がそうであるように移植を嫌うので、9月下旬から10月中旬に直播きする。芥子粒の名前の通り微細なタネなので、飛散しないように丁寧に蒔き軽く覆土する。発芽後、株間30cm程度に間引く。タネが入った袋の指示通りに3種類を混ぜて播種したのだが、結果的に30株ほどしか芽を出さなかった。お陰で間引く手間が必要無く結果オーライで、今深紅の花が咲き出したところである。花言葉 恋の予感 いたわり 思いやり 陽気で優しい 忍耐 妄想 豊饒
2014年05月29日

「いずれがあやめ、かきつばた」という言葉がある。元々は美しさを比べる言葉として使われたが、時代と共に優劣がつけ難いことにも例えて使われる言葉となった。この場合単にどちらもよく似ていて見分けが付き難いというのでは無く、優れていてとか美しくてという前提が付く。漢字で「菖蒲」と書いてアヤメともショウブとも読ませるがこの二つは別属の植物で、さらに花菖蒲はノハナショウブから選抜されたもので同じアヤメ科ながら性質が異なっている。5月の節句に風呂に入れるショウブはサトイモ科に属し、アヤメ科アヤメ属とは全く異なった植物である。菖蒲湯の菖蒲は葉がアヤメに似ているところからハショウブとも呼ばれることがあり、食品のキリタンポを細くしたような黄色い見栄えのしない花を咲かせる。「いずれがあやめ…。」は美しい花を咲かせるアヤメとハナショウブに加えて、似た花を咲かせるカキツバタの花がどちらも似た花形をしていて綺麗で甲乙が付けがたいことを言ったものであり、ここには当然ながらショウブは入らない。ハナショウブは葉が菖蒲に似ていて、美しい花を咲かせるところからその名前が付いたという。アヤメ(菖蒲、文目、綾目)はアヤメ科アヤメ属の多年草で、全草に皮膚炎・嘔吐・下痢・胃腸炎を起こす有毒成分イリジェニンなどを含有する。花弁の付け根に、網目模様が見られるところから付けられた名称との説が一般的である。カキツバタ(燕子花、杜若)も、同じアヤメ属の植物である。カキツバタから抽出した色を布などの染料に用いたことから、「書付花」と呼ばれていたものが転化したものとされる。アヤメは乾燥地を好み、カキツバタは水辺などの湿地帯を好む。その中間の性質を持つハナショウブは、畑地でも湿地でも栽培できる。水辺で咲いているのはカキツバタかハナショウブで、畑で咲いているのはアヤメかハナショウブである。草丈ではアヤメが最も低く(30~60cm)、カキツバタは中間(50~70cm)、ハナショウブは最も背が高い(80~100cm)。花の大きさではハナショウブが大輪、アヤメが小輪、カキツバタは中輪である。最も古くから言われている見分け方はアヤメには外花被片に網目模様があり、カキツバタには白い斑紋があって一般的に葉の幅が広い、黄色い斑紋があるものはハナショウブとされる。他の2種に比べて目にする機会は比較的少ないカキツバタであるが、根津美術館が所蔵する光琳の代表作「燕子花図」屏風はカキツバタの群落を書いて有名である。山荘の庭に異なった花色のアヤメ、3色が咲きだした。濃い紫の花を咲かせるものに加えて、一尺ほどの草丈の普通に見られるものと白色のアヤメである。これらの花に2週間ほど遅れて、近隣の野原や林地の縁に野生のアヤメも咲きだす。改良されて変化に富んだ色彩を持つジャーマンアイリスやハナショウブと比較して、野性味の感じられるアヤメには何故か心引かれるところがある。
2014年05月28日

樹木には子孫を残すために風の力を借りて、種子を親木からできるだけ離れた場所に飛ばせるために適した進化を遂げたものがあってその巧みな構造には驚かされることが多い。代表的なものとしては、カエデやニレの外にハンノキ・トネリコ・ボダイジュ・ケヤキ・メグスリノキなどが挙げられる。これらの樹木の果実の形態は単果(たんか)・乾果(かんか)・閉果(へいか)に属し、羽を持つことから翼果(よくか)あるいは翅果(しか)とも言われる。果実に長さ1.5cm程の翼を付けていて、秋になって熟して枝を離れると風に乗って飛ばされる。翼果は果皮の一部が平らな翼状に発達したもので、果皮の一端が伸びてできた膜状の翼となっていて風に乗って飛散する仕組みになっている。1個の花1個の子房からできた果実を単果というが、果実が成熟しても裂開しない閉果である。ケヤキに代表されるニレ属では翼の中心に種子があって、丁度リンゴを二つに割って果柄側を上にした形をしており果柄側でつぼんだ翼が種子をハート型に取り囲んでいる。モミジに代表されるカエデ属では、両端に開いた二枚の翼がまるでプロペラのように開いて果柄に近い方に種子を内包する。トネリコ属では一枚の翼が果柄側から伸びて種子を内包している。翼の中心にあるニレ属樹木の種子と異なって翼の中で種子が偏っている場合は、木から離れると螺旋を描くように回転しながら落ちるのでしばしばヘリコプターに例えられる。僅か30日前には花を咲かせていたヤマモミジがすっかり結実して、2枚のプロペラ状の独特な形をした見事な翼果を実らせた。ヤマモミジの花は葉の下に下垂して咲くのに、翼果は葉の上に着く。種子が包まれる部分は薄緑色をしているが、翼の先端に行くに従って濃いピンク色になり翼果が緑の葉の上に並ぶ姿は見ていて飽きない。秋になってやがて紅葉が始まると、これらの種子が熟し二枚のプロペラを使って地面に落ちる。ヤマモミジは極めて発芽し易い植物で、親木から離れた場所のあちらこちらから勝手に芽を出してくる。盆栽や鉢植えに仕立てる場合採取した種子の翼を毟り取って軽く傷をつけたり、薄皮を剥いたりした後1時間ほど浸水してから播種すると一層発芽率が良くなる。ネット通販でヤマモミジの種子を販売しているが、一粒20円もする。どんな樹木の種子でも同じだが、種子から育てても親木の形質そのまま引き継いでいるとは限らず同じものを育てたい場合は取り木をする方が確実である。我が家の「猩々野村」は庭に植えて50年にもなるが、未だかつて花も咲かないし当然翼果を着けたことも無い。これも不思議に思っている。
2014年05月27日

山荘の水道の陰に2年前から顔を出した「マムシグサ」が、今年も緑の苞を擡げてきた。里芋科のテンナンショウ属の多年草で、山荘の周辺の土手や林地の至る所に見かける植物である。苞を付ける偽茎は葉柄下部にある2つの葉鞘部分が重なってできたもので、紫褐色のまだらな模様を浮き出させている。茎の模様や葉の形などがコンニャクのそれとよく似ているのに、模様が蝮に似ているとしてこちらには蛇蝎といって嫌われ者の「マムシ」の名前が付けられた。雌雄異株で葉を2枚出し、楕円形の小葉が7個から15個つく。果実は秋に橙赤色に熟し、万年青(オモト)と同じトウモロコシ状の果実を付ける。サトイモ科の植物の共通の特徴であるシュウ酸カルシウムの針状結晶を全草に含み、誤って食べると口中から咽喉まで腫脹し激痛で唾を飲み込むこともできなくなる。5月に花茎を直立させて、緑色から紫色の白線を持った仏炎苞を開く。緑色のものは、アオマムシグサまたはカントウマムシグサと呼ばれる。花のつき方(花序)は水芭蕉と同じで、肉穂花序が苞の中に直立する。北海道から九州の、明るい森林や谷沿いのやや湿った場所に生育する多年草である。春に地下の球根から茎を伸ばし、2枚の葉と仏炎苞を形成しその中に花序がある。苞や草姿が殆どそっくりな同属の植物に、ウラシマソウやカントウアブミがある。ウラシマソウは仏炎苞から長さ70cmにもなる細い付属体を肉穂花序の先端から伸ばすので、マムシグサとはハッキリ区別が付く。仏焔苞の中央から出す紐状の付属物が、浦島太郎が釣りをしている釣竿から垂れた釣り糸に似ているとして付けられた名前である。花色は、濃紫色をしている。沖縄本島北部に良く見られるムサシアブミ(武蔵鐙)は、葉が三出複葉で仏炎苞が袋状に強く巻きこんでいて縁の両側が横に張り出しているという特異な形をしているので簡単に見分けが付く。ウラシマソウは茶花として珍重され園芸店では一万円以上もの値段が付けられているのに、マムシグサには精々1/10の1000円位の値段しか付いていない。これも、名前からからくる印象が悪い故であろうか。
2014年05月26日

森進一はユウスゲを♪「ゆうすげは 淡い黄色よ 夜に咲き 朝に散る花…」と唄っている。ユウスゲの別名は黄菅(キスゲ)である。ユウスゲはユリ科であり、百合に似た大輪の黄色の花を夕方咲かせ早朝には凋ませる。名前の由来は花が夕方開いて、葉が細くて菅草に似ているところから付けられたものである。ところが畑地で誠に厄介な雑草に、ハマスゲという似た名前の多年草の植物がある。もともとはこの雑草が海岸付近の砂地に多いことから付いた名前であり、乾燥地した土地に生えるカヤツリグサ属の植物でユリ科のユウスゲとは何の縁もない。どこにでも生える雑草なのだが一方では薬草として古くからよく知られ、正倉院に保管される薬草中にも見つかっている。生薬は香附子(こうぶし)と呼ばれ、秋から翌春にかけて肥大した根茎を掘り取って乾燥させたものを用いる。漢方で健胃、浄血、通経、沈痙の効能があるとされる。精油を1%ほど含み香蘇散、女神散などの漢方方剤に配合される。山荘の菜園が猿・猪・鹿・ハクビシンなどの食害を受けて、殆ど収穫が不能となってしまったので自宅近くの市民農園を申し込んで動物の食害を受ける作物をこちらで作って楽しむことにした。市民農園は3年が期限で、申込者が多いため抽選に当選しなければ借りることができない。抽選には外れたものの、辞退者が出て繰り上げで借りることができた。昨年まで借りていた人は2月に期限が切れ、大型トラクターが入って整地し新たに区切られた区画が割り当てられた。当初は分からなかったのだが、この市民農園はハマスゲの大群が席巻しておりそれを掻きまわして整地したため、5月を過ぎて猛烈な勢いで芽吹いて来た。ハマスゲは地下に塊状の茎を持ち、細い紐に似た匍匐茎を伸ばして広がる。葉は菅に似て細くて長く、それほど硬くなくてザラつかない。幅は2~6mmで先端はゆるやかに垂れる。初夏から秋にかけて花茎を出し、先端に花を付ける。畑地に入りこむと根茎や匍匐茎を持つので、抜き取り難い上に根絶が困難でスギナと双壁の非常に厄介な植物である。驚異的な繁殖力に加えて、荒れ地や乾燥した過酷な環境でも生育する生命力を持っている。熱帯から亜熱帯域に広く分布し、わが国には北海道以外の全土に繁殖している。もともと砂浜に多かったところからその名前が付いたものであるが、今では庭や道端・耕作地で見かけることが多い。5月頃に芽を出し、夏から秋に種子をつける一方で、地下茎を伸ばし先端に堅い塊茎を作り繁殖する。種子を作り塊茎でも繁殖をするので、放置すると手に負えないような群落を作る。山荘の菜園に蔓延ったスギナを退治するため一本一本のスギナに除草剤のラウンドアップを塗布したが、ハマスゲも竹のように細根によって繋がっているので、駆除にはグリホサート系の除草剤を塗布するのが最も推奨される。この除草剤は土壌中では速やかに分解してしまうので、作物にとっても優しいと言える。手荒れ防止のため、直接薬液に手が触れないようにゴム手袋をした上から軍手をはめる。調整した除草剤の液に軍手をはめた手を浸して、ハマスゲの葉に擦りつける。根で繋がっている部分は、全て枯れてしまうという。しかし、春先トラクターで掻きまわした畑では塊茎の殆どがバラバラになって独立しているため結局全てに塗布することになる。天気が定まったら早速実行だが、成果は改めて報告したい。
2014年05月23日

♪「めだかの学校は 川の中…」と歌われる童謡は、茶木滋が昭和25年に作詞した童謡である。翌年4月NHKのラジオ番組「うたのおばさん」で安西愛子が歌って広まった。メダカは蟹や水棲爬虫類と異なって、水の外では生きられない。作詞者は「水の中」としないで、どうして「川の中」と書いたのだろうか。川は、流水を含む河道・河谷・河床・其処を流れる水を含む広い概念である。小田原市を流れる荻窪用水の様子からヒントを得たと言われているが、思うに作詞者は流れの無い湖沼や水たまりでは無く、流れの速い水路が念頭に有ったのではないだろうか。日本に生息する淡水魚では一番小さく、体長は3cmほどの大きさである。目が大きく高い位置にあるように見えることから、目高と言われこれが名前の語源となった。全国各地の沼・池・湖・小川・用水路等に、生息している。ニホンメダカにはミナミメダカと、キタノメダカの2種がいるがどちらもメダカと言われる。春から夏にかけて1回に10個ほどを産卵し、孵った仔魚は翌年には産卵する。早い時期に孵化したものでは、秋に産卵をする個体もあるという。メダカの産卵時期と水田に水が張られる時期が一致しており、ミナミメダカの学名Oryzias latipesは「稲の周りにいるヒレの広い」という意味である。観賞魚として品種改良された橙黄色のメダカを「ヒメダカ」といい、良く家庭で飼われている。ヒメダカは黒色素胞を持たないため、体色がオレンジ色になったものである。このメダカは飼育が簡単なため金魚と同様、既に江戸時代から観賞魚として親しまれるようになったと言われる。その時代に甲府にこのメダカが持ち込まれていたか不明だが、今日のNHKの連続テレビ小説「花子とアン」にヒメダカが出演?していた。メダカの生息環境の激変で個体の絶対数が激減したこともあって保護熱が高まった結果、遺伝的な違いなどへの配慮をせずにメダカ池やビオトープ池を作り、本来その地域に放流すべきでない他の地域産のメダカや鑑賞用に品種改良されたヒメダカが多数放流された。関東地方の荒川・利根川水系の個体群は、瀬戸内地方や九州北部から移入されたメダカであることが判明している。1年前孫を連れて妹の家を訪ねた際、孫が世話をするからと言って十数匹のクロメダカを貰って帰った。ところが親の反対もあって、爺さんの家に置きっぱなしとなり、水替え餌やりなどの面倒はすっかり爺さんの役割となってしまっている。メダカは水温が20℃以上になると、産卵するようになる。春先、産卵の用意のために、専門店から購入してきた水草「カボンバ」を入れたのだが高温になり過ぎたせいかすっかり腐敗してしまった。先日餌やりの際、数匹のメダカがお腹に卵を付けて泳いでいるのを見つけた。早く産卵床の水草をと思ったのだが、取りあえず真新しい亀の子束子をばらして水槽に入れて見た。数時間後に早くも束子の表面に、20個ほどもの産卵を確認した。パンストの片足とクリーニングのハンガーで加工した袋の中に、束子を隔離して孵化を待っているところである。貰って来た当の本人は、今ではすっかりメダカ飼育に対する情熱も冷めてしまったのか遊びに来ても見向きもしなくなってしまった。結局は鉢植えの花と同じで、年寄りがこのままずっと面倒を見ることになってしまうのだろう。
2014年05月22日

毎年恒例の大卒同期会の翌日エクスカーションとして簀立て漁を計画し、初夏の一日を木更津沖の東京アクアラインと海ほたるを見上げる場所で童心に戻って魚獲りに興じた。素人集団が楽しめる漁獲方法には、地引網や簀立て漁がある。簀立て漁といわれるのは定置網の変形で、潮の干満の差を利用した漁の一つである。遠浅の沖合の海中に高さ2mの竹を、60~70mほどの長さで直線に立てその先端に直径20mほどの円形の定置網(カサ)を張り、その中にさらに小さなカサが幾つか仕掛けられたものが簀立てである。上から見ると、キノコのような形をしている。カサにはそれぞれ魚の入口が一か所あり、開口部には返しがつけられている。魚が囲いに沿って泳ぐ本能を利用したもので、一度入った魚は出られない仕組みになっている。簀に沿って満潮時に入り込んだ魚がカサの中に取り残され、これを干潮を待って捕らえるものである。実際には開口部が広いので、狭いカサに追い込んでも股の下をくぐり抜けられてしまうことが屡である。千葉県木更津市の盤州干潟(ばんずひがた)は小櫃川河口から東京湾に広がる最大で1400haに及ぶ広大な干潟で、日本の重要湿地500指定地に含まれる東京湾最大の干潟である。小櫃川河口付近のアシ原から、東京湾にかけ干潮時には広大な塩性湿地が出現する。干潟特有の多様な生物が生息しマゴチ、カレイ、ハゼ等の魚類、ベンケイガニ、ハマガニ、アナジャコといった甲殻類のほかアサリ、バカガイ等の底生動物が多く棲息する。ここには東京湾では唯一のアマモの群生が残っていて、干潮時にはその葉先を水面上に見ることができる。この干潟ではアサリやバカガイ漁のほか、アサクサノリを養殖する試みが行われている。また潮の干満の差を利用した簾立て漁に適しており、数軒の船宿がある。なかでも木更津の中島海岸は遠浅で簀立に適した海岸のため、簀立てのカサが10か所ほども確認できる。簀立魚場までは、屋形船で運んでくれる。簀の場所に着いても潮が膝くらいまで引かないと漁ができないし、エイなどの危険魚類が入ることがあるので事前に漁師が安全を確認する。潮が引いて膝上くらいまでになると、漁師からゴーサインが出て、それぞれ小型のタモ網を渡されてカサの中に入り魚を追い廻すのだ。当日はマダイが15枚ほどの他、スズキ・カレイ・ダツ・ボラ・アナゴ・アオリイカ・ヒラメなど多彩な魚が入っていた。これらの魚をタモ網を使って捕まえるのだが、網が小さいうえ魚も素早く逃げるのでなかなかうまく網に入らない。自宅から持参の大型のタモ網を持参した友人は、早く捕まえ過ぎて遊ぶ時間が少なくなるからといって使用を禁止されていた。捕まえた魚は別の調理船で即天婦羅や刺身・煮付けにして、海中を運んで来てくれる。捕まえたタイやスズキ・紋甲イカの刺身やアライ、揚げ立て天婦羅、煮魚、アサリの味噌汁にアサリの炊き込みご飯などを初夏の海風に吹かれながら味わう贅沢な昼食であった。アルコールがまわり、食事で満腹になる頃、潮が満ちて来て大名遊びもお開きになる。同じ屋形舟の食事でも、東京湾クルーズとは全く異なった趣がある。好みは人それぞれだが、夜景を見ながらの食事も良いが漁をした気分も味わえる簀立て漁は贅沢な遊びである。
2014年05月21日

潮干狩りは貝拾いとか貝掘りなどとも言い春の季語となっているが、気候の良い五月が絶好のシーズンである。潮干狩りで対象となる貝はアサリが主だが、場所に依ってはハマグリが採れる海もある。50年ほど前は東京湾の至る所で無料の潮干狩りができたのだが、埋め立てに依って遠浅海岸が消失するとともに潮干狩りの適地も限られるようになり、東京近郊では千葉県の木更津や富津海岸が残るのみである。その他に羽田沖や横浜の海岸でも、一部浅蜊の復活が見られるという。アサリは最大殻長6cmほどにもなる二枚貝で、貝殻の模様は横しまや様々な幾何学模様など非常に変化に富んでいる。日本、朝鮮半島、台湾、フィリピンまで広く分布し、現在は地中海、フランス、ハワイ諸島、北アメリカの太平洋岸にも進出している。幼生は浮遊しているが着底後の移動は1m以内の範囲で、移動距離は短い。浮遊幼生時代は植物プランクトンを、稚貝・成貝になると珪藻類や有機懸濁物等を餌とする。岸辺近くでは餌不足により丸く貝殻も厚く、餌の豊富な沖寄りでは逆に平たくなり成長も早いので殻は割れ易くなるが身が肥えて味も良い。日本では古くから食用とされていたため、貝塚などから貝殻が出土する。潮汁・酒蒸し・味噌汁の具や和え物・炊き込みご飯にするほか、佃煮にされる。生の身にはワラビやツクシなどに含有されるものと同じ、ビタミンB1の破壊酵素「アノイリナーゼ」を含有しており生食は避けた方が良い。貝殻に白黒、水色、茶色、紫色などあり様々で、模様や色がはっきりしているものや貝殻が薄く平たいものが美味であるが、秋から早春のアサリは身が痩せ品質が落ちる。着底後はほとんど移動しないため有毒植物プランクトンが発生した場所では、生物濃縮により貝毒が蓄積され食中毒が発生することもある。シーズン中は、東京湾を横断するアクアラインが慢性の交通渋滞となる。行楽客が引き上げる午後3時を回ると、木更津側アクアライン入り口周辺の道路は大渋滞となりアクアラインに入るまでに1時間以上もかかることがある。原発事故による風評被害や、3月に発生した輸送船の衝突事故による重油流出の影響がほとんどなかった。加えてアクアライン通行料が半額のままになっていることも、車が集中する一つの原因となっている。採った貝は、砂抜きをする必要がある。海水を利用することが一番であるが、水道水に食塩を加えて海水の塩分濃度と同じ3%程度にした塩水に漬けても容易に砂出しが可能である。アサリが吐き出した砂を再び吸い込ませないために、貝を笊に入れてそのまま塩水に漬ける。潮干狩りは長時間しゃがむか中腰の姿勢をとるため、かなり腰に負担がかかる。40数年前に子供を連れて水が引かない浜名湖で、潮干狩りならぬ水中浅蜊採りをして以来のことで潮干狩りをしたいと思いながら果たせないままになっていた。昨日は木更津金田海岸から24人で船を仕立てアクアラインの直ぐ北側の遠浅の海で、胴長を着用して久しぶりに浅蜊採りに興じた。木更津の海では昨年は殆ど浅蜊が採れなかったというが、今年になって自然に復活し小さい形ながら採取可能になったのだと言う。漁師がアサリ専用のジョレンを使用して掘る傍らを2時間ほど夢中になって素手で掘って、アサリを取ったのだが深く掘って出てくるのは殆どがバカガイである。バカガイは持ち帰りを遠慮して人に上げて、浅蜊だけを持ち帰ったが凡そ5kgもの収穫があった。海に入ってあさりを採らずに船で宴会をしていた同船者たちは上陸後、お土産に1kg500円のアサリを購入していた。採取の間海水に漬けていたこともあり、家で砂抜きのために塩水に漬けたが全く砂は吐かなかった。大量の浅蜊の貝殻模様を眺めていると、中にはプロレスラーのマスク様の模様があって誠に興味深い。取りあえず今朝は味噌汁にして美味しく味わい、夜は炊き込みご飯と酒蒸しにしたいと考えている。
2014年05月20日

山荘のシンボルツリー、槲の樹の下に混植したナルコユリとアマドコロに花が咲いた。この花が咲くと、漸く晩春から初夏の季節への変化を実感する。どちらもアマドコロ属の植物で、生薬名を黄精といい民間で薬用とされる。両種とも丘陵地や疎林下などに群生し、ナルコユリは鳴子百合と表記される。宮城県に鳴子温泉があるが現地の人は「なるご-」と発音する人も多く、鳴子百合も「ナルゴユリ」と言う人がいる。アマドコロは根茎がヤマノイモ科のオニドコロ(鬼野老)に似ていて、甘いところから名付けられた。同じようにナス科の有毒植物にも「ハシリドコロ」の名前を持つ植物がある。ナルコユリの名前の語源は明解で、花茎に花が付いた姿が鳥を追い払うため板に糸で竹筒をつけて縄にぶら下げガラガラと音を出して鳥を驚かせる鳥威しの「鳴子」に似ているところから付けられたものである。もともとは引板(ひきいた・ひいた・ひた)と呼ばれていたもので、すでに万葉集に「衣手尓 水澁付左右 殖之田乎 引板吾波倍 真守有栗子」(作者不詳)とある。(袖を水に濡らして植え慈しんだ田を引板を鳴らして守らねばならない)同属のアマドコロと、極めて良く似ている。園芸店では、どちらも「ナルコユリ」の名前で販売していることがあって紛らわしい。多年生の草本で、太い茎を50cmほどに伸ばす。ナルコユリの茎は円柱状なのに対してアマドコロには6本の稜があり、断面が六角形であることで容易に区別できる。「倭名類聚抄」(平安時代)に早くもその名が見られ、「大和本草」(貝原益軒)の中の「薬類」には「黄精」の名が載っている。根茎を天日干したものが「黄精」で、民間療法で強精・強壮に効能があるとされる。花の時期或いは秋の地上部が枯れる10月ころに、根を掘り取ってひげ根を取り除き水洗いして天日で乾燥する。黄精は病後の衰弱者や慢性病、リューマチ、痛風などの体の弱っている場合に用いる。ナルコユリの根茎と同量の砂糖をホワイトリカーに漬け込み、半年以上熟成すると飲用可能となる。茎や根茎には甘みがあり、山菜として食用にされる。根茎は特に晩秋が旬とされ、天ぷらにすると美味とされるが試したことは無い。花形が良く似たホウチャクソウは、茎の中程で枝分かれして花をぶら下げるので容易に区別できるがこちらは有毒なので注意を要する。 花言葉 気品のある行い
2014年05月17日

14年前山荘の前の「中山」から採ってきて、庭に植えたガマズミが今満開となっている。ガマズミ(莢蒾)は、山地や丘陵地の明るい林に普通に自生する樹高2mほどの落葉低木である。ガマズミの名前の由来には、「神つ実」あるいは「噛み酢実」の転化したものなどの説がある。一方「スミ」は、染めから来たのだとの説もある。和訓栞(1775以前)には、既に「古名へみ、へきみと呼び今は、がまずみと呼ぶ」と記述されている。一方、亜高山帯に初夏になるとリンゴに似た真っ白な花を樹冠一杯に咲かせるズミという植物があり、「樹皮が染料となることから染み(そみ)、あるいは実が酸っぱいことから酢実という。」とある。ガマズミのズミの語源になったとしても、不思議では無い。各地の方言でムシカリとかソゾミなどと言われるが、南信州伊那谷ではヨウゾメまたはヨウドメと呼んでいた。同じ属の植物にオトコヨウゾメと呼ばれる似た植物があるが、花の形が全く異なり疎らに着く赤い実は食べられない。果実は9~10月には赤くなるが、渋みと酸味だけで甘く無いので食べることができないが霜に当たると甘くなり食べられるようになる。子供の頃山中を駆け廻って、真っ赤に実ったガマズミの実を見つけると夢中になって食べた記憶がある。秋には葉が紅葉し、綺麗な赤色となる。この実を果実酒にすると、きれいな深紅の色になって美しい。昔は着色料として染色に利用され、名前の由来ともされている。同じガマズミ属のオオデマリやチョウジカマズミなどは花姿が見事だったり芳香があったりして庭木として利用されるが、ガマズミは山野でごく普通に見かける樹木のため「雑木」扱いされており、都会で庭植えにされているのを見ることはほとんどない。5月に独特の香りを持った、白い小花をかたまって咲かせる。花もだが、秋濃紅色に熟す果実も非常に美しく鑑賞価値が高く、多数の果実を付けた枝は南天とは異なった野趣の味わいがある。果実はやや平たい感じの卵形をしており、表面には光沢がある。生食の外果実酒や漬け物の着色、衣料の染色に利用される。ガマズミの実のジュースが、「ジョミ」の名前で販売されている。枝の皮を剥いで薪などを束ねるロープの代用として使ったり、枝を竹笊の縁や民具の柄などに利用してきた。ガマズミの実の果実酒は、疲労回復や利尿に有効だといわれる。赤く熟した果実をグラニュー糖とホワイトリカーに漬け込み、2~3か月すれば飲用可能となる。11月24日と 6月22日の誕生日の花とされている。ガマズミの花言葉にはビックリするが、この花を贈られた場合には気を付けないといけないかもしれない。花言葉 結合 無視したら私は死にます
2014年05月16日

7年も前に愚酔庵主から一株分けて貰ったイカリソウが、今年もまた独特な形をした花を咲かせた。植えた場所が乾燥して終日風と陽が当たる山荘の駐車場の脇であるにも関わらせず、頑張って毎年株を大きくしている。イカリソウ(碇草、錨草)はメギ科イカリソウ属の多年草で、別名「三枝九葉草」といわれるように3つに枝分かれした先に3枚の葉を付ける。メギ科の植物にはアルカロイドを含むものが多く、ナンテンなど薬用とされるものや有毒なものもある。小蕀があるので「小鳥止まらず」の別名を持つメギは、茎を煎じて洗眼薬にしたことから目木の名前が付いた。日本にはこの他「蛇登らず」、「大葉目木」、「広葉の蛇登らず」の何れも蕀を持つ落葉性4種が自生する。イカリソウとは赤紫色をした花の4枚の花弁が突き出した形が、錨に似ているとして付けられた名前である。東北南部より南の明るい森林に自生するほか、薬用として栽培される。イカリソウの仲間には、トキワイカリソウ、ウラジロイカリソウ、キバナイカリソウのほか花に距がないバイカイカリソウ、ホザキノイカリソウがある。全草を生薬の淫羊藿といい、精力剤として卓効があるとして有名である。本来淫羊藿と言われるのは、常緑で淡黄色の花を咲かせる中国原産のホザキノイカリソウのことである。中国にはこれを食べた雄羊が、100匹の羊と交尾したという言い伝えがある。しかし、中国人はもともと「白髪三千丈」とか「一瀉千里」などと物事を誇大に表現することの好きな民族であり、「淫羊藿」の伝説もこれらに類似した表現であろう。日本のイカリソウは「和淫羊藿」と言って、ホザキイカリソウと分けて呼ぶこともある。民間薬として古くから用いられているが、効き目はホザキイカリソウと同じだという。この仲間はアジアから南ヨーロッパにかけて、25種ほど分布することが知られている。イカリソウが含有するフラボノイド配糖体のイカリインicariinには、一酸化窒素 (NO)レベルの上昇、ホスホジエステラーゼに対する阻害作用が知られており弱いながらバイアグラ類似の作用のあることが証明されている。地上部の茎葉を葉の出揃う6月~7月に刈り採り、天日で乾燥して細かく刻んだものが生薬の淫羊藿である。淫羊藿には滋養強壮・強精、神経症、健忘症、生理不順、帯下などに効果があるとされる。禁忌があって、心臓の悪い人や胃腸が弱い人では飲用を避ける。淫羊藿にグラニュー糖を約半量加えて、ホワイトリカーに漬ければ2~3か月後から飲めるようになる。このイカリソウ酒は仙霊脾酒と呼ばれ、強壮や低血圧・食欲不振などにも効き目があるとされてといる。 花言葉 あなたをつかまえる 人生の出発 君を離さない
2014年05月15日

鈴蘭のスズは鈴で神事や祭りに用いられる鈴に花の形が似ており、葉が蘭に似ていることに由来して名前が付いた。花が葉の下に咲き葉の影に隠れるように見えるので、君影草の名前もある。君影草はもともと、日本に自生するスズランに対してつけられた名前である。スズランの属名Convallariaは、ラテン語のconvallis(谷間)leirion(ユリ)からきている。スズランの果実は花からは想像できないほどの大きさとなり、熟すと朱色になって美味しそうに見えるのに猛毒があって食べられないところからアイヌは狐の苺と呼んでいた。英語では属名そのままに、Lily of the Valley谷間の百合と呼んでいる。一本のコードに沢山の電球を吊り下げたものや、スズランの花姿に似た街灯をスズラン灯といって親しまれている。強心配糖体の、コンバラトキシン(スズランの毒の意)を含む有毒植物であることは良く知られている。全草にコンバラトキシンを含有し、中毒症状として嘔吐、頭痛、眩暈、心不全、血圧低下、心臓麻痺などを発症し死に至る場合もある。山菜のギョウジャニンニクと茎葉の外見が似ているので、誤って摂取し中毒を起こす例が見られる。スズランの花を飾った牛乳瓶の水を飲んで死亡した例がある。…「毒草の雑学」一戸良行著栽培されているものの殆どは、ヨーロッパ原産のドイツスズランである。日本に野生するスズランと比べると大型で、花の香りが強い。またドイツスズランは、花茎が葉と同じ長さかそれ以上に伸びる。花色は白が普通だが桃、紅などもあり、葉に斑(縞)の入った品種もある。エゾスズラン(蝦夷鈴蘭)の名称を持つ植物があるが、こちらはスズランとは花形も全く異なるラン科カキラン属の多年草である。7~8月茎の上部に20~30個の緑色の総状花序を咲かせる。苞は葉質で、長さは花と同長か少し短い。唇弁の前部は3角形、唇弁の後部は袋状になり、内面は暗褐色である。日本スズランは花が葉より下に咲き扁平のツリガネ型なのに対して、ドイツスズランの葉は巾が広く花は葉からつき出して咲き丸い釣鐘型をしている。君影草の名前は日本に自生するスズランに対してつけられた名前とされるが、「谷間の百合」や「君影草」より矢張り鈴蘭の方が直截的で親しみやすい。 5月2日の誕生花 花言葉 幸福の再来 純粋
2014年05月14日

5月中ごろになると公園のあちこちで、白い花を樹冠一杯に咲かせて存在感を誇示し始める樹木がある。南信州ではチシャと呼んでいたが、エゴノキが一般的な和名でその他にも幾つかの地方名で呼ばれている。エゴノキは日本全土に分布する落葉の小高木で、比較的湿気のある谷沿いなどで良く成長する。あまり特徴がない樹木のため幹を見ただけでは同定が難しいが、冬芽の形から判別がつきやすい。清楚な花のため庭木に使われることが多いが、移植と乾燥に依って幹が枯れ込むことがある。若い果実にはサポニンを大量に含んでいて、良く泡立ち昔は石鹸の代用として洗濯などに用いられた。このサポニンを魚の捕獲に利用したといわれ、子供の頃実際にこの通りやって見たのだが浮いて来た魚はいなかった。エゴノキのサポニンの魚毒性は、実際には漁に使えるほど強いものではないのではないかとも思われる。エゴノキの名前は果実を口にした時の味が、喉や舌を刺激してえぐい(えごい)のでついたものといわれている。別名に、かきのきだまし・とうびわ・萵苣の木(ちさのき)がある。種子は硬い殻に包まれていて良い音がするので、数珠玉と同じようにお手玉の中に入れられることがあった。樹高は10mほどにもなりその材は、家具・細工物に、樹皮を染料に使われる。5月末頃横枝から出た小枝の先端に、房状に白い花を下向きに多数つけ芳香がある。花冠は5片に深く裂けて咲き、雄しべが10本ある。一般的には白花だが、淡紅色の花をつけるピンクチャイムス(Pink Chimes)といわれる園芸品種がある。流通名は、ベニバナエゴノキという。教会などの組み鐘(カリヨン)の形に似ているとして付いた名前であろう。白・ピンク共長さ2cmほどの楕円形の堅い果実をつけ、中に大きい種子を1個含む。熟すと果皮は不規則に破れて種子が露出する。ウシヅラカミキリが果実に穴を開けて産卵し、幼虫が種子の内部を食べて成長するが種子内で休眠中の幼虫は「ちしゃ虫」と呼ばれ川釣りの餌として流通している。この昆虫の寄生した種子を探しても関東で見たことは無いので、発生が見られる地点は限られているのであろう。昨年の10月に、近くの団地の広場に植えられたベニバナエゴノキの熟した果実から取りだしたタネを採り播きした。極めて発芽率が良く30粒ほどが全て発芽したので、5本を残して他を間引いた。現在樹高が、15cmにも育った。今年の秋口には、庭へ下ろすことができるほどに成長してくれるものと思っている。順調に育てば4~5年で2m以上の株になり、花を着けるようになる。ピンクチャイムスは、樹高80cmの苗木が1万円ほどで売られている。 5月7日の誕生花 花言葉 壮大
2014年05月13日

ボケは、中国原産のバラ科の落葉低木である。ぼけの木を指す漢字表記ではウリに似た実を木に生らせることから木瓜と書いてぼけ、もっか、ぼっか、もっこう、きゅうりと読まれる。カリンやボケの果実を乾燥させた生薬名をもっかと言い利尿、鎮咳、鎮痛に用いる。パパイヤの別称は、もっかと呼ばれる。野菜のきゅうりは、木瓜と表記されることがある。もっこうは、バイカアマチャの別称でもある。ボケの名前の由来は、果実が瓜に似ていて木に生るところから「木瓜」と書いてモケ、あるいはボックワと読まれていたものが「ぼけ」に転訛したと言われる。日本在来種のクサボケといわれる植物も、ボケと同属である。ボケは昔から盆栽や庭植えで親しまれたことから、多くの種類が作出された。品種によって12月頃から5月にかけて、葉より先に花が開く。蕾は短枝の脇に数個つき、大輪のものでは径3~4cmにもなる。花色は基本的に淡紅、緋紅、白と紅の絞り、白などである。日光を好み土壌を選ばず移植は容易だが、しばしば根頭癌腫病に侵されることがあるので挿し木・移植には時期を選ぶことが必要である。根頭癌腫病はキク、ボタン、バラ、ボケ、ウメ、キウイなど多くの植物の根に寄生し褐色の丸い瘤を作る病気である。感染してもすぐに枯れることはないが、次第に樹勢が衰え他の根にも感染する。この病原菌は高温期に活発になり、根の傷口から侵入する。土壌で繁殖する細菌性の病原菌で、土壌中で長期間生存しているので一度発生した場所に植物を植えることは控える。温暖な時期には特に根頭癌腫病が発生し易いので、植えかえや挿し木の適期はいずれも秋分の日から後の9月から10月である。ボケの実は、カリンと同じように果実酒に利用される。40年も前に、東洋錦との交配種という「曙光錦」の名札が付いた鉢植えを購入して暫く楽しんできたが、山荘が完成した際鉢から下ろして地植えにした。完全に開花すると径4cmにもなる赤・白・絞りの大輪八重の花を、枝一杯に咲かせ見事であった。不思議なことに鉢植えを室内で観賞しているときには白色系が勝っていたのに、地植えにして何年かすると殆ど真っ赤な花を咲かせるようになってしまった。早咲きのボケは12月頃から咲きだすのに、このボケは遅咲きで5月に入って漸く開花する。鉢植え時代は精々樹高20cmほどだったものが、大株3株になり樹高は1.5mほどにもなった。今年の秋には株分で再び鉢植えにして、花色がどう変化するか試して見たいと考えている。 花言葉 先駆者 指導者 妖精の輝き 平凡
2014年05月12日

桜の花が終わる頃、山裾の縁のあちこちにヤマブキの鮮やかな橙黄色の花が群れ咲くようになる。山吹色はJISの色彩規格で「あざやかな赤みの黄」としていて、ヤマブキの花のような赤みを帯びた黄色を表す平安時代から使われてきた伝統色名である。古くは黄色を表す言葉であり、しばしば大判や小判の色を山吹色と表現する。ヤマブキには、オモカゲグサ(面影草)という別名がある。スズランは「君影草」と書いてキミカゲソウと読まれるが、こちらはオモカゲグサである。想い合った男女が事情によって別れるに当たって、互いの顔を写した鏡を埋めた場所からこの花が咲いたことから付いた名前といわれるが出典は不明である。山吹の名前は細い枝が風に揺られる様子から、「山振」といわれていたものが転訛したものと言われる。ヤマブキを漢字で「款冬」と書く人があるが、音は一緒なのだがこれは「山蕗」の漢名で「山吹」のことではない。一般にヤマブキと言えば黄色の花のものを言うが、白い花を咲かせる変種もある。こちらはシロバナヤマブキで、シロヤマブキと呼ばれる植物とは別種である。まことに紛らわしい名前が付けられたものだがシロヤマブキは葉が互生していて花弁は5枚であり、4枚のシロヤマブキとの区別は容易である。本家の黄色のヤマブキの花が終わりに近い頃になって、山荘の垣根に植えたシロヤマブキが東京から1か月も遅れて満開となった。高さは2mにもなり4~5月が花期なのだが、6月末から9月にかけてもポツポツと径3から4cmの両性花を咲かせる。初夏の夕闇に浮かぶ白い花は、妖艶の言葉がぴったりである。花弁は4枚で白色、1花に光沢がある黒色の実を4個ずつ着ける。ヤマブキとは全くの別種だが立ち姿が似ているのでこの名前が付けられた。シロヤマブキの種子は極めて発芽し易く、うっかりしているととんでもないところから芽を出し処分に困るほどである。こんなに増えやすい植物なのだが、園芸店では40cmほどの大きさのものが1200円程度で売られている。 花言葉 気品 崇高 待ちかねる ほろほろと 山吹ちるか 瀧の音 芭蕉
2014年05月08日

新芽を吹いて開花準備花芽も膨らんで間もなく開花NHKの「ためしてガッテン」は、1995年から20年以上も続くバラエティー番組である。立川志の輔と小野文恵アナウンサーのテンポと歯切れの良い司会も、長寿番組となった一つの理由ではあろう。「身近なテーマについて最新の科学を駆使・実践して、新しい常識を発見していく」ことをコンセプトにした番組で、民放の同種番組と比べ演出はやや抑え気味にしているとされているが、所詮はバラエティーであることに変わりはない。2014年1月29日放送分の「キウイの不思議さの向こうにおいしさがありました!」では、凡そ次の内容であった。「スーパーなどで購入してきたキウイには、必ずしも甘くて美味しく食べ頃の物ばかりでなく酸っぱいものがあるのはなぜだろうという疑問を解明するために調べてみて「キウイの性質」にその原因があることが分かった。キウイは一般に、木の幹に近いところにできる果実ほど栄養分をたくさん吸収でき、いびつな形になるまで膨れ上がる。いびつな形は、甘みのもととなるでんぷんが詰まっている証拠なので、こちらを選んだほうが良い。さらに収穫後もそのままでは熟さないので、出荷前に植物ホルモンのエチレン処理を行ってから出荷する。また熟していないものを購入した場合美味しく食べるにはリンゴと一緒にするか、一個に衝撃を与えるとキウイ自らエチレンガスを放出するので一緒にポリエチレンなどの袋に入れて常温で保管することで熟して美味しく食べられる。」この番組には毎回3人のゲストが出演するが、この内の一人の質問で小野アナウンサーは「収穫してそのままでは絶対に熟さない」と断言していたがこれは大きな間違いである。我が家では広さ20平方メートルの棚で、黄色種のゴールドキウイを栽培していて10月末に堅いまま収穫するのだが、特段何もしなくても2か月と持たなく正月前に全てが熟して発酵を始めてしまう。とても2か月の短期間では食べきれなくて、そのためコンテナ2箱分ものキウイを毎年棄てることになってしまう。この回に放送した内容で言うキウイは、おそらく緑色種のヘイワードについての結果であろう。キウイは現在非常に多くの種類が作出されていて、その性質も様々でこれらの方がむしろヘイワードより多く出荷されているように思われる。かつて民放のバラエティー番組の幾つかに、ヤラセや標題に沿った故意の編集・デマ・ねつ造など放送倫理に合わない番組として消えていったものが多数ある。ためしてガッテンも知るだけで、次のような不適切な放送が挙げられる。電子レンジを使った卵料理の紹介で、卵が爆発するという事例が多発し怪我人も発生した。平成18年4月5日放送の捏造疑惑、平成20年7月9日分の内容に対する批判、平成22年8月25日電子レンジを使って生姜を乾燥させる方法では、試した視聴者の多くから「火が出た」という報告が多数寄せられた。その他にも近頃は画像にテロップを流すことが多いが、往々にして誤字や脱字がある。番組中で訂正されることもあるが、訂正の無いことの方が多いように思われる。私は物事を批判的に見て全てを疑ってかかる性質なのだが、人によっては公器であるテレビから流れる内容は全て真実だと思いこむ純粋な人がいる。テレビは老若男女・不特定多数の多くの人が見るものであり、正確を期して完全なものを流すことが望まれる。
2014年05月07日

近年至るところの山里で、獣による作物や森林被害が顕著になっている。我が家のささやかな、家庭菜園も例外ではない。水田を耕耘整地すると、一晩で獣の足跡がつけられる。従来減少傾向にあった野生動物の保護に合わせて、これら動物の毛皮や肉が利用されなくなってきたこと、狩猟者の高齢化や減少により捕獲数が減ったこと、森林破壊などにより生息環境が悪化し人里へ餌を求めて出没するようになったことなどがその原因として挙げられている。17世紀にはすでに野生動物による作物の被害が問題となっていて、猪小屋を作って不寝番をして火を灯し板等を叩いて音を出し、人が大声をあげて威嚇して進入を防いでいたという。さらに野生動物の田畑への侵入を物理的に防止するために、田畑の周辺に木柵・石垣・土塀などシシ垣(猪垣・鹿垣・猪鹿垣とも書き、ししかべ・いがきとも読む)や、猪土手、猪鹿除(ししよけ)などを設置していた。全国各地に今でも多くの猪垣の遺構が残っているが、飯田市北方丸山には元禄6年(1694)頃に築かれたとする延長2.5kmもの猪垣の遺構が現存する。さらに松本市から塩尻市に至る鉢伏山西麓には、南北に28kmもに及ぶ猪土手の遺構が残っている。深さ1mほどの溝を掘りその土を高さ2mほどに積み上げた土塁で、土手の上に「猪垣」と呼ばれる木製の柵を設けた構造である。イノシシの出没を、日中に目撃することは少ない。それ故に一般にイノシシは夜行性の動物と思われている。しかし人を警戒する必要がない場合には日中も活動しており、人間の活動がある場所では人を警戒して夜に活動するようになったものではないかとされる。したがって人気のない畑の作物は、日中でも狙われる。イノシシの警戒心を解いて徐々に柵の高さを上げていくと1.2mの高さの柵を飛び越えたとする実験記録がある。しかしこの結果から自然環境の中で全てのイノシシが、1.2mの高さを飛び越えるということにはならない。イノシシは元来安全が確認できない場所への侵入には非常に用心深く、警戒心を無くした上での実験とは条件が異なる。波板などで囲む場合は、その高さが70cmあれば防御可能だという。また跳ぶことには怪我のリスクを伴うため、飛び越えることが可能であっても「潜る」という行動をとることが多い。イノシシの鼻は強力な武器で70kgを超える重さの石を持ち上げることができ、鼻を使って穴を掘るのも得意である。しばしば石垣が、10m以上も崩されてしまうことがある。しかし人が指先で触って事物を確認するように、イノシシはそれを鼻で確認する性質があるので常に濡れているイノシシの鼻は電気を通しやすい。したがってイノシシの個人の田畑への進入を防止するには、低コストで設置も容易な電気柵が第一選択肢となり得る。4年ほど前から毎年、我が家の狭い菜園に作付した収穫間近のジャガイモを狙って、イノシシが襲来するようになった。全く収穫ゼロの年が続いたので、昨年は思案の末電気柵を設置したところ全く進入されなくなった。初期設備投資のコストを無視すれば、電気柵の設置はイノシシ防除に最適ではあるが、柵線に草木が触れると漏電して電気柵としての効果が失われてしまうため日ごろのメンテナンスに気を配らなくてはならないことが若干面倒ではある。
2014年05月02日

モミジは古くから人々に愛され選別育苗されてきたことから、400種を超える品種がある。新緑時季の話題にはそぐわないが秋の紅葉だけでなく、この時期には品種毎に様々な色に輝くモミジの若葉も目を楽しませてくれる。もみじの名前は、木々の葉が秋の落葉前に色づく植物全般を指して「紅葉づ(もみづ)」と言ったことが由来となっている。中でもイロハモミジの葉が見事な色に染まり人々に好まれ鑑賞されたところから、子供の掌の形をした葉を持つ植物を特に「もみじ」と呼ぶようになったものである。またモミジと並んで賞されるカエデは「蛙手」が転じたものと言われ、その内でも切れ込みの浅い葉のものはカエデと呼ばれるようになったという。実際には分類学上もみじという科や属は無く、どちらもカエデ科のカエデ属の植物に分類される。いろはもみじ(いろはかえでとも)の葉は、長さ3.5~6cm、幅3~7cmで掌状に深く5~9裂する。この裂片を「いろはにほへと……」と数えたことに由来して付いた名前だと言う。サトウカエデと呼ばれる種は甘味の樹液を分泌するので、これを採集し煮詰めてメープルシロップが作られる。北米やカナダに自生し木質は重硬、肌目は緻密で衝撃にも強い。モミジは風媒花で、花弁は小さくて目立たない。花後に着けるプロペラ状の果実は、熟して落ちるとき空気の抵抗を受けて回転し、風に乗って遠方まで運ばれやすい形となっている。自生地の環境に適応して葉の形や大きさ、葉色、樹形などの形質が進化して雌雄同株や異株があり、熱帯のものには常緑化したものがある。奈良時代から秋のカエデの紅葉が観賞され、江戸元禄のころには大流行した。園芸品種を殖やすには、6~7月に充実して硬くなった新梢を長さ10cmほどで切り取り挿し木すれば秋には発根してくる。山荘の一角に植えた実生のヤマモミジが美しい緑黄色の葉を展げたと思ったら、葡萄の房状に赤い花を咲かせた。間もなくプロペラ状の種子を無数に着け、夏の終わり頃には風に吹かれて舞う様子を見ることができるだろう。ただし、このもみじの種は極めて発芽率が良く、うっかりしていると畑に舞い降りた種子は翌年の春には其処此処に新芽を出す。
2014年05月01日
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