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60年前に社会人第一歩を踏み出した小学校が閉校になるという。初めてづくしの社会人としての生活だった。親元を離れ、郵便局に勤めるお宅に間借りをし、自炊をして村の生活に溶け込んでいった2年間だった。あの時受け持った子たちも70歳になっているはずだ。あのころ児童数450人はいたと思う。私の受持ったクラスには35人の子供たちがいた。2クラスあった。当時その村には3つの小学校があったが、今その3校の小学校と中学校が一か所に併合されるのだという。最初の赴任地がなくなる。やはり妙に感傷的になってしまう。あまりにも色々なことが思い出される。
2017.02.22
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息子の異変である。真夜中を少し過ぎたころ、突然ベッドの柵をつかみガタガタいわせ、ついには大声を出し始めた。ひとしきり叫びうとうとするが、すぐまた大声を出し始める。この真夜中にうめくような絞り出すような大声はできることなら外へ響かせたくない。どこか痛いのか冷や汗までかいて大声を上げておる息子の汗をぬぐいながら、答えが返ってくることはないのが分かっても「どうしたの、どこが痛いの」と体をゆすって聞いてしまう。どうしたらいいのかわからず私の方もパニックを起こしてしまう。救急車を呼ぼうかと思って電話機を持ってみたり、おいてみたり、こんな大変な状況にも気づかないで起きてこないで休んでいる2階の家人に腹をたてたりしていた。ふとおむつを調べてみた。尿が出ていない。もしかすると、尿道結石ではないかと疑った。それは私の経験済みの症状だ。長い長い時間だった。やがて落ち着いたのか静かになった。おむつは尿でびっしょりであった。何はともあれ、恐怖のわめき声から解放され、私はベッドに倒れこんだ。そのまま6時過ぎまで目を覚ますことなく死んだように寝てしまった。息子がわめき続けたのか安らかに寝られたのか、私は知らない。
2017.02.21
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昨日近くの病院に弟が転院してきていると聞き様子を見に行った。私が入院したころやはり倒れたと聞いていた。4歳違いである。一人暮らしの弟は近所の人が異変を感じ息子に連絡してくれたらしい。間一髪命を失わずに済んだらしい。いつもダジャレを言って人を笑わせている彼は、近所の人と没交渉ではなかったのが命を失わずに済んだようだ。自分も年寄りなのに敬老会など何かと集会に呼ばれて、サックスを演奏していたようだ。元プロのサックスの貧乏演奏家である。今の彼は右手が動かないようだ。当然命の次に好きなサックスを吹くことはできないだろう。どんな思いでいるのだろう。今のところ失語症になっているが、間もなく言葉は取り戻せる気配を感じられる。私も同じように右手に不調があり、言葉に詰まる症状だったが幾分彼より軽く今ではパソコンの操作もできるし入院していない。しばらく会っていなかった彼の顔が母の顔や父のしぐさを感じさせるのだ。鏡に映る私の顔、やはり母の顔がダブってくる。
2017.02.15
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「歌うこともリハビリですよ」コーラスの先生は脳出血の経験者。10年前に救急車で運ばれた経験もされている。現在素敵な声で県のミュージカル協会の先頭に立っている方だ。発病された時声が出ない喉の不調に不安があったという話を聞いている。2日の日に仲間に連れられて練習会場に向かった。先生やお仲間の良かったよかったの声に迎えられた。ああ生きている、と感じてうれしかった。でも声が出ない。少々焦っている私。ま、いいか.じょじょに何とかなるだろう。
2017.02.05
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