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山荘への入り口に設えた棚に這わせたゴールドキウイが、棚一杯に広がって雌花を沢山に着けた。昨年は5月11日に強い晩霜が降りたため若芽が凍死した上に、折角実を付けたのに梅雨明けから45日も続いた日照りによる水分不足で多くの果実が落下してしまった。落下を免れた果実の多くも、肥大しないで小さいままのものがあった。一年間休んだ株にはその反動から棚の近くを通っただけで特有の甘い香りが漂うほど、真っ白に盛り上がって雌花が咲いた。山荘に5坪ほどのキウイの棚が離れた場所に3つあるのだが、各棚毎に雌雄の株を何回植えてもゴールドキウイの雌木のみ、ヘイワード種の雄木、もう一つはゴードキウイの実生の雄木のみしか育たない。したがってゴールドキウイには、人工授粉が必須となる。しかしヘイワードの雄花はゴールドキウイより遅れて咲くので、この花粉を待っていたのではゴールドキウイの受粉に間に合わない。毎年隣家のこれも雄木しか育たない棚から30個ほどの雄花を譲り受けて、授粉を行ってきた。今年は幸いゴールドキウイの実生が育って、雄花を沢山に着けたので自家の雄花が利用できるようになった。雌花は例年5月末に開花するのだが、今年は20日過ぎには未だ蕾が堅く開花の様子が無かったので、授粉の時期を1週間後と読んで6月になってから山荘を訪れた。しかし開花時期の読みが見事に外れ、急に暑くなった5月下旬の陽気で雌花はすっかり開花していて、しかもその殆どの花弁は授粉の適期を過ぎたことを示して茶色に変色し始めていた。キウイの授粉には様々な教本があって、授粉は晴れた日の日の出前とか当日開花した雌花にとかそれぞれに難しいことが書かれているのだが、私は自己流で行って時期さえ誤らなければいつも見事に成功し着果する。私の方法だが、なるべく純白の花弁をした雄花を採集したら雄しべをもぎ取って広口瓶に入れる。増量のため片栗粉を適量加えて、良くかき混ぜる。それを水彩用の絵筆に附けて、雌花の柱頭に摺りつける。キウイの花は下向きに咲くため、授粉するためには顔を上向ける必要があり顔中片栗粉に塗れるのが難点でもある。今年は授粉を実施したものが判別できるようにと食用赤色102号を混ぜて見たのだが、雌花に着色できなくてこれは失敗であった。授粉の時期を失したため多くの雌花は小さいまま落下してしまったのだが、それでも夥しい数のキウイの実がまるで葡萄の房のように実った。ヘイワード種はこの様な成り方はしないので、このような成り方はゴールドキウイの特徴なのかも知れない。実が付き過ぎて肥大せずに、親指の頭程度のものも結構見受けられる。例年摘果せずにそのままにして小さいものまで収穫してきたのだが、いつも捨ててしまうので今年は少し摘果して見ようと考えている。サルが手を付ける前の10月末に収穫するのだが、ゴールドキウイは何ら手を加えなくても勝手に熟してしまい年内保存できないのが難点だが完熟キウイをジャムにすれば一年間有効に利用できる。
2014年07月31日

キキョウは漢字では桔梗と書き、黄白色芋状の親指程の太さの根を持つ多年性草本植物で、日当たりの良い日本全土の山野に自生する。キキョウは「きちかう・ありのひふきぐさ・一重草・梗草」など別名の多い植物である。山上憶良が秋の七草を詠んだ有名な歌、「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝貌の花」が万葉集にある。7世紀後半から8世紀後半に掛けての万葉時代に「朝貌の花」と言われていたのは桔梗、槿、昼顔などとするほか、朝咲く美しい花の一般的な総称であるとする説がある。しかし「万葉集」の巻十には、「朝貌は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ咲き増さりけり」とも詠まれていて、朝咲く花のことを指しているのではないことが分かる。またヒルガオ科の朝顔は平安時代になって中国から渡来したものなので、憶良が「朝貌」と詠んだ頃には日本にアサガオの花は無かったのは事実である。千百年以上前に編纂された「新撰字鏡」(901年)では、キキョウのことを「阿佐加保」と説明しているので「朝貌の花」と言われたものは桔梗のことであるとするのが現在は通説となっている。キキョウの開花前の蕾は花びら同士がくっ付いて、風船のようになっている。蕾は徐々に緑から青紫にかわり、花弁が裂けると星型をした花になる。雌雄同花の植物なのだが、雄しべが開いて花粉を出しても雌しべの柱頭は閉じたままで、花粉が無くなる頃遅れて柱頭が開いて他花の花粉で受粉する仕組みになっている。青紫の花が基本種だが白やピンクの花を咲かせるもの、草丈が低いもの、八重咲きなど或いは風船の状態のままほとんど開花しないものなどの園芸品種がある。キキョウの根はサポニンを多く含み生薬名を桔梗根といって、去痰・鎮咳・鎮痛・鎮静・解熱に効果があるとされ消炎排膿薬、鎮咳去痰薬などとして桔梗湯・銀翹散・十味敗毒湯・防風通聖散・排膿散などの、漢方方剤に使われる。花が咲き終わった後に茎を株元から半分くらいの位置で切り戻すと、切り口から新しい芽が出て秋口に再び花を咲かせる。キキョウを殖やすには、種・株分け・挿し芽の何れの方法でも可能である。タネまきの適期は4月上旬で、うまく育つと秋には花を見ることができる。株分けは地上部が枯れた秋以降に、翌年の芽を着けるようにして根を切り分ける。挿し芽は、5月頃に茎の先端5cmに切ったものを赤玉土に挿す。キキョウの株は7年以上になると急激に弱るので、根分けや挿し芽で株を更新することが大切である。鉢植えを下ろした株や種から育てた株が山荘の庭に数多くあったのだが、14年も経つうちに初めに植えた株は姿を消して零れ種から勝手に生えた株があちこちで花を咲かせている。盛夏の花が少なくなるこの時期に朝露を受けてひっそりと揺れるキキョウの花は、都会の庭で見るよりも山里の青空の下に咲いているのが良く合う。 雨晴れて 荒野の桔梗 夕日照る 子規 8月12日・9月2日の 誕生花 花言葉 清楚 気品 変わらぬ愛
2014年07月30日

昭和2年7月24日は、芥川龍之介の命日である。7月24日は彼の小説「河童」から取って、河童忌と言われる。中学生の頃芥川に傾倒して、彼の小説・俳句・書簡等の作品を読み漁ったものである。上高地の中心にあってシンボル的存在の河童橋は、芥川の「河童」に登場している。河童橋の名前の由来は、今では砂の堆積で浅くなってしまったが昔は河童橋の下辺りは深淵で、その深みを「河童の渕」と呼んでいたからという説の他に、橋がない時代川を渡るため着物を頭にのせて渡った姿が河童に似ていたことからとの説がある。冷たい雪解け水の中を大井川の渡しの様な格好で渡ったとは考えられず、後説には賛成しかねるところである。或いは芥川が北アルプスに登ったときの経験をもとに書いた小説「河童」から名づけられたともいわれる。最初の「河童橋」は明治から昭和初期頃には既に架けられていたともいわれ、歴史や年代・由来の真相は現在もはっきりわからない。河童とは、「かわ(川)」の「わっぱ(童)」の「かわわっぱ」から変化した名前と言われる。鬼・天狗と共に日本の三大架空妖怪とされ日本全国に伝承されており、その呼び名や姿形も各地で異なっている。河童と胡瓜の結びつきは、水神様が零落れた姿が河童でありその水神様へ供え物としてキュウリの初生りを供えたことが由来といわれる。寿司の業界では、胡瓜巻きのことを「カッパ巻き」と呼ぶ。河童の好きな胡瓜はヒマラヤ山麓が原産とされ平安時代から栽培されていたが、当初は黄色く熟したものを食用としていたので日本人の口に合わなかったこともあり評判の良い野菜では無かった。未熟な青い果実を食用とするようになって、全国に広く普及するようになった。胡瓜の「胡」という字は、シルクロードが伝来の道であったことを意味しているという。「キュウリ」の名称は、漢字で「木瓜」または「黄瓜」と書いていたことに由来する。今では「木瓜」と書いてキュウリとは全く関係の無い「パパイア」と読ませる。一週間ほどのインターバルで巡回してきてあらゆる野菜に手を付ける野生サルだが、山荘の近くに出没する70頭を越すサル群団は不思議なことにキュウリには余り手を出さない。何年か防御の工夫をしたのだが、遂に負けてサルに狙われる野菜は山荘の菜園で栽培しないことにした。空いた畑の有効活用のため5月初めにキュウリ苗を10本購入して植え、一番花が咲く頃隣に40粒の種を播種。さらに同時期に、自宅でポット15個に種を播いて育苗した。購入した苗がそろそろ疲れてきた今、直播きと自家製ポットの苗が花を咲かせ盛んに実を付け始めた。週末一週間隔で山荘通いをするのだが、キュウリ40本から巨大キュウリが10kgも収穫できる。河童やキリギリスでは無いので、糠漬け・炒め物・浅漬けなどにしてもこの大量のキュウリは食べきれない。糠漬け・千切り・サラダ・炒め物等の他にはキュウリのレシピは余り多くを知らないのだが、キュウリの醤油漬けを作ることにした。2日間にわたって手を掛けることを厭わなければ、至って簡単である。鍋に沸騰させたお湯に1kgの丸のままキュウリを入れて2分強火で茹で、そのまま蓋をして室温に冷めるまで放置する。室温に冷めたら、キュウリを取り出し、水を替えて同じように茹で翌日まで放置する。醤油200mlと穀物酢60ml・味醂100mlにハリショウガを加えた調味液を、一度沸騰させる。キュウリは5mmの輪切りにし、堅く水気を絞り沸騰した鍋に入れて2分火に架けてから下ろす。室温に冷めたら、器に取って冷蔵庫で保存するだけでよい。好みで、鷹の爪を輪切りにして加えても良い。夕飯時件の醤油漬けを一口食べた長男は、売っている物と同じ味がすると感心しきりであった。現在本葉4枚が展開したキュウリ苗が40本も育っており、来月中旬を過ぎる頃には一斉に実を付け始めると思われる。また、大量のキュウリの処分に頭を悩ませることになる。
2014年07月29日

松葉軒東井の「譬喩尽」に、「立てば芍薬坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」がある。和服姿の美人の立ち居振る舞いを3つの花に譬えたもので、歩いている姿が百合の花のように美しいことの譬えとするのが通説である。ひこじいさんのブログ→「014.06.09和服姿の淑やかな美人はとんと見なくなった」和服美人の歩く姿ではないが、130種もあるとされる品種のうち特にヤマユリの大輪の花とムッとするような濃厚な香りは百合の中で最も好きな花として心が引きつけられる。ユリはアジアを中心にヨーロッパ・北アメリカなどの亜熱帯から温帯、亜寒帯にかけて広く分布しており、原種は100種以上を数えるという。その内日本には15種があり、7種は日本原産種である。「大植物図鑑」には、「一名エイザンユリ、レウリユリ、ホウライジユリ山野に自生する多年生草本にして莖高さ四五尺に達す。葉は廣線形にして互生し先端尖る。夏日梢上に六片の花蓋より成れる大花數箇を着く。村越三千男編著」と紹介されている。また江戸前期の農学者宮崎安貞は「農業全書」でこの花について触れている。弱酸性の土壌を好み森林や草原に自生することが多く、数種は湿地にも自生している。日本にあるユリではヤマユリ、オニユリ、カノコユリ、ササユリ、テッポウユリ、オトメユリなどが良く知られている。中でも大輪の花を咲かせ一番見ごたえのあるヤマユリは1.5mもの高さに茎を伸ばし、夏に直径20cm以上のユリ特有の漏斗状の花を咲かせる。ヤマユリの名前は、日本特産のユリで山中に生えることが由来となって名付けられた。日本では山のユリだが、欧米ではゴールド・リリーやクイーン・オブ・リリーと呼ばれる。近畿から東の太平洋側の低山に生自生し、全国で栽培もされている。花は白色大型で、内側に赤褐色の斑のあるのが特徴である。鱗茎は食用になり自生地により、箱根百合・鳳来寺百合・吉野百合・叡山百合などの呼び名で呼ばれることがある。発芽から開花までには少なくとも5年以上かかるとされ、花数が一年に1個ずつ増えるとも言われ株が古いものでは50個も咲いてニュースになることがある。花姿が豪華で華麗であることから、「ユリの王様」と呼ばれる。鱗茎は扁球形で、長径10cm程の大きさになる。研究に依れば縄文時代には既に、食用にされていたとされている。ヨーロッパで注目を浴びるきっかけとなったのは1873年ウィーン万博に紹介されてからで、以来ヤマユリの球根は大正期まで横浜港から盛んにヨーロッパに向けて輸出され品種改良の母株として重用されてきた。秋になると、驚くほど多くの種を持った莢が結実する。この莢は熟すと自然に弾けて風に乗って飛散する。増やし方には、隣片を剥がして植える方法と種を蒔く二通りの方法がある。関東随一のヤマユリの自生地として、自他共に認めている場所が茨城県行方市にある。「井上山百合の里」と、いわれる。ヤマユリの芳香が夜間になって強まるのはオオマツヨイグサ、ネムノキ、ハマユウ等と同じで夜行性の高い運動性を持つスズメガを花粉媒介者として引き寄せる術なのであろう。ユリは種子から5年もの歳月をかけて成熟し、開花する。個体の寿命は平均7~8年、長いものは20数年もあるといわれる。生薬ではユリの根を「百合(ひゃくごう)」と呼び滋養強壮、消炎、鎮咳、利尿等のために利用してきたことからユリを百合と漢字表記するようになった。8年も前山荘の山法師の木の下に大人の握り拳大のヤマユリの麟茎を1つ2千円で2個購入して植えた。毎年見事な花を楽しみにしていたのだが、残念なことに3年目にすっかり掘り起こされてサルの餌食になってしまった。以来ユリを植えることは止めていたのだが、昨日仏壇に供えるカワラナデシコの花を摘みにオオバギボシ・アキノキリンソウ・ホトトギスなどが茂った庭の中に入ったところ、見事なヤマユリの一輪を見付け感動した。最初植えた場所から20mも離れているのだが、飛散した種子が5年かけて開花したのではないかと思われる。これも、山荘の七不思議の一つである。 花言葉 威厳、甘美
2014年07月28日

一晩でついたイノシシとシカの足跡春から夏にかけて、空き地や土手に菊に似た白い小型の花を散状に付ける雑草が群生する。この雑草には良く似たヒメジョオンとハルジオンの2種があり、素人目には殆ど区別がつかない。今の時期盛んに咲いているヒメジョオン(姫女菀)はキク科の越年草で、北アメリカ原産の帰化植物である。草丈は、50cm~1mほどになる。路傍や荒れ地に多い草で、ハルジオンに比較して花期は1か月ほど遅く6~8月に径2cmほどの頭花を多数つける。幼苗の時期は長い柄のついた丸みを帯びた根出葉を出すが茎が高く伸びるに従って、根元の葉は無くなり茎から出る細長い葉だけになる。茎と葉には、まばらに白い毛が生える。一般的には白だが、紫色の蕾を見ることがある。清浄な空気の中で育つことで、紫色を帯びるという。1本のヒメジヨオンは50,000にも及ぶ種子をつけること、種子には30年以上もの発芽殖能力があるということもあって驚くほどの繁殖能力がある。耕作を休むと、あっという間に畑地に入り込まれてしまう。ヒメジョオンとハルジオンは、花や草が非常に似ていてよく混同される。一般的に、ヒメジョオンの方が背が高くなり花は小さくて数が多い。ハルジオンは根元に葉があり茎を抱くように付いていて、蕾は下向きで垂れている特徴がある。最も簡単な見分け方として茎を折って見るとハルジオンは芯に空洞があるのに対して、ヒメジョオンの茎には空洞がないことで区別ができる。慶応元年頃(1865年)観葉植物として日本に導入されたものが、早くも明治時代には雑草として扱われるようになった。移入当初は「柳葉姫菊」と呼ばれたが、鉄道の線路沿いに広がったことから「鉄道草」の名前で呼ばれたりもした。現在は、全国何処にでも見ることができる。在来種の植物を駆逐する可能性があり、ヒメジョオンは、ハルジオンとともに要注意外来生物に指定されている。ヒメジョオンは漢字では、「姫女菀」と書く。姫は小さい、菀は中国語で生い茂る様子を表す言葉である。和名は「ヒメジョオン」であるが、ハルジオンと混同して、「ヒメジオン」と呼ぶ間違いがみられる。同じように、「ハルジオン」を、「ハルジョオン」と呼ぶ間違いもある。山荘のある南アルプスの東麓ではイノシシ・シカ等の大型野生動物の他に、サル・ハクビシンなどの野獣が出没し農地を荒らしまわるようになった。野獣の作物収奪を防ぐため防獣網や電気柵で個別に対抗してきたが、耕作者の高齢化もあって次第に耕作を諦め放置される田畑が出てきた。山荘の近くの田の何枚かが、一昨年から耕作することを止めた。途端に、一面がヒメジョオンで覆われ尽くされてしまった。このまま結実すると、夥しい種子がこの地特有の強風に乗って撒き散らされることになるのだろう。その逞しさに似合わず花言葉は、素朴で清楚だという。
2014年07月26日

松の葉は比較的疎なので樹下から、枝に着く松かさを見ることができる。松の仲間のヒマラヤスギは、松とは比較にならないほど大きく見事な松かさをつけるのにその存在を知る人は少ない。ヒマラヤスギは横に大きく枝を張ってその枝に密に着いた葉と、松かさが葉の上に上向きに着き、そのままの形で落下しないことがその理由である。マツ科の植物につく毬果あるいは球果は、松かさといわれる。漢字では松毬、松傘、松笠と書き表される。まつかさは「松陰嚢(まつふぐり)」が転化したもので、大辞林第三版によれば「松かさ、ちちりん。」と出ている。松かさは幼児言葉で「まつぼっくり」や「松ぼくり」ともいわれるが、ちちりんは聞き慣れない言葉で名前の由来は分からない。「ちちり」から変化したものとされ、京阪神のある地方で使用される言葉という。果物のパイナップルpineappleは本来松かさを指していっていたものが、後に松かさに似たパイナップルの名前になったものである。松かさは種子が成熟するのは翌年の12月になるので枝の先端に今年の雌花、1年枝の根元に昨年から成長した未熟な松かさ、更にその下にはかさが開いて種子を落とした松かさが着いているのを見ることができる。種子を放出してしばらくすると、松かさは枝を離れて地上に落ちる。落果の時期になると、松かさは大きく開扉するので毬に近い形となる。ハイマツやモミ・ツガ・コウヤマキなども、松かさを作る。それぞれその形態には種に依って特徴があるので、属や種の判定に役立つ。樅やヒマラヤスギなどでは種子を放出するときに鱗片がバラバラになるため、松かさの姿で地面に落ちることはない。マツ科のヒマラヤスギはヒマラヤ山脈西部原産の常緑針葉樹で、標高1500m~3200mに生育する。50m~60mの高さまで成長し、幹の直径は3mにも達する。樹冠は円錐形で、地面に水平な枝と垂れ下がった小枝を持つ。針のような形をした葉は5cm~7cmで細長く、厚さ1mmほどの針状で短いものが20~30も固まってつく。松かさは本家の松と比較して格段に大きな樽形をしていて、13cmの大きさにもなり幅も9cmにもなるのでダチョウの卵に似ている。9月から10月に受粉し翌年の12月に成熟すると松かさは崩壊し、翼状の種子を落とす。雌雄同株の樹木である。大きな木では、上のほうの枝に成熟した松かさをつけている。松かさの頂点の果鱗はバラの花に似た形をして落下し、その後果軸だけを残して熟した果鱗から順番にタネごと落ちてしまうので樹上以外では松かさの形で目にすることはない。ヒマラヤスギの森では古代インドの賢者がシヴァ神に祈りを捧げ、厳しい精神修行を積んだという。このことからヒンドゥー教では、ヒマラヤスギを聖なる樹木として崇拝している。日本には明治初期に導入され公園や大きな庭園に植樹されているので、良く目にする。韮崎の国道20号に架かる新穴山橋を諏訪に向けて渡った先の左岸や、白州道の駅近くのシャルマンワインの敷地の中に10数本の大きな木がある。木質は耐久性や難腐敗性に優れ、良質で緻密な木目は磨けば美しい艶が出ることから建築材料としての需要がある。腐りにくい性質を持つ一方で破断しやすいため、頑丈さが必要とされる緻密な加工には向いていない。北杜市武川町の駒城郵便局敷地の左端に巨大なヒマラヤスギの大木が一本あって、平屋の局舎全体が巨大に広げた枝で覆われていた。20日の昼過ぎに、突然大きなクレーン車と作業員5人ほどが来て手際よく伐採してしまった。それまで見えなかったのだが、落とされた枝先には大きなグリーンボールが幾つも目についた。
2014年07月25日

北杜市明野は、関東一の観光ヒマワリ畑があることで有名である。しかし、20日に訪れた時にはチラホラ咲いている畑が2枚ほどしか無く、大部分は成長盛りの緑一色であった。毎年思うのだが山荘の畑の隅に播いたヒマワリや、途中の路端では満開のヒマワリを見るので、この場所では夏休みに合わせて咲くように播種時期を遅らせているのであろう。市の温泉施設「クララの湯(従来の太陽館が管理者変更に伴い、4月からハイジの村が管理することになって施設名が変更されたもの)」の南斜面に張られた広い芝生の中にクローバーの群落があり、団体バスから降りたオバさん軍団が夢中になって四つ葉のクローバーを探し、見つける度にお年寄りとは思えないほどの嬌声を上げていた。風呂から上がって高原の風に吹かれながら、一寸探して見たが全く見つかりそうも無く諦めた。自宅に帰って買い物に外出した際、クローバーの中に一枚の四つ葉が簡単に見つかった。クローバーの葉は一般的には小葉が3枚なので、三つ葉のクローバーと呼ばれる。この三つ葉の中に、小葉を4枚持つ変異体のクローバーが稀に見つかることがある。稀にしか見つからないことから縁起を担いで、四つ葉のクローバーを見つけると幸運が訪れるといわれる。古来よりの言い伝えでは、クローバーの葉の3枚までは希望・誠実・愛情で4枚目は幸運だとされる。四つ葉の出現率は、三つ葉の1/10,000程度の頻度になるとされている。四つ葉の出現より格段に少ないが、五つ葉から八つ葉程度までは確認されている。四つ葉のクローバーの発生が遺伝的要因によるものか、あるいは環境要因によるものかについては議論のあるところである。四つ葉は、極稀に発現する劣性遺伝子の存在があることを示唆している。一方、環境要因に起因する突然変異や発生発育の異常、さらには一個体の中で偶然分離した複数の遺伝子の相互作用によっても引き起こされ得るといわれ、これらの要因はいずれも当てはまる可能性がある。クローバーの葉の模様は古来より守護の力を持つとされ、古代ケルトのお守りとされアイルランドでは「シャムロック」と呼ばれてきた。マメ科のクローバー・ウマゴヤシ・カタバミ科のミヤマカタバミなどのように、葉が3枚に分かれている草の総称をシャムロック(Shamrock)という。アメリカや日本では、しばしばシャムロックを四葉のクローバーと混同し誤認していることがある。432年ごろアイルランドへキリスト教の布教のためにやってきた聖パトリックが、異教信仰との融和を図るためクローバーの葉が小さな三つ葉になっていることを利用して、三位一体の教え「父なる神・キリスト(子)・聖霊(聖神)」を認めさせたと伝えられている。キリスト教を受け入れたアイルランドでは、このシャムロックを国の象徴として採用した。このように三つ葉のクローバー自体も、幸運のシンボルであるといわれていた。そのためより珍しい四つ葉のクローバーには、一層強い力があると信じられるようになっていったものである。シャムロックはアイルランドの国花とされ商標登録されていて、アイルランドを表すものの意匠に多く使われている。アイルランドの航空機には、尾翼章に図案化したシャムロックが描かれている。アイルランドが「エメラルド グリーンの島」と呼ばれるようになったのは、国中どこへ行ってもシャムロックを見ることができることから付いたものとされる。3月17日の命日にはシャムロックを胸に飾るか、緑色のものを身に付けて聖パトリックを偲ぶ。カナダケベック州のモントリオールでも、市旗の意匠に使われている。日本では、三つ葉は希望・信仰・愛情の印とされ、四つ葉は「幸福」のシンボルと言い伝えられてきたので結婚式やお祝い・プレゼントなどにも使われることがある。スーパーのチェーン展開をしているライフコーポレーションの商標は、明らかに四っ葉のクローバーを意識したものである。四つ葉のクローバーを見つけた人には幸運が訪れるという言い伝えは、ヨーロッパに古くからあり夏至の夜の摘み草には魔除けの力があると信じられている。三つ葉のクローバーはキリスト教の三位一体を、四つ葉のクローバーは十字架を表し幸運をもたらすという。ナポレオンが馬上で戦っている時に四つ葉のクローバーを見つけ、確認のため屈んだ瞬間銃弾が体をかすめて飛び屈んだことで命を救われたという尤もらしい伝説が残っている。アメリカの伝承では四つ葉のクローバーの葉にそれぞれ「Fame名声・Wealth富・Faithful Lover満ち足りた愛・Glorious Health素晴らしい健康」の願いを込め、四枚の葉が揃うことでTrue Love真実の愛を表すのだという。また花言葉は直截的な、Be mine(わたしのものになってください。)である。
2014年07月24日

真西の甲斐駒ケ岳が朝焼け 真東の空の朝焼け夕焼けは日没の頃、西の地平線に近い空が赤く見える現象のことと定義されている。赤く染まった状態の空を夕焼け空、赤く染まった雲を「夕焼け雲」という。日の出の頃東の空が同様に見えるのは、朝焼けといわれる。可視光には一番波長が短い紫から最も長い波長の赤まであり、波長が障害物よりも大きければ通過しやすくこの現象をレイリー散乱と呼ばれる。日中は長波長の赤色光などは大気中を直線的に通過し、視覚には色として認識されない。一方短波長の青色光は、大気のゆらぎにより散乱するため空は青く見える。夕方になり光線の入射角が浅くなることで、大気層を通過する距離が伸びる。青色光は障害物に衝突することによって吸収されるなどによって地表に到達しにくくなり、代わって長波長光線が散乱され西の空が赤く見えるようになる。焼けが起きる条件は、第一に天気がよく太陽の光が十分に地球表面まで届くことが必要である。曇っていると可視光線のすべてが一様に雲に吸収されてしまうので、焼けは起きない。したがって、日没の前後が地上も雲も一番赤く見える。朝焼けも夕焼けと全く同じメカニズムで、現れるものとされる。夕焼けはその地域の湿度よりもっと西の空気がさらに乾燥しつつあるときによく発現し、夕焼けの見える地域で雲が出ていても天気は西から東に移るので、翌日は晴れになる予兆をとされる。一方朝焼けはその地域の湿度が少し高くなりつつあり、雨が近いときによく起きると言われる。朝焼けの見えるところでは雲が出ていても晴れの状態であるが、天気は西から東に移動するので、湿度が増して雨になる前兆の一つとして受け止められている。統計的には夕焼けの明日は晴れの言い伝えは、70%近い確率で当たっている。しかし朝焼けの翌日が雨になる確率は60%以下であると言われる。しかも、北陸では逆に「朝焼けの明日は晴れる」と伝わる地域がある。(実践的お天気入門・山海堂)秋の空は空気が澄み夕焼けが美しく、また日の長かった夏から徐々に日没が早くなっていくため夕焼けが意識されやすい。枕草子の冒頭「春はあけぼの~」には、「秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて…」とあり、夕焼けの秋の空を愛でているのだが、句界では夕焼けも朝焼けも夏の季語であり秋の夕暮れを詠むときはわざわざ「秋の夕焼け」と断りを入れる。甲斐駒ケ岳の麓にある山荘では坐したまま、四季を通じてしばしば朝焼けや夕焼けを見ることができる。目を見張るほどの焼けには滅多にお目に掛かれないが、条件が整えば素晴らしい光景を目にすることがある。梅雨明け間近の19日の5時前、真西に聳え梅雨の雲間から少し顔を覗かせる甲斐駒ケ岳にかかる黒い雲が濃い赤に染まった。東の方角を見ると甲武信岳と金峰山の上空が、アカネ色に染まっていた。朝焼けは東の空に、夕焼けは西の空に出ると言われるがこの日は東西の空の雲が染まった。因みに20日は午後から猛烈な雷雨が、少しのインターバルで21日の朝方まで続いた。朝焼けは、「翌日は雨」の伝承がピタリ的中したことになる。
2014年07月23日

3時半の月 4時半の月月の満ち欠けは「朔望」とも言われ、太陽との位置関係で決まる。太陽と同じ方向にある場合が新月(朔)で、反対方向にある場合を満月(望)といいその間に上弦・下弦(半月)がある。月齢の計算式があるので自分で計算することも可能だが、今は便利な月齢カレンダーがあるので毎日の月齢を瞬時に知ることが可能である。月齢カレンダーには、1か月分の毎日の月齢とそのころの月のおよその形が示されている。月齢は新月から何日経過したかを表し、「月齢+1の整数部」が旧暦の日付とほぼ一致する。新月から新月までの長さは異なるので、十五夜の月が月齢15の月で満月であるとは限らない。上弦および下弦の月は半分が明るく輝いているため、半月あるいは弦月(half moon)という。当然ながら新月から次の新月までの朔望周期には弦月が2回あり、1つ目は月齢平均7.38日で上弦の月あるいは上弦月または単に上弦と呼び、2つ目の月齢平均21.15日を下弦の月または下弦という。この時の月の角度は、90度と270度である。「上」弦、「下」弦の上下は順序が先か後であることを意味していて、1か月を「旬」に分けて上旬・中旬・下旬と呼ぶのと同じ使い方である。日本においては明治時代(1873年)にグレゴリオ暦が導入されるまで中国の「授時暦」をベースにした太陰太陽暦が使用されてきたが、この太陰太陽暦では日にちは月の運行によって決められていたので上弦の月は上旬、下弦の月は下旬に現われる。上弦は太陽に6時間遅れて、12時にのぼり24時に沈むので夕方や夜浅くに見やすい。一方下弦は6時間進んでいて、0時にのぼり12時に沈むため深夜過ぎや未明に見やすい。月の上半分が輝いているのが上弦、下半分が輝いているのが下弦と信じている人がいるが、上下の使い分けは順序でありそもそも同じ月相の月でも、昇った直後と沈む直前とでは上下がほぼ逆になるのでこの見分け方は誤りであることが分かる。月には、月齢の1から順に様々な異称がある。月齢1は朔あるいは新月2既朔3三日月7/8上弦13十三夜14小望月あるいは幾望15望または満月あるいは望月16十六夜あるいは既望17立待月18居待月19寝待月あるいは臥待月20更待月22/23下弦29/30晦(つごもり)今月は19日から下弦に入ったのだが、12日の満月から梅雨空に月の姿を見ることは無かった。19日に時折強い雷雨がありとても月が現れるような状況ではなかったのだが、20日の3時過ぎに天窓から射しこむ青白い光に若しやと思いながら窓の外を見るとまるで冬空に輝くように凡そ半月の月が天空に煌々と輝いていた。この日は月齢、22.8の三日月であった。新月から凡そ7日後の月は、中天で左側が欠けているのだが日毎に満ちていき7日後には満月となる。月は右に回って見えるので、沈む時には暗い部分を上にしておりこれが上弦の月である。一方満月から次第に月が欠けて行くと、中天で月は右側が欠けているように見えこれを下弦の月と言う。上弦の月とは異なり、時間を追うごとかけて見える部分が下向きとなって行き沈む。写真は夜中の3時半と明け方4時半に撮ったもので一時間の時間差があるが、明らかに月の軸に対して右に回転しているのが分かる。明け方まで雲一つ無い空だったのに、夜が明けるとともにいつもの梅雨空に戻り南アルプスの山塊は厚い雲に隠されてしまった。言葉通り、束の間の天体ショーであった。
2014年07月22日

ニホンアマガエルは、日本全国に分布している。体長は2~4.5cmでメスの方が大きく、オスは4cm以下の大きさしかない。ニホンアマガエルは樹上での生活に適応していて、水辺の植物の上や森林などに生息する。春から秋まで活動し、冬は地中で冬眠して越冬する。不思議なことに前後の足指の数が異なっていて前足は4本、後足5本の指を持ち指先に吸盤がある。この吸盤で枝から他の枝や葉へ飛んだり、窓ガラスにも張りつくこともできる。体色は腹側が白色で、背中側が黄緑色だが、背中側は黒っぽいまだら模様の灰褐色にも変えることができ保護色の例としてよく知られる。体色は周りの環境、温度、湿度、明るさなどで分泌されるホルモン作用によって、皮膚の色素細胞を拡張・伸縮させることによって変化させる。稀に色素細胞の変異により、体色が青や黄色の個体が現れることもある。またしばしば空色をした蛙を見るが、これは黄色色素が欠乏したものである。太陽光の下では保護色になるが、暗闇では土の上でも緑色のままである。視覚から来る刺激が、体色を変化させていることの証明である。一般に知られていないが皮膚は粘膜に覆われ、この粘膜には僅かに毒成分を含んだ粘液が分泌されているので、傷のある手で触ったり、その手で目や口に触れると激しい痛みを覚えこともあるという。アマガエルは手の平に乗ったり、歩いて腕をよじ登ったり、子供の遊び相手にされるが若し触れた場合にはその手で目や傷を触らないようにして水で洗い流すようにする。両生類全体が減少傾向にあるとされるが、ニホンアマガエルは水のないところでも活動が可能な上、樹上にも対応できることから都市部等でも見かけることがある。小さな昆虫類やクモ類を餌とするが、動いているものにのみ反応し、死んだものや動かないものは捕食しない。その捕食方法は飛びかかりながら、先ず舌で獲物を押さえ付けると同時に口で獲物を咥え込む。獲物が大きな場合は眼球を引っ込め、眼球の裏側で口の中の獲物を喉の奥に押しこむようにして呑みこむ。夜間も人家の窓や自動販売機の照明前に現れて、明かりに集まる昆虫を捕食する行動を見ることができる。天敵は主に鳥類、ヘビ、イタチやタヌキなどの大型動物であるが、その他にもトノサマガエル、タガメやタイコウチ、ゲンゴロウなどの肉食水生昆虫からも捕食される。よく似た体色のものにシュレーゲルアオガエルやモリアオガエルがあるがアマガエルに比較して体が小さく、ニホンアマガエルには体横と目から鼻にかけて褐色の帯があり、灰褐色の体色ではまだら模様が出ることなどから区別することができる。ニホンアマガエルの鳴き声は「ゲッゲッゲッゲッ…。クワックワックワッ…」という表現をされる。カエルは普通繁殖期の夜に鳴くが、ニホンアマガエルは雨が降りそうになると昼間でも鳴くのが大きな特徴である。この鳴き声は「雨鳴き」(Raincall)などと呼び、繁殖期の雌を呼ぶ鳴き声と区別されている。晩秋には、雨と関わりなくレインコールに似た甲高い声で「クワックワックワッ」と鳴く。雨鳴きについては、さまざまな昔話が各地に伝わっている。山荘周辺には沢山のアマガエルがいて、至る所で目に付き子供の格好の遊びの対象となっている。誰に教えられたのか子供の頃トノサマガエルを捕まえて、尻から麦わらの稈を挿しこんで息を吹き込み膨らませ水に浮かべる遊びをしたことがある。山荘の近くで遊ぶ今頃の小学生は、動きの遅いアマガエルを捕って殺して遊んでいる。東京の孫たちは、それを見て殺生を諌めたと言うが「大丈夫です。」の返事が返ってきたとか。車のフロントガラスに張り付いていることも、しばしばである。張り付いていることを知らないまま車を発進させて気になりながら運転し、途中ブドウ園に寄って強制下車を願ったことがある。中央道韮崎インターから一宮御坂インターまで車のフロントガラスに張り付いて、120km/hのスピードにも剥がれ落ちることなく無賃乗車をしたアマガエルも余りのスピードにきっと驚いたことだろう。
2014年07月21日

萱堂(けんどう)とは、母の敬称である。中国で母は北の座敷を居間とし、その庭に萱を植えたことが由来とされる。萱一字では、「すげ」あるいは「わすれぐさ」と読む。スゲはカヤツリグサ科の一つの属と、ユリ科ワスレグサ属の多年草を指す。なぜ同じ文字が異なる植物の名前になったのか、定かではない。今ではイネ科の植物を指す方が一般的だが、元々萱の文字には「忘れる」の意味があるのでワスレグサが先輩格だったのではないかと思われる。ワスレグサ(忘れ草)属の花は一日花が多いことから、英語でDaylilyの名前で呼ばれる。しかし実際には、2~3日咲いているものもある。中国ではワスレグサを「萱草」と呼び、「金針」や「忘憂草」などの別名で呼ぶこともある。カンゾウ(萱草)の意味は、この美しい花を見ていると物も忘れると言う故事から付いた漢名で「忘れ草」とも言う。確かに信州の夏の高原に咲き乱れるニッコウキスゲの花の群落は、見ていて飽きない美しさである。春に咲くワスレナグサ(勿忘草、忘れな草)はムラサキ科ワスレナグサ属の植物であり、「な」があるのと無いのとでは全く異なった植物になる。ワスレグサは広義にはユリ科キスゲ属やヘメロカリス属のことを指し、ニッコウキスゲと呼ばれる禅庭花(ゼンテイカ)もユウスゲもワスレグサに含まれる。ヘメロカリスとはギリシャ語の「hemera(一日)+callos(美)」が語源であり、やはり一日花から付いた名前である。ワスレグサの一種で野原や土手に7~8月、濃い朱色の大きな八重の百合に似た花を咲かせるヤブカンゾウ(藪萱草)がある。花径は10センチくらいもあり、雄しべと雌しべが花弁化して八重花となっている。 名前も花色も若芽が食べられることも似た仲間に、ノカンゾウ(野萱草)がある。こちらは一重咲きで、ヤブカンゾウに比べて目にする機会ははるかに少ない。有史以前に中国から帰化し全国に広まったとされるが、3倍体のため結実せずランナーを出して増殖する。「わが紐に付く 香具山の 故りにし里を 忘れむがため」(あなたを忘れようと思って、下紐に忘れ草を付けたけれど、言葉通りの効果は無く、思いは募るばかりです。)(万葉集 大伴旅人)霊験の有無は兎も角この花を着物の紐に着けておくと、嫌なことを忘れさせてくれるという伝承がある。「和名抄」(平安時代)には、若葉を食べると美味しくて憂いを忘れると記されている。根は乾燥して漢方では利尿剤として用いられる。 6月22日の誕生花 花言葉 愛の忘却 悲しみを忘れる山荘の入り口の土手に居座って、刈っても刈ってもまた葉を出す。同じワスレグサでもユウスゲやニッコウキスゲの花と異なり、真夏の炎天下に咲くヤブカンゾウの八重の花は見ているだけで暑苦しくなり、うっとり眺めていて物を忘れると巷間伝わるほど美しい花ではない。山百合ほどもある大きな花を咲かせるのに、多くの人も雑草としか見ない。
2014年07月18日

7月7日に宮古島の南東で910ヘクトパスカルまで勢力を増した台風8号の最大瞬間風速は、秒速70mを超える猛烈な勢力となった。幸いなことに関東を通過する時点では、すっかり勢力が弱まり殆ど被害の発生は無かった。この台風の影響で梅雨前線が活発になって、長野県南木曽町では9日夕土石流が発生し犠牲者が出た。この場所は以前から大規模な土砂災害が複数回発生してきたが、70年代後半から始まった本格的な治山事業によって災害は収まったのだが、一方では30年以上風化した花崗岩の礫が厚く堆積して地盤が不安定になっており、豪雨によって崩れたのではないかという。南アルプス地蔵岳の麓に、落差121mの東日本最大の名瀑とされ日本の滝100選にも選定されている精進ヶ滝がある。駐車場とトイレも完備していて林道は狭いながら舗装され、駐車場から滝見台まで小一時間の女性・子供・老人にも人気の観光スポットである。数年前の10月の豪雨で、林道や整備された渓谷沿いの登山道がズタズタになって、暫く入山禁止となっていた。今年の梅雨は、陽性なのであろうか。降る時はかなり強い降雨があるのに、台風8号が通過してから殆ど雨らしい雨は降らず、早くも梅雨明けの感じである。降雨は無くても暫く続いた梅雨空に、山荘から見える甲斐駒ケ岳・アサヨ峰・鳳凰三山は連日雲の中だったのだが、13日の早朝には朝焼けとともに珍しく南アルプスがその全容を現した。甲斐駒ケ岳と地蔵岳を結ぶアサヨ峰の左端の山に、真新しい崩落の跡のあることに気が付いた。精進ケ滝の、右側の山である。南アルプスも木曽山脈と同じ花崗岩で構成された山なので、大雨が降れば至る所で山の崩落が起きる。山荘は南木曽地区と同じような地質・地形で、南アルプスの雨水を集めて流れる大武川と石空川が合流する近くに有り、昭和34年8月には台風7号による鉄砲水で死者90人の災害が、さらに1か月後の9月には台風15号(伊勢湾台風)により道路や橋梁流失・決壊、山崩れ、堤防決壊、家屋の全壊、半壊多数が発生した記録があり町内各所にモニュメントが建立されている。山荘が完成した折、駐在所の警察官が巡回してきて「大雨になりそうだったら、すぐ引き上げて自宅に帰ってください。」と忠告されたのには驚かされた。
2014年07月17日

セイヨウスグリ(西洋酸塊)はユキノシタ科の小低木で、別名をマルスグリあるいはオオスグリと言われ果実はジャムやシロップ、サラダなどの料理に利用されることがある。直径10~15cmくらいの丸石を、くり石あるいはぐりと呼んでおり、建築の基礎現場では今でもこのように呼んでいる。ぐりは土くれ・塊を指しており石塊(いしくれ)・石塊(いしころ)と書くことから、未熟なこの果実が恐ろしく酸っぱいことから「酸っぱい塊」が由来となった名前であろうと推量できる。英語ではgooseberryと言い、特に鵞鳥やアヒルなどの料理にこの実から作ったソースが合うことから「goose」の名前がついたとの説がある。北半球の温帯域を中心に150種ほどを有するスグリ属の果実は、球状の液果になるものが多く食用とされ果樹として栽培もされている。わが国では北海道、東北、長野県など比較的寒い地域に植えられている。果実には、葉酸を多く含んでいる。葉酸過敏症として、紅斑、発熱、蕁麻疹、かゆみ・呼吸障害などを起こすことがある。一方アミノ酸や核酸の合成に必要となる補酵素であるため、細胞分裂の盛んな箇所において葉酸欠乏症が現れやすい。同属の植物に、ヨーロッパ原産のフサスグリ(房酸塊)がある。果実の色は赤・白・黒があるが、赤色のものは見た目が素晴らしく綺麗で旨そうに見えるが、酸っぱくて甘さを期待しているととても食べられる代物では無い。ヨーロッパではレストラン等のサラダバーに、山盛りにされていることがある。赤色品種は酸味が強いので主として加工用に使われるらしいが、以前ニュージーランドのクライストチャーチのレストランのブッフェで山盛りにされていたものを皿に取り分けてきたが、口に合わずそのまま残したことがある。ヨーロッパでは果実をジャムやゼリー・果実酒などに加工するため、ごく普通に栽培しているという。西洋スグリはフサスグリより大型の果実を着け、高さ2mほどの半円形の茂みを作る。枝には比較的大きな鋭い蕀が、びっしり付いていて扱い難い。未熟果は緑だが、熟すと紫褐色になるので生食する場合の収穫適期が分かりやすい。主な生産地は長野県や東北地方で、果樹として栽培もされるが生産量は少ない。生での市場流通は稀で、殆どはジャム等に加工されてから流通している。山荘の菜園の縁に植えた西洋スグリが、以前2年ほど続けてハクビシンの餌になった。この数年は他にたべる物を見つけたのか棘を忌避したのか、毎年赤紫に熟れたスグリが枝にびっしり付いたまま残っているようになった。終戦直後の子供の頃には何処の家でも植えられていたので、熟れるのが待ち遠しくて良く食べたものである。私にとっては懐かしい味と香りと食感だが、孫たちは敬遠して誰も食べようともしない。様々な果実でジャムを作るが、あの独特の味と食感を思うとスグリジャム作りに挑戦する気にならないのも不思議である。そのため毎年赤紫色に熟れ、動物も人も食べないので朽ち果てるままになっている。鉢植え50cmほどのものが860円ほどで売られているが、西洋スグリは地面についた枝から直ぐに根を出すので簡単に殖やすことができる。800円以上の値段は、少し高すぎる感じがするのだが。
2014年07月16日

この時期ハスの花で有名な場所では、ハスの葉に注いだ酒を茎を通して飲む「象鼻杯」や茎を酒に漬け込んなだ「ハス酒」を楽しむ会があちらこちらで催される。大抵は先着順で人数制限がされていて、500円以上の参加費が設定されている場合が多い。子供の参加を認めている場合は、子供には酒の代わりにジュースを用いているようだ。今ではネットなどの媒体で宣伝されることもあり、毎年実施される会場が増加しているようである。中国で旧暦6月24日を蓮の日としてこの行事が始まったとされ、2200年以上前に中国古代の消夏飲酒法として山東省で行われたのが起源と言われる。「観蓮節」行事として親しい友人を招いて蓮花を観賞し、小川の淵に座って歌を詠む「曲水の宴」や、暑気払いのために蓮の葉の上に酒を注いで象の鼻に見立てた茎から吸い取って飲み干す「碧筩杯の宴」(象鼻杯)が行われるようになったものとされる。「観蓮節」は形を変えて伝わり様々な「祓い」行事の効能効果と同じで、象鼻杯は健康・長寿に効ありと伝えられている。象鼻杯(象鼻盃)とは、ハスの葉を50cmから70cmほどの茎を付けて切り取り、葉の中心に竹串などで小さな穴を開け、その葉の中に酒を注ぎ茎から葉に注いだ酒をストロー状にチュウチュウと啜り飲むものである。「象鼻杯席」あるいは、「碧筩杯」ともいう。また日本酒にハスの茎を漬けものは蓮酒と呼ばれ、ハスの茎の香気が移って特別な香りが立つと言う。この行事が始まったとされるハスの花が咲き誇る時期は、東京では一月早いお盆の時期と重なる。猛烈な暑さとなった昨日は、お盆の例年行事で家内の兄弟が実家に集まり仏壇に線香を上げた。焼香の後テーブルに着いて食事を摂りながら、庭に何鉢も咲いているハスの花を観賞しているとき、突然長兄が庭へ出てハスの葉を一茎切り取ってきた。ハスの話題の中で象鼻杯のことを、思い出したものらしい。元々長兄は下戸に加えて診療中のこともありまた、次兄は車で来ていて二人ともアルコールを飲めないので試飲役が自分に廻って来た。冷酒を葉に注いだが茎と葉面は維管束で繋がっていないので、葉面の底に穴をあけて葉面と茎に孔を通す必要がある。葉に楊枝で穴をあけて勢いよく茎を吸うと確かに酒が口に入ってくるのだが、こうして飲む酒は格別旨いものではない。茎を浸けたハス酒も、青臭いだけで象鼻杯同様格別な感慨はなかった。健康・長寿に効ありと思えば、ご愛きょうである。
2014年07月15日

山菜の旬より時期的に3か月も遅いが、山菜が出始める頃ワラビやタラノメに並んで旨い山菜を言い現わす言葉で、「山で旨いは、ウルイ(人によっては、ウケラとも)にトトキ」と言われる。ウルイとはオオバギボシのウケラはキク科の多年草で、トトキはツリガネニンジンの別名である。そのオオバギボシ(大葉擬宝珠)が、山荘の庭の至る所で名前通りの大きな葉を広げ長く伸ばした花茎の先に穂状の花を咲かせ始めた。日本では沖縄を除いた、全土に分布している。少し湿った山地の草原や林縁に、多く見られる。早春の若葉は、山菜のウルイとして利用される。ウルイはタラノメと同じように促成栽培が盛んで、市場には2月頃から出荷される。長い葉柄を茹でて乾燥させたものは、「山の干瓢」と呼ばれ古くから保存食とされている。鮮度落ちがせず保存期間も長く、独特の「ヌメリ」と「シャキシャキ」した歯ざわりがあり、山菜特有のアクもないことから食材として重宝されている。ビタミンやミネラルの他に、ヌメリ成分の中に多糖類が多く含まれているのでリンパ球を増やして病気に対する抵抗力を高める効果があるとされる。高さ1.5mにもなり葉は根生葉、形は卵状長楕円形で、葉の長さは30~40cm、幅は10~15cmと大型である。7~8月になると特長のある漏斗型の白色または淡紫色の花を、やや下向きにつける。花軸の上方に着いた蕾が下から上部へと開花していく。蕾の形が橋の欄干に付けられる擬宝珠に似ているとして、葉の大きなところからオオバギボシと名付けられた。同種のもので遥かに形が小さいコバギボウシがあり、山荘周辺の土手には普通に見られる。コバギボシの花は、オオバギボシに比べて紫色が濃い。春先の若葉が丸まって筒状に生え、葉の色がウリの皮に似ているとして瓜菜(うりな)と呼ばれたものがウルイに転化したとも言われる。ウリッパ・アマナ・ギンボ・山かんぴょうなどの別名で呼ばれることがある。30種類以上もあるギボウシの仲間は全て食用になるが、なかでもオオバギボウシが美味とされる。亜高山地帯より上に群生する毒草に「コバイケイソウ」があり、芽出しのころはオオバギボシと良く似ているので素人は採取に注意を要する。株が直径1mを超えるほどに大きくなるので狭い庭にはそぐわないが、葉や花が美しく庭の草花として見応えがある。江戸時代に編まれた「本草綱目啓蒙」に、「ギボウシ」の名が現れる。江戸時代末期には園芸栽培され、葉に白い斑が入るものなど多くの品種が作出されるようになった。変異が多いことや地域的な固有種もあって、厳密な区別が難しい仲間とされる。花言葉 沈静 変わらない思い
2014年07月12日

子供のころからホタルブクロの花が好きで、土手や藪の縁に生えているこの花を摘んで遊んだものである。14年も前に山荘の庭のあちこちに信州伊那谷、南アルプスの山中、世田谷区内や大月市笹子町の野生の株を移植したり購入した株を植えたりした。今では植えた場所からはすっかり姿を消して、庭のあちこちに勝手に芽を出して咲くようになった。これも山荘七不思議の一つである。基本種のホタルブクロも植えた筈なのに良く観察するとそれぞれ花色に差がある花は、今では全てヤマホタルブクロに置き替わってしまっている。開けた草原や土手などに見られる多年性草本で、全体に短毛が生えている。根出葉は長い柄を持ち、ハート形の葉身は花がなくてもホタルブクロと認識できるほど特徴的である。条件が良ければ、匍匐枝を横に出して増殖し初夏に花茎を延ばす。高さは80cmほどにもなり学名が示すように、数~十数もの柄のある釣り鐘型の花を下向きにつける。花色には赤紫のものと白とがあり中間色も出る。関東では赤紫が関西では白が多い。近畿以東の山地にあるのは、萼に付属体のないヤマホタルブクロである。ヤマホタルブクロとホタルブクロにはほとんど外見上の変異はないが、萼片の間が盛り上がっているのがヤマホタルブクロで、ホタルブクロには萼片の間に反り返る付属片ついている。この特長さえ知っていれば、花の時期にはこの2種は容易に見分けることができる。学名のCampanulaはラテン語で「小さな鐘」を意味し、英語では「bell flower」という。する。開花時期は、6~7月頃。花姿が好まれ庭園に植えたり鉢植えで販売されたりするほか、茶花としても好まれている。地方によって異なった多くの呼び名があり灯籠花・提灯花・提灯・袋花・釣鐘草などと呼ばれる。これらの名前は、何れもその花姿から連想されるものである。また異なった名称が多いのは、古くから親しまれた花であることの証左でもある。ホタルブクロ類のしべは花の奥に隠れていて、覗きこまないと確認することはできない。未熟の間は雌しべの柱頭は尖っているが、雄しべが枯れる頃になると小さな鉤を付けた雌しべが長く伸び頭が3裂して反り返り花粉を受け取る仕組みを持っている。子供の頃は花を覗きこんで3裂しているものを雌花、割れていないものが雄花と全くの勘違いをしていたが、今になって思うと単純にしべの成熟度の違いであったのだ。同一花では、雌しべより雄しべの成熟が圧倒的に早い。蕾のうちは葯が雌しべの柱頭を包んでおり、雌しべには先端へ向かって無数の鉤が着いている。開花状態になるまでに雄しべはほとんど枯れてしまい、柱頭は閉じているので自花により受粉することを防ぐ仕組みとなっている。ホタルブクロの名の由来については諸説あるが、牧野富太郎は「小兒其花ヲ以て蛍を包む故に蛍嚢の和名アリ。(牧野日本植物圖鑑)」とその花の利用方法からの由来であると断定している。一方では、花姿が提灯に似ているところから付いたとする「火垂る」説がある。ホタルの語源は「火垂る」であり、虫名としては蛍となったが本来は「提燈」のことを言ったものである。今日でも提燈のことを「火垂る袋」あるいは「火袋」と呼ぶ地方がある。ホタルブクロの花の形が提燈に似ているので、「火垂る袋」とよんだのだと思う。(中村浩 植物名の由来)と書いている。実際子供の頃「ホタルの入れ物説」を聞いて、この花の中に捕えたホタルを入れたこともあるが、多くは広口の瓶を持ってホタル狩りに行ったものであり、帰って蚊帳の中に放して楽しんだりもした。ホタルブクロの花の中にホタルを入れて楽しんだ昔人がいたとしたら、その人はよほどの風流人であったのだろう。花言葉 正義 忠実 貞節 愛らしさ
2014年07月11日

3月下旬に植え付けた、ジャガイモの収穫期になった。向日葵のように花を見る作物では無いが、ジャガイモ畑一面に咲く紫や白の花は美しく見応えがある。ジャガイモは葉の付け根から花茎を長く伸ばし、その先端に散状に多数の花をつける。花はナス科特有の星形で黄色い花芯と品種によりピンク・白・紫など様々色をした5弁の花を咲かせる。関東で人気の高い男爵の花は薄い紫色で、関西で人気のあるメークインは紫色である。ジャガイモで最もポピュラーな男爵やメークインは雄性不稔の性質があるため受粉能力は低いが、品種によっては受粉してミニトマトそっくりの実をつける。実は熟するにしたがい最初緑から黄色・赤へと変化するが、落果しやすいので赤く熟するものは希である。普通植え付け後100日を過ぎると茎が自然に枯れてくるが、果実を着けた株はいつまでも青々としている。果実の中の種子を播種することで、新品種の作出が可能である。ジャガイモは種イモを分割して植えて殖やすので、同一品種ではクローンである。したがって異なった品種間の交配から生まれた個体が、新種として利用されることになるが、種から育てるには3継代以上の時間が必要であり新種の作出には長い時間がかかる植物である。ジャガイモ栽培は簡単な幾つかの要点を守れば、幼稚園児や小学生でも簡単に栽培できる作物である。ホウレンソウと異なりpH6程度の弱酸性の土壌が適しているので、苦土石灰の撒布は過多とならないようにする。また冷涼な気候や、痩せた土地でも栽培可能である。ジャガイモは病気に罹り易く保存状態の悪い種芋や、収穫漏れで畑に残された芋は病害の原因となる。一旦畑に病原菌が入ると、排除が困難になるので必ず毎年新しい種イモを購入して植える。株立ちの茎の本数が多すぎるとイモの数は多くなるが、肥大しないで小芋が多くなる。親芋から発生する芽は、茎が3本以下になるように芽掻きをして調整する必要がある。地下茎の先にイモを着けるが地下茎は種芋より地表に近い場所にでき、地下茎が日光に晒されると緑色イモとなり有毒アルカロイドのソラニンを蓄積して食用にならなくなる。日光に当てないため、十分な土寄せが必須である。病害やテントウムシダマシなどの害虫の被害を受けやすく、ナス科特有の連作障害も発生しやすい。前年にナス科の植物を栽培した場所には、植え付けをしない。新イモは濡れると2日ほどで腐敗し、ドロドロに腐敗してしまう。収穫時期が梅雨の最盛期に当たるが、雨中での収穫を行わないようにしなければならない。ジャガイモはソラニンなどの有毒なアルカロイドを全体に含むが、特に皮層や芽、果実に多く含まれる。ジャガイモの毒は加熱で分解されにくく、小児では大人の10分の1程度の量で発症する。料理の際は芽や緑色を帯びた皮は丁寧に取り除かなければならない。管理がきちんとされない保育園や小学校の観察栽培で収穫された芋には、毒の蓄積量が多いため毎年中毒が発生している。10年前の2006年には、4例の中毒事件で患者数は140人であった。稀に結実した実が赤く熟し、恰もミニトマト様の果実を付けることがあるが渋苦くてとても食用にできる代物ではなく、ソラニンなど有毒アルカロイドの含有量が高いので口に入れることはさけるべきである。我が家の菜園でもメークインに結実したが、イモを収穫する際全て抜き取って捨てた。
2014年07月10日

清少納言は枕草子で「草の花は、なでしこ、からのはさら也、大和のもいとめでたし。(六十四)」。また「絵にかきおとりする物、なでしこ、さうぶ、さくら。(百十二)」と書いている。大伴家持は「宇流波之美 安我毛布伎美波 奈弖之故我 波奈尓奈蘇倍弖 美礼杼安可奴香母」(うるはしみ、あが思ふ君は、なでしこが、花になそへて、見れどあかぬかも)(万葉集第二十巻)と歌に詠んでいる。ナデシコは「撫子・瞿麦」の別名を持つナデシコ属の植物で、正式にはカワラナデシコのことである。またナデシコ属の植物を総称して使う場合もある。和歌では子を慈しむ意味の「撫でし子」と、ナデシコを掛詞として用いていることが多い。本州以西に自生する多年草で、高さ30~50cm。基本の花色には赤と白があり、栽培していると白色から淡紅色のものが出現することがある。撫し子に通じる語感と可憐な花の美しさから秋の七草の一つに数えられ、花そのものも愛でられてきた。開花期の全草を瞿麦(くばく)種子は瞿麦子(くばくし)と言い、利尿作用や通経作用があり生薬として利用されている。江戸時代には願わない妊娠の、堕胎薬としても使われた。大和撫子の名前は、「唐」から移入されたセキチクと在来種の撫子とを区分するため、カラ(の)ナデシコに対比してヤマト(の)ナデシコ呼んだものである。「わが子を撫でるようにかわいい花」が、名前の由来とされる。現在は何処にも見られなくなってしまったが、14年前には山荘近くの土手にもあちらこちらにカワラナデシコが自生していた。現在山荘の庭に咲く紅色のカワラナデシコは、散歩の途中近くの土手から採取して来て庭へ移植したものである。山荘の庭には、この自生種の他に近くに住んでいた野草の好きな「愚酔庵主」が栽培していた紅白の二株を貰い受けて庭に植えたものとの、厳密には3種のカワラナデシコが咲いている。自生種は貰い受けた株より草丈が大きく直立しないで倒伏し易い性質があり、貰った株より1か月以上遅れて蕾を付け到来株が咲き終えた後も霜が降りる頃まで次々開花する。この3種類共折角映える場所を選定して植えたのに、植えられた場所を嫌って自分勝手に遠く離れた所に根を下ろして咲き誇っている。山荘七不思議の、一つである。
2014年07月09日
昨日7月7日は七夕と呼ばれ、彦星と織女が年に一度の逢瀬を許された日とされる。七夕は識字の可能な日本人なら、殆どの人が「たなばた」と読みもともとの「しちせき」と読む人はいない。しかしどの文字が「たな」でどれを「ばた」と読むのかまるで分からない。たなばたは五節句のひとつで古くは宮中で「七夕(しちせき)」とよばれていたものが、豊作祈願であった「種播祭り」と合体して「たなばた」と呼ばれるようになったとする説と、「棚機つ女(たなばたつめ)」由来説とがある。中国ではアサガオを牽牛(けんご)と書き、種子は牽牛子(けんごし)と言われる。薬草を集めることを生業とした人が、生薬のアサガオの種子を牛を牽いて行って交換したことから種子のことを牽牛子と呼び、その花を牽牛花と名付けたとの尤もらしい説がある。牽牛と書いてアサガオは「けんご」と読み、星の場合は「けんぎゅう」である。アサガオにも「けんご」で無く、「けんぎゅう」の読み方もあるようだ。同じように牛と書いて「ご」と読ませる熟語に、牛頭馬頭(ごずめず)がある。地獄の獄卒であり頭が牛で体は人形をしたものが牛頭で、馬の頭をもったものは馬頭をいう。馬頭の場合牛頭が着かなければ、「ばとう」以外には読めない。牛頭馬頭は人間に敵対し退治されるという設定で、枕草子や太平記・平家物語中に登場する。今昔物語巻第十七には、「仏壇の前を見れば、牛の頭なる鬼を三段に切殺して置きたり」との記述がある。星を牽牛(けんぎゅう)と呼ぶようになった由来は、同じ中国語源なのにアサガオとは全く関わりが無い。天の川の東にあるAltair星を中国では牽牛(けんぎゅう)と呼び、これと西にある織女(おりひめ)星が陰暦七月七日の夜出逢うことから「星まつり」行事として中国から伝来したものである。星の名前の由来については、牽牛と七夕に纏わる次のような中国の伝説がある。「昔一頭の老いた牛と共に暮らしている、独身男がいた。真面目な生活をしている男のために、一人の女が密かに隠れて家事を助けた。その女に会った男は、結婚を申し込んで夫婦となった。やがて子供もできて幸せな生活を送るうち、ある日突然天から2人の神将がやってきて女を無理矢理に天に連れ戻してしまった。女が、天帝の孫娘の織女であることがわかった。男は妻を取り戻す方法に悩んでいたところ、飼い牛が「わたしを殺して、皮を着れば空を飛ぶことができるようになる。」と話した。男は泣く泣く牛の言うとおりにした。男と子供の再三の願いで天帝は毎年旧暦の七月七日だけは、男と織女がただ一度会うことを許した。」日本ではAltair星のことは七夕伝説の「牽牛」が伝わる以前から、和名で犬飼星とか男子の美称である彦星と呼んでいた。この日は書物の虫干しをし、庭に立てた笹竹に五色の短冊に願い事を記して吊るし子女の学問や技芸の上達を願う行事が行われる。陰暦7月7日は、本州では梅雨の最中でおまけに今年は超大型台風が列島縦断を窺っており、毎年のことながら、この時期に星空を眺めて中国の古い伝説に思いを馳せることは難しい。昨夜は空一面が厚い雲に覆われ、時折小雨が舞う天気で、星が見えることはなかった。地方ではお盆と同じに月遅れで行うことが多く、子供の頃願い事を書く墨をする水は里芋の葉に溜まった水を使った。8月7日頃になると、里芋が子供の背丈近くまで伸び葉を大きく広げる時期にも重なる。早朝の日の出前に起されて、葉の上に文字通り水玉になった水を集めてくるのが子供の役目で楽しい行事でもあった。
2014年07月08日

アサガオはサツマイモの仲間で、一年生である。日本では古典園芸植物として古くから好まれ、改良され多くの品種が作出された。そのほとんどは、江戸時代に作出されたものである。新たに作出されたものの多くは、種子を作らないものが多い。日本へは奈良または平安時代に薬として、種子を遣唐使が持ち帰ったものとされる。漢名では「牽牛子(けんごし)」といい、花を楽しむ園芸植物ではなく薬用とされていた。寺島良安により江戸中期(1712年)に編纂された百科事典、「和漢三才図絵」には4品種が紹介されている。種子の生薬名「牽牛子」は、局方に収録されている。中国の「名医別録」によれば、牛を牽いて行き朝顔の種子と交換したことが名前の由来になったとされている。粉末にして、下剤や利尿剤として薬用にする。ジギタリスやキンポウゲ科の植物と同じように強力な作用を現わし、毒性が強いので素人判断による服用は禁忌である。種子にファルビチン、コンボルブリンなどの有毒無い分を含有し噛み砕いて服用すると嘔吐、下痢、腹痛、血圧低下を起す。変化アサガオで種子を作るものを正木、作らないものは出物と呼ばれる。そのため系統を維持するには、多くの株の中から親株の性質を持つ株を選んで遺伝的に選抜し種を継承している。江戸時代アサガオを育てた人々は既に、遺伝の法則を実践的に行っていたのである。多様な変異のあるアサガオを、早くから遺伝学の基礎研究の材料として利用してきた。御家人などが内職として栽培していたアサガオが、アサガオの鉢を入れた籠を天秤棒の前後に担いで江戸の町を一般の人に売り歩いた。入谷の真源寺の朝顔市が有名になったのは明治時代に入ってからで、江戸後期頃からこの地で盛んだった朝顔栽培農家が寺院内で見せて販売したことがその起源とされる。その後宅地化が進んだこともあって大正2年に最後の栽培農家が廃業して、朝顔市は廃れてしまった。昭和23年に、有志の努力と行政の肝いりもあって入谷の朝顔市が復活し、毎年7月6日、7日、8日に盛大に行われるようになった。この真源寺は大田南畝の狂歌で、恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺、情け有馬の水天宮、なんだ神田の大明神と唄われる。アサガオに近い植物には5種類程があり○サツマイモの他、○クウシンサイ(アサガオに似た淡紫色の花を付ける)○ソライロアサガオ(アメリカソライロアサガオ、セイヨウアサガオともいう)は、園芸植物として改良され近年で は多花性昼咲性として人気が高い。○マルバアサガオは到来種で葉は浅い切れ込みのハート型。果実はサク果で、花後に下向きになるのでアサガオと は容易に区別がつく。○沖縄原産のノアサガオは他は1年草なのに対して、低地の森林や藪にごく普通に分布する野生の宿根多年性で、 関東以南では越冬して古い茎は肥大して木質化する。ノアサガオを改良した園芸品種が、琉球アサガオ・オーシャンブルー・宿根アサガオなどの名称で販売されている。極めて強健で蔓は10数mの高さにまで伸び、カーテン状に覆い尽くす。葉は大きく子供の顔大もあるハート形で、花は多数が房咲きし見応えがある。アサガオと同じように早朝に開花するが、早朝は青く昼は紅紫色に夕刻になるとピンク色に変化する。この改良種は不稔性なので挿し木夏から秋に古い蔓を30cmほどに切って浅く植える、あるいは地上を這う蔓の葉脇から根を出した物を切り取って植えれば簡単に根付くので繁殖は容易である。ただし植え付け1年目は、8月末から9月にならないと花を咲かせない。東京近郊では露地でも越冬するが、霜が当たると枯死するので念のため地上1mほどで茎を切断し厚手のビニールで覆い霜よけをする。こうして越年したものは、6月末から開花する。我が家でも屋根まで伸びた宿根アサガオが、今年は6月20日が初咲きであった。沖縄県北部の今帰仁にある友人の広大な庭園に、1月末にも関わらずノアサガオが茂っていた。改良園芸種は野生種のノアサガオに比べて、花の数と大きさに格段の差がある。朝顔市は7月初めに行われ、栽培は必ず子供の夏休みの課題とされるが、俳句の世界では夏ではなく秋の季語である。
2014年07月04日
サッカーワールドカップブラジル大会では日本チームは一勝もしないで早々と姿を消したのに、テレビは連日外国勢同士の試合の模様をタレ流し放映している。この状態は、これからも7月14日まで続くのであろうか。4年前のW杯南アフリカ大会で、8試合の勝敗を全て的中させたとして有名になった蛸のパウル君がいた。今回も二代目パウル君が、占いに引っ張り出されているようだ。タコには、触手が8本もある。タコは、ギリシャ語で8の足というoktō+pousから付いた名前である。お国変われば何とやらで、日本では縁起が良いとされるものがヨーロッパでは忌み嫌われる言葉の一つに八(または8)がある。わが国では古来数字の8は縁起の良い数とされ、日本では現在も八は下が広がっているので末広がりと縁起を担ぎ幸運の意味がある。逆に西洋では不吉な数字とされ、八本足の蛸をdevil fishと呼んで食べることが避けられてきた。八はハチ・ハツ・や・やつ・やっつとも読み、下に日が付けば「ヨウ」と読まれる。八卦の八は乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤を表しており、八州は日本の古称で「愛国行進曲♪見よ東海の空開けて…おお八州…。」は日本のことである。名詞の頭に付けて、漠然と数が大きいことを示すのにも使われる。奇しくも無限大を表す記号∞は、数字の8そのものである。四方八方の八方は全ての方角で、四苦八苦と言えば筆舌に尽くしがたいような苦労や苦悩をする様子として使われる。道路・交通などが四方八方へ通じていることは、「四通八達」という。激しい苦痛などで、ひどく苦しんで転げまわる様を七と八を使って、七転八倒と使う。君が代に出てくる♪「千代に八千代に…」は、非常に永い年代のことで「未来永劫・永遠」の意味である。第二次世界大戦のスローガンとされた「八紘一宇」とは、全世界を一つにまとめて一家のように和合させることの意味として使われた。八の字が使われて難読・難解な言葉としては、八仙花(あじさい)→ひこじいさんのブログ「八仙花と書く人はいなくなった2014・6・20参照」・八幡船(ばはんせん)・八尺瓊(やさかに)大きな玉のこと・八咫(やた)・八岐大蛇(やまたのおろち)などがある。声を出して数えるときには、七(ナナ)の次は「ヤア」と言う。嘘八百の「八百」は、八が沢山でさらに百が付いて全くでたらめという意味で使われる。数十種類という多くの品物を売る店を八百屋というが、八百屋の長兵衛に由来すると言われる八百長という言葉がある。長兵衛が営む八百屋の屋号を、「八百長」といった。主人の長兵衛は、関取の伊勢海五太夫の碁敵であった。碁の実力は長兵衛が上であったのだが、商売の打算からわざと負けて伊勢海五太夫の機嫌を取っていた。これがばれ長兵衛がしていたことを「八百長」と言っていたが、その後勝ち負けの調整をすること全てを指して使われるようになったとされる伝承がある。実際にはその数の倍以上もあった町の数の多さを、「八百八丁」と使って江戸に町がたくさんあることを言い現わした。八百八寺とは京都に寺院が多数あることを言い表す語で、八百八橋は大阪の町に多数の橋があることを言い現わした言葉である。佐渡島には人魚の肉を食べたため1000年の寿命を得た比丘尼が、200歳を国王に譲ったので自分は800歳で若狭の小浜で死んだという八百比丘尼の伝説が残されている。八百会ひ(やおあひ)は数多くのものが集まる場所を言い特に、潮流が集まる所に対して使われる。八百重は八重の百倍という幾重にも重なっている意味から、非常に遠く隔たっていることを言う言葉である。八百万の神と使う場合のように八百万は、非常に多くのあるいは無数のという大雑把な数を表している。たった一文字の「八」にも多くの意味と言葉が繋がっていて、調べるほどに大いに興味をそそられるところである。
2014年07月03日

ウメは中国語の、「梅(マイあるいはメイ)」がムメとなり、ウメに転化したものとの説がある。梅の語感から多くの人は5弁の白または紅の「花」の方をイメージするが、梅の実も梅干し・梅酒・ジャム・ジュースとして多くの人に利用されている。梅は1月から暖地から咲き始め、6月~7月に実が熟す。この時期の日本列島上空では暖気団と寒気団との勢力が拮抗しているので、ほとんど同じ位置に前線が停滞する。この停滞前線のことを、梅雨前線といい長雨の季節到来となる。次第に暖気団の勢力が強くなってこの前線は大陸に押し上げられ消えるが、季節が変わると今度は寒気団の勢力が強まって梅雨前線と同じように日本列島に押し下げられた前線が停滞するが、秋の場合は秋雨前線と名を変えて呼ぶ。「梅雨」の語源としてはこの時期は梅の実が熟す頃という説や、カビが生えやすいことから「黴雨(ばいう)」と呼ばれこれに発音が同じ「梅雨」の字を当てたという説などがある。中国語でも梅雨と書き、メイユーと読まれる。4月中旬に桜と一緒に開花した山荘の豊後梅と冬至梅が、首都圏から1か月以上遅れて漸く収穫時期を迎えた。かつては自家産の梅で毎年作っていた梅干しも、我が家ではあまり食べなくなり親戚や知人からのお裾わけだけでも消費しきれないほどになって何時しか作るのを止めてしまった。さらに梅酒を作っても全く飲まないで、アルコールが抜けたビンテージ物の瓶が幾つも床下にある。収穫した梅の利用としては辛うじて梅ジュースを、家内と孫が飲む位である。今年は4kg程を氷砂糖で漬けた。残りの一部は家内の従弟から、毎年青梅の砂糖煮を作ることを勧められていたので始めて甘煮を作って見た。従弟からは、アク抜きのため良く洗った梅の実を塩水に3日漬けた後、何日か真水で塩抜きをしてその後好みの分量の砂糖で煮る方法を教えられた。私は元来せっかちで3日も4日も悠長に待っていられない性分なので、ジャムを作る要領でアク抜きする方法を考えた。この際注意するのは、梅の実は煮沸すると簡単に皮が破れて形を崩してしまうことである。良く洗った後、真水に漬けて5時間ほど予備のアク抜きをす。笊に上げて良く水を切り加熱の前に、皮が破れることを防ぐ意味で束ねた妻楊枝で梅の皮に傷を付けて置く。梅の実とタップリの水を琺瑯鍋に入れ、沸騰させないように80℃程で30分火にかけ茹で汁を棄て再度新しい水をいれ同じように3回繰り返す。3回目の茹で汁は室温に冷えるまで其の侭放置し冷えた後棄て、梅の実がヒタヒタになる位の水と好みの味になるよう砂糖を入れ20分、蓋をせずに沸騰しないよう注意して火にかける。これは夏ミカンで、マーマレードを作る時のアク抜きと同じ要領である。火を止めた後、味醂で味を調えれば出来上がりである。梅の実の甘煮で肝心なところは、梅の実は皮が破れやすいので沸騰させないことと丁寧に扱うことである。冷蔵庫で十分に冷やした甘煮の梅は仄かに酸っぱさが伝わる水菓子として、これからの暑さには格好の食べ物であると思っている。
2014年07月02日

ひこじいさんのブログ「虎目石の艶をして」(2013.05.27) )にアップしたが、今年は自宅の駐車場入り口の路上に30cmもの長い奴がヌメヌメと蠢いていた。この地に50年以上住んでいるが、我が家でコウガイビルを見かけたのは初めてである。庭木や蕗・茗荷が生い茂っているほか、偶にしか雑草も抜かないのでどちらかと言えば少し薄暗く湿気っぽい庭である。これから10月末頃までの間は庭に出ると、あっという間にヤブカの大群に襲われることでも分かる。そんな環境が好きで、どこからかやってきたのかも知れない。簪(かんざし)の笄(こうがい)に似ているところから、コウガイビル(笄蛭)の名前が付いた。この動物は人の血を吸うなどの人や哺乳動物・鳥類・魚類などに対して害を与えることは無い。吸血するヒル(蛭)と同じ名前が付いているが、環形動物に属するヒルとは全く異なった生き物である。扁形動物コウガイビル属に属する、動物の総称である。往々にして数十cmを越える長さの陸上動物で、扇形をした頭部を持っている。形態がシュモクザメ(撞木鮫)の頭に似ているので、勝手に撞木蛭(シュモクビル)と呼ぶ人がいる。陸上の湿ったところに生息する紐状の動物で、頭部は撞木にも似た半月形である。筋肉や神経系の発達が劣っていて運動は非常に緩徐で、ゆるゆると這うだけである。日本には、数種が生息しているとされている。扁形動物門渦虫綱に属するものはヒラムシ・ウズムシ(プラナリア)などでその殆どが水中動物で、陸上生活するものとしてはコウガイヒルの仲間以外にはほとんどない。都市部には外来種で大型の、オオミスジコウガイビルが侵入増植していると言われる。コウガイビルは雌雄同体で体長は平均10cmから30cm、大きなものでは1mを越えるものがいるといわれるが、幅は精々1cm未満で厚みは数mmしかないので平たく細長い体をしている。体の端部のうち扇形に広がっている方が頭で、頭部には肉眼で見えない眼点が多数存在するという。体の中央腹面には、口と肛門を兼用した器官を有している。体表面は粘液に覆われ、触ると粘つく感じがする。トカゲの尻尾切りに似た自切機能を持ち、体を針などで地面に固定すると即座に針の刺さった穴を拡げて脱出することができる。陸棲ではあるが乾燥には非常に弱く土壌・石の下・朽ち木の中などで生息しており、夜間に湿った所を徘徊する。肉食で、ミミズやナメクジ・カタツムリなどの獲物に体全体で巻きつき、腹面の口から吻を伸ばし肉を消化しながら食べる。雨の中で見るのと、昨日のように乾燥した開けた場所で見るのと気味悪さの度合いが異なるのは不思議である。
2014年07月01日
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