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庭植えの福寿草の蕾が上がってきて開花を楽しみにしていたところ、2月8日と15日の大雪ですっかり雪の下に埋もれてしまった。降雪後10日を過ぎた昨日になって漸く積雪が溶解し、庭の土が顔を出した。気になっていた福寿草の花を確かめると、開花寸前であった蕾に大量の雪が積もり10日以上も雪に閉じ込められた結果、通常は花茎を伸ばす前に開花するはずなのに、既に茎葉を伸ばし始めており一番花は見る影もなく霜げてしまっていた。今年は綺麗な花を見ることは、できないのかも知れない。福寿草が分類されるキンポウゲ科は別名をウマノアシガタ科ともいい、葉の形を馬の蹄に見立てた名前と言われるが実際には両者はどう見ても全く似ているようには見えない。キンポウゲ科の植物は花が美しいため、観賞用に栽培されるものが多い。仲間にキンポウゲ、トリカブト、クレマチス、アネモネなどがある。この仲間のほとんどはアルカロイドを含み有毒であるが、一部は漢方薬、医薬品としても用いられる。キンポウゲ科でいち早く開花するのは、福寿草である。1月1日の誕生花とされ、別名で元日草あるいは朔日草と呼ばれるが愛らしい花の外見によらず毒草である。初春に、3~4cmの黄色い花を咲かせる。咲き始めには茎を伸ばさず、短茎の上に包に包まれた花だけが開くが次第に茎葉が伸びさらに数輪の花を咲かせるようになる。この花は日光が当たるとパラボナアンテナのように開いて、太陽光を花の中心に集め虫を誘引している。逆に日が当たらなくなると、閉じる。この動作を、開花期間中毎日繰り返している。「難を転じて福となす」という言葉から縁起を担いで、ナンテンやヤブコウジと寄せ植えにして販売されることが多い。全草が有毒であるが、特に根には強心利尿物質のアドニトキシンなど20種以上を含有することが知られており、民間薬として使用されることでしばしば死亡事故が起きている。このアルカロイドは極めて水に溶け易いので、取り扱いには注意を要する。晩秋にできた花芽を約1ヶ月寒さに当てた後、室内で保温すると正月頃に開花する。露地植えでは、2月~3月になってから開花する。光や温度に敏感で、日光が遮られると1~2分で花が凋み日を当てると再び花が開く。 花言葉 永久の幸福 思い出 幸福を招く 祝福
2014年02月28日

菜園で栽培した長ネギを冬の味噌汁や鍋の具、麺類の薬味に使うため庭に埋めて使う分だけ掘り出して使っている。2月の8日と15日の大雪で、この葱がすっかり雪に押しつぶされてしまった。畑にそのままの葱であっても、今回の大量の雪には勝てず潰されてしまったのではないかと思われる。我が家にとってネギは必需品で、一年中欠かすことができない。禅宗の寺では、山門脇の結界を示す目じるしの1mほどの高さの戒壇石に刻まれている、「不許葷酒入山門」の言葉を目にする。寺門の中は清浄な領域とされ、修行の妨げとなり心を乱すもとになる葷酒を持ち込んだり、それらを口にしたものは入ることを許さないという意味である。葷は臭いの強いニンニク・ニラ・ネギなどの野菜と肉や魚のことで、どちらも精力がつく食べ物とされ、酒は頭の働きがにぶり精神の集中力が弱くなることから、出家した者は精力のつく食品を食べたり飲酒することが禁止されていた。ここで言われるように、葱は古くから精力のつく野菜とされていた。ネギは、1980年代にクロンキストが提唱した被子植物の分類体系ではユリ科に分類されていたが、最新のAPG体系分類ではネギ科のネギ属に分類されている。根を食べることから「ネギ」と呼び、匂いが強いことから「禁葷食」ともされる。古名で葱は、「祢木」・「き(紀)」ともいう。女房言葉では葱はひともじ、ニラはふたもじである。ひともじの由来は、葱は「き」の一文字で表されるところからとか或いは枝分れした形が「人」という字に似ているからと言われる。ネギの花は坊主頭に似ているので、葱坊主と呼ばれる。葱は大きく葉葱と、根深葱に分けることが出来る。中学生の時に「ネギは何科か知っている者はいるか」と問われ、ユリ科と知っていたのに剽軽者だった私はすかさず「ネブ科(根深)」と答えて教諭からこっぴどく叱られたことを思い出す。雪で地上部が見事に押しつぶされた大量のネギは、無駄にしないために掘り取って一部は薬味用に刻んで冷凍保存し、残りは葱油を作って調理に使うことにした。
2014年02月27日

今朝の朝日新聞朝刊の社会面に「鉄子・山ガールに続け 私は宙(そら)ガール」の記事があった。最近は星に魅せられた「宙(そら)ガール」が急増中で、双眼鏡や望遠鏡を買う人の3割が女性だと言う。通販で購入した一万数千円の望遠鏡は全く役に立たず、物置きに放り込んだままだが望遠鏡が無くても星を見ることができる。私は「宙爺」だが一か月前から、2月26日の日の出前の時間に開演される「夜明け前天体ショー」を楽しみにして待っていた。今朝は昨日までとは打って変わって雲一つない冬特有の透明な空となり、空を見上げるには絶好の夜明けとなった。白み始めた空に月齢26の月が、ダイヤの粒のような光を放つ明けの明星に連れ添って、先月29日以来一か月振りに東南の空に現れた。月は将に女房(平安時代から江戸時代頃まで、皇族に仕えた奥向きの側仕えの女性)の三日月眉と言われる眉と同じ位細く繊細で、-5等の明るく煌めく金星は大粒なダイヤの輝きであった。2日前より暖かくなったとは言え外気温6度のベランダで、寒さと時を忘れて暫し空を眺めていた。遠く離れた西表島では、この金星が午後3時半ごろになると月に隠れるという。3月の明け方4時30頃には、多くの惑星と月が接近するのを眺めることができる。この時期は12月~1月の冬期より寒くなくまた、空も澄んでいることが多いので一寸早起きをして空を眺めて見る好機でもある。3月19日の西南の空に、おとめ座の中で最も明るい一等星の恒星スピカが月の左に接近してやや下に、同時に火星が少し離れて月の左上に見える。21日には中天少し西に上がった月の左斜め上に、土星を見ることができる。22日と23日には中天にかかった月の左下方に、さそり座の目印にされる「赤い星の一等星」として有名なアンタレスを見ることができる。金星は暫くの間明けの明星として、東の空に輝く。天気次第だが、3月27日に南東の低い空に金星と月がやや離れて並び、4月26日には再び接近した金星と月を見ることができる。
2014年02月26日

雪に埋もれた山荘(悠歩さん撮影)2月に入って一週間の間に続けて、今まで経験が無い大雪が関東甲信地方を襲った。降雪から10日を過ぎた現在も、未だ積雪が解けないで残ったままである。今回の雪は大きな被害をもたらし、まさに「白魔」であった。生まれた時から、雪を白として認識してきたので雪は何故白いのか特に何の疑問も持たずに受け入れている。これが白以外の色をしていたらと考えると、不思議な気持ちになるのは私だけであろうか。絵の具などの色材では黄色、赤紫、青緑を三原色といい、全ての色の元になる。この3色を加えていくと黒になるが、白だけは合成することができない。一方光の三原色は色材と異なり、赤、緑、青の三色でほぼすべての色を再現することが可能である。光は電波と同じであり、物体によって吸収する波長と反射する波長が異なることにより色として認識される。人は色を物に当たって反射した光を視覚として捉え、光の波長の違いを色として認識しているのである。人が色として認識できる光を可視光線といい、可視光線は最も長い赤から短い紫までの色を境目なく持っている。光の場合、色を混ぜ合わせるほど色が明るくなるので「加法混色」といっている。この三色の色を混合していくとやがて白色になる。このように白色は光が全反射し全ての光が混合したときに見える色であるところが、他の色と異なるところである。光が物に当たるとその光を反射するが、その反射された光を見て色を感じている。ある色の光が物に吸収されると、物には色が見える。雪は可視光線を吸収しないで反射するため、白く見える。雪の場合結晶の一つひとつは透明だが、細かい結晶が折り重なることで、光の乱反射効果が起きて白く見えるようになる。半透明の氷をかき氷にすると、白くなるのも同じ理屈である。豪雪は困りものだが、雪の色が赤や紫、青などで無く白色をしていてつくづく良かったと思う。
2014年02月25日

芥川龍之介に芋粥という短編小説がある。この芋粥は今昔物語集巻26第17話に題材をとったとされていて、同じ芥川の短編小説鼻と並んで中学の国語の教科書にもよく取り上げられる。「だらしのない格好をした40歳過ぎの下級貴族である五位は、周りから馬鹿にされていた。そんな彼の唯一の望みは、芋粥を飽きるほど食べて見たいということであった。それを聞いた地方の豪族が面白がって、山のように大量な芋粥を作って食べさせることにした。しかしあれほど食べたいと思っていたのに、実際に大鍋に盛られた大量の芋粥を目の前にすると五位の食欲はすっかり失せてしまい、芋粥に憧れて幸福であった頃の自分を懐かしく思った。」というのが大方の筋である。昨年の暮れに誕生日のお祝いに、長男からホテルのディナー券をプレゼントされた。未だ路辺に残雪があり北風が寒い中、横浜のホテルに出かけた。横浜港を隔ててベイブリッジを対岸に見、湾内を観光船が運行されているのを見ることができるハーバービューのレストランであった。お決まりのカウンターの向こうでシェフが切り分けるローストビーフや生ハムなどが50品目以上も並ぶ中で、圧巻は台の上に盛り上げられた大量のタラバガニであった。10数年前蟹を思い切り食べたくて、タラバガニ・毛ガニ・ズワイガニの食べ放題ツアーに参加して、網走の料理店で挑戦したことがある。最初それぞれの蟹が一匹ずつ一籠に盛られていて、全てを食べきれば後はお変わり自由のコースになっていた。勇んで蟹に取りついたのだが、毛ガニの食べ難さと手に付いた蟹の臭いで次第に食欲が失われて行くのが分かった。それでも最初の籠を食べきった後タラバカニの足4本を追加したが、追加分を食べきるころには臭いと満腹感でカニを味わうどころでは無くなっていた。昨夜も勇んで蟹に齧り付いたのだが、足3本でギブアップ。芥川の芋粥ではないが、北海道の食べ放題でも昨夜のホテルの食事でも、食べた直後はもう暫くの間はカニと縁を切りたいように思っていたのに、今朝になるとまた食べて見ても良いなと思う様になっている。思いが満たされないと余計に欲しくなり、満たされ過ぎると今度は見るのも嫌になる。昔から腹八分目と言う言葉があるが、何事も中庸が良いと言うことであろうか。人の心理は、誠に面白い。
2014年02月24日

100年振りとも言われる大雪が降りその雪が未だ多く残るのに、町中を歩いていると民家の角を曲がる度に仄かな梅の香りに包まれることが多くなった。1926年アメリカに生まれ36歳で謎の死で世を去ったハリウッドの女優マリリン・モンローは、パジャマの代わりに素肌に香水「シャネルNo5」を纏って寝たそうだ。良いにおいは「匂い」、好ましくないにおいを「臭い」と書き分けている。「くさいにおい」の場合は、「臭い匂い」と書くことがある。よい匂いはかおりとも言い、漢字では「香り・薫り・芳り」と書き表す。古来「匂い」は視覚でとらえる美しい色彩のことを言い、視覚についても嗅覚についても用いられてきた表現である。現在は匂いと言えば、嗅覚でとらえられる「におい」を指すことが主になっている。香水の歴史は古く紀元前1850年頃に香水を製造していたという工場跡地が、ギリシアで発掘されている。16世紀から19世紀までのヨーロッパでは入浴が一般的でなかったため、体臭を隠すため香水が発達し、近代になると化粧品の一種として楽しみや嗜みのため用いられるようになった。日本でも化粧品の一種として使用されてはいるが、欧米ほど使用が一般的になってはいない。これは食生活や入浴頻度などの文化的経緯もあり、さらに臭いや味覚に敏感な民族のため無臭が好まれているためである。またそもそも欧米人と比較して、日本人には体臭の少ない人が多いためとも考えられる。日本では直接皮膚に塗りつける香水では無く、貴族のたしなみとしての「匂い袋」が用いられてきた。匂い袋には、白檀・丁字・桂皮・龍脳・大茴香といった天然の香料粉末が使用されて来た。天然香料としては植物の花・葉・果実・樹皮・根などを原料にしたもの、動物性では麝香・霊猫香(ジャコウネコ)・龍涎香(マッコウクジラの腸内結石)・海狸香(ビーバー)・ジャコウネズミの生殖腺分泌物5種が知られている。その他に自然界の香りの成分と同じ構造の化合物を化学的に合成したり、天然には無いものを合成した合成香料とがある。自然の香りを嫌悪する人は少ないと思われ、特に仄かに香る梅・沈丁花・菜の花・薔薇・金木犀などの香りには季節を感じることができる。エレベーターや電車内などで、強く臭う香水やコロンの匂いに顔を背けることがある。視覚から入る情報は目を瞑って見ないようにすれば良いのだが、鼻から入る情報はシャットすることができない。香水は愛用する人以外にも影響を与えるものであり、その使用には心を配って欲しいものである。近年テレビでも、香りをつけた洗剤や蚊取り線香などのCМが流される。私自身はこのにおいに辟易することが再々である。先日孫が泊った際、持って来たパジャマから頭痛がするほどの強烈な合成香料の臭いがして、脱がせて洗濯の仕直しをした。私には耐えられないこの臭いを、孫は良い匂いと言いすっかりこの洗剤のにおいに馴らされているものと思える。ドラックストアやスーパーの棚には沢山の種類の洗剤が並んでいるが、多くに香料の添加表示がされている。洗剤など家庭用品に「におい」が不要な人も多くいると思われるので、目につきやすいところに置いて香料無添加の商品が選択できるようにして欲しいところである。
2014年02月23日

関東地方に50年振りの積雪が2月8日にあり、寒さで解けないままのその雪の上に一週間後の14日から15日にかけて今度は観測史上最も多いと言う大雪が降った。一週間経った今も庭の雪は未だ30cmも残り、道路を除雪して積み上げた雪は1m以もうず高く積み上がったままである。三浦三崎の河津桜が咲き始めたからとのお誘いで降雪の前の6日に、一寸早い花見に出かけた。約千本のうち10数本の木は5分咲き程に開花していたが、殆どの木は未だほんの1~2分咲きで来週には見頃を迎えるだろうとのことだった。しかしその2日後にすっかり樹が開花準備を整えたところへ、思わぬ冬将軍の襲来で蕾はすっかり縮んでしまったように思える。河津桜は日本一早く開花する寒緋桜と、オオシマザクラとの自然交雑種によりできた品種と言うのが通説となっている。このオオシマザクラはソメイヨシノが葉を展開する前に開花するのと異なり、葉が出てから3月から4月にかけて枝先に白色で淡い香りのある花を咲かせる。丈夫で潮風にも強いことから庭木や公園等に植樹され、また多くの園芸品種を生み出した母樹としても知られる。伊豆諸島に多く自生することが、名の由来とされる。伊豆半島、房総半島に自生するものは、桜炭を作るために持ち込まれ植えられたものと言われている。最も早咲きの寒緋桜と、ソメイヨシノの後から咲くオオシマザクラの子供とされる河津桜は開花時期では、寒緋桜の形質を強く引き継ぎ開花は早く2月である。オオシマザクラより花は大きく、花色は舞台や絵に描かれるものに似てほんのりとしたピンク色をしていて緋色と白の中間色とも言える。桜はもともと挿し木で増やすには向かない樹種で、接ぎ木・芽接ぎが最も容易とされている。河津桜も殆どが接ぎ木や挿し木などのクローン技術で殖やされたことにより、片方の親の緋寒桜のような花色変化は見られずどこの地域の花も色が一色である。三浦三崎より2℃から3℃も低い関東内陸部でも、8日の降雪前に既に数輪が開花し始めていたのに、度び重なる降雪と平年を下回る寒気の影響を受けて開花が少しも進まなくなってしまっていた。降雪一週間経て未だ解け残った雪が大量に残る中で、日差しが戻るとともに再び河津桜の開花が進み始めた。今朝現在では、既に5分ほど開花したと思われる。比較的開花期間が長いので、3月上旬まで十分目を楽しませてくれるだろうと思う。
2014年02月22日

雪をどけて 掘り出した人参「いつもぎっしりの状態に慣れているせいだろう、スーパーやコンビニの棚に空きが目立つと落ち着かない。最寄りのスーパーは大雪のあと、野菜などが品薄になった。…。▼かといって、野菜などを土に埋めたり、わらに包んで桶で保存したりして現代人は暮らせない。…。」これは、2月20日の朝日新聞朝刊「天声人語」の抜粋である。東日本大震災の後約1カ月、スタンドからガソリンが消えて給油ができず大変不便をした。今回の関東東北にかけての大雪では、物資輸送の道路が6日間近くも通行止めとなったことにより生鮮食品の輸送がストップして、天声人語の指摘そのままの状態となった。東京郊外では道路の開通に伴い、19日ころから漸く店舗に並ぶ品物と量が降雪以前に戻ってきたように見える。天声人語の文章に反して、我が家では20年前から家庭菜園で収穫したジャガイモ・里芋・ニンジン・大根・長ネギを自宅に保管して利用している。ジャガイモはイノシシ対策で6月末に収穫し知人や親戚に分けた後自家用として60kgを米袋に入れ、さらに発芽抑制のためリンゴとカリンを入れて物置で保存する。収穫後半年も経ったのに、全く発芽しないで今でも利用できる。大根は泥つきのまま一本ずつラップで包み、さらに新聞紙で包んだ後物置で保存する。長ネギは庭に掘った40cmの深さの溝に、並べて埋めて置く。網袋に小分けした里芋は1.5mの深さの穴に、ニンジンは50cmの穴を掘り底を平らにならして縦にギッシリ並べたら土を埋め戻し、それぞれ雨水が入らないようにビニールで覆いをして保存する。今回の降雪により、長ネギ一本が200円にもなったと言う。庭に保存した500本の長ネギは未だ200本近く残っているが、地上部に出ていた青い葉の部分は、すっかり雪で押しつぶされてしまったので、雪解けを待って全て掘り起こす予定にしている。雪に押しつぶされなくても、3月になれば、何れネギ坊主が出て来て硬くなってしまう。掘り取ったネギはネギ油を作ったり、薬味用に刻んで常備用に冷凍して置く。里芋とニンジンは、40cmも積もった雪を掻き分けて当座使う分を掘り出した。どちら全く傷んでいなく収穫した時のままで瑞々しい。大根はスの入ってしまったものが半分ほどあるが、10月から5か月も利用してきたのだから仕方のないところと諦めている。昨日は庭から掘り出した材料を使って早速、生のスルメイカとダイコン・ニンジン・サトイモを入れた野菜の煮物を作った。冒頭の天声人語の、「…野菜などを土に埋めたり、わらに包んで桶で保存したりして現代人は暮らせない。」という文章の意味は、そうして暮らしている私が現代人でないと言うことでは無く、そのように暮らすための条件や環境が失われてしまったと言っているのである。そうしたくても都市部では生活環境や条件が許さなくて不可能な場合が多いのに、保存する野菜を自分の畑で趣味として作り、都会地に持ってきて昔ながらの方法でそれを保存し必要に応じて取り出して食べる。こんな生活があっても良いと思う。
2014年02月21日
草餅にはヨモギ(蓬)を入れて搗くので、ヨモギを別名「もちぐさ」と呼ぶ。日本全国至るところに自生し、地下茎は横に這い叢生する。葉は大きく裂け、裏面には白い毛を密生する。春の新芽を摘んで茹でおひたしや汁物の具、天婦羅にするほか草餅にして食べる。ヨモギは夏から秋に1mほどに伸ばした茎に、目立たない花を咲かせる。ブタクサと同じで、花粉症の原因となる。また地下茎からはセイタカアワダチソウが出すのと同じように、他の植物の発芽を抑制する物質を分泌する。唐の酉陽雑俎に「狼糞烟直上、烽火用之」(狼の糞の煙を直上させ、烽火に用いた)との記載があり、「狼烟四起」(のろしが四方から上がり、辺境が穏やかでないこと。)の言葉ができた。唐の時代にはオオカミの糞を燃やして狼煙を上げたと言うが、日本では日本書紀や肥前国風土記に「烽(トブヒ)」の記述があり、動物の糞の代わりにヨモギやワラなどを穴に入れ燃やし狼煙としたとされている。学生時代寮に入っていたことがあるが、周囲に雑草が多く夏場は蚊の襲撃に悩まされた。蚊取り線香の代わりに、採ってきたヨモギを石油コンロの上に乗せて燻し蚊を撃退したことがある。五代目古今亭志ん生の落語に、強情灸と言う話がある。灸は治療を目的に行うのだが、この落語にあるように非常に熱いことから派生して懲らしめのためきつく注意したり処罰したりするという意味にも使われるようになった。灸は皮膚に置いたもぐさに点火して皮膚に刺激を与えることで、多様な疾病への治療的効果や健康増進を目的とした医療技術として医師と、はり師・きゆう師にのみ行うことが許されている施術法である。戦国から後漢(BC5世紀~AD3世紀)時代、中国で発祥した。この灸に使うもぐさは、ヨモギの葉を乾燥させ葉の裏に密生する綿毛を採取したものである。5月~8月に葉を採集し、臼で搗き篩にかけ陰干しする工程を繰り返して作られる。高級品では火力が穏やかで、米粒大のもぐさでは心地よい熱さを感じるほどだという。霜枯れたヨモギから葉を取って手で揉むと、子供にも簡単にもぐさを作ることができる。ヨモギの若芽を干したものは、煎じて飲むと健胃・腹痛・下痢・貧血・冷え性などに効果があるとされる。五月の節句には菖蒲と一緒に風呂へ入れる習わしがあるが、ヨモギ風呂は腰痛や痔疾に効果がある。沖縄では「フーチバー」と呼ばれ、沖縄そばやヒージャー汁(ヤギ汁)に入れて一般的に食べられている野草である。月に4~5回北杜市が運営している温泉に浸かるのだが、皮膚に灸を据えた跡のある人を見たことは無い。子供の頃祖母も父親も灸を据えており、戦後の暫くは多くの人が灸の厄介になっていたものと思われるのだが、西洋医療が全盛となった現代では灸の愛好家は減少したのだろうか。
2014年02月20日

15日夕方6時 道路を除雪したが雪の壁で車は入れない想定外と言う言葉の意味は、「事前に予想した範囲を越えていること。」と辞書に出ている。この言葉が専門家や担当者によって、災害が発生する度に安易に使われているような気がするのは私だけなのであろうか。東日本大震災による津波と福島第一原発の事故で時の総理大臣が好んで用いたこともあってその後多く使われるようになり、中央道笹子トンネルの天井崩落、伊豆大島の土石流災害、そして今回の関東甲信越の豪雪被害でも使っている。前総理大臣が「みぞゆうの…」と使って顰蹙を買ったが、この「未曽有」に近い使われ方であろう。ただ未曽有には、知見や技術的見解は含まれず現象だけを言っているので一般の人であっても使える言葉ではある。今回の豪雪被害でも関係自治体の長や担当者の多くが、「想定外」という言葉を多用している。防災科学技術研究所センター長は「今回これだけ孤立集落や立ち往生が発生したのは想定外の大雪が降ったことが要因。」と言っている。17日午後4時半の時点では、道路の除雪が追いつかないこともあって全国の13都県で約6000世帯の8000人もの人が孤立したままとなっていた。秩父市では1000世帯が孤立し、市長が自衛隊派遣要請を県知事に行ったが知事はこれを拒否し被害を拡大した。除雪要請は、想定外だったという。反面山形市では、15日に積雪で3地区に孤立集落ができたが、蔵王温泉の観光協会などが自発的にスキー客をホテルなどに誘導し、観光協会と蔵王ロープウェイの職員が総出で県道の除雪に当たった結果16日中に孤立が解消したという。山形市にとって豪雪は、「想定内」の出来事であったのだろう。東日本大震災直後、東京電力や政府関係者から「想定外」という言葉が連発された。そのニュアンスの多くは、「想定外だから仕方がない、私の責任ではない。」という責任逃れの自己弁護の意味合いで使われていた。過去に起きた大規模災害の被害の拡大は「想定外」に起因するものではなく、むしろ浅い思慮・知識不足・技能技術の不足・点検機能不足に加えて、判断ミスが重なった起きたものであったと言わざるを得ない。想定外という言葉が、専門家の言い訳や弁解のために使われてはならない。中央道の通行止めが解除されたことにより、4日間閉じ込められていたJR中央線の乗客のうちの220人が、18日にバスで松本市と八王子市に向かったという。山荘のある山梨県の交通の動脈は国道20号・中央自動車道・JR中央線以外に無く、8日に降った雪の上に観測史上初めてという量の雪が新たに1m以上も積雪したため、全ての道路と鉄道がマヒし、数日間県内全域が孤立状態となった。JR中央線は線路の除雪が終わらないため、全面開通には未だ時間がかかりそうである。物流の大動脈である中央道の通行止めは解除されたが、平行して走る20号線に接続する県内インターの出口が閉鎖されたままでは生活物資は十分に届かない。自宅のある東京近郊でも積雪で物資搬送ができず、昨日のスーパーでは空いている棚が目についた。一日も早く道路の除雪が終わって生活物資が届き、孤立集落が無くなるように祈るばかりである。
2014年02月19日

世の中には、とても香りとは言えないほどの臭いの強い食べ物がある。韓国には魚のエイを発酵させた、「ホンオ・フェ」という食べ物がある。もともとサメやエイの肉はアンモニアの臭いが強いが、発酵させることでより一層強烈な臭気を出すようになる。市場でも売られていて、樽の中を覗いただけで顔を背けたくなる異様な臭気がした。世界の食品の中で「臭い食べ物ベスト10」に日本から、「くさや・鮒すし・納豆・沢庵」の4食品がランクインしている。そのどれもが発酵食品であり、流石発酵食品王国日本と感心する。くさやは鯵・むろ鯵・トビウオ等の新鮮な魚を、「くさや液」と呼ばれる発酵液に浸けた後これを干物にしたものである。くさや液のコリネバクテリウム・クサヤが働いて、酢酸やプロピオン酸などの有機酸とエステル類が独特な臭いを生じるものである。滋賀県近江の名産に、鮒とご飯と塩で乳酸発酵をさせて作られる発酵食品がある。この鮒すしは塩辛い上に腐敗臭に似た強烈な臭いがして、未だにお茶漬けにも酒の肴としても好きにはなれない。食べ慣れている日本人にはそれほどに感じないのだが、外国人には納豆も臭いが強くて苦手な食べ物であるらしい。大根の糠漬けを沢庵というがその語源として、「貯え漬け」と呼んでいたものが、後に沢庵禅師が現れたことから「たくわえ」→「たくあん」→「沢庵和尚が最初に作った」という俗説が生まれたとの説がある。大根に含まれる含硫化合物が、発酵過程で微生物により分解されて揮発性硫黄化合物となり強烈な臭みの元となる。料理屋で出される沢庵は二切れが慣習になっているが、沢庵一切れは「人斬れ」に通じ、また三切れは「身斬れ(腹切り)」に通じることから江戸時代に始まったとされている。この時期になるといつも思い出すのだが、沢庵の臭いでつい笑ってしまう出来事がある。退職後10年ほど、毎年自家製大根50本ほどでたくあん漬けを作っていた。とても二人では食べきれないので、毎年職場へ運んで昼飯のおかずとして食べて貰っていた。冬のある朝臭気が漏れないように厳重に包装し、レジ袋に入れ沢庵の袋を始発電車内に持ち込んで座席下に置いた。電車が発車して暫くして、3歳位の女の子を連れ向かい側に座った若い夫婦が盛んに女の子を気にし始めた。小声で「○○ちゃん、ウンチ漏らした?」と聞いて盛んに問いかけているのだ。座席下のヒーターで暖められた沢庵の臭いが、車内に漂い出したのだ。気にはなったが白状する勇気もなく下を向いたままにしてしまい、臭いの犯人にされた女の子には気の毒なことをした。それ以来、沢庵を電車内へ持ち込むことは止めにした。
2014年02月18日
ナメクジ(蛞蝓)は、陸に棲む巻貝の一種で殻が退化したものである。カタツムリとナメクジが植物の上を這った跡が、舐められて抉(くじ)られているところから付いた名前だと言う。昔は蝸牛をナメクジと呼び、蛞蝓は殻が無いカタツムリの意味でハダカナメクジと呼ばれていたという。季節による低温に対して動物が活動を中止して、代謝活動を著しく低下させた状態で冬季を過ごすことを冬眠といっている。ナメクジを含む陸生の貝類も冬季極めて不活発な状態で越冬するので、冬眠ということばが使われる。冬にナメクジを見かけないのは、土の中・鉢底・朽木の中などに潜っているからである。ナメクジは活発に動き回るゴキブリと異なって極めて緩やかな動きだが、触るとヌメヌメが手に着いて洗ってもなかなか落ちないで、その感触がいつまでも残ることも嫌われ者となった一因である。そのヌメヌメ感はまるで、納豆のネバネバに触ったのと同じ感触である。農作物や鉢物の花卉を荒らし這い廻った跡が銀色の筋となって汚らしいなどから、カタツムリは童謡にもなって「可愛い」とされるのにこちらは目の敵にもされる厄介な生き物である。最近の研究では、寄生虫を保有していてヒトに感染させる恐れもあると言う。道家思想(老荘思想とも)の書「関尹子(かんいんし)」に、ナメクジはヘビを、ヘビはカエルを、カエルはナメクジを食うと書かれている。「三竦み」の故事は、ここから出ている。「ヘビはカエルを一飲みにし、ヘビには負けるカエルがナメクジをとって食べる。しかしカエルには食われるナメクジだが、粘液でカエルを餌とするヘビを溶かしてしまう。」とある。蛇と蛙、蛞蝓が出会ったときカエルが好物のナメクジを食べると、その後ヘビに食われてしまうから、ナメクジを食べることができない。ヘビ、ナメクジも同様の状態で、このため三者とも身動きがとれない状態を「三竦み」という。これと似た比喩に、象は人より強くアリは象より強い、しかし人はアリより強いという譬え話がある。実際にはナメクジの天敵は、「コウガイビル類」であることから、カエルはナメクジを食べないとされている。我が家では菜園で栽培した長ネギ・ニンジン・里芋を、冬の間庭に埋めて保存し必要に応じて掘り出してきて使っている。どの野菜に付いていたのか分からないが、ボイラーが設置してある台所口のスノコの上をナメクジが這いまわっていたらしい。外気とは10度も差があり、越冬中でも気温が上がれば活発に活動すると思われる。気が付かないでそれを素足で踏みつけた家内は、その感触がいつまでも残っているといって気持ち悪がっている。
2014年02月17日

家庭菜園で一般的に栽培される野菜の中ではアブラナ科、シソ、トウモロコシ、ネギ類が比較的簡単に交雑する。このうちアブラナ科の植物は、4枚の花弁が十字架のように見えることから昔は十字花科と呼ばれていた植物である。植物が栄養素を運ぶための組織を篩部と言うが、この篩部にある「ミロシン細胞」にはカラシ油配糖体を含むのが特徴である。カラシ油配糖体はカラシ菜やワサビ、大根おろしに特有の辛味の成分である。これは、アブラナ科植物が昆虫や草食動物から食害されるのを防御するための物質として作られたと言われる。アブラナ科植物は形態的な変異に富んでいる一方、交雑により雑種を作りやすい植物である。同種だけでなく他種の花粉によって簡単に結実してしまうので、分類の困難な品種も多いことが知られている。自家採種の種でなく販売されている有名種苗店のF1種子から育てた小松菜や小蕪に、明らかに交雑種と思える個体が混ざる場合がある。蕪なのに根茎が丸くならないで小松菜の根の様な形をしたものは、しばしば目にする。家庭菜園では、多少利用できない交雑種が混ざっても実害はそれほどないが、蕪の場合抜いて見ないと判別がつかず小松菜の様なカブでは利用できないので棄てることになる。固定種や在来品種を維持するには、交雑を避けるために他のアブラナ科植物の花粉によって汚染されないよう数百メートル以上離して栽培する、「隔離栽培」が必要とされる。多くの種の袋には採種地としてイタリア・アメリカ・タイ・中国などの記載があり、海外で採種されていているようである。懇意にしている「白州の爺やさん」は春菊・インゲン豆・モロヘイヤ・ゴーヤーなど多くの種子を自家採種している。なかでも自然交雑したネギは太くて柔らかく甘い味に、地這えキュウリは太く大きく瑞々しいものができたという。既にこの葱とキュウリは数年栽培して同じものが収穫できているようなので、種として固定したものと思われる。私の場合家庭菜園なので種も僅かで済み、さらに採種が面倒なこともあって全て新しく購入した種子を使用することにしている。したがって、種子がつくまで育てないので自然交雑の心配は無用である。毎年猿・猪・鹿・ハクビシン等の野獣が畑の作物を狙って襲来するようになったので、それらの動物が収奪しない種類の野菜を選んで栽培することにしている。1月末に依頼した春夏野菜の種が、種苗会社から届いた。畑は2月14日~15日にかけて降った観測史上初めてという1mを超える積雪に埋もれているが、4月神大桜の咲く頃から種蒔きを始めようと、種の袋を眺めながら作付場所の図を頭に描いているところである。
2014年02月16日
1月に入り三重・和歌山辺りまで南下したサンマは適度に脂が抜けるので、カンピンタンと呼ばれるさんまの丸干し作りに使われる。軽く炙って裂いたものは酒の肴や、お茶づけにしても旨い。同じようにヒトも年齢を重ねると脂が抜けるので、幼小期に比べて皮膚が格段にカサつくようになる。居住環境や生活様式の変化があって比較にならないが、70年ほど前の大人の手足には大きなアカギレのある人を多く見かけた。父親も40代から冬になると踵や手の親指に、深く割れたアカギレができた。現在では薬局薬店が近くにできて、簡単な胃腸薬・風邪薬・軟膏などは手軽に購入可能になったが、以前は使った分だけ清算払いをする「富山の置き薬」がどの家庭にも常備されていた。子供のころは富山から薬やが来ると、サービスで紙風船や折り紙が貰えるので待ち遠しかったものだ。その薬箱には、胃薬などに混じって硬膏や軟膏が入っていた。冬の夜風呂から上がった父親は、囲炉裏の前で硬膏を細く寄り合わせアカギレの傷口に合わせて押し込んだ後、囲炉裏で炙った焼け火箸で溶かして傷口を塞ぐ治療をするのが日課であった。ヒビもアカギレも同じメカニズムで手足や顔にできる、皮膚の細かい浅い裂け目のことをいうものである。寒冷による皮膚の脂腺・汗腺の機能低下、手足の不潔などにより皮膚角質層が乾燥するために生ずる。手の平や足の裏、手足の指の皮膚に生じた裂け目が深くて赤く見え、ときには出血し痛みを伴う。これに対して、亀裂が細くて浅いものがひびである。平安中期の「和名抄」には皸の文字に「阿加々利」の訓があり、あかぎれは当初「あかかり」と呼ばれていたものが阿加→赤、加利→切れと変化したものという。冬期は水や冷気に直接皮膚が当たらないよう手袋を着用し、ワセリンや尿素を含有する保湿クリームを塗ってスキンケアをすることである程度防ぐことができる。父親をはるかに超える年になってサンマと同じように脂が抜けてきたこの3~4年、寒くなると踵にヒビともアカギレともいえない微妙な筋ができて時々ヒリツクようになった。今のところは薬局の勧める保湿剤が入ったクリームを塗って、靴下を履いて寝ることで寛解する。もっとひどくなるようであれば、その時は皮膚科のお世話にならなくてはと思っている。 あかゞりや 一寸われて 春近し 子規
2014年02月15日

本部町八重岳にて春の野に すみれ摘みにと来し我ぞ 野をなつかしみ一夜寝にける(春の野原に菫を摘もうとしてやって来たのだが、野原の様子に心を奪われてしまい、とうとう一夜を過ごしてしまったよ。)万葉集にある、山部赤人の有名な歌である。古の人々は寒い冬に耐えながら、首を長くして待ちに待った春が来て漸くスミレの花が咲く頃、山菜としてのスミレを摘みに繰り出したものであろうか。スミレ科の植物には有毒な物があり、この歌からどれでも食べられると解釈すると間違いを犯すことになるので注意を要する。料理の飾りに様々な花が使われるが、パンジーやニオイスミレなどの種子・根茎には、ビオリン・サポニンその他の有毒物質が含有されており、誤食すると嘔吐・神経麻痺・心臓麻痺等を起こす恐れがある。スミレ属は種類が多くさまざまなものが各地に見られ、日本ではスミレ属として56種が確認されている。これに亜種、変種まで含めるとその数は300にものぼると言われる。何れも花が同じ時期に重なるため、それぞれが混同して扱われている場合も多い。単に「スミレ」という種は、全国に普通に見られ根出葉を出し濃い紫色の花を咲かすが、それ以上に一般的に見られるタチツボスミレと言う種のスミレがある。花茎は葉の間から立ち上がり、先端が俯いて花を付ける。花は典型的なスミレの花だが、スミレより丸味を帯びていて花色は薄い紫が一般的である。タチツボスミレの茎は、成長すると地表に伸びて立ち上がる。葉は始め根出するが、茎が伸びると丸味を帯びたハート形の葉を茎にも付けるようになり薄紫の花を咲かせる。日当たりのよい道路脇などに生え日本では比較的普通にどこにでも見られるスミレにノジスミレ(野路菫)がある。このノジスミレの変種とされているのが、リュウキュウコスミレ(琉球小菫)である。リュウキュウコスミレは沖縄県の日当たりの良い場所に普通に見られ、草丈は10~20cmで葉は三角状披針形~卵形と変化に富んでいて葉柄には基本的に翼は見られない。花は1.5cm~2.5cmでスミレ属特有の5枚の花弁を付け、色は白から濃い紫やピンクなどの変化があり香りを持つものもある。ノジスミレの南方系変種といわれていて、早いものでは10月の終わり頃から咲き始め開花は新聞のニュースにもなる。沖縄県本部町の八重岳頂上付近で寒緋桜の開花に合わせて咲いているのを見付けたが、沖縄で見付けたから琉球小菫と判断できたのだが、関東地方で見たとしたら私にはノジスミレとの判別は困難である。 山路来て 何やらゆかし 菫草 芭蕉 花言葉 小さな愛 誠実 小さな幸せ
2014年02月14日

沖縄の果物と言えばマンゴー・パイナップル・パパイヤ・島バナナが有名だが、シークヮーサー、タンカンをはじめ、オートー、カーブチー、クネンボなど日本の他地域にはない亜熱帯特有の柑橘類も栽培されていることを知る人は案外少ない。 10年ほど前にビタミンC・B1、カロチンのほか各種ミネラル、フラボノイドを含有するとして大々的に宣伝されたことから広く知られるようになった柑橘にシークヮーサーがある。現在では航空機の機内サービスで、シークヮーサーのジュースが振る舞われている。シークヮーサーのシーは沖縄言葉で「酸っぱい」、クワーサーは「食べさせる」の意味である。沖縄北部の山林には自生しているが、沖縄本島を中心に奄美大島や台湾などでは栽培もされている。沖縄原産の在来種柑橘類としてはシークヮーサーの他に、沖縄では昔からなじみの深いカーブチー・オートー・タロガヨ・クネンボがある。厚い果皮をもっていることから、カーブチーの名前で呼ばれる柑橘の「カー」は沖縄言葉で皮、「ブチー」は厚いの意味である。タルガヨは沖縄でも希少在来カンキツであることから、タルガヨ(これは誰?)とかウンジュ(あなたの)あるいはユーナヨー(言わないで)など様々の名前で呼ばれている。オートーは280年前に、漢方薬として中国から導入されたと伝わっている。名前の由来は、「青唐九年母(おうとうくにぶ)」が略されてあるいは果皮の黄色からオートーになったとの説がある。オートーの大きさはタンカンと同程度で東南アジア原産といわれ、香橙・橙など様々な名前で呼ばれる。クネンボはヒンディー語(インド中部や北部で使われている言語)が語源と言われており、室町時代後半に琉球へもたらされたものという。タンカンは中国や台湾では、年柑、蕉柑、潮州柑などの名前で呼ばれている。桶柑は「桶に入れて売られる甘い柑橘」、年柑は「正月(旧)に熟し食べられる」ことから付いた名前とされている。原産地は、中国の広東省とされて1800年頃に中国から台湾を経由して、1896年に本州へ導入されたとの記録がある。28年後の1924年になって、沖縄に導入されたものと言う。タンカンは沖縄の在来種に比べて「酸味が少なく、甘味、食味が良い」とされる一方、「デコボコで見た目が悪い、果皮は固く剥きづらい」と評価されている。2~3月がタンカンの収穫期でこの時期に熟果を収穫したものは、甘くジューシーで大変美味しいとされている。一昨日今帰仁村の友人から段ボール一杯、今が旬のタンカンが送られて来た。綺麗に揃えられた本州の柑橘を見なれた者にとっては、外見は煤の染みが付いた様でありお世辞にも綺麗とは言えない。早速お相伴に与ったのだが、外観の見た眼から受ける印象に反して親のオレンジに比べて、格段に皮を剥き易く小袋も離れ易い。果肉はジューシーで爽やかな柑橘特有の香りがあり、「ポンカン」の甘味と「オレンジ」の爽やかさを合わせ持った味わいである。産地では従来の柑橘栽培畑を徐々にタンカン栽培に変換していると聞くが、名前を知っていてもまだ本州のスーパーなどで目にする機会は少ないように思われる。友人の気配りに感謝して、冬季のビタミンC補給のために今も炬燵で賞味しているところである。
2014年02月13日

厳冬の昨日、今帰仁の学友からスイカが贈られてきた。季語は秋だが、実際には7月~9月の夏が旬である。8月のお盆頃になれば大玉のスイカがスーパーにも並び珍しくは無いが、この時期のスイカは高級果物店の店頭意外に目にすることは無い。良く話題になることだが野菜と果物には判然とした定義は無く、どちらに分類するかは国によっても異なっている。日本では生産・流通・消費の段階で、分類が異なるものもある。一般に田畑に栽培され副食物とされ草本性であるものを野菜としているが、蒟蒻のように加工を前提とするものは野菜として分類しない。イチゴ、メロン、スイカなどは野菜に分類されるが、果実のように利用することから果実的野菜として扱われている。…参考「野菜の生態と作型」(社)農山漁村文化協会スイカは生産現場では野菜とされるが、市場での扱いや栄養学上は果物または果実に分類されている。スイカは、ウリ科の蔓性一年草で、熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯の乾燥地帯が原産地とされ、安土桃山時代の頃に渡来したとされる。乾燥地帯で生育するために必要な水分を、果肉に貯めるので90%以上は水分である。スイカの名称は中国語の西瓜(シーグァ)が語源で、広東語のサイクワァが転化したものとされる。中央アジア(西方)から伝来した瓜であるところから、この名称が付いた。メロンは主として内果皮の部分を食べるが、スイカは主に種子をつける胎座といわれる部分を食用とする。スイカで糖度が高い部分は、果実の中心と種子周辺の果肉である。したがってカットする場合は、中心が均等になるよう放射線状にカットする。スイカには自家不和合性があり、自家受粉では良いスイカはできない。また受粉後約4時間以内に降雨で濡れると花粉が破裂してしまうので着果しないことがある。スイカに含まれるカリウムは、疲労回復や利尿作用があり夏バテ防止に効果があるとされている。沖縄でのスイカ栽培は、昭和初期から始まったといわれ、今帰仁村のスイカは日本一早く12月から出荷され美味しいことから、沖縄のスイカは今帰仁ブランドといわれるほどである。本土では年一回作であるが、沖縄では二期作で年に3回~4回も収穫される。一期作の収穫時期は12月から3月頃とされ、厳寒の今収穫のピークを迎えているハウスが多い。夏産のスイカと同じ11度以上の糖度があるとされ、窓外の雪を眺めながら炬燵でシャリシャリとした食感を楽しむのもまた乙なものである。江戸時代の事典「和漢三才図絵」には、隠元禅師が中国から持って来た種子を長崎で育てたのが日本でのスイカ栽培の始まりだと記されている。1700年代の初めには、江戸の町民も盛んに食べるようになったという。現在の北杜市で生まれたという俳人山口素堂が、「西瓜独 野分をしらぬ 朝かな」と台風一過の西瓜畑を詠んだのは、江戸であったのか旅をした甲斐の国であったのか。
2014年02月12日

ウメはサクラやリンゴと同じ、バラ科の植物である。梅には花の観賞を目的とする花梅と、実を採る実梅の2種類がある。ウメの名称は「梅」の中国語読みの「ムイ」や「メイ」を日本語読みにして「ウメ」になったという説や、「鳥梅」から転訛したという説がある。梅の原産地は、中国中部とされている。バラ科植物の種子には有毒の青酸配糖体アミダグリンが含有され、未熟な青梅による中毒は良く知られている。ウメの実には薬効があり古くから薬用とされ、特に未熟な青梅を藁で薫製にしたものは烏梅といわれ梅の生薬名として局方にも収載されている。烏梅は2~3cmの皺々の球形をしていて、強い酸味がある。鳥梅を煎じ熱いうちに飲んだり、あるいは梅干し1~2個を黒くなるまで焼き熱湯を注いで飲むと風邪に効果がある。青梅をすり潰して布で汁を絞り、この汁を弱火で煮詰めて飴状にしたものは梅エキスといい強い殺菌力があり健胃・食中・暑気中などに良く効くといわれる。梅干しには解熱や鎮痛作用がありクエン酸、コハク酸、リンゴ酸、酒石酸などの有機酸が多いため清涼感があって、食欲を増進し唾液や胃液の分泌を促進するので健胃薬として用いられる。紅梅は花色が美しいので特に花を見る目的で植えられるが、紅梅系で花色が濃紅色のものに緋梅、鹿児島紅と呼ばれる品種がある。ウメの材は、床柱・櫛・算盤珠・念珠・洋傘の柄・彫刻材などとして使われているという。この鹿児島紅の髄は濃い赤ワイン色をしているので、材として加工すると面白いかもしれない。我が家の庭の鹿児島紅は府中市の大国魂神社の植木市で、昭和45年に購入して庭に植えたものである。以来毎年この時期に花を咲かせて、春の到来を告げる。一枝取って部屋に飾ると、ウメ特有の仄かな香りが部屋中に漂う。ウメは一般的には自家不和合性が強く、同一品種では結実しにくいが品種の異なるものを混植すると結実する。鹿児島紅は特に不稔性の傾向が強く、今までに数えるほどしか着果を見ていないが、譬え結実しても形が悪く小さいので実を利用するには適さない。花言葉 高潔 忍耐 厳しい美しさ
2014年02月11日

愛車はかまくら状態8日から9日にかけてのこの冬3回目の降雪は、都心では45年振りの積雪27cmの大雪となり、相模原市でも積雪約35cmとなった。我が家の玄関は西向きのため、強風で吹き付けられ溜まった雪のため玄関ドアが開かない状態となってしまった。8日は昼頃と夕方の二回雪掻きをした。9日の早朝は夜が明けきらない内から起きだして、1時間半かけて未だ誰も外へ出ていない玄関前の道路の雪掻きをした。山荘のある北杜市では、「積雪深10cm以上の時に、交通量の多い主要市道を除雪し、通行の安全を確保する。」「除雪が困難なひとり暮らしの高齢者の方などに対して、積雪による災害の発生などを未然に防ぐため、居宅の除雪を行います。」として除雪費用が予算計上されているが、自宅のある相模原市には予算書に除雪の費目も無いようである。したがって北杜市では降雪が止むと直ちに除雪車が出て、生活道路の除雪が行われるが関東地区では自然の融雪に任せてそのまま放置されることになる。我が家の近隣でもアパートの前などは雪掻きする人がいないため、雪は積もったまま踏み固められる。轍に融雪の水が溜まって川のようになり、歩行が著しく妨げられる。東京ではこの雪による転倒などにより145人、神奈川では245人が病院へ搬送されたと言う。降雪の少ない地域で雪による負傷者が多いのは、雪に慣れない人が多いからというだけでなく、除雪が行われないことにも一因があるのかもしれない。積もると迷惑な雪だが、この雪のひとひらが正六角形の結晶体であることを知る人は多い。しかし、都会地では比較的気温が高いため、自然の状態でこの結晶を目にする機会は少ない。雪の結晶の形は上空の温度や湿度できまり、板状や柱状をしたシンプルなものから樹木のような複雑なものもある。中国古典の「太平御覧」には、「韓詩外傳曰凡草木花多五出雪花獨六出雪花曰霙雪雲曰同雲」(木や草の花の多くは五角形であるが雪は正六角形である。)と記載されており、早くから雪の結晶が正六角形であることに気が付いていた。わが国では1832年(天保3年)に土井利位が「雪華図説」で86種を、さらに8年後に97種の結晶スケッチを発表している。「雪は天からの手紙」の名言で知られる中谷宇吉郎は、1949年(昭和24年)に「雪の研究」で結晶の形態とその成長過程を説明している。雲の中でできはじめた頃の氷晶は、直径0.01mm以下である。成長した雪は直径0.5mm~1cmくらいだが、大きなものでは3cmにもなる。成長した雪が落下する間に融解することなく地上に到達すると、雪として観測される。雪の結晶は、成長過程の大気中の環境条件によりその形を大きく変える。基本的な形状として「角板」、「角柱」、「針」がある。温度が高いと「角板」となり、低温になるに従って「角柱」・「骸晶角柱」・「針」・「鞘」となる。-12℃~-15℃の低温で高湿度状態の場合に、複雑で美しい「樹枝状」の結晶が発達する。雪のひとひらは極めて美しいのだが、道路脇に大量に積み上げられ埃を被って薄汚れた雪の山から、溶け出す融雪水で雨の日のように濡れる道路の事を思うと些か憂鬱である。
2014年02月10日

tunosan 撮影スイセンは学名Narcissusといい、ヒガンバナ科に属する。中国古典「天隐子神解章」に、「在人谓之人仙,在天曰天仙,在地曰地仙,在水曰水仙,能通变化之曰神仙。故神仙之道有五,其渐学之门则一焉」(仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙。)とある。スイセンの名前はこの古典にある仙人の階級の一つ水中に在る仙人の「水仙」を、音読みしたものである。別名、雪中花とも言われる。葉の間から蕾をつけた花茎が伸び、伸びきるとつぼみが横向きになり、成熟するとつぼみを覆っていた包を破って花が開く。ニホンズイセンの原産地は地中海沿岸で、室町時代より前に中国を経由して日本に伝来したとされている。本州以南の暖かい海岸に野生化し、随所に群生が見られる。越前海岸の群落が有名であり、福井県の県花ともなっている。その他に千葉県鋸南町・静岡県爪木崎・兵庫県南あわじ市・洲本市などが知られている。彼岸花科の植物はリコリンを含む有毒植物であるがスイセンも全草が有毒で、鱗茎には特に毒成分が多い。根茎10gが、ヒトの致死量とされる。食中毒症状の他に、接触性皮膚炎も起こす。中毒の初期は強い嘔吐で始まるため、大半が吐出され重篤になることは稀であるが、韮・ニンニクや野蒜と誤食した死亡例がある。チューリップやヒアシンスと同じで、寒さに当たらないと開花しない。Narcissusという学名は、ギリシャ神話に由来する。「美少年ナルキッソスは、水鏡に映った自分自身に恋してしまった。水の中の像は、ナルキッソスの想いに応えることはなく、彼はそのまま自らの像に憔れ死んでその体は水辺で俯きがちに咲くスイセンに変わった。」この神話は、ナルシストの語源ともなっている。白秋の詩で有名な城ケ島にはスイセンが植栽されていて、2009年から始まった水仙祭りが今年で6回目を迎えた。この島には「城ケ島八重水仙」の名前のスイセン70万株が植えられている。(数える団体により60万株・30万株・10万株とまちまち。)自生するニホンスイセンは一重で中が黄色だが、城ケ島のスイセンはその名前のとおり八重咲きである。駐車場西側の松林一帯の群落が、最も密生している。その他にも島の至る所で見ることができ、このスイセンは「かながわの花の名所100選」の花に選定されている。訪ずれた6日には既に満開を過ぎ、花茎は伸びすぎて倒れているものが多かったが潮風に乗って島中に漂う甘い芳香は春の到来が近いことを教えているようでもあった。
2014年02月09日

サクラは花芽を前年の夏に形成して休眠期に入り、その蕾がある条件に遇うまでは成長して開花することはない。桜の花芽は一定期間の低温に遇うことによって、眠りから覚めて開花の準備を開始する。これを「休眠打破」といい、開花に向けての重要な条件となる。休眠打破されるとその後気温の上昇にともなって、花芽は成長し「生成」する。気温が高くなるスピードにあわせて花芽の生成も加速して行き、やがて生成のピークを迎えると開花する。サクラの花芽の「休眠」・「休眠打破」・「生成」・「開花」は、秋から冬にかけての気温と春先の気温に大きく関係している。サクラを冬のない常夏の国に植えても、美しく咲くことがない。サクラの花芽は7月頃にそのもとが作られ、これを「花芽分化」といっている。通常の開花時期以外に咲く所謂狂い咲きは、花芽分化した後毛虫の被害・台風・日照りなどなんらかの原因で葉がなくなることで、葉が出している開花抑制物質が無くなる結果秋の低温によって休眠打破が起こり、日中の暖かさによって間違って開花してしまう現象である。ソメイヨシノが、休眠打破する温度はおよそ5℃といわれる。一般的に桜の開花は温暖・低地から始まり、寒く高い地域に移って行くように思われるが、実際には休眠打破の低温とその後の暖かさによって開花時期が決まる。主として沖縄県などの暖地に植栽される緋寒桜は、休眠する温度が高いため南国でも咲くことができる。ソメイヨシノは奄美では咲くことができず、種子島が南限である。ソメイヨシノの休眠打破に必要な5℃程度まで気温が低下しない地域では、「休眠打破」が起こらず結果とし開花が遅れ開花しない場合がある。鹿児島ではしっかり休眠できないので、北の福岡より開花が遅くなる。沖縄の緋寒桜は本州とは異なって高地や北の寒い地方から咲き始めて、低地・暖かい地方へと移っていくのである。花の形や咲く時期などがヒガンザクラに似ていて、中国系のミザクラを台木にヒガンザクラの枝変わりとして誕生した「啓翁桜」は枝の伸びがよく、枝を切り込んでも木が弱らないので生花材料の切枝用木に適している。「啓翁桜」の促成枝に対する休眠打破処理法として、温度処理をした後ジベレリン(種なしブドウを作る植物ホルモン)散布を併用することで開花率を向上させているという。オオシマザクラとカンヒザクラの自然交配種と言われる、早咲きの桜がある。花は桃色ないし淡紅色で、ソメイヨシノよりやや大型で色が濃く花期は1か月と長い。このサクラは61年前に偶然発見され、カワズザクラの名前が付けられた。1968年頃から盛んに増殖されるようになり、現在では関東一円のあちこちで見かけるようになった。関東近郊にある河津桜の名所は本家の河津町に8000本、三浦海岸には1000本、松田町には260本が植栽されている。一月末からの暖かさで三浦海岸の桜が開花し始めたとのお誘いで、6日観桜に出かけた。未だ10数本しか開花していなかったが、何組かの花見客が開花した木の写真を撮っていた。この所寒の戻りで降雪もあったりしたので、満開は二週間以上先になるものと思われる。このサクラの花が終わるころには、春本番となりソメイヨシノの開花情報が東京でも聞かれるようになるのではないだろうか。
2014年02月08日

房総半島遠望 柊二の歌碑城ケ島を今までに5~6回ほど訪問した記憶があるが、子供が大きくなってから40年ほどは訪れたことが無かった。葉山に在住の妹夫婦から、河津桜と水仙を探勝して三浦半島を一周する早春ドライブへの招待を受けた。折悪しく立春寒波の襲来で真冬並みの寒風が吹く中、義弟の運転する新車の電気自動車「リーフ」でのドライブとなった。うっかりミスで、カメラのSDカードを抜いたままとなっていたので自分で画像を撮影することができなかった。アップの写真は、「つのさんのロマン紀行」の「tunosan」が撮影したものである。戦国時代房総の里見義弘が、この島に砦を築いた頃から「城ヶ島」と呼ばれるようになったと明治時代刊行の「相州三浦半嶋案内」で紹介されていたという。周囲長約4kmの島で、神奈川県最大の自然島である。人口は減少傾向に有り、平成20年の推計人口は579人で、5年前より57人減少している。漁業、軍事、交通、文学に関わる歴史が多く、大正時代に北原白秋の「城ヶ島の雨」が発表されると「ロマンの島」として全国に名を知られるようになった。白秋は1910年に三崎を初めて訪ずれ、ここで書きためた作品を1915年に歌集「雲母集(きらら集)」として発表している。♪城ヶ島の雨雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる雨は眞珠か 夜明の霧か それともわたしの忍び泣き舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆あげたぬしの舟ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ大正末期から終戦まで東京湾要塞の一部であった砲台跡地は、現在県立公園として整備され開放された。かつては渡し舟が唯一の渡島手段で、1960年に城ヶ島大橋の開通で廃止されたが、2008年集客のため渡船が48年ぶりに復活した有名な北原白州の歌碑は、城ヶ島大橋の建設に伴って西側に移動されたが、この地を訪れた人多く人は歌碑について知っていると思われる。白秋の歌碑から遠く離れた城ケ島公園内の隅に、ひっそりと佇む一基の歌碑がある。昭和時代に活躍した歌人で、宮柊(しゅう)二の歌碑である。魚沼市の本屋の長男で父保治は、俳号を木語といい俳句に造詣があった。柊二は父のそんな影響もあって旧制長岡中学在学中から、盛んに相馬御風が主宰する歌誌「木蔭歌集」に投稿していた。20歳で上京して働き、翌年北原白秋の門下生となって歌作に励んだ。生涯で13冊の歌集を刊行し宮中歌会始の他、新聞・雑誌歌壇の選者を務めた。40を数える多くの著作があって、功績により日本芸術院賞・紫綬褒章・正五位勲三等瑞宝章など受賞している。全国に20基を数える歌碑が建立されており、関東では国分寺市の武蔵国分寺仁王門脇と城ヶ島公園内に建っている。彼は城ケ島と縁は無いはずだが、強いて言えば師の白秋が生前城ヶ島と三崎の見桃寺にのみ歌碑の建立を許したと言われるほど城ヶ島をこよなく愛し彼の歌碑が建つこの地に、白秋生誕百年を記念して、「白秋柊二師弟の詩・歌碑を建てたい」という当時の市長の提唱に賛同した門下生が建立したものという。歌碑には「先生のうたひたまへる通り矢の はなのさざなみ ひかる雲母のごとく」と彫られていており、雲母(=きらら)は白秋の歌集の名称から取ったものである。
2014年02月07日

フェンスの間から陽だまりに顔を出した庭のボケが、花を咲かせた。葉はもう少ししないと開かないが、葉の無い枝に朱色の明るい花を開いて春の到来を告げている。葉が出るころの花は葉に埋もれて映えないが、同じ花であっても厳寒期の花はなぜか健気で見ただけでほっとする。ボケは木瓜と書き、ぼっかまたはもっかと読む。一部ではパパイアが木になる瓜に似ているとして、木瓜と呼ぶがボケとは全く異なった種である。生薬名で「もっか」はカリンやボケの果実を乾燥させたものを言い、利尿・鎮咳・鎮痛に用いる。ボケは、バラ科の落葉低木で果実が瓜に似ており、木になる瓜で「木瓜(もけ)」とよばれていたものが「ぼけ」に転訛した。あるいは「木瓜(ぼっくわ)」が「ぼけ」に転訛したとも言われるが、ボケの実はどんなに贔屓目に見ても瓜の姿に重なるところは無い。日本の野生種は、クサボケといわれボケと同属の植物である。自生の草木瓜の花色は、朱がほとんどであるが稀に白色のものもある。義父が「シドミ」と呼んで栽培していた盆栽の草木瓜をもらって栽培したが、クリーム色の小振りの花をしていた。クサボケはボケより背が低く、精々1mほどにしか伸びない。枝に多数の蕀を付ける。実はボケよりは小さく、縦に筋は入らず表面はつるつると滑らかである。ボケは藪立ちとなり、放置すれば樹高は3mにもなるものがありクサボケより背が高い。枝のトゲはあまり目立たないものがある。実は草木瓜の実よりも大きく、ゴツゴツとしていて縦に筋の切れ込みが入る。2~4月に、葉よりも先に開花する。花の径は草木瓜より大きく2.5 ~3.5cmで色は淡紅、緋紅、白と紅の斑、咲き分け、白など多彩である。原産地は中国大陸で、日本には平安時代に渡来した。温暖地を好み、北海道では種類が限定される。日当たりが良ければ土壌を選ばず、移植は容易である。ただネコブセンチュウに侵され易いので、移植は秋分の日頃に行う。果実をカリンと同じように、果実酒にする。群馬県太田市に、県指定天然記念物の「冠稲荷のボケ」の株がある。樹齢は推定300~400年とされ周囲は約3.5m、根元約3m、枝張り約9m四方、500本程の樹が半円形状に叢生したものが一株となったものである。 赤き木瓜 揺れをはり 我揺れゐたり 楸邨 1月21日と2月19日の誕生日の花 花言葉 指導者 先駆者
2014年02月06日

節分の日の関東は春を思わせるような陽気になり、東京の最高気温は桜の花が散るころの17度8分と4月上旬並みとなった。明けて4日は立春で暦の上では春だが、上空を強い「立春寒波」と呼ぶ寒気を伴った気圧の谷が関東甲信地方を通過した。その影響で関東地方は朝から小雨が降っていたのだが、昼過ぎから気温が急降下して雪となり家の屋根や樹木の上に積雪が観測された。4日の日中の気温は1.5度で、昨日から今日の温度差は16度にもなり年に何回もない気温差となった。東京の降雪回数を調べて見ると09年12月~10年は14回で降雪の最終は4月17日、順次13回、10回、5回となっている。昨年は大雪が2回降ったが降雪回数は5回で、2月19日が最終降雪日なので09年の4月17日と比較すると随分早い雪仕舞となった。今年はまだ今回を含めて二回しか雪を見ていず、しかも道路には殆ど積雪がなかった。「雪と言う字は、甲骨文字では空から雪が舞い降りる形を表している。また篆書では雨とヨからできていて雨は天から降ってくるものを表し、ヨの部分は手に箒を持って掃く形を表したもので、箒で掃ける雨のことを雪といった。雪は気温が摂氏0度以下の大気の上層で、雲中の水蒸気が凝結し氷の結晶が集まって地上に降るもの。雪の結晶は雪が雲中でできるときの温度と過飽和度により多様な形をとる。古来雪月花とたたえられて冬の象徴とされてきた。」…大辞林第三版面白いことに女房詞では、蕪・大根あるいは鱈を指して雪といっている。雪は理論的には雲の内部でつくられた氷の結晶が降ってくるものと、それが積もったもののことである。元は同じ雲から降ってくるのに、気象条件によって雨で有ったり雪・霰・雹であったりするのは誠に面白い。豪雪地帯では古くから雪害と言われ、屋根や道路に積もった雪は人の命を奪ったり経済的損失も与える。しかし一方では、豪雪地帯は都会地の水甕になっている場合が多く、冬の雪は天然のダムとなって夏場の貴重な飲料水とされており、降雪量が少ないと需要期の給水制限に繋がる。また雪の降る様は古くから花にたとえられ、雪華・六華(花)ともいわれ観賞の対象とされて来た。雪の語源には忌みを清める意味の、斎潔(ゆきよし)、斎清(ゆきよ)が由来とする説や、やすく消えるあるいは神の降臨を意味する御幸(みゆき)=深雪とする諸説がある。昨年の1月の大雪では、家内が滑って転倒し顔面を強打して通院するほどの負傷をした。昨日はかなり大粒の雪が激しく舞ったが、幸い被害を与えるほどの積雪とならなかった。積雪は白銀とも言われてマスキングして地上の汚れを隠すのだが、その後の雪解けが何日にもわたって一層ひどい汚れとなるので、子供の頃ほど心を躍らせて雪を待ち望むことは無くなった。 さらさらと 竹に音あり 夜の雪 子規
2014年02月05日

クリスマスローズという呼称は、イギリスのクリスマスのころに開花するバラに似た花であることから付けられた名前だという。寒さに強く、雪を持ち上げて花を咲かせるところから別名「雪起こし」の名前で呼ばれることもある。キンポウゲ科のクリスマスローズ属に分類される植物を総称してクリスマスローズと言い、別にヘレボラスともいわれる。クリスマスローズを含むヘレボラス属は、ヨーロッパから西アジアにかけておよそ20種と中国に1種が知られており毎年花を咲かせる多年草でヘレボラスとは、ギリシャ語で地獄を意味し地獄のように荒れた土地にも自生することから付けられたとされる。現在では非常に多くの花色が作出されており、素人が個人で楽しむ分にはこれらを明確に種に分類するような必要はなく、全てをクリスマスローズで括っても何ら支障が無いように思われる。見れば分かるが無茎種と有茎種は育てる際扱いが異なるので、違いを覚えた方が良いかもしれない。名前の由来になったとされるクリスマスの時期に咲く品種は少なく、殆どのものは1月から3月頃に開花する。花に見える部分は実際には、萼といわれる部分である。そのため長期間にわたって、観賞が可能である。クリスマスローズは強心配糖体のヘレブリンなどを含み、同じキンポウゲ科の福寿草のアドニンと同様にジギタリスに似た作用を示す。明治初期以前には民間で、強心剤・下剤・堕胎薬などとして使われていた。誤食・誤用により、嘔吐・腹痛・下痢・けいれん・呼吸麻痺・幻惑・精神錯乱・心拍数の低下・心停止などを引き起こす。また粘膜に触れると目や口・喉などの粘膜が糜爛や腫脹したりするので、植え替えや株分け枯れ花・葉摘みの際には直接手に触れないようにした方が良い。無茎種では新葉が開いて生長を始める11月~1月頃、株元に十分日を当てるため古葉の全てを地際から切り落とす。有茎種は風や雪で茎が折れないように、支柱を立てる。 3月6日の誕生花 花言葉 慰め
2014年02月04日

霧に包まれた山荘 冬の霧大気中に含まれる水蒸気が、温度が下がることで露点温度になると小さな粒となって空中に浮かぶがこの現象が霧である。霧は大気中の水分が飽和状態に達して起きるものなので、基本的には雲と同じものである。大気中に浮かんでいて地面に接していないものを雲といい、地面に接しているものを霧と定義する。したがって山の雲を下から見る場合は雲といい、その雲がかかっている山でその雲の中にいる場合は霧である。さらに山の地面に接する霧(雲)のことを、ガスと呼ぶことがある。見通すことのできる水平距離のことを気象用語で視程といい、視程が1km未満のものは霧といわれ1km~10km未満のものは靄(もや)と呼んで区別する。霧は発生の仕方で放射霧、移流霧、蒸気霧、前線霧、上昇霧などに分類されている。放射霧は晴れた冬の日などに放射冷却により地面が冷やされると、地面に接している水蒸気を多く含んだ空気も冷やされることにより発生し盆地や谷沿いで発生しやすい。暖かく湿った空気が水温の低い海上や陸地に移動すると、下から冷やされる結果霧が発生する。これを移流霧という。夏の三陸沖から、北海道の東海岸などに発生する海霧がその代表的なものである。冬の寒い朝には吐く息が白くなるが、それと同じ原理で暖かい水面上に冷たい空気が入ると蒸発が起き、その水蒸気が冷たい空気に冷やされることで発生する。川霧が代表的なもので、蒸気霧と言われる。釧路市では霧の年間の発生回数が100日を越え、6~8月が特に多い。釧路地方気象台では、陸上での視程が200mで濃霧注意報が発令する。霧は航空機の発着に影響を与え、釧路空港は霧による視程の障害で離着陸不可能な場合が多い空港として有名であり、自分自身も過去何回か、着陸地が千歳空港に変更された経験がある。都市化によって都市の乾燥化が起き、乾燥化によって霧の発生回数が減少するという。東京、大阪では20世紀半ばから21世紀にかけて、霧日数の減少傾向が観測されているという。布施明が唄った「霧の摩周湖」は、この歌で霧が有名になった湖である。観光シーズンの5月~10月の半年間に摩周湖が一日中見えるのは平均二日に一日強の100日だという。現に私が4月下旬に訪れた時は濃霧で、湖がどこに有るのかも判らない状態で有った。南アルプスの山々が迫った山荘の付近では、年に数回霧が発生する。自宅のある東京郊外では霧の発生が一年に一度あるかないかの現象なのだが、昨夜は午後7時過ぎから霧が湧き始め9時を回るころにはその濃さがピークとなった。まるで春宵の様な暖かな空気に包まれた濃霧を通して浮かぶ街灯が、何ともロマンチックな雰囲気を醸し出していた。
2014年02月03日

食べ尽くされたピラカンサ多くの人が嫌う鳥の代表として、カラス・ムクドリ・ヒヨドリの3種を上げることができる。カラスは鳥の中でも知恵が働き、都会ではゴミあさりをしたり時として人や家畜を襲ったりする。古くから縁起の悪い鳥とされている。一方ではいつも人の近くにいることもあって神話の中で霊獣八咫烏として、神武天皇が日向から大和を征服して橿原宮で即位するまでの道案内をした鳥として信仰の対象ともされている。ムクドリは繁殖期になると雨戸の戸袋などに営巣し、羽虫やダニを播き散らす。集団で各種の果実を餌とし、繁殖期以外には数千羽を超える集団が人の往来が多い駅前などの樹木を塒(寝座)にすることから、鳴き声と糞害で人の生活を脅かしている。ヒヨドリは、卑しい鳥「鵯」と書く。卑しい鳥故に付いたのが、語源ではなさそうである。ヒヨドリの名前は「ヒィーヨヒィーヨ」と鳴く声に由来するとする説、ヒエを好んで食べることから付いた稗烏(ヒエドリ)が転化したとの説もある。(和名抄)しかし今までにヒヨドリが、米・麦・大豆などの穀類やヒエを食べる所を見たことはない。枝葉が見えないほどに真っ赤に見が着いた我が家のピラカンサの木に、昨年末から数羽の斥候ヒヨドリが毎日味見に訪れていた。それが1月半ばを過ぎると、連日数十羽の群れとなって襲来して2週間もしない内に一粒残らず食い尽くしてしまった。時々おこぼれに有りつこうとメジロやツグミやムクドリの大群が押し寄せるのだが、ヒヨドリの勢いには勝てずいつも追い払われてしまう。ヒヨドリの食慾のために鈴なりの真っ赤なピラカンサの実も、1月中に一粒残らず無くなった。50年ほど前までの関東地方では、温州ミカンの栽培はできなかったのだが近年では温暖化と品種改良によって、多くの家庭の庭にミカンが実っているのを目にするようになった。我が家の近くに、3mほどのミカンの木を育てている家がある。我が家のピラカンサの実を食い尽くした後、そのミカンの木がヒヨドリの標的になった。折角一年かけて育てた果実は、その家の家人が3日ほど留守の間を狙って襲来した数十羽のヒヨドリの乱暴狼藉で、たわわに実っていたミカンは収穫されないままヒヨドリの餌食にされ見るも無残な有様となってしまった。今日も餌を求めて家の周りを、数羽が鋭い声で鳴き交わしながら低く飛んでいる。愛鳥家は野鳥が増えることを喜ぶが、増えすぎたが故に迷惑を被る人もいるのだ。
2014年02月02日

関東では1月中旬から晴天が続き、数日間隔で暖かい日が現れるようになった。12月の初めに比べると格段に日差しが伸びて、現在は午後5時過ぎまで明るい。未だ三寒四温とは言えないが、春の足音が近づきつつある季節の変化が肌に伝わってくる。こんな暖かな陽光に浮かれたのか、本来3月にならないと開花しない筈なのに早くも庭の隅の雲南素馨の枝に数輪の花が咲いた。この植物は同じモクセイ科の常緑半蔓性植物で、開花時期が同じオウバイに花色や姿が酷似している。両種ともにモクセイ科ソケイ属の植物で、ジャスミンと同属であるが香りは殆どない。ソケイはジャスミンのことで、次のような故事に纏わるものがある。「中国十国時代の劉隠の侍女に「素馨」という名の少女がいて、死んだ彼女を葬った場所に花が咲きいつまでも芳香がしたところから、その花に素馨という名前を付けた。」ものという。その他には「色が白くて(素)、良い香り(馨)がする花であることからその名前になった。」とする説もある。雲南素馨は、その他にウンナンオウバイ・オウバイソケイ・オウバイモドキの名前を持っている。樹高は3mにもなり長く垂れ下がる。原産地は、中国西南部の雲南である。非常に似た花を咲かせるオウバイは、中国では「迎春花」といわれ落葉半蔓性であり黄色の高坏(たかつき)形の径1mmほどの鮮やかな黄色い花を咲かせる。花の付け根に蜜を分泌するので、子供のころは花を抜いて吸って遊んだものである。ウンナンソケイと異なり、花期に葉は無く原産は中国北部である。日本への渡来が江戸時代で雲南素馨よりかなり早かったことから、派手な花を咲かせるものより小さな花を咲かせる方のオウバイが本家となって、遅れて明治初期に渡来した雲南素馨は似て非なるものとして不名誉なオウバイモドキの名前で呼ばれるようになった。ウンナンソケイは枝垂れる枝一杯に3~4cmもある、大形のオウバイに良く似た黄色の花冠が6~10裂し、一見八重花かと思われる鮮やかな花を付ける。ウンナンソケイもオウバイと同じ、3~4月頃が花期である。どちらも枝垂れて地面に着いた場所から根を出すので、簡単に殖やすことが可能である。何故なのか花期ではないのに、6月8日と6月10日の誕生日の花とされている。花言葉 恩恵 優美 別離 愛らしさ 素直
2014年02月01日
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